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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 12月 27日

われらが宗旨の三大秘法を結す 【依義判文抄】十九


 第八に本門の因果国の三妙の文

本因妙の文に云わく「(もと)菩薩の道を行じ成ずる処の寿命」云云。
 「
()本行(ほんぎょう)菩薩道」は即ち是れ唱題なり、「(しょ)(じょう)寿命(じゅみょう)は即ち是れ信心なり、信を以て()()うる故なり。是の故に本因妙の文は即ち本門の題目なり。

本果妙の文に云わく「我成仏してより已来(いらい)(はなは)だ大いに久遠なり」云云。
 「我」は即ち是れ法身なり「仏」は即ち是れ報身なり「已来」は即ち是れ応身なり、此れは是れ久遠元初の無作三身の故に「
甚大(じんだい)久遠」と云う。是の故に本果妙の文は(すなわ)ち是れ本門の本尊なり。本国土妙の文に云わく「我常に此の娑婆世界に在り」云云。本尊所在の(ところ)即ち是れ戒壇なり。


第九に本因の境智行位の文


玄文の第七に云わく(われ)(もと)菩薩の道を行ぜし時、成ぜし所の寿命とは()(みょう)は即ち本時の智妙なり、我本行とは即ち本時の行妙なり、菩薩は是れ因人(いんにん)なれば(また)位妙を顕わす、一句の文に三妙を証成す、即ち本時の因妙なり」云云。
 妙楽云わく「一句の下、本因の四義を結す」云云。
 応に知るべし、智は必ず境有り、即ち是れ本門の本尊なり、智行の二妙は即ち本門の題目なり、位は即ち
()()の義なり、戒壇亦是れ所居の(ところ)なる故に位妙は戒壇を顕わすなり。故に本因の四義は即ち三大秘法なり。


第十に天台の遠霑(おんでん)妙道の文


天台大師文の一に云わく「()五百歳遠く妙道に(うるお)」云云。
 応に知るべし「後の五百歳」は末法の初め、「遠霑」は是れ流布(るふ)の義なり「妙」は是れ
能歎(のうたん)()「道」は即ち所歎(しょたん)の三大秘法なり。

問う、何ぞ道の字を以て即ち三大秘法と()すや。

答う、天台常に「道」と言うは即ち三義有り。

一には虚通(こつう)の義、即ち本門の本尊なり。故に文の第二に云わく「中理(ちゅうり)虚通、之を名づけて道と為す」云云。応に知るべし「中理」は即ち中道(ちゅうどう)実相(じっそう)一念三千の妙法なり、此の妙法、法界に周遍(しゅうへん)して更に(ふさが)る所無し、故に虚通と云うなり。(すで)に中道実相の一念三千なり。故に知んぬ、本門の本尊なり。

二には所践(しょせん)の義、即ち本門の戒壇なり。輔記(ふき)第四に云わく「道は是れ智の所践なるが故に」云云。戒壇(また)是れ行者所践の故なり。
 秘法抄に云わく「王臣一同に三秘法を持つ時乃至戒壇を建立すべし、
(ただ)三国並びに一閻(いちえん)浮提(ぶだい)の人の懴悔(さんげ)滅罪(めつざい)の戒法なるのみに非ず、大梵天王・帝釈天王も来下(らいげ)して()み給うべき戒壇なり」云云。

三に能通(のうつう)の義、即ち本門の題目なり。天台大師云わく「道は能通を以て義となす等」云云。玄文の四に云わく「智目(ちもく)(ぎょう)(そく)をもって清涼(しょうりょう)()(いた)る」云云。智目・行足、()の二(あい)(たす)けて通じて清涼池に到る。故に能通の義は本門の題目なり。


                三大秘法の「教」を知る につづく


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by johsei1129 | 2014-12-27 23:19 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 27日

