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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 08月 14日

霊峰富士と大石寺 

真夏の霊峰富士
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# by johsei1129 | 2022-08-14 15:52 | 日蓮正宗総本山大石寺 | Trackback | Comments(0)
2022年 08月 12日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明かされた 【三世諸仏総勘文教相廃立】

要点解説その七

名と言とは二なりと雖も心は只一つ心なり、斯れに由つて無明をば断ず可からざるなり、夢の心の無明なるを断ぜば寤の心を失う可きが故に、総じて円教()の意は一毫の惑をも断ぜず、故に一切の法は皆是れ仏法なりと云うなり

法華経に云く「如是相一切衆生の相好・本覚の応身如来・如是性一切衆生の心性・本覚の報身如来・如是体一切衆生の身体・本覚の法身如来」此の三如是より後の七如是・出生して合して十如是と成れるなり、此の十如是は十法界なり、此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、

円教 法華経を意味する。

三世の諸仏の総勘文にして御判慥(たし)かに印(おし)たる正本の文書なり、仏の御判とは実相の一印なり、印とは判の異名なり、余の一切の経には実相の印無ければ正本の文書に非ず、全く実の仏無し実の仏無きが故に夢中の文書なり、浄土に無きが故なり、十法界は十なれども十如是は一なり、譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し、仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば、九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減(けつげん)無く同時に皆顕れて体と用(ゆう)と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕()くること無し、故に十如是は本末究竟(くきょう)して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり、諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり・諸仏は是れ末なり、然るを経に云く「今此の三界は皆是我が有なり、其の中の衆生は悉く是吾が子なり」と已上、



要点解説その八に続く





# by johsei1129 | 2022-08-12 23:17 | 日蓮正宗総本山大石寺 | Trackback | Comments(0)
2022年 08月 11日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明かされた 【三世諸仏総勘文教相廃立】

要点解説其の六

 生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり、法性(ほっしょう)の淵底(えんでい)・玄宗の極地なり故に極理と云う、此の無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に有つて清浄無漏(むろ)なり、之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり、是の故に心外無別法と云う、此れを一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり。

 生と死と二つの理は生死の夢の理なり・妄想なり・顛倒なり。本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し、既に生死を離れたる心法に非ずや・劫火にも焼けず・水災にも朽ちず・剣刀にも切られず・弓箭にも射られず・芥子の中に入るれども芥子も広からず・心法も縮まらず・虚空の中に満つれども虚空も広からず・心法も狭からず・善に背くを悪と云い・悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し、此の善と悪とを離るるを無記と云うなり。善悪無記・此の外には心無く・心の外には法無きなり。故に善悪も浄穢も、凡夫・聖人も、天地も大小も、東西も南北も、四維も上下も、言語道断し心行所滅す。心に分別して思い、言い顕す言語なれば心の外には分別も無分別も無し。言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり。凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり。神通とは神(たましい)の一切の法に通じて礙(さわり)無きなり。

 此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり、故に狐狸(こり)も分分に通を現ずること皆心の神(たましい)の分分の悟なり、此の心の一法より国土世間も出来する事なり、一代聖教とは此の事を説きたるなり、此れを八万四千の法蔵とは云うなり、是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり、我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり、此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり、

 華厳経に云く「心は工(たくみ)なる画師(えし)の種種の五陰を造るが如く、一切世間の中に法として造らざること無し、心の如く仏も亦爾なり、仏の如く衆生も然なり、三界唯一心なり、心の外に別の法無し、心仏及び衆生・是の三差別無し」已上、

無量義経に云く「無相・不相の一法より無量義を出生す」已上、無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり、文句に釈して云く「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり、二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」云云、心の不思議を以て経論の詮要と為すなり

此の心を悟り知るを名けて如来と云う、之を悟り知つて後は十界は我が身なり・我が心なり・我が形なり・本覚の如来は我が身心なるが故なり、之を知らざる時を名けて無明と為す、無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性(ほっしょう)と云う。

故に無明と法性とは一心の異名なり。


要点解説其の七に続く




# by johsei1129 | 2022-08-11 14:03 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2022年 08月 11日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明かされた 【三世諸仏総勘文教相廃立】

要点解説その五


 譬えば衆流を大海に納むるが如きなり、仏の心法妙・衆生の心法妙と此の二妙を取つて己心に摂むるが故に心の外に法無きなり。己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり。

是を経に説いて云く「如是相応身如来、如是性報身如来、如是体法身如来」

此れを三如是と云う、此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し、十方法界を心性と為し、十方法界を相好(そうごう)と為す。

是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり、法界に周編して一仏の徳用なれば一切の法は皆是仏法なりと説き給いし時、其の座席に列し諸の四衆・八部・畜生・外道等一人も漏れず皆悉く妄想の僻目、僻思(ひがおもい)、立所(たちどころ)に散止して本覚の寤に還て皆仏道を成ず。

 仏は寤の人の如く衆生は夢見る人の如し、故に生死の虚夢(こむ)を醒して本覚の寤に還るを即身成仏とも、平等大慧とも、無分別法とも、皆成仏道とも云う、只一つの法門なり。

