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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 09月 29日

70 兄宗仲の勘当

建築現場で大工たちがいそがしく働く。

作事は足代がくみあげられ、躯体が完成間近である。

兄宗仲が指図する。弟の宗長はその指示をわかりやすく大工に説明した。指図するだけではない。兄弟は大工たちと同じく鋸や金槌で作業にあたった。

当時の大工職人は身分が低い。大工たちは同じ汗を流す兄弟を慕った。

みなの息が合っている。工事ははかどっていた。

これから壁のとりつけがはじまる時だった。

父康光が登場した。

兄弟がいつものようにひかえる。工人たちもあつまって平伏した。

康光が声高に言った。

「この建物は鎌倉殿からじきじきの命をうけ、奉行であるこの康光がうけたまわりしもの。おのおの抜かるでないぞ。とくに火のもとには十分気をつけよ。また本日は、おぬしらに伝えることがある。今日よりこの池上宗仲を勘当することとあいなった。今日の件はこれにて」

康光が去る。

あっという間だった。

当の宗仲は毅然と正面をむいている。

だが弟の宗長をはじめ一同は驚愕した。まさか勘当とは。

落胆する者がいる。みながあっけにとられて、ふらふらと作業場にもどった。

弟の宗長が康光の(たもと)をつかんだ。

「父上、なにとぞお考えのほどを。兄上はつぎの棟梁ではあったはず。ここで兄上を勘当いたしては作事もとどこおります。池上の家名にもかかわること。なにとぞ勘当はお解きになってくださいませ」

康光の返答はこれまでにまして冷酷だった。

「宗仲は人夫におとす」

宗長は最悪の事態になったと困惑する。

こんどは康光が弟の宗長に詰問した。

「宗長、法華経の信心をやめるつもりはないのか。わしとて、このようなことはしたくはなかった。お前の兄が強情なばかりに、こんなことになったのだ。お前だけでもよい。法華経を捨てて、念仏を信ずる気はないのか」

宗長のやさしい性格は好感をもたれている。反面、彼は自分の意思を明確にするのが苦手だった。決意がぐらつくのだ。法華経の信心も兄がはじめたからである。だが今は父の怒りがあっても、兄を慕う気持ちのほうが強かった。
 宗長はいっとき思案のうえ、康光に告げる。

「父上、わたしは日蓮上人を信じております。お願いでございます。どうかこの信心だけはつづけさせてください」

康光は憮然として現場を後にした。

甲州身延の日蓮の館では弟子たちが狭い室内に密集し講義を聞いていた。日蓮の真正面に池上兄弟がいる。

口調はいつになくけわしかった。

「この世界は第六天の魔( )の所領である。一切衆生は無始以来、彼の魔王の眷属です。六道の中に二十五(にじゅうご)()(注)と申す牢をかまえて一切衆生を入れるのみならず、妻子と申す足かせ()をうち、父母主君と申す網を空にはり、(とん)(じん)()(注)の酒を飲ませて仏性の本心をたぼらかす。ただ悪の(さかな)のみをすすめて三悪道の大地に(ふく)()せしむ。たまたま善の心あれば障碍(しょうげ)をなす。法華経を信ずる人をば、いかにもして悪へおとさんと思うに(かな)わざれば、ようやくすかさんがために(そう)()せる華厳経へおとす。または般若経へおとす、また深密経へおとす、また大日経へおとす、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証これなり。また禅宗へおとす、達磨(だるま)これなり。また観経へすかしおとす悪友は善導・法然これなり。これは第六天の魔王が智者の身にはいって善人をたぼらかすことをいう。法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説くのがこれです。

我らは過去に正法を行じる者に仇をなしていましたが、今かえりて信受すれば過去に人をおとしめる罪によりて、未来に大地獄に堕つべきところを、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして小苦にあう。

このさざまな果報をうける中に、あるいは貧しい家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは王難にあう。この中に邪見の家と申すは、正法を誹謗する父母の家である。王難と申すは悪王に生まれあうことをいう」    

日蓮は兄弟をみつめた。

「この二つの大難は、おのおのの身に当たりて思うであろう。過去の謗法の罪を消そうとして邪見の父母に責められている。また法華経の行者をあだむ国主にも遭った。経文明々たり、経文かくかくたり。()

わが身は過去に謗法(ほうぼう)の者であったことを疑ってはなりません。これを疑って、現世の軽い苦しみが忍びがたくて、父上の責めに耐えきれず、思いのほかに法華経を捨てることがあるならば、我が身地獄に()ちるのみならず、父も母も(だい)阿鼻(あび)地獄におちて、ともに悲しむこと疑いなかるべし。大道心と申すはこれです。

おのおの随分に法華経を信じるがゆえに、過去の重罪をせめ出だしたのです。たとえば黒鉄(くろがね)をよくよく(きた)えぬれば、きずあらわる。石は焼けば灰となる。(こがね)は焼けば真金(しんきん)となるように。このたびこそ、まことの御信用はあらわれて法華経の(じゅう)()(せつ)も守護いたすであろう。それにしても心浅からんことは後悔することになる。  

おのおのが責められるのは、つまるところ国主が法華経の(かたき)となったがゆえです。国主が敵となることは念仏者、真言師などの謗法よりおこった。

このたびはこれを忍んで法華経の御利生を試みてくだされ。日蓮もまた強盛に天に申しあげよう。いよいよおじ気づいた心根・姿があってはなりませぬ。女人はかならず心弱いために心をひるがえすであろう。強情に歯がみをして、たゆむ心があってはなりませぬ。たとえば日蓮が(へいの)左衛門尉のもとにてうちふるまい言いしがごとく、少しも怖気(おじけ)づく心なかれ。
()()()()()() なにとなくとも、一度の死は一定(いちじょう)です。色をば()しくて人に笑わせたもうな。

一生の間、賢かった人も一言で身をほろぼすこともある。おのおのも御心のうちは知らず、おぼつかない。

世の中にも兄弟おだやかならぬ例もある。いかなる(ちぎ)りであなたがた兄弟はそのようにむつまじいのか。宗仲殿の父上の勘当はうけたが、弟殿はこのたびは、よも兄にはつかないであろう。そうなれば、いよいよ宗仲殿の親の御不審は、おぼろげでならでは許されぬと思っていたが、まことにてや、同心と申されたという。あまりの不思議さ、未来までの物語、なにごとかこれにすぎよう。

たとえ、どんな煩わしい事があっても夢になして、ただ法華経の事のみ思案してくだされ。中にも日蓮の法門は昔は信じがたかりしが、いまは先々言い置きしこと、すでに合いぬれば(よし)なく謗ぜし人も悔ゆる心あり。たといこれよりのちに信ずる男女ありとも、おのおのには替え思うべからず。始めは信じていながら世間のおそろしさに捨つる人、数を知らず。その中にかえってもとより謗ずる人々よりも、強盛にそしる人々また多くある」

兄弟の馬が山道をおりていく。日蓮の指導をうけ、心は晴れ渡った青空のような気分で身延の険しい山をおりていった。

宗仲が弟、宗長をはげます。

「ここがふんばる時だな」

宗長がうなずいた。

「今日はきてよかったです。兄上、おたがい堕ちないようにいたしましょう」

「そうだな。二人いれば心強い。一人おちてもまだ一人いる」

宗仲と宗長の兄弟は来た時とはうってかわって馬上で高笑いしながら帰途についた。

日蓮と弟子の日朗は、そろって館の外に出て武蔵国へ帰る兄弟を見送った。日朗は兄弟の母方のいとこだった。それだけに池上兄弟の行くすえが不安だった。

「上人、あの兄弟は親の反対をおしきって法華経の信心をとおしていけるのでしょうか」

日蓮は大丈夫だとばかり二度三度黙って頷き、遠くなる二人をいつまでもみつめていた。

兄弟同士が争うことはいつの代でもある。むしろ武家政治の勃興期である鎌倉時代の武士であれば、兄弟で争わないほうがおかしいくらいだ。この点、池上兄弟の仲の良さは、この時代にはきわめて稀有だったといえよう。

日蓮は兄弟で覇権を争った古今の例をひく。

我が朝には一院・さぬきの院は兄弟なりしかども位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ。当世()()たりて、此の世のあや()をきも兄弟のあ()そいよりをこる。大将殿と申せし賢人も、九郎(くろう)判官(ほうがん)等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失はれ給ふは眼前の事ぞかし。『兵衛志殿御返事

一院とは後白河上皇、さぬきの院とは崇徳天皇のことである。兄弟でありながら皇位をあらそって保元の乱をひきおこした。敗れた崇徳天皇は配流先で怨霊になったという。日蓮は「今に地獄にやをはすらむ」といっている。主上であれなんであれ、血で血を洗えば冷徹な結果がまつ。

大将殿とは源頼朝、九郎判官とは義経のことである。頼朝は異常な猜疑心で義経らの兄弟をつぎつぎに滅ぼした。そのゆえか彼の死後、子孫はことごとく滅ぼされ、征夷大将軍として頼朝が開いた鎌倉幕府の実権は、正室政子の本家北条氏に握られてしまう。
 池上兄弟はいかなることになるのか。

日蓮は遠い甲斐の山から兄弟を案じた。

宗仲が勘当になってから、はや二ケ月がたった。

建築現場では棟上げが進んでいく。

池上兄弟が半裸で工人たちにまじった。

兄宗仲は人夫に落ちていた。もう作事奉行の長男ではない。勘当を解くため、あらゆる人々が嘆願したが父の怒りは消えなかった。作事奉行の家の内紛である。鎌倉で噂にしない者はなかった。

夕暮れ時の仕事を終え、疲れきった兄弟が大きな道具箱を肩に背負って帰る。()

