人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2019年 12月 01日 ( 21 )


2019年 12月 01日

法華経の題目「南妙法蓮華経」を唱える功徳は、それ以前の爾前、権教の題目の功徳と比べ遥に優れていることを示された書【題目功徳御書】

【題目功徳御書】
■出筆時期:詳細は不明です。
■出筆場所:不明です。
■出筆の経緯:九行の断簡が京都本隆寺に残されておりますが、前後の文が不明のため出筆時期及び対告衆の詳細は不明ですが、恐らく信徒に宛てられた消息の一部と思われます。

大聖人は本抄で法華経とそれ以前に説かれた爾前・権教の功徳の優劣について、初心の信徒でも理解できるように分かりやすい喩えで示されておられます。
■ご真筆:京都市 本隆寺(断簡)所蔵。
法華経の題目「南妙法蓮華経」を唱える功徳は、それ以前の爾前、権教の題目の功徳と比べ遥に優れていることを示された書【題目功徳御書】_f0301354_20010951.jpg


















[題目功徳御書 本文]

功徳は先の功徳にたくら(比)ぶれば、
前の功徳は爪上(そうじょう)の土のごとし、法華
経の題目の功徳は十方の土のごとし。
先の功徳は一渧(たい)の水のごとし、題
目の功徳は大海のごとし。先の功徳は
瓦礫(がりゃく)のごとし、題目の功徳は金銀の
ごとし。先の功徳は螢火(けいか)のごとし、
題目の功徳は日月のごとしと申す
経文なり。






by johsei1129 | 2019-12-01 21:24 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

唯受一人本門弘通の大導師と定めた直弟子日興上人に与えられた血脈相承書【法華本門宗血脈相承事】四

法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その四

 若し末法に於て本迹一致と修行し所化等に教ゆる者ならば、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、其れに随従せんともがらも、阿鼻に沈まん事疑無き者なり。
此の書一見の人人は、理普賢文殊一言の薩埵(さった)・生死絶断の際、定光覚悟の大菩薩なり。

 伝教云く「文殊の利剣は六輪に通じ十二の生類を切断す、一刀を下して妙法万方に勅するに自然(じねん)に由(な)お三諦を出だす、見聞覚知に明なり」
此の一言の三際を示すに一言に如かず、若し未達の者も一頌(じゅ)を開くに題目三般三諦同じく通知せざること無し。
 
 生仏自ら一現なる、是を一言の妙旨・一教の玄義と謂う云云。天台の云く「一 言三諦・刹那成道・半偈成道」と云云。伝教の云く「仏界の智は九界を境と為し九界の智は仏界を境と為す、境智互に冥薫(みょうくん)して凡聖常恒(ぼんしょうじょうごう)なる、是を刹那(せつな)成道と謂う。三道即三徳と解れば諸悪儵(たちまち)に真善なる、是を半偈成道と名く」
今会釈して云く、諸仏菩薩の定光三昧も凡聖一如の証道・刹那半偈の成道も、我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽す者なり。

 此の血脈を列ぬる事は、末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如(べつじょ)し天台の漢字の止観を見て眼目を迷わし心意を驚動し或は仮字を漢字と成し、或は止観明静(みょうじょう)・前代未聞の見に耽(ふけ)り本迹一致の思を成す。我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ但自見の僻見を本として、予が立義を破失して悪道に堕つ可き故に、天台三大章疏の奥伝に属す。

 天台伝教等の秘し給える正義、生死一大事の秘伝を書き顕し奉る事は、且(かつ)は恐れ有り、且は憚(はばか)り有り。広宣流布の日、公亭に於て応に之を披覧(ひらん)し奉るべし。会通を加える事は、且は広宣流布の為、且は末代浅学の為なり。又天台伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざるか、未来嬰児(えいじ)の弟子等、彼を本懐かと思うべきものか。

 去る文永の免許の日爾前迹門の謗法を対治し、本門の正義を立て被(らる)れば、不日(ぶじつ)に豊歳(ぶさい)ならむと申せしかば聞く人毎に舌を振い耳を塞(ふさ)ぐ。其の時、方人(かたうど)一人も無く、唯我と日蓮与我日興計りなり。

 問うて云く寿量品、文底の大事と云う秘法如何。答えて云く、唯密の正法なり、秘す可し秘す可し。一代応仏のいきをひかえたる方は、理の上の法相なれば一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意(とくい)せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。
 
 文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観、事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり。権実は理今日本迹理なり。本迹は事久遠本迹事なり、亦権実は約智約教一代応仏本迹、本迹は約身約位名字身・久遠本迹、亦云く雖脱在現・具騰本種といへり。

 釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時・日蓮が名字即の身に移せり、理は造作(ぞうさ)に非ず、故に天真と曰い、証智円明(しょうちえんみょう)の故に独朗と云うの行儀、本門立行の血脈(けちみゃく)之を注す、秘す可し秘す可し。

 又日文字の口伝・産湯(うぶゆ)の口決(くけつ)・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す。教化弘経(きょうけぐきょう)の七箇の伝は弘通者の大要なり。又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主(ちゃくちゃく・ざす)伝法の書、塔中相承の稟承唯授(ほんじょうゆいじゅ)一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し。

 法華本門宗血脈相承事

弘安五太歳壬午十月十一日                日 蓮 在御判





by johsei1129 | 2019-12-01 18:58 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

