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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:四条金吾・日眼女( 37 )


2019年 11月 30日

日本国の第一の不思議には釈迦如来の国に生れて此の仏を捨<略>阿弥陀仏につけりと断じた【四条金吾許御文】

【四条金吾許御文】
■出筆時期:弘安三年(1280年)十二月十六日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は四条金吾夫妻が、新年に大聖人に着てもらいとして「白小袖一つ綿十両」をご供養されたことへの返書となっております。

大聖人は、鎌倉武士で信徒の椎地(しいじ)四郎から「金吾が主君の江馬氏に大聖人の法門」説いていたと聞かされ「よにすずしく覚え候へ」と喜ばれ、「此の御引出物に大事の法門一つかき付けてまいらせ候」と記し、「八幡大菩薩をば世間の智者愚者大体は阿弥陀仏の化身と申し候ぞ<中略>其れ実には釈迦仏にておはしまし候ぞ」と記し、八幡大菩薩は釈迦仏の化身、つまり垂迹であると断じられておられます。さらに「日本国の第一の不思議には釈迦如来の国に生れて此の仏をすてて一切衆生皆一同に阿弥陀仏につけり、有縁の釈迦をばすて奉り無縁の阿弥陀仏をあをぎたてまつりぬ」と記し、阿弥陀仏にすがる当時の衆生の信仰の姿勢を一刀両断に切り捨てておられます。

さらに文末では「濁水は浄けれども月の影を移す事なしと見えて候、されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給うとも、法華経の行者を見ては争か其の影をばをしみ給うべき、我が一門は深く此の心を信ぜさせ給うべし、八幡大菩薩は此にわたらせ給うなり、疑い給う事なかれ疑い給う事なかれ」と、法華経信仰を貫くならば、必ず釈迦仏の化身である八幡大菩薩が守るので疑うことなかれと諭されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。
[四条金吾許御文 本文]

白小袖一つ綿十両慥(たしか)に給(たび)候い畢(おわ)んぬ、歳もかたぶき候又処は山の中風はげしく庵室はかご(籠)の目の如し、うちしく物は草の葉きたる物はかみぎぬ(紙衣)身のひゆる事は石の如し、食物は冰の如くに候へば此の御小袖給(たび)候て頓(やが)て身をあたたまらんとをもへども明年の一日とかかれて候へば迦葉尊者の雞足山(けいそくせん)にこもりて慈尊の出世五十六億七千万歳をまたるるもかくやひさ(久)しかるらん。
 
これはさてをき候ぬ、しゐぢ(椎地)の四郎がかたり申し候御前の御法門の事うけ給わり候こそよにすずしく覚え候へ、此の御引出物(ひきでもの)に大事の法門一つかき付けてまいらせ候、八幡大菩薩をば世間の智者愚者大体は阿弥陀仏の化身と申し候ぞ、其れもゆへなきにあらず中古の義に或は八幡の御託宣とて阿弥陀仏と申しける事少少候、此れはをのをの心の念仏者にて候故にあかき石を金(こがね)と思いくひせ(株)をうさぎ(兎)と見るが如し、其れ実には釈迦仏にておはしまし候ぞ、其の故は大隅(おおすみ)の国に石体の銘と申す事あり、一つの石われて二つになる、一つの石には八幡と申す二字あり、一つの石の銘には「昔霊鷲山に於て妙法蓮華経を説き今正宮の中に在りて大菩薩と示現す」云云、是れ釈迦仏と申す第一の証文なり、此れよりもことにまさしき事候、此の八幡大菩薩は日本国人王第十四代仲哀天皇は父なり、第十五代神功皇后は母なり、第十六代応神天皇は今の八幡大菩薩是なり、父の仲哀天皇は天照太神の仰せにて新羅(しらぎ)国を責めんが為に渡り給いしが新羅の大王に調伏せられ給いて仲哀天皇ははかた(博多)にて崩御ありしかば、きさき(后)の神功皇后は此の太子を御懐妊ありながらわたらせ給いしが、王の敵(かたき)をうたんとて数万騎のせい(勢)をあい具して新羅国へ渡り給いしに、浪の上(うえ)船の内にて王子御誕生の気いでき見え給う、其の時神功皇后ははら(腹)の内の王子にかたり給ふ、汝は王子か女子か王子ならばたしかに聞き給へ、我は君の父仲哀天皇の敵を打たんが為に新羅国へ渡るなり、我が身は女の身なれば汝を大将とたのむべし、君日本国の主となり給うべきならば今度生れ給はずして軍(いくさ)の間腹の内にて数万騎の大将となりて父の敵を打たせ給へ、是を用ひ給はずして只今生れ給うほどならば海へ入れ奉らんずるなり、我を恨みに思い給うなと有りければ、王子本の如く胎内にをさまり給いけり、其の時石のをび(帯)を以て胎をひやし新羅国へ渡り給いて新羅国を打ちしたがへて還つて豊前の国うさ(宇佐)の宮につき給いここにて王子誕生あり、懐胎の後三年六月三日と申す甲寅(きのえとら)の年四月八日に生れさせ給う是を応神天皇と号し奉る、御年八十と申す壬申(みずのえさる)の年二月十五日にかくれ(崩御)させ給ふ、男山の主我が朝の守護神正体めづらしからずして霊験新たにおはします今の八幡大菩薩是なり。

 又釈迦如来は住劫第九の減人寿百歳の時浄飯王を父とし摩耶夫人を母として中天竺伽毘羅衛(かぴらえ)国らんびに(蘭毘尼)薗と申す処にて甲寅の年四月八日に生れさせ給いぬ、八十年を経て東天竺倶尸那(くしな)城、跛提河(ばつだいが)の辺にて二月十五日壬申(みずのえさる)にかくれ(入滅)させ給いぬ、今の八幡大菩薩も又是くの如し、月氏と日本と父母はかわれども四月八日と甲寅と二月十五日と壬申とはかわる事なし、仏滅度の後二千二百二十余年が間月氏漢土日本一閻浮提の内に聖人賢人と生るる人をば皆釈迦如来の化身とこそ申せどもかかる不思議は未だ見聞せず。
 
