2025年 06月 09日
通知書 これらは、御法主日如上人及び本宗僧侶への誹毀讒謗、誹謗中傷、悪口雑言の言を並べたものであり、これ以上、執拗にして度重なる宗門への暴言を容認することはできません。 よって、謗法厳誡の宗是の上から、貴殿の迷妄の数々を挙げて、逐次破折します。 尚、あまりに煩瑣にわたるため、本書は、前記「第三回 建白書」を破折するのみに止めますが、これは、毛頭ほども、貴殿から送付された従前の書面の内容を是認する趣旨ではありませんので、念のため申し添えます。 一、「現在の宗門は四衆ではなく三衆になっておられます」に対して 貴殿は「現在の宗門は三衆で比丘尼は存在しておりません。つまり仏教の極めて初歩的な基本さえもまもられていないのが現在の宗門の実体であります。仮に比丘尼の存在が出家僧の修行の妨げになるから比丘尼を認めないとするならば、今の宗門は法華経どころかごく初期の釈迦仏法にまでさかのぼる極めて低次元の修行方法を実践していることになります」と述べていますが、 四衆を揃えることが「仏法の極めて初歩的な基本」との貴殿の認識は誤りです。法華経に四衆を挙げられるのは、法華経を信心修行する全ての衆生の意であります。 本宗僧侶の出家得度は、本宗宗規第百九十四条に規定され、同第百九十五条は得度できない定めがありますが、その中に性別による制限は全くありません。 但し、現宗門においては、年分並びに一般得度者制度を設けており、得度を許されたものは、すべてが御法主上人の弟子として総本山大坊に在勤し修行する方針が採られ、末寺にて新たに弟子を募ることは認められていません。そのような中にあって、女性が得度して大坊にて在勤修行するには、様々な点において配慮が必要であるため、特に現在では、女性の得度者を募っていないのであります。 しかしながら、たとえ僧分になくとも、女性檀信徒が大活躍されている広布進展の現実相に鑑みれば、尼僧が存在しないことをもって現宗門を非難攻撃する貴殿の考えこそが、「極めて低次元」なものの見方であります。 二、「像法時代・多造塔寺の修行を末法に行う愚かさ」に対して ①「日蓮大聖人(中略)御在世当時は大きな伽藍を建立することなく布教の拠点の宿坊に御本尊を安置することに専念されました。しかし現在、宗門は多額の信徒の浄財を使用し三門の大改修に躍起になっておられます。その費用があれば世界津々浦々にどれほど御本尊をご安置できる宿坊を建立できるかと嘆くばかりであります」と述べますが、 日蓮大聖人が、「御在世当時は大きな伽藍を建立」していないとする根拠は何でしょうが。弘安二年八月十一日の『曽谷殿御返事』には、 「今年一百余人の人を山中にやしないひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ」(御書一三八六) とあるように、大聖人の御在世当時、身延の御在所には、多いときには百人以上の弟子や旦那が修行し、生活していたことが拝せられます。さらには、本堂の他にも、それら人々が休息する建物があったであろうことは容易に想像できるところです。 『地引御書』には、 「坊は十間四面に、またひさし(庇)さ(差)してつくりあげ(中略)坊はかまくらにては一千貫にても大事とこそ申し候へ」(御書一五七七) と、大聖人御在世当時に新築された身延の大坊は、十間四面、二重ひさしの立派な建物であり、鎌倉ではとても建てられないほどの堂宇であることが記されています。 また身延離山後、第二祖日興上人が開創されて総本山大石寺は、御遺命の戒壇建立の霊地であり、本門戒壇の大御本尊をはじめ多くの重宝を厳護する広宣流布の根本道場であります。ここに伽藍を建立し、多くの檀信徒を迎え入れ、共々に仏道精進を志すことは、本宗僧俗の当然の勤めであります。 大石寺は、開創七百年以上にわたり、各時代僧俗の尊い御供養によって、御影堂、三門、五重塔などの伽藍が建立され、時には、修復改築されつつ現在に至っています。この事実を蔑ろにする貴殿の言い分は、宗祖日蓮大聖人、御開山日興上人以来の歴代御法主上人及び本宗僧俗の護惜建立の信心と功績を否定する暴論です。 ②「日蓮門下の使命は戦乱・貧困・災害にあえいでいる世界の人々に一人でも多く御本尊に南無妙法蓮華経と唱える事を叶える施策を最優先で実施すべきなのです。」とも述べていますが、 世界の人々が南無妙法蓮華経と唱える事を叶える最優先の施策こそ、法華講員八十万人体制の構築へ向けての折伏弘通であります。 三、 「貫主は住職を謗り、住職は法華講員を謗る今の宗門組織」に対して ①「貫主は八十万法華講体制の宗門が定めた目標数値に達していないと末寺の住職を恥辱し、信徒に慕われていた末寺から他寺へ左遷」と述べていますが、 御法主上人は、折伏が進展するよう、末寺住職主管に対して、慈悲の上から督励されています。その折伏推進への激励を「謗り」とか「恥辱」と喩うことは、実に不心得の極みというべきであります。 加えて、本宗宗規第十六条及び第百八十条に規定されている通り、本宗寺院教会の住職主管の任命権は、官庁の専権事項であり、御法主上人は管長として、慈悲にもとづく深慮の上から宗務行政上の人事として住職主管の任免を行われているのであって、これを故なく「左遷」などと言うことは、何ら権限なくして住職主管の任免に口を差し挟む無礼千万の越権行為であり、また御法主上人に対する許しがたい誹謗と言わなければなりません。 ②「北海道第一布教区の支院長は『脳梗塞』の現罰を被るに至っております。」についてですが、 貴殿が言うところの「支院長」とは当職を指します。私が病に倒れたことは、己の罪障ゆえでありましょう。しかし、貴殿は、少なくとも、本宗檀信徒であり日正寺法華講員の立場にあります。その者が、自らの指導教師が病に倒れたことを心配したり、病気平癒の祈念をするなどといった気持ちさえ持たず、ただ徒に「現罰」と罵倒することは、誠に情けないことであり、本宗僧侶への誹毀讒謗に当たることを省みてほしいものです。 ③「光顕寺(茨城県日立市)住職・川田恭顕氏は2004年7月、宗門から離脱。」についてですが、 川田恭顕は「離脱」したものではありません。同人は、甚だしい不行跡の故に擯斥処分に付され、宗門から放逐されたものです。 なお、宗門からの離脱については付言するならば、本門戒壇の大御本尊に背いて宗派離脱を画策する者こそ大謗法なのであり、これをもって宗門を批難することは見当違いも甚だしいものであります。 ④「日成寺(埼玉県朝霞市)住職で権大僧都の安孫子信洋が2017年三月二十四日朝、寺の敷地内で首を吊って死んでいるのが発見されました。若干四十六歳だったと言われております。その『遺書』には過酷な折伏のるあに対する苦悩が記されていたとも言われております。」とありますが、 この僅かな文章の中に、「言われております」が重複していることからも明らかなごとく、これらは客観的根拠もないまま、想像を逞しくして本宗僧侶の逝去を揶揄したものに過ぎません。死者への冒涜であり、本宗僧侶への誹毀讒謗であります。 ⑤「本年に入って平成30年5月16日横浜市神奈川区の応顕寺(代表役員早瀬道寧・日如猊下の御子息)が日蓮正宗から離脱する旨を通知。宗門は次のようなお知らせを即座に発しております。」との言に至っては、 応顕寺の宗派離脱も、それを受けての「お知らせ」なるものも、何れも根も葉もない全くの事実無根です。とりわけ、貴殿が「平成30年5月16日」付として掲記した「お知らせ」なるものは、そのような文書は実際には存在しないにも拘らず、あたかもこれが存在したかのように尤もらしく捏造したものであり、かかる偽造文書を以て宗門を批難攻撃、誹謗中傷するなど、本宗檀信徒にあるまじき言語道断の所業であります。 ⑥「日如猊下は2009年に折伏成果の基準を『御本尊下付』『授戒・勧誡』の人数へと改変しました。その結果御授戒を受けてもその後7、8割の方と連絡がつかないという事態が常態化しております。今更育成と声高に叫んでも時すでに遅しです。」とある点についてですが、 御法主上人は、常に、「折伏と育成は一体である」旨を御指南されています。もし万が一にも、末寺において、その御指南通りに育成が覚束ない現状があるとしたならば、その責任は当該住職主管にあるのであって、御法主上人に責任転嫁することは、筋違いも甚だしい難癖であります。なお「御本尊下附」から「御授戒・勧誡」へ成果の基準を改めたのは、現状を正確に把握認識し、もって当該檀信徒の適切なる育成を図り、速やかに御本尊を御安置できる環境を整えるよう推進するためであります。 いずれにせよ、右主張は、御法主上人が取り仕切られる宗務行政を誹謗するものであり、管長を誹毀讒謗するものです。 四 「近年世襲がはびこる宗門組織」に対して ①「第60世法主日開上人→(ご子息)67世阿部日顕後隠尊猊下→(孫)宗務院布教部長阿部信彰 第56世日応上人(曾祖父)→早瀬日慈(父)→六十八世早瀬日如猊下」と記述していますが、 貴殿が挙げた右系譜は、何を言いたいのか。親子関係にあることが、どうして「世襲がはびこる」ことに繋がるのか、まったく意味不明ですが、敢えて忖度して破折します。 そもそも世襲とは、貴殿が示した通り、親子において、総本山法主の地位が代々受け継がれた実例は一つとしてありません。全く根拠も無いままに、「世襲がはびこる」との悪口雑言を並べることは、代々の御法主上人に対する誹毀讒謗以外の何ものでもありません。 ②「日開上人は身延山久遠寺住職岡田日帰による日蓮大聖人への立正大師勅額御下賜を日蓮各派の管長が同意した左記の念書を当時の文部大臣に提出している。末法の御本仏日蓮大聖人にいわば菩薩の号を国に申請していることになる。宗祖を辱めている恐れを知らない所業です。」とありますが、 当時の時代背景や世相を経験せぬ我々が、現代社会を基準に勝手な憶測で云々することは、厳に慎むべきです。正法興隆広宣流布は、一宗を御統率される御法主上人が最も肝胆を砕かれているところです。これは、日開上人御当職中においても何ら変わりなく、正統宗門の護持発展を深く鑑みられて為されたことに対し、一知半解の貴殿が、我賢しと思い上がって論難することこそが謗法であり、管長への誹毀讒謗であります。 五「権力者にすり寄る宗門」に対して 「宗門は本年発生した『北海道胆振東部地震』への見舞金として北海道に一千万円を贈呈しました。(中略)北海道はまぎれもない地方権力であります。日蓮大聖人は権力に対し『諌暁』せよと説かれているが、権力にすり寄れとは全く説かれておりません。(中略)この度の現世利益を施す小さな善行は三世を通達する日蓮大聖人の仏法を心肝に染めている所業とはとても思えません。」とありますが、 貴殿の主張は突拍子もなく、実に呆れたものです。「すり寄る」とは、「何らかの意図をもって近づく」意ですが、見舞金を贈呈して宗門に、一体、どんな意図があるというのでしょうか。「すり寄る」ことによって、宗門が北海道から如何なる利益を被るのでしょうか。全く理解に苦しみます。宗門が、北海道胆振東部地震に際して見舞金を寄付したのは、少しでも被災者の救済に資することを願ってのことであって、何らの見返りも求めてはおりません。一般企業その他においても多くの方々が見舞金を寄付していますが、その誰もが、社会還元のために供出しているのであり、「すり寄る」ことをもくろんで見舞金を贈呈した団体は皆無でありましょう。貴殿の主張は、荒唐無稽な非人道的かつ反社会的な言辞といわなければなりません。 六、「天台教学を多用する日如猊下」に対して ①「日如猊下は『本未有善』その他の天台教学の用語を多用していますが、日興上人は日興遺誡置文で『義道の落居無くして天台の学問す可からざること』と門下に厳命なされております。義道の落居は一生涯かけてもはたして果たせるかどうかの課題ですから、事実上日興上人の思いは『天台の学文はしなうても良い』との趣旨であると拝します。」とありますが、 大聖人は「一念三千」、「五時八教」、「三時の教相」など、天台法門を縦横無尽、自由自在に援用されつつ、文底秘沈の下種仏法を教示されていますから、貴殿の主張は、詮ずるところ、日蓮大聖人をも愚弄罵倒し、誹謗する讒言であると断じます。 さらに、貴殿は、「日興上人の思いは『天台の学問はしなくても良い』との趣旨である」と独自の見解を述べますが、日興遺誡置文の正意は、「大聖人の仏法を学ばずして天台を学んではならない」との制誡であり、貴殿の言い分は、明らかなる曲解です。 