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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

飢饉の世に南條時光の芋一駄の供養は釈尊十大弟子の阿那律に並ぶと称えた【上野殿御返事】

【上野殿御返事】
■出筆時期:建治元年(1274年)五月三日 五十四歳御作
■出筆場所:佐渡国 塚原三昧堂にて。
■出筆の経緯:本抄は上野殿(南条時光)が、石のように干された芋一駄をご供養されたことへの返書となっおります。
大聖人は冒頭、釈尊十大弟子の一人で天眼第一と言われていた阿那律が過去世で猟師だったとき、飢饉で七日間も食べていなかったリダ尊者に稗の飯を供養した功徳で、法華経第四の巻で普明如来の記別を受けた因縁を引いて、大宮の造営で忙しい中、時光が「山里(身延山中)の事ををもひやらせ給いてをくりたびて候」事は阿那律に劣らず「(亡き)父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや孝養の御心か」と讃えられておられます。

さらに文末では、「わが大事とおもはん人人(主君ら)のせいし(迫害)候<中略>其の時一切は心にまかせんずるなり、かへす・がへす人のせいし(迫害)あらば心にうれしくおぼすべ」と記し、主君の迫害に怯むことなく法華経信仰を全うするよう励まされておられます。
尚、芋一駄とは、馬1頭に背負わせられるだけの分量の芋を意味します。
■ご真筆現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)

[上野殿御返事  本文]

さつき(皐月)の二日にいものかしら、いし(石)のやうにほ(干)されて候を一駄、ふじのうへの(富士の上野)より、みのぶの山へをくり給いて候。

仏の御弟子にあなりち(阿那律)と申せし人は天眼第一のあなりちとて十人の御弟子のその一(ひとり)・迦葉・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり。

この人のゆらひ(由来)をたづねみれば・師子頬王と申せし国王の第二の王子に・こくぼん(斛飯)王と申せし人の御子・釈迦如来のいとこ(従弟)にておはしましき、この人の御名三つ候、一には無貧・二には如意・三にはむれう(無獦)と申す、一一にふしぎの事候。

昔う(飢)えたるよに、りだそんじや(利吒尊者)と申せしたう(尊)とき辟支仏(縁覚)ありき、うえたるよに七日とき(斎)もならざりけるが・山里にれうし(猟師)の御器に入れて候いける・ひえ(稗)のはん(飯)をこひてならせ給う。このゆへにこのれうし現在には長者となり・のち九十一劫が間・人中・天上にたのしみをうけて・今最後にこくぼん王の太子とむまれさせ給う、金(こがね)のごきに・はんとこしなへにたえせず・あらかんとならせ給う、御眼に三千大千世界を一時に御らんありていみじくをはせしが・法華経第四の巻にして普明如来と成るべきよし仏に仰せをかほらせ給いき。

妙楽大師此の事を釈して云く「稗飯軽しと雖も所有を尽し、及び田勝るるを以ての故に故(ことさら)に勝報を得る」と云云。釈の心かろきひえのはんなれども・此れよりほかには・もたざりしを・たうとき人のうえておはせしに・まいらせてありしゆへに・かかるめでたき人となれりと云云。

此の身のぶのさわは石なんどはおほく候・されども・かかるものなし、その上夏のころなれば民のいとまも候はじ、又御造営と申しさこそ候らんに・山里の事を・をもひやらせ給いて・をくりたびて候、所詮はわがをやのわかれをしさに父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや孝養の御心(みこころ)か。

さる事なくば梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみかとせんとちかはせ給いて候は・いふにかひ(功)なきものなれども約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりとも・この人人はいかでか仏前の御約束をば・たがへさせ給い候べき、もし此の事まことになり候はば・わが大事とおもはん人人のせいし(制止)候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめして・いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほり給うべし。

其の時一切は心にまかせんずるなり、かへす・がへす人のせいし(制止)あらば心にうれしくおぼすべし、恐恐謹言。

五月三日                    日 蓮 花押
上野殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-22 09:33 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 22日