西日が二人をまぶしく照らし、後ろに長い影がさした。

宗仲がほほ笑んで弟をはげました。

「しかし人夫にとってはきつい毎日だな。だがわしは負けない。おぬしが棟梁としてしっかり束ねているから心強いぞ」

宗長は申し訳なさそうにうなずくだけだった。

兄弟がわかれた。

弟宗長が一人歩く。いつもとちがう道だった。

途中に酒場がある。

その中に一目で御家人とわかる若者たちが、遊女をまじえて酒を酌みかわしていた。

宗長がぼんやりとその様子をみつめた。

彼らがやけにまぶしくみえる。

それにひきかえ自分は土や汗にまみれている。なぜか恥ずかしい思いがした。

ここで瞬間、宗長は我を忘れた。

どうしたことであろう。

宗長が彼らと愉快に飲んでいる妄想にとらわれた。

兄の宗仲が館に着いた。

妻は出迎えず奥で縫物をしていた。

宗仲はにがみばしった顔で部屋へはいった。

沈黙がつづく。

宗仲が切りだした。

「いつまでだまっているのだ。しかたないではないか。わしとて、どうしてもゆずれぬことがあるのだ」

妻が背中でいった。

「世間で評判でございます。池上の跡取りが人夫におちたと」

下女が膳をはこんできたが豆と汁しかない。

「なんだこれは」

「これから苦しくなります。年貢など当てにできませぬ。それもこれも、あなたの強情からはじまったことでございます」

宗仲が妻に頭をさげた。

「たのむ。こらえてくれ。わしも考えた。自分の気持ちを曲げて、後継ぎになってよいかどうか。やはりひきさがるわけにはいかんのだ」

妻が正面をむいた。

「あなた、そんなに信心が大事なのですか。この家がどうなるのか、わかっておいでですか。よくお考えください。お父様のいうとおり念仏を唱えてもよいではありませぬか」

「なにをいう」

妻が目を細くした。

「形だけ阿弥陀を信じて、内心は法華経を信じるのはいかがでございます。そうなればあなたは池上の棟梁、わたしは・・」

宗仲が箸をおいた。

「それはならぬ。そんな誤魔化しの信心では先が見えている」

妻が反論することもなく奥に引きこもった。

弟宗長が疲れた顔で帰宅した。妻が笑顔でむかえる。

下女が食膳を運んできて、和やかな食事がはじまった。

妻の笑顔が絶えない。

宗長が聞いた。

「どうした。なにかいいことでもあったか」

「いえ、あなたを見直しましたわ」

宗長が首をかしげる。

「あなたはお兄さまが勘当されても、お兄さまに味方されております。今日、市場でうわさを聞きました。お兄さまが勘当されたのだから、弟が跡目をつぐだろうと」

「そうか。そんな話がでているか」

「でもあなたはお兄さまを立てて、信心をたもっていらっしゃる」

宗長が箸をとった。

世間の目が自分にそそいでいる。これからどうしたらよいのか。

この時、玄関に人の気配がした。

身なりのよい若い僧が立っていた。見かけない顔だ。

若い僧はさわやかな声でつげた。

「極楽寺良観様の弟子、入沢入道と申します。ご挨拶にまいりました。お近づきのしるしにこれを」

入沢は籠の中に入った品物をさしだした。その中には輝くばかりに美しい小袖や(かたびら)が何枚もしきつめられていた。

宗長夫妻があっけにとられた。無理もない。こんな家に付け届けなど、未だかつてなかったのだ。

若僧はそそくさと帰った。

夫妻が籠を居間にはこんだ。いやに重い。それもそのはず、籠の底には真新しい銅銭がぎっしりとつめてあった。

「まあ、なんてことでしょう」

妻は目を輝かせたが、宗長はいいようのない不安にかられた。
 極楽寺良観は法華信徒が目の敵にしている相手である。
 それがなぜ。

鎌倉に明るい日ざしが照りつけていた。

貧相な帷子(かたびら)の宗長が、籠をかかえて鎌倉の町をゆく。

彼は表情をこわばらせて極楽寺の境内にはいった。宗長は届け物を返すつもりでやってきた。自分を念仏に改宗させる魂胆だろうがそうはさせない。

極楽寺はまばゆいばかりの金箔で飾られていた。火災で灰燼に帰したことが嘘のようである。

玄関で可憐な少女がむかえた。宗長は驚いた。こんなきれいな娘が世の中にいたのか。

つづいて入沢入道がでてきた。

「これは池上宗長様。よくおこしくださいました。さ、これへ」

少女が突っ立っている宗長の手をとり奥へ誘った。

宗長がどぎまぎしながらあがる。少女が宗長のよごれた草履を見てほほえんだ。

宗長が長い廊下をわたる。彼は細かく装飾された壁面に目をやった。別世界に来たようである。

座敷では良観と身なりのよい武士が談笑していた。

宗長は気おくれしたが、思いきって手をつけ挨拶した。

「池上兵衛(ひょうえ)(さかん)宗長にございます」

見知らぬ武士がかしこまった。

「おお、あなた様が池上殿の新しい跡取りでござるか」

宗長が不意をつかれた。

「いえ、そうではありませぬ」

良観は上機嫌である。

「まあ、それはよいとして食事といたそう」

宗長は届け物をかえすためにきたが意外なことになった。高僧の良観が食事をふるまうという。断ればまた父から叱責をうける。そうこう考えているうちに女たちが食膳をはこんできた。

膳には見たこともない魚や珍味がのっている。やがて娘たちが踊りを披露した。

両脇で可憐な娘が酌をした。宗長は竜宮城にいるような思いにとらわれた。

彼は生まれついた時から兄の影にいた。長男と弟の差は歴然としている。兄とはちがい、毎日が食うだけでやっとだった。遊ぶことなど頭にもない。それだけに驚きの連続だった。

月明かりの夜、宗長が帰路についた。

彼は歩きながら酒宴での会話を思いだしていた。

宗長は自分なりにいった。

「良観上人、せっかくですが、某は法華経を捨てるつもりはございませぬ」

良観は聞こえないふりだった。

「今日きてもらったのは、そのことではない。宗長殿、父親の跡目を継いではくれぬか。そなたの兄は日蓮にとりつかれている。もうこの良観が救う手だてはなくなった。もしそなたが父親にしたがわなければ、跡取りはいなくなる。さすれば作事奉行は他人の職となり、池上家も断絶。それではみなが困ること。

考えてみなされ。この世の中は力が支配しておる。兄弟の上下ではない。力ある者が主となれる。頼朝様がそうではなかったか。このわしも財力と人の縁でこのように人から崇められる身となった。しょせん幸せは人からいただくもの。兄を捨てることではない。これからのことを思えば父親に従うことじゃ。兄は兄で自分の運命を選べばよいではないか」

途中に兄の家があった。あかりが見える。

宗長はその光を見ていた。
 

        71 弟の宗長を諌暁 につづく
下巻目次


 二十五有

 三界六道の存在を二十五種に分類したもの。有は生存・存在の意。欲界では四悪趣、四州、六欲天の十四有。色界では大梵天と四禅天および夢想天、五淨(ごじょう)居天(ごてん)の七有。無色界では四空処天の四有。

(とん)(じん)()

煩悩の三毒のこと。一切の煩悩の根本。貪はむさぼり。欲望のこと。瞋は怒り。感情にとらわれ正しい価値判断ができないこと。癡はおろか。目先のことに左右され先が見通せないこと。
日蓮大聖人は妙法によって三毒をのぞくことができるという。

「されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲(とんよく)の病を除くなり、法華の行者は罵詈(めり)せらるれども忍辱(にんにく)を行ずるは(しん)()の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡(ぐち)の煩悩を治するなり。されば大良薬は末法の成仏の甘露(かんろ)なり。今日蓮等の(たぐい)南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。」『御義口伝 寿量品二十七箇の大事




by johsei1129 | 2014-09-29 13:08 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 26日

六十四、四条金吾の格闘

侍たちが昼間から名越光時邸で酒を前に談笑していた。当時の御家人は酒を飲むのも仕事のうちである。

島田入道が顔を赤らめた。

「あまり飲むな、勤務中じゃ」

一同がばつ悪そうに苦笑いをする。

山城入道が舌打ちした。

「心ぼそいのう。むくりの件で毎日だれかが筑紫へ送られておる。明日は我が身かとびくびくじゃ」

「殿は博多防衛の大将の一人だ。いつかはわれわれもお鉢がまわるぞ。博多は遠い。家の者になにかあってもすぐには戻れぬ。難儀だのう」

「それにな、金子の工面も大変だぞ。われわれは殿について行かねばならぬ。だが給わった土地が、ああもせまくては年貢もままならぬわ」

「わしは殿に不平は言いたくない。だがな、殿はあまりにも不公平じゃ」

「なにが」

「考えてもみろ。家中で一番働いているわしらが、なぜ狭い土地しかもてんのだ。それにくらべて、なんの働きもない者が、どうして殿から広い土地をもらうのだ」

「だれのことをいっている」

そこへ四条金吾が通りすぎていく。

島田が小声になった。

「うわさをすれば影じゃ」

「四条か」

「あやつ、殿の病気を治しただけで広い田畑を給わったのだ。刀で武勲をあげたわけではないのに」

「そういえばあやつ、殿の贔屓(ひいき)が厚いばかりに高あがりになっておるな。ほかの連中も文句をいっておったぞ」

「ほかにもあるぞ。ほれ、四条は鎌倉で知らぬ者はない法華の信者だ。あの日蓮が首を斬られんとした時、自分も腹を斬ろうとしたのだ。殿は今でもあのことを苦々しく思っておられるというぞ。それにもかかわらず、臆面にも殿に法華経を勧めているそうな」

「それはまことか。許せんな」

「以前、わしが念仏の話をしておったら四条め、どなりおったわ。あやうく刀をぬくところであった」

「あやつ、殿を主人と思っていないのではないか。殿と話すときも、まるで朋輩(ほうばい)と話しているようだ」

その金吾が主人光時と対面した。

「殿、ご機嫌うるわしゅうございます」

「頼基、役目ご苦労である。今日はもうさがってよいぞ」

金吾がいずまいをただした。

「殿、先日の件、お考えいただきましたか」

「なんであったかな」

「法華経のことでございます」

「おおそうであった。頼基、わしは念仏の教えを捨てるつもりはない。先日も良観様のお話を聞いた。まことにありがたかった。武士として生まれ、明日も知れない毎日で念仏を唱えることがいかに大切か、身をもって知ったわ」

金吾が食いさがった。

「殿、念仏は(かり)の教えでござる。教主釈尊はいまだ阿弥陀経には真実をあらわしていないとおおせですぞ」

「それはなんども聞いた。だがな、わしは念仏を捨てはせぬ。それにな、京から竜象房という僧侶がこられた。ありがたい話が聞けるという。今から楽しみなのじゃ」

金吾がはっきりといった。

「だれの教えであろうと、念仏は無間地獄の振る舞いであります」

ここで物静かな光時がおこりだしてしまった。

「頼基、なにをいう。主人をなじる気か。だまって聞いておればいい気になりおって。さがれ」

金吾は答えることができずに退出した。

すれちがいに島田入道と山城入道が拝謁した。

山城が言上する。

「殿、お話が。四条金吾のことでございます。あやつ、殿に可愛がられているのを幸いに、いささか度を越しているのではないかと」

島田入道も同調した。

「われわれ同僚も、みな四条をきらっております。その点、殿からきつい仕置きがあればよいかとぞんじますが」

光時は大人である。彼は機嫌をなおし、はやる二人をなだめた。

「まあおちつけ。金吾はわしの大切な部下だ。親子二代にわたり、この名越につくしておる。あやつの強情なところは、おまえたちも不満があろう。だがな、どんなことであれ、耳に痛いことをいう者がおればこそ、わが一族も安泰というもの」


光時邸の門に日が傾いた。

金吾が退出しようとした。まわりの武士が金吾の背に後ろ指をさした。島田と山城がその中にいる。

金吾も背後の視線がわかった。たまりかねてふりむく。

「なにかご用でござるかな」

島田がとりつくろった。

「いや、なにもござらぬ。金吾殿、どうかいたしたか」

金吾も挑発した。

「失礼いたした。じつはいま背中に邪気を感じてな」

山城が息まいた。

「ほう、それはかったいな」

金吾が正面をむいた。

「まことに気味わるいものでござる。かげで人をあげつろい、げらげらと低く笑う妙な生き物がいる」

島田の表情がかわった。

「四条、なにをいう。だれのことをいっておるのだ」

「自分の胸に聞いてみよ」 

金吾と島田・山城が対峙した。

 島田と山城が刀をぬこうとするが、同僚が必死に止めた。

金吾は身延の草庵に見参し、日蓮と対面した。金吾にとって自分の不平不満を聞いてくれるのは日蓮しかいない。

「まったく、わが殿は法華経を聞く耳をもちませぬ。同僚もわたしをねたんでいる者ばかりでございます。上人、わたしも年をとりました。宮仕えはここが潮時かと思います。すこし疲れました。長年の奉公で蓄えもできましたので身を引こうと思います。それもこれも、わからず屋の主人がいるばかりに」

「それはなりませぬ」

金吾は意外な返事に驚いた。自分の話に納得してくれるだろうと思っていた。理解してくれていると思っていたのだが。

「日蓮が佐渡の国でも飢え死にせず、この山の中で法華経を読むことができるのは、だれあろう金吾殿の助けがあるからです。その金吾殿の助けはなにゆえぞとたずねたならば、主人光時様のおかげですぞ。金吾殿の父上母上の孝養も、もとをたどれば主人のおかげではないか。そのような人の身内をどんな理由があるにせよ、捨てることができますか。命にかかわることがあっても、捨ててはなりませぬ」

金吾がふてくされた。これではわざわざ来たかいがない。

日蓮はつづける。

「賢人は八風と申して八つの風におかされない人をいう。(うるおい)(おとろえ)毀・誉・称・譏(やぶれ ほまれ たたえ そしり)苦・楽(くるしみ たのしみ)です。おおむねは利あるに喜ばず、衰うるになげかずということです。この八風におかされない人を天は守る。しかるに道理もなく、主をうらみなどすれば、いかに申せども天は守りませんぞ」

金吾は聞く耳をもたない。

「わかりました。上人はわたしと同じ了見だと思っていたのですが残念です」

金吾が立ちあがった。日蓮は金吾が危機の中にはいりつつあることを見てとった。

「まちなさい。これから百日の間は、同僚や他人との酒はひかえなさい。自分の家いがいは外で飲んではならぬ。夜の酒もひかえなさい。主人がお呼びの時は、昼ならば急ぎまいること、夜ならば三度までは病気といってひかえるように。呼び出しが三度をすぎたならば下人や他人を連れて道案内させるようにしなさい。こう慎んでおれば蒙古が攻めてきた時、身内の人の心はもとにもどるであろう」

