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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 30日

観心本尊抄文段 下三三  文殊等は即ち兼ねて末法の弘経は下方に限るの勅命を得たり。故に発誓無きなり。


 問う、文殊等は今日(こんにち)権迹の菩薩の相を示すと雖も、既に是れ法身の大士(だいし)なり。故に(おう)()同居(どうこ)の中に於て、或は寿量の説を聞けり。(たと)い往世に寿量の説を聞かずと雖も、今日(こんにち)既に発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん)を聞いて皆(ことごと)く信受せり。何ぞ本法所持の人に(あら)ずと云うや。

答う、(たと)い往世寿量の説を聞くと雖も、今日発迹顕本を開くと雖も、(ただ)是れ文上脱益(だっちゃく)の本法にして文底下種の本法に非ず。若し文底に望めば脱益(だっちゃく)の本法をば通じて迹門と名づく、故に本法所持の人とは名づけざるなり。

問う、当抄所引の「(ただ)下方(げほう)の発誓のみを見たり」等の文は即ち問の言なり。正しく答の中に於て下方の発誓に迹化を()ぬる義を明かす。故に文第十・二十に云く「問う、但下方の発誓のみを見て、文殊(もんじゅ)等の(ちかい)を見ざるは何ぞや。答う、上の文に云く、我が土に(おのずか)ら菩薩有り。()()の経を持ち、即ち(これ)を兼得するなり」云云。此の(もん)如何(いかん)是れ()せんや。

答う、古来の諸師、衆義(らん)(ぎく)たり。今謂く、答の文の大旨(たいし)、正しく文殊(もんじゅ)等の誓を見ざる所以(ゆえん)を明かすなり。文の意は、但下方の発誓のみを見て文殊等の(ちかい)を見ず、其の所以は何ぞや。謂く、文殊等は即ち兼ねて末法の()(きょう)は下方に限るの勅命(ちょくめい)を得たり。故に(ほっ)(せい)無きなり。譬えば平家の(やから)は即ち兼ねて今度(このたび)の大将は源氏に限るの勅命を得たり。故に競望(きょうぼう)すること無きが如し。(まさ)に知るべし「我が土に(おのずか)ら菩薩有り」等とは、末法の弘経は下方に限るの励命なり。言う所の「(これ)」とは上の八字を指すなり。

問う、(なん)ぞ答の文を引かざるや。

答う、此れ即ち問の意に同じき故に之を略するなり。(いわ)く、問答(とも)に文殊の(ちかい)無きことを明かす故なり。(なお)問の中の「不見」等の八字を略するは、是れ即ち「不見」等の六字()之を(あらわ)す故なり。

問う、若し(しか)らば国家論の意、何ぞ(ぼう)には迹化(しゃっけ)を兼ぬるの義に約するや。

答う、(しばら)台家(たいけ)伝来の説に准ずるが故なり、例せば大師の古師に准じて一往(いちおう)釈す等の如し。(えい)(ほう)の証真も此の伝来の義を用ゆるなり。


                     つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-30 22:27 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 30日

観心本尊抄文段 下三二


一 神力品に云く、()の時に千世界等

此の下は三に本門流通(るつう)の文を引く、三と為す。初めに別付嘱の文を引き、次に総付嘱の文を引き、三に捃拾(くんじゅう)遺嘱(いぞく)を示す。

初めの別付嘱の文を引くに(また)三と為す。初めに本化(ほんげ)(ほっせ)(せい)の文を引き、次に十神力(じんりき)の文を引き、三に正しく結要(けっちょう)付嘱の文を引く。

初めの本化発誓の文(また)二と為す。初めに正しく経文を引き、次に「天台」の下は釈。

初めの経文に云く「地より涌出せる者」とは、即ち「今の遣使(けんし)還告(げんごう)」なり。「仏の滅後に於て」とは(すなわ)是れ「悪世末法の時」なり。「当に広く此の経を説くべし」とは「寿量品の肝要たる名体(みょうたい)宗用(しゅうゆう)(きょう)の南無妙法蓮華経是れなり」と。発誓(すで)(しか)なり。付嘱知るべし云云。

文に「天台の云く」等と云うは、此の下は釈、(また)二と為す。初めに(ただ)本化の(ほっ)(せい)のみ有ることを明かす。故に「但下方(げほう)発誓のみを見たり」と云うり。

