人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 10月 ( 72 )   > この月の画像一覧


2015年 10月 31日

会い難き法華経の共に離れずば我が身仏に成るのみならず背きし親をも導びきなん、と説いた兵衛志殿御返事】

【兵衛志殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)十一月二十日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟宗長に送られた数多くの消息の中で、最も厳しく且つ大聖人の慈愛あふれる指導が記された消息です。
大聖人は兄宗仲が二度目の勘当を受けたことを聞き、「このたびゑもんの志どの(兄宗仲)かさねて親のかんだうあり・とのの御前にこれにて申せしがごとく一定かんだうあるべし、ひやうへの志(さかん)殿をぼつかなし、ごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり。今度はとのは一定を(落)ち給いぬとをぼうるなり、をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず、但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれ、しり候まじきなり」と記し、この度はとの(宗長)はおちる(退転)だろうが、地獄で日蓮を恨むでないと、宗長の退路を断つべく非情とも言える指導をなされておられます。
さらに本文中段では「武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり。ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな」と記され、僅かの利益のため親や世間にへつらって信仰心が薄くて悪道に落ちて日蓮を恨むなと、重ねて厳しく指導されておられます。

しかし一方で「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり。此の事はわざとも申し又びんぎにと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり」と記され、本当に退転するならこの度供養を使わせることはないだろうから、もしや退転しないのではと思うから申し上げるのですと、厳しさの中にも慈愛あふれる言葉をかけられておられます。
さらに文末では「よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし、かう申すとも・いたづらのふみなるべしと・をもへば、かくも・ものうけれども・のちのをもひでにしるし申すなり」と、宗長が現世の利益を求めるのでなく、あくまで後生善処を願う決断をすることを促されておられます。
※尚、この池上兄弟の勘当の顛末については小説日蓮<71弟の宗長を諌暁> を参照してください。

■ご真筆:京都市 妙覚寺(全16紙)所蔵。他一箇所にて第11紙末尾2行の断簡所蔵。
f0301354_18403812.jpg

[真筆本文:下記緑字箇所]

[兵衛志殿御返事 本文]  [英語版]

かたがたのものふ二人をもつて、をくりたびて候。その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候。
さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり、正法・像法の時は世もいまだをとろへず聖人・賢人も・つづき生れ候き天も人をまほり給いき、末法になり候へば人のとんよくやうやくすぎ候て主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし。まして他人は申すに及ばず、これに・よりて天も・その国をすつれば三災七難乃至一二三四五六七の日いでて草木かれうせ小大河もつき大地はすみのごとく・をこり大海はあぶらのごとくになり・けつくは無間地獄より炎いでて上梵天まで火炎・充満すべし、これていの事いでんとて・やうやく世間はをとへ候なり。

皆人のをもひて候は父には子したがひ臣は君にかなひ弟子は師にゐすべからずと云云、かしこき人もいやしき者もしれる事なり、しかれども貪欲瞋恚愚癡と申すさけ(酒)にえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候、但師と主と親とに随いてあしき事をば諌(いさめ)ば孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。

ただこのたびゑもんの志どの(兄宗仲)かさねて親のかんだうあり・とのの御前にこれにて申せしがごとく一定かんだうあるべし、ひやうへの志殿をぼつかなしごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり。今度はとのは一定をち給いぬとをぼうるなり、をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず、但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり。

千年のかるかやも一時にはひ(灰)となる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり
さえもんの大夫殿は今度・法華経のかたきに・なりさだまり給うとみへて候。えもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。
とのは現前の計(はからい)なれば親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人人はこれをほめ候べし。宗盛が親父入道の悪事に随いてしのわら(篠原)にて頚を切られし、重盛が随わずして先に死せし、いづれか親の孝人なる。
法華経のかたきになる親に随いて一乗の行者なる兄をすてば親の孝養となりなんや。せんするところひとすぢにをもひ切つて兄と同じく仏道をなり給へ。

親父は妙荘厳王のごとし兄弟は浄蔵浄眼なるべし、昔と今はかわるとも法華経のことわりは・たがうべからず、当時も武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり。ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな。

かへすがへす今度とのは堕べしとをぼうるなり。此の程心ざしありつるがひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり。百に一つ千に一つも日蓮が義につかんとをぼさば、親に向つていい切り給へ。

親なれば・いかにも順いまいらせ候べきが法華経の御かたきになり給へば・つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ、過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり。しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし。
必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり。此の事はわざとも申し又びんぎにと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。

仏になり候事は此の須弥山にはりをたてて彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとの・すぐにわたりて・はりのあなに入るよりもかたし。
いわうや・さかさまに大風のふきむかへたらんは・いよいよかたき事ぞかし。

経に云く「億億万劫より不可議に至る時に乃ち是の法華経を聞くことを得、億億万劫より不可議に至る諸仏世尊時に是の経を説きたもう・是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云、此の経文は法華経二十八品の中に・ことにめづらし。

序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天・四衆・八部・其のかずありしかども仏は但釈迦如来一仏なり重くてかろきへんもあり。宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり、其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり月の前に日の出でたるがごとし、又十方の諸仏は樹下に御はします十方世界の草木の上に火をともせるがごとし。此の御前にてせんせられたる文なり。

涅槃経に云く「昔無数無量劫より来た常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積む所の骨は王舎城の毘富羅(びふら)山の如く飲む所の乳汁(ちち)は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く、父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣(こうきゅう)して出す所の目涙(なんだ)は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の籌(かずとり)と為し以て父母を数うも亦尽くすこと能わじ」云云。

此の経文は仏最後に雙林の本に臥てかたり給いし御言なりもつとも心をとどむべし、無量劫より已来(このかた)生(うむ)ところの父母は十方世界の大地の草木を四寸に切りてあてかぞうとも・たるべからずと申す経文なり、此等の父母にはあひしかども法華経にはいまだ・あわず、されば父母はまうけやすし法華経はあひがたし、今度あひやすき父母のことばを・そむきて・あひがたき法華経のともにはなれずば我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん。

