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日蓮大聖人『御書』解説

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2024年 10月 01日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明した【三世諸仏総勘文教相廃立】一

【三世諸仏総勘文教相廃立(はいりゅう】
■出筆時期:弘安2年10月(1279)58歳御作 門下の弟子一同にあてられたと思われる。
■出筆場所:身延山中 草庵
■出筆の経緯:
本抄で大聖人は「我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周編して闕(か)くること無し、十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外(ほか)には法無し」と述べ、人の心を貫く妙法蓮華経は、人を取り巻く浄土(宇宙)に遍満し心と一体であることを明かし、さらに「此の心の一法より国土世間も出来する事なり。一代聖教とは此の事を説きたるなり。此れを八万四千の法蔵とは云うなり。是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり。然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」と解き明かし、八万四千法蔵と膨大な釈尊の一代聖教はつまるところ、一人の心を説き明かしている」と明言している。
■ご真筆: 現存していない。

[三世諸仏総勘文教相廃立 本文] その一

          日蓮之を撰す

 夫れ一代聖教とは総(す)べて五十年の説教なり。是を一切経とは言うなり。此れを分ちて二と為す。一には化他・二には自行なり。
 一には化他の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり。此れをば権教(ごんきょう)と云い亦は方便と名づく。此れは四教の中には三蔵教・通教・別教の三教なり。五時の中には華厳・阿含・方等・般若なり。法華より前の四時の経教なり。又十界の中には前の九法界なり。
 又夢と寤(うつつ)との中には夢中の善悪なり。又夢をば権と云い、寤をば実と云うなり。是の故に夢は仮に有つて体性無し。故に名けて権と云うなり。寤は常住にして不変の心の体なるが故に此れを名けて実と為す。故に四十二年の諸の経教は生死(しょうじ)の夢の中の善悪の事を説く、故に権教と言う。夢中の衆生を誘引し驚覚して法華経の寤と成さんと思食(おぼしめ)しての支度方便の経教なり。故に権教と言う。
 斯れに由つて文字の読みを糾して心得可きなり。故に権をば権(かり)と読む。権なる事の手本には夢を以て本と為す。又実をば実(まこと)と読む。実事の手本は寤(うつつ)なり。故に生死の夢は権にして性体無ければ権なる事の手本なり。故に妄想(もうぞう)と云う。本覚の寤は実にして生滅を離れたる心なれば真実の手本なり。故に実相と云う。是を以て権実の二字を糾して一代聖教の化他の権と自行の実との差別を知る可きなり。故に四教の中には前の三教と五時の中には前の四時と十法界の中には前の九法界は同じく皆夢中の善悪の事を説くなり。故に権教と云う。此の教相をば無量義経に「四十余年未顕真実と説き給う」已上
 未顕真実の諸経は夢中の権教なり。故に釈籤(しゃくせん)に云く「性(しょう)殊なること無しと雖も・必ず幻(げん)に藉(よ)りて幻の機と・幻の感と・幻の応と・幻の赴(ふ)とを発(おこ)す。能応と所化(しょけ)と並びに権実に非ず」已上。此れ皆夢幻の中の方便の教なり。性雖無殊(しょうすいむしゅ)等とは夢見る心性と寤の時の心性とは只一の心性にして総て異なること無しと雖も、夢の中の虚事(こじ)と寤の時の実事と二事一の心法なるを以て見ると思うも我が心なりと云う釈なり。故に止観に云く「前の三教の四弘・能も所も泯(みん)す」已上。四弘とは衆生の無辺なるを度せんと誓願し、煩悩の無辺なるを断ぜんと誓願し、法門の無尽なるを知らんと誓願し、無上菩提を証せんと誓願す。此を四弘(しぐ)と云う。能とは如来なり、所とは衆生なり。此の四弘は能の仏も所の衆生も前三教は皆夢中の是非なりと釈し給えるなり。
 然れば法華以前の四十二年の間の説教たる諸経は未顕真実の権教なり方便なり。法華に取り寄る可き方便なるが故に真実には非ず。此れは仏自ら四十二年の間・説き集め給いて後に今法華経を説かんと欲して・先ず序分の開経の無量義経の時、仏自ら勘文し給える教相なれば人の語も入る可からず・不審をも生(な)す可からず。故に玄義に云く「九界を権と為し・仏界を実と為す」已上。九法界の権は四十二年の説教なり、仏法界の実は八箇年の説・法華経是なり。故に法華経をば仏乗と云う。九界の生死は夢の理なれば権教と云い、仏界の常住は寤の理なれば実教と云う。故に五十年の説教・一代の聖教・一切の諸経は化他の四十二年の権教と自行の八箇年の実教と合して五十年なれば・権と実との二の文字を以て鏡に懸けて陰(くもり)無し。