かかる不思議の候上八幡大菩薩の御誓いは月氏にては法華経を説いて正直捨方便となのらせ給い、日本国にしては正直の頂(いただき)にやどらんと誓い給ふ、而るに去ぬる十一月十四日の子(ね)の時に御宝殿をや(焼)いて天にのぼらせ給いぬる故をかんがへ候に此の神は正直の人の頂にやどらんと誓へるに正直の人の頂の候はねば居処なき故に栖(すみか)なくして天にのぼり給いけるなり。

日本国の第一の不思議には釈迦如来の国に生れて此の仏をすてて一切衆生皆一同に阿弥陀仏につけり、有縁の釈迦をばすて奉り無縁の阿弥陀仏をあをぎたてまつりぬ、其の上親父釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ又誕生の日をば薬師になしぬ、八幡大菩薩をば崇(あがむ)るやうなれども又本地を阿弥陀仏になしぬ、本地垂迹(すいじゃく)を捨つる上に此の事を申す人をばかたきとする故に力及ばせ給はずして此の神は天にのぼり給いぬるか、但し月は影を水にうかぶる濁れる水には栖(すむ)ことなし、木の上草の葉なれども澄める露には移る事なればかならず国主ならずとも正直の人のかうべにはやどり給うなるべし。

 然(さ)れば百王の頂にやどらんと誓い給いしかども人王八十一代安徳天皇二代隠岐の法皇三代阿波四代佐渡五代東一条等の五人の国王の頂にはすみ給はず、諂曲(てんごく)の人の頂なる故なり、頼朝と義時とは臣下なれども其の頂にはやどり給ふ正直なる故か、此れを以て思うに法華経の人人は正直の法につき給ふ故に釈迦仏猶是をまほり給ふ、況や垂迹の八幡大菩薩争か是をまほり給はざるべき、浄き水なれども濁りぬれば月やどる事なし、糞水なれどもすめば影を惜み給はず、濁水は清けれども月やどらず糞水はきたなけれどもすめば影ををしまず、濁水は智者学匠の持戒なるが法華経に背くが如し、糞水は愚人の無戒なるが貪欲ふかく瞋恚強盛(しんにごうじょう)なれども法華経計りを無二無三に信じまいらせて有るが如し、涅槃経と申す経には法華経の得道の者を列ねて候に蜣蜋蝮蠍(こうろうふくかつ)と申して糞虫を挙げさせ給ふ、竜樹菩薩は法華経の不思議を書き給うに昆虫と申して糞虫を仏になす等云云、又涅槃経に法華経にして仏になるまじき人をあげられて候には「一闡提の人の阿羅漢の如く、大菩薩の如き」等云云。

此等は濁水は浄けれども月の影を移す事なしと見えて候、されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給うとも、法華経の行者を見ては争(いかで)か其の影をばをしみ給うべき、我が一門は深く此の心を信ぜさせ給うべし、八幡大菩薩は此(ここ)にわたらせ給うなり、疑い給う事なかれ疑い給う事なかれ、恐恐謹言。

十二月十六日        日 蓮 花押
四条金吾殿女房御返事

by johsei1129 | 2019-11-30 08:57 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 27日

竜の口、佐渡流罪の大難で四条金吾が日蓮大聖人へ示した至誠を称えた書【殿 岡書】

【四条金吾殿御返事(殿岡書)】
■出筆時期:弘安三年 西暦1280)十月八日 五十九歳御作 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾が、主君江間氏の御勘気が解け、返還された領地「信州殿岡(現、長野県飯田市)」から、白米を御供養されたことに対しての返書となっております。大聖人は、竜の口法難の時、馬の口に付いて最後までお供をし、事があれば自身も後を追う覚悟を決めた金吾の至誠を「いつの世にか思ひ忘るべき」と述べられるとともに、「在俗の官仕隙なき身」でありながら佐渡まで会いに来た金吾は「無始の罪障も、定めて今生一生に消滅すべきか」と称えられております。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事 別名「殿岡書」本文]

殿岡より米送り給び候。今年七月、盂蘭盆(うらぼん)供の僧膳にして候。自恣(じし)の僧・霊山の聴衆・仏陀・神明も納受随喜し給うらん。尽きせぬ志、連連の御訪い言を以て尽くしがたし。

 何となくとも殿の事は後生菩提疑なし。何事よりも文永八年の御勘気の時、既に相模の国、竜の口にて頚(くび)切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足(かちはだし)にて泣き悲み給いし事(こと)実にならば腹きらんとの気色なりしをば、いつの世にか思い忘るべき。それのみならず佐渡の島に放たれ北海の雪の下(もと)に埋もれ北山の嶺(みね)の山下風(やまおろし)に命助かるべしともをぼへず。年来(としごろ)の同朋にも捨てられ故郷(ふるさと)へ帰らん事は大海の底のちびき(千引)の石の思ひして、さすがに凡夫なれば古郷の人人も恋しきに在俗の官仕隙(みやづかえ・ひま)なき身に、此の経を信ずる事こそ稀有(けう)なるに、山河を凌ぎ蒼海(そうかい)を経て遥に尋ね来り給いし志、香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争(いか)でか劣り給うべき。又我が身はこれ程に浮び難かりしが、いかなりける事にてや同十一年の春の比(ころ)、赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ。倩(つらつら)事の情(こころ)を案ずるに今は我身に過(あやまち)あらじ、或は命に及ばんとし弘長には伊豆の国、文永には佐渡の島、諌暁(かんぎょう)再三に及べば留難重畳(るなんちょうじょう)せり。

 仏法中怨の誡責をも身にははや免れぬらん。然るに今山林に世を遁(のが)れ道を進まんと思いしに人人の語(ことば)・様様(さまざま)なりしかども、旁(かたがた)存ずる旨ありしに依りて、当国・当山に入りて已に七年の春秋を送る。

