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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 31日

第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 【三重秘伝抄】


 第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは、

 次の文に云く、此等の経々に二つの(とが)あり。一には(こう)()を存するが故に()(いま)だ権を()開せずとて迹門の一念三千を隠せり。二には始成と言うが故に(なお)未だ(しゃく)を発せずとて本門の久遠を隠せり。迹門方便品には一念三千、二乗作仏(さぶつ)を説きて()(ぜん)二種の(とが)一を(のが)れたり已上。
 此等の経々は四十余年の経々なり、行布とは即ち是れ差別の異名なり、所謂(いわゆる)の経々には十界の差別を存する故に()お未だ九界の権を開せず、故に十界()()の義なき故に迹門の一念三千の義を(かく)せりと云ふなり。
 問ふ(まさ)に迹門方便品は一念三千を説きて爾前二種の失一を脱れたりと云うべし、何ぞ二乗作仏等と云うや、
 答ふ一念三千は
(しょ)(せん)にして二乗作仏は(のう)(せん)なり、今能所(なら)べ挙ぐる故に一念三千二乗作仏等と云ふなり。()わく若し二乗作仏を明かさゞる(とき)菩薩凡夫も仏に作らず、是れ即ち菩薩に二乗を(そな)ふれば所具の二乗、仏に作らざる則は能具の菩薩(あに)作仏せんや。故に十法界抄に云く(しか)るに菩薩に二乗を具ふる故に二乗の沈空尽滅するは菩薩が即ち是菩薩の沈空尽滅(じんくうじんめっ)するなり云云。菩薩既に(しか)り、凡夫も亦(しか)なり故に九界も同じく作仏せざるなり、故に九界則仏界の義無き故に一念三千(つい)に顕わるることを得ざるなり、若し二乗作仏を明かす(とき)永不成仏の二乗猶成仏す、(いか)(いわん)や菩薩凡夫をや、故に九界即仏界にして十界互具一念三千(へい)(ねん)なり、故に今、一念三千二乗作仏と云ふなり、宗印の北峰に云はく三千是不思議の妙境なり、只法華の開顕に()りて二乗作仏十界互具す、是の故に三千の法一念に(とん)(えん)にして法華独妙なり文。
 問ふ、昔の経々の中に一念三千を明かさずんば天台(なん)華厳心造の文を引いて一念三千を証するや。
 答ふ、彼の経に
()小久(しょうく)(じょう)を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若し大師引用の意は浄覚云く、今の引用は会入(えにゅう)の後に従ふ等云云、又古徳云く、華厳は死法門にして法華は活法門なり云云。彼の経の当分は有名無実なる故に死法門と云ふ、楽天の云く竜門原の上の土、骨を()めて名を埋めずと、和泉式部云く、諸共に苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を見るぞ悲しき云云。若し会入の後は(なお)蘇生(そせい)の如し、故に活法門と云ふなり。
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日享上人 註解

○次の文とは、標の文なる開目抄の一念三千云云の次の文

布とは、十界の因果を殊に菩薩の四十一位を竪に行列布置し、少しも円融不次第の義無きを云ふ。

○始成とは、釈迦仏は寂滅道場菩提樹下にして正覚を成じ始めて仏に成れりと云ふ爾前の諸経及び法華の迹門の説相である。

○未だ迹を発せずとは、爾前迹門の諸経に於いて道場正覚の仏と云っている間は垂迹示現の迹が臭気が取れぬと云ふ事である。

○迹門方便品とは、十如実相の略開三顕一より五仏章の広開三顕一等に即ち一念三千の理が有り舎利弗の正説が即ち二乗作仏である。

○昔とは、爾前の諸経の事である。

○所詮○能詮とは、詮は事理を能く説き明かす義で、二乗作仏に依りて一念三千の義を説明する事を得るから、二乗作仏の方は説明手、即ち能詮であり、一念三千の方は被説明の法即ち所詮である、能は自動で所は他動である、次の菩薩二乗の能具所具も此れに準じて知る事ができる。

○二乗沈空尽滅とは、阿羅漢等の二乗が(けん)思惑(じわく)を断じて空理に沈み、()(しん)滅智(めつち)して心身(すべ)滅の無余(むよ)涅槃(ねはん)に入るを云ふ。

○菩薩沈空尽滅とは、菩薩其の行程の始めに()いて塵沙惑(じんじゃわく)を起して空理に沈み、出仮利生の念無きものを云ふ。

(よう)不成仏(ふじょうぶつ)とは、声聞縁覚の二乗は無余涅槃に入りて身心(すべ)滅し、仏種を断ずるが故に未来永々成仏の機会無しと爾前の諸経に説かれてある。

○炳然とは、火のやうに明らかなること。

○不思議妙境とは、一心より一切の法を次第に生じたのか、一心が一時に一切の法を有ってをるのか、ドッチとも云へぬ唯是れ心が即一切法、一切法が即ち心で其の道理は(こころ)でも識ことも出来ず、語でも云はれぬ、誠に不思議な境界ぢやと、宗印が三千法を歎賞した文である。

○華厳心造とは、前に引ける如来林菩薩の心が一切法を造ると云ふ偈文である。

○記小久成とは、記小は迹門諸品の二乗(小)作仏の授記で、久成は本門寿量品の久遠実成の顕本である。

○浄覚とは(そう)代の智礼門下ってが、四明反旗著書沢山有る。

○会入の後に従うとは、華厳を開会して法華経に入れての上に華厳経を引用すれば、此れは法華が家の華厳であるから爾前経ぢゃからとて斥ふには及ばぬと浄覚の説である。

○楽天曰く竜門原上士等とは唐の白居易で其の白氏文集廿一にあり、和漢朗詠集や太平記等に引用してある有名な詩である。遺文三十軸、軸々金玉声、竜門原上士、埋骨不埋名とある下の句を今引用してある、其れは元宗簡の文集に楽天が題したのである、其の墓が竜門の原(洛陽の竜門で有名な石窟寺の附近ならん)の上りに在るから骨は其の処に埋めても宗簡の文名は天下に埋もれ朽ちずして永久に金玉の声ありと賞歎したのである。

○和泉式部云わく諸共に等とは、此の歌は和泉式部集の三に在る(金槐和歌集にもある)が詞書に「内侍ナクナリテ次ノ年七月ニ例給ハル衣ニ名ノカヽレタルヲ」とある、式部の女小式部内侍が死して後にも仕へ(はべ)上東門院彰子一条帝皇后年々衣服小式部内侍て、式部である、漢和例は法門法門であろう、枯れ文名小式部である。

   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 二に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-31 22:49 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 25日

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは 【三重秘伝抄】


 第四に一念に三千を具する
相貎(そうみょう)を示すとは、

 問う、止観第五に云わく、此の三千一念の心に在り等云云、一念の微少何ぞ三千を()せんや、
 答う、凡そ今経の意は具遍を明かす、故に法界の全体一念に具し、一念の全体法界に遍す。
(たと)ば一微塵(みじん)に十方の分を具へ、一滴の水の大海に(あまね)きが如し云云。

