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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 06月 16日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(131)


提婆品(注)


  三惑  三諦
忽然之間  変成男子(注)

此の文の心は三惑の全体三諦と悟るを変と説くなり。

所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは三惑即三徳(注)なり。




提婆品
提婆達多品第十二では、釈迦が過去世で国王として大法を求めていた時、妙法蓮華経を知っていると言う阿私仙(あしせん)と出会う。そこで国王は阿私仙の下僕となり法華経を学び仏と成った。その時の阿私仙は今の提婆達多で、法華経を教えてくれた提婆達多は「善智識」であったとその因縁を説いてる。本品で提婆達多は天王如来の記別を受け、悪人成仏を示すことになる。また竜女の成仏にて女人成仏を示している。

尚、この提婆品の内容は、サンスクリットの原典では見宝塔品第十一と一つになっているが、鳩摩羅什は内容が全く異なるとして、見宝塔品と提婆達多品の二つの品に分離している。そのためサンスクリットの原典は全二十七品で構成され、妙法蓮華経は二十八品となっている。また直訳すぎるとして殆ど普及していない竺法護(じくほうご)訳の正法華は、サンスクリットの原典そのままの二十七品の構成となっている。

忽然之間  変成男子
提婆達多品第十二の竜女の成仏を記した下記の文にある偈
[原文]
観我成仏 復速於此 当時衆会 皆見龍女 忽然之間 変成男子 具菩薩行
[和訳]
「我が成仏を観よ、復た此に於て速かならんや」と。 当時の衆会は皆、龍女が 忽然の間に 変じて男子に成り 菩薩行を具えることを見れり。

三惑即三徳
日蓮大聖人は本抄で、(注)を持った凡夫の女人の身のままで「法身、般若、解脱の三徳」を悟ることを、竜女が男子に変じた甚意であると解き明かされておられます。


一切の煩悩で、見思惑(けんじわく)(=見惑と思惑)、塵沙惑(じんじゃわく)、無明惑(むみょうわく)の総称。











by johsei1129 | 2019-06-16 00:29 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 12日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(130)

【二十八品に一文充の大事 】


宝塔品 (注)

      受持也
則為疾得  無上仏道(注)
      凡夫即極也

此の文は持者即ち円頓の妙戒なれば、等・妙二覚一念開悟なれば疾得と云うなり。

所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは疾得なり。



則為疾得  無上仏道

見宝塔品第十一の以下の偈にある文文
[原本]
 諸善男子 於我滅後るや
 誰能受持 読誦此経 今於仏前 自説誓言
 此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然
 如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進
 是名持戒行頭陀者 則為疾得 無上仏道
[和訳]
諸の善男子よ、我が滅後に於いて、
誰ぞ能く此の法華経を受持し読誦るや。今、仏前に於いて自から誓いの言を説け。
此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我(釈尊)、即ち歓喜せん、諸の仏も亦た然りなり。
是の如きのは、諸仏の歎ぜり所なりけり。是れ則ち勇猛なり、是れ則ち精進なり。
是れ、戒を持ち頭陀(注)を行ぜし者と名付けり。則ち、疾く無上の仏道を得る事を為せり。

宝塔品
見宝塔品第十一では、多宝如来が過去世の因縁で、妙法蓮華経が説かれる時はその地に巨大な宝塔を地より出現させ、この法華経は「皆是真実」であると証明する儀式が執り行われたことが記されてる。そして宝塔最上部に多宝如来と釈迦牟尼仏が並び、三千大千世界から参集した諸菩薩も虚空に引き上げられ二仏を奉る「虚空会(こくうえ)の儀式」が展開される。そこで釈尊は参集した諸菩薩にこの妙法蓮華経を「能く、受持・読誦」することを自ら誓言せよと迫ります。
この「見宝塔品」での諸菩薩に請言を迫ることは、この後の「従地涌出品第十五」での地涌の菩薩の出現の重要な伏線となっております。

