日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 10月 07日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(10)


第十 是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差の事(注)

御義口伝に云く、是好良薬とは或は経教、或は舎利(注)なり。

 さて末法にては南無妙法蓮華経なり。好とは、三世諸仏の好み物は題目の五字なり(注)。

今留とは末法なり、此とは一閻浮提(注)の中には日本国なり。

汝とは末法の一切衆生なり、取は法華経を受持する時の儀式なり。

 服するとは唱え奉る事なり、服するより無作の三身(注)なり、始成正覚(注)の病患差るなり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。



(注)

是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差
妙法蓮華経如来寿量品第十六で説かれた『良医が毒を飲んだ子どもたちに良薬を調合し、この薬を飲めば憂いはなくなると言い残した偈』

[和訳]
「是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし、差じと憂うること勿れ」

或は経教、或は舎利
教経とは妙法蓮華経、舎利とは遺骨を示す。

題目の五字
法華経の題号である「妙法蓮華経」を示す。

一閻浮提
全世界の意で、日蓮大聖人は日本は法華経有縁の国であると説かれた。実際、妙法蓮華経が最も読誦されている仏教国は日本である。

無作の三身
無作とは、つくろわず、はたらかさず、ありのままということ。

仏法では、この世の有情・非情に渡る生命の存在は法身(魂魄)、報身(命の奥底に存在する意識・境涯)、応身(実際の肉体をもつ現実の存在)の三身で構成されていると見る。
この法門上、無作の三身とは、森羅万象を貫く諸法の実相を究めた、仏の当体そのものを意味する。

始成正覚
釈迦はインドに応誕し、修行を経て悟り、始めて仏に成ったという弟子たちの思い。
釈尊は如来寿量品で、この「始成正覚」を打ち破り、遥か久遠に成道したという「久遠実成」を次のように解き明かした。

「今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。然るに善男子よ、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と。


【御義口伝 下】要点解説(11)に続く






by johsei1129 | 2018-10-07 20:54 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 05日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(9)

【寿量品二十七箇の大事】


第九 毒気深入 失本心故の事(注)

 

 御義口伝に云く、毒気深入とは、権教(注)、謗法(注)の執情深く入りたる者なり。
之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり。

服せしむると雖も吐き出だすは、而謂不美とて、むま(美味)からずと云う者なり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、而謂不美の者に非ざるなり。



権教

権つまり仮の教え。法華経を説く以前の爾前経(にぜんきょう)を示す。

爾前経と法華経の根本的な違いは二つ在る。


一つは爾前経では有情・非情にわたり全ての存在に仏性(仏界)があると説かれてはいなかった。

釈尊は【妙法蓮華経 方便品第二】の世雄偈で、仏がこの世に出現した一大事因縁を、

仏の悟つまり仏性を開き、示し、それを衆生にも悟らせ、仏に為る道つまり仏道は入らせる事を目的(開示吾入)として出現したと解き明かした。

もう一つは、爾前経及び【妙法蓮華経 従地涌出品第十伍】迄、釈尊は、釈迦族の王子として生まれ出家し、バラモンの難行苦行をへて菩提樹に端座し瞑想して成道したする「始成正覚」を説いていたが、【妙法蓮華経 如来寿量品第十六】で次のようにそれを打ち破り、遥か久遠に成道「久遠実成」し、無数の仏国土で衆生を化導してきたと解き明かされた。

『皆は、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城(注)を去ること遠からず、道場に座して阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟り)を得たりと思えり。然るに善男子よ、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』と。 

謗法
誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略で正しい法を誹謗すること。
末法においては、日蓮大聖人が御図現なされた十界曼陀羅御本尊に「南無妙法蓮華経」と唱える、仏と為るための究極の修行法、及び日興上人以降それを今日まで正しく伝えてきた法華経の行者を誹謗する事が最も重い謗法となる。

伽耶城 

釈迦が成道し、布教活動をしていたインド東北部の古代マガダ国の都


【御義口伝 下】要点解説(10)に続く






by johsei1129 | 2018-10-05 21:16 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 25日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(8)

【寿量品二十七箇の大事】

第八 擣し和合 与子令服の事(注)


