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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:弟子・信徒その他への消息( 209 )


2019年 09月 16日

大聖人が発迹顕本なされてた「竜口法難」の契機となった書【行敏御返事】

【行敏御返事】
■出筆時期:文永八年(1271年)七月十三日 五十歳御作
■出筆場所:鎌倉 松葉ケ谷の館にて。
■出筆の経緯:本書を記した直前の七月四日、極楽寺良観は大聖人より「七日のうちに雨を降らせたら余は良観殿の弟子となる、もし雨ふらずば法華経に帰伏して頂く」との降雨の祈祷対決に臨み、十六日間も祈祷したが失敗する。※参照小説日蓮(上)25 極楽寺良観との対決
そしてその直後の7月8日、極楽寺良観の意を受けたと思われる浄土僧の行敏から大聖人に法論の果たし状が届く。
大聖人はそれに対し「私の問答は事行き難く候か、然れば上奏を経られ仰せ下さるるの趣に随つて是非を糾明せらる可く候か」と返書を送り、私人同士の論争では言い争いになり決着がつかないので、衆人監視の公場で是非を決すべきであろう、と逆に提案されておられます。
さらに二ヶ月後の九月十二日、祈祷対決に破れたことで大聖人への敵愾心に取り憑かれた極楽寺良観は、鎌倉幕府の最高実力者・平頼綱と結託、大聖人を評定所に召出し、「竜口法難」に至らしめます。
その意味で本抄は、大聖人が竜口の刑場で発迹顕本なされる契機となった貴重な書と言えます。
■ご真筆:静岡県湖西市 本興寺所蔵。
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[真筆本文:世間令堕悪道法 是二~御不審事私問答難(下記太字箇所)]

[行敏御返事 本文]

[行敏初度の難状

未だ見参(けんざん)に入らずと雖も事の次(ついで)を以て申し承るは常の習に候か、抑(そもそも)風聞の如くんば所立の義尤も以て不審なり、法華の前に説ける一切の諸経は皆是妄語にして出離の法に非ずと是一、大小の戒律は世間を誑惑(おうわく)して悪道に堕せしむるの法と是二、念仏は無間地獄の業為(たり)と是三、禅宗は天魔の説・若し依つて行ずる者は悪見を増長すと是四、事若し実ならば仏法の怨敵なり、仍(よっ)て対面を遂げて悪見を破らんと欲す、将(はた)又其の義無くんば争でか悪名を痛ませられざらんや、是非に付き委く示し賜わる可きなり、恐恐謹言。
七月八日 僧行敏 花押
日蓮阿闍梨御房


[大聖人御返事]

条条御不審の事・私の問答は事行き難く候か、然れば上奏を経られ仰せ下さるるの趣に随つて是非を糾明(きゅうめい)せらる可く候か、此の如く仰せを蒙り候条尤も庶幾(しょき)する所に候、恐恐謹言。

七月十三日               日 蓮 花押
行敏御房御返事

by johsei1129 | 2019-09-16 22:31 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、と説いた【十章抄】

【十章抄】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)五月 五十歳 御作。
■出筆場所:鎌倉 館にて。
■出筆の経緯:本抄は、比叡山に遊学し天台学を学んでいた三位房日行に送られた書です。本抄で大聖人は「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり、日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし」と記し、南無妙法蓮華経と唱えることが末法の修行であることを強く指導されておられます。
文末では「止観よみあげさせ給はばすみやかに御わたり候へ」と記し、天台の摩訶止観を修業したら速やかに大聖人の元に見参するよう促されております。

尚大聖人はこの書を記した四ヶ月後に「竜の口の法難」に遭われ、この書を著した時点では、未だ御本尊を御図現されておられません。
また日蓮一期の弘法を付属された日興上人は「日興誡置文」 で、天台の修学について「義道の落居(らっこ)無くして天台の学文すべからざること」と弟子・信徒一同に大聖人の法門を第一にして習得するよう戒められておられます。
■ご真筆:中山法華経寺 所蔵。
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[十章抄 本文]

華厳宗と申す宗は華厳経の円と法華経の円とは一なり而れども法華経の円は華厳の円の枝末と云云、法相・三論も又又かくのごとし、天台宗・彼の義に同ぜば別宗と立てなにかせん、例せば法華・涅槃は一つ円なり先後に依つて涅槃尚をとるとさだむ、爾前の円・法華の円を一とならば先後によりて法華豈劣らざらんや、詮ずるところ・この邪義のをこり此妙彼妙(しみょうひみょう)・円実不異・円頓義斉(えんどんぎせい)・前三為麤(ぜんさんいそ)等の釈にばかされて起る義なり、止観と申すも円頓止観の証文には華厳経の文をひきて候ぞ、又二の巻の四修三昧(まい)は多分は念仏と見へて候なり、源濁れば流清からずと申して爾前の円と法華経の円と一つと申す者が止観を人によませ候えば但念仏者のごとくにて候なり、但止観は迹門(しゃくもん)より出(いで)たり・本門より出たり・本迹(ほんじゃく)に亘(わた)ると申す三つの義いにしえより・これあり、これは且くこれををく、故に知る一部の文共に円乗開権の妙観を成すと申して止観一部は法華経の開会(かいえ)の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり、「境は昔に寄ると雖も智は必ず円に依る」と申して文殊問(もんじゅもん)・方等(ほうどう)・請観音(しょうかんのん)等の諸経を引いて四種を立つれども心は必ず法華経なり「諸文を散引して一代の文体を該(かぬ)れども正意は唯二経に帰す」と申すこれなり。

 止観に十章あり大意・釈名・体相・摂法(せっぽう)・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰(しき)なり、前六重は修多羅(しゅだら)に依ると申して大意より方便までの六重は先四巻に限る、これは妙解迹門の心をのべたり、今妙解に依つて以て正行を立つと申すは第七の正観・十境・十乗の観法本門の心なり、一念三千此れよりはじまる、一念三千と申す事は迹門にすらなを許されず何に況や爾前に分た(絶)へたる事なり。
 
一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る・爾前は迹門の依義判文(えぎはんもん)・迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義(えもんはんぎ)は本門に限るべし、されば円の行まちまちなり沙(いさご)をかずへ大海をみるなを円の行なり、何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。

但これらは時時(よりより)の行なるべし、真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり・日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり、法華経に十七種の名ありこれ通名なり・別名は三世の諸仏皆南無妙法蓮華経とつけさせ給いしなり、阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき・口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり、此等をしらざる天台・真言等の念仏者・口ずさみには一向に南無阿弥陀仏と申すあひだ在家の者は一向に念うやう天台・真言等は念仏にてありけり、又善導・法然が一門はすなわち天台真言の人人も実に自宗が叶いがたければ念仏を申すなり、わづらわしく・かれを学せんよりは法華経をよまんよりは一向に念仏を申して浄土にして法華経をもさとるべしと申す、此の義・日本国に充満せし故に天台・真言の学者・在家の人人にすてられて六十余州の山寺はう(失)せはてぬるなり。

 九十六種の外道は仏慧比丘(ぶってびく)の威儀よりをこり、日本国の謗法(ほうぼう)は爾前の円と法華の円と一つという義の盛なりしより・これはじまれり、あわれなるかなや、外道は常楽我浄(じょうらくがじょう)と立てしかば仏世にいでまさせ給いては苦・空・無常・無我ととかせ給いき、二乗は空観に著(じゃく)して大乗にすすまざりしかば仏誡(いまし)めて云く五逆は仏のたね・塵労(じんろう)の疇(たぐい)は如来の種(たね)・二乗の善法は永不成(ようふじょう)と嫌わせ給いき、常楽我浄の義こそ外道は・あしかりしかども名はよかりしぞかし、而れども仏(ほとけ)名をい(忌)み給いき、悪だに仏の種となる・ましてぜん(善)はとこそ・をぼうれども仏二乗に向いては悪をば許して善をば・いましめ給いき。