例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり国をもゆづり位にもつけんと・をぼして・すでに御位につけまいらせたりしを御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給いしかば不孝の者なりと・うらみさせ給いしかども仏にならせ給うては・まづ浄飯王・麻耶夫人をこそ・みちびかせ給いしか。

をやという・をやの世をすてて仏になれと申すをやは一人もなきなり、これは・とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり、両火房は百万反(べん)の念仏をすすめて人人の内をせきて法華経のたねを・たたんと・はかるときくなり、極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし、念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う・ただいまは・へちご(越後)の守殿(こうどの)一人計りなり、両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか、なごへの一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給いて其の一門のならせ給う事をみよ、又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなる・かたきをへさせ給へり。

わどの兄をすてて・あにがあとを・ゆづられたりとも千万年のさかへ・かたかるべし、しらず又わづかの程にや・いかんが・このよならんずらん、よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし、かう申すとも・いたづらのふみなるべしと・をもへば、かくも・ものうけれども・のちのをもひでに・しるし申すなり、恐恐謹言。

十一月二十日  日 蓮 花 押
兵衛志殿御返事

by johsei1129 | 2015-10-31 20:40 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 30日

『我門家 夜断眠 昼止暇案之。 一生空過万歳勿悔』と説いた【富木殿御書】

【富木殿御書】
■出筆時期:建治三年(1277年)八月二十三日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:この時期、蒙古の再来襲が確実視される中真言亡国の念を強めた大聖人は、富木常忍他信徒に宛てて本書を送られた。大聖人は文中で「畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識となり決定して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ」と記されるともに「今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆<中略>皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫・檀越なり」と記し、弘法・慈覚・智証こそ法華経謗法の根幹であると断じておられます。
さらに文末では門下の信徒一同に対し「此等の意を以て之を案ずるに、我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と生涯、破邪顕正を案ずることを厳命されておられます。
この大聖人の思いは日興上人に引き継がれ、さらに現代の我々弟子・信徒に対する指南でもあると拝されます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵。
f0301354_2342619.jpg

[真筆本文(第七紙):下記及び文中緑字箇所]
弘法之御弟子実慧・真済・真
雅等数百人 並八宗十宗等
大師先徳 如日与日月与月与
星与星並出既経歴四百
余年。此等人々一人 不疑此義。
汝以何智難之云云。
以此等意案之 我門家
夜断眠 昼止暇案之。
一生空過万歳勿悔。
恐恐謹言。

[富木殿御書 本文]

妙法蓮華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗し経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん其人命終して阿鼻獄に入らん乃至是の如く展転して無数劫に至らん」第七に云く「千劫阿鼻獄に於てす」第三に云く「三千塵点」第六に云く「五百塵点劫」等云云。涅槃経に云く「悪象の為に殺されては三悪に至らず悪友の為に殺されては必ず三悪に至る」等云云、賢慧菩薩の法性論に云く「愚にして正法を信ぜず邪見及び傲慢なるは過去の謗法の障りなり。

不了義に執着して供養恭敬に著し唯邪法を見て善知識に遠離して謗法者の小乗の法に楽著する是(かく)の如き等の衆生に親近して大乗を信ぜず故に諸仏の法を謗ず。

智者は怨家・蛇・火毒・因陀羅・霹靂(へきれき)・刀杖諸の悪獣・虎狼・師子等を畏るべからず、彼は但能く命を断じて人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむること能わず、畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識となり決定(けつじょう)して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ。

悪知識に近づきて悪心にして仏の血を出だし及び父母を殺害し諸の聖人の命を断じ和合僧を破壊し及び諸の善根を断ずると雖も念を正法に繋(つな)ぐるを以て能く彼の処を解脱せん。若し復余人有つて甚深の法を誹謗せば彼の人無量劫にも解脱を得べからず、若し人衆生をして是の如きの法を覚信せしめば彼は是我が父母亦是れ善知識なり、彼の人は是智者なり如来の滅後に邪見顛倒を廻して正道に入らしむるを以ての故に三宝清浄の信・菩提功徳の業(ごう)なり」等云云。

竜樹菩薩の菩提資糧論に云く「五無間の業を説きたもう乃至若し未解の深法に於て執着を起せるは○彼の前の五無間等の罪聚に之を比するに百分にしても及ばず」云云。

夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人(ねいじん)は危きに居て安きを歎く、大火は小水を畏怖し大樹は小鳥に値いて枝を折らる智人は恐怖すべし大乗を謗ずる故に、天親菩薩は舌を切らんと云い馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願い吉蔵大師は身を肉橋と為し玄奘三蔵は此れを霊地に占い不空三蔵は疑いを天竺に決し伝教大師は此れを異域に求む、皆上に挙ぐる所は経論を守護する故か。

今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆上(かみ)主上・上皇より下(しも)臣下万民に至るまで皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫・檀越(たんのつ)なり。

円仁・慈覚大師云く「故に彼と異り」円珍・智証大師云く「華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為す」空海弘法大師云く「後に望むれば戯論と為す」等と云云、此の三大師の意は法華経は已・今・当の諸経の中の第一なり然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法なり等云云、此の義心有らん人信を取る可きや不や。

今日本国の諸人・悪象・悪馬・悪牛・悪狗・毒蛇・悪刺(あくせき)・懸岸(けんがん)・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従等よりも此に超過し以て恐怖すべきこと百千万億倍なれば持戒・邪見の高僧等なり、問うて云く上に挙ぐる所の三大師を謗法と疑うか叡山第二の円澄寂光大師・別当光定大師・安慧大楽大師・慧亮(えりょう)和尚・安然和上・浄観僧都・檀那僧正・慧心先徳・此等の数百人、弘法の御弟子実慧(じつえ)・真済(しんぜい)・真雅等の数百人並びに八宗・十宗等の大師先徳・日と日と・月と月と・星と星と・並びに出でたるが如し。既に四百余年を経歴するに此等の人人一人として此の義を疑わず汝何なる智を以て之を難ずるや云云。

此等の意を以て之を案ずるに我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ、恐恐謹言。


八月二十三日 日 蓮 花 押
富 木 殿
鵞目一結給び候畢んぬ、志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞有るべきか。

by johsei1129 | 2015-10-30 23:09 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 30日

