日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 11月 01日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(12)

【寿量品二十七箇の大事】

第十二 為度衆生故 方便現涅槃の事 (注)


御義口伝に云く、涅槃経(注)は法華経より出でたりと云う経文なり。

既に方便と説かれたり云云。


 (注)

為度衆生故 方便現涅槃の事

仏が涅槃(滅度)を現ずるのは、あくまで衆生を度する(仏道に導く)為の方便であることを示した下記の偈に在る文。

[原文]

為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法

我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見

衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心

[和訳]

衆生を度する為の故に、方便にて涅槃(死)を現ずるが、而して実には滅度せず、常にここに住して法を説けり。

我(仏)は常にここに住して、諸の神通力を以て、顛倒(悩乱)する衆生を近しと言えども、あえて見ざらしめん。

(そのため)衆は我が滅度を見て、広く舎利を供養し、咸く皆、恋慕を懐いて、而して(仏を求める)渇仰の心を生ぜん。


涅槃経

釈尊の最後の布教の旅から入滅に至る迄と、荼毘と舎利塔について説かれている経典。

 
日蓮大聖人は涅槃経を法華経を援護する経文として御書で度々引用されておられます。

【法蓮抄】で『法華経如来寿量品の自我偈の功徳』を、涅槃経でも称えていると、次のように解き明かされておられます。


夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり、自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。

自我偈の功徳をば私に申すべからず、次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり。
 涅槃経四十巻の中に集りて候いし五十二類にも、自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか』と。


【御義口伝 下】要点解説(13)に続く






by johsei1129 | 2018-11-01 22:09 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 24日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(11)

【寿量品二十七箇の大事】

第十一 自我得仏来の事(注)

御義口伝に云く、一句三身(注)の習いの文と云うなり。

自とは九界なり、我とは仏界なり、此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり。
自も我も得たる仏来れり、十界本有の明文なり。
我は法身、仏は報身、来は応身なり。此の三身、無始無終の古仏にして自得なり。無上宝聚不求自得(注)、之を思う可し。

 然らば即ち、顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり。
 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、自我得仏来の行者なり云云。


(注)
自我得仏来
妙法蓮華経 如来寿量品第十六は、「爾時仏告諸菩薩 及一切大衆(その時仏は諸の菩薩及び一切の大衆に告げた)}で始まる長行と、「自我得仏来(我、自ら仏を得て来(以来))で始まる「自我偈(漢字五文字の詩)」と称される、長行の要約文で構成されている。

この長行と偈の構成は、如来寿量品以外の妙法蓮華経の各品も同様の構成と成っており、法華経以外の諸経には見られない特徴となっている。
これは弟子たちが人々に説法するために、詳細に説かれた長行を要約した内容を、詩(偈)の形で、口伝を記憶しやすいようにするために反復して説き明かしたものと思われる。其の意味でも妙法蓮華経は他の諸経とは別格の経典であることを示している。

自我偈の始めの文文
[原文]
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇 
常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
[和訳]
我、自ら仏を得て以来、経(へ)たる所の諸の(注)数は無量百千万・億載阿僧祇なり。
(その間)常に無数億の衆生を説法・教化し、仏の道に入ら令め、それ爾来、無量劫なり。
衆生を済度(救済)せんが為の故に、方便にて涅槃(死)を現じ、而して実には滅度せず、常に此、娑婆世界に住して説法を為せり。

サンスクリットのカルパの音訳で、宇宙次元の非常に長い時間。

無上宝聚不求自得
無上の宝聚を求めずして自から得たりと読む。

末法においては、日蓮大聖人が図現された十界の曼荼羅に「南無妙法蓮華経」と唱えることで、己心に内在する「仏界」を湧現させることを意味する。
日蓮大聖人は御義口伝「信解品六個の大事」で次のように解き明かしておられる。
『今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と信受領納する故に、無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。
 信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。又云く信は不変真如の理なり、其の故は信は知一切法皆是仏法と体達して実相の一理と信ずるなり。解は随縁真如なり自受用智を云うなり』と。




by johsei1129 | 2018-10-24 20:39 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 07日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(10)


