日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 01月 29日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(24)

【譬喩品九箇の大事】
第九 今此三界等の事 (注)

文句の五に云く、次に今此三界より下、第二に一行半は上の所見諸衆生為生老病死之所焼煮を頌して第二の所見、火の譬を合す。
唯我一人より下、第三に半偈は上の仏見此已便作是念を頌して、驚入火宅を合するなりと。

 御義口伝に云く、此の文は一念三千(注)の文なり。一念三千の法門は迹門には生陰二千の世間(注)を明し、本門には国土世間を明すなり(注)。
又云く、今此三界の文は国土世間なり、其中衆生の文は、五陰世間なり。而今此処多諸患難唯我一人の文は、衆生世間なり。(注)

又云く、今此三界は法身如来なり、其中衆生悉是吾子は報身如来なり、而今此処等は応身如来なり。(注)



今此三界等の事
妙法蓮華経 譬喩品第三の、次の偈の文
[原文]
如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野 
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 
而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 
[和訳]

如来は已に三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に安らかに処せり。
今、此の三界は、皆、是れ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。
而も今、此の処は、諸の患難多し、唯我れ一人のみ、能く救護を為せり。

三界 
仏教上、欲界・色界・無色界の三つの世界をいうが、法華経譬喩品の『火宅』の比喩では、動物たちが食い合いしている長者の古い大きな屋敷で火災が起こり、そこから長者の子供たちを脱出させる話が説かれている。法華経の中では唯一おどろおどろしい話が続き、これはまるで中東のイスラム過激派組織、アフガンのタリバン等による現在の三界、つまり世界に拡散したテロの状況を彷彿させる。

一念三千
己心の生命を三千に分別した法門。
1.己心に「仏・菩薩・縁覚・声聞(四聖)、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄(六道)」、以上、十界の命を持つ。この十界は互いに具している。
 例えば、仏は仏の境涯を基盤に十界の命を具す。仏と言えど喜びもあれば、苦しみの命も持つ。これは仏界所具の天界、仏界所具の地獄界となり、十界が互いに具して 百界となる。
2.この百界に十如是(如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・如是本末究竟等)を掛け合わせて千如是となる。この千如是は有情・非情にわたり共通に貫かれている法則となる。
3.三世間(衆生世間、五陰(ごおん)世間、国土世間)。 この三世間は、衆生が過去是の善行・悪行による報い(如是報)として受ける境遇の差別・区別(世間)になる。
 衆生世間は自分を取り巻く人々、例えば親兄弟、社会で巡り合う人々の違い、五陰世間は個人が生まれつき持つ要素(色,受,想,行,識))の違い。例えば音感が良い、絵心がある、運動神経が優れているといった事。
国土世間は衆生が済む国土(環境)の違い。日本と言う内乱、テロのない平和な国に生まれる、または内乱・戦争の地に生まれるかの違い。さらに同じ日本でも、のどかな田園で生まれるか、大都会のビル群の中で生まれ育つかの違い。これら三世間の境遇の違いは、過去世の善行、悪行の報いとして定まる。

生陰二千の世間
衆生世間、五陰世間の事で、この二つの世間に千如是を掛け合わせると二千世間となる。

法身如来報身如来応身如来
法・報・応の三身の事。
法華経方便品第二に次の偈がある。
[原文]
仏所成就 第一希有 難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相
[和訳]
仏が成就せし所の、第一の希有なる難解の法は、唯、仏と仏のみが諸法の実相を、能く究め尽くせばなり。


 つまり妙法蓮華経・方便品第二では、森羅万象はすべからく諸々の法で貫かれており、その法を究め悟られたのが仏であるとする。
諸法を悟れば衆生は仏になれるので、仏は、三千大千世界(宇宙)に無数に存在し、仏が衆生を導く仏国土も無数に存在するとと説き明かしている。
その諸法を捉えた概念が、本抄の「法・報・応の三身」、又「空仮中の三諦」となる。