十方世界の諸仏は法華経寿量品を師として仏になったと明した書【法蓮抄】三

[法蓮抄 本文] その三
彼の諷誦(ふうじゅ)に云く「慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す」等云云、当時日本国の人仏法を信じたるやうには見へて候へども古(いにしえ)いまだ仏法のわたらざりし時は仏と申す事も法と申す事も知らず候しを守屋と上宮太子と合戦の後信ずる人もあり又信ぜざるもあり、漢土も此くの如し摩騰・漢土に入つて後・道士と諍論あり道士まけしかば始て信ずる人もありしかども不信の人多し、されば烏竜(おりょう)と申せし能書は手跡の上手なりしかば人之を用ゆ、然れども仏経に於てはいかなる依怙(たのみ)ありしかども書かず最後臨終の時・子息遺竜(いりょう)を召して云く汝我が家に生れて芸能をつぐ我が孝養には仏経を書くべからず殊に法華経を書く事なかれ、我が本師の老子は天尊なり天に二つの日なし而(しかる)に彼の経に唯我一人と説くきくわい(奇怪)第一なり、若し遺言を違へて書く程ならば忽に悪霊となりて命を断つべしと云つて舌八つにさけて頭(こうべ)七分に破れ五根より血を吐いて死し畢んぬ、されども其の子善悪を弁へざれば我が父の謗法のゆへに悪相現じて阿鼻地獄に堕ちたりともしらず遺言にまかせて仏経を書く事なし況や口に誦(ず)する事あらんをや、かく過ぎ行く程に時の王を司馬氏と号し奉る御仏事のありしに書写の経あるべしとて漢土第一の能書を尋ねらるるに遺竜に定まりぬ、召して仰せ付けらるるに再三辞退申せしかば力及ばずして他筆にて一部の経を書かせられけるが、帝王心よからず尚遺竜を召して仰せに云く汝親の遺言とて朕が経を書かざる事其の謂(いわれ)無しと雖も且く之を免ず但題目計りは書くべしと三度勅定あり、遺竜猶辞退申す大王竜顔心よからずして云く天地尚王の進退なり、然らば汝が親は即ち我が家人にあらずや、私をもつて公事を軽んずる事あるべからず、題目計りは書くべし若し然らずんば、仏事の庭なりといへども速に汝が頭を刎ぬべしとありければ題目計り書けり、所謂妙法蓮華経巻第一・乃至巻第八等云云、其の暮(たそがれ)に私宅に帰りて歎いて云く我親の遺言を背き王勅術(すべ)なき故に仏経を書きて不孝の者となりぬ天神も地祇も定んで瞋り不孝の者とおぼすらんとて寝(いぬ)る、夜の夢の中に大光明出現せり朝日の照すかと思へば天人一人庭上に立ち給へり又無量の眷属あり、此の天人の頂上の虚空に仏・六十四仏まします、遺竜・合掌して問うて云く如何なる天人ぞや、答えて云く我は是れ汝が父の烏竜(おりゅう)なり仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ五根より血を出し頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ、彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼへざりしに無間の苦は尚百千億倍なり、人間にして鈍刀をもて爪をはなち鋸をもて頚をきられ炭火の上を歩(あゆ)ばせ棘にこ(籠)められなんどせし人の苦を此の苦にたとへば・かずならず、如何(いかに)してか我が子に告げんと思いしかどもかなはず、臨終の時・汝を誡(いましめ)て仏経を書くことなかれと遺言せし事のくやしさ申すばかりなし、後悔先にたたず我が身を恨み舌をせめしかども・かひなかりしに昨日の朝より法華経の始の妙の一字・無間地獄のかなへ(鼎)の上に飛び来つて変じて金色の釈迦仏となる、此の仏三十二相を具し面貌(めんみょう)満月の如し、大音声を出して説て云く「仮令法界に遍く善を断ちたる諸の衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん」云云、此の文字の中より大雨降りて無間地獄の炎をけす閻魔王は冠をかたぶけて敬ひ獄卒は杖をすてて立てり、一切の罪人はいかなる事ぞとあはて(周章)たり、又法の一字来れり前の如し又蓮・又華・又経・此くの如し六十四字来つて六十四仏となりぬ、無間地獄に仏・六十四体ましませば日月の六十四が天(そら)に出たるごとし、天より甘露をくだして罪人に与ふ、抑此等の大善は何(いか)なる事ぞと罪人等仏に問い奉りしかば六十四の仏の答に云く我等が金色の身は栴檀宝山(ほうざん)よりも出現せず是は無間地獄にある烏竜が子の遺竜が書ける法華経八巻の題目の八八・六十四の文字なり、彼の遺竜が手は烏竜が生める処の身分なり、書ける文字は烏竜が書くにてあるなりと説き給いしかば無間地獄の罪人等は我等も娑婆にありし時は子もあり婦(つま)もあり眷属もありき、いかに・とぶらはぬやらん又訪へども善根の用の弱くして来らぬやらんと歎けども歎けども甲斐なし、或は一日・二日・一年二年・半劫・一劫になりぬるにかかる善知識にあひ奉つて助けられぬるとて我等も眷属となりてとう利天にのぼるか、先ず汝をおがまんとて来るなりとかたりしかば、夢の中にうれしさ身にあまりぬ、別れて後又いつの世にか見んと思いし親のすがたをも見奉り仏をも拝し奉りぬ、六十四仏の物語に云く我等は別の主なし汝は我等が檀那なり、今日よりは汝を親と守護すべし汝をこたる事なかれ、一期の後は必ず来つて都率の内院へ導くべしと御約束ありしかば遺竜ことに畏(かしこ)みて誓いて云く今日以後外典の文字を書く可からず等云云、彼の世親菩薩が小乗経を誦せじと誓い日蓮が弥陀念仏を申さじと願(がん)せしがごとし、さて夢さめて此の由を王に申す、大王の勅宣に云く此の仏事已に成じぬ此の由を願文に書き奉れとありしかば勅宣の如くにし、さてこそ漢土・日本国は法華経にはならせ給いけれ、此の状は漢土の法華伝記に候。

 是は書写の功徳なり、五種法師の中には書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり。今の施主・十三年の間・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし。

 夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ
、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり。
 涅槃経四十巻の中に集りて候いし五十二類にも自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか。されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の大菩薩・天人等・雲の如くに集りて候いし大集・大品の諸聖も大日経・金剛頂経等の千二百余尊も過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人人、信力よはくして三五の塵点(じんでん)を経しかども今度・釈迦仏に値い奉りて法華経の功徳すすむ故に霊山をまたずして爾前の経経を縁として得道なると見えたり。

 されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し、今法華経・寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし、これを以て思うに田村利仁(としひと)なんどの様なる兵(つわもの)を三千人生みたらん女人あるべし、此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきに・うくるにあらずや、法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし、今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見・菩薩は種種の色と見・仏種・純熟せる人は仏と見奉る、されば経文に云く「若し能く持つこと有るは・即ち仏身を持つなり」等云云、天台の云く「稽首妙法蓮華経一帙・八軸・四七品・六万九千三八四・一一文文・是真仏・真仏説法利衆生」等と書かれて候。

之を以て之を案ずるに法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す此の文字の数は五百十字なり、一一の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放つて大地をつきとをし三悪道・無間大城を照し乃至東西南北・上方に向つては非想・非非想へものぼりいかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか思食(おぼしめ)す我は是れ汝が子息・法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならんとこそ・ねんごろに語らせ給うらめ、其の時・過去聖霊は我が子息・法蓮は子にはあらず善知識なりとて娑婆世界に向つておがませ給うらん、是こそ実の孝養にては候なれ。

 抑法華経を持つと申すは経は一なれども持つ事は時に随つて色色なるべし、或は身肉をさひて師に供養して仏になる時もあり、又身を牀(ゆか)として師に供養し又身を薪となし、又此の経のために杖木をかほり又精進し又持戒し上の如くすれども仏にならぬ時もあり時に依つて不定なるべし、されば天台大師は適時而已と書かれ、章安大師は「取捨得宜不可一向」等云云。

