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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

末法において報恩とは「妙法蓮華経」を説き仏身に入らしめる事であることをあかした書『報恩抄』 その一

【報恩抄(ほうおんしょう】
■出筆時期:建治二年七月二十一日(西暦1276年)、日蓮大聖人55歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵
■出筆の経緯:幼少時代に修行した清澄寺時代の師である道善房への供養のため、当時兄弟子(後に大聖人の弟子となる)である「浄顕房と義浄房」宛に、弟子日向を使者として本書を持参させ、あわせて故道善房の墓前で本抄を拝読させている。八万四千宝蔵といわれる仏法のなかで、最第一の『法』である『妙法蓮華経』を流布し、一切衆生を救済することこそが、師への報恩であることを明かしておられる。

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■御真筆:池上本門寺、ほか五箇所に断簡所蔵。

[報恩抄 本文] その一
                                               日蓮之を撰す

 夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて、こう(弘)演と申せし臣下は腹をさ(割)ひて衛の懿公が肝を入れたり。
いかにいわうや仏教をならはん者、父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ、智者とならで叶うべきか。
譬へば衆盲をみちびかんには生盲(いきめくら)の身にては橋河をわたしがたし、方風を弁えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや。

 仏法を習い極めんとをもはば、いとまあらずば叶うべからず、いとまあらんとをもはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず。是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは、父母・師匠等の心に随うべからず。
この義は諸人をもはく、顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう。しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえたり、内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云。比干が王に随わずして賢人のな(名)をとり、悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。

 かくのごとく存して父母・師匠等に随わずして仏法をうかがひし程に、一代聖教をさとるべき明鏡十あり。所謂る倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。此の十宗を明師として一切経の心をしるべし。世間の学者等おもえり、此の十の鏡はみな正直に仏道の道を照せりと。小乗の三宗はしばらく・これををく民の消息の是非につけて他国へわたるに用なきがごとし、大乗の七鏡こそ生死の大海をわたりて浄土の岸につく。大船なれば此を習いほどひて我がみ(身)も助け人をも・みちびかんとおもひて習ひみるほどに、大乗の七宗いづれも・いづれも自讃あり我が宗こそ一代の心はえ(得)たれ・えたれ等云云。

所謂、華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等、法相宗の玄奘・慈恩・智周・智昭等、三論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感(えかん)・源空等、此等の宗宗みな本経・本論によりて我も我も一切経をさとれり仏意をきはめたりと云云。

彼の人人云く一切経の中には華厳経第一なり、法華経大日経等は臣下のごとし、真言宗の云く一切経の中には大日経第一なり余経は衆星のごとし、禅宗が云く一切経の中には楞伽経第一なり乃至余宗かくのごとし。而も上に挙ぐる諸師は世間の人人・各各おもえり、諸天の帝釈をうやまひ衆星の日月に随うがごとし、我等凡夫はいづれの師師なりとも信ずるならば不足あるべからず、仰いでこそ信ずべけれども日蓮が愚案は(晴)れがたし。
 世間をみるに各各・我も我もといへども国主は但一人なり、二人となれば国土おだやかならず家に二の主あれば其の家必ずやぶる、一切経も又かくのごとくや有るらん何の経にても・をはせ一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ。

而るに十宗七宗まで各各・諍論して随はず、国に七人・十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一(ひとつ)の願を立つ我れ八宗十宗に随はじ、天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく。一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云。
依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上(かみ)にあぐるところの諸の人師なり。
 此の経に又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」等云云、此の経に指すところ了義経と申すは法華経・不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経なり、されば仏の遺言(ゆいごん)を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。


[報恩抄 本文] その二に続く




by johsei1129 | 2019-10-26 17:12 | 報恩抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

日蓮大聖人が日昭を通じ鎌倉の弟子信徒それぞの信仰の状況について細々と指導されている書【弁殿御消息】

【弁殿御消息】
■出筆時期:建治二年(西暦1276)七月二十一日 五十五歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は六老僧の一人弁阿闍梨日昭に与えられた書です。
四条金吾の安否を気遣われ、日昭に金吾を訪ねて様子を手紙で教えて欲しいと依頼されております。また河辺殿等の鎌倉の門下の動向について、法華経信仰を捨てた者がいると思われるので、指導されることを頼まれております。

 さらに日朗、三位房、日高に大事な法門についての話があるので、直ぐに見参するよう伝えるよう依頼されております。
 また文末では「紙なくして一紙に多く要事を申すなり」と記し、身延の暮らしが弟子・信徒への手紙を書く紙さえ不足している状況を示しており、本書の真筆をみると紙の余白にまで書き付けて、門下の弟子信徒の進行について細々と気を使われていることがうかがえる貴重な御書となっております。
■ご真筆: 京都市本能寺 全文所蔵。
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[弁殿御消息 本文]