 故に三蔵教を修行すること三僧祇・百大劫を歴て終はりに仏に成らんと思えば、我が身より火を出だして灰身(けしん)入滅とて灰と成つて失(う)せるなり。通教を修行すること七阿僧祇・百大劫を満てて仏に成らんと思えば、前の如く同様に灰身入滅して跡形も無く失せぬるなり。別教を修行すること二十二大阿僧祇・百千万劫を尽くして終りに仏に成りぬと思えば、生死の夢の中の権教の成仏なれば本覚の寤の法華経の時には別教には実仏無し。夢中の果なり。故に別教の教道には実の仏無しと云うなり。別教の証道には初地に始めて一分の無明を断じて一分の中道の理を顕し、始めて之を見れば別教は隔歴不融(きゃくりゃく・ふゆう)の教と知つて・円教に移り入つて円人と成り已つて別教には留まらざるなり。上中下三根の不同有るが故に初地・二地・三地・乃至・等覚までも円人と成る故に別教の面(おもて)に仏無きなり。故に有教無人と云うなり。
 故に守護国界章に云く「有為の報仏は夢中の権果 前三教の修行の仏、無作(むさ)の三身は覚前の実仏なり 後の円教の観心の仏」又云く「権教の三身は未だ無常を免れず 前三教の修行の仏 実教の三身は倶体倶用なり 後の円教の観心の仏
 此の釈を能く能く意得(こころう)可きなり。権教は難行苦行して適(たまたま)仏に成りぬと思えば夢中の権(かり)の仏なれば本覚の寤の時には実仏無きなり。極果の仏無ければ有教無人なり。況んや教法実ならんや。之を取つて修行せんは聖教に迷えるなり。此の前三教には仏に成らざる証拠を説き置き給いて末代の衆生に慧解(えげ)を開かしむるなり。
 九界の衆生は一念の無明の眠(ねむり)の中に於て生死の夢に溺れて本覚の寤を忘れ、夢の是非に執して冥(くら)きより冥きに入る。是の故に如来は我等が生死の夢の中に入つて顛倒(てんどう)の衆生に同じて・夢中の語を以て夢中の衆生を誘(いざな)い、夢中の善悪の差別の事を説いて漸漸に誘引し給うに、夢中の善悪の事・重畳(ちょうじょう)して様様に無量無辺なれば、先ず善事に付いて上中下を立つ。三乗の法是なり、三三九品なり。此くの如く説き已つて後に又上上品の根本善を立て上中下・三三九品の善と云う。皆悉く九界生死の夢の中の善悪の是非なり。今是をば総じて邪見・外道と為す 捜要記の意。
 此の上に又上上品の善心は本覚の寤の理なれば・此れを善の本(もと)と云うと説き聞かせ給し時に、夢中の善悪の悟りの力を以ての故に・寤の本心の実相の理を始めて聞知せられし事なり。是の時に仏・説いて言く、夢と寤との二は虚事と実事との二の事なれども心法は只一なり、眠りの縁に値(あ)いぬれば夢なり、眠り去りぬれば寤の心なり。心法は只一なりと開会せらるべき下地を造り置かれし方便なり 此れは別教の中道の理 是の故に未だ十界互具・円融相即を顕はさざれば成仏の人無し。故に三蔵教より別教に至るまで四十二年の間の八教は皆悉く方便・夢中の善悪なり。只暫く之を用いて衆生を誘引し給う支度方便なり。
 此の権教の中にも分分に皆悉く方便と真実と有りて権実の法闕(か)けざるなり。四教一一に各(おのおの)四門有つて差別有ること無し。語(ことば)も只同じ語なり・文字も異ること無し。斯(こ)れに由つて語に迷いて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う。
 是の方便の教は唯穢土(えど)に有つて総じて浄土には無きなり。法華経に云く「十方の仏土の中には唯一乗の法のみ有つて二無く亦三も無し。仏の方便の説をば除く」已上。故に知んぬ、十方の仏土に無き方便の教を取つて往生の行と為し、十方の浄土に有る一乗の法をば之を嫌いて取らずして成仏す可き道理・有る可しや否や。
 一代の教主釈迦如来・一切経を説き勘文し給いて言く、三世の諸仏同様に一つ語(ことば)一つ心に勘文し給える説法の儀式なれば、我も是くの如く一言も違わざる説教の次第なり云云。方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上。
 無分別の法とは一乗の妙法なり。善悪を簡(えら)ぶこと無く、草木・樹林(じゅりん)・山河・大地にも一微塵の中にも互ひに各十法界の法を具足す。我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周遍して闕(か)くること無し。十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて・是の外(ほか)には法無し。此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し。故に無分別法と云う是なり。此の一乗妙法の行をば取らずして全く浄土には無き方便の教を取つて成仏の行と為さんは迷いの中の迷いなり。我・仏に成りて後に穢土に立ち還りて穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に次第に誘引して方便の教を説くを化他の教とは云うなり。故に権教と言い又方便とも云う。化他の法門の有様・大体略を存して斯くの如し。




# by johsei1129 | 2024-10-01 10:51 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2024年 09月 30日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】六

[下山御消息 本文] その六
 然而(しかして)極楽世界よりはるばると御供(おんとも)し奉りたりしが、無量義経の時、仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実・乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は真実ならずと説き給いしかば、実(まこと)とも覚へざりしに・阿弥陀仏・正(まさし)く来たりて合点し給いしをうち見て、さては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しかりけりと聞き定めて、さては我等も本土に還りて何かせんとて八万二万の菩薩のうちに入り、或は観音品に「娑婆世界に遊ぶ」と申して此の土の法華経の行者を守護せんと・ねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内、南方補陀落(ふだらく)山と申す小所を釈迦仏より給いて宿所と定め給ふ。
 阿弥陀仏は左右の臣下たる観音・勢至に捨てられて西方世界へは還り給はず。此の世界に留りて法華経の行者を守護せんとありしかば、此の世界の内(うち)・欲界第四の兜率天(とそつてん)、弥勒菩薩の所領の内・四十九院の一院を給いて阿弥陀院と額を打つておはするとこそ・うけ給はれ。
 其の上・阿弥陀経には仏・舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ。舎利弗、舎利弗、又舎利弗と二十余処までいくばくもなき経によび給いしは、かまびすしかりし事ぞかし。
 然れども四紙の一巻が内・すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず。法華経に来たりてこそ始めて華光如来・光明如来とは記せられ給いしか。一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる。まして末代の牛羊(うしひつじ)の如くなる男女、彼彼の経経にて生死を離れなんや。
 此の由を弁へざる末代の学者等・並びに法華経を修行する初心の人人、かたじけなく阿弥陀経を読み念仏を申して、或は法華経に鼻を並べ、或は後に此れを読みて法華経の肝心とし、功徳を阿弥陀経等にあつらへて西方へ回向し・往生せんと思ふは、譬へば飛竜が驢馬(ろば)を乗物とし、師子が野干をたのみたるか。将又日輪出現の後の衆星の光、大雨盛んなる時の小露なり。故に教大師云く「白牛(びゃくご)を賜う朝(あした)には三車を用いず。家業を得る夕(ゆうべ)には何ぞ除糞を須(もち)いん」。故に経に云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」又云く「日出でぬれば星隠れ、巧みを見て拙(つたなき)を知る」と云云。
 法華経出現の後は、已今当の諸経の捨てらるる事は勿論なり。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人人・道綽(どうしゃく)が未有一人得者・善導が千中無一・慧心が往生要集の序・永観が十因・法然が捨閉閣抛(しゃへいかくほう)等を堅く信じて、或は法華経を抛(なげう)ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法の二名なりと思いて行ずる者もあり。此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指し置き奉りて阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に・国毎に・郷毎に・家家毎に並べ立て、或は一万・二万或は七万返・或は一生の間・一向に修行して主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生・御入滅の両日を奪い取りて、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり。是豈(あに)不孝の者にあらずや、逆路七逆の者にあらずや。人毎に此の重科有りて・しかも人毎に我が身は科なしとおもへり。無慚無愧(むざん・むき)の一闡提人なり。

