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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 31日

第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 【三重秘伝抄】


 第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは、

 次の文に云く、此等の経々に二つの(とが)あり。一には(こう)()を存するが故に()(いま)だ権を()開せずとて迹門の一念三千を隠せり。二には始成と言うが故に(なお)未だ(しゃく)を発せずとて本門の久遠を隠せり。迹門方便品には一念三千、二乗作仏(さぶつ)を説きて()(ぜん)二種の(とが)一を(のが)れたり已上。
 此等の経々は四十余年の経々なり、行布とは即ち是れ差別の異名なり、所謂(いわゆる)の経々には十界の差別を存する故に()お未だ九界の権を開せず、故に十界()()の義なき故に迹門の一念三千の義を(かく)せりと云ふなり。
 問ふ(まさ)に迹門方便品は一念三千を説きて爾前二種の失一を脱れたりと云うべし、何ぞ二乗作仏等と云うや、
 答ふ一念三千は
(しょ)(せん)にして二乗作仏は(のう)(せん)なり、今能所(なら)べ挙ぐる故に一念三千二乗作仏等と云ふなり。()わく若し二乗作仏を明かさゞる(とき)菩薩凡夫も仏に作らず、是れ即ち菩薩に二乗を(そな)ふれば所具の二乗、仏に作らざる則は能具の菩薩(あに)作仏せんや。故に十法界抄に云く(しか)るに菩薩に二乗を具ふる故に二乗の沈空尽滅するは菩薩が即ち是菩薩の沈空尽滅(じんくうじんめっ)するなり云云。菩薩既に(しか)り、凡夫も亦(しか)なり故に九界も同じく作仏せざるなり、故に九界則仏界の義無き故に一念三千(つい)に顕わるることを得ざるなり、若し二乗作仏を明かす(とき)永不成仏の二乗猶成仏す、(いか)(いわん)や菩薩凡夫をや、故に九界即仏界にして十界互具一念三千(へい)(ねん)なり、故に今、一念三千二乗作仏と云ふなり、宗印の北峰に云はく三千是不思議の妙境なり、只法華の開顕に()りて二乗作仏十界互具す、是の故に三千の法一念に(とん)(えん)にして法華独妙なり文。
 問ふ、昔の経々の中に一念三千を明かさずんば天台(なん)華厳心造の文を引いて一念三千を証するや。
 答ふ、彼の経に
()小久(しょうく)(じょう)を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若し大師引用の意は浄覚云く、今の引用は会入(えにゅう)の後に従ふ等云云、又古徳云く、華厳は死法門にして法華は活法門なり云云。彼の経の当分は有名無実なる故に死法門と云ふ、楽天の云く竜門原の上の土、骨を()めて名を埋めずと、和泉式部云く、諸共に苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を見るぞ悲しき云云。若し会入の後は(なお)蘇生(そせい)の如し、故に活法門と云ふなり。
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日享上人 註解

○次の文とは、標の文なる開目抄の一念三千云云の次の文

布とは、十界の因果を殊に菩薩の四十一位を竪に行列布置し、少しも円融不次第の義無きを云ふ。

○始成とは、釈迦仏は寂滅道場菩提樹下にして正覚を成じ始めて仏に成れりと云ふ爾前の諸経及び法華の迹門の説相である。

○未だ迹を発せずとは、爾前迹門の諸経に於いて道場正覚の仏と云っている間は垂迹示現の迹が臭気が取れぬと云ふ事である。

○迹門方便品とは、十如実相の略開三顕一より五仏章の広開三顕一等に即ち一念三千の理が有り舎利弗の正説が即ち二乗作仏である。

○昔とは、爾前の諸経の事である。

○所詮○能詮とは、詮は事理を能く説き明かす義で、二乗作仏に依りて一念三千の義を説明する事を得るから、二乗作仏の方は説明手、即ち能詮であり、一念三千の方は被説明の法即ち所詮である、能は自動で所は他動である、次の菩薩二乗の能具所具も此れに準じて知る事ができる。

○二乗沈空尽滅とは、阿羅漢等の二乗が(けん)思惑(じわく)を断じて空理に沈み、()(しん)滅智(めつち)して心身(すべ)滅の無余(むよ)涅槃(ねはん)に入るを云ふ。

○菩薩沈空尽滅とは、菩薩其の行程の始めに()いて塵沙惑(じんじゃわく)を起して空理に沈み、出仮利生の念無きものを云ふ。

(よう)不成仏(ふじょうぶつ)とは、声聞縁覚の二乗は無余涅槃に入りて身心(すべ)滅し、仏種を断ずるが故に未来永々成仏の機会無しと爾前の諸経に説かれてある。

○炳然とは、火のやうに明らかなること。

○不思議妙境とは、一心より一切の法を次第に生じたのか、一心が一時に一切の法を有ってをるのか、ドッチとも云へぬ唯是れ心が即一切法、一切法が即ち心で其の道理は(こころ)でも識ことも出来ず、語でも云はれぬ、誠に不思議な境界ぢやと、宗印が三千法を歎賞した文である。

○華厳心造とは、前に引ける如来林菩薩の心が一切法を造ると云ふ偈文である。

○記小久成とは、記小は迹門諸品の二乗(小)作仏の授記で、久成は本門寿量品の久遠実成の顕本である。

○浄覚とは(そう)代の智礼門下ってが、四明反旗著書沢山有る。

○会入の後に従うとは、華厳を開会して法華経に入れての上に華厳経を引用すれば、此れは法華が家の華厳であるから爾前経ぢゃからとて斥ふには及ばぬと浄覚の説である。

○楽天曰く竜門原上士等とは唐の白居易で其の白氏文集廿一にあり、和漢朗詠集や太平記等に引用してある有名な詩である。遺文三十軸、軸々金玉声、竜門原上士、埋骨不埋名とある下の句を今引用してある、其れは元宗簡の文集に楽天が題したのである、其の墓が竜門の原(洛陽の竜門で有名な石窟寺の附近ならん)の上りに在るから骨は其の処に埋めても宗簡の文名は天下に埋もれ朽ちずして永久に金玉の声ありと賞歎したのである。

○和泉式部云わく諸共に等とは、此の歌は和泉式部集の三に在る(金槐和歌集にもある)が詞書に「内侍ナクナリテ次ノ年七月ニ例給ハル衣ニ名ノカヽレタルヲ」とある、式部の女小式部内侍が死して後にも仕へ(はべ)上東門院彰子一条帝皇后年々衣服小式部内侍て、式部である、漢和例は法門法門であろう、枯れ文名小式部である。

   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 二に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-31 22:49 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 25日

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは 【三重秘伝抄】


 第四に一念に三千を具する
相貎(そうみょう)を示すとは、

 問う、止観第五に云わく、此の三千一念の心に在り等云云、一念の微少何ぞ三千を()せんや、
 答う、凡そ今経の意は具遍を明かす、故に法界の全体一念に具し、一念の全体法界に遍す。
(たと)ば一微塵(みじん)に十方の分を具へ、一滴の水の大海に(あまね)きが如し云云。

