日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 06月 30日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(91)

【提婆達多品八箇の大事】

第五 我於海中 唯常宣説の事


「我海中に於いて、唯常に、妙法蓮華経を宣説す」


御義口伝に云く、我とは文殊(注)なり、海とは生注死の海なり、唯とは唯有一乗法なり、常とは常住此説法(注)なり。

妙法蓮華経とは法界の言語音声(注)なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。

生死の海、即真如の大海なり。我とは法界の智慧なり、文殊なり云云。



(注)

文殊

文殊師利菩薩のこと。釈尊滅後の教えの後継者とされ、仏伝では、釈迦在世時に文殊師利菩薩に該当する菩薩が、釈迦の教団に実際にいたと伝えられている。

尚、妙法蓮華経で文殊師利菩薩は、序品第一、提婆達多品第十二、安楽行品第十四、神力品第二十一、妙音菩薩品第二十四に登場する。


妙法蓮華経とは法界の言語音声なり

法界とは三千大千世界つまり宇宙の事で、宇宙の全ての言語音声は、妙法蓮華経の働きの現象である。

日蓮大聖人は、ご本尊に南無妙法蓮華経と唱えることで、法界に遍く伝播し「迷いの海が、即、悟りの大海となる」と解き明かされておられます。

常住此説法
妙法蓮華経如来寿量品第十六の自我偈の文
[原文]
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇

常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫

為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
[和訳]
我(釈尊)、仏を得てより以来、経る所の諸の劫数は、無量百千万 億載阿僧祇なり。

常に無数億の衆生を説法教化し、仏道に於て入ら令む。爾来、無量劫なり。

衆生を度す為の故に、方便に涅槃を現ぜり。而して実には滅度せず、常に此(娑婆世界)に住して法を説けり。



【御義口伝 上】要点解説(92)に続く



by johsei1129 | 2018-06-30 18:42 | 御義口伝 | Trackback | Comments(2)
2018年 06月 27日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(90)

【提婆達多品八箇の大事】

第四 情存妙法故 身心無懈倦の事(注)


御義口伝に云く、身心の二字、色心妙法と伝受するなり。

日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉りて即身成仏す。

身心無懈倦(しんじんむけげん)とは一念三千なり(※)云云。



(注)

情存妙法故 身心無懈倦

釈迦が過去世に阿私仙人のもとで千年修行したが、情(心)に妙法を存(受持)していたので身心がものうく(うっとうしく)なることはなかったと、弟子に説いた偈。

[原文]

情存妙法故 身心無懈倦 普為諸衆生 勤求於大法
亦不為己身 及以五欲楽 故為大国王 勤求獲此法
遂致得成仏 今故為汝説

[和訳]

情に妙法を存する故に、身と心は懈倦すること無く、普く諸の衆生の為に、大法(妙法華経)を勤求し

亦、己が身の為、及び五欲の楽しみの為ならず。それ故、大国の王と為りても、勤求して此の法(妙法華経)を獲て、

遂に成仏を得ることを致せり。今、それ故、汝の為に説く為り。


身心無倦とは一念三千なり

身と心に懈倦無しとは、妙法を持し、己心の生命に一念三千つまり仏界を湧現しているからこそ、色心が「ものうい事」はないと日蓮大聖人は断じておられます。


懈倦
懈 おこたる。なまける。だるい。
倦 あきる。つかれる。

【御義口伝 上】要点解説(91)に続く



by johsei1129 | 2018-06-27 20:56 | 御義口伝 | Trackback | Comments(3)
2018年 06月 26日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(89)

【提婆達多品八箇の大事】

第三 採菓汲水 拾薪設食の事(注)


 御義口伝に云く、採菓とは癡煩悩なり、汲水とは貪煩悩なり、拾薪とは瞋煩悩なり、設食とは慢煩悩なり。
此の下に八種の給仕之れ有り。此の外に妙法蓮華経の伝受、之れ無きなり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、即ち千歳給仕なり。是れ即ち一念三千なり、貪瞋癡慢を対治するなり。


(注)

採菓汲水 拾薪設食

 釈迦が過去世で「妙法華経」を教えてくれた阿私仙人の元で千年に渡り様々な修行(八種の給仕)をしたことを示している。
上記の文に該当する提婆達多品の偈

[原文]

即随仙人 供給所須。採果汲水。拾薪設食。
乃至以身。而作牀座。身心無倦。于時奉事。
経於千歳。為於法故。精勤給侍。令無所乏。

[訳文]

即ち仙人に随って、求むる所を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設けん。

乃至、身を以て、而して、牀座を作すも、身心は倦こと無かりけり。
時に奉る事、千歳を経るも、法を求むる故の為に、精勤し給侍し、乏しき所、無から令めん。

日蓮大聖人は末法での「千年の八種の給仕」は、ご本尊に向かい「南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことで「貪瞋癡慢」を対治することができると断じておられます。


【御義口伝 上】要点解説(90)に続く



by johsei1129 | 2018-06-26 22:26 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 25日

17. Persecution of Komatsubara that Nichiren Suffered a Wound in Forehead (1)

              Japanese edition

         


Time passed, and it became the times of Bun'ei. Nichiren became 43 years old, and a decade had passed since the declaring the establishment of the sect.

