日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:御義口伝( 208 )


2019年 02月 16日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(59)



第二十三 無明礼拝住処の事

御義口伝に云く、自他の隔意を立て、彼は上慢の四衆、我は不軽と云う。

 不軽は善人、上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり。

此に立つて、礼拝の行を成す時、善悪不二・邪正一如(注)の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。



善悪不二・邪正一如

日蓮大聖人は【一念三千法門】で『善悪不二・邪正一如』について次のように説かれております。
『此の経は専ら聞を以て本と為す、凡(そ)此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡ばず、故に皆成仏道とも云ひ又平等大慧とも云う。
 善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す、故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生 妙覚と云ふ。
 義を知らざる人なれども唱ふれば、唯仏と仏と悦び給ふ、我即歓喜諸仏亦然云云。百千合せたる薬も口にのまざれば病愈えず、蔵に宝を持ども開く事をしらずしてかつ(飢)へ、懐に薬を持ても飲まん事をしらずして死するが如し』

また【当体義抄(とうたいぎしょう)】では次のように解き明かされておられます。

『問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや。
答う、法性の妙理に染浄の二法有り、染法は熏じて迷と成り、浄法は熏じて悟と成る。悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり。
 
 此の迷悟の二法、二なりと雖も然も法性真如の一理なり、譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り、月輪に向えば水を取る、玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し。
 真如の妙理も亦復是くの如し。一妙真如の理なりと雖も、悪縁に遇えば迷と成り、善縁に遇えば悟と成る、悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり。
譬えば人、夢に種種の善悪の業を見、夢覚めて後に之を思えば、我が一心に見る所の夢なるが如し。
一心は法性真如の一理なり、夢の善悪は迷悟の無明法性なり、是くの如く意得れば、悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり』と。



【御義口伝 下】要点解説(60)に続く




by johsei1129 | 2019-02-16 22:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 15日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(58)



第二十二 法性礼拝住処の事

 御義口伝に云く、不軽菩薩、法性真如の三因仏性、南無妙法蓮華経の廿四字(注)に足立て、無明の上慢の四衆を拝するは、薀在衆生の仏性を礼拝するなり云云


本抄で日蓮大聖人は、不軽菩薩が法性真如の三因仏性たる妙法蓮華経の二十四字に立脚して、慢心の四衆(出家・俗の男女)を拝したのは、衆生の生命の奥底に内在(薀在)している仏性を礼拝したのである、と解き明かされております。

末法今日の衆生においては、末法の御本仏日蓮大聖人の魂を図現なされた十界曼荼羅の御本尊を拝する事を意味しております。

 日蓮大聖人は【経王殿御返事】で次のように説かれておられます。
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』と。


南無妙法蓮華経の廿四字とは、常不軽品の次の漢字24文字を意味します。
[原文]
我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏
[和訳]
我、深く汝らを敬い、敢えて軽慢せざらん。所以は何ん、汝等は皆、菩薩の道を行じて、当に仏と作ることを得ざればなり。

上記の文は、全ての衆生に仏性が内在していることを示しており、これは妙法蓮華経・方便品第二で釈尊が、仏がこの世に出現した由縁である「一大事因縁」で「開・示・吾・入」を解き明かしたことと同じ意味があり、この二十四文字を日蓮大聖人は【教行証御書】で次の様に「略法華経」と説かれておられます。

『過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を、一切衆生に向つて唱えしめしがごとし。彼の二十四字を聞きし者は、一人も無く亦不軽大士に値つて益を得たり。是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり。今も亦是くの如し、彼(不軽菩薩)は像法・此れ(日蓮)は濁悪の末法、彼は初随喜の行者、此れは名字の凡夫、彼は二十四字の下種、此れは唯五字(妙法蓮華経)なり。 得道の時節異なりと雖も、成仏の所詮は全体是れ同じかるべし』と。


