2015年 09月 30日
答う、縦い往世寿量の説を聞くと雖も、今日発迹顕本を開くと雖も、唯是れ文上脱益の本法にして文底下種の本法に非ず。若し文底に望めば脱益の本法をば通じて迹門と名づく、故に本法所持の人とは名づけざるなり。 問う、当抄所引の「但下方の発誓のみを見たり」等の文は即ち問の言なり。正しく答の中に於て下方の発誓に迹化を兼ぬる義を明かす。故に文第十・二十に云く「問う、但下方の発誓のみを見て、文殊等の誓を見ざるは何ぞや。答う、上の文に云く、我が土に自ら菩薩有り。能く此の経を持ち、即ち之を兼得するなり」云云。此の文如何が是れを会せんや。 答う、古来の諸師、衆義蘭菊たり。今謂く、答の文の大旨、正しく文殊等の誓を見ざる所以を明かすなり。文の意は、但下方の発誓のみを見て文殊等の誓を見ず、其の所以は何ぞや。謂く、文殊等は即ち兼ねて末法の弘経は下方に限るの勅命を得たり。故に発誓無きなり。譬えば平家の輩は即ち兼ねて今度の大将は源氏に限るの勅命を得たり。故に競望すること無きが如し。当に知るべし「我が土に自ら菩薩有り」等とは、末法の弘経は下方に限るの励命なり。言う所の「之」とは上の八字を指すなり。 問う、何ぞ答の文を引かざるや。 答う、此れ即ち問の意に同じき故に之を略するなり。謂く、問答倶に文殊の誓無きことを明かす故なり。仍問の中の「不見」等の八字を略するは、是れ即ち「不見」等の六字能く之を顕す故なり。 問う、若し爾らば国家論の意、何ぞ傍には迹化を兼ぬるの義に約するや。 答う、且く台家伝来の一説に准ずるが故なり、例せば大師の古師に准じて一往釈す等の如し。叡峯の証真も此の伝来の義を用ゆるなり。 ▲
by johsei1129
| 2015-09-30 22:27
| 日寛上人 御書文段
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2015年 09月 30日
此の下は三に本門流通の文を引く、亦三と為す。初めに別付嘱の文を引き、次に総付嘱の文を引き、三に捃拾遺嘱を示す。 初めの別付嘱の文を引くに亦三と為す。初めに本化発誓の文を引き、次に十神力の文を引き、三に正しく結要付嘱の文を引く。 初めの本化発誓の文、亦二と為す。初めに正しく経文を引き、次に「天台」の下は釈。 初めの経文に云く「地より涌出せる者」とは、即ち「今の遣使還告」なり。「仏の滅後に於て」とは即ち是れ「悪世末法の時」なり。「当に広く此の経を説くべし」とは「寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなり」と。発誓既に然なり。付嘱知るべし云云。 文に「天台の云く」等と云うは、此の下は釈、亦二と為す。初めに但本化の発誓のみ有ることを明かす。故に「但下方の発誓のみを見たり」と云うなり。 次に「道暹」の下は迹化の発誓無きを明かす、亦三と為す。初めに別付嘱は唯本化に限ることを明かし、次に「夫れ文殊」の下は暫時往来の菩薩なることを明かし、三に「又爾前」の下は本法所持の人に非ざることを明かすなり、 初めの文意に謂く、別付嘱は唯本化に限る。故に道暹の云く「此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す」と云云。付嘱既に爾なり、発誓も亦然り。故に迹化の発誓無きなり。 問う、別付嘱は本化に限ると雖も、総付嘱は既に迹化に通ず。何ぞ発誓無からんや。 答う、別命に由り故に方に本化の発誓有り。発誓に由る故に即ち別付嘱あり。故に別命、発誓、付嘱、並びに是れ一例なり。又通命に由り即ち勧持品の発誓あり。勧持品の発誓に由り総付嘱有り、故に総付嘱は迹化に通ずるなり。故に亦一例なり。 次の文意に謂く、若し本化の菩薩は塵劫常に此の土に住し釈尊の初発心の弟子なり。故に発誓有り。然るに文殊等は他方他仏の弟子にして暫時往来の菩薩なり。故に発誓無きなり。 問う、縦い他方他仏の弟子にして暫時往来の菩薩なりと雖も、何ぞ必ずしも発誓なからんや。例せば過八恒沙は他方他仏の弟子にして暫時往来の菩薩なりと雖も、而も発誓有るが如し。他方すら尚爾なり。況や文殊等をや。如何。 答う、既に他方他仏の弟子・暫時往来の菩薩を止めて「止みね善男子」と説く。故に其の義正しく文殊等の迹化をも止むるに当れり。故に重ねて更に発誓あるべからざるなり。 第三の文意は、本化は既に是れ本法所持の人なり。故に発誓有り。文殊等は是れ権迹の菩薩にして本法所持の人に非ず。故に発誓無きなり。 ▲
by johsei1129
| 2015-09-30 22:19
| 日寛上人 御書文段
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2015年 09月 30日