 たきわう(滝王)をば、いゑふ(家屋葺)くべきよし候けるとて、まか(退)るべきよし申し候へば、つかわし候。ゑもんのたいう(池上衛門大夫)どのの、かへせに(改心)の事は大進の阿闍梨のふみに候らん。

一 十郎入道殿の御けさ(袈裟)悦び入つて候よし、かたらせ給え。

一 さぶらうざゑもん(四条金吾)どのの、このほど人をつかわして候しが、をほせ給いし事、あまりにかへすがへすをぼつかなく候よし、わざと御わたりありて、きこしめして、かきつかはし候べし。又さゑもんどのにもかくと候へ、

七月二十一日 日蓮 花押
辧殿

かわのべ(河辺)どの等の四人の事、はるか(遥)にうけ給はり候はず、おぼつかなし。かの辺に、なに事か候らん。一一に、かき(書)つかはせ、度度この人人の事は、ことに一大事と天をせ(責)めまいらせ候なり。さだめて後生(ごしょう)はさてをきぬ、今生にしるし(験)あるべく候と存ずべきよし、したたかに、かたらせ給へ。

 伊東の八郎ざゑもん、今はしなののかみ(信濃守)は、げん(現)に、し(死)にたりしを、いのりい(活)けて念仏者等になるまじきよし、明性房にをくりたりしが、かへりて念仏者、真言師になりて無間地獄に堕(おち)ぬ。のと房はげんに身かたで候しが、世間のをそろしさと申し、よく(欲)と申し、日蓮をすつるのみならず、かたき(敵)となり候ぬ。せう(少輔)房もかくの如し。

おのおのは随分の日蓮が、かたうど(味方)なり。しかるを、なづき(頭脳)をくだきていのるに、いままでしるし(験)のなきは、この中に心のひるが(翻)へる人の有るとをぼへ候ぞ。をもいあわぬ人を、いのるは水の上に火をたき、空にいゑ(舎)をつくるなり。此の由を四人にかたらせ給うべし、むこり国の事の・あ(合)うをもつて・おぼしめせ、日蓮が失にはあらず、ちくご房・三位・そつ等をば・いとま(暇)あらば・いそぎ来るべし・大事の法門申すべし・とかたらせ給え、十住毘婆沙等の要文を大帖(だいじょう)にて候と・真言の表(ひょう)の・せうそくの裏(うら)にさど房のかきて候と・そう(総)じて・せせと・かきつけて候ものの・かろき・とりてたび候へ、紙なくして一紙に多く要事を申すなり。
 七月二十一日 日 蓮花押
 辦 殿


by johsei1129 | 2019-10-26 17:05 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

法報応三身如来は法華経寿量品より外の一切経には釈尊秘めて説き給はずと断じた【四条金吾釈迦仏供養事】

【四条金吾釈迦仏供養事】
■出筆時期:建治二年(西暦1276年)七月十五日 五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄はこの頃四条金吾が父母の追善供養で釈迦仏の木像を造立、大聖人にその開眼を願い出た事への返書となっております。 
大聖人は釈迦仏の木像の力用について「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり」と示し、釈迦の仏像といえど法華経でなければ魂魄を入れることはできないと諭されております。

大聖人が信徒による釈迦仏の造立を容認されたのは、当時の鎌倉仏教が、阿弥陀如来、大日如来等の末法では功力を失った本尊雑乱の状況を踏まえ、仏教の始祖である釈尊に立ち返る事を重視したためと思われます。その上で、釈迦仏像開眼には、法報応の三身如来が必要でこの事は「法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘めて説き給はずとなり」と断じておられます。
■ご真筆: 神奈川県・妙本寺に第十八紙所蔵。その他全て身延久遠寺に存在したが明治の大火で焼失。
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真筆箇所本文:どうれひ(同隷)ならびに他人と我宅ならで夜中の御さかもり(酒宴)あるべからず。主のめ(召)さん時はひるならばいそぎまいらせ給べし。夜ならば三度までは頓病の由申せ給て、三度にすぎば下人又他人をかたらひて、つじをみせなんどして御出仕あるべし。かうつゝ(慎)ませ給はんほどに、むこ(蒙古)人もよせなんどし候わば、人の心又さきにひきかへ候べし。かたきを打心とどまるべし。申せ給事は御あやまちありとも、左右なく御内を出させ給べからず。ましてなからんにはなにとも人申せ、くるしからず。をもひのまゝに入道にもなりてをはせば、さきさきならば]

[四条金吾釈迦仏供養事 本文]

御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云、開眼の事・普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏・是に因つて五眼を具することを得たもう」云云、此の経の中に得具五眼とは一には肉眼・二には天眼・三には慧眼・四には法眼・五には仏眼なり、此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候、譬へば王位につく人は自然に国のしたがうがごとし、大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり、華厳・阿含・方等・般若・大日経等には五眼の名はありといへども其の義なし、今の法華経には名もあり義も備わりて候・設ひ名はなけれども必ず其の義あり。