又身の智分をば且らく置きぬ、法華経の方人(かたうど)として難を忍び疵(きず)を蒙る事は漢土の天台大師にも越え日域の伝教大師にも勝れたり。是は時の然らしむる故なり。我が身法華経の行者ならば、霊山の教主・釈迦・宝浄世界の多宝如来・十方分身の諸仏・本化の大士・迹化の大菩薩・梵・釈・竜神・十羅刹女も定めて此の砌(みぎり)におはしますらん。

水あれば魚すむ、林あれば鳥来る、蓬莱(ほうらい)山には玉多く、摩黎(まり)山には栴檀生ず、麗水(れいすい)の山には金あり。今此の所も此くの如し、仏菩薩の住み給う功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は、虚空(こくう)にも余りぬべし。然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も、定めて今生一生に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし・はげむべし。

十月八日  日 蓮 花押
四条中務三郎左衛門殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-27 21:22 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 15日

日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持の者を守護せん、と説いた【法華経兵法事】

【四条金吾殿御返事(法華経兵法事)】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年)十月二十三日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、四条金吾が主君である江馬入道の御勘気が解け、さらに以前より領地を加増されたことを恨んだ者から大聖人が度々心配されていたとおり襲われる事態が起きたが、無事対処できたことを直ちに大聖人に報告され、そのことへの返書となっております。
大聖人は「日蓮は首題の五字(妙法蓮華経)を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず」と記すとともに法華経法師功徳品を引いて、法華経を受持する者は諸天が必ず守護するので「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」と諭されております。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事(法華経兵法事)本文]

 先度強敵ととりあひ(取合)について御文給いき委(くわし)く見まいらせ候、さても・さても・敵人にねらはれさせ給いしか。前前の用心といひ又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし。

 夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず、所詮運ものこり果報もひかゆる故なり。ことに法華経の行者をば諸天・善神・守護すべきよし、属累(ぞくるい)品にして誓状をたて給い、一切の守護神・諸天の中にも我等が眼に見へて守護し給うは、日月天なり、争か信をとらざるべき。ことに・ことに日天の前に摩利支天まします、日天・法華経の行者を守護し給はんに、所従の摩利支天尊すて給うべしや。

序品の時・名月天子・普光天子・宝光天子・四大天王・与其眷属(よごけんぞく)・万天子倶(まんてんじぐ)と列座し給ふ。まりし天は三万天子の内なるべし、もし内になくば地獄にこそおはしまさんずれ。

 今度の大事は此の天のまほりに非ずや、彼の天は剣形(けんぎょう)を貴辺にあたへ此(ここ)へ下(くだ)りぬ。此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず。まりし天も法華経を持ちて一切衆生をたすけ給う。「臨兵闘者皆陣列在前(りんぴょうとうしゃ・かいじんれつざいぜん)」の文も法華経より出でたり、「若説俗間経書治世語言 資生業等 皆順正法」とは是なり。

 これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ、我が運命つきて諸天守護なしとうらむる事あるべからず。
 将門は・つはものの名をとり兵法の大事をきはめたり、されども王命にはまけぬ、はんくわひ(樊噲)・ちやうりやう(張良)もよしなし・ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬ(濡)れたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし。

 すぎし存命不思議とおもはせ給へ、なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし。「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶うべからず候、恐恐謹言。

十月二十三日 日 蓮 花押
四条金吾殿御返事

【妙法蓮華経 法師功徳品第十九】
復次常精進 若善男子 善女人 如来滅後 受持是経
若読 若誦 若解説 若書写 得千二百意功徳
以是清浄意根 乃至聞一偈一句 通達無量無辺之義
解是義已 能演説一句一偈 至於一月四月 乃至一歳
諸所説法 随其義趣 皆与実相 不相違背
若説俗間経書 治世語言 資生業等 皆順正法

(和訳)
また次に常精進(菩薩)よ、もし善男子、善女人が如来の滅後、この経を受持し
一偈一句でも、若しは読み、誦じ、解説し、書写ずんば、千二百の意(こころ)の功徳を得る。
この清浄な意根をもって、(この経の)一偈一句を聞かんば、無量無辺の義を通達する。
この義を已に解し、一句一偈をも能く演説すること一月、四月、乃至一年に至らんに、
諸々説く所の法は、其の義趣に随して、皆、実相と相違背せず。
同様に、若し俗世(仏法以外)の間の経書、治世(政治に関する)の語言、資生(経済に関する)の業等を説いたとしても、皆正法(法華経)に順ずる。

by johsei1129 | 2019-11-15 21:51 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 14日

能く此の経を説き、能く此の経を持つ人は、則ち如来の使なりと説いた【源遠長流御書】

【四条金吾殿御返事(源遠長流御書)】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年)九月十五日 五十八歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾が主君からの御勘気により所領を召し上げられたもかかわらず、法華経信仰を貫き再び所領を賜ったことについて大聖人は「此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」と讃えられておられる。
また熱原の法難で寝返った大進阿闍梨、三位房について、金吾が皆に問題がある弟子であることを話していた通り罰を受けたことについて「大進阿闍梨の死去の事、末代のぎば(耆婆)いかでか此れにすぐべきと皆人、舌をふり候なり。さにて候いけるやらん、三位房が事さう四郎が事、此の事は宛も符契符契と申しあひて候」と記し、金吾の洞察力が優れていることに感嘆されている。
さらに法華経法師品第十を引いて「凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり<中略>これをやしなはせ給う人人は豈浄土に同居するの人にあらずや」と記し、日蓮を供養し助けてくれる金吾とは、かならず浄土で同居つまり再び見えるであろうと金吾に慈愛の言葉をかけられておられる。
■ご真筆: 身延山久遠寺 曽存(明治8年の大火で消失)
[四条金吾殿御返事(源遠長流御書) 本文]

 
銭一貫文給いて頼基がまいらせ候とて法華経の御宝前に申し上げて候。定めて遠くは教主釈尊、並に多宝、十方の諸仏、近くは日月の宮殿にわたらせ給うも御照覧候ぬらん。さては人のよにすぐれんとするをば賢人、聖人とをぼしき人人も皆そねみ、ねたむ事に候。いわうや常の人をや。

