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日蓮大聖人『御書』解説

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カテゴリ:御義口伝( 290 )


2019年 07月 17日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(141)

【二十八品に一文充の大事 】

囑累品(注)

信如来知慧者 当為演説 此法華経(注)

此の文は釈迦如来の悟の如く、一切衆生の悟と不同有ること無し。故に如来の智慧を信ずるは即ち妙法なり。

所謂、南無妙法蓮華経の智慧なり云云。



囑累品
囑累品第二十二の冒頭で釈尊は次のように、他国土から参集した菩薩の頂を撫でて「今以付属汝等 汝等応当一心 流布此法 広令増益」
と「遥か久遠に修習した阿耨多羅三藐三菩提法」を付属します。
『爾時釈迦牟尼仏 従法座起 現大神力 以右手摩 無量菩薩摩訶薩頂
而作是言 我於無量 百千万億 阿僧祇劫 修習是難得 阿耨多羅三藐三菩提法
今以付属汝等 汝等応当一心 流布此法 広令増益』

信如来知慧者 当為演説 此法華経
囑累品第二十二の下記の文にある偈となります。
[原文]
於未来世 若有善男子 善女人 信如来智慧者
当為演説 此法華経 使得聞知 為令其人 得仏慧故
[和訳]
未来世に於て、若し善男子 善女人有りて、如来の智慧を信ぜん者は、
当に為に 此の法華経を演説し、聞知を得さ使めん。其の人に 仏慧を得さしめんが故の為なり。

神力品の付属と囑累品の付属の違いは、神力品では流布する国土は娑婆世界(地球)、付属する菩薩は上行菩薩を上首とする地涌の菩薩
附属する法は『説大乗経 名妙法蓮華 教菩薩法 仏所護念』と明確である。
それに対し属累品の付属は単に諸菩薩に釈迦が習得した悟りを属累すると説いているに過ぎない。



【御義口伝 下】要点解説(142)に続く







by johsei1129 | 2019-07-17 00:37 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 07月 15日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(140)

【二十八品に一文充の大事 】

神力品 (注)

十界なり   断破元品無明
是人於仏道  決定無有疑(注)

此の文は十界各各本有本覚の十如是なれば、地獄も仏界も一如なれば成仏決定するなり。

所謂、南無妙法蓮華経の受持なり云云。



神力品
神力品第二十では、上行菩薩を上首とする無数ともいえる地涌の菩薩に対し、釈迦滅後に「妙法蓮華経」を弘通する為の付属が説かれている。
この付属を「別付属」と称する。神力品に引き続いて説かれる「属累品第二十一」では娑婆世界以外の国土から参集した菩薩への付属が説かれるが
この付属を「総付属」と言う。

日蓮大聖人はこの神力品の付属について【【神力品八箇の大事】第一 妙法蓮華経如来神力の事】で、次の様に解き明かされておられます。
『御義口伝に云く、此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ、神力属累の時事竟るなり』と。

是人於仏道  決定無有疑
神力品の最終伝で説かれる下記の文にある偈となります。
[原文]
於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説
如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇
教無量菩薩 畢竟住一乗 是故有智者 聞此功徳利
於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑
[和訳]
如来の滅後に於いて、仏の説く所の経の因縁及び次第について知りて、義に随い実の如く説き、
無量の菩薩に教え、畢竟して一(仏)乗に住せしめん。是の故に有智の者は、此の功徳を利することを聞きて、
我が滅度の後に於いて、応に斯の経を受持すべし。是の人は仏道に於いて、決定して疑いあること無かりけり。






by johsei1129 | 2019-07-15 22:02 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 07月 14日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(139)

【二十八品に一文充の大事 】

不軽品 (注)

応当一心 広説此経 世世値仏 疾成仏道(注)  

