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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 09日

法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給うまじきぞかし、と説いた【妙法尼御前御返事(明衣書)】

【妙法尼御前御返事(明衣書)】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281年) 六十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は駿河国・岡宮に住んでいた妙法尼に送られたご消息文です。
大聖人は夫に先立たれ、法華経を信仰するがゆえ世間の非難を浴びても信心を貫いている妙法尼を、法華経で説かれている不軽菩薩、また釈尊の養母で、何度も出家を願い出てついに仏教史上最初の女性出家僧(比丘尼)となった、摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)の如しと称えられております。
摩訶波闍波提比丘尼は法華経勧持品第十三で、釈尊より未来に「一切衆生喜見如来」となるとの記別を受けているが、大聖人は「一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず。今の妙法尼御前の名にて候べし」と激励されております。  
■ご真筆:現存していない。

[妙法尼御前御返事(明衣書) 本文]

 明衣(ゆかたびら)一つ給(た)び畢んぬ。女人の御身、男にもをくれ親類をもはなれ、一二人ある、むすめもはかばかしからず便りなき上、法門の故に人にもあだまれさせ給ふ女人、さながら不軽菩薩の如し。仏の御姨母(おんおばばぎみ)、摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし。而るに阿羅漢とならせ給いて声聞の御名を得させ給ひ、永不成仏の道に入らせ給いしかば、女人の姿をかへ、きさきの位を捨てて仏の御すすめを敬ひ、四十余年が程、五百戒を持ちて昼は道路にたたずみ、夜は樹下に坐して後生をねがひしに、成仏の道を許されずして永不成仏のうきなを流させ給いし。くちをしかりし事ぞかし。女人なれば過去遠遠劫の間有るに付けても無きに付けても、あだなを立てし。はづかしく口惜かりしぞかし。
其の身をいとひて形をやつし尼と成りて候へば、かかるなげきは離れぬとこそ思ひしに、相違して二乗となり永不成仏と聞きしは、いかばかり、あさましくをわせしに、法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され、一切衆生喜見仏と成らせ給いしは、いくら程か、うれしく悦ばしくをはしけん。

 さるにては法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給うまじきぞかし。
 其に仏の言わく、大音声を以て普く四衆に告げたまわく、誰れか能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん等云云。我も我もと思うに諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前女人達、何事をも忍びて我が滅後に此の娑婆世界にして法華経を弘むべしと三箇度まで、いさめさせ給いしに、御用ひなくして他方の国土に於て広く此の経を宣べんと申させ給いしは、能く能く不得心の尼ぞかし。幾(いくば)くか仏悪(にく)しと、をぼしけん。されば仏はそばむきて八十万億那由佗の諸菩薩をこそ、つくづくと御覧ぜしか。されば女人は由なき道には名を折り、命を捨つれども成仏の道はよはかりけるやと、をぼへ候に、今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ、島のえびすにのられ打たれ責られしのび、法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には、雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん。

 彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず。今の妙法尼御前の名にて候べし。王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり。名はかはれども師子の座は一也。此の名も、かはるべからず。彼の仏の御言をさかがへす尼だにも、一切衆生喜見仏となづけらる。是は仏の言をたがへず此の娑婆世界まで名を失ひ命をすつる尼なり。彼は養母として捨て給はず、是は他人として捨てさせ給はば偏頗(へんぱ)の仏なり。争(いか)でかさる事は候べき。況や其中衆生悉是吾子の経文の如くならば、今の尼は女子なり、彼の尼は養母なり。養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき。

此の道理を深く御存知あるべし。しげければ、とどめ候い畢んぬ。

                                             日 蓮 花押

妙法尼御前

by johsei1129 | 2015-05-09 21:56 | 妙法比丘尼 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 08日

五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞと 説いた【春初御消息】

【春初御消息】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282年)一月二十日 六十一歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本書は富士大石寺の開基檀那となった上野殿(南条時光)に与えた消息文です。大聖人は、時光がお正月のご供養の品を数々送られたことに対し「過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時、五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば、法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし」と時光の供養により、亡き父も必ず成仏するであろうと称えられております。本書は大聖人が御遷化される九か月前に書かれており、真冬の身延山中での生活の厳しさ、人も来ず、鳥や鹿が庵室に来るだけという状況を率直にしるし、時光の供養の品で命を繋ぐことができ、時光が草庵に見参しならばまた会うことができるであろうと喜ばれております。
大聖人の率直な思いを記した本書は、現代に生きる日蓮門下の胸を打たざる得ません。
■ご真筆:現存していない。
[春初御消息 本文]