尚、この宝塔について佐渡の阿仏房より問われた日蓮大聖人は「阿仏房御書」で次の様に解き明かされておられます。
一御文に云く、多宝如来・涌現の宝塔・何事を表し給うやと云云。此の法門ゆゆしき大事なり。宝塔をことわるに、天台大師文句の八に釈し給いし時、証前起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是れ即ち境智の二法なり。しげきゆへにこれををく。所詮三周の声聞、法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり。
 今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば、貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。
 今、阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。
 かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ。ここさながら宝塔の住処なり。経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。
 あまりにありがたく候へば、宝塔(御本尊)をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば・ゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。 阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とふらい給うか。
 不思議なり不思議なり。此の御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。別の故はあるべからずあるべからず。
宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ』と。

頭陀
頭陀とは梵語dhūtaの音写で、衣食住の欲望を絶つこと。転じてあらゆる煩悩を払って道を求めるための修行。
また出家僧が修行のために托鉢(たくはつ)して人々の家を回り歩く事。
釈迦十大弟子の一人で、釈迦滅後、仏典結集の座長を務めたと言われた最年長の迦葉は、頭陀第一と称えられた。












by johsei1129 | 2019-06-12 21:09 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 09日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(129)

【二十八品に一文充の大事 】

法師品 (注)

当知如是人  自在所欲生 (注)

此の文は、我等が一念の妄心の外に仏心無ければ、九界の生死が真如なれば即ち自在なり。

所謂南無妙法蓮華経と唱え奉る即ち自在なり。






法師品
法師品第十では薬王菩薩を代表とする八万の法師に対し、法華経を受持し衆生に説く人、つまり仏師についてその深い意義について説かれている。
未来世で法華経の一偈一句でも人に説く人は、過去世に多くの仏に見え法華経を聞き歓喜し、清浄な仏国土に生まれるべきだったが衆生を憐れんで法華経を広めるために悪世に生まれ、如来の遣いでら如来の事を行じ、そして未来世で仏の悟りを得るとの記別を受けると宣言される。
さらに釈尊は本品で「我所説諸経 而於此経中 法華最第一」、「我所説経典 無量千万億 已説 今説 当説而於其中 此法華経 最為難信難解」と説き、
「已に説き、 今説き、 当(法華経以後)に説く」経典の中で難信難解の最高の教典であると宣言します。

当知如是人  自在所欲生
法師品第十の下記の偈にある文文。

[原文]
諸有能受持 妙法華経者 捨清浄土 愍衆故生此
当知如是人 自在所欲生 能於此悪世 広説無上法
[和訳]
諸有の、能く妙法華経を受持せし者は、清浄の(仏国)土を捨て、衆(生)を愍(あわれむ)が故に此(娑婆世界)に生ぜり。
当に知るべし是の如き人は、生ぜんと欲する所に自在なりて、能く此の悪世に於いて、広く無上法(法華経)を説けり。









by johsei1129 | 2019-06-09 23:11 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 02日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(128)

【二十八品に一文充の大事 】

人記品

         題目
安住於仏  以求無上道(注)
        