此の文は、法界皆、本来三諦一心に具わる事を顕せば、己心の念念仏に値う事を、即ち世世値仏と云うなり。

所謂、南無妙法蓮華経是なり。



不軽品 
常不軽菩薩品第二十は、如来寿量品第十六以降の流通分として「分別功徳品第十七、随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九」と展開し、
法華経を読誦し他者に解説することによって衆生が得られる功徳・福運の偉大さを示してきたが、
常不軽菩薩品第二十に於いて釈尊は、冒頭で次のように説き、釈尊の過去世の姿「不軽菩薩」を通して「法華経の行者を迫害をすることの法罰」について解き明かしている。
『爾時仏告 得大勢菩薩摩訶薩 汝今当知 若比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 
 持法華経者 若有悪口 罵詈誹謗 獲大罪報』


応当一心 広説此経 世世値仏 疾成仏道
常不軽菩薩品第二十の最終段の下記の文文にある偈となります。
[原文]
諸仏世尊 時説是経 是故行者 於仏滅後
聞如是経 勿生疑惑 応当一心 広説此経
世世値仏 疾成仏道
[和訳]
諸仏・世尊は、時に是の(法華)経を説きたもう。是の故に行者は、仏の滅後に於いて、
是の如く経を聞きて疑惑を生じること勿れ。に一心に広く此の(法華)経を説きて、
世世に仏に値いたもうて、疾かに仏道を成ぜん

日蓮大聖人が本抄で『世世に仏に値いたもうて、疾かに仏道を成ぜん』と説いているのは、仏とは末法の本仏大聖人が自らの魂魄をご図現なされた「十界曼荼羅御本尊」を意味し、「世世に仏に値いたもうて疾かに仏道を成ぜん」とは朝夕に御本尊に向かいて「南無妙法蓮華経」と唱え、己心の仏界を開き「即身成仏」することを意味されておられます。








by johsei1129 | 2019-07-14 23:53 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 07月 13日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(138)

【二十八品に一文充の大事 】


法師功徳品 (注)

静 散 十界なり
入禅出禅者  聞香悉能知 (注)
不変死  随縁生  題目五字なり
 
此の文は一心、静なる時は入禅、一心散乱する時は出禅、静散即本覚と知るを悉能知と云うなり。

所謂南無妙法蓮華経は入禅出禅なり云云。



法師功徳品
法師功徳品第十九では冒頭に釈尊が常精進菩薩に対し、下記の様に、法華経を読誦・解説・書写する善男女は眼・耳・鼻・舌・身・意つまり六根を荘厳する功徳を得ると説き、その後各功徳の内容を具体的に示し、法華経を読誦し他者に解説することの功徳の偉大さを示しています。
『若善男子 善女人 受持是法華経 若読 若誦 若解説 若書写 是人当得 八百眼功徳
千二百耳功徳 八百鼻功徳 千二百舌功徳 八百身功徳 千二百意功徳以 是功徳 荘厳六根』

入禅出禅者  聞香悉能知
法師功徳品の下記の文にある偈となります。
[原文]
如是展転上 乃至於梵天 入禅出禅者 聞香悉能知
光音遍浄天 乃至于有頂 初生及退没 聞香悉能知
諸比丘衆等 於法常精進 若坐若経行 及読誦経法
[和訳]
是の如く展転し上りて、乃ち梵天に至り、禅に入りて禅に出ずる者、香を聞きて悉く能く知れり。
光音・遍浄の天より、乃ち于有頂に至る。初に生ると及び退没するを、香を聞きて悉く能く知れり。
比丘衆等は、法に於いて常に精進し、若くは坐し若くは経を行じ、及び経法を読誦せられけり。

日蓮大聖人は御義口伝【法師功徳品四箇の大事】で次の様に断じられておられます。
『第一 法師功徳の事
御義口伝に云く法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可きなり云云』と。










by johsei1129 | 2019-07-13 23:10 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 07月 11日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(137)

【二十八品に一文充の大事 】

随喜功徳品(注)
 

言此経深妙 千万劫難遇 (注)
 