 ははき(伯耆)殿かきて候事、よろこびいりて候。
 春の初の御悦び木に花のさくがごとく、山に草の生出ずるがごとしと、我も人も悦び入つて候。
さては御送り物の日記、八木一俵、白塩一俵、十字(むしもち)三十枚、いも一俵給び候い畢んぬ。
 深山の中に白雪、三日の間に庭は一丈につもり、谷はみねとなり、みねは天にはしかけたり。鳥鹿は庵室に入り樵牧(しょうぼく・木こりと牧夫)は山にさしいらず、衣はうすし、食はたえたり。夜はかんく(寒苦)鳥にことならず、昼は里へいでんとおもふ心ひまなし。

 すでに読経のこえもたえ観念の心もうすし、今生退転して未来三五を経ん事をなげき候いつるところに、此の御とぶらひに命、いきて又もや見参に入り候はんずらんと、うれしく候。
 過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時、五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて、仏にはならせ給うぞとみえて候へば、法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし。
 故五郎殿も今は霊山浄土にまいりあはせ給いて、故殿に御かうべをなでられさせ給うべしと、おもひやり候へば涙かきあへられず、恐恐謹言。
  
正月二十日              日 蓮  花 押
   上野殿御返事
   申す事恐れ入つて候、返返(かえすがえす)ははき(伯耆)殿一一によみきかせまいらせ候へ。

by johsei1129 | 2015-05-08 20:11 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 06日

法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即仏なりと説いた【上野尼御前御返事】

【上野尼御前御返事】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十一月十五日 六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は南條時光の母が、父上野入道殿の命日に際し「子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法になるのでしょうか」と問われ、それへの返書となっております。大聖人は漢の書家・烏竜(おりょう)とその息子・遺竜の例えを引いて、「此の経(法華経)を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり」と法華経信仰を貫くよう諭されております。烏竜と遺竜の例えとは、烏竜が「法華経を決して書写してはならない」と遺言し、遺竜もこの遺言を固く守ったため、父の烏竜は地獄に落ちる。しかし遺竜の使えた大王の司馬氏は「せめて法華経の題目を書かずば違勅(いちょく)の科(とが)あり」と責めたため、やむなく子の遺竜は法華経の題号を書きしるす。この事により、烏竜が落ちていた無間地獄は常寂光の都と成ったという。
また大聖人は最後に「此の由を、はわきどの(伯耆殿)よみきかせまいらせ給うべし」と記し、日興上人に詳しくお話させますと気を遣われております。
■ご真筆: 京都市本禅寺 断簡所蔵
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[妙法尼御前御返事 本文]

 麞牙(しらよね)一駄四斗定あらひいも一俵、送り給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候い了んぬ。
 妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華、人間には桜の花、此等はめでたき花なれども、此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事な。一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は、其の故候なり、或は前花後菓と申して花は前に菓は後なり、或は前菓後花と申して菓は前に花は後なり、或は一花多菓、或は多花一菓、或は無花有菓と品品に候へども蓮華と申す花は菓と花と同時なり。一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説く、かかる故に不定なり。法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即仏なり。譬えば天月の東の山の端に出ずれば、其の時即水に影の浮かぶが如く、音とひびきとの同時なるが如し。

 故に経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。

 抑(そもそも)御消息を見候へば尼御前の慈父、故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云。子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云。釈迦仏の金口の説に云く「世尊の法は久しくして後要(かな)らず当に真実を説きたもうべし」と、多宝の証明に云く、妙法蓮華経は皆是れ真実なりと、十方の諸仏の誓に云く舌相梵天に至る云云、これよりひつじさる(未申)の方に大海をわたりて国あり、漢土と名く、彼の国には或は仏を信じて神を用いぬ人もあり、或は神を信じて仏を用いぬ人もあり、或は日本国も始は、さこそ候いしか。