華厳経に云く、心は(たく)みなる画師の種々の五陰を造る、一切世間の中に法として造らざること無し等云云。
 問う、画師は(ただ)(これ)一色(えが)く、何ぞ四心を画くことを得んや。
 答ふ、色心(とも)に画く故に種々の五陰を造ると云うなり。故に止観第五二十一に云く、善画は像を写すに真に(せま)り、骨法精霊の生気飛動するが如し云云。誰か鐘馗(しょうき)を見て喜ぶと云うべけんや、誰か布袋(ほてい)を見て(いか)れると云うべけんや。故に知んぬ、善く心法を画くなり、止観に又(さん)()を明かす云云。
 又二寸三寸の鏡の中に十丈・百丈・乃至山河を現ず、況んや石中の火・木中の花、誰か之を疑ふべけんや。
 弘の五上に心論を引て云く、()(どう)女長者、伴を随え海に入り宝を()らんと欲し、母に従りてより去らんことを求む。母の云く、吾唯汝のみあり何んぞ吾を捨てゝ去るや、母()の去らんことを恐れ、便ち其の足を(とら)う、童女便ち手を以て母の髪を捉うるに一(けい)の髪落つ、母すなわち放ち去る。海洲の上に至るに熱鉄輪の空中より()の頂上に下臨するを見る、便ち誓いを発して言わく、願わくば法界の苦皆我が身に集まれと、誓願力を以ての故に火輪遂に落ち(ここ)(おい)身を捨て天に生まる、母に違ひて髪を損ずるは地獄の心を成し、弘誓の願いを発すは即ち仏界に属す等云云。一念の心中(すで)に獄と仏とを(そな)ふ、中間の互具は准説(じゅんせつ)して知るべし云云。
 本尊抄に云く、数々(しばしば)他面を見るに、(ある)時は喜び、或時は(いか)り、或時は(たいら)かに、或時は(むさぼり)現われ、或時は(おろか)現われ、或時は諂曲(てんごく)なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴は畜生、諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かは人なり、乃至(ないし)世間の無常は眼前に在り、人界に(あに)二乗界なからんや。無顧(むこ)の悪人(なお)妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり、乃至末代に凡夫出生して法華経を信ず、人界に仏界を具するが故なり略抄。法華経を信ずる等の文、深く之を思うべし云云。
 妙楽云わく、仏界の心強きを(なづ)けて仏界となし、悪業深重なるを名けて地獄となす云云。既に法華経を信ずる心強きを名けて仏界となす。故に知んぬ、法華経を(そし)る心強きを悪業深重と号し、地獄界と名づくるなり。

故に知んぬ一念に三千を()すること明らかなり。

日享上人 註解

○一念心とは、ヒトヲモヒの心、(すなわ)刹那(せつな)止観一念三千る。

○華厳経に云はくとは、経の十八、如来林菩薩の説ける()(もん)である。

○一色とは、一色とは(ゆい)(しき)青等色、()他種々間色ではい。

○四心とは、未念・欲念・念・念已(ねんい)精神作用未念ときはんととき念ひつときである。

○色心(とも)は、骨格容貌(もと)り、ふ。

○善画とは、巧妙なる画工の事である。

○骨法精霊とは、骨法は物体の色法、精霊は其の心法である、其れが絵画で無くて真の生物の如く生々(いきいき)して美人画愛着幽霊図恐怖る、名画()った飛び去り、(つな)った寓話であ

○鐘馗とは、鬼神の名を人名に取ったのであらう、後漢に李鐘馗あり隋に(きょう)鐘馗、揚鐘馗、唐に張鐘馗と云ふ人があった、明皇帝が大鬼小鬼を制するを夢に見て呉道子に画かせた、更に此れを版画にして臣下に賜はった、是が即ち鐘馗の図で怒髪(どはつ)天に逆だち(つるぎ)()げて鬼を叱咤(しった)する状、真に恐るべきもの、此れが(ここ)に云う鐘馗である
○布袋とは、又支那の僧で
豊頬曲(ほうきょうきょく)()大耳(だいじ)笑貌(しょうぼう)便々巨大布袋小児懐従(かいじゅう)である。

()は、摩訶止観解釈せる妙楽弘決(ぐけつ)()(ぎょう)十巻上下った上巻である。

○海州とは、大海の中の島嶼(とうしょ)である

○熱鉄輪とは、焼けて赤くなった鉄丸。

○法界苦とは、十方世界に充ちたらん一切の苦しみである。

○火輪とは、火の玉の事。

○准説等とは、上に引ける慈童女の一念の中に極悪の地獄の心と極善の仏の心とを同時に(そな)ば、中間畜生にも無論の事である、(また)畜生人間十界互具慈童女長者わるである。

○平とは、喜怒哀楽等の情が(ひとえ)に際立ちて顕はれをらぬ事。

〇貪とは、ヤタラに物を欲しがる事。

○癡とは、物の道理が少しも分からぬ事。

諂曲(てんごく)とは、修羅(しゅら)の性格の一面で勝他の目的の為には(おのれ)()げて他に(へつら)ふこある。

無顧(むこ)悪人は、アトサキ見ず無法者眷属(けんぞく)愛撫(あいぶ)地獄修羅心中菩薩(そな)ってい現証である

凡夫(ぼんぷ)出生等は、凡夫(そく)(ごく)即身成仏実現末法大白法(だいびゃくほう)久遠(くおん)名字(みょうじ)妙法(なが)(みなも)仏界である。



   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 に続く

三重秘伝抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-25 22:34 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 25日

第三に一念三千の数量を示すとは【三重秘伝抄】

第三に一念三千の数量を示すとは、

 (まさ)に三千の数量を知らんとせば(すべから)く十界・三世間・十如の相を了るべし。十界は常の如し、八大地獄に各十六の別処あり、故に一百三十六通じて地獄と号するなり。餓鬼は正法念経に三十六種を明かし、正理論に三種・九種を明かす。畜生は魚に六千四百種、鳥に四千五百種、獣に二千四百種、合して一万三千三百種、通じて畜生界と名づくるなり。修羅は身長八万四千()(じゅん)、四大海の水も(ひざ)に過ぎず、人は即ち四大洲、天は即ち欲界の六天と色界の十八天と無色界の四天となり。二乗は身子・目連等の如し。菩薩は本化・迹化の如し、仏界は釈迦・多宝の如し云云。
 三世間とは()(おん)と衆生と国土となり。五陰とは色・受・想・行・識なり、言う所の陰とは正しく九界に約し、善法を陰蓋(いんがい)するが故に陰と名づくるなり、(これ)は因に()いて名を得。又陰は是れ積聚(せきじゅ)なり、生死重沓(じゅうとう)す、故に陰と名づく、是は果に就いて名を得たり。若し仏界に約せば常楽重沓し、慈悲覆蓋(ふくがい)するが故なり。次ぎに衆生世間とは十界通じて衆生と名づくるなり、五陰(かり)に和合するを名づけて衆生と云うなり、仏界は(これ)尊極の衆生なり。故に大論に曰わく、衆生の無上なるは仏(これ)なりと。(あに)凡下(ぼんげ)に同じからんや云云。三に国土世間とは則ち十界の居る所なり、地獄は赤鉄に(より)て住し、餓鬼は(えん)()の下五百由旬に住し、畜生は水陸空に住し、修羅は海の(ほとり)海の底に住し、人は大地に(より)て住し、天は空殿に依て住し、二乗は方便土に依て住し、菩薩は実報土に依て住し、仏は寂光土(じゃっこうど)に依て住し(たま)り云云。並びに世間とは即ち是差別の義なり、所謂(いわゆる)十種の()(おん)不同なる故に五陰世間と名づけ、十種の衆生不同なる故に衆生世間と名づけ、十種の所居不同なる故に国土世間と名づくるなり。
 十如是とは相・性・体・力・作・因・縁・果・報等なり。如是とは(たと)ば臨終に黒色なるは地獄の相、白色なるは天上の相等の如し。如是とは十界の善悪の性、其の内心に定まり後世まで改まらざるを性と云うなり。如是とは十界の身体色質なり。如是とは十界各々の作すべき所の功能なり。如是とは三業を運動し善悪の所作を行ふなり、善悪に(わた)りて習因習果あり、先念は習因、後念は習果なり。是(すなわ)ち悪念は悪を起こし、善念は善を起こす。後に起す所の善悪の念は前の善悪の念に由る故に前念は習因即ち如是因なり、後念は習即ち如是果なり。善悪の体を(うるお)す助縁は(これ)如是縁なり。習因習果等の業因に(むく)て正しく善悪の(むくい)くるは(これ)如是報なり。初めの相を本とし後の報を末とし、此の本末の其の(きわま)りて中道実相なるを本末究竟(くきょう)(とう)と云うなり云云。
 正しく一念三千の数量を示すとは、(まさ)に知るべし玄・文両部の中には(なら)びに(いま)だ一念三千の名目を明かさず、(ただ)百界千如を明かすなり、止観の第五巻に至りて正しく一念三千を明かすなり。此に二意あり、一には如是に約して数量を明かす、所謂(いわゆる)百界・三百世間・三千如是なり。二には世間に約して数量を明かす、所謂百界・千如是・三千世間なり。開合異なると雖も同じく一念三千なり云云。()