 問うて云く何なる時か身肉を供養し何なる時か持戒なるべき、答えて云く智者と申すは此くの如き時を知りて法華経を弘通するが第一の秘事なり、たとへば渇者(かっしゃ)は水こそ用うる事なれ弓箭兵杖はよしなし、裸(はだか)なる者は衣を求む水は用なし一をもつて万を察すべし、大鬼神ありて法華経を弘通せば身を布施すべし余の衣食は詮なし、悪王あつて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず、持戒精進の大僧等・法華経を弘通するやうにて而も失うならば是を知つて責むべし、法華経に云く「我身命を愛せず但(た)だ無上道を惜しむ」云云、涅槃経に云く「寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざれ」等云云、章安大師の云く「寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し身を死して法を弘む」等云云。

 然るに今日蓮は外見の如くば日本第一の僻人なり我が朝六十六箇国・二の島の百千万億の四衆・上下万人に怨まる、仏法・日本国に渡つて七百余年いまだ是程(これほど)に法華経の故に諸人に悪まれたる者なし、月氏・漢土にもありとも・きこえず又あるべしとも・おぼへず、されば一閻浮提第一の僻人ぞかし、かかるものなれば上には一朝の威を恐れ下には万民の嘲(あざけり)を顧みて親類もとぶらはず外人は申すに及ばず出世の恩のみならず世間の恩を蒙りし人も諸人の眼を恐れて口をふさがんためにや心に思はねども・そしるよしをなす、数度事にあひ両度御勘気を蒙りしかば我が身の失に当るのみならず、行通(ゆきこう)人人の中にも或は御勘気或は所領をめされ或は御内(みうち)を出され或は父母兄弟に捨てらる、されば付きし人も捨てはてぬ今又付く人もなし、殊に今度の御勘気には死罪に及ぶべきがいかが思はれけん佐渡の国につかはされしかば彼の国へ趣く者は死は多く生は稀なり、からくして行きつきたりしかば殺害・謀叛の者よりも猶重く思はれたり、鎌倉を出でしより日日に強敵かさなるが如し、ありとある人は念仏の持者なり、野を行き山を行くにもそばひら(岨坦)の草木の風に随つてそよめく声も、かたきの我を責むるかとおぼゆ、やうやく国にも付きぬ北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし衣(ころも)薄く食とも(乏)し、根を移されし橘の自然にからたち(枳)となりけるも身の上につみしられたり、栖にはおばな(尾花)かるかや(苅萱)おひしげれる野中の三昧ばらにおちやぶれたる草堂の上は雨もり壁は風もたまらぬ傍(あたり)に昼夜・耳に聞く者はまくら(枕)にさゆる風の音、朝に眼に遮(さえぎ)る者は遠近(おちこち)の路を埋む雪なり、現身に餓鬼道を経・寒地獄に堕ちぬ、彼の蘇武が十九年の間・胡国に留められて雪を食し李陵が巌窟に入つて六年蓑をきて・すごしけるも我が身の上なりき。

 今適(たまたま)御勘気ゆりたれども鎌倉中にも且くも身をやどし迹を・とどむべき処なければ・かかる山中の石(いわ)のはざま(間)松の下に身を隠し心を静むれども大地を食とし草木を著ざらんより外は食もなく衣(ころも)も絶えぬる処にいかなる御心ねにてかくかきわ(掻分)けて御訪(とい)のあるやらん、知らず過去の我が父母の御神(みたましい)の御身に入りかはらせ給うか、又知らず大覚世尊の御めぐみにや・あるらん涙こそ・おさへがたく候へ。

 問うて云く抑正嘉の大地震・文永の大彗星を見て自他の叛逆・我が朝に法華経を失う故としらせ給うゆへ如何、答えて云く此の二の天災・地夭は外典三千余巻にも載せられず三墳・五典・史記等に記する処の大長星・大地震は或は一尺二尺・一丈二丈・五丈六丈なりいまだ一天には見へず地震も又是くの如し、内典を以て之を勘うるに仏御入滅・已後はかかる大瑞出来せず、月支には弗沙密多羅王の五天の仏法を亡し十六大国の寺塔を焼き払い僧尼の頭をはねし時もかかる瑞はなし、漢土には会昌(えしょう)天子の寺院・四千六百余所をとどめ僧尼・二十六万五百人を還俗せさせし時も出現せず、我が朝には欽明の御宇に仏法渡りて守屋・仏法に敵せしにも清盛法師・七大寺を焼き失い山僧等・園城寺を焼亡(しょうもう)せしにも出現せざる大彗星なり。

 当に知るべし是よりも大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘えて立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る、彼の状に云く詮取此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり、禅宗・念仏宗等が法華経を失う故なり、彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐ(由比)の浜にすてずば国正に亡ぶべし等云云、其の後文永の大彗星の時は又手ににぎりて之を知る、去文永八年九月十二日の御勘気の時重ねて申して云く予は日本国の棟梁なり我を失うは国を失うなるべしと今は用いまじけれども後のためにとて申しにき、又去年の四月八日に平左衛門尉に対面の時蒙古国は何比(いつごろ)かよせ候べきと問うに、答えて云く経文は月日をささず但し天眼のいかり頻りなり今年をばすぐべからずと申したりき、是等は如何にして知るべしと人疑うべし予不肖の身なれども法華経を弘通する行者を王臣人民之を怨む間法華経の座にて守護せんと誓をなせる地神いかりをなして身をふるひ天神身より光を出して此の国をおどす、いかに諌むれども用いざれば結局は人の身に入つて自界叛逆せしめ他国より責むべし。

 問うて云く此の事何たる証拠あるや、答う経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行わず」等云云、夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡(てんじきょう)と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く「聖人去らん時は七難必ず起る」等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を。