唯受一人本門弘通の大導師と定めた直弟子日興上人に与えられた血脈相承書【法華本門宗血脈相承事】三

法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その三

 第六に住教顕観
 七に住教非観
 八に覆教顕観(ふきょうけんかん)
 九に住教用観
 十に住観用教
 此の五重は上の五重の如し思惟す可し。

 問うて云く本迹雖殊(すいしゅ)不思議一・本迹の教に於て別して不思議の観理を顕わす故にと云云、機情に約すれば本迹に於て久近の異有る可し、是れ一往の浅義なり、内証に約して之を論ずれば勝劣有る可からず再往の深義は不思議一なり云云如何が意を得可けんや、答えて云く住教顕観は煩悩即菩提・住教非観は法性寂然・覆教(ふきょう)顕観は名字判教・住教用観は不思議一・住観用教は以顕妙円(いけんみょうえん)と申す大事是なり、教観不思義・天然本性の処に独一法界の妙観を立つ是を不思議の本迹勝劣と云う亦絶対不思議の内証・不可得・言語道断の勝劣は天台・妙楽・伝教の残す所・我が家の秘密・観心直達(じきたつ)の勝劣なり、迹と云う名ありといえども有名(うみょう)無実・本無今有(ほんむこんぬ)の迹門なり、実に不思議の妙法は唯寿量品に限る故に不思議一と釈するなり、迹門の妙法蓮華経の題号は本門に似ると雖も義理・天地を隔(へだ)つ成仏亦水火の不同なり、久遠名字の妙法蓮華経の朽木書(くちぎがき)なる故を顕さんが為に一と釈するなり末学疑網を残すこと勿れ、日蓮・霊山会上・多宝塔中(たっちゅう)に於て親たり釈尊より直授し奉る秘法なり、甚深甚深秘す可し秘す可し伝う可し伝う可し。

 摩訶止観七面口决とは依名判義・附文元意・寂照一相・教行証・六九二識・絶諸思慮(ぜっしょしりょ)・出離生死の一面已上、伝教大師云はく「一切諸法・従本已来・不生不滅・性相凝然(しょうそうぎょうねん)・釈迦閉口・身子絶言云云」、是は迹門天台・止観の内証なり、本門日蓮の止観は釈迦は口を開き文殊は言語(ことば)す迹門不思議・不可説・本門不思議可説の証拠の釈是なり。
 
 又三大部に於て一同十異・四同六異之有り、伝教仏立寺より之を口决す、一同とは名同なり、十異とは名同義異・所依異・観心異・傍正異・用教異(ゆうきょうう)・対機異・顕本理異・修行異・相承異・元旨異なり。

 四同とは名同・義同・所依同・所顕同なり、六異とは釈異・大綱網目異・本末異・観心異・教内外観異・自行化他異・是なり。

 今要を以て之を言わば迹本観心・同名異義なり始終・本末共に修行も覚道も時機も感応も皆勝劣なり。

 此の下・二十四番勝劣なり。

 一に彼の本門は我が迹門。二に彼の勝は此の劣。三に彼の深義は予が浅義。四に彼の深理は此の浅理。五に彼が極位(ごくい)は此の浅位。六に彼の極果は此の初心。七に彼の観心は此の教相。八に彼は台星の国に出生し、此れは日天の国に出世す。九に彼は薬王此れは上行。十に彼は解了(げりょう)の機を利し、此れは愚悪の機を益(やく)す。十一に彼の弘通は台星所居の高嶺なり、此の弘経は日王能住の高峰なり。十二に彼は上機に教え、此れは下機を訓ず。十三に彼は一部を以て本尊と為し、此れは七字を本尊と為す。十四に彼は相対開会(かいえ)を表と為し、此れは絶対開会を表と為す。十五に彼は熟脱・此れは下種。十六に彼は衆機の為に円頓者初縁実相と示し、此れは万機の為に南無妙法蓮華経と勧む。十七に彼は悪口怨嫉、此れは遠島流罪(おんとうるざい)。十八に彼は一部を読誦すと雖も二字を読まざること之在り、此れは文文句句悉く之を読む。十九に彼は正直の妙法の名を替えて一心三観と名く有の儘(まま)の大法に非ざれば帯権の法に似たり、此れは信謗彼此(しんぼうひし)・決定(けつじょう)成菩提・南無妙法蓮華経と唱え懸(か)く。二十に彼は諸宗の謬義(みょうぎ)を粗書き顕すと雖も・未だ言説せず、此れは身命を惜まず他師の邪義を糺(ただ)し三類の強敵を招く。二十一に彼は安楽普賢の説相に依り、此れは勧持不軽の行相を用ゆ。二十二に彼は一部に勝劣を立て、此れは一部を迹と伝う。二十三に彼は応仏のいきをひかう、此れは寿量品の文底を用ゆ。二十四に彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観、此れは久遠元初の自受用報身無作本有(むさほんぬ)の妙法を直に唱う。

 此れ等の深意(じんい)は迹化の衆・普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり況や凡師に於てをや。

法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その四に続く


by johsei1129 | 2019-12-01 18:46 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(1)
2019年 12月 01日

唯受一人本門弘通の大導師と定めた直弟子日興上人に与えられた血脈相承書【法華本門宗血脈相承事】二

法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その二

 文句(もんぐ)の七面の决とは、一に依名(えみょう)の一面・其の義上の如し、二に感応(かんのう)の一面・三時弘経(ぐきょう)に亘る可し、爾前迹門の正像二千年弘経の感応より本門末法弘通の感応は真実真実勝るなり、三に四教の一面・四に五時の一面・五に本迹の一面・六に体用(たいゆう)の一面・七に入己心の一面・悉く皆其の心前に同じ、智威大師の伝には玄義文句の両部には爾前迹門に各三十重の浅深を以て口决(ぐけつ)し給えり、具(つぶさ)には伝教大師七面决の如し。

