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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 08月 31日

当世の一切の女人は仏の記し置き給ふ後五百歳二千余年に当たって、是実の女人往生の時なりと断じた 【女人往生抄】

【女人往生抄】
■出筆時期:文永二年(1265年) 四十四歳御作。
■出筆場所:安房国 花房蓮華寺と思われます。
■出筆の経緯:文永元(1264)年の秋、大聖人は御母妙蓮が危篤と伝えられ、十一年ぶりに鎌倉から故郷安房へ帰られます。大聖人の祈念により御母の病は快復し四年の寿命を延べられたと伝えられております。
またこの年の十一月十一日、小松原の法難に遭われ、弟子の鏡忍房日暁、強信徒の工藤吉隆が殉死、自身も額を斬られ左手を骨折します。その三日後の十一月十四日、大聖人は清澄寺時代の師道善房と安房の花房蓮華寺でお会いしております。この後は花房蓮華寺を拠点として安房国、下総国方面で弘教を進めていきます。
この頃、御母妙蓮の危篤という事もあり、文永二年には本抄「女人往生抄」の他、「女人成仏抄」「薬王品得意抄」と、女人成仏を主題とする御書を数多く著されておられます。
恐らく本抄も女性信徒に宛てられたのではと推察されます。

大聖人は文中で「女人の御身として漢の李夫人・楊貴妃・王昭君・小野小町・和泉式部と生まれさせ給ひたらんよりも、当世の女人は喜ばしかるべき事なり。<中略>当世の一切の女人は仏の記し置き給ふ後五百歳二千余年に当たって是実(まこと)の女人往生の時なり」と、末法で法華経にであった女人こそ実の女人往生を遂げることができると断じられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【女人往生抄 本文】
 
  第七の巻に後五百歳二千余年の女人の往生を明かす事を云はゞ、釈迦如来は十九にして浄飯(じょうぼん)王宮を出で給ひて三十の御年成仏し、八十にして御入滅ならせ給ひき。三十と八十との中間を数ふれば年紀五十年なり。其の間一切経を説き給ひき。何れも皆衆生得度の御ため無虚妄の説、一字一点もおろかなるべからず。又凡夫の身として是を疑ふべきにあらず。但し仏説より事起こりて小乗大乗・権大乗実大乗・顕教密教と申す名目新たに出来せり。一切衆生には皆成仏すべき種備はれり。然りと雖も小乗経には此の義を説き顕はさず。されば仏の説き給ふ経なれども諸大乗経には多く小乗経を嫌へり。

又諸大乗経にも法華已前の四十余年の諸大乗経には一切衆生に多分は仏性の義をば許せども、又一類の衆生には無仏性の義を説き給へり。一切衆生多分仏性の義は巧みなれども一類無仏性の義がつたなき故に、多分仏性の巧みなる言も又拙き言と成りぬべし。されば涅槃経に云はく「衆生に是仏性有りと信ずと雖も必ずしも一切皆悉く之有らず。是の故に名づけて信不具足と為す」等云云。此の文の心は一切衆生に多分仏性ありと説けども一類に無しと説けば、所化の衆生は闡提の人と成るべしと云ふ文なり。

四十余年の衆生は三乗・五乗倶に闡提の人と申す文なり。されば仏、無量義経に四十余年の諸経を結して云はく「四十余年未だ真実を顕はさず」文。されば智者は且く置く。愚者に於ては且く四十余年の御経をば仰いで信をなして置くべし。法華経こそ「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く、妙法華経は皆是真実」と釈迦多宝の二仏定めさせ給ふ上、諸仏も座に列なり給ひて舌を出ださせ給ひぬ。一字一文・一句一偈なりとも信心を堅固に発こして疑ひを成すべからず。其の上、疑ひを成すならば「疑ひを生じて信ぜざる者は即ち当に悪道に堕つべし」「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、無虚妄の御舌をもて定めさせ給ひぬれば、疑ひをなして悪道におちては何の詮か有るべきと覚ゆ。
 
されば二十八品何れも疑ひなき其の中にも、薬王品の後五百歳の文と勧発品の後五百歳の文とこそ殊にめづらしけれ。勧発品には此の文三処にあり。三処倶に後五百歳、二千余年已後の男女等に亘る。

薬王品には此の文二処にあり。一処には後五百歳に法華経の南閻浮提に流布すべき由を説かれて候。一処には後五百歳の女人の法華経を持ちて大通智勝仏の第九の王子・阿弥陀如来の浄土、久遠実成の釈迦如来の分身の阿弥陀の本門同居(どうこ)の浄土に往生すべき様を説かれたり。抑(そもそも)仏には偏頗御坐(へんぱおわ)すまじき事とこそ思ひ侍るに、後五百歳の男女ならば男女にてこそ御坐すべきに、余処に後五百歳の男女法華経を持ちて往生成仏すべき由の委細なるに、重ねて後五百歳の女人の事を説かせ給へば、女人の御為にはいみじく聞こゆれども男子の疑ひは尚あるかと覚ゆる故に、仏には偏頗のおわするかとたのもしくなき辺もあり。旁(かたがた)疑はしき事なり。然りと雖も力及ばず、後五百歳二千余年已後の女人は法華経を行じて阿弥陀仏の国に往生すべしとこそ御覧じ侍りけめ。
 
仏は悉達太子として御坐せしが、十九の御出家なり。三十の御年仏に成らせ給ひたりしかば、迦葉等の大徳・通力の人々千余人付きまいらせたりしかども、猶五天竺の外道怨み奉りてあやうかりしかば、浄飯大王おほせありしやうは、悉達太子をば位を譲り奉りて転輪聖王と仰ぎ奉らんと思し召しかども、其の甲斐もなく出家して仏となり給ひぬ。今は又人天一切衆生の師と成らせ給ひぬれば、我一人の財にあらず、一切衆生の眼目なり。而るを外道に云ひ甲斐なくあやまたせ奉る程ならば悔ゆるとも甲斐なけん。されば我を我と思はん一門の人々は出家して仏に付き奉れと仰せありしかば、千人の釈子出家して仏に付き奉る。千人の釈子一々に浄飯王宮にまひり、案内を申して御門を出で給ひしに、九百九十八人は事ゆへなく御門の橋を打ち渡りき。提婆達多と瞿伽利とは橋にして馬倒れ冠ぬげたりき。
 
相人之を見て、此の二人は仏の聖教の中に利益あるべからず。還って仏教によて重罪を造りて阿鼻地獄に堕つべしと相したりき。又震旦国には周の第十三平王の御宇に、かみをかうぶり、身赤裸なる者出で来たれり。相人相して云はく、百年に及ばざるに世将に亡びなんと。此等の先相に寸分も違はず。遂に瞿伽利(くぎゃり)、現身に阿鼻地獄に提婆と倶に堕ち、周の世も百年の内に亡びぬ。此等は皆仏教の智慧を得たる人は一人もなし。但二天・三仙・六師と申す外典、三皇・五帝等の儒家共なり。三惑一分も断ぜず、五眼の四眼既に欠けて但肉眼計りなり。一紙の外をもみず、一の法も推し当てん事難かるべし。然りと雖も此等の事一分も違はず。而るに仏は五重の煩悩の雲晴れ、五眼の眼曇り無く、三千大千世界・無量世界・過去未来現在を掌の中に照知照見せさせ給ふが、後五百歳の南閻浮提の一切の女人、法華経を一字一点も信じ行ぜば、本時同居の安楽世界に往生すべしと、知見し給ひける事の貴く憑(たのも)も敷(し)き事云ふ計りなし。
女人の御身として漢の李夫人・楊貴妃・王昭君・小野小町・和泉式部と生まれさせ給ひたらんよりも、当世の女人は喜ばしかるべき事なり。彼等は寵愛の時にはめずらしかりしかども一期は夢の如し。当時は何れの悪道にか侍らん。彼の時は世はあがりたりしかども、或は仏法已前の女人、或は仏法の最中なれども後五百歳の已前なり。仏の指し給はざる時なれば覚束(おぼつか)なし。当世の一切の女人は仏の記し置き給ふ後五百歳二千余年に当たって是実(まこと)の女人往生の時なり。例せば、冬は氷乏しからず、春は花珍しからず、夏は草多く、秋は菓(このみ)多し。時節此くの如し。当世の女人往生も亦此くの如し。貪(とん)多く、瞋(しん)多く、愚多く、慢多く、嫉(しつ)多きを嫌はず。何に況んや、此等の過(とが)無からん女人をや。
 
問うて云はく、内外典の詮を承るに道理には過ぎず。されば天台釈して云はく「明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る」文。釈の心はあきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもると会せられて侍べり。さればこそ此の「後五百歳に若し女人有って」の文は、仏説なれども心未だ顕はれず。其の故は正法千年は四衆倶に持戒なり。
 
故に女人は五戒を持ち、比丘尼は五百戒を持ちて、破戒無戒の女人は市(いち)の中の虎の如し。像法一千年には破戒の女人・比丘尼是多く、持戒の女人は是希なり。末法に入っては無戒の女人是多し。されば末法の女人いかに賢しと申すとも正法・像法の女人に過ぐべからず。又減劫になれば日々に貪瞋癡(とんじんち)増長すべし。又貪瞋癡強盛(ごうじょう)なる女人を法華経の機とすべくば末法万年等の女人をも取るべし。貪瞋癡微薄なる女人をとらば正像の女人をも取るべし。今とりわけて後五百歳二千余年の女人を仏の記させ給ふ事は第一の不審なり。
  答へて云はく、此の事第一の不審なり。然りと雖も試みに一義を顕はすべし。夫仏と申すは大丈夫の相を具せるを仏と名づく。故に女人は大丈夫の相無し。されば諸小乗経には一向に女人成仏を許さず。女人も男子と生まれて後に成仏あるべしと説かる。諸大乗経には多分は女人成仏を許さず。少分成仏往生を許せども又有名無実なり。然りと雖も法華経は九界の一切衆生、善悪・賢愚・有心無心・有性無性・男子女人、一人も漏れなく成仏往生を許さる。然りと雖も経文略を存する故に、二乗作仏・女人悪人の成仏・久遠実成等をこまやかに説いて、男子・善人・菩薩等の成仏をば委細にあげず。人此を疑はざる故か。然るに在世には仏の威徳の故に成仏やすし。仏の滅後には成仏は難く、往生は易かるべし。

