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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:富木常忍・尼御前( 41 )


2019年 12月 01日

大聖人が御遷化の一年前に自身の病状を心通わせる信徒に率直に吐露された書【老病御書】

【老病御書】
■出筆時期:弘安四年年(1281年)十一月 六十歳御作
■出筆場所:身延山中の館にて。
■出筆の経緯:本書は大聖人が御遷化なされる一年前にしたためられおられ、晩年やせ病に悩まされた状況を、極めて親しく心を通わせておられた信徒に率直に伝えておられる消息となっております。

本書の宛先は記されておられませんが、大聖人が率直に自身の病状を語っておられることと、「三嶋の左衛門次郎に伝えた法門を書き付けて送って欲しい」と依頼されておられる事、また「老病為るの上又不食気(ふじきげ)に候間」と、本書と同様の文言が本書の直前に富木常忍に送られた消息『富城入道殿御返事』にあることから、大聖人と同郷で日蓮門下最古参の強信徒である富城常忍に宛てられた可能性が高いと思われます。
また残されているご真筆も、常忍が開基した中山法華経寺にシミ一つない極めて良い状態で保存されている点も、この事を裏付けていると思われます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
大聖人が御遷化の一年前に自身の病状を心通わせる信徒に率直に吐露された書【老病御書】_f0301354_17520399.jpg













[老病御書 本文]

追伸

老病の上、不食気(ふしょくげ)いまだ心よからざるゆへに、法門なんどもかきつけて申さずして、さてはてん事なげき入って候。
又三嶋の左衛門次郎がもとにて法門伝へて候ひけるが始中終かきつけて給ひ候はん。
其れならずいづくにても候へ、法門を見候へば心のなぐさみ候ぞ。





by johsei1129 | 2019-12-01 08:19 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 30日

能く是の経典を受持すること有らん者<略>一切衆生の中に於て亦これ第一なりと説いた【富木殿御返事】

【富木殿御返事】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十一月二十九日 六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍が、身延の館で毎月11月24日に行われていた大師講(天台大師の摩訶止観等の講義)へ鵞目一結(銭一結)を供養されたことへの返書となっております。大聖人は法華経法師品第十、薬王第二十三、を引いて「法華最第一なり」と説くとともに、常忍の妻の病状について「此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事、灯(ともしび)に油をそへ木の根に土をかさぬるがごとし、願くは日月天、其の命にかわり給へと申し候なり」と記し、常忍を支える信仰心を称えるとともに「我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」と励まされています。
尚、文中の「いよ房」は尼ごぜの連れ子で、再婚し常忍の養子となり、後に六老僧の一人日頂上人となります。
富木尼は大聖人の祈りにより二十数年の寿命を延ばし、常忍亡き後は故郷の富士に帰り、日興上人、我が子日頂上人のもとで生涯を全うしております。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)
能く是の経典を受持すること有らん者<略>一切衆生の中に於て亦これ第一なりと説いた【富木殿御返事】_f0301354_22445715.jpg

[富木殿御返事 本文]

 鵞目一結(がもくひとゆい)天台大師の御宝前を荘厳(そうごん)し候い了んぬ、経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し、一切衆生の中に於て亦これ第一なり」と、又云く「其の福復彼れに過ぐ」、妙楽云く「若し悩乱する者は頭(こうべ)七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぐ」伝教大師も「讃者は福を安明(あんみょう)に積み謗者は罪を無間に開く」等云云、記の十に云く「方便の極位に居る菩薩猶尚(なお)第五十人に及ばず」等云云。

 華厳経の法慧(ほうえ)功徳林大日経の金剛薩埵(さった)等尚法華経の博地に及ばず、何に況や其の宗の元祖等法蔵善無畏等に於てをや、是れは且(しばら)く之を置く。

 尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば、昼夜に天に申し候なり、此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事灯(ともしび)に油をそ(添)へ木の根に土をかさ(培)ぬるがごとし、願くは日月天其の命にかわり給へと申し候なり。

 又をもいわするる事もやと・いよ(伊予)房に申しつけて候ぞ、たのもしとをぼしめせ、恐恐。
       
 十一月二十九日            日 蓮 花押
     富木殿御返事


【法師品 第十】
薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一
(和訳)
薬王よ、今汝に告げる。 我(釈尊)がこれまで説いた諸々の経があるが、その中で法華こそが最第一の経である。

【薬王菩薩本事品 第二十三】
有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一。
(和訳)
能くこの教典を受持するも、またかくの如し。一切衆生の中に於いて、またこれ第一なり。

by johsei1129 | 2019-11-30 22:17 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 30日

蒙古軍船の大破は真言宗・思円の蒙古調伏によるという世評を破した書【富城入道殿御返事】

【富城入道殿御返事(承久書)】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十月二十二日 六十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍が大聖人に度々「蒙古の船が九州の海上で大破(弘安の役)し、世間では真言宗・思円上人の蒙古調伏の力であると評判になっているが、本当のところはどうなのかと質問したのに対し「それは日蓮を失おうとするたくらみである」と喝破され、それを明らかにするために病をおして本書を記したと大聖人の真意を吐露されておられます。さらに文末では「銭四貫をもちて一閻浮提第一の法華堂造りたりと霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給うべし」と、富城常忍のご供養で、これまでの身延の草庵を十間四面の大坊に大改修している事を伝え、その志を称えられております。尚、この大坊は翌月11月23日に完成し、大聖人は当時「身延山久遠寺」と命名されております。
■ご真筆:中山法華経寺 所蔵。

[富城入道殿御返事(承久書) 本文]
 
 今月十四日の御札(ぎょさつ)同じき十七日到来、又去ぬる後の七月十五日の御消息同じき二十比(はつかごろ)到来せり、其の外度度の貴札を賜うと雖も老病為(た)るの上又不食気(ふしょくげ)に候間未だ返報を奉らず候条其の恐れ少からず候、何よりも去ぬる後の七月御状の内に云く鎮西には大風吹き候て浦浦・島島に破損の船充満の間乃至京都には思円(しえん)上人・又云く理豈然(あにしか)らんや等云云。