 法華経の第二の巻に主と親と師との三大事を説き給へり。一経の肝心ぞかし。其の経文に云く「今此の三界は皆是れ我が有(う)なり。其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難(げんなん)多し、唯我一人のみ能く救護(くご)を為す」等云云。又此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず・乃至其の人・命終して阿鼻獄に入らん」等云云。
 されば念仏者が本師の導公は其中衆生の外か。唯我一人の経文を破りて千中無一といいし故に・現身に狂人と成りて楊柳(やなぎ)に登りて身を投げ・堅土に落ちて死にかねて十四日より二十七日まで十四日が間・顛倒狂死し畢んぬ。又真言宗の元祖、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は親父を兼ねたる教主・釈尊法王を立下(たてくだし)て大日他仏をあがめし故に・善無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず又無間地獄に堕ちぬ。汝等此の事疑ひあらば眼前に閻魔堂の画を見よ。金剛智・不空の事はしげければかかず。又禅宗の三階信行禅師は法華経等の一代聖教をば別教と下(く)だす。我が作れる経をば普経と崇重せし故に四依の大士の如くなりしかども、法華経の持者の優婆夷(うばい)にせめられてこえを失ひ、現身に大蛇となり数十人の弟子を呑み食う。

  今日本国の人人はたとひ法華経を持ち・釈尊を釈尊と崇重し奉るとも、真言宗・禅宗・念仏者をあがむるならば無間地獄はまぬがれがたし。何に況んや三宗の者共を日月の如く渇仰し、我が身にも念仏を事(わざ)とせむ者をや。心あらん人人は念仏・阿弥陀経等をば父母・師・君の宿世(すくせ)の敵よりもいむべきものなり。例せば逆臣が旗をば官兵は指す事なし、寒食の祭には火をいむぞかし。されば古への論師・天親菩薩は小乗経を舌の上に置かじと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は法華経をだに読み給はず。此等はもと小乗経を以て大乗経を破失し、法華経を以て天台大師を毀謗し奉りし謗法の重罪を消滅せんがためなり。今日本国の人人は一人もなく不軽軽毀(きょうき)の如く、苦岸・勝意等の如く、一国万人皆無間地獄に堕つべき人人ぞかし。仏の涅槃経に記して・末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記し給いし是なり。
 而(しかる)に今・法華経の行者出現せば一国万人、皆法華経の読誦を止めて吉蔵大師の天台大師に随うが如く身を肉橋となし、不軽軽毀の還つて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕うるとも、一日二日・一月二月・一年二年・一生二生が間には法華経誹謗の重罪は、尚なをし滅しがたかるべきに、其の義はなくして当世の人人は四衆倶に一慢をおこせり。所謂念仏者は法華経を捨てて念仏を申す、日蓮は法華経を持(たもつ)といへども念仏を持たず、我等は念仏を持ち法華経をも信ず、戒をも持ち一切の善を行ず等云云。此等は野兎(やと)が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入れ、魯人(ろびと)が孔子をあなづり、善星が仏を・をどせしにことならず。
 鹿馬(ろくば)迷いやすく、鷹鳩(ようきゅう)変じがたき者なり。墓無し・墓無し。 当時は予が古へ申せし事の漸く合(あう)かの故に・心中には如何せんとは思ふらめども、年来(としごろ)あまりに法にすぎてそしり・悪口せし事が、忽ちに翻(ひるがえり)がたくて信ずる由をせず、而も蒙古はつよりゆく。如何せんと宗盛・義朝が様になげくなり。
 あはれ人は心はあるべきものかな。孔子は九思一言、周公旦は浴(ゆあみ)する時は三度にぎり、食する時は三度吐(はき)給う。賢人は此くの如く用意をなすなり。世間の法にも・はふ(法)にすぎば・あやしめといふぞかし。国を治する人なんどが人の申せばとて、委細にも尋ねずして・左右なく科に行はれしは・あはれくやしかるらんに、夏の桀王が湯王(とうおう)に責められ、呉王が越王に生けどりにせられし時は、賢者の諌暁を用いざりし事を悔ひ、阿闍世王が悪瘡身に出で他国に襲はれし時は・提婆を眼に見じ・耳に聞かじと誓い、乃至宗盛がいくさにまけ義経に生けどられて鎌倉に下(くだ)されて面をさらせし時は、東大寺を焼き払はせ・山王の御輿(みこし)を射奉りし事を歎きしなり。

 今の世も又一分もたがふべからず。日蓮を賤(いやし)み・諸僧を貴び給う故に・自然(じねん)に法華経の強敵となり給う事を弁へず・政道に背きて行はるる間、梵釈・日月・四天・竜王等の大怨敵となり給う。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界・迹化他方・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神、他国の賢王の身に入り代りて国主を罰し、国をほろぼさんとするを知らず。
 真(まこと)の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山(てっちせん)を日本国に引回(ひきめぐら)し、須弥山を蓋(おおい)として・十方世界の四天王を集めて波際(なぎさ)に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を・法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散して散散に踏(ふみ)たりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでかかかる国をばたすけ給うべき。いそぎいそぎ治罰を加えて自科(みずからの・とが)を脱がれんとこそはげみ給うらめ。をそ(遅)く科に行う間、日本国の諸神ども・四天大王にいましめられてやあるらん、知り難き事なり。