 漢皇の王昭君をば三千のきさき(后)是をそねみ、帝釈の九十九億那由佗のきさきは橋尸迦(きょうしか)をねたむ。前(さき)の中書王をば、をの(小野)の宮の大臣(おとど)是をねたむ。北野の天神をば時平のおとど(大臣)是をざんそう(讒奏)して流し奉る。此等をもてをぼしめせ。入道殿の御内は広かりし内なれども、せばくならせ給いきうだち(公達)は多くわたらせ給う。内のとしごろ(年来)の人人、あまたわたらせ給へば、池の水すくなくなれば魚さわがしく、秋風立てば鳥こずえをあらそう様に候事に候へば、いくそばくぞ御内の人人そねみ候らんに、度度の仰せをかへし、よりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云。此れ程の不思議は候はず、此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり。

 我が主に法華経を信じさせまいらせんと、をぼしめす御心のふかき故か。阿闍世王は仏の御怨(おんあだ)なりしが、耆婆大臣の御すすめによつて法華経を御信じありて代(よ)を持ち給う。妙荘厳王は二子(ふたりのみこ)の御すすめによつて邪見をひるがへし給う。此れ又しかるべし、貴辺の御すすめによつて今は御心もやわらがせ給いてや候らん、此れ偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり。

 根ふかければ枝さかへ、源遠ければ流長しと申して、一切の経は根あさく流ちかく、法華経は根ふかく源とをし。末代・悪世までも、つきず・さかうべしと天台大師あそばし給へり。

 此の法門につきし人あまた候いしかども、をほやけ(公)わたくしの大難・度度重なり候いしかば、一年・二年こそつき候いしが、後後には皆或はをち、或はかへり矢をいる。或は身はをちねども心をち、或は心はをちねども身はをちぬ。

 釈迦仏は浄飯王の嫡子、一閻浮提を知行する事・八万四千二百一十の大王なり。一閻浮提の諸王・頭をかたぶけん上、御内に召しつかいし人十万億人なりしかども、十九の御年・浄飯王宮を出でさせ給いて檀特山に入りて十二年、其の間御とも(伴)の人五人なり。所謂拘鄰(くりん)と頞鞞(あび)と跋提(ばつだい)と十力迦葉と拘利(くり)太子となり。此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ、残りの三人も後の六年にすて奉りて去んぬ。但一人残り給うてこそ仏にはならせ給いしか。法華経は又此れにもすぎて人信じがたかるべし、難信難解此れなり。又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし。此れをこらへん行者は我が功徳には・すぐれたる事、一劫とこそ説かれて候へ。

 仏滅度後・二千二百三十余年になり候に、月氏一千余年が間・仏法を弘通せる人・伝記にのせて・かくれなし。漢土一千年・日本七百年・又目録にのせて候いしかども、仏のごとく大難に値える人人少し。我も聖人・我も賢人とは申せども、況滅度後の記文に値える人一人も候はず。竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値える人人にては候へども、此等も仏説には及ぶ事なし。此れ即代(代)のあが(上)り法華経の時に生れ値はせ給はざる故なり。

 今は時すでに後五百歳・末法の始なり。日には五月十五日・月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先(さき)に生れ給へり、今より後は又のちぐへ(後悔)なり。大陣すでに破れぬ、余党は物のかずならず。今こそ仏の記しをき給いし後五百歳・末法の初・況滅度後の時に当りて候へば、仏語むなしからずば一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん。聖人の出ずるしるしには一閻浮提第一の合戦をこるべしと説かれて候に、すでに合戦も起りて候にすでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給いて候らん。きりん(麒麟)出でしかば孔子を聖人としる、鯉社な(鳴)つて聖人出で給う事疑なし。仏には栴檀の木を(生)ひて聖人としる。老子は二五の文を蹈(ふ)んで聖人としる。

 末代の法華経の聖人をば何を用つてかしるべき。経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」八巻・一巻・一品・一偈の人乃至題目を唱うる人・如来の使なり。始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり。
 
日蓮が心は全く如来の使にはあらず、凡夫なる故なり。但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり。心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども、口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり。過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在を・とぶらうに加刀杖瓦石(かとうじょうがしゃく)にたがう事なし。未来は当詣道場疑いなからんか。これをやしな(養)はせ給う人人は、豈浄土に同居するの人にあらずや。事多しと申せどもとどめ候心をもて計らせ給うべし。

 ちごのそらう(所労)よくなりたり悦び候ぞ。又大進阿闍梨の死去の事、末代のぎば(耆婆)いかでか此れにすぐべきと皆人、舌をふり候なり。さにて候いけるやらん、三位房が事さう四郎が事、此の事は宛(あたか)も符契符契と申しあひて候。日蓮が死生をばまかせまいらせて候。全く他のくすしをば用いまじく候なり。

九月十五日                 日 蓮 花押
四条金吾殿


【妙法蓮華経 法師品第十】

我滅度後。能窃為一人。説法華経。乃至一句。当知是人。
則如来使。如来所遣。行如来事。何況於大衆中。広為人説。
(和訳)
我滅度の後、よく窃(ひそ)かに一人の為に、法華経の一句でも説けば、この人は即ち如来の使いにして、如来に遣わされ、如来の事(仕事)を行ずる人である。まして大衆の中において広く説くとするなら、尚更である。

by johsei1129 | 2019-11-14 20:28 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 12日

「陰徳あれば陽報あり」と、四条金吾の生活指導をなされた書【四条金吾殿御返事】

【四条金吾殿御返事(不孝御書)】
■出筆時期:弘安二年(1279年)四月二十三日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は従来「不孝御書」と「陰徳陽報御書」とに分かれていましたが、不幸御書が陰徳陽報御書の前半部分であることが判明、「四条金吾殿御返事」としてまとめられました。尚、全体で12紙のご消息であったと思われますが、第1紙~第9紙の所在は不明です。
本抄は、主君の江間氏からの御勘気を前年に解かれ、所領も再び賜った四条金吾に対し、大聖人がまるで我が子のように「陰徳あれば陽報あり」との古来の格言を引用し、今後の対処について、兄弟・女性達・主君それぞに分けて細々と指導されておられます。

