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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:富木常忍・尼御前( 41 )


2019年 11月 12日

総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、と説いた【四菩薩造立抄】

【四菩薩造立抄】
■出筆時期:弘安二年(1279年)五月十七日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍から「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士(きょうじ)には久成(くじょう)地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何(いずれ)の時かと」問われたことへの返書となっております。勿論これは、中央に南無妙法蓮華経をしたため、その脇士に釈迦牟尼仏、多宝如来の二仏、並びに上行、無辺行、浄行、安立行の地涌の四菩薩を配した大御本尊になります。この事については大聖人は佐渡流罪中に「観心本尊抄」 で「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と説き明かし、富木常忍に宛てて弟子・信徒に送られておられます。

富木常忍は恐らく当時の本尊に対する一般的な考えで、大聖人が釈迦の立像を造立されるのではと思われていたようです。富木常忍は下総国の守護千葉氏の文官として、自ら開基した中山法華経寺に大聖人のご真筆を数多く残された功績は大きなものがありますが、大聖人の法門への深い理解までは到達していなかったように思われます。

また本抄後段では「御状に云く、大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由、其の聞え候と、是は以ての外(ほか)の謬(あやまり)なり」と断じ、大聖人が法華経を本門と迹門に分別して説かれたことを誤解し、迹門つまり方便品を読誦しても得道がないと申していることを咎め「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」と厳しく指導されておられます。

尚、本抄冒頭で富木常忍が「薄墨染衣一・同色の袈裟一帖」をご供養されたことが記されておられますが、この当時大聖人が、普段から薄墨の染め色の衣・袈裟を身につけていたことが分かります。この事は日興上人の残された[日興遺誡置文] にも「一、衣の墨・黒くすべからざる事。一、直綴(じきとつ)を着す可からざる事」と記されていることでも分かります。この薄墨の法衣・袈裟を身につける意味は、釈尊及び当時の弟子達が出家するとき、世俗の垢を払いのけるがごとく王侯貴族としての華美な服装を脱ぎ捨て、糞掃衣(ふんぞうえ)[ボロ布を洗ってつづり合わせて作った衣]をまとった事と相通じるものがあります。
■ご真筆:現存しておりません。

[四菩薩造立抄 本文]

白小袖一・薄墨染衣(うすずみすみごろも)一・同色の袈裟一帖・鵞目一貫文給び候、今に始めざる御志言(ことば)を以て宣(の)べがたし何れの日を期してか対面を遂げ心中の朦朧(もうろう)を申し披(ひらかん)や。

一御状に云く本門久成(くじょう)の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕りいき、然れば聴聞の如くんば何(いずれ)の時かと云云、夫れ仏・世を去らせ給いて二千余年に成りぬ、其の間・月氏・漢土・日本国・一閻浮提の内に仏法の流布する事・僧は稲麻(とうま)のごとく法は竹葦(ちくい)の如し、然るに・いまだ本門の教主釈尊並に本化(ほんげ)の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し三朝の間に未だ聞かず、日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主・脇士を造るべき事を知らず上宮太子・仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等・四天王を造り副(そ)えたり、伝教大師・延暦寺を立て給うに中堂には東方の鵞王(がおう)の相貌(そうみょう)を造りて本尊として久成の教主・脇士をば建立し給はず、南京(なら)七大寺の中にも此の事を未だ聞かず田舎の寺寺以て爾(しか)なり、かたがた不審なりし間・法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり、末法・闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明(ふんみょう)なり、正像に出世せし論師・人師の造らざりしは仏の禁(いましめ)を重んずる故なり、若し正法・像法の中に久成の教主釈尊・並びに脇士を造るならば夜中に日輪出で日中に月輪(げつりん)の出でたるが如くなるべし、末法に入つて始めの五百年に上行菩薩の出でさせ給いて造り給うべき故に正法・像法の四依の論師・人師は言(ことば)にも出させ給はず、竜樹・天親こそ知らせ給いたりしかども口より外へ出させ給はず、天台智者大師も知らせ給いたりしかども迹化の菩薩の一分なれば一端は仰せ出させ給いたりしかども其の実義をば宣べ出させ給はず、但ねざめの枕に時鳥(ほととぎす)の一音(ひとこえ)を聞きしが如くにして夢のさめて止(やみ)ぬるやうに弘め給い候ぬ、夫れより已外の人師はまして一言をも仰せ出し給う事なし、此等の論師・人師は霊山にして迹化(しゃっけ)の衆は末法に入らざらんに正像二千年の論師・人師は本門久成の教主釈尊並に久成の脇士・地涌上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁(おんいましめ)ありし故ぞかし。

今末法に入れば尤も仏の金言の如くんば造るべき時なれば本仏・本脇士造り奉るべき時なり、当時は其の時に相当れば地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん、先ず其れ程に四菩薩を建立し奉るべし尤も今は然るべき時なりと云云、されば天台大師は後の五百歳遠く妙道に沾わんとしたひ、伝教大師は正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正に是れ其の時なりと恋いさせ給う。

日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富(とめ)る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押(おさ)へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し、恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給いたり天台智者大師・伝教大師等も及び給うべからず最も四菩薩を建立すべき時なり云云、問うて云く四菩薩を造立すべき証文之れ有りや、答えて云く涌出品に云く「四の導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く」等云云、問うて云く後五百歳に限るといへる経文之れ有りや、答えて云く薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。

一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由・其の聞え候と是は以ての外の謬(あやまり)なり、御得意(こころえ)候へ本・迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし、一代聖教を弘むべき時に三あり機もつて爾なり、仏滅後・正法の始の五百年は一向小乗・後の五百年は権大乗・像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の始には一向に本門なり一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず、法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり。

今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見(びゃっけん)なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬(はじゅん)の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候、つたなしつたなし、此の法門は年来(としごろ)貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり、総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。

一、日行房死去の事不便(ふびん)に候、是にて法華経の文読み進(まい)らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきら(快然)しからず候間省略せしめ候、又又申す可く候、恐恐謹言。

弘安二年五月十七日               日 蓮 花押
富木殿御返事





by johsei1129 | 2019-11-12 22:12 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 09日