金吾が聞かないふりをするが、日蓮は忠告をやめない。

「しばらく慎むのです。たとえ主人にあやまちがあったとしても、みだりに身内を出てはなりませんぞ。たとえ身に病がなくとも、(やいと)を一二か所すえて病気といっていなさい」

金吾はなにもいわず山をおりていった。

日蓮は金吾を心配した。このあと鎌倉に人をつかわして動静をさぐったりしたがはっきりしない。

日蓮はさらに高弟の日昭に金吾と接触して報告するよう指示している。また日蓮自身が金吾をいたく案じていることを伝えさせた。


さぶらうざゑ(三郎左衛)もん()どのゝ、このほど人をつかわして候ひしが、()ほせ候ひし事、あまりにかへすがへすをぼつかなく候よし、わざ()と御わたりありて、()こし()して、()つか()わし候べし。又さゑ(左衛)もん()どのにもかくと候へ。『弁殿御消息

数日後、名越光時邸に家来があつまった。

突然の召集である。

四条金吾をはじめ家来が不審がった。参集の理由がわからなかったのである。

光時が登場した。

「このたび、そのほうらの所領替えを行うことになった」

いきなりの達しである。家来集がざわめいた。

「まず四条金吾頼基。伊豆の土地を取りあげ、越後の土地をたまう」

金吾がはっとした。

光時はおかまいなしにいう。

「島田入道。おぬしに伊豆の土地をたまう。以上だ」

一同が驚いた。重臣の金吾が左遷された。越後といえば鎌倉からはるかに遠い。

金吾が思わず光時をとめた。

「殿、おまちくだされ。なにゆえそのような下知を」

光時がけげんな顔をした。

「頼基、不服か」

金吾は食いさがる。

「武士にとっては領地の田畑がもっとも大事でござる。そのような重大なことを、いともたやすく決められるのは心外でございます。前もってお知らせがあってしかりと思いまする」

光時がにらんだ。

「頼基、そのほうこのごろ、いささか高あがりであるぞ。わしの念仏を責め、このたびは領地のことに不満を申すか」

金吾が首をふった。

「殿は病気がちでござる。身に病あっては、金吾は心配でございます。ただでさえ世間は蒙古のことで騒がしくなっております。今の拙者の心はいかなることがおきましても、殿の前で命を捨てんと思っておりまする。もしやの事があれば越後より馳せのぼるのは、はるかなる上おぼつきませぬ。たとえ所領を取りあげられても、今年は殿からはなれませぬ。これよりほかは、いかにおおせをこうむるとも恐れるものではござらぬ。これよりも大事なることは日蓮聖人の事と過去におわす父母の事でござる。殿が金吾を捨てても、命は殿にさしあげまする。後生は日蓮聖人におまかせしておりまする」

光時が怒った。

「だまれ」

山城入道が金吾をなじった。

「金吾、殿のおおせだぞ。なんだその口のききかたは。それでも名越の武士か」

金吾が一喝した。

「だまっていろ。おぬしのでる幕でない」

島田入道が刀をぬき、山城入道も味方した。

金吾も抜刀して二人をにらみつけた。

家来衆が両者をとりかこみ騒然となった。

ここで光時が間にはいってとめた。

「ええい、やめんか」

金吾と日蓮が再度対面した。

金吾は前にもましていきどおった。主人とのいさかいは法華経の信心を超えて、武士の命である所領にまで及んでしまった。金吾も武士である。土地への執着は人一倍強い。

「まったくわが殿にはあきれました。いきなり所領替えを命じておいて、あの島田なんぞに給うとは。越後の土地など収穫は望めませぬ。いやがらせとしかいいようがござらん。上人、わしは宮仕えがいやになりました。上人にもわかっていただけるかと」

日蓮は制した。

「このことは前から推察しておりました。このうえは、たとえ一分の御恩がなくても恨むような主ではない。そのうえ今までたまわった御恩と申し、所領をきらうということは金吾殿の(とが)ではないですか。今の金吾殿は欲と名聞と怒りでうまっている。それでも武士ですかな」

金吾がいきどおった。

「上人。(それがし)は今まで殿につくしてまいりました。その某を、欲と名聞名利に狂っているというのですか。わかりました。これからは私の好きなようにさせていただきますぞ」

日蓮は金吾が出ていくのを静かに見送った。そして所化の日目に指図した。
「三位房を呼んでまいれ」

日蓮は高弟の三位房に指示した。

「金吾殿が心配だ。おぬし鎌倉へおりて見はってまいれ。そして逐一報告いたせ」

三位房が露骨にいやな顔をみせた。

「上人、金吾殿は在家です。わたしが一信徒のために、わざわざ出かけるような必要がございましょうか」

「それはどういう意味かな」

「わたしにとっては金吾殿よりも、もっと格上の御仁を相手にしたほうがよいのではないかと思われるのです。わたくしはこれまで、上人にしたがって仏法の奥底を極めてまいりました。私の実力ならば、それができるはずでございます」

日蓮は口調を強くする。

「三位房。このたびの金吾殿のことは極めて重大なことになる。おそらく幕府の上層にまで累がおよぶであろう。おぬしの実力がためされる時なのだ」

三位房はしぶしぶ納得した。

「そうまでおおせであれば、出かけてまいります」

日蓮は席を立つ三位房の背をにらんだ。三位房は古参の弟子であり、竜口の法難では殉死しようとしたほどの高弟である。今も日蓮の片腕として力を発揮している。問答も見事であり弟子檀那の信頼も厚かった。

ただ一つの欠点が傲慢だったことである。

日蓮はその気性を幾度か指摘したが、三位房はかわらなかった。きつく叱責しようとして思いとどまっている。その理由は「智慧ある者をそ()ませ給ふか」と弟子檀那から思われるからだったという。直言で知られる日蓮にはめずらしいことだが、あくまで弟子の成長を期待していたのである。しかしこのために三位房はいよいよ慢心がつのった。

金吾は鎌倉の自庭で剣術の訓練をはじめた。

金吾が目かくしをする。家来が木刀で組んで金吾ともみあいとなった。そこへもう一人が金吾の背に上段から打ちこんだ。

金吾はとっさにかわそうとしたが一瞬おそく肩をうたれてしまった。目隠しして背後の敵はかわせるものではない。

金吾はあまりの痛さに思わず顔をしかめる。

金吾は名越の家中に不穏な空気がながれているのを察した。光時以下、総がかりで金吾を追い落そうとしている。味方はいない。多勢に無勢だった。こうなれば剣で身を守るだけだ。自分でまいた種だが己の力にたよるほかはない。

妻の日眼女と娘の(つき)(まろ)が心配そうに見つめる。

金吾はみなの視線を感じた。

「なんのこれしき。心配するでない。さあ、もう一本」

「もう無理でございましょう。何回やってもおなじことです。金吾様の腕をもってしても、目かくしで背後から切りかかる太刀を、よけられるものではございませぬ」

「うるさい。かわさなければ死ぬまでじゃ。もう一本」

金吾はもう既に意地になっていたが、やはりかわしきれず打たれた。

金吾がどなる。

「こら、手加減するな」

ここでようやく小休止となった。

小屋で傷の手当をうけた。痛み止めの薬は飛びあがるほどしみて、さすがの金吾も思わずうなる。

三位房がこのさなかにたずねに来た。彼は金吾の機嫌をうかがった。

「これはこれは。剣術の最中でございましたか」

金吾は不機嫌である。

「三位殿でござるか。かまわぬ。こちらへおすわりあれ」

三位房がさしだされた木椅子にすわった。

金吾が背をさすりながら言う。

「よくおこしになられた。聞いておられるであろう。わしはもうだれの教えもうけぬつもりじゃ。三位房殿、上人からなにか言われたであろうが、わしは聞く耳をもたぬ」

三位房が笑った。

「上人もきびしいお方ですからな。このわたしにもきびしい。さぞ金吾殿には耳の痛いお話でしたでしょうな」

「このごろは面白くないことばかりでな。なにをやってもうまくゆかぬ」

金吾が背中をみせた。

「剣の鍛錬をしてもこのとおりじゃ。貴殿がこられたとて、はかばかしいことは・・」

三位房が話をかえた。

「じつはわたくし、これから桑ヶ谷(くわがやつ)へ出かけようと思いましてな」

「桑ヶ谷」

「さよう。いま鎌倉で評判の念仏僧、竜象房殿の説法をうかがいたいと思いましてな」

金吾が顔をあげた。

「おお、あの竜象房でござるか。極楽寺良観が京から呼びよせたという」

「どんな僧侶かはぞんじませぬ。大仏門の西に止住し、日夜説法をしているようです。彼いわく、現当のため仏法に不審ある人は問答すべき旨、説法するという。鎌倉中の上下万民は竜象房を釈尊のように尊んでいるとか。しかれども問答におよぶ人がないと聞いております。この三位が、かしこへ行き、問答をとげて一切衆生の不審をはらそうと思うのです。ここに伺ったのは、ご一緒にいかがと思いましてな」

金吾はこういうことに目がない。いてもたってもいられない性分なのだ。すぐ立ちあがった。

「ぜひ同行いたそう」

傷の痛みは消えてしまった。

四条金吾は強情さゆえに主人と仲たがいしてしまった。すべては金吾のわがままからきたことである。これは自分でもおさえきれない欲と名聞からでた。

現代でも会社や上司に不満をもつ人はいくらでもいる。鎌倉時代の御家人も同じだった。ただひとつちがうのは、金吾が法華経をかたく(たも)っていたことである。金吾のわがままは、やがて思わぬ方向へすすんでいく。

        65 桑ケ谷の法論 につづく
下巻目次




by johsei1129 | 2014-09-26 13:37 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 25日

法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解である」と説いた【諸経と法華経と難易の事】

【諸経と法華経と難易の事(しょきょうとほけきょうとなんいのこと)】
■出筆時期:弘安三年五月二十六日(西暦1280年)五十九歳御作。下総の富木常忍に対して与えられた書。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総国の豪族であった富木常忍は、大聖人より「日常」という法名を与えられたほどの強信徒。また観心本尊抄など数十に及ぶ御書を送られるなど、当時の関東方面の信徒にとって頭領とも言うべき存在であった。本抄では、法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解(なんしんなんげ)であり、その他の教は「仏、九界の衆生の意楽(いぎょう)に随つて説く随他意の教えで、賢父が愚子に随うが如く」易信易解(いしんいげ)の教えであると断じている。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)


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[諸経と法華経と難易の事] 本文

問うて云く、法華経の第四法師品に云く「難信難解」云云。いかなる事ぞや。答えて云く、此の経は仏説き給いて後、二千余年にまかりなり候。月氏に一千二百余年、漢土に二百余年を経て後、日本国に渡りてすでに七百余年なり。仏滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり。所謂月氏には竜樹菩薩。大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、此れは竜樹菩薩の難信難解の四字を読み給いしなり。漢土には天台智者大師と申せし人読んで云く「已今当説最も為れ難信難解」云云。日本国には伝教大師読んで云く「已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に」等云云。
 
 問うて云く、其の意如何。答て云く、易信易解は随他意の故なり。難信難解は随自意の故なり云云。弘法大師並びに日本国東寺の門人をもわく、法華経は顕教の内の難信難解にて、密教に相対すれば易信易解なり云云。慈覚・智証並びに門家思うよう、法華経と大日経は倶に難信難解なり。但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解、大日経は最も為れ難信難解なり云云。此の二義は日本一同なり。日蓮読んで云く、外道の経は易信易解、小乗経は難信難解。小乗経は易信易解、大日経等は難信難解。大日経等は易信易解、般若経は難信難解なり。般若と華厳と、華厳と涅槃と、涅槃と法華と、迹門と本門と、重重の難易あり。

 問うて云く、此の義を知つて何の詮か有る。答えて云く、生死の長夜を照す大燈、元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか。随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏、仏界に随つて説く所の経を随自意という。譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり。日蓮此の義に付て大日経・華厳経・涅槃経等を勘え見候に、皆随他意の経経なり。