然りと雖も滅後には二乗少なく善人少なし、悪人のみ多かるべし。悪人よりも女人の生死を離れん事かたし。然りと雖も正法一千年の女人は像法・末法の女人よりも少しなをざりなるべし。諸経の機たる事も有りなん。像法の末、末法の始めよりの女人は殊に法器にあらず。

諸経の力及ぶべからず。但法華経計り助給ふべし。故に次上の文に十喩を挙ぐるに、川流江河の中には大海第一、一切の山の中には須弥山(しゅみせん)第一、一切の星の中には月天子第一、衆星と月との中には日輪第一等とのべて千万億の已今当の諸経を挙げて江河・諸川・衆星等に譬へて、法華経をば大海・須弥・日月等に譬へ、此くの如く讃め已はりて、殊に後五百歳の女人に此の経を授け給ひぬるは、五濁に入り正像二千年過ぎて末法の始めの女人は殊に諂曲(てんごく)なるべき故に、諸経の力及ぶべからず、諸仏の力も又及ぶべからず、但法華経の力のみ及び給ふべき故に、後五百歳の女人とは説かれたるなり。されば当世の女人は法華経を離れては往生協ふべからざるなり。

  問うて云はく、双観経に法蔵比丘の四十八願の第三十五に云はく「設し我仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏の世界に其れ女人有って、我が名字を聞いて歓喜信楽して菩提心を発こし女身を厭悪(えんお)せんに、寿終の後復女像と為らば正覚を取らじ」文。善導和尚の観念法門に云はく「乃ち弥陀の本願力に由るが故に女人仏の名号を称へば、正しく命終の時即ち女身を転じて男子と成ることを得。弥陀は手を接り、菩薩は身を扶け、宝華の上に坐して仏に随って往生し、仏の大会に入って無生を証悟せん」文。又云はく「一切の女人弥陀の名願力に因らずんば、千劫・万劫・恒河沙等の劫にも終に女身を転じ得べからず」等文。此の経文は弥陀の本願に依って女身は男子と成りて往生すべしと見えたり。又善導和尚の「不因弥陀名願力者」等の釈は、弥陀の本願によらずば、女人の往生有るべからずと見えたり、如何。
  
答へて云はく、双観経には女人往生の文は有りといへども、法華経に説かるゝとろこの川流江河の内、或は衆星の光なり。末代後五百歳の女人弥陀の願力に依って往生せん事は、大石を小船に載せ大胄(おおよろい)を弱兵に著(き)せたらんが如し。
 




by johsei1129 | 2019-08-31 22:01 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

大聖人の説法を聞き「御弟子の一分に定まり候」と伝えた事を記した【秋元殿御返事】

【秋元殿御返事】
■出筆時期:文永二年(1265年)一月十一日 四十四歳御作
■出筆場所:大聖人は松葉ヶ谷の法難の後、鎌倉を離れ下総の富木常忍の屋敷に身を置き、其処を広布の拠点として法華経の説法をなされます。その時下総国に住む秋元太郎を始め、後に大聖人を支える大檀那となる太田乗明、曽谷教信が入信されます。

本抄は、その秋元太郎が入信を決意した時の心境と、法門への質問を綴って大聖人に送られた消息の内容を記された返書となっております。
秋元太郎は大聖人に帰依する決意を固めた時の心境を「末法の始五百年には、いかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに、聖人の仰を承り候に、法華経の題目に限つて弘むべき由聴聞申して御弟子の一分に定まり候」と伝えられておられます。
そしてその志について大聖人は文末で、「師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや、『在在諸の仏土常に師と倶に生れん若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん。是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん』との金言違ふべきや。」と断じられ、法華経に記されている善男子として信仰を貫くよう励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[秋元殿御返事 本文]
御文委く承り候い畢んぬ、御文に云く末法の始・五百年には・いかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに聖人の仰を承り候に、法華経の題目に限つて弘むべき由・聴聞申して御弟子の一分に定まり候。殊に五節供はいかなる由来・何なる所表・何を以て正意として・まつり候べく候や云云。

夫れ此の事は日蓮委く知る事なし、然りと雖も粗意得て候、根本大師の御相承ありげに候、総じて真言天台両宗の習なり、委くは曾谷殿へ申候次での御時は御談合あるべきか。

先ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華経の五字の次第の祭なり、正月は妙の一字のまつり天照太神を歳の神とす、三月三日は法の一字のまつりなり辰(たつ)を以て神とす、五月五日は蓮の一字のまつりなり午(うま)を以て神とす、七月七日は華の一字の祭なり申(さる)を以て神とす、九月九日は経の一字のまつり戌(いぬ)を以て神とす、此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし。

法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明(ふんみょう)なり、経の第五に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す」云云、又云く「天の諸の童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害する能わず」云云、諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等なり、法とは法華経なり、童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり、「臨兵闘者皆陳列在前」是又「刀杖不加」の四字なり、此等は随分の相伝なり能く能く案じ給うべし。

第六に云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」云云、五節供の時も唯南無妙法蓮華経と唱へて悉地成就せしめ給へ、委細は又又申す可く候。

次に法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子となると仰せ候事、師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや、「在在諸の仏土常に師と倶に生れん若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん。是の師に随順して学ばば恒沙(ごうじゃ)の仏を見奉る事を得ん」との金言違ふべきや。

提婆品に云ふ「所生の処常に此の経を聞く」の人はあに貴辺にあらずや、其の故は次上に「未来世中・若有善男子・善女人」と見えたり、善男子とは法華経を持つ俗の事なり弥(いよいよ)信心をいたし給うべし、信心をいたし給うべし、恐恐謹言。

正 月 十 一 日         日 蓮 花押
秋元殿御返事
安房の国ほた(保田)より出す

by johsei1129 | 2019-08-31 21:49 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

禅宗の説く「教外別伝」を「仏全く教外に別伝ありとは仰せられず。若しありといはゞ外道の法なるべし。天魔の所説、正法破滅の源なり」と断じた【禅宗天台勝劣抄】

【禅宗天台勝劣抄】

■出筆時期:文永元年(西暦1264) 四十三歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は弟子・信徒の教化のために、当時武士に広まっていた禅宗を破折するための法門として認められたと思われます。

大聖人は禅宗が説く「釈迦から摩訶迦葉へ口伝で伝えられた教外別伝の法である」とする説に対し「仏全く教外に別伝ありとは仰せられず。若しありといはゞ外道の法なるべし。天魔の所説、正法破滅の源なり。之に依って経に云はく「若し経律を離れて是の説を作さば当に知るべし即ち是れ虚説なり」と断じられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【禅宗天台勝劣抄 本文】 
問ふ、禅宗・天台宗何れが勝れたりと云ふべきや。答ふ、天台宗勝れたり。
禅宗をば又は仏心宗と云ふ、我が心、仏なるが故なり。或は教外別伝とも云ふ、一代聖教の外に伝ふと習ふ法門なり。始め華厳より終はり涅槃経に至りては教内の法門にて猶涕唾(なおていだ)に類す。余経余論は教内にして輙(たやす)く生死を出でがたし。今別伝は一代聖教の外に有りて、速やかに生死を出でて至極甚深の法門なり。然れば天台宗は教内、禅宗は教外なり。若し爾らば禅宗まさると云ふべきや。答ふ、凡そ禅宗とは東土の六祖是を伝ふ。達磨既に楞伽経に依って宗を立つ。

其の楞伽経は法華已前の方等部の経、猶権経なり。権経に依って立つる所の宗、豈法華にまさらんや。但し教外別伝と云ふ事証拠なき事なり。

所以に一代聖教を離れて別に仏法有りとは何れの経論に見えたるや。また経論に依らずして師の言に依るべきか。祖師と仏と何れを信ずべきや。若し祖師を信ぜば、其の祖師の善・不善何に依りてか別つべき。悟・不悟亦争でか知るべき。若し仏を信ぜば教外別伝と云ふべからず。

仏全く教外に別伝ありとは仰せられず。若しありといはゞ外道の法なるべし。天魔の所説、正法破滅の源なり。之に依って経に云はく「若し経律を離れて是の説を作さば当に知るべし即ち是れ虚説なり」云云。

像法決疑経に云はく「諸の悪比丘、或は禅を修すること有るとも経論に依らず、自ら己見を逐ひて非を以て是と為して是邪是正と分別すること能はず。遍く道俗に向かって是くの如き言を作さん。
我能く是を知り、我れ能く是を見ると。当に知るべし、是の人の速やかに我が法を滅せんことを」文。
玄の一に云く「若し観心の人、心に即して而も是なり、己(おのれ)則ち仏に均しと謂(おも)ひ、都て経論を尋ねずして増上慢に堕す。此則ち炬(こ)を把(と)って自ら焼く。行の悪道を牽(ひ)くことは聞くことを習はざるに由るなり」と。此等の文釈、経論によらず教外に別伝ありと云はんは、天魔・外道・上慢・破法・堕悪の者なるべしと云ふ証拠なり。故に教外別伝とは全く仏法に非ずと云ふべきなり。設ひ録等に此の旨ありとも、録は人師の釈なり、仏説に非ず信ず、信ずべからず。我則ち仏、我既に解りたりと云ひ、又是心是仏と云ふとも経論に依らずばさとりにもあらず、心法にもあらず仏法にもあらず。




 


by johsei1129 | 2019-08-31 21:44 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉つて功徳を成就する人初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き始めて信を致すなり、と説いた【題目弥陀名号勝劣事】

【題目弥陀名号勝劣事】

■出筆時期:文応元年(西暦1264)  四十三歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵と思われます。。
■出筆の経緯:本書は弟子及び信徒の教化のため、南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の題目の勝劣について記された法門と思われます。

文中で大聖人は「妙法蓮華経と申す事は仏の御年七十二成道より已来四十二年と申せしに霊山にましまして無量義処三昧に入り給いし時、文殊・弥勒の問答に過去の日月燈明仏の例を引いて我燈明仏を見る乃至法華経を説かんと欲すと先例を引きたりし時こそ、南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか」と説かれるとともに、「法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉つて功徳を成就する人初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き始めて信を致すなり」と示され、末法で南妙法蓮華経の題目を唱ることの宿縁の深さについて断じられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【題目弥陀名号勝劣事 本文】