四条金吾は本抄の他、いくつもの消息を大聖人から送られ、法華経信仰への指導と合わせて普段の生活についても指導も受けられておられます。その甲斐もあり、四条金吾は本抄を送られた半年後の十月に、めでたく江馬氏より所領を加増されておられます。
■ご真筆:京都市妙覚寺(第10紙)、京都市妙顕寺(第11.12紙)各所蔵。
「陰徳あれば陽報あり」と、四条金吾の生活指導をなされた書【四条金吾殿御返事】_f0301354_14837.jpg
[御真筆第10紙本文:下記緑字箇所]

[四条金吾殿御返事(不孝御書) 本文]

 なによりも人には不孝が、をそ(恐)ろしき事に候ぞ。との(殿)ゝあに(兄)をとゝ(弟)は、われと法華経のかたきになりて、とのをはな(離)れぬれば、かれこそ不孝のもの、とのゝみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、とのゝはぐく(育)み給はずば、一定(いちじょう)不孝にならせ給はんずらんとをぼへ候。

所領もひろくなりて候わば、我がりゃう(領)えも下しなんどして、一身すぐるほどはぐくませ給へ。さだにも候わば過去の父母定んでまぼ(守)り給ふべし。
 
 日蓮がきせい(祈請)も
いよいよ、かない(叶)候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事をみ(見)候に申すやうに、だにもふ(触)れまわせ給ふならば、なをなをも所領もかさ(重)なり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。

さきざき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、主もいかんぞをぼせしかども、わどの(金吾殿)の正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじゃう(強盛)にして、すねん(数年)をすぐれば、かかるりしゃう(利生)にもあづからせ給ふぞかし。此は物のはしなり。大果報は又来たるべしとをぼしめせ。
 
 又此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にはあらず。外典三千、内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。

卯月二十三日 日蓮花押
御返事





by johsei1129 | 2019-11-12 21:35 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 12日

女人は一代五千・七千余巻の経経に仏にならずと嫌われまします、但法華経ばかりに女人仏になると説かれて候、と説いた【日眼女造立釈迦仏供養事】

【日眼女造立釈迦仏供養事】
■出筆時期:弘安二年(1271年)二月二日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は四条金吾の妻日眼女が三十七歳の厄年にあたり一体三寸の釈尊の木像を造立しその開眼を願いで銭三貫を供養されたことへの返書となっておられます。大聖人は夫の四条金吾が父母の追善供養のため釈尊の木像を造立した時も開眼供養されておられます。※参照:【四条金吾釈迦仏供養事】

この釈尊の木像は一体三寸と記されておられるように高さが9cm程の小さいもので、信仰の対象としての本尊ではなく、大聖人が冒頭で記されておられるように、あくまで普段肌身離さず身に付けるお守りの意味であると拝されます。
大聖人も伊豆流罪の時、重病に苦しんでいた地頭伊東八郎の願いで病気平癒の祈念し、無事回復したお礼として漁師が海中から引き上げた釈迦仏像を供養され、生涯身につけておられました。※参照:【船守弥三郎殿許御書】

大石寺二十六世の日寛上人は大聖人が信徒の釈迦仏造立を許された理由について『末法相応抄・下』 で次のように説かれておられます。
「今謹んで案じて曰わく、本尊に非ずと雖も而も之を称歎す。略して三意有り。一には猶是れ一宗弘通の初めなり是の故に用捨時宜に随うか。二には日本国中一同に阿弥陀仏を以て本尊と為す、然るに彼の人々適(たまたま)釈尊を造立す豈称歎せざらんや。三には吾が祖の観見の前には一体仏の当体全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり。学者宜(よろしく)善く之を思うべし」
■ご真筆:身延久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失。

[日眼女造立釈迦仏供養事 本文]

御守書てまいらせ候、三界の主(あるじ)教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女・御供養の御布施前に二貫今一貫云云。

法華経の寿量品に云く「或は己身を説き或は他身を説く」等云云、東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏・上行菩薩等・文殊師利・舎利弗等・大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因(しゃくだいかんにん)王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星・阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる・天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。

例せば釈尊は天の一月・諸仏・菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり、譬えば頭をふればかみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき。

今の日眼女は三十七のやくと云云、やくと申すは譬えばさい(賽)にはかど(廉)、ます(升)にはすみ(角)、人にはつぎふし(関節)、方には四維(よすみ)の如し、風は方よりふけばよはく・角より吹けばつよし・病は肉より起れば治しやすし節(ふし)より起れば治しがたし、家にはかき(垣)なければ盗人いる・人には・とがあれば敵便(たより)をうく、やくと申すはふしぶしの如し、家にかきなく人に科あるがごとし、よ(吉)きひやうし(兵士)を以てまほらすれば盗人をからめとる、ふしの病をかぬて治すれば命ながし。

今教主釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し国王・尚此の女を敬ひ給ふ何に況や大臣已下をや、大梵天王・釈提桓因王・日月等・此の女人を守り給ふ況や大小の神祇をや、昔優填(うでん)大王・釈迦仏を造立し奉りしかば大梵天王・日月等・木像を礼しに参り給いしかば木像説いて云く「我を供養せんよりは優填大王を供養すべし」等云云、影堅(ようげん)王の画像の釈尊を書き奉りしも又又是くの如し、法華経に云く「若し人仏の為の故に諸の形像(ぎょうぞう)を建立す是くの如き諸人等皆已に仏道を成じき」云云、文の心は一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日・月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべしと申す文なり。

抑(そもそも)女人は一代五千・七千余巻の経経に仏にならずと・きらはれまします、但法華経ばかりに女人・仏になると説かれて候、天台智者大師の釈に云く「女に記せず」等云云、釈の心は一切経には女人仏にならずと云云、次下に云く「今経は皆記す」と云云、今の法華経にこそ竜女仏になれりと云云、天台智者大師と申せし人は仏滅度の後一千五百年に漢土と申す国に出でさせ給いて一切経を十五返まで御覧あそばして候いしが法華経より外の経には女人仏にならずと云云、妙楽大師と申せし人の釈に云く「一代に絶えたる所なり」等云云、釈の心は一切経にたえたる法門なり、法華経と申すは星の中の月ぞかし人の中の王ぞかし山の中の須弥山・水の中の大海の如し、是れ程いみじき御経に女人仏になると説かれぬれば一切経に嫌はれたるに・なにか・くるしかるべき、譬えば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体(かったい)にきらはれたらんと国の大王に讃(ほめ)られたらんと何れかうれしかるべき、日本国と申すは女人の国と申す国なり、天照太神と申せし女神(めがみ)のつきいだし給える島なり。