本門の戒壇の建立を勧奨 【依義判文抄】十八


 三に「
()()(にょ)(とう)の下は即ち題目勧奨(かんしょう)なり「一心」と言うは即ち是れ信心なり「受持」等は見るべし。故に信行具足の本門の題目分明(ふんみょう)なり。

四に「所在国土」の下は即ち戒壇勧奨なり、文を(また)三と()す。初めに義の戒壇を示し、次に「是中」の下は()の戒壇を勧め、三に「所以(しょい)(しゃ)()の下は釈なり。

初めに義の戒壇を示すに(また)二と為す。
 初めに本門の題目修行の処を示し、次に「
(にゃく)経巻」の下は本門の本尊所住の処を明かす。故に知んぬ、本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処並びに義は本門の戒壇に当たるなり。故に宗祖の云く「霊鷲山とは御本尊(なら)南無妙法蓮華り」云云又云云云。

次に「是中皆応」の下は(まさ)しく事の戒壇を勧むるなり。
 三大秘法抄十五-三十一に云わく「戒壇とは王法仏法に
(みょう)じ仏法王法に(がっ)して(おう)(しん)一同に三秘密の法を持ちて、有徳(うとく)(おう)(かく)(とく)比丘(びく)の其の乃往(むかし)を末法(じょく)(あく)の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みきょうしょ)を申し下して霊山(りょうぜん)浄土(じょうど)に似たらん最勝の地を(たず)ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、()の戒法と申すは是なり」云云。
 「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは
(まさ)に是れ富士山なるべきなり。
 録外の十六-四十一に云わく「日蓮一期(いちご)弘法(ぐほう)白蓮(びゃくれん)阿闍(あじゃ)()日興に之を付嘱す、本門弘通(ぐつう)の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と()うは是れなり」云云。(まさ)に知るべし「日蓮一期の弘法」とは即ち是れ本門の本尊なり「本門弘通」等とは(しょ)()は即ち是れ本門の題目なり、戒壇は文の如く全く神力品(じんりきぼん)結要(けっちょう)付嘱の文に同じ云云。秘すべし、秘すべし云云。

 三に「所以者何」の下は釈なり。(しょ)十-二十四に云わく「阿含(あごん)に云わく、仏の出世は(ただ)四処に塔を起つ、生処(しょうしょ)得道(とくどう)(てん)法輪(ぽうりん)(にゅう)涅槃(ねはん)なり」云云。
 文の八-十七に云わく「此の経は是れ
(ほっ)(しん)の生処」等云云。
 記の八本-十六に云わく「化身(けしん)の八相すら此の四相の処に尚応(なおまさ)に塔を起つべし、(いわん)(また)五師及び此の経の所在は即ち是れ法身の四処なり、(みな)応に塔を起つべきなり」云云。文中の「法身」等とは即ち是れ久遠元初の自受用身なり、今生身(しょうしん)に対する故に法身と云う、()()並びに是れ法身なるが故なり。
 南条抄二十二に云わく「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の
胸中(きょうちゅう)に秘して(かく)し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定(にゅうじょう)(ところ)なり、舌の上は転法輪の処、(のんど)は誕生の処、口中(こうちゅう)は正覚の(みぎり)なるべし、()かる不思議なる法華経の行者の住処なれば(いか)でか霊山浄土に劣るべき、法(たえ)なるが故に人尊し、人尊きが故に(ところ)貴しと申すは是れなり」云云。
 応に知るべし「教主釈尊の一大事の秘法」とは即ち是れ本門の本尊なり「日蓮が肉団の胸中」とは即ち本尊所住の処、是れ
()の戒壇なり「されば日蓮が胸の間」等とは即ち今文に同じ、「()かる不思議なる法華経の行者の住処」等とは、所修は即ち是れ本門の題目なり「住処」と言うは題目修行の処、即ち義の戒壇なり。「法妙なるが故に人尊し」等とは(すなわ)ち上の義を証するなり。



