人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

<   2019年 02月 ( 49 )   > この月の画像一覧


2019年 02月 17日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(60)



第二十四 蓮華の二字礼拝住処の事
 
 御義口伝に云く、蓮華とは因果の二法なり。(注)

悪因あれば悪果を感じ、善因あれば善果を感ず。

内証には、汝等、三因仏性(注)の善因あり、事に顕す時は善果と成つて、皆当作仏(注)す可しと礼拝し給うなり云云。


蓮華とは因果の二法なり

妙法蓮華経の象徴でもある「蓮華」は、他の草木と異なり泥中に生育す。そして泥に染まる事無く、大輪の清浄な白蓮華を咲かせる。

妙法蓮華経ではこの泥を煩悩ととらえ、泥を養分として白蓮華を咲かせる姿を「煩悩(迷い)即菩提(悟り)」の原理の象徴として解き明かされている。

また妙法蓮華経は梵語では薩(sad)達磨(dharma)芬陀梨伽(puṇḍarīka)蘇多覧(sūtra)となる。

薩は正しい、優れたという意味だが法華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)は妙と訳した。釈尊がこの教え(法華経)は難信難解なんげと説いたことに基づくと、妙とは不可思議の意と考えられる。達磨は法で、芬陀梨伽(プンダリーカ)は白蓮華を意味する。スートラは経である。つまり妙法蓮華経とは白蓮華のような不思議な教えとなる。

 なぜ釈尊は白蓮華を妙法の象徴として用いたのか。白は清浄を意味し、貪とん・瞋じん・癡ちに犯されていないことを意味する。
 さらに蓮華は花が咲いている時に蓮根という実を同時に持つ。これは因果具時を象徴する。
 それでは、貪・瞋・癡の三毒に侵されず、煩悩即菩提、因果具時を備えた妙法そのものとは何か?
 
日蓮大聖人は御義口伝【序品七箇の大事】第四仏所護念の事で「法体に約するとは法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり」と断じられておられる。

 つまり妙法とは一切衆生に内在する仏性であり、それは慈悲心であり、大御本尊に南無(帰命)するとは、己(おのれ)自身の命に内在している仏性、つまり慈悲心を開くことを意味している。

三因仏性
大般涅槃経(だいはつねはんぎょう):略称(涅槃経)・獅子吼菩薩品に説かれている内容を、天台大師が体系化した成仏のための3つの要素。

正因仏性: 本性としてもとから衆生に具わっている仏性。
了因仏性: 衆生の生命に内在する仏性が、修行により開かれ、実際に発現したところの仏性。
縁因仏性: 仏性を開く為の縁及び修行法。

末法の御本仏日蓮大聖人の法門では、縁因仏性は日蓮大聖人がご図現なされた十界曼荼羅ご本尊に向かい、南無妙法蓮華経と唱える事に究竟される。













by johsei1129 | 2019-02-17 19:20 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 17日

Gosho 開目抄 下 Opening the Eyes. Part Two.

f0301354_21004768.jpg

 大聖人流罪の島、佐渡。Sado Island, Nichiren Daishonin was exiled here.


(それ)釈尊は娑婆(しゃば)に入り、()(じゅう)(しん)に入り、伝教は戸那(しな)に入り、(だい)()師子(しし)は身をすつ。

Shakyamuni Buddha appeared in the sahā world, Kumārajīva journeyed to the Ch’in dynasty in China, and Dengyō likewise went to China [all for the sake of the Lotus Sutra]. Āryadeva and Āryasimha sacrificed their bodies.

In the first place Shakyamuni Buddha appeared in the saha world, Kumrajiva entered the Ch'in dynasty of China, and Dengyou went to China. Aryadeva and Aryasimha bodhisattvas abandoned themselves for the Law.

薬王は(ひじ)をやく。上宮(じょうぐう)は手の皮をはぐ。

Bodhisattva Medicine King burned his arms as an offering, and Prince Jōgū stripped off the skin on his hand [and copied the sutra on it].

