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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 21日

五十二、留難ふたたび

弾圧が再びはじまった。

矛先は日蓮ではなく佐渡の民だった。

漁師の一家がそろって題目をあげていた。

突然、扉が破られ武士が土足で家族をとりかこんだ。

武士は親子を威嚇した。

「そのほうら、流罪の日蓮に供養の品物をとどけたな。罪人に物をとどけるのは、御法度である。ひったてい」

雑人が泣きわめく女子供たちをつれだしていく。

若い夫がとめようとしたが、強引に離されて縛られた。

「おぬしはこの島から追放じゃ」

親子が海岸線で引きさかれ、連行された。

日蓮の館には監視の武士がついた。

彼らは四方に立ち、するどい目であたりを警戒した。

かごをかついだ農夫が館の前を通りすぎる。

武士があやしんで声をかけた。

「まて、そこの者。なぜこの前をとおる」

農夫があわてた。

「は、なんのことで・・」

「この館は罪人の日蓮が住んでおる。そのほう日蓮の手先であろう。たしか以前、見た顔だ」

百姓が狼狽した。

「めっそうもございませぬ。わしはただこの道が畑に近いので通っただけでございます」

「だまれ、あやしい奴。牢に入れろ」

農夫が地面にはいつくばり抵抗したが、手荒く引ったてられた。

 これらすべては佐渡の守である北条宣時の陰謀だった。執権時宗はなにも知らずにいる。

武蔵前司殿是をきゝ、上へ申すまでもあるまじ、先ず国中のもの日蓮房につくならば、或は国をおひ、或はろう()に入れよと私の下知を下す、下文(くだしぶみ)下る。かくの如く三度、其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし。或は其の前を()()れりと云ひて()うに入れ、或は其の御房にものをまいらせけりと云ひて国を()ひ或は妻子をとる。  『種々御振舞御書

鎌倉八幡宮に粉雪がふる。

北条宣時邸では宣時と良観が談笑していた。

戸のむこうから使者の声がする。

良観が袂ですばやく銅銭の箱をおおいかくした。

使者が入室し平伏した。

「佐渡から書状がとどきました。お指図のとおり、日蓮を佐渡の住民どもから引きはなしておりまする。また日蓮に近づく者は厳重に処罰しております」

宣時が答えた。

「大儀である。だが油断はならぬ。さらに御教書を送れ。きびしく取りしまるようしるせ。日蓮を日干しにするのだ」

使者が言いにくそうに告げた。

「つきましては、その下し文のことでありますが」

「どうした」

「鎌倉殿時宗様の了解が必要ではないかと思われます。執権をさしおいて、勝手に下知をくだすのは、いささか懸念あるかと思われますが・・」

宣時が使者をにらんだ。

「一僧侶のことなど、殿の耳にいれなくともよい。煩わしいだけで、かえって不興を買う。日蓮の一件はわしの判断でことたりる。余計な心配はせずともよい」

使者が再度平伏して退室した。

宣時が良観にほほえんだ。良観はありがたく手をあわせた。

佐渡に二度目の冬がきた。

島は一面の雪におおわれた。日蓮の館も雪で埋もれた。訪れる者がだれもいない。

室内は暗かった。日蓮と弟子たちは囲炉裏のわずかな火を見つめた。寒さのため蓑を着たままだった。髭がのび、目に落胆のくぼみが見える。食事といっても(わん)(かゆ)を手わたしで食べるだけである。日蓮が最後に受けとったが、わずかしかない。

弟子たちは思う。佐渡にきた時は苦境の真っ只中だった。明日がない毎日だった。それがあの法論で劇的に好転、そしてまたこの困窮である。

だが日蓮は平気だった。

三十二の歳からこの逆境は覚悟していた。いまさら悲しむほうがおかしい。順風の時にはきびしく、逆風の時はよろこぶ癖がいつのまにか身についていた。

「むかし中国に蘇武という将軍がいた。あるとき(いくさ)に敗れ、(えびす)の捕虜となったが屈せずに志をまげなかった。そのため囚人のまま食事も満足にできず十九年、雪を食べてくらしたという。われらも蘇武におとらず、志をまげてはいない」

弟子がつぶやいた。

「明日また百姓屋をまわります。このたびのことで、食をさしだす者はなくなってしまいましたが・・」

外から人の呼ぶ声がする。

「上人、上人・・」

戸を開けると雪をかぶった阿仏房が立っていた。

阿仏房は(ひつ)を背負い、にこやかに手をあわせた。

日蓮がおどろき、あたりを見ながら小声でいう。

「阿仏房殿、きてはならぬ。本間殿に見つかれば、所払いになりますぞ」

阿仏房はこたえず、櫃から食をとりだした。甘海苔、わかめ、小藻(こも)(たこ)(かしら)だった。

弟子たちが目を輝かせた。

阿仏老人が少年のようにおどけた。

「これしかもってこれんかったわい」

彼は最後に、にぎり飯をわたした。

「これはわが女房と国府の奥方からでござる。上人、ご安心くだされ。飢え死にはさせませぬぞ」

日蓮は聞かない。

「いかん、ここに来てはならぬ。みなつかまりますぞ。牢にはいるのですぞ。あぶないのだ」

阿仏房は首をふった。

「この阿仏房、上人にお会いしてまことの光を見つけたのでござる。いまそのあかりが消えかかっております。上人、これで火をつけてくだされ」

阿仏房が去っていく。

彼が残したかんじきの跡は、降りしきる雪で忽ちに消されていった。

日蓮が戸を開けてその様子を見つめ安堵した。

鎌倉極楽寺では、にこやかな良観の前に幾十人の信徒が平伏していた。

彼らはかつて日蓮の信者だった。その彼らが良観の前で、うやうやしく言上した。

「良観様、今までのことは水に流していただきとうございます。われらはただ静かに法華経を唱えたいだけでございます。日蓮殿のように自分だけが尊く、ほかはまちがいであるとか、人を(そし)ることなどはいたしませぬ」

良観がうなずいた。

「結構なことです。日蓮のように(おのれ)の主義主張をわがままに通せば、国主から罰せられ、世間の(あだ)となる。みなさんはよく目覚めました。これよりは善も悪も心にいれて、広い心で世間とつきあっていくことです。これからは安心してよろしいですぞ。幕府のとがめはあなた方におよばぬよう、この良観が手配いたそう」

信徒たちがにたりとした。

「かたじけのうございます。われら一同、安穏にはげむことができます。そのお礼としてはなんですが、これよりわれらは良観上人の教えもとりいれてまいりとうございます。どうかご教示を」

「それはよかった。おたがい切磋琢磨し、仏の道を究めたいものでござるな」

 日蓮の一党は解体しはじめた。すべて良観の思わくどおりだった。佐渡の弾圧もすすんでいる。

異様な執念である。

すべては祈雨の勝負で一介の僧日蓮に敗れ、生き恥をさらした恨みからだった。

良観はかつて自分の信念を十にまとめていたという。その八番目にあたるのがつぎの信条だった。

われに怨害(おんがい)をなし、毀謗(きぼう)をいたす人にも、善友の思いをなし、済度(さいど)の方便とすること。

済度とは救いわたすことをいう。苦しみの()(がん)から成仏の彼岸(ひがん)へ救いわたすことである。どんな人物であれ善友の思いで救っていこうとした。

だが良観はどうしても日蓮を善友にできなかった。祈雨に敗れても、約束どおりに日蓮の弟子となり、世間を捨てることができなかった。

良観は仏法の正邪に命をかける日蓮がわからない。良観にとって仏法は手段であり、尊い命をかける対象ではない。彼にはほかになすべきことがあった。それは地位であり名誉であり、名声であり、財産であり、権力であり、その他もろもろだった。仏法はその中の一つにすぎない。

日蓮はそんな良観を根底から否定した。良観は日蓮に底知れぬ恐怖をおぼえて憎悪した。善友になどできるわけがなかった。反面、日蓮は良観を批判こそすれ、得がたい善知識と呼んでいたのだが。

良観は別名を両火房という。日蓮は両火房を糾弾する。

両火房(りょうかぼう)(まこと)の人ならば、(たちま)ちに邪見をも(ひるがえ)し跡をも山林に隠すべきに、其の()(もっと)も無くて(おもて)を弟子檀那等にさらす上(あまつさ)讒言(ざんげん)を企て、日蓮が(くび)を切らせまいらせんと申す上、あづかる人の国まで状を申し下ろして種をたゝんとする大悪人なり。而るを無智の檀那等、恃怙(じこ)して現世には国をやぶり後生には無間地獄に堕ちなん事の不便(ふびん)さよ。   『下山御消息

恃怙とは頼むこと、よりどころをいう。

良観の信徒はなにも知らず、ただ彼をたのみ、よりどころとして戒律を守るだけだった。

佐渡の吹雪が音をたてる。

国府入道の館では妻が飯をにぎっていた。

入道も野菜や餅をはこんできた。すべて日蓮にとどける糧である。

阿仏房がそれを櫃に入れていく。彼は蓑を着、編み笠をかぶった。

入道が阿仏房につげる。

「気をつけてな。このこと、すでに本間殿に知られているようじゃ」

阿仏房が入道の目を見た。

「わしに万一のことがあればたのむ」

入道夫妻は阿仏房が吹雪の中に消えるまで見送った。

夫妻が戸を閉め、囲炉裏をかこんだ。

妻がひとりごとのようにいう。

「いつまでつづくのでしょう」

入道が答える。

「われらは蓄えのあるかぎり、上人を守るまでじゃ」

「ですが、米はもう尽きはじめております。阿仏房の家とておなじはず。あそこも大人数ですからの。どうすれば・・」

入道が胸元から書状をとりだした。

「上人様からあずかった」

妻がのぞき見る。

「鎌倉への訴状じゃ。本間殿の横暴、国の者の困窮がしるされておる。一刻も早くとどけなければ島があやうい」

「それが聞き入れられるのですか」

入道がだまった。

ここで外から戸がたたく音がした。

入道が立ちあがった。

「阿仏房じゃ。もどってきおった。なにかあったかえ」

妻が戸をひらくと阿仏房ではなく、雪にまみれた強面の武士団が立っている。

彼らは乱暴におし入った。

「国府入道、日蓮幇助(ほうじょ)の罪で召し取る」

入道がすぐさま書面を火の中にいれた。武士が入道の両腕を締めあげる。

妻が叫び声をあげてつかみかかったが、はね飛ばされてしまった。

吹雪が視界をさえぎる。

阿仏房がその中を一歩一歩、日蓮の館をめざす。人目を避けるには夜しかない。

遠くに明かりのついた館が見えてきた。阿仏房の表情がゆるんだ。

だがそこへ本間重連ひきいる武士団が立ちはだかった。

「阿仏房、どこへいく」

阿仏房が悲しげにいった。

「本間殿、道をあけてくだされ」

「ならぬ。どうしても通るなら、力ずくで縄にかけるぞ」

阿仏房が刀に手をかけた。

「おぬしら武士であろう。武士ならば、ひとかどの情けはあるはず。ならば食に飢えて弱っている者に、憐れみは感じぬのか。刀を差しているのはなんのためだ」

本間が聞かないふりで部下に命じた。

「引っ立てろ」

配下の武士たちは躊躇(ちゅうちょ)した。島の人間で阿仏房を知らない者はない。老齢闊達の阿仏房は尊敬されていた。だが本間にせきたてられ取りかこんだ。

阿仏房は刀の柄をにぎりしめていたが、抜かずにそのまま縛られた。彼は追いたてられながら、いつまでも館の灯を見ていた。

雪原に櫃がぽつんとのこされた。

年があけ、佐渡に春がきた。

山々の雪がとけ、道に花が咲く。

港がにぎわっていた。

伯耆(ほうき)日興が山の土手から船着き場をながめていた。

彼はときおり山に登り、対岸の信濃をながめた。

伯耆房は港を見おろしながら思う。

師匠が流罪の身となって二年がすぎた。伯耆房もまた日蓮について懸命に今日まできた。しかしいつになったら鎌倉へ帰ることができるのだろう。日蓮が赦免となれば、あの船で帰れるのであろうか。

