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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 17日

GOSHO 立正安国論 84 正に帰して領納す 一

客の(いわ)く、今生(こんじょう)後生(ごしょう)誰か(つつし)まざらん、誰か(したが)わざらん、

The guest said: Since it concerns both this life and the lives to come, who could fail to be cautious in a matter such as this? Who could fail to agree with you?

Why would one practice erroneous teachings and refuse to follow the correct Law in this lifetime and in future existences

此の経文を(ひら)いて(つぶさ)に仏語を(うけたまわ)るに、誹謗(ひぼう)(とが)至つて重く毀法(きぼう)(つみ)(まこと)に深し、

Now when I examine the passages you have cited from the sutras and see exactly what the Buddha has said, I realize that slandering the Law is a very grave fault indeed, that violating the Law is in truth a terrible offense.

Now that you have thoroughly explained the words of the Buddha based on the passages you have cited from the sutras, I have come to understand that slandering the true Law is extremely serious and the offense of violating it is indeed grave.

(われ)一仏を信じて諸仏を(なげう)ち、三部経を(あお)いで諸経を(さしお)きしは、是れ私曲(しごく)(おもい)に非ず、(すなわ)(せん)(だつ)(ことば)(したが)いしなり、

I have put all my faith in one Buddha alone, Amida, and rejected all the other Buddhas. I have honored the three Pure Land sutras and set aside the other sutras. But this was not due to any distorted ideas of my own conception. I was simply obeying the words of the eminent men of the past.

By believing only in Amida Buddha, I discarded all other Buddhas; by revering the three pure land sutras, I rejected all other sutras. This is not because of myself-centered views, but simply because of my obedience to the words of the founders.

十方(じっぽう)の諸人も(また)(また)是くの如くなるべし、

And the same is true of all the other persons in the ten directions.

This is true for all the people throughout the land.

(こん)()には(しょう)(しん)を労し、来生(らいしょう)には阿鼻(あび)()せんこと(もん)明かに理(つまびら)かなり、疑う可からず、

 But now I realize that to do so means to exhaust oneself in futile efforts in this life and to fall into the Avīchi hell in the life to come. The texts you have cited are perfectly clear on this point, and their arguments are detailed—they leave no room for doubt.

 Yet, it causes our hearts to be tormented in this life, and will certainly cause us to fall into avichi hell in future existences. The sutras clearly elucidate this point and fully explain this principle. There is no room of doubt.


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by johsei1129 | 2016-01-17 09:08 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 17日

報恩抄文段 下十九  孝経に云く「三たび諫めて納れずんば、身を奉じて以て退け」


  第十段 日蓮大聖人の知恩報恩

一 (いん)(ちゅう)(おう)()(かん)が胸を・()き。

 註千字文上八に「七(こう)・七(もう)あり」云云。

一 ()(けつ)(おう)竜逢(りゅうほう)が頭を切り。

 啓蒙(けいもう)十五三十九、(もう)(ぎゅう)下十七に「庚子(こうし)(あした)に、臣が族、(ぎゃく)(おう)(とら)われん」と云云。

一 (だん)()()(おう)

 啓蒙九・十九。

一 (じく)道生(どうしょう)

啓蒙九二十三に「(もっぱ)闡提(せんだい)仏性(ぶっしょう)(だん)ず。故に()丘山(きゅうざん)に流されしなり。蘇山(そざん)(すなわ)ち虎丘山の事なり」と。

一 (ほう)(どう)三蔵。

 同二十三に「(そう)徽宗(きそう)の代、(もと)(よう)(どう)と名づく。後に上皇(じょうこう)、名を法道と(たま)う。仏法を将護(しょうご)して、其の道を立てたる故なるべし」と云云。

一 (かく)(とく)比丘(びく)

  安国論十九に経を引く云云。「有徳(うとく)(おう)」等云云。

一 ()(ちょう)