 
 一例として「水」で空仮中の三諦を説明すると、水は置かれている環境(縁※主に温度)により、液体の水、固体の氷、気体の水蒸気と変化する。
固体でも雪、あられ、ひょうと変化する。水は見た目の姿が変われど、分子式"H2O"で表される水の本質は共通であり、100度で気体、0度で凍るという性質を持つ。
 しかしこの性質・法則そのものを人の目では見ることはできないが、我々は現象として認識できる。
あくまで譬えであるが、酸素原子一つを法身とするとこの酸素原子は始めもなければ終わりもないつまり無始無終の存在であり、法身も無始無終で輪廻転生する。そしてその酸素原子は水素原子二つと化合することによりH2O、つまり水と変身する。この事象を菩薩行をすることで仏として成道した報身と譬える。一旦仏となると永遠に仏であり続け菩薩以下に後退することはないので、有始無終の存在である。
 さらに仏は時に応じて、実際に仏として誕生する。例えば遥か久遠に成道した釈尊がインド釈迦族の王子として誕生し、その後王宮を後にして修行し仏となる姿を衆生に見せる。この当体が応身である。応身は誕生と言う始めもあり、滅度と言う終わりもある。
 日蓮大聖人は末法と言う時を感じ鎌倉時代の日本・安房の国に誕生し、竜の口の法難で仏となる姿を弟子信徒等に見せ六十一歳で池上宗仲の屋敷で御入滅なされた。
この仏の姿は、H2Oとしての性質を持ち、温度の変化により刻々と雨、雪、氷、水蒸気と姿を変える水に譬えることができよう。
 釈尊は妙法蓮華経・如来寿量品第十六で次のように仏の久遠の成道、その後の無数の仏国での衆生教化を解き明かしている。

[原文]
皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫
<中略>
自従是来 我常在此娑婆世界 説法教化 亦於余処 百千万億 那由佗 阿僧祇国 導利衆生
[和訳]
皆、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出て、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して「阿耨多羅 三藐三菩提」を得たりと謂えり。
然るに善男子よ、我は実に成仏せしより已来、「無量無辺 百千万億 那由佗劫」なり。
<中略>
是より来、我は常に、此の娑婆世界に在りて説法教化し、亦た余処の「百千万億 那由佗 阿僧祇国」に於ても衆生を導びき、利せり。


【御義口伝 上】要点解説(25)に続く







by johsei1129 | 2018-01-29 16:37 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 20日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(23)

【譬喩品九箇の大事】

第八 唯有一門の事
(注)


 文句の五に云く、唯有一門とは、上の以種種法門宣示於仏道に譬う。
門に又二あり、宅門と車門となり。宅とは生死なり、門とは出ずる要路なり、此は方便教の詮なり。車とは大乗の法なり、門とは円教の詮なり、と。

 御義口伝に云く、一門とは法華経の信心なり、車とは法華経なり、牛とは南無妙法蓮華経なり、宅とは煩悩なり。
自身法性の大地を、生死生死と転ぐり行くなり云云。



唯有一門の事

この抄では法華七喩の一つ「三車火宅(さんしゃかたく」について説いている。
「三車火宅」の物語は次のようになる。
『長者の古くて大きな屋敷が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中で、長者が「火事だから直ぐに外に出なさい」と言っても遊びをやめようとしない。
そこで長者は子供たちが前から欲しがっていた「羊車・鹿車・牛車を門の外を置いたから欲しい車をあげる」と言って子供を外に導き、子供は火事から逃れる。
その後子供は長者に「約束してた羊車・鹿車・牛車をください」と言うと、長者は、さらに立派な大白牛車を与えた。

この物語の長者は仏で、火宅は苦しみの多い三界(娑婆世界)、子供たちは三界で迷える衆生で、羊車・鹿車・牛車の三車は、声聞・縁覚・菩薩(三乗)に説いた、法華経以前に説いた爾前(にぜん)・権大乗経を意味している。そして最後に、大白牛車である仏になるための一乗の教え、つまり法華経を与えることを譬えている。


