日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 01月 23日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(43)

【常不軽品三十箇の大事】


第七 乃至遠見の事(注)

御義伝に云 く、上の凡有所見の見(注)は、内証所具の仏性を見るなり、此れは理なり。遠見の見(注)は四衆と云う間、事なり、仍つて上は心法を見る、今は色法を見る、色法は本門の開悟四一開会なり。

心法を見るは迹門の意、又四一開会なり、遠の一字は寿量品の久遠なり、故に故往礼拝といえり云云。


乃至遠見の事
本箇所は、常不軽品の下記の文文の「凡有所見」と、「遠見」の見の違いについて、日蓮大聖人が解き明かされております。

凡有所見の見
全ての衆生の命の奥底に内在している仏性を見る、との意で、まだ実際に仏の命が開かれていない段階を示しているので『此れは理なり』と日蓮大聖人は断じておられる。

遠見の見
四衆を遠くに見て不軽菩薩が四衆に内在する仏性に礼拝し、仏性を開く菩薩行を為しているのでこれは事(行)であると日蓮大聖人は断じられておられる。
末法では全ての衆生(四衆)に『南無妙法蓮華経』と唱えるよう語っていくのは、事行としての菩薩行を行じていることになる。

日蓮大聖人は【諸法実相抄】 で、妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、として次の様に解き明かされておられます。
いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり、既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦・多宝の二仏大将としてさだめ給いし事あに・いつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり』と。


下記は上記に該当する常不軽品の文文
[原文]
是比丘 凡有所見 若比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷
皆悉礼拜讃歎 而作是言 我深敬汝等 不敢軽慢
所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏
而是比丘 不専読誦経典 但行礼拜 乃至遠見 四衆(注)
亦復故往。礼拜讃歎。而作是言。我不敢 軽於汝等 汝等皆当作仏故
[和訳]
是の比丘は 凡そ見る所有らば、若くは、比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷を、
皆、悉く礼拜・讃歎し、而して是の言を作せり、『我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず』
所以は何ん、汝等皆、菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし
而も是の比丘は、専ら経典を読誦せず、但、礼拜を行じ、乃至、遠くに 四衆を見ても
また、ことさらに往きて、礼拜・讃歎し、而して是の言を作せり。『我、敢て汝等を軽んぜず、汝等は、皆、当に仏となるが故なり』

四衆
比丘(男の出家僧) 比丘尼(女の出家僧) 優婆塞(男性信徒) 優婆夷(女性信徒)


【御義口伝 下】要点解説(44)に続く






by johsei1129 | 2019-01-23 20:14 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 20日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(42)

【常不軽品三十箇の大事】


第 六 但行礼拝の事

御義口伝に云く、礼拝とは合掌なり、合掌とは法華経なり。

此れ即ち一念三千なり、故に、不専読誦経典 但行礼拝(注)と云うなり。



不専読誦経典 但行礼拝

「常不軽菩薩」の伹行礼拝とは、末法に於いては、日蓮大聖人の仏の命を図現なされた十界曼荼羅の御本尊に向かいて、南無妙法蓮華と題目を唱えることをあらわしております。

日蓮大聖人はこの御本尊の図現について【経王殿御返事】でその本義を次のように示されておられます。

『南無妙法蓮華経は師子吼の如し、いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神、十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはいは愛染の如く福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはふるとも、つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし。
 十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかかるべきなり。但し御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用る事なし。
 法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ、鬼にかなぼうたるべし。

日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』と。









by johsei1129 | 2019-01-20 20:06 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 19日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(41)

【常不軽品三十箇の大事】


第五 我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏の事

御義口伝に云く、此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ。廿四字は略法華経なり。(注)



廿四字は略法華経なり
上記は、常不軽品の以下の文を示している。
[原文]
我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏
[和訳]
我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等、皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。

日蓮大聖人は何故、上記の漢字24字の文を「略法華経」と断じたのであろうか。それはこの24文字に「妙法蓮華経一部二十八品」に脈々と貫かれている仏の慈悲が込められているからです。

大聖人は【月水御書】で妙法蓮華経について次のように説かれています。
「殊に二十八品の中に勝れて、めでたきは、方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり」と。