華厳経に云く、心は(たく)みなる画師の種々の五陰を造る、一切世間の中に法として造らざること無し等云云。
 問う、画師は(ただ)(これ)一色(えが)く、何ぞ四心を画くことを得んや。
 答ふ、色心(とも)に画く故に種々の五陰を造ると云うなり。故に止観第五二十一に云く、善画は像を写すに真に(せま)り、骨法精霊の生気飛動するが如し云云。誰か鐘馗(しょうき)を見て喜ぶと云うべけんや、誰か布袋(ほてい)を見て(いか)れると云うべけんや。故に知んぬ、善く心法を画くなり、止観に又(さん)()を明かす云云。
 又二寸三寸の鏡の中に十丈・百丈・乃至山河を現ず、況んや石中の火・木中の花、誰か之を疑ふべけんや。
 弘の五上に心論を引て云く、()(どう)女長者、伴を随え海に入り宝を()らんと欲し、母に従りてより去らんことを求む。母の云く、吾唯汝のみあり何んぞ吾を捨てゝ去るや、母()の去らんことを恐れ、便ち其の足を(とら)う、童女便ち手を以て母の髪を捉うるに一(けい)の髪落つ、母すなわち放ち去る。海洲の上に至るに熱鉄輪の空中より()の頂上に下臨するを見る、便ち誓いを発して言わく、願わくば法界の苦皆我が身に集まれと、誓願力を以ての故に火輪遂に落ち(ここ)(おい)身を捨て天に生まる、母に違ひて髪を損ずるは地獄の心を成し、弘誓の願いを発すは即ち仏界に属す等云云。一念の心中(すで)に獄と仏とを(そな)ふ、中間の互具は准説(じゅんせつ)して知るべし云云。
 本尊抄に云く、数々(しばしば)他面を見るに、(ある)時は喜び、或時は(いか)り、或時は(たいら)かに、或時は(むさぼり)現われ、或時は(おろか)現われ、或時は諂曲(てんごく)なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴は畜生、諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かは人なり、乃至(ないし)世間の無常は眼前に在り、人界に(あに)二乗界なからんや。無顧(むこ)の悪人(なお)妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり、乃至末代に凡夫出生して法華経を信ず、人界に仏界を具するが故なり略抄。法華経を信ずる等の文、深く之を思うべし云云。
 妙楽云わく、仏界の心強きを(なづ)けて仏界となし、悪業深重なるを名けて地獄となす云云。既に法華経を信ずる心強きを名けて仏界となす。故に知んぬ、法華経を(そし)る心強きを悪業深重と号し、地獄界と名づくるなり。

故に知んぬ一念に三千を()すること明らかなり。

日享上人 註解

○一念心とは、ヒトヲモヒの心、(すなわ)刹那(せつな)止観一念三千る。

○華厳経に云はくとは、経の十八、如来林菩薩の説ける()(もん)である。

○一色とは、一色とは(ゆい)(しき)青等色、()他種々間色ではい。

○四心とは、未念・欲念・念・念已(ねんい)精神作用未念ときはんととき念ひつときである。

○色心(とも)は、骨格容貌(もと)り、ふ。

○善画とは、巧妙なる画工の事である。

○骨法精霊とは、骨法は物体の色法、精霊は其の心法である、其れが絵画で無くて真の生物の如く生々(いきいき)して美人画愛着幽霊図恐怖る、名画()った飛び去り、(つな)った寓話であ

○鐘馗とは、鬼神の名を人名に取ったのであらう、後漢に李鐘馗あり隋に(きょう)鐘馗、揚鐘馗、唐に張鐘馗と云ふ人があった、明皇帝が大鬼小鬼を制するを夢に見て呉道子に画かせた、更に此れを版画にして臣下に賜はった、是が即ち鐘馗の図で怒髪(どはつ)天に逆だち(つるぎ)()げて鬼を叱咤(しった)する状、真に恐るべきもの、此れが(ここ)に云う鐘馗である
○布袋とは、又支那の僧で
豊頬曲(ほうきょうきょく)()大耳(だいじ)笑貌(しょうぼう)便々巨大布袋小児懐従(かいじゅう)である。

()は、摩訶止観解釈せる妙楽弘決(ぐけつ)()(ぎょう)十巻上下った上巻である。

○海州とは、大海の中の島嶼(とうしょ)である

○熱鉄輪とは、焼けて赤くなった鉄丸。

○法界苦とは、十方世界に充ちたらん一切の苦しみである。

○火輪とは、火の玉の事。

○准説等とは、上に引ける慈童女の一念の中に極悪の地獄の心と極善の仏の心とを同時に(そな)ば、中間畜生にも無論の事である、(また)畜生人間十界互具慈童女長者わるである。

○平とは、喜怒哀楽等の情が(ひとえ)に際立ちて顕はれをらぬ事。

〇貪とは、ヤタラに物を欲しがる事。

○癡とは、物の道理が少しも分からぬ事。

諂曲(てんごく)とは、修羅(しゅら)の性格の一面で勝他の目的の為には(おのれ)()げて他に(へつら)ふこある。

無顧(むこ)悪人は、アトサキ見ず無法者眷属(けんぞく)愛撫(あいぶ)地獄修羅心中菩薩(そな)ってい現証である

凡夫(ぼんぷ)出生等は、凡夫(そく)(ごく)即身成仏実現末法大白法(だいびゃくほう)久遠(くおん)名字(みょうじ)妙法(なが)(みなも)仏界である。



   第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは 一 に続く

三重秘伝抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-25 22:34 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 25日

第三に一念三千の数量を示すとは【三重秘伝抄】

第三に一念三千の数量を示すとは、

 (まさ)に三千の数量を知らんとせば(すべから)く十界・三世間・十如の相を了るべし。十界は常の如し、八大地獄に各十六の別処あり、故に一百三十六通じて地獄と号するなり。餓鬼は正法念経に三十六種を明かし、正理論に三種・九種を明かす。畜生は魚に六千四百種、鳥に四千五百種、獣に二千四百種、合して一万三千三百種、通じて畜生界と名づくるなり。修羅は身長八万四千()(じゅん)、四大海の水も(ひざ)に過ぎず、人は即ち四大洲、天は即ち欲界の六天と色界の十八天と無色界の四天となり。二乗は身子・目連等の如し。菩薩は本化・迹化の如し、仏界は釈迦・多宝の如し云云。
 三世間とは()(おん)と衆生と国土となり。五陰とは色・受・想・行・識なり、言う所の陰とは正しく九界に約し、善法を陰蓋(いんがい)するが故に陰と名づくるなり、(これ)は因に()いて名を得。又陰は是れ積聚(せきじゅ)なり、生死重沓(じゅうとう)す、故に陰と名づく、是は果に就いて名を得たり。若し仏界に約せば常楽重沓し、慈悲覆蓋(ふくがい)するが故なり。次ぎに衆生世間とは十界通じて衆生と名づくるなり、五陰(かり)に和合するを名づけて衆生と云うなり、仏界は(これ)尊極の衆生なり。故に大論に曰わく、衆生の無上なるは仏(これ)なりと。(あに)凡下(ぼんげ)に同じからんや云云。三に国土世間とは則ち十界の居る所なり、地獄は赤鉄に(より)て住し、餓鬼は(えん)()の下五百由旬に住し、畜生は水陸空に住し、修羅は海の(ほとり)海の底に住し、人は大地に(より)て住し、天は空殿に依て住し、二乗は方便土に依て住し、菩薩は実報土に依て住し、仏は寂光土(じゃっこうど)に依て住し(たま)り云云。並びに世間とは即ち是差別の義なり、所謂(いわゆる)十種の()(おん)不同なる故に五陰世間と名づけ、十種の衆生不同なる故に衆生世間と名づけ、十種の所居不同なる故に国土世間と名づくるなり。
 十如是とは相・性・体・力・作・因・縁・果・報等なり。如是とは(たと)ば臨終に黒色なるは地獄の相、白色なるは天上の相等の如し。如是とは十界の善悪の性、其の内心に定まり後世まで改まらざるを性と云うなり。如是とは十界の身体色質なり。如是とは十界各々の作すべき所の功能なり。如是とは三業を運動し善悪の所作を行ふなり、善悪に(わた)りて習因習果あり、先念は習因、後念は習果なり。是(すなわ)ち悪念は悪を起こし、善念は善を起こす。後に起す所の善悪の念は前の善悪の念に由る故に前念は習因即ち如是因なり、後念は習即ち如是果なり。善悪の体を(うるお)す助縁は(これ)如是縁なり。習因習果等の業因に(むく)て正しく善悪の(むくい)くるは(これ)如是報なり。初めの相を本とし後の報を末とし、此の本末の其の(きわま)りて中道実相なるを本末究竟(くきょう)(とう)と云うなり云云。
 正しく一念三千の数量を示すとは、(まさ)に知るべし玄・文両部の中には(なら)びに(いま)だ一念三千の名目を明かさず、(ただ)百界千如を明かすなり、止観の第五巻に至りて正しく一念三千を明かすなり。此に二意あり、一には如是に約して数量を明かす、所謂(いわゆる)百界・三百世間・三千如是なり。二には世間に約して数量を明かす、所謂百界・千如是・三千世間なり。開合異なると雖も同じく一念三千なり云云。()