 然るに彼の国に烏竜と申す手書ありき、漢土第一の手なり。例せば日本国の道風・行成(こうぜい)等の如し。此の人仏法をいみて経をかかじと申す願を立てたり、此の人死期来りて重病をうけ臨終にをよんで子に遺言して云く、汝は我が子なり、その跡絶ずして又我よりも勝れたる手跡なり。たとひいかなる悪縁ありとも法華経をかくべからずと云云。然して後、五根より血の出ずる事、泉の涌くが如し、舌八つにさけ・身くだけて十方にわかれぬ。然れども一類の人人も三悪道を知らざれば地獄に堕つる先相ともしらず。
其の子をば遺竜と申す、又漢土第一の手跡なり。親の跡を追うて法華経を書かじと云う願を立てたり。其の時大王おはします司馬氏と名く、仏法を信じ殊に法華経をあふぎ給いしが、同じくは我が国の中に手跡第一の者に此の経を書かせて持経とせんとて遺竜を召す。竜申さく、父の遺言あり是れ計りは免し給へと云云。
大王父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経をうつし畢んぬ、然りといへ共御心に叶い給はざりしかば、又遺竜を召して言はく、汝親の遺言と申せば朕まげて経を写させず、但八巻の題目計りを勅に随うべしと云云。返す返す辞し申すに王瞋(いか)りて云く、汝が父と云うも我が臣なり、親の不孝を恐れて題目を書かずば違勅の科ありと、勅定度度(ちょくじょうたびたび)重かりしかば、不孝はさる事なれども当座の責をのがれがたかりしかば、法華経の外題を書きて王へ上(ささ)げ、宅に帰りて父のはかに向いて血の涙を流して申す様は、天子の責重きによつて亡き父の遺言をたがへて、既に法華経の外題を書きぬ。不幸の責免れがたしと歎きて三日の間、墓を離れず食を断ち既に命に及ぶ。三日と申す寅(とら)の時に已に絶死し畢つて夢の如し。虚空を見れば天人一人おはします、帝釈を絵にかきたるが如し、無量の眷属、天地に充満せり。爰(ここ)に竜問うて云く、何なる人ぞ、答えて云く、汝知らずや我は是れ父の烏竜なり。我人間にありし時外典を執し仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に無間に堕つ。日日に舌をぬかるる事、数百度、或は死し或は生き、天に仰き地に伏してなげけども叶う事なし。人間へ告げんと思へども便りなし。汝我が子として遺言なりと申せしかば、其の言炎と成つて身を責め、剣と成つて天より雨り下る。汝が不孝極り無かりしかども我が遺言を違へざりし故に、自業自得果うらみがたかりし所に、金色の仏一体、無間地獄に出現して仮使(けし)遍法界・断善諸衆生・一聞法華経・決定成菩提と云云。此の仏、無間地獄に入り給いしかば、大水を大火になげたるが如し。少し苦みやみぬる処に、我合掌して仏に問い奉りて何なる仏ぞと申せば、仏答えて我は是れ汝が子息遺竜が只今書くところの法華経の題目、六十四字の内の妙の一字なりと言ふ。八巻の題目は八八六十四の仏、六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即大明となりし上、無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候が、先ず汝に告ぐるなりと云云。遺竜が云く、我が手にて書きけり争でか君たすかり給うべき、而も我が心より、かくに非ず・いかに・いかにと申せば、父答えて云く、汝はかなし、汝が手は我が手なり、汝が身は我が身なり・汝が書きし字は我が書きし字なり。汝心に信ぜざれども手に書く故に既にたすかりぬ。譬えば小児の火を放つに、心にあらざれども物を焼くが如し。法華経も亦かくの如し、存外に信を成せば必ず仏になる。又其の義を知りて謗ずる事無かれ、但し在家の事なれば、いひしこと故(ことさら)大罪なれども懺悔(さんげ)しやすしと云云。此の事を大王に申す。大王の言く、我が願既にしるし有りとて遺竜弥(いよいよ)朝恩を蒙り、国又こぞつて此の御経を仰ぎ奉る。

 然るに故五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり。尼御前は彼の入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都率の内院へ参り給うらめ。此の由をはわき(伯耆)どのよみきかせまいらせ給うべし。事そうそうにてくはしく申さず候。恐恐謹言

十一月十五日                            日 蓮 花押
上野尼御前御返事

by johsei1129 | 2015-05-06 23:12 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 05日

老いも若きも定め無き習いなりされば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと説いた【妙法尼御前御返事】

【妙法尼御前御返事】
■出筆時期:弘安三年(西暦1280)七月十四日 五十九歳御作 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を送られた妙法尼は、詳細は不明だが駿河国岡宮に住んでいた婦人といわれる。妙法尼が夫の臨終の際「妙法蓮華経を昼夜唱え、臨終間際には二声大きな声で唱え、生前より色も白く、形も損なわなかった」と大聖人に知らせた手紙への返書となっております。大聖人は本抄で「一代聖教を定むる名目に云く黒業は六道にとどまり白業は四聖となる、此等の文証と現証をもん(以)てかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか」と妙法尼の亡き夫は天上界に生まれるであろうと讃えられておられます。さらに「故聖霊(亡き夫)、最後臨終に南無妙法蓮華経ととなへさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う、煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり、かかる人のえん(縁)の夫婦にならせ給へば又女人成仏も疑なかるべし」と、妙法尼の成仏も疑なかるべしと、断じておられます。
■ご真筆: 池上本門寺(第1紙、第3紙~7紙)所蔵、千葉福正寺(断簡所蔵)。
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 [妙法尼御前御返事 本文]

 御消息に云く、めうほうれんくゑきやうをよるひるとなへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至(ないし)いきて候し時よりも、なをいろもしろくかたちもそむせずと云云。

 法華経に云く「如是相乃至本末究竟等」云云。大論に云く「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」等云云。守護経に云く「地獄に堕つるに十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相」等云云。天台大師の摩訶止観に云く「身の黒色は地獄の陰に譬う」等云云。