 問うて云く先代に仏寺を失ひし時何ぞ此の瑞なきや、答えて云く瑞は失の軽重によりて大小あり此の度の瑞は怪むべし、一度二度にあらず一返二返にあらず年月をふるままに弥(いよいよ)盛なり、之を以て之を察すべし先代の失よりも過ぎたる国主に失あり、国主の身にて万民を殺し又万臣を殺し又父母を殺す失よりも聖人を怨む事・彼に過ぐる事を、今日本国の王臣並びに万民には月氏・漢土総じて一閻浮提に仏滅後・二千二百二十余年の間いまだなき大科・人(ひと)ごとにあるなり、譬えば十方世界の五逆の者を一処に集めたるが如し、此の国の一切の僧は皆提婆・瞿伽利が魂を移し国主は阿闍世王・波瑠璃王の化身なり、一切の臣民は雨行(うぎょう)大臣・月称(がっしょう)大臣・刹陀耆利(せつだきり)等の悪人をあつめて日本国の民となせり、古は二人・三人・逆罪不孝の者ありしかばこそ其の人の在所は大地も破れて入りぬれ、今は此の国に充満せる故に日本国の大地・一時にわれ無間に堕ち入らざらん外は一人二人の住所の堕つべきやうなし、例せば老人の一二の白毛(しらが)をば抜けども老耄(ろうもう)の時は皆白毛なれば何を分けて抜き捨つべき只一度に剃捨(そりすつ)る如くなり、問うて云く汝が義の如きは我が法華経の行者なるを用いざるが故に天変地夭等ありと、法華経第八に云く「頭破れて七分と作らん」と、第五に云く「若し人悪み罵れば口則ち閉塞す」等云云、如何ぞ数年が間・罵(のる)とも怨(あだむ)とも其の義なきや、答う反詰して云く不軽菩薩を毀しし罵詈し打擲せし人は口閉頭破(こうへいずは)ありけるか如何、問う然れば経文に相違する事如何、答う法華経を怨む人に二人あり、一人は先生(せんじょう)に善根ありて今生に縁を求めて菩提心を発して仏になるべき者は或は口閉ぢ或は頭破(わ)る、一人は先生に謗人なり今生にも謗じ生生に無間地獄の業を成就せる者あり是はのれども口則ち閉塞せず、譬えば獄に入つて死罪に定まる者は獄の中にて何なる僻事あれども死罪を行うまでにて別の失なし、ゆり(免)ぬべき者は獄中にて僻事あれば・これをいましむるが如し、問うて云く此の事第一の大事なり委細に承わるべし、答えて云く涅槃経に云く法華経に云く云云。
                                         日蓮花押





by johsei1129 | 2019-10-22 09:12 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 22日

十方世界の諸仏は法華経寿量品を師として仏になったと明した書【法蓮抄】二

[法蓮抄 本文] その二
 かかる仏なれば木像・画像にうつし奉るに優填(うでん)大王の木像は歩(あゆみ)をなし摩騰の画像は一切経を説き給ふ、是れ程に貴き教主釈尊を一時二時ならず一日二日ならず一劫が間掌を合せ両眼を仏の御顔にあて頭を低(たれ)て他事を捨て頭の火を消さんと欲するが如く渇して水ををもひ飢えて食を思うがごとく間(ひま)無く供養し奉る功徳よりも戯論に一言継母の継子をほむるが如く心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべしと説き給いて候、これを妙楽大師は福過十号とは書(かか)れて候なり、十号と申すは仏の十の御名(みな)なり十号を供養せんよりも末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり、妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一なり、已上・上の二つの法門は仏説にては候へども心えられぬ事なり争か仏を供養し奉るよりも凡夫を供養するがまさるべきや、而れども是を妄語と云はんとすれば釈迦如来の金言を疑い多宝仏の証明を軽しめ十方諸仏の舌相をやぶるになりぬべし、若し爾らば現身に阿鼻地獄に堕つべし、巌石にのぼりて・あら馬を走らするが如し心肝しづかならず、又信ぜば妙覚の仏にもなりぬべし如何(いかに)してか今度法華経に信心をとるべき信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り足なくして千里の道を企つるが如し、但し近き現証を引いて遠き信を取るべし仏の御歳八十の正月一日・法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難・弥勒・迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし今三月ありて二月十五日に涅槃すべし」云云、一切内外の人人疑をなせしかども仏語むなしからざればついに二月十五日に御涅槃ありき、されば仏の金言は実なりけるかと少し信心はとられて候、又仏記し給ふ「我滅度の後一百年と申さんに阿育大王と申す王出現して一閻浮提三分の一が主となりて八万四千の塔を立て我が舎利を供養すべし」云云、人疑い申さんほどに案の如くに出現して候いき是よりしてこそ信心をばとりて候いつれ、又云く「我滅後に四百年と申さんに迦弐色迦王と申す大王あるべし五百の阿羅漢を集めて婆沙論を造るべし」と是又仏記のごとくなりき、是等をもつてこそ仏の記文は信ぜられて候へ、若し上に挙ぐる所の二の法門・妄語ならば此の一経は皆妄語なるべし、寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給う我等は凡夫なり過ぎにし方は生れてより已来すらなを(尚)おぼへず況や一生・二生をや況や五百塵点劫の事をば争か信ずべきや、又舎利弗等に記して云く「汝未来世に於て無量無辺不可思議劫を過ぎ乃至当に作仏することを得べし号を華光如来と曰わん」云云、又又摩訶迦葉に記して云く「未来世に於て乃至最後の身に於て仏と成為(なる)ことを得ん名けて光明如来と曰わん」云云、此等の経文は又未来の事なれば我等凡夫は信ずべしともおぼえず、されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし又修行しても何の詮かあるべき是を以て之を思うに現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。

