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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:南条時光(上野殿)( 53 )


2019年 11月 14日

日蓮が一類は異体同心なれば人人少なく候へども大事を成じて一定法華経広まりなん、と説いた【異体同心事】

【異体同心事】
■出筆時期:弘安二年(1279)八月 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草案にて。
■出筆の経緯:本書は駿河国富士郡上野郷の地頭、南条時光に宛てらけたご消息文です。本書がしたためられた弘安二年には、日興上人と時光の教化により駿河国富士郡の布教が進んだが、それに伴い既存宗派との軋轢が生じた。四月八日に熱原郷の信徒・四郎男が何者かに斬りつけられ、八月には弥四郎がこれも何者かにいきなり斬首されるという悲惨な事件が起きる。さらに十月には熱原の法華信徒二十名が、天台宗・滝泉寺の院主代行智と鎌倉幕府の最高実力者平頼綱の謀略により捕縛されるという、いわゆる「熱原の法難」が勃発する。日蓮門下の農民信徒にまで弾圧が及ぶという、最大の法難に立ち向かったのが日興上人と在家の強信徒・南条時光であった。大聖人は時光に「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候」と励ますとともに「今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし人人も申し候。又かれらも申し候」と、時光の厚い法華信徒外護の姿勢を讃えられている。 
■ご真筆: 現存していない。

[異体同心事 本文]

白小袖一つあつわた(厚綿)の小袖はわき(伯耆)房のびんぎ(便宜)に鵞目一貫並びにうけ給わる。

 はわき房、さど房等の事、あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成(じょう)し、同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は、外典三千余巻に定りて候。

 殷の紂王は七十万騎なれども、同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成(じょう)ずる事なし。百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし。

 日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。

 其の上貴辺は多年としつもりて奉公、法華経にあつ(厚)くをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし人人も申し候。又かれらも申し候。
 一一に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。

by johsei1129 | 2019-11-14 20:13 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 13日

法華経は草木を仏となし給う、いわうや心あらん人をや、と説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事】
■出筆時期:弘安二年(1279年)八月八日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:南条時光(上野殿)が、使者を使わして銭、塩、芋、生姜を供養されたことを称える返書となっております。大聖人は文中で「ぜに又かくのごとし、漢土に銅山と申す山あり・彼の山よりいでて候ぜになれば・一文もみな三千里の海をわたりて来るものなり」と記し、当時日本の銅銭(宋銭)は中国から輸入していたことを示しておられます。
文末では「法華経は草木を仏となし給う、いわうや心あらん人をや、法華経は焼種の二乗を仏となし給う、いわうや生種の人をや、法華経は一闡提を仏となし給う、いわうや信ずるものをや」と記し法華経は草木、二乗(声聞・縁覚)、一闡提(仏法誹謗者)さえ仏に為す経であると諭されておられます。、
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)。

[上野殿御返事 本文]

鵞目一貫・しほ一たわら・蹲鴟(いものかしら)一俵・はじかみ(薑)少少・使者(つかい)をもつて送り給び畢んぬ。

あつきには水を財(たから)とす・さむきには火を財とす・けかちには米を財とす、いくさには兵杖を財とす・海には船を財とす・山には馬をたからとす・武蔵下総に石を財とす、此の山中には・いえのいも(芋)・海のしほ(塩)を財とし候ぞ、竹の子・木の子等候へども・しほなければそのあぢわひつちのごとし、又金(こがね)と申すもの国王も財とし民も財とす、たとへば米のごとし・一切衆生のいのちなり。

ぜに又かくのごとし、漢土(もろこし)に銅山と申す山あり・彼の山よりいでて候ぜに(銭)なれば・一文もみな三千里の海をわたりて来るものなり、万人皆たま(玉)とおもへり、此れを法華経にまいらせさせ給う。

釈まなん(摩男)と申せし人のたな(掌)心には石変じて珠となる・金ぞく(粟)王は沙(いさご)を金となせり。
法華経は草木を仏となし給う・いわうや心あらん人をや、法華経は焼種の二乗を仏となし給う・いわうや生種の人をや、法華経は一闡提を仏となし給う・いわうや信ずるものをや、事事つくしがたく候、又又申すべし、
恐恐謹言。