上慢の四衆
方便品で釈尊の説法の座を退坐した増上慢の出家の男女(比丘、比丘尼)、俗(在家)の男女(優婆塞、優婆夷)






by johsei1129 | 2019-02-15 20:05 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 14日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(57)




二十一 生老病死 礼拝住処の事  (注)


 御義口伝に云く、一切衆生、生老病死を厭離せず、無常遷滅の当体に迷うに依つて、後世、菩提を覚知せざるなり。

 此を示す時、煩悩即菩提・生死即涅槃(注)と教うる当体を、礼拝と云うなり。

左右の両の手を開く時は、煩悩・生死・上慢。不軽、各別なり。

礼拝する時、両の手を合する(注)は、煩悩即菩提・生死即涅槃なり。 

上慢の四衆(注)の所具の仏性も、不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。


生老病死 
生老病死は四苦八苦の四苦で、これに次の四苦を加えて八苦と言う。

愛する者と別れる苦 (愛別離苦)
怨み憎しむ者に会う苦 (怨憎会苦)
欲しいものを手にできない苦 (求不得苦)
身心を作る五陰からの苦しみが盛んになる (五陰盛苦)

煩悩即菩提
妙法蓮華経の蓮華は他の草花と異なり、泥中に育ち、泥に染まる事無く清浄な大輪の白蓮華を咲かせる。これは衆生が妙法蓮華経に帰依することにより、煩悩を厭離することなく、そのままで菩提に至るとする煩悩即菩提を象徴している。

生死即涅槃
法華経では人の身は法身・報身・応身の三身であると分別している。

応身は現実に目に見える色心(肉体・意識)で、誕生があり、死がある。
しかし応身は朽ちても法身・報身は存在し続け、未来世で縁に触れて再び応身は誕生する。その意味で死は決して嘆く事象ではなく無数に生死を繰り返すというのが法華経での仏の悟りである。

身近な例でいれば、水は、雪、氷、雨と取り巻く環境変化に応じ、の常にその姿を変えて存在している。そしてその本質はH2Oで、人間の存在も同様に永遠に続くようなものである。

礼拝する時、両の手を合する 
日蓮大聖人が図現された十界曼荼羅に向かいて「南無妙法蓮華」と唱える時、左右の手のひらを合わせる事で、日蓮大聖人はその衆生の姿そのものが、煩悩即菩提・生死即涅槃を表していると解き明かされておられます。

上慢の四衆
妙法蓮華経方便品第二で釈尊が「一大事因縁」を説こうとした時、慢心の五千人の四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)が説法を聞かず退坐する。
釈尊はこの上慢の四衆の対座を止めることなく、これで残されたものは全て清浄の志をもつ衆生であるとして「一大事因縁」を説き始める。
[原文]

説此語時 会中有比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 五千人等 即従座起 礼仏而退

所以者何 此輩罪根深重 及増上慢 未得謂得 未証謂証 有如此失 是以不住

世尊黙然 而不制止 爾時仏告舎利弗 我今此衆 無復枝葉

純有貞実 舎利弗 如是増上慢人 退亦佳矣











by johsei1129 | 2019-02-14 19:52 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 10日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(56)



第二十 我本行菩薩道の文礼拝住処の事 (注)

御義口伝に云く、我とは本因妙(注)の時を指すなり。

本行菩薩道の文は不軽菩薩なり、此れを礼拝の住処と指すなり。


我本行菩薩道の文礼拝住処
如来寿量品第十六の長行にある次の文。
[原文]
諸善男子 我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽 復倍上数
[和訳]
諸の善男子よ、我れ本より、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今も猶、末だ尽きずして、復た上の数(寿命無量 阿僧祇劫)に倍せり