 此の事別して此の一門の大事なり、総じて日本国の凶事(きょうじ)なり仍つて病を忍んで一端(ひとはし)是れを申し候はん、是偏に日蓮を失わんと為(し)て無かろう事を造り出さん事兼て知る、其の故は日本国の真言宗等の七宗・八宗の人人の大科今に始めざる事なり然りと雖も且く一を挙げて万を知らしめ奉らん。

 去ぬる承久(しょうきゅう)年中に隠岐の法皇義時を失わしめんが為に調伏(じょうぶく)を山の座主・東寺・御室・七寺・園城に仰せ付けられ、仍つて同じき三年の五月十五日鎌倉殿の御代官・伊賀太郎判官光末(みつすえ)を六波羅に於て失わしめ畢んぬ、然る間同じき十九日二十日鎌倉中に騒ぎて同じき二十一日・山道・海道・北陸道の三道より十九万騎の兵者(つわもの)を指し登す、同じき六月十三日其の夜の戌亥(いぬい)の時より青天俄(にわか)に陰(くも)りて震動雷電して武士共首の上に鳴り懸(かか)り鳴り懸りし上・車軸の如き雨は篠(しの)を立つるが如し、爰に十九万騎の兵者等・遠き道は登りたり兵乱に米は尽きぬ馬は疲れたり在家の人は皆隠れ失せぬ冑(かぶと)は雨に打たれて緜(わた)の如し、武士共宇治勢多に打ち寄せて見ければ常には三丁四丁の河なれども既に六丁・七丁・十丁に及ぶ、然る間・一丈・二丈の大石は枯葉の如く浮び五丈・六丈の大木流れ塞(ふさ)がること間(ひま)無し、昔利綱・高綱等が渡せし時には似る可くも無し、武士之を見て皆臆(おく)してこそ見えたりしが、然りと雖も今日を過さば皆心を飜し堕ちぬ可し去る故に馬筏(うまいかだ)を作りて之を渡す処・或は百騎・或は千万騎・此くの如く皆我も我もと度(わた)ると雖も・或は一丁或は二丁三丁渡る様なりと雖も彼の岸に付く者は一人も無し、然る間・緋綴(ひおどし)・赤綴(あかおどし)等の甲(よろい)其の外弓箭(きゅうせん)・兵杖(へいじょう)・白星(しらぼし)の冑(かぶと)等の河中に流れ浮ぶ事は猶長月神無月(かんなづき)の紅葉(もみじ)の吉野・立田の河に浮ぶが如くなり、爰に叡山・東寺・七寺・園城寺等の高僧等之を聞くことを得て真言の秘法・大法の験(しるし)とこそ悦び給いける、内裏の紫宸殿には山の座主・東寺・御室・五壇・十五壇の法を弥(いよいよ)盛んに行われければ法皇の御叡感(えいかん)極り無く玉の厳(かざり)を地に付け大法師等の御足を御手にて摩(なで)給いしかば大臣・公卿等は庭の上へ走り落ち五体を地に付け高僧等を敬い奉る。

 又宇治勢田(うじせた)にむかへたる公卿・殿上人は冑(かぶと)を震い挙げて大音声を放つて云く義時・所従の毛人(えびす)等慥(たしか)に承われ昔より今に至るまで王法に敵を作(な)し奉る者は何者か安穏なるや、狗犬(くけん)が師子を吼(ほ)えて其の腹破れざること無く修羅が日月を射るに其の箭還(や・かえ)つて其の眼に中(あた)らざること無し遠き例(ためし)は且く之を置く、近くは我が朝に代始まつて人王八十余代の間・大山の皇子(みこ)・大石の小丸を始と為て二十余人王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし皆頚(くび)を獄門に懸けられ骸(かばね)を山野に曝(さら)す、関東の武士等・或は源平・或は高家等先祖相伝の君を捨て奉り伊豆の国の民為(た)る義時が下知(げち)に随う故にかかる災難は出来するなり、王法に背き奉り民の下知に随う者は師子王が野狐(やこ)に乗せられて東西南北に馳走するが如し今生の恥之れを何如(いかん)、急ぎ急ぎ冑を脱ぎ弓弦(ゆづる)をはづして参参(まいれまいれ)と招きける程に、何(いか)に有りけん申酉(さるとり)の時にも成りしかば関東の武士等・河を馳せ渡り勝ちかかりて責めし間京方の武者共一人も無く山林に逃げ隠るるの間、四つの王をば四つの島へ放ちまいらせ又高僧・御師・御房達は或は住房を追われ或は恥辱(ちじょく)に値い給いて今に六十年の間いまだ・そのはぢ(恥)をすすがずとこそ見え候に、今亦彼の僧侶の御弟子達・御祈祷(きとう)承はられて候げに候あひだ、いつもの事なれば秋風に纔(わずか)の水に敵船・賊船なんどの破損仕りて候を大将軍生取(いけどり)たりなんど申し祈り成就の由を申し候げに候なり。

 又蒙古の大王の頚(くび)の参りて候かと問い給うべし、其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず、御存知のためにあらあら申し候なり。乃至此の一門の人人にも相触(ふ)れ給ふべし。

 又必ずしいぢ(椎地)の四郎が事は承り候い畢んぬ、予既に六十に及び候へば天台大師の御恩報じ奉らんと仕り候あひだ、みぐるしげに候房をひ(引)きつくろ(繕)い候ときに・さくれう(作料)におろ(下)して候なり、銭四貫をもちて一閻浮提第一の法華堂造りたりと霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給うべし、恐恐。

十月二十二日         日 蓮 花押
進上富城入道殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-30 21:40 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 30日