御義口伝に云く、此の経文は空仮中の三諦(注)、戒定慧(注)の三学なり、色香美味の良薬なり。


 擣は空諦なり、「し」は仮諦なり、和合は中道なり、与は授与なり、子は法華の行者なり、服すると云うは受持の義なり。
是を此大良薬 色香美味 皆悉具足と説かれたり。 

皆悉の二字、万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり。

 色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり。


されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし。若し服する者は速除苦悩なり。

 されば妙法の大良薬を服するは、貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり。

 
法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり。

法華の行者は罵詈せらるれども忍辱を行ずるは、瞋恚の病を除くなり。

法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは、愚癡の煩悩を治するなり。 
されば大良薬は末法の成仏の甘露なり。

 

 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。



(注)

擣し和合 与子令服

子供が誤って毒薬を飲んで苦しんでいるのを見た、良医である父親が、子供に薬を与える譬喩を説いた下記の文にある文言。

[原文]

父見子等 苦悩如是 依諸経方 求好薬草 色香美味

皆悉具足 擣篩和合 与子令服 而作是言 此大良薬

色香美味 皆悉具足 汝等可服 速除苦悩 無復衆患

[和訳]

父は、この如く苦悩する子等を見て、依諸の経方に依りて、色も香もよく美味を、
皆、悉く具足する好き薬草を求め、(それを)擣き篩い和合して(注)、子に与え服せしめ、而し是のように言わん。此の大良薬は、
色も香りも美味も、皆、悉く具足せれ。汝等はこれを服すべし、苦悩は速除かれ、復た衆の患い無からん。


擣き篩い和合して
薬を調合する様を意味する:擣(つ)き篩(ふる)い和合(固める)して

三諦  

仮諦・空諦・中諦のことで、仏法では有情・非情を含め、この世の存在は仮諦・空諦・中諦として存在するとしている。

例えば水は、氷、雪、水蒸気と外部与件(主に温度)により姿を変える。いまコップに在る液体の水の存在はあくまで仮の姿にすぎない。しかしH2Oという本質は、人の目に見ることができないが確かに有り、謂わば空の状態と言える。其の本質を統合している姿を中諦であると見る。


戒定慧

仏道修行に必須の三要素、三学。

悪を止める(戒律)。心の平静を得る。真実を悟る(智慧)。


例えば初期の釈迦仏法では、比丘(男の出家僧)は250戒が課せられ

比丘尼(女の出家僧)は450戒が課せられた。


 日蓮大聖人は御書十大部の一つ【四信五品抄】で次の様に、末法における戒定慧の三学とは、妙法受持、つまり末法の本仏日蓮大聖人の魂を図現した十界曼荼羅の御本尊に「南無妙法蓮華経」と唱えることであると説き明かされておられます。
『問う汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや。答えて曰く日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して一も残さず月氏の両字に豈七十ケ国無からんや。(中略)
 問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁えて之を服せん。水、心無けれども火を消し、火、物を焼く。豈覚有らんや。(中略)

問う何が故ぞ題目に万法を含むや、答う章安の云く「蓋し序王とは経の玄意を叙す玄意は文の心を述す文の心は迹本に過ぎたるは莫し」妙楽の云く「法華の文心を出して諸教の所以を弁ず」云云。
濁水心無けれども月を得て自ら清めり、草木雨を得豈覚有つて花さくならんや。
妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。


 問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり。請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり、豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ、大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』と。

【御義口伝 下】要点解説(9)に続く






by johsei1129 | 2018-09-25 22:09 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 24日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(7)

【寿量品二十七箇の大事】

第七 或失本心 或不失者の事(注)

御義口伝に云く、本心を失うとは謗法(注)なり、本心とは下種(注)なり、不失とは法華経の行者なり。失とは、本、有る物を失う事なり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、本心を失わざるなり云云。


(注)