【御義口伝 上】要点解説(24)に続く




by johsei1129 | 2018-01-20 22:39 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(22)

【譬喩品九箇の大事】

第七 以譬喩得解の事 (注) 

止観
(注)の五に云く智とは譬に因るに斯の意徴し有りと。

 御義口伝に云く、此の文を以て鏡像円融の三諦の事を伝うるなり。惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり。
此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り。
 所詮、鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり、妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し。

 又云く、鏡に於て五鏡之れ有り、妙の鏡には法界の不思議を浮べ、法の鏡には法界の体を浮べ、蓮の鏡には法界の果を浮べ、華の鏡には法界の因を浮べ、経の鏡には万法の言語を浮べたり。
 又云く、妙の鏡には華厳を浮べ、法の鏡には阿含を浮べ、蓮の鏡には方等を浮べ、華の鏡には般若を浮べ、経の鏡には法華を浮ぶるなり。順逆次第して意得可きなり。

我等衆生の五体五輪妙、法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり。信謗の浮び様、能く能く之を案ず可し。自浮自影の鏡とは、南無妙法蓮華経是なり云云。


以譬喩得解
次の偈にある文
[原文]
然舎利弗 今当復以譬諭 更明此義 諸有智者 以譬諭得解
[和訳]
然し舎利弗よ、今、当に復た、譬諭を以て、更に此の義を明かにせり。諸の智有る者は、譬諭を以て解を得らん。


止観
(摩訶止観) 天台の説いた法華三部作(法華文句、法華玄義、摩訶止観)の最上位に位置し、法華経を体系化し一念三千の法門(一瞬の己心の生命を三千に分別した)を説いた。

日蓮大聖人は末法の本尊を解き明かした「観心本尊抄」の冒頭で、止観の一念三千を引用し次のように解き明かされておられます。

「夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り。若し心無んば而已介爾、も心有れば即ち三千を具す。乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」


華厳・阿含・方等・般若・法華

釈尊が一代で説いた経の次第。

日蓮大聖人はこの経の次第を「一代五時図」として図式化し、弟子信徒を教化した。

[一代五時図の御真筆(千葉県弘法寺所蔵)]


宝塔品  
妙法蓮華経 見宝塔品第十一の事。

この品では地から宝塔が涌出し、衆生は空中に存在する宝塔を仰ぎ見る。そしてその宝塔の最上部に釈迦仏と多宝如来が並ぶ、いわゆる「虚空会の儀式」が始まる。


日蓮大聖人はこの宝塔の意味を、佐渡流罪時に念仏を捨て大聖人に帰依した阿仏房から問われ、「末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり」と「阿仏房御書」で説かれ、妙法蓮華経で仏界を湧現した衆生そのものが宝塔であると断じられている。



【御義口伝 上】要点解説(23)に続く




by johsei1129 | 2018-01-19 23:24 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 18日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(21)

【譬喩品九箇の大事】

第六 一時倶作の事 (注)

 御義口伝に云く、一時とは末法の一時なり、倶作とは南無妙法蓮華経なり、倶とは畢竟住一乗なり。

今、日蓮等の類いの所作には題目の五字なり、余行を交えざるなり (注)。
 又云く、十界の語言は、一返の題目を倶作したり、是れ豈、感応に非ずや。



一時倶作の事
下記の偈の中の文

[原文] 諸天伎楽 百千万種 於虚空中 一時倶作 雨衆天華 而作是言
[和訳]「諸の天は、伎楽の百千万種を虚空の中に於いて一時に俱に作し、衆の天華を雨(ふら)して、是の言を作さん」