                 われらが宗旨の三大秘法を結す  につづく


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by johsei1129 | 2014-12-27 16:58 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 27日

寛師、本門の本尊の相貌を説く 【依義判文抄】十七


 問う、大師は
(ただ)結要付嘱と云って本尊付嘱と云わず、故に宗門の先哲(いま)(かつ)(しか)云わず、若し誠証(じょうしょう)無くんば誰か之を信ずべけんや。

答う、内鑑(ないがん)冷然(れいねん)(しか)も末法に(ゆず)るが故に(あら)わに之を言わず、今(すで)に末法なり、何ぞ像法に同ぜんや。今明文を引いて(ほぼ)之を示すべし。

本尊抄に云わく「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏(なお)文殊等にも之を付嘱せず、(ただ)地涌千界を()して之を付嘱す、其の本尊の(てい)、本時の娑婆(しゃば)の上に宝塔(くう)()し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右には釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)には上行等の四菩薩」云云。此の文分明なり。応に知るべし「其の本尊の為体(ていたらく)とは即ち是れ上の「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」を指して「其の本尊」と言うなり、
 新池抄外の十二-二十七に云わく「今此の御本尊は五百(ごひゃく)塵点劫(じんてんごう)より心中に納めさせ給い、世に出現せさせ給いても四十余年、其の後迹門()せ過ぎて宝塔品より(こと)起こり、寿量品に説き顕わし、神力(じんりき)(ぞく)(るい)(こと)(きわ)まりて候いしぞかし乃至上行菩薩等を涌出品(ゆじゅつほん)に召し出ださせ給いて法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字を譲らせ給う」云云。之を思い合わすべし云云。
 当に知るべし、其の本尊の
為体(ていたらく)とは(しばら)く是れ今日(こんにち)迹中脱益の儀式なり。(しか)妙楽の曰く「若し迹を借らずんば何ぞ()く本を()らん」云云。又云わく「脱は現に在りと雖も(つぶさ)本種を()と云云。

 本門の戒壇の建立を勧奨 につづく

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by johsei1129 | 2014-12-27 15:52 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 27日

地涌の菩薩、本門の本尊を付属せらる   【依義判文抄】十六

第七に神力品の「爾時(にじ)仏告(ぶつごう)上行(じょうぎょう)等の文

神力品に云わく()の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり、若し我()の神力を以て無量無辺百千万億()(そう)()(こう)に於て(ぞく)(るい)の為の故に此の経の功徳を説く、(なお)尽くすこと(あた)わず、要を以て之を言わば如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の()(よう)(ぞう)、如来の一切の(じん)(じん)の事、皆此の経に於て宣示(せんじ)顕説(けんぜつ)す、是の故に汝等如来の滅後に於て(まさ)に一心に受持(じゅじ)(どく)(じゅ)解説(げせつ)書写(しょしゃ)し説の如く修行すべし、所在の国土に()しは受持、読、(じゅ)、解説、書写し、説の如く修行する有らん、若しは経巻所住の(ところ)、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下(じゅげ)に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣(びゃくえ)(いえ)、若しは殿堂に()りても、若しは山谷曠野(こうや)にても是の中に皆(まさ)に塔を起て供養すべし、所以(ゆえん)(いかん)、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏(ここ)に於て()(のく)多羅(たら)三藐(さんみゃく)(さん)菩提(ぼだい)を得、諸仏(ここ)に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅(はつね)(はん)したもう」已上。

(いま)(つつし)んで案じて曰く「爾時仏告上行」より下は是れ結要(けっちょう)付嘱(ふぞく)の文、四と()す。
 一に
称歎(しょうたん)付嘱、二に「以要(いよう)言之(ごんし)の下は本尊付嘱、三に「()()(にょ)(とう)の下は題目勧奨、四に「所在国土」の下は戒壇勧奨、(また)三と為す。一に義の戒壇を示す、二に「是中(ぜちゅう)皆応(かいおう)の下は正しく事の戒壇を(すす)む、三に「所以(しょい)(しゃ)()の下は釈。