日如上人は、あくまでも大聖人の下種仏法を御教示下さっており、天台教学を説かれていると思う人など皆無ですから、貴殿の主張は、誤認に基づく誹謗です。 ②「日如猊下の御指南集のように唐突に何の脈絡もなく『末法の衆生は本未有善』と論じても初心の法華講員に理解できる訳がありません。(中略)所詮天台は像法時代の人師、論師にすぎません。末法の衆生の心には響かないのです。」とありますが、 貴殿が挙げる御指南集は、お言葉や御説法、御講義から抜粋されたものであり、それら大聖人仏法精髄の御教導にふれ、信心厚き檀信徒は深く感じ入っております。特に、大聖人御生誕八百年への御命題達成に邁進する本宗僧俗においては、誠に時宜を得た尊き御指南と拝しております。それを「理解できる訳がありません」と愚弄することは、御法主上人への誹毀讒謗はもとより、純真なる法華講員への冒涜でもあります。 七、「日蓮大聖人に随順しない日如猊下」に対して ①「これまで述べてきた数々の過ちを日如猊下は何故なされるのか。これは末法の御本仏日蓮大聖人に随順されていないからだと強く推知いたします。日如猊下のご指南集で御書を引用する時、『仰せであります』『おっしゃっておられる』とあります。これは五老僧の中で最大の謗法の徒『日向』の御講聞書で多用されている『仰せにいわく』そのもであります。」などとある点について言えば、 まさに、貴殿の顛倒ここに極まれりと思える邪論です。御本仏日蓮大聖人一期弘法の法体たる本門戒壇の大御本尊を厳護し奉り、広宣流布を願う丑寅勤行を怠慢無く勤められ、力強く広布へ勇往邁進する現宗門を御統率遊ばされているのは、他ならぬ日如上人であります。 その御当代法主上人に対し奉り、事実無根、虚偽捏造、悪口雑言の数々の難癖を並べて、「数々の過ち」、「日蓮大聖人に随順されていない」などと述べることは、御法主上人への謂われ無き誹謗中傷であります。のみならず、牽強付会の論拠をかざして、あろうことか、日如上人を五老僧に準えるなど、本宗血脈を否定する大謗法の言に他ならず、これ以上はない誹毀讒謗の暴言であります。 ②「日如猊下に懸命な御判断を為され、日蓮大聖人生誕800年の語呂合わせで、法華経にも御書にも根拠が見いだせない80万人体制の構築など、末法の御本仏を恥辱する行為を今直ちに取りやめなければ悲惨な結果を生み出します。」とありますが、 日如上人が仰せ出された法華講員80万人体制の構築は、平成二十一年当時の本宗の状況や檀信徒数、本宗を取り巻く様々な情勢などに鑑み、未来広布を見据えられた具体的な目標としてお示し下さったものであります。それを「語呂合わせ」とか、「根拠が見いだせない」との讒言をもって罵倒し、もって「御本仏を恥辱する行為」と蔑む貴殿の言い分こそ、何も根拠が見出せない言いがかりであります。 日如上人は、血脈付法の尊きお立場に基づき、深い御見識と御慈悲の上から、本宗僧俗に八十万人体制構築の御命題を仰せ下されたのであり、その御命題達成に向けて異体同心して勇猛果敢に精進していくことが、広宣流布を目指す本宗僧俗にとって最も大切な信心修行です。この本宗僧俗の団結を乱し、折伏弘通を阻止せんとする貴殿の行為は、まさに天魔の所為にして、破和合僧の五逆罪に当たる大謗法に他なりません。 以上、16点にわたって、貴殿の論難について弾劾した通り、「建白書」に記された内容は、日蓮大聖人の大仏法を正直に信じ奉る本宗檀信徒の篤信の現れというには程遠く、只単に、血脈付法のほ法主上人に背く徒輩の言いがかりにすぎません。 貴殿が並べる前記記述は、教義に関する異説以前の問題です。貴殿は、血脈相伝の御法主上人を謗法と見下す邪見に凝り固まっており、その御指南よりも自らの考えが正当と考える己義偏見の大増上慢に陥っています。大聖人仏法と釈尊仏法の勝劣浅深に迷い、確証も根拠も無いまま、中には、事実無根の虚偽を捏造してまで、何としても法華講員八十万人体制構築を阻止せんと目論む御遺命違背の逆徒と言わざるを得ません。 先に列挙した貴殿の甚だしい誹毀讒謗の数々は、本宗宗規に定める檀信徒除名自由、すなわち同第二百四十六条第一項第二号「管長その他本宗の僧侶または寺族を誹毀または讒謗したとき。」に該当します。したがって、同二百四十七条「総監、住職または主管は、前条の規定により檀信徒を除名しようとするときは、その者に対して書面をもって弁疏する機会を与えなければならない。」との定めに基づき、貴殿に弁疏の機会を与えます。 弁疏する場合は、本書到着後七日以内に、書面にて、当職まで提出してください。 仮に、弁疏に反省懺悔が認められないとき、あるいは弁疏がないときは、本宗管長たる御法主上人に対する誹毀讒謗についての改悛の意思はなきものと判断し、所定の手続を経て、貴殿を本宗檀信徒除名処分とすることを通知します。 平成三十一年三月一日 札幌市北区北三十六条西四丁目一番一号 日正寺住職 藤原 広行 札幌市北区新琴似六条十七丁目七・二十二・一〇五 三浦常正 殿 #
by johsei1129
| 2025-06-09 11:48
| 日蓮正宗 宗門史
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2025年 06月 08日
第三回 建白書 第一回、第二回の建白書の提出に全くと言うほど反応がないことに予想されていたとはいえ残念に思われます。しかし日蓮大聖人の大願「法華弘通」の一助となるべく、今一度建白させていただきます。 一.現在の宗門は四衆ではなく三衆になっておられます。 宗門の現在の仏法は末法の御本仏日蓮大聖人の仏法どころか、釈迦在世の仏法にも達しておりません。 釈尊は弘教当初、女性の出家を認めませんでしたが、養母のマハー・プラジャーパティーの強い求道心と従弟で27歳から釈尊の従者であった阿難から『マハー・プラジャーパティーはあなたにとって恩あるひとです。是非出家を叶えてください』と強く願われ出家を許し、仏教史上最初の比丘尼が誕生、四衆つまり比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷が揃うことになります。 日蓮大聖人御在世当時も当然ながら四衆が厳として存在しました。それは弘安二年太才己卯六月 日、比丘尼日符に御下付された御本尊が存在することでも明らかです。しかし現在の宗門は三衆で比丘尼は存在しておりません。 つまり仏教の極めて初歩的な基本さえまもられていないのが現在の宗門の実体であります。 仮に比丘尼の存在が出家僧の修行の妨げになるから比丘尼を認めないとするならば、今の宗門は法華経どころかごく初期の釈迦仏法にまでさかのぼる、極めて低次元の修行方法を実践していることになります。 一方法華講は男女ともにそれぞれの特質を生かし協力し時に補いながら日々折伏行に励んでおります。何故、法華講にできて宗門の御僧侶が男女の区別なく修行に励めないのか理解できません。 二、像法時代・多造塔寺の修行を末法に行う愚かさ 釈尊は大集経で第四の五百年を「多造塔寺」と説き明かされております。その予言通り仏教が国家鎮護の理念として定着し、為政者の意向で多数の仏教伽藍が建立されました。日本では聖徳太子が世界最古の木造建築と言われている法隆寺を607年に建立しております。1052年(永承7年)に末法に入ったとされているので、法華経を国家鎮護の経典と定めた聖徳太子が法隆寺を建立した事、また聖武天皇が開基した東大寺も8世紀前半に創建されており、これらの事象は当に多造塔寺そのものの証明となっております。 それに対し日蓮大聖人は『今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし』と宣言為され、御在世当時は大きな伽藍を建立することなく布教の拠点としての宿坊に御本尊を安置することに専念為されました。しかし現在、宗門は多額の信徒の浄財を使用し三門の大改修に躍起になっておられます。 その費用があれば世界津々浦々にどれほど御本尊をご安置できる宿坊を建立できるかと嘆くばかりであります。 絢爛豪華な仏教建築で衆生を仏道に誘引する多造塔寺の時代は、もはや像法時代のいわば時代錯誤の修行法でしかありません。日蓮門下の使命は戦乱・貧困・災害にあえいでいる世界の人々に一人でも多く御本尊に南無妙法蓮華と唱える事を叶える施策を最優先で実施すべきです。 三、貫主は住職を謗り、住職は法華講員を謗る今の宗門組織。 下山御消息に曰く 『法華経を法の如く修行すとも、法華経の行者を恥辱せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり』と。 貫主は八十万法華講体制の宗門が定めた目標数値に達していないと末寺の住職を恥辱し、信徒に慕われているにもかかわらず末寺から他寺へ左遷、ある住職は傘下の法華講員を恥辱し、法華講の支部間で「○○の支部は折伏のできない支部だ」と謗りあっているのが実態です。 現に「我支部は折伏のできない支部だと他の住職より言われている」と再三所属する法華講員に繰り返し謗り続けた北海道第一布教区の支院長は「脳梗塞」の現罰を被るに至っております。その結果以下のような事象が宗門内で多数発生しております。 光顕寺(茨城県日立市)住職・川田恭顕氏は2014年七月、宗門から離脱。 日成寺(埼玉県朝霞市)住職で権大僧都の安孫子信洋が2017年三月二十四日朝、寺の敷地内で首を吊って死んでいるのが発見されました。弱冠四十六歳だったと言われております。 その「遺書」には過酷な折伏ノルマに対する苦悩が記されていたとも言われております。 本年に入っても平成30年5月16日横浜市神奈川区の応顕寺(代表役員早瀬道寧(日如猊下の御子息))が日蓮正宗から離脱する旨を通知。 宗門は次のようなお知らせを即座に発しております。 平成30年5月16日 日蓮正宗宗務院 宗内一般お知らせ お知らせ 本日、横浜市神奈川区中丸1-22所在の応顕寺(代表役員早瀬道寧)が日蓮正宗から離脱する旨を通知してきました。 応顕寺は、昭和58年12月26日、当時法道院主管であった早瀬日慈師の篤き信心によって建立された寺院です。 もとより宗門からの離脱は、本宗信仰の根本にもとる背信行為であり大謗法であります。また、早瀬日慈師の遺徳をも汚す不知恩の所行であると言わざるを得ません。 宗内各位におかれましては、このようなことに紛動されることなく、御法主上人猊下の御指南のもと、更に正法広布に精進を重ねられるよう願います。 上記、お知らせいたします。
日如猊下は2009年に、折伏成果の基準を「御本尊下付」から、「授戒・勧誡」の人数へと改変しました。その結果御授戒を受けてもその後7、8割の方と連絡がつかないという事態が常態化しております。今更育成と声高に叫んでも時すでに遅しです。日蓮大聖人の意向に叶わない所業により法華講員の活動家にも病魔の嵐が蔓延しております。宗門はこの実態を正確に把握しておられるでしょうか。 四、近年世襲がはびこる宗門組織