 今法蓮上人の送り給える諷誦(ふじゅ)の状に云く「慈父幽霊第十三年の忌辰(きしん)に相当り一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」等云云、夫れ教主釈尊をば大覚世尊と号したてまつる、世尊と申す尊の一字を高と申す高と申す一字は又孝と訓ずるなり、一切の孝養の人の中に第一の孝養の人なれば世尊と号し奉る、釈迦如来の御身は金色にして三十二相を備へ給ふ、彼の三十二相の中に無見頂相と申すは仏は丈六の御身なれども竹杖外道も其の御長(みたけ)をはからず梵天も其の頂を見ず故に無見頂相と申す是れ孝養第一の大人なればかかる相を備へまします、孝経と申すに二あり一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり、二には内典今の法華経是なり、内外異なれども其意は是れ同じ、釈尊・塵点劫の間・修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ孝養の事なり、然るに六道四生の一切衆生は皆父母なり孝養おへざりしかば仏にならせ給はず、今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり(理)顕る、譬えば竹の節を一つ破(わり)ぬれば余の節亦破るるが如し、囲碁と申すあそびにしちよう(四丁)と云う事あり一の石死しぬれば多の石死ぬ、法華経も又此くの如し金(かね)と申すものは木草を失う用を備へ水は一切の火をけす徳あり、法華経も又一切衆生を仏になす用おはします、六道四生の衆生に男女あり此の男女は皆我等が先生の父母なり、一人もも(漏)れば仏になるべからず故に二乗をば不知恩の者と定めて永不成仏と説かせ給う孝養の心あまねからざる故なり、仏は法華経をさとらせ給いて六道・四生の父母・孝養の功徳を身に備へ給へり、此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給う、例せば悲母の食う物の乳となりて赤子を養うが如し、「今此の三界は・皆是れ我が有なり・其の中の衆生は・悉く是れ吾が子なり」等云云、教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口にな(嘗)めさせ給う、赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれざも乳を含めば身命をつぐが如し、阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども乃至一代聖教を胸に浮べたる事文殊の如くならざれども一字一句をも之を聞きし人仏にならざるはなし、彼の五千の上慢は聞きてさとらず不信の人なり、然れども謗ぜざりしかば三月を経て仏になりにき「若しは信じ若しは信ぜざれば即ち不動国に生ぜん」と涅槃経に説かるるは此の人の事なり、法華経は不信の者すら謗ぜざれば聞きつるが不思議にて仏になるなり、所謂七歩蛇(しちぶじゃ)に食(かま)れたる人一歩乃至七歩をすぎず毒の用の不思議にて八歩をすごさぬなり、又胎内の子の七日の如し必ず七日の内に転じて余の形となる八日をすごさず、今の法蓮上人も又此くの如し教主釈尊の御功徳・御身に入りかはらせ給いぬ、法蓮上人の御身は過去聖霊(しょうりょう)の御容貌を残しおかれたるなり、たとへば種の苗となり華の菓となるが如し其華は落ちて菓はあり種はかくれて苗は現に見ゆ、法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財(たから)なり、松さかふれば柏よろこぶ芝かるれば蘭なく情(こころ)なき草木すら此くの如し何に況や情あらんをや又父子の契(ちぎり)をや。

[法蓮抄 本文] その三に続く




by johsei1129 | 2019-10-22 08:42 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 22日

十方世界の諸仏は法華経寿量品を師として仏になったと明した書【法蓮抄】一

【法蓮抄(ほうれんしょう】
■出筆時期:建治元年四月(1275年) 五十四歳御作。下総国の強信徒、曾谷法蓮日礼に与えている。
■出筆場所:身延山中 草庵
■出筆の経緯:曾谷入道法蓮が慈父の13回忌にあたり、法華経如来寿量品の自我偈を読誦し回向されたことに対して「十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し、今法華経・寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり」と讃え、「智者と申すは此くの如き時を知りて法華経を弘通するが第一の秘事なり」と諭されている。
■ご真筆:京都本圀寺ほか四ヶ所に断簡所蔵。身延山久遠寺 曽存(明治八年の大火で焼失)

[法蓮抄 本文] その一
 夫れ以れば法華経第四の法師品に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀めせん其の罪甚だ重し」等云云、妙楽大師云く「然も此の経の功高く理絶えたるに約して此の説を作すことを得る余経は然らず」等云云、此の経文の心は一劫とは人寿八万歳ありしより百年に一歳をすて千年に十歳をすつ此くの如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ、此の十歳の時は当時の八十の翁(おきな)のごとし、又人寿十歳より百年ありて十一歳となり又百年ありて十二歳となり乃至一千年あらば二十歳となるべし乃至八万歳となる、此の一減一増を一劫とは申すなり、又種種の劫ありといへども且く此の劫を以て申すべし、此の一劫が間・身口意の三業より事おこりて仏をにくみたてまつる者あるべし例せば提婆達多がごとし、仏は浄飯王の太子・提婆達多は斛飯王の子なり、兄弟の子息なる間仏の御いとこにて・をはせしかども今も昔も聖人も凡夫も人の中をたが(違)へること女人よりして起りたる第一のあだにてはんべるなり、釈迦如来は悉達太子としてをはしし時提婆達多も同じ太子なり、耶輸大臣に女あり耶輸多羅女となづく五天竺第一の美女・四海名誉の天女なり、悉達と提婆と共に后にせん事をあらそひ給いし故に中あしくならせ給いぬ、後に悉達は出家して仏とならせ給い提婆達多・又須陀比丘を師として出家し給いぬ、仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す、提婆達多を人たとまざりしかばいかにしてか世間の名誉・仏にすぎんと・はげみしほどにとかう(左右)案じいだして仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり、四分律に云く一には糞掃衣・二には常乞食・三には一座食・四には常露座・五には塩及び五味を受けず等云云、仏は人の施す衣をうけさせ給う提婆達多は糞掃衣、仏は人の施す食をうけ給う提婆は只常乞食、仏は一日に一二三反も食せさせ給い提婆は只一座食、仏は塚間(ちょかん)・樹下にも処し給い提婆は日中常露座なり、仏は便宜にはしを(塩)復は五味を服し給い提婆はしを等を服せず、かうありしかば世間・提婆の仏にすぐれたる事・雲泥なり、かくのごとくして仏を失いたてまつらんとうかがひし程に頻婆舎羅王は仏の檀那なり日日に五百輛の車を数年が間・一度もかかさずおくりて仏並びに御弟子等を供養し奉る、これをそねみ・とらんがために未生怨太子をかたらいて父・頻婆舎羅王を殺させ我は仏を殺さんとして或は石をもつて仏を打ちたてまつるは身業なり、仏は誑惑の者と罵詈せしは口業なり、内心より宿世の怨とをもひしは意業なり三業相応の大悪此れにはすぐべからず、此の提婆達多ほどの大悪人・三業相応して一中劫が間釈迦仏を罵詈・打杖(ちょうじょう)し嫉妬し候はん大罪はいくらほどか重く候べきや、此の大地は厚さは十六万八千由旬なりされば四大海の水をも九山の土石をも三千の草木をも一切衆生をも頂戴して候へども落ちもせずかたぶかず破れずして候ぞかし、しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なりわづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ、此の穴・天竺にいまだ候・玄奘三蔵・漢土より月支に修行して此れをみる西域と申す文に載せられたり、而るに法華経の末代の行者を心にも・をもはず色にもそねまず只たわ(戯)ふれてのりて候が上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫・仏を罵詈し奉るにすぎて候ととかれて候、何に況や当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもつて多年が間・法華経の行者を罵詈・毀辱・嫉妬・打擲・讒死(ざんし)・歿死に当てんをや。