三身の事、普賢経に云く「仏・三種の身は方等より生ず是の大法印は涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田にして応供の中の最なり」云云。
 
 三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす。譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう。一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします、この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず、故に天台大師の云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」云云、此の釈の中に於諸教中とかかれて候は華厳・方等・般若のみならず法華経より外の一切経なり、秘之不伝とかかれて候は法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘めて説き給はずとなり。

されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり、前の二(ふたつ)は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神((たましい)を入るる事は法華経の力(ちから)なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり、止観の明静なる前代いまだきかずと・かかれて候と無情仏性・惑耳驚心等とのべられて候は是なり、此の法門は前代になき上(うえ)・後代にも又あるべからず、設ひ出来せば此の法門を偸盗せるなるべし、然るに天台以後二百余年の後・善無畏・金剛智・不空等・大日経に真言宗と申す宗をかまへて仏説の大日経等には・なかりしを法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土・日本の末学を誑惑せしかば皆人此の事を知らず一同に信伏して今に五百余年なり、然る間・真言宗已前の木画の像は霊験・殊勝なり真言已後の寺塔は利生うすし、事多き故に委く注(しる)さず。

 此の仏こそ生身(しょうしん)の仏にておはしまし候へ、優填(うでん)大王の木像と影顕(ようけん)王の木像と一分もたがうべからず、梵・帝・日月・四天等必定(ひつじょう)して影の身に随うが如く貴辺をば・まほらせ給うべし是一。
 御日記に云く毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間・大日天子に仕えさせ給ふ事、大日天子と申すは宮殿七宝なり其の大さは八百十六里・五十一由旬なり、其の中に大日天子居し給ふ、勝無勝と申して二人の后あり左右には七曜・九曜つらなり前には摩利支天女まします・七宝の車を八匹の駿馬にかけて四天下を一日一夜にめぐり四州の衆生の眼目と成り給う、他の仏・菩薩・天子等は利生のいみじくまします事・耳にこれを・きくとも愚眼に未だ見えず、是は疑うべきにあらず眼前の利生なり教主釈尊にましまさずば争か是くの如くあらたなる事候べき、一乗の妙経の力にあらずんば争か眼前の奇異をば現す可き不思議に思ひ候、争か此の天の御恩をば報ずべきと・もとめ候に仏法以前の人人も心ある人は皆或は礼拝をまいらせ或は供養を申し皆しるしあり。

又逆をなす人は皆ばつ(罰)あり、今内典を以てかんがへて候に金光明経に云く「日天子及以(および)月天子是の経を聞くが故に精気充実す」等云云、最勝王経に云く「此の経王の力に由つて流暉四天下を遶(めぐ)る」等云云、当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり・彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり勝劣を論ずれば乳と醍醐と金と宝珠との如し、劣なる経を食しましまして尚四天下をめぐり給う、何に況や法華経の醍醐の甘味を甞(なめ)させ給はんをや、故に法華経の序品には普香天子とつらなりまします、法師品には阿耨多羅三藐三菩提と記せられさせ給う火持如来是なり、其の上慈父よりあひつたはりて二代我が身となりて・としひさし争かすてさせたまひ候べき、其の上日蓮も又此の天を恃(たの)みたてまつり日本国にたてあひて数年なり、既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事・外にもとむべきにあらず、是より外に御日記たうとさ申す計りなけれども紙上に尽し難し。
なによりも日蓮が心にたつとき事候、父母御孝養の事度度の御文に候上(うえ)に今日の御文なんだ(涙)更にとどまらず、我が父母・地獄にや・おはすらんとなげかせ給う事のあわれさよ、仏の弟子の御中に目犍尊者と申しけるは父をばきつせん(吉占)師子と申し母をば青提女と申しけるが餓鬼道におちさせ給いけるを凡夫にてをはしける時は、しらせ給わざりければ・なげきもなかりける程に、仏の御弟子とならせ給いて後・阿羅漢となりて天眼をもつて御らんありければ餓鬼道におはしけり、是を御らんありて飲食をまいらせしかば炎となりて・いよいよ苦をましさせまいらせ給いしかば、いそぎ・はしりかへり仏に此の由を申させ給いしぞかし、爾の時の御心をおもひやらせ給へ、今貴辺は凡夫なり肉眼なれば御らんなけれども・もしも・さもあらばと・なげかせ給う・こは孝養の一分なり・梵天・帝釈・日月・四天も定めてあはれとおぼさんか、華厳経に云く「恩を知らざる者は多く横死に遭う」等云云、観仏相海経に云く「是れ阿鼻の因なり」等云云、今既に孝養の志あつし定めて天も納受あらんか是二。

