2019年 10月 21日
【曾谷入道殿許御書 本文】 その三 大覚世尊(釈尊)・仏眼を以つて末法を鑒知(かんち)し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう。所謂・法華経本門・久成(くじょう)の釈尊・宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬・広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て、二仏座を並べしこと宛(あたか)も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き、衆星(しゅうしょう)の如く列坐したもう。四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼なり。此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩に諌暁(かんぎょう)せしむ。金色世界の文殊師利、兜史多(とした)宮の弥勒菩薩、宝浄世界の智積菩薩、補陀落山の観世音菩薩等、頭陀第一の大迦葉、智慧第一の舎利弗等、三千世界を統領する無量の梵天、須弥の頂に居住する無辺の帝釈、一四天下を照耀(しょうよう)せる阿僧祇の日月、十方の仏法を護持する恒沙(ごうしゃ)の四天王、大地微塵の諸の竜王等、我にも・我にも此の経を付属せられよと競い望みしかども世尊・都て之を許したまわず。 爾の時に下方の大地より未見・今見の四大菩薩を召し出したもう。所謂上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。此の大菩薩・各各六万恒河沙の眷属を具足す。形貌(ぎょうみょう)・威儀・言(ことば)を以て宣べ難く、心を以て量るべからず。初成道の法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩、各各十恒河沙の眷属を具足し仏会(ぶつえ)を荘厳せしも、大集経の欲・色二界の中間大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩、乃至大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の十六大菩薩等も、此の四大菩薩に比挍(ひきょう)すれば猶帝釈と猿猴(えんこう)と華山と妙高との如し。 弥勒菩薩、衆の疑ひを挙げて云く「乃(いまし)一人をも識らず」等云云。天台大師云く「寂場より已降(このかた)今座より已往(さき)、十方の大士・来会絶えず、限る可からずと雖も我れ補処(ふしょ)の智力を以て悉く見・悉く知る。而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云。 妙楽云く「今見るに皆識らざる所以は乃至智人は起を知り・蛇は自ら蛇を識る」等云云。天台又云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛(さかん)なるを見て池の深きを知る」云云。例せば漢王の四将の張良・樊噲(はんかい)・陳平・周勃(しゅうぼつ)の四人を商山の四皓・綺里枳(きりき)・角里(ろくり)先生・東園公・夏黄公等の四賢に比するが如し。天地雲泥なり。四皓が為体(ていたらく)頭には白雪を頂き、額には四海の波を畳み、眉には半月を移し、腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍(じ)して世を治められたる事、尭舜の古(いにしえ)を移し一天安穏なりし事、神農の昔にも異ならず。 此の四大菩薩も亦復是くの如し、法華の会に出現し三仏を荘厳し、謗人の慢幢(まんどう)を倒すこと・大風の小樹の枝を吹くが如く、衆会の敬心を致すこと諸天の帝釈に従うが如く、提婆が仏を打ちしも舌を出して掌(たなごころ)を合せ、瞿伽梨(くぎゃり)が無実を構えしも・地に臥して失(とが)を悔ゆ。文殊等の大聖は身を慙(は)ぢて言を出さず。舎利弗等の小聖は智を失い・頭(こうべ)を低る。 爾の時に大覚世(釈尊)尊、寿量品を演説し・然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る、所謂・妙法蓮華経の五字、名(みょう)・体・宗・用・教の五重玄なり。例せば九苞淵(きゅうほうえん)が相馬の法には玄黄を略して駿逸(しゅんいつ)を取り、史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等。 此の四大菩薩は釈尊成道の始め・寂滅道場の砌(みぎり)にも来たらず、如来入滅の終りに抜提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にも至らず。しかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向(ほっき・ようごう)の諸聖衆にも列ならず。退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓(ほっせい)弘経の諸大士にも交わらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後正像二千年の間に於て・未だ一度も出現せず。