 又摩訶止観一部には十重顕観を立てて是を通じ給えり、一は待教(たいきょう)立観・爾前・本・迹の三教を破して不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ、文に云く円頓者初縁実相と云云、迹門を理具の一念三千と云う脱益(だっちゃく)の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり、是を不思議実理の妙観と申すなり、二に廃教立観・心は権教並に迹執(しゃくしゅう)を捨て本門首題の理を取つて事行に用いよとなり、三に開教顕観・文に云く一切諸法・本是仏法・三諦の理を具するを名けて仏法と為す、云何(いか)んぞ教を除かん云云、文意は観行理観の一念三千を開して名字事行の一念三千を顕す、大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲(ひきょく)・是なり、四に会教顕観(えきょうけんかん)・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよと、五に住不思議顕観・文に云く理は造作(ぞうさ)に非ず故に天真と曰う・証智円明(しょうちえんみょう)なるが故に独朗と云う云云、釈の意は口唱(くしょう)首題の理に造作無し、今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す、信心強盛(ごうじょう)にして唯余念(ただよねん)無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真独朗の即身成仏と名く。

 問うて曰く前代に此の法門を知れる人之有りや、答えて曰く之有り、求めて云く誰人ぞや、示して云く釈尊是なり、尋ねて云く仏を除き奉つて余に之を知れる人師論師有りや、答えて曰く天台の云く「天親竜樹・内鑒冷然(ないがんれいねん)・外適時宜(げちゃくじぎ)」と、今日南無妙法蓮華経は南岳・天台・妙楽・伝教の内鑒冷然・外適時宜なり、内鑒冷然外適時宜の修行の日は本迹一致なり、有智無智を嫌わず円頓者初縁実相の理は造作に非ざる故に天真と曰う、証智円明の故に独朗と曰うと云つて理位観行に趣(おもむ)かしめ利益を為し末法の時を待つ者なり、故に天台云く「但当時大利益を獲(う)るのみに非ず後五百歳遠く妙道に霑(うるお)う」と云云、天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は内証は本迹勝劣・外用は本迹一致なり、其の故は教相も観心も相似観行解了(そうじかんぎょうげりょう)の人師・時機亦像法なり、付属は即妄授余人(もうじゅよにん)・御身も亦迹化の衆・観音・妙音・文殊・薬王等の化身(けしん)なり、今末法は本化の薩埵(さった)たる上行等の出世の境・本門流宣の時尅(じこく)なり、何ぞ理観を用いて事行を修せざらんや、予が所存は内証・外用(げゆう)共に本迹勝劣なり、若し本迹一致と修行せば本門の付属を失う物怪(もっけ)なり。

 本迹の不同は処処に之を書す、然りと雖も宿習拙(つたな)き者本迹に迷倒(めいとう)せんか、若し本迹勝劣を知らずんば未来の悪道最も不便(ふびん)なり宿業を恥じず還つて予を恨む可きか、我が弟子等の中にも天台伝教の解了の理観を出でず、本迹に就て一往勝劣再往一致の謬義(みょうぎ)を存して自他を迷惑せしめんの条宿習の然らしむる所か、閻浮提第一の秘事(ひじ)為りと雖も万年救護(くご)の為に之を記し留る者なり、我が未来に於て予が仏法を破らん為に一切衆生の元品(がんぽん)の大石・第六天の魔王・師子身中の蝗蟲(いなむし)と成つて名を日蓮に仮りて本迹一致と云う邪義を申し出して多の衆生を当に悪道に引くべし、若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて宜く予が正義に随うべし、正義とは本迹勝劣の深秘・具騰本種(ぐとうほんしゅ)の実理なり、日蓮一期(ご)の大事なれば弟子等にも朝な夕なに教え亦一期の所造等悉く此の義なり、然りと雖も迹執を出でず・或は軽見惑或は蔑(べつ)思惑或は癡(ち)塵沙惑或は迷(めい)無明惑、故に日蓮が立義を用いざるか、予が教相・観心は理即・名字・愚悪愚見の為なり。

 日蓮は名字即の位弟子檀那は理即の位なり、上行所伝結要付属(けっちょうふぞく)の行儀は教観判乗・皆名字即(かいみょうじそく)・五味の主の修行なり、故に教相の次第・要用に依る可し、唯大綱(たいこう)を存する時は余は網目を事とせず彼は網目・此れは大綱・彼は網目の教相の主・此れは大綱・首題の主・恐くは日蓮の行儀には天台伝教も及ばず、何に況や他師の行儀に於てをや、唯在世八箇年の儀式を移して滅後・末法の行儀と為す、然りと雖も仏は熟脱の教主・某(それがし)は下種の法主なり、彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり、理即・短妄(たんもう)の凡夫の為の観心は余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり、是くの如く深義を知らざる僻人(びゃくにん)・出来(しゅったい)して予が立義は教相辺外(はずれ)と思う可き者なり、此等は皆宿業の拙(つたな)き修因感果の至極せるなるべし、彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩(すうはい)の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希(まれ)にして一二の小石の如し秘す可きの法門なり。

法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その三に続く




by johsei1129 | 2019-12-01 18:33 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