日蓮が法門は第三の法門なり<略>天台妙楽伝教も粗之を示せども未だ事了えず、と断じた【常忍抄】

【常忍抄(稟権出界抄・ほんごんしゅっかいしょう)】
■出筆時期:弘安元年(1287年)十月一日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍から、天台宗の了性房との法論で論破したことを報告した手紙を受け取り、それへの返書となっております。文末で「此の使いそぎ候へばよる(夜)かきて候ぞ」と記されておられるように、常忍の手紙を届けた使いの者が急いで帰る時き、夜にも関わらず直ぐに本消息を書かれたことが伺えます。

大聖人は本抄で「総じて御心へ候へ、法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り、日蓮が法門は第三の法門なり<中略>第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず、所詮末法の今に譲り与えしなり」と記され、日蓮の法門は天台をも超過していると断じておられます。また今後の法論については「此れより後は下総にては御法門候べからず、了性・思念をつめつる上は他人と御論候わば、かへりてあさくなりなん」と記し、下総の天台宗の重鎮、了性・思念を論破したのだから、さらに他の者と法論すると、かえって今回の法論の価値が軽くなってしまうと指導なされておられます。尚文末で大進房についての常忍報告について「悪鬼入其身は、よもそら(空)事にては候はじ」と、引き続き注意するよう諭されておられます。しかし大聖人の指導にも関わらず、大聖人門下に反逆、翌年九月の熱原法難では法華経に帰依した農民達を逮捕しようとして落馬。それが原因で苦しみながら死亡したと言われております。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(十紙)。
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真筆本文箇所(第五紙):又云不信者不堕地獄云云~彼廣学多聞乃者也 迄。

[常忍抄(稟権出界抄) 本文]

御文粗拝見仕り候い了んぬ。
御状に云く常忍の云く記の九に云く「権を禀(う)けて界を出づるを名けて虚出(こしゅつ)と為す」云云、了性房云く全く以て其の釈無し云云、記の九に云く寿量品の疏「無有虚出より昔虚為実故(しゃくこいじつこ)に至るまでは為の字は去声権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す三乗は皆三界を出でずと云うこと無し人天は三途を出でんが為ならずと云うこと無し並に名けて虚と為す」云云、文句の九に云く「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し、故に知んぬ昔の虚は去声実の為の故なり」と云云。

寿量品に云く「諸の善男子・如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て乃至以諸衆生乃至未曾暫廃」云云、此の経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり。

此の経文は初成道の華厳の別円より乃至法華経の迹門十四品を或は小法と云い或は徳薄垢重・或は虚出等と説ける経文なり、若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は依経の如く其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり何に況や或は彼を実と称し或は勝る等云云。此の人人・天に向つて唾を吐き地をつかんで忿(いかり)を為す者か。

此の法門に於て如来滅後・月氏一千五百余年・付法蔵の二十四人・竜樹・天親等知つて未だ此れを顕さず、漢土一千余年の余人も未だ之を知らず但天台・妙楽等粗之を演(の)ぶ。然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか、伝教大師以て是くの如し。

今日蓮粗之を勘うるに法華経の此の文を重ねて涅槃経に演べて云く「若し三法に於て異の想を修する者は当に知るべし是の輩は清浄の三帰則ち依処(えしょ)無く所有の禁戒皆具足せず終に声聞・縁覚・菩薩の果を証することを得ず」等云云。此の経文は正しく法華経の寿量品を顕説せるなり、寿量品は木に譬え爾前・迹門をば影に譬うる文なり。経文に又之有り、五時・八教・当分・跨節・大小の益は影の如し本門の法門は木の如し云云。又寿量品已前の在世の益は闇中の木の影なり、過去に寿量品を聞きし者の事なり等云云。又不信は謗法に非ずと申す事。又云く不信の者地獄に堕ちずとの事、五の巻に云く「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」云云。

総じて御心へ候へ、法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り、日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了(お)えず、所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり。

但し此の法門の御論談は余は承らず候、彼は広学多聞の者なりはばか(憚)り・はばかり・み(見)た・みたと候いしかば、此の方のまけなんども申しつけられなば・いかんがし候べき。但し彼の法師等が彼の釈を知り候はぬは・さてをき候いぬ、六十巻になしなんど申すは天のせめなり謗法の科の法華経の御使に値うて顕れ候なり。

又此の沙汰の事を定めて・ゆへありて出来せり・かしま(賀島)の大田次郎兵衛・大進房・又本院主(ほんいんしゅ)もいかにとや申すぞ・よくよくきかせ給い候へ。此れ等は経文に子細ある事なり、法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障(ささ)うべきにて候、十境の中の魔境此れなり魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ、又二乗の行をなす物をば・あながちに怨をなして善をすすむるなり。

又菩薩の行をなす物をば遮(さえぎ)つて二乗の行をすすむ、是後に純円の行を一向になす者をば兼別等に堕(おと)すなり止観の八等を御らむあるべし。又彼が云く止観の行者は持戒等云云、文句の九には初・二・三の行者の持戒をば此れをせいす経文又分明なり。止観に相違の事は妙楽の問答之有り記の九を見る可し、初随喜に二有り利根の行者は持戒を兼ねたり鈍根は持戒之を制止す、又正・像・末の不同もあり摂受・折伏の異あり伝教大師の市の虎の事思い合わすべし。

此れより後は下総にては御法門候べからず、了性・思念を・つ(詰)めつる・上は他人と御論候わば・かへりてあさくなりなん。彼の了性と思念とは年来(としごろ)・日蓮をそしるとうけ給わるる、彼等程の蚊虻(もんもう)の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうはのそらに・そしる程のをこじん(嗚呼人)なり。天台法華宗の者ならば我は南無妙法蓮華経と唱えて念仏なんど申す者をば・あれ(彼)はさる事なんど申すだにも・きくわい(奇怪)なるべきに、其の義なき上・偶(たまたま)申す人をそしる・でう(条)・あらふしぎふしぎ、大進房が事さきざき・かきつかわして候やうに・つよづよとかき上(あげ)申させ給い候へ。大進房には十羅刹のつかせ給いて引きかへしせさせ給うとをぼへ候ぞ、又魔王の使者なんどがつきて候いけるが・はなれて候とをぼへ候ぞ、悪鬼入其身はよも・そら事にては候はじ。事事重(しげ)く候へども、此の使いそぎ候へばよる(夜)か(書)きて候ぞ、恐恐謹言。