  (じょう)(がん)(せい)(よう)二・十。

一 三度(みたび)国をいさむるに等。

  孝経に云く「三たび(いさ)めて()れずんば、身を(ほう)じて(もっ)退(しりぞ)け」文。


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by johsei1129 | 2016-01-17 08:53 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 16日

我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候。日蓮も同じ車に乗りて御迎い にまかり向ふべく候、と自身の滅度を示唆した消息【大白牛車御消息】

【大白牛車(だいびゃくごしゃ)御消息】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281) 六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄の対告衆は不明ですが、在家信徒の何方かに送られた消息と思われます。
大聖人は法華経譬喩品第三に説かれる「三車火宅の譬(注)」を詳細に記されると共に、文末では「法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ。我より後に来り給はん人人は、此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候。日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候」と綴られておられます。
この中で「我より後に来り給はん人人は」の一文は、自らの滅度がそう遠くない事を暗に在家信徒に示唆しているのではと拝されます。
■ご真筆:現存しておりません。

【大白牛車(だいびゃくごしゃ)御消息 本文】

抑(そもそも)法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。
彼の車をば法華経の譬喩品と申すに懇(ねんごろ)に説かせ給いて候、但し彼の御経は羅什・存略の故に委しくは説き給はず、天竺の梵品には車の荘(かざ)り物・其の外(ほか)・聞信戒定進捨慚(もんしんかいじょうしんしゃざん)の七宝まで委しく説き給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候。

先ず此の車と申すは縦広五百由旬の車にして金の輪を入れ・銀の棟をあげ・金の繩を以て八方へつり繩をつけ・三十七重のきだはし(階)をば銀を以てみがきたて・八万四千の宝の鈴を車の四面に懸けられたり、三百六十ながれの・くれなひの錦の旛を玉のさほにかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏・菩薩・宝蓮華に坐し給へり、帝釈は諸の眷属を引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋(てんがい)を指し懸け地神は山河・大地を平等に成し給ふ。
故に法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

日 蓮 花押



※注:「三車火宅の譬」とは、法華経に説かれている[法華七喩]の一つです。

この例え話は、ある長者の大きな古びた屋敷で火事が発生し、長者は子供達に逃げるよう呼びかけたが、子供達は遊びに夢中になり父である長者の言うことを聞かない。
そこで長者は一計を案じ、子供たちに「お前たちが欲しがっていた羊車・鹿車・牛車を門の外に置いたから早い者勝ちで与える」と伝え、無事火宅から誘い出すことができた。
無事に脱出した子供は長者に「約束した羊車・鹿車・牛車を与えてください」と言うと、長者は全ての子供に約束していた羊車・鹿車・牛車よりはるかに立派な「大白牛車を与えた」と云う内容です。

この譬喩で説かれる燃え盛る屋敷(火宅)は娑婆世界(三界)を意味し、遊びに夢中になる子供達は六道輪廻に喘ぐ衆生を意味し、羊車・鹿車・牛車は六道から脱するために説いた声聞・縁覚・菩薩(三乗)を意味します。
また最終的に子供たちに与えた「大白牛車」は一乗法、つまり仏乗を意味します。

この「三車火宅の譬」は、法華経以前(爾前経)に声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えを説いた釈尊が、今法華経で一乗法を説く意味を「三車火宅の譬」で解き明かしています。

釈尊はこの「三車火宅の譬」を説いたあと舎利弗に、この長者は子供達に嘘を付いたことになるのかと問いかけ、舎利弗は「長者は子供を火宅から救済したのですから、例え最小の一車を与えずとも虚妄ならず」と返答します。
それに対して釈尊は次のとおり如来としての真意を解き明かします。

