日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 06月 24日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(88)

【提婆達多品八箇の大事】

第二 若不違我 当為宣説の事(注)


御義口伝に云く、妙法蓮華経を宣説する事を、汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり。 
若の字は汝なり。天台の云く「法を受けて奉行す」と。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり。

阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云。




(注)

若不違我 当為宣説
この文に該当する提婆達多品の偈

[原文]

時有仙人 来白王言 我有大乗 名妙法蓮華経 

若不違我 当為宣説

[和訳]

過去世に大王だった釈尊が優れた法を求めているを聞きつけた阿私仙人が、
『我大乗を有せり、妙法蓮華経と名づく。若し我に違わずば、当に為に宣説すべし』として大王に「妙法華経」を説いたことを示しております。


日蓮大聖人は「若し我に違わずば」を、「日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり」と、門下の弟子信徒を諭されておられます。

「日蓮に違わずして」の意は、日蓮は末法の本仏で、諸法の実相を究めているから、法門を説くに、間違えないと断じている事を意味しておられる。

さらに【四菩薩造立抄】では次のように説かれておられます。

「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は、日蓮が如くにし候へ」




【御義口伝 上】要点解説(89)に続く






by johsei1129 | 2018-06-24 20:10 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 23日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(87)

【提婆達多品八箇の大事】

 
第一 提婆達多(注)の事  文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。


  御義口伝に云く、提婆とは本地は文殊なり、本地清凉と云うなり。

迹には提婆と云うなり、天熱を示す是なり、清凉は水なり此れは生死即涅槃なり。天熱は火なり、是は煩悩即菩提なり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに、煩悩即菩提生死即涅槃なり。


提婆は妙法蓮華経の別名なり、過去の時に阿私仙人なり。阿私仙人とは妙法の異名なり、阿とは無の義なり、私無きの法とは妙法なり。

文句の八に云く、無私法を以て衆生に灑ぐと云えり。

阿私仙人とは法界三千の別名なり、故に私無きなり。一念三千之を思う可し云云。



(注)

提婆達多

釈迦族の一員で釈迦とは従兄弟同士となる。釈迦の従者で多聞第一と謳われた阿難(アーナンダ)は提婆達多の弟になる。

釈迦教団の中にあって、後に釈迦への批判を強め、教団の分裂を画策するとともに、マガダ国の国主・阿闍世王をそそのかし、度々釈迦を殺害しようと試みた。最後に毒薬を自分の親指に仕込んで毒殺しようとしたが、その毒が自分の体に回り、大地が割れて地獄に落ちたと伝えられている。

釈迦は妙法蓮華経・提婆達多品で、提婆達多は過去世で、釈迦が国王であった時に法華経という優れた経があることを教えてくれた阿私仙人であったと説いた。阿私仙人のように正しい教えに導く人を「善知識」という。


日蓮大聖人は【三三蔵祈雨事】で善知識について次のように説かれておられます。

『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん。ただあつ(熱)き、つめ(冷)たきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせち(大切)なり。 

 而るに善知識に値う事が第一のかた(難)き事なり。されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいと(糸)を下て、大地のはりのめ(針の目)に入るにたと(譬)へ給へり。

 而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし』と。

【御義口伝 上】要点解説(88)に続く





by johsei1129 | 2018-06-23 17:29 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 22日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(86)

【宝塔品二十箇の大事】


第二十 能須臾説の事 (注)


御義口伝に云く、能の一字、之を思う可し。

説とは南無妙法蓮華経なり。

今、日蓮等の類いは、能須臾説の行者なり云云。




(注)

須臾  
須臾(しゅゆ)は、10の-15乗(1000兆分の1)であることを示す漢字文化圏の数の単位。
転じて、わずかの時間の意で、妙法蓮華経を一瞬でも他の人に説けば、偉大な功徳があることを示している。









by johsei1129 | 2018-06-22 22:17 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 20日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(85)

【宝塔品二十箇の大事】


第十九 是諸天人 世間之眼の事(注)

御義口伝に云く、世間とは日本国なり、眼とは仏知見なり。
法華経は諸天世間の眼目なり、眼とは南無妙法蓮華経なり。是諸天人世間之眼、又云く是諸仏眼目云云。

此の眼をくじる者は禅・念仏・真言宗等なり、眼等とは目を閉づるなり。
今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、諸天世間の眼に非ずや云云。


(注)
是諸天人 世間之眼の事
この文が説かれている宝塔品の最終の偈
[原文]
仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼

於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養
[和訳]
仏、滅度の後の世に、 能く其の義を解せば、是れ諸の天・人の世間の眼なり。

恐畏の世(末法)に於いて、能く須臾(少し)も説かば、一切の天・人は、皆、供養に応ぜん。
 
【御義口伝 上】要点解説(86)に続く





by johsei1129 | 2018-06-20 16:17 | 御義口伝 | Comments(3)
2018年 06月 19日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(82)

【宝塔品二十箇の大事】

第十六 是名持戒の事

 御義口伝に云く、此の経文にて三学(注)倶伝するなり。虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧、三学倶に伝うるを名けて妙法と曰うと。
戒とは色法なり、定とは心法なり、慧とは色心二法の振舞なり、倶の字は南無妙法蓮華経の一念三千なり、伝とは末法万年を指すなり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉り、権教は無得道、法華経は真実と修行する、是は戒なり、防非止悪(注)の義なり。
持つ所の行者、決定無有疑の仏体と定む、是は定なり。三世の諸仏の智慧を一返の題目に受持する、是は慧なり。

此の三学は、皮肉骨・三身・三諦・三軌・三智等なり。

(注)
三学
三学(さんがく)とは『涅槃経』獅子吼菩薩品で説かれる、仏道を志す者が修学すべき基本的な修行項目「戒学・定学・慧学」の3つを指す。


防非止悪
非(わざわい)を防ぎ、悪を止める、の意
仏の慈悲を展開すると、は慈愛、は「防非止悪」と開かれる。


【御義口伝 上】要点解説(83)に続く





by johsei1129 | 2018-06-19 20:10 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 17日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(84)

【宝塔品二十箇の大事】

第十八 是真仏子の事 (注)



 御義口伝に云く、法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり。然る間、王位を継ぐ可きなり。


 悉(ことごとく)是吾子の子と、是真仏子の子と、能く能く心得(こころえ)合す可きなり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、釈迦法王(注)の御子なり。



(注)

是真仏子

宝塔品の最後にある、下記12の偈にある言葉。

[原文]

能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地

仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼

於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養

[和訳]

能く来世に於いて、此の経(妙法蓮華経)を読み持せば、是れ真の仏子なり。淳善(清らかで前に満ちた)の地に住せり。

仏の滅度の後に、能く其の義を解せば、是れ諸の天・人、世間の眼となる。

恐畏の世に、能く須臾(注)も(此の経を)説かば、一切の天・人は、皆まさに(此の人を)供養すべし。


釈迦法王

末法においては、釈迦法王とは、「末法の本仏」日蓮大聖人と拝します。


須臾
ほんの少しの間


【御義口伝 上】要点解説(85)に続く





by johsei1129 | 2018-06-17 22:15 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 16日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(83)

【宝塔品二十箇の大事】


第十七 読持此経の事


御義口伝に云く、五種の修行(注)の読誦と受持との二行なり。


 今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり、此の経を持つは持なり。

  此経とは題目(妙法蓮華経)の五字なり云云。


(注)

五種の修行

妙法蓮華経で説かれている、仏となるための「受持・読・誦・解説・書写」の5つの修行方法


受持は、妙法蓮華経を信じ一念に持つこと。

読は、妙法蓮華経の経文を見て読むこと。

誦は、妙法蓮華経の経文を声を出して唱えること。

解説は、妙法蓮華経の経文を他の人に説くこと。

書写は、妙法蓮華経の経文を書き写すこと。


日蓮大聖人は末法の修行で「読誦と受持」とは、妙法蓮華経二十八品の「読誦と受持」ではなく、妙法蓮華経の題目の「読誦と受持」であると断じられました。

さらに末法における解説は折伏で、「妙法蓮華経」という仏になる「種」を末法の衆生に「下種」することであると解き明かされておられます。


 尚、日蓮大聖人は【法蓮抄】で、書写は五種の修行の中で、最も価値が低いと次のように門下に諭されておられます。

『五種法師の中には書写は最下の功徳なり。何に況や読誦なんど申すは、無量無辺の功徳なり。今の施主(信徒の:曾谷入道法蓮)、十三年の間、毎朝読誦せらるる自我偈(如来寿量品)の功徳は、唯仏与仏・乃能究尽なるべし』と。



【御義口伝 上】要点解説(84)に続く



by johsei1129 | 2018-06-16 23:47 | 御義口伝 | Comments(2)
2018年 06月 15日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(81)

【宝塔品二十箇の大事】

第十五 我則歓喜 諸仏亦然の事

[此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然]