第十 是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差の事(注)

御義口伝に云く、是好良薬とは或は経教、或は舎利(注)なり。

 さて末法にては南無妙法蓮華経なり。好とは、三世諸仏の好み物は題目の五字なり(注)。

今留とは末法なり、此とは一閻浮提(注)の中には日本国なり。

汝とは末法の一切衆生なり、取は法華経を受持する時の儀式なり。

 服するとは唱え奉る事なり、服するより無作の三身(注)なり、始成正覚(注)の病患差るなり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。



(注)

是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差
妙法蓮華経如来寿量品第十六で説かれた『良医が毒を飲んだ子どもたちに良薬を調合し、この薬を飲めば憂いはなくなると言い残した偈』

[和訳]
「是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし、差じと憂うること勿れ」

或は経教、或は舎利
教経とは妙法蓮華経、舎利とは遺骨を示す。

題目の五字
法華経の題号である「妙法蓮華経」を示す。

一閻浮提
全世界の意で、日蓮大聖人は日本は法華経有縁の国であると説かれた。実際、妙法蓮華経が最も読誦されている仏教国は日本である。

無作の三身
無作とは、つくろわず、はたらかさず、ありのままということ。

仏法では、この世の有情・非情に渡る生命の存在は法身(魂魄)、報身(命の奥底に存在する意識・境涯)、応身(実際の肉体をもつ現実の存在)の三身で構成されていると見る。
この法門上、無作の三身とは、森羅万象を貫く諸法の実相を究めた、仏の当体そのものを意味する。

始成正覚
釈迦はインドに応誕し、修行を経て悟り、始めて仏に成ったという弟子たちの思い。
釈尊は如来寿量品で、この「始成正覚」を打ち破り、遥か久遠に成道したという「久遠実成」を次のように解き明かした。

「今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。然るに善男子よ、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と。








by johsei1129 | 2018-10-07 20:54 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 05日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(9)

【寿量品二十七箇の大事】


第九 毒気深入 失本心故の事(注)

 

 御義口伝に云く、毒気深入とは、権教(注)、謗法(注)の執情深く入りたる者なり。
之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり。

服せしむると雖も吐き出だすは、而謂不美とて、むま(美味)からずと云う者なり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、而謂不美の者に非ざるなり。



権教

権つまり仮の教え。法華経を説く以前の爾前経(にぜんきょう)を示す。

爾前経と法華経の根本的な違いは二つ在る。


一つは爾前経では有情・非情にわたり全ての存在に仏性(仏界)があると説かれてはいなかった。

釈尊は【妙法蓮華経 方便品第二】の世雄偈で、仏がこの世に出現した一大事因縁を、

仏の悟つまり仏性を開き、示し、それを衆生にも悟らせ、仏に為る道つまり仏道は入らせる事を目的(開示吾入)として出現したと解き明かした。

もう一つは、爾前経及び【妙法蓮華経 従地涌出品第十伍】迄、釈尊は、釈迦族の王子として生まれ出家し、バラモンの難行苦行をへて菩提樹に端座し瞑想して成道したする「始成正覚」を説いていたが、【妙法蓮華経 如来寿量品第十六】で次のようにそれを打ち破り、遥か久遠に成道「久遠実成」し、無数の仏国土で衆生を化導してきたと解き明かされた。

『皆は、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城(注)を去ること遠からず、道場に座して阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟り)を得たりと思えり。然るに善男子よ、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』と。 

謗法
誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略で正しい法を誹謗すること。
末法においては、日蓮大聖人が御図現なされた十界曼陀羅御本尊に「南無妙法蓮華経」と唱える、仏と為るための究極の修行法、及び日興上人以降それを今日まで正しく伝えてきた法華経の行者を誹謗する事が最も重い謗法となる。

