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2014年 04月 11日
[法華初心成仏抄 本文] その三 浄土宗の人人・末法万年には余経悉く滅し弥陀一教のみと云ひ又当今末法は是れ五濁の悪世唯浄土の一門のみ有て通入す可き路なりと云つて虚言(そらごと)して大集経に云くと引(ひけ)ども彼の経に都て此文なし、其の上あるべき様もなし仏の在世の御言に当今末法五濁の悪世には但浄土の一門のみ入るべき道なりとは説き給うべからざる道理顕然なり本経には「当来の世・経道滅尽し特(ひと)り此の経を留めて止住する事百歳ならん」と説けり、末法一万年の百歳とは全く見えず、然るに平等覚経・大阿弥陀経を見るに仏滅後一千年の後の百歳とこそ意えられたれ、然るに善導が惑(まど)へる釈をば尤も道理と人・皆思へり是は諸僻案(これびゃくあん)の者なり、但し心あらん人は世間のことはりをもつて推察せよ、大旱魃のあらん時は大海が先にひ(涸)るべきか小河が先にひるべきか仏是を説き給うには法華経は大海なり観経・阿弥陀経等は小河なり、されば念仏等の小河の白法こそ先にひるべしと経文にも説き給いて候ひぬれ、大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳・白法隠没と云(いえる)と雙観経に経道滅尽と云(いえる)とは但一つ心なり、されば末法には始めより雙観経等の経道滅尽すと聞えたり経道滅尽と云(いえる)は経の利生の滅すと云う事なり、色(しき)の経巻有るにはよるべからず、されば当時は経道滅尽の時に至つて二百歳に余れり、此の時は但法華経のみ利生得益あるべし。 されば此経を受持して南無妙法蓮華経と唱え奉るべしと見えたり。薬王品には「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむることなけん」と説き給ひ、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾ん」と釈し、妙楽大師は「且らく大経の流行す可き時に拠る」と釈して後の五百歳の間に法華経弘まりて其の後は閻浮提の内に絶え失(う)せる事有るべからずと見えたり。 安楽行品に云く「後の末世の法滅せんと欲せん時に於て斯の経典を受持し読誦せん者」文 神力品に云く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げたまわく、属累の為の故に此の経の功徳を説くとも猶尽すこと能わじ。 要を以て之を云わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此経に於て宣示顕説す」と云云、此等の文の心は釈尊入滅の後・第五の五百歳と説くも来世と云うも濁悪世と説くも正像二千年過ぎて末法の始二百余歳の今時は唯法華経計り弘まるべしと云う文なり、其の故は人既にひが(僻)み法も実にしるしなく仏神の威験もましまさず今生後生の祈りも叶はず、かからん時は・たよりを得て天魔・波旬乱れ入り国土常に飢渇して天下も疫癘し他国侵逼難(たこくしんぴつなん)・自界叛逆難とて我が国に軍(いくさ)合戦常にありて、後には他国より兵(つわもの)どもをそひ来りて此の国を責むべしと見えたり、此くの如き闘諍堅固の時は余経の白法(びゃくほう)は験し失(う)せて法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべしと見えたり。 法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり、但し阿闍世王・阿育大王は始めは悪王なりしかども耆婆大臣の語を用ひ夜叉尊者を信じ給いて、後にこそ賢王の名をば留め給いしか。 南三・北七を捨てて智ぎ法師を用ひ給いし陳主・六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用ひ給いし桓武天皇は、今に賢王の名を留め給へり、智ぎ法師と云うは後には天台大師と号し奉る、最澄法師は後には伝教大師と云う是なり、今の国主も又是くの如し、現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば、万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし。知らず、又無辺行菩薩の化身にてやましますらん。 又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賤くとも上行菩薩の化身か、又釈迦如来の御使かと思うべし。又薬王菩薩・薬上菩薩・観音勢至の菩薩は、正像二千年の御使なり。此等の菩薩達の御番は早過たれば上古の様に利生有るまじきなり。されば当世の祈を御覧ぜよ一切叶はざる者なり。 末法今の世の番衆は上行・無辺行等にてをはしますなり。此等を能能明らめ信じてこそ法の験も仏菩薩の利生も有るべしとは見えたれ。譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくち(火口)と此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり。 よき師とは指したる世間の失無くして聊(いささか)のへつらうことなく少欲知足にして慈悲有らん僧の経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧をば仏は一切の僧の中に吉第一の法師なりと讃められたり、吉檀那とは貴人にもよらず賤人をもにくまず上にもよらず下をもいやしまず一切・人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと仏は説給へり。吉法とは此の法華経を最為第一の法と説かれたり、已説の経の中にも今説の経の中にも当説の経の中にも此の経第一と見えて候へば吉法なり。 禅宗・真言宗等の経法は第二・第三なり殊に取り分けて申せば真言の法は第七重の劣なり、然るに日本国には第二・第三乃至第七重の劣の法をもつて御祈祷あれども未だ其の証拠をみず、最上第一の妙法をもつて御祈祷あるべきか、是を正直捨方便・但説無上道・唯此一事実と云へり誰か疑をなすべきや。 問うて云く無智の人来りて生死を離るべき道を問わん時は何れの経の意をか説くべき仏如何が教へ給へるや。 答えて云く法華経を説くべきなり、所以に法師品に云く「若(も)し人有つて何等の衆生か未来世に於て当に作仏することを得べきと問わば応に示すべし、是の諸人等未来世に於て必ず作仏することを得ん」と云云、安楽行品に云く「難問する所有らば小乗の法を以て答えず但大乗を以て而も為に解説(げせつ)せよ」云云、此等の文の心は何なる衆生か仏になるべきと問わば法華経を受持し奉らん人必ず仏になるべしと答うべきなり是れ仏の御本意なり。 