此の文は、本来相即の三身の妙理を初めて覚知するを、以求無上道とは云うなり。
所謂南無妙法蓮華経なり。


人記品 
授学無学人記品第九では、十大弟子の一人で、27歳から釈迦の従者(秘書官)し、釈迦の説法を常に傍で聞いていたので『多聞第一』と謳われた阿難が「山海慧自在通王如来」の記別を受ける。また釈迦が釈迦族の太子の時の実子で十大弟子の一人、密行第一と称された羅睺羅(らごら)も「七宝華如来」の記別を受ける。
 さらに学無学二千の出家者が「宝相如来」の記別を受ける。尚、学無学とは、学人というのは「これから学ばばければばらない人、無学人とは学ぶべきことがない人」を意味している。
この「授学無学人記品第九品」で譬喩品の舎利弗の記別以降、釈迦の十大弟子の九人は記別を受けることになる。しかし十大弟子の残る一人、律第一と称えられ、釈迦滅後の仏典結集で律(戒律)の取りまとめの主体者であった優波離(ウパーリ)の記別は記されていない。また法華経序品に記されている霊鷲山の参列者にも優波離の名は記されていない。
 因みに法華経の開教である無量義経徳行品第一では参列者として十大弟子の一員として「持律優婆離」と明確に記されている。優波離は他の九人の弟子と異なり釈迦族の理髪師で身分が低かった。釈迦族の男子がまとまって出家したとき優波離も加わるが、身分の低い優波離が差別されないよう釈迦族の出家者等は優波離を釈迦族の最初の出家者とすることを釈迦に願い出、釈迦は許可し、優波離が釈迦族一番の兄弟子となる。それにもかかわらず、法華経で優波離の名が登場しないのは、口伝で伝えられた法華経を紀元前後に経典化するにあたり、当時のインドの状況ではまだまだ階級制度が色濃く残っており、最下層の優波離の名を登場させることを憚ったのではと強く推測される。

安住於仏道  以求無上道
授学無学人記品の下記の偈にある文文
[原文]
 我為太子時 羅睺為長子 我今成仏道 受法為法子
 於未来世中 見無量億仏 皆為其長子 一心求仏道
 羅?羅密行 唯我能知之 現為我長子 以示諸衆生
 無量億千万 功徳不可数 安住於仏法 以求無上道
[和訳]
 我が太子の時、羅睺は長子なり。我今、仏道を成ずるときも法を受けて法子に為れり。
 未来世の中に於いて、無量億の仏を見たてまつるに、皆、其の長子と為りて以って諸の衆生に示せり。
 無量億千万の功徳は数えべからざりて、仏の法に於て安住し、以って無上道を求むるなり。









by johsei1129 | 2019-06-02 23:09 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 02日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(127)

【二十八品に一文充の大事 】

五百品(注) 

日本国の一切衆生なり 心法色法
貧人  見此珠  其心大歓喜(注) 
          

此の文は、始めて我心本来の仏なりと知るを、即ち大歓喜と名く。
所謂、南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。




五百品
五百弟子品第八では、十大弟子の一人で、説法第一と称えられていた富楼那に「法明如来」の記別が与えられ、さらに最初の弟子、阿若憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)を代表とする五百の阿羅漢(注)に対し、共通の法号「普明如来」の記別が次々と与えられる。記別を受けた憍陳如は「衣裏繋珠(えりけいじゅ)(注)」の比喩を用いて釈迦にその喜びを伝える。


貧人  見此珠  其心大歓喜
五百弟子品にある下記の文にある偈き
[原文]
与珠之親友 後見此貧人 苦切責之已 示以所繋珠
貧人見此珠 其心大歓喜 富有諸財物 五欲而自恣
[和訳]
珠を与えし之の親友は、後に此の貧しき人を見て、苦切に之の人を責め已りて、繋し所の珠以って示せり
貧しき人は此の珠を見て 其の心大歓喜し、 富有なる諸の財物にて、五欲に而いて自から恣(ほしいままに)なせり


衣裏繋珠
法華七喩の一つで内容は下記の通りです。
「ある貧しい男が長者の親友を訪ね歓待を受けたが、酒に酔い眠ってしまう。親友は急な知らせで外出することになり、訪ねてきた友を起こそうとしたが起きない。そこで長者は友の衣服の裏に高価な宝珠を縫い込んで出かける。男はそのことに気づかず起きても友人がいないことから、また元の貧しい生活を過ごし流浪する。時を経て再び親友と出会い宝珠のことを聞かされ、ようやく宝珠を得ることができた。
この物語の長者の親友とは仏で、貧乏な男は声聞であり、二乗の教えで悟ったと満足している阿羅漢が再び仏に出会い、宝珠である一仏乗の教えをはじめて知り大歓喜した事を意味している。