方便品第二では仏がこの世に出現した「一大事因縁」が説かれます。
その一大事因縁とは、全ての衆生に仏の命(仏性)が内在しており、仏はその仏性を、開き、衆生に示し、悟らせ、仏の道に入らせる「開・示・悟・入」の為に仏かこの世に出現したと説きます。

そして如来寿量品第十六で、皆は私は釈迦族の王子として誕生し、王宮を出て修行し悟ったと考えているが、実は遥か久遠に仏になり、無数の仏国土で無数の衆生を化道してきたと説き、終段で「我亦為世父 救諸苦患者(中略)毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身(我、また世の父と為りて、諸の苦しみ患らう者を救へり(中略)、毎(つね)に自から是の念を作せり、以何にし衆生を無上道(仏道)に入らせて、速やかに仏身を成就することを得さしめん」と説き、究極の仏の慈悲を示します。

末法の本仏日蓮大聖人は【諫暁八幡抄】で、仏の慈悲の在り様について、次のように門下の弟子信徒に対し示されておられます。
涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是、如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く「一切衆生の同一苦は、悉く是、日蓮一人の苦と申すべし」と。








by johsei1129 | 2019-01-19 20:08 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 18日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(40)

【常不軽品三十箇の大事】


第四 凡有所見の事(注)

御義口伝に云く、今、日本国の一切衆生を、法華経の題目(注)の機なりと知見するなり云云。



凡有所見
常不軽品の次の偈にある文で、得大勢(菩薩)に「常不軽菩薩」の名の由来を尋ねている。

[原文] 
得大勢 以何因縁 名常不軽 是比丘 凡有所見
若比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 皆悉礼拜讃歎
[和訳]
得大勢(菩薩)よ、何の因縁を以って常不軽と名づくるや。是の比丘、凡そ見る所有る、
若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優i婆夷を、皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく

法華経の題目
妙法蓮華経の五文字の事

日蓮大聖人はこの箇所で、常不軽菩薩が全ての衆生に対し、仏性を内在しているとして礼拝行を行ったように、末法では「妙法蓮華経」の題目の機縁をもつ全ての衆生に、妙法蓮華経の五文字を唱える事を広めるよう、門下に示されておられます。







by johsei1129 | 2019-01-18 20:35 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 17日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(39)

【常不軽品三十箇の大事】

第三 威音王の事(注)

御義口伝に云く、威とは色法なり、音とは心法なり、王とは色心不二を王と云うなり。

末法に入て南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れ併ら威音王なり云云。其の故は、音とは一切権教の題目等なり、威とは首題の五字(注)なり、王とは法華の行者なり云云。

法華の題目は獅子の吼ゆるが如く、余経は余獣の音の如くなり。諸経中王の故に王と云うなり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る、威音王仏なり云云。



威音王
響き渡る声を持った王の意で、妙法蓮華経・常不軽菩薩品に説かれる仏。

はるか過去世に大成国と言う仏国土に、威音という法名の仏が、順次、同名(威音王)の法号で2万億出現し衆生を教化してきた。
最初の威音王仏が入滅した後の像法時代、大成国には慢心の比丘の勢力が拡大してきたが、その時不軽菩薩が現れ『我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと』と、全ての衆生を礼拝したが、慢心の比丘(出家僧)は、不軽菩薩(過去世の釈尊の修行時代)を悪口罵詈し、杖や枝、瓦石で迫害したと説かれている。


首題の五字
妙法蓮華経・常不軽品第二十の主題である、妙法蓮華経の五字を示す。





by johsei1129 | 2019-01-17 15:25 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 16日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(38)


第二 得大勢菩薩の事 (注)