余行を交えざるなり
「余行を交えざるなり」について、日蓮大聖人は唯受一人の後継者・日興上人に相伝した【寿量品文底大事】で次のように相伝されておられまする


『さて下種の法華経は久遠名字の妙法なり。然れば日蓮聖人、本因妙の修行を手本として、妙法蓮花経の五字を余行に亘さずして下種し給ふ者なり。
一毫未断の我れ等末代嬰児の一切衆生、妙法の名字を聞いて持つ処に即身成仏を遂ぐるなり。誠に我れ等が為に有り難き法相なり。
 若し余行に亘さば一部(二十八品)の法華経なるべきなり。夫れを(日蓮大聖人の)宗旨の本意とは沙汰せざるなり。
されば一所の所判に、末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し。乃至妙法蓮華経に余行を交へばゆゝしき僻事なりと遊ばさるゝ此の意なり、秘すべきなり。
                                             南無妙法蓮華経 日蓮 日興記』

[御義口伝 上]要点解説22 に続く



by johsei1129 | 2018-01-18 21:23 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 17日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(20)

【譬喩品九箇の大事】


第五 而自廻転の事  

記の五に云く、或は大論の如し、経に而自廻転(注)と云うは身子(注)の得記を聞きて、法性自然にして転じ、因果依正自他、悉く転ずるを表すと。
    
 御義口伝に云く、草木成仏(注)の証文に而自廻転の文を出すなり。是れ一念三千の依正体一(注)の成仏を説き極めたるなり。
草木成仏の証人とは、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを指すなり。
 廻転とは題目の五字(妙法蓮華経)なり、自とは我等行者の事なり、記の五の釈、能く能く之を思うべし云云。




而自廻転
次の偈にある文
「爾の時に四部の衆、比丘、比丘尼、摩羅睺羅等の大衆、舎利弗の仏前に於いて、阿耨多羅三藐三菩提の記を愛くるを見て、心大いに歓喜し、躍躍すること無量なり、各各に、身に著けたる所の上衣を脱ぎて、以って仏に供養す釈提桓因、梵天王等、無数の天子と、亦天の妙衣、天の曼荼羅華、摩訶曼荼羅華等を以って仏に供養す。所散の天衣、虚空の中に住して自ら廻転す

身子
譬喩品の対告衆、舎利弗(梵語Śāriputra シャーリプトラ)の漢訳。
舎利弗はこの譬喩品で、釈尊から法華経で修行して未来世で華光如来となるとする記別を受ける。

草木成仏
草木は仏法上は非情の存在ですが、衆生と同様十界を持つ。それ故に、日蓮大聖人が【経王殿御返事】で「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」と認められた十界曼荼羅の御本尊も十界を持ち、衆生がそれに縁することにより己心の仏界を引き出すことができる。
日蓮大聖人は更に【草木成仏口決】で次のように解き明かされております。
「我等一身の上には有情非情具足せり。爪と髪とは非情なり、きるにもいたまず、其の外は有情なれば、切るにもいたみ・くるしむなり。一身所具の有情非情なり。此の有情・非情、十如是の因果の二法を具足せり。衆生世間・五陰世間・国土世間、此の三世間・有情非情なり。 一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」と。

依正体一
依正とは依法正法の事。依法は衆生を取り巻く環境・国土で正法は衆生、自分自身を意味する。
体一とは依法正法が分立して存在しているのではなく、相互に依存、影響しあって存在していることを意味する。


【御義口伝 上】要点解説(20)に続く




by johsei1129 | 2018-01-17 22:14 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 16日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(19)

【譬喩品九箇の大事】
 

第四 得仏法分の事 (注)

 御義口伝に云く、仏法の分とは初住一分の中道を云うなり、迹門初住、本門二住已上と云う事は、此の分の字より起るなり。

 所詮此の分の一字は一念三千の法門なり、其の故は地獄は地獄の分で仏果を証し、乃至三千の諸法己己の当体の分で仏果を証したるなり、真実の我等が即身成仏なり。

今、日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱うる分で仏果を証したるなり
、分とは権教(注) は無得道、法華経は成仏と分つと意得可きなり。又云く分とは本門寿量品の意なり、己己本分の分なり。

