日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:御義口伝( 65 )


2018年 02月 06日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(29)

【信解品六箇の大事】

第五 無上宝聚不求自得の事


 御義口伝に云く、無上に重重の子細あり(注)。

外道の法に対すれば三蔵教は無上、外道の法は有上なり。

又三蔵教は有上、通教は無上。通教は有上、別教は無上。別教は有上、円教は無上。

 又爾前の円は有上、法華の円は無上。又迹門の円は有上、本門の円は無上。 

 

 又、迹門十三品(注)は有上、方便品は無上。又本門十三品(注)は有上、一品二半(注)は無上。 

 又天台大師所弘の止観は無上、玄文二部は有上なり。


今、日蓮等の類いの心は、無上とは南無妙法蓮華経、無上の中の極無上なり。

 此の妙法を指して無上宝聚と説き給うなり。


 宝聚とは三世の諸仏の、万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり。

 此の無上宝聚を辛労も無く、行功も無く、一言に受取る信心なり、不求自得とは是れなり。

 自の字は十界なり、十界各各得るなり。諸法実相是なり。


 然る間此の文、妙覚の釈尊、我等衆生の骨肉なり。能く能く之を案ず可し云云。


無上に重重の子細あり

これ以下の文文で、日蓮大聖人は、天台が体系化した、釈迦の一切経の勝劣[五時八教]と、それに超過する南妙法蓮華経について解き明かしている。


外道・・・・内道(仏教) 以外の教。 仏教は過去世、現世、未来世の三世の命、及ぴ因果応報が説かれているので、現世しか説かれていない外道は、三蔵経(小乗経の異名)より劣るとされる。


通教は大乗仏教の初門。別教は権大乗教。

円教は法華経

迹門十三品 (方便品第二を除いた序品第一から安楽行品十四まで)

本門十三品(従地湧出品十五から普賢勧発品二十八まで)

一品二半 (湧出品十五の後半の半品、如来寿量品十六、分別功徳品の前半の半品)


日蓮大聖人は「{観心本尊抄」で下記のように、法華経と言えど、一品二半以外は小乗教であると解き明かしている。


観心本尊抄に曰く、

「又本門に於て序正流通有り、過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品、涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経経は、皆寿量(品)の序分なり。一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」と。

[観心本尊抄・御真筆(中山法華経寺所蔵 国宝)]



【御義口伝 上】要点解説 30に続く。






by johsei1129 | 2018-02-06 20:50 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 02月 05日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(28)

【信解品六箇の大事】

第四 心懐悔恨の事  (注)

文句の六に云く、悔を父に約し恨を子に約すと。記の六に云く、父にも悔恨あり、子にも悔恨ありと。

 御義口伝に云く、日本国の一切衆生は子の如く、日蓮は父の如し。法華不信の失に依つて無間大城に堕ちて返つて日蓮を恨みん。
又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを、霊山にて悔ること、之れ有る可きか。

文句の六に云く「心懐悔恨とは、昔勤に教詔せず、訓うること無くして逃逝せしむることを致すことを悔い、子の恩義を惟わずして我を疎んじ他に親しむるを恨む」と。



心懐悔恨の事
妙法蓮華経・信解品の次の偈にある文
[原文]
父毎念子 与子離別 五十余年 而未曾向人
説如此事 但自思惟 心懐悔恨
[和訳]
父、毎に子を念じる、子と離別して五十余年、 而して未だ曾て人に向いて
此の事如くに説かず。但、自づから思惟して、心に悔恨を懐かん。



【御義口伝 上】 要点解説(29)に続く




by johsei1129 | 2018-02-05 21:48 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 02月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(27)

