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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 05月 27日

日蓮の法門が出現すると既存仏教は、日出でて後の星の光の如くなると断言した書【三沢抄】三

[三沢抄 本文]その二

 又内房の御事は御年寄らせ給いて御わたりありし労しくおもいまいらせ候いしかども・氏神へまいりてあるついでと候しかば・見参に入るならば・定めて罪ふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり・所従のついでに主君への・見参は世間にも・をそれ候、其の上尼の御身になり給いては・まづ仏を先とすべし、かたがたの御失がありしかば見参せず候、此の又尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人人も・下部の湯のついでと申す者をあまた・をひかへして候、尼ごぜんは・親のごとくの御としなり、御なげきいたわしく候いしかども此の義をしらせまいらせんためなり。

 又殿のは・一昨年の見参の後そらごとにてや候いけん御所労と申せしかば・人をつかわして・きかんと申せしに・此の御房たちの申せしはそれはさる事に候へども・人をつかわしたらば・いぶせくやをもはれ候はんずらんと申せしかば・世間のならひは・さもやあるらむ、げんに御心ざしまめなる上・御所労ならば御使も有りなんと・をもひしかども・御使もなかりしかば・いつわりをろかにて・をぼつかなく候いつる上無常は常のならひなれども・こぞことしは世間はうにすぎて・みみへまいらすべしとも・をぼへず、こひしくこそ候いつるに御をとづれあるうれしとも申す計りなし、尼ごぜんにも・このよしをつぶつぶとかたり申させ給い候へ、法門の事こまごまと・かきつへ申すべく候へども事ひさしくなり候へばとどめ候。

 ただし禅宗と念仏宗と律宗等の事は少少前にも申して候、真言宗がことに此の国とたうどとをば・ほろぼして候ぞ、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・弘法大師・慈覚大師・智証大師・此の六人が大日の三部経と法華経との優劣に迷惑せしのみならず、三三蔵・事をば天竺によせて両界をつくりいだし狂惑しけるを・三大師うちぬかれて日本へならひわたし国主並に万民につたへ、漢土の玄宗皇帝も代をほろぼし・日本国もやうやくをとろへて八幡大菩薩の百王のちかいもやぶれて・八十二代隠岐の法王・代を東にとられ給いしは・ひとへに三大師の大僧等がいのりしゆへに還著於本人して候、関東は此の悪法悪人を対治せしゆへに十八代をつぎて百王にて候べく候いつるを、又かの悪法の者どもを御帰依有るゆへに一国には主なければ・梵釈・日月・四天の御計いとして他国にをほせつけて・をどして御らむあり、又法華経の行者をつかわして御いさめあるを・あやめずして・彼の法師等に心をあわせて世間出世の政道をやぶり、法にすぎて法華経の御かたきにならせ給う、すでに時すぎぬれば此の国やぶれなんとす。
 
 やくびやうはすでにいくさにせんふせわまたしるしなり、あさまし・あさまし。

二月二十三日                日 蓮 花押
みさわどの

by johsei1129 | 2014-05-27 19:05 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 17日

地獄より仏界までの十界の依正の当体悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたと明かした書【諸法実相抄】二

[諸法実相抄 本文]その二

 日蓮・末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先作り顕はし奉る事、予が分斉にはいみじき事なり、日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん、さればかかる日蓮を此の嶋まで遠流しける罪・無量劫にもきへぬべしとも覚へず、譬喩品に云く「若し其の罪を説かば劫を窮むるも尽きず」とは是なり、又日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず、経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり、地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし、若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや、経に云く「能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使・如来の所遣として如来の事を行ずるなり」と、豈に別人の事を説き給うならんや、されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり、是ほむる処の言よりをこり候ぞかし、末法に生れて法華経を弘めん行者は、三類の敵人有つては供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ・大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にてあるべしと・釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・天神七代・地神五代の神神・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢・文殊・日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも堪忍して候なり、ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり。

 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり、既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦・多宝の二仏大将としてさだめ給いし事あに・いつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり。

 日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候に・すこしもくもりなし、又其の座にもや・ありけん凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり又未来は決定として当詣道場なるべし、過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん、三世各別あるべからず、此くの如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりなしうれしきにも・なみだ・つらきにもなみだなり涙は善悪に通ずるものなり彼の千人の阿羅漢・仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・なきながら如是我聞と答え給う、余の九百九十人はなくなみだを硯の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり、今日蓮もかくの如し、かかる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり、釈迦仏・多宝仏・未来・日本国の一切衆生のために・とどめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、かくの如く我も聞きし故ぞかし、現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり、若しからば甘露のなみだとも云つべし、涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にはかれて流すところの涙は四大海の水よりもををしといへども、仏法のためには一滴をも・こぼさずと見えたり、法華経の行者となる事は過去の宿習なり、同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし、仏なりとも権仏となるは又宿業なるべし。

 此文には日蓮が大事の法門ども・かきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給へ・意得させ給うべし、一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

五月十七日                                      日蓮花押

 追申候、日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ 不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身 に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華 経と唱へて日本国の男女を・みちびかんとおもへばなりか、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う、此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ、とどめ畢んぬ。

最蓮房御返事

by johsei1129 | 2014-05-17 20:19 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)