伯耆房は憂いながら、ぼんやりと港を見ていた。

船から大勢の人々がおりてくる。その中に見覚えのある老人がいた。

おどろくことに安房清澄寺の道善房がいたのである。道善房は日蓮の幼少の師である。

道善房が船からおりた。

港には人だかりができていた。

罪人が縄でしばられている。なにごとであろう。

道善房は引っ立てられる罪人をながめながら漁師に聞いた。

「あれは・・」

「日蓮上人に食べ物をさしだしたとかで、島から追放ということじゃ」

道善房に臆病の色がでた。

 そこへ伯耆房があらわれた。伯耆房はおそるおそる聞いた。

「あの、失礼ですが道善房様、安房清澄寺の道善和尚ではございませぬか」

気弱な道善房がおどろいた。

「いかにも。さてどちら様ですかな」

伯耆房が目を輝かせた。

「日蓮聖人の弟子、伯耆房にございます。和尚とは安房でお目にかけていらいでございます。よく佐渡にこられました」

「いかにも。愛弟子の蓮長、いや日蓮に会いに来ました。遠流の身となって、はたして達者でいるかと思いましてな」

伯耆房はつとめて明るくいう。

「ええ元気でおられますとも。和尚とお会いすれば上人は大喜びです。わたしが案内いたしましょう」

しかし道善房は首をふった。

「いや、伯耆房殿、残念だが会うのははやめておきます。日蓮殿はまだ幕府からおとがめをうけている身です。わたしが会いに行けば、なにかと波風がたちます」

「なにをおおせられます。安房からはるばる来られたのでしょう。わたしが守護代にお話しして、なんとか面会できるようにいたします。さ、どうぞ」

 道善坊は、かたくなだった。

「いや、もう船が出ますのでな。これで失礼いたす」

道善房が小走りに去っていく。

伯耆房は悲しくなった。そして道善房の背中に叫んだ。

「道善房様、なにか上人に伝えることはありませんか。道善房様・・」

道善房はふりむかなかった。

伯耆房は師日蓮の前で両膝をにぎった。

日蓮は宙を見つめた。

「そうであったか。師匠が島に来られていたか・・」

「伝言はなにもありませんでした。佐渡におこしになったことだけでも、大変なことだとは思いますが、せめて・・」

日蓮はため息とともに言った。

「弟子のわたしに会わなければ、来たことにはならぬ。臆病なお人だ。なにもかわっておらぬ」

道善房は日蓮に帰依したが決して強信とはいえなかった。

後にすこし信ぜられてありしは、い()かいの後のちぎ(乳切)()なり、ひるのと()しびなにかせん。其の上いかなる事あれども子・弟子なんどいう者は不便(ふびん)なる者ぞかし。力なき人にもあらざりしが、()()の国までゆきしに一度もと()らわれざりし事は、信じたるにはあらぬぞかし。     『報恩抄

 乳切木とは両端を太く中央をやや細くした棒である。本来は物を担うために用いられたが、喧嘩の道具にされることもあった。

 道善房の信心は喧嘩のあとの棒であり、昼の灯だという。妙法に目覚めるのがあまりにもおそすぎた。生来の臆病を消すことができなかった。不甲斐ない師匠をもった弟子の心境を訥々(とつとつ)とつづっている。

真夜中、館は静まっていた。

日蓮がひとり堂からでてきた。監視の武士は壁に背をあて眠りこけていた。

その前を物思いに沈む日蓮が歩いていく。

原野にきた。

日蓮が暗闇を歩く。そして海を真下に見る断崖の上で正座した。

日本海の波ががはるか下でうちよせている。

日蓮が闇にむかって題目をあげた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・」

やがて天空に朝日が昇りはじめた。

日蓮が陽の光を真正面にあびながら唱題をつづけた。髪も髭ものび、薄墨の袈裟は黒色になった。日蓮は光線にむかって手をあわせ、波の音に負けじと唱えつづけた。

そして天に叫ぶ。

梵王をはじめとする諸天は法華経の会座(えざ)で、妙法をたもつ者を守護すると誓った。しかし今なぜあらわれない。

日蓮は竜の口の法難で、八幡大菩薩を叱りつけたように、今また諸天をなじった。

梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)・日月・四天はいかになり給ひぬるやらん。天照大神・正八幡宮(しょうはちまんぐう)は此の国にを()せぬか。仏前の御起請(きしょう)はむなしくして、法華経の行者をばすて給ふか。もし此の事叶はずば、日蓮が身のなにともならん事は()しからず。各々現に教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給ひしが、今日蓮を守護せずして捨て給ふならば正直捨(しょうじきしゃ)方便(ほうべん)の法華経に大妄語(もうご)を加へ給へるか。十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御(とが)(だい)()(だっ)()が大妄語にもこへ、瞿伽(くが)()尊者(そんじゃ)虚誑(こおう)罪にもまされり。(たと)大梵天(だいぼんてん)として色界(しきかい)の頂に居し千眼天(せんげんてん)といはれて(しゅ)()の頂におはすとも、日蓮をすて給ふならば、阿鼻(あび)の炎にはた()ゞとなり、無間大城をば()づる()おはせじ。此の罪をそろしくをぼ()せば、そのいはれありと、いそぎいそぎ国にしるしをいだし給へ、本国へかへし給へ。  『光日房御書

          五十三、時宗、赦免を決断 につづく


中巻目次



by johsei1129 | 2017-07-21 17:27 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 20日

五十一、良観の陰謀

 
 二月騒動がおさまり、世はかろうじて平穏となった。国内の憂いはなくなったが、人々の心には不安が消えない。
蒙古の来襲が現実化していたのである。

快晴の北九州に南風が吹く。

歩哨が物見やぐらに立ち、()玄界灘の水平線を見つめていた。幕府は蒙古の国書が到着していらい、筑紫の守護に警戒を命じている。

やぐらの兵が叫んだ。

「あれはなんだ」

「どこだ、どこだ」

「右、右のかなただ」

兵士たちが頭をよせて首をのばした。

部隊が即座にあつまった。

駆けつけた武士頭が下から大声で叫ぶ。

「どうじゃ。きたのか、蒙古は」

歩哨がしばらくして言った。

「漁船であります。敵ではありませぬ」

武士頭が怒った。

「馬鹿者もの。漁民どもにきつくいっておけ。目印の旗をつけておけとな。なんどいったらわかるのだ」

頭は憤慨して去り、兵士が見おくった。
 みな疲労の色がこい。

 交代制で見張っているとはいえ、いつ到来するかわからぬ外敵を待ち続ける日本の兵士の闘争心を次第に蝕んでいった。

鎌倉の侍所では執権北条時宗、執事の平頼綱、評定衆の安達泰盛、名越(北条)光時ら御家人が地図を取り囲むようにすわって、蒙古来襲の対策を協議していた。

(いくさ)はすべてそうだが攻めるより守るほうがむずかしい。戦いに打って出るのは自然に闘争心が湧き出てくる。しかし守るだけでは兵士の闘争心を維持するのは時が経つほど困難となる。なおかつ見えない相手ではうっぷんが積もるばかりだ。

彼らは地図をひろげ、高麗南部から九州までの海図に食い入るように見入った。

 泰盛が玄界灘を指さす。

「蒙古軍はまずこの対馬に上陸。次に壱岐を攻める。上陸先は十中八九、ここ博多だ。蒙古にとって博多は最短距離。われらにとって、ここを突破されれば九州北部があぶない。太宰府は目と鼻の先だ。蒙古が襲うのはまずこの博多にまちがいない」

四条金吾の主人、名越光時がきく。

対馬に上陸するのはわかった。それで、むくり(蒙古)はいつくるのだ

平頼綱が首を二度三度とふった。

「船は完成間近という知らせは入っておるが、蒙古の正規兵がまだ高麗に到着していない。皇帝フビライは出陣の命令を下してはおらぬようじゃ」

光時がうなる。

「まちきれんのう。すでにわが軍は筑紫にはりついておる。兵糧も心もとなくなってきた。蒙古の攻撃がこれ以上延びると負担に耐え切れなくなるぞ」

佐渡の(かみ)、北条宣時が口をはさむ。

「いっそのこと、蒙古が準備できぬうちに、討ってでるわけにはいかんか」

時宗が瞑目しながら言う。

「それはならぬ。攻めるのはたやすい。だが攻め入って深追いすれば、かえってあぶない。このたびのいくさは国土を守ることに意味があるのだ。今は守ることに専念するのみ。問題は一にも二にも、蒙古がいつ攻めてくるかだ」

一同に重苦しい雰囲気がながれる。

宣時が耐えきれなくなった。

「ええい、辛気くさいわい。酒だ、酒をもってまいれ」

 こういう酒は決してうまいものではないが、猛虎襲来という不安を紛らすには酒でも飲むしかなかった。

飲むうちに、窓から町民の喧騒が聞こえてきた。

「なんのさわぎじゃ」

「存じませぬか。極楽寺良観殿の説法が毎日おこなわれております。大変な人気でござる」

泰盛があきれた。

「われらの心配をよそに、陽気なものだのう」

極楽寺良観が多数の弟子を引きつれて往来をねりあるく。

彼は上機嫌に見えた。

沿道は歓呼する群衆であふれた。僧も尼も、老若男女も、武士までもが良観に手をあわせた。

良観は年老いた病人を見つけ、これ見よがしに弟子に手当させた。そのうえ、別れ際に慈愛ぶかげなまなざしをむけ、

「身を大事にするのですぞ」

と一声かけた。

老人はうっとりとした表情を浮かべ、ひたすら良観に手をあわせた。

極楽寺は広大な敷地をもっていた。ここに療養所など貧民のための施設が整った。

この時期、極楽寺は繁栄の絶頂にあった。幕府公認の寺院であり鎌倉の下層民を統括している。この寺は完全に幕府行政の一部だった。

にこやかな笑顔の良観がさらにすすむ。

若い所化が(わん)(かゆ)を盛り乞食にあたえた。
 乞食たちは良観を見つけて手をあわせた。横たわる病人もおきあがった。

良観が病人の額に手をあてた。
 病人は良観を目の当たりにして涙をこぼす。慈善の模範的な姿である。まるで演技しているかのようだった。

「ありがたや。良観上人様。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」

良観が見事なまでの微笑をみせる。

「もうすぐ良くなるであろう。養生が第一じゃ。栄養をとって戒律を守り、念仏を唱えていれば必ず良くなる。よしよし」

 良観は若いころ、(らい)人を背負って看病したことがある。人々は弱者を救う良観の行動をほめたたえた。慈善は戒律同様、むずかしい説法を聞くよりも、目に見えてわかりやすかった。

良観がにこやかに極楽寺本殿の長い廊下をゆく。

幾十人の弟子が廊下の脇で、すき間なく平伏していた。

居間では極楽寺の役僧が主人をまっていた。

良観は入室し、襖を閉めおわったとたん、表情が一変し、眉間にしわをよせて役僧を問い詰めた。

「日蓮が生きているとな。なぜだ」

 弟子があわててその場をつくろう。

「しぶとい男ですが、鎌倉殿の許しがなければ帰ってはきませぬ。ご安心を」

良観が叱りつけた。

「馬鹿者、お主は日蓮という男を知らんのだ。あやつは執念ぶかい。首を切られそうになっても信念を曲げない僧侶じゃ。けっして侮ってはならない。なんとかせねば」

良観は北条宣時の屋敷にむかった。

彼は銅銭がぎっしりつまった箱を宣時にさしだして言った。

「宣時様、日蓮があなた様の領地佐渡で盛んに布教しているとのことでございます。幕府を批判した僧が大手をふるって法華経を唱えているのでございます。これでは日蓮を佐渡に追いやった宣時様にとっても、ゆゆしきことでは」

宣時が良観をなだめた。

「良観殿、そう心配せずともよいのではないかな。所詮、はなれ小島のことだ。いくら日蓮があばれても、たかが知れておる。それにな、日蓮は過日の騒動を予言どおりに当ておった。幕府の中にも、あの僧を赦免しようする動きがある。今はうかつに手はだせんのだ」

良観がせまる。

「わたくしは殿の財政を支えている一人であります。殿もわたくしの人気を頼もしく思っておられるはず。このようなわたしと殿との切っても切れぬ因縁をおびやかす者、日蓮はそのような存在でございますぞ。あの者がいるかぎり、わたしと殿は安穏ではございませぬ」

宣時が真顔になった。

「良観殿、それほど日蓮は恐ろしいか」

 良観が目をすえた。

「女子供ならいざ知らず、男は位と金で動く者。だが日蓮にはそれがありませぬ。ただひたすら法華経を信じ、念仏無間、禅天魔などと、妄言を吐いて世を惑わしております。われらにとって、これほど恐ろしい者がありましょうや」

 だが宣時は動じない。

「わからんのう良観殿は。日蓮はたった一人じゃ。一人でなにができる。富と権力のあるわれらの敵ではあるまい」

良観がうしろの襖をあけさせた。

そこには佐渡の念仏者、唯阿弥陀仏、生喩坊、道観がひかえていた。佐渡の法論で完膚なきまで負かされた者たちである。

「その者らは」

「佐渡にいる念仏の坊主どもにございます。日蓮から迫害をうけました」

「なに」

唯阿弥陀仏が泣きそうな声をあげた。

「あの日蓮が島にいるならば、佐渡の念仏の寺は一つもなくなってしまうでありましょう。僧侶もいなくなりました。阿弥陀仏を、あるいは火に入れ、あるいは川に流しておりまする」