当世の念仏は法華経を国に失う念仏なり、設いぜんたりとも義分あたれりと・いうとも先ず名をいむべし、其の故は仏法は国に随うべし、天竺には一向小乗・一向大乗・大小兼学の国あり・わかれたり、震旦亦復是くの如し、日本国は一向大乗の国・大乗の中の一乗の国なり、華厳・法相・三論等の諸大乗すら猶相応せず何に況や小乗の三宗をや、而るに当世にはやる念仏宗と禅宗とは源(もと)方等部より事をこれり法相・三論・華厳の見(けん)を出ずべからず、南無阿弥陀仏は爾前(にぜん)にかぎる、法華経にをいては往生の行にあらず開会の後・仏因となるべし、南無妙法蓮華経は四十余年にわたらず但法華八箇年にかぎる、南無阿弥陀仏に開会せられず法華経は能開・念仏は所開なり、法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり、譬えば如意宝珠の如し金銀等の財を備えたり、念仏は一期申すとも法華経の功徳をぐ(具)すべからず、譬へば金銀等の如意宝珠をかねざるがごとし、譬へば三千大千世界に積みたる金銀等の財も一つの如意宝珠をばか(替)うべからず、設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず、何に況や当世に開会を心得たる智者も少なくこそをはすらめ、設いさる人ありとも弟子・眷属(けんぞく)・所従なんどは・いかんがあるべかるらん、愚者は智者の念仏を申し給うをみては念仏者とぞ見候らん、法華経の行者とはよも候はじ。

又南無妙法蓮華経と申す人をば・いかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候はんずらん、当世に父母を殺す人よりも謀反ををこす人よりも天台・真言の学者と云はれて善公が礼讃をうたひ然公が念仏をさえづる人人は・をそろしく候なり。この文(ふみ)を止観よみあげさせ給いて後ふみのざ(座)の人にひろめてわたらせ給うべし、止観よみあげさせ給はばすみやかに御わたり候へ。

沙汰(さた)の事は本より日蓮が道理だにもつよくば事切れん事かたしと存じて候いしが人ごとに問注は法門にはにずいみじうしたりと申し候なるときに事切るべしともをぼへ候はず、少弼(しょうひつ)殿より平三郎左衛門のもとに・わたりて候とぞうけ給わり候、この事のび候わば問注はよきと御心得候へ、又いつにても・よも切れぬ事は候はじ、又切れずば日蓮が道理とこそ人人は・をもい候はんずらめ、くるしく候はず候、当時はことに天台・真言等の人人の多く来て候なり、事多き故に留め候い了んぬ。

by johsei1129 | 2019-09-15 17:45 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

仏自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば我即ち慳貪に堕せん、 し説いた【六郎恒長ご消息(仏無間地獄事)】

【六郎恒長ご消息(念仏無間地獄事)】
■出筆時期:文永六年(1269)九月 四八歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は身延の地主、波木井実長(はきりさねなが)に宛てられた消息です。
宛名が恒長(つねなが)となっているのは古写本の写し間違いではないかと思われます。波木井実長は念仏の熱心な信者でしたが子息の長義が日興上人の教化で大聖人に帰依するのに続いて、文永六年自身も信徒となり、後の文永十一年には、大聖人に身延の地と草庵を寄進します。
恐らく本書は実長が入信まもない頃に実長の念仏への信仰を断ち切るために分かりやすく念仏無間について説かれたと思われます。
大聖人は「法然上人の選択集に、浄土三部を除きてより以外の一代の聖教、所謂法華経・大日経・大般若経等の一切大小の経を書き上げて捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」と書かれている。しかし法華経の文には「若し人信ぜすして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれている。御不審有らば選択を披見あるべし」と諭とされるとともに文末では「日本国六十六箇国島二つの大地は教主釈尊の本領なり。娑婆以て此くの如く全く阿弥陀仏の領に非ず」と断じられておられます。
しかし波木井実長は大聖人御遷化の後、日興上人の懸命な指導にも関わらず六老僧の一人日向の影響を受け、神社への参拝を繰り返し念仏の道場を造立するなど謗法に陥ってしまいます。
■ご真筆:現存しておりません。

【六郎恒長ご消息(仏無間地獄事) 本文】

所詮念仏を無間地獄と云ふ義に二有り。一には念仏者を無間地獄とは、日本国一切の念仏衆の元祖法然上人の選択集(せんちゃくしゅう)に、浄土三部を除きてより以外の一代の聖教、所謂法華経・大日経・大般若経等の一切大小の経を書き上げて「捨閉閣抛」等云云。之に付きて上人の亀鏡と挙げられし処の浄土の三部経の其の中に、双観経に阿弥陀仏の因位、法蔵比丘の四十八願に云はく「唯五逆と誹謗正法とを除く」云云。法然上人も乃至(ないし)十念の中には入れ給ふといえども、法華経の門を閉じよと書かれて候へば、阿弥陀仏の本願に漏れたる人に非ずや。其の弟子其の檀那等も亦以て此くの如し。法華経の文には「若し人信ぜすして乃至其の人命終して阿鼻獄(あびごく)に入らん」云云。阿弥陀仏の本願と法華経の文と真実ならば、法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや。一切の経の性相に定めて云はく「師堕つれば弟子堕つ、弟子堕つれば檀那堕つ」云云。譬へば謀叛(むほん)の者の郎従等の如し。御不審有らば選択を披見(ひけん)あるべし。 是一。 

二には念仏を無間地獄とは法華経の序文無量義経に云はく「方便力を以て、四十余年には未だ真実を顕はさず」云云。次下の文に云はく「無量無辺を過ぐるとも乃至終に無上菩提を成ずることを得じ」云云。仏初成道の時より白鷺池(びゃくろち)の辺りに至るまで年紀をあげ、四十余年と指して其の中の一切経を挙ぐる中に大部の経四部、其の四部の中に「次に方等十二部経を説く」云云。是念仏者の御信用候三部経なり。此を挙げて真実に非ずと云云。次に法華経に云はく「世尊の法は久しくして後要(かなら)ず当に真実を説くべし」とは念仏等の不真実に対し南無妙法蓮華経を真実と申す文なり。次下に云はく「仏自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば我即ち慳貪(けんどん)に堕せん。此の事は為(さだめ)て不可なり」云云。此の文の意は法華経を仏胸(むね)に秘しおさめて、観経念仏等の四十余年の経計りを人々に授けて、法華経を説かずして黙止するならば、我は慳貪の者なり、三悪道に堕すべしと云ふ文なり。仏すら尚唯念仏を行じて一生をすごし、法華経に移らざる時は地獄に堕すべしと云云。況んや末代の凡夫、一向に南無阿弥陀仏と申して一生をすごし、法華経に移りて南無妙法蓮華経と唱へざる者、三悪道を免(まぬが)るべきや。第二の巻に云はく「今此三界」等云云。此の文は日本国六十六箇国島二つの大地は教主釈尊の本領なり。娑婆以て此くの如く全く阿弥陀仏の領に非ず。「其中衆生悉是吾子(ごちゅうしゅじょうしつぜごし)」云云。日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女、各父母有りといへども、其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり。三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息なり。全く阿弥陀仏の子には非ず。 

文永元年甲子(きのえね)九月 日         日蓮 花押
南部六郎恒長殿




by johsei1129 | 2019-09-15 08:56 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 14日