唯受一人本門弘通の大導師と定めた直弟子日興上人に与えられた血脈相承書【法華本門宗血脈相承事】一

【法華本門宗血脈相承事(別名:本因妙抄)(ほっけほんもんけちみゃくそうじょうじ)】
■出筆時期:弘安五年十月十一日(西暦1282年)  六十一歳御作
■出筆場所:豪信徒 池上宗仲の館にて
■出筆の経緯:弘安五年十月十三日に池上宗仲の館にて大聖人がご入滅なされる。その二日前に、唯受一人本門弘通の大導師と定めた直弟子日興上人に、大聖人の法門を血脈相承するために認められた書である。
■ご真筆: 現存しておりません。時代写本:日時書写本(大石寺所蔵)


[法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その一

本因妙の行者日蓮 之を得、之を記す。

予が外用(げゆう)の師・伝教大師生歳四十二歳の御時・仏立寺天台山仏隴寺の大和尚に値い奉り義道を落居(らくこ)し生死一大事の秘法を決したもうの日、大唐の貞元(ていげん)二十一年太歳乙酉五月三日・三大章疏を伝え各七面七重の口決を以て治定し給えり、所謂玄義七面の決とは正釈五重列名に約して決したもう。

一に依名判義(えみょうはんぎ)の一面・名(みょう)とは法の分位に於いて施設(せせつ)す・体とは宰主を義と為す・宗とは所作の究竟なり、受持本因の所作に由つて口唱(くしょう)本果の究竟を得、用(ゆう)とは証体本因本果の上の功能(くのう)徳行なり、教とは誡を義と為す誡とは本の為の迹為(な)れば迹は即ち有名(うみょう)無実・無得道なるを実相の名題(みょうだい)は本迹同じければ本迹一致と思惟す可き事を大に誡(いましめ)んが為に三種の教相を起て種熟脱の論不論を立つる者なり、経文解釈(げしゃく)明白なり、此くの如く文文・句句の名・妙正の深義・本迹勝劣の本意を顕し給う者なり、然りと雖も天台伝教の御弘通は偏に理の上の法相(ほっそう)・迹化付属・像法の理位・観行五品の教主なれば迹を表と為して衆を救い、本を隠して裏に用る者なり甚深甚深秘す可し秘す可し。

二に仏意(ぶっち)・機情・二意の一面、仏意は観行・相似(そうじ)を本と為し機情は理即・名字を本と為す、何れも体用(たいゆう)を離れず体用は法華の心智に依つて一代五時の次第浅深を開拓す、次に機情とは大通結縁の衆の為に四味の調養を設け法華に来入す、本迹二門乃至文文・句句此の二意を以て分別す可き者なり。

三に四重浅深の一面、名の四重有り・一には名体無常の義・爾前の諸経諸宗なり、二には体実名仮(みょうけ)・迹門・始覚無常なり、三には名体倶実(くじつ)・本門本覚常住なり、四には名体不思議是れ観心直達(かんじんじきたつ)の南無妙法蓮華経なり、湛然(たんねん)の云く「雖脱在現(すいだつざいげん)・具騰本種(ぐとうほんしゅ)」云云、次に体の四重とは一に三諦隔歴(さんたいきゃくりゃく)の体・爾前権教なり、二に理性円融の体・迹門十四品なり、三に三千本有の体・本門十四品なり、四に自性不思議の体・我が内証の寿量品・事行の一念三千なり、次に宗の四重とは一に因果異性(いしょう)の宗・方便権教なり、二に因果同性の宗・是れ迹門なり、三に因果並常(びょうじょう)の宗・即ち本門なり、四に因果一念の宗・文に云く「芥爾(けに)も心有れば即ち三千を具す」と、是れ即ち末法純円・結要(けっちょう)付属の妙法なり云云、次に用の四重とは一に神通幻化(じんずうげんけ)の用・今経已前に明かす所の仏・菩薩・出仮利生(しゅっけりしょう)の事、二に普賢色身の用・即ち一身の中に於て十界を具する事なり本迹一代五時に亘る、三に無作常住の用・証道八相有り無作自在の事なり、四に一心の化用・或説己身等なり、次に教の四重とは一には但顕隔理(たんけんきゃくり)の教・権小なり、二には教即実理の教・迹門なり、三には自性会中の教・応仏の本門なり、四には一心法界の教・寿量品の文の底の法門・自受用報身如来(じじゅゆうほうしんにょらい)の真実の本門・久遠一念の南無妙法蓮華経・雖脱在現具騰本種の勝劣是なり。

第四に八重浅深の一面なり、名の八重とは一に名体永別(ようべつ)の名・二に名体不離の名・三に従体流出(じゅうたいるしゅつ)の名・四に名体具足の名・五に本分常住の名・六に果海妙性(かかいみょうしょう)の名・七に無相不思議の名・八に自性己己(ここ)の名・乃至教知る可し云云、文に任せて思惟す可きなり。

第五に還住当文(げんじゅうとうもん)の一面、四八の浅深を以て本迹勝劣を知る可し。

第六に但入己心の一面、始め大法東漸より第十の判教に至るまで文の生起を閣(さし)おき一向に心理の勝劣に入れて正意を成ず可し、謂く大法とは即ち行者の己心の異名なり云云、釈の意は文義の広博(こうばく)を離れて首題の理を専にすと釈し給うなり。

第七に出離生死の一面、心は一代応仏の寿量品を迹と為し内証の寿量品を本と為し釈尊久遠名字即の身と位とに約して南無妙法蓮華経と唱え奉る是を出離生死の一面と名く、本迹約身約位(やくしんやくい)の釈之を思う可き者なり已上。