生喩坊も訴えた。

「日蓮は悪魔であります。夜も昼も高い山にのぼり、日月にむかって大音声で鎌倉殿を呪っております」

道観もつづく。

「その声は島一国に聞こえております。このままでは佐渡は滅びまする。なにとぞおはからいを」

宣時が唇をかんだ。

文永十一年正月、佐渡一の谷にある日蓮の館は新年の祝いで参集した佐渡の信徒でぎっしりとうまっていた。入口にも人があふれている。室内には笑い声がひびいた。

日蓮を中心に、なごやかな座談が始まっていた。阿仏房夫妻、国府(こう)入道夫妻ら佐渡の人々が談笑した。

中心者の阿仏房が自慢げである。

「まあわしはこのとおり、齢九十になる身じゃ。背骨も曲がってきたのじゃが、この信心をはじめてからは、ほれこのおとり、ぴんとまっすぐになってきおった。これも信心の功徳であろうよ」

日蓮がおかしそうにいう。

それはなによりですところで阿仏房殿は年も年なので、今年は少しお酒を控えて千日尼を安心させてはいかがかな

信徒たちがどっと笑った。阿仏房は頭に手にやり、照れ笑いをする

千日尼もにこやかになり、そっと日蓮に手を合わせる。

 国府尼は日蓮の軽口に大笑いしながら、阿仏房夫妻の幸せな姿を見つめていた

 一同の笑いが収まると、今度は国府入道が日蓮に話しかけた。

「上人様。わたしら夫婦は島の者も知ってのとおり、病気ばかりしておりましたが、法華経のお題目のおかげですっかり元気になりました。妙とは蘇生(そせい)の義とうかがいました。まことに不思議でございます」

) 聴衆から「わたしも、わたしも」の声がひびく。

日蓮がおだやかにいう。

「身の病は四百四病あるといいます。これは医者や薬で治せる病気です。心の病は八万四千ある。これはどんなすぐれた名医でも治すことはできない。心の病は命の奥底にある元品(がんぽん)無明(むみょう)という底知れない闇からきているのです。これは法華経の題目によらなければ治せない。ともあれ国府殿、元気になったのはよいが、あくまで栄養をつけ、よく眠ることです。そのうえで信心が強ければ病気はよりつかないでしょう。お大事に」

国府入道が手をあわせた。

千一尼が喜びをおさえきれない。

「おまけに目の前がぱっと明るくなった気がいたします。なにかこう、長年の迷いがさめたような気分でございます。この八十年、生きてきてはじめてのことじゃ」

となりの阿仏房が思いだしたように言う。

「そういえば最近、若くなったの」

聴衆がまた笑いだす。

国府入道も興奮気味である。

「仏様は自分とは関係ないのことだと思っておりました。だがちがっておりました。自分の命に仏様があるとは知りませんでした。法華経の題目を唱えることで、仏の命をひらいていく、これがよろこびでなくしてなんでありましょう」

老若男女が和気あいあいだった。

しかしこのなごやかな空気とは反対に、堂の外では一大事がおきていた。

本間重連(しげつら)ひきいる武士団が堂を取りかこんでいたのである。

日蓮がつづける。

「みなさん、この信心は正しい。正しいから楽しいのです。この信仰をつづけていけば、おそくとも、一生のうちに仏となることができるのです。法華経の題目を唱えつづけてまいりましょう。この信心を捨ててはなりませぬ」

聴衆がすばやく反応した。

「けっして捨てませんぞ」

「だんじて退転はいたしませんぞ」

「わたしも、わたしも」

日蓮はここで、いつになくきびしく言った。

日々南無妙無法蓮華経と唱えれば良いだけですので成仏はむずかしいことではない。但し、この妙法をたもち続けることがむずかしいのです仏あれば必ず魔がある。幸せになろう、仏になろうとする者に、必ず魔は競うのです。魔はわれらの信心をためすのです。魔は時に、親の姿となってあらわれ、師の姿となってあらわれ、国主の姿となってあらわれる。この土地を支配する守護代の姿になることもある」

日蓮が入口をにらんだ。

そこには本間重連と配下の武士が立っていた。

重連が聴衆をかきわけて日蓮の前にでた。人々は思わぬ事態に口をあけた。

重連が片ひざをついて礼し、胸元から書状をとりだした。

「さきほど、鎌倉から下し文がまいりました」

弟子たちが期待のまなざしをむけた。御赦免の知らせではないか。師匠が許されたのでは。

重連が重い口をひらいて読みあげた。
 この下し文の内容は、日蓮が文永十一年正月十四日に一切我弟子等中に宛てられた法華行者逢難事に全文を記している。


佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率(いんそつ)し、悪行(あくぎょう)(たくら)むの(よし)其の聞こえ有り。所行(くわだ)(はなは)だ奇怪なり。今より以後、彼の僧に相(したが)わんの輩に於ては(へい)(かい)を加へしむべし。(なお)以て違犯(いぼん)せしめば交名(きょうみょう)を注進せらるべきの(よし)候所なり。()って執達(しったつ)(くだん)の如し。

 沙門観恵(たてまつ)

 文永十年十二月七日

 依智六郎左衛門尉殿等云云。         

炳誡とは重い刑罰をいう。観恵とはだれのことであろう。北条宣時とも宣時の秘書ともいわれる。いずれにせよ幕府の命令であった。

日蓮が守護代を見つめた。

「で、本間殿はどうされますかな」

本間は一瞬躊躇(ちゅうちょ)たが意を決した。

「余は鎌倉の御家人でござる。幕府の命令にしたがうのが守護代でござる」

「その御教書の真偽のほどは」

本間が怒った。

「さきほど鎌倉の使者がもってまいったものでござる。いらぬ詮索は無用。残念ながら上人には居を移し、もとの姿にもどっていただく」

弟子たちが見るからに落胆した。奈落に落とされる思いだった。さらに驚いたのは本間の変節である。重連はあの時、日蓮に手をあわせたではないか。その重連がこうもかわるとは。

阿仏房がたまらず立った。

「本間殿、おぬし日蓮聖人の恩を忘れたのか。鎌倉の騒動の時、いち早く馳せ参じたのは聖人のおかげではなかったのか。その恩を仇でかえしなさるのか」

本間は苦しまぎれにいう。

「阿仏房殿、言いたいことはよくわかる。しかし、われら武士は幕府から土地をたまわっておる。日蓮殿からではない。幕府の命令にはだまって従うしかないのだ」

本間が聴衆に宣言した。

「みなの者、今より日蓮殿に親近(しんごん)してはならない。これは幕府の命令である。もしこの命をやぶる者があれば、守護代として田畑を取りあげ、妻子も召しとることになる」

だれもがおびえた。

本間の配下もがなりたてる。

「皆の者、早くこの場を立ち去れい」

信徒らは、あわてふためき立ち去った。

しかし阿仏房、千日尼、国府入道夫妻は日蓮のそばから離れない。

老齢の阿仏房が怒る。

「やめぬか。無謀な振る舞いは許さんぞ。われらの信心だ。日蓮聖人を信じてなにが悪い。幕威をもって弾圧するとはなにごとじゃ」

本間が支配者意識をむきだしにした。

「これは幕府の命令だ。わしは幕府の命令に従うまでだ。日蓮殿とて、この佐渡にいる以上、わしの命令には従ってもらう。この佐渡をかき乱す者には断固した処置をとる」

阿仏房が刀の柄をにぎった。本間たちはあとずさりして応戦の構えをとった。

だが日蓮は制止した。

「阿仏房殿。ならぬ、刀を抜いてはならぬ。手荒なことをしてはなりませぬぞ」

武士が阿仏房を追いたてていく。また伯耆房や国府入道も日蓮からはなされ、堂の外に追いやられた。

部屋は日蓮と武士だけになった。

重連が日蓮の前で蹲踞(そんきょ)した。

「これはいたしかたなき処置でござる。不本意ではあるがやむをえないこと。事情を察していただきたい」

日蓮はおちついていた。

「本間殿自身のお気持ちはいかがでござる。法華経の信心はお捨てになったのですか」

重連はだまったままだった。

「信心を捨てるも捨てぬのも、貴殿のお心ひとつです。だが捨てるのであれば成仏の道はない。無間の(ひとや)がまっておりますぞ。一族の未来を思うのであれば、法華経を捨ててはならぬ」

本間は答えず去っていく。日蓮がその背中にいった。

「その御教書をしるした方に申し伝えよ。法華経の行者をなぜ苦しめる。日本国の安泰を思わばこのたびの措置、一刻もはやく止めよと」

 重連が背をむけたまま聞いた。

「日蓮殿、幕府を非難するおつもりか」

 ここで日蓮はまたも予言した。

「他国の攻めが近づいている。蒙古の攻めをまねきよせるのは、蒙古にあらずして幕府にあり。日本国の滅亡を止めるはこの日蓮なり。このままでは日本国が他国の兵に蹂躙されるであろう」

配下の武士が怒りにまかせて日蓮につめよったが、本間が両手をひろげてとめた。

本間は日蓮を恐れるようだった。

「よさぬか。この御房にこれ以上手をだしてはならぬどうしても斬るというなら、まずそれがしを討ち取ってからにしろ

 重連の強言で騒ぎが収まると、配下の兵士は重連ともども日蓮の館から立ち去っていった。




            五十二、留難ふたたび につづく


中巻目次



by johsei1129 | 2017-07-20 22:22 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(3)

【序品七箇の大事】

第二 阿若・憍陳如の事 (注) 
疏の一に云く、憍陳如は姓なり、此には火器と翻ず。婆羅門種なり。其の先、火に事こう此れに従て族に命く。
火に二義有り、照なり焼なり。照は則ち闇生ぜず、焼は則ち物生ぜず、此には不生を以て姓と為す。
 
 御義口伝に云く、火とは法性の智火なり。

火の二義とは、一の照は随縁真如の智なり。一の焼は不変真如の理なり。照焼の二字は本迹二門なり。
 さて火の能作としては照焼の二徳を具うる南無妙法蓮華経なり。

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し、晴して涅槃の智火明了なり。

 生死即涅槃と開覚するを照則闇不生と云うなり。煩悩の薪を焼いて、菩提(悟り)の慧火現前するなり。

煩悩即菩提と開覚するを焼則物不生とは云うなり。
爰を以て之を案ずるに、陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提、生死即涅槃を顕したり云云。


(注)
阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)

釈迦が成道して最初に教えを説いた五人の比丘の一人で、その中の代表格。インド・カースト制度の頂点であるバラモン教(現在ヒンドゥー教)の司祭階級出身。
釈迦がバラモンで難行苦行をしていた時、共に修行していた仲間だったが、釈迦がバラモンでは悟りが得られないとして苦行を止め、菩提樹の下で瞑想を始めた。その時、苦行で体力が限界まで落ちていた釈迦を見かねて、村長の娘・スジャータが差し出した乳がゆを食す。これを見た憍陳如たちは、釈迦が修行をやめたと思い込み、釈迦と袂を分かつ。

その後釈迦は六年間瞑想を続け成道し仏陀になると、五人を訪ね最初に法を説いた。これを初転法輪という。
上記について妙法蓮華経の開教である『無量義経 説法品第二』で次のように説かれている。
[原文]
自我道場菩提樹下端坐六年。得成阿耨多羅三藐三菩提。
以佛眼觀一切諸法不可宣説。所以者何。以諸衆生性欲不同。
性欲不同種種説法。種種説法以方便力。四十餘年未曾顯實
[和訳]
我、菩提樹下の道場に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟り)を成ずることを得たり。
仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は如何ん、諸の衆生の性欲不同なることを知ればなり。
性欲不同なれば種種に法を説き、種種に方便力を以て法を説けん。(故に)四十余年には未だ真実を顕さずなり。
尚、阿若憍・陳如は、妙法蓮華経 五百弟子受記品第八で釈尊より、未来世で普明如来となるとする記別を 受ける。



第三 阿闍世王の事  

文句の一に云く、阿闍世王(注)とは未生怨と名く。又云く、大経(注)に云く阿闍世とは未生怨と名く。又云く大経に云く阿闍を不生と名く世とは怨と名く。

 
御義口伝に云く、日本国の一切衆生は阿闍世王なり、既に諸仏の父を殺し法華経の母を害するなり。

 無量義経に云く、諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生む。謗法の人、今は母の胎内に処しながら法華の怨敵たり豈未生怨に非ずや、
其の上日本国当世は三類の強敵なり、世者名怨の四字に心を留めて之を案ず可し。日蓮等の類い此の重罪を脱れたり、謗法の人人法華経を信じ釈尊に帰し奉らば、何ぞ已前の殺父殺母の重罪滅せざらんや。但し父母なりとも法華経不信の者ならば殺害す可きか、其の故は権教の愛を成す母・方便真実を明めざる父をば殺害す可しと見えたり。
 仍て文句の二に云く「観解は貪愛の母・無明の父・此れを害する故に逆と称す逆即順なり、非道を行じて仏道に通達す」と。
観解とは、末法当今は題目の観解なる可し。子として父母を殺害するは逆なり、然りと雖も法華経不信の父母を殺しては順となるなり、爰を以て逆即是順と釈せり。