十月一日              日 蓮  花押

by johsei1129 | 2019-11-09 22:07 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 08日

設い法華経をもつて行うとも験なし、経は勝れたれども行者僻見の者なる故と説いた【治病大小権実違目】

【治病大小権実違目】
■出筆時期:弘安元年(1278年)六月二十六日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、富木入道(常忍)から消息で、疫病が蔓延している状況の報告があり、それに対し大聖人が「夫れ人に二の病あり」と病についての論を展開されておられます。また追伸で「さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ・・・」と記されておられるように、四条金吾が富木殿・太田入道その他方々の供養を取りまとめ身延の草庵を訪問された事が伺えます。恐らくこれは毎月25日に定例で開かれていた「天台大師講(摩訶止観等の講義)」への供養ではないかと思われます。

さらに「此の法門のかたづらは佐衛門尉殿にかきて候、こわせ給いて御らむ有るべく候」と記され、この書で説いた法門のもう片方は四条金吾殿に書いたので、頼んで読んで下さいと記されておられます。
この事は、大聖人の消息を信徒が共有し、皆で読んで信仰を深めなさいという大聖人の強い思いが示されておられるものと拝されます。
尚、ここで記された四条金吾に宛てた消息は[中務左衛門尉殿御返事]になります。

■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。古写本:日時筆(富士大石寺蔵)。
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※真筆の1行目に小さく「治病大小権實違目」と、富木常忍自ら付記されており、下総国の守護千葉氏の文官としての律儀さが垣間見えます。
[治病大小権実違目 本文]

富木入道殿御返事 日蓮

さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ。
今度の人人のかたがたの御さい(斎)ども佐衛門尉殿の御日記のごとく給い了んぬと申させ給い候へ。
太田入道殿のかたがたのもの・ときどのの日記のごとく給い候了んぬ此の法門のかたづら(半面)は佐衛門尉殿にかきて候、こ(乞)わせ給いて御らむ有るべく候。


御消息に云く凡そ疫病弥興盛等と云云、夫れ人に二の病あり一には身の病・所謂地大百一・水大百一・火大百一風大百一・已上四百四病なり、此の病は設い仏に有らざれども・之を治す所謂治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬・此れを治するにゆいて愈(い)えずという事なし、二には心の病・所謂三毒乃至八万四千の病なり、此の病は二天・三仙・六師等も治し難し何に況や神農(しんのう)・黄帝等の方薬及ぶべしや、又心の病・重重に浅深・勝劣分れたり、六道の凡夫の三毒・八万四千の心病は小仏・小乗阿含経・倶舎・成実・律宗の論師・人師此れを治するにゆいて愈えぬべし。

但し此の小乗の者等・小乗を本として或は大乗を背き或は心には背かざれども大乗の国に肩(かた)を並べなんどする其の国其の人に諸病起る、小乗等をもつて此れを治すれば諸病は増すとも治せらるる事なし、諸大乗経の行者をもつて此れを治すれば則ち平愈す、又華厳経・深密経・般若経・大日経等の権大乗の人人・各各劣謂勝見を起して我が宗は或は法華経と斉(ひとし)等或は勝れたりなんど申す人多く出来し或は国主等此れを用いぬれば此れによつて三毒・八万四千の病起る、返つて自の依経をもつて治すれども・いよいよ倍増す、設い法華経をもつて行うとも験(しるし)なし経は勝れたれども行者・僻見の者なる故なり。

法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円は相似せり爾前の仏と迹門の仏は劣応・勝応・報身・法身異れども始成の辺は同じきぞかし。

今本門と迹門とは教主已に久始(くし)のかわりめ百歳のをきな(翁)と一歳の幼子のごとし、弟子又水火なり土の先後いうばかりなし、而るを本迹を混合すれば水火を弁えざる者なり、而るを仏は分明に説き分け給いたれども仏の御入滅より今に二千余年が間三国並びに一閻浮提の内に分明(ふんみょう)に分けたる人なし、但漢土の天台・日本の伝教・此の二人計りこそ粗分け給いて候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず、詮ずる処は天台と伝教とは内には鑒み給うといへども一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故なり、今末法に入りぬ地涌出現して弘通有るべき事なり、今末法に入つて本門のひろまらせ給うべきには小乗・権大乗・迹門の人人・設い科なくとも彼れ彼れの法にては験有るべからず、譬へば春の薬は秋の薬とならず設いなれども春夏のごとくならず何に況や彼の小乗・権大乗・法華経の迹門の人人或は大小権実に迷える上・上代の国主彼れ彼れの経経に付きて寺を立て田畠を寄進せる故に彼の法を下せば申し延べがたき上・依怙(えこ)すでに失(うせ)るかの故に大瞋恚を起して或は実経を謗じ或は行者をあだむ国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故・或は自身の愚癡の故・或は実教の行者を賤しむゆへ等の故彼の訴人等の語を・をさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈・日月・四天等・其の国を罰する故に先代未聞の三災・七難起るべし、所謂去(こぞ)今年・去ぬる正嘉等の疫病等なり。

疑つて云く汝が申すがごとくならば此の国法華経の行者をあだむ故に善神此の国を治罰する等ならば諸人の疫病なるべし何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや。

答えて云く汝が不審最も其の謂(いわれ)有るか但し一方を知りて一方を知らざるか、善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾(しから)ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり瓦石草木の並び滋(しげき)がごとし善鬼は天下に少し聖賢まれなる故なり、此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも日蓮が方にこそ多くやみ死ぬべきにて候か、いかにとして候やらん彼等よりもすくなくやみ・すくなく死に候は不思議にをぼへ候、人のすくなき故か又御信心の強盛なるか。