女人の成仏は法華経により候べきか、と説いた【法衣書】

【法衣書】
■出筆時期:弘安三年(1280年) 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書真筆の宛名の箇所が残っておりませんが、富木常忍の妻・富木尼御前に宛てられた消息と思われます。
本抄は富木尼から御衣布(ころもふ)と単衣布(ひとえぎぬふ)をご供養されたことへの返書となっており、大聖人は「仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし、故に釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給いき」と記し、釈尊も養母の摩訶大母比丘尼から供養された衣を身につけて成道したと説き、富木尼の御衣布の供養は、摩訶大母比丘尼に匹敵するものだと、その志を称えられておられます。

さらに文末では、法華経 勧持品第十三で、釈迦が釈迦族の王子の時の妻、摩訶大比丘尼(耶輸陀羅・やしゅたら)が、将来「具足千万光相如来」となる記別を受けたことを引いて、「女人の成仏は法華経により候べきか」と断じられておられます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(4紙:重要文化財)。
女人の成仏は法華経により候べきか、と説いた【法衣書】_f0301354_19572235.jpg
[真筆本文箇所(第1紙)下記緑字箇所]
[法衣書 本文]

御衣布(ころもふ)並に単衣布(ひとえぎぬふ)給候い了んぬ。
抑(そもそも)食は命をつぎ衣は身をかくす、食を有情に施すものは長寿の報をまねぎ人の食を奪うものは短命の報をうく。衣を人にほどこさぬ者は世世・存生に裸形(らぎょう)の報をかん(感)ず、六道の中に人道・已下は皆形裸(かたちはだか)にして生る、天は随生衣(ずいしょうえ)なり
、其の中の鹿等は無衣にして生るのみならず、人の衣を・ぬすみしゆへに身の皮を人に・はがれて盗(ぬすみ)し衣をつ(償)ぐのうほう(報)をえたり、人の中にも鮮白(せんびゃく)比丘に(尼)は生ぜし時・衣を被(き)て生れぬ。

仏法の中にも裸形(らぎょう)にして法を行ずる道なし、故に釈尊は摩訶大母比丘尼(まかだいもびくに)の衣を得て正覚をなり給いき、諸の比丘には三衣をゆるされき、鈍根の比丘は衣食ととのわざれば阿羅漢果を証せずと・みへて候、殊に法華経には柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)と申して衣をこそ本として候へ、又法華経の行者をば衣をもつて覆(おおわ)せ給うと申すも・ねんごろなるぎなり。

日蓮は無戒の比丘・邪見の者なり、故に天これをにくませ給いて食衣とも(乏)しき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦(ず)し・とき・どき・これをと(説)く、譬へば大蛇(おろち)の珠を含みいらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし、いらんをすてて・せんだん・まいらせ候・蛇形(ちぎょう)をかく(隠)して珠を授けたてまつる。

天台大師云く「他経は但(ただ)男に記して女に記せず」等云云、法華経にあらざれば女人成仏は許されざるか、具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼のことなり。此れ等もつてをしはかり候に女人の成仏は法華経により候べきか、要当説真実は教主釈尊の金言・皆是真実は多宝仏の証明・舌相至梵天は諸仏の誓状なり。

日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや・大海の潮は増減せざるべしや大地は飜覆(はんぷく)すべしや。此の御衣の功徳は法華経にとかれて候、但心をもつて・をもひやらせ給い候へ、言(ことば)にはのべがたし。


【妙法蓮華経勧持品第十三】

仏告耶輸陀羅 汝於来世 百千万億 諸仏法中
修菩薩行 為大法師 漸具仏道 
於善国中。当得作仏。号具足千万光相如来。
応供。正遍知。明行足。善逝。世間解。無上士。調
御丈夫。天人師。仏。世尊。仏寿無量阿僧祇劫。

[和訳]

仏は耶輸陀羅に告げたまう。汝、来世の百千万億の諸仏の法の中に於いて
菩薩の行を修し大法師と為り、漸して仏道を具し
善国の中に於いて、まさに仏と作ることを得ん。名号は具足千万光相如来 (応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊※以上如来の尊称)
仏の寿命は寿無量阿僧祇劫なり(※極めて長遠な劫)。

by johsei1129 | 2019-11-30 16:06 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 26日

弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝れたりと申す証文ありや、と説いた【妙一女御返事】

【妙一女御返事】
■出筆時期:弘安三年(1280) 七月十四日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍の養子妙一女に送られた長文の消息となります。富木常忍と再婚した母親は前夫との間に二男一女を授かり、再婚とともに常忍の養子となっております。兄は大聖人が佐渡流罪の時常随給仕し、後に六老僧の一人となった日頂で、その影響もあり女性ながら度々大聖人に法門について質問されておられます。大聖人は本抄で「即身成仏」について法華経と真言の勝劣について問答形式で詳細に示されておられますが、恐らくこの点について妙一女が大聖人に問われ、それに対して答えられた書であろうと拝されます。
大聖人は弘法大師が真言の即身成仏の根拠としている竜樹菩薩の菩提心論について「菩提心論は一には経に非ず論を本とせば背上向下の科・依法不依人の仏説に相違す」と破析されると共に、「訳者の曲会私情(きょくえしじょう)の心なり」記され、菩提心論の訳僧・不空の偽作であろうと断じられておられます。さらに後段では「弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝れたりと申す証文ありや、法華経には華厳経・大日経等を下す文分明なり」と記し、唯一法華経こそが「即身成仏」の経であることを示されておられます。

■ご真筆:現存しておりません。

[妙一女御返事 本文]

問うて云く、日本国に六宗・七宗・八宗有り何れの宗に即身成仏を立つるや、答えて云く伝教大師の意は唯法華経に限り弘法大師の意は唯真言に限れり、問うて云く其の証拠如何、答えて云く伝教大師の秀句に云く「当に知るべし他宗所依の経には都て即身入無し一分即入すと雖も八地已上に推して凡夫身を許さず天台法華宗のみ具(つぶさ)に即入の義有り」云云、又云く「能化・所化倶に歴劫(りゃっこう)無し妙法経力即身成仏す」等云云、又云く「当に知るべし此の文に成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と等云云、此の釈の心は即身成仏は唯法華経に限るなり。