It was summer night of July 5.

Kamakura was fast asleep, but the huge comet like the skull of the person appeared in the night sky.

The people called this a vast comet of Bun'ei. The present times and the difference, the people had been afraid of a sign of extraordinary phenomena of the sky.

A tail of the light grows to a lot of pitch-black night skies. It seemed to stick to darkness of the deep black.

People point to it.

They look up at the comet uneasily and are frightened.

Nichiren either glared at a night sky.

It was certainly a harbinger of the disaster. Saicho of the Great Teacher Dengyo who erected the high sanctuary of Mahayana sutra in Enryakuji Temple of Mt. Hiei four hundred years ago says.


“If is not Mahayana sutras, why can we remove the seven disasters of the world? Why can we extinguish the great disaster which happen from now if it is not a priest of bodhisattva?”. 'Letter to Shimoyama'.


Although the Lotus Sutra that is the utmost importance of Mahayana sutras spreads, it is not a scale as one country. Nembutsu sect which he concluded to be the one evil on the 'treatise of establishing the correct teachings for the safety of the nation' has been not exterminated. Nichiren alone appealed for two disasters, the revolt from within and the foreign invasion, but the Shogunate answered him by a banishment. He was permitted but nobody listened to him.

They rather laughed. Gokurakuji Ryoukan became a leader of them in Kamakura and sneered at him. Ryoukan is receiving the protection of Shogunate. His base was different from Nichiren who both did not have magnificent temple buildings which attracted people and was persecuted from the Shogunate. Nevertheless, the struggle of both believers was intense. Therefore, Ryoukan who felt a crisis denounced Nichiren in every key from the pulpit.

Nichiren was troubled about this omen.


"The comet went out of the east on July 5 in the Bun'ei first year [1264], and the light extended to about whole country. This is either an unprecedented ill omen since the world began. The scholar of Buddhism and non-Buddhism does not know the origin of that ill omen, too. I became more grieved and even distressed". "The Origin on Writing 'the Treatise for the Peace of the Land'".


Tokimune, Yasumori Adachi and Yoritsuna Taira who were in the hall of the regent stared at the comet which came flying in a night sky.

Only 13-year-old Tokimune stares at a night sky uneasily.

Yasumori muttered.

"There had never been such the comet. Is ominous."

Tokimune said like a soliloquy.

“Let the Yin Yang fortune-teller divine this”.


        Continued to (2)


Life of Nichiren. Vol. 1. Contents



by johsei1129 | 2018-06-25 22:57 | LIFE OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 24日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(88)

【提婆達多品八箇の大事】

第二 若不違我 当為宣説の事(注)


御義口伝に云く、妙法蓮華経を宣説する事を、汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり。 
若の字は汝なり。天台の云く「法を受けて奉行す」と。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり。

阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云。




(注)

若不違我 当為宣説
この文に該当する提婆達多品の偈

[原文]

時有仙人 来白王言 我有大乗 名妙法蓮華経 

若不違我 当為宣説

[和訳]

過去世に大王だった釈尊が優れた法を求めているを聞きつけた阿私仙人が、
『我大乗を有せり、妙法蓮華経と名づく。若し我に違わずば、当に為に宣説すべし』として大王に「妙法華経」を説いたことを示しております。


日蓮大聖人は「若し我に違わずば」を、「日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説す可きなり」と、門下の弟子信徒を諭されておられます。

「日蓮に違わずして」の意は、日蓮は末法の本仏で、諸法の実相を究めているから、法門を説くに、間違えないと断じている事を意味しておられる。

さらに【四菩薩造立抄】では次のように説かれておられます。

「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は、日蓮が如くにし候へ」




【御義口伝 上】要点解説(89)に続く





by johsei1129 | 2018-06-24 20:10 | 御義口伝 | Trackback | Comments(3)
2018年 06月 23日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(87)

【提婆達多品八箇の大事】

 
第一 提婆達多(注)の事  文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。


  御義口伝に云く、提婆とは本地は文殊なり、本地清凉と云うなり。

迹には提婆と云うなり、天熱を示す是なり、清凉は水なり此れは生死即涅槃なり。天熱は火なり、是は煩悩即菩提なり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに、煩悩即菩提生死即涅槃なり。


提婆は妙法蓮華経の別名なり、過去の時に阿私仙人なり。阿私仙人とは妙法の異名なり、阿とは無の義なり、私無きの法とは妙法なり。

文句の八に云く、無私法を以て衆生に灑ぐと云えり。

阿私仙人とは法界三千の別名なり、故に私無きなり。一念三千之を思う可し云云。



(注)