所詮・仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり。法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時・能く是の経を持つ者」云云。 涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず。然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云。法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云。七子の中に上の六子は且らく之を置く。第七の病子は一闡提の人・五逆謗法の者・末代悪世の日本国の一切衆生なり。正法一千年の前・五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ。後の五百年には他方より来れる菩薩・大体本土に還り向い了んぬ。像法に入つての一千年には文殊・観音・薬王・弥勒等、南岳・天台と誕生し・傅大士(ふだいし)・行基(ぎょうき)・伝教等と示現して衆生を利益す。 【曾谷入道殿許御書 本文】 その四に続く #
by johsei1129
| 2019-10-21 21:52
| 曾谷入道
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2019年 10月 21日
【曾谷入道殿許御書 本文】 その二 問うて曰く、今時の真言宗の学者等・何ぞ此の義を存せざるや。 答えて曰く、眉(まゆ)は近けれども見えず、自の禍を知らずとは是の謂(いい)か。嘉祥(かじょう)大師は三論宗を捨てて天台の弟子と為る、今の末学等之を知らず。法蔵・澄観、華厳宗を置いて智者に帰す、彼の宗の学者之を存せず。玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る。法相の学者・堅く之を諍う。 問うて曰く、其の証如何。 答えて曰く、或は心を移して身を移さず、或は身を移して心を移さず、或は身心共に移し、或は身心共に移さず。其の証文は別紙に之を出す可し。此の消息の詮に非ざれば之を出さず。
仏滅後に三時有り。所謂正法一千年、前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地(まてんだい)・脇比丘(きょうびく)等、一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵を弘通(ぐつう)して後には律宗・倶舎宗・成実(じょうじつ)宗と号する是なり。後の五百年には馬鳴(めみょう)菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、後には一一に彼の義を破失し了(おわ)つて諸の大乗経を弘通す。是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す。所謂華厳経・般若経・大日経・深密経等・三輪宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等なり。 問うて曰く、迦葉・阿難等の諸の小聖・何ぞ大乗経を弘めざるや。 答えて曰く、一には自身堪えざるが故に、二には所被の機無きが故に、三には仏より譲り与えられざるが故に、四には時来らざるが故なり。 問うて曰く、竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや。 答えて曰く、四つの義有り先の如し。 問うて曰く、諸の真言師の云く「仏の滅後八百年に相当つて竜猛菩薩、月氏に出現して釈尊の顕経たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日の密経をば自ら南天の鉄塔を開拓し、面(まのあた)り大日如来と金剛薩埵(さった)とに対して之を口決(ぐけつ)す。竜猛菩薩に二人の弟子有り。提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え、竜智菩薩には大日の密教を授く。竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず。其の間に提婆菩薩の伝うる所の顕教は先づ漢土に渡る。其の後・数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教を善無畏・金剛智・不空・漢土に渡す」等云云。此の義如何。 答えて曰く、一切の真言師是くの如し。又天台華厳等の諸家も一同に之を信ず。抑(そもそも)竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか。釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか。顕を提婆に伝え、密を竜智に授くる証文・何れの経論に出でたるぞ。此の大妄語は提婆の欺誑罪(ぎおうざい)にも、過ぎ瞿伽利(くぎゃり)の誑言(おうごん)にも超ゆ。漢土日本の王位の尽き・両朝の僧侶の謗法と為るの由来・専ら斯れに在らずや。