問うて云く弘法大師の証拠如何、答えて云く弘法大師の二教論に云く「菩提心論に云く唯真言法の中に即身成仏する故は是れ三摩地の法を説くなり諸教の中に於て闕(か)いて書(しる)さず、諭して曰く此の論は竜樹大聖の所造千部の論の中に秘蔵・肝心の論なり此の中に諸教と謂うは他受用身(たじゅゆうしん)及び変化身等の所説の法・諸の顕教なり、是れ三摩地の法を説くとは自性法身(ほっしん)の所説・秘密真言の三摩地の行是なり金剛頂十万頌(しょう)の経等と謂(い)う是なり」

問うて云く此の両大師所立の義・水火なり何れを信ぜんや、答えて云く此の二大師は倶に大聖なり同年に入唐して両人同じく真言の密教を伝受す、伝教大師の両界の師は順暁(じゅんぎょう)和尚・弘法大師の両界の師は慧果(けいか)和尚・順暁・慧果の二人倶(とも)に不空の御弟子なり、不空三蔵は大日如来六代の御弟子なり、相伝と申し本身といひ世間の重んずる事日月のごとし、左右の臣にことならず末学の膚(はだえ)にうけて是非しがたし、定めて悪名天下に充満し大難を其の身に招くか、然りと雖も試(こころみ)に難じて両義の是非を糾明せん、問うて云く弘法大師の即身成仏は真言に限ること何(いず)れの経文何れの論文ぞや、答えて云く弘法大師は竜樹菩薩の菩提心論に依るなり、問うて云く其の証拠如何、答えて云く弘法大師の二教論に菩提心論を引いて云く「唯真言法の中のみ乃至(ないし)諸教の中に於て闕(か)いて書さず」云云、問うて云く経文有りや、答えて云く弘法大師の即身成仏義に云く「六大無礙(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり四種の曼荼(まんだ)各離れず三密加持すれば速疾に顕る重重にして帝網(ていもう)の如くなるを即身と名く、法然として薩般若(さはにゃ)を具足す心王心数刹塵(しんのうしんじゅせつじん)に過たり各五智無際智(むさいち)を具す円鏡力の故に実の覚智なり」等云云、疑つて云く此の釈は何れの経文に依るや、答えて云く金剛頂経大日経等に依る、求めて云く其の経文如何、答えて云く弘法大師其の証文を出して云く「此の三昧を修する者は現に仏菩提を証す」文、又云く「此の身を捨てずして神境通を逮得し大空位に遊歩して身秘密を成す」文、又云く「我本より不生なるを覚る」文、又云く「諸法は本より不生なり」云云。

難じて云く此等の経文は大日経金剛頂経の文なり、然りと雖も経文は或は大日如来の成正覚(じょうしょうかく)の文・或は真言の行者の現身に五通を得るの文・或は十回向(えこう)の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして猶生身得忍に非ず何に況や即身成仏をや、但し菩提心論は一には経に非ず論を本とせば背上向下の科・依法不依人の仏説に相違す。

東寺の真言師日蓮を悪口して云く汝は凡夫なり弘法大師は三地の菩薩なり、汝未だ生身得忍に非ず弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず、汝未だ勅宣を承(う)けざれば大師にあらず日本国の師にあらず等云云是一、慈覚大師は伝教・義真の御弟子・智証大師は義真・慈覚の御弟子・安然和尚は安慧和尚の御弟子なり、此の三人の云く法華天台宗は理秘密の即身成仏・真言宗は事理倶密(ぐみつ)の即身成仏と云云、伝教弘法の両大師何(いず)れも・をろかならねども聖人は偏頗(へんぱ)なきゆへに・慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖むといへども其の義は弘法東寺の心なり、随つて日本国・四百余年は異義なし汝不肖の身として・いかんが此の悪義を存ずるや是二、答えて云く悪口をはき悪心ををこさば汝にをいては此の義申すまじ、正義を聞かんと申さば申すべし、但し汝等がやうなる者は物をいはずば・つま(詰)りぬとをもうべし、いうべし悪心を・をこさんよりも悪口を・なさんよりも・きらきらとして候経文を出して・汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ、悪口・悪心をもて・をもうに経文には即身成仏無きか、但し慈覚・智証・安然等の事は此れ又覚証の両大師・日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時・元政(げんせい)・法全(はっせん)等の義を信じて心には教大師の義をすて、身は其の山に住すれども・いつわりてありしなり。

問うて云く汝が此の義は・いかにして・をもひいだしけるぞや、答えて云く伝教大師の釈に云く「当に知るべし此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と・かかれて候は、上の提婆品の我於海中(がおかいちゅう)の経文を・かきのせてあそばして候、釈の心は・いかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずと・かかせ給へり、いかにも純円一実の経にあらずば即身成仏は・あるまじき道理あり、大日経・金剛頂経等の真言経には其の人なし・又経文を見るに兼・但・対・帯の旨分明なり、二乗成仏なし久遠実成あとをけづる、慈覚・智証は善無畏・金剛智・不空三蔵の釈にたぼらかされて・をはするか、此の人人は賢人・聖人とは・をもへども遠きを貴んで近きをあなづる人なり、彼の三部経に印と真言とあるに・ばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人なり、然るを当時・叡山の人人・法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども慈覚大師・安然等の即身成仏の義なり、彼の人人の即身成仏は有名無実の即身成仏なり其の義専ら伝教大師の義に相違せり、教大師は分段の身を捨てても捨てずしても法華経の心にては即身成仏なり、覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずと・をもはれたるが・あへて即身成仏の義をしらざる人人なり。

求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり・汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、答えて云く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづね・あきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり慈覚大師の口伝真実なるべきか、伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に・第八に即身成仏化導勝とかかれて次下(つぎしも)に「当に知るべし此の文成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり、乃至(ないし)当に知るべし他宗所依の経には都て即身入無し」等云云、此の釈を背きて覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。