本因妙
成仏するための根本の因。釈尊は「我本行菩薩道(我、本より菩薩道を行ぜり)」と説き、遥か久遠に菩薩道を行ずる「因」により成道したと説いた。

つまりインド釈迦族の王子として生まれ、十九歳で王宮を出て出家し、バラモンの難行苦行を経て、菩提樹の下で五年間、瞑想し成道したと言うのは、あくまで方便で、成道の姿を当時の衆生に示したにすぎず、真実は遥か久遠に菩薩道を「本因妙」として成道したとする「久遠実成」を示した。
「久遠実成」の法門は、一切衆生及び仏の身は「法身・報身・応身」の三身に分別できるとする法門を理解つすることでわかる。
法身は生命の根源つまり魂魄、報身は過去遠々劫(かこおんのんごう)の行いによって得た境涯、応身は現実の世に誕生する色心となる。

インド釈迦族の王子として誕生した身「応身」は、誕生と言う始めもあり、この世(娑婆世界)で滅度すると言う終わりもある。しかし一旦仏と為った報身は、未来永遠に仏として存在し、無数ともいる仏国土に誕生を繰り返し衆生を仏道に導くことになる。

日蓮大聖人は、「我本行菩薩道」の文の底に「南無妙法蓮華経」が秘沈している、つまり釈尊は遥か久遠の過去世に南無妙法蓮華経根本に菩薩道を行ずる事で成道(仏と為る)したとする「文底秘沈」の法門を【開目抄】で解き明かされた。

『但し此の経に二箇の大事あり、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり。一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり』








by johsei1129 | 2019-02-10 19:25 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 07日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(55)



第十九 毎自作是念の文 礼拝住処の事(注)

御義口伝に云く、毎の字は三世(注)なり、念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり。

仍つて速成就仏身と皆当作仏とは同じき事なり、仍つて此の一文を相伝せり。

天台大師は「開三顕一○開近顕遠(注)」と釈せり、秘す可し秘す可し云云。





毎自作是念の文
妙法蓮華経 如来寿量品第十六の最後の偈にある文。

[原文]
我亦為世父 救諸苦患者 為凡夫顛倒 実在而言滅 
以常見我故 而生僑恣心 放逸著五欲 墮於悪道中 
我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 
毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身 
[和訳]
我、常に衆生の道を行じ、道を行ぜずを知りて、度すべき所に随って、為に種種の法を説かん
毎(つね)に自から是の念を作せん『以何にして衆生を無上道に入らしめて、速やかに仏身を成就する事を得させしめんと』

三世
過去世・現世・未来世
三世は仏法の根幹の視点で、衆生は過去世の善行・悪行の報いとして現世の境遇があり、現世の善行・悪行の報いとして未来世の境遇が定まるとする。
下記の妙法蓮華経方便品の十如是がこの事を示しており、この法を究めたのが仏であると解き明かしております。
「第一希有 難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相 所謂諸法 
 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等」

開三顕一○開近顕遠
開三顕一(開権顕実とも言う)

法華経以前に説かれた三乗(声聞・縁覚・菩薩)の教えはすべて方便であり、法華経の一仏乗こそ、仏の悟りに導く究極の仏の教えと説く事を示している。
開近顕遠(かいごんけんのん) ともいう。

如来寿量品で始めて釈尊は弟子達に、『皆は私の事をインドの釈迦族の王子として生まれ、修行の末悟ったと考えているだろが、実は掘るか久遠に菩薩の行をして仏になり、インドに垂迹したものである』と顕きらかにしたことを意味します。
この事について記した如来寿量品第十六長行の文文は次の通りです。
[原文]
一切世間天人 及阿脩羅 皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫 譬如五百千万億 那由佗阿僧祇
(中略)
諸善男子 我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽 復倍上数 然今非実滅度 而便唱言 当取滅度 如来以是方便 教化衆生
[和訳]
一切世間の天、人、及び阿脩羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈迦族の王宮を出で、
伽耶城(マガダ国の都)を去る事遠からず、(菩提樹の基の)道場に座して、阿耨多羅 三藐三菩提(仏の悟り)を得たりと謂えり。
然し善男子よ、我は実ら成仏して已来、無量無辺 百千万億 由佗劫と言う、遥かに長遠の時間を経ているのだ。
(中略)
諸の善男子よ、我、本より菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今も猶、未だ尽きずして復た上の数に倍せり。然るに今、実の滅度に非れども、而も、便ち唱えて「当に滅度を取るべし」と言わん。如来は是の方便の教えを以て衆生を教化せり。









by johsei1129 | 2019-02-07 21:14 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 06日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(54)