撰時抄愚記 上十八

九月二日

 第八段 正法の後の五百年の弘経 

一 正法の(のち)六百年等

  此の下は第二の禅定(ぜんじょう)堅固(けんご)なり。

一 闍夜那(じゃやな)尊者。

  統紀云云。餓鬼の修因は御書の十六、十法界因果抄に云云。

一 (はじめ)には外道の家に入り等

  此の下は内外・大小・権実・本迹(ほんじゃく)の四種の相対あり。見るべし。「設い勝劣」の下は本迹相対なり。「本迹の十妙」の下に六句あり云云。

「本迹の十妙」とは是れ一句を以て本迹を顕すなり。「二乗作仏(さぶつ)」は迹門なり。「久遠(じつ)(じょう)」は本門なり。是れ二句を以て本迹を顕すなり。「()(こん)(とう)の妙」とはまた一句を以て本迹を顕すなり。迹の意は知るべし。
 本門の意は本尊抄に云く「迹門並びに
(ぜん)四味(しみ)・無量義経・涅槃(ねはん)経等の三説は(ことごと)く随他意・()(しん)()()本門は三説の(ほか)の難信難解(なんげ)・随自意なり」云云、此の意なり。故に「已今当妙」の四字に本迹の二義分明(ふんみょう)なり。
 次に「百界千如」は迹門なり。「一念三千」は本門なり。本尊抄の如し云云。
()る時「迹門の一念三千」と云うは、是れ理を以て与えて論ずるが故なり。

所謂(いわゆる)、正()らんには必ず()り。故に妙楽は「略して界如を()ぐるに(つぶさ)三千を(せっ)す」と云うなり。之を思え。別に之を書するが如し。

  九月三日

 第九段 像法の初めの五百年の弘経 

一 正法一千年の後は月氏に仏法等

此の下は第三の読誦(どくじゅ)多聞(たもん)堅固(けんご)、又二あり。初めに月氏の仏法の衰減(すいげん)、二に「正法」の下は漢土流伝(るでん)、二あり。初めに流伝、始めは権実を(わか)たず。次に「其の後」の下は(ごん)(じつ)を分って教を判ず、亦二あり。初めに南北の判教、次に「」の下は天台の判教なり云云。

一 二(しゅ)の大乗等

「二宗」は(まさ)に「二種」に作るべし。(いわ)く、有相(ゆそう)の大乗・無相の大乗なり。玄の十・九。

一 南北の邪義をやぶ()りて

天台の事は(とう)()の六の如し。南北を破るの相は報恩抄上巻の如し。


                     つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-10-30 22:25 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 30日

池上宗長に、いよいよ張り上げて責むべし設ひ命に及ぶとも少しも怯む事なかれと説いた【兵衛志 殿御返事】

【兵衛志殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)八月二十一日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟、池上宗長に送られた消息です。
池上兄弟の兄宗仲は、前年に熱心な念仏信者の父により勘当され、弟の宗長が父と兄の狭間で法華経信仰が揺れ動くのをみて、大聖人は本書文末で「此れより後も、いかなる事ありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよ、はりあげてせむべし。設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ」と記され、法華経信仰を貫き通すよう厳しく指導されておられます。
尚文中「えもんのたいう(兄宗仲)殿の御文と引き合せて心へさせ給へ」とある御文とは兄弟抄のことと思われます。

大聖人が池上兄弟に送られた消息は、圧倒的に弟・宗長(兵衛志殿)に宛てられた書が多く、これは二度の勘当でも大聖人に帰依し続けた兄・宗仲(衛門太夫)には絶対的な信頼を持っていたことと、弟・宗長の揺れ動く信心を如何に心配されていたか、伺い知ることができます。
■ご真筆:京都市 立本寺所蔵。
f0301354_20121569.jpg

[真筆本文:下記緑字箇所]

[兵衛志殿御返事 本文]

鵞目二貫文・武蔵房円日を使にて給び候い畢んぬ。

人王三十六代・皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき、其の時入鹿(いるか)の臣(おみ)と申す者あり、あまり・おごりの・ものぐるわしさに王位を・うばはんと・ふるまいしを、天皇王子等不思議とはをぼせしかども・いかにも力及ばざりしほどに、大兄の王子・軽(かる)の王子等なげかせ給いて中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給いしかば、臣申さく・いかにも人力はかなうべしとは・みへ候はず、馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶がたしと申せしかば・さらばとて釈尊を造り奉りて・いのりしかば入鹿ほどなく打れにき、此の中臣の鎌子と申す人は
後には姓をかへて藤原の鎌足と申し内大臣になり大職冠と申す人・今の一の人の御先祖なり、此の釈迦仏は今の興福寺の本尊なり。

されば王の王たるも釈迦仏・臣の臣たるも釈迦仏・神国の仏国となりし事もえもんのたいう殿の御文と引き合せて心へさせ給へ、今代の他国にうばわれんとする事・釈尊を・いるがせにする故なり神の力も及ぶべからずと申すはこれなり。各各は二人は・すでにとこそ人はみしかどもかくいみじくみへさせ給うは・ひとえに釈迦仏・法華経の御力なりと・をぼすらむ、又此れにもをもひ候、後生のたのもしさ申すばかりなし、此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしも・ひるむ事なかれ、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

八月二十一日                    日 蓮 花 押
兵衛志殿御返事


by johsei1129 | 2015-10-30 20:14 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 30日

国主・師匠・親主此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなりと説いた【弥三郎殿御返事】

【弥三郎殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)八月四日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は駿州(駿河)・沼津に住む信徒弥三郎(斎藤弥三郎と伝えられています)が大聖人に浄土宗の僧侶と法論する際の指南を請いた事への返書となっております。
大聖人は「是は無智の俗にて候へども承わり候いしに」で始まる本文前半は、弥三郎の立場で懇切丁寧に法論の指南を認められておられます。
また後段では「釈迦仏は親なり・師なり・主なりと申す文・法華経には候かと問うて・有りと申さば・さて阿弥陀仏は御房の親・主・師と申す経文は候かと責めて・無しと云わんずるか又有りと云はんずるか・若しさる経文有りと申さば御房の父は二人かと責め給へ。
又無しといはば・さては御房は親をば捨てて何に他人を・もてなすぞと責め給へ、其の上法華経は他経には似させ給はねばこそとて四十余年等の文を引かるべし」と具体的に法論の手順を指南されておられます。