問うて云く日本国に此の疫病先代に有りや。

答えて云く日本国は神武天皇よりは十代にあたらせ給いし崇神天皇の御代に疫病起りて日本国やみ死ぬる事半(なかば)にすぐ、王始めて天照太神等の神を国国に崇(あがめ)しかば疫病や(止)みぬ故に崇神天皇と申す、此れは仏法のいまだわたらざりし時の事なり、人王第三十代・並びに一二の三代の国主並びに臣下等疱瘡と疫病に御崩去等なりき、其の時は神にいのれども叶わざりき、去ぬる人王三十代・欽明天皇の御宇に百済国より経・論・僧等をわたすのみならず金銅の教主釈尊を渡し奉る、蘇我の宿禰等崇むべしと申す物部の大連等の諸臣並びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず若し崇むるならば必ず我が国の神・瞋りをなして国やぶれなんと申す。

王は両方弁まえがたくをはせしに三災・七難・先代に超えて起り万民皆疫死す、大連等便りを得て奏問せしかば僧尼等をはじ(恥)に及ぼすのみならず金銅の釈迦仏をすみ(炭)ををこして焼き奉る寺又同じ、爾の時に大連や(病)み死ぬ王も隠れさせ給い仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ、大連が子・守屋の大臣云く此の仏をあがむる故に三代の国主すでに・やみかくれさせ給う我が父もやみ死ぬ、まさに知るべし仏をあがむる聖徳太子・馬子等はをや(親)のかたき公(きみ)の御かたきなりと申せしかば穴部の王子・宅部(やかべ)の王子等・並びに諸臣已下数千人一同によりき(与力)して仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ結句は守屋討たれ了んぬ、仏法渡りて三十五年が間・年年に三災・七難・疫病起りしが守屋・馬子に討たるるのみならず神もすでに仏にま(負)けしかば災難忽に止み了んぬ、其の後の代代の三災・七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり、而れども或は一人・二人或は一国・二国或は一類・二類或は一処・二処の事なれば神のたたりも有り謗法の故もあり民のなげきよりも起る。

而るに此の三十余年の三災・七難等は一向に他事を雑えず日本・一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり。

見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり、神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし、止観の十境・十乗の観法は天台大師説き給いて後・行ずる人無し、妙楽・伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわ(弱)きゆへにさてすぎぬ、止観に三障・四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず今日蓮が時具さに起れり、又天台・伝教等の時の三障・四魔よりもいまひとしを(一入)まさりたり。一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候、恐恐謹言。

六月二十六日  日蓮 花押

by johsei1129 | 2019-11-08 07:03 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

悪因は悪果を感じ、善因は善報を生ずるは仏教の定れる習なりと説いた【始聞仏乗義】

【始聞仏乗義(しもんぶつじょうぎ)】
■出筆時期:建治四年二月二十八日(西暦1278年) 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総国の豪族で、この地における大聖人の信徒の棟梁たる富木常忍の母の三回忌追善のために、本御書をしたためられた。「末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず、父母も又即身成仏せん。此れ第一の孝養なり。」と述べ、法華経への信仰を励まされておられます。尚、本書は富木常忍に宛てられたため、大聖人は全文和漢文でしたためておられれます
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)。時代写本:日興上人筆(要法寺所蔵)。

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[始聞仏乗義ご真筆(中山法華経寺 所蔵)]
答汝難大道理也。我不弁此事
但付法蔵第十三天台大師高
祖龍樹菩薩釈妙法之妙一字
譬如大薬師能以毒為薬等
云云。云毒者何物 我等煩悩業
苦三道也。薬者何物 法身・般若・
解脱也 能以毒為薬者何物 変
三道為三徳耳 天台云 妙名不
可思議等云云 又云夫一心乃至不可
思議境意在於此等云云 即身
成仏申此是也。近代華厳真言
等盗取此義為我物 大偸盗
天下盗人是也 問云 凡夫位可知
[真筆(漢文)本文:下記緑字箇所]

[始聞仏乗義 ] 本文

 青鳧(せいふ)七結(ゆい)下州より甲州に送らる。其の御志悲母(ひも)の第三年に相当る御孝養なり。問う、止観明静前代未聞の心如何。答う、円頓止観なり。問う、円頓止観の意何ん。答う、法華三昧の異名なり。問う、法華三昧の心如何。答う、夫れ末代の凡夫法華経を修行する意に二有り。一には就類種(じゅるいじゅ)の開会、二には相対種の開会なり。問う、此の名は何より出るや。答う、法華経第三薬草喩品に云く「種相体性」の四字なり。其の四字の中に第一の種の一字に二あり。一には就類種二には相対種なり。其の就類種とは釈に云く「凡そ心有る者は是れ正因の種なり。随つて一句を聞くは是れ了因の種なり。低頭挙手(ていずこしゅ)は是れ縁因の種なり」等云云。其の相対種とは煩悩と業と苦との三道、其の当体を押えて法身と般若と解脱と称する是なり。其の中に就類種の一法は宗は法華経に有りと雖も少分又爾前の経経にも通ず。妙楽云く「別教は唯就類の種有つて而も相対無し」と云云。此の釈の別教と云うは本の別教には非ず、爾前の円或は他師の円なり。又法華経の迹門の中・供養舎利已下二十余行の法門も大体就類種の開会なり。問う、其の相対種の心如何。答う、止観に云く「云何(いか)なるか聞円法なる生死即法身・煩悩即般若・結業即解脱なりと聞くなり。三の名有りと雖も而も三の体無し。是れ一体なりと雖も而も三の名を立つ。是の三即ち一相にして其れ実に異有ること無し。法身究竟すれば般若も解脱も亦究竟なり。般若清浄なれば余亦清浄なり。解脱自在なれば余亦自在なり。一切の法を聞くこと亦是の如し。皆仏法を具して減少する所無し。是を聞円(もんえん)と名く」等云云。此の釈は即ち相対種の手本なり。其の意如何。答う、生死とは我等が苦果の依身なり。所謂五陰(おん)・十二入・十八界なり。煩悩とは見思・塵沙・無明の三惑なり。結業とは五逆・十悪・四重等なり。法身とは法身如来、般若とは報身如来、解脱とは応身如来なり。我等衆生無始曠劫より已来此の三道を具足し、今法華経に値つて三道即三徳となるなり。
 