但恃む所は妙法蓮華経第七の巻の後五百歳、於閻浮提広宣流布の文か、と示された【御輿振御書】

【御輿振(みこしぶり)御書】
■出筆時期:文永六年(西暦1269)三月一日 四十八歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は従来、京都遊学中の三位房日行が比叡山の山堂炎上、並びに御輿振の日記を大聖人に送った事への返書とつたえられております。また出筆時期も文永六年とも伝えられており、その場合は鎌倉の草庵で出筆されたと思われます。また文永十年出筆の説は佐渡流罪中に書かれたことになり「事事紙面に尽し難し、早早見参を期す」の文とはそぐわないと思われます。
尚、御輿振とは、比叡山の僧侶等が、朝廷に自分たちの訴えを聞き入れさせようとして強訴したことをいい、大聖人本書で「滅するは生ぜんが為下るは登らんが為なり。山門繁昌の為に是くの如き留難を起すか」と推察されておられます。また比叡山の中堂炎上については「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)・雞頭摩寺(けいずまじ)・漢土には天台山・正像二千年の内に以て滅尽せり」と断ずるとともに「但恃む所は妙法蓮華経第七の巻の後五百歳・於閻浮提・広宣流布の文か」と記され、いよいよ末法の広宣流布の時が来ていることを示唆されておられます。
また京都の公家に説法するなどして才智溢れた三位房でしたが【法門申さるべき様の事】では「総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるう」と名聞名利に走る三位房を厳しく諫められておられますが、熱原の法難で敵方に寝返り日蓮門下の弟子信徒を弾圧、その悪行の報いで横死することになります。
■ご真筆:高知市 要法寺(断簡:末尾四十五字)所蔵。
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[真筆原文]
時之尺也 滅為生下為登也
為山門繁昌起如是留難歟
事々難盡紙上 早々期
見参 謹言。
三月一日
日蓮花押
御返事

【御輿振御書 本文】

御文並びに御輿振の日記給(た)び候いぬ、悦び入つて候。
中堂炎上の事・其の義に候か山門破滅の期・其の節に候か。
此等も其の故無きに非ず天竺には祇園精舎・雞頭摩寺・漢土には天台山・正像二千年の内に以て滅尽せり。
今末法に当つて日本国計(ばか)りに叡山(えいざん)有り、三千界の中の但此の処のみ有るか、定めて悪魔一跡に嫉(ねたみ)を留むるか。
小乗権教の輩も之を妬(ねた)むか。随つて禅僧・律僧・念仏者・王臣に之を訴へ三千人の大衆は我が山・破滅の根源とも知らず師檀共に破国・破仏の因縁に迷えり。
但恃む所は妙法蓮華経第七の巻の後五百歳・於閻浮提・広宣流布の文か、又伝教大師の「正像稍(やや)過ぎ已つて末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機・今正しく是れ其の時なり」の釈なり。
滅するは生ぜんが為、下るは登らんが為なり。山門繁昌の為に是くの如き留難を起すか、事事紙面に尽し難し、早早見参を期す、謹言。
三月一日  日 蓮 花 押
御返事





by johsei1129 | 2019-09-14 22:06 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 07日

蒙古の国書到来を受け、北条時宗以下、計十一人に諌暁の書状を献じ た【十一通御書】


【十一通御書】
■出筆時期:文永五年(1268年)十月十一日 四十七歳御作
■出筆場所:鎌倉市中 草庵にて。
■出筆の経緯:文永五年閏(うるう)正月十八日蒙古からの国書が鎌倉幕府に届き「立正安国論」の予言が現実のものとなった。その報を受けた大聖人は同年八月二十一日、幕府要人の宿屋入道光則に、執権・北条時宗と対面する手はずを整えるため「君の為、国の為、神の為、仏の為、内奏を経らる可きか、委細の旨は見参を遂げて申す可く候」との書状を送るが、全く音沙汰がなかった。そこで大聖人は意を決して十月十一日、北条時宗他幕府要人三名(宿屋入道、平頼綱、北条弥源太)、鎌倉の諸寺院七箇所の計十一箇所に書状をしたため、日興上人始め弟子達により直接届けられます。この書状を古来「十一通御書」と称しております。また同時に「日蓮弟子檀那中」として門下一同に関係先十一箇所に書状を届けたことを伝えておられます。尚、鎌倉幕府要人の宿屋入道と北条弥源太は大聖人に帰依されておられます。

また【種種御振舞御書】の冒頭で大聖人は、自ら次のように記されておられます。
「去ぬる文永五年後の正月十八日・西戎・大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす、日蓮が去ぬる文応元年庚太申歳に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府(がふ)にも越へ仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこれにすぎん、賢王・聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし定めて御たづねありていくさの僉義(せんぎ)をもいゐあわせ調伏(じょうぶく)なんども申しつけられぬらんと・をもひしに其の義なかりしかば其の年の末十月に十一通の状をかきて・かたがたへをどろかし申す」

※尚、蒙古の国書到着から十一通御書を献じた経緯については[小説日蓮(上)19 立正安国論の予言的中20 北条時宗を諌暁]を参照して下さい。
■ご真筆:現存しておりません。
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 [蒙古の国書:東大寺尊勝院所蔵]

[十一通御書 本文]

【北条時宗への御状】  【英語版

謹んで言上せしめ候、抑(そもそ)も正月十八日・西戎(さいじゅう)大蒙古国の牒状到来すと、日蓮先年諸経の要文を集め之を勘えたること立正安国論の如く少しも違わず普合しぬ、日蓮は聖人の一分に当れり未萠(みぼう)を知るが故なり、然る間重ねて此の由を驚かし奉る、急ぎ建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿等の御帰依を止めたまえ、然らずんば重ねて又四方より責め来る可きなり、速かに蒙古国の人を調伏して我が国を安泰ならしめ給え、彼を調伏せられん事日蓮に非ざれば叶う可からざるなり、諌臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し、国家の安危は政道の直否(じきひ)に在り仏法の邪正は経文の明鏡に依る。

夫れ此の国は神国なり神は非礼を稟(う)けたまわず、天神七代・地神五代の神神・其の外諸天善神等は一乗擁護(おうご)の神明なり、然も法華経を以て食と為し正直を以て力と為す、法華経に云く諸仏救世者・大神通に住して衆生を悦ばしめんが為の故に無量の神力を現ずと、一乗棄捨(きしゃ)の国に於ては豈善神怒を成さざらんや、仁王経に云く「一切の聖人去る時七難必ず起る」と、彼の呉王は伍子胥(ごししょ)が詞を捨て吾が身を亡し・桀紂(けっちゅう)は竜比を失つて国位を喪(ほろ)ぼす、今日本国既に蒙古国に奪われんとす豈歎かざらんや豈驚かざらんや、日蓮が申す事御用い無くんば定めて後悔之有る可し、日蓮は法華経の御使なり、経に云く「則ち如来の使、如来の所遣として如来の事を行ず」と、三世諸仏の事とは法華経なり、此の由方方へ之を驚かし奉る一所に集めて御評議有つて御報に予(あず)かる可く候、所詮は万祈(ばんき)を抛(なげう)つて諸宗を御前に召し合せ仏法の邪正を決し給え、澗底(かんてい)の長松(ちょうしょう)未だ知らざるは良匠の誤り、闇中の錦衣(きんい)を未だ見ざるは愚人の失なり。

三国仏法の分別に於ては殿前に在り所謂阿闍世(あじゃせ)・陳隋・桓武是なり、敢て日蓮が私曲に非ず只偏に大忠を懐く故に身の為に之を申さず、神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所なり、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
謹上 宿屋入道殿

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【宿屋左衛門光則への御状】

先年勘えたるの書安国論に普合せるに就て言上せしめ候い畢んぬ、抑正月十八日西戎大蒙古国より牒状到来すと、之を以て之を按ずるに日蓮は聖人の一分に当り候か、然りと雖も未だ御尋に予らず候の間重ねて諌状を捧ぐ、希(ねがわ)くば御帰依の寺僧を停止せられ宜しく法華経に帰せしむべし、若し然らずんば後悔何ぞ追わん、此の趣を以て十一所に申せしめ候なり、定めて御評議有る可く候か、偏に貴殿を仰ぎ奉る、早く日蓮が本望を遂げしめ給え、十一箇所と申すは平の左衛門尉殿に申せしむる所なり委悉(いしつ)申し度く候と雖も上書分明(ふんみょう)なる間省略せしめ候、御気色(みけしき)を以て御披露庶幾(しょき)せしむる所に候、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
謹上 宿屋入道殿