南無妙法蓮華経と申す事は唱えがたく南無阿弥陀仏・南無薬師如来なんど申す事は唱えやすく又文字の数の程も大旨は同けれども功徳の勝劣は遥に替りて候なり。

天竺の習ひ仏出世の前には二天・三仙の名号を唱えて天を願ひけるに仏世に出させ給いては仏の御名を唱ふ、然るに仏の名号を二天・三仙の名号に対すれば天の名は瓦礫のごとし仏の名号は金銀・如意宝珠等のごとし、又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば瓦礫と如意宝珠の如くに侍るなり、然るを仏教の中の大小権実をも弁へざる人師なんどが仏教を知りがほにして仏の名号を外道等に対して如意宝珠に譬へたる経文を見・又法華経の題目を如意宝珠に譬へたる経文と喩の同きをもつて念仏と法華経とは同じ事と思へるなり、同じ事と思う故に又世間に貴と思う人の只弥陀の名号計を唱うるに随つて・皆人一期の間一日に六万遍・十万遍なんど申せども法華経の題目をば一期に一遍も唱へず、或は世間に智者と思はれたる人人・外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に念仏と法華経とは只一なり、南無阿弥陀仏と唱うれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり是は一代の諸経の中に一句一字もなき事なり、設ひ大師先徳の釈の中より出たりとも且は観心の釈か且はあて事かなんど心得べし。

法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉つて功徳を成就する人・初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き始めて信を致すなり。諸仏の名号は外道・諸天・二乗・菩薩の名号にあはすれば瓦礫と如意宝珠の如くなれども法華経の題目に対すれば又瓦礫と如意宝珠との如し。

当世の学者は法華経の題目と諸仏の名号とを功徳ひとしと思ひ、又同じ事と思へるは瓦礫と如意宝珠とを同じと思ひ一と思うが如し。止観の五に云く「設い世を厭う者も下劣の乗を翫(もてあそ)び枝葉に攀付(はんぷ)し狗作務(いぬさむ)に狎(な)れ、獼猴(みこう)を敬いて帝釈と為し瓦礫(がりゃく)を崇(あが)めて是明珠なりとす、此の黒闇の人豈(あに)道を論ず可けんや」等云云。

文の心は設ひ世をいとひて出家遁世(とんせ)して山林に身をかくし名利名聞をたちて一向後世を祈る人人も法華経の大乗をば修行せずして権教下劣の乗につきたる名号等を唱うるを瓦礫を明珠なんどと思いたる僻人に譬へ闇き悪道に行くべき者と書れて侍るなり、弘決の一には妙楽大師・善住天子経をかたらせ給いて法華経の心を顕はして云く「法を聞いて謗を生じ地獄に堕するは恒沙(ごうしゃ)の仏を供養する者に勝る等」云云。

法華経の名を聞いてそしる罪は阿弥陀仏・釈迦仏・薬師仏等の恒河沙の仏を供養し名号を唱うるにも過ぎたりされば当世の念仏者の念仏を六万遍・乃至十万遍申すなんど云へども彼にては終に生死をはなるべからず、法華経を聞くをば千中無一・雑行・未有一人得者なんど名けて或は抛よ或は門を閉じよなんど申す謗法こそ設ひ無間大城に堕るとも後に必(かならず)生死は離れ侍らんずれ、同くは今生に信をなしたらばいかによく候なん。

問う世間の念仏者なんどの申す様は此身にて法華経なんどを破する事は争か候べき、念仏を申すもとくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為なり、又或は云く法華経は不浄の身にては叶ひがたし恐れもあり、念仏は不浄をも嫌はねばこそ申し候へなんど申すはいかん、
答えて云く此の四五年の程は世間の有智無智を嫌はず此の義をばさなんめりと思いて過る程に日蓮一代聖教をあらあら引き見るにいまだ此の二義の文を勘へ出さず、詮ずるところ近来の念仏者並に有智の明匠とおぼしき人人の臨終の思うやうにならざるは是大謗法の故なり、人ごとに念仏申して浄土に生れて法華経をさとらんと思う故に穢土にして法華経を行ずる者をあざむき又行ずる者もすてて念仏を申す心は出来るなりと覚ゆ、謗法の根本此の義より出たり、法華経こそ此の穢土より浄土に生ずる正因にては侍れ念仏等は未顕真実の故に浄土の直因にはあらず、然るに浄土の正因をば極楽にして後に修行すべき物と思ひ極楽の直因にあらざる念仏をば浄土の正因と思う事僻案なり、浄土門は春沙(いさご)を田に蒔いて秋米を求め、天月をすてて水に月を求るに似たり、人の心に叶いて法華経を失ふ大術此の義にはすぎず、次に不浄念仏の事・一切念仏者の師とする善導和尚・法然上人は他事にはいわれなき事多けれども此の事にをいてはよくよく禁められたり、善導の観念法門経に云く酒肉五辛を手に取らざれ口にかまざれ手にとり口にもかみて念仏を申さば手と口に悪瘡付くべしと禁め法然上人は起請を書いて云く酒肉五辛を服して念仏申さば予が門弟にあらずと云云、不浄にして念仏を申すべしとは当世の念仏者の大妄語なり。

問うて云く善導和尚・法然上人の釈を引くは彼の釈を用るや否や、答えて云くしからず念仏者の師たる故に彼がことば己が祖師に相違するが故に彼の祖師の禁めをもて彼を禁るなり、例せば世間の沙汰の彼が語の彼の文書に相違するを責るが如し、
問うて云く善導和尚・法然上人には何事の失あれば用いざるや、答えて云く仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍るに法華経には我が滅度の後末法に諸経失せて後殊に法華経流布すべき由・一所二所ならずあまたの所に説かれて侍り、随つて天台・妙楽・伝教・安然等の義に此事分明なり、然るに善導・法然・法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依つて仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に法華経をまげ入れて還つて我が経の名号に対して読誦大乗の一句をすつる時、法華経を抛てよ門を閉じよ千中無一なんど書いて侍る僻人をば眼あらん人是をば用うべしやいなや。

疑つて云く善導和尚は三昧発得の人師・本地阿弥陀仏の化身・口より化仏を出せり、法然上人は本地大勢至菩薩の化身既に日本国に生れては念仏を弘めて頭より光を現ぜり争か此等を僻人と申さんや、又善導和尚・法然上人は汝が見る程の法華経並に一切経をば見給はざらんや、定めて其の故是あらんか、答えて云く汝が難ずる処をば世間の人人・定めて道理と思はんか、是偏に法華経並に天台・妙楽等の実経・実義を述べ給へる文義を捨て善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて年久くなりぬるが故に思はする処なり、先ず通力ある者を信ぜば外道天魔を信ずべきか、或る外道は大海を吸干し或る外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり、第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず、阿難尊者・猶魔と仏とを弁へず善導・法然が通力いみじしというとも天魔外道には勝れず、其の上仏の最後の禁しめに通を本とすべからずと見えたり、次に善導・法然は一切経・並に法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑ひ是れ又謗法の人のためにはさもと思ひぬべし、然りといへども如来の滅後には先の人は多分賢きに似て後の人は大旨ははかなきに似たれども又先の世の人の世に賢き名を取りてはかなきも是あり、外典にも三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学びて賢き名を取れる人も後の人にくつがへされたる例是れ多きか、内典にも又かくの如し、仏法漢土に渡りて五百年の間は明匠国に充満せしかども光宅の法雲・道場の慧観等には過ぎざりき、此等の人人は名を天下に流し智水を国中にそそぎしかども・天台智者大師と申せし末の人・彼の義どもの僻事(ひがごと)なる由を立て申せしかば初には用ひず後には信用を加えし時始めて五百余年の間の人師の義どもは僻事と見えしなり、日本国にも仏法渡りて二百余年の間は異義まちまちにして何れを正義とも知らざりし程に伝教大師と申す人に破られて前二百年の間の私義は破られしなり、其の時の人人も当時の人の申す様に争か前前の人は一切経並に法華経をば見ざるべき定めて様こそあるらめなんと申しあひたりしかども叶はず、経文に違ひたりし義どもなれば終に破れて止みにき。

当時も又かくの如し此の五十余年が間は善導の千中無一・法然が捨閉閣抛の四字等は権者の釈なれば・ゆへこそあらんと思いてひら信じに信じたりし程に日蓮が法華経の或は悪世末法時或は於後末世或は令法久住等の文を引きむかへて相違をせむる時我が師の私義破れて疑いあへるなり、詮ずるところ後五百歳の経文の誠なるべきかの故に念仏者の念仏をもて法華経を失ひつるが還つて法華経の弘まらせ給うべきかと覚ゆ、但し御用心の御為に申す、世間の悪人は魚鳥鹿等を殺して世路を渡る、此等は罪なれども仏法を失ふ縁とはならず懺悔をなさざれば三悪道にいたる、又魚鳥鹿等を殺して売買をなして善根を修する事もあり、此等は世間には悪と思はれて遠く善となる事もあり、仏教をもつて仏教を失ふこそ失ふ人も失ふとも思はず只善を修すると打ち思うて又そばの人も善と打ち思うてある程に思はざる外に悪道に堕つる事の出来候なり、当世には念仏者なんどの日蓮に責め落されて我が身は謗法の者なりけりと思う者も是あり、聖道の人人の御中にこそ実の謗法の人人は侍れ、彼の人人の仰せらるる事は法華経を毀る念仏者も不思議なり念仏者を毀る日蓮も奇怪なり、念仏と法華とは一体の物なり、されば法華経を読むこそ念仏を申すよ念仏申すこそ法華経を読むにては侍れと思う事に候なりとかくの如く仰せらるる人人・聖道の中にあまたをはしますと聞ゆ、随つて檀那も此の義を存じて日蓮並に念仏者をおこがましげに思へるなり先日蓮が是れ程の事をしらぬと思へるははかなし。

仏法漢土に渡り初めし事は後漢の永平なり渡りとどまる事は唐の玄宗皇帝・開元十八年なり、渡れるところの経律論・五千四十八巻・訳者一百七十六人其の経経の中に南無阿弥陀仏は即南無妙法蓮華経なりと申す経は一巻一品もおはしまさざる事なり、其の上阿弥陀仏の名を仏説き出し給う事は始め華厳より終り般若経に至るまで四十二年が間に所所に説かれたり、但し阿含経をば除く。