御消息の中に申しあはさせ給う事くはしく事の心を案ずるに・あるべからぬ事なり、日蓮をば日本国の人あだむ是はひとへにさがみどの・のあだませ給うにて候ゆへなき御政りごとなれども・いまだ此の事にあはざりし時より・かかる事あるべしと知りしかば・今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもひ候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなん(難)をのがれて候、いまは事なきやうになりて候、日蓮がさどの国にてもかつ(飢)えし(死)なず又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は・たれか・たすけん・ひとへにとの(殿)の御たすけなり・又殿の御たすけは・なにゆへぞと・たづぬれば入道殿の御故ぞかし、あら(顕)わには・しろしめさねども定めて御いのりともなるらん・かうあるならば・かへりて又とのの御いのりとなるべし父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし、かかる人の御内を如何なる事有ればとて・すてさせ給うべきや・かれより度度すてられんずらんは・いかがすべき・又いかなる命(いのち)になる事なりとも・すてまいらせ給うべからず、上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有(あり)と見えぬ・孝養の者は又横死有る可からず、鵜と申す鳥の食する鉄(くろがね)はとくれども腹の中の子はとけず、石を食する魚あり又腹の中の子はしなず、栴檀の木は火に焼けず浄居の火は水に消へず・仏の御身をば三十二人の力士・火をつけしかども・やけず、仏の御身よりいでし火は三界の竜神・雨をふらして消(けし)しかどもきえず、殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり・悪人にやぶらるる事かたし、もしやの事あらば先生(せんしょう)に法華経の行者を・あだみたりけるが今生にむくふなるべし、此の事は如何なる山の中・海の上にても・のがれがたし、不軽菩薩の杖木の責も目連尊者の竹杖に殺されしも是なり、なにしにか歎かせ給うべき。

但し横難をば忍(しのぶ)には・しかじと見へて候・此の文御覧ありて後は・けつして百日が間をぼろげならでは・どうれい並に他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず・主の召さん時は昼ならば・いそぎ参らせ給うべし、夜ならば三度までは頓病の由を申させ給いて三度にすぎば下人又他人をかたらひてつじを見せなんどして御出仕あるべし、かうつつ(慎)しませ給はんほどにむこの人もよせなんどし候はば人の心又さきにひきかへ候べし、かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は御あやまち・ありとも左右なく御内を出でさせ給うべからず、まして・なからんには・なにとも人申せ・くるしかるべからず、おもひのままに入道にもなりておはせば・さきさきならばくるしからず、又身にも心にもあはぬ事あまた出来せば・なかなか悪縁・度度・来るべし、このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめ・あるべからぬ事なり、身に病なくとも・やいと(灸)を一二箇所やいて病の由あるべし、さわぐ事ありとも・しばらく人をもつて見せをほせさせ給へ。
事事くはしくは・かきつくしがたし、此の故に法門もかき候はず、御経の事はすず(涼)しくなり候いてか(書)いてまいらせ候はん、恐恐謹言。

建治二年丙子七月十五日  日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事


by johsei1129 | 2019-10-26 16:49 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

人生の目的は法華経如来寿量品に説かれている「衆生所遊楽」であると説いた【四条金吾殿御返事】

【四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)】
■出筆時期:建治二年(西暦1276年)六月二十七日 五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書はこの時期主君・江馬氏に疎まれ、同僚からも嫌われ不遇の状況下にあった四条金吾を大聖人が励ますべく送られたご消息文です。
本書は比較的短いお手紙ですが、この中で大聖人は人生の目的は、法華経の要である如来寿量品第十六で説かれている「衆生所遊楽」にあり、そのためには「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり」と断じられておられます。

つまりご本尊に向かい南妙法蓮華経と唱え、自らの仏界=慈悲心を開き、貪・瞋・癡の煩悩におかされることない人生を歩むことで「衆生所遊楽」が実現することを意味しておられます。さらに文末では「世間の留難来るともとりあへ給うべからず。賢人・聖人も此の事はのがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と、となへ給へ」と記し、潔い信仰をするよう強く励まされておられます。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書) 本文]

一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。経に云はく「衆生所遊楽」云云。

此の文あに自受法楽にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給ふべきや。所とは一閻浮提なり、日本国は閻浮提の内なり。

遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。
現世安穏・後生善処とは是なり。

たゞ世間の留難来たるとも、とりあへ給ふべからず。賢人聖人も此の事はのがれず。たゞ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。

苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。
いよいよ強盛の信力をいた(致)し給へ。恐々謹言。

建治二年丙子(ひのえね)六月二十七日 日蓮花押
四条金吾殿御返事


【妙法蓮華経 如来寿量品第十六】
 
 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 
 園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多花果 衆生所遊楽 
 諸天撃天鼓 常作衆伎楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆 
 我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 
 是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名 
 諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 
 
[和訳]
 