【(さじき)妙一尼御前御返事】 ■出筆時期:文永十年(1273年)四月二六日 五十二歳御作 ■出筆場所:佐渡国・一ノ谷の屋敷にて。 ■出筆の経緯: 本消息は六老僧の一人・最長老の弁阿闍梨日昭上人と血縁(一説には母とも伝えられている)の妙一尼(さじき殿)に、大聖人が佐渡流罪中に送られた書です。 妙一尼は大聖人が佐渡での苦難の生活を少しでも支えようと志し、自らの下人滝王丸を佐渡に遣わします。この事について大聖人は法華経 提婆達多品第十二に説かれている阿私仙と釈尊の謂れを引いて、この時釈尊は大王であったが自分(日蓮)は卑賤の身分、また釈尊は国中で畏れる者は何もないが、日蓮は幕府から御勘気を被っている身。さらに釈尊は聖人で、貴方は末代の凡女であるから志は釈尊をすでに超えておられる。それ故来果(来世の報い)は、仏になった釈尊と同じく成仏するであろうと讃えられておられます。 尚、阿私仙と釈尊の謂れとは、釈尊が一国の王であった時最高の法を求め、もし大乗(の経)を教える人がいたなら私はその人の下人として働こうと言って四方に求めていた。そこに阿私仙が現れ、私が「妙法蓮華経」と言う最高の経を知っているから教えようと王に語り、王は阿私仙の下人として千歳仕え法華経を習得、釈尊となることができた。そしてその阿私仙は実は提婆達多であり、釈尊は提婆達多は自分にとって法華経を教えてくれた「善知識」であったと説き、法華経での「悪人成仏」の事例となっている。 ■ご真筆:京都市・瑞龍寺(全文二紙)所蔵。 ![]() [真筆(第一紙)本文箇所:瀧王丸遣使之~来果何不斉] [(さじき)妙一尼御前御返事 本文] 滝王丸之を遣使さる。 昔国王は自身を以て床座と為し、千才の間阿私仙に仕へ奉り妙法蓮華経の五字を習ひ持つ、今の釈尊是なり。 今の施主、妙一比丘尼は貧道の身を扶けんとて小童に命じ、之を使はして法華経の行者に仕へ奉らしむ。 彼は国王此は卑賤。彼は国に畏れなし、此は勅勘の身。此は末代の凡女、彼は上代の聖人なり。 志既に彼に超過す。来果何ぞ斉等ならざらんや。何ぞ斉等ならざらんや。 弁殿は今年は鎌倉に住して衆生を教化せよ。恐々謹言。 卯月二十六日 日 蓮 花押 さじき 妙一尼御前 ▲
by johsei1129
| 2015-09-30 20:52
| 弟子・信徒その他への消息
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2015年 09月 30日
【妙一尼御前御消息】 ■出筆時期:建治元(1275)年5月 五十四歳御作 ■出筆場所:身延山中の草庵にて。 ■出筆の経緯:本抄を与えられた妙一尼の亡き夫は、佐渡流罪の大難の時幕府から所領を奪われておられます。そして夫が亡くなると妙一尼には、病気の子供と女の子が残されます。この事について大聖人は「聖霊(亡夫)は或は病子あり或は女子あり、われ(妙一尼)すてて冥途にゆきなば<中略>此の子どもをいかに心ぐるしかるらんとなげ(嘆)かれぬらんとおぼゆ」と、夫亡き後の妙一尼の暮らしぶりを心配されるとともに「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」と励まされておられます。 さらに法華経信徒として大難に遭い所領を召されて命を捨てた夫は、(仏法の)半偈を聞くために身をすてた雪山童子に匹敵し、その功徳で「大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん」と記し、聖霊となった夫が昼夜、妙一尼と子供を見守っているので「御疑あるべからず定めて御まほりとならせ給うらん」と諭されておられます。 さらに文末では、佐渡流罪の時にも、また身延に入山された時にも大聖人の元へ下人(滝王丸)を遣わした妙一尼の志を「いつの世にかわすれ候べき(略)」と称えられておられます。 ■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。 ![]() [真筆(第三紙)本文箇所:我がてきとなりしかば~かの心のかたがたには、又] [妙一尼御前御消息 本文] 夫れ天に月なく日なくば草木いかでか生ずべき、人に父母あり一人もかけば子息等そだちがたし、其の上過去の聖霊は或は病子あり或は女子あり、とどめをく母もかいがいしからず、たれにいゐあつけてか冥途にをもむき給いけん。 大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく・我涅槃すべし但心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく仏は平等の慈悲なり一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王一人と・をほせあるやらんと問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云、 天台摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云・とこそ仏は答えさせ給いしか、文の心は人にはあまたの子あれども父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには一切衆生は皆子なり其の中罪ふかくして世間の父母をころし仏経のかたきとなる者は病子のごとし、しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり・我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし我がてきとなりしかば天もすてて日月に変いで地も頂かじとふるひ・万民みな仏法にそむき・他国より摩竭国をせむ。 