 難じて云く、火より水出でず、石より草生ぜず。悪因・悪果を感じ、善因・善報を生ずるは仏教の定れる習なり。而るに我等其の根本を尋ね究むれば、父母の精血・赤白(しゃくびゃく)二渧(たい)和合して一身と為る。悪の根本不浄の源なり。設い大海を傾けて之を洗うとも清浄なる可らず。又此れ苦果の依身は其の根本を探り見れば貧・瞋・癡の三毒より出ずるなり。此の煩悩苦果の二道に依つて業を構う。此の業道即ち是れ結縛(けつばく)の法なり。譬えば篭(かご)に入れる鳥の如し。如何ぞ此の三道を以て三仏因と称するや。譬えば糞を集めて栴檀を造れども終に香しからざるが如し。

 答う、汝が難大いに道理なり。我此の事を弁えず。但し付法蔵の第十三天台大師の高祖・竜樹菩薩・妙法の妙の一字を釈して、譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し等云云。毒と云うは何物ぞ、我等が煩悩・業・苦の三道なり。薬とは何物ぞ、法身・般若・解脱なり。能く毒を以て薬と為すとは何物ぞ、三道を変じて三徳と為すのみ。天台云く「妙は不可思議と名づく」等云云。又云く、一心乃至不可思議境・意此(こころここ)に在り等云云。即身成仏と申すは此れ是なり。近代の華厳・真言等此の義を盗み取りて我が物と為す大偸盗天下の盗人是なり。

 問うて云く、凡夫の位も此の秘法の心を知るべきや。
答う、私の答は詮無し、竜樹菩薩の大論九十三なりに云く「今漏尽の阿羅漢還つて作仏すと云うは唯仏のみ能く知ろしめす、論議とは正しく其の事を論ず可し測り知ること能わず是の故に戯論すべからず若し仏を求め得る時乃(すなわ)ち能く了知す余人は信ずべく而も未だ知るべからず」等云云。此の釈は爾前の別教の十一品の断無明、円教の四十一品の断無明の大菩薩・普賢・文殊等も未だ法華経の意(こころ)を知らず、何に況や蔵通二教の三乗をや、何に況や末代の凡夫をやと云う論文(ろんもん)なり。之を以て案ずるに、法華経の「唯仏与仏・乃能究尽」とは爾前の灰身滅智の二乗の煩悩・業・苦の三道を押えて、法身・般若・解脱と説くに二乗還つて作仏す。菩薩・凡夫も亦是くの如しと釈するなり。故に天台の云く「二乗根敗す之を名けて毒と為す。今経に記を得る即ち是れ毒を変じて薬と為す。論に云く余経は秘密に非ず。法華は是れ秘密なり」等云云。妙楽云く「論に云くとは大論なり」と云云。
 
 問う、是くの如し之を聞いて何の益有るや。答えて云く、始めて法華経を聞くなり。妙楽云く「若し三道即是れ三徳と信ぜば尚能く二死の河を渡る況や三界をや」と云云。末代の凡夫此の法門を聞かば、唯我一人のみ成仏するに非ず、父母も又即身成仏せん。此れ第一の孝養なり。病身為(た)るの故に委細ならず、又又申す可し。

建治四年太歳戊寅二月二十八日   日 蓮 花押
富木殿


by johsei1129 | 2019-11-04 11:26 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 03日

『我門家 夜断眠 昼止暇案之。 一生空過万歳勿悔』と説いた【富木殿御書】

【富木殿御書】
■出筆時期:建治三年(1277年)八月二十三日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:この時期、蒙古の再来襲が確実視される中真言亡国の念を強めた大聖人は、富木常忍他信徒に宛てて本書を送られた。大聖人は文中で「畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識となり決定して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ」と記されるともに「今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆<中略>皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫・檀越なり」と記し、弘法・慈覚・智証こそ法華経謗法の根幹であると断じておられます。
さらに文末では門下の信徒一同に対し「此等の意を以て之を案ずるに、我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と生涯、破邪顕正を案ずることを厳命されておられます。
この大聖人の思いは日興上人に引き継がれ、さらに現代の我々弟子・信徒に対する指南でもあると拝されます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵。
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[真筆本文(第七紙):下記及び文中緑字箇所]
弘法之御弟子実慧・真済・真
雅等数百人 並八宗十宗等
大師先徳 如日与日月与月与
星与星並出既経歴四百
余年。此等人々一人 不疑此義。
汝以何智難之云云。
以此等意案之 我門家
夜断眠 昼止暇案之。
一生空過万歳勿悔。
恐恐謹言。

[富木殿御書 本文]

妙法蓮華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗し経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん其人命終して阿鼻獄に入らん乃至是の如く展転して無数劫に至らん」第七に云く「千劫阿鼻獄に於てす」第三に云く「三千塵点」第六に云く「五百塵点劫」等云云。涅槃経に云く「悪象の為に殺されては三悪に至らず悪友の為に殺されては必ず三悪に至る」等云云、賢慧菩薩の法性論に云く「愚にして正法を信ぜず邪見及び傲慢なるは過去の謗法の障りなり。

不了義に執着して供養恭敬に著し唯邪法を見て善知識に遠離して謗法者の小乗の法に楽著(ぎょうじゃく)する是(かく)の如き等の衆生に親近して大乗を信ぜず故に諸仏の法を謗ず。

智者は怨家(おんけ)・蛇・火毒・因陀羅・霹靂(へきれき)・刀杖諸の悪獣・虎狼・師子等を畏るべからず、彼は但能く命を断じて人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむること能わず、畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識となり決定(けつじょう)して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ。

悪知識に近づきて悪心にして仏の血を出だし及び父母を殺害し諸の聖人の命を断じ和合僧を破壊し及び諸の善根を断ずると雖も念を正法に繋(つな)ぐるを以て能く彼の処を解脱せん。若し復余人有つて甚深の法を誹謗せば彼の人無量劫にも解脱を得べからず、若し人衆生をして是の如きの法を覚信せしめば彼は是我が父母亦是れ善知識なり、彼の人は是智者なり如来の滅後に邪見顛倒を廻して正道に入らしむるを以ての故に三宝清浄の信・菩提功徳の業(ごう)なり」等云云。

竜樹菩薩の菩提資糧論に云く「五無間の業を説きたもう乃至若し未解(みげ)の深法(じんぽう)に於て執着を起せるは○彼の前の五無間等の罪聚(ざいじゅ)に之を比するに百分にしても及ばず」云云。

夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人(ねいじん)は危きに居て安きを歎く、大火は小水を畏怖し大樹は小鳥に値いて枝を折らる智人は恐怖すべし大乗を謗ずる故に、天親菩薩は舌を切らんと云い馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願い吉蔵大師は身を肉橋と為し玄奘三蔵は此れを霊地に占い不空三蔵は疑いを天竺に決し伝教大師は此れを異域に求む、皆上に挙ぐる所は経論を守護する故か。

今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆上(かみ)主上・上皇より下(しも)臣下万民に至るまで皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫・檀越(たんのつ)なり。

円仁・慈覚大師云く「故に彼と異り」円珍・智証大師云く「華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為す」空海弘法大師云く「後に望むれば戯論と為す」等と云云、此の三大師の意は法華経は已・今・当の諸経の中の第一なり然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法なり等云云、此の義心有らん人信を取る可きや不(いな)や。

今日本国の諸人・悪象・悪馬・悪牛・悪狗・毒蛇・悪刺(あくせき)・懸岸(けんがん)・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従等よりも此に超過し以て恐怖すべきこと百千万億倍なれば持戒・邪見の高僧等なり、問うて云く上に挙ぐる所の三大師を謗法と疑うか叡山第二の円澄寂光大師・別当光定(こうじょう)大師・安慧大楽(あんねだいぎょう)大師・慧亮(えりょう)和尚・安然和上・浄観僧都・檀那僧正・慧心先徳・此等の数百人、弘法の御弟子実慧(じつえ)・真済(しんぜい)・真雅(しんが)等の数百人並びに八宗・十宗等の大師先徳・日と日と・月と月と・星と星と・並びに出でたるが如し。既に四百余年を経歴するに此等の人人一人として此の義を疑わず汝何なる智を以て之を難ずるや云云。

此等の意を以て之を案ずるに我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ、恐恐謹言。


八月二十三日 日 蓮 花 押
富 木 殿
鵞目一結(ゆい)給び候畢んぬ、志有らん諸人は一処に聚集(じゅしゅう)して御聴聞有るべきか。

by johsei1129 | 2019-11-03 20:12 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 25日

法華経は釈尊一代聖教の大綱であり「成仏得道の教」であると断じた【観心本尊得意抄】

【観心本尊得意抄(かんじんのほんぞんとくいしょう)】
■出筆時期:建治元年十一月二十三日(西暦1275年 五十四歳 御作。下総の豪信徒、富木常忍に対して与えられた書。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総の豪信徒・富木常忍より、同郷の信徒・曾谷教信が観心本尊抄を誤って解釈「迹門は未得道であるから(法華経)方便品は読誦しない」と主張していると知らされた事に対し「叡山天台宗の過時の迹を破し候なり・略・(方便品は読誦しないのは)不相伝の僻見にて候」と断じ、また近くに住む天台宗の能化(指導者)が「(立正)安国論には爾前の経を引き文証とする事自語相違と不審の事」との報告について、釈尊一代聖教は大綱と網目があり「所詮成仏の大綱を法華に之を説き其の余の網目は衆典に之を明す」と本御書にて明快に断じている。尚本書の題号である「得意」とは観心本尊抄の真意を得る意味であろう。
■ご真筆: 現存していない。

[観心本尊得意抄] 本文

 鵞目一貫文、厚綿の白小袖一つ、筆十管(かん)、墨五丁給び畢んぬ。

 身延山は知ろし食(めす)如く、冬は嵐はげしくふり積む雪は消えず極寒の処にて候間、昼夜の行法もはだ(膚)うすにては堪え難く辛苦にて候に、此の小袖を著ては思い有る可からず候なり。商那和修は付法蔵の第三の聖人なり。此の因位を仏説いて云く「乃往(むかし)過去に病の比丘に衣を与うる故に、生生・世世に不思議自在の衣を得たり」と。今の御小袖は彼に似たり。此の功徳は日蓮は之を知る可からず。併ながら釈迦仏に任せ奉り畢んぬ 。

 抑も今の御状に云く、教信の御房、観心本尊抄の「未得」等の文字に付て迹門をよまじ(不読)と疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候か。去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが、其の通りを以て御教訓有る可く候。所詮・在在・処処に迹門を捨てよと書きて候事は、今我等が読む所の迹門にては候はず。叡山天台宗の過時の迹を破し候なり。設い天台伝教の如く法のままありとも、今末法に至ては去年の暦の如し。如何に況や慈覚自り已来、大小権実に迷いて大謗法に同じきをや。然る間、像法の時の利益も之無し増して末法に於けるをや。

  一 北方(ほくけ)の能化難じて云はく、爾前の経をば未顕真実と捨て乍ら、安国論には爾前の経を引き、文証とする事自語相違と。不審の事・前前(さきざき)申せし如し。総じて一代聖教を大に分つて二と為す。一には大綱二には網目なり。初めの大綱とは成仏得道の教なり。成仏の教とは法華経なり。次に網目とは法華已前の諸経なり。彼の諸経等は不成仏の教なり。成仏得道の文言、之を説くと雖も但名字のみ有て其の実義は法華に之有り。伝教大師の決権実論に云く「権智の所作は唯名のみ有て実義有ること無し」云云。但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず、法華の為の網目なるが故に。所詮成仏の大綱を法華に之を説き、其の余の網目は衆典に之を明す。法華の為の網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆ可きなり。其の上法華経にて実義有る可きを、爾前の経にして名字計りののしる事全く法華の為なり。然る間尤も法華の証文となるべし。

 問う、法華を大綱とする証如何。答う、天台は「当に知るべし、此の経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざるなりとなり。問う、爾前を網目とする証如何。答う妙楽の云く「皮膚毛綵(もうさい)衆典に出在せり」云云。問う、成仏は法華に限ると云う証如何。答う、経に云く「唯一乗の法のみ有て二も無く亦三も無し」文。問う、爾前は法華の為との証如何。答う、経に云く「種種の道を示すと雖も仏乗の為なり」。委細申し度く候と雖も心地(ここち)違例して候程に省略せしめ候、恐恐謹言。