[妙法蓮華経 譬喩品第三]
仏告舎利弗。善哉善哉。如汝所言。舎利弗。
如来亦復如是。則為一切。世間之父。於諸怖畏。
衰悩憂患。無明暗蔽。永尽無余。而悉成就。
無量知見。力。無所畏。有大神力。及智慧力。
具足方便。智慧波羅蜜。大慈大悲。常無懈倦。
恒求善事。利益一切。而生三界。朽故火宅。
為度衆生。生老病死。憂悲苦悩。愚癡暗蔽。
三毒之火。教化令得。阿耨多羅三藐三菩提。
[和訳]
仏(釈尊)、舎利弗に告げる。善い哉な、善い哉な。汝(舎利弗)の言うが如し。舎利弗よ、
如来はまた是の如く、一切世間の父と為りて、諸の怖畏(ふい)、
衰悩、憂患、無明(むみょう)、暗蔽(あんぺい)を永く尽くして余すことなく、
悉く、無量の知見、力、無所畏を成就し、大神力及び智慧力を有し、
方便・智慧波羅蜜を具足し、大慈大悲をもって常に懈倦(けげん)無く、
恒に善事を求め、一切を利益せん。而して三界の朽ち故(ふ)りたる火宅に生ずるは、
衆生の生老病死・憂悲苦悩・愚癡暗蔽・三毒の火を度(救済)し、
教化し、阿耨多羅三藐三菩提(究極の悟り)を得さ令(し)めんがためなり。




by johsei1129 | 2016-01-16 19:34 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 16日

GOSHO 立正安国論 83 疑を断じて信を生ず 十一

(なんじ)早く信仰の寸心を改めて(すみやか)実乗(じつじょう)の一善に帰せよ、

Therefore, you must quickly reform the tenets that you hold in your heart and embrace the one true vehicle, the single good doctrine [of the Lotus Sutra].

You must immediately renounce your erroneous belief and take faith in the supreme teaching of the one vehicle of the Lotus Sutra.

(しか)れば(すなわ)三界(さんがい)は皆仏国なり、仏国其れ(おとろ)んや

If you do so, then the threefold world will become the Buddha land, and how could a Buddha land ever decline?

Then, this entire threefold world will become the Buddha land. ow could the Buddha land ever decline

十方(じっぽう)(ことごと)宝土(ほうど)なり、宝土何ぞ(やぶ)れんや、

The regions in the ten directions will all become treasure realms, and how could a treasure realm ever suffer harm?

All the lands in the ten directions will transform into treasure realms. How could a treasure realm ever fall to ruin

国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)(なく)んば、身は是れ安全・心は是れ禅定(ぜんじょう)ならん、

If you live in a country that knows no decline or diminution, in a land that suffers no harm or disruption, then your body will find peace and security, and your mind will be calm and untroubled.

 If the nation never declines and the land is indestructible, you will find safety and peace of mind.

此の(ことば)此の(ことば)、信ず()(あが)む可し.

You must believe my words; heed what I say!

These are the very words that you must believe and revere.


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by johsei1129 | 2016-01-16 14:58 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 16日

報恩抄文段 下十八

 
 是れは
如何(いか)にして負け給うぞ。国主の身として民の如くなる(よし)(とき)()たん事、(たか)(きじ)を取り、猫の(ねずみ)()らうにてこそ有るべきに、是れは猫が鼠に食われ、鷹が雉に取らるるようなり。(たと)い負け給うとも、一年、二年、十年、二十年も(ささ)うべき事なるに、五月十五日に発して六月十四日に打ち負け給いぬ。前後(わず)か三十余日の間、(あえ)なく打ち負け給う事は是れ(ただ)(ごと)に非ず。(ひとえ)に真言の悪法を(もっ)調伏(じょうぶく)し給うが故に「還著於(げんちゃくお)本人(ほんにん)」の()(まぬ)かれざるが故なり。