 問うて云く、其の随他意の証拠如何。答えて云く、勝鬘経に云く「非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を以て之を成熟す。声聞を求むる者には声聞乗を授け、縁覚を求むる者には縁覚乗を授け、大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす」云云。易信易解の心是なり。華厳・大日・般若・涅槃等又是くの如し。「爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて八万の大士に告げたまわく、薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆(けんだっぱ)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらか)・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是くの如き等類咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜する者には我皆記を与え授く、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」文。諸経の如くんば、人は五戒、天は十善、梵は慈悲喜捨、魔王には一無遮、比丘の二百五十、比丘尼の五百戒、声聞には四諦、縁覚には十二因縁、菩薩には六度なり。譬へば水の器の方円に随い象の敵に随つて力を出すがごとし。法華経は爾らず。八部・四衆皆一同に法華経を演説す。譬へば定木の曲りを削り、師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし。
此の明鏡を以て一切経を見聞するに、大日の三部・浄土の三部等隠れ無し。

 而るをいかにやしけん、弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、此の義すでに日本国に隠没して四百余年なり。珠をもつて石にかへ、栴檀(せんだん)を凡木にうれり。仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり。幸なるは我が一門、仏意に随つて自然に薩般若海(さはにゃかい)に流入す。世間の学者の若(ごと)きは、随他意を信じて苦海に沈まん。委細の旨又又申す可く候。恐恐謹言。

    五月廿六日       日蓮花押
富木殿御返事

[諸経と法華経と難易の事] 本文 完。

by johsei1129 | 2014-09-25 22:19 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 25日

66 桑ヶ谷の法論

時は建治三年(1277)六月九日のことだった。
 竜象房が大仏の門の西、桑ヶ谷で満座の聴衆に説法をはじめた。念仏の尊さについてだった。

鎌倉で竜象房の人気が沸騰している。良観の招きで京都から来たというだけで評判はあがった。鎌倉はいま竜象のありがたい法話と人食い鬼の話でもちきりだった。

この聴衆の中に四条金吾と日蓮門下の三位房日行がいた。

竜象は法話の途中でにこやかに語った。

「この見聞満座の御中でご不審なことがあれば、おおせをうかがいましょう」

ここでさっそく金吾が身をのりだしたが、三位房がおさえて立ちあがった。

三位房はにこやかに語りだした。

「生をうけしより、死はまぬかれることができぬことわりは、はじめて驚くべき事ではございませぬが、ことさら今日本国の災難に死ぬ者があとを絶たず、目の前の無常は人ごとに思い知らされております。しかるところ、京より上人がおくだりあって人々の不審を晴らすとうけたまわりました。ご説法の最中(もなか)にぶしつけな問答などあってはならぬと思いましたが、疑いがあれば(はばか)らず聞いてくださるということ、喜んでおりまする」

竜象房がにこやかにうなずいた。かたや金吾は厳しい目で竜象をみる。

三位房はつづけた。

「まず不審に思えることは、末法に生をうけて片田舎の卑しい身ではありますが、漢土の仏法が幸いにしてこの国にわたり、これらをぜひ信ずべきところ、経典は五千七千と数多いものであります。

しかるに仏ひとりの説でありますから、所詮は一つの経におさまるはずなのに、弘法大師はわが日本国の真言宗の元祖でありますが、法華経は大日経に対すればいつわりの法、迷いの源であると説いております。浄土宗の法然上人いわく、法華経を念仏にたいして捨てよ、閉じよ、さしおき、投げうて、あるいは法華経の行者を群賊の群れなどといっております。また禅宗は仏法の真実は経典とは別に伝わっているのであり、文字を立てるものではないといっている。

教主釈尊は法華経の中で、世尊の法は久しくして後に(かなら)(まさ)に真実を説きたもうべしといい、多宝仏は法華経を(かい)()真実(しんじつ)とされているのに、弘法大師は法華経を戯論(けろん)の法と書いている。しかるに釈尊、多宝仏、十方の諸仏は法華経をほめ、皆これ真実と説いております。いずれを信じてよいのでしょうか。法然上人は法華経を捨てよ、投げうてという。釈迦、多宝、十方分身の諸仏は法華経を(たも)てば一人として成仏しない者はなく、みな仏道を成就するという。仏の言葉と法然上人とは、水と火よりもへだたりがございます。いずれを信ずべきでしょうか。またいずれを捨てればよいのでしょうか。

法華経には『()し人信ぜずして此の経を()(ぼう)せば、一切世間の仏種を断ぜん』とあります。この経文がまことならば、法然上人は無間地獄をまぬかれないのではないでしょうか。かの上人が地獄に()ちるならば末の学者、弟子檀那は自然に悪道に堕ちてしまうことは疑いがありませぬ。これらこそ不審に思います。上人はいかがお思いでしょうか」

竜象がこまった顔をした。

「いにしえの賢人たちをどうして疑うことができましょう。わたしのような凡僧は、仰いで信じ奉るだけでございます」

三位房が突く。

「そのおおせこそ、賢人の言葉とは思われませぬ。だれが今の時、仰がれる人を疑うことがあるでしょうか。ただし涅槃経に仏最後の御遺言として『法に()って人に()らざれ』と見えております。人にあやまりがあれば経典によれ、と仏は説かれました。あなたはよもやあやまりはないであろうと申されました。竜象上人の言葉と仏の金言とをくらべたならば、わたくし三位は如来の金言についていこうと思います」

竜象がたじろいだ。

「人にあやまり多いというのは、いずれの人をいうのですかな」

「さきほど申した弘法大師、法然上人の邪義ではないでしょうか」

竜象が大げさになげいた。

「ああ、それはできぬ。わが朝の人師のことは、かたじけなくも問答してはならないのです。なぜならこの満座の聴衆はみなみなその流れにておわす。鬱憤(うっぷん)出来(しゅったい)すれば、定めてみだりがわしきことになりましょう。おそれあり、おそれあり」

竜象が念仏を唱えだした。唱えることによって問答からのがれるつもりである。

三位房はのがさない。

「人のあやまりとは、だれかというので経文にそむく人を申しあげました。はばかりあってそれはできないとおっしゃることに進退は極まっております。法門と申すは、人をはばかり世を恐れて、仏が説かれたように経文の実義を申さざらんは愚者のきわみである。智者上人とは思われませぬ。悪法が世にひろまり人が悪道に堕ち、国土滅せんとみえるのに、法師の身としてどうして諫めないでおられましょう。まことの聖人ならばどうして身命を惜しんで世を人を恐れることがあるでしょう。正法を弘めてこそ聖人の名を得ることができるのではないのですか」

竜象はまったくの受け身となって首をふった。

「そのような人はこの世にいるわけがない。わたくしは世をはばかり、人を恐れる者でございます。そのようにおおせられる人なども、あなたの言葉のように、おられるわけがありませぬ」

三位房が高らかに言った。

「この方はどうして人の心を知ることができよう。某こそはいま日本国に聞こえたもう日蓮上人の弟子でございます」

驚きの声があがった。

竜象房の顔が恐怖にかわった。音に聞く悪僧ではないか。

四条金吾が胸をはった。
 三位房はよどみない。

「某の師匠、日蓮上人は末代の僧でおわすが、いまどきの高僧のように幕府に媚びることなく人をもへつらわず、いささかなる悪名もたてず、ただこの国に真言・禅・浄土などの悪法ならびに謗法の諸僧が満ち満ちて、上一人をはじめ下万民にいたるまで御帰依あるゆえに、法華経教主釈尊の大怨敵となりて現世には天神地祇(ちぎ)に捨てられ他国のせめにあい、後生には阿鼻大城に堕ちるべき由、経文にまかせて立てたまいしほどに、このこと申さば大いなる(あだ)あるべし、申さずんば仏の責めのがれがたし。世を恐れて申さずんば、我が身悪道に墮つべきとご覧じて、身を捨てて()ぬる建長年中より今年建治三年にいたるまで、二十余年の間あえて怠ることなし。しかれば私の難は数を知らず、国主の勘気は二度におよんだ。

この三位も(いぬ)る文永八年九月十二日の勘気の時は供の一行でありしかば、同罪に行なわれて首をはねられるべきにてありしは、身命を惜しむ者でしょうか」

竜象が口を閉じた。

三位房が竜象を直視した。

「そのようなお智慧では人の不審をはらすというおおせは役にたちませぬ。()(がん)比丘・勝意比丘などは、われ正法を知りて人を助けると言いましたが、我が身も弟子檀那も無間地獄に堕ちました。ご法門の分際で、あまたの人を救おうと説かれるのであれば、師檀ともに無間地獄に堕ちてしまう。今日よりのちは、このような御説法はひかえねばならぬ。

かように申したくはなかったが、悪法をもって人を地獄におとす邪師を見ながら責め顕さずば、かえって仏法の(あだ)となるという仏のいましめ逃れがたいうえ、聴聞の上下みな悪道に堕ちること不憫(ふびん)に思うため申しあげました。

智者と申すのは国の危うきをいさめ、人の邪見をとどめることこそ智者ではないでしょうか。これはいかに(ひが)(ごと)ありとも、世が恐ろしいから諫めないと申されるうえは力およばず。文殊の智慧も()()()(注)の弁舌も及びませぬぞ」

聴衆が歓喜し、三位房日行に手をあわせた。

「日行上人様、今しばらく説法してくださらぬか」

しかし三位房は金吾をうながし、意気揚々と席を立った。

竜象房は満座の中で、なんの返答もできず面目を失った。彼は妬みの目で二人を見送るだけだった。

かたや金吾は爽快だった。久々に気分のはれた思いである。こんなに万事がうまくいくのもめずらしい。こわいくらいだった。

それもそのはず、思わぬ大事件がまちうけていたのである。

鎌倉は月夜に照らされていた。この町のとある廃寺で人影がうごめいていた。

人食いが肉を食べている。そのわきに死体が横たわっていた。鬼は闇の中で口を真っ赤にしながらむしゃぶりついた。

このとき、松明の光がいっせいに男にむけられた。

夜廻りの武士が物とり棒をもって、いっせいに男をかこんだ。

「いたぞ。ここだ」

人食いがおどろいて覆面をかぶり、寺の軒下に逃げこんだ。

夜警の一人が追いつき、棒でおさえこんだが人食いは、しゃにむにふりはらった。この時、覆面がはずれ、顔が月光に照らされた。

鬼は草むらへ転がるように逃げていく。暗いうえに草の丈は腰まである。追っ手はあきらめた。

夜警団がぞくぞくとあつまった。

「おのれ。また逃がしたか」

「手がかりはないのか。なにかのこしていないか、さがせ」

夜警の一人がふるえていた。

「・・顔を見ました」

夜警の(かしら)がよろこんだ。

「なに、でかした。どんな人相だった。見た顔か。特徴は」

「頭を剃っておりました」

「そうか、では乞食坊主にちがいない。人食いは坊主にばけている。そうだ、それにちがいない」

 男が腕を組んだ。

「まってくだされ。あの顔、どこかで見たような気がいたします」

「なに。よし、思いだすのだ」

男はゆっくりと頭を下げ、記憶の糸をたどった。

「桑ケ谷問答」から半月ほどたった六月二十五日、金吾の屋敷に来客があった。金吾の兄妹である。

重苦しい空気がただよった。

金吾には四、五人の兄妹がいたという。親類も大勢いたようである。このなかで金吾の兄は法華経の信心に反対だった。金吾の激しい気性にもあきあきしている。さらに金吾は主人と所領のことでいさかいをおこしているというではないか。彼らはいても立ってもいられない。金吾の田畑からくる年貢は兄妹をうるおしていた。金吾がもめごとをおこしてはこまる。今日という今日は我慢ならず、問いつめにきたのである。

金吾は腕を組んで苦虫をかみつぶしたように目をつぶった。妻の日眼女が気をつかって酒をふるまう。

兄がなげいた。

「まったくお前の強情にもあきれたな。なぜ殿にさからうのだ。所領替えなど、どこの世界にでもある話だ。世間を見ろ。土地も奪われ、露頭に迷う者は数多いというのに、血の気が多すぎるぞ。お前は」