玄文畢る。

[法華本門宗血脈相承事(本因妙抄) 本文]その二に続く


by johsei1129 | 2019-12-01 18:21 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

日蓮の名号は富士山の実名・大日蓮華山、及び日本の日に由来することを日興上人に口伝した【産湯相承事】

【産湯相承事(うぶゆそうじょうじ】
■出筆時期:弘安五年十月八日(西暦1282年)、六十一歳。大聖人より日興上人に口伝される。
■出筆場所:大聖人が御遷化なされてた池上仲宗邸にて口伝により相伝される。
■出筆の経緯:弘安五年九月十八日に大聖人は池上仲宗邸に到着、そして翌月十月十三日に御遷化なされるが、その間後を託した日興上人に、本因妙抄、身延山附属書等の血脈相承書を託されているが、そのなかで自身の出生についての謂れ、日蓮の日文字の由来等についても口伝されている。
■ご真筆: 現存しない。時代写本:左京日教筆(富士大石寺所蔵)


[産湯相承事 本文]

                                                日興之を記す
御名乗りの事、始めは是生(ぜしょう)実名は蓮長と申し奉る・後には日蓮と御名乗り有る御事は、母梅菊女童女の御名なり平の畠山殿の一類にて御座す云云。法号妙蓮禅尼の御物語之(これ)ある事は、我に不思議の御夢想あり、清澄寺に通夜申したりし時、汝が志真に神妙なり一閻
                      
 
父母夫婦先表の口伝
浮提第一の宝を与えんと思うなり。東条の片海(かたうみ)に三国(みくに)の太夫(たゆう)と云う者あり是を夫(おとこ)と定めよと云云。七歳の春三月二十四日の夜なり、正(たしかに)今も覚え侍(はべ)るなり。我父母に後れ奉りて已後、詮方なく遊女(たわれ

                        聖人托胎の口伝
め)の如くなりし時御身の父に嫁(とつ)げり。或夜の霊夢(れいむ)に曰く、叡山(えいざん)の頂(いただき)に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、富士の山より日輪の出でたもうを懐(いだ)き奉ると思うて、打ち驚いて後月水(がっすい)留ると夢物語りを申し侍(はべ)れば、父の太夫我も不思議なる御夢想を蒙むるなり。虚空蔵菩薩貌吉児(みめよきちご)を御肩に立て給う。

                聖人上行菩薩の口伝、並びに是生の口伝
此の少人(しょうじん)は我が為には上行菩提薩捶(さった)なり。日の下(もと)の人の為には生財摩訶薩捶なり。亦一切有情(うじょう)の為には行く末三世常恒(じょうごう)の大導師なり。是を汝に与えんとの給うと見て後、御事(おこと)懐妊の由を聞くと語り相(あ)いたりき。さてこそ御事(おこと)は聖人なれ。

        聖人の御生まれ仏の御誕生に殊ならざる口伝
 又産生(うまれ)たまふべき夜の夢に、富士山の頂に登つて十方を見るに、明なる事掌(たなごころ)の内を見るが如く三世明白なり。梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下(らいげ)して、本地自受用報身如来の垂迹(すいじゃく)上行菩薩の御身を凡夫地に謙下(けんげ)し給う。御誕生は唯今なり、無熱池(むねっち)の主阿那婆達多竜王(あるじ・あなばだったりゅうおう)、八功徳水を汲み来るべきなし、当に産湯(うぶゆ)に浴(ゆあみ)し奉るべしと諸天に告げ給えり。仍て竜神王・即時に青蓮華(しょうれんげ)を一本荷(ひともとにな)い来れり。其の蓮より清水を出して御身を浴(ゆあみ)し進(まい)らせ侍りけり。其の余れる水をば四天下に灑(そそ)ぐに、其の潤(うるお)いを受くる人畜・草木・国土世間悉く金色の光明を放ち、四方の草木花発(ひ)らき菓(このみ)成る。
男女座を並べて有れども煩悩(ぼんのう)無し。淤泥(おでい)の中より出づれども塵泥(じんでい)に染まざること、譬(たと)えば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し。人・天・竜・畜共に白き蓮を各手に捧(ささ)げて、日に向つて「今此三界(こんしさんがい)、皆是我有(かいぜがう)、其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)、唯我一人(ゆいがいちにん)、能為救護(のういくご)」と唱え奉ると見て驚けば、則ち聖人出生し給えり。「毎自作是念(まいじさねん)、以何令衆生(いがりょうしゅじょう)、得入無上道(とくにゅうむじょうどう)、速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん)」と苦我渧(くがな)き給う。

 我と少し寐(まどろ)みし様なりし時、梵帝等の諸天一同音に唱えて言く、善哉(ぜんざい)善哉・善日童子、末法教主勝釈迦仏と三度唱えて作礼而去(さらいにこ)し給うと寤(うつつ)に見聞きしなりと、慥(たしか)に語り給いしを聞(きこ)し食(め)し、さては某は日蓮なりと言(のたま)ひしなり。
聖人重ねて曰(のたま)う様は、日蓮が弟子檀那(だんな)等悲母の物語りと思うべからず、即ち金言なり。其の故は予が修行は兼(か)ねて母の霊夢(れいむ)にありけり。日蓮は富士山自然(じねん)の名号なり。富士は郡名(ぐんみょう)なり、実名をば大日蓮華山と云うなり、我(われ)中道を修行する故に是くの如し。国をば日本と云ひ、神をば日神と申し、仏の童名をば日種(にっしゅ)太子と申し、予が童名をば善日、仮名は是生(ぜしょう)、実名は即ち日蓮なり。