 問うて云く末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕つるや、答えて云く法華経の第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん一劫を具足して劫尽きなば復死し展転して無数劫に至らん」等云云、此の大地の下・五百由旬を過ぎて炎魔王宮(えんまおうぐう)あり、その炎魔王宮より下・一千五百由旬が間に八大地獄並びに一百三十六の地獄あり、其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処・八大地獄は重罪の者の住処なり、八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり、第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処なり、今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈・誹謗せん人人はおつべしと説き給へる文なり、法華経の第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て乃至持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云、妙楽大師云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養する有らん者は福十号に過ぐ」等云云、夫れ人中には転輪聖王・第一なり此の輪王出現し給うべき前相として大海の中に優曇華と申す大木生(お)いて華さき実なる、金輪王出現して四天の山海を平(たいらか)になす大地は緜(わた)の如くやはらかに大海は甘露の如くあまく大山は金山・草木は七宝なり、此の輪王須臾の間に四天下をめぐる、されば天も守護し鬼神も来つてつかへ竜王も時に随つて雨をふらす、劣夫なんども・これに従ひ奉れば須臾に四天下をめぐる、是れ偏に転輪王の十善の感得せる大果報なり、毘沙門等の四大天王は又これには似るべくもなき四天下の自在の大王なり、帝釈はとう利天の主・第六天の魔王は欲界の頂に居して三界を領す、此れは上品の十善戒・無遮(むしゃ)の大善の所感なり、大梵天王は三界の天尊・色界の頂に居して魔王・帝釈をしたがへ三千大千界を手ににぎる、有漏の禅定を修行せる上に慈・悲・喜・捨の四無量心を修行せる人なり、声聞と申して舎利弗・迦葉等は二百五十戒・無漏の禅定の上に苦・空・無常・無我の観をこらし三界の見思を断尽し水火に自在なり故に梵王と帝釈とを眷属とせり、縁覚は声聞に似るべくもなき人なり仏と出世をあらそふ人なり、昔猟師ありき飢えたる世に利吒(りた)と申す辟支仏にひえの飯(はん)を一盃供養し奉りて彼の猟師・九十一劫が間・人中・天上の長者と生る、今生には阿那律と申す天眼第一の御弟子なり、此れを妙楽大師釈して云く「稗飯軽しと雖も所有を尽し及び田勝るるを以ての故に勝るる報を得る」等云云、釈の心はひえの飯は軽しといへども貴き辟支仏を供養する故にかかる大果報に度度生るとこそ書かれて候へ、又菩薩と申すは文殊・弥勒等なり、此の大菩薩等は彼の辟支仏に似るべからざる大人なり、仏は四十二品の無明と申す闇を破る妙覚の仏なり、八月十五夜の満月のごとし、此の菩薩等は四十一品の無明をつくして等覚の山の頂にのぼり十四夜の月のごとし、仏と申すは上の諸人には百千万億倍すぐれさせ給へる大人なり、仏には必ず三十二相あり其の相と申すは梵音声・無見頂相・肉髻相・白毫相・乃至千輻輪相等なり、此の三十二相の中の一相をば百福を以て成じ給へり、百福と申すは仮令大医ありて日本国・漢土・五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・乃至一閻浮提・四天下・六欲天・乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として此の福百をかさねて候はんを以て三十二相の中の一相を成ぜり、されば此の一相の功徳は三千大千世界の草木の数よりも多く四天下の雨の足よりもすぎたり、設い壊劫の時僧怯陀(そうぎゃだ)と申す大風ありて須弥山を吹き抜いて色究竟天にあげて・かへつて微塵となす大風なり、然れども仏の御身の一毛をば動かさず仏の御胸に大火あり平等大慧・大智光明・火坑三昧と云う、涅槃の時は此の大火を胸より出して一身を焼き給いしかば六欲・四海の天神・竜衆等・仏を惜み奉る故にあつまりて大雨を下し三千の大地を水となし須弥は流るといへども此の大火はきへず、仏にはかかる大徳ましますゆへに阿闍世王は十六大国の悪人を集め一四天下の外道をかたらひ提婆を師として無量の悪人を放ちて仏弟子をのりうち殺害せしのみならず、賢王にて・とがもなかりし父の大王を一尺の釘をもつて七処までうちつけ、はつけにし生母をば王のかんざしをきり刀を頭にあてし重罪のつもりに悪瘡七処に出でき、三七日を経て三月の七日に大地破れて無間地獄に堕ちて一劫を経べかりしかども仏の所に詣で悪瘡いゆるのみならず無間地獄の大苦をまぬかれ四十年の寿命延びたりき、又耆婆大臣も御つかひなりしかば炎の中に入つて瞻婆(せんば)長者が子を取り出したりき、之を以て之を思うに一度も仏を供養し奉る人はいかなる悪人女人なりとも成仏得道疑無し、提婆には三十相あり二相かけたり所謂白毫と千輻輪となり、仏に二相劣りたりしかば弟子等軽く思いぬべしとて螢火をあつめて眉間につけて白毫と云ひ千輻輪には鍛冶に菊形をつくらせて足に付けて行くほどに足焼(やけ)て大事になり結句死せんとせしかば仏に申す、仏御手(みて)を以てなで給いしかば苦痛さりき、ここにて改悔あるべきかと思いしにさはなくして瞿曇が習ふ医師(くすし)はこざかしかりけり又術にて有るなど云ひしなり、かかる敵にも仏は怨をなし給はず何に況や仏を一度も信じ奉る者をば争でか捨て給うべきや。