日享上人註解

○色受想行識とは、色は色形で衆生の肉体及び草木国土等である、受は衆生が外界に在る物を我が身に受け納るゝこと、想は一たび受け()れたるものを常に想うて忘れぬこと、行は此の想ひに()りて起す所の所業である、識は以上の事をより起さしむる意識(すなわ)ちこゝろである。

○衆生等とは、地獄餓鬼等の十種の生類が共に生じ共に住し共に滅する辺を云ふのである。

○方便土とは、欲、色、無色の三界の外に在る世界で証果の阿羅漢のみ住する所である。

実報土(じっぽうど)とは、方便土の(ごと)く三界の外で菩薩行道の果報に依りて住する黄金世界である。

○寂光土とは、前の方便実報両土の如く限られた界外の事土でなく、界内界外、浄土、穢土(えど)を問はず事理不二で自受用報身仏の大功徳清浄なる楽土ずるをふのである。

(にょ)()とは、如は空の義、真の義・()()の義・事の義・如是と合字すれば中の義に成り、(くう)仮中(けちゅう)の三(たい)を成ずるので相性体等の十如是は即空仮中道の実相である。

○相とは、外に在りて見るべきもの即ち皮相である。

○性とは、内に在りて見るべからざるもの、即ち性分である。

○体とは、外相と内性とを裏表に(そな)へて一身を支持するもの。

○力○()とは、力は原動力で作は動力の現はれたるもの。

○因〇縁とは、因は主因で縁は助縁で(なお)主判の関係と同じ。

〇果○報とは、果は必然の結果で報は必然の報酬である、即ち果報の関係には前後冥現の別がある。

○本末等とは、九如の末の報が即ち次ぎの始めの相となるから十如の本末の連鎖となりて循環(きわま)り無き点位は此の第十の本末究竟(くきょう)(とう)である。

○玄文両部○百界千如とは、文句には十界の(おのおの)に十界を具へ又()れに十如是を具ふるから千如となる事だけを明かし、玄義には一法界に九法界を具ふれば百法界に千如是となる(よし)を明かしてあるだけで、共に未だ三千の数には説き及ぼして無い。

○開合雖異とは、三千如是は開であり三百世間は合である、又三千世間は開であり千如是は合である。開は広がる意味、合は(ちぢ)意味である

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-25 15:27 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 24日

第二に文相の大旨を示すとは【三重秘伝抄】

()()()()()()()()()()()()第二に文相の大旨を示すとは、

 文に三段あり、初めに一念三千の法門とは標なり、次に但法華経の下は釈なり、三に竜樹の下は結なり。釈の文に三意を含む、初めは権実相対、所謂但法華経の四字是なり、次には本迹(ほんじゃく)相対、所謂本門寿量品の五字是れなり、三には種脱相対、所謂(いわゆる)文底秘沈の四字是れなり、是れ則ち浅きより深きにいたり次第に之れを判ず、(たと)ば高きに登るに必ず(ひく)きよりし、遠くに()くには必ず近きよりするが如し云云。三に竜樹の下、結とは是れ正像未弘(みぐ)を結す、意は末法流布を顕わすなり。亦二意あり、初めに正法未弘を()げ通じて三種を結し、次に像法在懐を挙げ別して第三を結するなり。応に知るべし、(ただ)法華経の但の字は是れ一字なりと(いえど)も意には三段を冠するなり。(いわ)く、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈と云云。故に三種の相対は文に在って分明なり。
 問ふ、権実・本迹は是れ常の所談なり、第三の種脱相対の文理如何(いかん)
 答ふ、此れ(すなわ)ち宗祖出世の本懐此に於て若し明きらむる(とき)諸文に迷わざるなり。故に(しばら)く一文を引いて其の綱要を示さん。禀権(ぼんごん)三十一に云く、法華経と爾前の経とを引き向えて勝劣浅深を判ずるに当分跨節の事に三の様あり。日蓮が法門は第三の法門なり、世間には(ほぼ)夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候等云云。
 今(つつし)んで案じて曰わく、一には爾前は当分、迹門は()(せつ)なり、是は権実相対にして第一の法門なり。
 二には迹門は当分、本門は跨節、是は本迹相対にして第二の法門なり。三には(だっ)(ちゃく)は当分、下種は跨節なり是は種脱相対にして第三の法門なり。此れ即ち宗祖出世の本意なり、故に日蓮が法門と云うなり。今・一念三千の法門は但文底秘沈と曰う(こころ)こに在り、学者深く思え云云。
 問ふ、当流の諸師・他門の学者皆第三の教相を以って即ち第三の法門と名づく。然るに今種脱相対を以って名づけて第三の法門となす、此の事前代に(いま)だ聞かず、若し明文無くんば誰か之れを信ずべけんや。
 答ふ、第三の教相の若きは()お天台の法門にして日蓮が法門にはあらず。応に知るべし、彼の天台の第一第二は通じて当流の第一に属す、彼の第三教相は即当流の第二に属するなり。故に彼の三種の教相を以って若し当流に望むる(とき)二種の教相となるなり。妙楽の、前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約すと是なり。更に種脱相対の一種を加へて以って第三と為す、故に日蓮が法門と云うなり。
 今明文を引いて以って此の義を証せん。十法界抄に云わく、四重興廃と云云。血脈抄に云わく、四重(せん)(じん)云云。又云わく下種三種の教相と云云。本尊抄に云わく、彼は脱、此れは種なり等云云。秘すべし、秘すべし々々々々云云。

()()()(
)


日享上人註解
○文相大旨とは、今は義の十門の第二に列すれど正しく本抄の首に標出する一念三千云云の文義の解釈である。

○権実相対とは、爾前四十年の説を権教方便として法華八年の説を実教真実とする宗祖の教判である、権実の名目同じであっても他宗の所判と大異がある、本迹種脱の名目も他門の所見と亦別である、開目抄の五重の権実相対及び本尊抄の五重三段に通達して本宗教判の別意を()(りょう)せざれば、或は名目同辺の上から他宗他門の(びゅう)()に陥らんとも限らぬ。

○結三種とは、一念三千に於ける権実、本迹、種脱の三種を順次に判ずる事、上文の通りである。

○在懐とは、天台大師の心中に沈めをかれた法は即種脱相対の上の一念三千の珠である。

○不迷諸文とは、諸文とは通じては日蓮一宗の教義を述べたる書籍、別して宗祖の諸御書である、種脱相対の奥義に明らかなる時は大綱の盲目を()ぐる整然たる御書義意脈絡貫通して実本迹の法義系統乱れず尽く種脱の主脳に集中して一目の下少しも迷惑することが無い。

○当分跨節とは、一往再往と似ている当分は其の(まま)其の所で跨節れより一(また)げて一重立ち入りたる所であるが四句百非の安息所無きとは(おのずか)ら別異で、下種は跨節の終局根本である。