惣じて迹門・初住分証(注)と云うは教相(注) なり、真実は初住分証の処にて、一経は極りたるなり。

 

得仏法分
下記の譬喩品の文
『今日乃知 真是仏子 従仏口生 従法化生 得仏法分』
訳『今日、乃ち知りぬ、真に是れ仏の子なり。仏の口より生じ、(※)より化生して、仏法の分を得たり』
※末法の本仏、日蓮大聖人の立場では、「法=南無妙法蓮華より化生して、仏法の分を得たり」と読む。

権教
実教(法華経)に対する言葉。法華経以前に説かれた仮の方便の経。華厳経・般若経等々。
法華経方便品で初めて、全ての有情・非情に仏性が内在しているという、仏がこの世に出現した「一大事因縁」が説かれ、二乗(声聞・縁覚)作仏、女人成仏、悪人成仏が説かれる。
さらに寿量品では、釈尊が遥か久遠に菩薩の修行をして成道したと言う「久遠実成」の法門が説かれ、仏は無数の仏国で無数の衆生を化道してきたという、仏の究極の慈悲が示された。

初住分証
菩薩の修行の段階、五十二位の中の十住(第11~第20)の、初め発心住のこと。見惑(見識の迷い)を断じた菩薩の位。初住位以から菩薩道から後退しない不退の位となる。
しかしこれは権教の教えで、日蓮大聖人は本抄で「真実は初住分証の処にて、一経は極りたるなり」と断じられ、正法に発心(日蓮大聖人が図現なされた十界曼荼羅の御本尊に南無妙法蓮華と唱える)することが、成仏の根本、一経を極めたことであると解き明かされております。


教相

教相判釈の略。釈尊の経典の内容、優劣等を分別し判定する事。


【御義口伝 上】要点解説(20)に続く





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by johsei1129 | 2018-01-16 19:40 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 15日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(18)

【譬喩品九箇の大事】


第三 身意泰然 快得安穏の事  

文句(注)の五に云く従仏は是れ身の喜を結するなり。聞法は此れ口の喜を結するなり。断諸疑悔とは是れ意の喜を結すと。


 御義口伝に云く、身意泰然とは煩悩即菩提、生死即涅槃なり。

 身とは生死即涅槃なり、意とは煩悩即菩提なり、従仏とは日蓮に従う類い等の事なり。

 口の喜とは南無妙法蓮華経なり、意の喜とは無明(注)の惑障無き故なり。

 

 爰を以て之を思うに、此の文は一心三観一念三千、我等が即身成仏なり。

 方便の教は泰然に非ず、安穏に非ざるなり。行於険逕多留難故(注)の教なり。


文句 (法華文句)

隋の天台大師が説いた、法華経釈・三大部(法華玄義・法華文が句・摩訶止観)の一つ。『妙法蓮華経文句』の略称。全 10巻。
天台が『妙法蓮華経』の一句一句を注釈・説法し、それを直弟子の章安大師が筆録した書。


無明(むみょう) 煩悩にとらわれた迷いの状態。

 煩悩にとらわれない悟りの状態を法性(ほっしょう)という。

法華経では煩悩即菩提と説き、煩悩を避けたり抑えるのではなく、煩悩そのものを菩提へ変じる事ができると問いいている。

例えば都市ガス、石油そのものは毒であるが、点火しするることで、周りを温めたり、明るくする効用を持つもの火に変じる。


妙法蓮華経の梵語の意味は、白蓮華のように優れて不思議な法の経であるが、これは蓮華は他の花と異なり、泥中に生えるが、泥に染まらず清浄な白い大輪の花を咲かせることから、泥中つまり煩悩を活かして悟り、つまり菩提を得ることから【煩悩即菩提】の象徴として、また蓮華は華と同時に蓮根と言う実(地下茎)を持つことから【因果倶時】の象徴として釈尊はこの経全体の題号と為した。因みに蓮の原産地はインドであり、釈迦の最初の仏教伽藍と言われている竹林精舎の敷地には池があり蓮の華が咲いていたと言われている。
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古代インド・マガダ国の首都・王舎城に在った竹林精舎の遺跡



