日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 01月 30日

Gosho 南条兵衛七郎殿御書 The Votary of the Lotus Sutra

もしさき()()ゝせ給はゞ、梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)・四大天王・閻魔(えんま)大王等にも申させ給ふべし、

Should you depart from this life before I do, you must report to Brahmā, Shakra, the four heavenly kings, and King Yama.

日本第一の法華経の行者、日蓮房の弟子なりと()()らせ給へ。

Declare yourself to be a disciple of the priest Nichiren, the foremost votary of the Lotus Sutra in Japan.

よも()しん()なきことは候はじ。

Then they cannot possibly treat you discourteously.

(ただ)一度は念仏、一度は法華経( )()へつ、二心(ふたごころ)ましまし、人の聞くに、は()かりなんどだにも候はゞ、よも日蓮が弟子と申すとも御(もち)ゐ候はじ、

But if you should be of two minds, alternately chanting the Nembutsu and reciting the Lotus Sutra, and fear what others may say about you, then even though you identify yourself as Nichiren’s disciple, they will never accept your word.

のちにうら()みさせ給ふな。

Do not resent me later.

(ただ)し又法華経は今生のいの()りとも成り候なれば、もしやとして()きさせ給ひ候はゞ、あはれとくとく見参(げんざん)してみ()から申しひらかばや。

Yet since the Lotus Sutra answers one’s prayers regarding matters of this life as well, you may still survive your illness. In that case, I will by all means meet with you as soon as possible and talk with you directly.

語は()みに()くさず・ふみ()は心をつくしがたく候へばとゞ()め候ひぬ。恐々(きょうきょう)謹言(きんげん)

Words cannot all be set down in a letter, and a letter never adequately conveys one’s thoughts, so I will stop for now.         With my deep respect,



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by johsei1129 | 2017-01-30 21:42 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 30日

Gosho 南条兵衛七郎殿御書 The Votary of the Lotus Sutra

まづ御き(𨗈)さく()あるべし。

Stop and consider.

念仏実に往生すべき証文つよ()くば、此の十二年が間、念仏者無間地獄と申すをば、いかなると()ろへ申しいだしても()めずして候べきか、

If the passages of proof offered to support the claim that the Nembutsu does in truth lead to rebirth in the Pure Land were reliable, then in the past twelve years during which I have been asserting that Nembutsu believers will fall into the hell of incessant suffering, would they have consistently failed to reproach me, though I spoke out everywhere possible?

よくよくゆ()き事なり。

They are indeed feeble!


つづくContinued



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by johsei1129 | 2017-01-30 21:28 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 30日

如説修行抄 要点解説その一

如説修行抄は日蓮大聖人が佐渡の地で認められた書で、宛名は特定の信徒ではなく、人々御中へとなっております。
大聖人の御書は、特定の信徒若しくは複数の信徒に宛てられた消息が多い中で、本抄は当時の門下一同に与えられるという、きわめて貴重な御書となっております。さらに宛名に「此の書御身を離さず常に御覧有る可く候」 とわざわざ追記されておられ、大聖人の佐渡流罪、弟子の投獄、信徒の所領没収等の大難に揺れる信徒を励まし、諭す意味で、佐渡の地から送られた書であると推察されます。
尚、本抄の概要は次の通りです。
■出筆時期:文永十年(西暦1273年)五月、五十二歳御作。
■出筆場所:佐渡ヶ島 一谷(いちのさわ)入道の館
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日尊書写(茨城県富久寺所蔵)。

日蓮大聖人は冒頭で「夫れ以んみれば末法流布の時、生を此の土に受け此の経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり」と示し、釈迦在世より末法の信徒の方が一層苦難が多いことの理由を詳細に解き明かし「されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし、況滅度後の大難の三類甚しかるべし」と断じます。

「夫れ以んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり。

其の故は在世は能化の主は仏なり、弟子又大菩薩・阿羅漢なり。人天・四衆・八部・人非人等なりといへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し。何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども、其の師を尋ぬれば凡師(日蓮)なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離し、悪師には親近す。

其の上、真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人(注)決定せり。
されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし、況滅度後の大難の三類甚しかるべしと」
然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども、大小の難来る時は今始めて驚き、肝をけして信心を破りぬ。兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり。