十一月二十三日   日蓮花押

富木殿御返事
帥殿の物語りしは、下総に目連樹と云う木の候よし申し候し、其の木の根をほりて十両ばかり、両方の切目には焼金を宛てて紙にあつ(厚)く・つつみて風ひかぬ様にこしらへて、大夫次郎が便宜に給び候べきよし御伝えあるべく候。

[観心本尊得意抄] 本文 完。

by johsei1129 | 2019-10-25 07:03 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 25日

富木常忍が法友・大田乗明、曾谷入道の抱える問題を大聖人に報告したことへの返書【尊霊御菩提御書】

【尊霊御菩提御書】
■出筆時期:建治元年(1275年)十一月 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は一紙の断簡が伝えられておりますが、恐らく最古参の強信徒・富木常忍から立宗初期からの法友ともいえる大田乗明、曾谷次郎教信入道の抱える問題について大聖人に報告があり、それへの返書であろうと思われます。
本文冒頭の「尊霊の御菩提」とは富木常忍の亡き母の菩提を意味しているのではと思われます。
また大田乗明の問題は「大田殿御所労の事」と記されておられるように、大田乗明が重病にかかっていた事に関してで、これについては本抄を記された同時期の建治元年十一月三日に送られた「大田入道殿御返事」にて大聖人は次のように諭されておられます。「宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して、改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか。<中略>所持の妙法は月愛に超過す。豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや」。

また曾谷入道の問題とは、曾谷教信が【観心本尊抄】を読んで誤解し、迹門の方便品は読誦せず本門の如来寿量品のみ読誦するという、所謂「迹門不読」を唱えたことについてです。これに関して大聖人は本抄で「観心の法門の時申すべし」と記され、本抄の数日後に富木常忍に送られた【観心本尊得意抄】で「教信の御房、観心本尊抄の「未得」等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候か」と厳しく指導なされる一方、この年の三月には曾谷教信に宛てた消息[曾谷入道殿御返事】で「方便品の長行書進せ候、先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし。此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり」と、自ら方便品の長行を書写され曾谷入道に方便品も読誦するよう送られておられます。

これらの一連の経緯は現在の我々大聖人の信徒の一分として、この当時の大聖人と信徒との深い師弟関係の一端を垣間見る思いがいたします。
■ご真筆:京都市頂妙寺(一紙断簡)所蔵。
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【尊霊御菩提御書 本文】

尊霊の御菩提疑ひ無き者か。
時に適ふのみ 等の釈は此の意か。大田殿
次郎入道殿の御事は観心の法門の
時申すべし。大田殿御所労の事、
之を歎くと雖もはた(将)又軽重







by johsei1129 | 2019-10-25 06:58 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり、と説いた【御衣並単衣御書】

【御衣並単衣御書】
■出筆時期:建治元年(1275年)九月二十八日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍の妻、妙常尼に宛てられた消息です。
妙常尼は前夫と死別しその後富木常忍と再婚します。前夫との間で二男一女をもうけましたが富木常忍と再婚後は常忍の養子となります。長男の伊予房は、佐渡で大聖人に常随給仕し、その振る舞いを大聖人に愛でられ六老僧の一人となった日頂上人です。また次男も出家し、後に日興上人が開基した重須談所の初代学頭に任命された日澄上人となります。これは偏に、妙常尼の大聖人に帰依する信仰心が子供にもそのまま受け継げられた結果であると思われます。
本抄は妙常尼が布並びに御単衣(帷子)を大聖人に供養された事への返書となっております。
大聖人は衣を仏に供養する因縁で法華経で「一切衆生喜見如来」の記別を受けた鮮白比丘尼の謂れを引用した上で、「衣かたびらは一なれども法華経にまいらせ給いぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり」と記され、妙常尼が供養されたのは帷子一ではあるけど、一字は一仏の法華経に供養されたので、六万九千三百八十四字分の衣を供養したのと同じ功徳があると、妙常尼の志を称えられおられます。
また文末では「この衣をつくりて帷子着、添て法華経を読み候わば日蓮は無戒の比丘なり<略>伊蘭の栴檀をいだすがごとし」と記され、日蓮は無戒の比丘ではあるが貴方の供養された衣を着て法華経を読むなら、まるで悪臭のする伊蘭が香りのよい栴檀になるようのものだと、感謝されておられます。
※伊蘭とはインドの伝説上の高木で、悪臭ひどい、栴檀は香りがよく、悪臭の木の中にまじっても芳香を失わないとされています。

■ご真筆:中山法華経寺所蔵。

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[真筆本文:下記緑字箇所]

[御衣並単衣御書 本文]

御衣(おんころも)の布並びに御単衣給び候い畢んぬ。
鮮白比丘尼と申せし人は生れさせ給いて御衣をたてまつりたりけり、生長するほどに次第にこの衣大になりけり、後に尼とならせ給いければ法衣となりにけり。
ついに法華経の座にして記別をさづかる一切衆生喜見如来これなり。

又法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし。
物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり、竜は小水を多雨(おおあめ)となし、人は小火を大火となす。

衣かたびら(帷)は一なれども法華経にまいらせ給いぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり、此の仏は再生敗種(さいしょうはいしゅ)を心符とし、顕本遠寿を其の寿とし、常住仏性を咽喉(のんど)とし、一乗妙行を眼目とせる仏なり。
応化非真仏と申して三十二相八十種好の仏よりも法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給いて、仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり、仏の滅後に法華経を信ずる人は無一不成仏如来の金言なり。

この衣をつく(裁)りてかたびら(帷子)をきそ(着添)えて法華経をよみて候わば日蓮は無戒の比丘なり、法華経は正直の金言なり、毒蛇の珠をはき、伊蘭の栴檀をいだすがごとし。恐恐謹言。
九月二十八日    日 蓮 花 押
御 返 事



by johsei1129 | 2019-10-24 22:03 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