然れば則ち彼の震旦・既に北蕃の為に破られ、此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す。此等は且らく之を置く。 像法に入つて一千年、月氏の仏法・漢土に渡来するの間、前(さき)四百年には南北の諸師・異義蘭菊にして東西の仏法未だ定まらず。四百年の後・五百年の前・其の中間一百年の間に南岳・天台等、漢土に出現して粗法華の実義を弘宣(ぐせん)したまう。然而(されど)円慧・円定に於ては国師たりと雖も円頓の戒場未だ之を建立せず。故に国を挙(こぞ)つて戒師と仰がず。六百年の已後・法相宗西天より来れり。太宗皇帝之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸(ようや)く薄(すくな)し。ここにに就いて隙(すき)を得て則天皇后の御宇(ぎょ・う)に・先に破られし華厳亦起こつて天台宗に勝れたるの由之を称す。太宗より第八代・玄宗皇帝の御宇に真言始めて月氏より来たれり。所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経・蘇悉地経、開元八年には金剛智・不空の両三蔵の金剛頂経、此くの如く三経を天竺より漢土に持ち来たり。天台の釈を見聞して・智発して釈を作つて大日経と法華経とを一経と為し、其の上印・真言を加えて密教と号し・之に勝るの由をいひ、結句権経を以て実経を下す。漢土の学者此の事を知らず。 像法の末八百年に相当つて伝教大師・和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみに非ず、しかのみならず南岳・天台も未だ弘めたまわざる円頓戒壇を叡山に建立す。日本一州の学者一人も残らず大師の門弟と為(な)る。但天台と真言との勝劣に於ては誑惑(おうわく)と知つて而も分明(ふんみょう)ならず。所詮末法に贈りたもうか。此等は傍論為るの故に且らく之を置く。吾が師・伝教大師三国に未だ弘まらざるの円頓の大戒壇を叡山に建立したもう。此れ偏に上薬を持ち用いて衆生の重病を治せんと為(す)る是なり。 今末法に入つて二百二十余年、五濁強盛にして三災頻りに起こり、衆見の二濁(にじょく)国中に充満し、逆謗の二輩・四海に散在す。専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙(たのみ)、謗法の者を尊重して国師と為す。孔丘の孝経・之を提(ひっさ)げて父母の頭(こうべ)を打ち、釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝国は此の国なり、勝母の閭(さと)・他境に求めじ。故に青天眼(まなこ)を瞋(いか)らして此の国を睨み、黄地(こうち)は憤りを含んで大地を震う。去る正嘉元年の大地動、文永元年の大彗星、此等の夭災(ようさい)は仏滅後二千二百二十余年の間、月氏・漢土・日本の内に未だ出現せざる所の大難なり。彼の弗舎密多羅王(ほっしゃみったら・おう)の五天の寺塔を焼失し、漢土の会昌天子(えしょうてんし)の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千倍なり。大謗法の輩・国中に充満し・一天に弥(はびこ)るに依つて起る所の夭災(ようさい)なり。 大般涅槃経に云く「末法に入つて不孝謗法の者・大地微塵の如し」取意。法滅尽経に「法滅尽の時は狗犬の僧尼・恒河沙の如し」等云云取意。今親(いま・まのあた)り此の国を見聞するに、人毎に此の二の悪有り。此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救(ふきゅう)せん。【曾谷入道殿許御書 本文】 その三に続 #
by johsei1129
| 2019-10-21 21:38
| 曾谷入道
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2019年 10月 21日
【曾谷入道殿許御書】 ■出筆時期:文永十二年三月十日(西暦1275年)五十四歳 御作。 ■出筆場所:身延山中 草庵にて。 ■出筆の経緯:下総の曾谷教信・大田乗明に連名で与えられた書。両人は同じ下総に住む富木常忍の縁で大聖人に帰依し、この三人が中心となり下総国方面の弘教に励まれた。本御書では仏法流布の時「正法・像法・末法」について詳細に説かれ「末法に日本国に於て地涌の菩薩・法華経の肝心を流布せしむ可き」と断じている。 尚、現在の中山法華経寺は大田乗明の領地に開基され、富木常忍に送られた「観心本尊抄」はじめ、「立正安国論」など50点以上の御書の御真筆が所蔵されている。 ■御真筆:中山法華経寺 所蔵。 [曾谷入道殿許御書 ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)] [曾谷入道殿許御書]本文 その一 夫れ以(おもんみ)れば重病を療治するには良薬を構索(こうさく)し、逆・謗を救助するには要法には如かず。所謂時を論ずれば正像末、教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、国を論ずれば中辺の両国、機を論ずれば已逆(いぎゃく)と未逆と・已謗(いぼう)と未謗と、師を論ずれば凡師と聖師と、二乗と菩薩と、他方と此土と、迹化と本化となり。