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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 01月 11日

国家諌暁(信仰の誤りを正す)の書『立正安国論』 その④

[立正安国論本文]③より続く・・・・・

 又云く 「善男子・過去の世に此の拘尸那(くしな)城に於て仏の世に出でたまうこと有りき、歓喜増益如来と号したてまつる、仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり、余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り名を覚徳と曰う、爾の時に多く破戒の比丘有り、是の説を作すを聞きて皆悪心を生じ刀杖を執持し是の法師を逼(せ)む、是の時の国王名けて有徳(うとく)と曰う 是の事を聞き已つて護法の為の故に即便(すなわ)ち説法者の所に往至して是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す、爾の時に説法者厄害を免ることを得たり王・爾の時に於て身に刀剣鉾槊(むさく)の瘡(きず)を被り体に完き処は芥子(けし)の如き許りも無し、爾の時に覚徳尋いで王を讃めて言く、善きかな善きかな王、今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし、王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋いで即ち命終して阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生ず而も彼の仏の為に第一の弟子と作る、其の王の将従・人民・眷属・戦闘有りし者、歓喜有りし者、一切菩提の心を退せず命終して悉く阿閦仏の国に生ず、覚徳比丘却つて後寿終つて亦阿閦仏の国に往生することを得て彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る、若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是くの如く受持し擁護すべし、迦葉・爾の時の王とは即ち我が身是なり、説法の比丘は迦葉仏是なり、迦葉正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん、是の因縁を以て我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し法身不可壊(ふかえ)の身を成す、仏迦葉菩薩に告げたまわく、是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし、善男子・我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し互に相抄掠(しょうりょう)し人民飢餓せん、爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん、是くの如きの人を名けて禿人(とくにん)と為す、是の禿人の輩正法を護持するを見て駈逐して出さしめ若くは殺し若くは害せん、是の故に我今持戒の人・諸の白衣の刀杖を持つ者に依つて以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す、刀杖を持すと雖も我是等を説いて名けて持戒と曰わん、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」と。法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。

 夫れ経文顕然なり私の詞何ぞ加えん、凡そ法華経の如くんば大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり、故に阿鼻大城に堕して永く出る期無けん、涅槃経の如くんば設い五逆の供を許すとも謗法の施を許さず、蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ、謗法を禁ずる者は不退の位に登る、所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり、有徳とは則ち釈迦文なり。
法華涅槃の経教は一代五時の肝心なり、其の禁(いましめ)実に重し、誰か帰仰せざらんや、而るに謗法の族正道を忘るの人・剰(あまつさえ)法然の選択に依つて弥(いよい)よ愚癡の盲瞽を増す、是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露し、或は其の妄説を信じて莠言(ゆうげん)を模(かたぎ)に彫り、之を海内に弘め、之を外(かくがい)に翫(もてあそ)ぶ、仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり、然る間或は釈迦の手指を切つて弥陀の印相に結び、或は東方如来の鴈宇(がんう)を改めて西土教主の鵝王(がおう)を居え、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、或は天台大師の講を停めて善導講と為す、此くの如き群類其れ誠に尽くし難し、是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや、此の邪義則ち選択(せんちゃく)に依るなり。嗟呼(ああ)悲しいかな、如来誠諦(じょうたい)の禁言に背くこと、哀なるかな愚侶迷惑の麤語に随うこと、早く天下の静謐(せいひつ)を思わば須く国中の謗法を断つべし。
 
 客の曰く、若し謗法の輩を断じ若し仏禁の違を絶せんには彼の経文の如く斬罪に行う可きか、若し然らば殺害相加つて罪業何んが為んや。則ち大集経に云く「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養す可し、則ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり、若し彼をカ打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し彼を罵辱(めり)せば則ち我を毀辱(きじょく)するに為りぬ」料り知んぬ善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く僧侶為らんに於ては供養を展ぶ可し、何ぞ其の子を打辱(だにく)して忝くも其の父を悲哀せしめん、彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽(むせ)ぶ、先証斯れ明かなり後昆(こうこん)最も恐(おそれ)あり、謗法を誡むるには似たれども既に禁言を破る此の事信じ難し如何が意得んや。
 主人の云く、客明に経文を見て猶斯の言を成す心の及ばざるか理の通ぜざるか、全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪(にく)むなり、夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず、皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん。客則ち席を避け襟(えり)を刷(つくろ)いて曰く、仏教斯く区(まちまち)にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明ならず、但し法然聖人の選択現在なり、諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す、其の文顕然なり、茲(こ)れに因つて聖人国を去り善神所を捨てて天下飢渇し世上疫病すと、今主人広く経文を引いて明かに理非を示す、故に妄執既に飜えり耳目数(じもくしばしば)朗かなり、所詮国土泰平・天下安穏は一人より万民に至るまで好む所なり楽う所なり、早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め法山の緑林を截(き)らば世は羲農(ぎのう)の世と成り国は唐虞(とうぐ)の国と為らん。然して後法水の浅深を斟酌(しんしゃく)し仏家の棟梁を崇重せん。