此の文は、一切衆生の妙法なれば、一心の深底より顕はさん事、甚深不思議なり。

所謂南無妙法蓮華経不思議なり。



随喜功徳品
随喜功徳品第十八は「五十展転(こじゅうてんでん)」の福徳を説いている。
つまり最初に法華経を聞いて随喜した者が他の人に勧め、勧められたその人が更に他の人にまた勧めて、五十番目に至って聞いたその人の福徳は無量であり、ましてや最初に聞いて人に勧めた人の福徳は比べるべくもないと説き、法華経弘通の原理を示している品となっています。

日蓮大聖人は本抄で、「一切衆生の一心の深底より顕はした妙法蓮華経は甚深不思議の妙法である」と断じ為されておられます。

言此経深妙 千万劫難遇
随喜功徳品の下記の文にある偈
[原文]
如是展転聞 其福尚無量 何況於法会 初聞随喜者
若有勧一人 将引聴法華 言此経深妙 千万劫難遇
[和訳]
是の如く展転して(この法華経を)聞かば、其の福は尚、無量なり。何に況んや法会に於いて、初めて(法華経)を聞いて随喜せし者が、
若し一人にも(この法華経を)勧めて、将に引聴いて「此の経は深妙にして、千万劫にも遇うこと難し」と言こと有れば(其の福は尚さらである)


 





by johsei1129 | 2019-07-11 22:06 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 07月 08日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(136)

【二十八品に一文充の大事 】

分別功徳品(注)



持此一心福  願求無上道(注)

此の文は一切の万行万善、但一心本覚の三身を顕さんが為なり。善悪一如なれば一心福とは云うなり。

所謂、南無妙法蓮華経は一心福なり。




分別功徳品
分別功徳品第十七は「如来寿量品第十六」の流通分にあたり、如来寿量品を聞いて信じる衆生がどれだけ偉大な福徳を得るかを繰り返し解き明かすと共に釈迦滅後の布教を強く促す役割を果たす品となっております。


持此一心福  願求無上道
分別功徳品第十七の下記の偈にある文。

[原文]
持此一心福 願求無上道 我得一切智 尽諸禅定際
是人於百千 万億劫数中 行此諸功徳 如上之所説
有善男女等 聞我説寿命 乃至一念信 其福過於彼
[和訳]
此の一心の福を持ちて、無上道を願い求めて、我、一切智を得て諸の禅定の際を尽せり。
是の人、百千万億の劫数の中に於いて、此の諸の功徳を行ずるに、上の説く所の如くなり。
善有る男女等は、我が説くところの寿命(注)を聞きて、乃至一念も信ぜば、其の福は彼に過ぎたらん。

我が説くところの寿命
分別功徳品第十七の前の如来寿量品第十六で釈尊は、「自身が遥か久遠に成道してから自身の寿命は無量劫を経ても未だ尽きてない」と説いたこと意味している。つまりこの如来寿量品を聞いて一念でも信じた善有る男女は、百千万億の劫数に諸々の功徳を行じた人の福徳に過ぎる福徳を得る事が出来ると解き明かし、如来寿量品の偉大さを改めて示しているところとなります。

日蓮大聖人は【観心本尊抄】で「如来寿量品第十六の一品と従地涌出品第十五の後半の半品、分別功徳品第十七の前半の半品を法華経の核心の「一品二半」とし、これ以外の法華経は小乗経であると説かれ、さらな末法においての法華経の核心は「妙法蓮華経」の五字であると断じられておられます。
『又本門に於て序正流通有り。過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品、涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経経は、皆寿量の序分なり、一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く
(中略)
在世の本門と末法の始は一同に純円なり、但し彼は脱、此れは種なり。彼(釈尊)は一品二半、此れ(日蓮)は但題目の五字なり』と。









by johsei1129 | 2019-07-08 23:55 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 07月 08日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(135)



寿量品(注)

           厭離生死
 如来如実知見 三界之相 無有生死(注)