求めて云く教大師の釈の中に菩提心論の唯の字を用いざる釈有りや不(いな)や、答えて云く秀句に云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経力即身成仏す」等云云、此の釈は菩提心論の唯の字を用いずと見へて候、問うて云く菩提心論を用いざるは竜樹を用いざるか答えて云く但恐くは訳者の曲会私情の心なり、疑つて云く訳者を用いざれば法華経の羅什をも用ゆ可からざるか、答えて云く羅什には現証あり不空には現証なし、問うて云く其の証如何、答えて云く舌の焼けざる証なり具には聞くべし、求めて云く覚・証等は此の事を知らざるか、答えて云く此の両人は無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用いざるか、此れ則ち人を信じて法をすてたる人人なり。

問うて云く日本国にいまだ覚・証・然等を破したる人をきかず如何、答えて云く弘法大師の門家は覚・証を用ゆべしや・覚・証の門家は弘法大師を用ゆべしや。
問うて云く両方の義相違すといへども汝が義のごとく水火ならず誹謗正法とはいわず如何、答えて云く誹謗正法とは其の相貌(そうみょう)如何(いかん)・外道が仏教をそしり・小乗が大乗をそしり・権大乗が実大乗を下し・実大乗が権大乗に力をあわせ・詮ずるところは勝を劣という・法にそむくがゆへに謗法とは申すか、弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝れたりと申す証文ありや、法華経には華厳経・大日経等を下(くだ)す文分明なり、所謂已今当等なり、弘法尊しと雖も釈迦多宝十方分身の諸仏に背く大科免れ難し事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但(ただ)正しき文を出だせ、汝等は人をかたうどとせり・日蓮は日月・帝釈・梵王を・かたうどとせん、日月・天眼を開いて御覧あるべし、将又日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とをはすと・けう(校)しあわせて御覧候へ、弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候、日蓮が義もし百千に一つも道理に叶いて候はば・いかに・たすけさせ給はぬぞ彼の人人の御義もし邪義ならば・いかに日本国の一切衆生の無眼の報をへ(得)候はんをば不便(ふびん)とはをぼせ候はぬぞ。

日蓮が二度の流罪結句は頚に及びしは釈迦・多宝・十方の諸仏の御頚を切らんとする人ぞかし日月は一人にてをはせども四天下の一切衆生の眼なり命なり、日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見へて候、仏法のあぢ(味)わいをたがうる人は日月の御力をうばう人・一切衆生の敵(かたき)なり、いかに日月は光を放ちて彼等が頂(いただき)をてらし寿命と衣食とを・あたへて・やしなひ給うぞ、彼の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは偏に日月の御心を入れさせ給いて謗ぜさせ給うか、其の義なくして日蓮が・ひが事ならば日天もしめし彼等にもめ(召)しあはせ・其の理にま(負)けてありとも其の心ひるがへらずば・天寿をも・めしとれかし。

其の義はなくしてただ理不尽に彼等にさる(猨)の子を犬にあづけねづみ(鼠)の子を猫にた(与)ぶやうに・うちあづけて・さんざんにせめさせ給いて彼等を罰し給はぬ事・心へられず、日蓮は日月の御ためには・をそらくは大事の御かたきなり、教主釈尊の御前にて・かならず・うた(訴)へ申すべし、其の時うらみさせ給うなよ、日月にあらずとも地神も海神も・きかれよ日本の守護神も・きかるべし、あへて日蓮が曲意はなきなり、いそぎいそぎ御計らいあるべし、ちち(遅遅)せさせ給いて日蓮をうらみさせ給うなよ、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐。

七月十四日          日 蓮 花押
妙一女御返事






by johsei1129 | 2019-11-26 21:46 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 24日

法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解である」と説いた【諸経と法華経と難易の事】

【諸経と法華経と難易の事(しょきょうとほけきょうとなんいのこと)】
■出筆時期:弘安三年五月二十六日(西暦1280年)五十九歳御作。下総の富木常忍に対して与えられた書。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総国の豪族であった富木常忍は、大聖人より「日常」という法名を与えられたほどの強信徒。また観心本尊抄など数十に及ぶ御書を送られるなど、当時の関東方面の信徒にとって頭領とも言うべき存在であった。本抄では、法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解(なんしんなんげ)であり、その他の教は「仏、九界の衆生の意楽(いぎょう)に随つて説く随他意の教えで、賢父が愚子に随うが如く」易信易解(いしんいげ)の教えであると断じている。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)


法華経は「仏、仏界に随つて説く随自意の経で最も難信難解である」と説いた【諸経と法華経と難易の事】_f0301354_2247241.jpg

[諸経と法華経と難易の事] 本文

問うて云く、法華経の第四法師品(ほっしほん)に云く「難信難解」云云。いかなる事ぞや。答えて云く、此の経は仏説き給いて後、二千余年にまかりなり候。月氏に一千二百余年、漢土に二百余年を経て後、日本国に渡りてすでに七百余年なり。仏滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり。所謂月氏には竜樹菩薩。大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、此れは竜樹菩薩の難信難解の四字を読み給いしなり。漢土には天台智者大師と申せし人読んで云く「已今当説最も為れ難信難解」云云。日本国には伝教大師読んで云く「已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に」等云云。
 
 問うて云く、其の意如何。答て云く、易信易解は随他意の故なり。難信難解は随自意の故なり云云。弘法大師並びに日本国東寺の門人をもわく、法華経は顕教の内の難信難解にて、密教に相対すれば易信易解なり云云。慈覚・智証並びに門家思うよう、法華経と大日経は倶に難信難解なり。但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解、大日経は最も為(こ)れ難信難解なり云云。此の二義は日本一同なり。日蓮読んで云く、外道の経は易信易解、小乗経は難信難解。小乗経は易信易解、大日経等は難信難解。大日経等は易信易解、般若経は難信難解なり。般若と華厳と、華厳と涅槃と、涅槃と法華と、迹門と本門と、重重の難易あり。

 問うて云く、此の義を知つて何の詮か有る。答えて云く、生死の長夜を照す大燈(だいとう)、元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか。随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。仏九界の衆生の意楽(いぎょう)に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏、仏界に随つて説く所の経を随自意という。譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり。日蓮此の義に付て大日経・華厳経・涅槃経等を勘え見候に、皆随他意の経経なり。