予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや」と。


注 三類の敵人 俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢の三つの敵人のこと。
法華経勧持品第十三で、仏滅後、法華経を弘通する時、正法の行者を迫害する三種の人格を説いている。
俗衆増上慢:法華経の行者を悪口めり罵詈し、刀杖を加えたりする仏法に無知な在俗の人々のこと。
道門増上慢:慢心で邪智に富んだ僧侶をいう。
僭聖増上慢:聖者を装い世の尊敬を受ける者で、内面では利欲に執し悪心を懐いて法華経の行者を怨嫉し、権力を利用し法華経の行者を死罪にまで及ぼす敵人をいう。


如説修行抄 要点解説その二に続く



by johsei1129 | 2017-01-30 20:54 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 29日

顕仏未来記 要点解説その四

日蓮大聖人は本抄の終段で「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何」と論難を立て、末法で「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」と断じます。

「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり、仏法必ず東土の日本より出づべきなり、其の前相必ず正像に超過せる天変地夭之れ有るか、所謂仏生の時・転法輪の時・入涅槃の時吉瑞・凶瑞共に前後に絶えたる大瑞なり」と。

さらに大聖人は、仏の出現にはそれに相応した瑞相があることを次のように示し、末法に仏が出現する事を解き明かすると共に「悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ」と記すことで、日蓮自身が「未だ見聞せざる教主釈尊」であることを信徒に暗示します。

「仏は此れ聖人の本なり、経経の文を見るに仏の御誕生の時は五色の光気・四方に遍くして夜も昼の如し仏御入滅の時には十二の白虹・南北に亘り大日輪光り無くして闇夜の如くなりし。其の後正像二千年の間・内外の聖人・生滅有れども此の大瑞には如かず。而るに去ぬる正嘉年中より今年に至るまで或は大地震・或は大天変・宛かも仏陀の生滅の時の如し、当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか。
大虚に亘つて大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん、当瑞大地を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て之に課せん。
当に知るべし通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし、惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり。天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云、妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云」

日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす。今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え。幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを、悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ。
願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん、但し今夢の如く宝塔品の心を得たり。

此の経に云く「若し須弥を接つて他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為難しとせず、乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為難し」等云云。
伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。
天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国(天竺、漢、日)四師(釈尊、天台、伝教、日蓮)と号く。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と。





by johsei1129 | 2017-01-29 23:41 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 28日

Gosho 四恩抄 The Four Debts of Gratitude

四恩抄

The Four Debts of Gratitude

Four Debts of Gratitude


弘長二年一月十六日 四十一歳御作

January 16, 1263 Age: 41


此の身に学文つかまつりし事、やうやく二十四五年にまかりなるなり。

It is already twenty-four or twenty-five years since I began studying Buddhism.

法華経を(こと)に信じまいらせ候ひし事は、わづかにこの六七年よりこのかたなり。

Yet I have believed wholeheartedly in the Lotus Sutra only for the past six or seven years.

又信じて候ひしかども()(たい)の身たる上、(あるい)は学文と云ひ、或は世間の事に(障 )えられて、一日わづかに一巻・一品(いっぽん)・題目(ばか)りなり。

Moreover, although I had faith in the sutra, because I was negligent and because of my studies and the interruptions of mundane affairs, each day I would recite only a single scroll, a chapter, or the title.

去年(こぞ)五月(さつき)十二日より今年(ことし)正月(むつき)十六日に至るまで、二百四十余日の程は昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。

Now, however, for a period of more than 240 days—from the twelfth day of the fifth month of last year to the sixteenth day of the first month of this year—I think I have practiced the Lotus Sutra twenty-four hours each day and night.

()の故は法華経の故にかゝる身となりて候へば、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。

I say so because, having been exiled on the Lotus Sutra’s account, I now read and practice it continuously, whether I am walking, standing, sitting, or lying down.

人間に生を受けて(これ)(ほど)の悦びは何事か候べき。

For anyone born human, what greater joy could there be?

凡夫(ぼんぷ)の習い、我とはげみて菩提(ぼだい)(しん)()こして後世を願ふといへども、自ら思ひ出だし、十二時の間に一時二時こそはげみ候へ。

It is the way of ordinary people that, even though they spur themselves on to arouse the aspiration for enlightenment and wish for happiness in the next life, they exert themselves no more than one or two out of all the hours of the day, and this only after reminding themselves to do so.

是は思ひ出ださぬにも御経をよみ、読まざるにも法華経を行ずるにて候か。

As for myself, I read the Lotus Sutra without having to remember to, and practice it even when I do not read its words aloud.