此等は偏に悪人・提婆達多を師とせるゆへなり、結句は今日より悪瘡身に出て三月の七日・無間地獄に堕つべし、これがかなしければ我涅槃せんこと心にかかるというなり、我阿闍世王をすくひなば一切の罪人・阿闍世王のごとしと・なげかせ給いき。 しかるに聖霊(妙一尼の亡夫)は或は病子あり或は女子あり・われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかに心ぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ。かの心の・かたがたには又は日蓮が事・心にかからせ給いけん、仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし、それについては此の御房はいかなる事もありて・いみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、いうかいなく・ながし失しかばいかにや・いかにや法華経十羅刹はとこそ・をもはれけんに、いままでだにも・ながらえ給いたりしかば日蓮がゆりて候いし時いかに悦ばせ給はん。 又いゐし事むなしからずして・大蒙古国もよせて国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん。これは凡夫の心なり、法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。 故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき、わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや。彼の雪山童子の半偈のために身をすて薬王菩薩の臂をやき給いしは彼は聖人なり火に水を入るるがごとし、此れは凡夫なり紙を火に入るるがごとし・此れをもつて案ずるに聖霊は此の功徳あり、大月輪の中か大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん、設い妻子は凡夫なれば此れをみずきかず、譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし。御疑あるべからず定めて御まほりとならせ給うらん、其の上さこそ御わたりあるらめ。 力あらばとひまひらせんと・をもうところに衣を一つ給ぶでう存外の次第なり。法華経はいみじき御経にてをはすれば・もし今生にいきある身ともなり候いなば尼ごぜんの生きてをわしませ、もしは草のかげにても御らんあれ、をさなききんだち等をばかへり見たてまつるべし。 さどの国と申しこれと申し下人一人つけられて候は・いつの世にかわすれ候べき、此の恩は・かへりて・つかへたてまつり候べし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・恐恐謹言。 五月 日 日 蓮 花押 妙一尼御前 ▲
by johsei1129
| 2015-09-30 03:47
| 弟子・信徒その他への消息
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2015年 09月 29日
【高橋入道殿御返事】 ■出筆時期:建治元年(1275年)七月十二日 五十四歳御作 ■出筆場所:身延山中 草庵にて。 ■出筆の経緯:本抄は駿河富士郡加島(現富士町)に住む高橋入道が、身延の大聖人を訪ねられた事への返書となっておられます。高橋入道の妻は日興上人の叔母であり、その縁により大聖人に帰依したと思われます。 佐渡流罪赦免により鎌倉に帰還された大聖人は、本書を記された前年の四月八日、北条時宗の命を受けた平左衛門と対面し三度目の国家諌暁を成し遂げますが、本抄ではその時の状況を次のように詳しく記されておられます。「平左衛門尉にあひたりし時・やうやうの事ども・とひし中に蒙古国は・いつよすべきと申せしかば、今年よすべし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし<中略>設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき」 さらに文末では、病弱でありながら身延へ見参された志を称えるとともに「御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく(嘆かわしく)候<中略>而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそ、説かれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり<中略>但し御疑のわたり候はんをば力をよばず」と記し、法華経は閻浮提人病之良薬であるが、疑いがあれば法華経の力は及ばない、と諭されておられます。 ■ご真筆:静岡県西山本門寺(4紙~18紙)所蔵。他京都市妙満寺、富士大石寺所蔵。 ![]() [真筆(第十三紙)本文箇所:ゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立~それも今はすぎぬ] [高橋入道殿御返事 本文] 我等が慈父・大覚世尊は人寿百歳の時・中天竺に出現しましまして一切衆生のために一代聖教をとき給う、仏在世の一切衆生は過去の宿習有つて仏に縁あつかりしかば・すでに得道成りぬ、我が滅後の衆生をば・いかんがせんと・なげき給いしかば八万聖教を文字となして・一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり・大乗経並びに法華経涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給う、但八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉・阿難にもゆづり給はず、又文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず、此等の大菩薩等の・のぞみ申せしかども仏ゆるし給はず、大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして・多宝仏・十方の諸仏の御前にして釈迦如来・七宝の塔中にして妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給う。 其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なりいづれも平等に不便にをもうなり、しかれども医師の習い病に随いて薬をさづくる事なれば・我が滅後・五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもつて一切衆生にあたへよ、次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩に華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさづけよ、我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等・法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ、末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勒菩薩等・薬王・観音等のゆ づられしところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし、其の時一切衆生・此の菩薩をかたきとせん、所謂さるのいぬをみたるがごとく・鬼神の人をあだむがごとく・過去の不軽菩薩の一切衆生にのりあだまれしのみならず杖木瓦礫に・せめられしがごとく覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。 其の時は迦葉阿難等も或は霊山にかくれ恒河に没し・弥勒・文殊等も或は都率の内院に入り或は香山に入らせ給い、観世音菩薩は西方にかへり・普賢菩薩は東方にかへらせ給う、諸経は行ずる人はありとも守護の人なければ利生あるべからず、諸仏の名号は唱うるものありとも天神これをかごすべからず、但し小牛の母をはなれ金鳥のたかにあえるがごとくなるべし、其の時十方世界の大鬼神・一閻浮提に充満して四衆の身に入つて・或は父母をがいし或は兄弟等を失はん、殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入つて国主並びに臣下をたぼらかさん、此の時上行菩薩の御かびをかほりて法華経の題目・南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば・彼の四衆等・並びに大僧等此の人をあだむ事父母のかたき宿世のかたき朝敵怨敵のごとくあだむべし、其の時大なる天変あるべし、 所謂日月蝕し大なる彗星天にわたり大地震動して水上の輪のごとくなるべし、其の後は自界叛逆難と申して国主・兄弟・並びに国中の大人をうちころし・後には他国侵逼難と申して鄰国より・せめられて或はいけどりとなり或は自殺をし国中の上下・万民・皆大苦に値うべし、此れひとへに上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を・或はのり或はうちはり或は流罪し或は命をたちなんどするゆへに・仏前にちかひをなせし梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の座にて誓状を立てて法華経の行者をあだまん人をば父母のかたきよりもなをつよくいましむべしと・ちかうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生れて一切経並びに法華経の明鏡をもて・日本国の一切衆生の面に引向たるに寸分もたがはぬ上・仏の記し給いし天変あり地夭あり、定んで此の国亡国となるべしとかねてしりしかば・これを国主に申すならば国土安穏なるべくも・たづねあきらむべし、亡国となるべきならば・よも用いじ、用いぬ程ならば日蓮は流罪・死罪となるべしとしりて候いしかども・仏いましめて云く此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば我が敵たるのみならず一切衆生の怨敵なり、必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給へり。 