 教大師云く「竊(ひそか)に以(おもんみ)れば菩薩は国の宝なること法華経に載せ、大乗の利他は摩訶衍(まかえん)の説なり。弥天(みてん)の七難は大乗経に非ずんば何を以てか除くことを為(せ)ん。未然(みぜん)の大災は菩薩僧に非ずんば豈・冥滅(あに・みょうめつ)することを得んや」等云云。
 而るを今大蒙古国を調伏(じょうぶく)する公家武家の日記を見るに、或は五大尊・或は七仏薬師・或は仏眼・或は金輪等云云。此れ等の小法は大災を消すべしや。還著於本人(げんちゃく・おほんにん)と成りて国・忽(たちま)ちに亡びなんとす。或は日吉の社にして法華の護摩(ごま)を行うといへども、不空三蔵が誤れる法を本として行う間・祈祷の儀にあらず。又今の高僧等は或は東寺の真言、或は天台の真言なり。東寺は弘法大師、天台は慈覚・智証なり。此の三人は上に申すが如く大謗法の人人なり。其れより已外(いげ)の諸僧等は、或は東大寺の戒壇の小乗の者なり。叡山の円頓戒は又慈覚の謗法に曲げられぬ。彼の円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にあらず。旁(かたがた)叶うべき事にはあらず。只今国土やぶれなん。後悔さきにたたじ、不便(ふびん)不便と語り給いしを千万が一を書き付けて参らせ候。

 但し身も下賤に生まれ・心も愚かに候へば、此の事は道理かとは承わり候へども、国主も御用いなきかの故に鎌倉にては如何が候ひけん、不審に覚え候。返す返すも愚意に存じ候は・これ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして両度の御勘気には行はれけるやらんと聞食(きこしめ)し・ほどかせ給はぬ人人の、或は道理とも或は僻事とも仰せあるべき事とは覚え候はず。
 又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも併(しかしなが)ら御為・父母の為にて候。只理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候はば、其の時重ねて申すべく候。いかにも聞こし食さずしてうしろの推義をなさん人人の仰せをば、たとひ身は随う様に候えども・心は一向に用いまいらせ候まじ。又恐れにて候へども兼ねて・つみしらせまいらせ候。
 此の御房は唯一人おはします。若しやの御事の候はん時は、御後悔や候はんずらん。世間の人人の用いねばとは、一旦のをろ(愚)かの事なり。上(かみ)の御用あらん時は誰人か用いざるべきや。其の時は又用いたりとも何かせん、人を信じて法を信ぜず。
 又世間の人人の思いて候は、親には子は是非に随うべしと君臣師弟も此くの如しと。此れ等は外典をも弁えず・内典をも知らぬ人人の邪推なり。外典の孝経には子父・臣君諍うべき段もあり。内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏・定め給いぬ。悉達(しった)太子は閻浮第一の孝子なり。父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか。比干が親父・紂王を諌暁して胸をほ(屠)られてこそ賢人の名をば流せしか。賤(いやし)み給うとも小法師が諌暁を用ひ給はずば、現当の御歎きなるべし。此れは親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へば、いかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず。恐恐申し上げ候。

建治三年六月 日  僧 日永 (日蓮大聖人代筆)

下山兵庫五郎殿御返事




# by johsei1129 | 2024-09-30 19:55 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2024年 09月 30日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】五

[下山御消息 本文] その五
 自讃には似たれども本文に任せて申す、余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。経に云く「即ち如来の使ひなり」と。又云く「眼目なり」と。又云く「日月なり」と。章安大師の云く「彼が為に悪を除くは則ち是れ彼が親なり」等云云。
 而るに謗法一闡提・国敵の法師原が讒言を用いて其の義を弁えず、左右なく大事たる政道を曲げらるるは・わざと・わざはひを・まねかるるか、墓無し・墓無し。然るに事しづまりぬれば科なき事は恥づかしきかの故にほどなく召し返されしかども、故最明寺の入道殿も又早く・かくれさせ給いぬ。
 当御時に成りて或は身に疵(きず)をかふり・或は弟子を殺され・或は所所を追(おわ)れ・或はやどをせめしかば、一日片時も地上に栖むべき便りなし。是に付けても仏は「一切世間・怨多くして信じ難し」と説き置き給う。諸の菩薩は「我不愛身命・但惜(たんじゃく)無上道」と誓へり。「加刀杖瓦石・数数見擯出」の文に任せて流罪せられ、刀のさきにかかりなば・法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く・覚徳比丘の様に、竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く、弥(いよいよ)強盛に申しはる。

 今度・法華経の大怨敵を見て経文の如く父母・師匠・朝敵・宿世の敵の如く・散散に責むるならば、定めて万人もいかり、国主も讒言を収(いれ)て流罪し、頚にも及ばんずらん。其の時・仏前にして誓状せし梵釈・日月・四天の願をも・はたさせたてまつり、法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと起請せしを身にあてて心みん。釈尊・多宝・十方分身の諸仏の・或は共に宿し、或は衣を覆(おお)ひ、或は守護せんとねんごろに説かせ給いしをも・実(まこと)か虚言(そらごと)かと知つて信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず去る文永八年九月十二日に、都て一分の科もなくして佐土の国へ流罪せらる。外には遠流と聞こえしかども内には頚を切ると定めぬ。
 余又兼て此の事を推せし故に弟子に向つて云く、我が願既に遂(とげ)ぬ、悦び身に余れり、人身は受けがたくして破れやすし、過去遠遠劫より由なき事には失いしかども、法華経のために命をすてたる事はなし。我・頚を刎(はね)られて師子尊者が絶えたる跡を継ぎ、天台伝教の功にも超へ、付法蔵の二十五人に一を加えて二十六人となり、不軽菩薩の行にも越えて釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんと・なげかせまいらせんと思いし故に、言(ことば)をも・おしまず、已前にありし事・後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ。此の語しげければ委細にはかかず。

