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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:日興上人( 16 )


2014年 09月 02日

日興上人が、先師日蓮の門下が厳守すべきと記した二十六ヶ条の遺言【日興遺誡置文】その三

[日興遺誡置文 本文]その三

一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。
大聖人は松野殿御返事 にて「末世には狗犬の僧尼は恒沙(ガンジス川の無数の砂)の如し、と仏(釈尊)は説かせ給いて候なり。文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す」と、末法には名聞冥利の僧・尼がガンジス川の無数の砂のように数多く出現することを示し、日興上人もこの事を受け継ぎ弟子・信徒を諌めている。

一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て、出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事。
※注(父母師匠の恩を振り捨て)について日蓮大聖人の報恩抄その一を参照~ してください。

一、義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。
※注(義道の落居):大聖人の法門の習得。

一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。
※注:大聖人は立正観抄の冒頭で「当世天台の教法を習学するの輩多く、観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり」と記し、仏法を学ぶ者が法華経を捨て天台の教門に傾倒する姿勢を強く戒めている。
立正観抄本文・その一を参照~

[日興遺誡置文 本文]その四に続く

by johsei1129 | 2014-09-02 23:52 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 02日

日興上人が、先師日蓮の門下が厳守すべきと記した二十六ヶ条の遺言【日興遺誡置文】その二

[日興遺誡置文 本文]その二

一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。
※注:一例として五老僧の一人日郎は、大聖人遷化の日に先師日蓮から自身に付属があったとする「日朗御譲状」なる右記の内容の書を偽造している。「譲与 南無妙法蓮華経・・・中略・・・一期之功徳無残所悉所付属日朗也。・・・略・・・・ 弘安五年十月三日 日蓮 花押」

一、謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事。
※注:大聖人は松野殿御返事 で「受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし、法師と云う名字をぬすめる盗人なり」と、似非法師の存在を厳しく断じている。日興上人もこの先師の意向をそのまま受け継いでいる。

一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり。是れ全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云。
※注:(経文御抄等に任す):大聖人は新池御書 にて「此の国は謗法の土なれば守護の善神は法味にうへて社をすて天に上り給へば、社には悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀化をやめて寂光土へ帰り給へば堂塔・寺社は徒に魔縁の栖と成りぬ。国の費・民の歎きにて・いらかを並べたる計りなり。是れ私の言にあらず経文にこれあり習ふべし。」と記している。

一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣き、御抄以下の諸聖教を教学す可き事。
※注:大聖人は報恩抄にて「仏法を習い極めんとおもはば、いとまあらずば叶うべからず。いとまあらんとをもはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず。是非につけて出離の道をわきまえへざらんほどは、父母師匠等の心に随うべからず」云々、と仏法を学ぶ弟子のあるべき姿を示している。
報恩抄 参照

[日興遺誡置文 本文]その三に続く

by johsei1129 | 2014-09-02 01:56 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 31日

日興上人が、先師日蓮大聖人門下が厳守すべきと記した二十六ヶ条の遺言【日興遺誡置文】その一

【日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ)】
■出筆時期:元弘三年一月十三日(西暦1333年) 
■出筆場所:富士 重須談所にて
■出筆の経緯:日興上人が元弘三年二月七日、八十八歳で遷化される直前の元弘三年一月十三日、末法の本仏日蓮大聖人の門下が厳守すべき事項として二十六ヵ条の遺言としてしたためた。
■ご真筆: 存在しない。時代写本:日時筆(大石寺蔵)、保田妙本寺 日我筆

[日興遺誡置文 本文]その一

夫れ以みれば末法弘通の恵日は、極悪謗法の闇を照し、久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う。於戲仏法に値うこと希にして、喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん。尚以て足らざる者か。爰に我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得、随つて後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
日蓮大聖人は【四菩薩造立抄】で次の様に門下の弟子信徒に諭されておられます。
『私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候、つたなしつたなし。
 此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に、人人にも披露あるべき者なり。
 総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚、人人の御心中は量りがたし』と。