 (そもそも)調伏(じょうぶく)行者(ぎょうじゃ)天台(てんだい)座主(ざす)()(えん)僧正(そうじょう)、真言の長者、仁和寺(にんなじ)御室(おむろ)園城寺(おんじょうじ)長吏(ちょうり)、総じて七大寺・十五大寺の貴僧・高僧等四十一人、智慧戒行は日月(にちがつ)の如く、秘法は()(かく)智証(ちしょう)の心中深秘(じんぴ)の大法、十五壇の秘法なり。
 此の法の詮は、国敵・王敵と
()る者を降伏(こうぶく)して命を()()り、其の(たましい)(みつ)(ごん)浄土(じょうど)(つかわ)すと云う法なり。其の外(ばん)(そう)三百余人、四月十九日より六月十四日に至るまで(あせ)を流し(なづき)(くだ)きて行じき。
 最後には、御室
紫宸殿(ししんでん)にして日本国に渡っていまだ二度とも行わざる大秘法を六月八日に初めて行ぜし(ほど)に、同じき十四日に関東の軍勢(ぐんぜい)、宇治・勢多を(おし)(わた)って洛陽に()()り、三院を()()り、九重(こ此のえ)に火を放って一時に焼失す。三院を三箇国へ流し、()(ぎょう)七人は(たちま)ちに首を切り、勢多伽(せいたか)(まる)をも(つい)には首を切られたり。御室は思いに()えずして終に死す。母も同じく(おも)(じに)に死せり。(たまたま)生きたるも甲斐(かい)なし。

すべて此の祈りを(たの)みし人、幾千人と云う事を知らず死したり。御室(おむろ)の祈りを始め給いしは、六月の八日より同じき十四日に至るまで、中を(かぞ)うれば七日に()つる日なり。一日二日だにも(ささ)()ねて(ただ)一日の合戦(かっせん)()()け給う事は、(あに)真言の悪法を以て之を調(じょう)(ぶく)せし故に(あら)ずや。故に「調伏のしる()還著於(げんちゃくお)本人(ほんにん)のゆへとこそ見へて候へ」と云うなり。


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報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-16 14:27 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 16日

報恩抄文段 下十七

承久(じょうきゅう)の乱の大旨

 後日、承久記を見るべし。東鑑並びに御書の意に(じゅん)ず。

 (そもそも)去ぬる元暦(げんりゃく)年中、(より)(とも)平家を追討(ついとう)し給う時、御白河(ごしらかわ)院叡(いんえい)(かん)(あま)り、六十六箇国の総追捕使(そうついぶし)に補せらる。是れより武家始めて諸国に守護(しゅご)を立て、庄園(しょうえん)地頭(じとう)を置く。頼朝の長男頼家(よりいえ)、次男(さね)(とも)続いて将軍の武将に(そなわ)る。是れを三代将軍と号す。頼家は実朝の(ため)()たれ、実朝は()(ぎょう)の為に討たれて、父子三代(わず)かに四十二年にして()きぬ。

其の後、頼朝の(しゅうと)時政の子息(よし)(とき)自然(じねん)に天下の権柄(けんぺい)()り、勢い(ようや)く四海を(おお)わんと欲す。

此の時太上(だじょう)天皇は後鳥羽院なり。武威(ぶい)(しも)(ふる)い、朝憲上(ちょうけんかみ)(すた)るる事を(なげ)思召(おぼしめ)して、()ねて義時を(ほろぼ)さんとし給うに、()る時、舞女(まいめ)(かめ)(ぎく)申状(もうしじょう)()り、摂津(せっつの)(くに)長江・倉橋の両庄の地頭職を停止すべきの(よし)、二箇度宣旨(せんじ)を下さるるの(ところ)、武家(あえ)(だく)し申さず。其の故は勲功(くんこう)の賞に(つの)り、定補(ていほ)(やから)所以(ゆえ)なく(あらた)(がた)きの(よし)を申す。()って逆鱗(げきりん)最も(はなは)だし。

(これ)()多くの子細之(しさいこれ)るによって、()ねて諸寺諸山の貴僧・高僧に命じて、内々調伏(じょうぶく)の法を(ぎょう)ぜしむ。(まさ)しく承久三辛巳(かのとみ)五月十五日に伊賀の太郎(みつ)(すえ)()()る。是れ(よし)(とき)を打ち給わんとての門出(かどで)なり。