 夫以(それおもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが、念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし、風の前の露尚譬えにあらず。かしこきもはかなきも、老いたるも若きも定め無き習いなり。されば先(まず)臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師、人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と、並に臨終の後とに引き向えてみ候へば、すこしもくもりなし。此の人は地獄に堕ち給う乃至人天とはみへて候を、世間の人人、或は師匠、父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申し候。悲いかな師匠は悪道に堕ちて、多くの苦みしのびがたければ、弟子はとどまりゐて師の臨終をさんだん(讃嘆)し、地獄の苦を増長せしむる。

 譬へばつみふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物の口をあけずしてやまするがごとし。
しかるに今の御消息に云く、いきて候し時よりもなをいろしろく、かたちもそむせずと云云。

 天台の云く白白は天に譬ふ、大論に云く「赤白(せきびゃく)端正なる者は天上を得る」云云。天台大師御臨終の記に云く色白し、玄奘三蔵御臨終を記して云く色白し、一代聖教を定むる名目に云く「黒業は六道にとどまり白業は四聖となる」、此等の文証と現証をもんてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云。

 法華経の第七の巻に云く「我滅度の後に於て応(まさ)に此の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑有ること無けん」云云。一代の聖教いづれもいづれもをろかなる事は候はず、皆我等が親父・大聖教主釈尊の金言なり皆真実なり皆実語なり。其の中にをいて又小乗・大乗・顕教・密教・権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経経にたいし候へば、此等は妄語・仏説は実語にて候。此の実語の中に妄語あり、実語あり、綺語(きご)もあり悪口もあり。其の中に法華経は実語の中の実語なり、真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は、実語の中の妄語より立て出だせる宗宗なり。法華宗は此れ等の宗宗には・にるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経経すら法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いわうや法華経の題目をや。

 白粉(おしろい)の力は漆(うるし)を変じて雪のごとく白くなす、須弥山に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠遠劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。
しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととなへさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う。煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり。かかる人のえんの夫婦にならせ給へば、又女人成仏も疑なかるべし。若し此の事虚事(そらごと)ならば釈迦・多宝・十方・分身の諸仏は妄語の人、大妄語の人、悪人なり。一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし。 提婆達多は寂光浄土の主となり、教主釈尊は阿鼻大城のほのをにむせび給うべし。

 日月は地に落ち、大地はくつがへり、河は逆(さかしま)に流れ、須弥山はくだけをつべし。日蓮が妄語にはあらず十方三世の諸仏の妄語なり、いかでか其の義候べきとこそをぼへ候へ。委くは見参の時申すべく候。

七月十四日               日  蓮  花 押
妙法尼御前申させ給へ




by johsei1129 | 2015-05-05 23:04 | 妙法比丘尼 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 05日

開目抄愚記 上三

一 五帝(ごてい)已後(いご)文。

 (ただ)ちに五帝より已後なり。五帝を除くに(あら)ず。実には「三皇已後」と言うべし。(しか)るに五帝とは文体然るべければなり。(いわん)や三皇已後は父母を知るの義、上の文に(おのずか)(あらわ)れたり。故に三皇・五帝を分って以て文章を(いろど)るなり。

一 重華(ちょうか)(かたくな)わしき父を敬い

 註三十・一に(ぎょう)(てん)を引く。註千字文上六に文(つぶさ)なり。往いて見よ。

 問う、尭(すなわ)ち二女を以て(しゅん)(めあわ)す。瞽叟(こそう)強くこれを(にく)むと(いえど)も、何ぞ舜をして(くら)()り、()穿(うが)たしむるや。況や両笠(りょうりゅう)(とく)(こう)以て信ずるに足らざるをや。

 答う、これ「(たと)い有りとも」の義なり。(いわ)く、(たと)()くの如き事ありとも()くこれを(まぬか)るべしとなり。これを以て()(こう)の志を顕すなり。直に舜を(りん)に塗り、(せい)穿(うが)たしむるに非ず云云。若し朝抄(ちょうしょう)一・五に報恩伝を引くが如くんば前後同じからず云云。

一 沛公(はいこう)(みかど)となつて大公(たいこう)を拝す

 史記(しき)八初、前漢書(ぜんかんじょ)一初、同一下七紙。

一 ()(おう)西伯(せいはく)を木像に造り

 これ(ぶん)(のう)を以て大将軍と()し、功を父に(すす)むるなり。史記四・四。
一 (てい)(らん)母形([母の)(形を)(きざ)刻む(めり])文。

 (もう)(きゅう)下五、朝抄一・六に孝子伝(こうしでん)を引く。()いて見よ。(まさ)に知るべし、此等の四人の父母を(うやま)うを以て孝の手本と為すことを。仲尼(ちゅうじ)云く「敬わずんば何を以てか(これ)を分たん」と云云。

 問う、何ぞ四人を()ぐるや。

 答う、文意(もんい)に云く、(なお)(かたくな)わしき父を敬う、(いわん)(なお)き父に於てをや。帝と()るも尚父を敬う、況やその已下をや。王すら尚功を父に(すす)む、況やその已降をや、幼稚(ようち)すら尚母を(した)う、況や長大なるをやと。