Bodhisattva Medicine King offered his elbow and burnt it for lighting the world, and Prince Jogu stripped off the skin of his hand for copying the sutra.

釈迦菩薩は肉をうる。楽法(ぎょうぼう)は骨を筆とす。

Shakyamuni, when he was a bodhisattva, sold his flesh to make offerings, and another time, when he was a bodhisattva named the ascetic Aspiration for the Law, he used one of his bones as a pen [to write down the Buddha’s teaching].

Shakyamuni, when he was a bodhisattva, offered his flesh to save the hawk which starved, and another time, when he was Gyobo bodhisattva, he used his own bone as a pen to write down the Buddha's teachings.

天台の云はく「(ちゃく)時而已(じにい)」等云々。

T’ien-t’ai has said that “the method chosen should be that which accords with the time”.

Tien-tai has said that “the propagation chosen is only accorded to the conditions of that time”.

仏法は時によるべし。

The propagation of the Buddhist teachings should follow the time.

The Buddha's Law depends on the conditions of respective time.

日蓮が流罪(るざい)は今生の小苦なれば、なげかしからず。

For what I have done, I have been condemned to exile, but it is a small suffering to undergo in this present life and not one worth lamenting.

The banishment to the island of me, Nichiren, is a small suffering in this present life and is not deplorable.

()(しょう)には大楽をうくべければ、おおいに悦ばし。

In future lives I will enjoy immense happiness, a thought that gives me great joy.

I am great joyful because in future lives I will enjoy big happiness!


本文 Original text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-17 08:46 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 16日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(59)



第二十三 無明礼拝住処の事

御義口伝に云く、自他の隔意を立て、彼は上慢の四衆、我は不軽と云う。

 不軽は善人、上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり。

此に立つて、礼拝の行を成す時、善悪不二・邪正一如(注)の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。



善悪不二・邪正一如

日蓮大聖人は【一念三千法門】で『善悪不二・邪正一如』について次のように説かれております。
『此の経は専ら聞を以て本と為す、凡(そ)此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡(えら)ばず、故に皆成仏道とも云ひ又平等大慧とも云う。
 善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す、故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生 妙覚と云ふ。
 義を知らざる人なれども唱ふれば、唯仏と仏と悦び給ふ、我即歓喜諸仏亦然云云。百千合せたる薬も口にのまざれば病愈(い)えず、蔵に宝を持ども開く事をしらずしてかつ(飢)へ、懐に薬を持(もち)ても飲まん事をしらずして死するが如し』

また【当体義抄(とうたいぎしょう)】では次のように解き明かされておられます。

『問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや。
答う、法性の妙理に染浄の二法有り、染法は熏じて迷と成り、浄法は熏じて悟と成る。悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり。
 
 此の迷悟の二法、二なりと雖も然も法性真如の一理なり、譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り、月輪に向えば水を取る、玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し。
 真如の妙理も亦復是くの如し。一妙真如の理なりと雖も、悪縁に遇えば迷と成り、善縁に遇えば悟と成る、悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり。
譬えば人、夢に種種の善悪の業を見、夢覚めて後に之を思えば、我が一心に見る所の夢なるが如し。
一心は法性真如の一理なり、夢の善悪は迷悟の無明法性なり、是くの如く意得れば、悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり』と。







by johsei1129 | 2019-02-16 22:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 16日

Gosho 開目抄 上 Opening the Eyes. Part One.

末法(まっぽう)の始め二百余年なり。

It is now over two hundred years since the Latter Day of the Law began.

It is now over two hundred years since the latter day of the Law began.

況滅(きょうめつ)度後(どご)しるし()闘諍(とうじょう)(ついで)となるべきゆへに、非理(ひり)(さき)として、(じょく)()しるし()に、()し合はせられずして、流罪(るざい)乃至(ないし)寿(いのち)にもおよばんとするなり。

The Buddha predicted that conditions would be much worse after his passing, and we see the portents of this in the quarrels and wranglings that go on today because unreasonable doctrines are prevalent. And as proof of the fact that we are living in a muddied age, I was not summoned for a doctrinal debate with my opponents, but instead I was sent into exile and my very life imperiled.