 衆生が劫が尽きて、大火に焼かるると見る時も、
 我が仏国土は、安穏で天人が常に満ちている。
 園林及び諸の堂閣は種種の宝で荘厳され
 宝樹には花果多くして、衆生の遊楽する所なり。
 諸天は天の鼓を撃ち、 常にもろもろの伎楽を作し
 曼陀羅華(注1)をふらし 仏及大衆に散らす。
 我が浄土は毀されずとも、而して衆生は焼尽と見て
 諸々の苦悩、憂い怖れが、悉くかくの如く充満していると見る。 
 これら諸の罪ある衆生は、悪業の因縁を以ての故に
 阿僧祇劫(注2)を過ぎても、三宝(注3)の名を聞くことはない。 
 諸の功徳を修め、柔和にして質直で有る者は、
 則ち皆、我(仏)身が、而して此処にありて法を説くと見るのだ。
 
注1 梵語māndāravaの音訳。仏が説法する時に天から降る美しい花。
注2 梵語の音訳で、数えることができない程長い宇宙的な年月。
    江戸時代の数学書『塵劫記』では、一阿僧祇は10の56乗と記されている。
注3 仏・法・僧(仏と、仏が覚知した法と、それを修行し衆生に説く僧の事)

by johsei1129 | 2019-10-26 16:29 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

某信徒の女房が自ら舂麦一俵その他の品々を携えて身延山中に見参されたことを称えられ た書【舂麦御書】

【舂麦御書】
■出筆時期:建治元年(1276年)五月二十八日 五十五歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書を宛てられた信徒の詳細は不明ですが、其信徒の女房が恐らく下人に馬を引かせ、舂麦(つきむぎ)一俵その他の品々を携えて、自ら身延山中の大聖人のもとへ届けられたと思われます。
大聖人はその事を「女房御参詣こそゆめとも、うつつ(現)とも、ありがたく候しか」とたいへん喜ばれ、その女房の志を称えられておられます。

本書は日付は記されておられますが、宛名も大聖人の花押も記されておられないのは、女房が草庵に滞在している間に某信徒にあてに「確かに女房殿が見参されて、これらの品々を受け取りました」と認められ、そのまま女房に本書を持たせたものと推察されます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本(京都満願寺蔵)
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[日蓮大聖人の筆跡を模写した古写本と思われます。]



【舂麦御書 本文】
女房御参詣こそゆめ(夢)とも、うつつ(現)とも・ありがたく候しか。
心ざしはちがはせ申さず。

当時の御いもふゆ(冬)のたかうな(筍)のごとし。
あになつ(夏)のゆき(雪)にことならむ。

舂麦(つきむぎ)一俵、芋一篭、笋(たかんな)二丸、給い畢んぬ。
五月廿八日勧




by johsei1129 | 2019-10-26 16:26 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

七宝の財を三千大千世界に盛満て供養せんよりは法華経を一偈受持せんはすぐれ たりと説いた【宝軽法重事】

【宝軽法重事】
■出筆時期:建治二年五月十一日(西暦1276年) 五十五歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:駿河国富士郡西山に在住していた強信徒の西山入道に宛てられた書。西山入道は幕府の仕事をしていて、役目を終えて駿河の所領の戻られた際、大聖人に「鎌倉幕府が蒙古の使者を斬首した」と報告、その返書である「蒙古使御書」、その他「三三蔵祈雨事」など度々ご消息文を送られている。本書では「七宝の財を三千大千世界にもりみてて供養せんよりは・法華経を一偈或は受持し或は護持せんはすぐれたり」と、法華経を受持することの重要さを説いている。
■ご真筆: 富士 大石寺。

[宝軽法重事 本文]


笋(たかんな)百本又二十本追給い畢んぬ。
妙法蓮華経第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かじ」云云。文句の十に「七宝を四聖に奉るは一偈を持つに如かずと云うは、法は是れ聖の師なり、能生能養能成能栄法に過ぎたるは莫し故に、人は軽く法は重きなり」云云。記の十に云く「父母必ず四の護を以て子を護るが如し。今発心は法に由るを生と為し、始終随逐するを養と為し、極果を満ぜしむるを成と為し、能く法界に応ずるを栄と為す。四つ同じからずと雖も法を以て本と為す」云云。経並に天台妙楽の心は、一切衆生を供養せんと、阿羅漢を供養せんと、乃至一切の仏を尽して七宝の財を三千大千世界にもりみてて供養せんよりは、法華経を一偈或は受持し或は護持せんはすぐれたりと云云。経に云く「此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かず」。天台云く「人は軽く法は重きなり」。妙楽云く「四つ同じからずと雖も法を以て本と為す」云云、九界の一切衆生を仏に相対して此れをはかるに一切衆生のふく(福)は一毛のかろく仏の御ふくは大山のをもきがごとし、一切の仏の御ふくは梵天三銖(さんしゅ)の衣のかろきがごとし。法華経の一字の御ふくの重き事は大地のをもきがごとし。人軽しと申すは仏を人と申す、法重しと申すは法華経なり。夫れ法華已前の諸経並に諸論は仏の功徳をほめて候、仏のごとし。此の法華経は経の功徳をほめたり仏の父母のごとし。華厳経・大日経等の法華経に劣る事は、一毛と大山と三銖と大地とのごとし。乃至法華経の最下の行者と華厳・真言の最上の僧とくらぶれば、帝釈とみ猴と師子と兎との勝劣なり。而るをたみ(民)が王とののしればかならず命となる。諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび地獄へ入り候なり。