次に「道暹」の下は迹化(しゃっけ)の発誓無きを明かす、亦三と()す。初めに別付嘱は(ただ)本化に限ることを明かし、次に「夫れ文殊」の下は暫時(ざんじ)往来(おうらい)の菩薩なることを明かし、三に「又爾前」の下は本法所持の人に(あら)ざることを明かすなり、

初めの文意に(いわ)く、別付嘱は唯本化に限る。故に道暹(どうせん)の云く「()の経をば(ただ)下方(げほう)涌出(ゆしゅつ)の菩薩に付す」と云云。付嘱(すで)(しか)なり、(ほっ)(せい)(しか)り。故に迹化の発誓無きなり。

問う、別付嘱は本化(ほんげ)に限ると(いえど)も、総付嘱は既に迹化に通ず。何ぞ発誓無からんや。

答う、別命に()り故に(まさ)に本化の発誓有り。発誓に由る故に即ち別付嘱あり。故に別命、発誓、付嘱、並びに是れ一例なり。(また)通命に()り即ち勧持(かんじ)品の発誓あり。勧持品の発誓に由り総付嘱有り、故に総付嘱は迹化に通ずるなり。故に(また)例なり。

次の文意に謂く、()し本化の菩薩は塵劫(じんこう)(つね)此の土に住し釈尊の(しょ)発心(ほっしん)の弟子なり。故に発誓有り。(しか)るに文殊(もんじゅ)等は他方他仏の弟子にして暫時(ざんじ)往来(おうらい)の菩薩なり。故に発誓無きなり。

問う、(たと)い他方他仏の弟子にして暫時往来の菩薩なりと雖も、何ぞ必ずしも発誓なからんや。例せば()八恒(はちごう)(しゃ)は他方他仏の弟子にして暫時往来の菩薩なりと雖も、(しか)も発誓有るが如し。他方すら(なお)(しか)なり。況や文殊(もんじゅ)等をや。如何(いかん)

答う、既に他方他仏の弟子・暫時往来の菩薩を止めて「()みね善男子」と説く。故に其の(まさ)しく文殊等の迹化をも止むるに当れり。故に重ねて(さら)に発誓あるべからざるなり。

第三の文意は、本化は(すで)是れ本法所持の人なり。故に発誓有り。文殊等は是れ権迹(ごんしゃく)の菩薩にして本法所持の人に非ず。故に発誓無きなり。


                    つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-30 22:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 29日

執権北条時宗の代理・平左衛門に三度目の国家諌暁を成した事を詳細に記した書【高橋入道殿御返事】

【高橋入道殿御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)七月十二日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は駿河富士郡加島(現富士町)に住む高橋入道が、身延の大聖人を訪ねられた事への返書となっておられます。高橋入道の妻は日興上人の叔母であり、その縁により大聖人に帰依したと思われます。
佐渡流罪赦免により鎌倉に帰還された大聖人は、本書を記された前年の四月八日、北条時宗の命を受けた平左衛門と対面し三度目の国家諌暁を成し遂げますが、本抄ではその時の状況を次のように詳しく記されておられます。「平左衛門尉にあひたりし時・やうやうの事ども・とひし中に蒙古国は・いつよすべきと申せしかば、今年よすべし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし<中略>設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき」

さらに文末では、病弱でありながら身延へ見参された志を称えるとともに「御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく(嘆かわしく)候<中略>而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそ、説かれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり<中略>但し御疑のわたり候はんをば力をよばず」と記し、法華経は閻浮提人病之良薬であるが、疑いがあれば法華経の力は及ばない、と諭されておられます。
■ご真筆:静岡県西山本門寺(4紙~18紙)所蔵。他京都市妙満寺、富士大石寺所蔵。
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[真筆(第十三紙)本文箇所:ゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立~それも今はすぎぬ]

[高橋入道殿御返事 本文]

 我等が慈父・大覚世尊は人寿百歳の時・中天竺に出現しましまして一切衆生のために一代聖教をとき給う、仏在世の一切衆生は過去の宿習有つて仏に縁あつかりしかば・すでに得道成りぬ、我が滅後の衆生をば・いかんがせんと・なげき給いしかば八万聖教を文字となして・一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり・大乗経並びに法華経涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給う、但八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉・阿難にもゆづり給はず、又文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず、此等の大菩薩等の・のぞみ申せしかども仏ゆるし給はず、大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして・多宝仏・十方の諸仏の御前にして釈迦如来・七宝の塔中にして妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給う。