この消息の最も重要な事は「一には国主なり、二には師匠なり、三には親父なり。此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり」との御文です。これは人本尊開顕の書「開目抄」の文末の御文「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」と符合し、自身が末法の本仏であることを宣言されておられます。さらに父とは仏の異名・尊称であり、妙法蓮華経 如来寿量品第十六の「我亦為世父 救諸苦患者(我また世の父と為り、諸の苦患する者を救う者なり)」との釈尊の宣言と同意義であることを示しておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[弥三郎殿御返事 本文]

是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進(まい)らせ候いしは・法華の第二の巻に今此三界とかや申す文にて候なり、此の文の意は今此の日本国は釈迦仏の御領なり、天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の神・国主並に万民までも釈迦仏の御所領の内なる上・此の仏は我等衆生に三の故御坐す大恩の仏なり、一には国主なり・二には師匠なり・三には親父なり、此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり、されば今の日本国の一切衆生は設い釈迦仏に・ねんごろに仕ふる事・当時の阿弥陀仏の如くすとも又他仏を並べて同じ様にもてなし進らせば大なる失なり。

譬えば我が主の而も智者にて御坐さんを他国の王に思ひ替えて・日本国にすみながら漢土高麗の王を重んじて・日本国の王におろそかならんをば・此の国の大王いみじと申す者ならんや、況や日本国の諸僧は一人もなく釈迦如来の御弟子として頭をそり衣を著たり、阿弥陀仏の弟子には・あらぬぞかし、然るに釈迦堂・法華堂・画像・木像・法華経一部も持ち候はぬ僧共が・三徳全く備はり給へる釈迦仏をば閣(さしお)きて・一徳もなき阿弥陀仏を国こぞりて郷・村・家ごとに人の数よりも多く立てならべ阿弥陀仏の名号を一向に申して一日に六万・八万なんどす。

打ち見て候所はあら貴や貴やと見へ候へども・法華経を以て見進らせ候へば中中・日日に十悪を造る悪人よりは過重きは善人なり、悪人は何れの仏にも・よりまいらせ候はねば思い替る辺もなし。若し又善人とも成らば・法華経に付き進らする事もや有りなん、日本国の人人は何(いか)にも阿弥陀仏より釈迦仏・念仏よりも法華経を重くしたしく心よせに思い進らせぬる事難かるべし。

されば此の人人は善人に似て悪人なり、悪人の中には一閻浮提第一の大謗法の者・大闡提の人なり、釈迦仏此の人をば法華経の二の巻に「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と定めさせ給へり、されば今の日本国の諸僧等は提婆達多・瞿伽梨(くぎゃり)尊者にも過ぎたる大悪人なり、又在家の人人は此等を貴み供養し給う故に此の国眼前に無間地獄と変じて諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる上他国より責めらるべし。此れは偏に梵天・帝釈・日月等の御はからひなり。

かかる事をば日本国には但日蓮一人計り知つて始は云うべきか云うまじきかとうらおもひけれども・さりとては何にすべき、一切衆生の父母たる上・仏の仰せを背くべきか、我が身こそ何様にも・ならめと思いて云い出せしかば二十余年・所をおはれ弟子等を殺され・我が身も疵(きず)を蒙り二度まで流され結句は頚切られんとす。

是れ偏に日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二(ふたつ)当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還つて怨をなしなんど・せらるる事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞きほどかずして或は所を追ひ或は弟子等を怨まるる心えぬさよ、設い知らずとも誤りて現の親を敵ぞと思ひたがへて詈り或は打ち殺したらんは何に科を免るべき。

此の人人は我があらぎをば知らずして日蓮があらぎの様に思へり、譬えば物ねたみする女の眼を瞋らかして・とわりをにらむれば己が気色のうとましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如し。

此等の事は偏に国主の御尋ねなき故なり、又何なれば御尋ねなきぞと申すに・此の国の人人余り科多くして一定(いちじょう)今生には他国に責められ後生には無間地獄に堕つべき悪業の定まりたるが故なりと、経文歴歴と候いしかば信じ進らせて候、此の事は各各設い我等が如くなる云うにかひなき者共を責めおどし或は所を追わせ給い候とも・よも終には只は候はじ、此の御房の御心をば設い天照太神・正八幡もよも随へさせ給ひ候はじ、まして凡夫をや、されば度度の大事にもおくする心なく弥よ強盛に御坐すと承り候と加様のすぢに申し給うべし。

さて其の法師物申さば取り返して・さて申しつる事は僻事かと返して釈迦仏は親なり・師なり・主なりと申す文・法華経には候かと問うて・有りと申さば・さて阿弥陀仏は御房の親・主・師と申す経文は候かと責めて・無しと云わんずるか又有りと云はんずるか・若しさる経文有りと申さば御房の父は二人かと責め給へ。
又無しといはば・さては御房は親をば捨てて何に他人を・もてなすぞと責め給へ、其の上法華経は他経には似させ給はねばこそとて四十余年等の文を引かるべし。

即往安楽の文にかからば・さて此れには先ずつまり給へる事は承伏かと責めて・それもとて又申すべし、構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑(たの)みて・あやぶむ事無かれ但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚(あぐ)るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし、地頭のもとに召さるる事あらば先(まず)は此の趣を能く能く申さるべく候、恐恐謹言。

建治三年丁丑八月四日            日 蓮 花押
弥三郎殿御返事

by johsei1129 | 2015-10-30 16:39 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 29日