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【平左衛門尉頼綱への御状】

蒙古国の牒状到来に就いて言上せしめ候い畢んぬ、抑先年日蓮立正安国論に之を勘えたるが如く少しも違わず普合せしむ、然る間重ねて訴状を以て愁欝(しゅううつ)を発(ひら)かんと欲す、爰(ここ)を以て諌旗(かんき)を公前に飛ばし争戟(そうげき)を私後に立つ、併(しかし)ながら貴殿は一天の屋梁(おくりょう)為り万民の手足為り、争でか此の国滅亡の事を歎かざらんや慎まざらんや、早く須く退治を加えて謗法の咎(とが)を制すべし。

夫れ以(おもんみ)れば一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理・諸天善神の威食なり之を信受するに於ては何ぞ七難来り三災興らんや、剰(あまつさ)え此の事を申す日蓮をば流罪せらる、争でか日月星宿罰を加えざらんや、聖徳太子は守屋の悪を倒して仏法を興し秀郷(ひでさと)は将門を挫いて名を後代に留む、然らば法華経の強敵為る御帰依の寺僧を退治して宜く善神の擁護を蒙るべき者なり、御式目を見るに非拠を制止すること分明なり、争でか日蓮が愁訴(しゅうそ)に於ては御叙(もち)い無らん、豈御起請の文を破るに非ずや、此の趣を以て方方へ愚状を進(まい)らす、所謂鎌倉殿・宿屋入道殿・建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺・多宝寺・浄光明寺・弥源太殿並びに此の状合せ十一箇所なり、各各御評議有つて速かに御報に預るべく候、若し爾らば卞和(べんか)が璞(あらたま)磨いて玉と成り、法王髻中(けいちゅう)の明珠此の時に顕れんのみ、全く身の為に之を申さず、神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむるの処なり件の如し、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
平左衛門尉殿

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【北条弥源太への御状】

去(い)ぬる月御来臨急ぎ急ぎ御帰宅本意無く存ぜしめ候い畢んぬ、抑(そもそも)蒙古国の牒状到来の事・上一人より下万民に至るまで驚動極り無し、然りと雖も何の故なること人未だ之れを知らず、日蓮兼ねて存知せしむるの間既に一論を造つて之を進覧せり徴(しるし)先達つて顕れ、則ち災必ず後に来る、去ぬる正嘉元年丁巳(ひのとみ)八月廿三日戌亥(いぬい)の刻の大地震、是併(これしかし)ながら此の瑞に非ずや、法華経に云く如是相と天台大師云く「蜘蛛(ちちゅう)下りて喜事来り、かん鵲(じゃく)鳴いて行人来る」と、易に云く吉凶動に於て生ずと此等の本文豈替るべけんや、所詮諸宗の帰依を止めて一乗妙経を信受せしむべきの由勘文を捧げ候、日本亡国の根源は浄土・真言・禅宗・律宗の邪法悪法より起れり諸宗を召し合せ諸経勝劣を分別せしめ給え、殊に貴殿は相模(さがみ)の守殿の同姓なり根本滅するに於ては枝葉豈栄えんや、早く蒙古国を調伏し国土を安穏ならしめ給え、法華を謗ずる者は三世諸仏の大怨敵なり、天照太神・八幡大菩薩等・此の国を放ち給う故・大蒙古国より牒状来るか、自今已後各各生取と成り他国の奴と成る可し、此の趣き方方へ之れを驚かし愚状を進ぜしめ候なり、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
謹上 弥源太入道殿

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【建長寺道隆への御状】 【英語版

夫れ仏閣軒を並べ法門屋(いえ)に拒(いた)る、仏法の繁栄は身毒(けんどく)支那に超過し僧宝の形儀は六通の羅漢の如し、然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣・浅深を知らず併(しかしな)がら禽獣(きんじゅう)に同じ、忽ち三徳の釈迦如来を抛つて、他方の仏・菩薩を信ず是豈逆路伽耶陀(ぎゃくろがやだ)の者に非ずや、念仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗は国賊の妄説と云云、爰に日蓮去ぬる文応元年の比(ころ)勘えたるの書を立正安国論と名け宿屋入道を以て故最明寺殿に奉りぬ、此の書の所詮は念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に天下に災難頻りに起り剰(あまつさ)え他国より此の国責めらる可きの由之を勘えたり、

然るに去ぬる正月十八日牒状到来すと、日蓮が勘えたる所に少しも違わず普合せしむ、諸寺諸山の祈祷威力滅する故か将又(はたまた)悪法の故なるか鎌倉中の上下万人・道隆聖人をば仏の如く之を仰ぎ良観聖人をば羅漢の如く之れを尊む、其の外寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿の長老等は「 我慢の心充満し、未だ得ざるを得たりと謂う」の増上慢の大悪人なり、何ぞ蒙古国の大兵を調伏せしむ可けんや、剰え日本国中の上下万人悉く生取と成る可く今世には国を亡し後世には必ず無間に堕せん、日蓮が申す事を御用い無くんば後悔之れ有る可し、此の趣(おもむき)鎌倉殿・宿屋入道殿・平の左衛門の尉殿等へ之を進状せしめ候、一処に寄り集りて御評議有る可く候、敢て日蓮が私曲の義に非ず只経論の文に任す処なり、具(つぶさ)には紙面に載せ難し併ながら対決の時を期す、書は言を尽さず言は心を尽さず、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日日 蓮 花 押
進上 建長寺道隆聖人侍者御中

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【極楽寺良観への御状】 【英語版

西戎大蒙古国簡牒(かんちょう)の事に就て鎌倉殿其の外へ書状を進ぜしめ候、日蓮去る文応元年の比勘え申せし立正安国論の如く毫末計(ごうまつばか)りも之に相違せず候、此の事如何、長老忍性速かに嘲哢(ちょうろう)の心を翻えし早く日蓮房に帰せしめ給え、若し然らずんば人間を軽賤する者・白衣(びゃくえ)の与(ため)に法を説くの失脱れ難きか、依法不依人とは如来の金言なり、良観聖人の住処を法華経に説て云く「或は阿練若(あれんにゃ)に有り、納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在り」と、阿練若は無事と翻ず、争(いかで)か日蓮を讒奏するの条住処と相違せり、併ながら三学に似たる矯賊(きょうぞく)の聖人なり、僣聖(せんしょう)増上慢にして今生は国賊・来世は那落(ならく)に堕在せんこと必定なり、聊(いささ)かも先非を悔いなば日蓮に帰す可し、此の趣き鎌倉殿を始め奉り建長寺等其の外へ披露せしめ候、所詮本意を遂げんと欲せば対決に如かず、即ち三蔵浅近の法を以て諸経中王の法華に向うは江河と大海と華山と妙高との勝劣の如くならん、蒙古国調伏の秘法定めて御存知有る可く候か、日蓮は日本第一の法華経の行者蒙古国退治の大将為り「於一切衆生中亦為第一」とは是なり、文言多端理を尽す能わず併ながら省略せしめ候、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
謹上 極楽寺長老良観聖人御所

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【大仏殿別当への御状】

去る正月十八日西戎大蒙古国より牒状到来し候い畢んぬ、其の状に云く大蒙古国皇帝・日本国王に書を上(たてまつ)る、大道の行わるる其の義邈(ばく)たり、信を構え睦(むつみ)を修す、其の理何ぞ異ならん乃至至元三年丙寅(ひのえとら)正月日と、右此の状の如くんば返牒に依つて日本国を襲う可きの由分明なり、日蓮兼ねて勘え申せし立正安国論に少しも相違せず、急(すみや)かに退治を加え給え、然れば日蓮を放(おい)て之を叶う可からず、早く我慢を倒して日蓮に帰すべし、今生空しく過ぎなば後悔何ぞ追わん、委(くわ)しく之を記すこと能わず、此の趣方方へ申せしめ候、一処に聚集(じゅしゅう)して御調伏有る可く候か。