其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なりいづれも平等に不便にをもうなり、しかれども医師の習い病に随いて薬をさづくる事なれば・我が滅後・五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもつて一切衆生にあたへよ、次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩に華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさづけよ、我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等・法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ、末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勒菩薩等・薬王・観音等のゆ
づられしところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし、其の時一切衆生・此の菩薩をかたきとせん、所謂さるのいぬをみたるがごとく・鬼神の人をあだむがごとく・過去の不軽菩薩の一切衆生にのりあだまれしのみならず杖木瓦礫に・せめられしがごとく覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。

其の時は迦葉阿難等も或は霊山にかくれ恒河に没し・弥勒・文殊等も或は都率の内院に入り或は香山に入らせ給い、観世音菩薩は西方にかへり・普賢菩薩は東方にかへらせ給う、諸経は行ずる人はありとも守護の人なければ利生あるべからず、諸仏の名号は唱うるものありとも天神これをかごすべからず、但し小牛の母をはなれ金鳥のたかにあえるがごとくなるべし、其の時十方世界の大鬼神・一閻浮提に充満して四衆の身に入つて・或は父母をがいし或は兄弟等を失はん、殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入つて国主並びに臣下をたぼらかさん、此の時上行菩薩の御かびをかほりて法華経の題目・南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば・彼の四衆等・並びに大僧等此の人をあだむ事父母のかたき宿世のかたき朝敵怨敵のごとくあだむべし、其の時大なる天変あるべし、

所謂日月蝕し大なる彗星天にわたり大地震動して水上の輪のごとくなるべし、其の後は自界叛逆難と申して国主・兄弟・並びに国中の大人をうちころし・後には他国侵逼難と申して鄰国より・せめられて或はいけどりとなり或は自殺をし国中の上下・万民・皆大苦に値うべし、此れひとへに上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を・或はのり或はうちはり或は流罪し或は命をたちなんどするゆへに・仏前にちかひをなせし梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の座にて誓状を立てて法華経の行者をあだまん人をば父母のかたきよりもなをつよくいましむべしと・ちかうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生れて一切経並びに法華経の明鏡をもて・日本国の一切衆生の面に引向たるに寸分もたがはぬ上・仏の記し給いし天変あり地夭あり、定んで此の国亡国となるべしとかねてしりしかば・これを国主に申すならば国土安穏なるべくも・たづねあきらむべし、亡国となるべきならば・よも用いじ、用いぬ程ならば日蓮は流罪・死罪となるべしとしりて候いしかども・仏いましめて云く此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば我が敵たるのみならず一切衆生の怨敵なり、必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給へり。

此に日蓮進退わづらひて此の事を申すならば我が身いかにもなるべし我が身はさてをきぬ父母兄弟並びに千万人の中にも一人も随うものは国主万民にあだまるべし、彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし、此れも不便なり又此れを申さずは仏誓に違する上・一切衆生の怨敵なり大阿鼻地獄疑いなし、いかんがせんとをもひしかども・をもひ切つて申し出しぬ、申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば・いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだみ万民もせめき、あだをなせしかば天もいかりて日月に大変あり大せいせいも出現しぬ大地もふりかえしぬべくなりぬ、どしうちもはじまり他国よりもせめるなり、仏の記文すこしもたがわず・日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。

但し去年かまくらより此のところへにげ入り候いし時・道にて候へば各各にも申すべく候いしかども申す事もなし、又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず、なに事にか各各をば・へだてまいらせ候べき、あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等をもたすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをば・ことに悦ぶ身なり、日蓮に付てたすけやりたるかたわなき上・わづかの所領をも召さるるならば子細もしらぬ妻子・所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。

而も去年の二月に御勘気をゆりて三月の十三日に佐渡の国を立ち同月の二十六日にかまくらに入る、同四月の八日平左衛門尉にあひたりし時・やうやうの事ども・とひし中に蒙古国は・いつよすべきと申せしかば、今年よすべし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし、それも今はすぎぬ・但し皆人のをもひて候は日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候、これは物のかずにてかずならず・真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり、弘法大師と慈覚大師此の事にまどひて此の国を亡さんとするなり、設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき。