 久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神の我国に天下り始めし国は出雲なり。出雲に日御崎(ひのみさき)と云う所あり。天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり。

                                        生仏法界一如の口伝
 我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来(このかた)十羅刹女と号したてまつる。十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体異名にして本地垂迹の利益広大なり、日神と月神とを合して文字を訓(くん)ずれば十なり。十羅刹と申すは、諸神を一体に束(たば)ね合せたる深義なり。日蓮の日は即日の神、昼なり。蓮は即月の神、夜なり。月は水を縁とす、蓮は水より生ずる故なり。又是生とは日の下の人を生むと書きたり。

    本門下種の口伝 
 日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり。師匠なり。今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有主君の義なり其中衆生悉是吾子父母の義なり而今此処多諸患難(にこんししょたしょげんなん)国土草木唯我一人能為救護師匠の義なり」と云えり。

三世常恒(じょうごう)に日蓮は今此三界の主なり。「日蓮大恩、以希有事(いけうじ)、憐愍教化、利益我等、無量億劫、誰能報者(すいのうほうしゃ)」なるべし。
若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗の上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙(こうむ)るべし。予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし儘(まま)、日興謹んで之を記し奉りしなり。
  聖人言く、此の相承は日蓮嫡嫡(ちゃくちゃく)一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給(のたま)ひて留め畢んぬ。

[産湯相承事 本文] 完。




by johsei1129 | 2019-12-01 15:57 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

日蓮大聖人最後のご消息文となった【波木井殿御報】

【波木井殿御報】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282年)九月十九日 六十一歳御作
■出筆場所:武蔵野国 池上邸にて。
■出筆の経緯:本抄は身延・草庵の地である波木井の地頭・波木井六朗実長に宛てられた消息で、大聖人の病状が思わしくないため同行していた日興上人が大聖人の口述を代筆されておられます。大聖人は九年間住まわれた身延山中からご病気平癒のため弘安五年九月八日、常陸に湯治に赴くこととなり、同月十八日、無事強信徒の池上宗仲邸に到着したことを伝える書となっております。大聖人は本抄で自身の死期が近いことを悟られ『いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候』と述べられ、御自身の墓は身延に設けることを実長に伝えておられます。
さらに追記では、せめて「はんぎやう(花押)」を自ら記そうと思われたが、それさえ叶わない病状であることを率直に伝えられております。
尚、本抄は日興上人への相伝書を除き、建長五年四月二十八日の立宗宣言以来、現在確認できるだけでも五百点以上に及ぶ弟子・信徒へのご消息文のなかで最後の書となっております。
■ご真筆: 身延山久遠寺 曽存(明治八年の大火で焼失)。


[波木井殿御報 本文]
      
 畏(かしこ)み申し候。みち(道)のほどべち(程別)事候はで、いけがみ(池上)までつ(著)きて候。みちの間、山と申しかわ(河)と申しそこばく大事にて候いけるを、きうだち(公達)にす(守)護せられまいらせ候いて、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候ながら悦び存し候。

 さてはやがてかへ(帰)りまいり候はんずる道にて候へども、所らう(労)のみ(身)にて候へば不ぢやう(定)なる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばく(衆多)もてあつかうて候み(身)を、九年まで御きえ(帰依)候いぬる御心ざし申すばかりなく候へば、いづくにて死に候ともはか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。

 又くりかげ(栗鹿毛)の御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に、いつまでもうし(失)なふまじく候。ひたちのゆ(常陸湯)へひかせ候はんと思い候がもし、人にもぞ、とられ候はん。又そのほか(其外)いたはしく、をぼへばゆ(湯)よりかへり候はんほど、かづさ(上総)のもばら(藻原)殿のもとに、あづけをきたてまつるべく候に、しらぬとねり(舎人)をつけて候てはをぼつかなくをぼへ候。まかりかへ(帰)り候はんまで、此のとねりをつけをき候はんとぞんじ候。そのやうを御ぞんぢ(存知)のために申し候、恐恐謹言。
      
九月十九日                        日  蓮
進上 波木井殿御報
所らう(労)のあひだ、はんぎやう(判形)をくはへず候事恐れ入り候。




by johsei1129 | 2019-12-01 15:40 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

日蓮大聖人が釈尊より『妙法蓮華経の五字』を口決相承されたことを明らかにした書【三大秘法禀承事】

【三大秘法禀承事(さんだいひほうぼんしょうじ】
■出筆時期:弘安五年四月八日(西暦1282年) 六十一歳御作 与大田金吾
■出筆場所:身延山中 草庵
■出筆の経緯:大聖人が御入滅される約半年前に、鎌倉武士で強信徒の大田金吾に宛てられた書。大聖人滅後、残された弟子・信徒への遺言と言っても良い御書である。法華経第七神力品に説かれている「如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事」の実体である三大秘法『本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇』は、二千余年の当初(そのかみ)・地涌(じゆ)千界の上首として日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決(くけつ)相承せしなり、と明らかにしている。
■ご真筆: 現存していない。古写本:日時上人筆(大石寺 所蔵)、日向上人筆(身延山久遠寺 所蔵)、日親上人筆(京都本法寺 所蔵)

[三大秘法禀承事 本文]