御義口伝に云く、得とは応身なり、大とは法身なり、勢とは報身なり。又得とは仮諦なり、大とは中道なり、勢とは空諦なり。
円融の三諦・三身(注)なり。


得大勢菩薩
常不軽菩薩品第二十で、釈尊は冒頭に、得大勢菩薩を対告衆(たいごうしゅう)として下記の様に説法を開始します。

[原文]
爾時仏告 得大勢菩薩摩訶薩 汝今当知
若比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 持法華経者
若有悪口 罵詈誹謗 獲大罪報 如前所説
其所得功徳 如向所説 眼耳鼻舌身意清浄
[和訳]
爾の時、仏は得大勢菩薩に告げん。汝よ、今、当に知るべし、
若し、比丘(男の僧)、比丘尼(女の僧)、 優婆塞(男性信徒) 、優婆夷(女性信徒)の法華経を持つ者に、悪口 ・罵詈・誹謗をすることあれば、大罪の報を獲ることをは、前に説く所の如し。
其(法華経)により得る所の功徳は、さきに説く所の如く、眼耳鼻舌身意は清浄になりにけり。

円融の三諦・三身(えんゆうのさんたい・さんじん)
妙法蓮華経では空,仮,中の三諦、法報応の三身は、三諦・三身がそれぞれ独立して働いているのではなく、混然一体として三つの要素が融け合って働いていると解き明かしている。

例えば水は水素原子に2個と酸素原子1個が化合してH2Oの分子式を持つ物質だが、縁(主に外気温度)により、水、雪、氷、水蒸気等々と姿を変える。
人間に見える現実の姿は仮諦であり、H2Oは人間には見えず空諦の状態であるが、空,仮の存在は不可分で全体として中諦として存在している。
人間の身も誕生から死滅するまで色心(応身)の状態は日々変化するが、滅することがない法身は不変で、過去世の善行悪行により得た境遇(報身)は未来世に引き継がれる。この法報応の三身はそれぞれ別々のものとして存在するわけではなく円融の三諦として永遠に生死を繰り返すことになる。







by johsei1129 | 2019-01-16 23:05 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 15日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(37)


第一  常不軽の事 (注)
 
御義口伝に云く、常の字は三世の不軽の事なり。

不軽とは、一切衆生の内証所具の三因仏性(注)を指すなり。

仏性とは法性なり、法性とは妙法蓮華経なり云云。



常不軽
妙法蓮華経・常不軽菩薩品第二十に説かれる釈尊の前世の姿「常不軽菩薩」の事。

不軽菩薩は「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏[我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと]と、全ての衆生を礼拝したが、四衆(俗の男女、出家僧の男女)は悪口罵詈し、杖や枝、瓦石で迫害した。

日蓮大聖人は自身も「常不軽菩薩」をはるかに凌駕する難、度々の死罪・流罪にも及ぶ大迫害に遭われましたが、上記の漢字二十四文字の偈を「略法華経」と称され【教行証御書】では、釈尊は二十四文字、末法の日蓮は唯、妙法蓮華経の五文字であると、門下の弟子信徒に断じられておられます。

『されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり、像法には教行のみ有つて証無し、今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し権実の二機悉く失せり、此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す「是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差えじと憂る勿れ」とは是なり。 
 乃往過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を、一切衆生に向つて唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値つて益を得たり。是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼(不軽菩薩=釈尊)は二十四字の下種、此れ(日蓮)は唯五字(妙法蓮華経)なり』
 

三因仏性
正因・了因・縁因の三つの仏性。
正因は先天的に具している仏性、了因は解了する知恵の仏性、縁因は善行の基になる仏性を意味します。









by johsei1129 | 2019-01-15 12:25 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(36)

【法師功徳品四箇の大事】

第四 是人持此経 安住希有地の事(注)

御義口伝に云く、是人とは、日本国の一切衆生の中には法華の行者なり。

 希有地とは、寿量品の事理の顕本を指すなり。是を又分別品には「仏説希有法(注)」と説かれたり、別しては南無妙法蓮華経なり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは、末法弘通の明鏡たる本尊なり。 