無量劫(むりょうこう)の間、六道四生を輪回(りんね)し候ひけるには(あるい)謀反(むほん)をおこし、強盗夜打(ごうとうようち)等の罪にてこそ国主より(きん)をも(こうむ)り、流罪(るざい)死罪にも行なはれ候らめ。

During the course of countless kalpas, while transmigrating through the six paths and the four forms of birth, I may at times have risen in revolt, committed theft, or broken into others’ homes at night and, on account of these offenses, been convicted by the ruler and condemned to exile or death.

是は法華経を弘むるかと思ふ心の(ごう)(じょう)なりしに()って、悪業(あくごう)の衆生に讒言(ざんげん)せられてかゝる身になりて候へば、

This time, however, it is because I am so firmly resolved to propagate the Lotus Sutra that people with evil karma have brought false charges against me; hence my exile.

(さだ)めて後生(ごしょう)の勤めにはなりなんと覚え候。

Surely this will work in my favor in future lifetimes.

是程の心ならぬ昼夜十二時の法華経の()経者(きょうしゃ)は、末代には有りがたくこそ候らめ。

In this latter age, there cannot be anyone else who upholds the Lotus Sutra twenty-four hours of the day and night without making a deliberate effort to do so.


つづくContinued


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by johsei1129 | 2017-01-28 21:59 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 28日

Gosho 四恩抄 The Four Debts of Gratitude

天の三光に身をあたため、地の五(こく)(たましい)を養ふこと皆()れ国王の恩なり

It is thanks to one’s sovereign that one can warm one’s body in the three kinds of heavenly light and sustain one’s life with the five kinds of grain that grow on earth.

It is thanks to one’s sovereign that one is able to warm his body in the three kinds of heavenly light (the light of the sun, moon, and stars) and sustain his life with the five kinds of grain (wheat, rice, beans, and two types of millet) that grow on earth.


つづくContinued


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by johsei1129 | 2017-01-28 20:41 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 27日

顕仏未来記 要点解説その三

次に日蓮大聖人は「此の人は守護の力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」と説き、自らが末法の法華経の行者である事を示すと共に、本抄の終段で、自身の未来記を解き明かしていきます。

「爾りと雖も仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん。
此の人は守護の力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字(注)と此の五字(妙法蓮華経)と其の語殊なりと雖も、其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ。
彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。

大聖人は「何を以て之を知る、
汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと」と論難を立て、法華経の偈を引いて、末法の法華経の行者は数々の難が降りかかることを示し、「予よりの外には一人も之無し」と断じます。

「疑つて云く、何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、答えて云く、法華経に云く「況んや滅度の後をや」、又云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」、又云く「数数擯出せられん」、又云く「一切世間怨多くして信じ難し」、又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」、又云く「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得ん」等云云。
此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣・四衆の面目に引き向えたるに予(日蓮)よりの外には一人も之無し」

さらに大聖人は疑念に対し「日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん<中略>汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす、豈大悪人に非ずや」と、破折します。

「時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん、難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、答えて云く汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり、我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり、然りと雖も日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん、汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや」と。

引き続き大聖人は「月は西より出でて東を照し、日は東より出でて西を照す。仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」と示し、末法の法華経の行者としての未来記を解き明かすともに、「天竺漢土に於て仏法を失せること勿論なり」と断じます。

「疑つて云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し、四海の内豈両主有らんや。
疑つて云く何を以て汝之を知る、答えて云く
月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く。
妙楽大師の云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや」等云云。
天竺に仏法無き証文なり、漢土に於て高宗皇帝の時北狄東京を領して今に一百五十余年、仏法王法共に尽き了んぬ。
土の大蔵の中に小乗経は一向之れ無く、大乗経は多分之を失す。日本より寂照等少少之を渡す然りと雖も伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し。故に遵式の云く「始西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」等云云、此等の釈の如くんば、天竺漢土に於て仏法を失せること勿論なり。
問うて云く月氏漢土に於て仏法無きことは之を知れり、東西北の三洲に仏法無き事は何を以て之を知る、答えて云く法華経の第八に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、内の字は三洲を嫌う文なり」と。

顕仏未来記 要点解説その四に続く



by johsei1129 | 2017-01-27 23:41 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 27日

Gosho 安国論御勘由来 The Rationale for “On Establishing the Correct”

安国論御勘由来

The Rationale for Writing “On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land”


    文永五年四月五日 四十七歳御作

   December 8, 1268 (Age: 47)


(しょう)()元年太歳丁巳(ひのとみ)八月二十三日戌亥(いぬい)の時、前代に()(おおい)地振(じしん)す。

In the first year of the Shōka era (1257), with the cyclical sign hinoto-mi, on the twenty-third day of the eighth month, at the time when the hour of the dog gives way to the hour of the boar (around 9:00 p.m.), there occurred an earthquake of unprecedented magnitude.

