人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2019年 11月 07日 ( 10 )


2019年 11月 07日

聖人は千年に一度出、仏は無量劫に一度出世し給ふと説いた書【日女御前御返事】

【日女御前御返事(法華経二十八品供養事)】
■出筆時期:弘安元年六月二十五日(西暦1278年) 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書の対告衆は池上宗仲の妻とも、松野殿後家尼の娘、持妙尼とも言われてるが確かではない。いずれにしても大聖人の法門についても深い理解のある敬虔な信徒であったことは本書を与えられていることからも十分推察できる。内容は、日女御前が法華経二十八品の各品それぞれの供養のための品々を送られたことに対し、大聖人は「但事にはあらず」と語り、日女御前の信徒としては前代未聞の法華経に対する深い信仰に打たれ、宝塔品(法華経・見宝塔品第十一)に説かれている宝塔は「日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」とまで言い切り、強く称賛されている。
■ご真筆: 千葉本寿寺、他五箇所に分散されて所蔵されている。
聖人は千年に一度出、仏は無量劫に一度出世し給ふと説いた書【日女御前御返事】_f0301354_2026475.jpg

[日女御前御返事 ご真筆]

【日女御前御返事(法華経二十八品供養事)】本文

 御布施七貫文送り給び畢んぬ。属累品の御心は仏・虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞくとひざをつめよせて頭を地につけ、身をまげ、掌(て)をあはせ、あせを流し、つゆ(露)しげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経をゆづ(譲)らんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ。譬えば悲母の一子が頂のかみをな(撫)づるがごとし。爾の時に上行乃至(ないし)・日月等忝(かたじけな)き仰せを蒙りて、法華経を末代に弘通せんとちかひ給いしなり。薬王品と申すは昔喜見菩薩と申せし菩薩・日月浄明徳仏に法華経を習わせ給いて、其の師の恩と申し法華経のたうとさと申し、かん(感)にたへかねて万の重宝を尽くさせ給いしかども、なを心ゆかずして身に油をぬ(塗)りて千二百歳の間、当時の油にとうしみ(燈心)を入れてた(焚)くがごとく身をたいて仏を供養し、後に七万二千歳が間ひぢ(臂)をともしび(燈)としてた(焼)きつくし法華経を御供養候き。

されば今法華経を後五百歳の女人供養せば、其の功徳を一分ものこさずゆづるべし。譬えば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし。妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり。昔の雲雷音王仏の御代(みよ)に妙荘厳王の后(きさき)浄徳夫人なり。昔、法華経を供養して今妙音菩薩となれり。釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して、末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云。

 観音品と申すは又普門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候。此を観音品と名づく。後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり。此を普門品と名く。

 陀羅尼品と申すは二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり。二聖と申すは薬王と勇施(ゆぜ)となり。二天と申すは毘沙門と持国天となり。十羅刹女と申すは十人の大鬼神女・四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是なり。鬼のならひとして人を食す。人に三十六物あり。所謂糞と尿(いばり)と唾(つばき)と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑(ろっぷ)と髪と毛と気と命(いのち)等なり。而るに下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。上品の鬼神は精気を食す。此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり。鬼神に二(ふたつ)あり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨(あだ)を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき。此を答ふべき様は一には善鬼なり。梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨(あだ)を食す。二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す。善鬼が法華経の怨を食ふことは官兵の朝敵を罰するがごとし。悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし。例せば日本国に仏法の渡りてありし時、仏法の敵たりし物部(もののべ)の大連(おおむらじ)・守屋等も疫病をやみき。蘇我宿禰の馬子等もやみき、欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども、外(そと)には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども、仏と法との信はうすく神の信はあつかりしかば、強きにひかれて三代の国王、疫病疱瘡(ほうそう)にして崩御ならせ給いき。此をもて上(かみ)の二鬼をも今の代の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬ(病死)をも心うべし。されば身をすてて信ぜん人人は、やまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし。又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべし。例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろ(亡)びぬ。

 又日本国の一切の真言師の悪霊となれると・並に禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり。又梵釈・日月・十羅刹の眷属・日本国に乱入せり。両方互に責めとらんとはげむなり。而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給いて候へば、一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候に、法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して真言師が法華経を読誦し候は、かへりてそし(誹)るにて候なり。又余の宗宗も此を以て押し計るべし。又法華経をば経のごとく持つ人人も、法華経の行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰(ばつ)をかほるなり。例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり。父が我がいとを(愛)しきめ(妻)をとり、母が我がいとをしきおとこ(夫)を奪ふとも、子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり。何に況や父母にまされる賢王に背かんをや。何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや。何に況や出世間の師をや。何に況や法華経の御師をや。

 黄河は千年に一度す(澄)むといへり。聖人は千年に一度出ずるなり。仏は無量劫に一度出世し給ふ。彼には値うといへども法華経には値いがたし。設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は頭(こうべ)七分に破れん」云云。