 抑(そもそ)も日本国の主となりて万事を心に任せ給へり。何事も両方を召し合せてこそ勝負を決し御成敗をなす人の・いかなれば日蓮一人に限つて諸僧等に召し合はせずして大科に行わるらん。是れ偏にただ事にあらず。たとひ日蓮は大科の者なりとも国は安穏なるべからず。御式目を見るに五十一箇条を立てて終りに起請文を書き載せたり。第一・第二は神事・仏事乃至・五十一等云云。神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を・讒人(ざんにん)等に召し合はせられずして彼等が申すままに頚に及ぶ。然れば他事の中にも此の起請文に相違する政道は有るらめども・此れは第一の大事なり。日蓮がにくさに国をかへ・身を失はんとせらるるか。魯の哀公が忘事(わするる)の第一なる事を記せらるるには「移宅(わたまし)に妻をわする」と云云。孔子の云く「身をわするる者あり、国主と成りて政道を曲ぐる是なり」云云。将(はた)又国主は此の事を委細には知らせ給はざるか。いかに知らせ給はずとのべらるるとも、法華経の大怨敵と成り給いぬる重科は脱るべしや。多宝・十方の諸仏の御前にして教主釈尊の申す口として末代当世の事を説かせ給いしかば、諸の菩薩記して云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱(めり・きにく)せん。乃至数数擯出(しばしば・ひんずい)せられん」等云云。又四仏釈尊の所説の最勝王経に云く「悪人を愛敬し・善人を治罰するに由るが故に乃至・他方の怨賊来つて国人喪乱に遭わん」等云云。

 たとい日蓮をば軽賤(きょうせん)せさせ給うとも、教主釈尊の金言・多宝・十方の諸仏の証明は空(むなし)かるべからず。一切の真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども、其の大科を知らせ給はねば少し天も許し・善神もすてざりけるにや。而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず、身命を捨てて指し申さば、賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに、聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに、剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり。
 然れば大悪人を用いる大科・正法の大善人を耻辱(ちじょく)する大罪、二悪・鼻を並べて此の国に出現せり。譬(たとえ)ば修羅を恭敬(くぎょう)し、日天を射奉るが如し。故に前代未聞の大事・此の国に起るなり。是又先例なきにあらず。夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね、殷の紂王は比干が胸をさき、二世王は李斯(りし)を殺し、優陀延(うだえん)王は賓頭盧(びんずる)尊者を蔑如し、檀弥羅(だんみら)王は師子尊者の頚をきる。武王は慧遠法師と諍論し、憲宗王は白居易を遠流し、徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印(かなやき)をさす。此等は皆諌暁を用いざるのみならず、還つて怨を成せし人人、現世には国を亡ぼし・身を失ひ、後生には悪道に堕つ。是れ又人をあなづり讒言を納れて理を尽さざりし故なり。

 而るに去る文永十一年二月に佐土の国より召し返されて、同四月の八日に平金吾に対面して有りし時、理不尽の御勘気の由・委細に申し含めぬ。又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば、金吾が云く、何(いつ)の比(ころ)か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば、経文には分明に年月を指したる事はなけれども、天の御気色を拝見し奉るに、以ての外に此の国を睨(にら)みさせ給うか、今年は一定(いちじょう)寄せぬと覚ふ。若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず。此れ又天の責めなり。日蓮をば・わどのばら(和殿原)が用いぬ者なれば力及ばず。穴賢(あなかしこ)穴賢。真言師等に調伏行わせ給うべからず。若し行わするほどならいよいよ悪(あし)かるべき由・申し付けてさて帰りてありしに、上下共に先の如く用いざりげに有る上、本より存知せり、国恩を報ぜんがために三度までは諌暁すべし、用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり。又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且(しばら)く山中に罷(まか)り入りぬ。其の上は国主の用い給はざらんに・其れ已下に法門申して何かせん。申したりとも国もたすかるまじ、人も又仏になるべしともおぼへず。

 又念仏無間地獄・阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず。夫れ弥陀念仏と申すは源(も)と釈迦如来の五十余年の説法の内、前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり。然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそ・あるらめと信ずる処に、後八年の法華経の序分たる無量義経に仏・法華経を説かせ給はんために、先づ四十余年の経経・並びに年紀等を具(つぶさ)に数へあげて「未だ真実を顕わさず乃至終に無上菩提を成ずることを得ず」と若干の経経並びに法門を唯一言に打ち消し給う事、譬えば大水の小火をけし、大風の衆(もろもろ)の草木の露を落すが如し。

 然後(しこうして・のち)に正宗の法華経の第一巻に至つて「世尊の法は久しくして後・要(かなら)ず当に真実を説きたもうべし」又云く「正直に方便を捨てゝ但だ無上道を説く」と説き給う。譬へば闇夜に大月輪の出現し、大塔立てゝ後・足代(あししろ)を切り捨つるが如し。
 然して後・実義を定めて云く「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難(げんなん)多し。唯我一人のみ能く救護(くご)を為す。復教詔すと雖も・而も信受せず。乃至経を読誦(どくじゅ)し・書き・持つこと有らん者を見て・軽賤憎嫉(きょうせん・ぞうしつ)して而も結恨を懐(いだ)かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。
 経文の次第・普通の性相の法には似ず。常には五逆・七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に、此れはさにては候はず、在世滅後の一切衆生・阿弥陀経等の四十余年の経経を堅く執(しゅう)して法華経へうつらざらんと、たとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼の経経を法華経に並べて修行せん人と、又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と、法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱(ちじょく)せん者と、此れ等の諸人を指しつめて「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と定めさせ給いしなり。

 此の事はただ釈迦一仏の仰(おおせ)なりとも、外道にあらずば疑うべきにてはあらねども、已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために宝浄世界の多宝如来は自(みずから)はるばる来たり給いて証人とならせ給う。釈迦如来の先判たる大日経・阿弥陀経・念仏等を堅く執して後の法華経へ入らざらむ人人は、入阿鼻獄は一定(いちじょう)なりと証明し、又阿弥陀仏等の十方の諸仏は各各の国国を捨てて霊山・虚空会(こくうえ)に詣で給い、宝樹下に坐して広長舌を出だし・大梵天に付け給うこと・無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し。