日享上人註解

○色受想行識とは、色は色形で衆生の肉体及び草木国土等である、受は衆生が外界に在る物を我が身に受け納るゝこと、想は一たび受け()れたるものを常に想うて忘れぬこと、行は此の想ひに()りて起す所の所業である、識は以上の事をより起さしむる意識(すなわ)ちこゝろである。

○衆生等とは、地獄餓鬼等の十種の生類が共に生じ共に住し共に滅する辺を云ふのである。

○方便土とは、欲、色、無色の三界の外に在る世界で証果の阿羅漢のみ住する所である。

実報土(じっぽうど)とは、方便土の(ごと)く三界の外で菩薩行道の果報に依りて住する黄金世界である。

○寂光土とは、前の方便実報両土の如く限られた界外の事土でなく、界内界外、浄土、穢土(えど)を問はず事理不二で自受用報身仏の大功徳清浄なる楽土ずるをふのである。

(にょ)()とは、如は空の義、真の義・()()の義・事の義・如是と合字すれば中の義に成り、(くう)仮中(けちゅう)の三(たい)を成ずるので相性体等の十如是は即空仮中道の実相である。

○相とは、外に在りて見るべきもの即ち皮相である。

○性とは、内に在りて見るべからざるもの、即ち性分である。

○体とは、外相と内性とを裏表に(そな)へて一身を支持するもの。

○力○()とは、力は原動力で作は動力の現はれたるもの。

○因〇縁とは、因は主因で縁は助縁で(なお)主判の関係と同じ。

〇果○報とは、果は必然の結果で報は必然の報酬である、即ち果報の関係には前後冥現の別がある。

○本末等とは、九如の末の報が即ち次ぎの始めの相となるから十如の本末の連鎖となりて循環(きわま)り無き点位は此の第十の本末究竟(くきょう)(とう)である。

○玄文両部○百界千如とは、文句には十界の(おのおの)に十界を具へ又()れに十如是を具ふるから千如となる事だけを明かし、玄義には一法界に九法界を具ふれば百法界に千如是となる(よし)を明かしてあるだけで、共に未だ三千の数には説き及ぼして無い。

○開合雖異とは、三千如是は開であり三百世間は合である、又三千世間は開であり千如是は合である。開は広がる意味、合は(ちぢ)意味である

第四に一念に三千を具する相貌を示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-25 15:27 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 24日

第二に文相の大旨を示すとは【三重秘伝抄】

()()()()()()()()()()()()第二に文相の大旨を示すとは、

 文に三段あり、初めに一念三千の法門とは標なり、次に但法華経の下は釈なり、三に竜樹の下は結なり。釈の文に三意を含む、初めは権実相対、所謂但法華経の四字是なり、次には本迹(ほんじゃく)相対、所謂本門寿量品の五字是れなり、三には種脱相対、所謂(いわゆる)文底秘沈の四字是れなり、是れ則ち浅きより深きにいたり次第に之れを判ず、(たと)ば高きに登るに必ず(ひく)きよりし、遠くに()くには必ず近きよりするが如し云云。三に竜樹の下、結とは是れ正像未弘(みぐ)を結す、意は末法流布を顕わすなり。亦二意あり、初めに正法未弘を()げ通じて三種を結し、次に像法在懐を挙げ別して第三を結するなり。応に知るべし、(ただ)法華経の但の字は是れ一字なりと(いえど)も意には三段を冠するなり。(いわ)く、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈と云云。故に三種の相対は文に在って分明なり。
 問ふ、権実・本迹は是れ常の所談なり、第三の種脱相対の文理如何(いかん)
 答ふ、此れ(すなわ)ち宗祖出世の本懐此に於て若し明きらむる(とき)諸文に迷わざるなり。故に(しばら)く一文を引いて其の綱要を示さん。禀権(ぼんごん)三十一に云く、法華経と爾前の経とを引き向えて勝劣浅深を判ずるに当分跨節の事に三の様あり。日蓮が法門は第三の法門なり、世間には(ほぼ)夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候等云云。
 今(つつし)んで案じて曰わく、一には爾前は当分、迹門は()(せつ)なり、是は権実相対にして第一の法門なり。
 二には迹門は当分、本門は跨節、是は本迹相対にして第二の法門なり。三には(だっ)(ちゃく)は当分、下種は跨節なり是は種脱相対にして第三の法門なり。此れ即ち宗祖出世の本意なり、故に日蓮が法門と云うなり。今・一念三千の法門は但文底秘沈と曰う(こころ)こに在り、学者深く思え云云。
 問ふ、当流の諸師・他門の学者皆第三の教相を以って即ち第三の法門と名づく。然るに今種脱相対を以って名づけて第三の法門となす、此の事前代に(いま)だ聞かず、若し明文無くんば誰か之れを信ずべけんや。
 答ふ、第三の教相の若きは()お天台の法門にして日蓮が法門にはあらず。応に知るべし、彼の天台の第一第二は通じて当流の第一に属す、彼の第三教相は即当流の第二に属するなり。故に彼の三種の教相を以って若し当流に望むる(とき)二種の教相となるなり。妙楽の、前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約すと是なり。更に種脱相対の一種を加へて以って第三と為す、故に日蓮が法門と云うなり。
 今明文を引いて以って此の義を証せん。十法界抄に云わく、四重興廃と云云。血脈抄に云わく、四重(せん)(じん)云云。又云わく下種三種の教相と云云。本尊抄に云わく、彼は脱、此れは種なり等云云。秘すべし、秘すべし々々々々云云。

()()()(
)


日享上人註解
○文相大旨とは、今は義の十門の第二に列すれど正しく本抄の首に標出する一念三千云云の文義の解釈である。

○権実相対とは、爾前四十年の説を権教方便として法華八年の説を実教真実とする宗祖の教判である、権実の名目同じであっても他宗の所判と大異がある、本迹種脱の名目も他門の所見と亦別である、開目抄の五重の権実相対及び本尊抄の五重三段に通達して本宗教判の別意を()(りょう)せざれば、或は名目同辺の上から他宗他門の(びゅう)()に陥らんとも限らぬ。

○結三種とは、一念三千に於ける権実、本迹、種脱の三種を順次に判ずる事、上文の通りである。

○在懐とは、天台大師の心中に沈めをかれた法は即種脱相対の上の一念三千の珠である。

○不迷諸文とは、諸文とは通じては日蓮一宗の教義を述べたる書籍、別して宗祖の諸御書である、種脱相対の奥義に明らかなる時は大綱の盲目を()ぐる整然たる御書義意脈絡貫通して実本迹の法義系統乱れず尽く種脱の主脳に集中して一目の下少しも迷惑することが無い。

○当分跨節とは、一往再往と似ている当分は其の(まま)其の所で跨節れより一(また)げて一重立ち入りたる所であるが四句百非の安息所無きとは(おのずか)ら別異で、下種は跨節の終局根本である。