此に日蓮進退わづらひて此の事を申すならば我が身いかにもなるべし我が身はさてをきぬ父母兄弟並びに千万人の中にも一人も随うものは国主万民にあだまるべし、彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし、此れも不便なり又此れを申さずは仏誓に違する上・一切衆生の怨敵なり大阿鼻地獄疑いなし、いかんがせんとをもひしかども・をもひ切つて申し出しぬ、申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば・いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだみ万民もせめき、あだをなせしかば天もいかりて日月に大変あり大せいせいも出現しぬ大地もふりかえしぬべくなりぬ、どしうちもはじまり他国よりもせめるなり、仏の記文すこしもたがわず・日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。 但し去年かまくらより此のところへにげ入り候いし時・道にて候へば各各にも申すべく候いしかども申す事もなし、又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず、なに事にか各各をば・へだてまいらせ候べき、あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等をもたすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをば・ことに悦ぶ身なり、日蓮に付てたすけやりたるかたわなき上・わづかの所領をも召さるるならば子細もしらぬ妻子・所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。 而も去年の二月に御勘気をゆりて三月の十三日に佐渡の国を立ち同月の二十六日にかまくらに入る、同四月の八日平左衛門尉にあひたりし時・やうやうの事ども・とひし中に蒙古国は・いつよすべきと申せしかば、今年よすべし、それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頚を切つてゆいのはまにかくべし、それも今はすぎぬ・但し皆人のをもひて候は日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候、これは物のかずにてかずならず・真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり、弘法大師と慈覚大師此の事にまどひて此の国を亡さんとするなり、設い二年三年にやぶるべき国なりとも真言師にいのらする程ならば一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき。 たすけんがために申すを此程あだまるる事なれば・ゆりて候いし時さどの国より・いかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども・此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候いき、又申しきかせ候いし後は・かまくらに有るべきならねば足にまかせていでしほどに便宜にて候いしかば設い各各は・いとはせ給うとも今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども・心に心をたたかいてすぎ候いき、そのゆへはするがの国は守殿の御領ことにふじなんどは後家尼ごぜんの内の人人多し、故最明寺殿・極楽寺殿のかたきといきどをらせ給うなればききつけられば各各の御なげきなるべしとおもひし心計りなり、いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候いき、この御房たちのゆきすりにも・あなかしこあなかしこ・ふじかじまのへんへ立ちよるべからずと申せども・いかが候らんとをぼつかなし。 ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給い候らん、いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし但眼前の事をもつて知しめせ、隠岐の法皇は人王八十二代・神武よりは二千余年・天照太神入りかわらせ給いて人王とならせ給う、いかなる者かてきすべき上欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候、此れは皆国を守護し国主をまほらんためなり、隠岐の法皇世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして叡山・東寺等の高僧等をかたらひて義時が命をめしとれと行ぜしなり、此の事一年二年ならず数年調伏せしに・権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず・又行ずとも叶うべしともをぼへずありしに・天子いくさにまけさせ給いて隠岐の国へつかはされさせ給う、日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王なり、先生の十善戒の力といひ・いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき、設いとがありともつみあるをやを失なき子のあだむにてこそ候いぬらめ、設い親に重罪ありとも子の身として失に行はんに天うけ給うべしや、しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給いしはいかなる大禍ぞ・此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給いしゆへなり。 一切の真言師は潅頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり、かかる不思議の者ども諸山・諸寺の別当とあおぎてもてなすゆへに・たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ、此の大悪法又かまくらに下つて御一門をすかし日本国をほろぼさんとするなり、此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず・只いつはり・をろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせしなり、 今は又用いられぬ事なれば身命もおしまず弟子どもにも申すなり、かう申せば・いよいよ御不審あるべし、日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか、この疑すべてはるべからず・いかにとかすべき。 但し皆人はにくみ候にすこしも御信用のありし上・此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ定めて過去のゆへか、御所労の大事にならせ給いて候なる事あさましく候、但しつるぎはかたきのため薬は病のため、阿闍世王は父をころし仏の敵となれり、悪瘡身に出で後に仏に帰伏し法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき、而も法華経は閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ、閻浮の内の人は病の身なり法華経の薬あり、三事すでに相応しぬ一身いかでかたすからざるべき、但し御疑のわたり候はんをば力をよばず、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。 覚乗房はわき房に度度よませてきこしめせ・きこしめせ。 七月十二日 日 蓮 花押 進上 高橋六郎兵衛入道殿 御返事 ▲
by johsei1129
| 2015-09-29 21:46
| 弟子・信徒その他への消息
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2015年 09月 29日
I will teach you how tobecome a Buddha easily. I will teach you the path to easily attain Buddhahood. 人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり、 Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy, To teach a person something is like the greasing the wheels of a heavily loaded cart to ease its movement forward, ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、 or as floating a boat on water so that it moves ahead easily. or floating a boat on water so it can effortlessly glide ahead. 仏になりやすき事は別のやう候はず、 The way to become a Buddha easily is nothing special. Similarly,the way to become a Buddha is not especially difficult. 旱魃にかわけるものに水をあたへ、 It is the same as giving water to a thirsty person in a time of drought, It is like giving water to the thirsty in a time of drought , 寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし、 or as providing fire for a person freezing in the cold. or the warmth of a fire to a freezing man. 