伽耶城 

釈迦が成道し、布教活動をしていたインド東北部の古代マガダ国の都


【御義口伝 下】要点解説(10)に続く






by johsei1129 | 2018-10-05 21:16 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 25日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(8)

【寿量品二十七箇の大事】

第八 擣し和合 与子令服の事(注)


御義口伝に云く、此の経文は空仮中の三諦(注)、戒定慧(注)の三学なり、色香美味の良薬なり。


 擣は空諦なり、「し」は仮諦なり、和合は中道なり、与は授与なり、子は法華の行者なり、服すると云うは受持の義なり。
是を此大良薬 色香美味 皆悉具足と説かれたり。 

皆悉の二字、万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり。

 色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり。


されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし。若し服する者は速除苦悩なり。

 されば妙法の大良薬を服するは、貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり。

 
法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり。

法華の行者は罵詈せらるれども忍辱を行ずるは、瞋恚の病を除くなり。

法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは、愚癡の煩悩を治するなり。 
されば大良薬は末法の成仏の甘露なり。

 

 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。



(注)

擣し和合 与子令服

子供が誤って毒薬を飲んで苦しんでいるのを見た、良医である父親が、子供に薬を与える譬喩を説いた下記の文にある文言。

[原文]

父見子等 苦悩如是 依諸経方 求好薬草 色香美味

皆悉具足 擣篩和合 与子令服 而作是言 此大良薬

色香美味 皆悉具足 汝等可服 速除苦悩 無復衆患

[和訳]

父は、この如く苦悩する子等を見て、依諸の経方に依りて、色も香もよく美味を、
皆、悉く具足する好き薬草を求め、(それを)擣き篩い和合して(注)、子に与え服せしめ、而し是のように言わん。此の大良薬は、
色も香りも美味も、皆、悉く具足せれ。汝等はこれを服すべし、苦悩は速除かれ、復た衆の患い無からん。


擣き篩い和合して
薬を調合する様を意味する:擣(つ)き篩(ふる)い和合(固める)して

三諦  

仮諦・空諦・中諦のことで、仏法では有情・非情を含め、この世の存在は仮諦・空諦・中諦として存在するとしている。

例えば水は、氷、雪、水蒸気と外部与件(主に温度)により姿を変える。いまコップに在る液体の水の存在はあくまで仮の姿にすぎない。しかしH2Oという本質は、人の目に見ることができないが確かに有り、謂わば空の状態と言える。其の本質を統合している姿を中諦であると見る。


戒定慧

仏道修行に必須の三要素、三学。

悪を止める(戒律)。心の平静を得る。真実を悟る(智慧)。


例えば初期の釈迦仏法では、比丘(男の出家僧)は250戒が課せられ

比丘尼(女の出家僧)は450戒が課せられた。


 日蓮大聖人は御書十大部の一つ【四信五品抄】で次の様に、末法における戒定慧の三学とは、妙法受持、つまり末法の本仏日蓮大聖人の魂を図現した十界曼荼羅の御本尊に「南無妙法蓮華経」と唱えることであると説き明かされておられます。
『問う汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや。答えて曰く日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して一も残さず月氏の両字に豈七十ケ国無からんや。(中略)
 問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁えて之を服せん。水、心無けれども火を消し、火、物を焼く。豈覚有らんや。(中略)

問う何が故ぞ題目に万法を含むや、答う章安の云く「蓋し序王とは経の玄意を叙す玄意は文の心を述す文の心は迹本に過ぎたるは莫し」妙楽の云く「法華の文心を出して諸教の所以を弁ず」云云。
濁水心無けれども月を得て自ら清めり、草木雨を得豈覚有つて花さくならんや。
妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。


 問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり。請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり、豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ、大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』と。

【御義口伝 下】要点解説(9)に続く






by johsei1129 | 2018-09-25 22:09 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 24日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(7)

【寿量品二十七箇の大事】

第七 或失本心 或不失者の事(注)