○当流諸師他門学者とは、富士興門流を当流と云ふが中にも要山日辰流等では第三教相即第三法門である、他宗の致劣門流は悉く其れである。

 ○第三教相()天台法門等とは、天台玄文第二にづるもの在世の三種教相である。


              不融は爾前

一、根性の融不融の相             方便譬喩 ― 迹門 ―

              融は法華


              不始終は爾前

二、化導の始終不始終の相            化城喩 ― 迹門 ―     在世

              始終は法華


              近は爾前迹門

三、師弟の遠近不遠近の相            寿量 ― 本門 ―

               遠は法華


 末法の蓮祖の三種教相即第三法門とは


          爾前当分

一、権実相対           迹門
          迹門跨節    


          迹門当分

二、本迹相対           本門                  末法
          本門跨節


          脱本当分

三、種脱相対           種本   

          種本跨節     


 稟権出界抄に此の意が見ゆる、別して「第三ヲ申サズ候」との御文、心を潜()めて案ずべきである。

○四重興廃とは、十法界抄の御文で爾前・迹門・本門・観心と従浅至深的に前法が廃すれば後法が興り次第に転迷開悟するの相である。

○四重浅深とは、本因妙抄の玄義七面の第三であって五重玄に分れて各四重の浅深を列してある。

○下種三種教相とは、百六箇抄の種の三十二の本迹を指すか、三種に(こだわ)って見ると余り明了では無いやうであるが、本尊抄種の御引文と(あわ)せ考ふれば題目を主として演繹(えんえき)すべき本師の深義が(ひそ)んで居るであろう。

第三に一念三千の数量を示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-24 23:39 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 19日

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは【三重秘伝抄】

 
第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは、

 経に曰わく、諸仏は世に興出すること(はるか)遠くして値遇すること難し、正使(たとい)世に出づとも是の法を説くこと復難(またかた)し、無量無数劫にも是の法を聞くこと亦難し、能く是の法を聴く者()の人亦復難し。譬えば優曇華(うどんげ)は一切皆愛楽し、天人の希有とする所にして時々一たび出づるが如し、法を聞いて歓喜して讃めて乃ち一言をも発するに至る則は已に一切の三世の仏を供養するなり等云云。

(まさ)に知るべし、此の中の法の字は並びに一念三千なり。

記の四の末の終りに云わく、(けん)(のん)等とは、若し此の劫に准ずれば六四二万なり文。劫章の意に准ずるに住劫第九の減、人寿六万歳の時・留孫仏(くるそんぶつ)出で、人寿四万歳の時・拘那含仏(くなごんぶつ)出で、人寿二万歳の時、迦葉(かしょう)仏出で、人寿百歳の時、釈迦如来出づと云云。是れ即ち人寿八万歳より一百年に人寿一歳を減じ乃至一千年に十歳を減じ而して六四二万等に至る豈懸遠に非ずや。
 (たと)世に出づると雖も(しゅ)(せん)多仏(だぶつ)多宝如来の如きは遂に一念三千を説かず、大通仏の如きも二万劫の間之れを説かず、 今仏世尊の如きも四十余年秘して説かず、(あに)是の法を説く、復難きに非ずや。既に出興懸遠にして法を説くこと亦難し、(あに)容易に之れを聞くことを得んや。縦へ在世に生まると雖も(しゃ)()の三億の如きは(なお)見ず聞かざるなり、況んや(ぞう)(まつ)辺土(へんど)をや。
 故に安楽行品に云わく、無量の国中に於て乃至(ないし)名字をも聞くを得べからず等云云。豈聞法の難きに非ずや。聞法尚爾なり、況んや信受せんをや。応に知るべし、能く聴くとは是れ信受の義なり、若し信受せずんば何ぞ能く聴くと云はんや。故に優曇華に(たと)うるなり、此の華は三千年に一たび現わるゝなり。
 而るに今宗祖の大悲に依て一念三千の法門を聞き、若し能く歓喜して讃めて乃至一言をも発すれば則ち已に一切の三世の仏を供養するに為るなり。

日享上人 註解

○経に曰くとは、方便品比丘偈(びくげ)在り妙法稀有なる(じゅ)である

○無量無数劫とは、劫は劫波の略語で印度国で年期の絶大に長遠なる事に名づけ其れが又小劫中劫大劫等と次第に数字が増上して又其の上に無量又は無数等の多数を示す語が加へられてある、吾が国の人の知り得る億とか兆とかの大数とは飛んでもない桁違ひの想像だも及ばぬ大数である。

○優曇華とは、此れ又印度の理想とも云へる物で世界を統一する転輪聖王出現する時、其の瑞兆(ずいちょう)海中広大である、統一大出現億万年空想であって極々(ごくごく)(まれ)もの妙法容易()てある。

○一切三世仏とは、過去に出で現在に出で未来に出でんとする十方世界の有らん限りの仏の事である。

○記の四の末とは、天台大師が法華経の文々句々を釈せられたが文句(もんぐ)であ法孫(ほうそん)妙楽大師解釈疏記(しょき)である。疏記調二巻つ、其れで「る。

 六四二万とは、六万四万二万の略で次下に(くわ)

○須扇多仏とは、大品般若経にあり住する事半劫で受化の者が無いから法を説かずして入滅せられた。

○多宝如来とは、大論には法を説かずと書いてある、天台大師は此れを解して全く法を説かんでは無い、開三を得れども顕一を得ずと云はれた、顕実即一念三千なる故に今不説と書かれた、又天台は応身にして法を説かざる須扇多、多宝の如きは此の(うん)(じゅん)って二仏慈悲衆生利益(りやく)事無である。

○大通仏とは、化城喩品の中に此の仏出世して諸梵王の請いに応じて十二行法輪を転じ更に十六王子の請いを受け二万劫を過ぎて妙法蓮華経を説くとある、妙法即一念三千であるから今爾か書かれたのである。

○舎衛三億とは、舎衛国は中印度で全印度中に別して釈迦仏に因縁多き仏都であるのに、其の中の三分の一は仏を見て仏の説法を聞いたが、三分の一は仏を見た計りで法を聞かぬ、三分の一は仏を見たことも聞いたこともない、左様に見仏聞法の因縁は難物である。

○像末辺土とは、像法末法は時に約し辺土は処に約す、我が日本国は一般仏教国の上から云へば粟散(ぞくさん)辺土粟粒った小島辺鄙(へんぴ)である、像末悪時辺鄙小国国大印度三億である、大善妙法

○一言を発すとは、今末法の(せん)南無妙法蓮華経であ



                 第二に文相の大旨を示すとは  に続く

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by johsei1129 | 2014-10-19 21:54 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 19日

一念三千に十門の義 【三重秘伝抄第一】

 三重秘伝抄           日寛謹んで記す

 開目抄上に曰く、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを(いだ)けり等云云。
 問うて云く、方便品の十如實相・寿量品の三妙合論(あに)一念三千経文の面に顕然(けんねん)なるに非ずや、宗祖何ぞ文底秘沈と言うや。
 答う、此れ則ち当流深秘の大事なり、故に文少なしと(いえど)も義意豊富なり。若し此の文を(あきら)むる(とき)は一代の聖教鏡に懸けて(くも)り無く、三時の弘経(たなごころ)に在りて覩るべし。故に先哲(なお)分明に之れを判ぜず、況んや予が如き頑愚(がんぐ)(いずく)んぞ之れを解るべけんや。然りと雖も今講次に(ちな)みて文に三段を分かち、義に十門を開き略して文旨を示さん。
 文に三段を分かつとは即ち標・釈・結なり。義に十門を開くとは、第一に一念三千の法門は聞き難きを示し、第二に文相の大旨を示し、第三に一念三千の数量を示し、第四に一念に三千を具する相貎を示し、第五に(ごん)(じつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第六に本迹(ほんじゃく)相対して一念三千を明かすことを示し、第七に(しゅ)(だつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第八に事理の一念三千を示し、第九に正像に未だ弘めざるの所以を示し、第十に末法流布の大白法なることを示すなり。