 主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り雀変じて蛤(はまぐり)と為る、悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝(まほ)の性と成る、誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば風和らぎ浪静かにして不日(ぶじつ)に豊年(ぶねん)ならん、但し人の心は時に随つて移り物の性は境に依つて改まる、譬えば猶水中の月の波に動き陳前の軍の剣に靡(なび)くがごとし、汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん、若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし忩(いそい)で対治を加えよ、所以(ゆえん)は何ん、薬師経の七難の内五難忽に起り二難猶残れり、所以他国侵逼(しんぴつ)の難・自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未だ起らず、所以(いわゆる)兵革(ひょうかく)の災なり、金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も他方の怨賊国内を侵掠(しんりゃく)する、此の災未だ露れず此の難未だ来らず、仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず、所以四方の賊来つて国を侵すの難なり加之(しかのみならず)国土乱れん時は先ず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱ると、今此の文に就いて具さに事の情を案ずるに百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ、先難是れ明かなり、後災何ぞ疑わん・若し残る所の難悪法の科に依つて並び起り競い来らば其の時何んが為(せ)んや、帝王は国家を基(もとい)として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん、汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か、就中人の世に在るや各後生を恐る、是を以て或は邪教を信じ或は謗法を貴ぶ、各是非に迷うことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ、何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を宗(あが)めんや、若し執心飜らず亦曲意猶存せば早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間の獄に堕ちなん。所以は何ん、
 
 大集経に云く「若し国王有つて無量世に於て施戒慧(せかいえ)を修すとも我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇い寿終の後大地獄に生ずべし・王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならん」と。
 仁王経に云く「人仏教を壊(やぶ)らば復た孝子無く、六親不和にして天竜も祐(たす)けず、疾疫悪鬼日に来つて侵害し災怪首尾し連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん、若し出て人と為らば兵奴(ひょうぬ)の果報ならん、響の如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
 法華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と、同第七の巻不軽品に云く「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と、涅槃経に云く「善友を遠離し正法を聞かず、悪法に住せば是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在つて、受くる所の身形・縦横八万四千由延(ゆえん)ならん」と。広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮(とこしなえ)に謗教の網に纒(まつわ)る、此の朦霧(もうむ)の迷、彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む、豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の寸心を改めて速(すみやか)に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰んや、十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊(はえ)無(なく)んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞(ことば)此の言信ず可く崇む可し。

 客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和(したが)わざらん、此の経文を披いて具(つぶさ)に仏語を承るに誹謗の科至つて重く毀法の罪誠に深し、我一仏を信じて諸仏を抛ち三部経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず、則ち先達の詞に随いしなり、十方の諸人も亦復是くの如くなるべし、今の世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明かに理詳(つまびら)かなり疑う可からず、弥よ貴公の慈誨(じかい)を仰ぎ、益(ますます)愚客の癡心を開けり、速に対治を回(めぐら)して早く泰平を致し、先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。

立正安国論奥書
 文応元年太歳庚申之を勘う正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。
去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥(いぬい)の尅の大地震を見て之を勘う、其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以て宿屋禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり、其の後文永元年太歳甲子七月五日大明星の時、弥(いよいよ)此の災の根源を知る、文応元年太歳庚申より文永五年太歳戊辰後の正月十八日に至るまで九ケ年を経て西方大蒙古国自り我が朝を襲う可きの由牒状之を渡す、又同六年重ねて牒状之を渡す、既に勘文之に叶う、之に準じて之を思うに未来亦然る可きか、此の書は徴(しるし)有る文なり、是れ偏に日蓮が力に非ず法華経の真文の感応の至す所か。
文永六年太歳己巳十二月八日之を写す。