同二年(つちのえ)(うま)、八月一日大風。

In the second year of the same era, cyclical sign tsuchinoe-uma, on the first day of the eighth month, there was a great wind.

同三年(つちのと)(ひつじ)、大飢饉(ききん)

In the third year, cyclical sign tsuchinoto-hitsuji, a major famine occurred.

(しょう)(げん)元年(つちのと)(ひつじ)大疫病。同二年庚申(かのえさる)、四季に(わた)つて大疫(だいえき)()まず。

In the first year of the Shōgen era (1259), cyclical sign tsuchinoto-hitsuji, epidemics were rampant, and throughout the four seasons of the second year, cyclical sign kanoe-saru, the epidemics continued to rage without abating.

万民既に大半に超えて死を(まね)(おわ)んぬ。

By this time more than half the people of the nation had been laid low by death.

(しか)る間、国主之に驚き(ない)外典(げてん)に仰せ付けて種々(しゅじゅ)の御祈祷(きとう)有り。

The ruler of the country, alarmed at this state of affairs, turned to the scriptures of Buddhism and the non-Buddhist writings for help, ordering that various prayers be offered.

(しか)りと(いえど)も一分の(しるし)も無く、(かえ)つて()(えき)等を増長す。

These, however, failed to produce the slightest effect. On the contrary, famine and epidemics raged more fiercely than ever.

日蓮世間の(てい)を見て(ほぼ)一切経を(かんが)うるに、御()(しょう)(しるし)無く(かえ)つて凶悪を増長するの(よし)、道理文証(もんしょう)之を()(おわ)んぬ。

I, Nichiren, observing this state of affairs, proceeded to consult the great collection of Buddhist scriptures. There I discovered the reason why these prayers are without effect and on the contrary actually make the situation worse, along with passages of proof to support it.

(つい)()むこと無く(かん)(もん)一通を(つく)()して其の名を立正安国論と号す。

In the end I had no other recourse than to compile a work to present my findings, entitling it On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land.

文応(ぶんおう)元年庚申(かのえさる)七月十六日(たつ)時、()戸野(どや)入道に付けて()最明寺入道殿に奏進(そうしん)申し(おわ)んぬ。

In the first year of the Bunnō era (1260), cyclical sign kanoe-saru, on the sixteenth day of the seventh month, at the hour of the dragon (7:00–9:00a.m.), I handed it to the lay priest Yadoya for presentation to His Lordship, the lay priest of Saimyō-ji, who is now deceased.

此れ(ひとえ)に国土の恩を(ほう)ぜんが為なり。

This I did solely that I might repay the debt of gratitude that I owe to my native land.


つづくContinued


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by johsei1129 | 2017-01-27 22:50 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 26日

顕仏未来記 要点解説その二

次に日蓮大聖人は「問うて云く後五百歳は汝一人に限らず何ぞ殊に之を喜悦せしむるや」と論難を立て、法華経の偈、天台、伝教の釈、竜樹の大智度論の文言を引いて答えていきます。

答えて云く法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」文。
天台大師云く「何に況や未来をや理・化し難きに在り」文、妙楽大師云く「理在難化とは此の理を明すことは意・衆生の化し難きを知らしむるに在り」文。
智度法師云く「俗に良薬口に苦しと言うが如く此の経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ故に凡を斥ぞけ聖を呵し大を排し小を破る乃至此くの如きの徒悉く留難を為す」等云云。

伝教大師云く「代を語れば則ち像の終り末の始、地を尋れば唐の東・羯の西、人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言、良に以有るなり」等云云。
此の伝教大師の筆跡は其の時に当るに似たれども、意は当時(伝教存命当時)を指すなり。
正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有りの釈は、(後五百歳の)心有るかな。経に云く「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得ん」云云。