一 ()(かん)は(乃至)頚(頭)をはねらる

 史記三十・三、(いん)本紀云云、註千字上八に胸を()くと云云。

一 公演(胤)といゐし者は魏王(懿公)の(きも)をとって等

 「公演」はまた「(こう)(えん)」に作り、「魏王」は「懿公(いこう)」に作るべし。即ち報恩抄初の如し。(えい)の懿公は鶴を愛し、人を愛せざる故に(つい)に国を亡すなり。而るに弘演の忠心に()って(せい)(かん)(こう)、懿公の跡を立てたり。(つぶさ)に註中の如し。

一 伊尹(尹寿)は(ぎょう)(おう)の師

(いん)寿(じゅ)」に作るべし。註中を見るべし。その外啓蒙(けいもう)(つぶさ)なり。

一 此等を()(せい)とがうす

これは四師を指すなり。理惑(りわく)論に云く「四師は聖と(いえど)も」と云云。(いわん)や下巻三に「太公等の四聖」と云云。(ごん)の義は不可(ふか)なり。次下十三に云く、「外典(げてん)・三千余巻の(しょ)(せん)に二つあり乃至聖賢(せいけん)の二類は(こう)の家よりいでたり(いか)に況や仏法を学せん人・()(おん)報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩しつて知恩報恩をいたすべし」と文。報恩抄初()(じょう)(こう)(えん)の事を引き(おわ)って云く「いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」と文。「いかにいわうや」の文、これを思い合すべし。

一 此等の聖人等

 この下、次に所説の法を()げて所学の(そう)を示すなり。

一 三墳(さんぷん)・五典

 尚書(しょうしょ)(じょ)に云く「(さん)(こう)の書は(これ)を三墳と()い、大道と言うなり。()(てい)の書は之を五典と謂い、常道と言うなり」と文。「三史(さんし)」とは史記(しき)百三十巻前漢の司馬遷(しばせん)、前漢書(かんじょ)百巻後漢の班固(はんこ) 、後漢書百二十巻宋の范曄(はんよう)なり。

一 一には()(げん)文。

 ()十・二十、()十・四十二に云く、「有に約して玄を明かすとは(たい)(きょく)両儀(りょうぎ)(しょう)ずと云うが如し。分ちて天地と()し、変じて陰陽(おんよう)()る。故に是れ両儀を生ずと()う」等云云。文意(もんい)に云く、太極を分ちて天地と為す、太極変じて陰陽と成る、これ両儀を生ずというなり。これ(すなわ)ち形に約して天地といい、気に約して陰陽というなり。今両儀の一言(いちごん)()くこの二義を含む。故に諸文の中に両儀の言を以て、或は天地と為し、或は陰陽と為すなりと。(どう)(しゅん)の大学抄一・二十七に云く「(じゅ)(どう)は虚なりと(いえど)も、(しか)も有なり。故に無極にして太極と云うなり」と。また云く「儒理は君臣父子等の彝倫(いりん)の外を出でず。是れを(とう)()霊妙の処と云うなり」取意と。

          つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-05 14:45 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 04日

竜の口、佐渡流罪の大難で四条金吾が日蓮大聖人へ示した至誠を称えた書【殿 岡書】

【四条金吾殿御返事(殿岡書)】
■出筆時期:弘安三年 西暦1280)十月八日 五十九歳御作 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾が、主君江間氏の御勘気が解け、返還された領地「信州殿岡(現、長野県飯田市)」から、白米を御供養されたことに対しての返書となっております。大聖人は、竜の口法難の時、馬の口に付いて最後までお供をし、事があれば自身も後を追う覚悟を決めた金吾の至誠を「いつの世にか思ひ忘るべき」と述べられるとともに、「在俗の官仕隙なき身」でありながら佐渡まで会いに来た金吾は「無始の罪障も、定めて今生一生に消滅すべきか」と称えられております。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事 別名「殿岡書」本文]

殿岡より米送り給び候。今年七月、盂蘭盆(うらぼん)供の僧膳にして候。自恣(じし)の僧・霊山の聴衆・仏陀・神明も納受随喜し給うらん。尽きせぬ志、連連の御訪い言を以て尽くしがたし。

 何となくとも殿の事は後生菩提疑なし。何事よりも文永八年の御勘気の時、既に相模の国、竜の口にて頚切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足(かちはだし)にて泣き悲み給いし事、実にならば腹きらんとの気色なりしをば、いつの世にか思い忘るべき。それのみならず佐渡の島に放たれ、北海の雪の下に埋もれ、北山の嶺の山下風(やまおろし)に命助かるべしともをぼへず。年来(としごろ)の同朋にも捨てられ、故郷(ふるさと)へ帰らん事は大海の底のちびき(千引)の石の思ひして、さすがに凡夫なれば古郷の人人も恋しきに、在俗の官仕隙(みやづかえひま)なき身に、此の経を信ずる事こそ稀有(けう)なるに、山河を凌ぎ蒼海(そうかい)を経て、遥に尋ね来り給いし志、香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争(いか)でか劣り給うべき。又我が身はこれ程に浮び難かりしが、いかなりける事にてや同十一年の春の比(ころ)、赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ。倩(つらつら)事の情(こころ)を案ずるに今は我身に過(とが)あらじ、或は命に及ばんとし弘長には伊豆の国、文永には佐渡の島、諌暁再三に及べば留難重畳せり。