妹が加勢した。

「兄上、四条の一族がつづくのも兄上のお覚悟しだいです。敵ばかりつくらずに、名越の殿様のおっしゃるとおりにしてくださいまし」

「おぬしの信心は今さらどうのこうのといわぬ。法華経を捨てろといえば、また喧嘩になるからな。だがな世間のつきあいも大事なのだ。広く浅く、なにごともなくすごしておれば、つまらぬいさかいもおこらぬ」

「お兄さま。お義姉様がかわいそうです。このままではいただいた土地は全部とりあげられてしまいますよ。わたしたち兄妹はそのおこぼれでやりくりしているというのに、これでは世間に顔むけできませんわ」

金吾がようやく口をひらいた。

「世間とか、幅広くつきあえとか、顔むけできないとか、おぬしら、なにを考えて生きておるのだ」

兄妹があ然とした。

「自分らしくしていなされ。外にばかり顔をむけてはならぬ。わしはわしのままでいく。それがいやななら兄弟の縁を切る」

「なんということを」

この時、屋敷の門で声がした。来客のようである。

所従の爺がむかえにいったが、意外な人物が立っていた。

島田入道、山城入道の二人だった。金吾とは犬猿の仲である。

こんな時にいったいなにごとか。

金吾が怪訝な顔で刀をさし、柄をつかんだままで応対した。

「なに用かな」

島田は懐から書状をとりだした。

「殿からの下し文である」

突然の来訪である。しかも主君光時の書状とはただごとではない。しかたなく金吾は二人をまねきいれた。

島田と山城が居間にははいり、金吾一族は袂をひるがえしてむかえた。

島田が立ったまま主人の下し文を読みあげた。金吾はしかたなく手をついて拝聴する。

驚くべき内容だった。

「一、貴公はさる六月九日、桑ヶ谷竜象上人の御説法のところに参ったとのことだが、おおかた穏便(おんびん)ならざるよし、見聞の人あまねくひとかたならず申しあいしたとのこと驚いている。そなたは徒党を組み、かしこへおしかけ、刀杖をもって出入りしたとのこと。まことに遺憾千万である。

二、余は極楽寺の良観上人こそ釈尊の再来と信じておる。また竜象上人は弥陀如来の再誕と思っている。

三、いかなることも主や親の所存には従うことで仏神の加護もあり、世間の礼にもかなう。だが貴公はすでに主にそむいている。これをなんと考えるのか。

四、以上のゆえをもって四条金吾頼基に命じる。法華経を捨て、阿弥陀仏に仕える誓状を立てよ。それがなくば、今ある所領を取りあげ、役払いとするであろう。誓いのしるしに起請文を用意した。貴公が賢明であることを望む。以上」

島田入道がうやうやしく起請の紙を金吾の前においた。

金吾がすかさず中腰になった。

「またれい。竜象房の一件は殿にお会いしたとき、その様子を申しあげた。また法論の時、その場にこの金吾を知らぬ者はいなかったはず。まったくもって事実と符合(ふごう)しない。ただこのわしを(そね)む者の作りごとであろう。早くその者どもを召しあわせられたい。必ず明らかになるはず」

島田が金吾を見下した。

「これ頭が高い。殿のお言葉であるぞ」

金吾がくやし顔ですわりなおす。

「四条金吾、これは殿の下命である。とくと考えよ」

島田と山城がにこやかに去っていく。

金吾が追いかけた。

「まて。これはおぬしらのたくらみであろう。卑怯だぞ。殿をたばかりおったな」

二人は背をむけたまま去った。

金吾が起請文の前にすわりなおした。

いかつい顔で兄がさとす。

「頼基よ、これは罠でもなんでもない。主人にしたがうのだ。武士は土地あってこそ生きられる。自分の身を守るために起請を書け」

妹もせまった。

「そうです兄上。日蓮など捨てておしまいになってください。起請文を書くまで、わたしはここを動きませんわ」

金吾が思案にくれ、長い沈黙がつづいた。

兄妹のいうとおりである。土地を取りあげられては生きていけない。自分だけではなく、妻子も路頭に迷う。

やがて金吾が口をひらいた。

「わかった。わしも武士のはしくれだ。乞食にはなりとうない。みんな安心してくれ。起請文は書こう」

緊張がほどけた。

兄妹はほっとした顔になった。

逆に妻の日眼女がうつむいたままでいる。幼い娘の(つき)(まろ)が心配になって母に抱きついた。

兄がむやみによろこぶ。

「よかった。これで四条の家も安泰だ。帰って先祖に申しあげよう」

妹もほっとした。

「本当ですわ。どうなるかと思いました。でも安心しましたわ。これで帷子(かたびら)が買えます」

やがて兄妹が静かに去っていった。

彼らが帰ったあと、屋敷全体が沈んだ空気につつまれた。

金吾が白紙の起請状の前で腕を組み、目をつぶった。

起請文はあらゆる神仏に誓いをたてる証文である。御成敗式目にも起請がのせられている。しるされた法を絶対に守るとして北条泰時以下の作成者全員が署名している。それほど起請文のもつ意味は重かった。ひとたび宣言すればもとにはもどせない。

従者の爺が心配そうに見守る。

やがて金吾は持仏堂にむかった。そこには日蓮がしたためた本尊が安置されている。

起請を書けばいっさいが終わる。すべては平穏となるだろう。自分は安楽に土地をもち、一族は生きのびていくことができる。まわりの摩擦もなくなる。すべてが静寂となる。いまその機会はおとずれた。

法華経を捨てるとは日蓮と離れることである。日蓮と離れたならば、いままでとはちがう毎日がまっているだろう。おそらくはまったくちがう人生になるだろう。同僚との争いはなくなり、なれあいの毎日になるだろう。主君には媚びることだけを考えて、毎日の糧にあくせくしてゆくのだろう。

一片の所領とひきかえに、想像もしない人生がまっている。おそらくは味気のない空虚なものであろう。金吾は生気のぬけた自分の姿を想像した。
「日蓮上人なしに己の人生はない」
 金吾はそう決断すると、直ちに「桑ケ谷問答」の顛末と、たとえ所領を召されても決して起請文は書かないと書き記し、主君光時の下し文を添えて日蓮のもとに急使をたてた。急使は翌々日、二十七日の酉の刻(午後六時)には身延の草庵に到着する。
 日蓮はこの金吾からの書状を見て問注所への陳情文『頼基陳状』を「四条中務尉頼基」の名で代筆し金吾に送った。

朝がきた。

従者の爺はねむりこけていた。

金吾が机に正座した。机に置かれた紙にはまだ一文字も記されていない。ここで金吾は日蓮の言葉を思いだした。

浅きは(やす)く深きは(かた)しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに()くは丈夫(じょうぶ)の心なり。 『顕仏未来記

金吾の心は決まっていた。
 金吾は急使をたてて日蓮に送った文と同様に「たとえ所領を没収されても起請は書かざる」と筆も折らんばかりに力強く書きつけた。
 書き終わってふりむくと日眼女が少し離れて座っていた。彼女の胸には月満御前が眠っている。父親の苦境など知る由もなく、満ち足りた顔で寝ている。

金吾はまるで憑き物がとれたかのように笑顔で語る。

「おきておったか。心配するな。見てのとおりだ。わしの腹はきまっている。それではこれから殿のところへ出かけるとするか」

日眼女は夫の気持ちを察した。名越邸にむかう金吾をいつもどおり見送ったが、目は笑っていない。

名越光時邸には極楽寺良観と竜象房がきていた。くわえて金吾の兄がその場にかしこまっていた。

良観がにこやかである。

「四条金吾が起請文を書いたなら、急いでかたがたにふれまわすのです。これで鎌倉のうちに日蓮の弟子は一人もいなくなる。大いに攻めるのです」

竜象房も満足だった。満座の中で赤恥をかかされた恨みは消えていない。

金吾の兄が光時に言上した。

「殿、弟の数々の無礼をおわびいたします。くわえて所領の安堵をお願いいたします。すでに弟は改心いたしました」

当の光時は咳をしていた。風邪をこじらせていたようである。くわえて金吾の件でも頭を痛めている。

光時は最初、軽い気持ちで金吾をこらしめようと、島田たちの策をとったが、目的は金吾の忠誠をとりもどしたいだけだった。光時は金吾に一目も二目も置いている。これほどの騒ぎになるとは思わなかったのである。金吾は二月騒動のとき、自分のために殉死しようとした忠臣である。それをここまで追いつめてよいものか、一抹の不安があった。

島田が笑顔でやってきた。

「四条金吾の起請文がとどきましたぞ」

緊張の中、島田が書状をひらき、うやうやしく読みだした。

「言上(つかまつ)り候。先だってわざと拙者宅へ使者をお向けくだされ、まことに恐縮しておりまする。また殿には軽いながらもご所労の様子。案じておりまする。さて起請の件、このたびおおせの起請はまったくもって書かざることをお誓い申しあげまする」

読みあげる島田以下、全員が驚愕した。島田はおろおろしながら読んでいく。

「いかにおどされても、所領を捨てても、あくまで法華経を信じとおすことを殿の前で断じてお誓い申しあげまする。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊にかわるところはございませぬ」

光時がぼう然とし、良観が怒りに大声をあげた。

「殿、即刻四条の土地を取りあげなされ。さらに訴訟じゃ、奉行人に訴えなされ。金吾を地獄におとすのじゃ」

名越光時は明らかに困惑していた。訴訟にまでになろうとは。心ならずも大事になってしまった。

良観と竜象房、島田・山城の一味は、評定で金吾を追いおとすことにきめた。金吾の非を世間に知らせ、金吾と法華経を一気に壊滅しようとした。金吾はしょせん光時の部下にすぎない。勝算は充分にあるとみた。

評定の開始決定は直ちに甲斐の日蓮のもと伝達された。
 日蓮は訴訟においては百戦錬磨である。金吾一人ではこの裁判で論証する力はない。日蓮は良観一味に追い詰められた金吾に、評定での証言方法について一部始終を指示した。金吾はこんどばかりは素直にしたがった。

こうして四条金吾は、はからずも仏法の正邪を決する人となったのである。


           66 金吾の奉行所対決 につづく
 
下巻目次

()()()

釈迦十大弟子の一人。説法第一とされた。満願子・満足・円満等と訳す



by johsei1129 | 2014-09-25 21:40 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 24日

四十七、強信の日妙、山海を渡る

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                      (日蓮大聖人御一代記より)
 日蓮は佐渡の一の(さわ)入道の屋敷に転居を許された。
 塚原の三昧堂とはうってかわった真新しい堂だった。塚原のあばら家とは見ちがえる建物である
 日蓮への幕府の処遇は、明らかに好転していた。二月騒動以降、幕府内で日蓮の処遇をめぐり、何がしかの動きがあったことが容易に推察された。日蓮は島の中を自由に往来できるようになった。また佐渡の島民とも自由に法華経の説法をすることができた。   

塚原問答以後、しだいに人々が日蓮のもとに集まりだした。彼らは自分たちから進んで日蓮をかこみ説法を聞いた。阿仏房夫妻もその中にいた。

「世間に人の恐るるものは、炎の中と(つるぎ)の影とこの身の死することです。牛馬なお命を惜しむ。いわんや人間をや。(らい)人なお命を惜しむ。いかにいわんや壮人をや。命にすぎたるもののなければこそ、これを布施として仏法を習えばかならず仏となる。身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。また財宝を仏法におしまん者、まさる身命を捨つべきや。主君のために命をすてる人は少ないようだがその数は多い。男子は恥に命をすて、女人は男のために命をすてる。世間の浅きことには身命を失いながら、大事の仏法などにはすてることがない。ゆえに仏になる人もいない。

畜生の心は弱きをおどし、強きをおそれる。いまの学者らは畜生のようであります。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそれる。()(しん)と申すのがこれです。悪王の正法をやぶるに、邪法(じゃほう)の僧等が方人(かたうど)をなして智者を失わん時、師子王のごとくなる心をもてる者かならず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これはおごれるのではない。正法をおしむ心の強盛なるゆえです」