法華経第七に云く「此の経は則ちこれ閻浮提の人の病の良薬なり」と説いた【可延定業御書事】

【可延定業御書】
■出筆時期:文永十二年(西暦1275)二月七日 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は富木常忍の妻、富木尼御前に宛てたご消息文です。富木尼御前は、夫の常忍が出家し入道となると共に自身も剃髪し尼になり、妙常と号した程の強信徒であった。しかし晩年は病魔に悩まされることが多かったようである。大聖人は本書でその尼御前に対して、法華経巻第七をひいて「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」と、法華経は定業(寿命)さえ伸ばすことができると諭されるとともに、ご自身が祈って悲母の病を癒し四年間寿命を延ばされた事を記して、法華経の信心に一層励むよう激励されておられる。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)。
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[可延定業御書 本文]

 夫れ病に二あり一には軽病二には重病・重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや。
 業に二あり一には定業二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや。
法華経第七に云く「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」等云云。此の経文は法華経の文なり、一代の聖教(しょうきょう)は皆如来の金言、無量劫より已来不妄語の言なり。就中此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり。多宝・証明を加え諸仏・舌相を添え給ういかでか・むなしかるべき、其の上最第一の秘事はんべり、此の経文は後五百歳・二千五百余年の時女人の病あらんと・とかれて候文なり。

 阿闍世王は御年五十の二月十五日に大悪瘡・身に出来せり、大医耆婆が力も及ばず三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき、五十余年が間の大楽一時に滅して一生の大苦・三七日にあつまれり、定業限りありしかども仏・法華経をかさねて演説して涅槃経となづけて大王にあたい給いしかば身の病・忽に平愈し心の重罪も一時に露と消えにき。

 仏滅後一千五百余年・陳臣と申す人ありき命知命(ちめい)にありと申して五十年に定まりて候いしが天台大師に値いて十五年の命を宣(の)べて六十五までをはしき、其の上不軽菩薩は更増寿命ととかれて法華経を行じて定業をのべ給いき、彼等は皆男子なり女人にはあらざれども法華経を行じて寿をのぶ、又陳臣は後五百歳にもあたらず冬の稲米(とうまい)・夏の菊花のごとし、当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花誰か・をどろくべき。

 されば日蓮悲母(はは)をいのりて候しかば現身に病をいや(治)すのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし、しかも善医あり中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり、命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金(こがね)にもすぎたり、法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし、閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死(わかじに)あれば生(いける)犬に劣る、早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし。此れよりも申すべけれども人は申すによて吉事(よきこと)もあり又我が志のうすきか・をもう者もあり人の心しりがたき上先先に少少かかる事候、此の人は人の申せばすこ(少)そ心へずげに思う人なり、なかなか申すはあしかりぬべし、但なかうど(中人)もなく・ひらなさけに又心もなくうちたのませ給え、去年の十月これに来りて候いしが御所労の事をよくよくなげき申せしなり。

 当事大事のなければ・をどろかせ給わぬにや、明年正月二月のころをひは必ずをこるべしと申せしかば・これにも・なげき入つて候。
富木殿も此の尼ごぜんをこそ杖柱とも恃(たのみ)たるになんど申して候いしなり随分にわび候いしぞ・きわめて・まけじ(不負)たまし(魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり、かへすがへす身の財をだに・をしませ給わば此の病治(いえ)がたかるべし、一日の命は三千界の財にもすぎて候なり先ず御志をみみへさせ給うべし、法華経の第七の巻に三千大千世界の財を供養するよりも手の一指を焼きて仏・法華経に供養せよと・とかれて候はこれなり。

 命は三千にもすぎて候・而も齢(よわい)もいまだ・たけさせ給はず、而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらを(惜)しの命や・をしの命や、御姓名並びに御年を我とかかせ給いて・わざと・つかわせ大日月天に申しあぐべし、いよどのもあながちになげき候へば日月天に自我偈をあて候はんずるなり。恐恐。

                                      日 蓮 花押
尼ごぜん御返事

by johsei1129 | 2019-10-21 18:33 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 21日

富木常忍の九十歳になる母の大聖人への思いを称えた書【富木殿御返事】

【富木殿御返事】
■出筆時期:文永十二年(1275年)二月七日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍が九十歳になる母が作った夏に向けての帷(かたびら:裏地がない一重の上着)を供養されたことへの返書となっております。

大聖人は釈尊と比丘(男の僧)との袈裟に纏わる話を引いて、生みの母の恩を報ずることの大切さを示されておられます。
文末では「帷は一なれども十方の諸天此れをしり給うべし、露を大海によせ土を大地に加るがごとし生生に失せじ世世にくちざらむかし」と記し、この常忍の母の手による帷は決して朽ちることはないと常忍の母の大聖人への思いを讃えられておられます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵。
[富木殿御返事 本文]

帷(かたびら)一領給(た)び畢んぬ。夫れ仏弟子の中比丘一人はんべり、飢饉の世に仏の御時事かけて候いければ比丘袈裟をう(売)て其のあたいを仏に奉る、仏其の由来を問い給いければしかじかとありのままに申しけり、仏云く「袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり、このあたひをば我ほうじがたし」と辞退しましまししかば、此の比丘申すは「この袈裟あたひをばいかんがせん」と申しければ、仏の云く「汝悲母有りや不や」答えて云く「有り」仏云く「此の袈裟をば汝母に供養すべし」此の比丘仏の云く「仏は此れ三界の中の第一の特尊なり一切衆生の眼目にてをはす、設い十方世界を覆う衣なりとも大地にしく袈裟なりとも能く報じ給うべし、我が母は無智なる事牛のごとし羊よりもはかなしいかでか袈裟の信施をほうぜん」と云云。

仏返して告げて云く「汝が身をば誰か生みしぞや汝が母これを生む此の袈裟の恩報じぬべし」等云云、此れは又齢(よわい)九旬にいたれる悲母の愛子にこれをまいらせさせ給える我と両眼をしぼり身命を尽くせり、我が子の身として此の帷(かたびら)の恩かたしとをぼしてつかわせるか日蓮又ほうじがたし、しかれども又返すべきにあらず、此の帷をきて日天の御前にして此の子細を申し上げば定めて釈梵諸天しろしめすべし。

帷は一なれども十方の諸天此れをしり給うべし、露を大海によせ土を大地に加るがごとし生生に失せじ世世にく(朽)ちざらむかし、恐恐謹言。

二月七日                     日 蓮  花押


f0301354_19552560.jpg[室町時代の大帷  by東京国立博物館]

by johsei1129 | 2019-10-21 18:25 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)