文永五年十月十一日日 蓮 花 押
謹上 大仏殿別当御房

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【寿福寺への御状】

風聞の如くんば蒙古国の簡牒・去る正月十八日慥(たしか)に到来候い畢(おわ)んぬ、然れば先年日蓮が勘えし書の立正安国論の如く普合せしむ、恐くは日蓮は未萠(みぼう)を知る者なるか、之を以て之を按ずるに念仏・真言・禅・律等の悪法・一天に充満して上下の師と為るの故に此(かく)の如き他国侵逼(しんぴつ)の難起れるなり、法華不信の失に依つて皆一同に後生は無間地獄に堕す可し早く邪見を翻(ひるがえ)し達磨(だるま)の法を捨てて一乗正法に帰せしむ可し、然る間方方へ披露(ひろう)せしめ候の処なり、早早一処に集りて御評議有る可く候、委くは対決の時を期す、恐恐謹言。

文永五年十月十一日日 蓮 花 押
謹上 寿福寺侍司御中

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【浄光明寺への御状】

大蒙古国の皇帝・日本国を奪う可きの由・牒状を渡す、此の事先年立正安国論に勘え申せし如く少しも相違せしめず、内内日本第一の勧賞に行わる可きかと存ぜしめ候の処剰え御称歎に預らず候、是れ併ながら鎌倉中著麤(じゃくそ)の類・律宗・禅宗等が「向国王大臣、誹謗説我悪」の故なり、早く二百五十戒を抛つて日蓮に帰して成仏を期す可し、若し然らずんば堕在無間の根源ならん、此の趣き方方へ披露せしめ候い畢んぬ、早く一処に集りて対決を遂げしめ給え日蓮・庶幾(しょき)せしむる処なり、敢て諸宗を蔑如(べつじょ)するに非ざるのみ、法華の大王戒に対して小乗蟁蝱(もんみょう)戒・豈(あに)相対に及ばんや、笑う可し笑う可し。

文永五年十月十一日日 蓮 花 押
謹上 浄光明寺侍者御中

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【多宝寺への御状】
日蓮・故最明寺殿に奉りたるの書・立正安国論御披見候か、未萠を知つて之を勘え申す処なり、既に去る正月蒙古国の簡牒到来す何ぞ驚かざらんや、此の事不審千万なり縦(たと)い日蓮は悪(にく)しと雖も勘うる所の相当るに於ては何ぞ用いざらんや、早く一所に集りて御評議有る可し、若し日蓮が申す事を御用い無くんば今世には国を亡し後世は必ず無間大城に堕す可し、此の旨方方へ之を申せしめしなり敢て日蓮が私曲に非ず委しく御報に預(あずか)る可く候、言は心を尽さず、書は言を尽さず併ながら省略せしめ候、恐恐謹言。

文永五年十月十一日日 蓮 花 押
謹上 多宝寺侍司御中

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【長楽寺への御状】
蒙古国・調伏の事に就いて方方へ披露せしめ候い畢んぬ、既に日蓮・立正安国論に勘えたるが如く普合せしむ、早く邪法邪教を捨て実法実教に帰す可し、若し御用い無くんば今生には国を亡(ほろぼ)し身を失い後生には必ず那落に堕す可し、速かに一処に集りて談合を遂げ評議せしめ給え、日蓮庶幾せしむる所なり、御報に依つて其の旨を存ず可く候の処なり敢て諸宗を蔑如するに非ず、但此の国の安泰を存する計りなり、恐恐謹言。

文永五年十月十一日日 蓮 花 押
謹上 長楽寺侍司御中


[ここまで十一通御書]
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【弟子檀那中への御状】  [英語版]

大蒙古国の簡牒到来に就いて十一通の書状を以て方方へ申せしめ候、定めて日蓮が弟子檀那・流罪(るざい)・死罪一定ならん、少しも之を驚くこと莫(なか)れ、方方への強言(ごうげん)申すに及ばず、是併ながら而強毒之(にごうどくし)の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し、少しも妻子眷属(けんぞく)を憶うこと莫れ、権威を恐るること莫れ、今度生死の縛(ばく)を切つて仏果を遂げしめ給え、鎌倉殿・宿屋入道・平の左衛門尉・弥源太・建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿・長楽寺已上十一箇所仍つて十一通の状を書して諌訴せしめ候い畢んぬ、定めて子細有る可し、日蓮が所に来りて書状等披見せしめ給え、恐恐謹言。

文永五年戊辰十月十一日日 蓮 花 押
日蓮弟子檀那中




by johsei1129 | 2019-09-07 12:40 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 06日

蒙古からの国書到来を受け幕府要人宿屋入道に執権北条時宗との見参を迫った書【宿屋入道許御状】

【宿屋入道許御状】
■出筆時期:文永五年(1268年)八月二十一日 四十七歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を宛てられた宿屋左衛門入道は鎌倉幕府の重鎮で寺社奉行を勤めており、鎌倉時代に書かれた歴史書『吾妻鏡』巻五十一には下記の通り、第五代執権北条時頼の臨終の際、出入りを許された七人の中に宿屋左衛門の名が見られます。
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[吾妻鏡 巻五十一] 弘長三年
十一月二十日 丁酉
 早旦北殿に渡御す。偏に御終焉の一念に及ぶ。昨日厳命を含むの両人、固くその旨を守り人々の群参を制禁するの間、頗る寂寞たり。御看病の為六七許輩祇候するの外人無し。所謂、武田の五郎三郎・南部の次郎・長崎次郎左衛門の尉・工藤三郎左衛門の尉・尾籐太・宿谷左衛門の尉・安東左衛門の尉等なり。
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大聖人は幕府の宗教政策、他宗派の動向に関する情報は、この宿屋入道から主に得ていたのではと推察されます。また立正安国論を北条時頼に献上する際も宿屋入道を通じて行っており、本状を記された文永五年の一月十八日には蒙古国から牒状が鎌倉幕府に到来、立正安国論で予言した「他国侵逼難」が現実になった事態を受け、本状にて宿屋入道に対し「君の為、国の為、神の為、仏の為、(執権北条時宗への)内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂げて申すべく候」と迫られておられます。

尚、本状を記される四ヶ月ほど前の四月五日には法鑒御房(平頼綱の実父)に【安国論御勘由来】を送り「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず。復禅門(宿屋入道)に対面を遂ぐ故に之を告ぐ之を用いざれば定めて後悔有る可し」と、宿屋入道との対面を依頼されておられます。しかし宿屋入道からの回答はなく、九月には【宿屋入道再御状】を送り、最終的に十月十一日、書状をしたため北条時宗他幕府要人、鎌倉の諸寺院計十一箇所に日興上人始め弟子達により直接届けられます。この書が後に【十一通御書】と称されております。
■ご真筆:現存しておりません。

【宿屋入道許御状 本文】 【英語版】

其の後書絶えて申さず、不審極まり無く候。
抑(そもそも)去(い)ぬる正嘉元年丁巳 八月二十三日戌亥の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘へたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作して起こす所の災ひなり。
 
若し此を御対治無くんば、他国の為に此の国を破らるべきの由、勘文一通之を撰し、正庚申七月十六日、御辺に付け奉りて故最明寺入道殿へ之を進覧す。
其の後九箇年を経て、今年大蒙古国の牒状之有る由風聞す等云云。経文の如くんば、彼の国より此の国を責めん事必定なり。

而るに日本国中、日蓮一人彼の西戎を調伏すべきの人に当たり、兼ねて之を知り論文に之を勘ふ。
君の為、国の為、神の為、仏の為、内奏を経らるべきか。
委細の旨は見参を遂げて申すべく候。恐々謹言。

文永五年八月二十一日    日蓮 花押
宿屋左衛門入道殿





by johsei1129 | 2019-09-06 21:57 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 06日

文永五年一月十八日、蒙古国から牒状が鎌倉幕府に到来、立正安国論で予言した「他国侵逼難」が現実になった事態を受け幕府の要人に送られたと思われる書【正嘉地震大瑞御書】