一代聴聞の者・是を知れり、妙法蓮華経と申す事は仏の御年七十二・成道より已来四十二年と申せしに霊山にましまして無量義処三昧に入り給いし時・文殊・弥勒の問答に過去の日月燈明仏の例を引いて我燈明仏を見る乃至法華経を説かんと欲すと先例を引きたりし時こそ、南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか。

三の巻の心ならば阿弥陀仏等の十六の仏は昔大通智勝仏の御時・十六の王子として法華経を習つて後に正覚をならせ給へりと見えたり、弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法蓮華経の五字を習つてこそ仏にはならせ給ひて侍れ、全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給いたりとは見えず、妙法蓮華経は能開なり、南無阿弥陀仏は所開なり、能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり、日蓮幼少の時・習いそこなひの天台宗・真言宗に教へられて此の義を存じて数十年の間ありしなり、是れ存外の僻案(びゃくあん)なり、但し人師の釈の中に一体と見えたる釈どもあまた侍る、彼は観心の釈か或は仏の所証の法門につけて述たるを今の人弁へずして全体一なりと思いて人を僻人に思うなり、御けい迹(せき)あるべきなり、念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、其の上多くの真言宗・天台宗の人人に値い奉りて候し時・此の事を申しければされば僻案にて侍りけりと申す人是れ多し、敢て証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず是こそ謗法となる根本にて侍れ、あなかしこ・あなかしこ。

日 蓮 花 押



by johsei1129 | 2019-08-31 21:36 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なりと説いた【南条兵衛七郎殿御書】

■出筆時期:文永元年(1264)十二月十三日 四十三歳御作。
■出筆場所:安房・花房蓮花寺にて。
■出筆の経緯:本書は南条時光の父南条兵衛七郎から、病状が思わしくないことを伝えられことへの返書となっております。
大聖人は「心あらん人は後世をこそ思いさだむべきにて候へ<略>私にはかなひがたく候、一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ」と記し、健康な人でもいつかはこの世を去らなければならない。それ故、後の世のことを定めることが大事で、これは自分一人では叶わぬことで、釈尊の教である法華経が根本であると諭しておられます。さらに本書を著した一か月前の十一月十一日に「小松原の法難」が勃発したことを伝え、法華経法師品の「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」の文を引き「唯日蓮一人こそよみはべれ<中略>されば日蓮は日本第一の法華経の行者なりと断じておられます。
文末では「もし、さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし。日本第一の法華経の行者、日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事(粗末に扱うこと)は候はじ」と記し日蓮に帰依し続けるよう励まされております。
尚、南条兵衛七郎は一時病状は回復するものの、翌年三月八日、時光がまだ七歳の時に逝去なされます。その際大聖人は兵衛七郎を弔うため富士上野郷に赴き、南条家の墓を墓参されておられます。
■ご真筆: 京都市 本禅寺所蔵(第三紙)、他10箇所にて断簡所蔵。古写本:日興上人筆(北山本門寺、 千葉妙本寺蔵所蔵)。
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[御真筆 第三紙]

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[日興上人筆(千葉妙本寺蔵所蔵]

[南条兵衛七郎殿御書 本文]
御所労の由承り候はまことにてや候らん、世間の定(さだめ)なき事は病なき人も留りがたき事に候へば・まして病あらん人は申すにおよばず・但心あらん人は後世をこそ思いさだむべきにて候へ、又後世を思い定めん事は私にはかなひがたく候、一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。

 しかるに仏の教へ又まちまちなり人の心の不定なる故か。しかれども釈尊の説教・五十年にはすぎず、さき四十余年の間の法門に華厳経には心仏及衆生・是三無差別・阿含経には苦・空・無常・無我・大集経には染浄融通・大品経には混同無二・雙観経・観経・阿弥陀経等には往生極楽、此等の説教は皆正法・像法・末法の一切衆生をすくはんがためにこそと(説)かれはべりけんめ。しかれども仏いかんがおぼしけん、無量義経に「方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれて、先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のごとく・くひかへされて「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」といゐきらせ給いて、法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨て但無上の道を説く」と説かせ給へり。

方便をすてよととかれてはべるは、四十余年の念仏等をすてよととかれて候。かうたしかにくひかへして実義を定むるには「世尊の法は久くして後要(かならず)当に真実を説くべし」といひ、「久しく斯の要を黙して務(いそ)いで速かに説かず」等と定められしかば、多宝仏は大地よりわきいでさせ給いてこの事真実なりと証誠をくわへ、十方の諸仏は八方にあつまりて広長舌相を大梵天宮につけさせ給ふ。二処・三会・二界・八番の衆生一人もなくこれをみ候いき。

此等の文をみ候に、仏教を信ぜぬ悪人・外道はさておき候いぬ。仏教の中に入り候ても爾前・権教・念仏等を厚く信じて、十遍・百遍・千遍・一万・乃至・六万等を一日にはげみて、十年・二十年のあひだにも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人人は、先判に付いて後判をもちゐぬ者にては候まじきか。

此等は仏説を信じたりげには我身も人も思いたりげに候へども、仏説の如くならば不孝の者なり。
故に法華経の第二に云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり、而も今此の処は諸の患難(げんなん)多し、唯我一人のみ能く救護(くご)を為す、復教詔すと雖も而も信受せず」等云云。

此の文の心は、釈迦如来は我等衆生には親なり師なり主なり。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましませども、親と師とには・ましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は、釈迦一仏にかぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親・師も師にこそよれ・主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。

この親と師と主との仰せをそむかんもの天神・地祇にすてられ・たてまつらざらんや、不孝第一の者なり故に、雖復教詔而不信受等と説かれたり。たとひ爾前の経につかせ給いて百千万億劫・行ぜさせ給うとも、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずば・不孝の人たる故に、三世・十方の聖衆にもすてられ、天神・地祇にもあだまれ給はんか是一。

たとひ五逆・十悪・無量の悪をつくれる人も、根だにも利なれば得道なる事これあり。提婆達多・鴦崛摩羅(おうくつまら)等これなり。たとひ根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり、須利槃特(すりはんどく)等是なり。我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ物のいろかたちをわきまへざる事羊目のごとし。貪瞋癡きわめてあつく十悪は日日にをかし五逆をば・おかさざれども、五逆に似たる罪・又日日におかす、又十悪・五逆にすぎたる謗法は人毎にこれあり、させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども・人ごとに法華経をばもちゐず、又もちゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず、信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし。たとへば朝につかふる人の、十年・二十年の奉公あれども・君の敵をしりながら奏もせず、私にもあだまずば奉公皆うせて、還つてとがに行はれんが如し。当世の人人は謗法の者としろしめすべし是二。

仏入滅の次の日より千年をば正法と申して持戒の人多く得道の人これあり。
正法千年の後は像法千年なり、破戒の者は多く得道すくなし、像法千年の後は末法万年なり、持戒もなし破戒もなし無戒の者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世なり、清世と申してすめる世には直繩(じきじょう)のまがれる木をけづらするやうに、非をすて是を用うるなり。正・像より五濁やうやういできたりて末法になり候へば、五濁さかりにすぎて、大風の大波を起して岸を打つのみならず、又波と波とをうつなり。見濁と申すは正・像やうやうすぎぬれば、わづかの邪法の一つをつたへて無量の正法をやぶり・世間の罪にて悪道におつるものよりも仏法を以て悪道に堕つるもの多しとみへはんべり。

しかるに当世は正・像二千年すぎて末法に入つて二百余年、見濁さかりにして悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻なり。悪は愚癡の人も悪としればしたがはぬ辺もあり、火を水を以てけすが如し。善は但善と思ふほどに小善に付いて大悪の起る事をしらず、所以に伝教・慈覚等の聖跡あり、すたれあばるれども念仏堂にあらずといひて、すてをきて・そのかたはらにあたらしく念仏堂をつくり彼の寄進の田畠をとりて念仏堂によす。此等は像法決疑経の文の如くならば功徳すくなしとみへはべり。これらをもつてしるべし、善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし。今の世は末法のはじめなり、小乗経の機・権大乗経の機皆うせはてて唯実大乗経の機のみあり、小船には大石をのせず悪人・愚者は大石のごとし、小乗経並に権大乗経・念仏等は小船なり、大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず。末代濁世の我等には念仏等は、たとへば冬・田を作るが如し時があはざるなり是三。

国をしるべし、国に随つて人の心不定なり。たとへば江南の橘(たちばな)の淮北(わいぼく)にうつされて・からたち(枳)となる、心なき草木すらところによる、まして心あらんもの何ぞ所によらざらん、されば玄奘三蔵の西域と申す文に、天竺の国国を多く記したるに・国の習として不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり、瞋恚のさかんなる国もあり、愚癡の多き国もあり、一向に小乗を用る国もあり・一向大乗を用る国もあり、大小兼学する国もありと見へ侍り。又一向に殺生の国・一向に偸盗の国・又穀の多き国・又粟等の多き国不定あり、抑日本国はいかなる教を習つてか生死を離るべき国ぞと勘えたるに、法華経に云く「如来の滅後に於て閻浮提(えんぶだい)の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云、此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁の経なり。

弥勒菩薩の云く「東方に小国有り唯だ大機のみ有り」等云云。此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機あるか、肇公の記に云く「この典は東北の小国に有縁なり」等云云。法華経は東北の国に縁ありとかかれたり、安然和尚の云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一」等云云、釈迦如来・弥勒菩薩・須梨耶蘇摩(しゅりやそま)三蔵・羅什三蔵・僧肇(そうじょう)法師・安然和尚・慧心の先徳等の心ならば日本国は純に法華経の機なり。一句・一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし、有縁の法なるが故なり。たとへばくろかねを磁石のすうが如し・方諸の水をまねくににたり、念仏等の余善は無縁の国なり・磁石のかねをすわず方諸の水をまねかざるが如し。

故に安然の釈に云く「如(もし)実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん」等云云。此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさずくるもの我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり。されば法は必ず国をかんがみて弘むべし。彼の国によかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず是四。