【信解品六箇の大事】


第三 加復窮困の事
 文句の六に云く、出要の術を得ざるを又窮と為し、八苦の火に焼かるるが故に困と為すと。

 御義口伝に云、出要とは南無妙法蓮華経なり。術とは信心なり。


今日蓮等の類い窮困を免離する事は、法華経を受持し奉るが故なり。

 又云く、妙法に値い奉る時は、八苦(注)の煩悩の火、自受用報身(注)の智火と開覚するなり云云。


八苦 
四苦八苦の八苦

四苦とは生・老・病・死

八苦とは生・老・病・死の四苦に、以下の四苦を足して八苦と為す。


愛別離苦(あいべつりく)   愛する者との別離
怨憎会苦(おんぞうえく)   怨み憎んでいる者と会うこと
求不得苦(ぐふとくく)    求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(人間の色心を構成する5つの要素[色・受・想・行・識])が思うがままにならないこと。

五蘊の違いが人の個性を生み出す。 例えば運動神経が優れた人が、うまくその能力を発揮できないで苦しむことなど。


四苦と釈迦の「四門出遊(しもんしゅつゆう)」

釈迦が釈迦族の太子ゴータマシッダールタの時、王宮の東西南北の四つの門から外に出たとき、西門で老人に会い、南門では病人に、西門では死者の葬列に出会う。最後に北門から出た時、修行者と出会い、自ら王宮を出て出家することを決意したという。

シッダールタは、「この世は何と無慈悲なのだ」と思い、十九歳から修行に励んだが、バラモンの難行苦行では悟りを開けないとして、菩提樹の下で六年間端坐し瞑想を続け、ついに一切の諸法を極めて成道し、この世の一切の諸法の実相は慈悲であると悟る。



日蓮大聖人は、【御義口伝 上】【序品七箇の大事】第四仏所護念の事 で、
『今日蓮等の類いは護念の体を弘むるなり。(中略) 六に法体に約するとは法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり』と説かれております。



【御義口伝 上】 要点解説(28)に続く





by johsei1129 | 2018-02-04 18:45 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 02月 03日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(26)

【信解品六箇の大事】

第二 捨父逃逝の事  (注)
文句の六に云く、捨父逃逝とは大を退するを捨と為し、無明自ら覆うを逃と曰い、生死に趣向するを逝と為すと。

 御義口伝に云く、父に於て三之れ有り法華経・釈尊・日蓮是なり。
法華経は一切衆生の父なり
(注)、此の父に背く故に流転の凡夫となる。釈尊は一切衆生の父なり、此の仏に背く故に備さに諸道を輪ぐるなり。

今、日蓮は日本国の一切衆生の父なり。章安大師
(注)の云く「彼が為に悪を除く即ち是れ彼が親なり」と。
退大の大は南無妙法蓮華経なり、無明とは疑惑謗法なり、自ら覆うとは、法然・弘法・慈覚・智証・道隆・良観等の悪比丘、謗法の失を恣ままに覆いかくすなり。


切衆生の父

釈尊は法華経で自らのことを「我、仏なり」とは説かれていない。

法華経では仏の尊称、如来、世尊、世雄、仏、導師、教師等と呼称されているが、自らのことは「我、世の父と為りて」、「我、衆生の父と為して」の様に、世の父、衆生の父と自称している。

また菩薩が自ら「我、衆生の父として」と称することもない。

その意味で、世の父、衆生の父とは、仏を意味する尊称であることがわかる。

御義口伝の本抄で、日蓮大聖人が法華経、釈尊と並び「日蓮は日本国の一切衆生の父なり」と自称していることは、自らが末法の本仏であると宣言している意義がある。


法然((1133年-1212年) 浄土宗の開祖。南無阿弥陀仏と唱える専修念仏を説いた。浄土真宗の開祖親鸞の師。

日蓮大聖人は、「法華経は難信難解で千人に一人も得道できない」と説いた法然を、法華経を一切衆生得道の最高の経と説く釈尊の教えを誹謗し、人々を無間地獄に落としてれるとし「念仏無間」と破折した。


弘法(弘法大師:空海) 日本の真言宗開祖

日蓮大聖人は、真言は天台の一念三千を盗んで自宗に取り込み、その上、仏教の始祖・釈尊を卑下し、且つ、実在しない架空の大日如来を立てる亡国の教えであるとし「真言亡国」と厳しく破折した。