提婆達多

釈迦族の一員で釈迦とは従兄弟同士となる。釈迦の従者で多聞第一と謳われた阿難(アーナンダ)は提婆達多の弟になる。

釈迦教団の中にあって、後に釈迦への批判を強め、教団の分裂を画策するとともに、マガダ国の国主・阿闍世王をそそのかし、度々釈迦を殺害しようと試みた。最後に毒薬を自分の親指に仕込んで毒殺しようとしたが、その毒が自分の体に回り、大地が割れて地獄に落ちたと伝えられている。

釈迦は妙法蓮華経・提婆達多品で、提婆達多は過去世で、釈迦が国王であった時に法華経という優れた経があることを教えてくれた阿私仙人であったと説いた。阿私仙人のように正しい教えに導く人を「善知識」という。


日蓮大聖人は【三三蔵祈雨事】で善知識について次のように説かれておられます。

『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん。ただあつ(熱)き、つめ(冷)たきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせち(大切)なり。 

 而るに善知識に値う事が第一のかた(難)き事なり。されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいと(糸)を下て、大地のはりのめ(針の目)に入るにたと(譬)へ給へり。

 而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし』と。

【御義口伝 上】要点解説(88)に続く





by johsei1129 | 2018-06-23 17:29 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 22日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(86)

【宝塔品二十箇の大事】


第二十 能須臾説の事 (注)


御義口伝に云く、能の一字、之を思う可し。

説とは南無妙法蓮華経なり。

今、日蓮等の類いは、能須臾説の行者なり云云。




(注)

須臾  
須臾(しゅゆ)は、10の-15乗(1000兆分の1)であることを示す漢字文化圏の数の単位。
転じて、わずかの時間の意で、妙法蓮華経を一瞬でも他の人に説けば、偉大な功徳があることを示している。









by johsei1129 | 2018-06-22 22:17 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 20日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(85)

【宝塔品二十箇の大事】


第十九 是諸天人 世間之眼の事(注)

御義口伝に云く、世間とは日本国なり、眼とは仏知見なり。
法華経は諸天世間の眼目なり、眼とは南無妙法蓮華経なり。是諸天人世間之眼、又云く是諸仏眼目云云。

此の眼をくじる者は禅・念仏・真言宗等なり、眼等とは目を閉づるなり。
今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、諸天世間の眼に非ずや云云。


(注)
是諸天人 世間之眼の事
この文が説かれている宝塔品の最終の偈
[原文]
仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼

於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養
[和訳]
仏、滅度の後の世に、 能く其の義を解せば、是れ諸の天・人の世間の眼なり。

恐畏の世(末法)に於いて、能く須臾(少し)も説かば、一切の天・人は、皆、供養に応ぜん。
 
【御義口伝 上】要点解説(86)に続く





by johsei1129 | 2018-06-20 16:17 | 御義口伝 | Trackback | Comments(3)
2018年 06月 19日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(82)

【宝塔品二十箇の大事】

第十六 是名持戒の事

 御義口伝に云く、此の経文にて三学(注)倶伝するなり。虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧、三学倶に伝うるを名けて妙法と曰うと。
戒とは色法なり、定とは心法なり、慧とは色心二法の振舞なり、倶の字は南無妙法蓮華経の一念三千なり、伝とは末法万年を指すなり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉り、権教は無得道、法華経は真実と修行する、是は戒なり、防非止悪(注)の義なり。
持つ所の行者、決定無有疑の仏体と定む、是は定なり。三世の諸仏の智慧を一返の題目に受持する、是は慧なり。

此の三学は、皮肉骨・三身・三諦・三軌・三智等なり。

(注)
三学
三学(さんがく)とは『涅槃経』獅子吼菩薩品で説かれる、仏道を志す者が修学すべき基本的な修行項目「戒学・定学・慧学」の3つを指す。


防非止悪
非(わざわい)を防ぎ、悪を止める、の意
仏の慈悲を展開すると、は慈愛、は「防非止悪」と開かれる。


【御義口伝 上】要点解説(83)に続く





by johsei1129 | 2018-06-19 20:10 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 17日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(84)

【宝塔品二十箇の大事】

第十八 是真仏子の事 (注)



 御義口伝に云く、法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり。然る間、王位を継ぐ可きなり。


 悉(ことごとく)是吾子の子と、是真仏子の子と、能く能く心得(こころえ)合す可きなり。


今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、釈迦法王(注)の御子なり。



(注)

是真仏子

宝塔品の最後にある、下記12の偈にある言葉。

[原文]

能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地

仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼

於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養

[和訳]

能く来世に於いて、此の経(妙法蓮華経)を読み持せば、是れ真の仏子なり。淳善(清らかで前に満ちた)の地に住せり。

仏の滅度の後に、能く其の義を解せば、是れ諸の天・人、世間の眼となる。

恐畏の世に、能く須臾(注)も(此の経を)説かば、一切の天・人は、皆まさに(此の人を)供養すべし。


釈迦法王

末法においては、釈迦法王とは、「末法の本仏」日蓮大聖人と拝します。


須臾
ほんの少しの間


【御義口伝 上】要点解説(85)に続く





by johsei1129 | 2018-06-17 22:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)