 仏法中怨の誡責をも身にははや免れぬらん。然るに今山林に世を遁れ、道を進まんと思いしに人人の語、様様なりしかども、旁(かたがた)存ずる旨ありしに依りて、当国・当山に入りて已に七年の春秋を送る。

又身の智分をば且らく置きぬ、法華経の方人(かたうど)として難を忍び、疵(きず)を蒙る事は漢土の天台大師にも越え、日域の伝教大師にも勝れたり。是は時の然らしむる故なり。我が身法華経の行者ならば、霊山の教主・釈迦・宝浄世界の多宝如来・十方分身の諸仏・本化の大士・迹化の大菩薩・梵・釈・竜神・十羅刹女も定めて此の砌(みぎり)におはしますらん。

水あれば魚すむ、林あれば鳥来る、蓬莱山には玉多く摩黎(まり)山には栴檀生ず、麗水の山には金あり。今此の所も此くの如し、仏菩薩の住み給う功徳聚(くどくじゅ)の砌なり。多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は、虚空(こくう)にも余りぬべし。然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も、定めて今生一生に消滅すべきか。弥はげむべし・はげむべし。

十月八日  日 蓮 花押
四条中務三郎左衛門殿御返事

by johsei1129 | 2015-05-04 23:52 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 03日

開目抄愚記 上二

一 入文の大科の事。

  当抄二巻、文を分ちて三と為す。初めに(ひょう)、次に「儒家(じゅけ)」の下は釈、三に「()れ法華経宝塔(ほうとう)品」下巻五十一の下は(けっ)(かん)なり。釈中(しゃくちゅう)また(おのずか)ら三と為す。第一に儒家、第二に外道(げどう)、第三に内典なり。第三の内典中また二あり。初めに一代の(せん)(じん)を判じて(じゅく)(だつ)の三徳の大恩を(あらわ)す。二に上巻二十九紙の「(ここ)に日蓮案じて云く世(すで)末法に入つて」の文より下巻五十一紙の「仏法中の(あだ)なり」等の文に至るまで、(すべ)て七十余紙は皆(れん)()はこれ法華経の行者(ぎょうじゃ)なるを明かし、末法下種の三徳の(じん)(のん)を顕すなり。撰時抄)上二十云云。()すべし、秘すべし。

第一段 三徳の標示

一 ()一切(いっさい)衆生(しゅじょう)

   この二行はこれ標章(ひょうしょう)の文なり。(なら)びて人法を(ひょう)す。双びてこれを標すと(いえど)も、(ぼう)(しょう)なきに(あら)ず。今三徳の尊敬(そんぎょう)を以て正意(しょうい)()すなり。故に性師云く「今の意は儒外内(じゅげない)(とも)主師(しゅし)(しん)(とうと)ぶことを()げ、習学(しゅうがく)を以て旨と為さず」と云云。故に今抄の意は、儒外内を習学して倶に主師親を尊敬すべしとなり。またまた(まさ)に知るべし、儒外内の三徳を標すと雖も、意は下種の主師親に()り。結文中これを思い合すべし。

一 儒外内(これ)なり。 

道教(どうきょう)を以て通じて儒に摂するなり。下に(そう)(ろう)(げん)を明かす。これを思い見るべし。

 問う、何ぞ別して道教を明かさざるや。

 答う、これに二意あり。
 一には九流の中に摂し、別に一教と立てざるが故なり。
 二には今はこれ
(もっぱ)忠孝(ちゅうこう)(れい)()を明かしたまうに、道教は便ならざるが故なり。啓蒙(けいもう)の四・八に文を引証(いんしょう)するが如し。

 問う、外学の(きょ)不許(ふきょ)の大意は如何(いかん)

 答う、不許に()いて即ち二意あり。
 一には
出離(しゅつり)生死(しょうじ)要道(ようどう)(あら)ざる故なり。
 二には
内外(ないげ)一致の見を(しょう)ぜんことを(おそ)るる故なり。
 これを許すに就いてまた二意あり。
 一には
折伏(しゃくぶく)利物(りもつ)を為す故なり。
 二には彼を以てこれを助けんが為の故なり云云。
 今、宗門の学者、他家の
章疏(しょうしょ)を学ぶ、これに准じて知るべし。

第二段 儒家の三徳

一 儒家等

儒家を(しゃく)するに略して三と為す。初めに能説(のうせつ)の人を()げて、(しょ)(そん)(そう)を明かし、次に「此等の聖人」の下は所説の法を挙げて所学の相を示し、三に「かくのごとく(たくみ)に立つ」の下は仏家の意を以て(しか)()()を示す云云。

一 (さん)(こう)()(てい)(さん)(のう)文。

 「三皇・五帝」は(つぶさ)に末抄の如し。「三王」とは即ちこれ()(いん)(しゅう)の三代なり。所謂(いわゆる)()(とう)文武(ぶんぶ)なり。()し諸文の中に、(あるい)は武王を取ることは王位に登る故なり。或は文王を()すことはこれ功を(すす)むるが故なり。或は合してこれを取ることは、この義を以ての故なり。

一 諸臣の頭([目])文。

 「頭目(とうもく)」最も可なり。身の中には頭目肝要(かんよう)なり。(いえ)の中には棟梁(とうりょう)肝要なり。並びに(てん)(そん)主君(しゅくん)(たと)うるなり。

一 三皇(さんこう)()(ぜん)文。

 これ三皇を除くそれ已前なり。伏羲(ふくぎ)の時より人道定まる故なり。(びゃ)虎通(こつう)一・九に云く「(いにしえ)の時、民人但(たみびとただ)()の母を知りて其の父を知らず乃至(ここ)に於て伏羲(あお)いで(しょう)を天に()()して法を地に察す。夫婦()五行(ごぎょう)定まり、始めて人道定まる。伏して(これ)を化す」略抄等云云。

一 父母([父])をしらず等

 一義に云く、但(まさ)に父を知らずというべし。本拠(ほんきょ)諸天皆(しか)なりと云云。今(いわ)く、母を知ると(いえど)も、尊敬(そんぎょう)することを知らず。故に「禽獣(きんじゅう)に同ず」というなり。(すで)に尊敬することを知らず、故に義不知(ふち)に当るなり。故に父母を知らずというなり。今文の大旨(たいし)(もっぱ)ら尊敬すること以て(こう)と名づくる故なり。(いわん)下巻十に云く「三皇已前に父母([父])をしらず」と云云。両処(とも)に何ぞ容易にこれを改めんや。


                    つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-03 22:20 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 02日

仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなしと説いた【蒙古使御書】

【蒙古使御書】
■出筆時期:建治元年(西暦1275)九月 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、日興上人の母方の関係筋と思われる駿河国富士郡に住む西山入道に与えられた書です。西山入道は幕府の仕事で鎌倉に出向き、その際に知った「蒙古国の使者を幕府が竜の口で斬首した」事を手紙で大聖人に知らせます。
 本書はこの手紙への返書となっております。大聖人はこの件について「害の中の極めて重きは国位を失うに過ぎたること無し」と説き、鎌倉幕府の所業を「我が国を他国に破らるる」悪政であると断じておられます。さらに「仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし」と記し、立正安国論で「他国侵逼難」を予言してた末法の本仏としての内証を示しておられます。 
■ご真筆: 現存しておりません。

[蒙古使御書 本文]

鎌倉より事故なく御下りの由承り候いてうれしさ申す計りなし。又蒙古の人の頚を刎られ候事承り候、日本国の敵にて候、念仏真言禅律等の法師は切られずして、科なき蒙古の使の頚を刎られ候ける事こそ不便に候へ。子細を知ざる人は勘へあてて候を、おごりて云うと思ふべし。

 此の二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎き申し、公には度度申せし事是なり。一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり。
 最勝王経に云く「害の中の極めて重きは国位を失うに過ぎたること無し」等云云。
 文の心は、一切の悪の中に国王と成りて政悪くして我が国を他国に破らるるが第一の悪にて候と、説れて候。又金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するによるが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇う」等云云。文の心は国王と成りて悪人を愛し善人を科にあつれば必ず其の国他国に破らるると云う文なり。

 法華経第五に云く「世に恭敬せらるるを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云。文の心は法華経の敵の相貌を説きて候に、二百五十戒を堅く持ち迦葉舎利弗の如くなる人を、国主これを尊みて法華経の行者を失なはむとするなりと説れて候ぞ。

夫れ大事の法門と申すは別に候はず。時に当て我が為め国の為め大事なる事を少しも勘へたがへざるが智者にては候なり。仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし。設い仏にあらねども竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人・賢人等は、仏程こそ・なかりしかども、三世の事を粗知しめされて候しかば、名をも未来まで流されて候き。

 所詮、万法は己心に収まりて一塵もかけず、九山、八海も我が身に備わりて、日月衆星も己心にあり。然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず、嬰児の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗・権大乗等は、皆己心の法を片端片端説きて候なり。
然りといへども法華経の如く説かず。然れば経経に勝劣あり、人人にも聖賢分れて候ぞ。法門多多なれば止め候い畢んぬ。