又二つなき物を人にあたへ・命のたゆるに人のせにあふがごとし。 Or again, it is the same as giving another something that is one of a kind, or as offering something as alms to another even at the risk of one’s life. Or, it is like someone in a time of famine who offers his last treasured valuable and then when reduced to the point of death, he unexpectedly receives a gift of food. ▲
by johsei1129
| 2015-09-29 21:41
| WRITING OF NICHIREN
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2015年 09月 27日
【富木尼御前御返事】 ■出筆時期:文永十二年(1275年)一月 五十四歳御作 ■出筆場所:身延山中の草庵にて。 ■出筆の経緯:本抄は短い消息ですが、富木尼御前と富木常忍夫妻のそれぞれから銭一貫と、さらに帷(かたびら:裏地がない単衣の上着)を供養されたことを簡潔に記されておられます。夫妻それぞれから銭を供養される例は極めて異例で、通常では夫妻合わせて銭二貫と記すところです。本書を記した翌年の建治二年三月下旬には富木常忍の母が亡くなり、またその義母を熱心に看病していた富木尼も病気がちでありました。恐らく本書で記された銭の供養は、富木常忍の母と富木尼の、その当時の健康回復を祈念しての供養ではないかと推察されます。 尚、富木常忍は建治二年三月二十七日、亡き母の遺骨を首に下げ、大聖人に追善供養をしてもらうため身延の草庵に見参します。 また大聖人はその時、富木尼の義母への熱心な看護と、富木尼自身の体調も良くないことを聞き、励ますために消息を認めておられます。 その時の経緯は[富木尼御前御書]と[忘持経事]を参照して下さい。 ■ご真筆:東京都・池上本門寺所蔵。 ![]() [富木尼御前御返事 本文] 尼こせん鵞目(がもく)一貫 富木殿青鳧(せいふ)一貫 給候了 又帷(かたびら)一領 日 蓮 花押 ▲
by johsei1129
| 2015-09-27 21:35
| 富木常忍・尼御前
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2015年 09月 27日
答う、深く所以有り。謂く「是好良薬」とは、色香美味皆悉く具足す。故に是好良薬と云うなり。 然るに天台之を釈して云く「色は是れ般若、香は是れ解脱、味は是れ法身、三徳不縦不横なるを秘密蔵と名づく。教に依って修行して此の蔵に入ることを得」等云云。 妙楽云く「体等の三章は只是れ三徳」等云云。故に知んぬ、「色」は是れ般若、即ち妙宗なり。「香」は是れ解脱、即ち妙用なり。「味」は是れ法身、即ち妙体なり。「秘密蔵」は即ち是れ妙名なり。「教に依って修行して」とは即ち是れ妙教なり。故に今の文に「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」と云う云云。 亦復当に知るべし、体等の三章は只是れ三徳・三身なり。故に久遠元初の自受用の報中論三の無作三身なり。人法体一の深旨、予が取要抄愚記の如し云云。耆婆が薬童、之を思い合すべし。又四五二十重の相伝あり云云。 問う、啓運抄の第一に云く「名体宗用教は序品より起る。故に迹門の五重玄なり。今本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず。故に知んぬ、本迹一致なることを」と云云。愚案記第一も之に同じ。此の義は如何。 答う、序品は是れ名体宗用教の次第なり。是れを約行の次第と名づくるなり。神力品は名用体宗教の次第なり。是れを約説の次第と名づくるなり。文は一に随って之を説くと雖も、義は実に迹本二門に通ず。故に迹門に約説の次第有り、本門に亦約行の次第有り、何ぞ唯一辺のみに限るべけんや。 今難じて云く、若し爾らば迹門の中に永く約説の次第無く、本門にも亦約行の次第無からん。妙楽云く「迹を以て本に例す」と。又云く「若し迹を借らずんば、何ぞ能く本を識らん」云云。今迹を以て本に例し、迹を借りて本を識る。豈本門に約行無なかるべけんや是一。 況や復序並びに迹本を表す。故に記の三の上二十一に云く「近は則ち迹を表し、遠は本に表す」等云云。能表既に是れ約行の次第なり、所表の本門豈爾らざらんや是ニ。 況や亦迹門の開示悟入は正しく是れ約行の次第なり。故に玄の一・二十五に云く「開示悟入亦行の次第に約す」と云云。然るに顕本の後は即ち本門の開示悟入と成る。故に記の八の本九に云く「開示悟入は是れ迹の要なりと雖も、若し顕本し已れば即ち本の要と成る」等云云。