八月八日              日 蓮花押
上野殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-13 22:05 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 12日

法華経勧持品の悪世の行者に刀杖を加えるものあらんを身読したのは日蓮 一人と説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事(勧持品身読事)】
■出筆時期:弘安二年四月二十日 (西暦1279年) 五十八歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:富士郡上野郷の地頭で、この地の信徒の頭領でもあった南条時光に宛てられた書。この書をしたためた同年四月、浅間神社分社に門下の「四郎男」が法敵に襲われ傷害を受ける事件が起きた。恐らく大聖人はこの事件を知り、法華経勧持品第十三に説かれているように、末法の法華経の行者に刀杖を加えるものが出現するのは必定であり「渇して水をしたうがごとく法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後 悔あるべし」と、あらためて法華経の強い信仰を促されている。
■ご真筆: 現存していない。

[上野殿御返事] 本文。

抑(そもそも)日蓮、種種の大難の中には竜口の頚の座と東条の難にはすぎず。其の故は諸難の中には命(いのち)をすつる程の大難はなきなり。或はのりせめ、或は処をおわれ、無実を云いつけられ、或は面をうたれしなどは物のかずならず。されば色心の二法よりをこりてそし(誹)られたる者は、日本国の中には日蓮一人なり。ただし、ありとも法華経の故にはあらじ。さてもさても、わすれざる事はせうばう(少輔房)が法華経の第五の巻を取りて日蓮がつら(面)をうちし事は、三毒よりをこる処のちやうちやく(打擲)なり。
 天竺に嫉妬の女人あり。男をにくむ故に家内(やうち)の物をことごとく打ちやぶり、其の上にあまりの腹立にや、すがた・けしきかわり、眼は日月の光のごとくかがやき、くちは炎をはくがごとし。すがたは青鬼赤鬼のごとくにて年来(としごろ)・男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、両の足にてさむざむ(散散)にふみける。其の後命つきて地獄にをつ。両の足ばかり地獄にいらず、獄卒鉄杖をもつて・う(打)てどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による。今日蓮をにくむ故にせうぼうが第五の巻を取りて予がをもて(面)をうつ。是も逆縁となるべきか。彼は天竺此れは日本、かれは女人・これはをとこ、かれは両のあし(足)・これは両の手、彼は嫉妬の故・此れは法華経の御故なり。されども法華経第五の巻はをなじきなり。彼の女人のあし(足)地獄に入らざらんに此の両の手・無間に入るべきや。ただし彼は男をにくみて法華経をば・にくまず。此れは法華経と日蓮とをにくむなれば一身無間に入るべし。経に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云。手ばかり無間に入るまじとは見へず不便なり不便なり。ついには日蓮にあひて仏果をうべきか、不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。

 夫れ第五の巻は一経第一の肝心なり。竜女が即身成仏あきらかなり。提婆はこころの成仏をあらはし、竜女は身の成仏をあらはす。一代に分絶たる法門なり。さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたる事を十あつめ給いたる中に、即身成仏化導勝とは此の事なり。此の法門は天台宗の最要にして即身成仏義と申して文句(もんぐ)の義科なり。真言・天台の両宗の相論なり。竜女が成仏も法華経の功力なり。文殊師利菩薩は唯常宣説妙法華経とこそかたらせ給へ。唯常の二字は八字の中の肝要なり。菩提心論の唯真言法中の唯の字と、今の唯の字と、いづれを本とすべきや。彼の唯の字はをそらくはあやまりなり。無量義経に云く「四十余年未だ真実を顕さず」。法華経に云く「世尊の法は久くして後に要(かならず)当に真実を説きたもうべし」。多宝仏は皆是真実とて法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり。爾前経にいかように成仏ありともと(説)け、権宗の人人・無量にい(言)ひくる(狂)ふとも、ただほうろく(焙烙)千につち(槌)一つなるべし。法華折伏・破権門理とはこれなり。尤もいみじく秘奥なる法門なり。又天台の学者慈覚よりこのかた玄・文・止の三大部の文をとかくれうけん(料簡)し義理をかまうとも、去年のこよみ昨日の食のごとし。けう(今日)の用にならず。末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は、仏説なりとも用ゆべからず。何に況や人師の義をや。爰に日蓮思ふやう提婆品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり。昔の師は今の弟子なり・今の弟子はむかしの師なり。古今能所不二にして法華の深意をあらわす。されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり、愚癡の竜女には智慧の文殊師となり、文殊・釈迦如来にも日蓮をとり奉るべからざるか。日本国の男は提婆がごとく、女は竜女にあひに(似)たり。逆順ともに成仏を期(ご)すべきなり、是れ提婆品の意なり。
 