第十八 開示悟入礼拝住処の事

御義口伝に云く、開示悟入の四仏知見 (注)を住処とするなり。

然る間、方便品の此の文(開示悟入)を礼拝の住処と云うなり。

 此れは、内に不軽の解を懐く (注)と釈せり、解とは正因仏性 (注)を具足すと釈するなり。

 開仏知見とは、此の仏性を開かしめんとて仏は出現し給うなり。

開示悟入の四仏知
妙法蓮華経 方便品第二の核心の説法として、釈尊は次の偈で仏が世に出現する「一大事因縁」としての「開示悟入の四仏知見」を解き明かされた。

[原文]
唯以一大事因縁故 出現於世 諸仏世尊
欲令衆生 開仏知見 使得清浄故 出現於世
欲示衆生 仏知見故 出現於世
欲令衆生 悟仏知見故 出現於世
欲令衆生 入仏知見道故 出現於世
[和訳]
唯、一大事の因縁の故を以て、世に出現せり。諸仏世尊は、
衆生をして 仏の知見を開き、清浄なることを得さしめんと欲するが故に世に出現せり。
衆生をして 仏の知見を示さんと欲するが故に世に出現せり。
衆生をして 仏の知見を 悟らせんと欲するが故に世に出現せり。
衆生をして 仏の知見に入らせんと欲するが故に世に出現せり。

内に不軽の解を懐く
中国天台宗の開祖である天台大師の法華文句十(注)の文で、不軽菩薩の解了を意味し、不軽菩薩が一切衆生に正因仏性が内在していることを解了していたが故に、その仏性に礼拝していた事を示しておられます。

法華文句
天台大師の法華経解釈本である天台三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観(まかしかん))の一つ。尚この三部作は天台大師の講義を弟子の承安大師が筆録してまとめられた。

日蓮大聖人は全ての衆生に内在する仏性(仏界)について【観心本尊抄】で次の様に解き明かされておられます。
『世間の無常は眼前に有り、豈、人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶、妻子を慈愛す菩薩界の一分なり。仏界計り現じ難し、九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」、涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり』と。

正因仏性
 全ての衆生が本性として元から具わっている己心に内在する仏性のこと。しかし正因仏性を現実に引き出すためには、縁と修行が必要となる。
例えば怒りの命、つまり修羅界という命は、他人から貶されるという縁があって己心に内在する怒りの命が発現する。同様に仏の命、仏性が開かれるためにも縁が必要となる。

釈尊は法華経の結経『普賢経』で、仏が入滅された後、どのように修行すればよいかと尋ねる弟子等に、観普賢菩薩行法経(普賢経(ふげんぎょう)で要約すると次のように答える。
『普賢菩薩を観想し、大乗経典(法華経)を読誦し、大乗の教えを深く思索し、諸仏を礼拝し、過去世に作った宿業を懺悔し、この修業を繰り返す』

これは釈迦在当時の修行法で、長者・王族の子息で、俗世間の生活から完全に離れて出家し、修行することを想定をしております。それが叶わない多くの庶民はあくまで出家僧に供養することで、その功徳を分け与えてもらうことになる。この修行法は、大半の人々が社会で働いている末法の今日の修行法とはなりえません。

それに対し末法の本仏日蓮大聖は全ての衆生に内在する仏性を開く為の縁として、ご自身の仏の魂を墨に染め流して御図現なされた十界曼荼羅の御本尊を信徒に与えられ、この御本尊に南無妙法蓮華経と唱えるという「末法万年の外尽未来際」に堪えうる修行法を確立為されました。