安国論御勘由来 
 正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時、前代に超え大に地振す、同二年戊午八月一日大風・同三年己未大飢饉、正元元年己未大疫病、同二年庚申四季に亘つて大疫已まず、万民既に大半に超えて死を招き了んぬ、而る間国主之に驚き内外典に仰せ付けて種種の御祈祷有り、爾りと雖も一分の験も無く還つて飢疫等を増長す。
 日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに御祈請験無く還つて凶悪を増長するの由道理文証之を得了んぬ、終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正安国論と号す、文応元年庚申七月十六日辰時屋戸野(やどや)入道に付けて古最明寺入道殿に奏進申し了んぬ、此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり、其勘文の意は日本国・天神七代・地神五代百王百代・人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて百済国より仏法此の国に渡り桓武天皇の御宇に至つて其の中間五十余代・二百六十余年なり、其の間一切経並びに六宗之れ有りと雖も天台真言の二宗未だ之れ有らず、桓武の御宇に山階寺(やましなでら)の行表僧正の御弟子に最澄と云う小僧有り、後に伝教大師と号す、已前に渡る所の六宗並に禅宗之を極むと雖も未だ我が意に叶わず、聖武天皇の御宇に大唐の鑒真(がんじん)和尚渡す所の天台の章疏・四十余年を経て已後始めて最澄之を披見し粗仏法の玄旨を覚り了んぬ、最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す、桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う。
 同延暦十三年に長岡の京を遷して平安城を建つ、同延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学(せきがく)・勤操・長耀(ちょうよう)等の十四人を召し合せ勝負を決談す、六宗の明匠・一問答にも及ばず口を閉ずること鼻の如し、華厳宗の五教・法相宗の三時・三論宗の二蔵・三時の所立を破し了んぬ、但自宗を破らるるのみに非ず皆謗法の者為ることを知る、同じき廿九日皇帝勅宣を下して之を詰(なじ)る、十四人謝表を作つて皇帝に捧げ奉る、其の後代代の皇帝叡山の御帰依は孝子の父母に仕うるに超え、黎民(れいみん)の王威を恐るるに勝れり、或御時は宣明(せんみょう)を捧げ或御時は非を以て理に処す等云云、殊に清和天皇は叡山の恵亮(えりょう)和尚の法威に依つて位に即き、帝王の外祖父・九条右丞相は誓状を叡山に捧げ、源(みなもと)の右将軍は清和の末葉なり、鎌倉の御成敗(ごせいばい)是非を論ぜず叡山に違背す、天命恐れ有る者か。然るに後鳥羽院の御宇・建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り、悪鬼其の身に入つて国中の上下を誑惑(おうわく)し、代を挙げて念仏者と成り人毎に禅宗に趣く、存の外に山門の御帰依浅薄なり、国中の法華真言の学者棄て置かれ了んぬ、故に叡山守護の天照太神・正八幡宮・山王七社・国中守護の諸大善神法味を飧(くら)わずして威光を失い国土を捨て去り了んぬ、悪鬼便りを得て災難を致し結句他国より此の国を破る可き先相勘うる所なり、又其の後文永元年甲子七月五日彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来無き所の凶瑞(きょうずい)なり内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず、予弥よ悲歎を増長す、而るに勘文を捧げて已後九ケ年を経て今年後の正月大蒙古国の国書を見るに日蓮が勘文に相叶うこと宛(あた)かも符契(ふけい)の如し、仏記して云く「我が滅度の後一百余年を経て阿育(あそか)大王出世し我が舎利を弘めん」と、周の第四昭王の御宇・大史蘇由が記に云く「一千年の外・声教此の土に被らしめん」と、聖徳太子の記に云く「我が滅度の後二百余年を経て山城の国に平安城を立つ可し」と、天台大師の記に云く「我が滅後二百余年の已後東国に生れて我が正法を弘めん」等云云、皆果して記文の如し。日蓮正嘉の大地震同じく大風同じく飢饉・正元元年の大疫等を見て記して云く、他国より此の国を破る可き先相なりと、自讃に似たりと雖も若し此の国土を毀壊(きえ)せば復た仏法の破滅疑い無き者なり。
 而るに当世の高僧等謗法の者と同意の者なり、復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書(みきょうしょ)を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥(いよい)よ瞋恚(しんに)を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。日蓮復之を対治するの方之を知る、叡山を除いて日本国には但一人なり、譬えば日月の二つ無きが如く聖人肩を並べざるが故なり、若し此の事妄言ならば日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰之を蒙らん、但偏(ひとえ)に国の為、法の為、人の為にして身の為に之を申さず、復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ、之を用いざれば定めて後悔有る可し、恐恐謹言。
   文永五年太歳戊辰四月五日 
鑒御房