【正嘉地震大瑞御書】
■出筆時期:文永五年(1268) 四月頃と思われます。四十七歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵と思われます。
■出筆の経緯:本抄は一部断簡が伝えられてますが、書き出しが文永五年四月五日に平頼綱の父法鑒御房に送られた【安国論御勘由来】と内容を一にしており、安国論御勘由来と同様、立正安国論の「他国侵逼難」予言的中を受け鎌倉幕府の要人に対面を申し出たのではと強く推察されます。
尚、文中「故最明寺入道殿に奉る勘文の如し」とは、北条時頼に「立正安国論」を献じた事を示しておられます。
■ご真筆:京都市 本圀寺(断簡)所蔵。
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【正嘉地震大瑞御書 本文】

去ぬる正嘉元年丁巳、大地震此の大瑞日本の日記に見ざるか
日蓮諸経を引き勘ふるに、念仏宗と禅宗等との邪法、此の国に出現し、存の外に国中の上下鎮護国家の為の大法を蔑如(べつじょ)せしむるに依って、法華・真言の国中守護の諸大善神瞋恚(しんに)を為し、悉く他国に向かふが故に起こる所の災難なり。

此の国将に他国に襲はるべし等云云。
具には故最明寺入道殿に奉る勘文の如し、谷土野(やどや)禅門之を尋ぬべし。
念仏者並びに檀那等之を聞きて怨を成すこと、譬へば不軽菩薩の増上慢の四衆の如し。
(以下の部分は残されておられません)




by johsei1129 | 2019-09-06 21:55 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 06日

悪知識は善法の為にあだなり、故に畏る可きは大毒蛇悪鬼神よりも弘法善導法然等の流の悪知識を畏 るべし、と断じた【星名五郎太郎殿御返事】

【星名五郎太郎殿御返事】
■出筆時期:文永四年(1267)十二月五日 四十六歳御作。
■出筆場所:下総の富木常忍の邸宅と思われます。
■出筆の経緯:本抄は上総国・興津村の領主・佐久間兵庫亮の家臣・星名五郎太郎に宛てられた消息です。
本抄を記された文永四年は、大聖人の御母妙蓮尼が八月十五日にお亡くなりになり大聖人は故郷安房小湊に戻られておられます。
恐らくその時に主君佐久間兵庫亮(ひょうごのすけ)とともに星名五郎太郎も大聖人に帰依されたと思われます。

本抄は真言の破析を論じられおり、佐久間兵庫亮、星名五郎太郎が以前は真言を信仰していたことを伺わせます。
大聖人は「今法華経には二乗成仏あり真言経には之無しあまつさへあながちに是をきらへり、法華経には女人成仏之有り真言経にはすべて是なし、法華経には悪人の成仏之有り真言経には全くなし、何を以てか法華経に勝れたりと云うべき」と記されるとともに「故に畏る可きは大毒蛇悪鬼神よりも弘法善導法然等の流の悪知識を畏るべし」と断じられておられます。
また文末では「外見あるべからず候、若(もし)命つれなく候はば仰せの如く明年の秋下り候て且つ申すべく候」と記され、この消息は他人には見せてはならないと諭されるともに、もし私の命が変わらず無事であれば明年の秋にはお伺いして法門の事を詳しく申しましょうと約束されておられます。ここでの「若命つれなく候はば」とは「三年前の小松原の法難のようなことが再び起きなければ」との思いを示されておられると拝されます。
■ご真筆:現存しておりません。

【星名五郎太郎殿御返事 本文】

漢の明(めい)夜夢みしより迦・竺(か・じく)二人の聖人初めて長安のとぼそに臨みしより以来唐の神武皇帝に至るまで天竺の仏法震旦(しんたん)に流布し、梁(りょう)の代に百済(くだら)国の聖明王より我が朝の人王三十代欽明の御宇に仏法初めて伝ふ、其れより已来一切の経論諸宗皆日域にみてり、幸なるかな生を末法に受くるといへども霊山(りょうぜん)のきき耳に入り、身は辺土に居せりといへども大河の流れ掌に汲めり、但し委(くわし)く尋ね見れば仏法に於て大小権実前後のおもむきあり、若し此の義に迷いぬれば邪見に住して仏法を習ふといへども還つて十悪を犯し五逆を作る罪よりも甚しきなり、爰を以て世を厭ひ道を願はん人先ず此の義を存ずべし、例せば彼の苦岸比丘等の如し、故に大経に云く「若し邪見なる事有らんに命終の時正に阿鼻獄に堕つべし」と云へり。

 問う何を以てか邪見の失を知らん予不肖の身たりといへども随分後世を畏れ仏法を求めんと思ふ、願くは此の義を知らん、若し邪見に住せばひるがへして正見におもむかん、答う凡眼を以て定むべきにあらず浅智を以て明むべきにあらず、経文を以て眼とし仏智を以て先とせん、但恐くは若し此の義を明さば定めていかりをなし憤りを含まん事を、さもあらばあれ仏勅を重んぜんにはしかず、其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ但愚者の行ひなり、其れ若し非ならば遠とも破すべし其れ若し理ならば近とも捨つべからず、人貴むとも非ならば何ぞ今用いん、伝え聞く彼の南三北七の十流の学者威徳ことに勝れて天下に尊重せられし事既に五百余年まで有りしかども陳隋二代の比(ころ)天台大師是を見て邪義なりと破す、天下に此の事を聞いて大きに是をにくむ、然りといへども陳王隋帝の賢王たるに依て彼の諸宗に天台を召し決せられ、邪正をあきらめて前五百年の邪義を改め皆悉く大師に帰す。

 又我が朝の叡山の根本大師は南都北京の碩学(せきがく)と論じて仏法の邪正をただす事皆経文をさきとせり、今当世の道俗貴賎皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず、之に依て或は念仏権教を以て大乗妙典をなげすて或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず、是等の類豈大乗誹謗のやからに非ずや、若し経文の如くならば争(いかで)か那落(ならく)の苦みを受けざらんや、之に依て其の流をくむ人もかくの如くなるべし、疑つて云く念仏真言は是れ或は権或は邪義又行者或は邪見或は謗法なりと此の事甚だ以て不審なり、其の故は弘法大師は是れ金剛薩埵(こんごうさった)の化現第三地の菩薩なり。真言は是れ最極甚深の秘密なり、又善導和尚は西土の教主弥陀(みだ)如来の化身なり、法然上人は大勢至菩薩の化身なりかくの如きの上人を豈に邪見の人と云うべきや、答えて云く此の事本より私の語を以て是を難ずべからず経文を先として是をただすべきなり、真言の教は最極の秘密なりと云うは三部経の中に於て蘇悉地(そしっち)経を以て王とすと見えたり、全く諸の如来の法の中に於て第一なりと云う事を見ず、凡そ仏法と云うは善悪の人をゑらばず皆仏になすを以て最第一に定むべし、是れ程の理をば何(いか)なる人なりとも知るべきことなり、若し此の義に依らば経と経とを合せて是を挍(ただ)すべし。

今法華経には二乗成仏あり真言経には之無しあまつさへあながちに是をきらへり、法華経には女人成仏之有り真言経にはすべて是なし、法華経には悪人の成仏之有り真言経には全くなし、何を以てか法華経に勝れたりと云うべき、又若し其の瑞相を論ぜば法華には六瑞あり、所謂(いわゆる)雨華地動し白毫(びゃくごう)相の光り上は有頂を極め下は阿鼻獄を照せる是なり、又多宝の塔大地より出て分身の諸仏十方より来る、しかのみならず上行等の菩薩の六万恒沙(ごうじゃ)五万四万三万乃至一恒沙半恒沙等大地よりわきいでし事此の威儀不思議を論ぜば何を以て真言法華にまされりと云わん、此等の事委(くわし)くのぶるにいとまあらずはづかに大海の一滴を出す。