或失本心 或不失者
法華経七喩の一つで如来寿量品第十六で説かれる「良医病子(注)」の譬えを説いている文

良医病子の譬え

ある所に良医がおり、その良医には百人余りの子供がいた。ある時、良医が外国に旅行している留守中に子供たちが誤って毒薬を飲み、悶え苦しんでいた。そこへ帰った良医は薬を調合して味も良い良薬を子供たちに与えたが、半数の子供たちは父親の薬を素直に飲んで本心を取り戻した。しかし残りの子供たちは本心を失っていたため、その薬は味も悪いと言って飲もうとしなかった。そこで良医は一計を案じ、子供たちに「私はこれから又旅に出るので薬を飲むよう」と言って旅立つ。そして旅の途中に使いの者を出し、父親が旅先で死んだと告げさせた。父の死を聞かされた子供たちは深い悲しみの衝撃で本心を取り戻し、父親が残してくれた良薬を飲んで病を治すことができた。この譬えは末法においては、良医は仏(日蓮大聖人)で、病で苦しむ子供たちは謗法に侵された末法の衆生、良薬は妙法蓮華経(御本尊)を示している。

[原文] 

以有事縁 遠至余国 諸子於後 飲佗毒薬 薬発悶乱 宛転于地

是時其父 還来帰家 諸子飲毒 或失本心 或不失者

[和訳]

(良医の父は)縁が有るを以て、遠い外国に至る。後にその(良医の)諸の子は、誤って毒薬を飲むと、(毒)薬が発して悶乱し、地に宛転した

ちょうど是の時、其の父は遠方の国から帰宅する。飲毒を飲んだ諸の子は、或いは本心を失い、又在るものは本心を失わなかった。


謗法

誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略で正しい法を謗ること。


日蓮大聖人は【松野殿御返事(十四誹謗抄)】で誹謗について次のように説かれて弟子信徒を諌めておられます。

「悪の因に十四あり・一に憍慢(慢心)・二に懈怠(なまける)・三に計我(我見をもつ)・四に浅識(法の理解が浅い)・五に著欲・六に不解(法を理解しょうとしない)・七に不信・八に顰蹙(ひんしゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し」と。

尚、十一以降の軽善・憎善・嫉善・恨善は、日蓮大聖人の仏法を受持する者を、軽んじたり、憎んだり、嫉んだり、恨んだりすることの意。


下種

仏になる種を植える、また植えられる事で、末法においては日蓮大聖人の法門を人々に語ることでその人々は妙法蓮華経で仏と為る種を植えられることになる。
たとえそのことに対し受け入れず批判し地獄に落ちたとしても、毒鼓(どっく)の縁(逆縁)により、未来世で再び妙法蓮華経に縁し仏になるとされている。
日蓮大聖人は【法華初心成仏抄】で毒鼓の縁について次の様に解き明かされておられます。

『当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』と。



【御義口伝 下】要点解説(8)に続く







by johsei1129 | 2018-09-24 19:01 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 23日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(6)

【寿量品二十七箇の大事】

第六 飲他毒薬 薬発悶乱 宛転于地の事(注)

御義口伝に云く、他とは念仏・禅・真言の謗法の比丘なり。

毒薬とは権教方便なり、法華の良薬に非ず、故に悶乱するなり。

悶とはいき(息)たゆるなり。


 寿量品の命なきが故に悶乱するなり、宛転于地とは阿鼻地獄へ入るなり云云。

諸子飲毒の事は 釈に云く「邪師の法を信受するを名けて飲毒と為す」と。

諸子とは謗法なり、飲毒とは弥陀・大日等の権法なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは毒を飲まざるなり。



(注)

飲他毒薬 薬発悶乱 宛転于地の事

妙法蓮華経二十八品の中で説かれる7つの例え話(法華七喩)の一つで、如来寿量品第十六で説かれる「良医病子」を示している。


その内容は「ある所に良医がいて、外国から戻ると、百余人の自分の子供達が留守中に誤って毒薬を飲み苦しんでいた。

父親の医師は直ぐに良薬を調合し子等に与える。半数の子は症状が軽かったので、すぐにその薬飲んで助かるが、重症の子は本心を失っていたので、その薬は色も香りも良くないと言って飲もうとしなかった。