此の日本には男十九億九万四千八百二十八人・女は二十九億九万四千八百三十人なり、此の男女は皆念仏者にて候ぞ皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす現世の祈りも又是くの如し、設い釈迦仏をつくりかけども阿弥陀仏の浄土へゆかんと思いて本意の様には思い候はぬぞ、中中つくりかかぬには・をとり候なり。

今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし、二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。

弘安二年己卯二月二日  日 蓮 花 押
日眼女御返事

【妙法蓮華経 方便品第二】

 乃至童子戲 聚沙為仏塔 如是諸人等 皆已成仏道
 若人為仏故 建立諸形像 刻彫成衆相 皆已成仏道
  <中略>
若人散乱心 入於塔廟中 一称南無仏 皆已成仏道
[和訳]

 乃至童子が戲に、砂で仏塔を為しても、是如き人は、皆已に仏道を成ずる。
 もし人、仏のために形像を建立し仏の衆相を彫刻し成せば、皆已に仏道を成ずる。
<中略>
 たとえ取り乱した心であっても、塔廟の中で一度南無仏と唱えれば皆已に仏道を成ずる。





by johsei1129 | 2019-11-12 07:25 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 10日

法華経はよきつるぎなれども使う人によりて物をきり候か、と説いた【石虎将軍御書】

【四条金吾殿御返事(石虎将軍御書)】
■出筆時期:弘安元年(1278)十月二十二日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中 草案にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾が身延の草庵に見参し、病状の大聖人を見舞った後に送られたご消息文です。                                            
 この時金吾は一年半前に蒙った主君江間氏の御勘気が解け、所領も再度賜るなど一時の苦境を乗り越えていた。
大聖人はこのことについて、江間氏の同僚の家来たちが金吾を妬み、亡き者にしようと金吾を狙うことを、わが子のように心配されている。
その思いは、金吾が身延の草庵から鎌倉に無事帰ったか、身延に来る人ごとに金吾の安否を尋ねたことを記した本書でもよく伺える。
当時の僧侶の習いで生涯独り身を貫いた大聖人にとって、弟子、信徒に対しては厳しい師匠でもあり、一面では我が子同然の慈愛を持っていたことがよくわかる御書となっている。             
                                
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事(石虎将軍御書) 本文]

今月二十二日・信濃より贈られ候いし物の日記・銭三貫文・白米能米俵一(ひとつ)・餅五十枚・酒大筒一・小筒一・串柿五把・柘榴十。
 夫れ王は民を食とし民は王を食とす衣は寒温をふせぎ食は身命をたすく、譬ば油の火を継ぎ水の魚を助くるが如し。鳥は人の害せん事を恐れて木末(こずえ)に巣くふ、然れども食のために地にを(下)りてわな(羂)にかかる。魚は淵(ふち)の底に住みて浅き事を悲しみて穴を水の底に掘りてすめども、餌(え)にばかされて鉤(はり)をのむ。

 飲食と衣薬とに過ぎたる人の宝や候べき。而るに日蓮は他人にことなる上、山林の栖・就中(なかんずく)今年は疫癘飢渇(えきれい・けかち)に春夏は過越(すご)し秋冬は又前にも過ぎたり。
又身に当りて所労大事になりて候つるを、かたがたの御薬と申し小袖、彼のしなじなの御治法にやうやう験(しる)し候て今所労平愈し、本よりもいさぎよくなりて候。

弥勒菩薩の瑜伽論、竜樹菩薩の大論を見候へば、定業の者は薬変じて毒となる。法華経は毒変じて薬となると見えて候。
日蓮不肖の身に法華経を弘めんとし候へば、天魔競ひて食をうばはんとするかと思いて歎かず候いつるに、今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か。

是はさてをきぬ、今度の御返りは神(たましい)を失いて歎き候いつるに、事故なく鎌倉に御帰り候事悦びいくそばくぞ。余りの覚束(おぼつか)なさに鎌倉より来る者ごとに問い候いつれば、或人は湯本にて行き合せ給うと云い、或人はこうづ(国府津)にと或人は鎌倉にと申し候いしにこそ心落居(おちい)て候へ。是より後はおぼろげならずば御渡りあるべからず。大事の御事候はば御使にて承わり候べし。返す返す今度の道はあまりにおぼつかなく候いつるなり。

敵と申す者はわす(忘)れさせてねら(狙)ふものなり。是より後に若(もし)やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず。よき馬にのらせ給へ。又供の者ども、せん(詮)にあひぬべからんもの又どうまろ(胴丸)もちあげぬべからん・御馬にのり給うべし。

 摩訶止観第八に云く、弘決(ぐけつ)第八に云く「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云。神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎ(剣)なれども、つかう人によりて物をきり候か。
 されば末法に此の経をひろめん人人、舎利弗と迦葉と観音と妙音と文殊と薬王と此等程の人やは候べき。二乗は見思を断じて六道を出でて候、菩薩は四十一品の無明を断じて十四夜の月の如し。
然れども此等の人人にはゆづり給はずして地涌の菩薩に譲り給へり。されば能く能く心をきた(鍛)はせ給うにや。
李広将軍と申せしつはものは虎に母を食(くわ)れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽(や・はね)ぶくらまでせめぬ。後に石と見ては立つ事なし。後には石虎将軍と申しき。
貴辺も又かくのごとく、敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か。是につけても能く能く御信心あるべし、委く紙には尽しがたし、恐恐謹言。

弘安元年戊寅後十月二十二日                   日 蓮 花押
四条左衛門殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-10 09:41 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 09日