 問うて云く、其の随他意の証拠如何。答えて云く、勝鬘経に云く「非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を以て之を成熟す。声聞を求むる者には声聞乗を授け、縁覚を求むる者には縁覚乗を授け、大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす」云云。易信易解の心是なり。華厳・大日・般若・涅槃等又是くの如し。「爾の時に世尊、薬王菩薩に因(よ)せて八万の大士に告げたまわく、薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆(けんだっぱ)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらか)・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是くの如き等類(たぐい)咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜する者には我皆記を与え授く、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」文。諸経の如くんば、人は五戒、天は十善、梵は慈悲喜捨、魔王には一無遮(むしゃ)、比丘の二百五十、比丘尼の五百戒、声聞には四諦(したい)、縁覚には十二因縁、菩薩には六度なり。譬へば水の器(うつわ)の方円に随い象の敵に随つて力を出すがごとし。法華経は爾らず。八部・四衆皆一同に法華経を演説す。譬へば定木(じょうぎ)の曲りを削り、師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし。
此の明鏡を以て一切経を見聞するに、大日の三部・浄土の三部等隠れ無し。

 而るをいかにやしけん、弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に、此の義すでに日本国に隠没して四百余年なり。珠をもつて石にかへ、栴檀(せんだん)を凡木にうれり。仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり。幸なるは我が一門、仏意に随つて自然に薩般若海(さはにゃかい)に流入す。世間の学者の若(ごと)きは、随他意を信じて苦海に沈まん。委細の旨又又申す可く候。恐恐謹言。

    五月廿六日       日蓮花押
富木殿御返事

[諸経と法華経と難易の事] 本文 完。

by johsei1129 | 2019-11-24 13:00 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 24日

日蓮門下最古参の信徒、富城入道の妻の病状回復を祈念した事を記された消息【富城入道殿御返事】

【富城入道殿御返事】
■出筆時期:弘安三年(1273)四月十日 五九歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は文中で「さては尼御前の御事をぼつかなく候由」と記されておられるように、富城入道(富木常忍)が妻(尼御前)の病気回復の祈念を大聖人に願い出た事への返書となっております。
大聖人は「御志は法華経に挙げ申し候ひ了んぬ。定めて十羅刹御身を守護すること疑ひ無く候はんか」と富城入道を励ますとともに、「ぼつかなく候由、申し伝へさせ給ひ候へ」と、日蓮も病状を心配していると尼御前に伝えてくださいと慈愛をもって認められておられます。
■ご真筆:中山法華経寺(掛軸1幅)所蔵(重要文化財)。
日蓮門下最古参の信徒、富城入道の妻の病状回復を祈念した事を記された消息【富城入道殿御返事】_f0301354_22361119.jpg











【富城入道殿御返事 本文】

鵞目一結ひ
給び候ひ了んぬ。
御志は
法華経に挙げ申し候ひ了んぬ。
定めて十羅刹御身(おんみ)を
守護すること疑ひ無く候はんか。
さては
尼御前の御事
をぼつ
かな
く候由、申し伝へ
させ給ひ候へ。
恐々謹言。

卯月(うづき)十日   日蓮花押
富城入道殿
御返事






by johsei1129 | 2019-11-24 12:41 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 18日

幸いは月のまさり、潮が満つが如くとこそ法華経には祈りまいらせ候へと説いた【富木殿女房尼御前御書】

【富木殿女房尼御前御書】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年)一一月二五日 五八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富城常忍の妻に宛てられたご消息です。大聖人は「むかしはことにわびしく候いし時より、やしなはれまいらせて候へば、ことにをん(恩)をも(重)く、をもいまいらせ候」と、幕府の弾圧が強かった当時から供養を続けられていた尼御前の信心を、「恩重く」と称えられております。
冒頭の伊予房は尼御前の前夫の子供で、再婚後常忍の養子となった。伊予房は佐渡で日興上人と共に大聖人に常随給仕し、後に六老僧の一人日頂となっている。また大聖人御遷化後に養父常忍と対立し、兄弟子と慕う日興上人のもとで布教に励み、重須本門寺の学頭となっている。
■ご真筆:鴨川市小湊・誕生寺 全文所蔵(千葉県指定有形文化財)
幸いは月のまさり、潮が満つが如くとこそ法華経には祈りまいらせ候へと説いた【富木殿女房尼御前御書】_f0301354_19195969.jpg

[富木殿女房尼御前御書 本文]

 いよ(伊予)房は学生になりて候ぞ、つねに法門きかせ給へ。
はるかに見まいらせ候はねば、をぼつかなく候。たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわび(不楽)しく候いし時より、やしなはれまいらせて候へば、ことにをん(恩)をもくをもいまいらせ候。

 それについては、いのちはつるかめ(鶴亀)のごとく。さいはい(幸福)は月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ法華経にはいのりまいらせ候へ。

 さてはえち後房しもつけ(下野)房と申す僧を、いよどのにつけて候ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき殿には申させ給へ。

十一月二十五日                       日 蓮 花押
富城殿女房尼御前

by johsei1129 | 2019-11-18 06:54 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 12日

総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、と説いた【四菩薩造立抄】

【四菩薩造立抄】
■出筆時期:弘安二年(1279年)五月十七日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍から「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士(きょうじ)には久成(くじょう)地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何(いずれ)の時かと」問われたことへの返書となっております。勿論これは、中央に南無妙法蓮華経をしたため、その脇士に釈迦牟尼仏、多宝如来の二仏、並びに上行、無辺行、浄行、安立行の地涌の四菩薩を配した大御本尊になります。この事については大聖人は佐渡流罪中に「観心本尊抄」 で「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と説き明かし、富木常忍に宛てて弟子・信徒に送られておられます。