今、日蓮等の類いは阿闍世王なり。其の故は南無妙法蓮華経の剣を取つて貪愛・無明の父母を害して、教主釈尊の如く仏身を感得するなり。貪愛の母とは勧持品三類の中(注)第一の俗衆なり、無明の父とは第二第三の僧なり云云。


(注)
阿闍世王
 釈尊在世当亊の中インド・マガダ国の太子として誕生。釈尊の従弟・提婆達多にそそのかされ父・頻婆娑羅王を監禁・獄死させて王位についた。釈尊一門に酔象を放って釈尊を殺そうとするなどの悪逆を行なった結果、身体に悪瘡ができる。だが、釈尊により病状が回復したことで仏教に帰依し、釈尊滅後には第一回仏典結集に集った釈尊一門の阿羅漢を外護した。


大経

涅槃経の事。

勧持品三類の中
法華経勧持品第十三に説かれている、法華経の行者に迫害を加える三類の強敵。
1.俗衆増上慢(法華経を弘める者に対して、悪口罵詈等し刀杖を加える俗信徒)
2.道門増上慢(邪智で心が曲がり、覚りを得たと錯覚している慢心の僧侶)
3.僣聖増上慢(真実の仏道を行じていると慢心、実際は現世の利益を求め、俗信徒を軽侮。権力と結託し正法を弘める者を迫害する高僧)


【御義口伝 上】要点解説(4)に続く






by johsei1129 | 2017-07-19 18:33 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(2)

 御義口伝巻上 日蓮所立自序品至涌出品

【序品七箇の大事】

 第一如是我聞の事  文句(注)の一に云く、如是とは所聞の法体を挙ぐ、我聞とは能持の人なり。記の一に云く故に始と末と一経を所聞の体と為す。

 御義口伝に云く、所聞の聞は名字即なり、法体とは南無妙法蓮華経なり、能持とは能の字之を思う可し。
次に記の一の故始末一経の釈は、始とは序品なり末とは普賢品なり。法体とは心と云う事なり、法とは諸法なり、諸法の心と云う事なり。諸法の心とは妙法蓮華経なり。
伝教云く、法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死すと。死の字に心を留めて之を案ず可し、不信の人は如是我聞の聞には非ず、法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり。 
 爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり、信は則ち所聞の理会し、順は則ち師資の道成ず」と。
所詮、日蓮等の類いを以て、如是我聞の者と云う可きなり云云。

[要点解説]
如是我聞とは「是の如き、我聞けり」で「この様に私は仏(釈迦)の説法を聞きました」の意となる。我とは、釈尊十大弟子の一人で多聞第一と称えられていた阿難(アーナンダ)である。阿難は釈迦の従兄弟で、27歳から釈迦の従者、いまでいう秘書官の役目を担っていて、それ以来、釈迦の説法をそばで全て聞いていたことから、釈迦滅後五百人以上もの高弟(羅漢)による仏典結集では、最長老の摩訶迦葉が座長となり、経の結集では阿難が中心者となって口述したと伝えられている。尚、二大弟子と謂われた舎利弗、目犍連はこの時すでに亡くなっている。
また、釈迦の仏典は書き出しが全て「如是我聞」で始まるが、此の仏典の様式は、仏教史上中興の祖と言われ、仏典の解釈書「大智度論」を述作した「龍樹」が定めたという。

日蓮大聖人はこの仏典結集(ぶってんけつじゅう)について「法華経題目抄」で次のように記されておられる。
「仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿・百歳の時・壬申の歳・二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間・一千人の阿羅漢・結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき」

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[仏典結集が行われたとされる7つの洞窟※仏典結集を外護した阿闍世王が、此の洞窟の前に伽藍を建立したとも言われている]

【御義口伝 上】要点解説(3)に続く





by johsei1129 | 2017-07-19 18:03 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 17日

五十、日蓮、日妙に御本尊の下付を約束

 

 御本尊に題目を唱え終えると日蓮は皆に語った。

「この御本尊はこの佐渡の地で始めて図現しました。佐渡のご信徒の皆様は、ここの宝殿に掲げたこの御本尊に向かって南妙法蓮華経と唱えてくだされ。日妙聖人へは改めて授与いたしますので、しばしお待ちくだされ

 阿仏房夫妻は皆が一同に唱題する中で、代表して日蓮より厳粛に本尊を授かった。

 また日妙は、日蓮からご本尊の授与を約束され感謝の言葉を述べる。

私ごときに、大切なご本尊を与えていただけるとは感謝に耐えません。まことにありがとうございます。つぎにわたくしごとですが・・」

 日妙が言いよどむ。

「再婚のことですね」

 日蓮は日妙をさとす。

「いかなる男を夫にされても、法華経のかたきならば随ってはなりませぬ。いよいよ(ごう)(じょう)の志をたもつことだ。氷は水からつくるが水よりも冷たい。青きことは(あい)からでるが藍よりも色はまさる。おなじ御本尊にておわすれど、志をかさぬれば他人よりも色まさり、利生もあるのです」

 日妙は心から満足した。この日蓮の声を聞くために、千里をこえてやってきたのだ。踊りあがりたかった。

 それにしてもなんというお方であろう。流人の身でありながら、これほどまで弟子を思っていてくださるとは。

「上人様、わたしの心に迷いがなくなりました。空が晴れて地が明るくなったようです。持ちあわせの銭を使い果たした甲斐がございました」

 阿仏房がここで口をはさんだ。

「そのことじゃが。聞けば鎌倉に帰る手立てがないと聞いとりますがの」

 日妙は気丈だ。

「はい。ですがしばらくこちらでおつとめし、たくわえたいと存じます」

 ここで国府尼が日蓮に手をついた。

「上人様。おねがいでございます。日妙様の帰りの算段は、わたしども夫婦にさせてくだされ」

 国府尼がひもで通された銅銭を日蓮の前にさしだした。するとせきを切ったようにまわりの者も銭を前においた。

余談だが帰郷の費用はこれだけでは足りなかった。このため日蓮は家主の一の(さわ)入道に口添えし、用立してもらった。その際「法華経一部十巻」を渡す約束をしている。その時の経緯については建治五年、身延の草庵から一谷入道の女房に宛てられた『一谷入道女房御書』で次のように記している。

(もと)銭に利分を添えて返さんとすれば、又弟子が云く御約束(たが)ひなんど申す。(かたがた)進退(きわま)りて候へども人の思わん様は狂惑(おうわく)の様なるべし。力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうばにてありし者は内内(ないない)(法華経に)心よせなりしかば是を持ち給へ。

:日蓮はいざ約束を果たそうとするが、未だ念仏信仰から抜けきらない一谷入道に法華経を送ることに躊躇(ちゅうちょ)する。かわりに利子をつけて金銭で返そうとすると、弟子に約束を破ることになると言われ、進退極まりない状態になった。入道の祖母が法華経に心をよせているとのことなので、この方に法華経を持たせてください。
 
 日妙親子が島をはなれ鎌倉に帰っていく。佐渡まで渡してくれたかつての船頭が、今度は佐渡から柏崎まで親子を船にのせた。

 来た時とはうってかわって大勢の人々が日妙親子を見送りにでた

「お前さんは偉いお方だったんですね」
 船頭はいささか罰が悪い。
「そんなことはありません。偉いのは、ほらそこに薄墨の法衣をまとっておられる日蓮上人様です」
 船がでた。

 日妙は日蓮の姿を目に焼き付けるように見続けた。これが最後かもしれないのだ。

 乙御前は船から落ちまいとしっかりと母の手を握りしめる。

 阿仏房老人が岸壁でこの様子を見ていた。彼は日妙の姿を見てつぶやいた。

「偉いおなごだのう。女人は愛する男をしのんで千里の道をたずね、石となり木となり鳥となり、蛇となったというが、日妙殿はそれ以上だ」

 この三年後、彼もまた日蓮を慕って海山をこえることになる。


 弟子のほとんどが「肝をけして」退転した中で、強盛な信心を見せる者があらわれた。師子は子を谷底に落として勇気を見るというが、勇敢にはいあがった弟子を見ることができたのである。その意志の強靭さは末法における妙法流布への日蓮の確信を、揺るぎないものにした。しかも日蓮への帰依を貫くために夫と別れ、幼い子を抱えた女性である。

 妙法の歴史の中で、名をはせた女性は少ない。日妙の(ごう)(しん)は、釈迦の養母で釈迦教団の最初の女性出家者(比丘尼(びくに))となった摩訶(まか)波闍(はじゃ)波提(はだい)(マハーパジャーパティ・)をも超えると日蓮は言う。

日蓮の日妙に対する思いはつぎの手紙につづられている。

(しか)玄奘(げんじょう)西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教御()入唐(にっとう)(ただ)二年なり波涛(はとう)三千里をへだてたり。此等は男子なり、上古なり、賢人なり、聖人なり。いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の道をわけし事を。竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼の記莂(きべつ)にあづかりしも、しらず権化(ごんげ)にやありけん。また在世の事なり。男子女人其の性(もと)より別れたり。火はあたゝかに水はつめたし。海人(あま)は魚をとるにたくみなり。山人は鹿をとるにかしこし。女人は淫事(いんじ)にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは。

当に知るべし、須弥山(しゅみせん)をいたゞきて大海をわたる人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。砂をむして飯となす人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。当に知るべし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等、此の女人をば影の身にそうがごとくまぼり給ふらん。日本第一の法華経の行者の女人なり。ゆえに名を一つつけたてまつりて()(きょう)菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云。

 相州鎌倉より北国佐渡国、其の中間一千里に及べり。山海はるかにへだて、山は峨々(がが)海は涛々(とうとう)、風雨時にしたがふ事なし。山賊海賊充満せり。すくすく(宿々)とまり(泊 )とまり()民の心虎のごとし犬のごとし。現身に三悪道の苦を()るか。其の上当世の乱世、去年より謀叛(むほん)の者国に充満し、今年二月十一日合戦、それより今五月のすゑ、いまだ世間安穏ならず。(しか)れども(ひとり)の幼子あり。あづくべき父もたのもしからず。離別すでに久し。かたがた筆もおよばず、心(わきま)へがたければとゞめ(おわ)んぬ。

文永九年太歳壬申五月二十五日       日蓮花押

 日妙聖人                      『日妙聖人御書』 


 権化とは仮にあらわれた姿をいう。竜女も摩訶波闍波提も女性ではあるが、釈迦在世のことであり、確かとはいえない。しかし今、日蓮の目の前にその女性があらわれた。 

 日蓮の賛嘆はとめどない。手紙の中で彼女を楽法梵(ぎょうぼうぼん)()にたとえ、釈迦菩薩にたとえ、薬王菩薩にたとえ不軽(ふきょう)菩薩にたとえている。
 これらの菩薩は命を捨てて仏法を求めた人々であった。日妙もまた同じであると。
 手紙の末尾は「かたがた筆もおよばず、心弁へがたければとゞめ了んぬ」と記し、妙聖人の求道心は、これ以上文字で表すことも、心で理解することも難しいので、ここで筆を止める、とまで言い切っている。

 幕府の弾圧で多くの信徒が退転する中、日妙の佐渡見参は女性の身でもこれほどの強い信仰を持てることを見せつけ、日蓮の魂を確実にゆさぶることになった。

 なお弘安三年(一二八〇)四月に、日妙に授与されたご本尊が、現在まで伝えられている。



      五十一、良観の陰謀 につづく 


中巻目次       

   

注 

摩訶波闍波提(マハーパジャーパティ) 
 仏伝によると、釈迦の生母マーヤーは釈迦誕生後七日で亡くなり、妹のマハーパジャーパティが養母となる。釈迦(しゃか)は成道六年後に釈迦族の王宮に里帰りをするが、その時一族の多くが釈迦の弟子として出家。マハーパジャーパティも何度も出家を願い出るが、女性は男性修行僧(比丘(びく))の修行の妨げになるとして釈迦はマハーパジャーパティの願いを拒絶する。それを取り持ったのが釈迦の従兄弟で、釈迦の従者(秘書)をしていた多聞第一の阿難(アーナンダ)
であった。阿難は釈迦に「あなたは全ての人は平等だと説かれました。女性でも出家し()八正道を実践すれば悟りを得られるのですね」と問うと、釈迦は「その通りだ」と答え「マハーパジャーパティはあなたの養母で恩ある方です。出家を許してください」と懇願、阿難の熱意にうたれ、ついに釈迦はマハーパジャーパティの出家を許す。ここに仏教で初めての女性修行僧(比丘尼)が誕生することになる。またマハーパジャーパティは妙法蓮華経序品第一では、六千人の比丘尼の筆頭として法華経説法の座に連なり、観持品第十三では釈尊より、未来世に「一切衆生喜見如来」となるとの記別を受ける。



by johsei1129 | 2017-07-17 15:01 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(2)
2017年 07月 16日