 今、日本国の者去年(こぞ)今年の疫病と去(いぬる)正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり。聖人の国にあるを・あだむゆへと見えたり。師子を吼(ほう)る犬は腸(はらわた)切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり。日本国の一切衆生すでに三分が二はや(病)みぬ。又半分は死しぬ。今一分は身はやまざれども心はやみぬ。又頭も顕にも冥にも破(われ)ぬらん。罰に四あり総罰・別罰・冥罰・顕罰なり。聖人をあだめば総罰一国にわたる。又四天下・又六欲・四禅にわたる。賢人をあだめば但(ただ)敵人等なり。今日本国の疫病は総罰なり、定めて聖人の国にあるをあだむか。山は玉をいだけば草木かれず、国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。

 設ひ日月の光ありとも盲目(めしい)のために用ゆる事なし。設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき。日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし。此の一切の眼と耳とをくじ(抉)りて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。誰の人か此の功徳をば計るべき。設ひ父母、子をうみて眼耳(めみみ)有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか。日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方、一切の仏の中には阿弥陀仏、一切の行の中には弥陀の名号、此の三(みつ)を本として余行をば兼ねたる人もあり、一向なる人もありしに、某(それがし)去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間、遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深を立て、近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に、上(かみ)一人より下(しも)万民に至るまで此の事を用ひず。或は師師に問い、或は主主に訴へ、或は傍輩(ほうばい)にかたり、或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国・郡郡・郷郷・村村・寺寺・社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様・法華経叶ひがたき事・諸人のいみじき様・日蓮わろき様を申す程に・上もあだみ下も悪む。日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ。かう申せば日本国の人人、並に日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり。此は仏法の道理を信じたる男女に知らせんれう(料)に申す、各各の心にまかせ給うべし。

  妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり。妻が夫をすすめたる品なり。末代に及びても女房の男をすすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし。いはうや此は女房も男も共に御信用あり。鳥の二(ふたつ)の羽(はね)そなはり、車の二つの輪(わ)かかれり、何事か成ぜざるべき。天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さき菓なるべし。

 次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども、迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如し。此は小乗経の仏なり。又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり。而るに一代超過の法華経八箇年が間、十方の諸仏・菩薩等・大地微塵よりも多く集まり候しに、左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事なり。而れども妙荘厳王品をとかれて、さておはりぬべかりしに、東方・宝威徳浄王仏の国より万億の伎楽(ぎがく)を奏し無数の八部衆を引率して、おくれば(馳)せして参らせ給いしかば、仏の御きそく(気色)や・あしからんずらんと思ひし故にや、色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうをねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと・ことにねんごろ(懇)なるべきと申すにや、め(愛)でさせ給いけん。返つて上(かみ)の上位よりも、ことにねんごろに仏ほめさせ給へり。

 かかる法華経を末代の女人、二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす但事にはあらず。宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給いぬ。此の宝塔品はいづれのところにか・只今ましますらんと・かんがへ候へば、日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候。例せば蓮のみ(実)に蓮華の有るがごとく、后(きさき)の御腹に太子を懐妊せるがごとし。十善を持てる人太子と生(うまれ)んとして后の御腹にましませば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す。法華経・二十八品の文字・六万九千三百八十四字・一一の文字は字ごとに太子のごとし、字毎に仏の御種子(みたね)なり。闇の中に影あり人此をみず。虚空に鳥の飛跡(とぶあと)あり人此をみず。大海に魚の道あり人これをみず。月の中に四天下の人物一(ひとつ)もかけず人此をみず。而りといへども天眼は此をみる。

 日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり。日蓮又此をすい(推)す。あらたうとし、たうとし。周の文王は老たる者をやしなひていくさ(軍)に勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ(末末)は・ひが事ありしかども、根本の功によりてさか(栄)へさせ給ふ。阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間・位を持ち給いき。当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾(しばらく)も持つべしとはみえねども、故(こ)権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじくて暫(しばら)く安穏なるか。其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。

  此の人人の御僻案(ごびゃくあん)には念仏者等は法華経にちいん(知音)なり日蓮は念仏の敵なり。我等は何れをも信じたりと云云。日蓮つめて云く、代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、召(めし)も決せずして法華経の行者を二度まで大科(たいか)に行ひしは・いかに・不便・不便。而るに女人の御身として法華経の御命(おんいのち)をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり。此の功徳をもてる人、一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。

六月二十五日                    日蓮 花押
日女御前


by johsei1129 | 2019-11-07 21:52 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

自らの死期がそう遠くないことを阿仏房に率直に吐露されたご消息【阿仏房御返事】

【阿仏房御返事】
■出筆時期:弘安元年(1278年)六月三日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は阿仏房から大聖人の病状について何がしかのお尋ねあったと思われ、それへの返書となっております。
大聖人は大覚世尊(釈尊)が入滅間際に説かれた涅槃経の文を引くとともに「今月六月一日に至り連連此の病息むこと無し、死ぬる事疑い無き者か」と、自身の死期がそう遠くないことを率直に吐露されておられます。さらに「今は毒身を棄てて後に金身を受ければ、豈歎くべけんや」と記し、来世に金身を受けるのであるから嘆くことではないと、病状を心配する阿仏房を諭されておられます。