 次に勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり。誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある。又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。及加刀杖の刀杖の二字の中にもし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は杖木・瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ、刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば是又か(欠)けたり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰(あまつさ)へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり。一度もあう人なきなり、日蓮は二度あひぬ。杖の難にはすでにせうばう(少輔房)につら(面)をうたれしかども第五の巻をもつてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云う経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり。さればせうばうに日蓮数十人の中にしてうた(打)れし時の心中には法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なればうたて(無情)かりける間、つえ(杖)をもうばひ、ちからあるならばふみをり(踏折)すつべきことぞかし。然れどもつえ(杖)は法華経の五の巻にてまします。

 いまをもひいでたる事あり。子を思ふ故にや、をやつき(親・槻)の木の弓をもつて学文せざりし子にをしへたり。然る間、此の子うたてかりしは父、にくかりしはつき(槻)の木の弓。されども終には修学増進して自身得脱をきわめ・又人を利益する身となり、立ち還つて見ればつぎの木をもつて我をう(打)ちし故なり。此の子そとば(卒塔婆)に此の木をつくり父の供養のためにた(立)ててむけりと見へたり。日蓮も又かくの如くあるべきか。日蓮仏果をえ(得)むに争かせうばう(少輔房)が恩をすつべきや。何に況や法華経の御恩の杖をや。かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。
  又涌出品は日蓮がためにはすこしよしみある品なり。其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。しかるに先(まず)日蓮一人出来(しゅったい)す、六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほるべしと思へば、たのもしき事なり。とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず、信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ。  
 日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり。相かまへて相かまへて自他の生死はし(知)らねども、御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむか(迎)いにまいり候べし。三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり、とら(寅)のきざみ(刻)の成道なり。仏法の住処、鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。

 かつ(餒)へて食をねがひ、渇して水をした(慕)うがごとく、恋いて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごと く、みめ(形容)かたちよき人べにしろ(紅粉)いものをつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後 悔あるべし、云云。

弘安二年己卯卯月二十日 日 蓮 花押
上野殿御返事

<参照>
妙法蓮華経・勧持品第十三の最後、八十万億那由佗の菩薩による、仏滅後の「妙法華経」弘通を誓う二十行の偈。

唯願不爲慮 於佛滅度後 恐怖惡世中 我等當廣説
有諸無智人 惡口罵詈等 及加刀杖者 我等皆當忍
惡世中比丘 邪智心諂曲 未得謂爲得 我慢心充滿
<以下は上記三行の和訳>
ただ願わくば慮ず、仏滅度の後に於いて、恐怖惡世の中、我ら当に広く説かん。
諸々の無知の人、悪口・罵詈など、及び刀杖加える者あるらん。我ら当に忍べし。
悪世の中の比丘(僧侶)は邪智にして心に諂曲(こびへつらい)にて、未だ得ざるのに是れを得たりと我慢の心充満せり。

<以下和訳略>
或有阿練若 納衣在空閑 自謂行眞道 輕賎人間者
貪著利養故 與白衣説法 爲世所恭敬 如六通羅漢
是人懷惡心 常念世俗事 假名阿練若 好出我等過
而作如是言 此諸比丘等 爲貪利養故 説外道論議
自作此經典 誑惑世間人 爲求名聞故 分別説是經
常在大衆中 欲毀我等故 向國王大臣 婆羅門居士
及餘比丘衆 誹謗説我惡 謂是邪見人 説外道論議
我等敬佛故 悉忍是諸惡 爲斯所輕言 汝等皆是佛
如此輕慢言 皆當忍受之 濁劫惡世中 多有諸恐怖
惡鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信佛 當著忍辱鎧
爲説是經故 忍此諸難事 我不愛身命 但惜無上道
我等於來世 護持佛所囑 世尊自當知 濁世惡比丘
不知佛方便 随宜所説法 惡口而顰蹙 數數見擯出
遠離於塔寺 如是等衆惡 念佛告敕故 皆當忍是事
諸聚落城邑 其有求法者 我皆到其所 説佛所囑法
我是世尊使 處衆無所畏 我當善説法 願佛安穩住
我於世尊前 諸來十方佛 發如是誓言 佛自知我心

by johsei1129 | 2019-11-12 21:30 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 12日