此の人の帷子は法華経の六万九千三百八十四の文字の仏に詣らせ給いぬと説いた【さじき女房御返事 】

【さじき女房御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)五月二十五日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を送られた桟敷女房は六老僧の一人、日昭の兄で鎌倉在住の印東三郎祐信の妻と伝えられています。本抄は時節がら桟敷女房が自ら作られた帷子(夏用の麻の単衣)を供養されたことへの返書となっております。大聖人は「女人は水の如し、器は物にしたがう<中略>男善人なれば女人、仏になる。今生のみならず後生も男によるなり」と男女の関係をわかりやすい喩えで示すとともに、桟敷女房の夫は法華経の行者であり、「法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らん」と励まされておられます。
また帷子を法華経に供養されたことは、法華経一部八巻六万九千三百八十四の帷子であると、さじき女房の志を讃えられておられます。
■ご真筆:千葉県 妙印山妙光寺所蔵。
f0301354_19201822.jpg

[真筆本文:下記緑字箇所]

[さじき女房御返事 本文]

女人は水のごとし、うつは(器)物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがはさる。女人はふね(船)のごとし、かぢのまかするによるべし。しかるに女人はをとこ(男)ぬす(盗)人なれば女人ぬす人となる。をとこ王なれば女人きさき(妃)となる。をとこ善人なれば女人、仏になる。今生のみならず後生もをとこによるなり。

しかるに兵衛のさゑもんどのは法華経の行者なり、たとひ、いかなる事ありとも、をとこのめ(嫁)なれば法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、又我とこころををこして法華経の御ために御かたびら(帷子)をくりたびて候。

法華経の行者に二人あり、聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただ、ひとつきて候かたびら(帷子)などを法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給うなり。

此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給いぬれば、六万九千三百八十四のかたびらなり。又六万九千三百八十四の仏・一一・六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたびらも又かくのごとし。

たとへばはる(春)の野の千里ばかりに、くさ(草)のみちて候はんに、すこしの豆ばかりの火を、くさ・ひとつにはな(放)ちたれば、一時に無量無辺の火となる。此のかたびらも又かくのごとし、ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。

この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも、をよ(及)ぼしてん。ましてわがいとをし(愛おし)とをも(思)ふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。

五月二十五日            日 蓮花押

さじき女房御返事

by johsei1129 | 2015-10-29 19:21 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 28日

賢人は八風と申して利衰毀誉称譏苦楽に冒されぬを賢人と申すなりと説いた【四条金吾殿御返事】

■出筆時期:建治三年(1277)四月 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、主君江馬氏からの信頼が厚かった四条金吾が、同僚から妬まれ度々主君に讒言(ざんげん)されるのに耐え難くなり、主君に同僚を訴えようとかと大聖人に久しぶりに手紙を出され相談された事への返書となっております。

大聖人は「日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむ事なれば<中略>所領をお(追)いなんどせしに、其の御内になに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候」と記され、佐渡流罪の大難の時、所領を追い出された日蓮門下の信徒が多い中、金吾が主君からそのような仕打ちに合わなかった事は、由々しき大恩であり「この上は例え一分の御恩なくとも、恨むべき主君にあらず」と、自重するように諭されておられます。
そして「賢人は八風と申して八の風におか(冒)されぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり。をを心は利あるに喜ばず、衰えるに嘆かず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天は守らせ給うなり。如かるをひり(道理)に主を怨みなんどし候へば、いかに申せども天守り給う事なし」と、厳しく指導されておられます。
尚、金吾は本抄を受け取ったすぐ後の五月二十三日、主君江間氏から御勘気を被りますが、その時も大聖人は短気な金吾に自重するよう細やかに指導をされております。そして翌年の建治四年一月、大聖人の指導と金吾の主君への至誠が通じ、江間氏から御勘気を解かれ所領も復活することになります。※参照:四条金吾殿御書(九思一言事)】
■ご真筆:京都市妙覚寺(断簡)所蔵、身延久遠寺所蔵分は明治八年の大火で焼失。

[四条金吾殿御返事(八風抄) 本文]

はるかに申し承り候はざりつれば、いぶせく候いつるに・かたがたの物と申し御つかいと申しよろこび入つて候。又まほりまいらせ候、所領の間の御事は上よりの御文ならびに御消息引き合せて見候い畢んぬ。

此の事は御文なきさきにすいして候、上(かみ)には最大事と・おぼしめされて候へども、御きんずの人人のざんそうにてあまりに所領をきらい上をかろしめたてまつり候。ぢうあうの人こそををく候にかくまで候へば且らく御恩をば・おさへさせ給うべくや候らんと申しぬらんと・すいして候なり。

それにつけては御心えあるべし御用意あるべし、我が身と申しをやるいしん(親親類)と申し、かたがた御内に不便(ふびん)といはれまいらせて候大恩の主なる上、すぎにし日蓮が御かんきの時・日本一同ににくむ事なれば弟子等も或は所領を・ををかたよりめされしかば又方方の人人も或は御内内をいだし或は所領をお(追)いなんどせしに、其の御内に・なに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。

このうへは・たとひ一分の御恩なくとも・うらみまいらせ給うべき主にはあらず、それにかさねたる御恩を申し所領をきらはせ給う事・御とがにあらずや。

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひりに主をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし、訴訟を申せど叶いぬべき事もあり、申さぬに叶うべきを申せば叶わぬ事も候、夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶いぬべきよしを・かんがへて候しに・あながちに・なげかれし上日蓮がゆへに・めされて候へば・いかでか不便に候はざるべき、ただし訴訟だにも申し給はずば・いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給わり候いぬと約束ありて・又をりかみをしきりにかき・人人・訴訟ろんなんど・ありと申せし時に此の訴訟よも叶わじとをもひ候いしが・いままでのびて候。

だいがくどのゑもんのたいうどのの事どもは申すままにて候あいだ・いのり叶いたるやうに・みえて候、はきりどのの事は法門の御信用あるやうに候へども此の訴訟は申すままには御用いなかりしかば・いかんがと存じて候いしほどに・さりとては・と申して候いしゆへにや候けん・すこし・しるし候か、これに・をもうほど・なかりしゆへに又をもうほどなし、だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし、又だんなと師とをもひあひて候へども大法を小法をもつて・をかしてとしひさしき人人の御いのりは叶い候はぬ上、我が身も・だんなも・ほろび候なり。