一、五人の立義一一に先師の御弘通に違する事。
※注 五人:日昭、日朗、日向、日頂、日持の五老僧

一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
※注:五老僧は先師日蓮が新たに建立した法門(御書)はないとし、書き記した手紙は在家の信徒の為に仮名字を以て仏法の因縁を記したにすぎないとし、大聖人の御書を偽書として日興上人が御書を講義するのを毀謗。また御書を紙にすきかえしたり、焼却するという愚挙に及んだという。

「富士一跡門徒存知事」を参照


[日興遺誡置文 本文]その二に続く



by johsei1129 | 2014-08-31 23:34 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 30日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」三

[五人所破抄 本文]その三

一、 又五人一同に云く、先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり、何ぞ輙く言うに及ばんや云云。
日興が云く、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依つて異を弁ず。如来の本迹は測り難し眷属を以て之を知る。所以に小乗三蔵の教主は迦葉・阿難を脇士と為し、伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや。凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず、倩聖人出世の本懐を尋ぬれば、源と権実已過の化導を改め、上行所伝の乗戒を弘めんが為なり。図する所の本尊は亦正像二千の間・一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり。今に当つては迹化の教主既に益無し、況やたた婆和の拙仏をや。次に随身所持の俗難は只是れ継子一旦の寵愛、月を待つ片時の螢光か。執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば、須らく四菩薩を加うべし、敢て一仏を用ゆること勿れ云云。

一、 又五人一同に云く、富士の立義の体為らく啻に法門の異類に擬するのみに匪ず。剰え神無の別途を構う、既に以て道を失う誰人か之を信ぜんや。
 日興が云く、我が朝は是れ神明和光の塵・仏陀利生の境なり。然りと雖も今末法に入つて二百余年・御帰依の法は爾前迹門なり、誹謗の国を棄捨するの条は経論の明文にして先師の勘うる所なり。何ぞ善神・聖人の誓願に背き新に悪鬼乱入の社壇に詣でんや。但し本門流宣の代、垂迹還住の時は尤も上下を撰んで鎮守を定む可し云云。

一、 又五人一同に云く、如法・一日の両経は共に以て法華の真文なり。書写・読誦に於ても相違有るべからず云云。
 日興が云く、如法・一日の両経は法華の真文為りと雖も、正像転時の往古、平等摂受の修行なり。今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専とせず。但五字の題目を唱え、三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責む可き者か。此れ則ち勧持不軽の明文、上行弘通の現証なり。何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや。但し四悉の廃立二門の取捨宜く時機を守るべし、敢て偏執すること勿れ云云。

一、 又五人の立義既に二途に分れ戒門に於て持破を論ず云云。
 日興が云く、夫れ波羅提木叉の用否・行住四威儀の所作、平嶮の時機に随い持破に凡聖有り。爾前迹門の尸羅を論ずれば一向に制禁す可し。法華本門の大戒に於ては何ぞ又依用せざらんや。 但し本門の戒躰・委細の経釈・面を以て決すべし云云。

一、 身延の群徒猥に疑難して云く、富士の重科は専ら当所の離散に有り。縦い地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶべきに、既に御墓に参詣せず、争か向背の過罪を遁れんや云云。
  日興が云く、此の段顛倒の至極なり、言語に及ばずと雖も未聞の族に仰せて毒鼓の縁を結ばん。夫れ身延興隆の元由は聖人御座の尊貴に依り、地頭発心の根源は日興教化の力用に非ずや。然るを今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見の僻案を起し、師弟有無の新義を構え理非顕然の諍論を致す。誠に是れ葉を取つて其の根を乾かし、流を酌んで未だ源を知らざる故か。何に況や慈覚・智証は即伝教入室の付弟、叡山住持の祖匠なり。若宮八幡は亦百王鎮護の大神、日域朝廷の本主なり。然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て、先聖は慈覚を指して本師違背の仁と称す。若し御廟を守るを正と為さば円仁所破の段頗る高祖の誤謬なり。非例を致して過無くんば、其の国棄捨の誓い都べて垂迹の不覚か。料り知んぬ悪鬼外道の災を作し、宗廟社稷の処を辞す、善神聖人の居は即ち正直正法の頂なり。抑身延一沢の余流未だ法水の清濁を分たず、強いて御廟の参否を論ぜば汝等将に砕身の舎利を信ぜんとす。何ぞ法華の持者と号せんや、迷暗尤も甚し。之に准じて知る可し。伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り。章安朗然として独り之を達す。伝教大師は三千侶の衆徒を安く、義真以後は其れ無きが如し。今日蓮聖人は万年救護の為に六人の上首を定む、然りと雖も法門既に二途に分れ門徒亦一准ならず。宿習の至り正師に遇うと雖も伝持の人自他弁じ難し。「能く是の法を聴く者此の人亦復難し」と。「此の言若し堕ちなば将来悲む可し」と。経文と解釈と宛かも符契の如し。迹化の悲歎猶此くの如し。本門の墜堕寧ろ愁えざらんや。案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り、言う所亦仏意に叶わば五人の謬義甚だ憂う可し。取捨正見に任す、思惟して宜しく解すべし云云。