四十九、御本尊建立の意義を説き明かす

                                  英語版


本尊とはいかなるものか。いかなる相貌(そうみょう)。日蓮は説き明かす。

 其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆(しゃば)上に宝塔(くう)()し、塔中(たつちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦()()仏・多宝仏、釈尊の脇士(きようじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒(みろく)は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しやつけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣(うんかく)(げつ)(けい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏(しゃくぶつ)迹土を表する故なり。()くの如き本尊は在世五十余年に(これ)無し、八年の間(ただ)八品に限る。正像(しょうぞう)二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士(きょうじ)()し、(ごん)大乗並びに涅槃(ねはん)法華経等の迹門(しゃくもん)等の釈尊は文殊・()(げん)等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に(つく)(えが)けども(いま)寿量(じゅりょう)の仏(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。『観心本尊抄

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                     ((かん)心本尊(じんのほんぞん抄真筆 中山法華経寺蔵 国宝)

日蓮は「観心本尊抄」の締めくくりに「一念三千を()らざる者には仏、大慈悲を起し、五字(妙法蓮華経)の内に()(たま)(つつ)み末代幼稚の(くび)()けさしめ給う」としたためている。

この観心本尊抄に示された本尊は、日蓮が末代幼稚、つまり末法の生き方に迷える衆生にあてた唯一無二の贈り物である。

(くび)()けさしめ給う」とは、当時の習わしとして荼毘(だび)に付した父母の遺骨を墓地に埋葬する際、首に下げて運んだことが御書に記されている。この「頸に懸け」るとの御文を読まれた当時の信徒は、ご本尊はいかに大切なものが瞬時に理解していたと思われる。

 

 其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年(こぞ)は七月二日、父の舎利(しゃり)(くび)()、一千里の山海を経て甲州・波木井(はきり)身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月(ふづき)一日(ついたち)身延山に登りて慈父のはかを拝見す、子にすぎたる(たから)なし・子にすぎたる財なし南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。   『故阿仏房尼御前御返事


二母国に無し、今より後(だれ)をか拝す可き、離別忍び(がた)きの間、舎利を頚に懸け足に任せて大道に出で、下州より甲州に至る其の中間往復千里に及ぶ。国国皆飢饉(ききん)し山野に盗賊(とうぞく)充満し宿(しゅく)宿(しゅく)粮米(ろうまい)(ぼう)(しょう)なり。我身羸弱(えいじゃく)・所従()きが(ごと)牛馬(ごめ)合期(あいご)せず峨峨(がが)たる大山重重として漫漫たる大河多多なり、高山に登れば(こうべ)を天に()幽谷(ゆうこく)(くだ)れば足雲を踏む、鳥に非れば渡り難く、鹿に非れば越え難し、眼(くるめ)き足(こご)ゆ、羅什三蔵の(そう)(れい)(えん)()()(そく)の大峰(注)も只今なりと云云。
 然る後(じん)(どう)に尋ね入りて一(あん)(しつ)を見る、法華読誦(どくじゅ)の音青天に(ひび)き、一乗談義の言山中に聞ゆ、案内を()れて室に入り、教主釈尊の()宝前(ほうぜん)に母の骨を安置し、五(たい)を地に投げ合掌(がっしょう)して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り心の苦み(たちま)()む。
 我が(こうべ)は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり。(たと)えば種子(たね)菓子(このみ)と身と影との如し。教主釈尊の成道は(じょう)(ぼん)摩耶(まや)の得道、(きっ)(せん)師子(しし)青提(しょうだい)(にょ)目犍(もっけん)尊者(そんじゃ)は同時の成仏なり。(かく)の如く観ずる時・無始(むし)業障(ごうしょう)忽ちに消え、心性(しんしょう)の妙蓮忽ちに開き給うか、(しか)して後に随分仏事を為し事故無く還り給う云云、恐恐謹言。              忘持経事

 

 紙に文字を記したものに力があることは手紙、紙幣、契約書などの例からも明らかである。

 ただし根拠となる裏付けが必要となる。また合わせてその書かれている意味を了解する資質も備わっていなければならない。

 うその手紙は役にたたない。ニセ札は罰せられる。虚偽の契約書は犯罪になる。

 反対に本物の紙幣には国家の保証がある。だが貨幣経済の習慣がなく、いまだ森の山奥で狩猟生活をする人々に福沢諭吉の札束を渡しても、焚き火にくべられるだけだろう。相手を思い書かれた手紙は、受け取る相手にその思いを受容する資質があれば、人生を変える一書となることもあるだろう。人が紙に書かれたものを信じる理由は、それを作り出した人、また機関などの志や意図が紙にのりうつる、いわゆる化体しているためだ。

 日蓮が図現した本尊は末法の本仏の魂、より具体的に言い換えれば慈悲の生命が化体している。この本尊に題目を唱えることによって、人は初めて己自身の魂に潜在する仏性をあらわすことができるのだ。

 日蓮はこの潜在する仏性をかごの中の鳥にたとえ、唱える題目を空飛ぶ鳥にたとえる。

 故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・閻魔(えんま)法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・人天・一切衆生の心中の仏性を(ただ)一音(いちおん)()び顕はし(たてまつ)る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。(たと)へば(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空飛ぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「()(しばら)くも持つ者は我則ち歓喜す諸仏も亦(しか)なり」と説き給ふは此の心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生(かい)成仏(じょうぶつ)(どう)の妙法と云ふは是なり。是等の(おもむき)を能く能く心得て、仏になる道には我慢(がまん)偏執(へんしゅう)の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。法華初心成仏抄

 本尊に向かって南無妙法蓮華経と題目を唱えることが成仏への修行のすべてであるとする。日蓮はこの本尊をはじめて佐渡であらわした。

 文字は人の思いをつたえ、また声は仏事を為すとする。

日蓮が魂を墨に染め流し、したためた本尊に南無妙法蓮華経と唱えることで、末法の仏道修行は究竟(くきょう)、つまり極まる。

日蓮は末法の衆生に、なんとしてでも成仏の法を伝えたかった。自らこの本尊の偉大さを語る。

(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん、(りゅう)(じゅ)(てん)(じん)等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅(だいまんだら)を、末法二百年の(ころ)、はじめて法華弘通(ぐつう)はた()()しとして顕はし奉るなり。是全く日蓮が自作に非ず、多宝(たほう)塔中(たっちゅう)大牟(だいむ)()()(そん)分身(ふんじん)の諸仏のすり()かたぎ(形木)たる本尊なり。されば主題の五字は中央にかゝり、四大天王は宝塔の四方に座し、釈迦・多宝・本化(ほんげ)の四菩薩肩を並べ、()(げん)文殊(もんじゅ)等、舎利(しゃり)(ほつ)目連(もくれん)等座を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅(あしゅら)・其の(ほか)不動(ふどう)愛染(あいぜん)は南北の二方に陣を取り、悪逆の(だっ)(た )愚痴(ぐち)の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼たる()子母(しも)(じん)(じゅう)羅刹女(らせつにょ)等、加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祗(しんぎ)等、体の神()らなる、其の余の(ゆう)の神(あに)もるべきや。宝塔(ほうとう)(ぼん)に云く「諸の大衆を接して皆虚空(こくう)に在り」云云。此等の仏・菩薩・大聖(だいしょう)等、総じて序品列座の二界・八番の雑衆等、一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の(こう)(みょう)にてらされて本有(ほんぬ)尊形(そんぎょう)となる。是を本尊とは申すなり。      『日女御前御返事

  さらに日蓮はこの本尊の正当性を疑う者に答える。

問うて曰く、仏の()(もん)如何(いかん)。答へて曰く「(ごの)()(ひゃく)(さい)閻浮提(えんぶだい)(おい)広宣(こうせん)流布(るふ)せん」と。天台大師記して云く「(ごの)五百歳遠く妙道に(うるお)はん」と。妙楽記して云く「末法の初め冥利(みょうり)無きにあらず」と。伝教大師云く「正像(やや)過ぎ()はって末法(はなは)だ近きに有り」等云云。「末法太だ近きに有り」の釈は、我が時は正時(しょうじ)に非ずと云ふ(こころ)なり。伝教大師日本にして末法の始めを記して云く「()を語れば像の終はり末の始め、地を(たず)ぬれば(とう)の東・(かつ)西(にし)(ひと)(たず)ぬれば則ち五濁(ごじょく)の生・闘諍(とうじょう)の時なり。経に云く、()()怨嫉(おんしつ)況滅度後(きょうめつどご)と。此の(ことば)(まこと)(ゆえ)有るなり」と。此の釈に「闘諍の時」云々。今の自界(じかい)叛逆(ほんぎゃく)・西海(しん)(ぴつ)の二難を指すなり。此の時地涌千界(じゆせんがい)(注)出現して、本門の釈尊を脇士(きょうじ)と為す一閻浮提(いちえんぶだい)第一の本尊、此の国に立つべし。 『観心本尊抄 



               五十、日蓮、日妙に御本尊の下付を約束 につづく

 
中巻目次       

注        

 羅什三蔵の葱嶺・役の優婆塞の大峰

 富木常忍が母の舎利を日蓮に弔ってもらうために下総から身延山中まで首に懸けて持ってきたことを、羅什三蔵が法華経を漢訳するため葱嶺(パミール高原)を越えて中国に持ってきたこと、また役の行者が悟りを説くため高野などの大峰に登ったことに匹敵すると称えている。


 地涌千界

 地涌は地より()き出る意で、法華経従地涌出品第十五に説かれる地涌の菩薩のこと。千界は千世界の意で、神力品第二十一に「千世界微塵等の菩薩摩訶(まか)(さつ)、地より涌出(ゆしゅつ)せる者」とあり、六万恒沙(ごうしゃ)の地涌の菩薩を地涌千界という。六万恒砂とは六万のガンジス河にある無数の砂のこと。地涌の上首が上行等の四菩薩である。

「我が弟子之を(おも)へ、地涌千界は教主釈尊の初発心(しょほっしん)の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林(そうりん)最後に(とぶら)はず、不孝(ふこう)(とが)之有り。迹門の十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還(らいげん)せり。是くの如き高貴(こうき)の大菩薩、三仏に約束して之を受持す。末法の初めに出でたまはざるべきか。(まさ)に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は(けん)(のう)と成って()(おう)誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を()()す」『観心本尊抄(



by johsei1129 | 2017-07-16 23:07 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 16日

四十八、日蓮、佐渡で始めて本尊を図現する

鎌倉を旅立って何日たったろうか。

日妙親子が田舎道で老婆に寺泊までの道をたずねた。老婆は、はるかかなた北方向の山を指さした。

陽が森の道におちていく。

峠をこえれば日本海が見わたせるところまできていた。

日妙が頬のこけた乙御前をはげました。

「さあもうすぐ海ですよ。もうすぐです」

そこへ背後から男の声がした。

「おい、そこの二人」

おどろいてふりむいた。

百姓姿だが人相は凶悪である。手に斧、鎌をにぎっている。

「幼子連れの女の旅か。ここはな、俺らの縄張りよ」

男が指に丸をつくった。

「いくらかおいておけば見のがしてやろう。それがいやなら、力ずくでいただくぜ。脱がしてでもな」

男たちが不気味に笑った。

日妙は男たちに恐怖というよりあわれを感じた。戦乱の荒廃はこんな田舎にまでおよんでいるのか。

彼女は神妙だった。

「それはそれは。知らぬこととは申せ、おそれいります。ただ旅の途中、路銭は使いはたしている始末。このままお通し願えないでしょうか」

 百姓が舌なめずりした。

「それでは身ぐるみ置いていきな」

母娘はしばらく戸惑っていたが、おとなしく笠をはずしはじめた。

男たちは固かった表情をくずした。

「素直な女だぜ」

この時、日妙親子が脇差しをぬき、身構えた。必死の形相である。

 男たちがおどろいてあとずさりし尻餅をついた。

日妙が武者のようにほえる。

「われら親子は大切なお方にお会いする身です。命をかけてここまできたのです。おどすなら、あなたがたも覚悟なされ」

日妙の怒気を含んだ形相に尻込みした族の一瞬の息をついて、日妙はわずかの宋銭を投げ捨てると、髪を乱して坂を駆け上がった。族はもう後を追ってこない。やがて日妙親子は峠の頂上についた。

