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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 11月 27日

選時抄 要点解説その五

日蓮大聖人は『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一たい・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』と、断じられるとともに、本抄の終段で信徒に向け『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』と、説き、法華経の修行に一層励むよう諭されます。

『譬えば「一切の川流江河の諸水の中に海これ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し。又衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し」等と御心えあるべし。当世日本国の智人等は衆星のごとし、日蓮は満月のごとし。
<中略>
「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。教主釈尊の金言まことならば多宝仏の証明たがずば十方の諸仏の舌相一定ならば今日本国の一切の衆生・無間地獄に堕ちん事疑うべしや。
法華経の八の巻に云く「若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は乃至諸願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん」、又云く「若し之を供養し讃歎すること有らん者は当に今世に於て現の果報を得べし」等云云。

此の二つの文の中に亦於現世・得其福報の八字・当於今世・得現果報の八字・已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば如来の金言は提婆が虚言に同じく、多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ。謗法の一切衆生も阿鼻地獄に堕つべからず、三世の諸仏もましまさざるか。
されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と。
<中略>
されば此の経文のごときんば法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。而るを又国王に尊重せらるる人人あまたありて、法華経にまさりてをはする経経ましますと申す人にせめあひ候はん時、かの人は王臣に御帰依あり法華経の行者は貧道なるゆへに、国こぞつてこれをいやしみ候はん時、不軽菩薩のごとく賢愛論師がごとく申しつをらば身命に及ぶべし、此れが第一の大事なるべしとみへて候。此の事は今の日蓮が身にあたれり。予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり経文まことならば無間地獄は疑なしなんど申すは裸形にて大火に入るはやすし、須弥を手にとてなげんはやすし大石を負うて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。
  霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩等・梵釈・日月・四天等、(法華経の行者を)冥に加し顕に助け給はずば一時一日も安穏なるべしや。






by johsei1129 | 2016-11-27 18:36 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 26日

選時抄 要点解説その四

次に日蓮大聖人は「仏教では、機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり」と質(ただ)します。

像法の末に伝教大師・日本に出現して、天台大師の円慧・円定の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず、円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして、上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給う。豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや。

答えて云く如来の教法は必ず機に随うという事は世間の学者の存知なり。しかれども仏教はしからず、上根上智の人のために必ず大法を説くならば、初成道の時なんぞ法華経をとき給はざる。正法の先五百年に大乗経を弘通すべし。有縁の人に大法を説かせ給うならば浄飯大王・摩耶夫人(注)に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず。無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず。不軽菩薩は誹謗の四衆に向つていかに法華経をば弘通せさせ給いしぞ。されば機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり。

次に日蓮大聖人は今末法は法華経を流布する「時」であり、自身が法華経の行者であることを詳細に説かれます。

吉凶につけて瑞大なれば難多かるべきことわりにて、仏滅後・二千二百三十余年が間いまだいでざる大長星いまだふらざる大地しん出来せり。

漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかども、いまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり。まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし。

仏法日本にわたて七百余年・一切経は五千七千・宗は八宗十宗・智人は稲麻のごとし弘通は竹葦ににたり、しかれども仏には阿弥陀仏・諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりてをはするは候はず、此の名号を弘通する人は慧心は往生要集をつくる日本国・三分が一は一同の弥陀念仏者・永観は十因と往生講の式をつくる扶桑三分が二分は一同の念仏者・法然せんちやくをつくる本朝一同の念仏者。而れば今の弥陀の名号を唱うる人人は一人が弟子にはあらず。

此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや、心あらん人は此れをすひしぬべし。権経流布せば実経流布すべし権経の題目流布せば実経の題目も又流布すべし、欽明より当帝にいたるまで七百余年いまだきかずいまだ見ず南無妙法蓮華経と唱えよと他人をすすめ我と唱えたる智人なし、日出でぬれば星かくる賢王来れば愚王ほろぶ実経流布せば権経のとどまり智人・南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと影と身と声と響とのごとくならん。
日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。

 問うて云く正嘉の大地しん文永の大彗星はいかなる事によつて出来せるや。
答えて云く天台云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。問て云く心いかん、答えて云く上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり。

問うて云く日本漢土月支の中に此の事を知る人あるべしや、答えて云く見思を断尽し四十一品の無明を尽せる大菩薩だにも此の事をしらせ給はずいかにいわうや一毫の惑をも断ぜぬ者どもの此の事を知るべきか。
問うて云く智人なくばいかでか此れを対治すべき例せば病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人必ず死す、此の災の根源を知らぬ人人がいのりをなさば国まさに亡びん事疑いなきか、あらあさましやあらあさましや。

