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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:弟子・信徒その他への消息( 209 )


2016年 03月 06日

念仏僧・善導の「千中無一」の論を法華経分別功徳品「悪世末法の時能く是の経を持つ者」の偈で破析した【釈迦如来御書】

【釈迦如来御書】
■出筆時期:文永期。
■出筆場所:鎌倉の草庵と思われます。
■出筆の経緯:本書は七行の断簡が伝えられておりますが、前後が不明のため対告衆、述作時期等詳細は不明です。
本書の内容は、念仏の善導が往生礼讃で「千中無一」と説き、法華経では千人に一人も成仏できないと主張していることに対し、大聖人は釈迦如来は法華経分別功徳品第十七で「悪世末法の時能く是の経持つ者は、則ち、已(すで)に上の如く、諸の供養を具足するなり」と説いていると破析しておられます。
■ご真筆:京都市 本圀寺(断簡)所蔵。
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【釈迦如来御書 本文】

釈迦仏にはすぐべからず。釈迦如来は正しく
法華経に「悪世末法の時、能く是の経を持つ者は」等云云。
善導云く「千中無一」等云云、 いづれを信ずべしや、 
又云く日蓮がみる程の経論を善導・法然上人は
御覧なかりけるかと申すか、若しこの難のごと
くならば・昔の人の謬をば後の人のいかに・あら
わすべからざるか。もし爾らばにんぞ善導


【妙法蓮華経 分別功徳品第十七】
[原文]
悪世末法時 能持是経者 則為已如上 具足諸供養 
[訓読]
悪世末法の時 能く是の経持つ者は、則ち、已(すで)に上の如く、諸の供養を具足するなり。








by johsei1129 | 2016-03-06 23:17 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 05日

当時高く評価されていた真言を法華経に劣ると論じたことで世間の非難が起きていることを記された書【帰伏正法御書】

【帰伏正法御書】
■出筆時期:文永末期 五十四歳頃の述作と思われます。
■出筆場所:鎌倉若しくは身延山中の草庵と思われます。
■出筆の経緯:本抄はご真筆の断簡が伝えられておりますが、前後が不明なため詳細な内容の把握は困難ですが、大聖人が当時鎌倉仏教諸派の中で高く評価されていた真言を法華経に劣ると論じたため非難されていることを記されておられます。大聖人は佐渡流罪のご赦免以後、真言亡国の思いを強め、弟子・信徒への消息でも真言破析の論を繰り返し認められておられます。本抄もその一つで、某強信徒に宛てられた消息と推察されます。
■ご真筆:京都市 本禅寺(断簡)所蔵。
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【帰伏正法御書 本文】

仏法の中にあらそい出来すべき
たね(種)、国のみだ(乱)る
べきせんへう(先表:予兆)なり。いかなる
聖人の御ことばなりとも 用
べからず。各各日蓮をいやし
みて云く、真言宗と法華経宗
とは叡山・東寺・薗城・奈ら(奈良)、
上一人・下万民一同に帰伏す
る正法なり。始めて勝劣を
立て慈覚・智証・弘法に
そむ(背)かんとをほせあるは、
いかんとがとをぼすか。強敵を




by johsei1129 | 2016-03-05 20:21 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 04日

十二色の布をご供養され「ときにあたりてこれほどの御心ざしはありぬともをぼへ候はず候」と称えられた【御衣布給候御返事】

【御衣布給候御返事】
■出筆時期:文永八年(1271) 五十歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、強信徒が十二色の布(一反か?)を使いの者に大聖人に届けさせた事への返書となっております。
宛名が記されていないのは「乃時」と記されおられるように、その場でしたため使いの者に本抄を持たせたものと思われます。
大聖人の法衣は薄墨であり、この布を法衣として使用されたとは思えませんが、文中で「ときにあたりてこれほどの御心ざしはありぬともをぼへ候はず候」とありますので、何かめでたい祝い事があり、そのためにこの信徒は十二色の布をご供養されたと推察されます。
大聖人はこの十二色の布を「たぶやかに候(上品の意味か)」と褒められこの信徒の志を称えられておられます。
また「御心ざしの御事はいまにはじめぬ事に候へども」と記されておられますので、この信徒は折に触れ、度々ご供養なされたものと思われます。
■ご真筆:京都市 本法寺所蔵(一紙完存)。
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【御衣布給候御返事 本文】
御衣布給び候ひ了んぬ。この御ぬのは一物の御ぬのにて候。
又十二いろは、たぶやかに候。御心ざしの御事はいまにはじめぬ事に候へども、
ときにあたりてこれほどの御心ざしはありぬともをぼへ候はず候。
かへすがへす御ふみにはつくしがたう候。恐々謹言。
  乃時                                       
       日蓮 花押
御返事






by johsei1129 | 2016-03-04 20:46 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 03日