日享上人 註解

○一念三千法門とは、天台智者大師始めて法華経に依って述べられた法門で下の文に委しくす。

○天台智者とは支那の六朝末、陳と隋との世に在って南岳大師に継ぎて天台法華宗を大成した人、祖書の各篇に在るが委しくは高僧伝・別伝・仏祖統記等に見ゆる。

○十如実相とは、仏の窮め尽くされた方便品の十如是の理法は宇宙万法の実相であって衆生の妄想とは大いに異なるもの委しくは下の文に見ゆる。

○三名合論とは、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙を合せて寿量品の上に説かれたもの、一代聖教とは、釈尊一代五十年の間に説かれた(ひい)

○三時弘経とは、釈尊御入滅後、正法千年・像法千年・末法千年の間に羅漢・菩薩・論師・人師次第に出現して機法相応の小大権実本迹等の聖教を述べて衆生を済度せられた、即ち正像末の三時に弘教するの次第順序である、委しくは諸御書に散在する。

○先哲とは、門内門外の古き学者達。

○頑愚とは、事理に通ぜざるカタクナナル、ヲロカモノで本師自らの卑下の御辞である。。

○講次に因んでとは、因とは態とではなく次はツイデである。開目抄を披いて文底秘沈の文を講ずるついでにと云ふのである。

○標釈結とは、(つう)()順序であは「文相よ。

○大白法とは、大とは小に対し白は黒に対す、猶小少劣に対する大多勝・悪邪麁に対する善正妙の如くである。

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-19 10:07 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 17日

日寛上人、一行の御文から万法をひらく【三重秘伝抄第一】

三重秘伝第一

日寛(つつし)


 正徳第三癸巳(みつのとみ)予四十九歳の秋、時々御堂に於て開目抄を講じ、而て文底秘沈(もんていひちん)の句に至るに其の義甚深にして其の意難解(なんげ)なり。所以に文に三段を分ち義に十門を開く。草案已に畢りて清書未だ成らず、(むな)しく笈の中に(おさ)めて之を披くに(いとま)あらず。
 而る後、享保第十乙巳、予六十一歳の春、
逅邂(こうかい)之を閲するに疎略(やや)多し、故に(ほぼ)添削を加う、敢えて未治の本を留むることなかれ。
 然るに此の抄の中には多くの
大事(だいじ)を示す、此れは是れ(ひとえ)令法(りょうぼう)久住(くじゅう)の為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云。


 日享上人 註解 

○三重等とは、(ごん)(じつ)本迹(ほんじゃく)(しゅ)(だつ)の三相対にして下の第二、文相の大旨を示す等の下に明らかである。此の三重の妙旨は興目嫡流(ちゃくりゅう)にのみ伝ふる所で他門の日蓮各宗の知る所ではないから秘伝と云ふのである。
○抄とは、普通の解釈の通りでよい。本師経釈祖判に依りて此れを抄録せられたのである。
○第一とは、再治本の六巻の第一にある調巻の次第である、草庵本も亦此の序文に依れば第一の始めであったのである。

○於御堂等とは、正徳元年六月師範本山隠居日永上人の召に応じ、上総国細草檀林の化主を辞して登山し、学頭寮に入り事実初代の学頭と為りて祖書の(こう)(えん)である、永上人経営家であった日宥(にちゆう)勇退以後廃絶(まま)蓮蔵中興学頭寮隠棲し、愛弟本師期待()講学復興た、本師講筵学寮であった聴衆等都合間々御堂開目抄(ばか)い。此れ已下享保(きょうほ)三月廿昇進六巻抄草本ったものであろう

○文底秘沈の句とは、本抄の冒頭に標出する開目抄の一念三千云云の文である。

○三段、十門とは、本抄始めの釈文に委しく名目を出してある。

 草案とは稿本即ち、したがきである。

○虚とは、格別に使用せずして(いたずら)手文庫込んだのをふ。

○逅邂とは、普通邂逅と書く、偶然であり何の気無しに云ふと同じ。

○添削とは、足らざるを添へ余れるを削って加減能くする。

○未治本とは、草稿の儘で一回も修治を経ぬ書き放しのもの、未治本として現在する物は雪山文庫に在る末法相応抄であること前の総序に委しく書いてをいた。

○大事とは、宗門の一大事仏家の肝心たる法華本門寿量文底事の一念三千等,他宗他門の徒の(うかが)ひ知る(あた)一大事である。

○末弟等とは、近く直接に此れを云へば当時の僧弟子達で間接には当流の信者即俗弟に被り、遠く此れを云へば未来の僧俗一般に及ぶのである。

○吾が意とは、正義宣揚令法久住の御意衷である。

 已上の註解は本抄の序の文より摘出して加へたのであるが、已下五巻一々に序文が設けられてある。


               一念三千に十門の義 に続く

三重秘伝抄 目次  六巻抄 目次 


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by johsei1129 | 2014-10-17 23:48 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 14日

仏、一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なりと説いた書【上野殿母御前御返事】

【上野殿母御前御返事】
■出筆時期:弘安三年十月二十四日(西暦1280年) 五十九歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:富士上野郷の地頭で強信徒の南条時光の母(上野殿母御前)に与えられた書。時光の末の弟七郎五郎がこの年に急逝、その49日忌に当たり「御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ」と伝えている。また「仏、一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代(あししろ)なり・・・略・・・南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて故南条殿、故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ・・・略・・・同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給いなば同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし」と説き、法華経の信仰を貫かれるよう励まされている。
■ご真筆: 小泉久遠寺、北山本門寺、長存寺に断簡が所蔵されている。

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[上野殿母御前御返事 ご真筆:長存寺所蔵(蒲郡市指定文化財)]

南条故七郎五郎殿の四十九日御菩提のために送り給う物の日記の事、鵞目両ゆひ・白米一駄・芋一駄・すりだうふ・こんにやく・柿一篭・ゆ(柚)五十等云云。御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ。

抑(そもそも)法華経と申す御経は一代聖教には似るべくもなき御経にて、而かも唯仏与仏と説かれて仏と仏とのみこそしろしめされて、等覚已下乃至凡夫は叶はぬ事に候へ。
されば竜樹菩薩の大論には、仏已下はただ信じて仏になるべしと見えて候。法華経の第四法師品に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」等云云。第五の巻に云く「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。第七の巻に云く「此の法華経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も其の上たり」と。又云く「最も照明たり最も其の尊たり」等云云。此等の経文私の義にあらず仏の誠言にて候へば、定めてよもあやまりは候はじ。民が家に生れたる者我は侍に斉(ひと)しなんど申せば、必ずとが来る。まして我れ国王に斉し、まして勝れたりなんと申せば、我が身のとがとなるのみならず、父母と申し妻子と云ひ必ず損ずる事、大火の宅を焼き大木の倒るる時、小木等の損ずるが如し。

 仏教も又かくの如く華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依る人人の我が信じたるままに勝劣も弁へずして・我が阿弥陀経等は法華経と斉等なり・将た又勝れたりなんど申せば・其の一類の人人は我が経をほめられ・うれしと思へども還つてとがとなりて・師も弟子も檀那も悪道に堕つること・箭(や)を射るが如し、但し法華経の一切経に勝れりと申して候は・くるしからず還つて大功徳となり候、経文の如くなるが故なり。