之に付て不審あり衆生の根性区(まちまち)にして念仏を聞かんと願ふ人もあり法華経を聞かんと願ふ人もあり、念仏を聞かんと願ふ人に法華経を説いて聞かせんは何の得益かあるべき、又念仏を聞かんが為に請じたらん時にも強て法華経を説くべきか、仏の説法も機に随いて得益有るをこそ本意とし給うらんと不審する人あらば云うべし、元より末法の世には無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず但強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり、其の故は釈迦仏・昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給いしには男女・尼法師がおしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ或は打れ追はれ一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給いしかども少しもこりもなくして強いて法華経を説き給いし故に今の釈迦仏となり給いしなり、不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず打ち奉りしかいなもすくまず、付法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ。 又法道三蔵も火印を面にあてられて江南に流され給いしぞかし、まして末法にかひなき僧の法華経を弘めんにはかかる難あるべしと経文に正く見えたり、されば人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり、又或人不審して云く、機に叶はざる法華経を強いて説いて謗ぜさせて・悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて・発心せしむべし、利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは法華経の行者にもあらず邪見の人にてこそ有るらめと不審せば、云うべし経文には何体にもあれ末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心うべく候や。 釈迦仏・不軽菩薩・天台・妙楽・伝教等はさて邪見の人・外道にて・おはしまし候べきか、又悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗と云う者をば仏のの給はく設ひ犬野干の心をば発すとも二乗の心をもつべからず五逆十悪を作りて地獄には堕つとも二乗の心をばもつべからずなんどと禁められしぞかし、悪道におちざる程の利益は争でか有るべきなれども其れをば仏の御本意とも思し食さず地獄には堕つるとも仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり。 されば天台妙楽も此の心を以て強いて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬えば、人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し、地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるなり。 当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり。 何にとしても仏の種は法華経より外になきなり、権教をもつて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり。
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by johsei1129
| 2014-04-11 20:00
| 重要法門(十大部除く)
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2014年 03月 05日
【如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつご・ごのごひゃくさいにはじむ・かんじんのほんぞんしょう】 ■出筆時期:文永十年(西暦1273年)四月二十五日出筆完了。
■出筆場所:佐渡ヶ島 塚原三昧堂 ■出筆の経緯:日蓮大聖人52歳の時、末法の衆生救済のため、信仰の対象としての法本尊をあきらかにした。流罪となった佐渡にて文永九年、ご自身が末法の本仏であることを『開目抄』であらわし、引き続き末法の衆生救済のため、信仰の対象としての『本尊』の姿、及びその確たる根拠を、経文(法華経並びに天台大師著作の摩訶止観等)に基づいて明らかにした書。さらに『観心本尊抄』出筆後の文永十年七月八日、大聖人自ら始めて筆で『御本尊』をしたためている。 【日蓮大聖人御図現された御本尊の一覧】 http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html ![]() <観心本尊抄 ご真筆 法華経寺(千葉県市川市)所蔵 国宝> [観心本尊抄 本文] その一 摩訶止観第五に云く 世間と如是と一なり。開合の異なり。「夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り。若し心無(なく)んば而已(やみなん)、介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す・乃至所以(ゆえ)に称して不可思議境と為す。意(こころ)此に在り」等云云。或本に云く、一界に三種の世間を具す。 問うて云く、玄義に一念三千の名目を明かすや。 答えて曰く、妙楽云く明かさず。 問うて曰く、文句に一念三千の名目を明かすや。 答えて曰く、妙楽云く明かさず。 問うて曰く、其の妙楽の釈・如何。 答えて曰く、並びに未だ一念三千と云わず等云云。 問うて曰く、止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや。 答えて曰く、之れ無し。 問うて曰く、其の証如何。 答えて曰く、妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云。 疑つて曰く、玄義(げんぎ)第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是(にょぜ)」等云云。 文句第一に云く「一入に十法界を具すれば一界又十界なり。十界各(おのおの)十如是あれば即ち是れ一千」等云云。 観音玄に云く「十法界交互なれば即ち百法界有り。千種の性相・冥伏(みょうぶく)して心に在り。