何ぞ顕本の後、約行の次第無かるべけんや是三。 況や復一部八巻二十八品、通じて是れ五重玄なるをや。故に妙楽云く「品品の内咸く体等を具し、句句の下に通じて妙の名を結す」等云云。故に五重玄は正しく二十八品に亘れり。故に今、余品の五重玄を簡んで「寿量品の肝要たる名体」等と云う。何ぞ本迹一致と云わんや是四。 況や復妙楽の記の第一に云く「本地の総別は諸説に超過し、迹中の三一は功一期に高し」等云云。総は謂く名玄義、別は即ち体宗用、三は即ち体宗用、一は謂く、名玄義なり。此の文に迹本の勝劣分明なり。故に輔記に云く「一は則ち前十四品に超え、二は則ち一代の教門に超ゆ」等云云。台家尚爾なり。況や当流に於てをや是五。 況や復常抄に云く「問う、序品と神力品の五重玄如何。答う、本迹二門の題名の勝劣なり。故に記の一に云く『本地の総別は諸説に超過す』」等云云。縦い日常の述作に非ずと雖も文義分明なり是六。 況や復応に文に依り、義に依り、意に依って宗門の奥義を明かすべし。何ぞ少分の法相の次第等に拘って宗門の奥旨を示さんや是七。 ▲
by johsei1129
| 2015-09-27 20:33
| 日寛上人 御書文段
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2015年 09月 27日
此の下は次に広開近顕遠の文を引く、亦二と為す。初めに一往在世の正宗を証し、次に再往末法の流通を証す。 初めの文、亦二と為す。初めに正しく引き、次に「久遠」の下は釈。即ち前の「一往之を見れば」等の文に同じきなり。 文に云く「経に云く、余の心を失える者」等とは、此の下は次に再往末法の流通を証するなり。「心を失える」と言うは、是れ末法今時の衆生を指すなり。 問う、「心を失える」と云うと雖も仍是れ仏子なり。豈結縁なからんや。況や「心を失える」と云う、豈下種の善根なからんや。若し爾らば、末法今時の衆生を何ぞ本未有善と名づけんや。 答う、仏子の義を釈する疏に三意あり。所謂正・縁・了なり。而して失心を以て仍仏子と名づくることは是れ縁因の子に非ず、唯是れ正因の子なり。又失・不失を釈するに即ち両解あり。初めに正因に約し、次に縁因に約す。而して失心と名づくることは、是れ縁因の失心に非ず。唯是れ正因の失心なり。故に仏子と云うと雖も、失心と云うと雖も、仍是れ本未有善の衆生なり。若し正因に拠らば法界に非ざること無し。何ぞ須く更に已善・未善を論ずべけんや云云。 此の文亦二と為す。初めに正しく引き、次に「問うて曰く」の下は釈。 初めの正しく引くに亦二あり。初めに正しく引き、次に「分別功徳品」の下は「今留」の二字を助成するなり。 文に「是の好き良薬を今留めて此に在く」と云うは、「是の好き良薬」とは流通する所の正体を挙げ「今留めて此に在く」とは正しく是れ流通の義なり。 文に「問うて曰く此の経」等と云うは、此の下は釈、亦二と為す。初めに問、次に答、亦二と為す。初めに「遣使還告」を釈し、次に「今の遣」の下は「是好良薬」を釈するなり。 初めの文、亦二と為す。初めに通じて示し、次に別して釈す自ら四あり。文の如く見るべし。 文に「今の遣使還告」等と云うは、此の下、次に「是好良薬」を釈す、亦三と為す。初めに付嘱の人を示し、次に所嘱の法体を釈し、三に非器の人を簡ぶなり。 文に云く「是好良薬とは寿量品の肝要乃至是なり」とは、文の意に謂く、今の是好良薬は脱益の寿量品の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなりと云云。当に知るべし「肝要」とは、是れ文底の異名なるのみ。 問う、天台云く「経教を留めて在く。故に是好良薬今留在此と云う」等云云。妙楽云く「頓漸に被ると雖も、本実乗に在り」等云云。今何ぞ文底下種の妙法に約するや。 答う、経文の意は通じて正像末に亘る。故に天台は総じて一代経に約するなり。若し妙楽は時、像法に在り。故に今経に約するなり。若し蓮祖は時、末法に在り。故に文底下種の妙法に約するなり。法華経は一法なれども時機に随って同じからず云云。 ▲
by johsei1129
| 2015-09-27 20:14
| 日寛上人 御書文段
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2015年 09月 27日
此の下は次に本門正宗の文を引く、亦二あり。初めに動執生疑の文を引き、次に「寿量品」の下は広開近顕遠の文を引くなり。 初めの文、亦二と為す。初めに正しく引き、次に流通に属する所以を明かすなり。 文に云く「我等は復仏の随宜の所説、仏所出の言未だ曽て虚妄ならず、仏の所知は皆悉く通達し給えりと信ずと雖も」と。応に此くの如く点ずべし。証真・日遠倶に是れ謬りなり。何ぞ仏に対して「我等仏の所知は皆悉く通達す」と云うべけんや云云。次に文の意に謂く、寿量品の法門は滅後の為に之を請ず。故に流通段に属するなり云云。
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by johsei1129
| 2015-09-27 19:19
| 日寛上人 御書文段
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