 心は四十余年の中の観経・阿弥陀経・悲華経等に、法蔵比丘の諸菩薩・四十八願等を発(おこ)して凡夫を九品の浄土へ来迎(らいごう)せんと説く事は、且く法華経已前のやすめ言なり。実には彼れ彼れの経経の文の如く十方西方への来迎はあるべからず。実(まこと)とおもふことなかれ。釈迦仏の今説き給うが如し。実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出だし給う広長舌なり。
 我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり。釈迦仏は天月の如し、我等は水中の影の月なり。釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり。天月動き給はずば我等もうつるべからず。此の土に居住して法華経の行者を守護せん事、臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く、父母の一子を愛するが如くならんと出だし給う舌なり。其の時・阿弥陀仏の一二の弟子、観音・勢至等は阿弥陀仏の塩梅(あんばい)なり、雙翼(つばさ)なり・左右の臣なり・両目の如し。

[下山御消息 本文] その六に続く




# by johsei1129 | 2024-09-30 16:47 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2024年 09月 30日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ)と説いた【下山御消息】四

[下山御消息 本文] その四
 法華経に云く「或は阿練若(あれんにゃ)に納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在りて、乃至・利養に貪著するが故に、白衣(びゃくえ)の与に法を説いて・世に恭敬(くぎょう)せらるること・六通の羅漢の如きもの有らん」
 又云く「常に大衆の中に在て我等を毀らんと欲するが故に・国王大臣・婆羅門居士(こじ)及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説き、乃至・悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱(めり・きにく)せん」
 又云く「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙(ひんしゅく)し、数数擯出(しばしば・ひんずい)せられん」等云云。
 涅槃経に云く「一闡提有つて羅漢の像を作し・空処に住し方等大乗経典を誹謗す。諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢・是れ大菩薩なりと謂(おも)えり」等云云。

 今予・法華経と涅槃経との仏鏡をもつて当時の日本国を浮べて其の影をみるに、誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて・而も法華経の行者を讒言して頚をきらせんとせし。又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる。誰の智者か法華経の故に度度・処処を追はれ・頚をきられ・弟子を殺され・両度まで流罪せられて最後に頚に及ばんとせし。

 眼無く・耳無きの人は除く、眼有り・耳有らん人は経文を見聞せよ。今の人人は人毎に経文を我もよむ・我も信じたりといふ。只にくむところは日蓮計(ばかり)なり。経文を信ずるならば慥(たしか)にのせたる強敵を取り出だして・経文を信じて・よむしるしとせよ。若し爾らずんば経文の如く読誦する日蓮をいかれるは、経文をいかれるにあらずや。仏の使ひを・かろしむるなり。今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば、釈尊は大妄語の仏、多宝・十方の諸仏は不実の証明なり。又経文まことならば御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ、国は他の有(もの)となり後生には阿鼻地獄疑ひなし。
 而るに彼等が大悪法を尊(とうと)まるる故に、理不尽の政道出来す。彼の国主の僻見(びゃっけん)の心を推するに、日蓮は阿弥陀仏の怨敵、父母の建立の堂塔の讎敵(しゅうてき)なれば、仮令(たとい)政道をまげたりとも仏意には背かじ、天神もゆるし給うべしと・をもはるるか、はかなし・はかなし。委細にかたるべけれども此れは小事なれば申さず。心有らん者・推して知んぬべし。上(かみ)に書き挙(あ)ぐるより雲泥大事なる日本第一の大科、此の国に出来して年久くなる間、此の国既に梵釈・日月・四天・大王等の諸天にも捨てられ、守護の諸大善神も還つて大怨敵となり、法華経守護の梵帝等・鄰国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し・仏前の誓状を遂げんとおぼしめす事あり。

 夫れ正像の古へは世・濁世に入るといへども・始めなりしかば国土さしも乱れず、聖賢も間間出現し福徳の王臣も絶えざりしかば政道も曲がる事なし。万民も直かりし故に小科を対治せんがために三皇・五帝・三王・三聖等出現して墳典を作りて代を治す。世しばらく治(おさま)りたりしかども、漸漸にすへになるままに聖賢も出現せず・福徳の人もすくなければ三災は多大にして七難・先代に超過せしかば・外典及びがたし。其の時・治を代えて内典を用いて世を治す。随つて世且くは・おさまる。されども又世・末になるままに人の悪は日日に増長し、政道は月月に衰減するかの故に又三災・七難先(さき)よりいよいよ増長して小乗戒等の力・験(しるし)なかりしかば、其の時・治をかへて小乗の戒等を止め大乗を用ゆ。大乗又叶わねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治めたり。所謂伝教大師、日本三所の小乗戒並びに華厳・三論・法相の三大乗戒を破失せし是なり。

 此の大師は六宗をせめ落させ給うのみならず・禅宗をも習い極め、剰(あまつさ)え日本国にいまだひろまらざりし法華宗・真言宗をも勘え出して勝劣・鏡をかけ、顕密の差別・黒白なり。然れども世間の疑ひを散じがたかりしかば、去る延暦年中に御入唐。漢土の人人も他事には賢(かしこ)かりしかども法華経・大日経・天台・真言の二宗の勝劣・浅深は分明(ふんみょう)に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後・本の御存知の如く、妙楽大師の記の十の不空三蔵の改悔(かいげ)の言を含光(がんこう)がかたりしを引き載せて・天台勝れ・真言劣なる明証を依憑集(えひょうしゅう)に定め給う。剰え真言宗の宗の一字を削り給う。其の故は善無畏・金剛智・不空の三人、一行阿闍梨をたぼらかして・本はなき大日経に天台の己証の一念三千の法門を盗み入れて・人の珍宝を我が有(もの)とせる大誑惑の者なりと心得給へり。例せば澄観法師が天台大師の十法成乗(じょうじょう)の観法を華厳に盗み入れて・還つて天台宗を末教と下せしが如しと御存知あて、宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云。而るを弘法大師と申し天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後・対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ。