初めに称歎付嘱とは(まさ)に之を付嘱せんとするに、先ず所属の法体(ほったい)、本門の本尊の功徳を(たん)ず、故に称歎付嘱と云うなり。文中に「(せつ)()(きょう)功徳(くどく)と言うは即ち是れ本門の本尊、妙法蓮華経の功徳なり。
 二に「以要言之」の下は本尊付嘱とは即ち是れ如来の一切の名体宗用は皆本門の本尊、妙法蓮華経の五字に
(おい)て宣示顕説する故に「皆於此経」等と云うなり。此の本尊を以て地涌(じゆ)千界(せんがい)に付嘱する故に「其の枢柄(すうへい)()(しか)授与す」と言う、(あに)本尊に非ずや。


               本門の本尊の相貌を説く につづく

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by johsei1129 | 2014-12-27 15:16 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 27日

三大秘法は無作三身なり 【依義判文抄】十五


 第六に寿量品の「
一心(いっしん)(よっ)(けん)(ぶつ)等の文


寿量品に云わく「一心に仏を見んと(ほっ)して自ら身命を惜しまず、時に我及び(しゅ)(そう)(とも)(りょう)鷲山(じゅせん)()ず」云云。

此の文に三大秘法分明なり。所謂(いわゆる)初めの二句は本門の題目なり、時我及衆僧等は即ち本門の本尊なり、「霊鷲山」と言うは即ち是れ本門の戒壇なり云云。初めの二句の中に「一心欲見仏」とは即ち是れ信心なり、「不自(ふじ)(しゃく)身命(しんみょう)とは即ち唱題の修行なり。此れに自行化他有り、倶に是れ唱題なり。
 三大秘法抄に云わく「今日蓮が唱うる所の題目は前代に異なり自行化他に
(わた)りて南無妙法蓮華経なり、名体宗用教の五重玄の五字なり」云云。

問う、録外二十五に云わく「自我偈(じがげ)に云わく一心欲見仏不自惜身命と云云、日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕わすなり、其の故は寿量品の事の一念三千、三大秘法を成就せる事此の文なり、秘すべし、秘すべし」云云。(すで)に此の文を引いて三大秘法等と云う、如何(いかん)(ただ)本門の題目と云うや。

答う、此の文は即ち是れ本門の題目なり、(しかる)所引(しょいん)の文の中に三大秘法と云うは是れ三大秘法総在の本尊に約する故に、事の一念三千の三大秘法と云うなり、例せば「()(だい)良薬(ろうやく)色香(しきこう)美味(みみ)の文の如し云云。
 「日蓮が己心の仏果」等とは即ち是れ事の一念三千の三大秘法総在の本尊なり。此の本尊は本門の題目に
()って顕わる、故に「此の文に依って顕わす」等と釈し給えるなり、「事の一念三千の三大秘法」とは日蓮が己心の仏果、久遠(くおん)元初(がんじょ)自受用(じじゅゆう)(ほう)(しん)(ほう)(ちゅう)(ろん)(さん)無作(むさ)(さん)(じん)を成就せる事、(ただ)是れ本門の題目なり。故に「此の文」と云うなり。
 一念三千は即ち
自受(じじゅ)(ゆう)(しん)なり、三大秘法は無作三身なり云云。
 「
時我(じが)(ぎゅう)(しゅ)(ぞう)等は即ち是れ本門の本尊なり。
 御義口伝に曰く「此の文は本門事の一念三千の明文なり、御本尊は此の文を顕わし出で玉うなり、時とは末法第五の時なり、我とは釈尊、及は菩薩、衆僧は二乗、()は六道なり、出とは霊山浄土に列出(れっしゅつ)するなり」云云。
 「霊鷲山」とは即ち是れ本門の戒壇なり。故に御義口伝に又云わく「霊山とは御本尊並びに日蓮等の
(たぐい)、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処を説くなり」云云。板本(はんぽん)の「利出」の「利」の字、(まさ)に「列」の字に作るべし、「御本尊也」の「也」の字、応に「並」の字に作るべし云云。
 録外十八-十三(法華宗内証仏法血脈(けちみゃく)に云わく「法華経
所坐(しょざ)の処、行者所住の処、皆是れ寂光(じゃっこう)なり」等云云。之を思い合わすべし。

