2015年 08月 15日
日寛上人 御書講義 観心本尊抄文段 下
第七段 略して本尊を明かす 第八段 広く本尊を釈す 本迹の不同は天地の如しと雖も、文底独一の本門に望んで見れば殆ど竹膜を隔つ 第九段 文底下種三段の流通を明かす 文殊等は兼ねて末法の弘経は下方に限るの勅命を得たり、故に発誓無きなり 第十段 地涌出現の時節を明かす 第十一段 総括
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by johsei1129
| 2015-08-15 23:03
| 日寛上人 御書文段
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2015年 08月 15日
日寛上人 御書講義 開目抄愚記 下
第二十八段 起後の宝塔の義を明かす 第二十九段 地涌出現を明かす 第三十段 略開近顕遠を示す 第三十一段 広開近顕遠を明かす 第三十二段 脱益の三徳を明かす 第三十三段 本尊に迷うを呵責し、正しく下種の父を明かす 第三十四段 菩薩等守護なき疑いを結す 第三十五段 宝塔品三箇の観勅を引く 第三十六段 諸経の浅深勝劣を判ず 第三十七段 二箇の諌暁を引き、一代の成仏・不成仏を判ず 第三十八段 三類の強敵を顕わす 第三十九段 三類について釈す 第四十段 別して俗衆・道門を明かす 第四十一段 第三僭聖増上慢を明かす 第四十二段 諸宗の非を簡ぶ 第四十三段 蓮祖は正しく法華経の行者なるを顕わす 第四十四段 行者値難の故を明かす 第四十五段 法華経の行者を顕わす文を結す 第四十六段 転重軽受を明かす 第四十七段 不求自得の大利益を明かす 第四十八段 適時の弘教を明かす 第四十九段 折伏を行ずる利益を明かす 第五十段 結勧
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by johsei1129
| 2015-08-15 22:33
| 日寛上人 御書文段
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2015年 08月 15日
大日経疏第五、止私の二末十六。 一 後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそ等文。 是れ則ち「今此三界」の文を唱うるが故なり。御書三十巻、往いて見よ。 一 善無畏・不空等・法華経を両界の中央にをきて文。 例文は釈書の十八・二十六。 一 弘法も教相の時等文。 真言宗に事相・教相と云う事あり。教相とは十住心の配立の如く、経の浅深を沙汰する法門なり。事相とは壇に登り、本尊を礼し、鈴をふり、独鈷を握り、印を結び呪を誦する等なり。 一 実慧・真雅・円澄・光定。 釈書の第三、同第二終、同第三四。 一 三論の嘉祥は乃至会二破二等文。 朝抄に云く「凡そ四家の大乗の異論は専ら此の事に在り。華厳・天台には三乗の外に仏乗を立てて四乗と配するなり。法相・三論は三乗の外に仏乗を立てざる所以に但三乗なり。故に第三の菩薩乗の外に仏乗之無し。故に但二乗を破会して菩薩を破会せず。故に会二破二と云うなり」と云云。啓蒙四・五十四に安然の自他宗諍論の文を引く。朝抄最も符合するなり。 「会二破二」の一乗とは、実に是れ菩薩乗なり。三一相対の一乗とは、即ち是れ仏乗なり。嘉祥は四教の菩薩の不同を知らず、故に第三の菩薩乗は但是れ蔵通二教の分斉か。真言宗亦復かくの如し。撰時抄の上四云云。 一 法苑林・七巻・十二巻文。 是れ慈恩の述作なり。守護章の中の上十九往いて見よ。 一 一乗方便・三乗真実文。 華厳玄談の五・八に云く「法相宗の意の如きは、一乗を以て権と為し、三乗を実と為す」と云云。 一 玄賛の第四には「故亦両存」文。 此の文は鏡水所述の玄賛要集の第四に出でたり。然るに彼の鏡水の文は、即ち慈恩の意を述するが故に直ちに「玄賛」と云うなり。一乗要決の下四十八、啓蒙七・六十七に之を引く。其の中、要集の文に云く「則ち知る、慈恩は一乗を縁と為すことを。