眼下に、朝日に映える日本海がまぶしくみえた。

目をこらすと、大海に浮かぶ夢にまで見た佐渡の島があった。

日妙は、ようやく佐渡ヶ島が見えるところまでたどり着いたことに安堵した

 

親子は柏崎をすぎ、寺泊の海岸にたどりついたが、路銭はほとんどなくなっていた。

日妙は船着き場の船頭と交渉した。

ふんどし姿の船頭が手をふった。

「そんな値段じゃこげねえ。無理だ、あきらめな」

日妙がねばる。

「鎌倉からはるばるひと月かけて、やっとここまできたのです。そこをなんとかできないでしょうか」

 払える船賃はすでに尽きてしまった。だがここであきらめるわけにはいかない。

船頭が聞こえないふりをするように冷たい。

「そんなこと、いちいち聞いてりゃ商売はできねえ。ほかをあたりな」

「娘はもう歩く力がありませぬ。どうしてもこの船に」

船頭が去ろうとしたが、日妙が立ちふさがった。

 彼女は結った髪からかんざしをぬこうとすると、船頭が「何をする気だ。早まるな」と叫び、後ずさりする。

 日妙は船頭のあわてぶりに笑いながらに「なにもしませんよ。このかんざしを船賃にしますので船を出してください」とさしだした。


舟が母子を乗せて日本海をわたる。

船頭が舵をとった。彼は女の形見までさしだしたのを見て船にのせることにした。

船頭は思う。

(なんという執念だ。どんな訳があるのか分からないが、佐渡によほど会いたい男がいるにちがいない。好きな男のために身を捨てる女がいるとは聞いていたが、この俺がかんざしを船賃にして女を船に乗せるとは、女房に話しても信用するかどうか・・)

その日妙はぐっすり眠る乙御前を抱き、波間に垣間見える佐渡ヶ島を見つめたままだった。

一の(さわ)の館はおだやかな陽がさしていた。

外では白袈裟を着た若い弟子が頭に桶をのせ水をはこんだ。また百姓を手伝い、並んで畑を耕す弟子もいる。

日蓮にようやく平穏な日々がおとずれた。

部屋には国府(こう)道、阿仏房夫妻がいる。

「そうでしたか。わたしは来たばかりの時は大悪人でしたか」
 一同が笑った。

それにつられて日蓮もひときわ大きく笑った。
 国府入道が恐縮した。

「まったくおそれ多いことで。まことに見ると聞くとでは大ちがい」

「それはそれは、よかった。大悪人のままであったら、今ごろわたしは生きてはいない。剣術の巧みな阿仏房殿の一太刀で命を失っていた事でしょう

今度は一同が大笑いする。さらに阿仏房が畳に頭を擦りつけ平身低頭すると、その動作がおかしく、笑いの渦はとまらなかった。

 この時、百姓が「日蓮上人」と叫びながら一の谷の館に駆けつけた。
「日蓮上人様、
旅姿の子連れの奥方が、港で倒れ、日蓮上人のお屋敷はいずこにと叫んでいなさる」

日蓮がおどろいて立ちあがった。

「そのご婦人の名はなんと申す。いずこからこられた」

そこへ日妙親子が村人に担われてやってきた。

日蓮は夫人の顔を見て思いだした。鎌倉の信徒ではないか。

「おお、そなたは」

日妙が日蓮を目の当たりにして満面の笑みでほほえんだ。

「日妙です。日蓮上人様、やっとお会いすることができました・・」

 彼女はそれだけ話すとほっとしたのか、へなへなと土間にすわりこんだ。

その夜、日妙親子は国府入道の屋敷の寝室で横たわっていた。

となりの部屋では阿仏房、千日尼の夫妻、国府入道の夫妻がひかえている。

千日尼、国府入道の尼は、日妙が子を携え、上人に会うために佐渡まで渡ったことに深く感じ入った。
「鎌倉から千里の道を女が旅するとは」

「あの娘さまもよくついてきたこと」

 子のない国府尼は、日妙の娘のことが気になって仕方がない。
「うわごとで上人様、上人様と」

翌日の早朝、日蓮は日妙と乙御前の様子を見にきた。
「どうかな、母子のぐあいは」 

 一同がいずまいをただす。

国府尼がこたえた。

「昨日はよくお休みになっておられたようです」

「それはよかった。女人は夫を魂とする。夫なければ女人の魂はない。この世に夫ある女人すら世の中わたりがたくみえるのに、この人は魂もなく世をわたっているが、魂ある女人にもすぐれて心中健気(けなげ)におわするうえ、仏をもあがめておられる。人にすぐれておわする女人です」

一同が聴きいる。

「日蓮はこのような大難にあいましたが、無量劫の重罪を一生のうちに消そうとした振舞いに少しもまちがいはなかった。このような身となれば、願いも満足です。しかれども凡夫なれば、ややもすれば悔いる心はある。日蓮でさえこのような有様であるのに、前後もわきまえぬ女人で仏の法を悟らぬ者が、いかほどか日蓮に味方してくやしいと思っているであろうと心苦しかったのですが、案に相違して日蓮よりも強盛の志あるのは、ひとえにただごとではない。教主釈尊がこの人の御心に入りかわらせたのではあるまいか」

 日蓮が話をしている中、日妙がいつの間にか寝室からでて、かしこまっていた。目には安堵の表情をうかべていた。
 日蓮はまっすぐに日妙を見つめていう。

「よくこられました。道の遠きに心ざしのあらわるるにや。釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行(じょうぎょう)(注)無辺行らの大菩薩、大梵天王、帝釈、四天王らはあなたを影の身に添うがごとく守るでしょう。日本第一の法華経の行者の女人です。ゆえに名をひとつ付けてたてまつろう。これよりあなたを日妙聖人と呼びましょう」

 すると日妙がすかさず聞いた。

「私にはもったいないことですが、ありがたくお受けします。ところで上人様、どうしてもたずねたいことがあります。そのために海山を乗りこえてまいりました」

日蓮がうなずく。

日妙は、あり余る思いを吐露する。

「鎌倉は合戦も終わっておちつきを見せております。そこでわたしたち鎌倉の信徒は、一刻も早い上人のお帰りをおまちしております。上人様、わたしたちが幕府に訴えて、上人のご赦免を願いでることは、いけないことなのでしょうか」

日蓮は一転してきびしい表情をみせる。

「それはなりませぬ。早々に御免をこうむらざることを嘆いてはなりません。さだめて天がこれをおさえているにちがいない。去年の流罪があればこそ、今年の騒動をまぬがれることができたのです。もし日蓮が鎌倉にいたならば、あの騒動の時、必ず打ち殺されていたであろう。吉が凶となり、凶が吉となることもある。日蓮が許しをこうむらんと欲する事を世間に言いふらす弟子は不孝の者です。あえて後生は助かることはない。おのおのにこのことを伝えなさい」

日妙が矢つぎ早に聞く。

「上人様、あの大難で鎌倉の信徒はほとんど退転いたしました。のこった人たちも身はおちねども心おち、心はおちねども身はおちている有様です。されど強盛に信心をかまえている者もございます。でも上人様が鎌倉を去られてから、だれを、なにを頼りにしたらよいか迷っているのです。ある人は釈迦の像をかざり、ある人は法華経を読むばかりです。わたしも迷っておりましたが、ある日おそろしい思いにかられたのです。上人様に万一のことがあれば、どうすればよいのかと・・」

日蓮は答えず、懐中から小さな巻物をとりだし、皆の前で縦にひらいた。

一幅の紙面に南無妙法蓮華経の文字が見える。

みながいっせいに手をあわせた。

日蓮が高らかに唱える。

「日蓮守護たるところの御本尊をしたためました。この曼陀羅(まんだら)に南無妙法蓮華経の題目を唱えてくだされ。日蓮の魂を墨に染めながして書きしるしました。信じさせたまえ。仏の御心は法華経にあり。日蓮が魂は南無妙法蓮華経としたためたこの御本尊にあります」

阿仏房夫妻も、国府夫妻も、初めて日蓮から披見された御本尊を目の前にして、誰ともいうことなく全員が「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と題目を唱えた。


はたして日蓮はいつ本尊を図現されたのか。

「文永八年太才辛未(かのとひつじ)十月九日 相州本間()()郷 書之」と認められた現存する最古の御本尊が残されている。依智から佐渡に向かう前日に、樹枝を砕いて筆として和紙一紙に認められている。此の御本尊の相貌(そうみょう)は、中央に大きく南妙法蓮華経、左右に(ぼん)()で不動明王と愛染(あいぜん)明王、そして左下に日蓮花押(かおう)と記されている。釈迦()()世尊、多宝如来はまだ記されていない。

おそらくこの本尊は、一ヶ月程滞在した本間邸の家主本間重連(しげつら)に、感謝の意で下付された本尊と思われる。

また身延久遠寺に存在したが、明治八年の大火で消失したとされる文永十年七月八日に図現の「佐渡始顕本尊」については、その相貌に四天王が記されている。

この四天王は、日蓮が身延入山後の建治元年以降から本尊に認められていることから、文永十年に図現されたとするこの本尊は、明らかに大聖人滅後に偽造されたものと強く推察される。

さらに現存する御本尊の中に、「於佐渡國圖之」と記された、文永九年太才壬申(みずのえさる)六月十六日に図現された御本尊が存在する。

この御本尊の相貌は、中央に南無妙法蓮華経、(きょう)()として向かって左に南無釈迦牟尼仏、右に南無多宝如来、左端に梵字で不動明王、右端に同じく梵字で愛染明王、左下に日蓮花押と認められている。この御本尊は間違いなく「開目抄」著した後の、佐渡の一ノ谷にて図現された御本尊で、授与名が記されていないため、佐渡の日蓮の居宅に設けられた宝殿掲げられていたのではと推測される。恐らく阿仏房夫妻、国府入道夫妻等、佐渡で帰依した信徒も、このご本尊を拝し題目を唱えていたものと思われる。




                  四十九、御本尊建立の意義を説き明かす  につづく


中巻目次



                        注

 

上行


上行菩薩のこと。地涌の菩薩の上首である四菩薩の一人。法華経従地涌出品第十五に説かれる。四菩薩はおのおの常楽我浄の四徳をあらわし、上行菩薩は「我」の徳をあらわす。すなわち生死の苦に束縛されない、自由自在の境涯をさし、真我の確立をさして上行という。日蓮大聖人は百六箇抄(ひゃくろっかしょう)で「上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」と説き、大聖人自身が末法に妙法を弘通する地涌の菩薩の上首、上行菩薩であると説く。



by johsei1129 | 2017-07-16 21:55 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 16日

四十七、強信の日妙、山海を渡る

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                       (日蓮大聖人御一代記より)
 日蓮は佐渡の一の(さわ)入道の屋敷に転居を許された。
 塚原の三昧堂とはうってかわった真新しい堂だった。塚原のあばら家とは見ちがえる建物である
 日蓮への幕府の処遇は、明らかに好転していた。二月騒動以降、幕府内で日蓮の処遇をめぐり、何がしかの動きがあったことが容易に推察された。日蓮は島の中を自由に往来できるようになった。また佐渡の島民とも自由に法華経の説法をすることができた。   

塚原問答以後、しだいに人々が日蓮のもとに集まりだした。彼らは自分たちから進んで日蓮をかこみ説法を聞いた。阿仏房夫妻もその中にいた。

「世間に人の恐るるものは、炎の中と(つるぎ)の影とこの身の死することです。牛馬なお命を惜しむ。いわんや人間をや。(らい)人なお命を惜しむ。いかにいわんや壮人をや。命にすぎたるもののなければこそ、これを布施として仏法を習えばかならず仏となる。身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。また財宝を仏法におしまん者、まさる身命を捨つべきや。主君のために命をすてる人は少ないようだがその数は多い。男子は恥に命をすて、女人は男のために命をすてる。世間の浅きことには身命を失いながら、大事の仏法などにはすてることがない。ゆえに仏になる人もいない。

畜生の心は弱きをおどし、強きをおそれる。いまの学者らは畜生のようであります。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそれる。()(しん)と申すのがこれです。悪王の正法をやぶるに、邪法(じゃほう)の僧等が方人(かたうど)をなして智者を失わん時、師子王のごとくなる心をもてる者かならず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これはおごれるのではない。正法をおしむ心の強盛なるゆえです」

島民がぞくぞくと集まってくる。三ヶ月前には想像もできない光景である。

「先日合戦あり。日蓮は聖人ではないが法華経を説のごとく受持すれば聖人のごとし。また世間の作法かねて知ることにより、忠告したことも誤りはなかった。現在に言いのこす言葉の(たが)わざらんをもって後生の疑いをなしてはなりませぬ。日蓮はこの関東の一門の棟梁であり、日月であり鏡であり眼目である。日蓮捨てさる時、七難かならずおこるべしと、去年(こぞ)九月十二日御勘気(ごかんき)こうむりし時、大音声(おんじょう)もって呼ばわりしことはこれです。わずかに六十日、百五十日にしてこのことおこる。これはまだ華報(けほう)である。実果(じっか)の成ぜん時、いかに嘆かわしいことであろう」