故に四依の菩薩等、滅後に出現し仏の付属に随つて妄りに経法を演説したまわず。所詮無智の者、未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与えず、悪人為る上・已(すで)に実大を謗ずる者には強ひて之を説く可し。法華経第二の巻に仏舎利弗に対して云はく「無智の人の中にして此の経を説くこと莫(なか)れ」と。又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまわく「此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり。分布して妄りに人に授与す可からず」云云。文の心は無智の者の而も未だ正法を謗ぜざるには左右無く此の経を説くこと莫れ。 法華経第七の巻不軽品に云く「乃至遠く四衆を見ても亦復故(ことさら)に往いて」等云云。又云く「四衆の中に瞋恚(しんに)を生じ心不浄なる者有り。悪口罵詈して言く是の無智の比丘、何れの所従(よ)り来りてか」等云云。又云く「或は杖木瓦石(じょうもく・がしゃく)を以て之を打擲(ちょうちゃく)す」等云云。第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。 問うて曰く、一経二説・何れの義に就いて此の経を弘通すべき。 答えて云く、私に会通(えつう)すべからず。霊山の聴衆為(た)る天台大師並びに妙楽大師等、処処に多くの釈有り。先ず一両の文を出さん。 文句の十に云く「問うて曰く、釈迦は出世して踟蹰(ちちゅう)して説かず。今は此れ何の意ぞ。造次(ぞうじ)にして説くは何ぞや。答えて曰く、本已(もと・すで)に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本・未だ善有らざるには不軽・大を以て之を強毒(ごうどく)す」等云云。 釈の心は寂滅・鹿野(ろくや)・大宝・白鷺(びゃくろ)等の前四味の小大・権実の諸経・四教八教の所被の機縁、彼等が過去を尋ね見れば久遠・大通の時に於て純円の種を下せしかども、諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴(きょうりゃく)す。然りと雖も下せし所の下種・純熟の故に、時至つて自ら繋珠(けいじゅ)を顕はす。但四十余年の間・過去に已に結縁の者も猶・謗の義有る可きの故に、且らく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。 問うて曰く、華厳の時、別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何。 答えて曰く、彼等の衆は時を以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども、実を以て之を勘うるに三五下種の輩(ともがら)なり。 問うて曰く、其の証拠如何。 答えて曰く、法華経第五の巻・涌出品に云く「是の諸の衆生は世世より已来(このかた)常に我が化を受く、乃至此の諸の衆生は始め我が身を見・我が所説を聞いて即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云。天台釈して云く「衆生久遠」等云云。妙楽大師の云く「脱は現に在りと雖も・具(つぶさ)に本種を騰(あ)ぐ」と。又云く「故に知んぬ今日の逗会(とうえ)は昔成就するの機に赴く」等云云。経釈顕然の上は私の料簡を待たず。例せば王女と下女と・天子の種子を下さざれば国主と為らざるが如し。 問うて曰く、大日経等の得道の者は如何。 答えて曰く、種種の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず。但し所詮・彼れ彼れの経経に種熟脱を説かざれば還つて灰断(けだん)に同じ。化に始終無きの経なり。而るに真言師等の所談の即身成仏は、譬えば窮人(ぐうにん)の妄りに帝王と号して自ら誅滅(ちゅうめつ)を取るが如し。王莽(おうもう)・趙高の輩、外(ほか)に求む可からず。今の真言家なり。 此等に因つて論ぜば仏の滅後に於て三時有り。正像二千余年には猶下種の者有り。例せば在世四十余年の如し。根機を知らずんば左右無く実経を与う可からず。 今は既に末法に入つて在世の結縁(けちえん)の者は漸漸に衰微して権実の二機・皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩・末世に出現して毒鼓(どっく)を撃たしむるの時なり。 而るに今時の学者・時機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか。殊に真言宗の学者迷惑を懐(いだ)いて三部経に依憑(えひょう)し、単に会二破二の義を宣ぶ。猶三一相対を説かず・即身頓悟の道・跡を削り、草木成仏は名をも聞かざるのみ。 而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶・月氏より漢土に来臨せし時、本国に於て未だ存せざる天台の大法・盛んに此の国に流布せしむるの間、自愛所持の経・弘め難きに依り、一行阿闍梨を語らい得て天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂入(しょうにゅう)して天竺より有るの由・之を偽る。