The Buddha predicted that future conditions would be much worse after his passing, and we see the portents of this in the combats and contestations that go on today because unreasonable doctrines are prevalent. And as proof of the fact that we are living in a foul era, I was not summoned for a debate with my opponents, instead I am to be banished or murdered.


つづく Continued


本文 Original Text 目次 Table of Content



by johsei1129 | 2019-02-16 12:51 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 15日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(58)



第二十二 法性礼拝住処の事

 御義口伝に云く、不軽菩薩、法性真如の三因仏性、南無妙法蓮華経の廿四字(注)に足立て、無明の上慢の四衆を拝するは、薀在衆生の仏性を礼拝するなり云云


本抄で日蓮大聖人は、不軽菩薩が法性真如の三因仏性たる妙法蓮華経の二十四字に立脚して、慢心の四衆(出家・俗の男女)を拝したのは、衆生の生命の奥底に内在(薀在)している仏性を礼拝したのである、と解き明かされております。

末法今日の衆生においては、末法の御本仏日蓮大聖人の魂を図現なされた十界曼荼羅の御本尊を拝する事を意味しております。

 日蓮大聖人は【経王殿御返事】で次のように説かれておられます。
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』と。


南無妙法蓮華経の廿四字とは、常不軽品の次の漢字24文字を意味します。
[原文]
我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏
[和訳]
我、深く汝らを敬い、敢えて軽慢せざらん。所以(ゆえん)は何ん、汝等は皆、菩薩の道を行じて、当に仏と作(な)ることを得ざればなり。

上記の文は、全ての衆生に仏性が内在していることを示しており、これは妙法蓮華経・方便品第二で釈尊が、仏がこの世に出現した由縁である「一大事因縁」で「開・示・吾・入」を解き明かしたことと同じ意味があり、この二十四文字を日蓮大聖人は【教行証御書】で次の様に「略法華経」と説かれておられます。

『過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を、一切衆生に向つて唱えしめしがごとし。彼の二十四字を聞きし者は、一人も無く亦不軽大士に値つて益を得たり。是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり。今も亦是くの如し、彼(不軽菩薩)は像法・此れ(日蓮)は濁悪の末法、彼は初随喜の行者、此れは名字の凡夫、彼は二十四字の下種、此れは唯五字(妙法蓮華経)なり。 得道の時節異なりと雖も、成仏の所詮は全体是れ同じかるべし』と。


上慢の四衆
方便品で釈尊の説法の座を退坐した増上慢の出家の男女(比丘、比丘尼)、俗(在家)の男女(優婆塞、優婆夷)






by johsei1129 | 2019-02-15 20:05 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 15日

Gosho 開目抄 下 Opening the Eyes. Part Two.

万難をすてゝ道心あらん者にしるしとゞめてみせん。

For those who earnestly seek the way, in spite of all difficulties, I will try to demonstrate what these passages mean.

Abandoning all difficulties, I wish to demonstrate it for people who earnestly ask faiths.

西王(せいおう)()その()もゝ()輪王出世の優曇華(うどんげ)よりもあいがたく、沛公(はいこう)項羽(こうう)と八年漢土(かんど)をあらそいし、(より)(とも)(むね)(もり)が七年(あき)津島(つしま)にたゝかひし、修羅(しゅら)帝釈(たいしゃく)と、金翅(こんじ)(ちょう)と竜王と()(のく)()(あらそ)へるも此れにはすぐべからずとしるべし。

But they must understand that the truth is more rarely met with than the peaches of immortality that grow in the garden of the Queen Mother of the West, or the udumbara flower that blooms only when a wheel-turning king appears. Moreover, the conflict [between Nichiren and the various schools] surpasses the eight years of warfare when the governor of P'ei and Hsiang Yü battled for the empire of China, the seven years when Yoritomo and Munemori fought for the islands of Japan, the struggles between Shakra and the asuras, or between the dragon king and the garuda birds at Anavatapta Lake.