      地涌の菩薩、本門の本尊を付属せらる につづく

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by johsei1129 | 2014-12-27 13:20 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

三大秘法は宝山と説く 【依義判文抄】十四


 「
今留(こんる)(ざい)()は即ち是れ本門の戒壇なり、此れ即ち本門の本尊所住の処なり、故に是れ本門の戒壇なり云云。

(にょ)()取服(しゅぶく)は即ち是れ本門の題目なり。()わく、此の(もん)信行具足して本門の題目最も明らかなり。謂わく「取」は是れ信心、「服」は是れ唱題なり、(およ)そ「取」と云うは手を以て之を取る故に信心なり。大論の第一に曰く「経の中に信を説いて手と()す、手有って宝山に入れば自在に()く取るが如し」等云云。言う所の服は口を以て之を服す、故に唱題なり。天台の所謂(いわゆる)修行を服と名づく」は是れなり。


                        三大秘法は無作三身なり  につづく

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by johsei1129 | 2014-12-26 22:44 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

発迹顕本を説きあかす【依義判文抄】十三


 問う、有る人云わく「名体宗用教は序品より起こる故に迹門の五重玄なり、今本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず。故に
本迹(ほんじゃく)一致なり」云云。此の義如何(いかん)

答う、彼の義の如くんば則ち迹門には永く約説の次第なく、本門にも(また)約行の次第無きなり云云。

難じて云わく、若し爾らば天台何ぞ玄文の中に於て(ただ)約行の次第を以て並びに迹本二門の五重玄を明かすや是一。
 妙楽云わく「迹を以て本に例す」云云。又云わく「迹を借らずんば何ぞ
()く本を()らん」云云。今迹を以て本に例し、迹を借りて本を識る、(あに)本門の約行の次第無かるべけんや是二。
 況や
(また)序品は並びに迹本を表わす。故に記の三上-二十一に曰く「近は則ち迹を表わし遠は本を表わす」云云。能表(のうひょう)既に是れ約行の次第なり、所表(しょひょうて)の本門(あに)約行無ならんや是三。
 況や復迹門の開示悟入は
(まさ)しく是れ約行なり。故に玄の一に曰わく「開示悟入(また)次第す」云云。然るに顕本して後は即ち本門の開示悟入と成る、故に記の八に云わく「開示悟入は是れ迹の要なりと雖も若し顕本し(おわ)れば即ち本の要と成る」云云。本門の約行豈分明なるに非ずや是四。
 記の第一に云く「本地の総別は諸説に超過す、迹中の三一は功一
()に高し」云云。道暹(どうせん)曰く「一は(すなわ)ち前の十四品に超え、二は則ち一代の教門に超ゆ」云云、迹本二門五重玄の勝劣文に在りて分明(ふんみょう)なり、何ぞ本迹一致と云わんや是五。


                   三大秘法は宝山と説く につづく


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by johsei1129 | 2014-12-26 22:26 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

色好美味の文は人法一箇をあらわす【依義判文抄】十二


 問う、其の深意
如何(いかん)