第60世法主日開上人→(ご子息)67世阿部日顕御隠尊猊下→(孫)宗務院布教部長阿部信彰 第56世日応上人(曽祖父)→早瀬日慈(父)→六十八世早瀬日如猊下 尚、日開上人は身延山久遠寺住職岡田日歸による日蓮大聖人への立正大師勅額御下賜を日蓮各派の管長が同意した左記の念書を当時の文部大臣に提出している。末法の御本仏日蓮大聖人にいわば菩薩の号を国に申請していることになる。宗祖を辱めている恐れを知らない所業です。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 念 書 宗祖立正大師六百五十遠忌ニ際シ御廟所在地山梨縣身延山久遠寺住職岡田日歸ヨリ及請願候立正大師勅額御下賜ノ件ハ本宗(派)ニ於テモ異議無之候條速ニ御下賜有之候樣御取計相成度候也 昭和六年 月 日 宗(派)管長 印 文部大臣 田中隆三殿 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 五.権力者にすり寄る宗門 宗門は本年発生した「北海道胆振東部地震」への見舞金として北海道に一千万を贈呈しました。 妙法蓮華経 安楽行品第十四に「権力者に親近してはならない」との次の御文があります。 「是名菩薩摩訶薩行処 云何名菩薩摩訶薩親近処 菩薩摩訶薩 不親近国王王子 大臣官長不親近諸外道」 北海道はまぎれもない地方権力であります。 日蓮大聖人は権力に対し『諌暁』せよと説かれているが、権力にすり寄れとは全く説かれておりません。慈善事業として災害の見舞金贈呈はする邪宗は数多く見られますが、日蓮門下の修行は如説修行抄の「法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」につきます。 仏法の根本理念として「平等大慧」がありますが、今後起こるであろう世界中の災害に対し平等に見舞金を贈呈できるわけがない。この度の小さな善行は三世を通達する日蓮大聖人の仏法を心肝に染めていると所業とはとても思えません。 六、天台教学を多用する日如猊下 日如猊下は「本未有善」その他天台教学の用語を多用していますが、日興上人は日興遺誡置文で「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」と門下にて命されております。日蓮大聖人は「本未有善」について唱法華題目抄・曾谷入道殿許御書で「本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽・大を以て之を強毒す」と説き明かされおり、唐突に何の脈絡もなく「末法の衆生は本未有善」と論じても初心の法華講員に理解できる訳がありません。 天台教学は理の為の理のきらいがあり、信徒の心に響きません。日蓮大聖人は、天台は一切経の勝劣を分別したに過ぎないとも明言なされておられます。 「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との日蓮大聖人の御金言は衆生を奮い立たせてくれます。所詮天台は像法時代の人師、論師にすぎません。末法の衆生の心には響かないのです。 これまで述べてきた数々の過ちを日如猊下は何故なされるのか。 これは末法の御本仏日蓮大聖人に随順なさていないからだと強く推知いたします。 日如猊下のご指南集で御書を引用する時、「仰せであります」「おっしゃっておられる」とあります。 これは五老僧の中で最大の謗法の徒「日向」の御講聞書で多用されている「仰に云く」そのものであります。 日興上人は『就注法華経御義口傳』で「御義口伝に云く」と記されておられます。この【御義】とは末法の御本仏日蓮大聖人の内証と拝されます。単に「日蓮大聖人がおっしゃられておられる」と言うのとは、日蓮大聖人に向かう姿勢に天地雲泥の開きがあります。 日如猊下が六十八世として登壇されてから早十三年。この間未来を託す鼓笛隊、本山任務者、御僧侶方は激減しております。この結果が全てを物語っております。すでに宗門は求心力を失っております。 一般的に「君子豹変する」と言う言葉があります。君子であれば部下の諫言等で過ちに気づいた場合、直ちに考えを改める事を意味します。しかし愚かな指導者はそれができません。典型的な例が太平洋戦争における東条英機です。その結果日本は世界に例のない悲劇に見舞われました。 日如猊下に賢明な御判断を為され、日蓮大聖人生誕800年の語呂合わせで、法華経にも御書にも根拠が見いだせない80万人体制の構築など、末法の御本仏を恥辱する行為を今直ちに取りやめなければ悲惨な結果を生み出します。 尚、日如猊下への建白書は今回で最後とさせて頂きます。今後はフェイスブックSNS等で交流している無二の志ある世界の法華講員ととも、宗門是正に邁進する所存であります。 平成三十年十二月二十六日
日蓮正宗法華講 日正寺支部 第一総区北新地区三班 三浦常正
謹上 日蓮正宗 第六十八世日如上人猊下 敬白 #
by johsei1129
| 2025-06-08 09:49
| 日蓮正宗 宗門史
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2025年 06月 07日
第二回 御 建 白 書 いつまでに何人という数を掲げて信徒を増やすという方式の請願は、釈尊が説かれた妙法蓮華経に唯の一偈も無く、また末法の御本仏日蓮大聖人の御書にも唯の一文も説かれていないことは、昨年日如猊下に献じた「建白書」に述べたことはご承知の通りでございます。 それ以降宗門はこの誓願を撤回すること無く、未だに、日蓮大聖人の御書に違背する「法華講員八十万人の体制を築く」との所業を信徒に強いておられます。 それ故、、あらためまして浅学菲才の一信徒の身ではありますが、御書を精読し、ひたすら日蓮大聖人の御金言「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり」、並びに日興上人の御遺命「富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」に叶うべく、建白させていただきます。 謗法その一 「宗祖日蓮大聖人ご生誕八百年の大佳節までに、法華講員八十万人の体制を築く」、との、仏説によらない我見、つまり十四誹謗抄における計我の咎。 【撰時抄】に曰わく、【立正観抄】に曰く 天台の云く「復修多羅と合せば録して之を用ゆ、文無く義無きは信受すべからず」 伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云。 【報恩抄】に曰わく 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は末法万年の外、未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり。 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。 春は花さき秋は菓なる、夏はあたたかに冬はつめたし、時のしからしむるに有らずや」 末法の御本仏日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の弘通は「春は花さき秋は菓なる、夏はあたたかに冬はつめたし、時のしからしむるに有らずや」と説き明かされ、自然の摂理と同様、「時」がしからしむる事であると断じられておられます。 尚、「日蓮が智のかしこきにはあらず」とは、末法の御本仏として「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」を為された故と強く拝察致します。 上野殿御返事 (建治三年五月十五日) では次のように門下に諭されておられます。 「日蓮が弟子にせう房と申し、のと房といゐ、なごえの尼なんど申せし物どもは、よくふかく、心をくびやうに愚癡にして、而も智者となのりし、やつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえて、おほくの人をおとせしなり。 殿もせめをとされさせ給うならば、するがに、せうせう信ずるやうなる者も、又信ぜんと、おもふらん人人も、皆法華経をすつべし。 さればこの甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候、なかなかしき人の、信ずるやうにて、なめりて候へば、人の信心をも、やぶりて候なり。 ただを(置)かせ給へ、梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし。 爾時、我も本より信じたり信じたりと申す人こそ、おほくをはせずらんめとおぼえ候」 【三大秘法禀承事】曰わく、 「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。 時を待つ可きのみ、事の戒法と申すは是なり。此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ」 そもそも八十万という数字は仏法上から分別すれば「空仮中の三諦」の仮諦であり、しかも表層のごく一部、現、法華講員の個々の信仰の実体を反映しておられない、瞬間瞬間の符丁にすぎません。 日蓮大聖人は仮諦について「池月」に喩えられて説かれておられます。 【開目抄 上】に曰わく 「大日経等の権仏等は、此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給うを、諸宗の学者等、近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし、或は入つて取らんと、をもひ或は縄をつけて、つなぎとどめんとす。天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云」 【題目弥陀名号勝劣事】に曰く 「浄土門は春、沙を田に蒔いて、秋米を求め、天月をすてて水に月を求るに似たり。 人の心に叶いて法華経を失ふ、大術此の義にはすぎず」 天空に燦然と光を放ち、夜の帳に人々に明りをもたらす月ではなく、頼りなく移ろい易い「池月」を絶対視し誓願するとは、何と愚かな所業でしょう。仏法の根本から外れたお考えであることは自明の理です。 「法華講員八十万人」には三世に渡る法身。報身、応身の因縁が全く説かれていず、単なる無味乾燥な数字だけが声高に標榜され、末寺の支部内にはまるで保険の勧誘のように御授戒獲得数が書き出され、折伏指導会では日蓮大聖人の御法門が語られること無く、数字だけが飛び交っています。 この状況には日蓮大聖人、日興上人御在世当時に、法華講の信徒の間で語られた仏法は全く存在しません。 「法華講員八十万人」の構築は仏法ではないのです。 繰り返し返しますが、日蓮大聖人は【上野殿御返事】で、 「さればこの甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。なかなかしき人の信ずるやうにて・なめりて候へば、人の信心をも・やぶり。ただを(置)かせ給へ、梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし」と、 「はっきりしない、不確かな信心では入信させられないのである。中途半端な人が信じるようなふりをしているのは、他の人の信心をも破る。ただそのまま放置して起きなさい。必ず梵天・帝釈等の御計として日本国、一時に信ずる事あるべし」と、厳しく門下を諌めておられます。 はたして日蓮大聖人御在世当時のご信徒は、どのように思いで入信に至ったのでしょうか。 松葉ヶ谷の法難後、日蓮大聖人は下総の強信徒、富木常忍の屋敷に移居し、そこで百座説法を行っております。 その時、富木常忍の有縁の武士、大田乗明、曽谷教信、秋元太郎等、多数の武士が日蓮大聖人に帰依します。そのなかで、秋元太郎が入信を決意した時の心境を記して大聖人にお手紙を送られ、その手紙への日蓮大聖人のご返事の消息が今に残されおります。 【秋元殿御返事】に曰わく 「御文委く承り候い畢んぬ。御文に云く、末法の始五百年には、いかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに、聖人の仰を承り候に、法華経の題目に限つて弘むべき由、聴聞申して御弟子の一分に定まり候。殊に五節供はいかなる由来、何なる所表、何を以て正意として、まつり候べく候や云云」 これまでの「法華講員八十万人の体制構築」の布教活動で、果たしてこの秋元太郎殿の決意に匹敵するような一念で入信した法華講員は、幾人おられたでしょうか。 根本は、どのような決意で大聖人の仏法に帰依し御本尊を受持するかであり、単なる入信数、しかも御本尊下付に至らない御授戒数を「法華講員八十万人の体制」の誓願とすることは、日蓮大聖人が願う広宣流布とは全くかけ離れた行となります。 大聖人ご在世当時でも、秋元太郎殿のような決意で入信しなければ、一度門下に難が降りかかれば【新尼御前御返事】で日蓮大聖人が「かまくらにも御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候人人」と記されたように、多数の信徒が一瞬で退転していきました。 仮に日蓮大聖人への信心に実態が伴わないにもかかわらず、御授戒数の積み上げが誓願数に達したと為して、平成三十三年に「法華講員八十万人」の請願達成、と内外に喧伝するならば、【本門戒体抄】の不妄語戒に明確に違背します。 【本門戒体抄】に曰わく 「第四に不妄語戒とは、爾前の諸経の心は仏は不妄語戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は妄語第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不妄語戒を持つに似たりと雖も未だ出世の不妄語戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生の色心を破りて成仏せしめず。