       日 蓮花 押

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安国論別状
 立正安国論の正本、富木殿に候、かきて給び候はん、ときどのか、又
  五月廿六日
               日 蓮 花 押

国家諌暁(信仰の誤りを正す)の書『立正安国論』 その④_f0301354_958031.jpg



<安国論別状のご真筆 日蓮の署名と花押が記されている>
※花押とは日本式のサインのようなもので、平安時代以降江戸時代まで盛んに使用された。本人が書いたことを示す各自独特の形で書かれる。現在でも内閣の閣議書には各大臣が署名・押印の代わりに花押を記す。

by johsei1129 | 2014-01-11 19:11 | 立正安国論(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2014年 01月 10日

国家諌暁(信仰の誤りを正す)の書『立正安国論』 その③

[立正安国論本文]②より続く・・・・・

涅槃経に云く「我れ涅槃の後・無量百歳・四道の聖人悉く復た涅槃せん、正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし、持律に似像(じぞう)して少く経を読誦し、飲食を貪嗜(とんし)して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐(しずか)に行くが如く、猫の鼠を伺うが如し、常に是の言(ことば)を唱えん、我羅漢を得たりと、外には賢善を現し内には貪嫉(とんしつ)を懐く、唖法(あほう)を受けたる婆羅門等の如し、実には沙門(しゃもん)に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛(しじょう)にして正法を誹謗せん」已上。

 客猶憤(いきどお)りて曰く、明王は天地に因つて化を成し、聖人は理非を察して世を治む、世上の僧侶は天下の帰する所なり、悪侶に於ては明王信ず可からず、聖人に非ずんば賢哲仰ぐ可からず、今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知んぬ、何ぞ妄言を吐いて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂うや、委細に聞かんと欲す。

主人の曰く、後鳥羽院の御宇(ぎょう)に法然と云うもの有り、選択集(せんちゃくしゅう)を作る、則ち一代の聖教を破し、徧(あまね)く十方の衆生を迷わす、其の選択に云く、道綽禅師・聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文、 初に聖道門とは之に就いて二有り乃至之に準じ之を思うに、応(まさ)に密大及以び実大をも存すべし、然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論(じょうろん)・此等の八家の意正しく此に在るなり、曇鸞(どんらん)法師往生論の注に云く、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙(びばしゃ)を案ずるに云く、菩薩・阿毘跋致(あびばっち)を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なり、此の中難行道とは即ち是れ聖道門なり、易行道とは即ち是れ浄土門なり、浄土宗の学者先ず須(すべか)らく此の旨を知るべし、設い先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし、又云く、善導和尚・正雑の二行を立て、雑行(ぞうぎょう)を捨てて正行に帰するの文、第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外・大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く、第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名く、私に云く、此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし、豈(あに)百即百生の専修正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや、行者能く之を思量せよ、又云く、貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし、当に知るべし、随他の前には暫(しばら)く定散(じょうさん)の門を開くと雖も、随自の後には還て定散の門を閉ず、一たび開いて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なりと、又云く、念仏の行者必ず三心を具足す可きの文、観無量寿経に云く同経の疏に云く、問うて曰く若し解行の不同・邪雑の人等有つて外邪異見の難を防がん、或は行くこと一分二分にして群賊等喚廻(よびかえ)すとは即ち別解.別行・悪見の人等に喩う、私に云く又此の中に一切の別解.別行・異学・異見等と言うは是れ聖道門を指す已上、又最後結句の文に云く 「夫れ速(すみや)かに生死(しょうじ)を離れんと欲せば二種の勝法の中に且く聖道門を閣(さしお)きて選んで浄土門に入れ、浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且く諸の雑行を抛(なげう)ちて選んで応に正行に帰すべし」已上。 

之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈(みょうしゃく)を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て、法華真言惣じて一代の大乗・六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ、此の四字を以て多く一切を迷わし、剰(あまつさ)え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併(あわ)せて罵詈(めり)せしむ、近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至其の人命終つて阿鼻獄(あびごく)に入らん」の誡文に迷う者なり。