 但かたきのなき時はいつわりをろかにて候。譬へば将門・貞任も貞盛・頼義がなかりし時は、国をしり妻子・安穏なり云云。敵なき時はつゆも空へのぼり、雨も地に下り、逆風の時は雨も空(そら)へあがり日出(ひので)の時はつゆも地にをちぬ。されば華厳等の六宗は伝教なかりし時はつゆのごとし。真言も又かくのごとし。強敵出現して法華経をもつてつよくせむるならば、叡山の座主・東寺の小(御)室等も日輪に露のあへるがごとしとをぼしめすべし。
 法華経は仏滅後二千二百余年に、いまだ経のごとく説ききわめてひろむる人なし。天台・伝教もしろしめさざるにはあらず、時も来らず・機もなかりしかば、かききわめずしてをわらせ給へり、日蓮が弟子とならむ人人はやすくしりぬべし。。
 一閻浮提の内に、法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いかでかあらわれさせ給わざるべき。しげければとどめ候。たけのこは百二十本法華経は二千余年にあらわれ候ぬ。布施はかろけれども志重き故なり。当時はくわんのう(勧農)と申し大宮づくりと申しかたがた民のいとまなし。御心ざしふかければ法もあらわれ候にや、恐恐謹言。

五月十一日     日 蓮 花 押
西山殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-26 16:23 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

端午の節句五月五日に合わせてせいす(清酒)とチマキを供養されたことを喜ばれた消息【覚性御房御返事】

【覚性御房御返事】
■出筆時期:建治二年(1276)五月五日 五十五歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:覚性御房が懇意の信徒からの依頼で、端午の節句五月五日に合わせてせいす(聖酒)とチマキを身延山中の草庵に届けられた事への返書となっております。
大聖人は本抄で、弟子覚性御房に対し「大聖人が喜んでいると依頼された某信徒に伝えて下さい」と丁寧に記されておられます。
■ご真筆:千葉県 随喜文庫所蔵
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【覚性御房御返事 本文】
せいす(清酒)ひと
つヽ ちまき(粽)
二十、かしこ(畏)
まりて給び候ひ
了んぬ。
よろこび
入るよし申
させ給へ。
恐々謹言。

五月五日 日蓮 花押
覚性御房





by johsei1129 | 2019-10-26 16:15 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

法華経は教主釈尊の師で一字一句も捨てる事は父母を殺す罪に過ぎると説いた書【兄弟抄】五

[兄弟抄] 本文 その五

 西域と申す文(ふみ)にかきて候は月氏に婆羅痆斯(はらなっし)国・施鹿林と申すところに一(ひとり)の隠士あり仙の法を成ぜんとをもう、すでに瓦礫を変じて宝となし人畜の形をかえけれどもいまだ風雲にのつて仙宮にはあそばざりけり、此の事を成ぜんがために一(ひとり)の烈士をかたらひ長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言(ことば)をたつ、よひ(霄)よりあした(朝)にいたるまで・ものいはず(不言)ば仙の法・成ずべし、仙を求る隠士は壇の中に坐して手に長刀をとつて口に神呪をずう(誦)す約束して云く設ひ死なんとする事ありとも物言う事なかれ烈士云く死すとも物いはじ、此の如くして既に夜中を過ぎて夜まさにあ(明)けんとする時、如何が思いけん烈士大に声をあげて呼(よば)はる、既に仙の法成ぜず、隠士烈士に言つて云く何(いか)に約束をばたがふるぞ口惜しき事なりと云う、烈士歎いて云く少し眠つてありつれば昔し仕へし主人自ら来りて責めつれども師の恩厚ければ忍で物いはず、彼の主人怒つて頚をはねんと云う、然而(されど)又ものいはず、遂に頚を切りつ中陰に趣く我が屍(しかばね)を見れば惜く歎かし然而物いはず、遂に南印度の婆羅門の家に生れぬ入胎出胎するに大苦忍びがたし然而息を出さず、又物いはず已に冠者となりて妻をとつぎ(娶)ぬ、又親死ぬ又子をまう(儲)けたり、かなしくもありよろこばしくもあれども物いはず此(か)くの如くして年六十有五になりぬ、我が妻かたりて云く汝若し物いはずば汝がいとを(愛)しみの子を殺さんと云う、時に我思はく我已に年衰へぬ此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと思いつる程に声をおこ(発)すと・をもへば・をどろきぬと云いければ、師が云く力及ばず我も汝も魔に・たぼらかされぬ終に此の事成ぜずと云いければ、烈士大に歎きけり我心よはくして師の仙法を成ぜずと云いければ、隠士が云く我が失なり兼て誡めざりける事をと悔ゆ、然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎きて遂に思ひ死にし(死)しぬとかかれて候、仙の法と申すは漢土には儒家より出で月氏には外道の法の一分なり、云うにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず況や通別円をや況や法華経に及ぶべしや、かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競(きそい)て成じかたし、何に況や法華経の極理・南無妙法蓮華経の七字を始めて持(たも)たん日本国の弘通の始ならん人の弟子檀那とならん人人の大難の来らん事をば言(ことば)をもつて尽し難し心をもつて・をしはかるべしや。