能化の仏未だ妄語罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。 今身より仏身に至るまで、爾前の妄語罪を捨て、法華寿量品の久遠の不妄語戒を持つや不や、持つと三返」 御本尊下付について日興上人は、次のようにご指南為されておられます。 【富士一跡門徒存知事】に曰わく 「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」 このまま「八十万法華講員」構築の活動をすすめることは、結果として法華講及び法華講員が疲弊し、広宣流布が次第に遠のいて行くことは確実であり、それは既に現在進行形でもあります。 【治病大小権実違目】に曰わく、 「設い法華経をもつて行うとも験なし。経は勝れたれども行者、僻見の者なる故なり」 【四菩薩造立抄】に曰わく、 「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり。 総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚、人人の御心中は量りがたし」 【新池御書】に曰わく、 「此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず、法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ。仏に成り候事は別の様は候はず」 【御義口伝 法師品十五箇の大事】に曰わく、 「第二 若不違我当為宣説の事 御義口伝に云く、妙法蓮華経を宣説する事を、汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり。若の字は汝なり、天台の云く「法を受けて奉行す」と。 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり。 阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云」 【御義口伝 随喜品二箇の大事】に曰わく 「第一 妙法蓮華経随喜功徳の事 御義口伝に云く、随とは事理に随順するを云うなり、喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり、理とは理顕本に随うなり。 所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり。 所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間、随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊、法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり。是に随い喜ぶを随喜とは云うなり。 惣じて随とは信の異名なり云云、唯信心の事を随と云うなり。 されば二巻には「此の経に随順す、己が智分に非ず」と説かれたり云云」 そもそも妙法蓮華経で「誓願」とは、次のように、仏自ら衆生救済のために誓願し、又菩薩に、仏滅後の弘通の誓願を促し、それに答えて菩薩が仏に誓願しております。 【方便品 第二】仏自ら衆生救済の為に請願す。 舎利弗当知 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異 如我昔所願 今者已満足 化一切衆生 皆令入仏道 ○ 諸仏本誓願 我所行仏道 普欲令衆生 亦同得此道 【見宝塔品 第十一】仏、諸大衆に滅後の弘通の請願を促す。 告諸大衆 我滅度後 誰能護持 読誦斯経 今於仏前 自説誓言 其多宝仏 雖久滅度 以大誓願 而師子吼 多宝如来 及与我身 所集化仏 当知此意 諸仏子等 誰能護法 当発大願 令得久住 ○ 若仏滅度 於悪世中 能説此経 是則為難 【如来神力品。第二十一】地涌の菩薩、仏滅後の弘通を誓願する。 爾時千世界。微塵等。菩薩摩訶薩。従地涌出者。 皆於仏前。一心合掌。瞻仰尊顔。而白仏言。 世尊。我等於仏滅後。世尊分身。所在国土。 滅度之処。当広説此経。所以者何。我等亦自。 欲得是真浄大法。受持。読。誦。解説。書写。而供養之。 このように誓願とはあくまで仏を中心として、仏と衆生との間に交わすものです。 繰り返しになりますが、いつまでに何人という数を掲げて信徒を増やすという方式の請願は、釈尊が説かれた妙法蓮華経に唯の一偈も無く、また末法の御本仏日蓮大聖人の御書に在世、滅後の弟子信徒に対してそのような請願は唯の一文も説かれておりません。 【報恩抄】に曰わく 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は末法万年、未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり。 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。 春は花さき秋は菓なる、夏はあたたかに冬はつめたし、時のしからしむるに有らずや」 世法においても、一般企業の経済活動では数字を重要な指標として経営判断をしますが、その数値だけを唯一の指標とする企業は、早晩自社顧客の満足度、従業員の経験値、モラル等の実体を見誤り、経営が破綻します。近年で発生した日本を代表する製造業、東芝、日産自動車、神戸製鋼所等の製造上のモラル破綻が典型的な事例でしょう。 それに対し優秀な経営者がトップに存在する企業は、表の数字に現れない真実の実体を把握する為、顧客、社員、取引先等と弛まぬ対話を通じて、顧客満足度、組織と従業員の関わり方、取引先の自社への信頼、貢献を把握し、正すべきは正し、改善すべきは改善してより良き製品、サービス、社員、取引先の信頼を得て社会に貢献していきます。 企業とは、仏法とは無縁な組織で、基本的に利益を追求する「外道」の組織ではありますが、日蓮大聖人は【檀越某御返事】で「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と諭されておられ、一般企業でさえ一部のブラック企業を除いて、単に「売上」等の数字だけを金科玉条の指標として経営をしているわけではありません。企業発展のためには支える人々と弛まぬ対話を通じて実際の実体を把握することが必須であることを、優れた経営者は明確に把握しております。 日蓮大聖人が門下の弟子檀那のために残された五百点以上もの御書を紐解くと、常に信徒からの仏法上の問いを真摯に受け止め、問いを発した信徒の求道心を称えるとともに、それへの返書の消息で重要な法門を与えておられます。 例えば、「多宝如来、涌現の宝塔何事を表し給うや」と問われた阿仏房への返書では、 「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば、さにては候はず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ」云々、と甚深のご法門をご指南なされておられます。 また、「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と、我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきや」と問われた松野殿に、「勝劣あるべからず候。其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり。但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり。(中略) 悪の因に十四あり。一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり。此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し」と御指南為されておられます。 さらに竜ノ口法難、佐渡流罪で噴出した世間及び門下の疑念に対し【開目抄】で 「但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には、さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、其の義なきは我が身、法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」と日蓮大聖人自ら論難を示したうえで、門下に答えを解き明かされます。 また日蓮大聖人が【観心本尊抄】で「一品二半よりの外は小乗教、邪教、未得道教、覆相教と名く」と断じた「一品二半」は、従地涌出品第十五の後半、弥勒菩薩の「動執生疑」 より始まります。 「時に弥勒菩薩摩訶薩は、八千恒河沙の諸の菩薩等の心の念ずる所を知り、 并に自ら疑う所を決せんと欲して、合掌して仏に向かいて、偈をもって、問うて曰く 無量千万億の大衆の諸菩薩は、昔より未だ曾て見ざる所なり。 願わくは両足尊よ、説きたまえ、是は何れの所より来たれる、何の因縁をもって集まれるや」 この弥勒菩薩の問いを機縁として、釈尊は妙法蓮華経の極説【如来寿量品第十六】を随自意で解き明かします。 また、妙法蓮華経二十八品で説かれる「七譬」の内、二つの譬喩は、弟子自らが釈尊に申し述べたものです。 信解品で説かれた「長者窮子」の譬喩は、頭陀第一の長老、摩訶迦葉が釈尊に法華経を聞いた説法の内容を自分たちの理解で良いか確認するために、今の思いを、目犍連らの弟子を代表して釈尊に伝えた譬喩です。 五百弟子受記品で説かれる「衣裏繋珠」の譬えは、釈尊から仏となる記別を受けた五百弟子を代表し、摩訶迦葉同様に、阿若憍陳如が、今の思いを伝えた譬喩です。 これまで論じたことは、日蓮大聖人も釈尊も、一方的に衆生に説法するのでなく、常に衆生の仏への問いを聞くことで、衆生の機根を知り、時を感じ、それに応じて答え、問答を繰り返して門下の信徒を教化してきました。 しかしこの「法華講員八十万人の体制」という請願は、何故、今八十万人なのかという意義及び根拠となる大聖人の教え、つまり御書の御文は全く示されておらず「義理を案じて義をつまびらかにせよ」とは全くなっておりません。 日蓮大聖人は諸々の御書で次のように説かれておられます。 【報恩抄】に曰わく 「涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云。 依法と申すは一切経、不依人と申すは仏を除き奉りて外の、普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」 釈尊在世に実在したと伝えられ、釈尊の教えの後継者と目された文殊師利菩薩、日蓮大聖人が御義口伝で「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」と称えた普賢菩薩とて、「不依人と申すと」断じられておられます。 【真言見聞】に曰わく 「無量義経十功徳品に云く第四功徳の下「深く諸仏、秘密の法に入り演説す可き所、違無く失無し」 仏が説くことは「違無く失無し」と日蓮大聖人は断じられております。 【諸法実相抄】に曰わく 「此文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ、よくよく見ほど解かせ給へ。意得させ給うべし、一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし。行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」 我々末法の信徒は日蓮大聖人の此の御金言に誓願し、信行学に日々励み日蓮大聖人の教えに一字一句違えず、時を待つべきなのです。それが全てです。 【御義口伝】に曰く 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり」 【日興遺誡置文】に曰く 一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。 