武士がたずねた。

「では日蓮殿が智者ならば、なぜこのたびの王難にあわれたのですか」

「日蓮かねてより存知のことです。父母を打つ子あり阿闍(あじゃ)()王なり。仏・阿羅漢を殺し血をいだす者あり、提婆(だいば)(だっ)()これなり。大臣はこれをほめ、瞿伽(くぎゃ)()(注)らはよろこんだ。日蓮は当世にはこの御一門の父母である。仏・阿羅漢のごとし。しかるを流罪して主従ともによろこんでいる。あわれに無慚(むざん)な者たちです。邪法の僧らが自らの災いのすでにあらわれるのをなげいてはいたが、かくなるをいったんはよろこぶでしょう。のちにはかれらがなげきは日蓮が一門に劣るべからず。例せば泰衡(やすひら)(注)が弟を討ち、()(ろう)判官(ほうがん)(注)を討ちてよろこんだように。()()()()

日蓮もまた、かく責められるのも先業なきにあらず。宿業ははかりがたい。くろがねは鍛え打てばつるぎとなる。賢聖は罵詈(めり)して試みるなるべし。このたびの御勘気は日蓮に世間の(とが一分(いちぶん)ありません。ひとえに先業の重罪を今生に消して、後生の三悪道をのがれんとするものです」

佐渡の人々は日蓮の説法を聞いて不思議に思った。

なぜこの人が流罪となったのか。この日蓮という人を流罪したのは鎌倉殿のまちがいではなかったのか。結果、幕府は北条一門の内乱による二月騒動という惨劇をひきおこした。その原因はこの御坊を罪におとした報いではなかったのか。しかも日蓮は鎌倉から一千余里も離れたこの佐渡で騒動を予言したではないか。あまりにも見事に的中したので()謀反(むほん)一味だとの噂がたったほどだった。

人々は日蓮上人に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

こんどは千日尼がきく。阿仏房の妻である。

質問は切実だった。

「上人様、わたしたち夫婦は長年、念仏を唱えてまいりました。法華経によれば、謗法の罪は千劫たっても消えないとうかがっております。はたしてこの罪は消えることはないのでしょうか」

日蓮がよくぞ難問を問うた」とばかりに二度三度うなずいた。

「日蓮とて過去世は謗法の身であった。この世に生まれてからも念仏を唱え、悪行を積んできた。いま謗法の酔いさめてみれば、酒に酔える者が父母を打ってよろこんでいたが、酔いさめてのち嘆くようなものです。日蓮の過去世より今日までの謗法は恐ろしく深い。佐渡流罪という大難は日蓮が強く法華経の敵を責めたがゆえに、一時に集まりおきました。法華経を(まも)る功徳の力により、地獄に堕ちずして仏となることができるのです。法華経を念じ法華経の行者を護る阿仏房・千日尼夫妻の罪障は、かならず消し去ることができます

日蓮が断言するのを聞き、阿仏房夫妻は思わず手をあわせた。

こうして佐渡は法華経一色に染まった。

一国が妙法に帰依(きえ)するのを広宣流布という。理想郷の実現がせまっていた。

だがこれをうらむ者がいた。

念仏、禅の僧らが建物のかげでささやいた。

「どうする・・このままではわれらは飢え死にするぞ。すでに佐渡の国の者も大半は日蓮についた。なんとかせねば・・」

鎌倉の下町には道の両側に店がならび、人々が群をなしていた。物売りのかけ声が飛びかう。

人々が出店をのぞきこんだ。小町屋とよばれる商店は品物を店先にならべて道をせまくし、所かまわず売り買いが始まる。大都市鎌倉は二月騒動が終息し、平穏にもどろうとしていた。騒動は北条の一族同士が争う血なまぐさい事件だったが、時の流れとともに忘れさられようとしている。庶民は毎日の衣食住に精いっぱいで、権力者どうしの争いにかまっていられない。

日妙親子がこの通りを歩いていた。

母の日妙は(みの)(がさ)わらじを買った。

娘の(おと)御前が楽しそうに店をながめる。乙は子供たちの仲間にはいって遊んだ。日妙がその様子を満足げにながめ、つかの間の幸せな気分に浸っていた。

夕陽が鎌倉の市井を照らす中、笑顔の親子が家に帰ってきた。

日妙は法難のさい、信心に反対する夫と離縁した。今は娘と二人暮らしだが気丈に毎日をやりくりしていた。

その親子が玄関の戸を開けたとたん、足が止まってしまった。

見なれた草履がならんでいる。

日妙が緊張した。両親がきていたのだ。

床の間には経机があり、法華経の経巻が安置されていた。

日妙が父母にうやうやしく手をついた。

「これはこれは。前もってお知らせていただければ、おまちしておりましたものを」

父親が日妙の手にした蓑や草鞋をながめた。

「なんの支度だ。旅でもするのか」

険悪である。

日妙が虚をつかれたようにどぎまぎした。
「いえ、このたびのいくさで思い知りました。なにかあれば鎌倉をでる用意も必要と思いまして」

母親がなげいた。

「そんなことより、女一人でこれからどうするのです。子供も小さいのに」

母親が袖で頬をぬぐう。

日妙が笑顔をつくろった。

「父上様、母上様、心配はございませぬ。まだ多少のたくわえはございます。女だからとて、なんの不足もございませぬ」

なげくのは父親もおなじだった。

「そんなことだから離縁するのだ。もっと男を立てなさい。なぜ別れた」

日妙がきっぱりといった。

「父上、わたしはもう嫁にはいきませぬ。わたしのまわりは不甲斐ない男ばかりでございます。武士だ、侍だといっても、いざとなれば体裁を気にして出世しか頭にない人たちです。そんな男にだれがついていきましょう」

「それがいかんのだ」

父親が机の経巻を指さした。

「こんな法華経など、まだもっているのか。日蓮など信じているから、そのような気性になるのだ。親戚はお前のことをなんといっていると思う。日蓮を先にして夫を捨てた悪妻の見本といっているのだ」

娘の(おと)前が日妙をかばった。

「おじいさま、おばあさま。そんなこわい顔で母上をいじめないでください。上人さまのどこがわるいのです。乙にはやさしいお坊様です。おじいさまやおばあさまのように、こわい人ではありませぬ」

 乙御前が日妙にだきついた。

母親がうろたえた。

父親がおちついていった。

「とにかくお前が法華経をたもっているかぎり、財産を分け与えるわけにはいかぬ。お前がどうしても強情をはるならば、親子の縁を絶つまでじゃ。そうなったら幼い子供と二人で生きていかねばならぬ。心細いであろう。どうじゃ、考えなおすことはできぬのか」

沈黙がながれた。

現代とちがって父親の権威は絶大である。当時、土地などの遺産分与の権利は家父長がにぎっていたのである。いったん子に与えても「悔い返し」といって、取りもどす権利があったほどだ。

やがて日妙があきらめたようにうなずいた。

「承知しました。子が親にしたがうのはあたりまえです。これからは日蓮上人と法華経からはなれてまいります」

父母がほっとした。

乙御前がおどろいて日妙の目を見る。

母親がはじめて笑顔をみせた。

「よくぞ申してくれました。それでこそわが娘。そなたはかならず目ざめるものと信じておりました。これでまた、よい縁談もさがすことができます」

父親も表情をゆるめ、懐から銅銭をさしだした。

「これは一部である。そちにとらそう。だが今の言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

日妙が沈んだ顔で床に両手をついた。

父母がさわやかに家をでて、親子がのこった。

乙御前が顔をくもらせた。

「お母様」

日妙はやがて笑顔にもどった。乙御前も表情をゆるめる。

母が娘に片目をつぶった。

「ああでもしなかったら帰らないでしょ」

「では・・」

日妙が蓑や草鞋を目の前においた。

「信心はすてませぬ。さあ行きますよ。覚悟はよいですか」

乙御前が目を輝かせた。

「では、わたしもいっしょに」
 日妙がうなずくと同時に乙御前が抱きついた。

翌朝、陽が鎌倉の山あいからのぞきはじめた。

日妙親子が佐渡へ旅立とうとしていた。

見送るのは四条金吾夫妻、土木常忍、太田乗明ら同心の徒である。

日妙親子の笑顔がすがすがしい。

彼女は佐渡行きを決意した。日蓮にどうしても会いにいかねばならない。日妙は日蓮に再会することで、今の自分の悩みが一気に解決できると信じた。

女の身で不安はある。しかも子連れだ。だが日蓮に会いたいという一心が勝った。先に見参した四条金吾には道中の心得や佐渡の様子などを根ほり葉ほり聞いた。日妙はこんどは自分が佐渡に行く番だと決めていた。

太田たちが心配した。鎌倉の騒動が終わったとはいえ、まだ三ケ月しかたっていない。

「大丈夫なのか、女の身で、しかも子まで連れて佐渡に渡るとは危険だ。やめたほうがよい」

四条金吾が大田をおさえた。

「まて。日妙殿の決心はかたいのだ」

金吾がきびしいまなざしで日妙をみつめる。

「どうかご無事で」

日妙が出発のあいさつをした。

「では行ってまいります」

見送る者たちが日妙親子の背中に手をあわせた。金吾の妻、日眼女が袂で涙をふいた。


日妙親子は出発した。

道中は馬に乗り、馬の便のないときは徒歩だった。

当時、鎌倉から佐渡へは十三日の道のりである。母娘二人ではどうだったか。いずれにしても大旅行である。

この道のりは、日蓮がたどった行程でもある。まず鎌倉から相模の国を出て武蔵に入る。広大な関東平野を北上し久米川、児玉をすぎて上野国高崎につく。高崎から西に向かい標高千メートルの碓氷峠を越えて信濃にはいる。宿場は追分、今の軽井沢である。ここからさらに北上し越後にはいる。そして日本海にたどりつく。さらに海沿いを北上し柏崎をとおり寺泊に到着。ここで船にのり佐渡へわたる。だが順風をまたねばならない。「海は荒海」とあるとおり、現代でも欠航があいつぐ波濤だった

日妙親子がはるかな関東平野を歩いていく。頭に笠、肩に荷袋、足に脚絆。その姿が長旅であることをあらわしていた。

はるか後方から騎馬が駆けてきた。武士の馬は日妙の前でとまった。役人のようである。

「そなたら、どこへいく」

日妙が慎重にこたえた。

「おそれいります。信濃まで足をはこびたいと思いまして」

「ほう、それは遠いの。鎌倉で合戦があったばかりだ。なにかと物騒でな。そなたら見たところあまりに不用心じゃ。引きかえす気はないか」

日妙が首をふった。

「信濃に身内がおります。はやり病でどうしても行かねばなりませぬ」

「それはしかたないのう。それでは気をつけられよ」

騎馬が去っていった。

母娘がふたたび進む。

乙御前が不思議そうにきいた。

「お母様、どうしてうそをつくのでございます。わたしたちは佐渡へ行くのでございましょう。身内ではなくて、上人様にお会いするのでございましょう」

 日妙の目がやさしい。

「上人は無実の罪であの島にいるのです。でもおもてむきは罪人。本当のことをいうわけにはいきません」

「お母様、どうして上人様のところにいくのですか」

 日妙が北の空を見つめた。

「あのかたはわたしがお会いした人の中で、なにより尊いのです。あのかたの教えはいまもこの胸に染みついています。上人のすばらしさは、わたしだけが知っています。思えば今まで、むなしい毎日でした。母はこれからあの喜びをとりかえしにいきます。一刻も早く会いにいきたいのです」

 母子が果てしない荒野を行く。

 

 日妙は百姓家に立ちよった。小銭とひきかえに麦飯を買う。

雨が静かにふりはじめた。

その夜、二人は寺の小堂で泊まった。

日妙は乙御前が眠っているそばで空を見あげた。雨がふっては思うようにすすまない。

彼女は袋の中の小銭をかぞえた。路銭が少なくなってきた。もともと無謀な旅であるとはわかっていたが、早くも困難がまちうけた。

くわえて二月騒動のせいだろうか。人々は道を行くにも、泊まる宿でもよそよそしかった。聞いても答える者は少なく、宿を借りようとしても断られることがつづいた。

(ひょう)(かく)の災いは津々浦々におよんでいるようだった。


        四十八、日蓮、始めて佐渡で本尊を図現する につづく


中巻目次
              

        

 瞿伽(くぎゃ)()

 瞿伽(くぎゃ)()尊者ともいう。悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。提婆達多を師匠とし舎利弗・目連を誹謗して生きながら地獄に()ちた。また死んで大蓮華地獄へ堕ちたといわれる。
  泰衡