慈覚 伝教(天台宗の開祖)、義真(初代天台座主)、円澄(2代天台座主)に続く3代天台座主。法華経を根本の経典としていた比叡山延暦寺に真言密教を取り入れ、法華経を根本とする宗派でなくなっていった。

智証 空海の甥 延暦寺第5代座主

隆   (蘭溪道隆) 南宋から来日した禅僧 北条時頼が創建した建長寺の開山。

鎌倉時代の禅宗は、釈迦から経典ではなく口伝で釈迦の弟子・大迦葉だけに伝えられたとして「不立文字・教外別伝」と説き、釈迦の経文を否定した。日蓮大聖人は根拠のな教外別伝の教えは、「釈迦の説いた八万法蔵の経典を全否定する天魔の所為であるとして「禅天魔」と破折した。

良観  第5代執権・北条時頼を補佐した北条 重時が建てた「極楽寺」の開山。日蓮大聖人との祈雨の対決に破れ、以降日蓮を恨み、幕府執事・平 頼綱と結託し、日蓮大聖人を龍の口の処刑所で打ち首にしょうとする(龍ノ口法難)が、光り物が出現し叶わなかった。


捨父逃逝の事
法華経に説かれる7つのたとえ話・法華七譬の一つ。
 ある長者の子が幼い時家出する。その子は50年間流浪したあげく、父の屋敷にどりつく。父親は偶その窮子が息子だと確信し、下人に連れてくるよう命ずる。
しかし息子は父とはわからず、自分とは身分がかけ離れた長者に捕まえられると思い逃げる。そこで父は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて「長者の屋敷で仕事があるから一緒にやろう」と誘うよう命じ、連れ戻した。父は汲み取りの仕事を任せたが、息子も仕事をさぼることもなく熱心こなした。
 やがて20年経ち長者は窮子に、自分を父と思って仕事に励めと財産の管理を任せる。窮子は財産を任されても誤魔化すことなく実直に仕事をこなした。やがて長者が臨終を迎えると初めて親戚一同に窮子は実の子で、私の財産は全てこの子に譲ると宣言した。
 この比喩は誠実に法華経の修行続けることで、望んでいないにもかかわらず悟ることができるという「無上宝珠・不求自得」の原理を示している。ここでの長者は釈尊、窮子は衆生、無上宝珠は仏の悟りを意味する。
 尚この比喩は、釈尊十大弟子の一人、摩訶迦葉が、釈尊から舎利弗に未来世で華光如来となるとする記別を与えられたことを受け、自身が理解したことがこの比喩で正しいか、釈尊に伝える形をとっている。

章安大師
天台の法華三部作(法華文句・法華玄義・摩訶止観)を筆録した。
天台の直弟子で中国天台宗の第四祖。

【御義口伝 上】要点解説(27)に続く



by johsei1129 | 2018-02-03 18:57 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 02月 01日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(25)


【信解品六箇の大事】

 第一信解品の事  
記の六に云く、正法華には信楽品と名く(注)、其の義通ずと雖も楽は解に及ばず、今は領解を明かす、何を以てか楽と云わんや。

 
 御義口伝に云く、法華一部廿八品の題号の中に、信解の題号、此の品に之れ有り。
 一念三千も信の一字より起り、三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり。此の信の字、元品の無明を切る利剣なり。
其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり、解とは智慧の異名なり、信は価の如く解は宝の如し、三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。
智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即(注)なり、信の外に解無く、解の外に信無し、信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。


 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に、無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。
又云く、信は不変真如の理なり、其の故は、信は知一切法皆是仏法(注)と体達して実相の一理と信ずるなり、解は随縁真如なり自受用智を云うなり。

 
 文句の九に云く、疑い無きを信と曰い、明了なるを解と曰うと。文句の六に云く、中根の人、譬喩を説くを聞きて、初めて疑惑を破して大乗の見道に入る故に、名けて信と為す。進んで大乗の修道に入る故に、名けて解と為す。
 
 記の六に云く、大を以て之に望むるに、乃ち両字を分ちて以て二道に属す、疑を破するが故に信なり、進んで入るを解と名く。
信は二道に通じ、解は唯修に在り、故に修道を解と名くと云うと。