[法蓮抄 本文] その二に続く




by johsei1129 | 2019-10-22 08:32 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

当時高く評価されていた真言を法華経に劣ると論じたことで世間の非難が起きていることを記された書【帰伏正法御書】

【帰伏正法御書】
■出筆時期:文永末期 五十四歳頃の述作と思われます。
■出筆場所:鎌倉若しくは身延山中の草庵と思われます。
■出筆の経緯:本抄はご真筆の断簡が伝えられておりますが、前後が不明なため詳細な内容の把握は困難ですが、大聖人が当時鎌倉仏教諸派の中で高く評価されていた真言を法華経に劣ると論じたため非難されていることを記されておられます。大聖人は佐渡流罪のご赦免以後、真言亡国の思いを強め、弟子・信徒への消息でも真言破析の論を繰り返し認められておられます。本抄もその一つで、某強信徒に宛てられた消息と推察されます。
■ご真筆:京都市 本禅寺(断簡)所蔵。
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【帰伏正法御書 本文】

仏法の中にあらそい出来すべき
たね(種)、国のみだ(乱)る
べきせんへう(先表:予兆)なり。いかなる
聖人の御ことば(語)なりとも 用
べからず。各各日蓮をいやし
みて云く、真言宗と法華経宗
とは叡山・東寺・薗城・奈ら(奈良)、
上一人・下万民一同に帰伏す
る正法なり。始めて勝劣を
立て慈覚・智証・弘法に
そむ(背)かんとをほせあるは、
いかんとがとをぼすか。強敵(ごうてき)を




by johsei1129 | 2019-10-21 23:08 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

今の世間は弥陀の名号の権法を以て円機を抑へ、円経(法華経)に進まざらしむ、と念仏を破析した【不如治大悪御書】

【不如治大悪御書】
■出筆時期:文永期。
■出筆場所:鎌倉 草庵と思われます。
■出筆の経緯:本書は真筆二紙が伝えられておりますが、前後が不明のため 対告衆、述作年等の詳細は不明です。しかし文中で「今の世間は弥陀の名号の権法を以て円機を抑へ、円経に進まざらしむ」と記されておられるように、念仏破析の論を強信徒に示された書と思われ、文永年間の比較的初期に著されたのでは推察されます。また全文を漢文で認められておられ、富木常忍、曾谷入道、大田乗明等の比較的地位の高い武家信徒に与えられたのではないかと拝されます。
■ご真筆:堺市 妙国寺(二紙)所蔵。
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【不如治大悪御書 本文】

[前半の原文]
不食人肉投身無用也
今取其中勘文 法花經
實相一同雖存之其
行儀随時可不定 故流
通諸品品々也 佛意楽
随時故? 設雖非悪以
小善防大善過五逆罪也
今智者自令勸万善
不如治一大悪 例如外道
      九十五種

[訓訳]
人肉を食はざる投身無用なり。(注1)
今其の中を取りて之を勘へるに、法華経の実相は一同に之を存すと雖も、其の行儀は時に随って不定なるべし。
故に流通の諸品、品々なり。仏菩薩の意楽(いぎょう)随時の故か。
設ひ悪に非ずと雖も小善を以て大善を防ぐは五逆罪(注2)に過ぐるなり。
今の智者万善を勧めしむるよりは一大悪を治するには如かず。
例せば外道の九十五種の如し(注3)。

其の所詮を取るに常楽我浄(注4)の四字なり。
名は仏法の根本を得たるも其の義は即ち邪なり。
仏世に出でて先づ此の悪を治す。正法を説かんが為に苦・無常等の四法を構へて彼の邪見を治す。
今の世間は弥陀の名号の権法を以て円機を抑へ、円経に進まざらしむ。
名号の権悪を治せんが為には妙法蓮華経の実術を用ふ。
在世・滅後異なりと雖も正法を弘むるの心是(これ)一なり。時に当たりて秘術を得たるか。


注1:雪山童子が半偈を聞くために鬼神の前に身を投げて、十二劫という長い間生死の罪を滅することができた謂れを示しておられ、末法ではそのような行は無用であるとする意味であると拝します。
注2:無間地獄におちる最も重い罪。母を殺す,父を殺す,阿羅漢(悟りを得た僧)を殺す,仏身より血を出させる,和合僧を破壊する。
注3:釈尊在世当時のインドの外道の総数。
注4:仏の境涯を示しております。大聖人は寿量品の「常住此説法」を「常」、「我此土安穏」を「楽」、「自我得仏来」を「我」、薬王品の「如清涼地」を「浄」と示しておられる。さらに地涌の菩薩の上首である四菩薩[上行・無辺行・浄行・安楽行]をそれぞれ我・常・浄・楽に配されておられます。




by johsei1129 | 2019-10-21 23:07 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

人間の意識を仏法として分別した【六識事】

【六識事】

■出筆時期:文永期
■出筆場所:不明です。
■出筆の経緯:弟子・信徒の教化のため仏法で説かれる人間の意識を分別した九識の内、

六道を輪廻する衆生の六識を図をもちいて説いた書。
日蓮大聖人は日女御前御返事で「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」と認められておられます。

■ご真筆:富士大石寺(一般非公開)

【六識事 本文】
        
        心 
    眼識  意 肉・天・慧・法・仏眼
    
耳識     肉・天・慧・法・仏耳
    鼻識     肉・天・慧・法・仏鼻
  舌識            
    身識    肉身・天身・慧身・法身・仏身
    意識