島民がぞくぞくと集まってくる。三ヶ月前には想像もできない光景である。

「先日合戦あり。日蓮は聖人ではないが法華経を説のごとく受持すれば聖人のごとし。また世間の作法かねて知ることにより、忠告したことも誤りはなかった。現在に言いのこす言葉の(たが)わざらんをもって後生の疑いをなしてはなりませぬ。日蓮はこの関東の一門の棟梁であり、日月であり鏡であり眼目である。日蓮捨てさる時、七難かならずおこるべしと、去年(こぞ)九月十二日御勘気(ごかんき)こうむりし時、大音声(おんじょう)もって呼ばわりしことはこれです。わずかに六十日、百五十日にしてこのことおこる。これはまだ華報(けほう)である。実果(じっか)の成ぜん時、いかに嘆かわしいことであろう」

武士がたずねた。

「では日蓮殿が智者ならば、なぜこのたびの王難にあわれたのですか」

「日蓮かねてより存知のことです。父母を打つ子あり阿闍(あじゃ)()王なり。仏・阿羅漢を殺し血をいだす者あり、提婆(だいば)(だっ)()これなり。大臣はこれをほめ、瞿伽(くぎゃ)()(注)らはよろこんだ。日蓮は当世にはこの御一門の父母である。仏・阿羅漢のごとし。しかるを流罪して主従ともによろこんでいる。あわれに無慚(むざん)な者たちです。邪法の僧らが自らの災いのすでにあらわれるのをなげいてはいたが、かくなるをいったんはよろこぶでしょう。のちにはかれらがなげきは日蓮が一門に劣るべからず。例せば泰衡(やすひら)(注)が弟を討ち、()(ろう)判官(ほうがん)(注)を討ちてよろこんだように。()()()()

日蓮もまた、かく責められるのも先業なきにあらず。宿業ははかりがたい。くろがねは鍛え打てばつるぎとなる。賢聖は罵詈(めり)して試みるなるべし。このたびの御勘気は日蓮に世間の(とが一分(いちぶん)ありません。ひとえに先業の重罪を今生に消して、後生の三悪道をのがれんとするものです」

日蓮の説法を聞いた佐渡の人々は不思議に思った。

なぜこの人が流罪となったのか。この日蓮という人を流罪したのは鎌倉殿のまちがいではなかったのか。結果、幕府は北条一門の内乱による二月騒動という惨劇をひきおこした。その原因はこの御坊を罪におとした報いではなかったのか。しかも日蓮は鎌倉から一千余里も離れたこの佐渡で騒動を予言したではないか。あまりにも見事に的中したので()謀反(むほん)一味だとの噂がたったほどだった。

人々は日蓮上人に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

こんどは千日尼がきく。阿仏房の妻である。

質問は切実だった。

「上人様、わたしたち夫婦は長年、念仏を唱えてまいりました。法華経によれば、謗法の罪は千劫たっても消えないとうかがっております。はたしてこの罪は消えることはないのでしょうか」

日蓮がよくぞ難問を問うた」とばかりに二度三度うなずいた。

「日蓮とて過去世は謗法の身であった。この世に生まれてからも念仏を唱え、悪行を積んできた。いま謗法の酔いさめてみれば、酒に酔える者が父母を打ってよろこんでいたが、酔いさめてのち嘆くようなものです。日蓮の過去世より今日までの謗法は恐ろしく深い。佐渡流罪という大難は日蓮が強く法華経の敵を責めたがゆえに、一時に集まりおきました。法華経を(まも)る功徳の力により、地獄に堕ちずして仏となることができるのです。法華経を念じ法華経の行者を護る阿仏房・千日尼夫妻の罪障は、かならず消し去ることができます

日蓮が断言するのを聞き、阿仏房夫妻は思わず手をあわせた。

こうして佐渡は法華経一色に染まった。

一国が妙法に帰依(きえ)するのを広宣流布という。理想郷の実現がせまっていた。

だがこれをうらむ者がいた。

念仏、禅の僧らが建物のかげでささやいた。

「どうする・・このままではわれらは飢え死にするぞ。すでに佐渡の国の者も大半は日蓮についた。なんとかせねば・・」

鎌倉の下町には道の両側に店がならび、人々が群をなしていた。物売りのかけ声が飛びかう。

人々が出店をのぞきこんだ。小町屋とよばれる商店は品物を店先にならべて道をせまくし、所かまわず売り買いが始まる。大都市鎌倉は二月騒動が終息し、平穏にもどろうとしていた。騒動は北条の一族同士が争う血なまぐさい事件だったが、時の流れとともに忘れさられようとしている。庶民は毎日の衣食住に精いっぱいで、権力者どうしの争いにかまっていられない。

日妙親子がこの通りを歩いていた。

母の日妙は(みの)(がさ)わらじを買った。

娘の(おと)御前が楽しそうに店をながめる。乙は子供たちの仲間にはいって遊んだ。日妙がその様子を満足げにながめ、つかの間の幸せな気分に浸っていた。

夕陽が鎌倉の市井を照らす中、笑顔の親子が家に帰ってきた。

日妙は法難のさい、信心に反対する夫と離縁した。今は娘と二人暮らしだが気丈に毎日をやりくりしていた。

その親子が玄関の戸を開けたとたん、足が止まってしまった。

見なれた草履がならんでいる。

日妙が緊張した。両親がきていたのだ。

床の間には経机があり、法華経の経巻が安置されていた。

日妙が父母にうやうやしく手をついた。

「これはこれは。前もってお知らせていただければ、おまちしておりましたものを」

父親が日妙の手にした蓑や草鞋をながめた。

「なんの支度だ。旅でもするのか」

険悪である。

日妙が虚をつかれたようにどぎまぎした。
「いえ、このたびのいくさで思い知りました。なにかあれば鎌倉をでる用意も必要と思いまして」

母親がなげいた。

「そんなことより、女一人でこれからどうするのです。子供も小さいのに」

母親が袖で頬をぬぐう。

日妙が笑顔をつくろった。

「父上様、母上様、心配はございませぬ。まだ多少のたくわえはございます。女だからとて、なんの不足もございませぬ」

なげくのは父親もおなじだった。

「そんなことだから離縁するのだ。もっと男を立てなさい。なぜ別れた」

日妙がきっぱりといった。

「父上、わたしはもう嫁にはいきませぬ。わたしのまわりは不甲斐ない男ばかりでございます。武士だ、侍だといっても、いざとなれば対面を気にして出世しか頭にない人たちです。そんな男にだれがついていきましょう」

「それがいかんのだ」

父親が机の経巻を指さした。

「こんな法華経など、まだもっているのか。日蓮など信じているから、そのような気性になるのだ。親戚はお前のことをなんといっていると思う。日蓮を先にして夫を捨てた悪妻の見本といっているのだ」

娘の(おと)前が日妙をかばった。

「おじいさま、おばあさま。そんなこわい顔で母上をいじめないでください。上人さまのどこがわるいのです。乙にはやさしいお坊様です。おじいさまやおばあさまのように、こわい人ではありませぬ」

 乙御前が日妙にだきついた。

母親がうろたえた。

父親がおちついていった。

「とにかくお前が法華経をたもっているかぎり、財産を分け与えるわけにはいかぬ。お前がどうしても強情をはるならば、親子の縁を絶つまでじゃ。そうなったら幼い子供と二人で生きていかねばならぬ。心細いであろう。どうじゃ、考えなおすことはできぬのか」

沈黙がながれた。

現代とちがって父親の権威は絶大である。当時、土地などの遺産分与の権利は家父長がにぎっていたのである。いったん子に与えても「悔い返し」といって、取りもどす権利があったほどだ。

やがて日妙があきらめたようにうなずいた。

「承知しました。子が親にしたがうのはあたりまえです。これからは日蓮上人と法華経からはなれてまいります」

父母がほっとした。

乙御前がおどろいて日妙の目を見る。

母親がはじめて笑顔をみせた。

「よくぞ申してくれました。それでこそわが娘。そなたはかならず目ざめるものと信じておりました。これでまた、よい縁談もさがすことができます」

父親も表情をゆるめ、懐から銅銭をさしだした。

「これは一部である。そちにとらそう。だが今の言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

日妙が沈んだ顔で床に両手をついた。

父母がさわやかに家をでて、親子がのこった。

乙御前が顔をくもらせた。

「お母様」

日妙はやがて笑顔にもどった。乙御前も表情をゆるめる。

母が娘に片目をつぶった。

「ああでもしなかったら帰らないでしょ」

「では・・」

日妙が蓑や草鞋を目の前においた。

「信心はすてませぬ。さあ行きますよ。覚悟はよいですか」

乙御前が目を輝かせた。

「では、わたしもいっしょに」
 日妙がうなずくと同時に乙御前が抱きついた。

翌朝、陽が鎌倉の山あいからのぞきはじめた。

日妙親子が佐渡へ旅立とうとしていた。

見送るのは四条金吾夫妻、土木常忍、太田乗明ら同心の徒である。

日妙親子の笑顔がすがすがしい。

彼女は佐渡行きを決意した。日蓮にどうしても会いにいかねばならない。日妙は日蓮に再会することで、今の自分の悩みが一気に解決できると信じた。

女の身で不安はある。しかも子連れだ。だが日蓮に会いたいという一心が勝った。先に見参した四条金吾には道中の心得や佐渡の様子などを根ほり葉ほり聞いた。日妙はこんどは自分が佐渡に行く番だと決めていた。

太田たちが心配した。鎌倉の騒動が終わったとはいえ、まだ三ケ月しかたっていない。

「大丈夫なのか、女の身で、しかも子まで連れて佐渡に渡るとは危険だ。やめたほうがよい」

四条金吾が大田をおさえた。

「まて。日妙殿の決心はかたいのだ」

金吾がきびしいまなざしで日妙をみつめる。

「どうかご無事で」

日妙が出発のあいさつをした。

「では行ってまいります」

見送る者たちが日妙親子の背中に手をあわせた。金吾の妻、日眼女が袂で涙をふいた。


日妙親子は出発した。

道中は馬に乗り、馬の便のないときは徒歩だった。

当時、鎌倉から佐渡へは十三日の道のりである。母娘二人ではどうだったか。いずれにしても大旅行である。

この道のりは、日蓮がたどった行程でもある。まず鎌倉から相模の国を出て武蔵に入る。広大な関東平野を北上し久米川、児玉をすぎて上野国高崎につく。高崎から西に向かい標高千メートルの碓氷峠を越えて信濃にはいる。宿場は追分、今の軽井沢である。ここからさらに北上し越後にはいる。そして日本海にたどりつく。さらに海沿いを北上し柏崎をとおり寺泊に到着。ここで船にのり佐渡へわたる。だが順風をまたねばならない。「海は荒海」とあるとおり、現代でも欠航があいつぐ波濤だった

日妙親子がはるかな関東平野を歩いていく。頭に笠、肩に荷袋、足に脚絆。その姿が長旅であることをあらわしていた。

はるか後方から騎馬が駆けてきた。武士の馬は日妙の前でとまった。役人のようである。

「そなたら、どこへいく」

日妙が慎重にこたえた。

「おそれいります。信濃まで足をはこびたいと思いまして」

「ほう、それは遠いの。鎌倉で合戦があったばかりだ。なにかと物騒でな。そなたら見たところあまりに不用心じゃ。引きかえす気はないか」

日妙が首をふった。

「信濃に身内がおります。はやり病でどうしても行かねばなりませぬ」

「それはしかたないのう。それでは気をつけられよ」

騎馬が去っていった。

母娘がふたたび進む。

乙御前が不思議そうにきいた。

「お母様、どうしてうそをつくのでございます。わたしたちは佐渡へ行くのでございましょう。身内ではなくて、上人様にお会いするのでございましょう」

 日妙の目がやさしい。

「上人は無実の罪であの島にいるのです。でもおもてむきは罪人。本当のことをいうわけにはいきません」

「お母様、どうして上人様のところにいくのですか」

 日妙が北の空を見つめた。

「あのかたはわたしがお会いした人の中で、なにより尊いのです。あのかたの教えはいまもこの胸に染みついています。上人のすばらしさは、わたしだけが知っています。思えば今まで、むなしい毎日でした。母はこれからあの喜びをとりかえしにいきます。一刻も早く会いにいきたいのです」

 母子が果てしない荒野を行く。

 