又仏法流布の国においても前後を勘うべし。仏法を弘むる習い必ずさきに弘めける法の様を知るべきなり。
例せば病人に薬をあたふるにはさきに服したる薬の様を知るべし、薬と薬とがゆき合いてあらそひをなし人をそんずる事あり、仏法と仏法とがゆき合いてあらそひをなして人を損ずる事のあるなり、さきに外道の法弘まれる国ならば仏法を・もつて・これをやぶるべし。仏の印度にいでて外道をやぶり・まとうか(摩騰迦)・ぢくほうらん(竺法蘭)の震旦に来つて道士をせめ、上宮太子・和国に生れて守屋をきりしが如し。仏教においても小乗の弘まれる国をば大乗経をもつてやぶるべし、無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し、権大乗の弘まれる国をば実大乗をもつて・これをやぶるべし、天台智者大師の南三・北七をやぶりしが如し、而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばひの四衆・皆法華経の機と定りぬ。善人・悪人・有智・無智・皆五十展転の功徳をそなふ、たとへば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如し、而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして珠に似たる石をもつて珠を投させ、石をとらせたるなり、止観の五に云く「瓦礫を貴んで明珠なりと申す」は是なり、一切衆生石をにぎりて珠とおもふ、念仏を申して法華経をすてたる是なり。此の事をば申せば還つてはらをたち法華経の行者をのりて・ことに無間の業をますなり是五。

但、とのはこのぎをきこしめして念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん、法華経をすてて念仏者とならせ給はんは峯の石の谷へころび、空の雨の地におつると・おぼせ大阿鼻地獄疑なし、大通結縁の者の三千塵点劫を、久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故なり。一家の人人・念仏者にてましましげに候いしかば、さだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん。我が信じたる事なればそれも道理にては候へども・悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人人なりと・おぼして・大信心を起し御用いあるべからず、大悪魔は貴き僧となり父母・兄弟等につきて人の後世をば障(さわ)るなり。いかに申すとも法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用いあるべからず、まづ御きやうさくあるべし。

念仏実に往生すべき証文つよくば此の十二年が間、念仏者・無間地獄と申すをばいかなるところへ申しいだしても、つめずして候べきか。よくよくゆはき事なり、法然・善導等が・かきをきて候ほどの法門は、日蓮らは十七八の時よりしりて候いき。このごろの人の申すもこれにすぎず、結句は法門はかなわずしてよせてたたかひにし候なり。念仏者は数千万かたうど多く候なり、日蓮は唯一人、かたうどは一人もこれなし、今までもいきて候はふかしぎなり、今年も十一月十一日安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉(さるとり)の時、数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にあふものは・わづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん、うちもらされて・いままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候へ。

第四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」、第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経よみ学する人これ多し、人の妻をねらひ・ぬすみ等にて打はらるる人は多けれども・法華経の故にあやまたるる人は一人もなし、されば日本国の持経者は・いまだ此の経文にはあわせ給はず、唯日蓮一人こそよみはべれ、我不愛身命但惜無上道是なり、されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

もし・さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし。日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事は候はじ、但一度は念仏・一度は法華経となへつ・二心ましまし人の聞(きこえ)にはばかりなんど・だにも候はば、よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ、後にうらみさせ給うな、但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候はば・あはれ・とくとく見参してみづから申しひらかばや。語はふみにつくさず・ふみは心をつくしがたく候へばとどめ候いぬ、恐恐謹言。
     
文永元年十二月十三日      日 蓮 花押
南条七郎殿


【妙法蓮華経 勧持品第十三】
 濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我
 我等敬信仏 当著忍辱鎧 為説是経故 忍此諸難事
 我不愛身命 但惜無上道
[和訳]
 濁劫の悪世の中には、諸々の恐ろしき事多く有りなん、悪鬼が其の身に入り 我(法華経の行者)を罵詈(めり)し毀辱(きにく)せんも、
 我らは仏を敬い信ずる故に、当に忍辱の鎧(よろい)を著るべし。 是の経を説く為に、此の諸々の難事を忍ばん。
 我は身命を愛せず(惜しむことなく)、但、無上道(仏道)を惜しむなり。

by johsei1129 | 2019-08-31 21:18 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

日本一洲は印度震旦には似ず一向純円の機なり、恐くは霊山八年の機の如し、と説いた【当世念仏者無 間地獄事】

【当世念仏者無間地獄事】
■出筆時期:文永元年(1264)九月二十二日。四十三歳御作
■出筆場所:安房の蓮華寺にて。
■出筆の経緯:文永元年の秋、大聖人は御母の病気見舞いのため故郷安房に帰られます。
 本書はその時期に布教の拠点としていた安房の蓮華寺で浄円房に対して認められておられます。浄円房については『清澄寺大衆中』で「安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて」と記されており、清澄寺と関連の深い蓮華寺の住僧と思われます。

大聖人は本書後段で「日本国に於ては外道も無く小乗の機も無く唯大乗の機のみ有り、大乗に於ても法華よりの外の機無し<中略>日本一洲は印度震旦には似ず一向純円の機なり、恐くは霊山八年の機の如し、之を以て之を思うに浄土の三師は震旦・権大乗の機に超えじ、法然に於ては純円の機・純円の教・純円の国を知らず」と断じ、浄土宗の開祖法然は、純円つまり法華経の機・教・国を知らない僧であると看破しております。
■ご真筆:現存しておりません。

【当世念仏者無間地獄事 本文】
安房の国・長狭郡・東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす、文永元年甲子九月二十二日。

問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり、問うて云く其の選択の意如何、答えて曰く後鳥羽院の治天下・建仁年中に日本国に一の彗星出でたり、名けて源空法然と曰う、選択一巻を記して六十余紙に及べり、科段を十六に分つ第一段の意は道綽禅師の安楽集に依つて聖道浄土の名目を立つ、其の聖道門とは浄土の三部経等を除いて自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目阿弥陀仏より已外の諸仏・菩薩・朝家御帰依の真言等の八宗の名目之を挙げて聖道門と名く、此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も末法に入つて之を行ぜん者は一人も生死を離る可からずと云云、又曇鸞法師の往生論註に依つて難易の二行を立つ第二段の意は善導和尚の五部九巻の書に依つて正雑二行を立つ、其の雑行とは道綽の聖道門の料簡の如し、又此の雑行は末法に入つては往生を得る者の千中に一も無きなり、下の十四段には或は聖道・難行・雑行をば小善根・随他意・有上功徳等と名け念仏等を以ては大善根・随自意・無上功徳等と名けて、念仏に対して末代の凡夫此れを捨てよ此の門を閉じよ之を閣(さしお)けよ之を抛(なげう)てよ等の四字を以て之を制止す、而て日本国中の無智の道俗を始めて大風に草木の従うが如く皆此の義に随つて忽に法華真言等に随喜の意を止め建立の思を廃す、而る間人毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱え或は毎日三万遍・六万遍・十万遍・四十八万遍・百万遍等唱る間又他の善根も無く念仏堂を造ること稲麻竹葦(とうまちくい)の如く、結句は法華真言等の智者とおぼしき人人も皆或は帰依を受けんが為に或は往生極楽の為に皆本宗を捨てて念仏者と成り或は本宗にして念仏の法門を仰げるなり。

今云く日本国中の四衆の人人は形は異り替ると雖も意根は皆一法を行じて悉く西方の往生を期す、仏法繁昌の国と見えたる処に一の大なる疑を発する事は念仏宗の亀鏡と仰ぐ可き智者達・念仏宗の大檀那と為る大名・小名並びに有徳の者多分は臨終思う如くならざるの由之を聞き之を見る、而るに善導和尚・十即十生と定め十遍乃至一生の間・念仏者は一人も漏れず往生を遂ぐ可しと見えたり人の臨終と善導の釈とは水火なり。

爰に念仏者会して云く往生に四つ有り、一には意念往生・般舟三昧経に出でたり、二には正念往生・阿弥陀経に出でたり、三には無記往生・群疑論に出でたり、四には狂乱往生・観経の下品下生に出でたり、詰つて曰く此の中の意・正の二は且く之を置く無記往生は何れの経論に依つて懐感禅師・之を書けるや、経論に之無くば信用取り難し、第四の狂乱往生とは引証は観経の下品下生の文なり、第一に悪人臨終の時妙法を覚れる善知識に値つて覚る所の諸法実相を説かしめて之を聞く者正念存し難く十悪・五逆・具諸不善の苦に逼(せ)め被(ら)れて覚ることを得ざれば善知識実相の初門と為る故に称名して阿弥陀仏を念ぜよと云うに音を揚げて唱え了んぬ、此れは苦痛に堪え難くして正念を失う狂乱の者に非るか、狂乱の者争か十念を唱う可き、例せば正念往生の所摂なり全く狂乱の往生には例す可からず、而るに汝等が本師と仰ぐ所の善導和尚は此の文を受けて転教口称とは云えども狂乱往生とは云わず、其の上汝等が昼夜十二時に祈る所の願文に云く願くは弟子等命終の時に臨んで心顛倒せず心錯乱せず心失念せず身心諸の苦痛無く身心快楽禅定に入るが如し等云云、此の中に錯乱とは狂乱か而るに十悪五逆を作らざる当世の念仏の上人達並に大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病並に臨終の狂乱は意を得ざる事なり、

而るに善導和尚の十即十生と定め又定得往生等の釈の如きは疑無きの処に十人に九人往生すと雖も一人往生せざれば猶不審発る可し、何に況や念仏宗の長者為る善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等・皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る、其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず、善導和尚の定むる所の十即十生は闕(か)けて嫌える所の千中無一と成んぬ、千中無一と定められし法華・真言の行者は粗ぼ臨終の正念なる由之を聞けり、念仏の法門に於ては正像末の中には末法に殊に流布す可し、利根・鈍根・善人・悪人・持戒破戒等の中には鈍根・悪人・破戒等殊に往生す可しと見えたり、故に道綽禅師は唯有浄土一門と書かれ、善導和尚は十即十生と定め往生要集には濁世末代の目足と云えり、念仏は時機已に叶えり行ぜん者空しかる可からざるの処に是くの如きの相違は大なる疑なり、若し之に依つて本願を疑わば仏説を疑うに成んぬ進退惟谷(これきわま)れり此の疑を以て念仏宗の先達並びに聖道の先達に之を尋るに一人として答うる人之れ無し、

念仏者救うて云く、汝は法然上人の捨閉閣抛の四字を謗法と過むるか汝が小智の及ばざる所なり、故に上人此の四字を私に之を書くと思えるか、源(もと)曇鸞・道綽・善導の三師の釈より之を出したり、三師の釈又私に非ず、源浄土の三部経・竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出ず、雙観経の上巻に云く設い我仏を得乃至十念等と云云、第十九の願に云く設い我仏を得て諸の功徳を修め菩提心を発す等と云云、下巻に云く乃至一念等と云云、第十八の願成就の文なり、又下巻に云く「其の上輩者○一向専念・其中輩者○一向専念・其下輩者○一向専念」と云云、