 此の外支流異義を構え諂曲稍数多なり。其の中に天目の云く、已前の六人の談は皆以て嘲哢すべきの義なり。但し富山宜しと雖も亦過失有り。迹門を破し乍ら方便品を読むこと既に自語相違せり、信受すべきに足らず。若し所破の為と云わば弥陀経をも誦すべけんや云云。
 日興が云く、聖人の炳誡の如くんば沙汰の限りに非ずと雖も、慢幢を倒さんが為に粗一端を示さん。先ず本迹の相違は汝慥に自発するや。去ぬる比天目当所に来つて問答を遂ぐるの刻み、日興が立義一々証伏し畢んぬ。若し正見を存せば尤も帰敬を成すべきの処に還つて、方便読誦の難を致す。誠に是れ無慚無愧の甚しきなり。夫れ狂言綺語の歌仙を取つて自作に備うる卿相すら尚短才の耻辱と為す、況や終窮究竟の本門を盗み己が徳と称する逆人争か無間の大苦を免れんや。照覧冥に在り、慎まずんばあるべからず。
次に方便品の疑難に至つては汝未だ法門の立破を弁ぜず、恣に祖師の添加を蔑如す。重科一に非ず罪業上の如し。若し知らんと欲せば以前の如く富山に詣で、尤も習学の為宮仕を致す可きなり。抑彼等が為に教訓するに非ず、正見に任せて二義を立つ。一には所破の為、二には文証を借るなり。初に所破の為とは純一無雑の序分には且く権乗の得果を挙げ、廃迹顕本の寿量には猶伽耶の近情を明す。此れを以て之を思うに方便称読の元意は只是れ牒破の一段なり。若し所破の為と云わば念仏をも申す可きか等の愚難は誠に四重の興廃に迷い、未だ三時の弘経を知らず重畳の狂難嗚呼の至極なり。夫れ諸宗破失の基は天台伝教の助言にして全く先聖の正意に非ず、何ぞ所破の為に読まざるべけんや。経釈の明鏡既に日月の如し、天目の暗者邪雲に覆わるる故なり。次に迹の文証を借りて本の実相を顕すなり。此等の深義は聖人の高意にして浅智の覃ぶ所に非ず、正機には将に之を伝へんとす云云。

嘉暦三戊辰年七月草案す 日 順

[五人所破抄 本文] 完。

by johsei1129 | 2014-08-30 23:16 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 30日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」二

[五人所破抄 本文]その二

 又五人一同に云く、凡そ倭漢両朝の章疏を披いて本迹二門の元意を探るに、判教は玄文に尽き、弘通は残る所無し、何ぞ天台一宗の外に胸臆の異義を構えんや。拙いかな尊高の台嶺を褊して辺鄙の富山を崇み、明静の止観を閣いて仮字の消息を執す。誠に是れ愚癡を一身に招き耻辱を先師に及ぼす者なり、僻案の至りなり。甚だ以て然るべからず。若し聖人の製作と号し後代に伝えんと欲せば、宜く卑賤の倭言を改め漢字を用ゆべし云云。