 
注 
正法華には信楽品と名く
 法華経漢訳で全訳が現存するのは次の三本で、正法華はその中の一つ。正法華経は基本的に逐語訳で難解と言われほとんど普及していない。
添品妙法蓮華経は妙法蓮華経の補足版とも言え、各品の題号名も妙法蓮華経の題号を流用している。
 現在実際に僧俗に日常的に読誦されているのは、天才と謳われた鳩摩羅什訳の妙法蓮華経で、法華経と言えば事実上名訳と称えられる妙法蓮華経を示す。
日蓮大聖人は【諫暁八幡抄】で「然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり、其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は、純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり」と断じられておられます。
『正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年)
『妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年)
『添品妙法蓮華経』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多 共訳、601年)

名字即
天台が立てた内在する仏性を悟るに至る六即の一つ。
日蓮大聖人は御義口伝・【寿量品二十七箇の大事】で次のように説かれておられれます。
「六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、その故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり」と。


【御義口伝 上】要点解説(26)に続く






by johsei1129 | 2018-02-01 20:30 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 01月 29日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(24)

【譬喩品九箇の大事】
第九 今此三界等の事 (注)

文句の五に云く、次に今此三界より下、第二に一行半は上の所見諸衆生為生老病死之所焼煮を頌して第二の所見、火の譬を合す。
唯我一人より下、第三に半偈は上の仏見此已便作是念を頌して、驚入火宅を合するなりと。

 御義口伝に云く、此の文は一念三千(注)の文なり。一念三千の法門は迹門には生陰二千の世間(注)を明し、本門には国土世間を明すなり(注)。
又云く、今此三界の文は国土世間なり、其中衆生の文は、五陰世間なり。而今此処多諸患難唯我一人の文は、衆生世間なり。(注)

又云く、今此三界は法身如来なり、其中衆生悉是吾子は報身如来なり、而今此処等は応身如来なり。(注)



今此三界等の事
妙法蓮華経 譬喩品第三の、次の偈の文
[原文]
如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野 
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 
而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 
[和訳]

如来は已に三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に安らかに処せり。
今、此の三界は、皆、是れ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。
而も今、此の処は、諸の患難多し、唯我れ一人のみ、能く救護を為せり。

三界 
仏教上、欲界・色界・無色界の三つの世界をいうが、法華経譬喩品の『火宅』の比喩では、動物たちが食い合いしている長者の古い大きな屋敷で火災が起こり、そこから長者の子供たちを脱出させる話が説かれている。法華経の中では唯一おどろおどろしい話が続き、これはまるで中東のイスラム過激派組織、アフガンのタリバン等による現在の三界、つまり世界に拡散したテロの状況を彷彿させる。

一念三千
己心の生命を三千に分別した法門。
1.己心に「仏・菩薩・縁覚・声聞(四聖)、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄(六道)」、以上、十界の命を持つ。この十界は互いに具している。
 例えば、仏は仏の境涯を基盤に十界の命を具す。仏と言えど喜びもあれば、苦しみの命も持つ。これは仏界所具の天界、仏界所具の地獄界となり、十界が互いに具して 百界となる。
2.この百界に十如是(如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・如是本末究竟等)を掛け合わせて千如是となる。この千如是は有情・非情にわたり共通に貫かれている法則となる。
3.三世間(衆生世間、五陰(ごおん)世間、国土世間)。 この三世間は、衆生が過去是の善行・悪行による報い(如是報)として受ける境遇の差別・区別(世間)になる。
 衆生世間は自分を取り巻く人々、例えば親兄弟、社会で巡り合う人々の違い、五陰世間は個人が生まれつき持つ要素(色,受,想,行,識))の違い。例えば音感が良い、絵心がある、運動神経が優れているといった事。
国土世間は衆生が済む国土(環境)の違い。日本と言う内乱、テロのない平和な国に生まれる、または内乱・戦争の地に生まれるかの違い。さらに同じ日本でも、のどかな田園で生まれるか、大都会のビル群の中で生まれ育つかの違い。これら三世間の境遇の違いは、過去世の善行、悪行の報いとして定まる。