 夫れ法華経の第七神力品に云く「要を以て之を言ば如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事(じ)、皆此経に於て宣示顕説す」等云云、釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云、問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠(りゃくかいごんけんのん)を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり、教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや、されば此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居(しょご)の土は寂光本有(ほんぬ)の国土なり能居(のうご)の教主は本有無作(ほんぬむさ)の三身なり所化以て同体なり、かかる砌(みぎり)なれば久遠称揚(くおんしょうよう)の本眷属・上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、道暹(どうせん)律師云く「法是れ久成(くじょう)の法なるに由る故に久成の人に付す」等云云、問て云く其の所属の法門仏の滅後に於ては何れの時に弘通し給う可きか、答て云く経の第七薬王品に云く「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、謹んで経文を拝見し奉るに仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳・闘諍堅固・白法隠没(おんもつ)の時云云、問て云く夫れ諸仏の慈悲は天月の如し機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給べき処に正像末の三時の中に末法に限ると説き給わば教主釈尊の慈悲に於て偏頗(へんぱ)あるに似たり如何、答う諸仏の和光・利物(りもつ)の月影は九法界の闇を照すと雖も謗法一闡提の濁水には影を移さず正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり、像法一千年には法華経の迹門・機感相応せり、末法の始の五百年には法華経の本門・前後十三品を置きて只寿量品の一品を弘通すべき時なり機法相応(きほうそおうおう)せり。

今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳・機尚(なお)堪えず況や始めの五百年をや、何(いか)に況や正法の機は迹門・尚日浅し、増して本門をや、末法に入て爾前迹門は全く出離生死の法にあらず、但専ら本門寿量の一品に限りて出離生死の要法なり、是を以て思うに諸仏の化導(けどう)に於て全く偏頗(へんぱ)無し等云云、問う仏の滅後正像末の三時に於て本化(ほんげ)・迹化(しゃっけ)の各各の付属分明(ふんみょう)なり但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず慥(たしか)に経の現文を聞かんと欲す如何、答う汝強(あなが)ちに之を問う、聞て後堅く信を取る可きなり、所謂寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在(お)く汝取て服す可し差(いえ)じと憂うる勿(なか)れ」等云云。

 問て云く寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然(けんねん)なる上は私に難勢(なんせい)を加う可らず、然りと雖も三大秘法其の体如何、答て云く予が己心の大事之に如(し)かず汝が志無二なれば少し之を云わん、寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初(そのかみ)より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり、寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云云、疏(じょ)の九に云く「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等云云、

題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止(やみ)ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり。

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王(うとくおう)・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書(みきょうしょ)を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ、事(じ)の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔(ざんげ)滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して蹋(ふみ)給うべき戒壇なり、此の戒法立ちて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に、叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存(ぞん)の外に延暦寺の戒・清浄無染(むぜん)の中道の妙戒なりしが徒(いたずら)に土泥(どでい)となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎(まり)山の瓦礫(がりゃく)の土となり栴檀林(せんだんりん)の荊棘(いばら)となるにも過ぎたるなるべし、夫れ一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人をして今の延暦寺の戒壇を蹋(ふ)ましむべきや、此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、

此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承(ぼんじょう)に芥爾(けに)計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。

  問う一念三千の正(まさ)しき証文如何、答う次に出し申す可し此に於て二種有り、方便品に云く「諸法実相・所謂諸法・如是相・乃至欲令衆生開仏知見」等云云、底下(ていげ)の凡夫・理性所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来(ねんがじつじょうぶついらい)・無量無辺」等云云、大覚世尊・久遠実成(くおんじつじょう)の当初(そのかみ)証得の一念三千なり。
 今、日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来(よ・としごろ)己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟(ゆいてい)等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。 

弘安四年卯月(うづき)八日            日 蓮 花 押
大田金吾殿御返事




by johsei1129 | 2019-12-01 15:15 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

自らの病をおして大病に臥した南条時光を見舞った時の書【莚(むしろ)三枚御書】

【莚(むしろ)三枚御書】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282)三月 六十一歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本書は大病に臥した南條時光の見舞うため、大聖人自ら訪問されたときのことを記した書と思われます。
 大聖人は「三月一日より四日にいたるまでの御あそびに心なぐさみて、やせやまいもなをり虎とるばかりをぼへ候」と認められ、四日間の滞在で時光の病状の回復を見届け、自らの痩せ病も「虎を射止めることができる程良くなった」と、時光の回復を非常に喜ばれていることが文面に現れております。大聖人はこの書に先立つ二月二十五日には日興上人に時光に護符を与えるよう指示し、さらに二十八日には同じく伯耆房(日興上人)への手紙(法華証明抄)で「天魔、外道が病をつけてをどさんと試み候か」と、時光を励まされておられます。後に大石寺の開基檀那となった南條時光を、如何に大切な信徒として思われていたかが本書でもよくわかります。尚本書の文末部は残念ながらかけております。
■ご真筆: 富士大石寺 断簡所蔵
自らの病をおして大病に臥した南条時光を見舞った時の書【莚(むしろ)三枚御書】_f0301354_21452286.jpg

[莚(むしろ)三枚御書 本文]

 莚(むしろ)三枚・生和布(わかめ)一篭(こ)・給い了んぬ。
抑三月一日より四日にいたるまでの御あそ(遊)びに心なぐさみて、やせやまい(痩病)もなをり、虎と(捕)るばかりをぼへ候上、此の御わかめ給びて師子にの(乗)りぬべくをぼへ候。

 さては財はところ(処)により人によつてかわ(異)りて候。此の身延の山には石は多けれども餅なし。こけ(苔)は多けれどもうちしく物候はず、木の皮をは(剝)いでしき物とす、むしろ(筵)いかでか財とならざるべき。