現前せずと雖も宛然(おんねん)として具足す」等云云。 問うて曰く、止観の前の四に一念三千の名目を明かすや。 答えて曰く、妙楽云く明さず。 問うて云く、其の釈・如何。 答う、弘決第五に云く「若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず、亦二十五法に歴(へ)て事に約して解を生ず。方(まさ)に能く正修(しょうしゅう)の方便と為すに堪えたり。是の故に前の六をば皆解(げ)に属す」等云云。 又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す。乃(すなわ)ち是れ終窮究竟(しゅうぐ・くきょう)の極説なり。故に序の中に、説己心中・所行法門と云う。良(まこと)に以所(ゆえ)有るなり。請う・尋ね読まん者、心に異縁無れ」等云云。 夫れ智者の弘法三十年、二十九年の間は玄文等の諸義を説いて五時・八教・百界千如を明かし、前(さき)五百余年の間の諸非を責め、並びに天竺の論師・未だ述べざるを顕す。 章安大師云く「天竺の大論・尚其の類に非ず、震旦の人師何ぞ労(わずら)わしく語るに及ばん。此れ誇耀(こよう)に非ず・法相(ほっそう)の然らしむるのみ」等云云。 墓ないかな天台の末学等、華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門家と成りぬ。章安大師兼ねて此の事を知つて歎いて言く「斯の言(ことば)若し墜ちなば・将来悲む可し」云云。 問うて曰く、百界千如と一念三千と差別如何。 答えて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情・非情に亘る。 不審して云く、非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何。 答えて曰く、此の事難信難解なり。天台の難信難解に二有り。一には教門の難信難解。二には観門の難信難解なり。 其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗闡提・未来に永く成仏せず、教主釈尊は始めて正覚を成ず。法華経・迹本二門に来至し給い・彼の二説を壊(やぶ)る。一仏二言・水火なり、誰人か之を信ぜん。此れは教門の難信難解なり。 観門の難信難解は百界千如一念三千、非情の上の色心の二法・十如是是なり。爾りと雖も木画の二像に於ては外典・内典共に之を許して本尊と為す。其の義に於ては天台一家より出でたり。草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉ること無益なり。 疑つて云く、草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや。 答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す。所以(ゆえ)に悪国土・相・性・体・力等」と云云。 釈籤(しゃくせん)第六に云く「相は唯色に在り、性は唯心に在り。体・力・作・縁は義・色心を兼ね、因果は唯心、報は唯色に在り」等云云。 金錍論(こんぺいろん)に云く「乃ち是れ一草・一木・一礫(りゃく)・一塵(じん)、各(おのおの)一仏性・各一因果あり。縁了を具足す」等云云。 問うて曰く、出処既に之を聞く、観心の心・如何。 答えて曰く、観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是を観心と云うなり。譬えば他人の六根を見ると雖も、未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず。明鏡に向うの時、始めて自具の六根を見るが如し。設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば、自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。 問うて云く、法華経は何れの文ぞ、天台の釈は如何。 答えて曰く、法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。是は九界所具の仏界なり。 寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来(このかた)・甚(はなはだ)大に久遠なり。寿命・無量阿僧祇劫・常住にして滅せず。諸の善男子、我本(もと)菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」等云云。此の経文は仏界所具の九界なり。 経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云。地獄界所具の仏界なり。 経に云く「一を藍婆と名け乃至汝等、但能く法華の名(みな)を持つ者を護るは福量るべからず」等云云。是れ餓鬼界所具の十界なり。 経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云。此れ畜生界所具の十界なり。 経に云く「婆稚(ばち)阿修羅王乃至一偈一句を聞いて・阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・さんみゃくさんぼだい)を得べし」等云云。修羅界所具の十界なり。 経に云く「若し人・仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず」等云云。此れ人界所具の十界なり。 経に云く「大梵天王乃至我等も亦是くの如く、必ず当に作仏することを得べし」等云云。此れ天界所具の十界なり。 経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云云。此れ声聞界所具の十界なり。 経に云く「其の縁覚を求むる者・比丘・比丘尼乃至合掌し敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云。此れ即ち縁覚界所具の十界なり。 経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云。此れ即ち菩薩所具の十界なり。 経に云く「或説己身・或説他身」等云云。即ち仏界所具の十界なり。 問うて曰く、自他面の六根共に之を見る。彼此(ひし)の十界に於ては未だ之を見ず。如何が之を信ぜん。 天台大師云く「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」 章安大師云く「仏此れを将(もっ)て大事と為す。何ぞ解(げ)し易きことを得可けんや」等云云。 伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり。随自意の故に」等云云。 夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界・文殊・弥勒等之を扶けて諫暁せしむるに・猶信ぜざる者之れ有り。五千席を去り人天移さる。況んや正像をや、何に況んや末法の初めをや。汝・之を信ぜば正法に非じ。 問うて曰く、経文並に天台章安等の解釈(げしゃく)は疑網無し。但し火を以て水と云い、墨を以て白しと云う。設い仏説為りと雖も信を取り難し。今数(しばし)ば他面を見るに、但人界に限つて余界を見ず。自面も亦復是くの如し、如何が信心を立てんや。 答う、数(しばし)ば他面を見るに、或時は喜び・或時は瞋(いか)り・或時は平(たいら)に・或時は貪(むさぼ)り現じ・或時は癡(おろか)現じ・或時は諂曲(てんごく)なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平かなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之れ有り。四聖は冥伏(みょうぶく)して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。 #
by johsei1129
| 2014-03-05 22:08
| 観心本尊抄(御書五大部)
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2014年 01月 10日
[立正安国論本文]②より続く・・・・・ 涅槃経に云く「我れ涅槃の後、無量百歳・四道の聖人悉く復た涅槃せん。正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像(じぞう)して少しく経を読誦し、飲食を貪嗜(とんし)して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐(しずか)に行くが如く、猫の鼠を伺うが如し。常に是の言(ことば)を唱えん、我羅漢を得たりと。外には賢善を現し内には貪嫉(とんしつ)を懐く。唖法(あほう)を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門(しゃもん)に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛(しじょう)にして正法を誹謗せん」已上。 文に就いて世を見るに誠に以て然(しか)なり。悪侶を誡めずんば豈(あに)善事を成さんや。 客・猶憤(なお・いきどお)りて曰く、明王は天地に因つて化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり、悪侶に於ては明王信ず可からず。聖人に非ずんば賢哲仰ぐ可からず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知んぬ。何ぞ妄言を吐いて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂うや。委細に聞かんと欲す。 主人の曰く、後鳥羽院の御宇(ぎょ・う)に法然と云うもの有り、選択集(せんちゃくしゅう)を作る。則ち一代の聖教を破し徧(あまね)く十方の衆生を迷わす。 其の選択に云く「道綽禅師・聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文、初に聖道門とは之に就いて二有り。乃至之に準じ之を思うに、応(まさ)に密大及以び実大をも存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論(じょうろん)・此等の八家の意・正しく此に在るなり。 曇鸞(どんらん)法師・往生論の注に云く、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙(びばしゃ)を案ずるに云く、菩薩・阿毘跋致(あびばっち)を求むるに二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。此の中・難行道とは即ち是れ聖道門なり、易行道とは即ち是れ浄土門なり。浄土宗の学者先ず須(すべか)らく此の旨を知るべし。設(たと)い先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は、須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし」 又云く「善導和尚・正雑の二行を立て、雑行(ぞうぎょう)を捨てて正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外、大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く。第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外、一切の諸仏・菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名く。私に云く、此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし。豈(あに)百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」 又云く「貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の一句に摂すべし」「当に知るべし、随他の前には暫(しばら)く定散(じょうさん)の門を開くと雖も、随自の後には還て定散の門を閉ず。一たび開いて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり」と。 又云く「念仏の行者必ず三心を具足す可きの文、観無量寿経に云く、同経の疏(しょ)に云く、問うて曰く、若し解行の不同・邪雑の人等有つて外邪異見の難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等・喚廻(よびかえ)すとは即ち別解・別行・悪見の人等に喩う。私に云く、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言うは是れ聖道門を指す」已上。 又最後結句の文に云く 「夫れ速(すみや)かに生死(しょうじ)を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣(さしお)きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に・且く諸の雑行を抛(なげう)ちて・選んで応に正行に帰すべし」已上。 