然るに本、宗とする所の故に五性を撥わず、道理に順ずる故に永く一乗に背かず。此れに由って唱えて説を定むべからずと言う」と云云。 一 華厳の澄観乃至法華を方便とかける等文。 日朝は演義抄を引いて云く「法華は前の余経を摂して華厳に帰す」と云云。是れ摂末帰本の相を判ずるなり。又云く「法華は仏知見を開きて法界に得入し、華厳と合会す」と云云。 一 彼の宗、之を以て実と為す、此の宗の立義・理通ぜざること無し等文。 華厳疏抄二十・三十九に云く「法華の唯仏与仏等、天台云く乃至便ち三千世間を成ず、彼の宗之を以て実と為す乃至一家の意、理として通ぜざること無し」略抄。彼の「一家」と云うは即ち華厳を指す。故に今「此の宗」と云うなり。 一 善無畏・弘法も又かくのごとし文。 是れ結文なり。
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by johsei1129
| 2015-08-15 17:30
| 日寛上人 御書文段
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2015年 08月 15日
華厳疏抄十九の上四十七に云く「心は工なる画師の能く諸の世間を画く乃至心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然り」と。疏に云く「応に心と仏と衆生と性体皆無尽と云うべし。妄体本真なるを以ての故に亦無尽なり。是れを以て如来は性悪を断ぜず、亦猶闡提は性善を断ぜざるがごとし」已上。一家不共の性悪を書き入れたるは、即ち一念三千を盗みたる義なり。「如来は性悪を断ぜず」とは、仏界に九界を具する故なり。「闡提は性善を断ぜざる」とは、九界に仏界を具する義なり。故に性善性悪の法門は即ち一念三千の法門なり。又御書十二・三十三を往いて見よ。 問う、天台も亦「心如工画師」の文を引き、以て千如の妙境を立つるは如何。 答う、浄覚云く「今引用するは会入の後に従って説くなり」と云云。 宗祖の云く「止観に外典・爾前を引載せて候も、文をば借れども義をば削り捨つるなり」(取意)と云云。 一 「心実相・我一切本初」の文の神等文。 或る本には「色」の字無し云云。義釈一・四十一に云く「彼の言う諸法実相とは、即ち是れ此の経の心の実相なり」と云云。是れ迹門の理の一念三千を盗むなり。又義釈九・四十五に云く「我一切本初とは、本初は即ち是れ寿量の義なり」と云云。是れ本門の事の一念三千を盗むなり。 一 二乗作仏・十界互具は一定・大日経にありや等文。 是れ分明の難勢なり。弘の六末六に云く「遍く法華已前の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文及び如来久成の本を明かすこと無し」云云。実無の両字之を思え。然るに弘法の雑問答十九に云く「上の那羅延力は、大勢力を以て衆生を救う故に那羅延力と云う。次の大那羅延力は、是れ不共の義なり。一闡提の人は必死の病、二乗定性已死の人は、余経の救う所に非ず、唯此の秘密神通の力のみ即ち能く救療す。此の不共の力を顕さんが為に大を以て之を別つ」と已上。 凡そ大日経の中に、一切の声聞・縁覚と共にせずと説く。二乗を隔つるの文ありと雖も、実に二乗作仏の文無し。故に強いて同聞衆の大那羅延力の文を取って二乗作仏の義を補わんと欲す。良に珍義誑惑なり。況や「二乗定性已死の人は余経の救う所に非ず」と云云。豈法華の二乗作仏を隠没する大謗法罪に非ずや。 一 新来の真言家文。 一義に云く、此の文は本弘法を破し、今転用して無畏等を破す云云。一義に云く、此の文は元来無畏等を破するなり。但し「新」「旧」の言は是れ新訳・旧訳には非ず。華厳は新旧倶に前に来る故に「旧到」と云い、真言教は最後に来る故に「新来」と云うなり。法報を分たず二三を弁ずること莫れ。法身の説法等は皆前代筆受の相承を泯ぼすとなり。 今の所引は即ち本文の意に符合するなり。又今の前後に准ずるに「旧到の華厳」等は同文の故に来るか、是れを思え。或は二宗に亘るか。