行於険逕多留難故

法華経の開教である無量義経の中にある偈で、「険逕を行くに、留難多きが故に」の読む。

釈尊は無量義経で「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、菩提樹の下で悟ってから法華経を説くまでの四十数年間では、未だ真実を顕かしていないと宣言し、法華経を説き始めた。

その法華経を以前の爾前教は権教(仮の教え)・方便の教えで、成仏得道の教えでないため、留難が多い迷いの人生を歩むことになると説いた。


【御義口伝 上】要点解説 19に続く




by johsei1129 | 2018-01-15 02:44 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 10日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(17)

【譬喩品九箇の大事】


第二即起合掌の事  

文句の五に云く、外義を敍するとは即起合掌は身の領解と名く、昔は権実二と為す、掌の合わざるが如し。
今は権即実と解る、二の掌の合するが如し、向仏とは昔は権、仏因に非ず、実、仏果に非ず。
今、権即実と解して大円因を成ず、因は必ず果に趣く、故に合掌向仏と言うと。


 御義口伝に云く、合掌とは法華経の異名なり。向仏とは法華経に値い奉ると云うなり。

 合掌は色法なり、向仏は心法なり。

色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり。


合掌に於て又二の意之れ有り。合とは妙なり、掌とは法なり。又云く合とは妙法蓮華経なり、掌とは(法華経)廿八品なり。


 又云く合とは仏界なり、掌とは九界なり。九界は権(かり)、仏界は実なり。


 妙楽大師(注)の云く「九界を権と為し、仏界を実と為す」と。

 十界悉く合掌の二字に納まつて、森羅三千の諸法は合掌に非ざること莫きなり。

 惣じて三種の法華の合掌之れ有り。今の妙法蓮華経は三種の法華未分なり。爾りと雖も先ず顕説法華を正意と為すなり。之に依つて伝教大師は、於一仏乗とは根本法華の教なり(略)妙法の外、更に一句の余経無しと。


 向仏とは一一文文、皆金色の仏体(注)と向い奉る事(注)なり、合掌の二字に法界を尽したるなり。

 地獄餓鬼の己己の当体、其の外三千の諸法、其の儘、合掌向仏なり。而る間、法界悉く舎利弗なり。舎利弗とは法華経なり。

 舎とは空諦、利とは仮諦、弗とは中道なり。

 円融三諦の妙法なり。舎利弗(注)とは梵語、此(日本)には身子と云う。

 身子とは十界の色心なり、身とは十界の色法、子とは十界の心法なり。


今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、悉く舎利弗なり。舎利弗は即、釈迦如来、釈迦如来は即、法華経、法華経は即我等が色心の二法なり。


 仍て身子、此の品の時、聞此法音と領解せり。聞とは名字即、法音とは諸法の音なり。諸法の音とは妙法なり。

爰を以て、文句に釈する時、長風息むこと靡しと。長風とは法界の音声なり、此の音声を信解品に、以仏道声令一切聞と云えり。

一切とは法界の衆生の事なり。此の音声とは南無妙法蓮華経なり。


妙楽大師
(711年 - 782年) 天台宗の第6祖。天台中興の祖と称せられた。天台が法華経を体系化した「摩訶止観・法華玄義・法華文句」の解釈本を述作した。


舎利弗
千二百人といわれた釈迦の直弟子の筆頭格。智慧第一と称され、釈迦が娑婆世界に出現した一大事因縁を説いた、妙法蓮華経・方便品第二の対告衆となる。また譬喩品第三で、釈迦より、未来世で華光如来となるとの記別を受けた。


金色の仏体

末法に於いては日蓮大聖人が御図現なされた「十界曼荼羅の御本尊」と拝する。


[御義口伝 上]要点解説18 に続く




by johsei1129 | 2018-01-10 21:02 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 09日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(16)