たすけんがために申すを此程あだまるる事なれば・ゆりて候いし時さどの国より・いかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども・此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候いき、又申しきかせ候いし後は・かまくらに有るべきならねば足にまかせていでしほどに便宜にて候いしかば設い各各は・いとはせ給うとも今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども・心に心をたたかいてすぎ候いき、そのゆへはするがの国は守殿の御領ことにふじなんどは後家尼ごぜんの内の人人多し、故最明寺殿・極楽寺殿のかたきといきどをらせ給うなればききつけられば各各の御なげきなるべしとおもひし心計りなり、いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候いき、この御房たちのゆきすりにも・あなかしこあなかしこ・ふじかじまのへんへ立ちよるべからずと申せども・いかが候らんとをぼつかなし。

ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給い候らん、いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし但眼前の事をもつて知しめせ、隠岐の法皇は人王八十二代・神武よりは二千余年・天照太神入りかわらせ給いて人王とならせ給う、いかなる者かてきすべき上欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候、此れは皆国を守護し国主をまほらんためなり、隠岐の法皇世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして叡山・東寺等の高僧等をかたらひて義時が命をめしとれと行ぜしなり、此の事一年二年ならず数年調伏せしに・権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず・又行ずとも叶うべしともをぼへずありしに・天子いくさにまけさせ給いて隠岐の国へつかはされさせ給う、日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王なり、先生の十善戒の力といひ・いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき、設いとがありともつみあるをやを失なき子のあだむにてこそ候いぬらめ、設い親に重罪ありとも子の身として失に行はんに天うけ給うべしや、しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給いしはいかなる大禍ぞ・此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給いしゆへなり。

一切の真言師は潅頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり、かかる不思議の者ども諸山・諸寺の別当とあおぎてもてなすゆへに・たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ、此の大悪法又かまくらに下つて御一門をすかし日本国をほろぼさんとするなり、此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず・只いつはり・をろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせしなり、

今は又用いられぬ事なれば身命もおしまず弟子どもにも申すなり、かう申せば・いよいよ御不審あるべし、日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか、この疑すべてはるべからず・いかにとかすべき。

但し皆人はにくみ候にすこしも御信用のありし上・此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ定めて過去のゆへか、御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく候、但しつるぎはかたきのため薬は病のため、阿闍世王は父をころし仏の敵となれり、悪瘡身に出で後に仏に帰伏し法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき、而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり、三事すでに相応しぬ一身いかでかたすからざるべき、但し御疑のわたり候はんをば力をよばず、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
覚乗房はわき房に度度よませてきこしめせ・きこしめせ。

七月十二日                      日 蓮  花押
進上 高橋六郎兵衛入道殿 御返事

by johsei1129 | 2015-09-29 21:46 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 29日

上野殿御返事 The Welathy Man Sdatta


仏にやすやすとなる事の候ぞ・をしへまいらせ候はん、

I will teach you how tobecome a Buddha easily.

I will teach you the path to easily attain Buddhahood.

人のものををし()ふると申すは車のおも()けれども油をぬりてまわり、

Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy,

To teach a person something is like the greasing the wheels of a heavily loaded cart to ease its movement forward,

ふね()を水にうかべてゆきやすきやうにをし()へ候なり、

or as floating a boat on water so that it moves ahead easily.

or floating a boat on water so it can effortlessly glide ahead.

仏になりやすき事は別のやう候はず、

The way to become a Buddha easily is nothing special.

Similarly,the way to become a Buddha is not especially difficult.

旱魃(かんばつ)かわ()けるものに水をあた()へ、

It is the same as giving water to a thirsty person in a time of drought,

It is like giving water to the thirsty in a time of drought ,

寒冰にこご()へたるものに火をあたふるがごとし、

or as providing fire for a person freezing in the cold.

or the warmth of a fire to a freezing man.

又二つなき物を人にあたへ・命の()ゆるに人の()にあふがごとし。

Or again, it is the same as giving another something that is one of a kind, or as offering something as alms to another even at the risk of one’s life.

Or, it is like someone in a time of famine who offers his last treasured valuable and then when reduced to the point of death, he unexpectedly receives a gift of food.