 此の法華経の始に無量義経と申す経おはします。譬えば大王の行幸の御時、将軍前陣して狼籍(ろうぜき)をしづむるが如し。其の無量義経に云く「四十余年には未だ真実を顕さず」等云云。此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ、又太刀を以て切りすつるが如し。華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬを、せめなびかす利剣の勅宣なり。譬えば貞任(さだとう)を義家が責め、清盛を頼朝の打ち失せしが如し。無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索(けんさく)・愛染明王の弓箭(きゅうせん)なり。

  故南条五郎殿の死出の山・三途の河を越し給わん時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給うべき御供の兵者は、無量義経の四十余年未顕真実の文ぞかし。
法華経第一の巻・方便品に云く「世尊の法は久くして後要(かな)らず当に真実を説きたもうべし」と。又云く「正直に方便を捨てて但無上道を説く」云云。第五の巻に云く「唯髻中(ただけいちゅう)の明珠」と。又云く「独り王の頂上に此の一珠有り」と。又云く「彼の強力の王の久しく護れる明珠を今乃ち之を与うるが如し」等云云。文の心は日本国に一切経わたれり七千三百九十九巻なり、彼れ彼れの経経は皆法華経の眷属なり。例せば日本国の男女の数、四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家人たるが如し。一切経の心は愚癡の女人なんどの唯一時に心うべきやうは、たとへば大塔をくみ候には、先ず材木より外に足代と申して多くの小木を集め一丈二丈計りゆひあげ候なり。かくゆひあげて材木を以て大塔をくみあげ候いつれば、返つて足代を切り捨て大塔は候なり。足代と申すは一切経なり、大塔と申すは法華経なり。仏一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なり。正直捨方便と申して法華経を信ずる人は、阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛(なげう)ちてのち法華経をば持ち候なり。大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあげぬれば足代を切り落すなり。正直捨方便と申す文の心是なり。足代より塔は出来して候へども塔を捨てて足代ををがむ人なし。今の世の道心者等、一向に南無阿弥陀仏と唱えて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人人は大塔をすてて足代ををがむ人人なり。世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。

 故七郎五郎殿は、当世の日本国の人人にはにさせ給はず。をさなき心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて仏にならせ給いぬ。無一不成仏は是なり。乞い願わくは悲母我が子を恋しく思食し給いなば、南無妙法蓮華経と唱えさせ給いて故南条殿、故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ。一つ種は一つ種、別の種は別の種、同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給いなば同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし。三人面をならべさせ給はん時、御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。

 抑此の法華経を開いて拝見仕り候へば「如来則ち為に衣を以て之を覆(おお)いたもう、又他方現在の諸仏の護念する所と為らん」等云云。経文の心は東西南北・八方・並びに三千大千世界の外、四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給う。天には星の如く、地には稲麻(とうま)のやうに並居させ給ひ。法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬えば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し。但四天王、一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せさせ給うに足るべき事なり。其の上、一切の二乗、一切の菩薩・兜率(とそつ)内院の弥勒菩薩・迦羅陀(からだ)山の地蔵・補陀落(ふだらく)山の観世音・清凉山の文殊師利菩薩等・各各眷属を具足して、法華経の行者を守護せさせ給うに足るべき事に候に、又かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給いて、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。

 かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏・霊山浄土に集まらせ給いて、或は手にすへ、或は頂をなで、或はいだき、或は悦び、月の始めて出でたるが如く、花の始めてさけるが如く、いかに愛しまいらせ給うらん。抑(そもそも)いかなれば三世・十方の諸仏はあながちに此の法華経をば守らせ給ふと勘へて候へば、道理にて候けるぞ。法華経と申すは三世十方の諸仏の父母なり、めのとなり、主にてましましけるぞや。かえると申す虫は母の音を食とす。母の声を聞かざれば生長する事なし。からぐらと申す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏も亦かくの如く法華経を命とし、食とし、すみかとし給うなり。魚は水にすむ。仏は此の経にすみ給う。鳥は木にすむ。仏は此の経にすみ給う。月は水にやどる。仏は此の経にやどり給う。此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。

 古昔(むかし)輪陀王と申せし王、をはしき。南閻浮提の主なり。此の王はなにをか供御とし給いしと尋ぬれば、白鳥のいななくを聞いて食とし給う。此の王は白馬のいななけば年も若くなり、色も盛んに、魂もいさぎよく、力もつよく、又政事も明らかなり。故に其の国には白馬を多くあつめ飼いしなり。譬えば魏王と申せし王の鶴を多くあつめ、徳宗皇帝のほたるを愛せしが如し。白馬のいななく事は又白鳥の鳴きし故なり。されば又白鳥を多く集めしなり。或時如何(いかに)しけん白鳥皆うせて白馬いななかざりしかば、大王供御(くご)たえて盛んなる花の露にしほれしが如く、満月の雲におほはれたるが如し、此の王既にかくれさせ給はんとせしかば、后・太子・大臣・一国・皆母に別れたる子の如く、皆色をうしなひて涙を袖におびたり。如何せん、如何せん。其の国に外道多し、当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等の如し。又仏の弟子も有り、当時の法華宗の人人の如し。中悪き事水火なり、胡と越とに似たり。大王勅宣を下して云く、一切の外道、此の馬をいななかせば仏教を失いて一向に外道を信ぜん事、諸天の帝釈を敬うが如くならん。仏弟子此の馬をいななかせば一切の外道の頚を切り、其の所をうばひ取りて仏弟子につくべしと云云。外道も色をうしなひ、仏弟子も歎きあへり。而れどもさてはつべき事ならねば外道は先に七日を行ひき、白鳥も来らず白馬もいななかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせしに馬鳴(めみょう)と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給う法華経を以て七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来る。此の鳥一声鳴きしかば、一馬、一声いななく。大王は馬の声を聞いて病の牀(とこ)よりをき給う。后より始めて諸人、馬鳴に向いて礼拝をなす。白鳥・一・二・三乃至・十・百・千・出来して国中に充満せり。白馬しきりにいななき一馬・二馬・乃至百・千の白馬いななきしかば、大王此の音を聞こし食し面貌(かおかたち)は三十計り、心は日の如く明らかに政(まつりごと)正直なりしかば、天より甘露ふり下り、勅風・万民をなびかして無量・百歳代を治め給いき。

 仏も又かくの如く多宝仏と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅、此の経をよむ代には出現し給う。釈迦仏・十方の諸仏も亦復かくの如し。かかる不思議の徳まします経なれば、此の経を持つ人をばいかでか天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給うべきと、たのもしき事なり。又此の経にあだをなす国をば・いかに正直に祈り候へども、必ず其の国に七難起りて他国に破られて亡国となり候事、大海の中の大船の大風に値うが如く、大旱魃の草木を枯らすが如しとをぼしめせ。当時・日本国のいかなる・いのり候とも、日蓮が一門・法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざまの御いのり叶はずして大蒙古国にせめられて、すでにほろびんとするが如し。今も御覧ぜよ、ただかくては候まじきぞ、是れ皆法華経をあだませ給う故と御信用あるべし。

 抑故五郎殿かくれ給いて既に四十九日なり。無常はつねの習いなれども此の事うち聞く人すら猶忍びがたし。況や母となり妻となる人をや、心の中をしはかられて候。人の子には幼きもあり、長(おとなし)きもあり、みにくきもあり、かたわなるもある物をすら思いになるべかりけるにや。をのこごたる上、かたわにもなし、ゆみやにもささいなし。故上野殿には壮(さかん)なりし時をくれて歎き浅からざりしに、此の子を懐姙せずば火にも入り水にも入らんと思いしに、此の子すでに平安なりしかば誰にあつらへて身をもなぐべきと思うて、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ。いかに・いかにと・すべき。二人のをのこごにこそ、になわれめとたのもしく思ひ候いつるに、今年九月五日・月を雲にかくされ・花を風にふかせて・ゆめか・ゆめならざるか・あわれひさしきゆめかなと・なげきをり候へば、うつつににてすでに四十九日はせすぎぬ。まことならば、いかんがせん。さける花は、ちらずしてつぼめる花のかれたる。をいたる母はとどまりて、わかきこはさりぬ。なさけなかりける無常かな・無常かな。
かかる・なさけなき国をばいとい、すてさせ給いて故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給いて、常住不壊(ふえ)のりやう山浄土へとくまいらせ給へ。ちちはりやうぜんにまします、母は娑婆(しゃば)にとどまれり、二人の中間にをはします故五郎殿の心こそ、をもひやられて、あわれにをぼへ候へ。事多しと申せどもとどめ候い畢んぬ。恐恐謹言。