爰(ここ)に菩提(ぼだい)心論と云う一巻の文あり竜猛菩薩の造と号す、此の書に云く「唯真言法の中に即身成仏す故に是れ三摩地の法を説く諸教の中に於て闕(か)いて書(し)るさず」と云えり、此の語は大に不審なるに依て経文に就てこれを見るに即身成仏の語は有れども即身成仏の人全くなし、たとひありとも法華経の中に即身成仏あらば諸教の中にをいてかいて而もかかずと云うべからず此の事甚だ以て不可なり、但し此の書は全く竜猛の作にあらず委き旨は別に有るべし、設ひ竜猛菩薩の造なりともあやまりなり、故に大論に一代をのぶる肝要として「般若(はんにゃ)は秘密にあらず二乗作仏なし、法華は是秘密なり二乗作仏あり」と云えり、又云く「二乗作仏あるは是秘密二乗作仏なきは是顕教」と云えり、若し菩提心論の語の如くならば別しては竜樹の大論にそむき総じては諸仏出世の本意一大事の因縁をやぶるにあらずや、今竜樹天親等は皆釈尊の説教を弘めんが為に世に出(い)ず、付法蔵二十四人の其の一なり何ぞ此(か)くの如き妄説をなさんや、彼の真言は是れ般若経にも劣れり、何に況や法華に並べんや、爾(しか)るに弘法の秘蔵宝鑰(やく)に真言に一代を摂するとして法華を第三番に下し、あまつさへ戯論(けろん)なりと云えり、謹んで法華経を披(ひら)きたるに諸の如来の所説の中に第一なりと云えり、又已今当の三説に勝れたりと見えたり、又薬王の十喩(ゆ)の中に法華を大海にたとへ日輪にたとへ須弥山(しゅみせん)にたとへたり、若し此の義に依らば深き事何ぞ海にすぎん明かなる事何ぞ日輪に勝れん高き事何ぞ須弥山に越ゆる事有らん、喩を以て知んぬべし何を以てか法華に勝れたりと云はんや、大日経等に全く此の義なし但己が見に任せて永く仏意に背く、妙楽大師日く「請う眼有らん者は委悉(いしつ)に之を尋ねよ」と云へり、法華経を指て華厳に劣れりと云うは豈(あに)眼ぬけたるものにあらずや、又大経に云く「若し仏の正法を誹謗(ひぼう)する者あらん正に其の舌を断(たつ)べし」と、嗚呼(ああ)誹謗の舌は世世に於て物云うことなく邪見の眼は生生にぬけて見ること無らん、加之(しかのみな)らず「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至其の人命終えて阿鼻獄に入らん」の文の如くならば定めて無間大城に堕ちて無量億劫(おくこう)のくるしみを受けん。

善導法然も是に例して知んぬべし、誰か智慧有らん人此の謗法(ほうぼう)の流を汲んで共に阿鼻(あび)の焔(ほのお)にやかれん、行者能く畏(おそ)るべし、此れは是れ大邪見の輩なり、所以に如来誠諦の金言を按ずるに云く「我が正法をやぶらん事は譬えば猟師の身に袈裟(けさ)をかけたるが如し、或は須陀洹(しゅだおん)斯那含(しなごん)阿那含(あなごん)阿羅漢・辟支仏(びゃくしぶつ)及び仏の色身を現じて我が正法を壊(やぶ)らん」といへり。

 今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡(ぐち)の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す、就中(なかんずく)彼の真言等の流れ偏(ひとえ)に現在を以て旨とす、所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多(あかだ)仙人は十二年の間恒河(こうが)の水を耳にただへたりき、又耆菟(ぎと)仙人の四大海を一日の中にすひほし、く留外道は八百年の間石となる豈是にすぎたらんや、又瞿曇(くどん)仙人が十二年の程釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何(いかん)、若し彼の変化のしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし、当(まさ)に知るべし彼れ威徳ありといへども猶阿鼻の炎をまぬがれず、況(いわん)やはづかの変化にをいてをや況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり近付くべからず畏る可し畏る可し。

仏の曰く「悪象等に於ては畏るる心なかれ悪知識に於ては畏るる心をなせ、何を以ての故に悪象は但身をやぶり意をやぶらず悪知識は二共にやぶる故に、此の悪象等は但一身をやぶる悪知識は無量の身無量の意をやぶる、悪象等は但不浄の臭き身をやぶる悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪象は但肉身をやぶる悪知識は法身をやぶる、悪象の為にころされては三悪に至らず悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る、此の悪象は但身の為のあだなり、悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇悪鬼神よりも弘法善導法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の失(とが)を明すこと畢(おわ)んぬ。

 此の使あまりに急ぎ候ほどにとりあへぬさまにかたはしばかりを申し候、此の後又便宜(びんぎ)に委く経釈を見調(みしら)べてかくべく候、穴賢穴賢、外見あるべからず候、若(もし)命つれなく候はば仰せの如く明年の秋下り候て且つ申すべく候、恐恐。

十二月五日   日蓮 花押
星名五郎太郎殿御返事








by johsei1129 | 2019-09-06 21:33 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 06日

総じて法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし、と断じた【念仏者臨終現悪相御書】

【念仏者臨終現悪相御書】
■出筆時期:文永三年(1266) 四十五歳御作。
■出筆場所:安房国 花房蓮華寺と思われます。
■出筆の経緯:本抄は真筆の断簡が伝えられておりますが、前後の文が不明のため対告衆、著作年月日等の詳細は不明です。本文の内容は弟子・信徒教化のための念仏の破析が主題で、大聖人は「総じて法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし」と断じられておられます。
■ご真筆:富士宮市 西山本門寺(断簡)所蔵。
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【念仏者臨終現悪相御書 本文】

文はとかれたれども、実には諸行は往生せずと料簡したりけり。この二義世間にひろまりけるほどに、法華経等は一部八巻よむもよだけし。
真言の観念は大事なり。一念は但南無阿弥陀仏と申せばやすし。させる功労をも入らざる故に、在家の諸人は一向称名(いっこうしょうみょう)念仏になりぬ。自然に法然が義つをりて多勢になるほどに、をゝぜいにをとされて、法華経・真言等を行じつる人々も、自義をすてゝ法然が義をならいまねび、心よせにをもい、久修聖行の法華経等をすてゝ三万六万等の念仏者になりぬ。

結句(けっく)はことに天台真言の人々、法華経をすてゝ念仏になる証人となれるなり。ここに第一の不思議あり。法然が一類の一向の念仏者法然・隆観・上光・善恵・南無・薩生(さっしょう)等或は七日・二七日、無記にて死ぬ者もあり、或は悪瘡(あくそう)、或は血をはき、或は遍身にあつきあせをながし、総じて法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし。又一向専修の念仏者をもちうる在 





by johsei1129 | 2019-09-06 07:03 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 01日

法華経は「尚殊に女性の御信仰あるべき御経にて候」と説いた【女人成仏抄】

【女人成仏抄】
■出筆時期:文永2年(1265)四十四歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を送られた対告衆は不明ですが、女人成仏を説いていることから当時の女性信徒に宛てられた消息であると思われます。

大聖人は法華経 提婆品第十二に説かれている竜女の即身成仏の謂れと、法華経 勧持品第十三に説かれている釈尊の養母「摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)」が一切衆生喜見如来に、また王宮時代の妻「耶輸陀羅女(やしゅたらにょ)」も眷属の比丘尼と共に「具足千万光相如来」にと、それぞれ将来仏になるという記別を受けた謂れを引かれ「然れば尚殊に女性の御信仰あるべき御経にて候」と示され、一切経の中で法華経だけが女人が成仏できる経であると諭されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[女人成仏抄 本文]

提婆品に云く「仏告諸比丘未来世中乃至蓮華化生」等云云、此の提婆品に二箇の諌暁(かんぎょう)あり、所謂達多の弘経・釈尊の成道を明し又文殊の通経・竜女の作仏を説く、されば此の品を長安宮に一品切り留めて二十七品を世に流布する間秦の代より梁の代に至るまで七代の間の王は二十七品の経を講読す、其の後満法師と云いし人此の品法華経になき由を読み出され候いて後、長安城より尋ね出し今は二十八品にて弘まらせ給う、