南条時光の求道心を「あいよりもあをく」と称えた書【上野殿御返事(雪中供養御書)】

【上野殿御返事(雪中供養御書)】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279)一月三日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光(上野殿)が、当時疫病が発生し民衆の半分が死んだとも言われる厳しい時代にも関わらず、正月の祝いのご供養をされたことへの返書となっております。大聖人は亡き父故上野殿の跡を継ぎ、大聖人への純真な帰依の姿勢を貫く時光に対し、中国の儒家・荀子の格言を引いて「あい(藍)よりもあを(青)く、水よりもつめ(冷)たき冰かなと」とその強い信仰心を称えております。
■ご真筆:三ヶ所(京都市妙覚寺、京都市本法寺、広島県妙丁寺)にて分散所蔵
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[冒頭の第一紙(京都市 妙覚寺所蔵)]

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[文末の第四紙(京都市 本法寺蔵)]

[上野殿御返事(雪中供養御書) 本文]

 餅九十枚、薯蕷(やまのいも)五十本、わざと御使を以て正月三日未(ひつじ)の時に駿河国富士郡上野郷より甲州波木井)の郷身延山のほら(洞)へおくりたびて候。
 
 夫れ海辺には木を財(たから)とし山中には塩を財とす。旱颰(かんばつ)には水を財とし闇中には灯を財とし、女人は夫を財とし夫は女人を命とし、王は民を親とし民は食を天とす。

 此の両三箇年は日本国の中に大疫(だいえき)起りて人半分減じて候か。去年(こぞ)の七月より大なるけかち(飢渇)にて里市とをき無縁の者と山中の僧等の命(いのち)存しがたし。

 其の上日蓮は法華経誹謗の国に生れて威音王仏の末法の不軽菩薩の如し。将又(はたまた)歓喜増益仏の末の覚徳比丘の如し。王もにく(悪)み民もあだむ、衣(ころも)もうすく食もとぼし、布衣(ぬのこ)はにしき(錦)の如し、草葉をば甘露と思ふ。其の上去年の十一月より雪つもりて山里路たえぬ。

 年返れども鳥の声ならでは、をとづるる人なし。友にあらずばたれか問うべきと心ぼそくて過(すご)し候処に、元三の内に十字(むしもち)九十枚、満月の如し。心中もあきらかに生死のやみもはれぬべし。

 あはれなり・あはれなり、こうへのどの(故上野殿)をこそ、いろあるをとこ(男)と人は申せしに、其の御子なればくれない(紅)のこ(濃)きよしをつたへ給えるか。あい(藍)よりもあを(青)く、水よりもつめたき冰(こおり)かなと、ありがたし・ありがたし、恐恐謹言。
  
正月三日              日 蓮  花 押
   上野殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-12 06:56 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 10日

但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ、と説いた【九郎太郎殿御返事】

【九郎太郎殿御返事】
■出筆時期:弘安元年(1278年)十一月一日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を送られた九郎太郎は駿河国富士方面の信徒で、南条時光殿の父(故)南条兵衛七郎の近親、あるいは兄弟ではないかと思われます。

本消息で大聖人は、身延山中ではなかなか手に入らない珍しい芋、栗、はじかみ(生姜)、焼米を供養されたことを「法華経は仏にまさらせ給う法なれば供養せさせ給いて、いかでか今生にも利生にあづかり後生にも仏にならせ給はざるべき」と、九郎太郎の志を讃えられるとともに「念仏は多けれども仏と成る道にはあらず<中略>但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」記し、法華経信仰を貫くよう励まされておられます。 
■ご真筆:山梨県 身延山久遠寺所蔵(1紙)。
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真筆本文箇所:冒頭から~かいをたもちなんどする人はををけれど 迄。
[九郎太郎殿御返事 本文]