【本文】  目次 Index



by johsei1129 | 2015-09-29 21:41 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

富木尼御前、富木常忍夫妻からのそれぞれの供養を著した書【富木尼御前御返事】

【富木尼御前御返事】
■出筆時期:文永十二年(1275年)一月 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は短い消息ですが、富木尼御前と富木常忍夫妻のそれぞれから銭一貫と、さらに帷(かたびら:裏地がない単衣の上着)を供養されたことを簡潔に記されておられます。夫妻それぞれから銭を供養される例は極めて異例で、通常では夫妻合わせて銭二貫と記すところです。本書を記した翌年の建治二年三月下旬には富木常忍の母が亡くなり、またその義母を熱心に看病していた富木尼も病気がちでありました。恐らく本書で記された銭の供養は、富木常忍の母と富木尼の、その当時の健康回復を祈念しての供養ではないかと推察されます。

尚、富木常忍は建治二年三月二十七日、亡き母の遺骨を首に下げ、大聖人に追善供養をしてもらうため身延の草庵に見参します。
また大聖人はその時、富木尼の義母への熱心な看護と、富木尼自身の体調も良くないことを聞き、励ますために消息を認めておられます。
その時の経緯は[富木尼御前御書][忘持経事]を参照して下さい。
■ご真筆:東京都・池上本門寺所蔵。
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[富木尼御前御返事 本文]

尼こせん鵞目(がもく)一貫
富木殿青鳧(せいふ)一貫
給候了
又帷(かたびら)一領

                 日 蓮 花押

by johsei1129 | 2015-09-27 21:35 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下三一


  問う、何ぞ「()(こう)良薬(ろうやく)」の文を以て名体宗用(みょうたいしゅうゆう)等と判じたもうや。

  答う、深く所以(ゆえ)有り。謂く「是好良薬」とは、色香(しきこう)美味(みみ)(みな)悉く具足す。故に是好良薬と云うなり。

(しか)るに天台之を釈して云く「色は是れ般若(はんにゃ)、香は是れ解脱(げだつ)、味は是れ(ほっ)(しん)、三徳不縦(ふじゅう)不横(ふおう)なるを秘密蔵と名づく。教に()って修行して()の蔵に入ることを()」等云云。

妙楽(みょうらく)云く「体等の三章(ただ)是れ三徳」等云云。故に知んぬ、「色」は是れ般若(はんにゃ)、即ち妙宗なり。「香」は是れ解脱(げだつ)、即ち妙用(みょうゆう)なり。「味」は是れ(ほっ)(しん)、即ち妙体なり。「秘密蔵」は即ち是れ妙名なり。「教に()って修行して」とは即ち是れ妙教なり。故に今の文に「()(こう)良薬(ろうやく)とは寿量品の肝要(かんよう)たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」と云う云云。

(また)(まさ)に知るべし、体等の三章は(ただ)是れ三徳(さん)(じん)なり。故に久遠(くおん)元初(がんじょ)自受(じじゅ)(ゆう)(ほう)(ちゅう)(ろん)(さん)無作(むさ)(さん)(じん)なり。人法体(じん)()、予が取要抄愚記の如し云云。耆婆(ぎば)(やく)(どう)之を思い合すべし。又四五二十重の相伝あり云云。

問う、啓運抄の第一に云く「名体宗用教は序品より(おこ)る。故に迹門の五重玄なり。(いま)本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず。故に知んぬ、本迹致なることを」と云云。愚案(ぐあん)()之に同じ。此の義は如何(いかん)

答う、序品は是れ名体宗用教の次第(しだい)なり。是れを約行の次第と名づくるなり。神力(じんりき)品は名用体宗教の次第なり。是れを約説の次第と名づくるなり。文はに随って之を説くと(いえど)も、義は実に迹本二門に通ず。故に迹門に約説の次第有り、本門に(また)約行の次第有り、何ぞ(ただ)辺のみに限るべけんや。

今難じて云く、若し(しか)らば迹門の中に永く約説の次第無く、本門にも(また)約行の次第無からん。妙楽云く「迹を以て本に例す」と。又云く「()し迹を借らずんば、何ぞ()本を()らん」云云。(いま)迹を以て本に例し、迹を借りて本を識る。(あに)本門に約行無なかるべけんや是一。

(いわん)(また)(じょ)並びに迹本を表す。故に記の三の上二十一に云く「(ごん)は則ち迹を表し、(おん)は本に表す」等云云。能表(すで)是れ約行の次第なり、所表の本門(あに)(しか)らざらんや是ニ。