之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈(みょうしゃく)を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て、法華真言惣じて一代の大乗・六百三十七部・二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て・或は閉じ・或は閣(さしお)き・或は抛(なげう)つ。此の四字を以て多く一切を迷わし、剰(あまつさ)え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し、併(あわ)せて罵詈(めり)せしむ。 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆・誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至其の人命終つて阿鼻獄(あびごく)に入らん」の誡文に迷う者なり。 是に於て代・末代に及び、人・聖人に非ず。各・冥衢(おのおの・みょうく)に容(い)つて並びに直道を忘る。悲いかな瞳矇(どうもう)をウタず、痛(いたまし)いかな徒(いたずら)に邪信を催す。故に上国王より下土民に至るまで皆経は浄土三部の外(ほか)の経無く、仏は弥陀三尊の外の仏無しと謂(おも)えり。仍つて伝教・義真・慈覚・智証等・或は万里の波涛(はとう)を渉(わた)つて渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓(いただき)に華界を建てて以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てて以て崇重す。釈迦薬師の光を並ぶるや・威を現当に施し、虚空(こくう)地蔵の化を成すや・益を生後に被(こうむ)らしむ。故に国王は郡郷を寄せて以て灯燭(とうしょく)を明らかにし、地頭は田園を充てて以て供養に備う。 而るを法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄(ぶつだ)を貴び、付属を抛(なげう)つて東方の如来を閣(さしお)き、唯四巻三部の教典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛(なげう)つ。是を以て弥陀の堂に非ざれば皆・供仏(くぶつ)の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る。故に仏閣零落して瓦松(がしょう)の煙老い、僧房荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各護惜(ごしゃく)の心を捨て並びに建立の思を廃す。是を以て住持の聖僧行(ゆ)いて帰らず、守護の善神去つて来たること無し。是れ偏に法然の選択に依るなり。 悲いかな数十年の間、百千万の人・魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷えり。傍(ぼう)を好んで正を忘る、善神怒(いかり)を為さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如(し)かず、彼の万祈を修せんよりは・此の一凶を禁ぜんには。 客・殊に色を作して曰く、我が本師・釈迦文、浄土の三部経を説きたまいて以来(このかた)、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽(どうしゃく)禅師は涅槃の広業を閣(さしお)きて偏(ひとえ)に西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛つて専修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす。弥陀を貴重すること誠に以て然なり、又往生の人其れ幾ばくぞや。 就中(なかんずく)法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め・具(つぶさ)に大意を得たり。其の外一切の経論・七遍反覆し、章疏伝記究め看ざることなく、智は日月に斉しく、徳は先師に越えたり。然りと雖も猶出離の趣に迷いて涅槃の旨を弁えず。故に徧(あまね)く覿(み)・悉く鑑(かんが)み、深く思い・遠く慮(おもんぱか)り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。其の上一夢の霊応を蒙り、四裔(えい)の親疎に弘む。故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賎頭を低(た)れ、一朝の男女歩(あゆみ)を運ぶ。 爾しより来(このか)た春秋推(おし)移り、星霜相積れり。而るに忝(かたじけな)くも釈尊の教を疎(おろか)にして恣(ほしいまま)に弥陀の文を譏る。何ぞ近年の災を以て聖代の時に課(おお)せ、強(あなが)ちに先師を毀(そし)り、更に聖人を罵るや。毛を吹いて疵(きず)を求め、皮を剪(き)つて血を出す。昔より今に至るまで此くの如き悪言・未だ見ず。惶(おそ)る可く慎む可し。罪業至つて重し、科条争(いかで)か遁(のが)れん。対座猶以て恐れ有り、杖に携(たずさ)われて則ち帰らんと欲す。 主人・咲(え)み止めて曰く、辛(から)きことを蓼(たで)の葉に習い、臭きことを溷厠(かわや)に忘る。善言を聞いて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑つて悪侶に擬す。其の迷(まよい)・誠に深く、其の罪浅からず。事の起りを聞け、委しく其の趣を談ぜん。 釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立てて権実を弁ず。而るに曇鸞・道綽・善導、既に権に就いて実を忘れ、先に依つて後を捨つ。末だ仏教の淵底(えんでい)を探らざる者なり。就中(なかんずく)法然は其の流れを酌むと雖も其の源を知らず。所以は何ん。大乗経の六百三十七部二千八百八十三巻・並びに一切の諸仏・菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の字を置いて一切衆生の心を薄(かろ)んず。是れ偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず。妄語の至り・悪口の科(とが)、言うても比(ならび)無し・責めても余り有り。人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土の三経を崇(あが)めて衆経を抛ち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。