 此の事、十五日に京都の飛脚(ひきゃく)、同じき十九日に鎌倉に下著(げちゃく)し、一門の(ろう)(じゅう)群集して、評議(ひょうぎ)(まちまち)に分かれたり。(あるい)は云く「関を足柄(あしがら)(はこ)()の両道に固めて(あい)()つべきか」云云。大官令(かく)()云く「群議一旦(いったん)(しか)るべし。(ただ)し東士一揆(いっき)せずんば、関を守って日を(わた)るの条、(かえ)って敗北(はいぼく)の因たるべし。運を天道に(まか)せ、早く軍兵(ぐんぴょう)を京都に発遣(はっけん)すべし」云云。

此の義最も(しか)るべしとて、国々の諸士に()(さつ)(もっ)()(なが)し、義時の長男武蔵守(やす)(とき)、同じき二十一日の夜門出す。其の夜は藤沢左衛門(きよ)(ちか)(いえ)に宿し、同じき二十二日京都に進発(しんぱつ)す。其の(ぜい)(わず)かに十八騎なり。東国の軍勢(ぐんぜい)追々(おいおい)()せ付け馳せ付け、同じき二十五日には其の(ぜい)総じて十九万余騎なり。此の勢を三手に分け、相州・武州大将にて十万余騎は東海道より()(のぼ)る。一手は武田太郎信光(のぶみつ)等を大将として、五万余騎は東山道(とうざんどう)より責め上がる。一手は式部丞(しきぶのじょう)(とも)(とき)等を大将として、四万余騎は北陸道より責め上り、同じき六月十四日に宇治(うじ)勢多(せた)を責め破り、洛陽(らくよう)に打入って三院を()()り三国へ流し奉る。所謂(いわゆる)後鳥羽院は隠岐(おき)の国、(じゅん)徳院(とくいん)は佐渡の国、土御門(つちみかど)阿波(あわ)の国。終には()の国々にして(かく)れさせ給いぬ。


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報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-16 12:44 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

GOSHO 立正安国論 82 疑を断じて信を生ず 十


 法華経の第二に云く「()し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至(ないし)其の人(みょう)(じゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入らん」と、

The second volume of the Lotus Sutra says, “If a person fails to have faith but instead slanders this sutra . . . When his life comes to an end he will enter the Avīchi hell.”

A passage from the second volume of the Lotus Sutra states,If one does not believe in the sutra and commits slander,….after he dies, he will fall into avichi hell.

同第七の巻不軽品(ふきょうぼん)に云く「千劫(せんこう)阿鼻地獄(あびじごく)(おい)て大苦悩を受く」と、

And in the “Never Disparaging” chapter in the seventh volume, it says, “For a thousand kalpas they underwent great suffering in the Avīchi hell.”

And a passage from the Bodhisattva Never Disparaging chapter in the seventh volume states, “For one thousand kalpas, he will undergo tremendous sufferings in avichi hell.”

涅槃経(ねはんぎょう)に云く「善友を遠離(おんり)し正法を聞かず、悪法に住せば是の因縁(いんねん)の故に沈没(ちんぼつ)して阿鼻(あび)地獄に在つて、受くる所の身形(しんぎょう)縦横(じゅうおう)八万四千()(えん)ならん」と。

In the Nirvana Sutra, we read: “If a person separates himself from good friends, refuses to listen to the correct teaching, and instead embraces evil teachings, then as a result he will sink down into the Avīchi hell, where the size of his body will become eighty-four thousand yojanas in total length and breadth.”

The Nirvana Sutra teaches, “If one become estranged from his good friends, refuses to listen to the true Law, and adheres to evil doctrines, he will inevitably sink into avichi hell, where his body will expand and stretch eighty-four thousand yojanas.”