 是に於て代末代に及び人・聖人に非ず・各冥衢(おのおのみょうく)に容(い)つて並びに直道を忘る・悲いかな瞳矇(どうもう)をウタず、痛(いたまし)いかな徒(いたずら)に邪信を催す、故に上国王より下土民に至るまで皆経は浄土三部の外の経無く、仏は弥陀三尊の外の仏無しと謂(おも)えり。仍つて伝教・義真・慈覚・智証等或は万里の波涛(はとう)を渉(わた)つて渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓(いただき)に華界を建てて以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てて以て崇重す、釈迦薬師の光を並ぶるや威を現当に施し、虚空(こくう)地蔵の化を成すや益を生後に被(こうむ)らしむ、故に国王は郡郷を寄せて以て灯燭を明にし、地頭は田園を充てて以て供養に備う。
  
 而るを法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄(ぶつだ)を貴び、付属を抛(なげう)つて東方の如来を閣(さしお)き、唯四巻三部の教典を専にして空しく一代五時の妙典を抛つ、是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏(くぶつ)の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る、故に仏閣零落して瓦松(がしょう)の煙老い、僧房荒廃して庭草の露深し、然りと雖も各護惜(ごしゃく)の心を捨て並びに建立の思を廃す、是を以て住持の聖僧行(ゆ)いて帰らず、守護の善神去つて来ること無し、是れ偏に法然の選択に依るなり、悲いかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷えり、傍(ぼう)を好んで正を忘る、善神怒(いかり)を為さざらんや、円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや、如(し)かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。

 客殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文浄土の三部経を説きたまいて以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽(どうしゃく)禅師は涅槃の広業を閣きて偏に西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛つて専修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす、弥陀を貴重すること誠に以て然なり、又往生の人其れ幾ばくぞや、就中(なかんずく)法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り並びに八宗を究め具に大意を得たり、其の外一切の経論・七遍反覆し章疏伝記究め看ざることなく智は日月に斉しく徳は先師に越えたり、然りと雖も猶出離の趣に迷いて涅槃の旨を弁えず、故に徧く覿(み)悉く鑑(かんが)み、深く思い遠く慮(おもんぱか)り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す、其の上一夢の霊応を蒙り四裔(えい)の親疎に弘む、故に或は勢至の化身と号し或は善導の再誕と仰ぐ、然れば則ち十方の貴賎頭を低(た)れ一朝の男女歩を運ぶ、爾しより来(このか)た春秋推(おし)移りおし、星霜相積れり、而るに忝(かたじけな)くも釈尊の教を疎(おろか)にして恣(ほしいまま)に弥陀の文を譏る、何ぞ近年の災を以て聖代の時に課せ、強(あなが)ちに先師を毀(そし)り、更に聖人を罵るや、毛を吹いて疵(きず)を求め皮を剪(き)つて血を出す、昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず、惶(おそ)る可く慎む可し、罪業至つて重し科条争(いかで)か遁(のが)れん、対座猶以て恐れ有り、杖に携(たずさ)われて則ち帰らんと欲す。
 
 主人咲み止めて曰く、辛きことを蓼(たで)の葉に習い、臭きことを溷厠(かわや)に忘る、善言を聞いて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑つて悪侶に擬す、其の迷(まよい)誠に深く、其の罪浅からず、事の起りを聞け、委しく其の趣を談ぜん。

 釈尊説法の内一代五時の間に先後を立てて権実を弁ず、而るに曇鸞・道綽・善導既に権に就いて実を忘れ、先に依つて後を捨つ、末だ仏教の淵底(えんでい)を探らざる者なり、就中法然は其の流を酌むと雖も其の源を知らず、所以は何ん大乗経の六百三十七部二千八百八十三巻・並びに一切の諸仏・菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の字を置いて一切衆生の心を薄(かろ)んず、是れ偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず、妄語の至り悪口の科(とが)、言うても比(ならび)無し、責めても余り有り。人皆其の妄語を信じ悉く彼の選択を貴ぶ、故に浄土の三経を崇(あが)めて衆経を抛ち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る、誠に是れ諸仏諸経の怨敵聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり、此の邪教広く八荒に弘まり、周く十方に遍す、抑(そもそも)近年の災難を以て往代を難ずるの由、強ちに之を恐る、聊(いささ)か先例を引いて汝が迷を悟す可し、止観第二に史記を引いて云く「周の末に被髪・袒身(たんしん)・礼度に依らざる者有り」弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて曰く「初め平王の東に遷(うつ)りしに、伊川(いせん)に髪を被(かぶろ)にする者の野に於て祭るを見る、識者の曰く、百年に及ばじ其の礼先ず亡びぬ」と、爰(ここ)に知んぬ、徴前(しるしさき)に顕れ災い後に致ることを、又阮藉(げんせき)が逸才なりしに蓬頭(ほうとう)散帯す、後に公卿の子孫皆之に教ならいて奴苟相辱(どこうあいはずか)しむる者を方(まさ)に自然に達すと云い、撙節兢持(そんせつこうじ)する者を呼んで田舎(でんしゃ)と為す、是を司馬氏の滅する相と為す已上。