これにつけても・こうえのどの(故上野殿)の事こそをもひいでられ候へ。

いも一駄.くり・やきごめ・はじかみ(生姜)給び候いぬさてはふかき山にはいもつくる人もなし・くりもならず・はじかみもをひず・ましてやきごめみへ候はず、たとえくりなりたりともさるのこずへ(梢)か(枯)らす、いえのいもはつくる人なし・たとえつくりたりとも・人にく(憎)みてた(給)び候はず、いかにしてか・かかるたか(高)き山へは・きたり候べき。

それ山をみ(見)候へば・たかきよりしだいにしも(下)えくだれり、うみをみ候へば・あそ(浅)きより・しだいにふかし、代をみ候へば三十年・二十年・五年・四三二一・次第にをとろへたり、人の心もかくのごとし、これはよ(世)のすへ(末)になり候へば山には・まがれるきのみとどまり・の(野)には・ひききくさのみをひたり、よには・かしこき人はすくなく・はかなきものはをほし、牛馬のちちをしらず・兎羊(とよう)の母をわきまえざるがごとし。
 仏御入滅ありては二千二百二十余年なり・代すへ(末)になりて智人次第にかくれて山のくだれるがごとく・くさ(草)のひききににたり、念仏を申しかい(戒)をたもちなんどする人は・ををけれども法華経をたの(恃)む人すくなし、星は多けれども大海をてらさず・草は多けれども大内の柱とはならず、念仏は多けれども仏と成る道にはあらず・戒は持てども浄土へまひる種とは成らず、但(ただ)南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ、此れを申せば人はそね(妬)みて用ひざりしを故上野殿信じ給いしによりて仏に成らせ給いぬ、各各は其の末にて此の御志をとげ給うか、竜馬につきぬる・だには千里をと(飛)ぶ、松にかかれる・つた(蘿)は千尋をよづと申すは是か、各各主の御心なり、つちのもちゐ(餅)を仏に供養せし人は王となりき、法華経は仏にまさらせ給う法なれば供養せさせ給いて、いかでか今生にも利生にあづかり後生にも仏にならせ給はざるべき。
その上みひん(身貧)にして・げにん(下人)なし、山河わづら(煩)ひあり、たとひ心ざしありとも・あらはしがたきに・いま(今)いろ(色)をあらわさせ給うにしりぬ、をぼろげならぬ事なり、さだめて法華経の十羅刹まほ(守)らせ給いぬらんと・たのもしくこそ候へ、事つくしがたし、恐恐謹言。
 
弘安元年十一月一日                 日 蓮 花 押
九郎太郎殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-10 09:55 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 09日

日本国中が飢饉で苦しむ中、絶えることなくご供養を続ける時光の信仰心を称えた書【上野殿御返事】

【上野殿御返事(三災御書)】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278)十月十二日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は前年(建治3年)から全国に疫病が蔓延、さらにこの年「八月九月の大雨大風に日本一同に不熟ゆきてのこれる。万民冬をすごしがたし」と記されたように、飢饉で日本国中が苦しんでいた。その中で自らの生活も苦しい中、時光は大聖人への供養を絶えることなく続け。その志を大聖人は「かかるよにいかなる宿善にか・ 法華経の行者をやしなわせ給う事ありがたく候、ありがたく候」と称えられております。
■ご真筆: 現存していない。古写本:日興筆(富士大石寺所蔵)

[上野殿御返事(三災御書) 本文]

 いゑのいも一駄・かうじ(柑子)一こ・ぜに六百のかわり御(ご)ざのむしろ(筵)十枚給び畢んぬ。

 去(こぞ)今年は大えき(疫)此の国にをこりて人の死ぬ事大風に木のたうれ大雪に草のおるるがごとし、一人ものこるべしともみへず候いき。しかれども又今年の寒温時にしたがひて、五穀は田畠にみち草木はやさん(野山)におひふさがりて尭舜の代のごとく成劫のはじめかとみへて候いしほどに・八月九月の大雨大風に日本一同に熟らず、ゆきてのこれる万民冬をすごしがたし。去ぬる寛喜・正嘉にもこえ、来らん三災にも・おとらざるか。