さて此の品に浄心信敬の人のことを云うに一には三悪道に堕せず、二には十方の仏前に生ぜん、三には所生の処には常に此の経を聞かん、四には若し人天の中に生ぜば勝妙の楽を受けん、五には若し仏前に在らば蓮華より化生せんとなり、
然るに一切衆生は法性真如の都を迷い出でて妄想顛倒の里に入りしより已来身口意(しんくい)の三業になすところ善根は少く悪業は多し、されば経文には一人一日の中に八億四千念あり、念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云、我等衆生三界二十五有のちまたに輪回せし事・鳥の林に移るが如く、死しては生じ生じては死し、車の場(にわ)に回るが如く始め終りもなく死し生ずる悪業深重の衆生なり、爰を以て心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く、或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云、

法華経二の巻に云く「三界は安きこと無し猶火宅の如く衆苦充満せり」云云、涅槃経二十二に云く「菩薩摩訶薩(まかさつ)諸の衆生を観ずるに色香味触の因縁の為の故に昔無量無数劫より以来(このかた)常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積る所の身の骨は王舎城の毘富羅)びふら)山の如く、飲む所の乳汁は四海の水の如く、身より出す所の血は四海の水より多く、父母・兄弟・妻子・眷属の命終に涕泣(たいきゅう)して出す所の目涙は四大海の水より多し、地の草木を尽くして四寸の籌(かずとり)と為して以て父母を数うるに亦尽くすこと能わじ。

無量劫より已来或は地獄・畜生・餓鬼に在つて受くる所の行苦称計す可からず、亦一切衆生の骸骨をや」云云。是くの如くいたづらに命を捨るところの骸骨(かばね)は毘富羅山よりも多し、恩愛あはれみの涙は四大海の水よりも多けれども仏法の為には一骨をもなげず、一句一偈を聴聞して一滴の涙をも・おとさぬゆへに三界の篭樊(ろうはん)を出でずして二十五有のちまたに流転する衆生にて候なり。

然る間如何として三界を離るべきと申すに仏法修行の功力に依つて無明のやみはれて法性真如の覚(さとり)を開くべく候。
さては仏法は何なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに但一乗妙法にて有るべく候、されば慧心僧都(えしんそうず)・七箇日・加茂(かも)に参篭(さんろう)して出離生死は何なる経にてか候べきと祈請(きしょう)申され候いしに、明神御託宣に云く「釈迦の説教は一乗に留まり諸仏の成道は妙法に在り菩薩の六度は蓮華に在り二乗の得道は此の経に在り」云云。

普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり」云云、此の経より外はすべて成仏の期(ご)有るべからず候上殊更(ことさら)女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず、結句爾前の経にては・をびただしく嫌はれたり、されば華厳経に云く「女人は地獄の使なり能く仏の種子を断ず、外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」云云、銀色女経(ごんじきにょきょう)に云く「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無し」云云、

或は又女人には五障三従の罪深しと申す、其れは内典には五障を明し外典には三従を教えたり、其の三従とは少(おさな)くしては父母に従ひ、盛にしては夫(おとこ)に従ひ、老いては子に従ふ、一期身を心に任せず、されば栄啓期が三楽を歌ひし中にも女人と生れざるを以て一楽とす、天台大師云く「他経には但菩薩に記して二乗に記せず但男に記して女に記せず」とて全く余経には女人の授記これなしと釈せり。

其上釈迦・多宝の二仏・塔中(たっちゅう)に並坐(びょうざ)し給ひし時・文殊・妙法を弘めん為に海中に入り給いて・仏前に帰り参り給いしかば宝浄世界の多宝仏の御弟子・智積(ちしゃく)菩薩は竜女成仏を難じて云く「我釈迦如来を見たてまつれば無量劫に於て難行苦行し功を積み・徳を累(かさ)ね・菩薩の道を求むること未だ曾つて止息したまわず、三千大千世界を観るに乃至芥子(けし)の如き許りも是れ菩薩の身命を捨てたもう処に非ざること有ること無し、衆生の為の故なり」等云云、

所謂智積・文殊・再三問答いたし給う間は八万の菩薩・万二千の声聞等何れも耳をすまして御聴聞計りにて一口の御助言に及ばず、然るに智慧第一の舎利弗・文殊の事をば難ずる事なし多くの故を以て竜女を難ぜらる・所以に女人は垢穢(くえ)にして是れ法器に非ずと小乗権教の意を以て難ぜられ候いしかば、文殊が竜女成仏の有無の現証は今仏前にして見え候べしと仰せられ候いしに、案にたがはず八歳の竜女蛇身をあらためずして仏前に参詣し価直(あたい)三千大千世界と説かれて候・如意宝珠(にょいほうじゅ)を仏に奉りしに、仏悦んで是を請取り給いしかば此の時、智積菩薩も舎利弗も不審を開き女人成仏の路をふみわけ候。

されば女人成仏の手本是より起つて候・委細は五の巻の経文之を読む可く候、伝教大師の秀句に云く「能化(のうけ)の竜女歴劫(りゃっこう)の行無く、所化の衆生も歴劫の行無し、能化所化倶に歴劫無し妙法経力・即身成仏す」天台の疏に云く「智積は別教に執して疑いを為し竜女は円を明して疑いを釈(と)く、身子(しんし)は三蔵の権を挾(はさ)んで難ず竜女は一実を以て疑いを除く」
海竜王経に云く「竜女作仏し国土を光明国と号し名をば無垢証如来(むくしょうにょらい)と号す」云云、法華已前の諸経の如きは縦(たと)い人中・天上の女人なりといふとも成仏の思(おもい)絶たるべし、然るに竜女・畜生道の衆生として戒緩(かいかん)の姿を改めずして即身成仏せし事は不思議なり、是を始として釈尊の姨母(おば)・摩訶波闍波提比丘尼等・勧持品にして一切衆生喜見如来と授記を被り・羅睺羅(らごら)の母・耶輸陀羅女も眷属の比丘尼と共に具足千万光相如来と成り、鬼道の女人たる十羅刹女も成仏す、然れば尚殊に女性の御信仰あるべき御経にて候、抑(そもそも)此の経の一文一句を読み一字一点を書く尚出離生死・証大菩提の因なり、然れば彼の字に結縁せし者・尚炎魔の庁より帰され六十四字を書し人は其の父を天上へ送る。

何に況や阿鼻の依正は極聖の自心に処し地獄・天宮皆是れ果地の如来なり、毘盧(びる)の身土は凡下の一念を逾(こえ)ず、遮那(しゃな)の覚体も衆生の迷妄を出でず、妙文は霊山浄土に増し六万九千の露点は紫磨金(しまこん)の輝光を副(そな)え給うべし、殊に過去聖霊は御存生の時より御信心他に異なる御事なりしかば、今日講経の功力に依つて仏前に生を受け仏果菩提の勝因に登り給うべし云云、
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。


【妙法蓮華経 勧持品第十三】
今汝欲知記者。将来之世。当於六万八千億。諸仏法中。
為大法師。及六千学無学比丘尼。倶為法師。
汝如是漸漸。具菩薩道当得作仏。号一切衆生喜見。
<中略>
仏告耶輸陀羅。汝於来世。百千万億。諸仏法中。
修菩薩行。為大法師。漸具仏道。於善国中。
当得作仏。号具足千万光相如来。

[和訳]
今汝よ記別ある者を知らんと欲せば、将来の世に当に六万八千億の諸仏の法の中に於いて、大法師と為らん。及び六千の学無学の比丘尼も倶に法師と為らん。
汝、是の如く漸漸に菩薩道を具し、当に作仏することを得べし。その仏の名号は一切衆生喜見なり。
<中略>
仏、耶輸陀羅に告げ給う、汝は来世に百千万億の諸仏の法の中に於いて、菩薩行を修め、大法師為らん。漸し仏道を具し、善き国の中に於いて当に作仏することを得べし。その仏の名号は具足千万光相如来なり。




by johsei1129 | 2019-09-01 16:39 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)