日蓮大聖人は【経王殿御返事】で次のように説かれておられます。
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』と。

また【日女御前御返事】では御本尊について次のように信徒を諭されておられます。
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ、只、我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり。
是を九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり。
 曼陀羅と云うは天竺の名なり、此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり。此の御本尊も只、信心の二字にをさまれり、以信得入とは是なり』と。







by johsei1129 | 2019-02-06 21:04 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(53)



第十七 不軽菩薩の礼拝住処の事 (注)
十四箇所の礼拝住処の事之有り
 
 御義口伝に云く、礼拝の住処とは、多宝塔中の礼拝なり(注)。

其の故は塔婆(注)とは五大の所成なり、五大とは地水火風空 なり、此れを多宝の塔とも云うなり。

 法界(注)広しと雖も、此の五大には過ぎざるなり、故に塔中の礼拝と相伝するなり、秘す可し秘す可し云云。


不軽菩薩の礼拝住処の事
十四箇所の礼拝住処の事之有り

本抄で日蓮大聖人は、衆生が内在する仏性を開覚する為には、何を機縁とするのかを、本抄以降で「十四箇所の礼拝住処(仏性を開拡する機縁)を順次、明かされます。

多宝塔中の礼拝
見宝塔品第十一で説かれる、地より涌出し空中に在住する宝塔の中に釈迦・多宝の二仏が並座し、三千大世界から参集した諸仏も、釈迦の神通力で空中に住し、二仏に礼拝する『虚空会の儀式』を意味しています。日蓮大聖人が図現なされた御本尊はこの『虚空会の儀式』借りて、末法の御本仏日蓮大聖人の魂魄を墨に染め流して認められておられます。


塔婆
ストゥーパ(サンスクリット語: स्तूप, stūpa)の音訳で、卒塔婆(そとば)とも言い、本来、釈迦の仏舎利をお安置した塚で、信仰の対象となっていた。
また板塔婆(いたとうば)とは、追善供養のために用いられる木の板である。先端がストゥーパのような形に仕上げられており、ストゥーパに由来する。
しかし現代日本の板塔婆は信仰の対象ではなく、故人の追善供養のために用いられる。

日蓮大聖人は【中興入道御消息】で、失った幼子のむすめの十三回忌塔婆を建てることの意義について次の様に説かれておられます。
『去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して、をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ其の風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生れん。況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。
過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つづみをうてばひびき(響き)のあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ』と。

法界
宇宙全体を示す。








by johsei1129 | 2019-02-04 19:34 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 03日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(52)



第十六  此品の時の、不軽菩薩の体の事 (注)

 御義口伝に云く、不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり(注)。

 吐く所の語言は妙法の音声なり。(注)。
 獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが、体の礼拝なり。敢て軽慢せざるなり。

 罪人、我を責め成すと思えば、不軽菩薩を呵責するなり、折伏の行、是なり。


此品の時の不軽菩薩の体の事
ここの章では、不軽菩薩という菩薩の実体について、日蓮大聖人が末法の法門の上から解き明かされております。

三世常住の礼拝の行を立つるなり
末法今日においては、日蓮大聖人が御図現なされた十界曼荼羅の御本尊に南無妙法蓮華と唱える「唱題行」と拝されます。

吐く所の語言は、妙法の音声なり 
末法今日に於いて「妙法の音声」とは、日蓮大聖人が建長5年(1253年)4月28日の早朝、故郷安房の蒿(かさ)ヶ森から朝日に向かった唱えた「南無妙法蓮華」であると拝します。










by johsei1129 | 2019-02-03 21:46 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 02日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(51)

【常不軽品三十箇の大事】


第十五 於如来滅後等の事 (注)