  此の文は万法を無作の三身と見るを如実知見と云う。無作の覚体なれば何に依つて生死有りと云わんや。



寿量品
寿量品第十六で釈尊は釈迦族の王子と生まれ幾年にも及ぶ修行を経て悟りを得たとする「始成正覚(しじょうしょうかく)」と説いたことを自ら打ち破り、寿量品第十六で、「遥か久遠に我本行菩薩道(我、本より菩薩道を行ぜり)」さして成道したと宣言します。

日蓮大聖人は開目抄でこの我本行菩薩道の文の底に法華経の核心『妙法蓮華経』が秘し沈められていると解き明かされておられます。
『但し此の経に二箇の大事あり、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり』


如来如実知見 三界之相 無有生死
上記の文は寿量品第十六の下記の文文にある偈となります。
[原文]
諸善男子 如来所演経典 皆為度脱衆生 或説己身 或説佗身
或示己身 或示佗身 或示己事 或示佗事
諸所言説 皆実不虚 所以者何 如来如実知見
三界之相 無有生死 若退若出 亦無在世
[和訳]
諸善の男子よ、如来の演べる所の経典は、皆、衆生を度脱せし為なり。 或は己身を説き、或は佗身を説けり。
或は己身を示し、或は佗身を示し、或は己が事を示し、或は佗の事示せり。
諸の言う所の説は、 皆、(真)実にして虚しからざるなり。 所以は者何ん、如来は実の如く知見せられりなり。
三界の相は、生死有ること無く、若しくは退ぞき、若しくは出たり、 亦、世に在ること無けり。










by johsei1129 | 2019-07-08 00:12 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 26日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(134)

【二十八品に一文充の大事 】

涌出品(注)

 生死二
昼夜常精進  為求仏道故(注)

此の文は一念に億劫の辛労を尽せば、本来無作の三身念念に起るなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。





涌出品
涌出品第十五は、冒頭で他の仏国土から参集した菩薩が釈尊に『仏滅後の法華経の弘通を許してほしい』と願う。しかし釈尊はすでにこの娑婆世界には法華経弘通を担う菩薩が存在すると宣言する。すると大地は振動し地より「上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩」を上首とする無量千万億もの菩薩が涌出する。これを見た弥勒菩薩は疑念(動執生疑(どうしゅうしょうぎ))を起こし、釈尊に「あなたが釈迦族の王宮を出て修行し悟られからこれまでの四十余年という少ない期間で、どうしてこのような多くの人を菩薩に化道してきたのか、その因縁を説いてほしい」と懇願して涌出品は終わる。
 この弥勒菩薩の動執生疑を晴らすために説いたのが次の如来寿量品第十六となり、娑婆世界のインドで始めて仏と成ったとする始成正覚(しじょうしょうがく)を打ち破り、遥か久遠に菩薩行をして仏と成ったとする「久遠実成」を解き明かすことになる。

昼夜常為求仏道故
涌出品第十五の下記の偈にある文文。

[原文]
阿逸汝当知 是諸大菩薩 従無数劫来 修習仏智慧
悉是我所化 令発大道心 此等是我子 依止是世界
常行頭陀事 志楽於静処 捨大衆?閙 不楽多所説
如是諸子等 学習我道法 昼夜常精進 為求仏道故
[和訳]
阿逸汝(注)よ、汝じ当に知るべし。是らの諸の大菩薩は無数劫より来たりて、仏の智慧を修習せり。
悉く是れ我が化する所なり。大道心を発し令しめん。此等は是れ我が子なり、是の世界に依止し、
常に頭陀の事を行じ、静なる処に於て志ざし楽(ねが)いて、大衆の憒閙(かいにょう・かしましき)を捨て、所く説多きを楽わざるなり。
是くの如く諸の子等は、我が道法を学習し、昼夜に常に精進せり。仏道を求めんが為の故なりけり。

阿逸汝(阿逸多 Ajita)
弥勒菩薩の事。尚、弥勒は梵語 maitrīの音写であり、慈しみを意味している。
f0301354_01084482.jpg



















[木造弥勒菩薩半跏像(国宝・広隆寺蔵)]