 そこで父親は方便をもって子供に告げた。「私は老いてもう命はいくばくもない。また旅に出るがこの薬を置いていくので飲みなさい」

 そして医師は旅先から従者に「父は旅先で亡くなった」と子供に告げるよう依頼する。それを聞いた子等は父をなくした悲しみで本心を取り戻し、父が残した良薬を飲み病状を回復する。


この譬喩における良医は仏、良薬は法華経、毒薬を飲んで本心を失った子等は邪法に惑わされている衆生を意味している。

 

 末法においては、良医は末法の本仏日蓮大聖人、良薬は南無妙法蓮華経(十界の曼荼羅御本尊)、毒薬に苦しむ子等は、妙法蓮華経に出会っても信じる事が出来ず邪宗に苦しむ衆生を示す。



【御義口伝 下】要点解説(7)に続く






by johsei1129 | 2018-09-23 21:27 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 21日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(5)

【寿量品二十七箇の大事】

第五 若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤 貪著五欲 入於憶想 妄見網中の事(注)
 
御義口伝に云く、此の経文は仏、世に久住したまわば、薄徳の人は善根を殖ゆ可からず、然る間、妄見網中と説かれたり。


所詮、此の薄徳とは、(釈迦)在世に漏れたる衆生、今、滅後日本国に生れたり。所謂、念仏禅真言等の謗法(の衆生)なり。

不種善根とは、善根は題目(注)なり、不種(注)とは未だ持たざる者なり。

 
 憶想とは、捨閉閣抛、第三の劣(注)等、此くの如きの憶想なり。

とは権教妄語の経教なり。見は邪見なり、法華最第一の一を第三と見るが邪見なり。網中とは謗法不信の家なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、かかる妄見の経、網中の家を離れたる者なり云云。



(注)

若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤 貪著五欲 入於憶想 妄見網中

[和訳]

若し仏、久しく世に住すれば(仏を渇仰する心を忘れ)、徳の薄い人は、 善根を植えず、貧窮・下賤にして、

五欲(注)に貪著し、憶想・妄見の網の中に入ればなり。


題目
南無妙法蓮華経の五字七字

不種

仏になれる為の種を植えられていないこと。衆生に仏になる種を植えることを下種(=折伏)という。


捨閉閣抛、第三の劣

捨閉閣抛

日蓮大聖人は立正安国論で法然の唯一の書作「選択集」の本質は「捨閉閣抛」であり、阿弥陀経以外の釈迦の説いた一切経を捨て去り衆生を無限地獄に陥らせる謗法の教えであると次のように破折した。

「曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て、法華真言惣じて一代の大乗、六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ 或は閣き或は抛つ此の四字を以て 多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ」と。


 浄土宗(念仏宗)の開祖法然は、阿弥陀経に説かれる阿彌陀佛への他力本願以外の一切の釈迦の説いた経を「捨て、閉じ、自力を閣(さしお)き、抛(なげう)」と説き、念仏以外の自力の修行を排斥した。法然の弟子親鸞も、法然の説いた阿彌陀佛への「他力本願」の教えを引き継いだ。
 しかし阿弥陀如来は、釈尊、日蓮大聖人のようにこの世で実際に修行して悟り、衆生に説法した実在の仏ではなく、経で説かれた謂わば仮想の仏にすぎない。その仮想仏にすがるほど愚かな信仰はない。


第三の劣

 弘法大師(空海)は『十住心論』で「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」として、法華経を「第三の劣」という妄説を説いた。しかしインドから中国に来た訳僧・善無畏が724年に漢訳した大日経は、サンスクリットの原典が唯の一片も存在しなく、三百年以上前にすでに漢訳されていた妙法蓮華経、華厳経その他の大乗経典から法門を盗み取り作り上げた偽経典にすぎない。


五欲

眼・耳・鼻・舌・身から起こる五種の欲望、つまり色欲・声欲・香欲・味欲・触欲の事


【御義口伝 下】要点解説(6)に続く



by johsei1129 | 2018-09-21 22:29 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 20日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(4)

【寿量品二十七箇の大事】

第四 如来如実知見 三界之相 無有生死の事

御義口伝に云く、如来とは三界(注)の衆生なり。此の衆生を寿量品の眼開けてみれば、十界本有と実の如く知見せり。

三界之相とは生老病死なり、本有の生死とみれば無有生死なり。生死無ければ退出も無し。唯、生死無きに非ざるなり。 
生死を見て厭離するを迷と云い、始覚(注)と云うなり。