誠に是れ諸仏・諸経の怨敵、聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり。此の邪教広く八荒に弘まり、周く十方に遍す。 抑(そもそも)近年の災難を以て往代を難ずるの由、強ちに之を恐る。聊(いささ)か先例を引いて汝が迷ひを悟す可し。 止観第二に史記を引いて云く「周の末に被髪・袒身(ひほつ・たんしん)・礼度に依らざる者有り」弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「初め平王の東に遷(うつ)りしに、伊川(いせん)に髪を被(かぶろ)にする者の野に於て祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばじ。其の礼先ず亡びぬ」と。爰(ここ)に知んぬ、徴前(しるし・さき)に顕れ、災い後に致ることを。 又阮藉(げんせき)が逸才なりしに蓬頭(ほうとう)散帯す。後に公卿の子孫皆之に教(なら)いて奴苟相辱(どこう・あいはずか)しむる者を方(まさ)に自然に達すと云い、撙節兢持(そんせつ・こうじ)する者を呼んで田舎(でんしゃ)と為す。是を司馬氏の滅する相と為す已上。 又慈覚大師の入唐(にっとう)巡礼記を案ずるに云く「唐の武宗皇帝・会昌元年勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え令む。寺毎に三日巡輪すること絶えず。同二年・回鶻(かいこつ)国の軍兵等・唐の堺を侵す。同三年・河北の節度使・忽ち乱を起す。其の後・大蕃国更(だいばんこく・ま)た命を拒み・回鶻国重ねて地を奪う。凡そ兵乱・秦項の代に同じく、災火邑里の際に起る。何に況んや武宗大に仏法を破し、多く寺塔を滅す。乱を撥(おさむ)ること能(あた)わずして遂に以て事有り」已上取意。 此れを以て之を惟うに法然は後鳥羽院の御宇・建仁年中の者なり。彼の院の御事・既に眼前に在り。然れば則ち大唐に例を残し、吾が朝に証を顕す。汝疑うこと莫かれ・汝怪しむこと莫かれ。唯須(すべから)く凶を捨てて善に帰し、源を塞(ふさ)ぎ・根を截(たつ)べし。 客・聊(いささ)か和ぎて曰く、未だ淵底を究めざるに数(しばし)ば其の趣を知る。但し華洛より柳営に至るまで釈門に枢楗(すうけん)在り、仏家に棟梁在り。然るに未だ勘状を進(まい)らせず・上奏に及ばず。汝・賎身(いやしきみ)を以て輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐く。其の義余り有り、其の理謂れ無し。 主人の曰く、予・少量為りと雖も忝(かたじけな)くも大乗を学す。蒼蝿驥尾(そうよう・きび)に附して万里を渡り、碧蘿松頭(へきら・しょうとう)に懸りて千尋(せんじん)を延ぶ。弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う。何ぞ仏法の衰微(すいび)を見て心情の哀惜を起さざらんや。 其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊(や)ぶる者を見て置いて呵責(かしゃく)し・駈遣(くけん)し・挙処(こしょ)せずんば当に知るべし。是の人は仏法の中の怨(あだ)なり。若し能く駈遣し・呵責し・挙処せば・是れ我が弟子、真の声聞なり」と。 余・善比丘の身為らずと雖も「仏法中怨」の責(せめ)を遁れんが為に唯大綱を撮(と)つて粗(ほぼ)一端を示す。其の上・去(いぬ)る元仁年中に延暦・興福の両寺より度度奏聞を経、勅宣・御教書を申し下して法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩(ふっとん)を報ぜんが為に之を焼失せしむ。法然の墓所(むしょ)に於ては感神院(かんじんいん)の犬神人(つるめそう)に仰せ付けて破却せしむ。其の門弟・隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せらる。其の後・未だ御勘気を許されず。豈未だ勘状を進らせずと云わんや。 客則ち和ぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し。然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の四字に載す。其の詞(ことば)勿論なり、其の文顕然なり。此の瑕瑾(かきん)を守つて其の誹謗を成せども、迷うて言うか・覚りて語るか、賢愚弁ぜず是非定め難し。但し災難の起りは選択に因るの由、其の詞を盛んに・弥(いよい)よ其の旨を談ず。 所詮天下泰平・国土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり。夫れ国は法に依つて昌え、法は人に因つて貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き、法を誰か信ず可きや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災を消し・難を止むるの術有らば聞かんと欲す。 主人の曰く、余は是れ頑愚にして敢へて賢を存せず。唯経文に就いて聊(いささ)か所存を述べん。 抑(そもそ)も治術の旨・内外の間、其の文幾多(いくばく)ぞや。具(つぶさ)に挙ぐ可きこと難し。但し仏道に入つて数(しばし)ば愚案を廻すに、謗法の人を禁(いまし)めて正道の侶(りょ)を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。 即ち涅槃経に云く「仏の言く、唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し。純陀(じゅんだ)問うて言く、云何(いか)なるをか名けて唯除一人と為す。仏の言く、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀・復た言く、我今未だ解せず、唯願くば之を説きたまえ。仏・純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提(いっせんだい)なり。其の余の在所一切に布施すれば皆讃歎すべく大果報を獲ん。 純陀・復た問いたてまつる、一闡提とは其の義何(いか)ん。仏言わく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)有つて麤悪(そあく)の言を発し、正法を誹謗し、是の重業を造つて永く改悔(かいげ)せず・心に懺悔(ざんげ)無らん。