阿羅漢
サンスクリット語: arhat(アルハット)の音訳。
原始仏教では、阿羅漢は修行者の最高位とし、衆生から供養を受けることができるとしたが、大乗仏教では声聞・縁覚を二乗不作仏と強く批判した。









by johsei1129 | 2019-06-02 00:01 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 29日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(126)

【二十八品に一文充の大事 】


化城喩品(注) 


  三千塵点
観彼久遠 猶如今日(注) 

今日の化導、末法を指して今日と心得るべきなり。

此の文は元初の一念一法界より外に、更に六道四聖とて有る可からざるなり。

所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり。





化城喩品
化城諭品第七では遥か過去世に大通智勝如来という仏がいたことが説かれている。
その仏には成道する前に16人の王子があり、父の国王が大通智勝如来として成道すると16人の王子も父の弟子となり出家し、菩薩として妙法蓮華経を衆生に説いたことが記されていて、第16番目の王子は娑婆世界に生まれ成道して釈迦牟尼仏となることが予言されている。
さらにこの品では法華七喩の一つ「化城宝処(注)」が説かれている。

観彼久遠 猶如今日
化城喩品前段の下記の偈の文文
[原文]
彼仏滅度已来 復過是数 無量無辺 百千万億
阿僧祇劫 我以如来知見力故 観彼久遠 猶如今日
[和訳]
彼の仏の滅度せしより已来、復た是の数に過ぎること無量無辺 百千万億
阿僧祇劫なり。我は如来の知見力を以の故に、彼の久遠を観るに、猶を今日の如し(注)


化城宝処
 宝のある場所に向かって遥かな遠路を旅する人々がいた。しかし険しい道が続いたので、皆はこれ以上歩けないとして止まってしまった。
この様子を見た導師は方便力で幻の城を化現させ、そこで人々を休息させる。
 人々が宝処に到着したと満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であると伝え、再び宝処に向かって出発し、ついに人々を目的地の宝処に導いた。
この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、険しい道のりは仏道修行の厳しさを示し、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りを示しており、
仏の化導によって二乗の悟りに満足せず、仏道修行を続けて、一仏乗(仏)の境界に至らしめることを説いている。

彼の久遠を観るに、猶を今日の如し
本抄で日蓮大聖人は「久遠即末法」を説かれておられ、
【三世諸仏総勘文教相廃立】では「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」と断じられておられます。








by johsei1129 | 2019-05-29 22:58 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 28日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(125)

【二十八品に一文充の大事 】


授記品 (注)

十界実相仏  三世常住  煩悩即菩提   生死即涅槃
於諸仏所 常修梵行 於無量劫 奉持仏法
                一切業障

此の文に常と云い無量劫と云う、即ち本有所具の妙法なり。所謂南無妙法蓮華経なり。



授記品
授記品第六は、譬喩品第三で十大弟子の筆頭、舎利弗の未来世で仏と成るとする「記別」を受けたことに続き、
十大弟子残りの九人の内、摩訶迦葉、須菩提、摩訶迦旃延、大目連の四人に次々と記別を与えていく様子が記されている。


於諸仏所 常修梵行 於無量劫 奉持仏法
授記品の下記の偈ある文文
[原文]
我此弟子 大目犍連(注) 捨是身已 得見八千
二百万億 諸仏世尊 為仏道故 供養恭敬
於諸仏所 常修梵行 於無量劫 奉持仏法
[和訳]
我が此れ弟子、大目犍連(注)は、是の身を捨て已りて、八千と゜
二百万億の諸仏世尊を見ることを得て、仏道の為の故に供養恭敬し、
諸の仏所に於いて、常に梵行を修め、無量劫に於いて仏法を奉持せり

大目犍連
釈迦十大弟子の一人で「神通第一」と称された。また舎利弗とともに釈迦の二大弟子と目された。
舎利弗と目犍連は共にバラモンで修行していた幼なじみで、どちらかが優れた教えに出会ったら教え合うことを約束していた。
有る時、舎利弗は釈迦の弟子アッサジと出会い「全ての事象は因(縁起)があり、私の師釈迦牟尼は因とそれを滅する法を説かれている」ということを聞き、直ちに目犍連を誘って釈迦の弟子となったと伝えられている。








by johsei1129 | 2019-05-28 22:26 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 26日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(124)