富木常忍は恐らく当時の本尊に対する一般的な考えで、大聖人が釈迦の立像を造立されるのではと思われていたようです。富木常忍は下総国の守護千葉氏の文官として、自ら開基した中山法華経寺に大聖人のご真筆を数多く残された功績は大きなものがありますが、大聖人の法門への深い理解までは到達していなかったように思われます。

また本抄後段では「御状に云く、大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由、其の聞え候と、是は以ての外(ほか)の謬(あやまり)なり」と断じ、大聖人が法華経を本門と迹門に分別して説かれたことを誤解し、迹門つまり方便品を読誦しても得道がないと申していることを咎め「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」と厳しく指導されておられます。

尚、本抄冒頭で富木常忍が「薄墨染衣一・同色の袈裟一帖」をご供養されたことが記されておられますが、この当時大聖人が、普段から薄墨の染め色の衣・袈裟を身につけていたことが分かります。この事は日興上人の残された[日興遺誡置文] にも「一、衣の墨・黒くすべからざる事。一、直綴(じきとつ)を着す可からざる事」と記されていることでも分かります。この薄墨の法衣・袈裟を身につける意味は、釈尊及び当時の弟子達が出家するとき、世俗の垢を払いのけるがごとく王侯貴族としての華美な服装を脱ぎ捨て、糞掃衣(ふんぞうえ)[ボロ布を洗ってつづり合わせて作った衣]をまとった事と相通じるものがあります。
■ご真筆:現存しておりません。

[四菩薩造立抄 本文]

白小袖一・薄墨染衣(うすずみすみごろも)一・同色の袈裟一帖・鵞目一貫文給び候、今に始めざる御志言(ことば)を以て宣(の)べがたし何れの日を期してか対面を遂げ心中の朦朧(もうろう)を申し披(ひらかん)や。

一御状に云く本門久成(くじょう)の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕りいき、然れば聴聞の如くんば何(いずれ)の時かと云云、夫れ仏・世を去らせ給いて二千余年に成りぬ、其の間・月氏・漢土・日本国・一閻浮提の内に仏法の流布する事・僧は稲麻(とうま)のごとく法は竹葦(ちくい)の如し、然るに・いまだ本門の教主釈尊並に本化(ほんげ)の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し三朝の間に未だ聞かず、日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主・脇士を造るべき事を知らず上宮太子・仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等・四天王を造り副(そ)えたり、伝教大師・延暦寺を立て給うに中堂には東方の鵞王(がおう)の相貌(そうみょう)を造りて本尊として久成の教主・脇士をば建立し給はず、南京(なら)七大寺の中にも此の事を未だ聞かず田舎の寺寺以て爾(しか)なり、かたがた不審なりし間・法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり、末法・闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明(ふんみょう)なり、正像に出世せし論師・人師の造らざりしは仏の禁(いましめ)を重んずる故なり、若し正法・像法の中に久成の教主釈尊・並びに脇士を造るならば夜中に日輪出で日中に月輪(げつりん)の出でたるが如くなるべし、末法に入つて始めの五百年に上行菩薩の出でさせ給いて造り給うべき故に正法・像法の四依の論師・人師は言(ことば)にも出させ給はず、竜樹・天親こそ知らせ給いたりしかども口より外へ出させ給はず、天台智者大師も知らせ給いたりしかども迹化の菩薩の一分なれば一端は仰せ出させ給いたりしかども其の実義をば宣べ出させ給はず、但ねざめの枕に時鳥(ほととぎす)の一音(ひとこえ)を聞きしが如くにして夢のさめて止(やみ)ぬるやうに弘め給い候ぬ、夫れより已外の人師はまして一言をも仰せ出し給う事なし、此等の論師・人師は霊山にして迹化(しゃっけ)の衆は末法に入らざらんに正像二千年の論師・人師は本門久成の教主釈尊並に久成の脇士・地涌上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁(おんいましめ)ありし故ぞかし。

今末法に入れば尤も仏の金言の如くんば造るべき時なれば本仏・本脇士造り奉るべき時なり、当時は其の時に相当れば地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん、先ず其れ程に四菩薩を建立し奉るべし尤も今は然るべき時なりと云云、されば天台大師は後の五百歳遠く妙道に沾わんとしたひ、伝教大師は正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正に是れ其の時なりと恋いさせ給う。

日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富(とめ)る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押(おさ)へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し、恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給いたり天台智者大師・伝教大師等も及び給うべからず最も四菩薩を建立すべき時なり云云、問うて云く四菩薩を造立すべき証文之れ有りや、答えて云く涌出品に云く「四の導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く」等云云、問うて云く後五百歳に限るといへる経文之れ有りや、答えて云く薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。

一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由・其の聞え候と是は以ての外の謬(あやまり)なり、御得意(こころえ)候へ本・迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし、一代聖教を弘むべき時に三あり機もつて爾なり、仏滅後・正法の始の五百年は一向小乗・後の五百年は権大乗・像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の始には一向に本門なり一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず、法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり。

今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見(びゃっけん)なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬(はじゅん)の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候、つたなしつたなし、此の法門は年来(としごろ)貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり、総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。

一、日行房死去の事不便(ふびん)に候、是にて法華経の文読み進(まい)らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきら(快然)しからず候間省略せしめ候、又又申す可く候、恐恐謹言。

弘安二年五月十七日               日 蓮 花押
富木殿御返事





by johsei1129 | 2019-11-12 22:12 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 09日

日蓮が法門は第三の法門なり<略>天台妙楽伝教も粗之を示せども未だ事了えず、と断じた【常忍抄】

【常忍抄(稟権出界抄・ほんごんしゅっかいしょう)】
■出筆時期:弘安元年(1287年)十月一日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍から、天台宗の了性房との法論で論破したことを報告した手紙を受け取り、それへの返書となっております。文末で「此の使いそぎ候へばよる(夜)かきて候ぞ」と記されておられるように、常忍の手紙を届けた使いの者が急いで帰る時き、夜にも関わらず直ぐに本消息を書かれたことが伺えます。