○当流諸師他門学者とは、富士興門流を当流と云ふが中にも要山日辰流等では第三教相即第三法門である、他宗の致劣門流は悉く其れである。

 ○第三教相()天台法門等とは、天台玄文第二にづるもの在世の三種教相である。


              不融は爾前

一、根性の融不融の相             方便譬喩 ― 迹門 ―

              融は法華


              不始終は爾前

二、化導の始終不始終の相            化城喩 ― 迹門 ―     在世

              始終は法華


              近は爾前迹門

三、師弟の遠近不遠近の相            寿量 ― 本門 ―

               遠は法華


 末法の蓮祖の三種教相即第三法門とは


          爾前当分

一、権実相対           迹門
          迹門跨節    


          迹門当分

二、本迹相対           本門                  末法
          本門跨節


          脱本当分

三、種脱相対           種本   

          種本跨節     


 稟権出界抄に此の意が見ゆる、別して「第三ヲ申サズ候」との御文、心を潜()めて案ずべきである。

○四重興廃とは、十法界抄の御文で爾前・迹門・本門・観心と従浅至深的に前法が廃すれば後法が興り次第に転迷開悟するの相である。

○四重浅深とは、本因妙抄の玄義七面の第三であって五重玄に分れて各四重の浅深を列してある。

○下種三種教相とは、百六箇抄の種の三十二の本迹を指すか、三種に(こだわ)って見ると余り明了では無いやうであるが、本尊抄種の御引文と(あわ)せ考ふれば題目を主として演繹(えんえき)すべき本師の深義が(ひそ)んで居るであろう。

第三に一念三千の数量を示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-24 23:39 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 19日

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは【三重秘伝抄】

 
第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは、

 経に曰わく、諸仏は世に興出すること(はるか)遠くして値遇すること難し、正使(たとい)世に出づとも是の法を説くこと復難(またかた)し、無量無数劫にも是の法を聞くこと亦難し、能く是の法を聴く者()の人亦復難し。譬えば優曇華(うどんげ)は一切皆愛楽し、天人の希有とする所にして時々一たび出づるが如し、法を聞いて歓喜して讃めて乃ち一言をも発するに至る則は已に一切の三世の仏を供養するなり等云云。

(まさ)に知るべし、此の中の法の字は並びに一念三千なり。

記の四の末の終りに云わく、(けん)(のん)等とは、若し此の劫に准ずれば六四二万なり文。劫章の意に准ずるに住劫第九の減、人寿六万歳の時・留孫仏(くるそんぶつ)出で、人寿四万歳の時・拘那含仏(くなごんぶつ)出で、人寿二万歳の時、迦葉(かしょう)仏出で、人寿百歳の時、釈迦如来出づと云云。是れ即ち人寿八万歳より一百年に人寿一歳を減じ乃至一千年に十歳を減じ而して六四二万等に至る豈懸遠に非ずや。
 (たと)世に出づると雖も(しゅ)(せん)多仏(だぶつ)多宝如来の如きは遂に一念三千を説かず、大通仏の如きも二万劫の間之れを説かず、 今仏世尊の如きも四十余年秘して説かず、(あに)是の法を説く、復難きに非ずや。既に出興懸遠にして法を説くこと亦難し、(あに)容易に之れを聞くことを得んや。縦へ在世に生まると雖も(しゃ)()の三億の如きは(なお)見ず聞かざるなり、況んや(ぞう)(まつ)辺土(へんど)をや。
 故に安楽行品に云わく、無量の国中に於て乃至(ないし)名字をも聞くを得べからず等云云。豈聞法の難きに非ずや。聞法尚爾なり、況んや信受せんをや。応に知るべし、能く聴くとは是れ信受の義なり、若し信受せずんば何ぞ能く聴くと云はんや。故に優曇華に(たと)うるなり、此の華は三千年に一たび現わるゝなり。
 而るに今宗祖の大悲に依て一念三千の法門を聞き、若し能く歓喜して讃めて乃至一言をも発すれば則ち已に一切の三世の仏を供養するに為るなり。

日享上人 註解

○経に曰くとは、方便品比丘偈(びくげ)在り妙法稀有なる(じゅ)である

○無量無数劫とは、劫は劫波の略語で印度国で年期の絶大に長遠なる事に名づけ其れが又小劫中劫大劫等と次第に数字が増上して又其の上に無量又は無数等の多数を示す語が加へられてある、吾が国の人の知り得る億とか兆とかの大数とは飛んでもない桁違ひの想像だも及ばぬ大数である。

○優曇華とは、此れ又印度の理想とも云へる物で世界を統一する転輪聖王出現する時、其の瑞兆(ずいちょう)海中広大である、統一大出現億万年空想であって極々(ごくごく)(まれ)もの妙法容易()てある。

○一切三世仏とは、過去に出で現在に出で未来に出でんとする十方世界の有らん限りの仏の事である。

○記の四の末とは、天台大師が法華経の文々句々を釈せられたが文句(もんぐ)であ法孫(ほうそん)妙楽大師解釈疏記(しょき)である。疏記調二巻つ、其れで「る。

 六四二万とは、六万四万二万の略で次下に(くわ)

○須扇多仏とは、大品般若経にあり住する事半劫で受化の者が無いから法を説かずして入滅せられた。

○多宝如来とは、大論には法を説かずと書いてある、天台大師は此れを解して全く法を説かんでは無い、開三を得れども顕一を得ずと云はれた、顕実即一念三千なる故に今不説と書かれた、又天台は応身にして法を説かざる須扇多、多宝の如きは此の(うん)(じゅん)って二仏慈悲衆生利益(りやく)事無である。

○大通仏とは、化城喩品の中に此の仏出世して諸梵王の請いに応じて十二行法輪を転じ更に十六王子の請いを受け二万劫を過ぎて妙法蓮華経を説くとある、妙法即一念三千であるから今爾か書かれたのである。

○舎衛三億とは、舎衛国は中印度で全印度中に別して釈迦仏に因縁多き仏都であるのに、其の中の三分の一は仏を見て仏の説法を聞いたが、三分の一は仏を見た計りで法を聞かぬ、三分の一は仏を見たことも聞いたこともない、左様に見仏聞法の因縁は難物である。

○像末辺土とは、像法末法は時に約し辺土は処に約す、我が日本国は一般仏教国の上から云へば粟散(ぞくさん)辺土粟粒った小島辺鄙(へんぴ)である、像末悪時辺鄙小国国大印度三億である、大善妙法

○一言を発すとは、今末法の(せん)南無妙法蓮華経であ



                 第二に文相の大旨を示すとは  に続く

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by johsei1129 | 2014-10-19 21:54 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 19日

一念三千に十門の義 【三重秘伝抄第一】

 三重秘伝抄           日寛謹んで記す

 開目抄上に曰く、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを(いだ)けり等云云。
 問うて云く、方便品の十如實相・寿量品の三妙合論(あに)一念三千経文の面に顕然(けんねん)なるに非ずや、宗祖何ぞ文底秘沈と言うや。
 答う、此れ則ち当流深秘の大事なり、故に文少なしと(いえど)も義意豊富なり。若し此の文を(あきら)むる(とき)は一代の聖教鏡に懸けて(くも)り無く、三時の弘経(たなごころ)に在りて覩るべし。故に先哲(なお)分明に之れを判ぜず、況んや予が如き頑愚(がんぐ)(いずく)んぞ之れを解るべけんや。然りと雖も今講次に(ちな)みて文に三段を分かち、義に十門を開き略して文旨を示さん。
 文に三段を分かつとは即ち標・釈・結なり。義に十門を開くとは、第一に一念三千の法門は聞き難きを示し、第二に文相の大旨を示し、第三に一念三千の数量を示し、第四に一念に三千を具する相貎を示し、第五に(ごん)(じつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第六に本迹(ほんじゃく)相対して一念三千を明かすことを示し、第七に(しゅ)(だつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第八に事理の一念三千を示し、第九に正像に未だ弘めざるの所以を示し、第十に末法流布の大白法なることを示すなり。