御義口伝に云く、本心を失うとは謗法(注)なり、本心とは下種(注)なり、不失とは法華経の行者なり。失とは、本、有る物を失う事なり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、本心を失わざるなり云云。


(注)

或失本心 或不失者
法華経七喩の一つで如来寿量品第十六で説かれる「良医病子(注)」の譬えを説いている文

良医病子の譬え

ある所に良医がおり、その良医には百人余りの子供がいた。ある時、良医が外国に旅行している留守中に子供たちが誤って毒薬を飲み、悶え苦しんでいた。そこへ帰った良医は薬を調合して味も良い良薬を子供たちに与えたが、半数の子供たちは父親の薬を素直に飲んで本心を取り戻した。しかし残りの子供たちは本心を失っていたため、その薬は味も悪いと言って飲もうとしなかった。そこで良医は一計を案じ、子供たちに「私はこれから又旅に出るので薬を飲むよう」と言って旅立つ。そして旅の途中に使いの者を出し、父親が旅先で死んだと告げさせた。父の死を聞かされた子供たちは深い悲しみの衝撃で本心を取り戻し、父親が残してくれた良薬を飲んで病を治すことができた。この譬えは末法においては、良医は仏(日蓮大聖人)で、病で苦しむ子供たちは謗法に侵された末法の衆生、良薬は妙法蓮華経(御本尊)を示している。

[原文] 

以有事縁 遠至余国 諸子於後 飲佗毒薬 薬発悶乱 宛転于地

是時其父 還来帰家 諸子飲毒 或失本心 或不失者

[和訳]

(良医の父は)縁が有るを以て、遠い外国に至る。後にその(良医の)諸の子は、誤って毒薬を飲むと、(毒)薬が発して悶乱し、地に宛転した

ちょうど是の時、其の父は遠方の国から帰宅する。飲毒を飲んだ諸の子は、或いは本心を失い、又在るものは本心を失わなかった。


謗法

誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略で正しい法を謗ること。


日蓮大聖人は【松野殿御返事(十四誹謗抄)】で誹謗について次のように説かれて弟子信徒を諌めておられます。

「悪の因に十四あり・一に憍慢(慢心)・二に懈怠(なまける)・三に計我(我見をもつ)・四に浅識(法の理解が浅い)・五に著欲・六に不解(法を理解しょうとしない)・七に不信・八に顰蹙(ひんしゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し」と。

尚、十一以降の軽善・憎善・嫉善・恨善は、日蓮大聖人の仏法を受持する者を、軽んじたり、憎んだり、嫉んだり、恨んだりすることの意。


下種

仏になる種を植える、また植えられる事で、末法においては日蓮大聖人の法門を人々に語ることでその人々は妙法蓮華経で仏と為る種を植えられることになる。
たとえそのことに対し受け入れず批判し地獄に落ちたとしても、毒鼓(どっく)の縁(逆縁)により、未来世で再び妙法蓮華経に縁し仏になるとされている。
日蓮大聖人は【法華初心成仏抄】で毒鼓の縁について次の様に解き明かされておられます。

『当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』と。



【御義口伝 下】要点解説(8)に続く







by johsei1129 | 2018-09-24 19:01 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 23日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(6)

【寿量品二十七箇の大事】

第六 飲他毒薬 薬発悶乱 宛転于地の事(注)

御義口伝に云く、他とは念仏・禅・真言の謗法の比丘なり。

毒薬とは権教方便なり、法華の良薬に非ず、故に悶乱するなり。

悶とはいき(息)たゆるなり。


 寿量品の命なきが故に悶乱するなり、宛転于地とは阿鼻地獄へ入るなり云云。

諸子飲毒の事は 釈に云く「邪師の法を信受するを名けて飲毒と為す」と。

諸子とは謗法なり、飲毒とは弥陀・大日等の権法なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは毒を飲まざるなり。



(注)