さて本有の生死と知見するを悟と云い、本覚と云うなり。

 
 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時、本有の生死、本有の退出と開覚するなり。

又云く、無も有も、生も死も、若退も若出も、在世も滅後も、悉く皆本有常住の振舞なり。

  
 無とは、法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり。

有とは地獄は地獄の有の儘、十界本有の妙法の全体なり。

生とは妙法の生なれば、随縁なり。死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり。

若退の故に滅後なり、若出の故に在世なり。されば無死退滅は空なり。

有生出在は仮なり、如来如実は中道なり。


 無死退滅は無作の報身なり、有生出在は無作の応身なり、如来如実は無作の法身なり。

 
 此の三身は我が一身なり、一身即三身、名為秘とは是なり。

三身即一身、名為密も此の意なり。

 
然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等なり、南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。



(注)

三界

衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界を「欲界・色界・無色界」の3つに分けたもので、全体でこの世、娑婆世界の意。

妙法蓮華経 譬喩品第三では次のように説かれている。

【妙法蓮華経 譬諭品第三】

[原文]

 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 

 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 

 雖復教詔 而不信受 於諸欲染 貪著深故 

 是以方便 為説三乗 令諸衆生 知三界苦

 開示演説 出世間道 是諸子等 若心決定

 具足三明 及六神通 有得縁覚 不退菩薩

 汝舎利弗 我為衆生 以此譬諭 説一仏乗

 汝等若能 信受是語 一切皆当 得成仏道

 [和訳]

今此の三界は、皆是れ我有なり。其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。 

而して今、此の処は諸の患難多く、唯我(仏)一人のみ能く救護せん。 

復、教詔すと雖も、而して信受せず、諸の欲染に於いて、深く貪著する故なり。 

是を以って、方便にて三乗を説き、諸の衆生をして、三界の苦を知らしめ、 出世間の道を開き示し、演説するなり。

是れ諸の子等、若し心、決定するならば、 三明及び六神通を具足し、縁覚と不退の菩薩(菩薩から退く事がない境涯)を得ること有るなり。


汝、舎利弗よ、我(釈尊)、衆生の為に此の譬諭を以て一仏乗を説かん。

 汝等、若し能く是の語を信受せば、一切皆、当に仏道を成ずることを得るべし。


日蓮大聖人は唯受一人の第二祖日興上人に口伝為された【産湯相承事】「三世常恒に日蓮は今、此三界の主なり」と説かれておられます。

始覚
始成正覚(しじょうしょうかく)の事で、釈尊は十九歳で釈迦族の王宮で出て修行し三十歳で悟りを開いたとする、法華経以前、及び法華経・従地涌出品第十五の前半までの教え。
しかし釈尊は妙法蓮華経・如来寿量品第十六で『我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』説き、遥か久遠に菩薩行を行ずる[我本行菩薩道]事で仏となり、無数ともいえる仏国土で衆生を教化してきたことを解き明かされた。

日蓮大聖人はこの[我本行菩薩道]の文の底に【南無妙法蓮華経】の五字七字が秘沈されていると解き明かされておられます。


【如来寿量品第十六】
[原文]
一切世間天人 及阿脩羅皆謂 今釈迦牟尼仏 出釈氏宮
去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫
[和訳]
一切世間の天、人、及び阿脩羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、
伽耶城を去る事遠からず、道場於いて座して、阿耨多羅 三藐三菩提(仏の悟り)を得たりと謂えり。
然し善男子よ、我は実ら成仏して已来、無量無辺 百千万億 那由佗劫(はるかに長遠の時間)なり。


【御義口伝 下】要点解説(5)に続く




by johsei1129 | 2018-09-20 23:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(3)

【寿量品二十七箇の大事】

第三 我実成仏已来 無量無辺等の事(注)