答う、是れ秘事なりと(いえど)も一言是れを示さん。
 証真法印の玄文私記第一に云わく「
(しか)るに妙法の名に体宗用を含む、故に必ず(まさ)に人法の二義を()ぬべし」等云云。
 宗祖の云わく「三徳は即ち是れ三身なり」等云云。故に知んぬ「色は是れ
般若(はんにゃ)即ち報身なり、「香は是れ解脱(げだつ)即ち応身なり、「味は是れ法身」は即ち法身なり。此れ即ち寿量の肝要、文底(もんてい)の三身なり。故に知んぬ、久遠元初の自受用報身、(ほう)(ちゅう)(ろん)(さん)の無作三身なり、此の無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり。故に「三徳不縦(ふじゅう)不横(ふおう)名秘密蔵」と言うなり。
 又此の
無作(むさ)三身の所作は何物ぞ、即ち()れ南無妙法蓮華経なり。故に「依教修行得入此蔵」と言うなり。此の無作三身は即ち是れ末法の法華経の行者なり云云。()(しか)らば「是好良薬」の文、(あに)人法体一の本尊に非ずや。耆婆(ぎば)が薬童之を思い合わすべし云云。


         発迹顕本を説き明かす につづく

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by johsei1129 | 2014-12-26 21:36 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 23日

色好美味の三大秘法を説き明かす 【依義判文抄】十一


 第五に寿量品の是好良薬等の文

寿量品に云わく「是の()良薬を今留めて(ここ)()、汝取りて服す可し、(いえ)じと憂うること(なか)」等云云。
 応に知るべし、此の文
(まさ)しく三大秘法を明かすなり、所謂「()(こう)良薬(ろうやく)は即ち是れ本門の本尊なり「今留(こんる)在此」は即ち是れ本門の戒壇なり「(にょ)()取服(しゅぶく)は即ち是れ本門の題目なり。

問う、天台大師云わく「経教を留めて在く故に是好良薬と云う」等云云。此の釈の意に(じゅん)ぜば通じて一代を指して(とも)是好良薬」と名づく。(なん)本門の本尊となすや、妙楽大師云わく「頓漸(とんぜん)(こうむ)ると雖も(もと)実乗に在り」等云云。若し此の釈に依らば(いま)し法華経を指して名づけて「是好良薬」と為す。(なん)ぞ本門の本尊と言わんや。

答う、像末時(こと)付嘱同じからざる故に。今は末法本化の付嘱に約す、故に本門の本尊と云うなり。
 本尊抄
(いわ)是好良薬とは寿量品の肝要(みょう)(たい)(しゅう)(ゆう)(きょう)の南無妙法蓮華経なり、此の良薬をば仏(なお)迹化に授与何に況や他方をや云云。是れ則ち神力付嘱の正体なり、(あに)本門の本尊に非ずや。
 応に知るべし「寿量品の肝要」とは、肝要は即ち是れ文底なり、故に開目抄には「文底」と云い本尊抄には「肝要」と云う。故に知んぬ、文底・肝要は
眼目(げんもく)の異名なり。
 御相伝に云わく「文底とは久遠名字の妙法に今日熟脱の法華経の帰入する処を志し給うなり、故に妙楽大師の云わく、
(すい)(だつ)在現(ざいげん)()(とう)本種(ほんしゅ)と云云。之を思い合わすべし。

 名体宗用教とは天台(すで)に三徳に約して良薬具足の色香(しきこう)美味(みみ)を釈す、此れ即ち五重(ごじゅう)(げん)なるが故なり、文の九-六十二に云わく「色は是れ般若(はんにゃ)、香は是れ解脱(げだつ)、味は是れ(ほっ)(しん)なり、三徳不縦(ふじゅう)不横(ふおう)なるを秘密蔵と名づく、教に依って修行して此の蔵に入ることを得」已上略抄。
 妙楽云わく「体等の三章は
(ただ)是れ三徳」云云。故に知んぬ「色は是れ般若」は即ち妙宗なり「香は是れ解脱」は即ち妙用(みょうゆう)なり「味は是れ法身」即ち妙体なり「秘密蔵」は即ち是れ妙名なり「依教修行」は即ち是れ妙教なり、故に「是好良薬」は即ち是れ五重玄なり。若し色香等を具足せずんば何ぞ「好き良薬」と名づけん。(しか)るに色香美味皆(ことごと)く具足す、故に是好良薬なり、(あに)五重玄に非ずや。更に(また)深意有り、(われ)人に向かって説かじ云云。