【二十八品に一文充の大事 】


薬草喩品(注)

            三世     一切衆生なるべし
又諸仏子 専心仏道 常行慈悲  自知作仏   如我等無異
    心を仏道に専にし 常に慈悲を行じ 自ら作仏することを知り我 が如く等しくして異なること無からしむ
 
此の文は当来(注)の成仏顕然なり。所謂南無妙法蓮華経なり。



薬草喩品
薬草喩品第五では法華七喩の一つ、三草二木(さんそうにもく)が説かれる。
ここでの比喩は、仏が衆生に説法する意義について、落雷とともに天に雨雲が立ち込め、大地に生える異なる特質を持つ全ての草木に、不足のない満ち足りた雨水を降り注ぐ事に譬えて、仏が全ての衆生を差別することなく仏道に導くと言う、無量無辺の慈悲を解き明かしています。

当来
未来の事










by johsei1129 | 2019-05-26 20:50 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 25日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(123)

【二十八品に一文充の大事 】

信解品(注)

一念三千なり をのずから十界なり。
無上宝珠 不求自得(注)
題目五字なり ホシイママニエタリ
 
         もとこれ
此の文は無始色心は本是、理性の妙境妙(注)なれば、己心より外に実相を求む可からず。
所謂南無妙法蓮華経は不求自得なり。


信解品
妙法蓮華経信解品第四

この品は、法華経以前は二乗(声聞・縁覚)不作仏と釈尊から責められた十大弟子の筆頭格舎利弗が、法華経譬喩品第三で「華光如来」の記別を受けたことに対し、摩訶迦葉(まかかしょう)らの他の弟子達が歓喜し、自分たちも仏となれると知り「無上の宝珠 をいま求めずして得たり」と釈尊に感謝の言を述べることが記されています。
摩訶迦葉はこの「無上宝珠 不求自得」を具体的に法華七喩の一つ長者窮子(ちょうじゃぐうじ(注))の譬えを釈尊に語ることで自分たちの喜びを伝えます。

長者窮子の比喩
 ある長者の子供が幼い時に家を出た。その子は50年間貧乏のまま流浪し、偶然父の大邸宅に立ち寄る。父親はその窮子を見て直ぐに我息子だと確信、召使いに連れてくるよう命じる。しかし息子は権力者に捕まえられる思い逃げ出す。そこで長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせ「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘わせ邸宅に連れ戻す。
 長者はその窮子を雇い、最初に汲み取りを任せた。長者も窮子と同じ身なりで窮子に近づき共に汗を流す。窮子も長者の期待に応え熱心に仕事をこなした。やがて20年経ち、長者は窮子に財産の管理を任せると、窮子は金品をごまかすことなく誠実に仕事をこなし続けた。やがて臨終を前にした長者は一族と窮子に実の子であることを明かした。
 この物語の長者は仏で、窮子とは迷える衆生であり、誠実に長者の教え通り仕事を続けたことで長者の膨大な財産を相続できたことを、仏の教えを信じ誠実に修行することで、仏と成ると言う無上の宝珠を得る事ができる事を示しています。


無上宝珠 不求自得
信解品の下記の偈にある文
[原文]
我等今日 聞仏音教 歓喜踊躍 得未曾有 
仏説声聞 当得作仏 無上宝聚 不求自得
[和訳]
我等今日、仏の音教を聞きて歓喜・踊躍し未曾有なることを得たり。
仏、声聞に当に作仏することを得べしと説きたもう。無上の宝聚(ほうじゅ)を求めざるに自ずから得たり