 然れども本師の跡を紹継する人人は叡山は唯七宗にてこそあるべきに、教大師の第三の弟子・慈覚大師と叡山第一の座主・義真和尚の末弟子・智証大師と、此の二人は漢土に渡り給いし時、日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば、天台・真言の碩学等に値い給う毎に勝劣・浅深を尋ね給う。
 然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ・或は天台宗勝れ・或は二宗斉等(ひと)し・或は理同事異といへども倶(とも)に慥(たしか)の証文をば出さず。二宗の学者等・併(しか)しながら胸臆(くおく)の言なり。然るに慈覚大師は学び極めずして帰朝して疏(じょ)十四巻を作れり。所謂・金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻なり。
 此の疏の体(てい)たらくは法華経と大日経の三部経とは理は同く、事は異なり等云云。此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出だせるが、なを不審あきらめがたかりけるかの故に、本尊の御前に疏を指し置きて・此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に、夢に日輪を射ると云云。うちをどろきて吉夢なり・真言勝れたる事疑ひなしとおもひて宣旨を申し下す。日本国に弘通せんとし給いしが・ほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなく・うせ給いぬ。
 而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下(くだ)し給う。所謂・真言・法華斉(さい)等なり。譬へば鳥の二の翼(よく)・人の両目の如し。又叡山も八宗なるべしと云云。此の両人は身は叡山の雲の上に臥(ふ)すといへども、心は東寺里中の塵にまじはる。本師の遺跡を紹継する様にて・還つて聖人の正義を忽諸(こっしょ)し給へり。法華経の於諸経中・最在其上の上の字をうちかへして大日経の下に置き、先づ大師の怨敵となるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵(しゅうてき)となり給う。されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是なり。仏法の大科・此れよりはじまる。日本国亡国となるべき先兆なり。

 棟梁たる法華経・既に大日経の椽梠(てんりょ)となりぬ。王法も下剋上して王位も臣下に随うべかりしを、其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上、座主も両方を兼ねて事いまだきれざりしかば・世も忽ちにほろびず有りけるか。例せば外典に云く「大国には諍臣(じょうしん)七人・中国には五人・小国には三人。諍論すれば仮令(たとい)政道に謬誤(あやまり)出来すれども国破れず・乃至家に諌(いさむる)子あれば不義におちず」と申すが如し。仏家も又是くの如し。天台・真言の勝劣・浅深事きれざりしかば、少少の災難は出来せしかども青天にも捨てられず、黄地(おうじ)にも犯されず、一国の内の事にてありし程に、人王七十七代・後白河の法皇の御宇に当りて天台座主明雲・伝教大師の止観院の法華経の三部を捨てて慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う。天台山は名計りにて真言の山になり、法華経の所領は大日経の地となる。天台と真言と座主と大衆と敵対あるべき序(ついで)なり。国又王と臣と諍論して・王は臣に随うべき序なり、一国乱れて他国に破らるべき序なり。然れば明雲は義仲に殺されて院も清盛にしたがひられ給う。
 然れども公家も叡山も共に此の故としらずして世静かならず・すぐる程に災難次第に増長して人王八十二代隠岐の法皇の御宇に至つて一災起れば二災起ると申して禅宗・念仏宗起こり合いぬ。善導房は法華経は末代には千中無一とかき、法然は捨閉閣抛(しゃへいかくほう)と云云。禅宗は法華経を失はんがために教外別伝・不立文字とののしる。此の三の大悪法・鼻を並べて一国に出現せしが故に、此の国すでに梵釈・二天・日月・四王に捨てられ奉り、守護の善神も還つて大怨敵とならせ給う。然れば相伝の所従に責め随えられて主上・上皇共に夷島(えびすしま)に放たれ給い、御返りなくして・むなしき島の塵となり給う。詮ずる所は実経の所領を奪い取りて権経たる真言の知行となせし上、日本国の万民等・禅宗・念仏宗の悪法を用いし故に、天下第一・先代未聞の下剋上出来(しゅったい)せり。

 而るに相州は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽くせし人なれば天・許し国主となす。随つて世且く静かなりき。然而(しかるに)又先に王法を失いし真言・漸く関東に落ち下る。存外に崇重せらるる故に鎌倉又還つて大謗法・一闡提の官僧・禅僧・念仏僧の檀那と成りて新寺を建立して旧寺を捨つる。故に天神は眼を瞋らして此の国を睨(にら)め、地神は憤(いきどおり)を含めて身を震ふ。長星は一天に覆ひ、地震は四海を動かす。余・此等の災夭に驚いて粗内典五千七千・外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭なり。然而(しかるに)儒者の家には記せざれば知る事なし、仏法は自迷なればこころへず。此の災夭は常の政道の相違と世間の謬誤(あやまり)より出来せるにあらず、定めて仏法より事起るかと勘へなしぬ。
 先ず大地震に付いて去ぬる正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る。御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科(とが)あらじとやおもひけん、念仏者並に檀那等・又さるべき人人も同意したるとぞ聞こへし。夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども・いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ。然れども心を合せたる事なれば・寄せたる者も科なくて大事の政道を破る。日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ。
 されば人のあまりににくきには・我がほろぶべき・とがをも・かへりみざるか、御式目をも破らるるか。御起請(ごきしょう)文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる。余・存外の法門を申さば・子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて、其れに・なを事ゆかずば漢土・月氏までも尋ねらるべし。其れに叶わずば子細ありなんとて且くまたるべし。子細も弁えぬ人人が・身のほろぶべきを指しをきて大事の起請を破らるる事・心へられず。




# by johsei1129 | 2024-09-30 15:47 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2024年 09月 30日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ)と説いた【下山御消息】三