此れは十九願成就の文なり、観無量寿経に云く「仏阿難に告ぐ汝好く是の語を持て是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」等と云云、阿弥陀経に云く小善根を以てす可からず乃至一日七日等と云云、先ず雙観経の意は念仏往生・諸行往生と説けども一向専念と云つて諸行往生を捨て了んぬ、故に弥勒の付属には一向に念仏を付属し了んぬ、観無量寿経の十六観も上の十五の観は諸行往生、下輩一観の三品は念仏往生なり、仏・阿難尊者に念仏を付属するは諸行を捨つる意なり、阿弥陀経には雙観経の諸行・観無量寿経の前十五観を束ねて小善根と名け往生を得ざるの法と定め畢んぬ、雙観経の念仏をば無上功徳と名けて弥勒に付属し、観経念仏をば芬陀利華(ふんだりけ)と名けて阿難に付属し、阿弥陀経の念仏をば大善根と名けて舎利弗に付属す、終の付属は一経の肝心を付属するなり又一経の名を付属するなり、三部経には諸の善根多しと雖も其の中に念仏最なり、故に題目には無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等と云えり、釈摩訶衍論(まかえんろん)・法華論等の論を以て之れを勘うるに一切経の初には必ず南無の二字有り、梵本を以て之を言わば三部経の題目には南無之れ有り、雙観経の修諸の二字に念仏より外の八万聖教残る可からず、

観無量寿経の三福九品等の読誦大乗の一句に一切経残る可からず、阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根の語に法華経等漏る可きや、総じて浄土の三部経の意は行者の意楽に随わんが為に暫く諸行を挙ぐと雖も、再び念仏に対する時は諸行の門を閉じて捨閉閣抛(しゃへいかくほう)する事顕然なり、例せば法華経を説かんが為に無量義経を説くの時に四十余年の経を捨てて法華の門を開くが如し、

竜樹菩薩十住毘婆沙論を造つて一代聖教を難易の二道に分てり、難行道とは三部経の外の諸行なり易行道とは念仏なり、経論此くの如く分明なりと雖も震旦の人師此の義を知らず唯善導一師のみ此の義を発得せり、所以に雙観経の三輩を観念法門に書いて云く「一切衆生・根性不同にして上中下有り其の根性に随つて仏皆無量寿仏の名を専念することを勧む」等云云、此の文の意は発菩提心・修諸功徳等の諸行は他力本願の念仏に値わざりし以前に修する事よと有りけるを忽に之を捨てよと云うとも行者用ゆ可からず故に暫く諸行を許すなり、実には念仏を離れて諸行を以て往生を遂ぐる者之無しと書きしなり、観無量寿経の仏告阿難等の文を善導の疏の四に之れを受けて曰く「上来に定散両門を説くと雖も仏の本願に望めば意衆生の一向に専ら阿弥陀の名を称するに在り」云云、定散とは八万の権実・顕密の諸経を尽して之を摂して念仏に対して之れを捨つるなり、善導の法事讃に阿弥陀経の大小善根の故を釈して云く「極楽は無為涅槃界なり随縁の雑善恐らくは生じ難し故に如来要法を選んで教えて弥陀専修を念ぜしむ」等と云云、諸師の中に三部経の意を得たる人は但導一人のみ、如来の三部経に於ては是くの如く有れども正法像法の時は根機猶利根の故に諸行往生の機も之有りけるか。

然るに機根衰えて末法と成る間・諸行の機漸く失い念仏の機と成れり、更に阿弥陀如来・善導和尚と生れて震旦に此の義を顕し、和尚日本に生れて初は叡山に入つて修行し後には叡山を出でて一向に専修念仏して三部経の意を顕し給いしなり、汝捨閉閣抛の四字を謗法と咎むる事未だ導和尚の釈並びに三部経の文を窺(うかが)わざるか、狗(いぬ)の雷を齧むが如く地獄の業を増す、汝知らずんば浄土家の智者に問え。

不審して云く上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救うか、実に浄土の三師並に竜樹菩薩・仏説により此の三部経の文を開くに念仏に対して諸行を傍と為す事粗経文に之見えたり、経文に嫌われし程の諸行念仏に対して之を嫌わんこと過む可きに非ず、但不審なる処は雙観経の念仏已外の諸行・観無量寿経の念仏以外の定散・阿弥陀経の念仏の外の小善根の中に法華・涅槃・大日経等の極大乗経を入れ念仏に対して不往生の善根ぞと仏の嫌わせ給いけるを竜樹菩薩・三師並に法然之を嫌わば何の失有らん、但三部経の小善根等の句に法華・涅槃・大日経等は入る可しとも覚えざれば三師並に法然の釈を用いざるなり、無量義経の如きは四十余年・未顕真実と説いて法華八箇年を除きて以前四十二年に説く所の大小・権実の諸経は一字一点も未顕真実の語に漏る可しとも覚えず、

しかのみならず四十二年の間に説く所の阿含・方等・般若・華厳の名目之を出だせり、既に大小の諸経を出して生滅無常を説ける諸の小乗経を阿含の句に摂し、三にして無差別の法門を説ける諸大乗経を華厳海空の句に摂し、十八空等を説ける諸大乗経を般若の句に摂し、弾呵の意を説ける諸大乗経を方等の句に摂す、是くの如く年限を指し経の題目を挙げ無量義経に依つて法華経に対して諸経を嫌い・嫌える所の諸経に依れる諸宗を下すこと天台大師の私に非ず、汝等が浄土の三部経の中には念仏に対して諸行を嫌う文は之有りとも嫌わるる諸行は浄土の三部経よりの外の五十年の諸経なりと云う現文は之無し、又無量義経の如く阿含・方等・般若・華厳等をも挙げず、誰か知る三部経には諸の小乗経並に歴劫修行の諸経等の諸行を仏・小善根と名け給うと云ふ事を、左右無く念仏よりの外の諸行を小善等と云えるを法華涅槃等の一代の教なりと打ち定めて捨閉閣抛の四字を置きては仏意にや乖(そむ)くらんと不審する計りなり、例せば王の所従には諸人の中・諸国の中の凡下等一人も残る可からず民が所従には諸人諸国の主は入る可からざるが如し、誠に浄土の三部経等が一代超過の経ならば五十年の諸経を嫌うも其の謂れ之有りなん、三部経の文より事起つて一代を摂す可しとは見えず、但一機一縁の小事なり何ぞ一代を摂して之を嫌わん、三師並に法然此の義を弁えずして諸行の中に法華・涅槃並に一代を摂して末代に於て之を行ぜん者は千中無一と定むるは近くは依経に背き遠くは仏意に違う者なり、但し竜樹の十住毘婆沙論の難行の中に法華真言等を入ると云うは論文に分明に之有りや、設い論文に之有りとも慥(たしか)なる経文之無くば不審の内なり、竜樹菩薩は権大乗の論師為りし時の論なるか、又訳者の入れたるかと意得可し、

其の故は仏は無量義経に四十余年は難行道・無量義経は易行道と定め給う事金口の明鏡なり、竜樹菩薩仏の記文に当つて出世して諸経の意を演ぶ、豈仏説なる難易の二道を破つて私に難易の二道を立てんや、随つて十住毘婆沙論の一部始中終を開くに全く法華経を難行の中に入れたる文之無く只華厳経の十地を釈するに第二地に至り畢つて宣べず、又此の論に諸経の歴劫修行の旨を挙ぐるに菩薩難行道に堕し二乗地に堕して永不成仏の思を成す由見えたり法華已前の論なる事疑無し、竜樹菩薩の意を知らずして此の論の難行の中に法華真言を入れたりと料簡するか、浄土の三師に於ては書釈を見るに難行・雑行・聖道の中に法華経を入れたる意粗之有り、然りと雖も法然が如き放言の事之無し、しかのみならず仏法を弘めん輩は教機時国教法流布の前後をかんがふ可きか。

如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる、時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る、法華経の流通並に涅槃経には実教を前とし権教を後とす可きの由見えたり、在世には実を隠して権を前にす滅後には実を前として権を後と為す可き道理顕然なり、然りと雖も天竺国には正法一千年の間は外道有り、一向小乗の国有り、又一向大乗の国有り、又大小兼学の国有り、漢土に仏法渡つても又天竺の如し、

日本国に於ては外道も無く小乗の機も無く唯大乗の機のみ有り、大乗に於ても法華よりの外の機無し、
但し仏法日本に渡り始めし時暫く小乗の三宗・権大乗の三宗を弘むと雖も桓武の御宇に伝教大師の御時六宗情を破つて天台宗と成りぬ、倶舎・成実・律の三宗の学者も彼の教の如く七賢三道を経て見思を断じ二乗と成らんとは思わず、只彼の宗を習つて大乗の初門と為し彼の極を得んとは思わず、権大乗の三宗を習える者も五性各別等の宗義を捨てて一念三千・五輪等の妙観を窺う、大小・権実を知らざる在家の檀那等も一向に法華真言の学者の教に随つて之を供養する間・日本一洲は印度震旦には似ず一向純円の機なり、恐くは霊山八年の機の如し、之を以て之を思うに浄土の三師は震旦・権大乗の機に超えじ、
法然に於ては純円の機・純円の教・純円の国を知らず、権大乗の一分為る観経等の念仏、権実をも弁えざる震旦の三師の釈之を以て此の国に流布せしめ実機に権法を授け、純円の国を権教の国と成し醍醐(だいご)を嘗(な)むる者に蘇味(そみ)を与うるの失誠に甚だ多し。

日蓮 花押




by johsei1129 | 2019-08-31 20:51 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

我が所説の経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法 華経最も為れ難信難解なり、と説いた【法華真言勝劣事】

【法華真言勝劣事】
■出筆時期:文永元年(1264)七月二十九日 四十三歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は日蓮大聖人門下の弟子・信徒の教化のため、法華経と真言の勝劣について、法論形式で詳細に論じた法門です。
 大聖人は真言には法華経に説かれている二乗作仏、久遠実成が説かれていないと示すとともに、法華経法師品第十を引いて「我が所説の経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等と云云、此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり」と断じておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【法華真言勝劣事 本文】