【御義口伝 下】要点解説(135)に続く





















by johsei1129 | 2019-06-26 01:10 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 22日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(133)

【二十八品に一文充の大事 】

安楽行品(注)

一切諸法 空無所有 無有常住 亦無起滅(注)

此の文は任運に常住の妙法なる故に、六道の生滅、本来不生と談ず故に起滅無し。

所謂、南無妙法蓮華経は、本来無起滅なり云云。



安楽行品
安楽行品第十四では冒頭で文殊菩薩が釈尊に対し「釈迦滅後、この法華経をどのようにして説いて行ったらよいのか」と問いかけ、釈尊はそれに答えて「身・口・意・誓願」の4種の安楽行を説いた。

「身」
権力者、女人、外道、「仏乗」ではなく「声聞」を求める僧等に親近するな、柔和忍辱の衣を着て世間の非難等に耐え忍ぶ事、安楽行に住し、他者への誹謗等をしないこと、一切法は空であると把握して解く事。例えば権力者、女人に親近するなとは.その人たちに法華経を説くなと言っているのではなく、女人、権力者になびく事無く、法を説くと言う心を決定して説かなければならないとする。

「口」
他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかに心の口で説く。

「意」
他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと。

「誓願」
大慈大悲の心で一切衆生を救済するという誓願を発すること。


尚、「意」の安楽行は日蓮大聖人が「四箇の格言(しかのかくげん)」で念仏・真言等の他宗派を強く責めた事と矛盾するようだが、この点は釈迦滅後の正像二千年と末法万年との修行の違いであり、日蓮大聖人はこの「安楽行」について「御義口伝」で『御義口伝に云く、妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事、末法に於て今、日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』と、門下に対し厳しく諭されておられます。


一切諸法 空無所有 無有常住 亦無起滅
安楽行品第十四の次の偈にある文文
[原文]
亦不分別 是男是女 不得諸法 不知不見
是則名為 菩薩行処 一切諸法 空無所有
無有常住 亦無起滅 是名智者 所親近処
[和訳]
亦、是は男、是は女と分別せず、諸法を得ず、知らず見ず。
是を則ち名づけて菩薩の行処と為せり。一切の諸法は空にして有る所無けり。
常住で有ること無く、亦、起滅すること無し。是を智者に親近せられる処と名づけり。







by johsei1129 | 2019-06-22 23:58 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 20日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(132)

【二十八品に一文充の大事 】

勧持品 (注)

我不愛身命 但惜無上道(注)

此の文は色心幻化四大五陰本より嘘妄なり。

然るに本覚真如は常住なり。所謂南無妙法蓮華経なり。



勧持品
勧持品第十三では「三類の強敵」という俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢が説かれ、末法に於ける法華経弘通を阻む人たちが出現する事が予言されています。
この「三類の強敵」に屈しない姿勢が本抄で日蓮大聖人が断じられた「我不愛身命 但惜無上道」となります。
この「三類の強敵」に遭遇し、それに打ち勝つことが即身成仏に繋がる仏因となります。

日蓮大聖人は伊豆流罪、佐渡流罪、松葉ヶ谷の法難、小松原の法難、竜の口の法難と度々所を追われ、刀、杖により迫害、そして竜の口では首を刎ねられると言う死罪にまで及び、それらを克服する姿を当時の信徒に見せる事で、法華経に予言された末法の本仏であることを自ら証明為されました。

我不愛身命 但惜無上道
勧持品終段の下記の偈にある文
[原典]
悪鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信仏 当著忍辱鎧
為説是経故 忍此諸難事 我不愛身命 但惜無上道
[和訳]
悪鬼が其の身に入り、罵詈し我を毀辱せり。我等は仏を敬い信ずるが故に、当に忍辱の鎧を著し
是の法華経を説く為の故に、此の諸の難事を忍べり。我、身命を愛せず、但、無上道を惜しまん。







by johsei1129 | 2019-06-20 23:04 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)