御義口伝に云く、我実とは、釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり。

然りと雖も当品の意は、我とは法界の衆生なり、十界己己を指して我と云うなり。

 
 実とは無作三身の仏なりと定めたり。此れを実と云うなり。

 成とは能成所成なり、成は開く義なり、法界無作の三身の仏なりと開きたり。仏とは此れを覚知するを云うなり。

 

 已とは過去なり、来とは未来なり、已来の言の中に現在は有るなり。

我実と成けたる仏にして、已も来も無量なり無辺なり。

百界千如一念三千と説かれたり。

 百千の二字は百は百界、千は千如なり、此れ即ち事の一念三千なり。


 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、寿量品の本主(仏)なり。

 惣じては迹化の菩薩、此の品に手をつけ、いろうべきに非ざる者なり。
彼(釈尊)は迹表本裏、此れ(日蓮)は本面迹裏、然りと雖も而も、当品は末法の要法に非ざるか。

 

其の故は、此の品は(釈迦)在世の脱益(注)なり。題目の五字計り当今(末法)の下種(注)なり。

 然れば在世は脱益、滅後は下種なり。仍て下種を以て末法の詮と為す云云。



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[釈迦が法華経を説いた霊鷲山の山頂]

(注)
我実成仏已来 無量無辺

如来寿量品の下記の偈にある文で、この如来寿量品で、釈尊は遥か久遠に菩薩の道を行じて仏となり、無数の仏国土で衆生を導いてきたと解き明かした。この説法はそれまでの四十余年の説法では全く説き明かすこと無く、霊鷲山での法華経の説法の座で始めて説かれた。これが法華経が釈尊が説いた一切経の頂点に立つ所以である。

[原文]

皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場。

得阿耨多羅三藐三菩提 然善男子 我実成已来

無量無辺 百千万億 那由佗劫

[和訳]

皆は、今、釈迦牟尼仏は釈迦族の王宮を出て伽耶城(注)を然ること遠からず、道場(菩提樹の下)に座して、阿耨多羅三藐三菩提(悟りの境地)を得たと謂(おも)えり。

然るに善男子よ、我、実に成仏して已来、無量無辺百千万億 那由佗劫 (遥か久遠の時)を経ているのだ。



伽耶城

釈迦が主に布教活動していた当時の強国・マガダ国の都城の一つ。


脱益・下種

仏となる過程を、田に種を蒔き育て実を刈り取ることに喩えた。

脱益とは解脱益のことで、釈迦在世の衆生は、過去世に成仏得道の種を心田に蒔かれており、釈尊の教えで修行することで成仏得道できたとする。

 
 日蓮大聖人は末法の衆生は過去世に成仏得道の種が蒔かれておらず、折伏することで心田に種を蒔くことでき、妙法蓮華経と唱えることでその種が育ち、やがて得道できると解き明かした。




【御義口伝 下】要点解説(4)に続く



by johsei1129 | 2018-09-14 21:20 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 13日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(2)

【寿量品二十七箇の大事】

第二 如来秘密神通之力の事


御義口伝に云く、無作三身(注)の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り。


神通之力とは、我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり。

獄卒の罪人を苛責する音も、皆神通之力なり。

生住異滅の森羅三千の当体、悉く神通之力の体なり。


今、日蓮等の類いの意は、即身成仏と開覚するを、如来秘密神通之力とは云うなり。

成仏するより外の神通と秘密とは、之れ無きなり。

此の無作の三身をば一字を以て得たり、所謂信の一字なり。

仍つて経に云く「我等当信受仏語(注)」と、信受の二字に意を留む可きなり。


(注)

無作三身

この文は仏の生命(仏性)を解き明かしている。

無作::つくろわず、はたらかさず、ありのままということ。

三身:法華経では仏も衆生も生命は法身(ほっしん)、報身(ほっしん)、応身(おうじん)の法・報・応の三身に分別できると解き明かしている。

法身は無始無終の生命の本質。

報身は生命の境涯。例せば、仏、人間、畜生といった生命の境涯を示す。

応身は現在この世に生を受けて誕生した命で現実の色心を意味する。


例えば仏としての報身は過去世に菩薩の修行をして仏の境涯を得ると、その後永遠に仏の境涯を保ち続ける。つまり報身は仏となった始まりが有り、終わりはないことになる。

応身は、例えば釈尊はインド釈迦族の王子として誕生し、王宮を出て出家し菩提樹の下て成道し仏となる姿を示し、衆生に法を説いて滅度する。その意味で応身は始めも有り、終りもある。
末法の御本仏日蓮大聖人の応身は鎌倉時代に安房の国・小湊で漁師の家に生まれ、地元の清澄寺で16歳に出家得度、その後比叡山延暦寺等々で修行し32歳で立宗宣言を為し、61歳で強信徒池上宗仲の屋敷にて滅度為された。
 