後日、報恩抄愚記に云うが如し。 一 ほのぼのと云ううた等文。 古今の第九の羈旅の部に出でたり。有る人云く「柿本人麻呂が歌なり」云云。人麻呂の事は古今の序、本朝語園三初、啓蒙七・五十七、同三十六・百三十二、神社考の六・二十六、往いて見よ。 一 漢土・日本の学者又かくのごとし文。 蓮祖已前の伝教大師を除く自余の学者は、皆俘囚体の者なり。善無畏に誑かされたるが故なり。 一 良諝和尚。 釈書三・二十四、統紀の八・三、中正の十六・五十二。 一 若し法華経涅槃等の経に望むれば是接引門等文。 此くの如く点ずるは最も可なり。 #
by johsei1129
| 2015-08-15 17:29
| 日寛上人 御書文段
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2015年 08月 15日
旧華厳の第八・三十に云く「初発心の時便ち正覚を成じ、慧身を具足して他の悟りに由らず」等云云。大日経第一に云く「所謂、初発心乃至十地の次第此の生満足」と文。此等の文を指すなり。 一 経は権教にして過去をかくせり文。 問う、若し爾らば、今日一代の施化は皆悉く過去下種の類ならんか。 答う、実に所問の如く、皆悉く三五下種の輩なり。経に云く「世世より已来、常に我が化を受けたり」等と。釈籤の第十に云く「故に知んぬ、今日の逗会は昔の成就の機に赴く」等云云。 一 種をしらざる脱なれば等文。 弘の一の下五十一に云く「王の夫人と下賤と通ずれば、其の生まれる所の者を王子と名づけざるが如し。刹利王の縦い賎と通ずれども、懐く所の者は貴んで即ち王子と名づくるが如し」等云云。 本尊抄八・二十に云く「設ひ法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜざれば還つて灰断に同じ、化導の始終無しとは是なり、譬えば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し」等云云。 犬頭国の因縁、林の十一・四、又駮足王の因縁、文一・二十三に云云。 種子の徳用此くの如し、爾前の諸経には之を明かさず。今此の法華経に始めて此の義を明かす。種子の徳用を弁ずとは即ち此の事なり。 一 超高が位にのぼり。 史記の六・三十一、註十八二・十九、啓蒙七・四十八。 一 道鏡が王位。 啓蒙の七・四十九、同二十七・四十一、中正の一・十一、往いて見よ。 一 宗宗・互いに種を諍う等文。 此の下は三に種子の依経を弁ず、亦二あり。初めに今師の正依、次に「華厳宗」の下は他人の誑惑。 一 種子無上を立てたり。 法華論二十八、論科の五・二十一。当に知るべし、法華論の「種子無上」は即ち天台の一念三千なり。天台の一念三千は実に是れ本門の意なり。 故に十章抄三十・二十八に云く「止観に十章あり。前の六重は迹門の意、第七の正観は本門の意なり」(取意)と云云。 上巻に云く「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたり」(取意)等云云。 此の文は今文に同じ。然れば則ち、本地難思境智の冥合、本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経の種子の法体は唯今経に限れり。是れ種子の依経を弁ずるなり。向来の如く種子の体用等を弁じ已んぬれば、釈尊は是れ下種の父なること自ら分明なり。故に種を弁じて父を顕すと云うなり。(注:向来=さきざき、以後の意) 一 諸尊の種子・皆一念三千等文。 是れ本門跨節の意に約するなり。 一 華厳宗の澄観等文。 此の下は次に他人の誑惑なり。澄観の事、啓蒙の五・六十五已下の文に広し、往いて見よ。
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by johsei1129
| 2015-08-15 17:27
| 日寛上人 御書文段
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