 されば天台大師の摩訶止観と申す文(ふみ)は天台一期の大事・一代聖教の肝心ぞかし、仏法漢土に渡つて五百余年・南北の十師・智は日月に斉く徳は四海に響きしかどもいまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候いしが、智者大師再び仏教をあき(明)らめさせ給うのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり、此の法門は漢土に始るのみならず月氏の論師までも明(あか)し給はぬ事なり、然れば章安大師の釈に云く「止観の明静なる前代に未だ聞かず」云云、又云く「天竺の大論尚其の類に非ず」等云云、其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競(きそ)はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障なり、煩悩障と申すは貪瞋癡等によりて障礙出来すべし、業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし、報障と申すは国主父母等によりて障礙(しょうげ)出来すべし、又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し今日本国に我も止観を得たり我も止観を得たりと云う人人誰か三障四魔競(きそ)へる人あるや、之に随えば将に人をして悪道に向わしむと申すは只三悪道のみならず人天・九界を皆悪道とか(書)けり、されば法華経を除きて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり、天台宗を除きて余の七宗の人人は人を悪道に向わしむる獄卒なり、天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり。

 今二人の人人は隠士と烈士とのごとし一(ひとり)もかけなば成ずべからず、譬えば鳥の二つの羽人の両眼の如し、又二人の御前達(ごぜたち)は此の人人の檀那ぞかし女人となる事は物に随つて物を随える身なり夫(おとこ)たのしくば妻もさかふべし夫盗人ならば妻も盗人なるべし、是れ偏に今生計りの事にはあらず世世・生生に影と身と華と果(このみ)と根と葉との如くにておはするぞかし、木にすむ虫は木をは(食)む・水にある魚は水をくら(啖)ふ・芝かるれば蘭な(泣)く松さかうれば柏よろこぶ、草木すら是くの如し、比翼と申す鳥は身は一つにて頭(かしら)二つあり二つの口より入る物・一身を養ふ、ひほく(比目)と申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし、夫と妻とは是くの如し此の法門のゆへには設ひ夫(おとこ)に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし、此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生に仏になし・たてまつるべし、心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。

 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐら(思索)せ給うべし、中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが今は前前いひをきし事既にあ(合)ひぬればよしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし、設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはか(替)へ思ふべからず、始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず、其の中に返つて本(もと)より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはう(謗)じ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき、此の御文(ふみ)は別してひやうへの志殿へまいらせ候、又太夫志殿の女房兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし・きかせさせ給うべし・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

文永十二年四月十六日              日 蓮 花 押

by johsei1129 | 2019-10-26 16:14 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

法華経は教主釈尊の師で一字一句も捨てる事は父母を殺す罪に過ぎると説いた書【兄弟抄】四

[兄弟抄] 本文 その四

 釈迦如来は太子にて・をはせし時・父の浄飯王・太子を・をしみたてまつりて出家をゆるし給はず、四門に二千人の・つわものをすへて・まほらせ給ひしかども、終に・をやの御心をたがへて家を・いでさせ給いき、一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か、されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには棄恩入無為・真実報恩者等云云、言(いうこころ)は・まことの道に入るには父母の心に随わずして家を出て仏になるが・まことの恩をほう(報)ずるにてはあるなり、世間の法にも父母の謀反なんどを・をこすには随わぬが孝養とみへて候ぞかし、孝経と申す経に見へて候、天台大師も法華経の三昧に入らせ給いて・をはせし時は父母・左右のひざに住して仏道をさ(障)えんとし給いしなり、此れは天魔の父母のかたちをげん(現)じてさうるなり。