十月二十四日          日 蓮 花 押
上野殿母尼御前御返事

by johsei1129 | 2014-10-14 01:23 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 13日

法華経を一句よみまいらせ候へば釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞと説いた【千日尼御返事】

【千日尼御返事(せんにちあまごへんじ)】
■出筆時期:弘安三年七月二日(西暦1280年) 五十九歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:故阿仏房の妻千日尼に宛てられた書。阿仏房は承久の乱で佐渡へ流された順徳上皇につかえた武士といわれている。念仏を強く信仰していたが、佐渡流罪となった大聖人と念仏僧との法論「塚原問答」を聞き、念仏の信仰を捨て妻共々大聖人に帰依し大聖人を支えることになった。大聖人が身延山入山以後も高齢にもかかわらず三度も供養のため身延山に登山し、弘安二年三月二十一日、九十一歳でその生涯を全うする。本書は阿仏房亡き後も法華経の信仰を貫く千日尼に対し「法華経を一句よみまいらせ候へば・釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ」と説くとともに、跡を継いだ子の藤九郎守綱が、昨年は父の舎利を頚に懸け身延山に登り法華経の道場に収め、今年は再度七月一日に身延山に登り慈父の墓を拝見したことを「子にすぎたる財なし」と讃えられている。尚、本御書のご真筆は阿仏房が自宅に開基した妙宣寺に現在所蔵されている。

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■ご真筆: 佐渡・妙宣寺所蔵(重要文化財)。


[千日尼御返事] 本文

 こう入道殿の尼ごぜん の事なげき入つて候、又こいしこいしと申しつたへさせ給へ。
鵞目一貫五百文のりわかめほしいしなじなの物給び候い了んぬ、法華経の御宝前に申し上げて候、法華経に云く「若し法を聞く者有らば一として成仏せざること無し」云云、文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へば・釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ、故に妙楽大師の云く「若し法華を弘むるは凡そ一義を消するも皆一代を混じて其の始末を窮めよ」等云云、始と申すは華厳経・末と申すは涅槃経、華厳経と申すは仏・最初成道の時・法慧・功徳林等の大菩薩・解脱月菩薩と申す菩薩の請(しょう)に趣いて仏前にてとかれて候、其の経は天竺・竜宮城・兜率天(とそつてん)等は知らず日本国にわたりて候は六十巻・八十巻・四十巻候、末と申すは大涅槃経・此れも月氏・竜宮等は知らず我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり、此れより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり、此れ等の経経は見ず・きかず候へども但法華経の一字・一句よみ候へば彼れ彼れの経経を一字も・をとさず・よむにて候なるぞ、譬へば月氏日本と申すは二字・二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の大地・大山・草木・人畜等をさまれるがごとし、譬へば鏡はわづかに一寸・二寸・三寸・四寸・五寸と候へども・一尺五尺の人をもうかべ・一丈・二丈・十丈・百丈の大山をもうつす、されば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり、九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しち(実)にに(似)たる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・すきをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味(かんみ)なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし、提婆が三逆も羅睺羅(らごら※注1)が二百五十戒も同じく仏になりぬ、妙荘厳王の邪見も舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり、此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし、四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反・大善根を・とかれしかども未顕真実ときらわれしかば・七日ゆをわかして大海になげたるがごとし、ゐ提希が観経をよみて無生忍を得しかども正直捨方便とすてられしかば・法華経を信ぜずば返つて本の女人なり、大善を用うる事なし・法華経に値わざればなにかせん、大悪をも歎く事無かれ・一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん、此等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。
されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候、若し此の事そらごとにて候わば日蓮が・ひがめにては候はず、釈迦如来の世尊法久後・要当説真実の御舌も・多宝仏の妙法華経・皆是真実の舌相も四百万億那由佗の国土にあさのごとく・いねのごとく・星のごとく・竹のごとく・ぞくぞくと・すきまもなく列なつてをはしましし諸仏如来の一仏も・かけ給はず、広長舌を大梵王宮に指し付けて・をはせし御舌どものくぢらの死にてくされたるがごとく・いわしのよりあつまりて・くされたるがごとく・皆一時にくちくされて十方世界の諸仏・如来・大妄語の罪にをとされて・寂光の浄土の金るり大地はたと・われて提婆がごとく・無間大城にかつぱと入り・法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱと・いでて・実報華王の花のその・一時に灰燼(かいじん)の地となるべし、いかでか・さる事は候べき、故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただ・をいて物を見よ・ただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし、さてはをとこははしらのごとし女はなかわ(桁)のごとし、をとこは足のごとし・女人は身のごとし、をとこは羽のごとし・女はみのごとし、羽とみと・べちべちに・なりなば・なにを・もつてか・とぶべき、はしらたうれなばなかは地に堕ちなん、いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし、くうじ(公事)を・たれにか・いゐあわせん、よき物をば・たれにか・やしなうべき、一日二日たがいしを・だにも・をぼつかなく・をもいしに、こぞの三月の二十一日に・わかれにしが・こぞもまちくらせどまみゆる事なし、今年もすでに七つきになりぬ、たとい・われこそ来らずとも・いかにをとづれはなかるらん、ちりし花も又さきぬ・おちし菓も又なりぬ、春の風も・かわらず・秋のけしきも・こぞのごとし、いかに・この一事のみ・かわりゆきて本のごとく・なかるらむ、月は入りて又いでぬ・雲はきへて又来る、この人人の出でてかへらぬ事こそ天も・うらめしく地もなげかしく候へ、さこそをぼすらめ・いそぎ・いそぎ法華経をらうれう(粮料)と・たのみまいらせ給いて、りやうぜん浄土へ・まいらせ給いて・みまいらせさせ給うべし。
抑(そもそも)子はかたきと申す経文もあり「世人子の為に衆の罪を造る」の文なり、鵰(くまたか)・鷲(わし)と申すとりは・をやは慈悲をもつて養へば子は・かへりて食とす・梟鳥(ふくろう)と申すとりは生れては必ず母をくらう、畜生かくのごとし、人の中にも・はるり王は心もゆかぬ父の位を奪い取る、阿闍世王は父を殺せり、安禄山は養母をころし・安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す・安慶緒は又史師明に殺されぬ・史師明は史朝義と申す子に又ころされぬ、此れは敵と申すもことわりなり、善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり、苦得外道をかたらいて度度父の仏を殺し奉らんとす、又子は財と申す経文も・はんべり・所以に経文に云く「其の男女追つて福を修すれば大光明有つて地獄を照し其の父母に信心を顕さしむ」等と申す、設い仏説ならずとも眼の前に見えて候。
天竺に安足国王と申せし大王は・あまりに馬をこのみて・かいしほどに・後には・かいなれて鈍馬(どんめ)を竜馬(りょうめ)となすのみならず・牛を馬ともなす・結句は人を馬と・なしてのり給いき、其の国の人あまりに・なげきしかば知らぬ国の人を馬となす、他国の商人の・ゆきたりしかば薬をかいて・馬となして御まやう(厩)につなぎ・つけぬ、なにと・なけれども・我が国はこいしき上・妻子ことにこいしく・しのびがたかりしかども・ゆるす事なかりしかば・かへる事なし。