又慈覚大師の入唐(にっとう)巡礼記を案ずるに云く、「唐の武宗皇帝・会昌元年勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝え令む、寺毎に三日巡輪すること絶えず、同二年回鶻(かいこつ)国の軍兵等唐の堺を侵す、同三年河北の節度使忽ち乱を起す、其の後大蕃国更(だいばんこくま)た命を拒み回鶻国重ねて地を奪う、 凡そ兵乱秦項の代に同じく災火邑里の際に起る、何に況んや武宗大に仏法を破し多く寺塔を滅す、乱を撥(おさむ)ること能(あた)わずして遂に以て事有り」已上取意。 此れを以て之を惟うに法然は後鳥羽院の御宇・建仁年中の者なり、彼の院の御事既に眼前に在り、然れば則ち大唐に例を残し、吾が朝に証を顕す、汝疑うこと莫かれ、汝怪むこと莫かれ、唯須く凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截(たつ)べし。客聊か和ぎて曰く、未だ淵底を究めざるに数ば其の趣を知る、但し華洛より柳営に至るまで釈門に枢楗(すうけん)在り、仏家に棟梁在り、然るに未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず汝賎身(いやしきみ)を以て輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐く、其の義余り有り、其の理謂れ無し。
 
 主人の曰く、予少量為りと雖も忝くも大乗を学す、蒼蝿驥尾(そうようきび)に附して万里を渡り、碧蘿松頭(へきらしょうとう)に懸りて千尋(せんじん)を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微(すいび)を見て心情の哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊(や)ぶる者を見て置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば当に知るべし、是の人は仏法の中の怨(あだ)なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり」と、余・善比丘の身為らずと雖も「仏法中怨」の責(せめ)を遁れんが為に唯大綱を撮(と)つて粗一端を示す。其の上去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経・勅宣・御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院(かんじんいん)の犬神人(つるめそう)に仰せ付けて破却せしむ、其の門弟・隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せらる、其の後未だ御勘気を許されず、豈未だ勘状を進らせずと云わんや。

 客則ち和ぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し、然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て捨閉閣抛の四字に載す、其の詞(ことば)勿論なり、其の文顕然なり、此の瑕瑾(かきん)を守つて其の誹謗を成せども迷うて言うか覚りて語るか、賢愚弁ぜず是非定め難し、但し災難の起りは選択に因るの由、其の詞を盛に弥(いよい)よ其の旨を談ず、所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え、法は人に因つて貴し、国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き、法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし、若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。