 東寺の弘法大師空海の所立に云く法華経は猶華厳経に劣れり何に況や大日経等に於いてをやと云云、慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然和尚等の云く法華経の理は大日経に同じ印と真言との事に於ては是れ猶劣れるなりと云云其の所釈は余処に之を出す。空海は大日経・菩提心論等に依つて十住心を立てて顕密の勝劣を判ず、其の中に第六に他縁大乗心は法相宗・第七に覚心不生心は三論宗・第八に如実一道心は天台宗・第九に極無自性心は華厳宗・第十に秘密荘厳心は真言宗なり、此の所立の次第は浅き従り深きに至る其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云えり、然るに出す所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに名目は経文に之有り然りと雖も他縁・覚心・極無自性の三句を法相・三論・華厳に配する名目は之無し、其の上覚心不生と極無自性との中間に如実一道の文義共に之無し、但し此の品の初に「云何なるか菩提・謂く如実に自心を知る」等の文之有り、此の文を取つて此の二句の中間に置いて天台宗と名づけ華厳宗に劣るの由之を存す、住心品に於ては全く文義共に之無し、有文有義・無文有義の二句を虧(か)く信用に及ばず、菩提心論の文に於ても法華・華厳の勝劣都て之を見ざる上、此の論は竜猛菩薩の論と云う事上古より諍論(じょうろん)之れ有り、此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪義の法に背く、其の上善無畏・金剛智等評定有つて大日経の疏義釈を作れり一行阿闍梨の執筆なり、此の疏義釈の中に諸宗の勝劣を判ずるに法華経と大日経とは広略の異なりと定め畢んぬ、空海の徳貴しと雖も争か先師の義に背く可きやと云う難此れ強し此れ安然の難なり、之に依つて空海の門人之を陳ずるに旁(かたがた)陳答之有り、或は守護経或は六波羅蜜経或は楞伽経(りょうがきょう)或は金剛頂経等に見ゆと多く会通すれども総じて難勢を免れず、然りと雖も東寺の末学等大師の高徳を恐るるの間強ちに会通を加えんとすれども結句会通の術計之無く問答の法に背いて伝教大師最澄は弘法大師の弟子なりと云云、又宗論の甲乙等旁論ずる事之有りと云云。

 日蓮案じて云く華厳宗の杜順・智厳・法蔵等・法華経の始見今見の文に就いて法華・華厳・斉等の義之を存す、其の後澄観始今の文に依つて斉等の義を存すること祖師に違せず其の上一往の弁を加えて法華と華厳と斉等なりと云えり、但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賤の凡夫等・根機未熟の故に之を用いず、阿含・方等・般若等の調熟に依つて還つて華厳経に入らしむ此れを今見の法華経と名づく、大陣を破るに余残堅からざる等の如し、然れば実に華厳経法華経に勝れたり等と云云、本朝に於て勤操等に値いて此の義を習学す、後に天台真言を学すと雖も旧執改まらざるが故に此の義を存するか、何に況や華厳経法華経に勝るの由は陳隋より已前・南三・北七皆此の義を存す、天台已後も又諸宗此の義を存せり但だ弘法一人に非ざるか、但し澄観始見今見の文に依つて華厳経は法華経より勝ると料簡する才覚に於ては天台智者大師涅槃経の「是経出世乃至如法華中」等の文に依つて法華涅槃斉等の義を存するのみに非ず又勝劣の義を存するは此の才覚を学びて此の義を存するか此の義若し僻案ならば空海の義も又僻見なる可きなり、天台真言の書に云く法華経と大日経とは広略の異なり略とは法華経なり、大日経と斉等の理なりと雖も印真言之を略する故なり、広とは大日経なり極理を説くのみに非ず印真言をも説く故なり、又法華経と大日経とに同劣の二義有り、謂く理同事劣なり、又二義有り一には大日経は五時の摂なり是れ与の義なり、二には大日経は五時の摂に非ず是れ奪の義なり、又云く法華経は譬えば裸形(らぎょう)の猛者(もさ)の如し大日経は甲冑を帯せる猛者なり等と云云、又云く印真言無きは其の仏を知る可からず等と云云。

 日蓮不審して云く何を以て之を知る、理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚・智証等の所釈に依るなり。
 求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義・論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥(たしか)に経文を出す可し、若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経・瑜祇経(ゆぎきょう)・観智儀軌等なり、文は口伝す可し、
 
 問うて云く法華経に印・真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言・印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや、文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家・訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。

 私に日蓮云く威儀形色経・瑜祇経等の文の如くば仏説に於ては法華経に印真言有るか、若し爾らば経家・訳者之を略せるが、六波羅蜜経の如きは経家之を略す、旧訳の仁王経の如きは訳者之を略せるか、若し爾らば天台真言の理同事異の釈は経家並に訳者の時より法華経・大日経の勝劣なり、全く仏説の勝劣に非ず此れ天台真言の極なり、天台宗の義勢才覚の為に此の義を難ず、天台真言の僻見此くの如し、東寺所立の義勢は且く之を置く僻見眼前の故なり、抑天台真言宗の所立・理同事勝に二難有り、一には法華経と大日経と理同の義其の文全く之無し、法華経と大日経と先後如何、既に義釈に二経の前後之を定め畢つて法華経は先き大日経は後なりと云へり、若し爾らば大日経は法華経の重説なる流通なり、一法を両度之を説くが故なり若し所立の如くば法華経の理を重ねて之を説くを大日経と云う、然れば則ち法華経と大日経と敵論の時は大日経の理之を奪つて法華経に付く可し、但し大日経の得分は但印真言計りなり、印契は身業・真言は口業(くごう)なり、身口のみにして意無くば印・真言有る可からず、手口等を奪つて法華経に付けなば手無くして印を結び口無くして真言を誦せば虚空に印真言を誦結す可きか如何、裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬の事、裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざるとは何れが勝るるや、又猛者は法華経なり甲冑は大日経なり、猛者無くんば甲冑何の詮か之有らん此れは理同の義を難ずるなり、次に事勝の義を難ぜば法華経には印・真言無く大日経には印真言之有りと云云、印契真言の有無に付て二経の勝劣を定むるに大日経に印真言有つて法華経に之無き故に劣ると云わば、阿含経には世界建立・賢聖の地位是れ分明なり、大日経には之無し、彼の経に有る事が此の経に無きを以て勝劣を判ぜば大日経は阿含経より劣るか、雙観経等には四十八願是れ分明なり大日経に之無し、般若経には十八空是れ分明なり大日経には之無し、此等の諸経に劣ると云う可きか、又印・真言無くんば仏を知る可からず等と云云、今反詰して云く理無くんば仏有る可からず仏無くんば印契真言・一切徒然と成るべし。

 彼難じて云く賢聖並に四十八願等をば印真言に対す可からず等と云云。今反詰して云く最上の印真言之無くば法華経は大日経等よりも劣るか、若し爾らば法華経には二乗作仏・久遠実成之有り大日経には之無し印真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり、諸経に印真言を簡(きら)わざるに大日経に之を説いて何の詮か有る可きや、二乗若し灰断の執を改めずんば印真言も無用なり、一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡い随つて大日経にも之を隔つ、皆成仏までこそ無からめ三分が二之を捨て百分が六十余分得道せずんば仏の大悲何かせん、凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には何の不足か有る可き、成仏に於ては瘂(あ)なる仏・中風の覚者は之有る可からず、之を以て案ずるに印真言は規模無きか、又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず、本無今有の失有れば大日如来は有名無実なり、寿量品に此の旨を顕す釈尊は天の一月・諸仏菩薩は万水に浮べる影なりと見えたり、委細の旨は且く之を置く。

又印・真言無くんば祈祷有る可からずと云云、是れ又以ての外の僻見(びゃっけん)なり、過去現在の諸仏・法華経を離れて成仏す可からず法華経を以て正覚を成じ給う、法華経の行者を捨て給わば諸仏還つて凡夫と成り給うべし恩を知らざる故なり、又未来の諸仏の中の二乗も法華経を離れては永く枯木敗種なり、今は再生の華果なり、他経の行者と相論を為す時は華光如来・光明如来等は何れの方に付く可きや、華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天・乃至四悪趣等の衆は皆法華経に於て一念三千・久遠実成の説を聞いて正覚を成ず可し、何れの方に付く可きや、真言宗等と外道並に小乗・権大乗の行者等と敵対相論を為すの時は甲乙知り難し、法華経の行者に対する時は竜と虎と師子と兎との闘いの如く諍論分絶えたる者なり、慧亮脳(えりょうのう)を破りし時・次第位に即き相応加持する時・真済(しんぜい)の悪霊伏せらるる等是なり、一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是なり、問うて云く義釈の意は法華経・大日経共に二乗作仏・久遠実成を明かすや如何、答えて云く共に之を明かす、義釈に云く「此の経の心の実相は彼の経の諸法実相なり」と云云、又云く「本初は是れ寿量の義なり」等と云云。

 問うて云く華厳宗の義に云く華厳経には二乗作仏・久遠実成之を明かす、天台宗は之を許さず、宗論は且く之を置く人師を捨てて本経を存せば華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文之有りと雖も実には之無し、之を以て之を思うに義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何、答えて云く華厳経の如く相似の文之有りと雖も実義之無きか、私に云く二乗作仏無くば四弘誓願満足す可からず、四弘誓願満たずんば又別願も満す可からず、総別の二願満せずんば衆生の成仏も有り難きか能く能く意得可し云云。

 問うて云く大日経の疏に云く大日如来は無始無終なり、遥に五百塵点に勝れたりと如何、答う毘廬遮那の無始無終なる事華厳・浄名・般若等の諸大乗経に之を説く独り大日経のみに非ず、問うて云く若し爾らば五百塵点は際限有れば有始有終なり無始無終は際限無し、然れば則ち法華経は諸経に破せらるるか如何、答えて云く他宗の人は此の義を存す天台一家に於て此の難を会通(えつう)する者有り難きか、今大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり三身の無始無終に非ず、法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破りたる五百塵点なり、大日経等の諸大乗経には全く此の義無し、宝塔の涌現・地涌の涌出・弥勒の疑・寿量品の初の三誡四請・弥勒菩薩・領解の文に「仏希有の法を説きたもう昔より未だ曾つて聞かざる所なり」等の文是なり、大日経六巻並に供養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に未だ三止四請・三誡四請・二乗の劫国名号・難信難解等の文を見ず。