 鎌倉より御下りそうそうの御隙に使者申す計りなし。其の上種種の物送り給候事悦び入つて候。日本は皆人の歎き候に、日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ。国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども、国のために責られ候いし事は天も知しめして候へば、後生は必ずたすかりなんと悦び候に、御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて候へ。此の事起らずば最明寺殿の十三年に当らせ給いては御かりは所領にては申す計りなし。北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐なん。是は各各の御心のさからせ給うて候なり。人の科をあてるにはあらず、又一には法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか、ゆゆしき御僻事なり。是程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども、人聞つつましく候いてとどめ候い畢んぬ。

乃 時                                 日 蓮  花 押
西山殿御返事





by johsei1129 | 2015-05-02 20:29 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 01日

Gosho 経王殿御返事 ニ   Letter to kyo`o 2


但し御信心によるべし、

But your faith alone will determine all these things.

()ぎなんども・()()まざる人のためには用る事なし、

A sword is useless in the hands of a coward.

法華経の剣は信心のけなげ()なる人こそ用る事なれ、

The mighty sword of the Lotus Sutra must be wielded by one courageous in faith.

鬼に・かなぼう(鉄棒)たるべし、

Then one will be as strong as a demon armed with an iron staff.

日蓮がた()しひをすみ()にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、

I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart.
I, Nichiren, with sumi ink, have infused my life [into the Gohonzon]. So believe in it.

仏の御意(みこころ)は法華経なり日蓮が・た()しひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし、

The Buddha’s will is the Lotus Sutra, but the soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo.
The will of the Buddha is the Lotus Sutra, but the spirit of Nichiren is nothing other than Nam-Myoho-Renge-Kyo.

妙楽云く「(けん)本遠寿(ぽんおんじゅ)を以て其の命と()す」と釈し給う。

Miao-lo states in his commentary that the heart of this sutra is the revelation of the Buddha’s original enlightenment and his immeasurable life span.

経王御前にはわざはひも転じて(さいわ)いとなるべし

Kyō’ō’s misfortune will change into fortune.

あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、

Muster your faith, and pray to this Gohonzon.

何事か成就せざるべき、

Then what is there that cannot be achieved?

充満(じゅうまん)()(がん)(にょ)清涼(しょうりょう)()現世(げんぜ)安穏(あんのん)後生(ごしょう)善処(ぜんしょ)(うたがい)なからん。

There can be no doubt about the sutra passages that say, “This sutra [Gohonzon] can fulfill their desires, as a clear cool pond can satisfy all those who are thirsty,” and “They will enjoy peace and security in their present existence and good circumstances in future existences.”

本文 Original Text 全巻目次 Index All



by johsei1129 | 2015-05-01 23:36 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 01日

Gosho 経王殿御返事 一  Letter to kyo'o1

(それ)について経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候、

Since I heard from you about Kyō’ō, I have been praying to the gods of the sun and moon for her every moment of the day.

先日のま()暫時(ざんじ)も身を・はなさずたもち給へ、

Always cherish the Gohonzon that I gave you some time ago for her protection.

其の本尊は正法・像法・二時には習へる人だにもなし・ましてかき顕し奉る事たえたり、

The Gohonzon was never known, let alone inscribed, by anyone in the Former or Middle Day of the Law.

師子王は前三後一と申して・あり()()を取らんとするにも又たけ()きものを取らんとする時も・いき()をひを出す事は・ただをな()じき事なり、

The lion king is said to advance three steps, then gather himself to spring,unleashing the same power whether he traps a tiny ant or attacks a fierce animal.

日蓮守護たる処の御本尊を・したため(まい)らせ候事も師子王に・をとるべからず、

In inscribing this Gohonzon for her protection, Nichiren was like the lion king.

経に云く「師子奮迅之力(ししふんじんしりき)」とは是なり、

Thisis what the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.”

又此の曼荼羅(まんだら)能く能く信ぜさせ給うべし、

Believe in this mandala with all your heart.

南無妙法蓮華経は師子()の如し・いかなる病さ()りをなすべきや、

Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle?

鬼子母神(きしもじん)・十羅刹(らせつ)女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、

It is written that those who embrace the daimoku of the Lotus Sutra will be protected by the Mother of Demon Children and by the ten demon daughters.

さい()はいは愛染(あいぜん)の如く福は毘沙門(びしゃもん)の如くなるべし、

Such persons will enjoy the happiness of the wisdom king Craving-Filled and the good fortune of the heavenly king Vaishravana.

いかなる処にて遊びたは()ぶるとも・つ()があるべからず、遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし、

Wherever your daughter may frolic or play, no harm will come to her; she will move about without fear like the lion king.

十羅刹女の中にも皐諦女(こうだいにょ)の守護ふかかるべきなり、

Among the ten demon daughters, the protection of Kuntī is the most profound.

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by johsei1129 | 2015-05-01 23:29 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)