いかなる大科ありとも法華経をそむかせ給はず候いし<略>仏にならせ給うべしと説いた【四条金吾殿御返事】

【四条金吾殿御返事(所領書)】
■出筆時期:弘安元年(1278年)十月 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:四条金吾はこの年の一月頃、主君江馬氏から御勘気を解かれ、さらに十月に入り所領を再び賜ることができたと大聖人に見参し報告したことへの返書となっております。金吾は与えられた所領が、以前与えられた所領ではなく佐渡の辺鄙な場所であったことに不満を感じ愚痴を述べたようです。

それに対し大聖人は「よくよく其の処をしりて候が申し候は・三箇郷の内に・いかだと申すは第一の処なり。田畠はすくなく候へども・とく(徳)ははかりなしと申し候ぞ」と、わざわざ人づてに調べて徳はかなりある所領であると金吾をなだめておられます。さらに「よきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし。わろき処・徳分なしなむど候はば天にも人にも・すてられ給い候はむずるに候ぞ、御心へあるべし」と記し、主君の計らいであるから、不満を言わないで良い所であると申しておれば更に所領の加増もあるであろうと諭されておられます。実際に大聖人の本書の指導通り、その後金吾は本来の所領も再度賜っておられます。

更に竜の口の法難の時、四条金吾が大聖人が乗った馬の口にとりつき相模依智までお供をしたことを称え「日蓮が御勘気をかほりし時・馬の口にとりつきて鎌倉を出でてさがみのえちに御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有りしかば<中略>法華経はいのりとはなり候いけるぞ。あなかしこ、あなかしこ、いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」と、金吾を励まされておられます。これら大聖人の金吾に対する思いは、単に一人の信徒に対するものを超えた我が子に対する慈愛そのものであり、仏とは人間を超越した存在というより最も人間らしい存在であると感じざる得ません。
■ご真筆:現存しておりません。
[四条金吾殿御返事(所領書) 本文]

鵞目一貫文給い候い畢んぬ、御所領・上(かみ)より給わらせ給いて候なる事まこととも覚へず候、夢かとあまりに不思議に覚へ候。

御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚へず候、其の故はとのの御身は日蓮が法門の御ゆへに日本国・並にかまくら中(じゅう)御内の人人きうだち(公達)までうけず・ふしぎにをもはれて候へば其の御内にをはせむだにも不思議に候に御恩をかうほらせ給へば・うちかへし・又うちかへしせさせ給へばいかばかり同れいどもも・ふしぎとをもひ・上(かみ)もあまりなりとをぼすらむ。

さればこのたびは・いかんが有るべかるらんと・うたがひ思い候つる上、御内の数十人の人人うつた(訴)へて候へばさればこそいかにも・かなひがたかるべし。あまりなる事なりと疑候いつる上・兄弟にもすてられてをはするに・かかる御をん(恩)面目申すばかりなし。

かの処は・とのをか(殿岡)の三倍とあそばして候上さどの国のものの・これに候がよくよく其の処をしりて候が申し候は・三箇郷の内に・いかだと申すは第一の処なり。田畠はすくなく候へども・とく(徳)ははか(量)りなしと申し候ぞ、二所はみねんぐ千貫・一所は三百貫と云云、かかる処なりと承はる、なにとなくとも・どうれい(同隷)といひ・したしき人人と申しす(捨)てはてられて・わらひよろこびつるにとのをかに・をとりて候処なりとも御下し文(ぶみ)は給(たび)たく候つるぞかしまして三倍の処なりと候。いかにわろくとも・わろきよし人にも又上(かみ)へも申させ給うべからず候、よきところ・よきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし。わろき処・徳分なしなむど候はば天にも人にも・すてられ給い候はむずるに候ぞ、御心へあるべし。

阿闍世王は賢人なりしが父を・ころせしかば即時に天にも・すてられ大地も・やぶれて入りぬべかりしかども・殺されし父の王・一日に五百りやう五百りやう(輌)数年が間・仏を供養しまいらせたりし功徳と後に法華経の檀那となるべき功徳によりて天もすてがたし地もわれず・ついに地獄にをちずして仏になり給いき、とのも又かくのごとし・兄弟にもすてられ同れいにも・あだまれ・きうだちにもそば(窄)められ日本国の人にも・にくまれ給いつれども、去ぬる文永八年の九月十二日の子丑の時・日蓮が御勘気をかほりし時・馬の口にとりつきて鎌倉を出でてさがみのえち(依智)に御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有りしかば梵天・帝釈もすてかねさせ給へるか、仏にならせ給はん事も・かくのごとし。

いかなる大科ありとも法華経をそむかせ給はず候いし、御ともの御ほうこう(奉公)にて仏にならせ給うべし、例せば有徳国王の覚徳比丘の命(いのち)にかはりて釈迦仏とならせ給いしがごとし、法華経はいのり(祈)とはなり候いけるぞ。あなかしこ・あなかしこ、いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ
御一門の御房たち又俗人等にも・かかるうれしき事候はず、かう申せば今生のよく(欲)とをぼすか、それも凡夫にて候へば・さも候べき上(うえ)慾をも・はなれずして仏になり候ける道の候けるぞ。

普賢経に法華経の肝心を説きて候「煩悩を断ぜず五欲を離れず」等云云、天台大師の摩訶止観に云く「煩悩即菩提・生死即涅槃」等云云、竜樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれて・いみじきやうを釈して云く「譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」等云云、「小薬師は薬(くすり)を以て病(やまい)を治す大医は大毒をもつて大重病を治す」等云云。

弘安元戊寅年十月 日    日 蓮 花押
四条金吾殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-09 22:16 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 08日

心の病所謂三毒乃至八万四千の病なり、仏に有らざれば<略>治しがたしと説いた【中務左衛門尉殿御返事】

【中務左衛門尉殿御返事(二病抄)】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年)六月二十六日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は中務左衛門尉殿つまり四条金吾に当てられたご消息文です。大聖人は医療の心得のある金後に対し「夫れ人に二病あり」と記し、身の病は「方薬をもつて此れを治す」ことができるが、「心の病所謂(いわゆる)三毒は、仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし」と記すとともに、法華経譬喩品を引いて、法華経を毀謗する者の病の重さを示しております。文末では、自身の下り腹が「貴辺の良薬を服してより已来日日月月に減じて今百分の一となれり」と喜ばれると共に、金吾の薬は「教主釈尊の入りかわり・まいらせて日蓮をたすけ給うか」と強く称えられております。
■ご真筆:京都市 立本寺 所蔵。
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[第四紙/六紙]