You must understand that it is rare than the peaches that grow only once in 3000 years in the garden of the West Queen Mother, or the udumbara flower that blooms only when the sacred king of golden wheel appears. Moreover, the eight years that the duke of P'ei and Hsiang Yu battled for China. The seven years that Yoritomo and Munemori fought for the islands of Japan. The struggles between Shakra and the asuras. And the battle in the Anavatapta Lake between the dragon king and the grand golden bird. The degree of these fights cannot surpass my vehemence.

日本国に此の法(あら)はるゝこと二度なり。

The truth of the Lotus Sutra has made its appearance twice in the country of Japan.

This doctrine has appeared twice in the country of Japan.

伝教大師と日蓮となりとしれ。

You should understand that it appeared once with the Great Teacher Dengyō and again with Nichiren.

Should know that it depends on the Great Teacher Dengyou and Nichiren!


つづく Continued


本文 Original text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-15 06:36 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(57)




二十一 生老病死 礼拝住処の事  (注)


 御義口伝に云く、一切衆生、生老病死を厭離せず、無常遷滅の当体に迷うに依つて、後世、菩提を覚知せざるなり。

 此を示す時、煩悩即菩提・生死即涅槃(注)と教うる当体を、礼拝と云うなり。

左右の両の手を開く時は、煩悩・生死・上慢。不軽、各別なり。

礼拝する時、両の手を合する(注)は、煩悩即菩提・生死即涅槃なり。 

上慢の四衆(注)の所具の仏性も、不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。


生老病死 
生老病死は四苦八苦の四苦で、これに次の四苦を加えて八苦と言う。

愛する者と別れる苦 (愛別離苦)
怨み憎しむ者に会う苦 (怨憎会苦)
欲しいものを手にできない苦 (求不得苦)
身心を作る五陰からの苦しみが盛んになる (五陰盛苦)

煩悩即菩提
妙法蓮華経の蓮華は他の草花と異なり、泥中に育ち、泥に染まる事無く清浄な大輪の白蓮華を咲かせる。これは衆生が妙法蓮華経に帰依することにより、煩悩を厭離することなく、そのままで菩提に至るとする煩悩即菩提を象徴している。

生死即涅槃
法華経では人の身は法身・報身・応身の三身であると分別している。

応身は現実に目に見える色心(肉体・意識)で、誕生があり、死がある。
しかし応身は朽ちても法身・報身は存在し続け、未来世で縁に触れて再び応身は誕生する。その意味で死は決して嘆く事象ではなく無数に生死を繰り返すというのが法華経での仏の悟りである。

身近な例でいれば、水は、雪、氷、雨と取り巻く環境変化に応じ、の常にその姿を変えて存在している。そしてその本質はH2Oで、人間の存在も同様に永遠に続くようなものである。

礼拝する時、両の手を合する 
日蓮大聖人が図現された十界曼荼羅に向かいて「南無妙法蓮華」と唱える時、左右の手のひらを合わせる事で、日蓮大聖人はその衆生の姿そのものが、煩悩即菩提・生死即涅槃を表していると解き明かされておられます。

上慢の四衆
妙法蓮華経方便品第二で釈尊が「一大事因縁」を説こうとした時、慢心の五千人の四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)が説法を聞かず退坐する。
釈尊はこの上慢の四衆の対座を止めることなく、これで残されたものは全て清浄の志をもつ衆生であるとして「一大事因縁」を説き始める。
[原文]

説此語時 会中有比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 五千人等 即従座起 礼仏而退

所以者何 此輩罪根深重 及増上慢 未得謂得 未証謂証 有如此失 是以不住

世尊黙然 而不制止 爾時仏告舎利弗 我今此衆 無復枝葉

純有貞実 舎利弗 如是増上慢人 退亦佳矣











by johsei1129 | 2019-02-14 19:52 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 14日

Gosho 開目抄 下 Opening the Eyes. Part Two.