日蓮大聖人との降雨の対決に敗れた極楽寺良観を「八万法蔵を読むと雖も何ぞ一雨も下らざる。 <中略>良観上人は身口は仏の弟子に似るといえども、心は一闡提の人為るか、と断じた【良観不雨御書】

【良観不雨御書】
■出筆時期:文永九年(1272年) 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡 一の谷入道の屋敷と思われます。
■出筆の経緯:本抄は五行の断簡が伝えられておりますが、前後が不明のため対告衆の詳細は不明ですが、おそらく佐渡から鎌倉の信徒に宛てた消息であると推察されます。

大聖人は本書で降雨対決に破れた極楽寺良観が当初の約束を守らず日蓮に帰依せず逃げていることを「良観上人は身口は仏の弟子に似るといえども、心は一闡提の人為るか」と断じておられます。
尚、良観との降雨対決の顛末については『小説日蓮の生涯上 25極楽寺良観との対決』を参照して下さい。
■ご真筆:神奈川県 本化妙宗連盟(断簡)所蔵。
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【良観不雨御書 本文】

[原文]
人二百五十戒諸僧集数十万人
読八万法蔵何不下一雨龍王
慳貪欤 諸仏妄語欤良観上人
身口雖似仏弟子心為一闡提人

[訓読文]
人、二百五十戒、諸僧数十万人を集め、
八万法蔵を読むと雖も何ぞ一雨も下らざる。
龍王の慳貪か、諸仏の妄語か。
良観上人は身口は仏の弟子に似るといえども、心は一闡提の人為るか。





by johsei1129 | 2016-03-03 20:18 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 01日

大豆一石の供養について「一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり」と法華経に供養することの功徳の大きさを説かれた書【大豆御書】

【大豆御書】
■出筆時期:弘安三年(1280年)十月二十三日 五十九歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は宛名が御所となっており、また文中で「かしこまつて拝領し」「恐惶謹言」と記されておられることから、高位の檀那(鎌倉幕府の高官、若しくは朝廷・公家と思われます)から大豆一石(約三俵分)をご供養されたことへの返書となっております。
文章は短いですが、法華経に供養することの功徳の大きさを「一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり」と簡潔に説かれておられます。
■ご真筆:身延久遠寺に存在していたが明治八年の大火で焼失。

【大豆御書 本文】

大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ。法華経の御宝前に申し上候。 
一渧の水を大海になげぬれば三災にも失せず。
一華を五浄によせぬれば劫火にもしぼまず。
一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり、恐惶謹言。

十月二十三日                    日 蓮 花 押
御所御返事



by johsei1129 | 2016-03-01 19:17 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 29日

在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨 終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、と記された【松野殿御返事】

【松野殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)九月九日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を宛てられた松野殿は駿河・庵原(いはら)郡松野の郷主で、娘は南条家に嫁ぎ南条時光の母となっており、謂わば時光の外祖父であります。また子息の一人は出家し六老僧の一人日持となります。松野殿は翌年の弘安元年十一月に逝去なされており、本消息を賜った頃はあるいは病身であったのではと思われ、大聖人は本抄で「余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ」と法華経への信心を励まされたのではと推察されます。

松野殿への御消息は十二通伝えられておりますが、その中で建治二年十二月九日に与えられた消息では松野殿が大聖人に「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきや」と問われ「勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり。但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり。<中略>果を列ぬ悪の因に十四あり」と記され、成仏を妨げる「十四誹謗」を説かれた貴重な御消息【松野殿御返事(十四誹謗抄)】賜っておられます。
尚、追伸の「目連樹十両計り給はり候べく候」とは実を数珠の珠にする目連樹という木を大聖人が上野殿に求めている意味となります。
■ご真筆:現存しておりません。

【松野殿御返事 本文】
鵞目一貫文・油一升・衣一・筆十管給い候、今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

先立より申し候、但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ。
法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩(こがねのなわ)を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん。
法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候。
委細はいそぎ候間申さず候、恐恐謹言。