 主人の曰く、余は是れ頑愚にして敢て賢を存せず、唯経文に就いて聊か所存を述べん、抑(そもそ)も治術の旨内外の間其の文幾多ぞや、具に挙ぐ可きこと難し、但し仏道に入つて数(しばし)ば愚案を廻すに、謗法の人を禁(いまし)めて正道の侶(りょ)を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。即ち涅槃経に云く「仏の言く唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し、純陀(じゅんだ)問うて言く、云何(いか)なるをか名けて唯除一人と為す、仏の言く此の経の中に説く所の如きは破戒なり、純陀復た言く、我今未だ解せず、唯願くば之を説きたまえ、仏純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提(いっせんだい)なり、其の余の在所一切に布施すれば皆讃歎すべく大果報を獲ん、純陀復た問いたてまつる、一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)有つて麤悪(そあく)の言を発し正法を誹謗し是の重業を造つて永く改悔(かいげ)せず心に懺悔(ざんげ)無らん、是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども而も心に初めより怖畏(ふい)懺悔無く肯て発露せず、彼の正法に於て永く護惜建立の心無く毀呰(きし)・軽賎(きょうせん)して言に過咎(かぐ)多からん、是くの如き等の人を亦た一闡提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば一切讃歎せん」と。又云く「我れ往昔(むかし)を念うに閻浮提(えんぶだい)に於て大国の王と作れり名を仙予と曰いき、大乗経典を愛念し敬重し其の心純善に麤悪嫉恡(しつりん)有ること無し、善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず、婆羅門の方等を誹謗するを聞き聞き已つて即時に其の命根を断ず、善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と、又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時、爾所の婆羅門の命を断絶す」と、又云く「殺に三有り謂く下中上なり、下とは蟻子(ぎし)乃至一切の畜生なり、唯だ菩薩の示現生の者を除く、下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具(つぶさ)に下の苦を受く、何を以ての故に、是の諸の畜生に微善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受く、中殺とは凡夫の人より阿那含(あなごん)に至るまで是を名けて中と為す、是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く・上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏(びゃくしぶつ)・畢定(ひつじょう)の菩薩なり阿鼻(あび)大地獄の中に堕す、善男子若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず、善男子彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」已上。

仁王経に云く「仏波斯匿(はしのく)王に告げたまわく・是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず、何を以ての故に王のごとき威力無ければなり」已上。涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・及び四部の衆に付属す、正法を毀(そし)る者をば大臣四部の衆当に苦治すべし」と。又云く「仏の言く、迦葉(かしょう)能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり、善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣・弓箭(きゅうせん)・鉾槊(むさく)を持すべし」と、又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗(きじょう)を執持すべし、刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。

④につづく
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by johsei1129 | 2014-01-10 22:29 | 立正安国論(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2014年 01月 10日

国家諌暁(信仰の誤りを正す)の書『立正安国論』 その②

[立正安国論本文]①より続く・・・・・


大集経に云く「仏法実に隠没(おんもつ)せば、鬚髪爪(しゅほつそう)皆長く、諸法も亦忘失(もうしつ)せん、当(そ)の時虚空の中に大なる声あつて地を震い、一切皆遍く動かんこと猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り屋宇(おくう)悉く破れ圻(さ)け、樹林の根・枝・葉・華葉(けよう)・菓(か)・薬尽きん。唯浄居天(ただじょうごてん)を除いて欲界の一切処の七味・三精気損減して余り有ること無けん、解脱の諸の善論当の時一切尽きん、所生の華菓の味い希少にして亦美(うま)からず、諸有の井泉池(せいせんち)・一切尽く枯涸(こかく)し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し敵裂して丘澗(きゅうかん)と成らん、諸山皆燋燃(しょうねん)して天竜雨を降さず、苗稼(みょうけ)も皆枯死し、生ずる者皆死し尽き余草更に生ぜず、土を雨らし皆昏闇(こんあん)に日月も明を現ぜず、四方皆亢旱(こうかん)して数ば諸悪瑞を現じ、十不善業の道・貪瞋癡(とんじんち)倍増して衆生父母に於ける之を観ること獐鹿(しょうろく)の如くならん、衆生及び寿命・色力・威楽減じ人天の楽を遠離(おんり)し皆悉く悪道に堕せん、是くの如き不善業の悪王・悪比丘我が正法を毀壊(きえ)し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍(ひみん)する者此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向わん」已上。 

仁王経に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱る、賊来つて国を刧(おびや)かし、百姓亡喪し臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん、天地怪異(けい)し、二十八宿・星道・日月時を失い度を失い、多く賊起ること有らん」と、亦云く「我今五眼をもつて明(あきらか)に三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍(つか)えるに由つて帝王主と為ることを得たり、是を為(も)つて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」已上。

薬師経に云く「若し刹帝利(せつていり)・潅頂(かんちょう)王等の災難起らん時、所謂人衆疾疫の難・他国侵逼(しんぴつ)の難・自界叛逆(ほんぎゃく)の難・星宿変怪(へんげ)の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん」已上。