況や亦迹門の開示(かいじ)悟入(ごにゅう)(まさ)しく是れ約行の次第なり。故に(げん)の一・二十五に云く「開示悟入(また)行の次第に約す」と云云。(しか)るに顕本の後は即ち本門の開示悟入と()る。故に記の八の本九に云く「開示悟入は是れ迹の要なりと雖も、若し顕本し(おわ)れば即ち本の要と成る」等云云。何ぞ顕本(けんぽん)の後、約行の次第無かるべけんや是三。

(いわん)(また)部八巻二十八品、通じて是れ五重玄なるをや。故に妙楽(みょうらく)云く「品品の内(ことごと)く体等を()し、句句の下に通じて妙の名を結す」等云云。故に五重玄は(まさ)しく二十八品に(わた)れり。故に(いま)余品(よほn)の五重玄を(えら)んで「寿量品の肝要(かんよう)たる名体(みょうたい)」等と云う。何ぞ本迹致と云わんや是四。

況や(また)妙楽の記の第に云く「本地の総別は諸説に超過(ちょうか)し、迹中の三(こう)一期(いちご)に高し」等云云。総は(いわ)(みょう)玄義、別は即ち体宗(ゆう)、三は即ち体宗用、は謂く、名玄義なり。此の文に迹本の勝劣(しょうれつ)分明(ふんみょう)なり。故に輔記(ふき)に云く「(すなわ)ち前十四品に()え、二は則ち代の教門に超ゆ」等云云。台家(なお)(しか)なり。況や当流に(おい)てをや是五。

況や(また)常抄に云く「問う、序品と神力品の五重玄如何(いかん)。答う、本迹二門の題名の勝劣(しょうれつ)なり。故に記のに云く『本地の総別は諸説に超過す』」等云云。(たと)い日常の述作に(あら)ずと(いえど)も文義分明なり是六。

況や復(まさ)に文に()り、義に依り、意に依って宗門の奥義(おうぎ)を明かすべし。何ぞ少分の法相(ほっそう)の次第等に(こだわ)って宗門の(おう)()を示さんや是七。


                     つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 20:33 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下三十


一 寿量品に云く等

此の下は次に(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の文を引く、(また)二と為す。初めに一往(いちおう)在世の正宗を証し、次に再往(さいおう)末法の流通を証す。

初めの文、二と為す。初めに正しく引き、次に「久遠」の下は釈。即ち(さき)の「一往之を見れば」等の文に同じきなり。

文に云く「経に云く、余の心を失える者」等とは、此の下は次に再往(さいおう)末法の流通(るつう)を証するなり。「心を失える」と言うは、是れ末法今時の衆生を()すなり。

問う、「心を失える」と云うと(いえど)(なお)是れ仏子なり。(あに)結縁(けちえん)なからんや。(いわん)や「心を失える」と云う(あに)種の善根なからんや。()(しか)らば、末法今時の衆生を何ぞ本未(ほんみ)()(ぜん)と名づけんや。

答う、仏子の義を(しゃく)する(しょ)に三意あり。所謂(いわゆる)正・縁・了なり。而して失心を以て(なお)仏子と名づくることは是れ縁因の子に(あら)(ただ)是れ正因の子なり。(しつ)不失(ふしつ)を釈するに即ち両解(りょうげ)あり。初めに正因に約し、次に縁因に約す。(しか)して失心と名づくることは、是れ縁因の失心に非ず。(ただ)是れ正因の失心なり。故に仏子と云うと雖も、失心と云うと雖も、(なお)是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の衆生なり。若し正因に()らば法界に非ざること無し。何ぞ(すべから)く更に()(ぜん)未善(みぜん)を論ずべけんや云云。

此の文(また)二と為す。初めに正しく引き、次に「問うて曰く」の下は釈。

初めの正しく引くに(また)二あり。初めに正しく引き、次に「分別功徳品」の下は「今留(こんる)」の二字を助成(じょじょう)するなり。

文に「是の好き良薬を今留めて此に在く」と云うは、「()()良薬(ろうやく)」とは流通(るつう)する所の正体を()げ「今(とど)めて(ここ)()く」とは正しく是れ流通(るつう)の義なり。

文に「問うて曰く此の経」等と云うは、此の下は釈、(また)二と為す。初めに問、次に答、二と為す。初めに「遣使(けんし)(げんごう)」を釈し、次に「今の遣」の下は「()(こう)良薬(ろうやく)」を釈するなり。