答えて云く蛇は七日が内の大雨をしり烏は年中の吉凶をしる此れ則ち大竜の所従又久学のゆへか。日蓮は凡夫なり、此の事をしるべからずといえども汝等にほぼこれをさとさん、彼の周の平王の時・禿にして裸なる者出現せしを辛有といゐし者うらなつて云く百年が内に世ほろびん。同じき幽王の時山川くづれ大地ふるひき白陽と云う者勘えていはく十二年の内に大王事に値せ給うべし、今の大地震・大長星等は国王・日蓮をにくみて亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたふどせらるれば天いからせ給いていださせ給うところの災難なり。
<中略>
「外典に曰く未萠をしるを聖人という。内典に云く三世を知るを聖人という。
余に三度のかうみようあり。一には去し文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷の入道に向つて云く、禅宗と念仏宗とを失い給うべしと申させ給へ此の事を御用いなきならば此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給うべし。

二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ。

第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず念仏の無間獄・禅の天魔の所為なる事は疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば、頼綱問うて云くいつごろよせ候べき。予言く経文にはいつとはみへ候はねども天の御気色いかりすくなからず・きうに見へて候よも今年はすごし候はじと語りたりき。

此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず只偏に釈迦如来の御神・我身に入りかわせ給いけるにや、我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。
経に云く所謂諸法如是相と申すは何事ぞ、十如是の始の相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う。智人は起をしる蛇みづから蛇をしるとはこれなり、衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一たい・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」と。

注 浄飯大王・摩耶夫人:釈尊の実の父母。摩耶夫人は釈尊(ゴータマ・シッダッタ)を生んだ後七日で亡くなり、妹の摩訶波闍波提(まか・はじゃはだい)が養母となってシッダッタを育てた。
摩訶波闍波提は仏教史上最初の比丘尼となり、妙法蓮華経 勧持品第十三で釈尊から、未来世で「一切衆生喜見(きけん)如来」となるとの記別を受けた。


選時抄 要点解説その五に続く








by johsei1129 | 2016-11-26 21:57 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 25日

選時抄 要点解説その三

日蓮大聖人はせんずるところ機にはよらず時いたらざれば・いかにもとかせ給はぬにや」と断じ、大集経に説かれている「五五百歳」にて仏法流通の過程を示し、末法こそ法華経流通の時であることを明らかにしていきます。

『今末法に入つて二百余歳、大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり。
伝え聞く漢土は三百六十箇国・二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ。華洛すでにやぶられて徽宗・欽宗の両帝・北蕃にいけどりにせられて韃靼にして終にかくれさせ給いぬ。徽宗の孫高宗皇帝は長安をせめをとされて田舎の臨安行在府に落ちさせ給いて、今に数年が間京を見ず。高麗六百余国も新羅百済等の諸国等も皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ。今の日本国の壱岐・対馬並びに九国のごとし、闘諍堅固の仏語地に堕ちず。あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし。

是をもつて案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか
。彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし、生死をはなるる道には法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども、六道・四生・三世の事を記し給いけるは寸分もたがはざりけるにや。何に況や法華経は釈尊・要当説真実となのらせ給い多宝仏は真実なりと御判をそへ、十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦と指し示し、釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて、後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと梵帝・日月・四天・竜神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや。
大地は反覆すとも高山は頽落すとも春の後に夏は来らずとも日は東へかへるとも月は地に落つるとも此の事は一定なるべし、此の事一定ならば闘諍堅固の時・日本国の王臣と並びに万民等が仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき。これをば愚癡の者は咒詛すとをもひぬべし、
法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり。章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり。

次に日蓮大聖人は、日蓮こそ末法に法華経を流布せしめる閻浮第一の法華経の行者である事を示されます。

「又日蓮法華経の行者ならずばいかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ、法然が法華経をなげすてよ善導が千中無一・道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候か、又弘法大師の云く法華経を行ずるは戯論なりとかかれたるが法華経の行者なるべきか。

経文には能持是経能説此経なんどこそとかれて候へ。よくとくと申すはいかなるぞと申すに於諸経中最在其上と申して、大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候へ。
もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。いかにいかにとをもうところに頭破作七分・口則閉塞のなかりけるは道理にて候いけるなり、此等は浅き罰なり、但一人二人等のことなり。

日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震一天を罰する文永の大彗星等なり、此等をみよ仏滅後の後仏法を行ずる者にあだをなすといへども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや。


選時抄 要点解説その四に続く





by johsei1129 | 2016-11-25 23:45 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 24日

選時抄 要点解説その二

次に日蓮大聖人は法華経を衆生に説く場合、衆生の機根と時と、いずれを選ぶかを主題として問答方式で論を展開していきます。

問うて云く機にあらざるに大法を授けられば、愚人は定めて誹謗をなして悪道に堕るならば、豈説く者の罪にあらずや。
答えて云く、人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや。良医、薬を病人にあたう。病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか。
尋ねて云く法華経の第二に云く「無智の人の中に此の経を説くこと莫れ」、同第四に云く「分布して妄りに人に授与すべからず」、同第五に云く「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り、長夜に守護して妄りに宣説せざれ」等云云。