生陰二千の世間
衆生世間、五陰世間の事で、この二つの世間に千如是を掛け合わせると二千世間となる。

法身如来報身如来応身如来
法・報・応の三身の事。
法華経方便品第二に次の偈がある。
[原文]
仏所成就 第一希有 難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相
[和訳]
仏が成就せし所の、第一の希有なる難解の法は、唯、仏と仏のみが諸法の実相を、能く究め尽くせばなり。


 つまり妙法蓮華経・方便品第二では、森羅万象はすべからく諸々の法で貫かれており、その法を究め悟られたのが仏であるとする。
諸法を悟れば衆生は仏になれるので、仏は、三千大千世界(宇宙)に無数に存在し、仏が衆生を導く仏国土も無数に存在するとと説き明かしている。
その諸法を捉えた概念が、本抄の「法・報・応の三身」、又「空仮中の三諦」となる。

 
 一例として「水」で空仮中の三諦を説明すると、水は置かれている環境(縁※主に温度)により、液体の水、固体の氷、気体の水蒸気と変化する。
固体でも雪、あられ、ひょうと変化する。水は見た目の姿が変われど、分子式"H2O"で表される水の本質は共通であり、100度で気体、0度で凍るという性質を持つ。
 しかしこの性質・法則そのものを人の目では見ることはできないが、我々は現象として認識できる。
あくまで譬えであるが、酸素原子一つを法身とするとこの酸素原子は始めもなければ終わりもないつまり無始無終の存在であり、法身も無始無終で輪廻転生する。そしてその酸素原子は水素原子二つと化合することによりH2O、つまり水と変身する。この事象を菩薩行をすることで仏として成道した報身と譬える。一旦仏となると永遠に仏であり続け菩薩以下に後退することはないので、有始無終の存在である。
 さらに仏は時に応じて、実際に仏として誕生する。例えば遥か久遠に成道した釈尊がインド釈迦族の王子として誕生し、その後王宮を後にして修行し仏となる姿を衆生に見せる。この当体が応身である。応身は誕生と言う始めもあり、滅度と言う終わりもある。
 日蓮大聖人は末法と言う時を感じ鎌倉時代の日本・安房の国に誕生し、竜の口の法難で仏となる姿を弟子信徒等に見せ六十一歳で池上宗仲の屋敷で御入滅なされた。
この仏の姿は、H2Oとしての性質を持ち、温度の変化により刻々と雨、雪、氷、水蒸気と姿を変える水に譬えることができよう。
 釈尊は妙法蓮華経・如来寿量品第十六で次のように仏の久遠の成道、その後の無数の仏国での衆生教化を解き明かしている。

[原文]
皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫
<中略>
自従是来 我常在此娑婆世界 説法教化 亦於余処 百千万億 那由佗 阿僧祇国 導利衆生
[和訳]
皆、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出て、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して「阿耨多羅 三藐三菩提」を得たりと謂えり。
然るに善男子よ、我は実に成仏せしより已来、「無量無辺 百千万億 那由佗劫」なり。
<中略>
是より来、我は常に、此の娑婆世界に在りて説法教化し、亦た余処の「百千万億 那由佗 阿僧祇国」に於ても衆生を導びき、利せり。


【御義口伝 上】要点解説(25)に続く







by johsei1129 | 2018-01-29 16:37 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 01月 20日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(23)

【譬喩品九箇の大事】

第八 唯有一門の事
(注)


 文句の五に云く、唯有一門とは、上の以種種法門宣示於仏道に譬う。
門に又二あり、宅門と車門となり。宅とは生死なり、門とは出ずる要路なり、此は方便教の詮なり。車とは大乗の法なり、門とは円教の詮なり、と。