大聖人は本抄で「総じて御心へ候へ、法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り、日蓮が法門は第三の法門なり<中略>第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず、所詮末法の今に譲り与えしなり」と記され、日蓮の法門は天台をも超過していると断じておられます。また今後の法論については「此れより後は下総にては御法門候べからず、了性・思念をつめつる上は他人と御論候わば、かへりてあさくなりなん」と記し、下総の天台宗の重鎮、了性・思念を論破したのだから、さらに他の者と法論すると、かえって今回の法論の価値が軽くなってしまうと指導なされておられます。尚文末で大進房についての常忍報告について「悪鬼入其身は、よもそら(空)事にては候はじ」と、引き続き注意するよう諭されておられます。しかし大聖人の指導にも関わらず、大聖人門下に反逆、翌年九月の熱原法難では法華経に帰依した農民達を逮捕しようとして落馬。それが原因で苦しみながら死亡したと言われております。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(十紙)。
日蓮が法門は第三の法門なり<略>天台妙楽伝教も粗之を示せども未だ事了えず、と断じた【常忍抄】_f0301354_2312304.jpg

真筆本文箇所(第五紙):又云不信者不堕地獄云云~彼廣学多聞乃者也 迄。

[常忍抄(稟権出界抄) 本文]

御文粗拝見仕り候い了んぬ。
御状に云く常忍の云く記の九に云く「権を禀(う)けて界を出づるを名けて虚出(こしゅつ)と為す」云云、了性房云く全く以て其の釈無し云云、記の九に云く寿量品の疏「無有虚出より昔虚為実故(しゃくこいじつこ)に至るまでは為の字は去声権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す三乗は皆三界を出でずと云うこと無し人天は三途を出でんが為ならずと云うこと無し並に名けて虚と為す」云云、文句の九に云く「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し、故に知んぬ昔の虚は去声実の為の故なり」と云云。

寿量品に云く「諸の善男子・如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て乃至以諸衆生乃至未曾暫廃」云云、此の経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり。

此の経文は初成道の華厳の別円より乃至法華経の迹門十四品を或は小法と云い或は徳薄垢重・或は虚出等と説ける経文なり、若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は依経の如く其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり何に況や或は彼を実と称し或は勝る等云云。此の人人・天に向つて唾を吐き地をつかんで忿(いかり)を為す者か。

此の法門に於て如来滅後・月氏一千五百余年・付法蔵の二十四人・竜樹・天親等知つて未だ此れを顕さず、漢土一千余年の余人も未だ之を知らず但天台・妙楽等粗之を演(の)ぶ。然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか、伝教大師以て是くの如し。

今日蓮粗之を勘うるに法華経の此の文を重ねて涅槃経に演べて云く「若し三法に於て異の想を修する者は当に知るべし是の輩は清浄の三帰則ち依処(えしょ)無く所有の禁戒皆具足せず終に声聞・縁覚・菩薩の果を証することを得ず」等云云。此の経文は正しく法華経の寿量品を顕説せるなり、寿量品は木に譬え爾前・迹門をば影に譬うる文なり。経文に又之有り、五時・八教・当分・跨節・大小の益は影の如し本門の法門は木の如し云云。又寿量品已前の在世の益は闇中の木の影なり、過去に寿量品を聞きし者の事なり等云云。又不信は謗法に非ずと申す事。又云く不信の者地獄に堕ちずとの事、五の巻に云く「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」云云。

総じて御心へ候へ、法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り、日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了(お)えず、所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり。

但し此の法門の御論談は余は承らず候、彼は広学多聞の者なりはばか(憚)り・はばかり・み(見)た・みたと候いしかば、此の方のまけなんども申しつけられなば・いかんがし候べき。但し彼の法師等が彼の釈を知り候はぬは・さてをき候いぬ、六十巻になしなんど申すは天のせめなり謗法の科の法華経の御使に値うて顕れ候なり。

又此の沙汰の事を定めて・ゆへありて出来せり・かしま(賀島)の大田次郎兵衛・大進房・又本院主(ほんいんしゅ)もいかにとや申すぞ・よくよくきかせ給い候へ。此れ等は経文に子細ある事なり、法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障(ささ)うべきにて候、十境の中の魔境此れなり魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ、又二乗の行をなす物をば・あながちに怨をなして善をすすむるなり。

又菩薩の行をなす物をば遮(さえぎ)つて二乗の行をすすむ、是後に純円の行を一向になす者をば兼別等に堕(おと)すなり止観の八等を御らむあるべし。又彼が云く止観の行者は持戒等云云、文句の九には初・二・三の行者の持戒をば此れをせいす経文又分明なり。止観に相違の事は妙楽の問答之有り記の九を見る可し、初随喜に二有り利根の行者は持戒を兼ねたり鈍根は持戒之を制止す、又正・像・末の不同もあり摂受・折伏の異あり伝教大師の市の虎の事思い合わすべし。

此れより後は下総にては御法門候べからず、了性・思念を・つ(詰)めつる・上は他人と御論候わば・かへりてあさくなりなん。彼の了性と思念とは年来(としごろ)・日蓮をそしるとうけ給わるる、彼等程の蚊虻(もんもう)の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうはのそらに・そしる程のをこじん(嗚呼人)なり。天台法華宗の者ならば我は南無妙法蓮華経と唱えて念仏なんど申す者をば・あれ(彼)はさる事なんど申すだにも・きくわい(奇怪)なるべきに、其の義なき上・偶(たまたま)申す人をそしる・でう(条)・あらふしぎふしぎ、大進房が事さきざき・かきつかわして候やうに・つよづよとかき上(あげ)申させ給い候へ。大進房には十羅刹のつかせ給いて引きかへしせさせ給うとをぼへ候ぞ、又魔王の使者なんどがつきて候いけるが・はなれて候とをぼへ候ぞ、悪鬼入其身はよも・そら事にては候はじ。事事重(しげ)く候へども、此の使いそぎ候へばよる(夜)か(書)きて候ぞ、恐恐謹言。

十月一日              日 蓮  花押

by johsei1129 | 2019-11-09 22:07 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)