【譬喩品九箇の大事】

  第一 譬喩品の事 (注) 
文句の五に云く、譬とは比況なり、喩とは暁訓なり、大悲息まず巧智無辺なれば、更に樹を動かして風を訓え、扇を挙げて月を喩すと。

 御義口伝に云く、大悲とは母の子を思う慈悲の如し、今、日蓮等の慈悲なり。章安(注)云く「彼の為に悪を除くは即是れ彼の親」と。
巧智とは南無妙法蓮華経なり、諸宗無得道の立義なり、巧於難問答の意なり、更とは、在世に次で滅後の事と意得可きなり。
樹を動すとは煩悩なり、風を訓るとは即菩提なり。扇を挙ぐとは生死なり、月を喩すとは即涅槃なり。

今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時、牛車(注)に乗じて直至道場(注)するなり。
記の五に云く「樹と扇と風と月とは、唯円教の理なり」と又云く「法説の実相は、何ぞ隠れ何ぞ顕れんや、長風息むこと靡く、空月常に懸れり」と此釈之を思う可し。
 隠とは死なり、顕とは生なり、長風とは我等が息なり、空月とは心月なり。

法華の生死とは、三世常恒にして隠顕之無し、我等が息風とは、吐く処の言語なり、是、南無妙法蓮華経なり。
一心法界の覚月、常住にして懸れり、是を指して、唯円教の理と釈せり。円とは法界なり、教とは三千羅列なり、理とは実相の一理なり云云。



譬喩品
釈尊は【方便品第二】で舎利弗を対告衆として、仏がこの世に出現した「一大事因縁」である「開示悟入」を説く。
そしてその次に説いた「譬喩品」で、仏は「声聞・縁覚・菩薩」の三乗ではなく、唯、一仏乗を説く為に出現したと解き明かす。
釈尊はこの意味を千二百人の直弟子達に理解させるため、引き続き「三車火宅」の譬えを説法する。本品は「三車火宅」を解き明かした品として「譬喩品」の題号がつけられている。
「三車火宅」についてはウィキペディアを参照願います。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9

章安

天台大師の一番弟子。天台の法華経・釈三部作「法華文句・法華玄義・摩訶止観」は、全て天台の説法を章安が筆録して取りまとめた。

大白牛車
「三車火宅」の譬えでは、三乗「声聞・縁覚・菩薩」をそれぞれ羊車・鹿車・牛車に譬え、一仏乗を大白牛車に譬えている。

直至道場
譬喩品の次の偈の文

日夜劫数 常得遊戲 与諸菩薩 及声聞衆
与諸菩薩 及声聞衆 乗此宝乗 直至道場


【御義口伝 上】要点解説(17)に続く






by johsei1129 | 2018-01-09 22:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2018年 01月 07日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(15)

【方便品八箇の大事】

第八 当来世悪 人聞仏説 一乗迷惑 不信受 破法堕悪道の事 (注)  

 御義口伝に云く、当来世とは末法なり、悪人とは法然・弘法・慈覚・智証(注) 等なり、仏とは日蓮等の類いなり、一乗とは妙法蓮華経なり。
不信の故に三悪道に堕す可きなり。


南無妙法蓮華経は師子吼の如し、いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神、十羅刹女 (注) 、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。
さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはふるとも、つつがあるべからず。遊行して畏れ無きこと、師子王の如くなるべし。
十羅刹女の中にも皐諦女(注)の守護ふかかるべきなり。但し御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用る事なし。
法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用る事なれ、鬼にかなぼう(金棒)たるべし。
日蓮がたましひ(魂)を、すみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ (注) 、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。

 

当来世悪人 聞仏説 一乗迷惑 不信受 破法堕悪道
和訳「当来世の悪人は、仏の一乗を聞いて、迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せん」