是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し・五逆罪を作り・自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏(ふい)懺悔無く・肯て発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰(きし)・軽賎(きょうせん)して言に過咎(かぐ)多からん。是くの如き等の人を亦た一闡提の道に趣向すと名く。唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば一切讃歎せん」と。 又云く「我れ往昔(むかし)を念うに、閻浮提(えんぶだい)に於て大国の王と作れり。名を仙予と曰いき。大乗経典を愛念し敬重し其の心純善に麤悪嫉恡(そあく・しつりん)有ること無し。善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已つて即時に其の命根を断ず。善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と。 又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時、爾所(そこばく)の婆羅門の命を断絶す」と。 又云く「殺に三有り、謂く下中上なり。下とは蟻子(ぎし)乃至一切の畜生なり。唯だ菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具(つぶさ)に下の苦を受く。何を以ての故に、是の諸の畜生に微(わず)かの善根有り。是の故に殺す者は具に罪報を受く。中殺とは凡夫の人より阿那含(あなごん)に至るまで・是を名けて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏(びゃくしぶつ)・畢定(ひつじょう)の菩薩なり。阿鼻(あび)大地獄の中に堕す。 善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は、則ち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」已上。 仁王経に云く「仏・波斯匿(はしのく)王に告げたまわく、是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」已上。 涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・及び四部の衆に付属す。正法を毀(そし)る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし」と。 又云く「仏の言く、迦葉(かしょう)・能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず・威儀を修せず、応に刀剣・弓箭(きゅうせん)・鉾槊(むさく)を持すべし」と。又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず。五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く。正法を護る者は当に刀剣器仗(きじょう)を執持すべし。刀杖を持すと雖も我・是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。
④につづく #
by johsei1129
| 2014-01-10 22:29
| 立正安国論(御書五大部)
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2014年 01月 10日
[立正安国論本文]①より続く・・・・・ 大集経に云く「仏法実に隠没(おんもつ)せば、鬚髪爪(しゅほつそう)皆長く、諸法も亦忘失(もうしつ)せん。当(そ)の時、虚空の中に大なる声あつて地を震い、一切皆遍く動かんこと・猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り・屋宇(おくう)悉く破れ圻(さ)け、樹林の根・枝・葉・華葉(けよう)・菓(か)・薬尽きん。唯浄居天(ただ・じょうごてん)を除いて欲界の一切処の七味・三精気、損減して余り有ること無けん。解脱の諸の善論・時に当たって一切尽きん。所生の華菓の味(あじわ)い希少にして亦美(うま)からず。諸有の井泉池(せいせんち)・一切尽く枯涸(こかく)し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し敵裂して丘澗(きゅうかん)と成らん。諸山皆燋燃(しょうねん)して天竜雨を降さず、苗稼(みょうけ)も皆枯死し、生ずる者皆死し尽き・余草更に生ぜず。土を雨らし皆・昏闇(こんあん)に日月も明を現ぜず。四方皆亢旱(こうかん)して数(しばし)ば諸悪瑞を現じ、十不善業の道・貪瞋癡(とんじんち)倍増して衆生父母に於ける・之を観ること獐鹿(しょうろく)の如くならん。衆生及び寿命・色力・威楽減じ、人天の楽を遠離(おんり)し皆悉く悪道に堕せん。是くの如き不善業の悪王・悪比丘我が正法を毀壊(きえ)し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍(ひみん)する者、此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向わん」已上。 仁王経に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。賊・来たって国を刧(おびや)かし、百姓亡喪し臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。天地怪異(けい)し、二十八宿・星道・日月・時を失い度を失い、多く賊起こること有らん」と。 亦云く「我今五眼をもつて明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍(つか)えるに由つて帝王主と為ることを得たり。是を為(も)つて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人・皆為に捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん」已上。 薬師経に云く「若し刹帝利(せつていり)・潅頂(かんちょう)王等の災難起らん時、所謂人衆疾疫の難・他国侵逼(しんぴつ)の難・自界叛逆(ほんぎゃく)の難・星宿変怪(へんげ)の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん」已上。 仁王経に云く「大王、吾が今化する所の百億の須弥(しゅみ)・百億の日月・一一の須弥に四天下有り。其の南閻浮提(なんえんぶだい)に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り。