このことについて如来寿量品では次のように解き明かしてい。

[原文]

我成仏已来。復過於此。百千万億那由佗。阿僧祇劫。
自従是来。我常在此娑婆世界。説法教化。亦於余処。
百千万億。那由佗。阿僧祇国。導利衆生

[和訳]

我(釈尊)、仏に成って已来、復た此に過ぎること、百千万億 那由佗 阿僧祇(無数)なり。

是より以来、我(釈尊)は常に此の娑婆世界(地球)に在りて、(衆生を)法説き、(衆生を)教化してきた。亦た、余処の、百千万億 那由佗 阿僧祇(無数の)仏国土に置いても衆生を導き利してきた。


我等当信受仏語

如来寿量品の下記の偈で説かれている。

[原文]

是時菩薩大衆。弥勒為首。合掌白仏言。

世尊。唯願説之。我等当信受仏語。

[和訳]

是の時菩薩、大衆は、弥勒(菩薩)を上首と為し、合掌して仏にこう言えり。、

世尊(釈尊)よ、唯、之(の経)を説くことを願わん。我等は当に、仏の語を信じ受けとらん。



【御義口伝 下】要点解説(3)に続く






by johsei1129 | 2018-09-13 22:51 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 03日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(1)

【寿量品二十七箇の大事】

第一 南無妙法蓮華経 如来寿量品第十六の事 (注) 


文句の九に云く、如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり。

寿量とは詮量なり、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。

御義口伝に云く、此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり、神力品の付属(注)是なり。

如来とは釈尊、惣じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無作の三身なり。


今、日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり。されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり。

無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり。寿量品の事の三大事とは是なり。



(注)

如来寿量品第十六

日蓮大聖人は【観心本尊抄】で、法華経二十八品の中で、如来寿量品第十六は極説中の極説で、従地涌出品第十五の後半半品と、分別功徳品第十七の前半半品を加えた「一品二半」以外は小乗経であると次の様に断じておられる。
『又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり。
 又本門に於て序正流通有り。過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品、涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経経は、皆寿量の序分なり、一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く』と。


この如来寿量品の長行で釈尊は、遥か久遠に「我本行菩薩道(我もとより菩薩道を行じ)」仏となって以来、無数の仏国土で衆生を仏へと化導してきたと解き明かしている。

日蓮大聖人は『我本行菩薩道』の文の底に釈尊が菩薩道を行じた所の法、つまり南無妙法蓮華経が密沈されている断じられておられる。
このため日蓮正宗の朝夕の勤行では「御本尊供養」の二座において、如来寿量品第十六の長行を読誦することが習わしとなっている。

[原文]

諸善男子 我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽
復倍上数 
如来以是方便 教化衆生
[和訳]
諸善の男子よ、我は本より菩薩道を行じ成ぜし所の寿命は、今、猶を未だ尽きずして
復た上の数に倍せるなり。然るに今、実の滅度には非ざれど、而して便ち唱え言う「当に滅度を取る」と。
如来は是の方便を以って、衆生を教化せり。


神力品の付属

如来神力品第二十一で釈尊は、滅後の法華経の弘通を地涌の菩薩の上首である上行菩薩に付属する。

 日蓮大聖人は【神力品八箇の大事】第一 妙法蓮華経如来神力の事で、「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり、既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり」と示し、末法に妙法蓮華経を弘通する日蓮は、外用の姿は「上行菩薩」の再誕だが、本地は末法の本仏であると解き明かされた。



【御義口伝 下】要点解説(2)に続く




by johsei1129 | 2018-09-03 22:19 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)