飲他毒薬 薬発悶乱 宛転于地の事

妙法蓮華経二十八品の中で説かれる7つの例え話(法華七喩)の一つで、如来寿量品第十六で説かれる「良医病子」を示している。


その内容は「ある所に良医がいて、外国から戻ると、百余人の自分の子供達が留守中に誤って毒薬を飲み苦しんでいた。

父親の医師は直ぐに良薬を調合し子等に与える。半数の子は症状が軽かったので、すぐにその薬飲んで助かるが、重症の子は本心を失っていたので、その薬は色も香りも良くないと言って飲もうとしなかった。

 そこで父親は方便をもって子供に告げた。「私は老いてもう命はいくばくもない。また旅に出るがこの薬を置いていくので飲みなさい」

 そして医師は旅先から従者に「父は旅先で亡くなった」と子供に告げるよう依頼する。それを聞いた子等は父をなくした悲しみで本心を取り戻し、父が残した良薬を飲み病状を回復する。


この譬喩における良医は仏、良薬は法華経、毒薬を飲んで本心を失った子等は邪法に惑わされている衆生を意味している。

 

 末法においては、良医は末法の本仏日蓮大聖人、良薬は南無妙法蓮華経(十界の曼荼羅御本尊)、毒薬に苦しむ子等は、妙法蓮華経に出会っても信じる事が出来ず邪宗に苦しむ衆生を示す。



【御義口伝 下】要点解説(7)に続く






by johsei1129 | 2018-09-23 21:27 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 21日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(5)

【寿量品二十七箇の大事】

第五 若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤 貪著五欲 入於憶想 妄見網中の事(注)
 
御義口伝に云く、此の経文は仏、世に久住したまわば、薄徳の人は善根を殖ゆ可からず、然る間、妄見網中と説かれたり。


所詮、此の薄徳とは、(釈迦)在世に漏れたる衆生、今、滅後日本国に生れたり。所謂、念仏禅真言等の謗法(の衆生)なり。

不種善根とは、善根は題目(注)なり、不種(注)とは未だ持たざる者なり。

 
 憶想とは、捨閉閣抛、第三の劣(注)等、此くの如きの憶想なり。

とは権教妄語の経教なり。見は邪見なり、法華最第一の一を第三と見るが邪見なり。網中とは謗法不信の家なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、かかる妄見の経、網中の家を離れたる者なり云云。



(注)

若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤 貪著五欲 入於憶想 妄見網中

[和訳]

若し仏、久しく世に住すれば(仏を渇仰する心を忘れ)、徳の薄い人は、 善根を植えず、貧窮・下賤にして、

五欲(注)に貪著し、憶想・妄見の網の中に入ればなり。


題目
南無妙法蓮華経の五字七字

不種

仏になれる為の種を植えられていないこと。衆生に仏になる種を植えることを下種(=折伏)という。


捨閉閣抛、第三の劣

捨閉閣抛

日蓮大聖人は立正安国論で法然の唯一の書作「選択集」の本質は「捨閉閣抛」であり、阿弥陀経以外の釈迦の説いた一切経を捨て去り衆生を無限地獄に陥らせる謗法の教えであると次のように破折した。

「曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て、法華真言惣じて一代の大乗、六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ 或は閣き或は抛つ此の四字を以て 多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ」と。


 浄土宗(念仏宗)の開祖法然は、阿弥陀経に説かれる阿彌陀佛への他力本願以外の一切の釈迦の説いた経を「捨て、閉じ、自力を閣(さしお)き、抛(なげう)」と説き、念仏以外の自力の修行を排斥した。法然の弟子親鸞も、法然の説いた阿彌陀佛への「他力本願」の教えを引き継いだ。
 しかし阿弥陀如来は、釈尊、日蓮大聖人のようにこの世で実際に修行して悟り、衆生に説法した実在の仏ではなく、経で説かれた謂わば仮想の仏にすぎない。その仮想仏にすがるほど愚かな信仰はない。