 白ひすくせいが因縁は・さきにかき候ぬ、又第一の因縁あり、日本国の人王・第十六代に王をはしき応神天王と申す今の八幡大菩薩これなりこの王の御子(みこ)二人まします嫡子(いろえのみこ)をば仁徳・次男(いろとのみこ)は宇治王子(うじのみこ)天王・次男(つぎ)の宇治の王子(みこ)に位をゆづり給いき、王ほうぎよならせ給いて後・宇治の王子の云く兄(いろえ)位につき給うべし、兄の云く、いかに・をやの御ゆづり(譲位)をば・もちゐさせ給わぬぞ、かくのごとく・たがいにろむじて、三箇年が間・位に王をはせざりき、万民のなげき・いうばかりなし・天下のさい(災)にて・ありしほどに、宇治の王子(みこ)云く我いきて・あるゆへにあに位に即き給わずといつて死(かくれ)させ給いにき、仁徳これを・なげかせ給いて又ふ(伏)ししづ(沈)ませ給いしかば、宇治の王子いきかへりて・やうやうに・をほせをかせ給いて・又ひきいらせ給いぬ、さて仁徳・位につかせ給いたりしかば国をだやかなる上しんら(新羅)・はくさひ(百済)・かうらいも日本国にしたがひて・ねんぐを八十そう(艘)そなへけると・こそみへて候へ。

 賢王のなかにも・兄弟をだやかならぬれい(例)もあるぞかし・いかなるちぎ(契)りにて兄弟かくは・をはするぞ浄蔵・浄眼の二人の太子の生れかはりて・をはするか・薬王・薬上の二人か、大夫志(さかん)殿の御をや(親父)の御勘気はうけ給わりしかどもひやうへ(兵衛)の志殿の事は今度は・よも・あにには・つかせ給はじ・さるにては・いよいよ大夫志殿のをやの御不審は・をぼろげ(少縁)にては・ゆ(許)りじなんど・をもつて候へば・このわらわ(鶴王)の申し候は・まことにてや候らん、御同心と申し候へば・あまりの・ふしぎさに別の御文(ふみ)をまいらせ候、未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき。

[兄弟抄] 本文 その五に続く
 

by johsei1129 | 2019-10-26 15:53 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 26日

法華経は教主釈尊の師で一字一句も捨てる事は父母を殺す罪に過ぎると説いた書【兄弟抄】三

[兄弟抄] 本文 その三

 今又日蓮が弟子檀那等は此(これ)にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に云く「横に死殃に羅り訶嘖・罵辱・鞭杖・閉繋・飢餓・困苦・是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥おん経に云く「衣服不足にして飲食麤疎なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障(ささえ)る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこ(越)して少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり王難等と申すは悪王に生れあうなり、此二つの大難は各各の身に当つてをぼへつべし、過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ、此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよし・あるならば我身地獄に堕つるのみならず悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて・ともにかなしまん事疑いなかるべし、大道心と申すはこれなり。

 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金(こがね)は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり尸毘(しび)王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、又前車のくつがへ(覆)すは後車のいましめぞかし、今の世には・なにとなくとも道心をこりぬべし、此の世のありさま厭うともよも厭われじ日本の人人定んで大苦に値いぬと見へて候・眼前の事ぞかし、文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風にをるるが・ごとく清絹(すずし)の大火に・やかるるが・ごとくなりしに・世をいとう人のいかでかなかるらん文永十一年の十月ゆきつしまのものども一時に死人となりし事は・いかに人の上とををぼすか当時も・かのうて(討手)に向かいたる人人のなげき老たるをや(親)をさなき子わかき妻めづらし(珍重)かりしすみか(住宅)うちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたか(旗)と疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくら(鞍)ををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねう(忍)しくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず、定んで女人は心よはく・をはすれば・ごぜ(御前)たちは心ひるがへりてや・をはすらん、がうじやうにはがみ(切歯)をしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ、わだが子となりしもの・わかさのかみ(若狭守)が子となりし・将門・貞当(任)が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども・はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり、なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろ(色)ばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。

 あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ叔せい(伯夷叔斉)と申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王・弟(おと)の叔せいに位をゆづり給いき、父し(死)して後・叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王に・つかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云くをや(親)のし(死)して後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみて・すやう(首陽)と申す山にかくれゐてわらびを・をりて命を・つぎしかば、麻子(まし)と申す者ゆきあひて云くいかに・これには・をはするぞ二人上(かみ)件の事をかたりしかば麻子が云くさるにては・わらびは王の物にあらずや、二人せめられて爾の時より・わらびをくわず、天は賢人をすて給わぬならひなれば天・白鹿(はくろく)と現じて乳を・もつて二人をやしなひき、白鹿去つて後に叔せいが云く此の白鹿の乳(ち)をのむだにも・うまし・まして肉をくわんと・いゐしかば白ひせい(制)ししかども天これを・ききて来らず、二人うへて死ににき、一生が間・賢なりし人も一言に身をほろぼすにや、各各も御心の内はしらず候へば・をぼつかなし・をぼつかなし。

[兄弟抄] 本文 その四に続く

by johsei1129 | 2019-10-26 12:19 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)