 惣じては此の品の六根清浄の功徳は、十信相似即(注)なり。

 対告衆の常精進菩薩(注)は、十信の第三信と云えり、然りと雖も末法に於ては、法華経の行者を指して常精進菩薩と心得可きなり。

此の経の持者は、是則精進の故なり。


是人持此経 安住希有地

法師功徳品の最終段の次の偈にある文
[原典]
持法華経者 意根浄若斯 雖未得無漏 先有如是相
是人持此経 安住希有地 為一切衆生 歓喜而愛敬
能以千万種 善巧之語言 分別而演説 持法華経故
[和訳]
法華経を持つ者は、意根の浄きこと斯くの若く、未だ無漏を得ずと雖ど、先ず是の如く相、有らん。
是の人、此の経を持たば、希有の地に安住し、一切衆生の為に、歓喜りて愛敬せられん。
能く、千万種の善巧なる語言を以て、分別して而して演説するは、この法華経を持す故なり。

仏説希有法
妙法蓮華経 分別功徳品第十七にある次の偈
[原本]
仏説希有法 昔所未曾聞 世尊于大力 寿命不可量
無数諸仏子 聞世尊分別 説得法利者 歓喜充遍身
[和訳]
仏、希有の法を説きたもう。昔より未だ曾て聞かざる所なり。
世尊(釈尊))は大力ましまして、寿命量るべからざるなり。
無数の諸の仏子、世尊の分別して、法利を得たる者を説きたもうを聞いて、歓喜その身に遍ねく充ちし。

十信相似即
十信(じゅうしん)は、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の内、最下位の1番目から10番目の位で、菩薩が仏の教えを信じ疑心がない位をいう。
仏の教法に入らんとする者はまず信の心を持つことから出発するので十信という。
相似即は天台大師が『摩訶止観』で説いた、法華経を修行し究極の悟りに至る六つの段階(理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即の六即)のことで、相似即[そうじそく]は、仏の覚りに似た智慧が得られる段階。

常精進菩薩
法師功徳品第十九 で説かれる菩薩で、常に精進を怠らない者の意。

日蓮大聖人は御義口伝【二十八品に一文充の大事 】の涌出品で、次の様に「精進」を解き明かされておられます。

涌出品  
 生死二
昼夜常精進 為求仏道故 (昼夜に常に精進す、仏道を求めんが為の故なり)

此の文は一念に億劫の辛労を尽せば、本来無作の三身念念に起るなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。







by johsei1129 | 2019-01-14 19:34 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 13日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(35)

【法師功徳品四箇の大事】

第三 又如浄明鏡の事 (注)


御義口伝に云く、法華経に鏡の譬を説く事、此の明文なり。

六根清浄の人は、瑠璃明鏡(注)の如く三千世界を見ると云う経文なり。

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり。

 此の明鏡とは法華経なり、別しては宝塔品なり。又は我が一心の明鏡なり。

所詮、瑠璃と明鏡との二の譬を説かれたり、身根清浄の下なり。

色心不二(注)なれば、何れも清浄の徳分なり。

浄とは不浄に対して浄と云うなり、明とは無明に対して明と説くなり。

鏡とは一心なり、浄は仮諦、明は空諦、鏡は中道なり。

悉見諸色像の悉は、十界なり。

所詮、浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり。

浄明鏡とは信心なり云云。又三千大千世界(注)を知見するとは、三世間(注)の事なり。



又如浄明鏡 
【妙法蓮華経 法師功徳品第十九】の次の偈にある文

[原文]
若持法華経 其身甚清浄 如彼浄瑠璃 衆生皆喜見
又如浄明鏡 悉見諸色像 菩薩於浄身 皆見世所有
唯独自明了 余人所不見 三千世界中 一切諸群萌
天人阿脩羅 地獄鬼畜生 如是諸色像 皆於身中現
[和訳]
若し法華経を持せば、其の身、甚だ清浄なること、彼の浄き瑠璃の如くにして、衆生は皆、見んと憙ばん。
又浄明なる鏡に、悉く諸の色像を見るが如く、菩薩は浄き身に於いて、皆、世の有る所を見るに、
唯、独り、自に明了にして、余人の見ざる所なり。三千世界中の一切の、諸の群れ萌るもの、
天人・阿脩羅・地獄・鬼・畜生、各の如き諸の色像は、皆、身中に現われん。