第三の劣

 弘法大師(空海)は『十住心論』で「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」として、法華経を「第三の劣」という妄説を説いた。しかしインドから中国に来た訳僧・善無畏が724年に漢訳した大日経は、サンスクリットの原典が唯の一片も存在しなく、三百年以上前にすでに漢訳されていた妙法蓮華経、華厳経その他の大乗経典から法門を盗み取り作り上げた偽経典にすぎない。


五欲

眼・耳・鼻・舌・身から起こる五種の欲望、つまり色欲・声欲・香欲・味欲・触欲の事


【御義口伝 下】要点解説(6)に続く



by johsei1129 | 2018-09-21 22:29 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 20日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(4)

【寿量品二十七箇の大事】

第四 如来如実知見 三界之相 無有生死の事

御義口伝に云く、如来とは三界(注)の衆生なり。此の衆生を寿量品の眼開けてみれば、十界本有と実の如く知見せり。

三界之相とは生老病死なり、本有の生死とみれば無有生死なり。生死無ければ退出も無し。唯、生死無きに非ざるなり。 
生死を見て厭離するを迷と云い、始覚(注)と云うなり。

さて本有の生死と知見するを悟と云い、本覚と云うなり。

 
 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時、本有の生死、本有の退出と開覚するなり。

又云く、無も有も、生も死も、若退も若出も、在世も滅後も、悉く皆本有常住の振舞なり。

  
 無とは、法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり。

有とは地獄は地獄の有の儘、十界本有の妙法の全体なり。

生とは妙法の生なれば、随縁なり。死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり。

若退の故に滅後なり、若出の故に在世なり。されば無死退滅は空なり。

有生出在は仮なり、如来如実は中道なり。


 無死退滅は無作の報身なり、有生出在は無作の応身なり、如来如実は無作の法身なり。

 
 此の三身は我が一身なり、一身即三身、名為秘とは是なり。

三身即一身、名為密も此の意なり。

 
然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等なり、南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。



(注)

三界

衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界を「欲界・色界・無色界」の3つに分けたもので、全体でこの世、娑婆世界の意。

妙法蓮華経 譬喩品第三では次のように説かれている。

【妙法蓮華経 譬諭品第三】

[原文]

 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 

 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 

 雖復教詔 而不信受 於諸欲染 貪著深故 

 是以方便 為説三乗 令諸衆生 知三界苦

 開示演説 出世間道 是諸子等 若心決定

 具足三明 及六神通 有得縁覚 不退菩薩

 汝舎利弗 我為衆生 以此譬諭 説一仏乗

 汝等若能 信受是語 一切皆当 得成仏道

 [和訳]

今此の三界は、皆是れ我有なり。其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。 

而して今、此の処は諸の患難多く、唯我(仏)一人のみ能く救護せん。 

復、教詔すと雖も、而して信受せず、諸の欲染に於いて、深く貪著する故なり。 

是を以って、方便にて三乗を説き、諸の衆生をして、三界の苦を知らしめ、 出世間の道を開き示し、演説するなり。

是れ諸の子等、若し心、決定するならば、 三明及び六神通を具足し、縁覚と不退の菩薩(菩薩から退く事がない境涯)を得ること有るなり。


汝、舎利弗よ、我(釈尊)、衆生の為に此の譬諭を以て一仏乗を説かん。

 汝等、若し能く是の語を信受せば、一切皆、当に仏道を成ずることを得るべし。


日蓮大聖人は唯受一人の第二祖日興上人に口伝為された【産湯相承事】「三世常恒に日蓮は今、此三界の主なり」と説かれておられます。

始覚
始成正覚(しじょうしょうかく)の事で、釈尊は十九歳で釈迦族の王宮で出て修行し三十歳で悟りを開いたとする、法華経以前、及び法華経・従地涌出品第十五の前半までの教え。
しかし釈尊は妙法蓮華経・如来寿量品第十六で『我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』説き、遥か久遠に菩薩行を行ずる[我本行菩薩道]事で仏となり、無数ともいえる仏国土で衆生を教化してきたことを解き明かされた。