無始色心は本是、理性の妙境妙智
上記の文について日蓮大聖人は【御講聞書(おんこうききがき)】で次の様に解き明かされておられます。
我等衆生の色心の二法は妙法の二字なり無始色心・本是理性・妙境妙智と開覚するを大意と云うなり。大は色法の徳・意は心法の徳なり大の字は形に訓ぜり。
 今、日蓮等の類・南無妙法蓮華経と唱え奉る男女・貴賤・等の色心本有の妙境妙智なり、父母果縛の肉身の外に別に三十二相・八十種好の相好之れ無し即身成仏是なり、然る間大の一字に法界を悉く収むるが故に法華経を大乗と云うなり。
 一切の仏菩薩・聖衆・人畜・地獄等の衆生の智慧を具足し給うが故に仏意と云うなり。
大乗と云うも同じ事なり、是れ即ち妙法蓮華経の具徳なり。されば九界の衆生の意を以て仏の意とす、一切経の心を以て法華経の意とす、於一仏乗分別説三とは是なり。
 かかる目出度き法華経を謗じ奉る事・三世の諸仏の御舌を切るに非ずや、然るに此の妙法蓮華経の具徳をば仏の智慧にてもはかりがたく、何に況や菩薩の智力に及ぶ可けんや。
 之に依つて大聖塔中偈の相伝に云く、一家の本意は只一言を以て本と為す云云。
此の一言とは寂照不二の一言なり、或は本末究竟等の一言とも云うなり、真実の義には南無妙法蓮華経の一言なり。
 本とは凡夫なり、末とは仏なり、究竟とは生仏一如なり、生仏一如の如の体は所謂南無妙法蓮華経是なり云云』






by johsei1129 | 2019-05-25 23:21 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 24日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(122)

【二十八品に一文充の大事 】

譬喩品

 大白牛車(注) 凡夫即極、住処即寂光なり。

乗此宝乗 直至道場(注) 極果の処也

 此の文は自身の仏乗を悟つて自身の宮殿(くうでん)に入るなり。

所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり。




大白牛車
法華経譬喩品で説かれる比喩「三車火宅(さんしゃかたく)(注)」に登場する「羊車・鹿車・牛車・大白牛の車」の一つで、全ての衆生を仏道に導く究極の乗物を意味している。尚、羊車は声聞行、鹿車は縁覚行、牛車は菩薩行を意味している。 


乗此宝乗 直至道場 極果
譬喩品に説かれる下記の偈にある文 

[原文]
乗此宝乗 直至道場 以是因縁 十方諦求 更無余乗 除仏方便
[和訳]
此の宝乗に乗りて、直ちに道場に至らしむ。是の因縁を以って十方に諦かに求むるに、更に余の乗無し、仏の方便の教えを除いて。

三車火宅
ある時、長者の大きく古い屋敷が火事になる。長者は多数いる子供達に家から直ぐ出るよう話すが、遊びに夢中になっていた子供達は長者の言うことを聞かない。
そこで長者は一計を案じ、子供たちが欲しがっていた「羊の車、鹿の車、牛車の三車が門の外にあるので早い者勝ちあげるよ」と言って子供たちを屋敷の外に導く。
子供の無事を確認した長者は、子供が「車を下さい」言ったのに対し、三車より立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えた。

この比喩の意味は、長者は仏、火宅は苦しみしの多い娑婆世界(三界)、子供たちは三界にいる一切の衆生、「羊車・鹿車・牛車」の三車とは声聞・縁覚・菩薩(三乗)のための方便の教えで、大白牛車は全ての衆生を仏道に導く一乗の教えを意味している。
尚、「三車火宅」は法華経で説かれる七つの比喩・法華七喩(ほっけしちゆ)の最初の一つで、譬喩品で舎利弗に未来世で法華経で修行し「華光如来」になるとする記別を与えた後に釈尊自らこの比喩を説かれます。これは、法華経を説く以前は二乗不作仏と説いていたたのに、何故、法華経で声聞の舎利弗に仏となる記別を与えたのかを分かり易く示すために説かれた比喩となります。







by johsei1129 | 2019-05-24 21:46 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)