 日興が云く、夫れ竜樹・天親は即ち四依の大士、円頓一実の中道を申ぶと雖も、而も権を以て面と為し実を隠して裏に用ゆ。天台伝教は亦五品の行位にして専ら本迹二門の不同を分ち、而も迹を弘め衆を救い本を残して末に譲りたまふ。内鑒は然りと雖も外は時宜に適うかの故に、或は知らざるの相を示し、或は知つて而も未だ闡揚せず。然るに今本迹両経共に天台の弘通と称するの条、経文に違背し解釈は拠を失う。所以は宝塔三箇の鳳詔に驚き勧持二万の勅答を挙げて、此土の弘経を申ぶと雖も迹化の菩薩に許さず。過八恒沙の競望を止めて不須汝等護持此経と示し、地涌千界の菩薩を召して如来一切所有の法を授く。迹化他方の極位すら尚劫数の塵点に暗し、止善男子の金言に豈幽微の実本を許さんや。本門五字の肝要は上行菩薩の付嘱なり。誰か胸臆なりと称せんや委細文の如し経を開いて見るべし。

 次に天台大師経文を消したまふに、「如来之を止むるに凡そ三義有り、汝等各各自ら己が住有り、若し此の土に住すれば彼の利益を廃せん。又他方は此土に結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん。又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず、下若し来らずんば迹も破することを得ず。遠も顕すことを得ず。是を三義と為す。如来之を止めて下方を召して来らしむるに亦三義有り。是れ我が弟子応に我が法を弘むべし。縁深厚なるを以て能く此土に遍して益し、分身の土に遍して益し、他方の土に遍して益し、又開近顕遠することを得。是の故に彼を止めて下を召すなり」文。又云く「爾時仏告上行の下、是れ第三に結要付嘱」と云云。伝教大師は本門を慕いて「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」文。又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を原ぬれば則ち唐の東、羯の西、人を尋ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時、経に云く猶多怨嫉況滅度後と、此の言良に以有るなり」云云。 加之記の八に大論を引いて云はく「法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付す」と。今の下文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ、験けし余は未だ堪へざることを。輔正記に云く「付嘱を明せば、此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法なるに由るが故に、久成の人に付す」と。論釈一に非ず繁を恐れて之を略す。  観音・薬王は既に迹化に居す、南岳・天台誰人の後身ぞや。正像過ぎて二千年、未だ上行の出現を聞かず。末法も亦二百余廻なれば本門流布の時節なり、何ぞ一部の総釈を以て猥に三時の弘経を難ぜんや。

 次に日本は惣名なり、亦本朝を扶桑国と云う。富士とは郡の号、即ち大日蓮華山と称す。爰に知んぬ、先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す。弘通此の地に在りなり。遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す。近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり、聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す。閻浮第一の富山なればなり。五人争でか辺鄙と下さんや。
 
 次に上行菩薩は本極法身・微妙深遠にして寂光に居すと雖も、未了の者の為に事を以て理を顕す。地より涌出したまいて以来付を本門に承け、時を末法に待ち生を我朝に降し訓を仮字に示す。祖師の鑒機失無くんば、遺弟の改転定めて恐れ有らんか。此等の所勘に依つて浅智の仰信を致すのみ。抑梵漢の両字と扶桑の一点とは時に依り機に随つて互に優劣無しと雖も、倩上聖被下の善巧を思うに殆んど天竺震旦の方便に超えたり。何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん。但し西天の仏法東漸の時、既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く、本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し。遠沾の飜訳は諍論に及ばず。雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり。


[五人所破抄 本文]その三に続く




by johsei1129 | 2014-08-30 01:03 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)
2014年 08月 28日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」一