一、時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。 「宗祖日蓮大聖人ご生誕八百年の大佳節までに、法華講員八十万人の体制を築く」とは「久遠元初の自受用報身如来、つまり日蓮大聖人のご遺命ではなく、時の貫首と言えど「人師」の言葉にすぎません。 【妙法蓮華経如来寿量品第十六】に曰く 「我常在此娑婆世界 説法教化 亦於余処 百千万億 那由佗 阿僧祇国 導利衆生」 久遠元初の自受用報身如来、つまり日蓮大聖人は娑婆世界、又余処の三千大千世界他の無数とも言える仏国土で限りない衆生を導いて応仏として末法鎌倉時代の日本にお生まれになられました。 末法の御本仏日蓮大聖人が 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は末法万年の外、未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり。 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。 春は花さき秋は菓なる、夏はあたたかに冬はつめたし、時のしからしむるに有らずや」 と門下に諭された御金言に、何故随順為されないのでしょうか。 「八十万の信徒数は、国に宗教団体としての存在感を示す意義がある」云々と指導教師より伝えられておりますが、これが猊下並びに宗門総意のご指南であるとすれば、日本において最も存在感がある宗教団体は、政権の一翼を担っている政党に国会議員と送り出している創価学会です。世界次元ではカトリック教徒になります。 国家諫業を為さらず、謗法の政権には存在感を示すとは、日蓮正宗はすっかり破邪顕正の精神を喪失したのでしょうか。 熱原の法難で退転した三位房が、公家に説法して褒められたと大聖人送られた消息に対する返書で、日蓮大聖人は次のように厳しく諌めておられます。 【法門申さるべき様の事】に曰く 御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。そのゆへは僧となりぬ其の上一閻浮提にありがたき法門なるべし、設い等覚の菩薩なりとも、なにとかをもうべき。まして梵天、帝釈等は我等が親父、釈迦如来の御所領をあづかりて正法の僧をやしなうべき者につけられて候。 毘沙門等は四天下の主此等が門まほり、又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし、其の上日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず、但嶋の長なるべし、長なんどにつかへん者どもに召されたり上なんどかく上、面目なんど申すは、旁せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか。 総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな」 謗法その二、国家諫業を為さらない懈怠謗法。 最近宗門は、近年の歴代猊下が国家諫業を為さらないのは「民主主義国家」になったのだから、一般国民に折伏をすればよく、日蓮大聖人、日興上人、日目上人が為されたように「国主」に国家諫業をする必要が無いと教導為されておられます。 しかしこれは【観心本尊抄】の御文「天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得可きか」に違えた、あまりにも現代日本の政治体制と国民に関する実体に疎い考えです。布教活動と国家諫業は全く別次元の行です。 日蓮大聖人、日興上人、日目上人御在世当時の鎌倉幕府以降の武家政治と、現在の民主主義国家の「国主」の有り様の違いは、国主の権力の源泉が武力に拠る支配か、憲法に基づいた選挙による民意の「国家権力の委託」の違いでしかありません。武家政治も民主主義政治も、国主は一任的にまつりごと=政治(内政・外交)を実行します。 江戸時代の「目安箱」や、現代のメディアによる「世論調査」のように、国民の考えを聞くことはあっても、国政を決断、実行する主体は鎌倉時代も、現代も「国主」であることに何ら違いはありません。 とりわけ日本は政治体制が議院内閣制で、多数党から総理が選出するため、事実上立法府と行政府は一体となり国権を実行します。その意味で、日本の総理大臣は、米国の国主たる大統領より遥かに国政への支配力を持ちます。 例を挙げると米大統領は議会へ法律案を提出できません。「教書」で成立を促すだけで強制力はありません。議会が立法した法律案に拒否権は発動できまずが、多数で議会が再議決すれば大統領の拒否権は無効になります。 また米大統領は議会の解散権は持ちません。さらに閣僚・高級官僚等の任命は、全て公聴会を開いて議会の承認を必要とします。それに対し日本の総理は「三権分立」とは名ばかりで、事実上総理に国権が集中し、行政各部を横断的に支配しております。この実例が所謂「安倍一強」といわれる、現、日本の政治の実態です。 そして現在の政権は、太平洋戦争の精神的バックボーンとなった「靖国神社」を信奉する自民党と、反日蓮正宗の創価学会が国会議員となって構成されている「公明党」が連合政権を担っている「正法」誹謗の政権であることは云うまでもありません。 創価学会は近年「本門戒壇の大御本尊」を受持しないと会則を改定するばかりか、「法華経」は仏説ではなく釈尊滅後に無名の作者により書かれたという「破仏法、破法華経」の妄説を堂々と宣言しております。
日蓮大聖人は次のように御書で度々「法華経の敵を見て責め罵り、国主にも申さず、人を恐れて黙止するならば、必ず無間大城に堕つべし」と厳しく門下を諌めておられます。 【開目抄(下)】に曰わく 「我が弟子之を惟え、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり、寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず、不孝の失之れ有り。迹門の十四品にも来らず。本門の六品には座を立つ、但八品の間に来還せり。是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す、末法の初に出で給わざる可きか、 当に知るべし此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」 【妙法比丘尼御返事】に曰わく、 「仏法の中には仏いましめて云く、法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵、いかなる智人・善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」 【秋元御書】に曰わく。 「常に仏禁しめて言く、何なる持戒、智慧高く御坐して一切経並に法華経を進退せる人なりとも、法華経の敵を見て責め罵り、国主にも申さず、人を恐れて黙止するならば、必ず無間大城に堕つべし。 譬えば、我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如し。 南岳大師の云く「法華経の讎を見て呵責せざる者は謗法の者なり、無間地獄の上に堕ちん」と。 見て申さぬ大智者は、無間の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出ずべからず。 日蓮此の禁めを恐るる故に、国中を責めて候程に一度ならず流罪、死罪に及びぬ。 今は罪も消え過も脱れなんと思いて鎌倉を去りて此の山に入つて七年なり」 【御講聞書】一置不呵責の文の事、に曰わく、 「仰に云く、此の経文に於ては日蓮等の類のおそるべき文字一字之れ有り。若し此の文字を恐れざれば、縦い当座は事なしとも未来無間の業たるべし。然らば無間地獄へ引き入る獄卒なるべし、夫れは置の一字是なり云云。 此の置の一字は獄卒なるべし、謗法不信の失を見ながら聞きながら云わずして置かんは、必ず無間地獄へ堕在す可し。仍つて置の一字・獄卒・阿防羅刹なるべし。 尤も以て恐る可きは置の一字なり云云、所詮此の経文の内に獄卒の一字を恐るべきなり云云、此の獄卒の一字を深く之を思う可し。 日蓮は此の字を恐る故に、建長五年より今弘安年中まで在在所所にて申しはりしなり。只偏に此の獄卒を脱れんが為なり。法華経には若人不信とも生疑不信者とも説き給えり。 法華経の文文句句をひらき、涅槃経の文文句句をひらきたりとも、置いていわずんば叶う可からざるは、此の置の一字より外に獄卒は無きなり云云」 【教行証御書】に曰く 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」 仮に臆病で「国家諫業」ができないのであるならば、日如猊下速やかに貫首の座を退座すべきでしょう。 太平洋戦争時に宗門が国家諫業を為さなかった日本は、広島、長崎に原爆を投下されます。大石寺客殿も焼失し、時の猊下日恭上人は覚悟の焼死を為されました。さらに戦後ビキニ環礁での史上最大の水爆実験で、日本のマグロ漁船・第五福竜の乗組員は被爆し犠牲者となります。 東日本震災では福島原発の崩壊により日本は壊滅的な被害をうけました。日本は世界最大の原水爆の被害国です。 現在北朝鮮は大陸弾道ミサイルを保有し、日本列島を射程に捕えております。同時に原爆、水爆も開発済みです。 人口密集地の首都圏には米軍の横田基地が存在し、北朝鮮が核ミサイルで日本列島を攻撃したならば、太平洋戦争当時を遥かに上回る被害が生じることは、火を見るより明らかです。 今回の国難は、米国、日本、韓国、北朝鮮が互いに関わっております。 米国の国主トランプ大統領は娘及び婿が信じる外道のユダヤ教に傾斜しております。韓国国民の多くはキリスト教徒で、北朝鮮の国主は社会主義者、いずれも第二次世界大戦終了以降も戦争に関わる極めて好戦的な国家です。 さらに日本の政治体制の一翼は、日蓮大聖人の法門を真っ向から誹謗しており、この状況から判断すれば太平洋戦争以上の悲劇を被ることは不可避です。 このまま宗門が、他国侵逼難の恐れをだまって見ているだけで国家諫業を為さないならば、北朝鮮からの原水爆の攻撃を受けることは必定です。太平洋戦争時の事例に学ぶならば、総本山大石寺も無傷ではおられないでしょう。 【妙法比丘尼御返事】に曰わく 「今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶらるべしと見えたり。 此れを知りながら申さずば、縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし。後生を恐れて申すならば流罪・死罪は一定なりと思い定めて、去ぬる文応の比、故最明寺入道殿に申し上げぬ。されども用い給う事なかりしかば、念仏者等此の由を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に、かなはざりしかば、長時武蔵の守殿は極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知りて理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ。 されば極楽寺殿と長時と彼の一門皆ほろぶるを各御覧あるべし。其の後何程もなくして召し返されて後、又経文の如く弥よ申しつよる。又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国へ流さる。日蓮御勘気の時申せしが如くどしうちはじまりぬ。それを恐るるかの故に又召し返されて候。しかれども用ゆる事なければ万民も弥弥悪心盛んなり」 謗法その三 信徒に「御指南集」は読み聞かせても、御書そのものを学ぶよう信徒に教導しない、驕慢の咎。 【守護国家論】に曰わく 末代の愚者人師を本と為して、経論を抛つ者に依憑すべきや、故に法華の流通たる雙林最後の涅槃経に仏、迦葉童子菩薩に遺言して言く「法に依つて人に依らざれ、義に依つて語に依らざれ、智に依つて識に依らざれ、了義経に依つて不了義経に依らざれ」と云云。 