        色好美味は人法一箇をあらわす につづく

依義判文抄 目次

六巻抄 目次



by johsei1129 | 2014-12-23 20:43 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 23日

本迹一致の仏敵を破す 【依義判文抄】十


 問う、若し爾らば其の文如何。

答う、今彼の()を引いて幸いに僻見(びゃっけん)を破らん。(かん)迷論(めいろん)の第十巻、啓蒙(けいもう)の第二十巻の意に云わく「実には本迹(ほんじゃく)一致の秘法なりと雖も而も本門の三大秘法と名づくることは多くの所以(ゆえん)あり。
 一には
()わく、其の功を()(とき)久成の釈尊の所証なるが故に。
 二には謂わく、本門神力品に於て之を付嘱するが故に。
 三には謂わく、
(すで)本化(ほんげ)の大士の所付嘱なるが故に。
 四には謂わく、
迹化(しゃっけ)の弘通に対して本化弘通の規模を顕わすが故に。
 五には謂わく、本迹一致の本迹は本が家の迹にして一部
(ただ)本なるが故に」已上。

若し此の義の如くんば豈()く本門三大秘法を滅するに非ずや。若し爾らば本迹一致の(やから)(むし)ろ「諸悪比丘、能滅正法、色香美味」の者に非ずや。今一言を以て破法罪を責めん。

一には謂わく、(およ)今日(こんにち)()(じょう)の所証を説くを名づけて迹門と()し、(いま)し久遠本果の所証を説くを名づけて本門と為す。若し爾らば()(おん)本果の釈尊の所証(あに)本門の妙法に非ずや、何ぞ本迹一致と云わんや云云。

二には謂わく、神力(じんりき)(ぞく)(るい)総別異なりと雖も付嘱の事同じ、若し爾らば本門嘱累品に於て法華経及び前後一代の諸経を一切の菩薩に付嘱す。然らば則ち前後一代の諸経(みな)本門と名づくべけんや。(すで)に本門嘱累品に於て付嘱する故なり。

三には謂わく、本化(ほんげ)の大士には(ただ)本門寿量の妙法を付す。故に道暹(どうせん)曰く「法是れ久成の法なるが故に久成の人に付す」等云云。宗祖云わく云云。何ぞ本迹一致の妙法を本化に付嘱すと云わんや。

四には謂わく、難じて曰く、若し爾らば(なんじ)()本化弘通の規模を隠さんとして本迹一致と云うや、(あに)仏敵に非ずや。

五には謂わく、若し与えて之を論ぜば既に一部唯本と云う、若し爾らば但是れ本門なり、何ぞ本迹一致と云わんや。若し奪って之を論ぜば一部も(また)是れ(ただ)迹なり、是れ則ち今日(こんにち)迹中(しゃくちゅう)の所説なるが故なり。若し爾らば汝等は但是れ迹門宗にして全く是れ蓮祖の末弟に非ず、(あに)涅槃経の指す所の悪比丘に非ずや。

問う、三大秘法並びに本門と曰う、其の(こころ)如何(いかん)

答う、本門の言に於て(しばら)く二意あり。
 一には本門寿量文底の秘法なり、故に本門と云うなり云云。
 二には久遠元初の独一の本門なり、故に本門と云うなり。
 応に知るべし、久遠元初は唯是れ本門の一法にして
(さら)に迹として論ずべきなし、故に独一と云うなり。二意有りと雖も()いては是れ一意なるのみ。

           色好美味の三大秘法を説き明かす につづく


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by johsei1129 | 2014-12-23 17:07 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)