[中務左衛門尉殿御返事(二病抄) 本文]

 夫れ人に二病あり。一には身の病所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一・已上四百四病。

 此の病は治水・流水・耆婆・偏鵲(へんじゃく)等の方薬をもつて此れを治す。二には心の病所謂三毒・乃至八万四千の病なり。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし、何に況や神農黄帝の力及ぶべしや。又心の病に重重の浅深分れたり、六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病をば、小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏此れを治す。
大乗の華厳・般若・大日経等の経経をそしりて起る三毒八万の病をば、小乗をもつて此れを治すればかへりては増長すれども平愈(へいゆ)全くなし、大乗をもつて此れを治すべし。

 又諸大乗経の行者の法華経を背きて起る三毒・八万の病をば、華厳・般若・大日経・真言三論等をもつて此れを治すれば、いよいよ増長す。譬へば木石等より出でたる火は水をもつて消しやすし、水より起る火は水をかくればいよいよ熾盛(さかん)に炎上りて高くあがる。

 今の日本国去(こぞ)今年の疫病は、四百四病にあらざれば華陀偏鵲(かだ・へんじゃく)が治も及ばず、小乗権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人人のいのりも叶はず、かへりて増長するか。設い今年はとどまるとも、年年に止(やみ)がたからむか。いかにも最後に大事出来して後定まる事も候はんずらむ。

 法華経(譬喩品第三)に云く「若し医道を修して方に順つて病を治せば更に他の疾を増し或は復(また)死を至さん而も復増劇せん」
涅槃経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王○偏体に瘡(かさ)を生じ乃至是くの如き創(きず)は心に従(より)て生ず、四大より起るに非ず、若し衆生能く治する者有りと言はば是の処(ことわり)有ること無けん」云云。

 妙楽の云く「智人は起を知り・蛇は自ら蛇を識る」云云。此の疫病は阿闍世王の瘡(かさ)の如し、彼の仏に非ずんば治し難し此の法華に非ずんば除き難し。

 将又日蓮下痢(くだりはら)去年(こぞ)十二月卅日事起り、今年六月三日四日日日に度'ど)をまし月月に倍増す。定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来(このかた)日日月月に減じて今百分の一となれり、しらず教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮をたすけ給うか。地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり。くはしくは筑後房(日郎)申すべく候。

 又追つて申す、きくせん(貴方の使者)は今月二十五日戌の時来りて候、種種の物かず(算)へつくしがたし。ときどののかたびらの申し給わるべし。又女房の御ををち(祖父)の御事なげき入つて候よし申し給ふべし、恐恐。

六月廿六日      日 蓮 花 押

中務左衛門尉殿御返事


【妙法蓮華経 譬喩品第三】
又舎利弗 驕慢懈怠 計我見者 莫説此経
 凡夫浅識 深著五欲 聞不能解 亦勿為説 
 若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種
<中略>
若修医道 順方治病 更増佗疾 或復致死
 若自有病 無人救療 設服良薬 而復増

(和訳) 
 また舎利弗よ、驕慢(おごり)、懈怠(けたい)にして我見を計する者には、この経(法華経)を説くことなかれ。
 愚かで浅はかな者も五欲に執著するため、この経を聞くとも解すること能わざれば、亦、説くことなかれ。
 若し人この経を信ぜずに毀謗すれば、則ち一切の世間の仏種(仏になる因)を断ずる。
 <中略>
(此経を毀謗し仏種を断じた人が)若し医道を修め、正しい方法で病を治すとも、更に他の病を増し、或いは死に至る。
 若し自ら病になっても、救療する人もなく、たとえ良薬を服しても、復痛みを増す。

by johsei1129 | 2019-11-08 22:28 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばやと説いた【檀越某御返事】

【檀越某御返事(だんおつぼうごへんじ)】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年) 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本御書は四条金吾に当てられた書と思われます。既に伊豆・佐渡と、二度の遠島への流罪を受けている大聖人に、鎌倉幕府によりさらに三度目の流罪の動きがある事を金吾が報告した手紙に対しての返書と思われます。
本書で大聖人は、身を鬼に投げ出して仏の教えを求めた雪山童子、また杖や枝、瓦石をもって迫害された不軽菩薩に自身を儗らへ「願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度・生死をはなれ候わばや」と、どんな策謀にも泰然とした末法の本仏としての無作の三身としての生き様を示すとともに、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と説き、噂など気にしないで普段の仕事に励むよう金吾を諭されおられます。
■ご真筆: 中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばやと説いた【檀越某御返事】_f0301354_2121717.jpg

[真筆部分:本文緑字の箇所]


[檀越某御返事 本文]

 御文(ふみ)うけ給わり候い了んぬ。日蓮流罪して先先(さきざき)にわざわいども重て候に、又なにと申す事か候べきとはをもへども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(兆)候はんずらむ。

 もしその義候わば用いて候はんには百千万億倍のさいわいなり。今度ぞ三度になり候。法華経も、よも日蓮を・ゆるき行者とはをぼせじ。

 釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御利生、今度みはて(見果)候はん。あわれ・あわれ・さる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらに・やくびやう(疫病)にや・をかされ候はんずらむ、をいじに(老死)にや死に候はんずらむ、あらあさましあさまし。

 願くは法華経のゆへに国主に
あだまれて、今度・生死をはなれ候わばや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい今度心み候わばや。事事さてをき候いぬ。各各の御身の事は此れより申しはからうべ。、さでをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ。あなかしこあなかしこ。

 御みやづかい(士官)を法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。かへす、がへす御文の心こそ、をもいやられ候へ、恐恐謹言。

四月十一日     日 蓮 花 押





by johsei1129 | 2019-11-07 06:54 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)