天台の座主・明雲と申せし人は第五十代の座主なり、去ぬる安元二年五月に院勘をかほりて伊豆国へ配流・山僧大津よりうばいかへす、しかれども又かへりて座主となりぬ・又すぎにし壽永二年十一月に義仲に・からめとられし上・頚うちきられぬ・是はながされ頚きらるるを・とがとは申さず賢人・聖人もかかる事候、但し源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起りし時・清盛が一類・二十余人・起請をかき連判をして願を立てて平家の氏寺と叡山をたのむべし三千人は父母のごとし・山のなげきは我等がなげき・山の悦びは我等がよろこびと申して、近江の国・二十四郡を一向によせて候しかば、大衆と座主と一同に内には真言の大法をつくし・外には悪僧どもを・もつて源氏をいさせしかども義仲が郎等ひぐち(樋口)と申せしをのこ義仲とただ五六人計り叡山中堂にはせのぼり調伏の壇の上にありしを引き出して・なわをつけ西ざかを大石をまろばすやうに引き下して頚をうち切りたりき、かかる事あれども日本の人人真言をうとむ事なし又たづぬる事もなし・去ぬる承久三年辛巳五六七の三箇月が間・京・夷の合戦ありき、時に日本国第一の秘法どもをつくして叡山・東寺・七大寺・園城寺等・天照太神・正八幡・山王等に一一に御いのりありき、其の中に日本第一の僧四十一人なり所謂前の座主・慈円大僧正・東寺・御室・三井寺の常住院の僧正等は度度・義時を調伏ありし上、御室は紫宸殿にして六月八日より御調伏ありしに、七日と申せしに同じく十四日に・いくさに・まけ勢多迦(せたか)が頚きられ御室をもひ死に死しぬ、かかる事候へども真言は・いかなるとがとも・あやしむる人候はず、をよそ真言の大法をつくす事・明雲第一度・慈円第二度に日本国の王法ほろび候い畢んぬ、今度第三度になり候、当時の蒙古調伏此れなり、かかる事も候ぞ此れは秘事なり人にいはずして心に存知せさせ給へ。

されば此の事御訴訟なくて又うらむる事なく御内をばいでず我かまくらにうちいて・さきざきよりも出仕とをきやうにて・ときどきさしいでて・おはするならば叶う事も候なん、あながちに・わるびれて・みへさせ給うべからず、よくと名聞・瞋との。※此の後の文は残されておりません。

by johsei1129 | 2015-10-28 21:14 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 28日

撰時抄愚記 上十七 二箇の相承は正しく是れ弘宣・伝持の付嘱なり

八月二十八日


一 願くは此の事
()くよく()かんと()もう等。

是れ正像()()、末法流布(るふ)を指して「此の事」と云うなり。故に答の下に広く其の相を弁ずるなり。学者之を思え。

一 (それ)仏の滅後等文。

此の下は第一の解脱(げだつ)堅固(けんご)なり。(にゅう)涅槃(ねはん)の相及び舎利を分つ等、統紀第四の巻の如し云云。

八月二十九日

一 迦葉(かしょう)尊者文。

迦葉の始終は統紀の第五初一、止観の第一初等の如し云云。(文句一五十)補注(ふちゅう)の六・六に「迦葉の袈裟(けさ)(あたい)十万両金」云云。

一 仏の付嘱(ふぞく)をうけて二十年等文。

付嘱に三義あり。

一には弘宣(ぐせん)付嘱。(いわ)く、四依(しえ)の賢聖、釈尊一代所有(しょう)の仏法を時に(したが)い機に随って演説流布するなり。

(ぞく)(るい)品に云く「()し善男子・善女人有って如来の智慧を信ぜん者には、(まさ)(ため)に此の法華経を演説(えんぜつ)して聞知(もんち)することを得せしむべし。()の人をして(ぶっ)()を得せしめんが為の故なり。()し衆生有って、信受せざらん者には、(まさ)に如来の()深法(じんぽう)の中に於て示教(じきょう)利喜(りき)すべし」文。

此の中に「余の深法」と云うは()(ぜん)の諸経なり。既に「此の法華経」に対して「余」と云うが故なり。(けだ)台家(たいけ)の意は「余の深法」は(ただ)是れ別教、余法深法は(すなわ)ち三教に通ず云云。(ただ)次第三諦(さんたい)(しょ)(しょう)を以ての故に、爾前の諸経は即ち是れ三教なり。故に大義は(こと)なり無きなり。

二には伝持付嘱。(いわ)く、四依(しえ)の賢聖、如来一代の所有(しょう)の仏法を相伝受持し、世々相継(あいつ)いで住持するが故なり。

涅槃(ねはん)経第二・八十七に云く「我(いま)所有の無上の正法を(ことごと)く以て摩訶(まか)迦葉(かしょう)に付嘱す。(まさ)(なん)(だち)の為に(だい)依止(えし)()ること、(なお)如来の如くなるべし」等云云。統紀の四・七に此の文を釈して云く「迦葉は()く世を継いで伝持するを(もっ)てなり」と。又五・六に云く「迦葉(ひと)り住持に任ず。()れを以て祖々相伝住持して()えざるなり」文。楞厳疏(りょうごんしょ)に云く「覚性(かくしょう)三徳秘蔵に安住し、万善の功徳を任持して失わず、故に住持と()うなり」云云。今、寺主を以て通じて住持と云うは此等の意に()るなり。

三には守護付嘱。謂く、国主・(だん)(のつ)等、如来一代所有の仏法を時に随い、機に随い、()く之を守護して、法をして久住(くじゅう)せしむるなり。

涅槃経第三・十一に云く「如来今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相(さいしょう)比丘(びく)比丘尼(びくに)()()(そく)()()()に付嘱す。是れ諸の国王及び四部の衆、()()に諸の学人等を勧励して、(かい)定慧(じょうえ)を増長することを得せしむべし」等云云。

又涅槃経に云く「(うち)に智慧の弟子有って(じん)(じん)を解し、外に清浄(しょうじょう)の檀越有って仏法久住(くじゅう)す」等云云。此の中の「戒定慧」とは一代及び三時に通ずるなり。若し末法にあっては文底深秘(じんぴ)の三()の秘法なり。(つぶさ)には依義判文抄(かつ)て之を書するが如し。故に今は是れを略するのみ。