和訳「此の経は持ち難し、若し暫くも持つ者は、我(釈尊)則ち歓喜す、諸仏も亦然なり」



御義口伝に云く、我とは心王なり、諸仏とは心数なり。

 法華経を持ち奉る時は、心王心数(注)同時に歓喜するなり。

 又云く我とは凡夫なり、諸仏とは三世諸仏なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えて歓喜する是なり云云。
 

(注)

心王・心数

心王は心、生命そのもの本質。心数は心王の働き、つまり喜んだり悩んだり、悲しんだりする心の作用を意味する。

日蓮大聖人は本抄で自ら図現したご本尊に南無妙法蓮華経と唱えることで「心王心数が同時に歓喜する」と解き明かされた。




【御義口伝 上】要点解説(82)に続く





by johsei1129 | 2018-06-15 18:01 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(80)

【宝塔品二十箇の大事】


第十四 此経難持の事


御義口伝に云く、此の法華経を持つ者は、(注)に遇わんと心得て持つなり。

 されば即為疾得無上仏道(注)の成仏は、今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。



(注)

日蓮大聖人が生涯に蒙った主な難は、時系列で記すと、鎌倉・松葉ヶ谷に、布教の拠点として設けた草菴を念仏衆に襲撃された「松葉ヶ谷の法難」。
「伊豆への流罪」。弟子・信徒の二名が犠牲となった「小松原の法難」。鎌倉幕府の処刑場「龍の口」で断首されそうになった「龍の口の法難」。
二年に及ぶ「佐渡への流罪」となります。


日蓮大聖人は御義口伝【安楽行品五箇の大事】で、次のように弟子信徒を諭されておられます。

「御義口伝に云はく、妙法蓮華経を安楽に行ぜん事、末法に於て今、日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに、難来たるを以て安楽と心得べきなり」と。  



即為疾得無上仏道  
上記に該当する宝塔品の終段の偈は次の様になります。

[原文]

此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然

如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進

是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏道

[和訳]

此の経(妙法華経)は持ち難し。若し暫くも持つ者あらば 我(釈尊)即ち歓喜し、諸仏も亦、然るなり。

是の如くの人は、諸仏の歎ずる所で、是れ則ち勇猛で、是れ則ち精進なり。

是、持戒の者、頭陀を行する者と名づく、 則ち、疾に無上の仏道を得たる為り。 




【御義口伝 上】要点解説(81)に続く










by johsei1129 | 2018-06-14 22:14 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 06月 13日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(79)

【宝塔品二十箇の大事】

第十三 若有能持 則持仏身の事

御義口伝に云く、法華経を持ち奉るとは、我が身、仏身と持つなり。


則の一字は生仏不二なり、上の能持の持は、凡夫なり、持つ体は妙法の五字(妙法蓮華経)なり。 

 仏身を持つと云うは、一一文文、皆金色仏体の故なり。

 さて仏身を持つとは、我が身の外に仏無しと、持つを云うなり。

 理即の凡夫と究竟即の仏(注)と、二無きなり。即の字は、即故初後不二の故なり云云。


(注)
理即の凡夫と究竟即の仏


天台は衆生が法華経に帰依し、修行して仏になる段階を(理即・名字即・観行即・相似・分真即・究竟即)の六即として分別した。
理即は、すべての衆生は、理の段階として仏性を有する。

名字即は、始めて法華経を信仰し、仏道の修行に入った段階。

観行即は、己心に仏性を観すべく修行する段階。

相似即は、世俗の欲望を断じ、悟りの境地に相似した段階。

分真即は、衆生救済する菩薩の段階。

究竟即は、悟りきった仏の境涯。


上記の天台の六即について日蓮大聖人は御義口伝【寿量品二十七箇の大事】で、末法の本仏の立場で次の様に解き明かされておられます。
『御義口伝に云く、此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり、神力品の付属是なり。如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無作の三身なり。
 今、日蓮等の類いの意は、惣じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり。されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり、無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり。

六即の配立の時は、此の品の如来は理即の凡夫なり、頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時、名字即なり。其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり。聞き奉りて修行するは観行即なり、此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり。さて惑障を伏するを相似即と云うなり、化他に出づるを分真即と云うなり。無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり。
 惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず、唯、凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得可きなり。
 無作の三身の所作は何物ぞと云う時、南無妙法蓮華経なり云云」と。




【御義口伝 上】要点解説(80)に続く








by johsei1129 | 2018-06-13 22:27 | 御義口伝 | Comments(2)