日享上人 註解

○一念三千法門とは、天台智者大師始めて法華経に依って述べられた法門で下の文に委しくす。

○天台智者とは支那の六朝末、陳と隋との世に在って南岳大師に継ぎて天台法華宗を大成した人、祖書の各篇に在るが委しくは高僧伝・別伝・仏祖統記等に見ゆる。

○十如実相とは、仏の窮め尽くされた方便品の十如是の理法は宇宙万法の実相であって衆生の妄想とは大いに異なるもの委しくは下の文に見ゆる。

○三名合論とは、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙を合せて寿量品の上に説かれたもの、一代聖教とは、釈尊一代五十年の間に説かれた(ひい)

○三時弘経とは、釈尊御入滅後、正法千年・像法千年・末法千年の間に羅漢・菩薩・論師・人師次第に出現して機法相応の小大権実本迹等の聖教を述べて衆生を済度せられた、即ち正像末の三時に弘教するの次第順序である、委しくは諸御書に散在する。

○先哲とは、門内門外の古き学者達。

○頑愚とは、事理に通ぜざるカタクナナル、ヲロカモノで本師自らの卑下の御辞である。。

○講次に因んでとは、因とは態とではなく次はツイデである。開目抄を披いて文底秘沈の文を講ずるついでにと云ふのである。

○標釈結とは、(つう)()順序であは「文相よ。

○大白法とは、大とは小に対し白は黒に対す、猶小少劣に対する大多勝・悪邪麁に対する善正妙の如くである。

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-19 10:07 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 17日

日寛上人、一行の御文から万法をひらく【三重秘伝抄第一】

三重秘伝第一

日寛(つつし)


 正徳第三癸巳(みつのとみ)予四十九歳の秋、時々御堂に於て開目抄を講じ、而て文底秘沈(もんていひちん)の句に至るに其の義甚深にして其の意難解(なんげ)なり。所以に文に三段を分ち義に十門を開く。草案已に畢りて清書未だ成らず、(むな)しく笈の中に(おさ)めて之を披くに(いとま)あらず。
 而る後、享保第十乙巳、予六十一歳の春、
逅邂(こうかい)之を閲するに疎略(やや)多し、故に(ほぼ)添削を加う、敢えて未治の本を留むることなかれ。
 然るに此の抄の中には多くの
大事(だいじ)を示す、此れは是れ(ひとえ)令法(りょうぼう)久住(くじゅう)の為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云。


 日享上人 註解 

○三重等とは、(ごん)(じつ)本迹(ほんじゃく)(しゅ)(だつ)の三相対にして下の第二、文相の大旨を示す等の下に明らかである。此の三重の妙旨は興目嫡流(ちゃくりゅう)にのみ伝ふる所で他門の日蓮各宗の知る所ではないから秘伝と云ふのである。
○抄とは、普通の解釈の通りでよい。本師経釈祖判に依りて此れを抄録せられたのである。
○第一とは、再治本の六巻の第一にある調巻の次第である、草庵本も亦此の序文に依れば第一の始めであったのである。

○於御堂等とは、正徳元年六月師範本山隠居日永上人の召に応じ、上総国細草檀林の化主を辞して登山し、学頭寮に入り事実初代の学頭と為りて祖書の(こう)(えん)である、永上人経営家であった日宥(にちゆう)勇退以後廃絶(まま)蓮蔵中興学頭寮隠棲し、愛弟本師期待()講学復興た、本師講筵学寮であった聴衆等都合間々御堂開目抄(ばか)い。此れ已下享保(きょうほ)三月廿昇進六巻抄草本ったものであろう

○文底秘沈の句とは、本抄の冒頭に標出する開目抄の一念三千云云の文である。

○三段、十門とは、本抄始めの釈文に委しく名目を出してある。

 草案とは稿本即ち、したがきである。

○虚とは、格別に使用せずして(いたずら)手文庫込んだのをふ。

○逅邂とは、普通邂逅と書く、偶然であり何の気無しに云ふと同じ。

○添削とは、足らざるを添へ余れるを削って加減能くする。

○未治本とは、草稿の儘で一回も修治を経ぬ書き放しのもの、未治本として現在する物は雪山文庫に在る末法相応抄であること前の総序に委しく書いてをいた。

○大事とは、宗門の一大事仏家の肝心たる法華本門寿量文底事の一念三千等,他宗他門の徒の(うかが)ひ知る(あた)一大事である。

○末弟等とは、近く直接に此れを云へば当時の僧弟子達で間接には当流の信者即俗弟に被り、遠く此れを云へば未来の僧俗一般に及ぶのである。

○吾が意とは、正義宣揚令法久住の御意衷である。

 已上の註解は本抄の序の文より摘出して加へたのであるが、已下五巻一々に序文が設けられてある。


               一念三千に十門の義 に続く

三重秘伝抄 目次  六巻抄 目次 


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by johsei1129 | 2014-10-17 23:48 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 09日

末法の法華経の行者が逢う大難は釈尊在世に超過せんと説いた【法華行者値難事】

■出筆時期:文永十一年一月十四日(西暦1274年) 五十三歳 御作。
■出筆場所:佐渡ヶ島 一谷(いちのさわ)にて。
■出筆の経緯:佐渡流罪中に富木常忍をはじめとする門下一同に対して与えられた書。「在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り、所謂仏と天台・伝教となり・・・略・・・仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し其の時の大難・在世に超過せん」と説き、伊豆流罪、断首されようとした竜の口の法難、佐渡流罪等々数々の大難に逢った日蓮こそ天台・伝教に超過する法華経の行者であることを門下一同に示すために本書をしたためられている。
尚、本書述作され一ヶ月後の文永十一年二月十四日、鎌倉幕府は佐渡流罪の赦免状を発し、三月八日に佐渡に到着している。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)。

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[法華行者値難事ご真筆:中山法華経寺 所蔵(重要文化財)]
※このご真筆では上下左右の余白にまで書き込まれていて、当時の大聖人の生活が窮乏を極めていたことを指し示している。


[法華行者値難事] 本文

 法華経の第四に云く「如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云。同第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。涅槃経の三十八に云く「爾の時に外道に無量の人有り○心瞋恚を生ず」等云云。又云く「爾の時に多く無量の外道有り和合して共に摩伽陀の王・阿闍世の前に往きぬ○今は唯一大悪人有り瞿曇沙門なり王未だ検校せず我等甚だ畏る。一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為る乃至迦葉・舎利弗・目けん連」等云云。如来現在猶多怨嫉の心是なり。得一大徳天台智者大師を罵詈して曰く「智公汝は是れ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」と。又云く「豈是れ顛狂の人に不ずや」等云云。南都七大寺の高徳寺・護命僧都・景信律師等三百余人・伝教大師を罵詈して曰く「西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云。秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云。

 夫れ在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り。所謂仏と天台・伝教となり。真言宗の善無畏・不空等・華厳宗の杜順・智儼等・三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人人なり。竜樹・天親等の論師は内に鑒みて外に発せざる論師なり。経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず。而るに仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し。其の時の大難・在世に超過せんと云云。仏に九横の大難有り。所謂孫陀利の謗と金鏘と馬麦と琉璃の釈を殺すと、乞食空鉢と旃遮女の謗と調達が山を推すと、寒風に衣を索むるとなり。其の上一切外道の讒奏上に引くが如し。記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず。

之を以て之を案ずるに末法の始に仏説の如く行者世に出現せんか。而るに文永十年十二月七日・武蔵の前司殿より佐土の国へ下す状に云く、自判之在り。

 佐渡の国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由其の聞え有り。所行の企て甚だ以て奇怪なり。今より以後、彼僧に相い随わん輩に於ては炳誡を加えしむ可し。猶以て違犯せしめば交名を注進せらる可きの由の所に候なり。仍て執達件の如し。