当に知るべし、今(いわ)く「迦葉尊者は仏の付嘱を受く」とは、是れ第一・第二の付嘱に当るなり。(いわ)く、嘱累品の時、弘宣(ぐせん)付嘱を受け、涅槃会(ねはんえ)の時、伝持付嘱を受くるなり。

嘱累品の時に弘宣付嘱を()くとは、太田抄二十五・十七に云く「釈尊(しか)して(のち)、正像二千年の衆生の為に宝塔より()でて虚空(こくう)住立(じゅうりゅう)して、右の手を以て文殊(もんじゅ)観音(かんのん)・梵天・帝釈(たいしゃく)日月(にちがつ)・四天等の(いただき)()でて、()くの如く三(ぺん)して法華経の(よう)より(ほか)(こう)(りゃく)の二門、並びに前後一代の一切経を此等の大士に付嘱す。正像二千年の機の為なり。(ここ)を以て滅後の弘教に於ても仏の所属に随い弘法(ぐほう)(かぎ)り有り。(しか)れば則ち迦葉・阿難(あなん)等は一向に小乗教を弘通して大乗教を()べず。竜樹・無著(むじゃく)等は権大乗を申べて一乗を弘通せず。南岳・天台は広略を以て本と為し、肝要(かんよう)(あた)わず。此れ(ひとえ)に付嘱を重んずるが故なり」略抄。

「前後一代の一切経」とは即ち是れ「余の深法」の中の文意なり。「此等の大士」とは、其の意は新得記(しんとっき)の声聞を含むなり。開顕の後は(みな)菩薩と名づくるが故なり。正付嘱の相とは、高橋抄三十五・四十三に云く「我が滅後の一切衆生は皆我が子なりいづれも平等に不便(ふびん)にをもうなり。乃至一切衆生にさづ()けよ」等云云。

涅槃会の時に伝持付嘱を受くとは、即ち(さき)に経文及び統紀を引くが如し。

問う、涅槃説法の時は迦葉(かしょう)()()()らず、何ぞ付嘱を受けんや。

答う、其の座に無しと(いえど)も仏(すで)に大衆に対して「所有(しょう)の正法を摩訶(まか)迦葉(かしょう)等に付嘱す」と云う。是れ迦葉を以て(ひと)り住持に任ずるなり。今(なお)その例多し云云。(どっ)(きょう)十五・八、統紀の五・六、金山の九・六十四、諌迷(かんめい)九終、中正の十八・五十四、(みな)宗祖の意に非ざるなり。

今得意して云く、二箇の相承(まさ)しく是れ弘宣・伝持の付嘱なり。謂く「日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍(あじゃ)()日興に(これ)を付嘱す。本門弘通(ぐつう)の大導師たるべきなり」とは、是れ弘宣(ぐせん)付嘱なり。故に「本門弘通」等と云うなり。

「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承(そうじょう)す、()(のぶ)久遠(くおん)寺の(べっ)(とう)たるべきなり」とは、是れ伝持付嘱なり。故に「別当たるべきなり」等と云うなり。秘すべし、秘すべし。

   八月晦日(みそか)


一 次に阿難尊者二十年文。

統紀の第五、御書の十六・二十五の十法界因果抄云云。

 九月(さく)(じつ)


一 
商那和(しょうなわ)(しゅう)等文。

統紀の第五、御書の十三の妙法尼抄

一 優婆崛(うばくっ)()二十年文。

統紀云云。

                             つづく
撰時抄愚記上 目次
                      



by johsei1129 | 2015-10-28 20:51 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 27日

勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや、と説いた。【乗明聖人御返事】

【乗明聖人御返事】
■出筆時期:建治三年(1277)四月十二日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、大田乗明夫妻が青鳧(せいふ・銭)二結を供養されたことへの返書となっております。
大聖人は金珠女と金師の夫(迦葉)が、金銭一文を金箔にし仏像に貼ったことで九十一劫も金色の身と為った故事を引いて、「今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼(迦葉)は仏(像)なり、此れ(乗明)は経(ご本尊)なり、経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と記され、諸仏は経を師として仏になった、貴方は経そのものに供養するので「勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや」と讃えられておられます。

尚、本抄は比較的短いお手紙ですが、重要な点があります。一つは乗明が幕府問註所(現在の最高裁判所)の役人で漢文の素養があり、大聖人は乗明への消息は全て漢文で認められておられ、本書も同様に漢文で記されておられます。もう一つは宛名が乗明聖人となっていることです。これは信徒に対する尊称としては極めて異例であります。大聖人は弘安五年十月十三日に滅度される半年前に、本門の戒壇建立のご遺命を記された[三大秘法禀承事]を大田乗明に対して書き遺しことでもわかるよに、如何に大聖人の法門への理解が深いかと乗明を高く評価していたかが伺われます。
その三大秘法禀承事の文末では、こう記されておられます。「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり、予年来(としごろ)己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺し候、一見の後、秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し」と。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
f0301354_1952146.jpg

[真筆本文:本文緑字箇所]
未來光明如來是也
今乘明法師
妙日并妻女銅
錢二千枚供養
法花經 彼佛也 此經也
經師也 佛弟子也 涅槃經云
諸佛所師所謂法也
乃至是故諸佛恭敬
供養 法華經第七云
若復有人以七寶滿三

[乗明聖人御返事 本文]

相州の鎌倉より青鳧二結甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ。

昔金珠女(こんじゅにょ)は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是なり。
今の乗明法師妙日並びに妻女は、銅銭二千枚を法華経に供養す。
彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。
法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満
てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」、夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや。

但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ、恐恐謹言。

卯月十二日                    日 蓮 花押
乗明聖人御返事


【妙法蓮華経 薬王菩薩本事品 第二十三】
 若復有人 以七宝満 三千大千世界
 供養於仏 及大菩薩 辟支仏 阿羅漢
 是人所得功徳 不如受持 此法華経
 乃至一四句偈 其福最多