 自界叛逆して盗賊国に充満し、他界きそいて合戦に心をつひやす。民の心不孝にして父母を見る事他人のごとく、僧尼は邪見にして狗犬と猨猴(えんこう)とのあへるがごとし。慈悲なければ天も此の国をまほらず・邪見なれば三宝にもすてられたり。又疫病もしばらくは・や(止)みてみえしかども、鬼神かへり入るかのゆへに・北国も東国も西国も南国も一同にや(病)みなげくよしきこへ候。

 かかるよ(世)にいかなる宿善にか・法華経の行者をやしなわせ給う事ありがたく候ありがたく候、事事見参の時申すべし、恐恐謹言。
      
 弘安元年後十月十二日        日  蓮  花 押
     上野殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-09 22:22 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 09日

長雨が続き塩が高騰した時に塩一駄を供養した時光の志を称えた書【上野殿御返事(塩一駄御書)】

【上野殿御返事(塩一駄御書)】
■出筆時期:弘安元年(1278)九月十九日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄で大聖人は、長雨が続き塩が不足したため高騰し「しほ一升をぜに百、しほ五合を麦一斗にかへ候しが、今はぜんたいしほなし」と塩不足の窮状を記しておられます。
 このような状況のなか時光が定期的に塩を大聖人の元を送り届けており、この志は「大地よりもあつく虚空よりもひろし。予が言は力及ぶべからず、ただ法華経と釈迦仏とにゆづりまいらせ候」と讃えられておられます。

尚、この当時の塩づくりは、「海水のついた藻を天日に干し、その上から海水を注いで表面に析出した塩を海水で溶かす※参照:讃岐塩販売㈱ 方法を用いていたようで、この方法は天候に左右され、本抄で記されているように長雨が続くとたちまち塩不足に陥ったようです。
■ご真筆:現存していない。

[上野殿御返事(塩一駄御書) 本文]

 塩一駄、はじかみ(生姜)送り給び候。
 金(こがね)多くして日本国の沙(いさご)のごとくならば、誰かたから(宝)としてはこ(筺)のそこ(底)におさむべき。餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば誰か米の恩をおもくせん。
 
 今年は五月より日日に雨ふりことに七月より大雨ひまなし。このところは山中なる上、南は波木井河、北は早河、東は富士河、西は深山なれば、長雨大雨時時日日につづく間、山さ(裂)けて谷をうづみ、石ながれて道をふせぐ。河たけくして船わたらず、富人なくして五穀とも(乏)し、商人なくして人あつ(集)まる事なし。

七月なんどは、しほ一升をぜに百、しほ五合を麦一斗にかへ候しが、今はぜんたいしほなし。
何を以てかか(買)うべき。みそもたえぬ、小児のち(乳)をしのぶがごとし。
 
 かかるところにこのしほを一駄給びて候御志、大地よりもあつく虚空よりもひろし。予が言は力及ぶべからずただ法華経と釈迦仏とにゆづりまいらせ候。事多しと申せども紙上にはつくしがたし、恐恐謹言。
  
弘安元年九月十九日            日 蓮 花押
 上野殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-09 21:01 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 09日

時光が、麦何ぞ変じて法華経の文字とならざらんと称えた【時光殿御返事 】

【時光殿御返事 】
■出筆時期:弘安元年(1278)七月八日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は南条時光(上野殿)が日本中が疫病と飢渇に苦しんでいる中、白麦一駄、はじかみ(生姜)を供養されたことへの返書となっております。大聖人は釈迦の直弟子で天眼第一と謳われた阿那律、また頭陀行第一と謳われた迦葉尊者の謂れを引いて、時光の白麦一駄の供養は「此の時光が麦何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。此の法華経の文字は釈迦仏となり給ひ、時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へ」と讃えられておられます。尚この時時光は弱冠二十歳の北条門下の武士で、父亡き後上野郷の地頭として大聖人また日興上人を生涯支え続けました。
■ご真筆:現存していない。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)。

[時光殿御返事 本文]

むぎのしろきこめ一駄、はじかみ(薑)送り給ひ畢ぬ。
こくぼんわう(斛飯王)の太子あなりち(阿那律)と申す人は、家にましましし時は俗性は月氏国の本主、てんりん聖王のすえ、師子けう(頬)王のまご(孫)、浄飯王のおひ(甥)、こくぼん王には太子なり。

