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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:観心本尊抄(御書五大部)( 13 )


2016年 11月 14日

観心本尊抄 要点解説その二

日蓮大聖人は富木常忍に宛てた本抄の送り状で「観心本尊抄」の重要性について次のように認められておられます。
「此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す。無二の志を見ば之を開拓せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ。仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず」と。

この中で[三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」とは、本抄に書かれたことについて皆で議論することなく、そのまま受け止めるよう諭された意と推察されます。
また「仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず」とは、本抄に説かれた「本尊」そのものはいまだ出現されていなく、又この本尊を渇仰する衆生の心が未だ生じていないことを意味すると推知されます。そして現存している建治元年十一月に図現なされた御本尊にはこの御文に呼応するべく「佛滅後二千二百二十余年間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」と認められておられ、これ以降御図現なされた御本尊は数幅以外全てこの御文が認められておられます。

尚、日蓮大聖人は、建長五年四月二十八日の立宗宣言当初から、末法の衆生救済の為に御本尊を図現する志を持っていたものと思われます。
立宗宣言の七年後に著わされた「立正安国論」と同時期に述作なされた「唱法華題目抄」では次のように末法に出現する御本尊の相妙について認められておられます。。
「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき。
 答えて云く、第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても、法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし。たへたらん人は一偈・一句をも読み奉る可し。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等心に随うべし、愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」と。

観心本尊抄 要点解説その三に続く




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by johsei1129 | 2016-11-14 22:05 | 観心本尊抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 13日

観心本尊抄 要点解説 その一

日蓮大聖人は人本尊開顕の書「開目抄」を文永九年二月に書き終えた後、翌年の文永十年四月二十五日に法本尊開顕の書「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄(観心の本尊抄)」を書き終えられます。
開目抄は鎌倉の強信徒、四条金吾に宛てられておられますが、観心の本尊抄は下総在住の強信徒、大田乗明・曽屋教信・富木常忍等に充てられておられます。
御真筆は大田乗明・富木常忍により開基された現、中山法華経寺に完存されており、国宝に指定されておられます。
観心本尊抄 要点解説 その一_f0301354_18493525.jpg


















 [観心本尊抄 御真筆冒頭箇所(中山法華経寺・所蔵)]

本抄で日蓮大聖人は、末法の衆生救済のため、全ての衆生に内在する仏界(仏の命・境涯)を開き悟るための信仰の対象となる『本尊』の具体的姿(相妙)、及びその確たる根拠を、経及び釈(法華経並びに天台大師著作の摩訶止観等)に基づいて明らかにされておられます。

そして『観心本尊抄』出筆後の文永十年七月八日、流罪地の佐渡にて大聖人自ら始めて筆で『御本尊』をしたためておられます。

観心本尊抄 要点解説 その二に続く





by johsei1129 | 2016-11-13 18:52 | 観心本尊抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 05日

末法の法本尊をあきらかにした書【観心本尊抄】 その一

【如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつご、ごのごひゃくさいにはじむ、かんじんのほんぞんしょう】
■出筆時期:文永十年(西暦1273年)四月二十五日出筆完了。
■出筆場所:佐渡ヶ島 塚原三昧堂
■出筆の経緯:日蓮大聖人52歳の時、末法の衆生救済のため、信仰の対象としての法本尊をあきらかにした。流罪となった佐渡にて文永九年、ご自身が末法の本仏であることを『開目抄』であらわし、引き続き末法の衆生救済のため、信仰の対象としての『本尊』の姿、及びその確たる根拠を、経文(法華経並びに天台大師著作の摩訶止観等)に基づいて明らかにした書。さらに『観心本尊抄』出筆後の文永十年七月八日、大聖人自ら始めて筆で『御本尊』をしたためている。

【日蓮大聖人御図現された御本尊の一覧】
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html

末法の法本尊をあきらかにした書【観心本尊抄】 その一_f0301354_224161.jpg

<観心本尊抄 ご真筆 法華経寺(千葉県市川市)所蔵 国宝>

[観心本尊抄 本文] その一
摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。
「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾(やむなん・けに)も心有れば即ち三千を具す乃至所以(ゆえ)に称して不可思議境と為す意(こころ)此に在り」等云云或本に云く一界に 三種の世間を具す。
問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証如何、答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云、疑つて曰く玄義(げんぎ)第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是(にょぜ)」等云云、文句第一に云く「一入に十法界を具すれば一界又十界なり十界各十如是あれば即ち是れ一千」等云云、観音玄(かんのんげん)に云く「十法界交互なれば即ち百法界有り千種の性相・冥伏(みょうぶく)して心に在り現前せずと雖も宛然(おんねん)として具足す」等云云、問うて曰く止観の前の四に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明さず、問うて云く其の釈如何、答う弘決第五に云く「若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず亦二十五法に歴て事に約して解を生ず方(まさ)に能く正修(しょうしゅう)の方便と為すに堪えたり是の故に前の六をば皆解(げ)に属す」等云云、又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃(すなわ)ち是れ終窮究竟(しゅうぐくきょう)の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門(せつこしんちゅうしょぎょうほうもん)」と云う良(まこと)に以所(ゆえ)有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云。

[観心本尊抄 本文] その二に続く

by johsei1129 | 2014-03-05 22:08 | 観心本尊抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)