建治三年丁丑九月九日   日 蓮 花 押
松野殿御返事
追て申し候目連樹十両計り給はり候べく候




by johsei1129 | 2016-02-29 22:17 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 27日

日蓮大聖人が文応元年七月、北条時頼(最明寺入道)に見参の時、禅宗は天魔の所為たるの由を申したと記された書【故最明寺入道見参御書】

【故最明寺入道見参御書】
■出筆時期:文永六年(1269年) 四十八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本書を記された前年に蒙古の国書が幕府に届き『立正安国論』で説いた他国侵逼が的中したことを受け、大聖人は幕府要人並びに他宗派寺院に『十一通御書』を弟子に届けさせます。本書はその翌年に認められましたが、文応元年七月の国家諌暁の際、確かに北条時頼(最明寺入道)に見参し、直接、当時鎌倉武士に広まっていた禅宗は「天魔の所為である由(理由)について申し述べ、『立正安国論』を献じたと記されておられます。
また大聖人が北条時頼(最明寺入道)に見参したことは翌年の文永七年に著された【法門申さるべき様の事】にも次のように認められておられます。
「但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世・正直の者にては候へ、其の故は故最明寺入道に向つて禅宗は天魔のそいなるべしのちに勘文もつてこれをつげしらしむ、日本国の皆人・無間地獄に堕つべし、これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ、これをもつて推察あるべし」
■ご真筆:石川県 妙成寺所蔵。
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【故最明寺入道見御書 本文】※本書の前後はご真筆が残されておらず内容は不明です。
[原文]
挙寺ゝ日本国中為令捨舊為
寺御帰依天魔所為之由
故最明寺入道殿見参之時
申之 又立正安國論挙之
惣日本國中禅宗念仏宗
[読み下し文]
 (※注:禅宗は)寺々を挙げて、日本国中の旧寺(※注:延暦寺などの法華経信仰の各寺院)
御帰依を捨てしめんが為に、天魔の所為たるの由、故最明寺入道(北条時頼)殿に見参の時之を申す。
叉立正安国論之を挙ぐ。総じて日本国中の禅宗・念仏宗・・・・ 








by johsei1129 | 2016-02-27 20:48 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 24日

某信徒の女房が自ら舂麦一俵その他の品々を携えて身延山中に見参されたことを称えられ た書【舂麦御書】

【舂麦御書】
■出筆時期:建治元年(1276年)五月二十八日 五十五歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書を宛てられた信徒の詳細は不明ですが、其信徒の女房が恐らく下人に馬を引かせ、舂麦一俵その他の品々を携えて、自ら身延山中の大聖人のもとへ届けられたと思われます。
大聖人はその事を「女房御参詣こそゆめとも、うつつ(現)とも、ありがたく候しか」とたいへん喜ばれ、その女房の志を称えられておられます。

本書は日付は記されておられますが、宛名も大聖人の花押も記されておられないのは、女房が草庵に滞在している間に某信徒にあてに「確かに女房殿が見参されて、これらの品々を受け取りました」と認められ、そのまま女房に本書を持たせたものと推察されます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本(京都満願寺蔵)
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[日蓮大聖人の筆跡を模写した古写本と思われます。]



【舂麦御書 本文】
女房御参詣こそゆめ(夢)とも、うつつ(現)とも・ありがたく候しか。
心ざしはちがはせ申さず。

当時の御いもふゆ(冬)のたかうな(筍)のごとし。
あになつ(夏)のゆき(雪)にことならむ。

舂麦一俵、芋一篭、笋(たかんな)二丸、給い畢んぬ。
五月廿八日勧




by johsei1129 | 2016-02-24 20:36 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 24日

我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり、と説いた【後五百歳合文】

【後五百歳合文】
■出筆時期:文文応元年(西暦1260) 三十九歳御作。
■出筆場所:鎌倉若しくは下総の富木邸と思われます。
■出筆の経緯:本抄は弟子・信徒の教化のために、薬王菩薩の「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布して」の意義について詳細に説かれた法門として認められたと思われます。
大聖人は本書後段で「亀の浮木の孔」の譬喩で釈尊五十年の一切経を分かりやすく分別するととも、南妙法蓮華経を浮木の大孔であると示されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【後五百歳合文 本文】

経の第七に云はく[薬王菩薩品、宿王華菩薩を対揚と為す。]
「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無けん」文。