[下山御消息 本文] その三
 而るを余・此の事を見る故に、彼が檀那等が大悪心をおそれず・強盛にせむる故に両火房・内内諸方に讒言を企てて余が口を塞(ふさ)がんとはげみしなり。又経に云く「汝を供養する者は三悪道に堕つ」等云云。在世の阿羅漢を供養せし人・尚三悪道まぬかれがたし。何に況んや滅後の誑惑の小律の法師原をや。小戒の大科をばこれを以て知んぬ可し。或は又驢乳(ろにゅう)にも譬えたり、還つて糞(あくた)となる。或は狗犬にも譬えたり、大乗の人の糞を食す。或は猿猴・或は瓦礫(がりゃく)と云云。

 然れば時を弁へず・機をしらずして小乗戒を持たば大乗の障(さわり)となる。破れば又必ず悪果を招く。其の上・今の人人・小律の者どもは大乗戒を小乗戒に盗み入れ、驢乳に牛乳(ごにゅう)を入れて大乗の人をあざむく。大偸盗の者・大謗法の者、其のとがを論ずれば提婆達多も肩を並べがたく、瞿伽利(くぎゃり)尊者が足も及ばざる閻浮第一の大悪人なり。帰依せん国土安穏なるべしや。余此の事を見るに自身だにも弁へなば・さでこそあるべきに、日本国に智者とおぼしき人人・一人も知らず、国すでにやぶれなんとす。其の上仏の諌暁を重んずる上、一分の慈悲にもよをされて国に代はりて身命を捨て申せども、国主等彼にたぼらかされて用ゆる人一人もなし。譬へば熱鉄に冷水を投げ、睡眠の師子に手を触るゝが如し。

 爰に両火房と申す法師あり。身には三衣(さんね)を皮の如く・はなつ事なし。一鉢(いっぱち)は両眼をまほるが如し。二百五十戒堅く持ち・三千の威儀をととのへたり。世間の無智の道俗、国主よりはじめて万民にいたるまで地蔵尊者の伽羅陀山(からだせん)より出現せるか、迦葉尊者の霊山より下来するかと疑ふ。

 余・法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば、末代に入りて法華経の大怨敵・三類あるべし。其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ。便宜(びんぎ)あらば国敵をせめて・彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う処に、両火房・常に高座にして歎いて云く「日本国の僧尼には二百五十戒・五百戒、男女には五戒・八斎戒等を一同に持たせんとおもうに、日蓮が此の願の障りとなる」と云云。

 余案じて云く、現証に付て事を切らんと思う処に、彼・常に雨を心に任せて下(ふら)す由披露あり。古へも又雨を以て得失をあらはす例(ためし)これ多し。所謂伝教大師と護命(ごみょう)と、守敏と弘法と等なり。此に両火房・上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたりと云云。此(ここ)に両火房祈雨あり。去る文永八年六月十八日より二十四日なり。此に使ひを極楽寺へ遣す。年来(としごろ)の御歎きこれなり。七日が間に若(もし)一雨も下らば、御弟子となりて二百五十戒具(つぶ)さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事・ひがよみ・なりけりと申すべし。余だにも帰伏し奉らば我が弟子等をはじめて日本国・大体かたぶき候なん」と云云。
 七日が間に三度の使ひをつかはす。然れども・いかんがしたりけむ、一雨も下らざるの上、頽(たい)風・颷(ひょう)風・旋風・暴風等の八風・十二時にやむ事なし。剰(あまつさえ)二七日まで一雨も下らず、風もやむ事なし。されば此の事は何事ぞ。和泉式部と云いし色好み、能因法師と申せし無戒の者、此は彼の両火房がいむところの三十一字(みそひともじ)ぞかし。
 彼の月氏の大盗賊・南無仏と称せしかば天頭(てんず)を得たり。彼の両火房並びに諸僧等の二百五十戒・真言法華の小法・大法の数百人の仏法の霊験、いかなれば婬女等の誑言(おうげん)・大盗人が称仏には劣らんとあやしき事なり。此れを以て彼等が大科をばしらるべきに、さはなくして還つて讒言をもちゐらるるは実(まこと)とはおぼへず。所詮・日本国亡国となるべき期(ご)来たるか。

 又祈雨の事はたとひ雨下(ふ)らせりとも雨の形貌(すがた)を以て祈る者の賢・不賢を知る事あり。雨種種なり。或は天雨、或は竜雨、或は修羅雨、或は麤(そ)雨、或は甘雨、或は雷雨等あり。今の祈雨は都て一雨も下らざる上、二七日が間・前よりはるかに超過せる大旱魃・大悪風・十二時に止む事なし。両火房・真の人ならば忽ちに邪見をもひるがへし跡をも山林にかくすべきに、其の義なくして面を弟子檀那等にさらす上、剰(あまつさえ)讒言を企て日蓮が頚をきらせまいらせんと申し上げ、あづかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり。而るを無智の檀那等は恃怙(じこ)して・現世には国をやぶり、後生には無間地獄に堕ちなん事の不便さよ。
 
 起世経に云く「諸の衆生有りて放逸(ほういつ)を為し、清浄の行を汚す故に天・雨を下さず」
 又云く「不如法あり。慳貪(けんどん)・嫉妬・邪見・顛倒(てんどう)なる故に天・則ち雨を下さず」
 又経律異相に云く「五事有て雨無し。一二三之を略す。四には雨師婬乱。五には国王・理をもつて治めず雨師瞋(いか)る故に雨ふらず」云云。
 此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ。少しも・くもりなからん。一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか、二には慳貪なるか、三には嫉妬なるか、四には邪見なるか、五には婬乱なるか、此の五にはすぐべからず。
 又此の経は両火房一人には限るべからず、昔をかがみ・今をもしれ。弘法大師の祈雨の時、二七日の間・一雨も下(ふ)らざりしもあやしき事なり。而るを誑惑の心強盛なりし人なれば天子の御祈雨の雨を盗み取りて我が雨と云云。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時も小雨は下(ふり)たりしかども・三師共に大風連連と吹いて勅使をつけて・をはれし・あさましさと、天台大師・伝教大師の須臾と三日が間に帝釈・雨を下らして小風も吹かざりしも、たと(貴)くぞ・おぼゆる・おぼゆる。

[下山御消息 本文] その四に続く




# by johsei1129 | 2024-09-30 15:34 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)