御義口伝に云く、不軽菩薩の修行は此の如くなり、仏の滅後に五種(注)に妙法蓮華経を修行すべしと見えたり。

正しく是故より下、廿五字(注)は、末法日蓮等の類いの事なるべし。

既に是の故にとおさえて、於如来滅後と説かれたり、流通の品(注)なる故なり。惣じては流通とは未来当今(注)の為なり。


法華経一部(注)は一往は(釈迦)在世(注)の為なり、再往は末法当今(注)の為なり。

其の故は妙法蓮華経の五字は、三世の諸仏、共に許して、未来滅後の者(注)の為なり。


品品の法門は題目の用(注)なり、体の妙法、末法の用たらば、何ぞ用の品品(注)別ならむや。此の法門秘す可し秘す可し。

 天台の「綱維(注)を提ぐるに、目として動かざること無きが如」等と釈する、此の意なり。

 妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と。此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。



於如来滅後等

常不軽品の次の偈にある文。

 得大勢、当に知るべし「是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益して、能く阿耨多羅三藐三菩提(悟り)に至らしむ。

是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応に是の経を受持・読・誦し、解説し書写すべし


五種

法華経の五種(受持・読・誦・解説・書写)の修行で、法華経を受持(信じ)し、目で読み、声に出して誦み、人に説法し、書写する事。


尚、日蓮大聖人は五種の修行の中では書写は一番低い修行であると断じておられる。常不軽品以外の品では、修行として書写が省かれ、受持・読・誦・解説の他に、他者に受持・読・誦・解説を勧める事つまり布教を促している。


廿五字

次の漢字25文字を意味する。

[原文]

是故諸菩薩摩訶薩 於如来滅後 常応受持 読誦 解説 書写是経

[和訳]

是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応に是の経を受持・読・誦し、解説し書写すべし。


流通の品

法華経二十八品それぞれの内容は、序分・正宗分・流通分に分別できる。

序分は演劇のプロローグのように、仏が説法する前段階の状況(参集した弟子等、天から曼陀羅華が降る、世界が六種に震動する等、仏が説法に入る様々な瑞相を記している)を記した品で、正宗分は仏が説く核心の内容が説かれている。流通分は正宗分で説かれた内容を広く、また未来に流通させる為の品で、具体的に法華経を受持することの功徳が大きいこと、法華経の行者を蔑むことは無間地獄に陥る事等々が記されている。


 例えば序品第一は序分、方便品第二、如来寿量品第十六は正宗分、その後に説かれた品々は流通分となる。

如来寿量品第十六の後の分別功徳品第十七、随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九は、法華経を受持することでいかに功徳があるか解き明かして、法華経の流通を促している働きをする品となっている。


法華経一部

法華経二十八品八巻を意味します。


在世

釈迦在世を意味する。


未来当今

日蓮大聖人在世の今、及びそれ以降の末法を示す。


未来滅後の者

日蓮大聖人門下を意味し、日蓮大聖人は御義口伝以前は日蓮門下を「日蓮が弟子檀那」と記されておられましたが、御義口伝においては「末法日蓮等の類い」と明示されておられます。


題目の用

妙法蓮華経の題目が法華経二十八品の幹とすれば、二十八品の品々は、大木を支えるため用、つまり大木を支える役割を果たしているとする。


綱維

網目に対する大網、物事の大筋の意








by johsei1129 | 2019-02-02 21:30 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 01日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(50)

【常不軽品三十箇の大事】


第十四 畢是罪已 復遇常不軽菩薩の事(注)

御義口伝に云く、若し法華誹謗の失を改めて信伏随従する共、浅く有りては無間に堕つ可きなり、先謗(注)強きが故に依るなり。

千劫無間地獄に堕ちて後に、出づる期有つて、又日蓮に値う可きなり、復遇日蓮(注)なるべし。




畢是罪已 復遇常不軽菩薩
「是の罪を畢え已って、復た不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟り)を教化するに遇いにき」と読む。

先謗
過去世の謗法

復遇日蓮
(無間地獄に落ちることで先謗の罪障を消滅し)日蓮に復た遭いにき、の意。








by johsei1129 | 2019-02-01 21:17 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)