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by johsei1129 | 2016-01-15 21:24 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十六

一 面門(めんもん)とは口なり

 註釈の上二十五に云く「面門とは口の異名(いみょう)なり」と。文の三・十七、記の三上五十、涅槃(ねはん)経一・十三、皆(もっ)(しか)なり。

一 眉間(みけん)開くと()かんとしけるが等

 眉間白毫(びゃくごう)(にわか)に開きたるを以て成仏(じょうぶつ)(よそおい)(あらわ)さんとの(たく)ならんが、(あやま)って面門と書きたるぞとなり。

一 三鈷(さんこ)の事・(こと)不審(ふしん)なり

 (こと)に是れは狂惑(きょうわく)なり。今(いわ)く、(たと)(まこと)なりと(いえど)も奇とするに()らず。経に云く「()(しゅ)()()って他方の無数(むしゅ)の仏土に()()かんも、(また)(いま)(かた)しとせず乃至()く此の経を()かん、(これ)(すなわ)ち難しとす」等云云。「能く此の経を説かん」とは、大日経等は不真実、法華経は真実と説くなり。弘法(こうぼう)三鈷(さんこ)を投げて法華は戯論(けろん)、大日経は真実と云云。(あに)天魔に(あら)ずや。

   三月二十日

一 されば此の真言・禅宗・念仏

 開目抄下五十に云く「(けん)(にん)年中に(ほう)(ねん)大日(だいにち)の二人・出来(しゅったい)して」等云云。釈書二・五に云云。安国論に云云。

一 (にん)(のう)二十八代・(たか)(なり)

 ()鳥羽院(とばいん)とも申し、隠岐(おき)法皇(ほうおう)とも申すなり。

一 (ごん)大夫(たいふ)殿を失わんと

 相模(さがみ)(のかみ)(よし)(とき)の事なり。

一 大王たる上は国の主なれば等

 一には君臣、二には調伏(じょうぶく)、三には諸神の守護あらんに、一日、二日だにも(ささ)えかねて、承久(じょうきゅう)三年六月十四日、(ただ)一日の合戦(かっせん)()()けたもうが故なり。

一 神に申させ給いしに等

 (おそ)らくは「神」の字は(あやま)れり。(まさ)に「祈」の字に作るべきか。

一 佐渡(さどの)(くに)

 (じゅん)徳院(とくいん)は佐渡の国、土御門(つちみかど)院は阿波(あわ)の国、()鳥羽院(とばいん)隠岐(おき)の国に流されたまえり。

一 天童・勢多伽(せいたか)文。

 東鑑(あずまかがみ)二十五・二十七に云く「山城(やましろ)(のかみ)(ひろ)(つな)()勢多伽は仁和寺(にんなじ)より六波(ろくは)()()(いだ)さる。御室(おむろ)御寵(こちょう)(どう)なり。御室の御(なげき)(また)母の歎、又顔色華麗(かれい)(とも)憐愍(れんぴん)()えたり。勢多伽の叔父(おじ)佐々木信綱(のぶつな)欝訴(うっそ)()って信綱に(たま)うの間、梟首(きょうしゅ)す」云云。略抄。

一 調伏(じょうぶく)のしるし還著於(げんちゃくお)本人(ほんにん)()へとこそ見へて候へ

  (あるじ)の僧を咒咀(じゅそ)して、生木(なまき)(くぎ)を打ち、(おぼ)えず(みずか)の手に釘を打つ。家に帰って主の僧是れを見て、汝の手はいかにと云う。其の時始めて驚いて、ありのままに申し()びけること。


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報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-15 20:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十五 「慧亮(えりょう)脳を破りし時・次弟(じてい)位に即き、相応加持する時・真済(しんぜい)の悪霊伏せらるる」


一 
真済(しんぜい)が自記なり信じがたし、(また)邪見者が等

 「真済」は弘法第一の弟子(でし)柿本(かきのもと)(きの)僧正(そうじょう)是れなり。而して(そめ)殿(どの)(きさき)を見て(はなは)だ其の色に(まど)う。(のち)死霊(しりょう)に成り、(つい)には天狗(てんぐ)と成る。愛宕山(あたごやま)太郎房(たろうぼう)是れなり。此の人の日記は信じ難し。邪見(じゃけん)の者の所述なるが故なり。