【五人所破抄(ごにんしょはしょう)】
■出筆時期:嘉歴3年7月(西暦1328年)日興上人の命により、重須談所の二代目学頭職・日順が日興上人の命を受け草案を出筆、日興上人が裁可し完成した。
■出筆場所:富士 重須談所にて
■出筆の経緯:大聖人より総貫首として付属を受けた日興上人は、大聖人滅後「先師日蓮は法華の行者と為て専ら仏果の直道を顕し天台の余流」とし、自らを天台沙門と名乗る日昭、日朗、日向、日頂、日持の五老僧五老僧の浅智を破折、日蓮大聖人は末法の本仏であるとする日興門下の立義を明らかにするため重須談所の学頭職に任じた日順に本書の出筆を命じ裁可した。
■ご真筆: 存在しない。時代写本:日代書写(北山本門寺蔵)、日時書写(大石寺蔵)

[五人所破抄 本文]その一

夫(それ)以(おもんみ)れば諸仏懸遠の難きことは譬を曇華に仮り、妙法値遇の縁は比を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れて、正像二千の弘経も稍過ぎ已んぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩く人には弊悪の機のみ多し、何の依憑(たのも)しきこと有らんや。設い内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁(わきま)へず本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。 爰(ここ)に先師聖人親(まのあた)り大聖の付を受けて末法の主為りと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻(きざみ)、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。
日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持已上六人なり。

五人武家に捧ぐる状に云く未だ公家に奏せず

天台の沙門日昭謹んで言上す。 先師日蓮は忝くも法華の行者として専ら仏果の直道を顕し天台の余流を酌み地慮の研精を尽す云云。
又云く、日昭不肖の身為りと雖も、兵火永息の為副将安全の為に法華の道場を構え、長日の勤行を致し奉る、已に冥冥の志有り。豈昭昭の感無からんや詮を取る。

天台沙門日朗謹んで言上す。 先師日蓮は如来の本意に任せ、先判の権経を閣いて後判の実経を弘通せしむるに最要未だ上聞に達せず、愁欝を懐いて空しく多年の星霜を送り、玉を含みて寂に入るが如く逝去せしめ畢んぬ、然して日朗忝くも彼の一乗妙典を相伝して鎮に国家を祈り奉る詮を取る。

天台法華宗の沙門日向・日頂謹んで言上す。 桓武聖代の古風を扇ぎ伝教大師の余流を汲み、立正安国論に准じて法華一乗を崇められんことを請うの状。 右謹んで旧規を検えたるに、祖師伝教大師が延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したもう云云。 又云く法華の道場に擬して天長地久を祈り今に断絶すること無し詮を取る。

日興公家に奏し武家に訴えて云く。
夫日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして、本門弘経の大権なり、所謂大覚世尊未来の時機を鑒みたまい、世を三時に分ち法を四依に付して以来、正法千年の内には迦葉・阿難等の聖者先ず小を弘めて大を略し、竜樹・天親等の論師は次に小を破りて大を立つ。像法千年の間異域には則ち陳隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る。本朝には亦桓武天皇の聖代に伝教は六宗の僻論を改む。今末法に入つては上行出世の境、本門流布の時なり。正像已に過ぎぬ何ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや。就中天台・伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり、経文に載する所、解釈炳焉たる者なり。
 凡そ一代教籍の濫觴は法華の中道を説かんが為なり。三国伝持の流布は盍ぞ真実の本門を先とせざらんや。若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て、燭影を捧げて日光を哢せば、只風俗の迷妄に趁いて世尊の化導を謗ずるに似るか。華の中に優曇有り、木の中に栴檀有り、凡慮覃び難し、併ながら冥鑑に任す云云。本と迹と既に水火を隔て、時と機と亦天地の如し。何ぞ地涌の菩薩を指して苟も天台の末弟と称せんや。
次に祈国の段亦以て不審なり。所以は何ん、文永免許の古先師素意の分既に以て顕れ畢んぬ、何ぞ僣聖道門の怨敵に交り坐して鎮に天長地久の御願を祈らんや。況や三災弥起り一分も徴し無し、啻に祖師の本懐に違するのみにあらず、還つて己身の面目を失うの謂いか。

[五人所破抄 本文]その二に続く





by johsei1129 | 2014-08-28 21:53 | 日興上人 | Trackback | Comments(3)