【守護国家論】に曰わく 涅槃経に云く「善男子、是の大涅槃微妙の経典流布せらるる処は、当に知るべし其の地は即ち是れ金剛なり、此の中の諸人も亦金剛の如し」已上法華涅槃を信ずる行者は余処に求む可きに非ず、此の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり 仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば、経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」 【佐渡御書】に曰く 「これはさてをきぬ、日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して、我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし。 修羅が仏は、十八界我は十九界と云ひ、外道が云く、仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く。 日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし、我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、鵲が鸞凰をわらふなるべし、わらふなるべし」 御義口伝に曰わく、 【信解品の六箇の大事】 第一信解品の事 「信は智慧の種なり不信は堕獄の因なり、又云く信は不変真如の理なり。其の故は信は知一切法皆是仏法と体達して実相の一理と信ずるなり。 解は随縁真如なり自受用智を云うなり、文句の九に云く、疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰うと、 文句の六に云く、中根の人、譬喩を説くを聞きて初めて疑惑を破して大乗の見道に入る、故に名けて信と為す。進んで大乗の修道に入る故に、名けて解と為す、 記の六に云く、大を以て之に望むるに、乃ち両字を分ちて以て二道に属す。 疑を破するが故に信なり、進んで入るを解と名く、信は二道に通じ解は唯修に在り、故に修道を解と名くと云うと」 【分別功徳品三箇の大事】に曰わく、 「第一 其有衆生 聞仏寿命 長遠如是 乃至能生 一念信解 所得功徳 無有限量の事 御義口伝に云く、一念信解の信の一字は一切智慧を受得する所の因種なり、信の一字は名字即の位なり、仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり。 信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり、解とは事顕本を解するなり、此の事理の顕本を一念に信解するなり。 一念とは無作本有の一念なり、此くの如く信解する人の功徳は、限量有る事有る可からざるなり。 信の処に解あり解の処に信あり、然りと雖も、信を以て成仏を決定するなり。今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云」 日蓮大聖人は当時の信徒に度々、直接書状を出し、その書を皆で学ぶよう教導されておられました。 【佐渡御書】に曰わく 日蓮弟子檀那等御中 「佐渡の国は紙候はぬ上、面面に申せば煩あり、一人ももるれば恨ありぬべし。此文を心ざしあらん人人は、寄合て御覧じ料簡候て、心なぐさませ給へ」 【開目抄(下)】に曰わく 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして、有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず、みん人いかに、をぢぬらむ。 此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なり、かたみともみるべし」 【観心本尊抄 送状】に曰わく 「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す。無二の志を見ば、之を開拓せらる可きか。 此の書は難多く答少し、未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す。 乞い願くば、一見を歴来るの輩は、師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」 日興上人が五人所破抄に記された御書十大部を、一度でも通して読了された法華講員は何人おられるでしょう。さらに日蓮大聖人自ら題号を定めた、末法の経とも言うべき御書五大部を心肝に染めた信徒は幾人おられるでしょう。 人本尊開顕の御書で「遺言ともいうべき」と示された「開目抄」。 御本尊の依書で「一念三千を識らざるものには仏、大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と記され、富木常忍への送り状で日蓮大聖人は「無二の志を見ば之を開祏せらる可きか」と諭されておられます。 しかしながら「観心本尊抄」を心に刻んで日々行学に励んでいる信徒ははたして幾人おられるのでしょうか、それとも現在の法華講員には「無二の志」を持つ信徒はいないので「観心本尊抄」を学ぶ必要が無い、と現在の宗門は考えられておられるのでしょうか。 【観心本尊抄】の終段で日蓮大聖人は 「一念三千を識らざるものには仏、大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と全ての御書中、唯一「仏」と認められておられます。 妙法蓮華経二十八品の中で釈尊はただの一度も自らを仏とは称しておりません。全て自我偈で説かれたように「諸人の父」のように「父」と自称しております。 日蓮大聖人も「開目抄」では冒頭の「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」に答えて、終段で「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」と、末法の御本仏であらせられることを宣言します。 それに対し「観心本尊抄」では仏と宣言します。二十六世日寛上人は「観心本尊抄文段」で「観心本尊抄」の仏とは「妙法五字の袋の内に久遠元初の自受用身即一念三千の珠をつつむと、久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なり」とご指南なされておられます。 また「首に懸けさせる」とは当時日本の風習として、親の遺骨を首に懸けて運んだことが御書に記されており、日蓮大聖人が観心本尊抄に認められた御本尊がいかに大切なものか 当時の信徒は瞬時に理解したものと推察されます。 【故阿仏房尼御前御返事】に曰く 「其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頚に懸かけ、一千里の山海を経て甲州・波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す、子にすぎたる財なし・子にすぎたる財なし南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」 『忘持経事』御書に曰く 「二母国に無し、今より後誰をか拝す可き、離別忍び難がたきの間、舎利を頚に懸け足に任せて大道に出で、下州より甲州に至る其の中間往復千里に及ぶ。国国皆飢饉し山野に盗賊く充満し宿宿粮米乏少なり。我身羸弱、所従亡なきが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり、高山に登れば頭を天に捽幽谷に下くだれば足雲を踏む、鳥に非れば渡り難く鹿に非れば越え難し、眼眩めき足冷ゆ、羅什三蔵の葱嶺・役の優う婆塞の大峰も只今なりと云云。 然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見る、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞ゆ、案内を触ふれて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り心の苦み忽ち息む」 日蓮正宗の信仰の根本たる、人本尊、法本尊の依書「開目抄」「観心本尊抄」を心肝に染めるどころか、全文を通して一読することもなく、一部を切り取った文言を聞いただけで、今世の生涯を終える信徒がほとんどあろうとか思われます。 「開目抄」の冒頭に曰く 「又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」とのご本仏の御金言は、現在の宗門・法華講にはむなしくひびくだけです。 日興上人は【富士一跡門徒存知事】にて「開目抄」の写本について 「一、開目抄一巻、今開して上下と為す。 佐土国の御作・四条金吾頼基に賜う、日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校えず」と記され、ご自身が所持しているの写本は二転目の写本で「いまだ御真筆を確認し校正していない」と記されておられます。 五百点以上にも及ぶ御書の中で最大の文字数で認められた開目抄は、全編六六紙三万五千六三八文字とも伝えられておりますが、当時の御信徒は手分けして皆で書写し、修学したであろう事は想像に難くありません。 日蓮大聖人は五時八教を門下の弟子信徒に教化するために、自ら釈迦一代五時系図を何枚も図示しておられ、現在でも九余枚ほどの御真筆が残されておられます。この吊り物と称される御真筆を拝見すると大聖人御在世当時の弟子信徒の修学振りが彷彿されます。 一代五時図(千葉県弘法寺蔵) ![]() 【日興遺誡置文】に曰く 一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。 一、論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。 月一回の御講参詣でよしとする現在の宗門の指導方針では、少なからず信徒は【十四誹謗抄】の浅識に陥る事でしょう。 現在の法華講員は末法の御本仏日蓮大聖人の御書を心から学びたいのです。しかし「論議講説を好み自余を交えず」の機会が与えられていないのです。 さらに宗門から「一字一句でも日々御書をひもといて学んでいきましょう」とは指導されていないのです。 近年まで宗門では班座で御書を読むことさえ差し止められておりました。 大聖人の御書を法華講員が学べば学ぶほど、宗門が謗法をおかしていることが露呈することを懸念なされておられるのでしょうか。 正法千年、像法千年といいますが、像法の像とは実物に似せた像のような時代で、時を経る事により正法が少しずつ真実から離れていくことを意味します。日蓮大聖人滅後七百五十年を経て、日蓮正宗も次第に日蓮大聖人当時の息吹は失われてきました。 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外、未来まで流れるべし」の御金言を拝するならば、遠からず日蓮大聖人御在世当時に回帰する「中興の祖」が誕生することと強く信じます。 それにしても不思議なのは「御書の御金言」「妙法蓮華経」の仏説に明々白々違背しているにもかかわらず、宗門内で唯の一人も「貫主」を諌めるご僧侶が存在しないことです。 【日興上人の遺誡置文】に曰く 「法に違背すれば貫主なりともこれを用いず」 本年度の夏期講習での御尊師の説法で、テキストの日如猊下のご指南を唱和するよう促しておられましたが、同じテキストの文中にある日蓮大聖人の御書の文々は唱和するよう促すことは全くありませんでした。全く信じられない所業です。 日蓮大聖人は御義口伝の最後に「委は註法華経を拝すべし。然りと謂も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや」とご指南なされておられますが、宗門は、日蓮大聖人御遷化後七百三十二年経た現在も「広宣流布の要法たる註法華経」を出版為されておられません。 日興上人【宗祖御遷化記録】に曰く 「経者私集最要文 名注法花経 同籠置墓所寺六人香花當番時 可被見之。自餘聖教者非沙汰之限云々。 仍任御遺言所記如件。 弘安五年十月十六日 執筆日興花押」 現在「註法華経」は六老僧の一人、日朗殿が偽遺言書を記して、身延久遠寺から持ち出し、玉沢妙法華寺に所蔵されていることは御承知の通りですが、日連大聖人が自ら全二千百七章の注釈を記され、その内三章は日興上人の筆と思われる「註法華経」を出版し、宗門末寺に奉じ、日蓮大聖人御生涯の、法華経研鑽の実際のお姿を法華講員に披見せられる事こそ、日蓮大聖人ご生誕八百年を寿ぐ事業に相応しいのでわと、強く確信いたします。 繰り返しになりますが、このまま日蓮大聖人の御金言に違背し、国家諌暁をなさないならば、太平洋戦争の国難、宗門難の再現は不可避です。 弘安の役は、当時の歴史上、世界最大の蒙古の艦隊が日本に襲い掛かりました。そこで初めて「てつほう」と言う手榴弾が使用されました。 太平洋戦争は、原子爆弾投下と言、う民間人に対する史上最も残虐な兵器が日本列島を襲い、日本は連合軍に占領されました。 東日本大震災では日本史上最大の地震及び津波が襲い、世界市場世界史上最大の「原子力発電所」の事故を引き起こしました。 この度の国難は、それをも凌ぐ大難となることは必定です。 平成二十九年十二月二十日 日蓮正宗法華講 日正寺支部 第四総区新琴似地区二班 三浦常正