文句の一に云はく「但当時大利益を獲るのみに非ず、後五百歳遠く妙道に沾(うるお)はん。故に流通分有るなり」文。
記の一に云はく「然るに五五百とは且く一往に従ふ、末法の初め冥利無きにあらず。且く大教の流行すべき時に拠る。故に五百と云ふ」文。
義決の一に云はく(道邃撰)「文旨を判ぜば、勧発品に云はく、後五百歳の濁悪世の中に於て、其れ是の経典を受持すること有らん者は、我当に守護すべしと。大師は彼に依るが故に後五百と云ふ。然れども毘尼母論の意に合せず。正しく大集に会へり。所以は何。

安楽行品に云はく、末法の中に於て、是の経を説かんと欲すと。又云はく、後の末世
の時此の経を持たん者と。明らかに知んぬ、五百は末法の初めを指すことを。

彼の大集経の五五百の中、第四の多聞とは且く一往に従ふ。小乗の多聞なり。末法の初め大利無きにあらず。今は且く法華の大教流行すべき時に拠る。故に後五百歳遠沾妙道と云ふ」。(已上決文)

守護章上の下に云はく「当今の人は機皆転変して都て小乗の機無し。正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是其の時なり。何を以てか知ることを得ん。安楽行品に云はく、末世法滅の時」と。又云はく「小乗権教の禅定堅固已に過ぎぬ」文。

経の第五に云はく(安楽行品、文殊師利菩薩を対揚と為す)「又文殊師利、如来の滅後末法の中に於て是の経を説かんと欲せば応に安楽行に住すべし」(口安楽行の処。)又云はく「文殊師利菩薩摩訶薩、後の末世の法滅せんと欲する時に於て」(意安楽行の処。)又云はく「又文殊師利菩薩摩訶薩、後の末世の法滅せんと欲する時に於て、法華経を受持すること有らん者」(誓願安楽行の処。)

経の第六に云はく(分別功徳品の滅後五品の中の第二品の下)「悪世末法の時、能く是の経を持たん者は、則ち為れ已に上の如く、諸の供養を具足するなり」と。経の第八に云はく(普賢菩薩勧発品の成就四法の普賢菩薩の誓願)「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」云云。

瑜伽論に云はく(弥勒菩薩無著菩薩の請に趣きて云はく)「東方に小国有り、其の中に唯大乗の種姓のみ有り」文。
法華翻経後記に云はく「予昔天竺国に在りし時遍く五竺に遊びて大乗を尋討し、大師須利耶蘇摩に従ひて理味を餐稟し、慇懃に梵本を付嘱して言はく、仏日西に入りて遺耀将に東北に及ばんとす。茲の典東北の国に有縁なり、汝慎みて伝弘せよ」文。
天竺別集に云はく(遵式の記、智礼の弟子、妙楽第八代の弟子)「始めは西より伝ふ、猶月の生ずるがごとし。今復東より返る、猶日の昇るがごとし。素影円暉終に我が土に環回するなり」(此の言、唐土へ三河入道の渡せるを見て書けるなり。)

秀句の下に云はく(上中下三巻、伝教大師の御釈、嵯峨天皇の御宇弘仁十二年辛丑に之を作る)
「爾の時に仏復薬王菩薩摩訶薩に告げたまはく、我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり。
薬王、此の経は是諸仏秘要の蔵なり。分布して妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したまふ所なり。昔より已来未だ曾て顕説せず。而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや(已上経文)。当に知るべし、已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に。随自意の説は随他意に勝る。但し無量義経の随他意とは、未合の一辺を指じいす。余部の随他意に同じからざるなり。代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉・況滅度後と。此の言良に以有るなり」文。一乗要決の中に云はく(慧心僧都の記上中下三巻)「日本一州円機純一。朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素・貴賎悉く成仏を期す。唯一師等ありて独り信受せず、我未だ之を識らず、権とや為ん実とや為ん。若し是実ならば、以て哀傷すべし。世尊の言の如くんば当来世の悪人は仏説の一乗を聞きて迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せんと。若し是権ならば以て随喜すべし。浄名に言ふが如くんば衆の魔事を覚知して而して其の行を示現す。善き方便智を以て意に随ひて皆能く現ず」文。

広釈に云はく(安然作)「粤に弥勒菩薩説きて言はく、東方に小国有り、其の中に唯大乗の種
姓のみ有りと。我が日本国僉成仏を知る、豈其の事に非ずや」文。

涅槃経に三亀有り
一無目----一闡提---諸経に之を説く
二一目---二乗---今経に之を説く
三両目---菩薩---一邪眼----今経に之を説く
二眇目---余経に之を説く