 真言天台勝劣抄三十五・九に云く、「真言宗を法華経の行者(ぎょうじゃ)に対する時は竜と虎と師子と兎との闘いの如く乃至()(りょう)(のう)を破りし時・次弟(じてい)(くらい)()き、相応(そうおう)加持(かじ)する時・真済(しんぜい)の悪霊(ふく)せらるる等(これ)なり」文。

 釈書の十二・二十に云く「慧亮は叡山(えいざん)(えん)(ちょう)の徒なり。兼ねて()(かく)()く」等云云。
 源平盛衰記の三十二・十七に「
(もん)(とく)天皇の御子(みこ)第一の(みや)(これ)(たか)、御母は()兵衛(ひょうえの)佐名(すけな)(とら)(むすめ)なり。第二の宮は(これ)(ひと)、御母は太政(だじょう)大臣(だいじん)良房(よしふさ)(ちゅう)(じん)(こう)の御(むすめ)(そめ)殿(どの)(きさき)と申す是なり。兄弟(とも)御位(みくらい)を心にかけらる。第一の御祈(おんいのり)の師は真済(しんぜい)、第二の宮の御祈の師は慧亮なり。(つい)に力士の相撲(すもう)()けらる。名虎は今年三十四、太く(たくま)しく七尺(ばか)りの男にて、六十人の力あり。(よし)()は小男、行年二十一、なべての力人(ちからびと)とは聞ゆれども、名虎に対すべきにはあらず。名虎は(まつ)の如く、能雄は(ふじ)の如しと云云。慧亮剣を()き、脳を()(やぶ)り、香の(けむり)に燃ゆる時、大威徳(いとく)の乗り給える水牛、爐壇(ろだん)を三度(めぐ)って声を()げて()えたりける。()の声大内(おおうち)に響きければ、能雄に力ぞ付きにける。名虎(なとら)は其の声を聞いて身の力落ち、(もう)(ねん)として名虎相撲にまけにける」等云云。

 「相応(そうおう)加持(かじ)する時・(しんぜい)悪霊伏(あくりょうふく)せらるる」等とは、神社考の四・十三に云く「文徳帝の天安(てんあん)二月八月不予(ふよ)なり。真済看待(かんたい)す。升遐(しょうか)の後、志を(うしな)いて隠居(いんきょ)す。先には()(りょう)(こう)(けん)して()け、(ここ)に至って(いよいよ)(かい)(かい)たり。世に言く、真済(しんぜい)(そめ)殿(どの)(きさき)を見て、迷いて平らかならざるなりと。(じょう)(がん)二年二月、年六十一、(つい)に死して(すだま)と為る」云云。

 釈書の十・三に云く「染殿の后、狂疾(きょうしつ)を受けて数か月を()。后(たく)て云く『諸仏の出世に非ざるよりは(たれ)()く我を(くだ)さんや』と。相応、明王に懇祈(こんき)す。明王(いち)(おう)(そむ)くと(いえど)も、(かさ)ねて()げて云く『(なんじ)(ひそ)かに彼の霊に(かた)れ、(なんじ)(あに)真済の霊に非ずやと。彼聞けば必ず(こうべ)()れん。()(とき)大威徳の(じゅ)(もっ)()せよと。次の日、(おしえ)の如くして彼の霊を(こう)(けん)す。(きさき)の病即ち()ゆ」と云云。

 羅山文集の六十三・二十一に云く「真済(しんぜい)色に(まど)う。死して天狗(てんぐ)()る。愛宕山(あたごやま)太郎房(たろうぼう)是れなり」文。

私に云く、伊豆の国熱海(あたみ)()僧正(そうじょう)のほこらあり。亦都松と云う松あり。是れ(そめ)殿(どの)(きさき)のしるしの松なり。(えだ)(みやこ)に向えり。此の故に都松と名づくるとなり。