然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の弘法・慈覚の両大師、之を弁えずして信を加う。已下の諸学は言うに足らず。 但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまえり。然れども未だ分明(ふんみょう)ならず。所詮・善無畏三蔵・閻魔王の責めを蒙りて此の過罪を悔い、不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し、天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり。 【曾谷入道殿許御書 本文】 その二に続く #
by johsei1129
| 2019-10-21 21:31
| 曾谷入道
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2019年 10月 21日
【四条金吾殿御返事(此経難持御書)】 ■出筆時期:文永十二年(西暦1275)三月六日 五十四歳御作。 ■出筆場所:身延山中 草庵にて。 ■出筆の経緯:本書は大聖人が、後の六老僧の一人、弁阿闍梨日昭から「四条金吾殿が法華経を持つ者は『現世安穏・後生善処』と聞き、言われる通りに信仰してきたが、大難雨の如く来たり候」と言っていると聞き、法華経見宝塔品 第十一の偈を引き、厳しく指導されておられるご消息文となっております。 ■ご真筆: 現存していない。 [四条金吾殿御返事(此経難持御書) 本文] 此経難持(しきょう・なんじ)の事、抑(そもそも)弁阿闍梨が申し候は、貴辺のかたらせ給ふ様に持たん者は現世安穏・後生善処と承つて・すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申し候処に、さにては無くして大難・雨の如く来たり候と云云。真(まこと)にてや候らん、又弁公がいつはりにて候やらん。いかさま、よきついでに不審をはらし奉らん。 法華経の文に難信難解と説き給ふは是なり。此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来たれども、憶持不忘(おくじ・ふぼう)の人は希なるなり。受くるはやすく、持つはかたし。さる間・成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり。「則為疾得(そくいしっとく)・無上仏道(注)」は疑ひなし。三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持(たもつ)とは云うなり。 経に云く「護持仏所属」といへり。天台大師の云く「信力の故に受け、念力の故に持つ」云云。又云く「此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す。諸仏も亦然なり」云云。火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅(ぐら)は倍増するなり。松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる。 法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来なり。修行の枝をきられ、まげられん事疑ひなかるべし。此れより後は此経難持の四字を暫時(ざんじ)もわすれず案じ給うべし。○恐恐。 文永十二年乙亥(きのとい)三月六日 日 蓮 花押 四条金吾殿 (注) 此経難持~無上佛道の法華経見宝塔品 第十一の該当する偈 此經難持 若暫持者 我即歡喜 諸佛亦然 如是之人 諸佛所歎 是則勇猛 是則精進 是名持戒 行頭陀者 則爲疾得 無上佛道 (和訳) 此の経は持つこと難し 若し暫も持つ者は 我(釈尊)即ち歓喜し 諸仏も然るなり 是の如き人は 諸仏の歎(ほめる)ずる所なり 是れ即ち勇猛なり 是れ即ち精進なり 是れ戒を持ち 頭陀を行ずる者と名づく 即ち是れ疾く 無上道を得るなり ※頭陀行(衣食住関わる一切の欲を捨てる修行:乞食(こつじき) ちなみに乞食のために、首からお経などをいれてぶら下げた袋を頭陀袋と称した。 #
by johsei1129
| 2019-10-21 21:24
| 四条金吾・日眼女
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2019年 10月 21日