(それ)法華経の宝塔品(ほうとうぼん)を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ、

If we examine the “Treasure Tower” chapter of the Lotus Sutra, we find Shakyamuni Buddha, Many Treasures Buddha,and the Buddhas of the ten directions who are emanations of Shakyamuni Buddha gathering together. And why?

When we see the “Treasure Tower” chapter of the Lotus Sutra, we find Shakyamuni Buddha, Taho Buddha, and the ten directions' Buddha who are incarnations. Why had they gathered?

令法(りょうぼう)()(じゅう)()(らい)()()」等云々。

As the sutra itself says,“Each . . . has come to this place on purpose to make certain the Law will long endure”.

"Came here to let the Law hold out for a long time".

三仏の未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子にあたえんとおぼしめす御心の中をすいするに、父母の一子の大苦に()ふを見るよりも(ごう)(じょう)にこそみへたるを、

Shakyamuni, Many Treasures, and the other Buddhas intend to insure the future propagation of the Lotus Sutra so that it can be made available to all the children of the Buddha in times to come. We may surmise from this that their concern and compassion are even greater than those of a father and mother who see their only child inflicted with great suffering.

When we guess three Buddha minds trying to propagate the Lotus Sutra and give to all the children of the Buddha of the future, we understand that their concern and compassion are even greater than those of a father and mother who see their only child inflicted with big suffering.

(ほう)(ねん)いたわしともおもはで、末法には法華経の門を堅く閉ぢて、人を入れじと()き、(きょう)()をたぼらかして宝をすてさするやうに法華経を(なげす)てさせける心こそ無慚(むざん)に見へ候へ。

Hōnen, however, shows not the least concern about their compassion, but would tightly shut the gates to the Lotus Sutra in the Latter Day of the Law so that no one would have access to it. Like a person who tricks a demented child into throwing away a treasure, he tries to induce people to discard the Lotus Sutra, a shameless thing to do indeed!

Honen, however, shows not the least concern about their compassion, but had tightly shut the gates of the Lotus Sutra so that no one would have access to it in the latter days of the Law. Like a person who tricks a demented child into throwing away a treasure, he tries to let them discard the Lotus Sutra. How cruel this mind is!

我が父母を人の殺すに父母につげざるべしや。

If someone is about to kill your father and mother, shouldn’t you try to warn them?

If someone is about to kill your father and mother, don't you try to inform your father and mother?

悪子の酔狂(すいきょう)して父母を殺すをせい()せざるべしや。

If a bad son who is insane with drinkis threatening to kill his father and mother, shouldn’t you try to stop him?

If a unfilial son who got drunk is about to kill his father and mother, shouldn't you try to stop him?

悪人、寺塔に火を放たんにせい()せざるべしや。

If some evil person is about to set fire to the temples and pagodas, shouldn’t you try to stop him?

If an evil person is about to set fire to the temples and pagodas, shouldn't you try to stop him?

一子の重病を(やいと)せざるべしや。

If your only child is gravely ill, shouldn’t you try to cure him or her with moxibustion treatment?

If your only child is gravely ill, shouldn't you try to cure a child with moxibustion?

日本の禅と念仏者とを見てせい()せざる者はかくのごとし。

To fail to do so is to act like those people who see but do not try to put a stop to the Zen and Nembutsu followers in Japan.

Those people who leave Japanese Zen and Nembutsu followers as it is will be said as follows.

()()くして(いつわ)り親しむは、即ち(これ)彼が(あだ)なり」等云云。

[As Chang-an says,] “If one befriends another person but lacks the mercy to correct him, one is in fact his enemy”.

If the person feigns oneself and gets close to him without the mercy, namely this person is his enemy”.

日蓮は日本国の諸人に主師父母()なり。

I, Nichiren, am sovereign, teacher, and father and mother to all the people of Japan.

I, Nichiren, am sovereign, teacher, and father and mother for all the people of Japan.