初めの文、二と為す。初めに通じて示し、次に別して釈す(おのずか)ら四あり。文の如く見るべし。

文に「今の遣使還告」等と云うは、()下、次に「是好良薬」を釈す、三と為す。初めに付嘱の人を示し、次に所嘱の法体(ほったい)を釈し、三に非器の人を(えら)ぶなり。

文に云く「是好良薬とは寿量品の肝要乃至是なり」とは、文の意に(いわ)く、今の是好良薬は脱益(だっちゃく)の寿量品の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなりと云云。当に知るべし肝要(かんよう)」とは、是れ文底の異名(いみょう)なるのみ。

問う、天台(てんだい)云く「経教を留めて()く。故に()好良薬(こうろうやく)今留在(こんるざい)()と云う」等云云。妙楽(みょうらく)云く「頓漸(とんぜん)(こうむ)ると雖も、(もと)実乗に在り」等云云。今何ぞ文底下種の妙法に約するや。

答う、経文の意は通じて正像末に(わた)る。故に天台は総じて代経に約するなり。(けだ)妙楽は時、像法に()り。故に今経に約するなり。若し(れん)()は時、末法に在り。故に文底下種の妙法に約するなり。法華経は法なれども時機に(したが)って同じからず云云。


                   つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 20:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下二九


一 又弥勒(みろく)菩薩疑請(ぎしょう)して云く等

此の下は次に本門正宗(しょうしゅう)の文を引く、(また)二あり。初めに動執(どうしゅう)生疑(しょうぎ)の文を引き、次に「寿量品」の下は(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の文を引くなり。

初めの文、二と()す。初めに正しく引き、次に流通(るつう)に属する所以(ゆえん)を明かすなり。

文に云く「我等は(また)仏の随宜(ずいぎ)の所説(しょ)(すい)(みこと)未だ(かつ)虚妄(こもう)ならず、仏の(しょ)()は皆(ことごと)通達(つうだつ)し給えりと信と雖も」と。(まさ)()くの如く点ずべし。証真日遠(にちおん)(とも)是れ(あやま)りなり。何ぞ仏に対して「我等仏の所知は(みな)悉く通達す」と云うべけんや云云。次に文の意に(いわ)く、寿量品の法門は滅後の(ため)(しょう)。故に流通段に属するなり云云。

         

                     つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 19:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 26日

上野殿御返事三 Persecution by Swords and Staves 3

かつ()へて食をねがひ・

As you crave food when hungry,

In the same way as you hunger for food when famished,

(かっ)して水をしたうがごとく・

seek water when thirsty,

thirst for water when parched,

恋いて人を見たきがごとく・

long to see a lover,

yearn for a loved one when apart,

病にくすりをたのむがごとく、

beg for medicine when ill,

seek medicine when ailing,

みめ()()ちよき人・べに()しろいものをつくるがごとく・

or as a beautiful woman desires powder and rouge,

or as a beautiful woman desires lip color and powder,

法華経には信心をいたさせ給へ、

so should you put your faith in the Lotus Sutra.

have faith in the Lotus Sutra.

さなくしては後悔あるべし云云。

 If you do not, you will regret it later.
 If you do not, you will regret it.


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by johsei1129 | 2015-09-26 20:44 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 26日

上野殿御返事二 Persecution by Swords and Staves 2


 相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ生死の中間(ちゅうげん)に日蓮かならず・むか()いにまいり候べし、

I do not know how long I or anyone else may live, but without fail, I will be with you at the time of your death and guide you from this life to the next.

Exert yourselfExert yourself in your practice. I do not know when you or I will die, but when you reach the crossroads of life and death, I will surely come to guide you.

三世の諸仏の成道は()うし()のをわり・()らのき()みの成道なり、

All the Buddhas of the past, present, and future attain enlightenment during the hours of the ox and the tiger.

All Buddhas throughout the three existences attain their Buddhahood between the beginning of the hour of the Ox and the end of the hour of the Tiger.

仏法の住処は鬼門(きもん)の方に三国ともにたつなり

In all three countries of India, China, and Japan, the place of Buddhist prayer is located to the northeast, in the direction of the demon gate.

The site of Buddhist practice is placed in the direction of the Demon Gate, the northeast, in all three countries of India, China and Japan.

此等は相承(そうじょう)の法門なるべし

These are profound teachings of Buddhism, which are reverently transferred from teacher to disciple.

This is the teaching of Buddhism transmitted from master to disciple.


                       つづく Next
【本文】  目次 Index



by johsei1129 | 2015-09-26 20:32 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)