 正説・領解・述成・授記・歓喜
 但彰灼(しょうしゃく)に二乗に授記して顕露分明に長遠の寿を説くことを知る。茲の一座に於て聞知せざること無し。故 に名づけて顕と為す。
 大乗を学ばん者は肉眼有りと雖も名づけて仏眼と為す。耳鼻の五根例して亦是くの如し。
 
 魔梵釈女
 菩薩処胎経「法性は大海の如く是非有るを説かず。凡夫賢聖の人は唯心垢(しんく)の滅する在り。平等にして高下無く、証を取ること掌を反すが如し」と


理具
加持
顕徳
|---世出世に亘る
強  眼耳意

|---鼻舌身
|---世間に限る 至 
弱   鼻舌身
      中智を離る    中智に合す 不至
|---眼耳意       
                      
見聞 
知覚
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by johsei1129 | 2019-10-21 23:01 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

弟子・信徒への講説のために釈尊の一切経を種脱で分別した図表【種脱系図】

【種脱系図】
■出筆時期:文永五年(1268年) 四十七歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:日蓮大聖人は弟子・信徒へ講説する際に、理解しやすいよう自ら認めた図表を掲げて説法をなされておられました。それらのいわゆる「つりもの」と称される図表は数多くご真筆が伝えられておりますが、本図もその一つで、釈尊の一切経を種脱で分別されておられます。
■ご真筆:京都市 本法寺所蔵。

【種脱系図 本文】

爾前

三蔵教-----------種---三賢---外凡---順解脱分位
   -----------熟---四善根--------順決択分位
   -----------脱---七聖----------見思断位
        |
        |--------見道---------決択分位
        |--------修道---------
                  解脱分位
        |--------無学道-------


       |---種---乾慧地(けんねじ)---外凡---三賢
通教----十地---|---熟---性地-----内凡---四善根
       |---解脱---八人地乃至第十地

別教---五十二位---種---十信---外凡---順解脱分位
       ----熟-- |--十住-------初住より第七住に至りて見思を断ず 八・九・十に上品の塵沙を断ず
           |--十行-------中品の塵沙を断ず
           |---十廻向-----下品の塵沙を断ず
       ----脱---|---十地----|
           |----等---- |--十二品の無明を断ず
           |----妙-----|


迹門
円教----種----名字|
         |---外凡
    ---- 観行 |
     ----十信---内凡

  ---- 脱---- 十住
    -------十行
    ------ 十廻向
    ----------等
|
|
華厳に果分を説かざる |
は唯一仏乗を名づけて |
果分と為す |
|
法華経--|---------妙------不説---当分位
    |---------妙覚位--説-----跨節




by johsei1129 | 2019-10-21 23:00 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

大事には小瑞なし大悪をこれば大善きたるすでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、と説いた【大悪大善御書】

【大悪大善御書】
■出筆時期:文永十二年(1277) 五十四歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄はご真筆の断簡が残されておりますが、全体の内容は判明しておりません。
文中で「各各なにをかなげ(嘆)かせ給うべき」と記されていることから、日蓮門下の弟子檀那一同に宛てられた書と思われます。
本書を記された文永十二年の四月十五日(4月25日後宇多天皇即位により建治と改元)、蒙古の使者が長門室津(現在の下関市)に到着、幕府は鎌倉に護送して折衝をします。
この状況から文永の役に引き続き再度の蒙古来襲が必至と、日本国中が騒然とした世情であったと思われ、大聖人は本書で「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」と断じ、弟子信徒一同を諭されものと拝されます。
尚、蒙古の使者との折衝の状況については『小説日蓮(中)61 弟子たちの布教』を参照してください。
■ご真筆:堺市 妙国寺(断簡)所蔵。

[大悪大善御書 本文]

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。
すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし。

各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをど(踊)りぬべし。

上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそいで給いしか。普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり。
事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし。





by johsei1129 | 2019-10-21 22:39 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

仏になる事こそつゐのすみかにては候へとをもひ切らせ給ふべし、と説いた【こ う入道殿御返事】

【こう入道殿御返事】

■出筆時期:文永12年(1275)4月12日 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は佐渡で大聖人に帰依し、阿仏房夫妻と共に、夜中に人目を忍んで食べ物などを供養し、大聖人を外護した「こう(国府)入道夫妻」に宛てたご消息文です。国府入道は大聖人が佐渡流罪をご赦免になり身延に草庵を構えると、ご供養の品々を持って大聖人に見参している。本書はその志を称えるとともに、国府入道を身延まで送り出した妻の尼御前をも称えておられる。
 さらに子息のない国府入道夫妻に対し、もし蒙古が攻め込んだ場合は、ここ身延に来てくださいとまで伝えるとともに「いづくも定めなし。仏になる事こそつゐのすみかにては候へとをもひ切らせ給ふべし」と、法華経の信仰を貫き成仏する事こそが肝心であると諭されておられる。
■ご真筆: 愛知県・妙勝寺 所蔵。
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[こう入道殿御返事 本文]

 あまのり(海紫菜)のかみぶくろ(紙袋)二、わかめ(裙帯菜)十でう(帖)、こも(小藻)のかみぶくろ一、たこ(霊芝)ひとかしら(頭)。

人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さどの国に候ひし時、御信用ありしだにもふしぎにをぼへ候ひしに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、又国もへだたり年月もかさなり候へば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろ(色)をあらわし、こう(功)をつませ給ふ事、但一生二生の事にはあらざるか。

 此の法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、女(め)となりなんどしてこそ信ぜさせ給ふなれ。しかるに御子もをはせず、但をや(親)ばかりなり。其中衆生悉是吾子の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。
 日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。宿善たうと(尊)く候。

 又蒙古国の日本にみだれ入る時はこれへ御わたりあるべし。又子息なき人なれば御とし(齢)のすへには、これ(此処)へとをぼしめすべし。 
 いづくも定めなし。仏になる事こそつゐ(終)のすみか(栖)にては候へとをもひ切らせ給ふべし。恐々謹言。
   

 卯月十二日                       

                                              日  蓮 花 押

   こう(国府)入道殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-21 22:34 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)