瑠璃明鏡
瑠璃でできた明鏡
三千大千世界(宇宙)の、全ての実相を写し出すことができる鏡の譬え。

色心不二
色は肉体、心は意識。仏法上では、意識は一般的な五識(五感)のさらに深く九識(九識心王真如の都(くしきしんのうしんにょのみやこ)迄の存在を解き明かしている。
[九識の構造]
五識(眼・耳・鼻・舌・身)
六識(意識)
七識(末那識・まなしき)
八識(阿頼那識・あらやしき)
九識(阿摩羅識・あまらしき)=九識心王真如の都

日蓮大聖人はこの「九識心王真如」の存在について【日女御前御返事】で次のように説いておられます。
此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只、我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。
 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之に依つて曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云うは天竺の名なり、此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり。此の御本尊も只信心の二字に、をさ(納)まれり、以信得入とは是なり。
 日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし・たのもし、如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり、仏法の根本は信を以て源とす』

三世間
妙法蓮華経では、前世の善行・悪行の報いとして、今世に生まれる境遇の違いについて「三世間」と言う考えで解き明かしている。尚、世間とは区別、違いの意。

[三世間の概要]
一つは五陰世間 五陰(色陰・受陰・想陰・行陰・識陰)世間とは、個々人が持っている個性・能力の違い。
一つは衆生世間 個人を取り巻く衆生(人間)、例えば親、兄弟、学友、同僚のような自分を取り巻く人々の違い。
一つは国土世間 個々人が育つ環境の違い。日本の様な平和な国に生まれる場合、戦火の渦中にある難民キャンプで生まれる場合。同じ日本でも大都市のビル群で育つ人、海・山の自然が豊かな地方で育つ人などの違い。

三千大千世界
宇宙の意、また妙法蓮華経・如来寿量品第十六では三千大千世界が無数に存在すると説いているので、現代の天文学上では、銀河系宇宙に相当する。

釈尊が三千大千世界の中の様々な仏国土で衆生を化道してきたことを示した【如来寿量品第十六』の文。
[原文]
自従是来。我常在此娑婆世界。説法教化。亦於余処。百千万億。那由佗。阿僧祇国。導利衆生。
[和訳]
是(成道)より以来、我(釈尊)は常に此の娑婆世界(地球)に在りて、説法を説きて教化せり。亦た余の処(仏国土)に於いても、百千万億・那由佗・阿僧祇の国に於いて衆生を導き利してきた。

※参照 那由佗・阿僧祇(一例)※無数とも言われる仏教的数の単位
1那由佗=10の60乗
1阿僧祇=10の56条







by johsei1129 | 2019-01-13 17:51 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 12日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(34)

【法師功徳品四箇の大事】

第二 六根清浄の事

御義口伝に云く、眼の功徳とは、法華不信の者は無間に堕在し、信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。

法華経を持ち奉る処に、眼の八百の功徳を得るなり。(注)

眼とは法華経なり、此の大乗経典は諸仏の眼目と。

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、眼の功徳を得るなり云云。耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり云云。



法華経を持ち奉る処に、眼の八百の功徳を得るなり

「眼の八百の功徳を得る」を記した【法師功徳品】の偈は次の通りです。
[原文]
若於大衆中 以無所畏心 説是法華経 汝聴其功徳
是人得八百 功徳殊勝眼 以是荘厳故 其目甚清浄
父母所生眼 悉見三千界 内外弥楼山 須弥及鉄囲
并諸余山林 大海江河水 下至阿鼻獄 上至有頂天
其中諸衆生 一切皆悉見 雖未得天眼 肉眼力如是
[和訳]
若し、大衆の中に於いて、畏れる心無き所を以て、是の法華経を説かば、汝は其の功徳を聴かん
是の人、八百の殊に勝れた眼を得る。是の荘厳な故を以て、其の目は甚だ清浄なり。
父母所生の眼にして、悉く三千界を見て、内外の弥楼山、須弥及び鉄囲、
并諸の余の山林、大海の江河水、下は阿鼻獄に至り、上は有頂天に至る。
其の中の諸の衆生は、一切、皆悉く見る。未だ天眼を得ざると謂えども、(清浄になった)肉眼の力は是の如しである。


【御義口伝 下】要点解説(35)に続く







by johsei1129 | 2019-01-12 18:07 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)