                  つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-15 20:45 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十四

一 破戒の法師(ほっし)

  羅山(らざん)文集(ぶんしゅう)十五・二十六に云く「左大臣(たちばな)諸兄(もろえ)十代の孫にして、肥後(ひごの)(かみ)元愷(もとやす)が子なり。本名は(なが)(やす)(のち)遁世(とんせ)して能因(のういん)と名づけ、古曽部(こそべ)入道と号す。摂津(せっつ)のこそべ金竜寺にて、山寺の春の夕暮(ゆうぐれ)()て見れば 入相(いりあい)の鐘に花ぞ()りける」と云云。

  問う、何ぞ「破戒」と云うや。

  答う、和歌を好んで綺語(きご)(おか)す。故に破戒と云うなり。
 本語の三・十二に云く「
能因(のういん)は摂州のこそべより毎年花盛(はなざか)上洛(じょうらく)し、大江(おおえの)公資(きんすけ)が五条東の洞院(とういん)宿(やど)る。(くだん)南庭(なんてい)に桜あり。()の花を(めで)んがために(かん)(どう)(まる)一人を(あい)(したが)う。公資(きんすけ)、孫の(きみ)(なか)に常に云く、数奇(すき)たまえ、すきぬれば歌はよむぞと諷諫(ふうかん)しける」と。
 又「
永承(えいしょう)四年歌合(うたあわせ)に、三室山(みむろやま)(かえで)(たつ)田川(たがわ)の錦の歌」云云。
 又「
()る時、兼房(かねふさ)が車の(しりえ)に乗りて行くに、二乗の洞院にて車より(おり)る。兼房(これ)を問う。答えて云く、伊勢の()前裁(せんざい)(むすび)(まつ)今にあり、いかでか乗りながら()ぐべきやと。(なお)松の(こずえ)の見ゆるまで車にのらず」と。
 又「都をば
(かすみ)(とも)に出でしかど 秋風ぞ()く白川の関」云云。「顔色を黒くする事」云云。
 又同十六紙に云く「
加久(かぐ)()長帯刀(おきたてわき)(とき)(のぶ)、始めて能因に()う。能因、錦の小袋を取り出す。鉋屑(かんなくず)(すじ)あり。是れは長柄(ながら)の橋のかんな(くず)なり云云。(とき)(のぶ)も亦懐中(かいちゅう)より裹物(つつみもの)を取り出す、かれたる(かわず)なり。是れはいでの蛙なり」云云。既に此くの如く和歌に(しゅう)(じゃく)す、(あに)破戒に非ずや。

(しか)れども伊予(いよの)(かみ)(さね)(つな)にともないて、()の国に(くだ)りけるに、夏の初め久しく(ひで)る。和歌をよみて三島(みしま)明神(みょうじん)(ささ)ぐ。(きん)葉集(ようしゅう)第十。(るい)(ぞう)五・五十六に「天の川なわ(しろ)(みず)にせき(くだ)せ あま下ります神ならば神」云云。神社考の三・十七に「伊豆(いず)三島明神とは、伊予の三島を移して(これ)(まつ)る」と。

一 かかる徳あるべしや

 (あに)(じゅ)()聴聞(ちょうもん)の徳あるべしや云云。太平の十二・十八に「弘法(こうぼう)(しゅ)(びん)(じゅそ)して殺す事、何ぞ霊山親承の(たぐい)ならん」と。

一 (しか)()の日記に云く等云云

 意に云く、(まさ)()(しん)伝教(でんぎょう)入滅の(のち)といわんとすれば、而も此の日記に云く乃至御存生(ごぞんしょう)かと見ゆ。()し義真(めつ)()と云わば、弘法の真言は天長十年まで(ひろ)まらざりけるかと云云。


                    つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-15 20:43 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)