 十方の仏土は区(まちまち)に分れたりと雖も通じて法は一乗なり。


方便無きが故に無分別法なり。

十界の衆生は品品に異りと雖も実相の理(ことわり)は一なるが故に無分別なり百界千如・三千世間の法門殊なりと雖も十界互具するが故に無分別なり。夢と寤と虚と実と各(おのおの)別異なりと雖も一心の中の法なるが故に無分別なり。

 過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり。

一切経の語は夢中の語とは譬えば扇と樹との如し、法華経の寤の心を顕す言(ことば)とは譬えば月と風との如し、故に本覚の寤の心の月輪の光は無明の闇を照し、実相般若の智慧の風は妄想の塵を払う、故に夢の語の扇と樹とを以て寤の心の月と風とを知らしむ、是の故に夢の余波(なごり)を散じて寤の本心に帰せしむるなり、故に止観に云く「月・重山(じゅうざん)に隠るれば扇を挙げて之に類し、風大虚(たいこ)に息()みぬれば樹を動かして之を訓ゆるが如し」文、


弘決()に云く「真常性(しんじょうしょう)の月煩悩の山に隠る、煩悩一に非ず故に名けて重と為す、円音教(えんのんぎょう)の風は化を息めて寂に帰す、寂理無礙なること猶大虚の如し、四依の弘教は扇と樹との如し乃至月と風とを知らしむるなり已上、夢中の煩悩の雲・重畳せること山の如く、其の数八万四千の塵労にて心性本覚の月輪を隠す、扇と樹との如くなる経論の文字言語の教を以て月と風との如くなる本覚の理を覚知せしむる聖教なり、故に文と語とは扇と樹との如し」文、上釈は一往の釈とて実義に非ざるなり、月の如くなる妙法の心性の月輪と風の如くなる我が心の般若の慧解とを訓え知らしむるを妙法蓮華経と名く、故に釈籤(しゃくせん)に云く「声色(しょうしき)の近名(ごんみょう)を尋ねて無相の極理に至る」と已上。

 声色の近名とは扇と樹との如くなる夢中の一切経論の言説なり。無相の極理とは月と風との如くなる、寤の我が身の心性の寂光の極楽なり。

 此の極楽とは十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して、一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり。十界を身と為すは法身(ほっしん)なり、十界を心と為すは報身なり、十界を形と為すは応身なり。

 十界の外に仏無し・仏の外に十界無くして依正不二(えしょうふに)なり、身土不二なり、一仏の身体なるを以て寂光土と云う。是の故に無相の極理とは云うなり。


弘決

『止観輔行伝弘決』

妙楽大師湛然による『摩訶止観』の注釈書。十巻。

天台大師よる摩訶止観の法門の正統性を明示。天台宗内の異端や華厳宗・法相宗の主張を批判。


要点解説その六に続く





# by johsei1129 | 2022-08-11 10:04 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2022年 08月 11日

人の心を貫く妙法蓮華経は宇宙に遍満し一体であると明かされた 【三世諸仏総勘文教相廃立】

要点解説その四



故に知んぬ、十方の仏土に無き方便の教を取つて往生の行と為し、十方の浄土に有る一乗の法をば之を嫌いて取らずして成仏す可き道理有る可しや否や。

一代の教主釈迦如来・一切経を説き勘文し給いて言く、三世の諸仏同様に一つ語(ことば)一つ心に勘文し給える説法の儀式なれば我も是くの如く一言も違わざる説教の次第なり云云、方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、無分別の法とは一乗の妙法なり善悪を簡(えら)ぶこと無く草木・樹林(じゅりん)・山河・大地にも一微塵の中にも互に各十法界の法を具足す、我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周編して闕(か)くること無し、十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し、此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し、故に無分別法と云う是なり、此の一乗妙法の行をば取らずして全く浄土には無き方便の教を取つて成仏の行と為さんは迷いの中の迷いなり、我仏に成りて後に穢土に立ち還りて穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に次第に誘引して方便の教を説くを化他の教とは云うなり、故に権教と言い又方便とも云う、化他の法門の有様大体略を存して斯くの如し。

二に自行の法とは是れ法華経八箇年の説なり、是の経は寤(うつつ)の本心を説き給う、唯衆生の思い習わせる夢中の心地なるが故に夢中の言語を借りて寤の本心を訓(おしう)る故に語は夢中の言語なれども意(こころ)は寤の本心を訓ゆ、法華経の文と釈との意、此くの如し。

 之を明め知らずんば経の文と釈の文とに必ず迷う可きなり。
但し此の化他の夢中の法門も寤の本心に備われる徳用の法門なれば夢中の教を取つて寤の心に摂むるが故に、四十二年の夢中の化他方便の法門(注)も妙法蓮華経の寤の心に摂まりて心の外には法無きなり、此れを法華経の開会とは云うなり。

四十二年の夢中の化他方便の法門 釈迦の成道及び説法の次第
三十歳で菩提樹の下で成道、四十余年後(七十数歳) 霊鷲山で法華経を説き始める。

現在の霊鷲山 世界中から仏教徒が訪れている。



# by johsei1129 | 2022-08-11 09:57 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)