其の国土の中に七つの畏る可き難有り。一切の国王・是を難と為すが故に。云何(いか)なるを難と為す。 日月度を失い・時節返逆し・或は赤日出で・黒日出で・二三四五の日出で・或は日蝕して光無く・或は日輪一重・二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。 二十八宿度を失い、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・刁(ちょう)星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星・是くの如き諸星、各各変現するを二の難と為すなり。 大火国を焼き万姓焼尽せん。或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり。 大水・百姓をヒョウ没し、時節返逆して・冬雨ふり・夏雪ふり・冬時に雷電・霹礰(へきれき)し、六月に氷霜雹(ひょうそうはく)を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし・沙礫石(しゃりゃくせき)を雨らす。江河逆(さかしま)に流れ、山を浮べ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。 大風・万姓を吹き殺し国土・山河・樹木・一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん。是くの如く変ずるを五の難と為すなり。 天地・国土・亢陽(こうよう)し炎火洞燃として・百草亢旱(こうかん)し・五穀登(みの)らず、土地赫燃(かくねん)して万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。 四方の賊来つて国を侵し内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて・百姓荒乱し・刀兵刧起らん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり」 大集経に云く「若し国王有つて無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てて擁護(おうご)せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根・悉く皆滅失して其の国当(まさ)に三の不祥の事有るべし。一には穀貴・二には兵革・三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば、其の王・教令すとも人随従せず。常に隣国の侵嬈(しんにょう)する所と為らん。暴火横(よこしま)に起り、悪風雨多く・暴水増長して人民を吹きタダヨワし、内外の親戚其れ共に謀叛せん。其の王久しからずして当に重病に遇い、寿終の後・大地獄の中に生ずべし。乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復た是くの如くならん」已上。 夫れ四経の文朗(あきら)かなり、万人誰か疑わん。而るに盲瞽(もうこ)の輩、迷惑の人・妄(みだり)に邪説を信じて正教を弁えず。故に天下世上・諸仏・衆経に於て捨離の心を生じて擁護(おうご)の志無し。仍て善神聖人国を捨て・所を去る。是を以て悪鬼外道・災を成し、難を致す。 客・色を作して曰く、後漢の明帝は金人の夢を悟つて白馬の教を得、上宮太子は守屋の逆を誅(ちゅう)して寺塔の構(かまえ)を成す。爾しより来(このか)た上一人より下万民に至るまで仏像を崇(あが)め、経巻を専(もっぱら)にす。然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海・一州・五畿・七道、仏経は星の如く羅(つら)なり、堂宇雲の如く布(し)けり。鶖子(しゅうし)の族は則ち鷲頭(じゅとう)の月を観じ、鶴勒(かくろく)の流(ながれ)は亦鶏足(けいそく)の風を伝う。誰か一代の教を褊(さみ)し、三宝の跡を廃すと謂んや。若し其の証有らば委しく其の故を聞かん。 主人喩して曰く、仏閣・甍(いらか)を連ね・経蔵軒を並べ、僧は竹葦(ちくい)の如く、侶は稲麻(とうま)に似たり。崇重(そうじゅう)年旧(ふ)り、尊貴日に新たなり。但し法師は諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し。仁王経に云く「諸の悪比丘・多く名利を求め国王、太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別(わきま)えずして此の語を信聴し、横(よこしま)に法制を作つて仏戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す」已上。 涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」已上。 法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲(てんごく)に、未だ得ざるを為れ得たりと謂(おも)い、我慢の心充満せん。或は阿練若(あれんにゃ)に納衣(のうい)にして空閑(くうげん)に在り。自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎(きょうせん)する者有らん。利養に貪著(とんじゃく)するが故に白衣(びゃくえ)の与(た)めに法を説いて世に恭敬(くぎょう)せらるること六通の羅漢の如くならん。乃至(ないし)常に大衆の中に在つて我等を毀(そし)らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士(こじ)及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて・是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂(い)わん。 濁劫悪世の中には多く諸の恐怖(くふ)有らん。悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱(きにく)せん。濁世の悪比丘は仏の方便・随宜所説の法を知らず。悪口して顰蹙(ひんしゅく)し数数・擯出(しばしば・ひんずい)せられん」已上。
![]() <立正安国論 ご真筆 巻頭部分:中山法華経寺所蔵> ③に続く #
by johsei1129
| 2014-01-10 01:45
| 立正安国論(御書五大部)
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