 藤原泰衡の事。久承二年(一一五五)~文治五年(一一八九)。鎌倉初期の陸奥の豪族。秀衡(ひでひら)の子。父の遺言によって源義経をかくまっていたが、頼朝の圧迫に耐えられず、ついに衣川(ころもがわ)の館で義経を攻め滅ぼした。しかしまもなく自らも頼朝に攻められ、逃走中、部下に殺されて奥州藤原氏の最後となった。

 九郎判官

源義経のこと。平治元年(一一五九)~文治五年(一一八九)(よし)(とも)の子。幼名を牛若・九郎といった。平治の乱で母・常盤(ときわ)とともに平氏に捕らえられたが、幼いため許されて鞍馬寺(くらまでら)へ入れられた。後にここを脱出して陸奥(むつ)藤原(ふじわら)秀衡(ひでひら)の客分となる。治承四年(一一八○)兄・源頼朝の挙兵に応じ、近江で源義仲(よしなか)を討ち、次いで平氏を一の谷・屋島・壇の浦に攻め、全滅させた。しかしのちに頼朝と不仲となり、ついに頼朝の追討を受けて諸国に逃れ、再び陸奥の秀衡に保護を求めた。秀衡の死後、頼朝の圧迫に耐えきれなくなった泰衡(やすひら)に背かれ、衣川で自害した。



by johsei1129 | 2017-07-16 18:57 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 16日

四十六、 二月騒動の顛末

時宗の兄、北条時輔は京都南六波羅で酒を飲んでいた。

静かな夜だった。

 胸元をはだけた妖艶な女がひとり、時輔によりそうばかりに酌をしていた

時輔が赤ら顔になっている。

「そなたの酌は酒がはかどるな」

女がほほえむ。

これはこれは、お褒めにあずかり、恐悦至極にござりまする

時輔はいまの京での暮らしに満足だった。

「うまい酒に美しいおなごがそばにおる。なにもいうことはないわ。わしは幸せ者じゃ」

美女が目をほそめる。

「それはご本心でしょうか」

「なんだと、そこもとは何を言いたいのだ」

「男たるもの、まだ欲しいものがおありのはず」

「思わせぶりだな。はっきりと申せ」

 女の目がキラリと光る。

「殿は時宗さまの兄上様。なのにご家来はわずかしかおりませぬ。時宗様のように口一つで国中の御家人を意のままに動かしたいのではござりませぬか」

時輔が笑う。

「わしのまわりには、そなたのようにさぐりをいれる者ばかりじゃ。わしは権力なるものに執着はない。そう時宗殿に伝えよ。安心しろとな」

女がぱっと身を引いた。

「おぬし、時宗の間者であろう。うろたえるな。わかっておる。ではこちらから聞こう。わしの命はいつまでじゃ。時宗はいつ攻めてくる」

美女がさらにはなれる。

「その様子をみると、近いようじゃのう」

外でさわがしい声がする。剣を交える音、武士の絶叫、女の悲鳴が聞こえてきた。

部屋の戸がひらき、所従がかけこんできた。

「殿、討ち入りでござる」

時輔はおちつきはらった。

「どこの兵だ」

「北六波羅にございます」

北の六波羅探題には、時宗の命をおびた北条義宗の軍団がいた。義宗は日蓮の伊豆流罪を画策した北条重時の孫である。

時輔がにたりとしたが酒をやめない。女はいつのまにかいなくなっていた。

「時宗め、きおったか」

彼は手にしていた盃を投げ捨てた。

「末法じゃのう。一族が殺しあい、弟が兄を討つ。乱れきっておるわ。だが時宗、この報いはかならず、おぬしにかえるであろう」

座敷の戸がやぶられて、獰猛(どうもう)な武士団が突入してきた。

(よろい)(かぶと)の武士が時輔の前にすすみでて膝をついた。

「時輔様。突然の無礼、お詫びいたしまする。ただ今より、われらとご同行いただきたく参上いたしました」

「いずこへ」

「相州鎌倉」

「あいわかった」

時輔が背後の刀に手をかけたとたん、ふりむきざまに武者を斬った。

武士団がいっせいに身がまえる。

「おぬしらの魂胆はわかっておるわ。道中でわしを葬るつもりであろう。ならばここでいさぎよく戦うまで。だれあろうわれこそは、先の執権、最明寺入道時頼の嫡男、北条時輔なるぞ。われと思う者はかかってきよ」

武士が一人勇んで斬りかかったが、時輔のあざやかな太刀さばきに斬り返され退場した。

つづいて新たな武士が登場したが、これも時輔に討たれた。

強い。一騎打ちでかなう相手ではない。

時輔が満面の笑みをうかべた。

「どうじゃ、かかってこぬか」

新たな武士が登場して組みあった。

時輔は優勢であったが、背後にいた武士が卑怯にも時輔をおそった。

背を斬られ、片膝をついた。

ここで時輔が笑った。最後の哄笑だった。

武士団が倒れた時輔をかこんでめった刺しにした。

血潮が吹きだし、かえり血が全身にかかった。

武士たちは憑き物がとれたように立ちつくした。

鎌倉侍所では時宗が一人、座禅を組み目をとじていた。

顔色は落胆と苦渋にみちている。二十一歳というのに、老人のように頬がこけていた。

武士ははかない。

鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝は弟の義経を殺害している。

頼朝の父は義朝である。義朝は父為義を斬った。のちに義朝は戦いで敗れ、配下に裏切られて命を落とした。

その子頼朝は征夷大将軍となって頼家、実朝を生む。だが頼家は北条の手下に殺され、実朝は頼家の子()(ぎょう)に殺された。殺した公暁も直後に討たれた。

こう書いていくだけでも暗然としてくる。

時宗もまた兄を斬った。

彼もまた身内同士で殺し合うという呪縛(じゅばく)因果に入りこんでしまった。彼は逃れられない宿命を背負った思いにとらわれた。独裁者の悲哀だった。

 鎌倉はいまだに喧噪が聞こえていた。侍所の入口はひときわ甲高い声がひびいた。
 ここに名越光時以下、八人の家来がとらわれの身となっていた。光時と金吾、この主従の命は風前の灯となっていた。

名越光時および家臣の女房子供、供侍までが邸内にはいろうと門番に懇願していた。一目無事を確認したいためだ。この中に金吾の妻日眼女と娘の月満御前がいた。

警備の兵が彼女たちをおしとどめた。

 侍所の中庭では頼綱の配下が藁束(わらたば)ってい。斬首の準備である。

いっぽう北条光時の館では、女房たちが障子や武具の散乱した床につどった。

赤子や幼子の泣き叫ぶ声が邸内にひびく。彼女たちは光時と運命をともにした家来の妻だった。

日眼女が月満御前をだいて侍所から帰ってきた。

女たちがうめく。

「なんの報いでありましょう。謀反の疑いをかけられるとは。わたしたちには神も仏も助けてはくれぬのか」

女たちが日眼女をみつけた。

「おお、これは金吾様の奥方。いまだに法華宗の日蓮上人を信じておられるとか。後生でございます。法華経のお力で夫の命を助けてくだされ」

 彼女たちは神仏に祈るほかはない。夫を助けてくれるのであればだれでもよい。夫の死を目前にした今となっては、流罪の身であろうと、竜の口の首の座から奇跡的に生還した日蓮にすがるしかなかった。

 日眼女は心に固く誓った。

竜の口の時、一度は夫の命をあきらめた。助かるすべはただひとつ法華経しかない。願いは叶うと信じて祈るしかなかった。

 

 遠く安房でも悲嘆に暮れている女性がいた。

大尼御前である。

彼女はかつて名越家に嫁いでいた。

名越がほろぶならば大尼も安泰ではない。日蓮が大難をうけたとき、大尼は日蓮を見たことも聞いたこともないといって法華経の信仰から退転した。

大尼はかけつけた道善房や浄顕房、義浄房にすがりついた。

「おしえてたもれ。わらわが法華経を捨てた報いであろうか」

日蓮の幼いころの師だった道善房は、清澄寺の大檀家でもある大尼が取り乱すのを見ておろおろするばかりだった。

かわりに若い浄顕房がはげました。

「大尼様、お気をつよく。いまですぞ。これまでのことをわびて法華経に懺悔(ざんげ)されませ。いやしくも武士の妻です、なにがおきようと覚悟せねばなりませぬ」

しかし大尼は半狂乱だった。

「なにかがおきるなどと、いわないでおくれ」

鎌倉侍所の座敷には光時と八人の郎従がいた。

光時が八人を前にしていう。

「おそらくわれらは死罪となろう。身におぼえのないことながら、これも侍の宿命である」

光時は四条金吾に言葉をかけた。

「頼基、おぬしには幼子がいたのう。つらくはないか」

金吾は気丈にいう。

「殿、(それがし)二代にわたり名越様に仕えてまいりました。これも運命と考え、いささかも憂いはございませぬ」

主君のまなざしはやさしかった。

「後悔はないのか」

金吾は懐の数珠をとりだし、手をあわせた。

「わたくしめは、いまだに日蓮上人の教えを信じておりまする。もし首斬られるならば、法華経にすがり、殿とならんで仏にまみえたてまつる覚悟にございます」

光時はじっと金吾を見つめた。

北条時宗がおなじ侍所で平頼綱、安達泰盛と膝をつきあわせていた。

頼綱が目を細めた。

「即刻、首をはねるべきでござる」

泰盛が反対した。

「確たる証拠がないうえで処刑することは、のちのち幕府の信用をおとすことになる」

 泰盛にとって名越の滅亡は避けたい。名越の滅亡は執権の絶対化を意味した。泰盛は時宗の義兄だが、しょせん()(ざま)()である。時宗が絶対君主になれば、側近の頼綱がさらに強大となる。自分が危うくなるのは目に見えていた。

その頼綱が泰盛をにらみつけた。

「鎌倉幕府はいま危機にある。われら北条はしょせん伊豆の田舎の出、武士の世界では新参者にすぎませぬ。執権の批判もいまだに根強い。また蒙古がいつ攻めてくるかもわからぬ現在、侍どもの不満を静めるのは恩賞加増にほかならぬ」

泰盛がおどろいた。

「では名越の所領を・・」

頼綱がうなずく。

「名越は北条一門でも有力な分家でござる。日頃なにかとわれらを批判するあの者どもをつぶせば、幕府体制をかため、財政の建て直しもはかれる」

頼綱の目が不気味に光る。

だが泰盛はあくまで抵抗する。

「いやそれではかえって幕府を弱めることになる。今回のことで京都の公家どもが騒ぐのは必死だ。名越を取りつぶせば、承久の二の舞になることは必定であろう」

頼綱は聞かない。

「騒がせればよいのよ。権力とは人を操ること。操られるのがいやな者は抹殺するまでのことだ」

泰盛が時宗に平伏した。

「どうか武家の頭領として、寛大なご措置を」

頼綱が強くせまる。

「このたびの騒動は光時殿の処分で仕上げでござる。ご決断を」

時宗が正面を見つめた。


光時と四条金吾ら八人が謁見の間に座った。みな覚悟した様子だった。

ここに時宗が登場した。頼綱と泰盛がつづいて座した。

金吾は覚悟をきめた。

しかし時宗の決断は意外だった。

泰盛が高らかに告げる。

「名越殿は無罪放免といたす」

室内がざわめいた。

安堵する家来がいる。だが名越光時は表情をかえない。

予期しないことだった。

これを伝え聞いた使者がすぐさま光時邸へかけこんだ。

「助かりましたぞ。光時様は無罪放免。おつきの面々も無事でござる」

名越の館に女子供の歓喜の声があふれた。

日眼女は赤ん坊をだき、数珠をにぎりながら「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えだす。目には涙があふれんばかりに浮かび、頬を伝って握った数珠に一滴二滴と落ちるが、かまわずいつ果てるともなく題目を唱え続けた。

時宗が光時に語る。
 その声は執権らしからぬ弱々しさだった。

「叔父上、余を許してくださるか。内憂外患、蒙古がいつ攻めてくるかわからぬ最中に、余は誤りをおかした。親子、兄弟、一族の平和を無惨に乱してしまった。さりながら今、目がさめた。北条一門が団結してこそ国難は防げようというもの。これが亡き兄の弔いとなればよいが・・」

老齢の光時が言上した。

「それを聞いて安堵(あんど)たした。それでこそ北条の頭領、われらの執権でござります。恨みは申さぬ。二人の弟は亡くしたが、これで幕府が盤石となれば彼らも浮かばれまする。ご安心くだされ、蒙古との戦いのおりは、われらが必ず先陣をきって敵の首を討ちとりましょうぞ」

事実、彼はこののち蒙古の戦いで獅子奮迅の戦いをすることになる。

光時が立ちあがった。

「ここ数日の混乱で配下の者どもは疲れきっております。われらはこれで」

光時主従が退出した。