 御義口伝に云く、一門とは法華経の信心なり、車とは法華経なり、牛とは南無妙法蓮華経なり、宅とは煩悩なり。
自身法性の大地を、生死生死と転ぐり行くなり云云。



唯有一門の事

この抄では法華七喩の一つ「三車火宅(さんしゃかたく」について説いている。
「三車火宅」の物語は次のようになる。
『長者の古くて大きな屋敷が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中で、長者が「火事だから直ぐに外に出なさい」と言っても遊びをやめようとしない。
そこで長者は子供たちが前から欲しがっていた「羊車・鹿車・牛車を門の外を置いたから欲しい車をあげる」と言って子供を外に導き、子供は火事から逃れる。
その後子供は長者に「約束してた羊車・鹿車・牛車をください」と言うと、長者は、さらに立派な大白牛車を与えた。

この物語の長者は仏で、火宅は苦しみの多い三界(娑婆世界)、子供たちは三界で迷える衆生で、羊車・鹿車・牛車の三車は、声聞・縁覚・菩薩(三乗)に説いた、法華経以前に説いた爾前(にぜん)・権大乗経を意味している。そして最後に、大白牛車である仏になるための一乗の教え、つまり法華経を与えることを譬えている。


【御義口伝 上】要点解説(24)に続く




by johsei1129 | 2018-01-20 22:39 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 01月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(22)

【譬喩品九箇の大事】

第七 以譬喩得解の事 (注) 

止観
(注)の五に云く智とは譬に因るに斯の意徴し有りと。

 御義口伝に云く、此の文を以て鏡像円融の三諦の事を伝うるなり。惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり。
此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り。
 所詮、鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり、妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し。

 又云く、鏡に於て五鏡之れ有り、妙の鏡には法界の不思議を浮べ、法の鏡には法界の体を浮べ、蓮の鏡には法界の果を浮べ、華の鏡には法界の因を浮べ、経の鏡には万法の言語を浮べたり。
 又云く、妙の鏡には華厳を浮べ、法の鏡には阿含を浮べ、蓮の鏡には方等を浮べ、華の鏡には般若を浮べ、経の鏡には法華を浮ぶるなり。順逆次第して意得可きなり。

我等衆生の五体五輪妙、法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり。信謗の浮び様、能く能く之を案ず可し。自浮自影の鏡とは、南無妙法蓮華経是なり云云。


以譬喩得解
次の偈にある文
[原文]
然舎利弗 今当復以譬諭 更明此義 諸有智者 以譬諭得解
[和訳]
然し舎利弗よ、今、当に復た、譬諭を以て、更に此の義を明かにせり。諸の智有る者は、譬諭を以て解を得らん。


止観
(摩訶止観) 天台の説いた法華三部作(法華文句、法華玄義、摩訶止観)の最上位に位置し、法華経を体系化し一念三千の法門(一瞬の己心の生命を三千に分別した)を説いた。

日蓮大聖人は末法の本尊を解き明かした「観心本尊抄」の冒頭で、止観の一念三千を引用し次のように解き明かされておられます。

「夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り。若し心無んば而已介爾、も心有れば即ち三千を具す。乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」


華厳・阿含・方等・般若・法華

釈尊が一代で説いた経の次第。

日蓮大聖人はこの経の次第を「一代五時図」として図式化し、弟子信徒を教化した。

[一代五時図の御真筆(千葉県弘法寺所蔵)]


宝塔品  
妙法蓮華経 見宝塔品第十一の事。

この品では地から宝塔が涌出し、衆生は空中に存在する宝塔を仰ぎ見る。そしてその宝塔の最上部に釈迦仏と多宝如来が並ぶ、いわゆる「虚空会の儀式」が始まる。


日蓮大聖人はこの宝塔の意味を、佐渡流罪時に念仏を捨て大聖人に帰依した阿仏房から問われ、「末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり」と「阿仏房御書」で説かれ、妙法蓮華経で仏界を湧現した衆生そのものが宝塔であると断じられている。



【御義口伝 上】要点解説(23)に続く




by johsei1129 | 2018-01-19 23:24 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 01月 18日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(21)

【譬喩品九箇の大事】

第六 一時倶作の事 (注)