此等の経文は機にあらずば説かざれというか。今反詰して云く不軽品に云く「而も是の言を作さく、我深く汝等を敬う等云云。四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り、悪口罵詈して言く、是の無智の比丘○又云く、衆人或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。
勧持品に云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん」等云云。
此等の経文は悪口・罵詈・乃至打擲すれどもととかれて候は、説く人の失となりけるか。求めて云く此の両説は水火なりいかんが心うべき。
答えて云く天台云く「時に適うのみ」章安云く「取捨宜きを得て一向にすべからず」等云云。釈の心は或る時は謗じぬべきにはしばらくとかず、或る時は謗ずとも強て説くべし。或る時は一機は信ずべくとも万機謗べくばとくべからず。或る時は万機一同に謗ずとも強て説くべし。

初成道の時は法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩、梵帝・四天等の凡夫・大根性の者かずをしらず、鹿野苑の苑には倶鄰等の五人・迦葉等の二百五十人・舎利弗等の二百五十人・八万の諸天、方等大会の儀式には、世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋せさせ給いしかば、仏・宮に入らせ給いて観仏三昧経をとかせ給い。悲母の御ためにとう利天に九十日が間篭らせ給いしには摩耶経をとかせ給う。慈父・悲母なんどにはいかなる秘法か惜ませ給うべきなれども、法華経をば説かせ給はず。
せんずるところ機にはよらず時いたらざれば・いかにもとかせ給はぬにや。

選時抄 要点解説その三に続く





by johsei1129 | 2016-11-24 19:11 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 23日

選時抄 要点解説その一

「選時抄」は日蓮大聖人が身延に入山した翌年建治元年、五十四歳の時に述作なされました。御真筆は玉沢妙法華寺に全五巻が所蔵されております。
本抄は釈尊滅後の2500年間に『八万四千宝蔵』と言われる仏法が何時、何の経を、誰がどのように流布するかその『時』の本質を解き明かし、末法こそ『妙法蓮華経』を流布する時であることは必然であると解き明かしております。

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[御真筆 冒頭箇所]

夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一経も説き給はず。経に云く一坐十小劫又云く「仏時の未だ至らざるを知り請を受けて黙然として坐す」等云云。
今の教主釈尊は四十余年の程法華経を説き給はず、経に云く「説く時未だ至らざるが故」と云云。
老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院に篭らせ給いて五十六億七千万歳をまち給うべし。彼の時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すらなをかくのごとし、何に況や仏法を修行せんに時を糾ざるべしや。
寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し、一切の大菩薩集会し給い。梵帝・四天は衣をひるがへし竜神・八部は掌を合せ凡夫・大根性の者は耳をそばだて生身得忍の諸菩薩・解脱月等、請をなし給いしかども世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし、即身成仏・一念三千の肝心、其義を宣べ給はず。

此等は偏にこれ機は有りしかども時の来らざればのべさせ給はず。
経に云く「説く時未だ至らざるが故」等云云。霊山会上の砌には閻浮第一の不孝の人たりし阿闍世大王座につらなり、一代謗法の提婆達多には天王如来と名をさづけ、五障の竜女は蛇身をあらためずして仏になる。決定性の成仏はい(煎)れる種の花さき果なり、久遠実成は百歳の臾・二十五の子となれるかと疑ふ。一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず。されば此の経の一字は如意宝珠なり、一句は諸仏の種子となる。此等は機の熟不熟はさてをきぬ、時の至れるゆへなり。経に云く「今正しく是れ其の時なり決定して大乗を説かん(注)等云云。

【妙法蓮華経 方便品第二 】
 [原文]
 鈍根楽小法 貪著於生死

 於諸無量仏 不行深妙道
 衆苦所悩乱 為是説涅槃

 我設是方便 令得入仏慧
未曾説汝等 当得成仏道

所以未曽説 説時未至故 
今正是其時 決定説大乗
[和訳]
鈍根で小法を楽(ねが)い、生死に於て貪著し

諸の無量の仏に於て、深妙の道を行ぜずして
衆苦に悩乱せられる。是の為に(我)涅槃を説けり。

我は是の方便を設けて、(衆生が)仏慧に入ることを得さ令めん。
未だ曾て汝等には、当に仏道を成ずることを得べし、とは説かず。
未だ曽て説かざる所以(ゆえん)は、説く時の未だ至らざるが故なり。
今正しく是れ其の時なり。決定して大乗(妙法蓮華経)を説かん。



選時抄 要点解説その二に続く










by johsei1129 | 2016-11-23 19:19 | 撰時抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)