 日妙は百姓家に立ちよった。小銭とひきかえに麦飯を買う。

雨が静かにふりはじめた。

その夜、二人は寺の小堂で泊まった。

日妙は乙御前が眠っているそばで空を見あげた。雨がふっては思うようにすすまない。

日妙が袋の中の小銭をかぞえた。路銭が少なくなってきた。もともと無謀な旅であるとはわかっていたが、早くも困難がまちうけた。

くわえて二月騒動のせいだろうか。人々は道を行くにも、泊まる宿でもよそよそしかった。聞いても答える者は少なく、宿を借りようとしても断られることがつづいた。

(ひょう)(かく)の災いは津々浦々におよんでいるようだった。


        四十八、日蓮、始めて佐渡で本尊を図現する につづく


中巻目次

              

        

 瞿伽(くぎゃ)()

 瞿伽(くぎゃ)()尊者ともいう。悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。提婆達多を師匠とし舎利弗・目連を誹謗して生きながら地獄に()ちた。また死んで大蓮華地獄へ堕ちたといわれる。
  泰衡

 藤原泰衡の事。久承二年(一一五五)~文治五年(一一八九)。鎌倉初期の陸奥の豪族。秀衡(ひでひら)の子。父の遺言によって源義経をかくまっていたが、頼朝の圧迫に耐えられず、ついに衣川(ころもがわ)の館で義経を攻め滅ぼした。しかしまもなく自らも頼朝に攻められ、逃走中、部下に殺されて奥州藤原氏の最後となった。

 九郎判官

源義経のこと。平治元年(一一五九)~文治五年(一一八九)(よし)(とも)の子。幼名を牛若・九郎といった。平治の乱で母・常盤(ときわ)とともに平氏に捕らえられたが、幼いため許されて鞍馬寺(くらまでら)へ入れられた。後にここを脱出して陸奥(むつ)藤原(ふじわら)秀衡(ひでひら)の客分となる。治承四年(一一八○)兄・源頼朝の挙兵に応じ、近江で源義仲(よしなか)を討ち、次いで平氏を一の谷・屋島・壇の浦に攻め、全滅させた。しかしのちに頼朝と不仲となり、ついに頼朝の追討を受けて諸国に逃れ、再び陸奥の秀衡に保護を求めた。秀衡の死後、頼朝の圧迫に耐えきれなくなった泰衡(やすひら)に背かれ、衣川で自害した。






by johsei1129 | 2014-09-24 14:27 | 小説 日蓮の生涯 中 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 17日

日蓮大聖人佐渡ご赦免から三度目の国家諌暁、身延入山までの振る舞いを記した書【光日房御書】三

[光日房御書 本文] その三

 又御消息に云く、人をもころしたりし者なれば、いかやうなるところにか生れて候らん、をほせをかほり候はんと云云。夫れ、針は水にしずむ。雨は空にとどまらず。蟻子を殺せる者は地獄に入り、死にかばねを切れる者は悪道をまぬかれず。何に況や人身をうけたる者をころせる人をや。但し大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず。大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ。所謂、粟をつみたりし比丘は五百生が間牛となる。瓜をつみし者は三悪道に堕ちにき。羅摩王・抜提王・毘楼真王・那ご沙王・迦帝王・毘舎きゃ王・月光王・光明王・日光王・愛王・持多人王等の八万余人の諸王は、皆父を殺して位につく。善知識にあはざれば罪きへずして阿鼻地獄に入りにき。波羅奈城に悪人あり、其の名をば阿逸多という。母をあひせしゆへに父を殺し妻とせり。父が師の阿羅漢ありて教訓せしかば阿羅漢を殺す。母、又他の夫にとつぎしかば又母をも殺しつ。具に三逆罪をつくりしかば、隣里の人うとみしかば、一身たもちがたくして祇園精舎にゆいて出家をもとめしに、諸僧許さざりしかば、悪心強盛にして多くの僧坊をやきぬ。然れども釈尊に値い奉りて出家をゆるし給にき、北天竺に城あり、細石となづく。彼の城に王あり、竜印という。父を殺してありしかども、後に此れをおそれて彼の国をすてて仏にまいりたりしかば、仏、懺悔を許し給いき。阿闍世王はひととなり三毒熾盛なり、十悪ひまなし。其の上、父をころし母を害せんとし、提婆達多を師として無量の仏弟子を殺しぬ。悪逆のつもりに、二月十五日、仏の御入滅の日にあたりて無間地獄の先相に、七処に悪瘡出生して玉体しづかならず。大火の身をやくがごとく、熱湯をくみかくるがごとくなりしに、六大臣まいりて六師外道を召されて、悪瘡を治すべきやう申しき。今の日本国の人人の、禅師・律師・念仏者・真言師等を善知識とたのみて蒙古国を調伏し、後生をたすからんとをもうがごとし。其の上、提婆達多は阿闍世王の本師なり。外道の六万蔵、仏法の八万蔵をそらにして、世間・出世のあきらかなる事、日月と明鏡とに向うがごとし。今の世の天台宗の碩学の顕密二道を胸にうかべ、一切経をそらんぜしがごとし。此れ等の人人諸の大臣・阿闍世王を教訓せしかば、仏に帰依し奉る事なかりし程に、摩竭提に天変度度かさなり、地夭しきりなる上、大風・大旱ばつ・飢饉・疫癘ひまなき上、他国よりせめられて、すでにかうとみえしに、悪瘡すら身に出ししかば、国土一時にほろびぬとみえし程に、俄に仏前にまいり、懺悔して罪きえしなり。

 これらはさてをき候いぬ。人のをやは悪人なれども、子善人なればをやの罪ゆるす事あり。又子悪人なれども親善人なれば、子の罪ゆるさるる事あり。されば故弥四郎殿は設い悪人なりとも、うめる母、釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば、争か彼人うかばざるべき。いかにいわうや、彼の人は法華経を信じたりしかば、をやをみちびく身とぞなられて候らん。法華経を信ずる人は、かまへてかまへて法華経のかたきををそれさせ給へ。念仏者と持斎と真言師と、一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をば、いかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし。かたきをしらねば、かたきにたぼらかされ候ぞ。あはれあはれ、けさん(見参)に入りてくわしく申し候はばや。又これよりそれへわたり候三位房・佐度公等に、たびごとにこのふみをよませてきこしめすべし。又この御文をば明慧房にあづけさせ給うべし。なにとなく我が智慧はたらぬ者が、或はをこづき、或は此文をさいかくとしてそしり候なり。或はよも此の御房(日蓮)は弘法大師にはま(優)さらじ、よも慈覚大師にはこ(超)へじなんど、人くらべをし候ぞ。かく申す人をばものしらぬ者とをぼすべし。

建治二年丙太子歳三月 日            日 蓮 花 押
                       甲州南部波木井の郷山中

by johsei1129 | 2014-09-17 21:22 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 14日

日蓮大聖人佐渡ご赦免から三度目の国家諌暁、身延入山までの振る舞いを記した書【光日房御書】一

【光日房御書(こうにちぼうごしょ】
■出筆時期:建治二年丙太子歳三月(西暦1276年)、五十五歳 御作。大聖人と同郷の安房・天津の女性信徒・光日房に宛てられた。
■出筆場所:身延山 草庵にて。
■出筆の経緯:はじめに子の弥四郎が同郷の大聖人に親近し、その後弥四郎の勧めで昔より尊敬していた日蓮大聖人に帰依した。大聖人が佐渡に流されるや、人に託して御供養の衣を送られたほどの大聖人への強い信仰を持った女性信徒であった。
本書は、武士である子の弥四郎が事件に遭遇、人を殺め自らは横死、この事について光日房は「人をもころしたりし者なればいかやうなるところにか生れて候らん」と、我が子弥四郎の後生はどうなるのか大聖人に問われ、それへの返書となっている。大聖人は光日房へ本書の他、光日上人御返事、光日尼御返事に加え、末法の御本仏の振る舞いを記された重要御書である「種種御振舞御書」も宛てられている。
また本抄では佐渡流罪からご赦免を経て三度目の国家諌暁、身延入山までの末法の本佛としての振る舞いについて詳しく記されている。
■ご真筆: 曽存:身延山(明治8年の火災で大半が焼失)、 一部、三条本成寺に所蔵。
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[光日房御書ご真筆]

[光日房御書 本文]その一

去る文永八年太歳辛未九月のころより御勘気をかほりて、北国の海中佐渡の嶋にはなたれたりしかば、なにとなく相州・鎌倉に住しには、生国なれば安房の国はこひしかりしかども、我が国ながらも、人の心もいかにとや、むつびにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに、御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれし上は、をぼろげならではかまくらへはかへるべからず。かへらずば又父母のはかをみる身となりがたしとをもひつづけしかば、いまさらとびたつばかりくやしくて、などかかかる身とならざりし時、日にも月にも海もわたり、山をもこえて父母のはかをもみ、師匠のありやうをもとひ、をとづれざりけんとなげかしくて、彼の蘇武が胡国に入りて十九年、かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろこしにわたりてありしが、かへされずしてとしを経しかば、月の東に出でたるをみて、我が国みかさの山にも此の月は出でさせ給いて、故里の人も只今月に向いてながむらんと、心をすましてけり。此れもかくをもひやりし時、我が国より或人のびんにつけて衣をたびたりし時、彼の蘇武がかりのあし、此れは現に衣あり。にるべくもなく心なぐさみて候しに、日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども、此の国のならひ、念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬるゆへに、法華経をば上にはたうとむよしをふるまい、心には入らざるゆへに、日蓮が法華経のいみじきよし申せば、威音王仏の末の末法に、不軽菩薩をにくみしごとく、上一人より下万人にいたるまで、名をも・きかじ、まして形をみる事はをもひよらず、さればたとひ失なくとも、かくなさる上はゆるしがたし。ましていわうや日本国の人の父母よりもをもく、日月よりもたかくたのみたまへる念仏を無間の業と申し、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の邪法、念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頚をはねらるべしと申す上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給いたりと申すほどの大禍ある身なり。此れ程の大事を上下万人に申しつけられぬる上は、設ひそらごとなりとも此の世にはうかびがたし。いかにいわうやこれはみな朝夕に申し、昼夜に談ぜしうへ、平左衛門尉等の数百人の奉行人に申しきかせ、いかにとがに行わるとも申しやむまじきよし、したたかにいゐきかせぬ。されば大海のそこのちびきの石はうかぶとも、天よりふる雨は地にをちずとも日蓮はかまくらへは還るべからず。

但し法華経のまことにおはしまし、日月我をすて給はずば、かへり入りて又父母のはかをもみるへんもありなんと、心づよくをもひて梵天・帝釈・日月・四天はいかになり給いぬるやらん。天照太神・正八幡宮は此の国にをはせぬか。仏前の御起請はむなしくて、法華経の行者をばすて給うか。もし此の事叶わずば、日蓮が身のなにともならん事はをしからず。各各現に教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給いしが、今日蓮を守護せずして捨て給うならば正直捨方便の法華経に大妄語を加へ給へるか。十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は提婆達多が大妄語にもこへ、瞿伽利尊者が虚誑罪にもまされり。設ひ大梵天として色界の頂に居し、千眼天といはれて須弥の頂におはすとも、日蓮をすて給うならば、阿鼻の炎にはたきぎとなり、無間大城にはいづるごおはせじ。此の罪をそろしとおぼさば、いそぎいそぎ国土にしるしをいだし給え、本国へかへし給へと高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば、九月の十二日に御勘気、十一月に謀反のものいできたり、かへる年の二月十一日に、日本国のかためたるべき大将どもよしなく打ちころされぬ。天のせめという事あらはなり。此れにやをどろかれけん、弟子どもゆるされぬ。

 而れどもいまだゆりざりしかば、いよいよ強盛に天に申せしかば頭の白き烏とび来りぬ。彼の燕のたむ太子の馬、烏のれい、日蔵上人の「山がらす、かしらもしろくなりにけり、我がかへるべき時やきぬらん」とながめし此れなりと申しもあへず。文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡の国につきぬ。同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて、十四日はかのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつにつくべきが、大風にはなたれさいわひにふつかぢをすぎて、かしはざきにつきて、次の日はこうにつき、十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入り、同じき四月八日に平左衛門尉に見参す。本よりごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために、三度いさめんに御用いなくば山林にまじわるべきよし存ぜしゆへに、同五月十二日に鎌倉をいでぬ。