天下にいや(賤)しからざる上、家中には一日の間、一万二千人の人出入す。六千人はたから(財)をか(借)りき、六千人はかへりなす。
かかる富人にておはする上、天眼第一の人、法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給ふ。

これは過去の行はいかなる大善ぞとたづぬるに、むかしれうし(猟師)あり。
山のけだものをとりてすぎけるが、又、ひえ(稗)をつくり食とするほどに、飢えたる世なればものもなし。
ただひえのはん(飯)一ありけるをくひければ、りだ(利吒)と申す辟支仏(縁覚)の聖人来て云く、我七日の間食なし、汝が食者(くいもの)えさせよとこわせ給ひしかば、きたなき俗のごき(器)に入れてけが(汚)しはじめて候と申しければ、ただえ(得)させよ、今食せずば死ぬべしと云ふ。
おそれながらまいらせつ。此の聖人まいり給ひしが、ただひえ(稗)一つび(粒)をとりのこして、れうし(猟師)にかへし給ひき。
ひえへんじていのこ(猪)となる。いのこ変じて金となる。金変じて死人となる。死人変じて又金人となる。指をぬ(抜)いて売れば本のごとし。

かくのごとく九十一劫長者に生れ、今はあなりち(阿那律)と申して仏の御弟子なり。
わづかのひえなれども、飢えたる国に智者の御いのちをつぐゆへに、めでたきほう(報)をう(得)。
迦葉尊者と申せし人は、仏の御弟子の中には第一にたと(尊)き人なり。此の人の家をたづぬれば摩(ま)かだい(竭提)国の尼(に)くりだ(拘律陀)長者の子なり。
宅にたたみ(畳)千でうあり。一でうはあつさ七尺、下品のたたみは金千両なり。からすき(犂)九百九十九、一(ひとつ)のからすきは金千両。金三百四十石入れたるくら(倉)六十。かかる大長者なり。

め(妻)は又身は金色(こんじき)にして十六里をてらす。日本国の衣通姫(そとおりひめ)にもすぎ、漢土のりふじん(李夫人)にもこえたり。
此の夫婦道心を発(おこ)して仏の御弟子となれり。法華経にては光明如来といはれさせ給ふ。
此の二人の人人の過去をたづねれば、麦飯(むぎはん)を辟支仏に供養せしゆへに迦葉尊者と生れ、金のぜに一枚を仏師にあつらへて毘婆尸(びばし)仏の像の御はく(箔)にひきし貧人は、此の人のめ(妻)となれり。

今日蓮は聖人にはあらざれども、法華経に御名をたてり。国主ににくまれて我が身をせく上、弟子かよう(通行)人をも、或はのり、或はうち、或は所領をとり、或はところをおふ。

かかる国主の内にある人人なれば、たとひ心ざしあるらん人人もと(訪)ふ事なし。此の事事ふりぬ。
なかにも今年は疫病と申し、飢渇と申し、とひくる人々もすくなし。
たとひやまひ(病)なくとも飢ゑて死なん事うたがひなかるべきに、麦の御とぶ(訪)らい金にもすぎ、珠にもこえたり。

彼のりだ(利吒)がひゑ(稗)は変じて金人となる。此の時光が、麦何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。
此の法華経の文字は釈迦仏となり給ひ、時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へ、
かけり給へ。かへりて時光が身をおほ(覆)ひはぐくみ給へ。恐恐謹言。


弘安元年七月八日  日蓮花押 
上野殿御返事 

by johsei1129 | 2019-11-09 15:31 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 08日