 億耳居士(おくじこじ)と申せし長者は足のうらに、け(毛)のを(生)いて候いし者なり。ありき(歩行)のところ、いへ(家)の内は申すにをよばず、わた(綿)を四寸しきて、ふみし人なり。
これは、いかなる事ぞと申せば、先世にたうとき僧にくま(熊)のかわをしかせしゆへとみへて候。

いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだてて候、辺国なる上、へびす(夷)の島、因果のことはり(理)も弁えまじき上、末法になり候いぬ、仏法をば信ずるやうにてそし(謗)る国なり。

しかるに法華経の御ゆへに名をたたせ給う上、御むしろを法華経にまいらせ給い候いぬれば。 

 

by johsei1129 | 2019-12-01 14:57 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日

末法に法華経を信じる者は過去に十万億の仏を供養せる故であることを説いた書【法華証明抄】

【法華証明抄(ほっけしょうめいしょう】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282年)二月二十八日、六十一歳。
■出筆場所:身延山 草庵。
■出筆の経緯:本書は伯耆房(日興上人)を通して富士上野郷の地頭で強信徒の南条時光に宛てられた御書です。南条時光は大聖人に帰依した鎌倉幕府の役人(番役)で、後に富士上野郷の地頭となる南条兵衛七郎の次男として誕生する。幼くして父を失うが母とともに大聖人への信仰を貫き、後に上野郷の地頭職を引き継ぐ。富士熱原の法難の時は、日興上人を支え法華宗の頭領として幕府に睨(にら)まれながらも、大聖人門下の僧・信徒を庇護された。それらの獅子奮迅の活動の影響もあり、時光は二十四歳の時重病に陥る。
そのことを聞きつけた大聖人は、「すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」と、天魔に負けず法華経の信仰を貫くよう激励されている。大聖人による直々の励ましもあり時光は大病を克服、74歳で天寿を全うしている。大聖人はこの時光の深い信仰心に対し、「上野賢人殿」の称号を贈っている。

大聖人滅後、日興上人は波木井実長との信仰上の相違で身延山を離山するが、日興上人を師兄と慕う時光は日興上人を自領内に迎え入れ、正応3年(1290年)一帯の土地を寄進。富士・大石寺の開基檀那となる。さらに正中元年(1323年)には、亡くなった妻・妙蓮の一周忌供養のため、下条堀之内の自邸を改め妙蓮寺(現・日蓮正宗 妙蓮寺)を建立した。また、日興上人の後を継いだ三祖・日目上人は南条時光の甥にあたる。

尚、本御書で特筆すべきは、大聖人は本文の前に「法華経の行者 日蓮 花押」と認められていることだ。このように本文の前に○○日蓮と記す御書は、現在伝えられている四百数十編以上に及ぶ御書の中で、例えば『観心本尊抄(本朝沙門 日蓮 選)』、『選時抄(釈子 日蓮 述ぶ)』、「法華取要抄(扶桑沙門 日蓮これを述ぶ)』等、極めて限られた重要法門を説いた御書しか存在していない。この点だけ見ても、如何に大聖人が南条時光を大事に思われ、大病回復を強く願われていたかが偲ばれる。

■ご真筆: 西山本門寺など三寺に分在。時代写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)

末法に法華経を信じる者は過去に十万億の仏を供養せる故であることを説いた書【法華証明抄】_f0301354_10461396.gif

[ご真筆 冒頭部※花押が余白に認められている。]

[法華証明抄(別名:死活抄) 本文]

              法華経の行者 日蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば、法華経の御鏡にはいかんがう(浮)かべさせ給うと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりとたしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候を、一仏なれば末代の凡夫はうたが(疑)いやせんずらんとて、此より東方に、はるかの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の多宝仏、わざわざと行幸(みゆき)ならせ給いて釈迦仏にをり向いまいらせて、妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき。此の上はなにの不審か残るべき。なれどもなをなを末代の凡夫はをぼつかなしとをぼしめしや有りけん。十方の諸仏を召しあつめさせ給いて、広長舌相と申して無量劫よりこのかた永くそらごと(虚言)なきひろくながく大なる御舌を、須弥山のごとく虚空(おおぞら)に立てならべ給いし事は、をびただ(夥)しかりし事なり。かう候へば、末代の凡夫の身として法華経の一字・二字を信じまいらせ候へば、十方の仏の御舌を持(たも)つ物ぞかし。いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上、経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が、法華経計りをば用いまいらせず候いけれども、仏くやう(供養)の功徳莫大なりければ、謗法の罪に依りて貧賤の身とは生れて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒れて還つて地より起(た)つが如し」等云云。地にたうれたる人はかへりて地よりを(起)く。法華経謗法の人は三悪並びに人天の地にはたうれ候へども、かへりて法華経の御手にかかりて仏になるとことわられて候。

しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり。其の故は日蓮が法門をば上(かみ)一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらひをなし、結句は命に及ぶ人人もあり。信じがたき上、ちち・故上野は信じまいらせ候いぬ。又此の者敵(嫡)子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるいはいさ(諫)め或はをどし候いつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをど(威)さんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神め(奴)らめ、此の人をなやますは、剣をさかさま(逆)にのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまい(病)を忽になをして・かへりてまほり(守)となりて鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破(ずは)七分の科(とが)に行われ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ・とどめよ。日蓮が言(ことば)をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。

二月廿八日
伯耆房に下す。

[法華証明抄(別名:死活抄) 本文] 完。

by johsei1129 | 2019-12-01 12:22 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)