文永十年十二月七日 沙門 観恵上る
依智六郎左衛門尉等云云。

 此の状に云く「悪行を巧む」等云云。外道が云く「瞿曇(※釈尊)は悪人なり。等云云。又九横の難一一に之在り。所謂琉璃殺釈と、乞食空鉢と、寒風索衣とは仏世に超過せる大難なり。恐くは天台・伝教も未だ此の難に値いたまわず。当に知るべし、三人に日蓮を入れ四人と為す。法華経の行者末法に有るか。喜い哉、況滅度後の記文に当れり。悲い哉国中の諸人阿鼻獄に入らんこと。茂きを厭うて之を子細に記さず。心を以て之を推せよ。

文永十一年甲戌正月十四日           日 蓮 花押
一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ。

追て申す、竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず。此に口伝有り。天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と、之を残したもう。
所詮、一には仏・授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来れり、四菩薩出現したまわんか。日蓮此の事先ず之を知りぬ。西王母の先相には青鳥、客人の来相にはかん鵲是なり。各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ。設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。

 富木・三郎左衛門の尉・河野辺・大和阿闍梨等・殿原・御房達、各各互に読聞けまいらせさせ給え。かかる濁世には互につねに・いゐあわせて、ひまもなく後世ねがわせ給い候へ。

     河野辺殿等中
謹上  大和阿闍梨御房 御中
     一切我が弟子等中                 日 蓮
     三郎左衛門尉 殿
     富木殿

by johsei1129 | 2014-10-09 22:51 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 06日

101 地頭の謗法

身延の地頭、波木井(はきり)(さね)(なが)が信心に目ざめたのは日興の折伏による。日蓮が身延に居を移したのは日興の力があった。これはすでに述べた。このことはだれも口をはさむことはできない。

伯耆房日興が日蓮に出会ったのは、十二歳の時だった。いらい日蓮を親とも主とも師とも慕って今日まできた。

日興は師亡きあと、教団の統率者として師の教えを忠実に守り、後世に伝えようとした。弟子の育成にも必死だった。

だが時の経過とともに日興からはなれていく者がでてきた。師の日蓮は「身はをちねども心をち(あるい)は心は・おちねども身はおちぬ」の言葉をのこし、信念を続けることがいかに困難かを説いていた。このことは日蓮の死後にも現実化した。

六老僧は日蓮から前もって月単位で墓番を命じられていた。しかし日興以外の五人は三年とたたずに身延を去った。

日昭は相模浜土へ、日朗は鎌倉へ、日頂は下総へ下っていった。五人は墓守で一生を終わりたくはなかったのだろうか。彼らは若僧をつれて去ってしまった。

予想していたとおりだった。わずか三年で日蓮の墓は荒れはてる。

何事よりも身延沢の御墓の荒れはて候て鹿かせきの(ひづめ)(まのあ)たり(かか)らせ給ひ候事、目も当てられぬ事に候 『美作公御房御返事

日蓮の墓は鹿のひづめで荒廃していたのである。信じられない話だが、だれも手をつける者がいない。
 日興の困難はさらにつづく。

日興は師亡きあと、九年のあいだ身延山に住み法を弘めたが、地頭波木井実長の邪義のため、離山を余儀なくされた。

波木井の邪義とは四つあった。日興は冷静にしるしている。

釈迦如来を造立(ぞうりゅう)供養して本尊と()し奉るべし、是一。

次に聖人御在生九箇年の間停止(ちょうじ)せらるゝ神社参詣其の年に之を始む、二所(にしょ)三島(みしま)に参詣を致せり、是二。

次に一門の勧進(かんじん)と号して南部の郷内のふく()()の塔を供養奉加(ほうが)之有り、是三。

次に一門仏事の助成と号して九品(くほん)念仏の道場一宇を造立し荘厳(しょうごん)せり、甲斐国其の処なり、是四。

已上四箇条の謗法を教訓する義に云はく、日向(にこう)これを許す云々。この義に依って()ぬる其の年月、彼の波木井入道並びに子孫と永く以て師弟の義を絶し(おわ)んぬ。仍って御廟(ごびょう)(あい)(つう)ぜざるなり。  『富士一跡門徒御存知の事
  

波木井の所行は日蓮の教義とあい容れない。波木井は日蓮と同じ土地にいながら日蓮の精神を理解できなかった。仏法の理解は距離とは関係ないことがわかる。

本尊は釈迦ではなく妙法の七字を建立する。神社参拝は災いをうける。善神はすでに社を去り、悪鬼のみがのこっているからだ。立正安国論のとおりである。まして念仏の建物を建て供養するなど、なにをかいわんやである。

さらに信じがたいのは、この邪義を五老僧の一人、民部日向が許したということだった。

日興はこの数々の謗法を『原殿御返事』に克明に記録している。以下はそれをたどってみることにする。

日興は最初、波木井の所行に愕然とした。

(そもそも)此の事の根源は去る十一月の(ころ)、南部孫三郎殿、此の御経聴聞のため入堂候の処に此の殿入道の(おおせ)と候て念仏無間(むけん)地獄の由聴き給はしめ奉る可く候なり、此の国に守護の善神無しと云ふ事云はるべからずと承り候し間、是れこそ存の(ほか)の次第に覚え候へ、入道殿の御心替らせ給ひ候かと、はつと推せられ候

日蓮滅後六年目の十一月の頃という。日興四十一歳のことである。

波木井一族の南部孫三郎という者が参詣し、実長の言葉を伝えた。

実長は日蓮がとなえた念仏無間地獄の義は了解したが、この国に守護の善神がいないことは納得できないという。神社参詣を肯定するかのような発言だった。日興ははじめて聞く地頭の唐突な言葉に衝撃をうけた。

日興は懸命に孫三郎を説得した。いま神社には悪鬼しか住みついていない。これは亡き師日蓮の教えではないか。

此の国をば念仏真言禅律の大謗法故、大小守護の善神捨て去る間、其の跡のほ()らには大鬼神入り(かわ)りて国土に飢饉・疫病・蒙古国の三災連々として国土衰亡の由、故日蓮聖人の勘文関東三代に仰せ含められ候ひ(おわん)ぬ、此の旨こそ日蓮阿闍(あじゃ)()の所存の法門にて候へ、是を国のため世のため一切衆生のための故、日蓮阿闍梨、仏の使いとして大慈悲を以って身命(しんみょう)を惜しまず申され候きと談して候

しかし実長と同心の孫三郎は納得しない。

ここで孫三郎は重大なことをいった。この神社参詣について、身延と鎌倉で異論がおこっているというのである。

孫三郎殿、念仏無間の事は深く信仰(つかまつ)り候(おわん)ぬ、守護の善神此の国を捨去(しゃこ)すと云ふ事は不審未だ晴れず候、其の故は鎌倉に御座(おわ)し候御弟子は諸神此の国を守り給ふ(もっと)も参詣すべく候、身延山の御弟子は堅固に守護神此の国に無き由を仰せ立てらる条、日蓮阿闍梨は入滅候、誰に()ってか実否を決す可く候と(くわ)しく不審せられ候

当時、鎌倉の弟子たちは神社参拝を認め、日興のいる身延は断固として認めなかった。

孫三郎の迷いはさめない。

師の日蓮は世を去った。神社参りが是か非かは決められないではないか。根本の師が世を去ったのだ。それならば新たな法義を立てるべきだといいたいのである。心中に後継者の日興を軽視する態度がみえる。

日興はこれにたいし、すべては師日蓮の遺言をもとに判断すべきであると訴える。いわゆる立正安国論をはじめとした御書とよばれる指針である。

二人の弟子の相違を定め玉ふべき事候、師匠は入滅候と申せども其の遺条(ゆいじょう)候なり、立正安国論是れなり、私にても候はず三代に披露し玉ひ候と申して候しかども尚御心中不明に候て御帰り候ひ畢んぬ。