仁王経に云く「大王吾が今化する所の百億の須弥(しゅみ)・百億の日月・一一の須弥に四天下有り、其の南閻浮提(なんえんぶだい)に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り、其の国土の中に七つの畏る可き難有り、一切の国王是を難と為すが故に、 云何(いか)なるを難と為す、日月度を失い・時節返逆し・或は赤日出で・黒日出で・二三四五の日出で・或は日蝕して光無く・或は日輪一重・二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり、二十八宿度を失い金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・刁(ちょう)星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星・是くの如き諸星各各変現するを二の難と為すなり。大火国を焼き万姓焼尽せん、或は鬼火.竜火.天火・山神火・人火.樹木火.賊火あらん是くの如く変怪するを三の難と為すなり、大水百姓をヒョウ没し、時節返逆して・冬雨ふり.夏雪ふり.冬時に雷電霹礰(へきれき)し、六月に氷霜雹(ひょうそうはく)を雨らし.赤水.黒水・青水を雨らし、土山石山を雨らし沙礫石(しゃりゃくせき)を雨らす、江河逆(さかしま)に流れ、山を浮べ石を流す、是くの如く変ずる時を四の難と為すなり、大風.万姓を吹殺し国土.山河・樹木.一時に滅没し、非時の大風.黒風.赤風・青風.天風・地風・火風・水風あらん是くの如く変ずるを五の難と為すなり、天地・国土・亢陽(こうよう)し炎火洞燃として・百草亢旱し・五穀登(みの)らず・土地赫燃(かくねん)と万姓滅尽せん、是くの如く変ずる時を六の難と為すなり、四方の賊来つて国を侵し内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて・百姓荒乱し・刀兵刧起らん・是くの如く怪する時を七の難と為すなり」
 大集経に云く「若し国王有つて無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、是くの如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失して其の国当に三の不祥の事有るべし、一には穀貴・二には兵革・三には疫病なり、一切の善神悉く之を捨離せば其の王教令すとも人随従せず、常に隣国の侵嬈(しんにょう)する所と為らん、暴火横(よこしま)に起り、悪風雨多く暴水増長して人民を吹タダヨワし、内外の親戚其れ共に謀叛せん、其の王久しからずして当に重病に遇い寿終の後・大地獄の中に生ずべし、乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復た是くの如くならん」 已上。

夫れ四経の文朗(あきら)かなり万人誰か疑わん、而るに盲瞽(もうこ)の輩、迷惑の人妄(みだり)に邪説を信じて正教を弁えず、故に天下世上・諸仏・衆経に於て捨離の心を生じて擁護(おうご)の志無し、仍て善神聖人国を捨て所を去る、是を以て悪鬼外道災を成し難を致す。
 客色を作して曰く、後漢の明帝は金人の夢を悟つて白馬の教を得、上宮太子は守屋の逆を誅(ちゅう)して寺塔の構(かまえ)を成す。爾しより来た上一人より下万民に至るまで仏像を崇(あが)め経巻を専(もっぱら)にす、然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海.一州.五畿.七道.仏経は星の如く羅(つら)なり堂宇雲の如く布(し)けり、鶖子(しゅうし)の族は則ち鷲頭(じゅとう)の月を観じ、鶴勒(かくろく)の流(ながれ)は亦鶏足(けいそく)の風を伝う、誰か一代の教を褊(さみ)し三宝の跡を廃すと謂んや、若し其の証有らば委しく其の故を聞かん。

主人喩して曰く、仏閣甍(いらか)を連ね経蔵軒を並べ、僧は竹葦(ちくい)の如く、侶は稲麻(とうま)に似たり、崇重(そうじゅう)年旧(ふ)り、尊貴日に新たなり、但し法師は諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん、其の王別(わきま)えずして此の語を信聴し横に法制を作つて仏戒に依らず、是を破仏・破国の因縁と為す」已上。

涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ、悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ・悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」已上。法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん。或は阿練若(あれんにゃ)に納衣(のうい)にして空閑(くうげん)に在り、自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎(きょうせん)する者有らん、利養に貪著(とんじゃく)するが故に白衣(びゃくえ)の与(た)めに法を説いて世に恭敬(くぎょう)せらるること六通の羅漢の如くならん、乃至(ないし)常に大衆の中に在つて我等を毀(そし)らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士(こじ)及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂(い)わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん、悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便・随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙(ひんしゅく)し数数(しばしば)・擯出(ひんずい)せられん」已上。

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<立正安国論 ご真筆 巻頭部分:中山法華経寺所蔵>

③に続く
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by johsei1129 | 2014-01-10 01:45 | 立正安国論(御書五大部) | Trackback | Comments(0)