亀の背の冷えること----衆生の八寒地獄の如し。 生死の大海の底に在り
腹の熱きこと----衆生の八熱地獄の如し。

浮木に二----一凡木---一切木
----二聖木---赤栴檀

孔に二---一凡木の孔---亀の腹冷えず
---二聖木の孔---亀の腹これを冷やす

仏法の浮木の二---一凡木---四十余年の経
----二聖木---今経(法華経)・涅槃経

仏法の浮木の孔に二---一小孔に四---一大方広仏華厳経
----二仏説阿含経
---三大方等大集経
---四摩訶般若波羅蜜経
----二大孔-------南無妙法蓮華経






by johsei1129 | 2016-02-24 00:17 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 22日

禅宗の説く「教外別伝」を「仏全く教外に別伝ありとは仰せられず。若しありといはゞ外道の法なるべし。天魔の所説、正法破滅の源なり」と断じた【禅宗天台勝劣抄】

【禅宗天台勝劣抄】

■出筆時期:文永元年(西暦1264) 四十三歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は弟子・信徒の教化のために、当時武士に広まっていた禅宗を破折するための法門として認められたと思われます。

大聖人は禅宗が説く「釈迦から摩訶迦葉へ口伝で伝えられた教外別伝の法である」とする説に対し「仏全く教外に別伝ありとは仰せられず。若しありといはゞ外道の法なるべし。天魔の所説、正法破滅の源なり。之に依って経に云はく「若し経律を離れて是の説を作さば当に知るべし即ち是れ虚説なり」と断じられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【禅宗天台勝劣抄 本文】 
問ふ、禅宗・天台宗何れが勝れたりと云ふべきや。答ふ、天台宗勝れたり。
禅宗をば又は仏心宗と云ふ、我が心、仏なるが故なり。或は教外別伝とも云ふ、一代聖教の外に伝ふと習ふ法門なり。始め華厳より終はり涅槃経に至りては教内の法門にて猶涕唾に類す。余経余論は教内にして輙く生死を出でがたし。今別伝は一代聖教の外に有りて、速やかに生死を出でて至極甚深の法門なり。然れば天台宗は教内、禅宗は教外なり。若し爾らば禅宗まさると云ふべきや。答ふ、凡そ禅宗とは東土の六祖是を伝ふ。達磨既に楞伽経に依って宗を立つ。

其の楞伽経は法華已前の方等部の経、猶権経なり。権経に依って立つる所の宗、豈法華にまさらんや。但し教外別伝と云ふ事証拠なき事なり。

所以に一代聖教を離れて別に仏法有りとは何れの経論に見えたるや。また経論に依らずして師の言に依るべきか。祖師と仏と何れを信ずべきや。若し祖師を信ぜば、其の祖師の善・不善何に依りてか別つべき。悟・不悟亦争でか知るべき。若し仏を信ぜば教外別伝と云ふべからず。

仏全く教外に別伝ありとは仰せられず。若しありといはゞ外道の法なるべし。天魔の所説、正法破滅の源なり。之に依って経に云はく「若し経律を離れて是の説を作さば当に知るべし即ち是れ虚説なり」云云。

像法決疑経に云はく「諸の悪比丘、或は禅を修すること有るとも経論に依らず、自ら己見を逐ひて非を以て是と為して是邪是正と分別すること能はず。遍く道俗に向かって是くの如き言を作さん。
我能く是を知り、我れ能く是を見ると。当に知るべし、是の人の速やかに我が法を滅せんことを」文。
玄の一に云く「若し観心の人、心に即して而も是なり、己則ち仏に均しと謂ひ、都て経論を尋ねずして増上慢に堕す。此則ち炬を把って自ら焼く。行の悪道を牽くことは、聞を習はざるに由るなり」と。此等の文釈、経論によらず教外に別伝ありと云はんは、天魔・外道・上慢・破法・堕悪の者なるべしと云ふ証拠なり。故に教外別伝とは全く仏法に非ずと云ふべきなり。設ひ録等に此の旨ありとも、録は人師の釈なり、仏説に非ず信ず、信ずべからず。我則ち仏、我既に解りたりと云ひ、又是心是仏と云ふとも経論に依らずばさとりにもあらず、心法にもあらず仏法にもあらず。




 


by johsei1129 | 2016-02-22 20:59 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)