言う所の等とは此の経に又云わく「若は夜叉・若は羅刹・若は餓鬼・若は富単那・若は吉遮・若は毘陀羅・若はけん駄・若は烏摩勒伽・若は阿跋摩羅・若は夜叉吉遮・若は人吉遮」等云云。此の文の如きは先生に四味三教・乃至外道・人天等の法を持得して、今生に悪魔・諸天・諸人等の身を受けたる者が、円実の行者を見聞して留難を至すべき由を説くなり」と。


さらに日蓮大聖人は「疑つて云く正像の二時を末法に相対するに時と機と共に正像は殊に勝るるなり。何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや
」と論難を立て「経、行、証」の視点から正法、像法、末法の意味を解き明かしていきます。

「答えて云く仏意測り難し、予(日蓮)未だ之を得ず。試みに一義を案じ小乗経を以て之を勘うるに、正法千年は教行証の三つ具さに之を備う。像法千年には教行のみ有つて証無し。末法には教のみ有つて行証無し等云云。

法華経を以て之を探るに、正法千年に三事を具するは、(釈尊)在世に於て法華経に結縁する者か、其の後正法に生れて小乗の教行を以て縁と為し、小乗の証を得るなり。

像法に於ては在世の結縁微薄の故に、小乗に於て証すること無く、此の人・権大乗を以て縁と為して十方の浄土に生ず。

末法に於ては大小の益共に之無し。小乗には教のみ有つて行証無し、大乗には教行のみ有つて冥顕の証之無し、其の上正像の時の所立の権小の二宗・漸漸・末法に入て執心弥強盛にして小を以て大を打ち、権を以て実を破り、国土に大体謗法の者充満するなり。
仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり。
此の時に当つて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有つて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈・毀辱せしむべき時なり」と。


顕仏未来記 要点解説その三に続く



by johsei1129 | 2017-01-26 22:59 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 25日

顕仏未来記 要点解説その一

顕仏未来記(けんぶつみらいき)は、日蓮大聖人が流罪地の佐渡にて著わされました。
内容は、末法の法華経流布を予見した釈尊の未来記と合わせ、末法の本仏としての未来記を解き明かされた書となります。
本書の概要は次の通りです。
■出筆時期:文永十年五月十一日(西暦1273年)、日蓮大聖人52歳御作。
■出筆場所:佐渡ヶ島 一谷(いちのさわ)入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本文中に「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」とあります。本書を出筆された一年半ほど前に「開目抄」をしたため、自身が末法の本仏であることを詳細に認められており、さらに二か月前には『観心本尊抄」を著わされておられます。恐らく本書は、檀那(俗の信徒)にあて、より平易に自身が法華経に記されてる末法の本仏であることを示したものと考えられます。
■ご真:筆:身延山久遠寺 曽存(明治8年の大火で消失)

顕仏未来記 沙門 日蓮 之を勘う

顕仏未来記の題号は、日蓮大聖人が自ら名づけられました。大聖人は本抄冒頭で妙法蓮華経「薬王菩薩本事品 第二十三」の偈を引き「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と示すとともに、釈迦在世ではなく、釈尊滅後の後の五百歳、つまり末法に生まれたことは喜びであると門下に示します。

法華経の第七に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。
予一たびは歎いて云く、仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ、何なる罪業に依つて仏の在世に生れず正法の四依・像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと。亦一たびは喜んで云く何なる幸あつて後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや。在世も無益なり、前四味の人は未だ法華経を聞かず、正像も又由し無し、南三北七並びに華厳真言等の学者は法華経を信ぜず。
天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」等云云。広宣流布の時を指すか。伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云。末法の始を願楽するの言なり、時代を以て果報を論ずれば竜樹・天親に超過し、天台・伝教にも勝るるなり」と。


妙法蓮華経  薬王菩薩本事品 第二十三
我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。
悪魔魔民。諸天。龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也。
宿王華。汝当以神通之力。守護是経。
所以者何。此経則為。閻浮提人。病之良薬
[和訳]
我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於いて断絶して、
悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に其の便を得さしむること無けん。
宿王華(菩薩)よ、汝は当に神通之力を以て、是の経(法華経)を守護すべし。
所以(ゆえん)はいかん。此の経は則ち、閻浮提の人の、病の良薬、為ればなり。


顕仏未来記 要点解説その二に続く




by johsei1129 | 2017-01-25 22:53 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)