謹上 日蓮正宗 第六十八世日如上人猊下 敬白 #
by johsei1129
| 2025-06-07 14:21
| 日蓮正宗 宗門史
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2025年 06月 06日
七、 方便品長行不読
現在の宗門は勤行において如来が娑婆世界に出現した一大事因縁を説いている方便品の長行(世雄偈)を読誦しておりません。しかし日蓮大聖人は御書で方便品の長行を読むよう説いておられます。 月水御書に曰く「殊に二十八品の中に勝れて、めでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」 曾谷入道殿御返事に曰く「方便品の長行書進せ候、先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし」 観心本尊得意抄に曰く「抑も今の御状に云く、教信の御房、観心本尊抄の「未得」等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候か」 百六箇抄三十八、脱益の潅頂等の本迹 に曰く「潅頂とは至極なり。後世の仏・菩薩の潅頂は法華経なり。迹門の潅頂は方便読誦、欲令衆生開仏知見なり。本門の潅頂は寿量品読誦、然我実成仏已来なり」 また二十六世日寛上人は当流行事抄に於いて「開目抄上に云わく「法華経方便品の略開三顕一の時、仏略して一念三千の本懐を宣(の)ぶれども、時鳥(ほとときず)の初音(はつね)を寝臥(ねおび)たる耳に聞くが如く、月の山の端(は)に出でて薄雲の覆(おお)えるが如く幽(かすか)なり」等云云。故に知んぬ。若し広開に至らずんば一念三千其の義仍(なお)未(いま)だ分明(ふんみょう)ならず。故に広開長行を誦するなり。大覚(だいがく)抄の中に「方便品の長行をも習い誦(よ)むべし」と言うは、即ち広開の長行を指すなり。其の間に偈頌(げじゅ)有りと雖も比丘偈(びくげ)の長篇に望むれば、其の前を通じて皆長行と名づくるなり」と説かれておられます。 また身延曽存ではありますが、日蓮大聖人が四条金吾に方便品の長行として「妙法蓮華経方便品第二。爾時世尊 告舎利弗 汝已慇懃三請~唯一仏乗爾時※比丘偈の前」の六十行を認めて送られたとの記録があるとのことです。 いずれにしも「一大事因縁故 出現於世」が説かれた方便品の長行を読まない事は日蓮大聖人のご指南に明白に違背する「不相伝の僻見」にあたります。また方便品長行を読む意義も日寛上人の「当流行事抄」に明らかです。宗門は速やかに方便品長行を読むよう教本を改正し信徒に指導すべきです。
日蓮大聖人は百六箇抄にて「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以て、総貫首と仰ぐ可き者なり」と認められ、日興嫡嫡付法の上人の肩書を「総貫首」と名付けておられます。 日興上人も同様に遺誡置文で 一、時の貫主為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。 一、衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。と説かれ「貫首」と呼称されておられます。 さらに日蓮大聖人は本因妙法で「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」と断じられておられます。つまり法主とは末法の本仏の異名であります。 宗祖日蓮大聖人のご指南並びに日興上人の遺誡置文に習うならば日興嫡嫡付法の上人の呼称は「貫首○○上人と名乗るべきでありましょう。 ところが現在「御法主日如上人猊下」という尊称が「大白法」等に踊っております。 これは御・法主・上人・猊下と尊称の四段重ねであり常軌を逸しております。 尚、釈尊の経では次の様に仏・世尊を法王と説かれております。 中含経第四十九大空経に曰く「世尊を法の本と為し、世尊を法主と為す。法は世尊に由る」 雑阿含経第一に曰く「世尊を法主と為し、導と為し、覆と為す」 妙法蓮華経方便品第二に曰く「法王無上尊」 妙法蓮華経 薬草喩品第五に曰く「如来是諸法之王」 妙法蓮華経 授記品第六に曰く「大雄猛世尊 諸釈之法王」 妙法蓮華経安楽行品に曰く「如来亦復如是 於三界中 為大法王 以法教化 一切衆生」 上記の仏典に説かれている通り「法主」「法王」とはあくまで仏の尊称です。 因みに、下山御消息、頼基陳状等の御抄を拝読致しますと、日蓮大聖人は自らの対外的な尊称を聖人と、弟子・信徒に呼ばせておられます。日蓮正宗において法とは「南妙法蓮華経」であり法主とは南妙法蓮華経の主つまり人法一箇の日蓮大聖人を意味します。 日蓮大聖人が対外的に聖人と呼ばせておられるのに、本仏でもない時の貫首が弟子・信徒に法主と呼ばせることは増上慢の極みであります。我々法華講信徒はこれまで大聖人に常髄給仕し日蓮正宗の強固な基礎を築かれた第二祖日興上人、第三祖日目上人を単に上人と呼んでおります。直ちに「御法主日如上人猊下」などという常軌を逸した呼称は取りやめ、対外的には日蓮正宗第六十八世貫首日如、宗門および法華講内には単に第六十八世日如上人と呼ばせるべきです。 本因妙抄に曰く、 『彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し。今以て此くの如し。数輩の弟子有るべしと雖も、疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し。可きの法門なり』 畏れ多くも本文中「一二の小石」とは日興上人および日目上人であらせられると拝されます。その日目上人の滅度を看取った日郷上人が門流の者に語った記録「目上(もくじょう)御遺言」において次のように記されておられます。 『此の申状奏せずして終(つい)に臨終す。此の土の受生(じゅしょう)所用(しょゆう)無しと雖(いえど)も、今一度人間に生れ、此の状を奏すべし。若し此の状奏聞の人、未来に於(お)いて之(これ)有らば、日目が再来と知るべし』富要四巻「申状見聞」 生涯四十二度の諌暁に及んだ日目上人は「此の土の受生・所用無し(此の土に生を受けて以来、自分にはさしたる功績はなかった)」と語られておられます。 また日蓮正宗中興の祖と謳われる第二十六世日寛上人は御書の講義録「文段」の題号を自ら、「開目抄愚記」のように「愚記」と題されておられます。 日蓮大聖人に常随給仕し三度の国家諌暁を身近に知る身としての日目上人は「さしたる功績はなかった」と率直に自身の思いを吐露されておられ、また大聖人が佐渡の雪中で認められた法門「開目抄」を畏れ多くも講義する身として日寛上人は「愚記」と記されたと拝されます。このように歴代の上人は日蓮大聖人並びに本仏が説く法門の前に座して、あくまで謙虚であらせられました。
九、日蓮系他宗派、及び念仏・真言・禅・律等の謗法他宗派の折伏をしない日蓮正宗宗門のご僧侶。
御書を拝するかぎり、日蓮大聖人御在世当時、特に三度目の国家諌暁の後身延に入られた後は、日興上人を筆頭に各弟子たちがみずからの坊を拠点として布教に邁進しておられたと理解しております。 そして日興上人の天台宗(四十九院・実相寺等)の僧侶への折伏が熱原法難を惹起、入信後一年に満たない農民信徒・熱原の三烈士の強盛な信仰を機縁として弘安二年十月十二日、日蓮大聖人は出世の本懐たる一閻浮提総与の大御本尊を「弥四郎国重法華講衆等敬白」として建立なされました。 今日、日本全国には大聖人在世の弟子・信徒ゆかりの日蓮系諸派の寺院が数多く存在し、強信徒の富木常忍・大田乗明が開基した中山法華経寺をはじめ、日蓮大聖人直筆の御書の御真筆が数多く所蔵されております。大聖人ご生誕八百年を慶祝するためにも日蓮系各寺院が日蓮正宗門下に連なるようご僧侶が先頭に立ち弘通すべきではないでしょううか。 日蓮大聖人御在世当時の六老僧をはじめとする弟子たちの布教活動を鑑みますれば、少なくとも俗信徒の後塵を拝して信徒の布教を叱咤激励するのが得度なされた御尊師の役割とは到底思えません。 日蓮大聖人の直弟子を任じるのであるならば、自らが率先して邪宗諸宗派を折伏し、その姿を見せることで信徒を励ますべきであります。このことなくして僧俗和合・僧俗異体同心の弘通はありえません。そして他宗派特に日蓮系宗派を折伏するためには宗門の御僧侶は日文字の法名を名乗る必要があります。なぜなら折伏の際、相手の僧侶から「宗祖日蓮大聖人の弟子と自称するなら何故日文字の法名を名乗らないのか」と詰問されることは必定だからです。 現在の宗門が得度した御僧侶に日文字の法名を名乗らせないのは、そもそも他宗派を折伏する意思がないのだと言われも反駁することはできないでしょう。実際に他宗派の折伏は近年ほとんどなされほていないのですから。
十. 世界広布への展望を見いだせない現在の宗門
日蓮大聖人は鎌倉時代に整備された鎌倉飛脚・六波羅飛脚という謂わば当時の文明の利器を最大限に活用し、身延山中にいながら日本各地の情報を弟子信徒より収集するとともに弘教の指南、濃厚な信心指導をなされておられました。 四条金吾に宛てられた【頼基陳状】では『去ぬる六月二十三日の御下文・島田の左衛門入道殿・山城の民部入道殿・両人の御承りとして同二十五日謹んで拝見仕り候い畢んぬ』と認められておられますように、四条金吾が六月二十三日に大聖人に発した消息が翌々日の二十五日に届き、大聖人は直ぐに【頼基陳状】を認め四条金吾殿へ発しております。 【諸人御返事】に曰く、 三月十九日の和風並びに飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。 大聖人は本抄で、三月十九日に大聖人宛てに発せられた和風(つかい)並びに飛鳥(ふみ)が翌々日の二十一日戌の時に到来したと記され、恐らく使いの者を待たせて直ちに本書を認めて同日に発しご指南なされたことを示されておられます。 さらに日興上人か日蓮大聖人に発せられた消息への返書[聖人等御返事] では次のように直ちにご指南する書を日興上人に発せられておられます。 今月十五日時酉御文、同じき十七日時酉到来す。 彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云。偏に只事に非ず。定めて平金吾の身に十羅刹入り易りて、法華経の行者を試みたもうか。 (中略) 伯耆房等、深く此の旨を存じて問注を遂ぐ可し。平金吾に申す可き様は、文永の御勘気の時聖人の仰せ忘れ給うか、其の殃未だ畢らず重ねて十羅刹の罰を招き取るか、最後に申し付けよ。恐恐謹言。 十月十七日戌時 日 蓮 花押判 聖人等御返事 これらの数々の御書から推知されることは、大聖人は飛脚という当時の文明の利器を最大限利用し、弟子・信徒の間に濃厚な関係を築いておられました。この事は当時まだ弟子・信徒の数が少なかったからできたのでしょうか。確かに現在の法華講の信徒数は日蓮大聖人御在世当時の信徒数より飛躍的に多くなっております。しかし現代文明の最大の利器インターネットを活用することで瞬時に極めてを低コストで世界中の信徒に大聖人の法門を発することが可能なのです。 フェイスブック・ツイッター等のソーシャルネットワークを活用し市民運動開始後十八日間で三十年近く独裁政権を続けたエジプトのムバラク大統領を辞任に追い込んだエジプト民主革命は今も記憶に残る事例です。 選時抄に曰く「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし、過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一経も説き給はず、経に云く一坐十小劫又云く「仏時の未だ至らざるを知り請を受けて黙然として坐す」等云云、今の教主釈尊は四十余年の程法華経を説き給はず、経に云く「説く時未だ至らざるが故」と云云、老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院に篭らせ給いて五十六億七千万歳をまち給うべし。彼の時鳥は春ををくり鶏鳥は暁をまつ畜生すらなをかくのごとし。何に況や仏法を修行せんに時を糾ざるべしや」 日蓮大聖人は「闘諍堅固・白法隠没」と言う末法の時を感じ、南無妙法蓮華経の流布を下剋上の日本国、鎌倉時代にお始めになされました。 いまはまさに日蓮大聖人の仏法が全世界に流布すべき時であると糾さなければなりません。