[光日房御書 本文] 二に続く





by johsei1129 | 2014-09-14 21:52 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 14日

末法に法華経を信じる者は過去に十万億の仏を供養せる故であることを説いた書【法華証明抄】

【法華証明抄(ほっけしょうめいしょう】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282年)二月二十八日、六十一歳。
■出筆場所:身延山 草庵。
■出筆の経緯:本書は伯耆房(日興上人)を通して富士上野郷の地頭で強信徒の南条時光に宛てられた御書です。南条時光は大聖人に帰依した鎌倉幕府の役人(番役)で、後に富士上野郷の地頭となる南条兵衛七郎の次男として誕生する。幼くして父を失うが母とともに大聖人への信仰を貫き、後に上野郷の地頭職を引き継ぐ。富士熱原の法難の時は、日興上人を支え法華宗の頭領として幕府に睨(にら)まれながらも、大聖人門下の僧・信徒を庇護された。それらの獅子奮迅の活動の影響もあり、時光は二十四歳の時重病に陥る。
そのことを聞きつけた大聖人は、「すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」と、天魔に負けず法華経の信仰を貫くよう激励されている。大聖人による直々の励ましもあり時光は大病を克服、74歳で天寿を全うしている。大聖人はこの時光の深い信仰心に対し、「上野賢人殿」の称号を贈っている。

大聖人滅後、日興上人は波木井実長との信仰上の相違で身延山を離山するが、日興上人を師兄と慕う時光は日興上人を自領内に迎え入れ、正応3年(1290年)一帯の土地を寄進。富士・大石寺の開基檀那となる。さらに正中元年(1323年)には、亡くなった妻・妙蓮の一周忌供養のため、下条堀之内の自邸を改め妙蓮寺(現・日蓮正宗 妙蓮寺)を建立した。また、日興上人の後を継いだ三祖・日目上人は南条時光の甥にあたる。

尚、本御書で特筆すべきは、大聖人は本文の前に「法華経の行者 日蓮 花押」と認められていることだ。このように本文の前に○○日蓮と記す御書は、現在伝えられている四百数十編以上に及ぶ御書の中で、例えば『観心本尊抄(本朝沙門 日蓮 選)』、『選時抄(釈子 日蓮 述ぶ)』、「法華取要抄(扶桑沙門 日蓮これを述ぶ)』等、極めて限られた重要法門を説いた御書しか存在していない。この点だけ見ても、如何に大聖人が南条時光を大事に思われ、大病回復を強く願われていたかが偲ばれる。

■ご真筆: 西山本門寺など三寺に分在。時代写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)

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[ご真筆 冒頭部※花押が余白に認められている。]

[法華証明抄(別名:死活抄) 本文]

              法華経の行者 日蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば、法華経の御鏡にはいかんがうかべさせ給うと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりとたしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候を、一仏なれば末代の凡夫はうたがいやせんずらんとて、此より東方に、はるかの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の多宝仏、わざわざと行幸(みゆき)ならせ給いて釈迦仏にをり向いまいらせて、妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき。此の上はなにの不審か残るべき。なれどもなをなを末代の凡夫はをぼつかなしとをぼしめしや有りけん。十方の諸仏を召しあつめさせ給いて、広長舌相と申して無量劫よりこのかた永くそらごとなきひろくながく大なる御舌を、須弥山のごとく虚空に立てならべ給いし事は、をびただしかりし事なり。かう候へば、末代の凡夫の身として法華経の一字・二字を信じまいらせ候へば、十方の仏の御舌を持つ物ぞかし。いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上、経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が、法華経計りをば用いまいらせず候いけれども、仏くやう(供養)の功徳莫大なりければ、謗法の罪に依りて貧賤の身とは生れて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」等云云。地にたうれたる人はかへりて地よりをく。法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へども、かへりて法華経の御手にかかりて仏になるとこと(断)わられて候。

しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらひをなし、結句は命に及ぶ人人もあり。信じがたき上、ちち・故上野は信じまいらせ候いぬ。又此の者敵(嫡)子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ、此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ・とどめよ。日蓮が言(ことば)をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。

二月廿八日
伯耆房に下す。

[法華証明抄(別名:死活抄) 本文] 完。

by johsei1129 | 2014-09-14 00:15 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 11日

法華経の行者を供養する功徳は釈迦仏を無量の宝を尽して供養せる功徳に勝れたりとあかした【新池御書】四

[新池御書 本文]その四

 又一代聖教を弘むる人多くおはせども、是れ程の大事の法門をば伝教天台もいまだ仰せられず。其も道理なり。末法の始の五百年に上行菩薩の出世あつて弘め給ふべき法門なるが故なり。相構へて、いかにしても此の度此の経を能く信じて、命終の時千仏の迎いに預り、霊山浄土に走りまいり自受法楽すべし。信心弱くして成仏ののびん時、某(日蓮)をうらみさせ給ふな。譬えば病者に良薬を与ふるに、毒を好んでくひぬれば其の病愈えがたき時、我がとがとは思はず、還つて医師を恨むるが如くなるべし。
 
 此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず、法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ。仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば、天然と三十二相八十種好を備うるなり。如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。譬えば鳥の卵は始は水なり、其の水の中より誰かなすともなけれども、觜(くちばし)よ目よと厳(かざ)り出来て虚空にかけるが如し。我等も無明の卵にしてあさましき身なれども、南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられまいらせて、三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛(よろいげ)生そろひて実相真如の虚空にかけるべし。爰を以て経に云く「一切衆生は無明の卵に処して智慧の口ばしなし。仏母の鳥は分段同居(どうこ)の古栖に返りて、無明の卵をたたき破りて一切衆生の鳥をすだてて、法性真如の大虚にとばしむ」と説けり取意

 有解(うげ)無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし。皆此の経の意なり、私の言にはあらず。されば二の巻には「信を以て入ることを得、己が智分に非ず」とて、智慧第一の舎利弗も但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり。己が智慧にて仏にならずと説き給へり。舎利弗だにも智慧にては仏にならず。況や我等衆生少分の法門を心得たりとも信心なくば仏にならんことおぼつかなし。末代の衆生は法門を少分こころえ、僧をあなづり、法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり。法をこころえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。今は仏ましまさず、解悟(げご)の智識を仏と敬ふべし、争か徳分なからんや。後世を願はん者は名利名聞を捨てて、何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。是れ正く経文なり。

 今時の禅宗は大段、仁・義・礼・智・信の五常に背けり。有智(うち)の高徳をおそれ、老いたるを敬ひ、幼きを愛するは内外典の法なり。然るを彼の僧家の者を見れば、昨日今日まで田夫野人(でんぷやじん)にして黒白を知らざる者も、かちん(褐色)の直綴(じきとつ)をだにも著つれば、うち慢じて・天台真言の有智・高徳の人をあなづり、礼をもせず其の上に居らんと思うなり。是れ傍若無人にして畜生に劣れり。爰を以て伝教大師の御釈に云く、川獺(せんだつ)祭魚のこころざし、林烏(りんう)父祖の食を通ず、鳩鴿(きゅうごう)三枝の礼あり、行雁連(こうがんつら)を乱らず、羔羊踞(こうよう・うずくま)りて乳を飲む。賤き畜生すら礼を知ること是くの如し、何ぞ人倫に於て其の礼なからんやとあそばされたり取意。彼等が法に迷ふ事道理なり。人倫にしてだにも知らず、是れ天魔破旬のふるまひにあらずや。

 是等の法門を能く能く明らめて、一部八巻廿八品を頭にいただき懈らず行ひ給へ。又某を恋しくおはせん時は日日に日を拝ませ給へ、某は日に一度天の日に影をうつす者にて候。此の僧によませまひらせて聴聞あるべし。此の僧を解悟の智識と憑(たの)み給いてつねに法門御たづね候べし。聞かずんば争か迷闇の雲を払はん。足なくして争か千里の道を行かんや。返す返す此の書をつねによませて御聴聞あるべし。事事面の次を期し候間・委細には申し述べず候。穴賢穴賢。

  弘安三年二月 日                          日 蓮  花押
新 池 殿

by johsei1129 | 2014-09-11 19:52 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 10日

法華経の行者を供養する功徳は釈迦仏を無量の宝を尽して供養せる功徳に勝れたりとあかした【新池御書】三

[新池御書 本文]その三

 釈尊は一切の諸仏・一切の諸神・人天大会・一切衆生の父なり、主なり、師なり。此の釈尊を殺したらんに、争か諸天・善神等うれしく思食すべき。今此の国の一切の諸人は皆釈尊の御敵なり。在家の俗男・俗女等よりも邪智心の法師ばらは殊の外の御敵なり。智慧に於ても正智あり邪智あり。智慧ありとも其の邪義には随ふべからず。貴僧・高僧には依るべからず。賤き者なりとも、此の経の謂れを知りたらんものをば生身の如来のごとくに礼拝供養すべし。是れ経文なり。されば伝教大師は無智破戒の男女等も此の経を信ぜん者は、小乗二百五十戒の僧の上に座席に居(すえ)よ、末坐すべからず。況や大乗此の経の僧をやとあそばされたり。今生身の如来の如くにみえたる極楽寺の良観房よりも、此の経を信じたる男女は座席を高く居ることこそ候へ。彼の二百五十戒の良観房も、日蓮に会いぬれば腹をたて眼をいからす、是ただごとにはあらず。智者の身に魔の入りかはればなり。譬えば本性よき人なれども、酒に酔いぬればあしき心出来し、人の為にあしきが如し。仏は法華以前の迦葉・舎利弗・目連等をば是を供養せん者は三悪道に堕つべし。彼が心は犬野干の心には劣れりと説き給いて候なり。彼の四大声聞等は、二百五十戒を持つことは金剛の如し。三千の威儀具足する事は十五夜の月の如くなりしかども、法華経を持たざる時は是くの如く仰せられたり。何に況や、それに劣れる今時の者共をや。建長寺・円覚寺の僧共の作法戒文を破る事は、大山の頽(くず)れたるが如く、威儀の放埒(ほうらつ)なることは猿に似たり。是を供養して後世を助からんと思ふは、はかなしはかなし。

 守護の善神此の国を捨つる事疑あることなし。 昔釈尊の御前にして諸天善神・菩薩・声聞・異口同音に誓をたてさせ給いて、若し法華経の御敵の国あらば或は六月に霜霰(しもあられ)と成りて国を飢饉せさせんと申し、或は小虫と成りて五穀をはみ失はんと申し、或は旱魃をなさん、或は大水と成りて田園をながさんと申し、或は大風と成りて人民を吹き殺さんと申し、或は悪鬼と成りてなやまさんと面面に申させ給ふ。今の八幡大菩薩も其の座におはせしなり。争か霊山の起請の破るるをおそれ給はざらん。起請を破らせ給はば無間地獄は疑なき者なり。恐れ給うべし恐れ給うべし。

 今までは正く仏の御使出世して此の経を弘めず、国主もあながちに御敵にはならせ給はず、但いづれも貴しとのみ思ふ計りなり。
 今某(日蓮大聖人ご自身)、仏の御使として此の経を弘むるに依りて、上一人より下万民に至るまで皆謗法と成り畢んぬ。今までは此の国の者ども法華経の御敵にはなさじと、一子のあひにくの如く捨てかねて・おはせども、霊山の起請のおそろしさに社を焼き払いて天に上らせ給いぬ。さはあれども身命をおしまぬ法華経の行者あれば其の頭には住むべし。天照太神・八幡大菩薩・天に上らせ給はば、其の余の諸神争か社に留るべき。縦ひ捨てじと思食すとも、霊山のやくそくのままに某呵責し奉らば、一日もやはかおはすべき。譬えば盗人の候に知れぬ時はかしこやここに住み候へども、能く案内知りたる者の、是こそ盗人とののしりどめけば、おもはぬ外に栖を去るが如く、某にささへられて社をば捨て給ふ。然るに此の国思いの外に悪鬼神の住家となれり。哀なり哀なり。

[新池御書 本文]その四に続く


by johsei1129 | 2014-09-10 22:09 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)