 問うて云く五乗の真言如何、答う未だ二乗の真言を知らず四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり、又法身平等に会すること有らんや。

 問うて云く慈覚・智証等・理同事勝の義を存す争か此等の大師等に過ぎんや、答えて云く人を以て人を難ずるは仏の誡(かい)なり何ぞ汝・仏の制誡に違背するや但経文を以て勝劣の義を存す可し、難じて云く末学の身として祖師の言に背かば之を難ぜざらんや、答う末学の祖師に違する之を難ぜば何ぞ智証慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之を難ぜざるや、問うて云く相違如何、答えて云く天台妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之れ有る可からず、若し法華経に勝れたる経之有りといわば一宗の宗義之を壊る可きの由之を存す、若し大日経・法華経に勝るといわば天台妙楽の宗義忽に破る可きをや。

 問うて云く天台妙楽の已今当の宗義証拠経文に有りや、答えて云く之れ有り法華経法師品に云く「我が所説の経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等と云云、此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり、難じて云く真言師の云く法華経は釈迦所説の一切経の中に第一なり、大日経は大日如来所説の経なりと、答えて云く釈迦如来より外に大日如来閻浮提に於て八相成道して大日経を説けるか是一、六波羅蜜経に云く過去現在並に釈迦牟尼仏の所説の諸経を分ちて五蔵と為し其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なりと、真言の経・釈迦如来の所説に非ずといわば経文に違す是二、「我所説経典」等の文は釈迦如来の正直捨方便の説なり大日如来の証明分身の諸仏広長舌相の経文なり是三、五仏の章・尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給う是四、「要を以て之を言わば・如来の一切の所有の法・乃至皆此の経に於て宣示顕説す」等と云云、此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず、大日如来・十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり、此の外一仏二仏の所説の諸経の中に法華経に勝れたるの経之有りと云わば信用す可からず是五、大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の経文之れ無し是六、仏より外の天竺・震旦・日本国の論師・人師の中に天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目之無し、若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義之無くんば仏菩薩の普現色身・不動愛染等の降伏の形・十界の曼荼羅・三十七尊等・本無今有の外道の法に同じきか是七。

 問うて云く七義の中に一一の難勢之有り然りと雖も六義は且く之を置く第七の義如何、華厳の澄観・真言の一行等・皆性悪の義を存す何ぞ諸宗に此の義無しと云うや、答えて云く華厳の澄観・真言の一行は天台所立の義を盗んで自宗の義と成すか、此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛(ただ)る、人情を以て彼の大虚(たいこ)を局(かざ)ること莫(なか)れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳・般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙ここに於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦・長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三・北七並に華厳・法相・三論・東寺の弘法等・舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く、之を置く慈覚・智証等の親(まのあた)り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に存り云云。

文永元年甲子七月二十九日之を記す。日 蓮 花 押



by johsei1129 | 2019-08-31 20:29 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品であると説いた書【月水御書】三

[月水御書 本文]その三

 予が愚見をもつて近来の世間を見るに多くは在家・出家・誹謗の者のみあり、但し御不審の事・法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出しても・あそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財(たから)の備わるが如し、寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり、薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども提婆品は方便品の枝葉・薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時・御いとまの・ひまに・あそばすべく候

 又御消息の状に云く日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば日ごとにし候が、例の事に成つて候程は御経をばよみまいらせ候はず、拝しまいらせ候事も一乗妙典と申し候事も・そらにし候は苦しかるまじくや候らん、それも例の事の日数の程は叶うまじくや候らん、いく日ばかりにて・よみまいらせ候はんずる等と云云、此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給い候御事にて侍り、又古へも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども一代聖教にさして説かれたる処のなきかの故に証文分明に出したる人もおはせず、日蓮粗聖教を見候にも酒肉・五辛 ・婬事なんどの様に不浄を分明に月日をさして禁めたる様に月水をいみたる経論を未だ勘へず候なり、在世の時多く盛んの女人・尼になり仏法を行ぜしかども月水の時と申して嫌はれたる事なし、是をもつて推し量り侍るに月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず、只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき理(ことわり)にや、又長病の様なる物なり例せば屎尿(しにょう)なんどは人の身より出れども能く浄くなしぬれば別にいみもなし是体に侍る事か。

 されば印度・尸那なんどにも・いたくいむよしも聞えず、但し日本国は神国なり此の国の習として仏・菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに・是をそむけば現に当罰あり、委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼(ずいほうびに)と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり、此の由を知ざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり、若し然らば此の国の明神・多分は此の月水をいませ給へり、生を此の国にうけん人人は大に忌み給うべきか、但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か、元より法華経を信ぜざる様なる人人が経をいかにしても云いうとめんと思うが・さすがに・ただちに経を捨てよとは云いえずして、身の不浄なんどにつけて法華経を遠ざからしめんと思う程に、又不浄の時・此れを行ずれば経を愚かにしまいらする・なんど・おどして罪を得させ候なり、此の事をば一切御心得候て月水の御時は七日までも其の気の有らん程は御経をば・よませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし、又不慮に臨終なんどの近づき候はんには魚鳥なんどを服せさせ給うても候へ、よみぬべくば経をもよみ及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし、又月水なんどは申すに及び候はず又南無一乗妙典と唱えさせ給う事是れ同じ事には侍れども天親菩薩・天台大師等の唱えさせ給い候しが如く・只南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべきか、是れ子細ありてかくの如くは申し候なり、穴賢穴賢。

文永元年甲子四月十七日                              日蓮花押

大学三郎殿御内御報

[月水御書 本文] 完

by johsei1129 | 2019-08-31 20:11 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品であると説いた書【月水御書i二

[月水御書 本文]その二

 されば此の御消息を拝し候へば優曇華(うどんげ)を見たる眼よりもめづらしく・一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏(すくな)き事かなと・心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・はげみ候へども只恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすが如く短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、然りと云えども貴命もだすべきにあらず一滴を江海に加へ爝火(しゃっか)を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、先(まず)法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす、百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、乃至万億の字も又万億の滴珠の如し、諸経・諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、一滴に無量の水を備えず一石に無数の石の徳をそなへもたず、若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ只御信用の御坐さん品こそ・めづらしくは候へ。

 総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候、随つて論師・人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上・多宝仏・大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と証明を加へ十方の諸仏・皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも妄語なるまじきよし助成をそへ給へり、譬えば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し、若し法華経の一字をも唱えん男女等・十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも・大地は反覆する事はありとも・大海の潮はみちひぬ事はありとも、破(われ)たる石は合うとも江河の水は大海に入らずとも・法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず、若し法華経を信じたる女人・物をねたむ故・腹のあしきゆへ・貪欲の深きゆへなんどに引れて悪道に堕つるならば・釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏・無量曠劫(こうごう)よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて調達(ちょうだつ)が虚誑罪にも勝れ瞿伽利(くぎゃり)が大妄語にも超えたらん争か・しかるべきや。

 法華経を持つ人・憑(たのも)しく有りがたし、但し一生が間・一悪をも犯さず・五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち・一切経をそらに浮べ・一切の諸仏・菩薩を供養し無量の善根をつませ給うとも、法華経計りを御信用なく又御信用はありとも諸経・諸仏にも並べて思し食し・又並べて思し食さずとも他の善根をば隙(ひま)なく行じて時時・法華経を行じ・法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さずば・一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし、十悪・五逆を造れる者なれども法華経に背く事なければ往生成仏は疑なき事に侍り、一切経をたもち諸仏・菩薩を信じたる持戒の人なれども法華経を用る事無ければ悪道に堕つる事疑なしと見えたり。

 
[月水御書 本文]その三に続く


by johsei1129 | 2019-08-31 20:08 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 31日

法華経二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品であると説いた書【月水御書】一

【月水御書(がっすいごしょ】
■出筆時期:文永元年四月十七日(西暦1264年) 四十三歳御作
 鎌倉に住んでいた比企大学三郎熊本の夫人に与えられた書。
■出筆場所:鎌倉
■出筆の経緯:大学三郎の夫人が「法華経一部読誦と一品読誦とは、どちらが正しいのか」また「月水(月経)時における修行は、どうするのが良いか」との質問に答えられるため、本書を認められました。
尚、大学三郎は京都で儒学を習学、順徳天皇に仕えた後鎌倉へ下り、儒官として幕府に仕えた。大聖人が『立正安国論』を北条時頼に提出される際、大学三郎に見せられており、この事を縁として大学三郎は大聖人に帰依する。晩年、大学三郎は自分の邸宅なげうって本行院を建立し自身も出家、自ら本行院日学と称した。婦人ともども大聖人への帰依の志しは生涯変わらず深かったと思われます。
■ご真筆: 現存していない。

[月水御書 本文]その一

与大学三郎妻 伝え承はる御消息の状に云く法華経を日ごとに一品づつ二十八日が間に一部をよみまいらせ候しが当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候、ただ・もとの様に一品づつを・よみまいらせ候べきやらんと云云、法華経は一日の所作に一部八巻・二十八品・或は一巻・或は一品・一偈・一句・一字・或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ・或は又一期の間に只一度となへ・或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し・或は又随喜する声を聞いて随喜し・是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事・二三歳の幼穉(ようち)の者のはかなきが如く・牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく・舎利弗・目連・文殊弥勒の如くなる人の諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも勝れたる事・百千万億倍なるべきよし・経文並に天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り、されば経文には「仏の智慧を以て多少を籌量(ちゅうりょう)すとも其の辺を得ず」と説かれて仏の御智慧すら此の人の功徳をば・しろしめさず、仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日・若しは二七日なんど・ふる雨の数をだにも・しろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり、何に況や我等逆罪の凡夫の此の功徳をしり候いなんや、然りと云えども如来滅後二千二百余年に及んで五濁さかりになりて年久し、事にふれて善なる事ありがたし、設ひ善を作(つくる)人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり、然るに如来の世に出でさせ給いて候し国よりしては二十万里の山海をへだてて東によれる日域辺土の小嶋にうまれ・五障の雲厚うして三従の・きづなに・つながれ給へる女人なんどの御身として法華経を御信用候は・ありがたしなんど・とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。

[月水御書 本文]その二に続く


by johsei1129 | 2019-08-31 20:02 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)