日興は師がいない以上、われわれは師の書、いわゆる御書によって道を決めるべきだと諭した。熱をこめて説いたが、孫三郎は疑念をいだいたまま帰ってしまった。

日蓮滅後わずか七年後のことである。

早くも七年にして日蓮の法義が危うくなっていたのには驚かされる。神社参詣についても宗門の中で意見がわかれていたのである。

この遠因は孫三郎が三島の神社に参詣しようとしたことがはじまりだった。日興はこれを聞き、夜半おなじ波木井一族の弟子である越後公をつかわして叱責した。

是れと申し候は此の殿三島の社に参詣渡らせ給ふべしと承り候し(あいだ)夜半に出で候て越後公を以ていかに此の法門安国論の正意、日蓮聖人の大願をば破し給ふ可きを御存知ばし渡らせをはしまさず候かと申して永く留め(まい)らする

三島とは静岡県三島市伝馬町にある三島神社のことである。かつて源頼朝が平家追討の挙兵にあたって戦勝を祈願した。いらい鎌倉幕府の崇拝をうけ、伊豆山神社とともにニ所(もうで)として毎年正月、将軍自らが参詣した。そのため多くの武士の崇拝をうけていた。

孫三郎も幕府の一員として気軽に参賀しようとしたのである。

日興はこれをきびしく叱った。

あなたはなぜ日蓮聖人の御心を御存知ないのか。神社不敬は師日蓮の法義であることを、なぜわからないのか。

孫三郎は甲斐源氏の血をひく名門南部氏の一人である。日興の忠告はおもしろくない。

この出来事が実長の耳に入った。ここで実長は五老僧の一人民部日向(にこう)の意見をきいた。

驚くことに日向は日興の義をしりぞけた。

彼いわく、日興は日蓮の法門を理解しておらず、仏法の極みを知らないという。日向は言った。

()守護の善神此の国を去ると申す事は安国論の一篇にて候へども、白蓮阿闍梨()(てん)(よみ)に片方を読んで至極を知らざる者にて候、法華の行者参詣せば諸神も彼の社壇に(らい)()す可し(もっと)も参詣す可し()()()()()()()()

日興は実長に直談判して神社参詣を問いただしたが、実長はこれを日向の教えであると反論した。日向と実長は身延山の主である日興を見下していた。

日向は五老僧の中でただ一人、甲斐にもどってきていた。日興は喜んで彼を学頭職につけている。日興と日向とは熱原の法難で苦楽をともにした仲だったのだ。うれしくないはずがない。学頭とは僧侶教育の要職である。その日向が日蓮の法義を曲げようとしていたのである。

日興にとって神社不参拝は当たり前のことである。このことは日蓮のもとで幾度も薫陶を受けていた。耳には今も日蓮の言葉がのこる。

其の上此の国は謗法の土なれば、守護の善神法味に()へて(やしろ)をすて天に上り給へば、悪鬼入り()はりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔寺社は(いたずら)に魔縁の(すみか)と成りぬ。国の(つい)え民の(なげ)きにて、い()かを並べたる計りなり。(これ)私の言にあらず経文にこれあり、習ふべし。諸仏も諸神も謗法の供養をば全く()け取り給はず、况んや人間としてこれを()くべきや。 『新池御書



                   102 五老僧の邪義  につづく
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by johsei1129 | 2014-10-06 14:30 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback(1) | Comments(0)
2014年 10月 03日

95 時光の蘇生

弟の突然の死があっても、時光の信心はゆるぎなかった。

彼は懸命に日蓮を援助した。熱原の法難もかげで支えた。このことは鎌倉で知らぬ者はない。

このため幕府はいよいよ時光を快く思わない。人々も悪人のように憎む。時光は地頭でありながら、幕府を公然と批判する日蓮の信徒であると。幕府は多くの公事をおしつけてせめた。

時光は乗る馬もなく、妻は衣もなくなったという。それでも彼は銭一貫文を日蓮のもとにおくった。なんという若者であろう。

 日蓮は貧窮する時光をはげます。

「仏にやす()やすとなる事の候ぞ、()しへまいらせ候はん。人のものををし()ふると申すは車のおも()けれども油をぬりてまわり、ふね()を水にうかべてゆき()やすきやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃(かんばつ)かわ()けるものに水をあたへ、寒冰(かんぴょう)こご()へたるものに火をあたふるがごとし。又二つなき物を人にあたへ、命の()ゆるに人の()にあふがごとし。<中略>月氏国に()(だつ)長者と申せし者は七度貧になり、七度長者となりて候いしが最後の貧の時は万民皆()げうせ死にをはりて、ただ、()おとこ()二人にて候いし時、五升の米あり五日のか()てとあて候いし時、迦葉(かしょう)・舎利弗・阿難・(らご)()・釈迦仏の五人、次第に入らせ給いて五升の米を()ひとらせ給いき、其の日より五天竺第一の長者となりて、祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)をばつくりて候ぞ、これをもつて・よろづを心()させ給へ」『上野殿御返事(須達長者御書)』

仏にたやすく成る道があるので教えて差し上げよう。人がものを教えるというのは、車が重い時でも油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて往来し易くなる様に教えるのである。仏に成り易い道というのは特別なことではない。旱魃で(のど)の渇いた人に水を与え、寒さで凍えた人に火を与える様な事である。又二つとない物を人に与え、命が絶えようとしている時に、人に施す事である。<中略>

 インドの須達長者という人は七度貧乏になり、七度長者となったが、最後は万民が皆逃げ去り死に絶えて、夫婦二人だけになった。その時五升の米があり五日分の糧に充てようとしていた時、迦葉・舎利弗・阿難・羅睺羅・釈迦の五人が次々に入って来て、五升の米を乞われたので全て差し上げた。その日から全インド第一の長者になって祇園精舎を造ったのである。この例に(なら)って万事を心がけていきなさい。


 こうして平穏にもどったかと思われた矢先、またも悲劇がおそいかかった。

時光本人が重病となったのである。

病のしらせは前年の九月に日蓮のもとにとどいていた。

御使ひの申し候を承り候。是の所労(しょろう)難儀のよし聞こえ候。いそぎ療治(りょうじ)をいたされ候ひて御参詣有るべく候。 『南条殿御返事:弘安四年九月十一日 六十歳御作』


 周囲の期待とはうらはらに病状は重くなった。

病名は不明である。しかし確実に死にいたる病だった。薬もきかない。父兵衛七郎、弟五郎につづいて時光の番となったのである。時光はまだ二十三歳の若者なのだ。南条家はあきらかに短命の宿業をもっていた。

翌年の二月にはいり、ついに時光は危篤となった。

日蓮は事の重大さを知り、病床から身をおこして日朗に口述筆記させ、伯耆房日興に時光にに()を飲ませるよう指示した。

符とは経文を灰にして水にまぜた薬である。

日蓮はこのたびの時光の病がたとえ定業(寿命)であったとしても、なんとしても命を伸ばそうと必死だった。

兼ねて又此の経文は廿八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母の、ひと()ゝせ()御所労御大事にならせ給ひ候て、やがて死なせ給ひて候ひし時、此の経文をあそばし候て、浄水をもってまいらせさせ給ひて候ひしかば、時をかへずいきかえらせ給ひて候経文なり。なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえん()まわう(魔王)たすけさせ給へと御せい()()ん候。明日(とら)()(たつ)(こく)しや()うじがは(進河)の水とりよせさせ給ひ候て、このき()もん()はい()にやきて、水一合に入れまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言。