又かへり・たりとも・このすがたにては由なかるべし、ただ朝夕には・なげきのみにして・ありし程に・一人ありし子・父のまちどきすぎしかば・人にや殺されたるらむ又病にや沈むらむ・子の身として・いかでか父をたづねざるべきと・いでたちければ・母なげくらく男も他国より・かへらず・一人の子も・すてて・ゆきなば我いかんがせんと・なげきしかども・子ちちのあまりに・こいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ、ある小屋に・やどりて候しかば家の主申すやう・あらふびんやわどのは・をさなき物なり而もみめかたち人にすぐれたり、我に一人の子ありしが他国にゆきてしにやしけん・又いかにてやあるらむ、我が子の事ををもへば・わどのをみてめも・あてられず、いかにと申せば此の国は大なるなげき有り、此の国の大王あまり馬をこのませ給いて不思議の草を用い給へり、一葉せばき草をくわすれば人・馬となる、葉の広き草をくわすれば馬・人となる、近くも他国の商人の有りしを・この草をくわせて馬となして第一の御まやに秘蔵して・つながれたりと申す、此の男これをきいて・さては我が父は馬と成りて・けりとをもひて・返つて問う其の馬は毛は・いかにと・といければ・家の主答えて云く栗毛なる馬の肩白く・ぶちたりと申す、此の物此の事を・ききて・とかうはからいて王宮に近づき葉の広き草をぬすみとりて・我が父の馬になりたりしに食せしかば本のごとく人となりぬ、其の国の大王・不思議なる・おもひをなして孝養の者なりとて父を子に・あづけ給へり、其れよりついに人を馬となす事は・とどめられぬ。

子ならずば・いかでか尋ねゆくべき、目連尊者は母の餓鬼の苦をすくひ浄蔵浄眼は父の邪見をひるがいす、此れよき子の親の財となるゆへぞかし、而るに故阿仏聖霊は日本国・北海の島のいびすのみなりしかども後生ををそれて出家して後生を願いしが・此の人日蓮に値いて法華経を持ち去年(こぞ)の春仏になりぬ、尸陀(しだ)山の野干は仏法に値いて生をいとひ死を願いて帝釈と生れたり、阿仏上人は濁世の身を厭(いと)いて仏になり給いぬ。
其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて・去年は七月二日・父の舎利を頚(くび)に懸け、一千里の山海を経て甲州・波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す、子にすぎたる財なし・子にすぎたる財なし南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

七月二日        日 蓮 花押
故阿仏房尼御前御返事
追伸、絹の染袈裟一つまいらせ候、豊後房に申し候べし・既に法門・日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房な びくべきに学生ならでは叶うべからず・九月十五日已前に・いそぎいそぎまいるべし。かずの聖教をば日記のごとくたんば房にいそ ぎいそぎつかわすべし、山伏房をばこれより申すにしたがいてこれへは・わたすべし、山伏の現にあだまれ 候事悦び入つて候。


※注1 羅睺羅(らごら又はらふーら) :、釈迦の実子。釈尊覚知後6年後に故郷に戻った時出家したと伝えられている。釈尊の元で修行し、釈迦十大弟子の一人で密行第一と称されるまでになったと言う。

by johsei1129 | 2014-10-13 00:10 | 阿仏房・千日尼 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 09日

末法の法華経の行者が逢う大難は釈尊在世に超過せんと説いた【法華行者値難事】

■出筆時期:文永十一年一月十四日(西暦1274年) 五十三歳 御作。
■出筆場所:佐渡ヶ島 一谷(いちのさわ)にて。
■出筆の経緯:佐渡流罪中に富木常忍をはじめとする門下一同に対して与えられた書。「在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り、所謂仏と天台・伝教となり・・・略・・・仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し其の時の大難・在世に超過せん」と説き、伊豆流罪、断首されようとした竜の口の法難、佐渡流罪等々数々の大難に逢った日蓮こそ天台・伝教に超過する法華経の行者であることを門下一同に示すために本書をしたためられている。
尚、本書述作され一ヶ月後の文永十一年二月十四日、鎌倉幕府は佐渡流罪の赦免状を発し、三月八日に佐渡に到着している。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)。

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[法華行者値難事ご真筆:中山法華経寺 所蔵(重要文化財)]
※このご真筆では上下左右の余白にまで書き込まれていて、当時の大聖人の生活が窮乏を極めていたことを指し示している。


[法華行者値難事] 本文

 法華経の第四に云く「如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云。同第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。涅槃経の三十八に云く「爾の時に外道に無量の人有り○心瞋恚を生ず」等云云。又云く「爾の時に多く無量の外道有り和合して共に摩伽陀の王・阿闍世の前に往きぬ○今は唯一大悪人有り瞿曇沙門なり王未だ検校せず我等甚だ畏る。一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為る乃至迦葉・舎利弗・目けん連」等云云。如来現在猶多怨嫉の心是なり。得一大徳天台智者大師を罵詈して曰く「智公汝は是れ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」と。又云く「豈是れ顛狂の人に不ずや」等云云。南都七大寺の高徳寺・護命僧都・景信律師等三百余人・伝教大師を罵詈して曰く「西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云。秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云。

 夫れ在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り。所謂仏と天台・伝教となり。真言宗の善無畏・不空等・華厳宗の杜順・智儼等・三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人人なり。竜樹・天親等の論師は内に鑒みて外に発せざる論師なり。経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず。而るに仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し。其の時の大難・在世に超過せんと云云。仏に九横の大難有り。所謂孫陀利の謗と金鏘と馬麦と琉璃の釈を殺すと、乞食空鉢と旃遮女の謗と調達が山を推すと、寒風に衣を索むるとなり。其の上一切外道の讒奏上に引くが如し。記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず。

之を以て之を案ずるに末法の始に仏説の如く行者世に出現せんか。而るに文永十年十二月七日・武蔵の前司殿より佐土の国へ下す状に云く、自判之在り。

 佐渡の国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由其の聞え有り。所行の企て甚だ以て奇怪なり。今より以後、彼僧に相い随わん輩に於ては炳誡を加えしむ可し。猶以て違犯せしめば交名を注進せらる可きの由の所に候なり。仍て執達件の如し。

文永十年十二月七日 沙門 観恵上る
依智六郎左衛門尉等云云。

 此の状に云く「悪行を巧む」等云云。外道が云く「瞿曇(※釈尊)は悪人なり。等云云。又九横の難一一に之在り。所謂琉璃殺釈と、乞食空鉢と、寒風索衣とは仏世に超過せる大難なり。恐くは天台・伝教も未だ此の難に値いたまわず。当に知るべし、三人に日蓮を入れ四人と為す。法華経の行者末法に有るか。喜い哉、況滅度後の記文に当れり。悲い哉国中の諸人阿鼻獄に入らんこと。茂きを厭うて之を子細に記さず。心を以て之を推せよ。

文永十一年甲戌正月十四日           日 蓮 花押
一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ。

追て申す、竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず。此に口伝有り。天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と、之を残したもう。
所詮、一には仏・授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来れり、四菩薩出現したまわんか。日蓮此の事先ず之を知りぬ。西王母の先相には青鳥、客人の来相にはかん鵲是なり。各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ。設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。

 富木・三郎左衛門の尉・河野辺・大和阿闍梨等・殿原・御房達、各各互に読聞けまいらせさせ給え。かかる濁世には互につねに・いゐあわせて、ひまもなく後世ねがわせ給い候へ。

     河野辺殿等中
謹上  大和阿闍梨御房 御中
     一切我が弟子等中                 日 蓮
     三郎左衛門尉 殿
     富木殿

by johsei1129 | 2014-10-09 22:51 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)