其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、と南条時光の布教活動を称えた書【米穀御書】

【米穀御書】
■出筆時期:弘安元年(1287年)六月 五十七歳歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は全体の一部だけが伝えられており、宛先の詳細は不明ですが、甲斐国富士方面に住まわれていた松野殿の名前が「松野殿にも見参候はば、くはしくかたらせ給へ」と本文に出てきており、さらに文末で「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と記され、大聖人が特別な信頼を寄せておられることから、松野殿の縁戚でもある南条時光ではないかと強く推定されます。
本抄で大聖人は米穀を時光が供養されたことに対し「法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし。一切衆生を利益するなればなり。故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし」と記され、一切衆生を救済するために出現した法華経の行者を養うことは、つまるところ一切衆生を利益することになると時光を称えておられます。
本書を記された弘安元年は、日興上人及び南条時光の駿河方面の布教が活発化し、後の熱原の三烈士・神四郎、弥五郎、弥六郎の兄弟が入信しております。本文で「治部房・下野房等来り候はば、いそぎいそぎつかはすべく候」と記されておられるのは、時光の布教活動への支援をする為の大聖人の配慮であると拝します。
尚、文末の「仏種は縁に従つて起る是の故に、一乗を説くなるべし」は法華経方便品第二の文で、恐らく法華経に曰く、若しくは法華経方便品第二に曰くのご文があったのではと、推知致します。尚、治部房は駿河に在住した日位であろうと思われます。日興上人の『弟子分本尊目録』には「一、駿河國四十九院の住治部房は、蓮華闍梨の弟子也。仍て日興之を申し与う、但し聖人御滅後に背き了ぬ」し記されており、晩年は残念ながら日興上人に違背されたと思われます。
■ご真筆:現存しておりません。

[米穀御書 本文]

米穀も又又かくの如し、同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をた(断)つ、命をついで弥弥(いよいよ)強盛の敵人となる。又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か。

又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし。一切衆生を利益するなればなり。故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし。

かかる今時分人をこれまでつか(遣)はし給う事、うれしさ申すばかりなし。釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか。

其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ。(法華経方便品に曰く)仏種は縁に従つて起る是の故に、一乗を説くなるべし。
又治部房・下野房等来り候はば、いそぎいそぎつかはすべく候。松野殿にも見参候はば・くはしくかたらせ給へ。

 【妙法蓮華経 方便品第二】
 
 諸仏本誓願 我所行仏道 
 普欲令衆生 亦同得此道
 未来世諸仏 雖説百千億 
 無数諸法門 其実為一乗
 諸仏両足尊 知法常無性 
 仏種従縁起 是故説一乗

[和訳]
 諸仏の本(本来)の誓願は、我(仏)が行ぜし所の仏道を、
 普く衆生をして、亦(仏と)同じく此の道を得させるしめんと欲するなり。
 未来世の諸仏は、百千億の、
 無数の諸々の法門を説くと謂えど、その実は一乗(仏乗)の為也。
 諸々の諸仏・両足尊(※仏の尊称)は、法は常に無性にして、
 仏種は縁に従つて起る是の故に、一乗を説くなるべし。





by johsei1129 | 2019-11-08 22:38 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

夫れ水は寒積れば氷と為る、雪は年累つて水精と為る、悪積れば地獄となる、善積れば仏となる、女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる、と説いた【南条殿女房御返事】

【南条殿女房御返事】
■出筆時期:弘安元年(1278) 五月二十四日 五十七歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光の妻が米2俵を御供養なされたことへの返書となっております。文末で「御所労の人の臨終正念・霊山浄土疑なかるべし」と記されておられるのは、本抄を記された前月の四月一日に時光に宛てられた消息『上野殿御返事』に記されている、時光の姪(姉の子で石河の兵衛入道殿のひめ御前)が大病のため南妙法蓮華経を唱えながら亡くなられた事と示していると思われます。
この時光の姪は、自身の病状が急変し、まもなくこの世を去るであろうことを大聖人に手紙で伝えておられます。そのことについて大聖人は「臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は、一眼のかめの浮木の穴に入り、天より下(くだす)いとの大地のはりの穴に入るがごとし」と、ひめ御前の法華経信仰への強い思いを称えられておられ、本消息でも「霊山浄土疑なかるべし・疑なかるべし」と示され、改めて姪を失った悲しみに浸っているであろう時光及び女房を励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)。

[南条殿女房御返事 本文]

八木(米)二俵送り給び候い畢んぬ、度度の御志申し尽し難く候。

夫れ水は寒積れば氷と為る・雪は年累(かさな)つて水精と為る・悪積れば地獄となる・善積れば仏となる・女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。
法華経供養の功徳かさならば・あに竜女があとを・つがざらん、山といひ・河といひ・馬といひ・下人といひ・かたがた・かんなんのところに・度度の御志申すばかりなし。
御所労の人の臨終正念・霊山浄土疑なかるべし・疑なかるべし。

五月二十四日         日 蓮 花押
御返事





by johsei1129 | 2019-11-07 21:08 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)