 [和訳]
 若し復た人有りて、七宝を以て三千大千世界(宇宙)に満たし
 仏及び大菩薩、辟支仏(縁覚)、阿羅漢(声聞)を供養する
 是の人が得る所の功徳は、此の法華経の
 乃至、一四句偈をも受持する、其の福の最も多きには及ばないのである。



by johsei1129 | 2015-10-27 19:11 | 大田乗明・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 26日

撰時抄愚記 上十六

広く釈すの下 八月二十七日

   第七段 正法の初めの五百年の弘経


一 問うて云く竜樹等

此の下は第二に、広く三時の()(きょう)の次第を明かす、又二あり。初めに(まさ)しく明かし、二に「疑って云く設い」の下は料簡(りょうけん)。初めに正しく明かす、亦二あり。初めに略して正像未弘の所以(ゆえん)を示す。意は末法弘通(ぐつう)の所以を(あらわ)すなり。

此れに二重の問答あり。初めの問いの意は、(すで)に上来に於て、略して末法は是れ本門深秘の大法の広宣流布の時なることを()かす。故に(いま)問うて云く、竜樹等に其の深秘の大法弘通の義ありやと云云。

答の文は見るべし。(すなわ)ち是れ内鑑(ないがん)冷然(れいねん)外適(げちゃく)時宜(じぎ)の意なり。

問う、既に(ただ)「竜樹等の論師」と云う、故に(ただ)正法未弘(みぐ)を明かす。何ぞ通じて正像等と云うや。

答う、文は実に所問の如し。今、意を取って正像未弘と云うなり。(いわ)く、像法の中には(また)流布の辺あり。故に(しばら)く之を論ぜず。然りと雖も、実に是れ(いま)だ文底深秘の大法を弘めず。故に下三十五に云く「仏の滅後に迦葉(かしょう)阿難(あなん)馬鳴(めみょう)・竜樹・無著(むじゃく)・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通(ぐつう)しましまさぬ最大の(じん)(みつ)の正法、経文の(おもて)現前(げんぜん)なり」等云云。今()の意を取る、故に(しか)()うなり。()し此の大旨を得ざれば、恐らくは是れ前後雑乱(ぞうらん)せんか。

次の問答は、(まさ)しく正像未弘の所以(ゆえん)を明かすなり。(おのずか)ら三義あり。若し諸文の中には(あるい)は四義を明かす、太田抄(ごと)し。或は二義を明かす、当体義抄の如し云云。

第一に「彼の時には機なし」とは、是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の機無きが故なり、(およ)そ文底深秘の大法は本因下種の正体なり。故に其の機を論ずれば本未有善の衆生にして、是れ謗法(いっ)(せん)(だい)(やから)なり。然るに正像二千年の間は、皆是れ在世結縁(けちえん)の衆生にして、謗法一闡提の輩に非ず。故に「機なし」と云うなり。故に小権等を以て之を成熟(じょうじゅく)し、下種の要法を以て之を(さず)けざるなり。

第二に「時なし」とは、是れ白法(びゃくほう)隠没(おんもつ)の時無きなり。(およ)そ文底深秘(じんぴ)の大法は、一切の仏法隠没の時に()いで広宣流布す。(しか)るに正像二千年は正しく大集経の(さき)の四()の五百に当る。是れ第五の白法隠没の時に非ず。何ぞ(すべから)く広宣流布せしむべけんや。

第三に「迹化なれば付嘱せられ給はず」とは、

問う、迹化なれば(なに)(ゆえ)に付嘱せられ給わざるや。

答う、多くの所以有り。今(しばら)()意を示さん。

一には、迹化は釈尊(みょう)()(そく)の弟子に非ざるが故なり。

本尊抄八・二十一に云く「所詮(しょせん)迹化(しゃっけ)他方(たほう)の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず(乃至)迹化の大衆は釈尊初発心(しょほっしん)の弟子等に非ざる故なり」略抄。「初発心」とは名字即なり。故に妙楽の云く「(いま)発心を明かす、名字の位に()り」云云。「内証の寿量品」とは文底深秘の大法、即ち是れ久遠名字の妙法なり。故に久遠名字の御弟子に之を付嘱すべし。(しか)るに迹化は久遠名字の御弟子に(あら)ず、故に付嘱したまわざるなり。

二には、迹化は本因の妙法所持の人に(あら)ざるが故なり。

本尊抄八・二十四に云く「文殊(もんじゅ)観音(かんのん)・薬王・()(げん)等は爾前(にぜん)迹門の菩薩なり。本法所持の人に非ざれば末法の弘法(ぐほう)()らざる者か」云云。「本法」とは(すなわ)ち本因の妙法なり云云。

三には、迹化は(こう)を積むこと浅きが故に。

新尼抄外十二・二十七に云く「(いま)此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中に()さめさせ給いて、世に出現せさせ給いても四十(しじゅう)()(ねん)()の後又法華経の中にも迹門はせ()ぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品・(ぞく)(るい)に事(きわま)りて候しが、文殊・弥勒(みろく)・観音・薬王等の諸大士・我も我もと望み給いしかども(かな)はず、此等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひび()けども・いまだ法華経を学する日()さし・学も始めなり、末代の大難忍び()たかるべし」文。

既に迹化は()くの如き事有り、故に付嘱せられざるなり。世間の如きも此の例あり云云。

(まさ)に知るべし、元意(がんい)の辺は即ち末法弘通(ぐつう)所以(ゆえん)(あらわ)すなり。(いわ)く、一には機あり、二には時あり、三には本化(ほんげ)なれば付嘱せられ給うなり云云。故に下の文二十に云く「後の五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめて、謗法一闡提(いっせんだい)(やから)白癩(びゃくらい)(びょう)良薬(ろうやく)とせん」と云云。此の一文の中に時・機・付嘱の三義分明(ふんみょう)なり。学者見るべし。

次に「求めて云く、願くは此の事」の下は、広く五()の五百に約し、三時弘経の次第を明かす。即ち是れ正像()()、末法流布(るふ)の相なり。(おのずか)ら五段あり。次下の如し云云。



                     つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-10-26 22:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)