法然・弘法・慈覚・智証
法然 
浄土宗の開祖。 比叡山延暦寺で得度、授戒を受ける。当然法華経を学んでいるが、法然唯一の法門「選択集」で、「法華経は難信難解で千中無一(千人の内一人も得道できない)」、「捨閉閣抛(捨てよ、閉じよ、閣け、抛て)」と説き、浄土三部経以外の一切経を排斥する。
日蓮大聖人は【立正安国論】で、仏教の始祖・釈尊の一切経を排斥するのは、仏教徒として次のように「無間地獄」に陥るとして『念仏無間』と厳しく破折した。

「夫れ速かに生死を離れんと欲せば 二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ、 浄土門に入らんと欲せば 正雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて 選んで応に正行に帰すべし」已上。 
之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て、法華真言惣じて一代の大乗 六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ 或は閣き或は抛つ此の四字を以て 多く一切を迷わし、 剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ。
 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二(譬喩品)の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん」の誡文に迷う者なり」と。

 結局法然は法華経を自身も理解できず、当時の人々に平易に説くことができなかったが故、阿弥陀仏というこの世にいない仮想の仏にすがる、専修念仏という現実逃避の教えを蔓延させ、大量の自殺者を生み出し、鎌倉幕府から再三禁教の処分を受けた。

弘法
空海。日本の真言宗の開祖。最澄(伝教大師)の開いた日本の天台宗・天台座主慈覚に影響を与え、それ以降天台宗は法華経根本から、法華経、真言が並列するように変遷していく。
日蓮大聖人は佐渡流罪以降、真言宗への批判を強め、真言は亡国の教えであると厳しく破折した。
【真言七重勝劣事】【真言諸宗違目】【真言見聞】
慈覚
第3代天台座主
最澄(伝教)、及び初代天台座主・義真に仕える。
智証
初代天台座主・義真に師事す。第5代天台座主
日本の天台宗は、初代天台座主・義真以降は、真言の影響が強まり、智証に至っては、修験道(山へ籠もって厳しい修行を行う)まで取り入れるようになる。この修行は法華経信仰とは全く相いれない修行である。釈尊は成道する前にバラモンの難行苦行をし、この修行では悟れないとして菩提樹の下で端座し自身の生命を五年間内観して悟ったことからすれば、法華経どころかバラモンの修行を蘇られた愚かさと言えよう。
日蓮大聖人はこの天台宗の法華経根本からの堕落について、血脈抄である【本因妙抄】で次のように天台宗を指弾されておられます。

彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し」と。

鬼子母神
仏伝では、鬼神槃闍迦と結婚し1万人の子どもの母となった鬼子母神は、他人の幼児を食う悪女でもあった。善良な人々から子供を鬼子母神から守って欲しい訴えられた釈迦は、一計を図り、愛奴児という鬼子母神の末子を隠くす。

鬼子母神は半狂乱になり世界中を7日間探し回ったが見つからず、釈迦に助けを求める。釈尊は鬼子母神に1万人の内一人いなくなってもお前は半狂乱になった、わずか数人の子しか持たない母親が一人の子を食べられた悲しみがわからないのか」と厳しく諭すと、鬼子母神は自分の過ちに気づき改心する。それ以降は子供を守る善神となったという。

十羅刹女
「法華経陀羅尼品」に説かれている10人の鬼女。仏法に縁して、鬼子母神らとともに、法華経の行者の守護を誓った。
十界曼荼羅の御本尊では、右に鬼子母神、左に十羅刹女が認められておられます。尚、皐諦女は十羅刹女の上首。

日蓮がたましひを、すみにそめながしてかきて候ぞ
日蓮大聖人がご自身の仏の命を、墨で和紙に十界曼荼羅の御本尊として認められた事を意味しておられます。

※現存する日蓮大聖人御直筆の漫荼羅一覧 
※日蓮正宗所蔵の日蓮大聖人御直筆御本尊は、日蓮正宗の信徒(法華講員)以外は非公開です。
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html


【御義口伝 上】要点解説(16)に続く





by johsei1129 | 2018-01-07 23:43 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)