つづく Continued


本文 Original text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-14 11:00 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 13日

Gosho 開目抄 下 Opening the Eyes. Part Two.

大願を立てん。

Here I will make a great vow.

Here I will make a great vow.

日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ(かん)(ぎょう)等について後世を()せよ。父母の首を()ねん、念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば(もち)ひじとなり。

Though I might be offered the rulership of Japan if I would only abandon the Lotus Sutra, accept the teachings of the Meditation Sutra, and look forward to rebirth in the Pure Land, though I might be told that my father and mother will have their heads cut off if I do not recite the Nembutsu—whatever obstacles I might encounter, so long as persons of wisdom do not prove my teachings to be false, I will never yield!

"Will offer you the rulership of Japan if you abandon the Lotus Sutra. You accept the teachings of the Meditation Sutra and should look forward to rebirth in the Pure Land. We will cut off the necks of your father and mother if you do not recite the Nembutsu". Whatever these obstacles I might encounter, so long as persons of wisdom do not prove my teachings to be false, I will never yield!

()(ほか)の大難、風の前の(ちり)なるべし。

All other troubles are no more to me than dust before the wind.

The other great persecutions mean damn all to me as dust before the wind.

我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。   

I will be the pillar of Japan. I will be the eyes of Japan.I will be the great ship of Japan. This is my vow, and I will never forsake it!

I will be the pillar of Japan. I will be the eyes of Japan. I will be the great ship of Japan. This is my vow and I will never break it!

"I will become a pillar of Japan, I become the eyes of Japan, I become a large ship of Japan". This vow is never trounced!


つづく Continued


本文 Original text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-13 06:45 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 12日

Gosho 寺泊御書 Letter from Teradomari

f0301354_18162937.jpg

勧持品(かんじほん)に云く「(もろもろ)の無智の人有つて悪口(あっく)罵詈(めり)し」等云云(うんぬん)

The “Encouraging Devotion” chapter says, “There will be many ignorant people who will curse and speak ill of us”.

The “Recommending a devotion” chapter says, “There will be many ignorant people who will curse and speak ill of us”.

日蓮()の経文に(あた)れり、(なんじ)()(なん)()の経文に入らざる。

I observe my own situation in this passage. Why should it not apply to all of you as well?

This sentence corresponds to Nichiren. Why do all of you not apply to this sentence of the sutra as well?

「及び(とう)(じょう)を加うる者」等云云、

“They will attack us with swords and staves,” the passage continues.

They will attack us with swords and sticks,” the sentence continues.

日蓮は()の経文を読めり、(なんじ)()何ぞ此の経文を読まざる。

I have experienced this passage from the sutra with my own body. Why do you, my disciples, not do likewise?

I have experienced this sentence of the sutra with my own body. Why do all of you not read this sentence itself?

「常に大衆の中に在つて我等が(とが)(そし)らんと欲す」等云云、「国王・大臣・()()(もん)居士(こじ)に向つて」等云云(うんぬん)

Further on, the passage says, “In the midst of the great assembly they constantly try to defame us,” and “they will address the rulers, high ministers, Brahmans, and householders, [slandering and speaking evil of us]”.

Furthermore, the passage says, “They constantly try to defame us in midst of the populace” and “they will preach the rulers, high ministers, Brahmans, and men of property".

悪口(あっく)して顰蹙(ひんしゅく)数数擯(しばしばひん)(ずい)せられん」

And they “will confront us with foul language and angry frowns; again and again we will be banished”.

And they “will confront us with foul language and angry frowns; and again and again we will be banished”.

数数(しばしば)とは度度(たびたび)なり

“Again and again” means time after time.

Again and again”, it means frequent.

日蓮が(ひん)(ずい)は衆度、流罪(るざい)は二度なり

And I, Nichiren, have been repeatedly driven away, and have twice been condemned to exile.

And I, Nichiren, have been repeatedly driven away, and have twice been condemned to banishment.


つづく Continued


本文 Original text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-12 06:49 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)