日蓮大聖人はこの[我本行菩薩道]の文の底に【南無妙法蓮華経】の五字七字が秘沈されていると解き明かされておられます。


【如来寿量品第十六】
[原文]
一切世間天人 及阿脩羅皆謂 今釈迦牟尼仏 出釈氏宮
去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫
[和訳]
一切世間の天、人、及び阿脩羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、
伽耶城を去る事遠からず、道場於いて座して、阿耨多羅 三藐三菩提(仏の悟り)を得たりと謂えり。
然し善男子よ、我は実ら成仏して已来、無量無辺 百千万億 那由佗劫(はるかに長遠の時間)なり。


【御義口伝 下】要点解説(5)に続く




by johsei1129 | 2018-09-20 23:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(3)

【寿量品二十七箇の大事】

第三 我実成仏已来 無量無辺等の事(注)

御義口伝に云く、我実とは、釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり。

然りと雖も当品の意は、我とは法界の衆生なり、十界己己を指して我と云うなり。

 
 実とは無作三身の仏なりと定めたり。此れを実と云うなり。

 成とは能成所成なり、成は開く義なり、法界無作の三身の仏なりと開きたり。仏とは此れを覚知するを云うなり。

 

 已とは過去なり、来とは未来なり、已来の言の中に現在は有るなり。

我実と成けたる仏にして、已も来も無量なり無辺なり。

百界千如一念三千と説かれたり。

 百千の二字は百は百界、千は千如なり、此れ即ち事の一念三千なり。


 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、寿量品の本主(仏)なり。

 惣じては迹化の菩薩、此の品に手をつけ、いろうべきに非ざる者なり。
彼(釈尊)は迹表本裏、此れ(日蓮)は本面迹裏、然りと雖も而も、当品は末法の要法に非ざるか。

 

其の故は、此の品は(釈迦)在世の脱益(注)なり。題目の五字計り当今(末法)の下種(注)なり。

 然れば在世は脱益、滅後は下種なり。仍て下種を以て末法の詮と為す云云。



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[釈迦が法華経を説いた霊鷲山の山頂]

(注)
我実成仏已来 無量無辺

如来寿量品の下記の偈にある文で、この如来寿量品で、釈尊は遥か久遠に菩薩の道を行じて仏となり、無数の仏国土で衆生を導いてきたと解き明かした。この説法はそれまでの四十余年の説法では全く説き明かすこと無く、霊鷲山での法華経の説法の座で始めて説かれた。これが法華経が釈尊が説いた一切経の頂点に立つ所以である。

[原文]

皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場。

得阿耨多羅三藐三菩提 然善男子 我実成已来

無量無辺 百千万億 那由佗劫

[和訳]

皆は、今、釈迦牟尼仏は釈迦族の王宮を出て伽耶城(注)を然ること遠からず、道場(菩提樹の下)に座して、阿耨多羅三藐三菩提(悟りの境地)を得たと謂(おも)えり。

然るに善男子よ、我、実に成仏して已来、無量無辺百千万億 那由佗劫 (遥か久遠の時)を経ているのだ。



伽耶城

釈迦が主に布教活動していた当時の強国・マガダ国の都城の一つ。


脱益・下種

仏となる過程を、田に種を蒔き育て実を刈り取ることに喩えた。

脱益とは解脱益のことで、釈迦在世の衆生は、過去世に成仏得道の種を心田に蒔かれており、釈尊の教えで修行することで成仏得道できたとする。

 
 日蓮大聖人は末法の衆生は過去世に成仏得道の種が蒔かれておらず、折伏することで心田に種を蒔くことでき、妙法蓮華経と唱えることでその種が育ち、やがて得道できると解き明かした。




【御義口伝 下】要点解説(4)に続く



by johsei1129 | 2018-09-14 21:20 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)