 御義口伝に云く、一時とは末法の一時なり、倶作とは南無妙法蓮華経なり、倶とは畢竟住一乗なり。

今、日蓮等の類いの所作には題目の五字なり、余行を交えざるなり (注)。
 又云く、十界の語言は、一返の題目を倶作したり、是れ豈、感応に非ずや。



一時倶作の事
下記の偈の中の文

[原文] 諸天伎楽 百千万種 於虚空中 一時倶作 雨衆天華 而作是言
[和訳]「諸の天は、伎楽の百千万種を虚空の中に於いて一時に俱に作し、衆の天華を雨(ふら)して、是の言を作さん」

余行を交えざるなり
「余行を交えざるなり」について、日蓮大聖人は唯受一人の後継者・日興上人に相伝した【寿量品文底大事】で次のように相伝されておられまする


『さて下種の法華経は久遠名字の妙法なり。然れば日蓮聖人、本因妙の修行を手本として、妙法蓮花経の五字を余行に亘さずして下種し給ふ者なり。
一毫未断の我れ等末代嬰児の一切衆生、妙法の名字を聞いて持つ処に即身成仏を遂ぐるなり。誠に我れ等が為に有り難き法相なり。
 若し余行に亘さば一部(二十八品)の法華経なるべきなり。夫れを(日蓮大聖人の)宗旨の本意とは沙汰せざるなり。
されば一所の所判に、末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し。乃至妙法蓮華経に余行を交へばゆゝしき僻事なりと遊ばさるゝ此の意なり、秘すべきなり。
                                             南無妙法蓮華経 日蓮 日興記』

[御義口伝 上]要点解説22 に続く



by johsei1129 | 2018-01-18 21:23 | 御義口伝 | Comments(0)
2018年 01月 17日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(20)

【譬喩品九箇の大事】


第五 而自廻転の事  

記の五に云く、或は大論の如し、経に而自廻転(注)と云うは身子(注)の得記を聞きて、法性自然にして転じ、因果依正自他、悉く転ずるを表すと。
    
 御義口伝に云く、草木成仏(注)の証文に而自廻転の文を出すなり。是れ一念三千の依正体一(注)の成仏を説き極めたるなり。
草木成仏の証人とは、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを指すなり。
 廻転とは題目の五字(妙法蓮華経)なり、自とは我等行者の事なり、記の五の釈、能く能く之を思うべし云云。




而自廻転
次の偈にある文
「爾の時に四部の衆、比丘、比丘尼、摩羅睺羅等の大衆、舎利弗の仏前に於いて、阿耨多羅三藐三菩提の記を愛くるを見て、心大いに歓喜し、躍躍すること無量なり、各各に、身に著けたる所の上衣を脱ぎて、以って仏に供養す釈提桓因、梵天王等、無数の天子と、亦天の妙衣、天の曼荼羅華、摩訶曼荼羅華等を以って仏に供養す。所散の天衣、虚空の中に住して自ら廻転す

身子
譬喩品の対告衆、舎利弗(梵語Śāriputra シャーリプトラ)の漢訳。
舎利弗はこの譬喩品で、釈尊から法華経で修行して未来世で華光如来となるとする記別を受ける。

草木成仏
草木は仏法上は非情の存在ですが、衆生と同様十界を持つ。それ故に、日蓮大聖人が【経王殿御返事】で「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」と認められた十界曼荼羅の御本尊も十界を持ち、衆生がそれに縁することにより己心の仏界を引き出すことができる。
日蓮大聖人は更に【草木成仏口決】で次のように解き明かされております。
「我等一身の上には有情非情具足せり。爪と髪とは非情なり、きるにもいたまず、其の外は有情なれば、切るにもいたみ・くるしむなり。一身所具の有情非情なり。此の有情・非情、十如是の因果の二法を具足せり。衆生世間・五陰世間・国土世間、此の三世間・有情非情なり。 一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」と。

依正体一
依正とは依法正法の事。依法は衆生を取り巻く環境・国土で正法は衆生、自分自身を意味する。
体一とは依法正法が分立して存在しているのではなく、相互に依存、影響しあって存在していることを意味する。


【御義口伝 上】要点解説(20)に続く




by johsei1129 | 2018-01-17 22:14 | 御義口伝 | Comments(0)