【立正観抄 本文] その六 夫れ天台の観法を尋ぬれば・大蘇道場に於て三昧開発せしより已来(このかた)、目を開いて妙法を思えば随縁真如なり、目を閉じて妙法を思えば不変真如なり。此の両種の真如は只一言(いちごん)の妙法に有り。我・妙法を唱うる時、万法茲(ここ)に達し一代の修多羅・一言に含(がん)す。所詮迹門を尋ぬれば迹広く、本門を尋ぬれば本高し。如かじ、己心の妙法を観ぜんにはと思食(おぼしめ)されしなり。 当世の学者・此の意を得ざるが故に天台己証の妙法を習い失いて止観は法華経に勝り、禅宗は止観に勝れたりと思いて法華経を捨てて止観に付き、止観を捨てて禅宗に付くなり。禅宗の一門云く「松に藤懸(ふじ・かか)る。松枯れ・藤枯れて後・如何(いかん)。上(のぼ)らずして一枝」なんど云える天魔の語(ことば)を深く信ずる故なり。修多羅の教主は松の如く、其の教法は藤の如し。各各に諍論すと雖も・仏も入滅して教法の威徳も無し。爰に知んぬ、修多羅の仏教は月を指す指(ゆび)なり・禅の一法のみ独(ひとり)妙なり・之を観ずれば見性得達するなりと云う大謗法の天魔の所為を信ずる故なり。 然るに法華経の仏は寿命無量、常住不滅の仏なり。禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。是法住法位・世間相常住の金言に背く僻見(びゃっけん)なり。 禅は法華経の方便・無得道の禅なるを真実常住法と云うが故に外道の常見なり。若し与えて之を言わば仏の方便三蔵の分斉(ぶんざい)なり、若し奪つて之を言わば・但外道の邪法なり。与は当分の義、奪は法華の義なり。法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云うなり。 問う、禅を天魔の法と云う証拠如何、答う、前前(さきざき)に申すが如し。 立正観抄 【立正観抄 本文] 完。 【立正観抄送状】 今度の御使い、誠に御志の程・顕はれ候い畢んぬ。又種種の御志・慥(たしか)に給び候い畢んぬ。 抑(そもそも)承わり候・当世の天台宗等、止観は法華経に勝れ・禅宗は止観に勝る。又観心の大教興る時は本迹の大教を捨つと云う事。 先ず天台一宗に於て流流各別なりと雖も、慧心・檀那の両流を出でず候なり。 慧心流の義に云く、止観の一部は本迹二門に亘(わた)るなり。謂く、止観の六に云く「観は仏知と名く、止は仏見と名く。念念の中に於て止観現前す。乃至三乗の近執(ごんしゅう)を除く」文。弘決の五に云く「十法既に是れ法華の所乗なり。是の故に還つて法華の文を用いて歎ず。若し迹説に約せば即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫(しゃくこう)と為し、寂滅道場を以て妙悟と為す。若し本門に約せば・我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し、本成仏の時を以て妙悟と為す。本迹二門・只是此の十法を求悟(ぐご)す」文。始めの一文は本門に限ると見えたり。次の文は正しく本迹に亘ると見えたり。止観は本迹に亘ると云う事、文証此(これ)に依るなりと云えり。 次に檀那流には止観は迹門に限ると云う証拠は、弘決の三に云く「還つて教味を借つて以て妙円を顕す。故に知んぬ、一部の文・共に円成(えんじょう)の開権、妙観を成ずるを」文。此の文に依らば止観は法華の迹門に限ると云う事、文に在りて分明(ふんみょう)なり。 両流の異義替はれども共に本迹を出でず。 当世の天台宗、何(いず)くより相承して止観は法華経に勝ると云うや。但し予(日蓮)が所存は止観・法華の勝劣は天地雲泥なり。若し与えて之を論ぜば、止観は法華迹門の分斉に似たり。其の故は天台大師の己証とは十徳の中の第一は自解仏乗、第九は玄悟・法華円意なり。霊応伝の第四に云く「法華の行を受けて二七日境界す」文。止観の一に云く「此の止観は天台智者己心中に行ずる所の法門を説く」文。弘決の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為す。故に序の中に云く・説己心中所行法門」文。己心所行の法とは一念三千・一心三観なり。三諦三観の名義は瓔珞(ようらく)・仁王(にんのう)の二経に有りと雖も、一心三観・一念三千等の己心所行の法門をば、迹門の十如実相の文を依文として釈成(しゃくじょう)し給い畢んぬ。爰に知んぬ、止観一部は迹門の分斉に似たりと云う事を。 若し奪つて之を論ぜば、爾前・権大乗は即ち別教の分斉なり。其の故は天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり。所謂天台大師・大蘇の普賢道場に於て三昧開発し、証を以て師に白(もう)す。師の曰く、法華の前方便・陀羅尼なりと。 霊応伝の第四に云く「智顗(天台大師)・師に代つて金字経を講ず。一心具足万行の処に至つて顗(智顗)・疑ひ有り。思(南岳大師)・為に釈して曰く、汝が疑う所は此乃ち大品次第の意なるのみ。未だ是れ法華円頓の旨にあらざるなり」文。 講ずる所の経、既に権大乗経なり。又「次第」と云えり。故に別教なり。開発せし陀羅尼・又法華の前方便と云えり。故に知んぬ、爾前帯権の経は別教の分斉なりと云う事を。己証既に前方便の陀羅尼なり。止観とは「己心中所行の法門」と云うが故に。明かに知んぬ、法華の迹門に及ばずと云う事を。何に況んや本門をや。若し此の意を得ば檀那流の義、尤も吉(よき)なり。 此等の趣を以て止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有る可く候か。委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり。又日蓮相承の法門血脈・慥(たし)かに之を註(しる)し奉る。恐恐謹言。 文永十二乙亥二月二十八日 日 蓮 花押 最蓮房御返事 #
by johsei1129
| 2019-10-21 19:21
| 重要法門(十大部除く)
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