  二月廿五日          日朗花押

謹上 はわき公御房            『伯耆公御房御消息

日蓮はこの書で「たとえ寿命だとしても、今度ばかりは閻魔大王助け給え、と御誓願候」とまで言い切っている。
 符の由来は、教主釈尊が乳母であり育ての母だった
摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)、マハープラジャーパティーの重病を救った故事による。

日蓮が符をつかうのははじめてではない。

十年前、四条金吾の妻日眼女が懐胎した時、安産のための符をおくっている。

懐胎(かいたい)のよし承り候い(おわ)んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承(そうじょう)の中より(えら)み出して候、()く能く信心あるべく候。たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つ()ぎなれども、わる(臆病)びれたる人のためには何かせん、就中(なかにも)夫婦共に法華の持者なり、法華経流布あるべきたね()をつぐ所の玉の子出で生れん()()(たく)覚え候ぞ。色心二法をつぐ人なり、(いかで)かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり 『四条金吾女房御書


 そして符を与えた翌日、四条家に無事女の子が誕生し、日蓮はよろこんで生まれた子を(つき)(まろ)御前と名づけている。

日蓮は自らしたためた法華経薬王品の経文を焼き、その灰を寅卯辰の刻すなわち午前三時から午前九時までの間に、精進河の水一合で調合し、時光にあたえるよう指示した。精進河はのちに精進川とよばれ、今も地名がのこる。

薬王品の二十八字の経文とはおそらくつぎの文であろう。

 此経則為。閻浮提人。病之良薬。若人有病。得聞是経。病則消滅。不老不死。

(此の経は則ち閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、此の経を聞くこと得ば、病即ち消滅して不老不死ならん)

()の効用とは一体なにか? 日蓮は晩年、自分の「やせやまい」に関して、医師でもあった四条金吾が調合した薬を服用して良くなったと消息に書いている。また病気の起こる原因について次のように記している。

病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順(環境不順)ならざる故に病む、二には飲食(おんじき)(せつ)ならざる故に病む、三には坐禅調わざる故に病む、四には鬼(伝染病)便(たよ)りを得る、五には魔の所為(精神病)、六には業(宿業)の起るが故に病む(大田入道殿御返事)」

このうち一から五までは医療で治すことができる。六の業(宿業)が原因の病だけは法華経の信仰で罪障消滅しなければ治らない。
 では符の効用はとは何か
? 日蓮はどのような効用があると考えていたのか
? 
 実際に日蓮が実際に符を使った例は極めて少ない。日眼女が懐胎した時に使用した例を考えれば、これは精神的な不安を取り除くために提供したのではないかと推察される。懐妊は病気ではない。しかし初産であれば不安がつのる。そのため日眼女は大聖人に符のご下付を願い、日蓮も応じたと思われる。
 では時光の場合はどうであったろう。
 時光は病が重篤であると使いの者を日蓮のもとに行かせた際、一頭の馬を供養している。馬の供養を記した御書はこの時だけで、極めて異例である。この馬の供養は、時光が自身の命が残り少ないと感じ、自身の身代わりとして自分と共にした愛馬を贈ったのではないかと推察される。日蓮はそれほどまで追い詰められた時光に
「まだ諦めるのは早い。私がついている」
と時光の生きる気力を奮い立たせるために、()
われたわけではないのに自ら進んで符を与えたのではないか。日眼女に与えた符は特にどの経文とも記していない。しかし時光に与えた符は「此の経文廿八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候」と明示している。
 色心不二は仏法の基本原理である。日興から日蓮の言葉を聞き、符を受けとった時光は、まちがいなく今一度生きる気力を奮い立たせ、内在する自然治癒(ちゆ)
力を増したことであろう。
 一般的に新薬を治験するとき、必ず治験薬を飲むグループと
でんぷんなどで作ったプラセボ
(偽薬)を飲むグループに分けて比較し、厳密な効果を計測するという。つまり偽薬と知らせないで治験薬だとして飲ませても、人によっては薬を飲んだという安心感で自然治癒力を引き出し効果がでるケースがあるという。

日蓮は思う。

自分の死後、弟子たちにさまざまな苦難があるだろう。だが日蓮の弟子と名のる者はあらゆる困難をこえねばならない。こえなければ未来はない。

またその弟子たちをささえるのは信徒檀那である。日蓮はその法華講衆の要となるのが南条時光であるとみた。それゆえになんとしてでも時光を蘇生させねばならぬ。

日朗に口述筆記させた三日後の二月二十八日、日蓮は寝たきりだったが時光のためにおきた。そして最後の力をふりしぼり、消息を書く。

宛先はだれでもなく、時光に巣くう病魔鬼神にむけたものである。

文字どおり生きるか死ぬか、生かすか殺すかの書である。
 全編鬼気がせまる。

かなる過去の宿習にて、かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候、上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が、法華経計りをば用いまいらせず候いけれども、仏くやう(供養)の功徳莫大なりければ・謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候、此れをば台の御釈に云はく「人の地に倒れて(かえ)って地より起つが如し」等云云。地に()うれたる人は、かへりて地よりをく。法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には( )うれ候へども、かへりて法華経の御手(みて)にかゝりて仏になるとこと()わられて候。

 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば(あるい)は所領或は田畠等にわづらいをなし、結句(けっく)は命に及ぶ人々もあり。信じがたき上、ちゝ()・故上野は信じまいらせ候ひぬ。又此の者嫡子(ちゃくし)となりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上下万人に、あるいはいさめ或はをどし候ひつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。

命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ、此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵(おんてき)となるか。あなかしこあなかしこ。此の人のやまいを(たちま)ちになをして、かへりてま()りとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破(ずは)(しち)()(とが)に行なはれ、後生には大無間地獄に()つべきか。永くとゞめよ永くとゞめよ。日蓮が(ことば)をいやしみて後悔あるべし。後悔あるべし。

  二月二十八日

 伯耆房に下す        『法華証明抄

 日蓮は弘安二年十月十二日の大御本尊の建立で出世の本懐を成し遂げた。また弟子に対して末法の本仏としての法華経の講義も弘安三年五月二十八日に終えている。自身滅後の後を託す日興には一月十一日「百六箇抄」の口伝を終えている。ここで滅度しても全く悔いはない。あるいは日蓮は、時光の寿命を延ばすことができるなら、残された寿命は時光に与えても構わないと祈ったとしても不思議ではない。熱原の三烈士は日蓮に大御本尊建立の機縁を与えた。その熱原の農民信徒を外護したのは弟子の日興であり、信徒では南条時光その人だった。
 日蓮は竜の口に向かう途中、馬からおりて八幡大菩薩を叱りつけた。「日蓮今夜
(くび)切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神、正八幡こそ起請(きしょう)を用いぬかみ()にて候いけれと、さしきりて(指し示して)教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。いたしとおぼさばいそぎいそぎ御計(おんはか)らいあるべし(種々御振舞御書)」と。このたびも「
鬼神」らを叱りつけたのである。

南条時光は快方にむかった。見事に時光は蘇生した。彼はこの日からちょうど五十年の寿命をうけ、一生を法華経の信心で貫き通した。日蓮亡き後、自分の領地を提供して伯耆房日興をまねき、今の大石寺の基礎を築いた。そして時光は七十四歳で波乱に満ちた、しかし日蓮に生涯殉じた潔い生涯を終える。彼の所領だった富士の麓の上野郷はいま、日蓮大聖人、日興上人を慕う世界各国の僧俗であふれている。

法華経如来寿量品に「(きょう)()寿命」とある。さらに寿命を(たま)うの意味である。

釈迦は阿闍(あじゃ)()王に四十年の命をあたえ、天台大師は兄に十五年の命をあたえたと伝えられている。そして日蓮は母の寿命を四年のばし、南条時光に五十年の命をあたえたのである。


        96  妙覚の山へ につづく

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by johsei1129 | 2014-10-03 19:13 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)