世界広布への瑞相 一、正嘉元年八月二十三日の正嘉の大地震をも凌駕すると思われる日本周辺における観測史上最大の地震マグニチュード九の東日本大震災 平成二十三年三月十一日(大聖人滅後七百二十九年) ※ 平成二十八年三月十日時点で、震災による死者・行方不明者は一万八千四百十五人 二、平成二十七年四月二十五日 釈尊の生誕地(ネパール・カトマンズの北西七七キロ)で起きたマグニチュード七・八の大地震 ちなみに平成二十七年は北伝仏教の『衆聖点記』による釈尊滅度(紀元前四百八十六年から丁度二千五百年、つまり後の五百歳が終了する時に当たります。 三、イスラム国と西欧キリスト諸国との最終戦争 イスラム教もキリスト教も元は旧約聖書(旧ユダヤ教)から派生した宗教で、唯一絶対神を崇める事では同一内容の宗教と言えます。この二つの宗教の人口は世界の五十五パーセントに及びます。 さらにイスラム国の出現は世界次元での「闘諍堅固」を示すとともに、大白法つまり日蓮大聖人の仏法が世界に流布する瑞相であると捉えられます。 宗門はいまこそインターネットという現代最大の文明の利器を活かし、世界への広宣流布に打って出なければなりません。 そのためには主要外国語で翻訳された御書が必須となり、大聖人生誕八百年の佳節事業として少なくとも英語・スペイン語・中国語・仏語等の世界主要言語に翻訳した完全な御書を出版すべきです。 日興上人の五人所破抄に曰く「但し西天の仏法東漸の時、既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く、本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し。遠沾の飜訳は諍論に及ばず。雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり」 この日興上人の御金言に基づき、世界公布のためには御書を各国語に正しく翻訳する現代の鳩摩羅什一門が必要とされていることを宗門は理解しなければなりません。 はたして現在の宗門に「疑心無く正義を伝うる者は希にして一二ひ小石の如し」の小石は存在するのでしょうか。もし存在しないとするならば、一にもなく大聖人御在世当時のまま、御書に一字一句違えず御所作なされるべきです。その上で現代文明最大の利器インターネットを最大限活用し世界に日蓮大聖人の法門を発信するならば、何百万・何億人の法華講信徒が誕生することは容易に推測されます。 現代文明とりわけ物理学、天文月の発展により欧米の多くの知識人は古代人の認識と変わらない稚拙な記述の聖書を信じておりません。その欧米の人々にとって、妙法蓮華経如来寿量品に説かれている五百億(塵)点劫というはるか久遠に存在する宇宙、また百千万億 那由他 阿蘇義国もの仏国土の存在を示す記述は、驚天動地に感じられることでしょう。 さらに日蓮大聖人が御図現あさばされた十界曼荼羅は己心の十界が三千大千世界に広がり、さらに二千二百三十余年という釈尊から竜樹天台伝教をへて末法の本仏日蓮大聖人までの仏教の伝搬の経緯が認められた大御本尊の御前にひれ伏すことは「大地を的とするなるべし」と確信いたしております。 南妙法蓮華経
平成二十八年十月十日 日正寺支部 第一総区北新地区三班 三浦常正
謹上 日蓮正宗 第六十八世日如上人猊下 敬白 #
by johsei1129
| 2025-06-06 10:52
| 日蓮正宗 宗門史
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2025年 06月 06日
四、 御書を正確に伝えない宗門。
本年の夏期講習会[第三期三時限「折伏の功徳と登山の喜び」]において次の内容の講義がございました。 日妙尼の佐渡見参時に、日蓮大聖人が一谷入道に口添なされ、日妙尼の鎌倉に帰る旅費を工面してもらいその際、見返りとして入道の母に法華経を与えると約束したと講義がなされておりました。しかしこの講義は正確ではありません。 上記の逸話について日蓮大聖人は「一谷女房御書」に詳しく認められておられます。曰く「旁入道の法華経の縁はなかりけり、約束申しける我が心も不思議なり、又我とは・すすまざりしを鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に口入有りし事なげかし。本銭に利分を添えて返さんとすれば又弟子が云く御約束違ひなんど申す、旁進退極りて候へども人の思わん様は狂惑の様なるべし、力及ばずして法華経を一部十巻・渡し奉る。入道よりもうば(姥)にてありし者は内内心よせなりしかば是を持ち給へ」 日蓮大聖人は一谷入道に法華経を渡すと約束しておられます。しかしいまだに念仏を信仰している一谷入道に法華経を渡すわけにはいかない。そこで「本銭に利分を添えて返さん」としたが又弟子が云く御約束違ひなんど申す、そこで入道よりも姥にてありし者は内内(法華経に)心よせなりしかば是を持ち給へ」と結んでおられます。 ここで示された弟子とは佐渡にて常随給仕なされていた日興上人と推知されますが、この逸話は養母マハーパジャーパティの出家を許さなかった釈尊が弟子の阿難から「人は誰でも八正道を修行すれば悟りを得られるのですね。マハーパジャーパティはあなたにとって大変恩ある方です。是非出家を許されてください」懇願され、釈迦は阿難の熱意に打たれマハーパジャーパティの出家を許した」という仏伝を彷彿させます。 弟子の言と言えど道理に叶っていればそれを受け入れる。私はこれこそまさに仏の「働かさず、繕わず、本の儘」の撫作の三身の慈悲の振る舞いであると感じ入りました。何故宗門は御書に認められた事実をそのまま伝えようとしないのでしょうか。この事はほんの一事にすぎませんが一事は万事に波及します。日蓮大聖人の御内証は私のような凡夫には容易に理解することは困難です。だからこそ宗門は御書の一字一句違えることなく正確に信徒に講義しなければなりません。末法の本仏が認められた御書を歪めて総本山に見参した何千人もの信徒講義することは最大の謗法です。直ちに訂正して信徒に正しく伝え直すべきです。
五、国家諌暁をなされない近年の日蓮正宗・宗門。
日胤上人による御申状(文久三年十一月二十四日)以降、宗門御法主上人による国家権力に対する諌暁は途絶えておられます。
歴代宗門御法主上人による国家諌暁の事例 [日興上人以降の国家諌暁] 日目上人御申状(元弘三年十一月) 近年の日蓮正宗宗門は御会式で大聖人始め日興上人、日目上人等歴代貫首の申状を捧読することが国家諌暁だと勘違いなされておられないでしょうか。 太平洋戦争の時には寧ろ法華講員により国家への働きかけ及び反駁がなされております。 法華講弾正会の藤本蓮城氏は昭和十八年六月十六日、昭和天皇に日蓮正宗への帰依を訴え不敬罪で逮捕され翌年一月十日収監先の長野刑務所で死去されます。 また昭和十八年七月六日、創価教育学会の牧口常三郎氏、戸田城聖氏ら幹部二十一名は伊勢神宮の神札を祭ることを拒否、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で逮捕され、牧口氏は翌年十一月十八日、巣鴨拘置所内の病監で死去されます。この間宗門は昭和十八年六月二十三日、牧口氏に神札を受け取るよう指導、拒否する創価教育学会の幹部に対し登山停止の処分を下しました。 弘安の役では蒙古による当時の世界史上最大規模の艦隊が日本に襲来しますが、最後は台風でその艦船が壊滅的打撃をうけ蒙古軍は撤退し鎌倉幕府の勝利となりました。 この要因の一つは「聖人が所を辞さなかった」こと。つまり日蓮大聖人が厳然と日本に存在した事と、もう一つは当時の日本の国主執権北条時宗が日蓮大聖人の佐渡流罪を赦免し、佐渡から鎌倉の帰路は幕府から派遣された武士により保護され、客人として鎌倉に迎え入れることで事実上日蓮大聖人の法門を容認したことがあげられます。幕府が一度佐渡流罪に書した罪人を赦免した例は日蓮大聖人に以外存在せず、あの順徳天皇も佐渡から京に戻ることは叶わず佐渡で生涯を終えています。 現在日本国の政権は靖国神社に心酔する安倍総理、自民党及び日蓮正宗に反目する謗法集団創価学会と一体である公明党が支配しております。 何故この大謗法政権に対し現在の宗門は「国家諌暁」をなされないのでしょうか。 現在の日本に聖人はおられないのでしょうか。 近年日本は大地震が連続的に勃発しております。 平成七年一月十七日 阪神淡路大震災 平成二十三年三月十一日 東日本大震災 平成二十八年四月十四日 熊本地震 また中国による尖閣諸島への領海侵犯、北朝鮮による日本の排他的経済水域へのミサイル着弾が多発するなど、このまま現政権に対し「国家諌暁」をなされないのならば「他国侵逼難」「自界叛逆難」の恐れが現実のものとなります。 日蓮正宗宗門は大聖人が御遷化の間際、池上邸にて最後に「立正安国論」の講義を弟子信徒一同になされた意味を思い起こされ、敢然と「国家諌暁」をなさるべきです。
六、 出家とは名ばかりの俗の入道に過ぎない日蓮正宗のご僧侶。
【最蓮房御返事(祈祷経送状)】に曰く 一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に堕す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑ひ無き故なり。但今の御身は念仏等の権教を捨て正法に帰し給ふ故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。尤も比丘と成りては権宗の人すら尚然るべし。況んや正法の行人をや。仮使権宗の時の妻子なりとも、かゝる大難に遇はん時は、振り捨てゝ正法を弘通すべきの処に、地体よりの聖人尤も吉し尤も吉し。相構へ相構へ向後も夫妻等の寄り来とも遠離して一身に障礙無く、国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資け奉るべき者なり。 猶々向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有るべく候。但し此の書は弘通の志有らん人に取りての事なり。此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候か。穴賢穴賢。恐々謹言。
上記の御文の通り、「御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等」の最蓮房を大聖人は「持戒の中の清浄の聖人なり」と称えられておられます。 現在、宗門ご僧侶の大半は妻子を帯しており、実態は大聖人御在世当時の信徒富木常忍同様の俗信徒で得道した、謂わば入道であります。本来入道の身分では俗信徒の供養を受けることはできません。 明治五年に発令された肉食妻帯に関する太政官布告を、謗法他宗派と同様に宗門が許容し妻帯の戒を破ったとするならば、日蓮大聖人御在世当時の弟子達と全く異なる存在になったということを意味します。 最蓮房御返事(祈祷経送状)の全文を現在の法華講信徒に講義できない宗門のご僧侶方は、直ちに入道と名乗るべきです。 #
by johsei1129
| 2025-06-06 10:43
| 日蓮正宗 宗門史
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