尚、この消息を受け取った阿仏房は、直ぐに佐渡から身延山中の草庵を訪れ大聖人を見舞います。この事について翌月の七月二十八日の妻千日尼御前に宛てた消息[千日尼御前御返事]で「弘安元年太歳戊寅七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じく日本国甲州・波木井郷の身延山と申す深山へ同じき夫の阿仏房を使として送り給う」と記されていることからもよくこの時の状況が伺えます。

それでは何故大聖人は、自身の死期が近づいている事を語られたのかという点ですが、釈尊も自身がまもなく涅槃すると弟子たちに度々伝えております。釈尊も大聖人の振る舞いも、その意味の一つは、仏に対する渇仰心を呼び起こす事とともに、実際に滅度した時の信徒の喪失感を、少しでも和らげたいと思う仏の慈悲であろうと推知いたします。
■ご真筆:現存されておりません。

[阿仏房御返事 本文]

御状の旨、委細承り候い了んぬ。大覚世尊説いて曰く「生老病死・生住異滅」等云云。

既に生を受けて齢(とし)六旬に及ぶ老又疑い無し、只残る所は病死の二句なるのみ。
然るに正月より今月六月一日に至り連連此の病息(や)むこと無し、死ぬる事疑い無き者か。
経に云く「生滅滅已(しょうめつめっち)・寂滅為楽(じゃくめついらく)」云云。

今は毒身を棄てて後に金身を受ければ、豈(あに)歎くべけんや。

六月三日    日  蓮 花 押

阿仏房

by johsei1129 | 2019-11-07 21:22 | 阿仏房・千日尼 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

念仏信仰の親を法華経に導いた池上宗長の志を称えた書【兵衛志殿御返事】

【兵衛志殿御返事】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278)五月 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟、池上宗長に対して与えられた消息文です。冒頭の一部は欠損していますが、宗長が身延の草庵にご供養の品々を運ぶのに、馬と人夫を提供したことに対し「たといかまくらにいかなる物を人にたびて候とも、夫と馬となくばいかでか日蓮が命はたすかり候べき<中略>此の歩馬はこんでいこま(金泥駒)となり」と記し、悉達太子(釈尊の幼名)が、出家し王宮を出たときに乗った白馬にも匹敵すると宗仲の志を称えられております。さらに、兄宗仲が二度も父から勘当されながらも、兄弟ともに大聖人に帰依し続け、ついに父を法華経に導いた事を「かしこき上、欲なき身と生まれて三人ともに仏になり給ひ、ちゝかた、はゝかたのるいをもすくい給ふ人となり候ぬ<略>此の事は一代聖教をも引きて百千まいにかくとも、つくべしとはをもわねども・・・」と賛嘆されておられます。

■ご真筆: 京都市妙覚寺 所蔵
念仏信仰の親を法華経に導いた池上宗長の志を称えた書【兵衛志殿御返事】_f0301354_2217954.jpg


[兵衛志殿御返事 本文]

御ふみにかゝれて候上、大に(弐)のあざり(阿闍梨)のかたり候は、ぜに十余れん(連)並びにやうやうの物ども候ひしかども、たうじはのうどき(農時)にて□□□□人もひきたらぬよし□□□も及び候はざりけ□□□□兵衛志殿の御との□□□□御夫馬(ふま)にても□□□□て候よし申候。
  
 夫(それ)百済国より日本国に仏法のわたり候ひしは、大船にのせて此をわたす。今のよど(淀)河よりあをみ(近江)の水海につけて候ものは、車にて洛陽へははこび候。それがごとく、たといかまくらにいかなる物を人にたびて候とも、夫(ふ)と馬となくばいかでか□□(日蓮)が命はたすかり候べき。□□□(徳勝)童子は土の餅を仏に□□□□□阿育大王と□□□□□□□□□くやう(供養)しまいらせ候ひしゆへに、阿育大王の第一の大臣羅提吉(らだいきち)となりて一閻浮提の御うしろ(後)め、所謂ををい(大臣)殿の御時の権大夫殿のごとし。
  
 此は彼等にはにるべくもなき大功徳。此の歩馬はこんでいこま(金泥馬)となり、此の御との人はしゃのく(車匿)とねり(舎人)となりて、仏になり給ふべしとをぼしめすべし。抑(そもそも)すぎし事なれども、あまりにたうとくうれしき事なれば申す。
 
  昔、波羅奈国に摩訶羅王と申す大王をはしき。彼の大王に二(ふたり)の太子あり。所謂善友(ぜんう)太子・悪友(あくう)太子なり。

善友太子の如意宝珠を持ちてをはせしかば、此をとら(盗)むがために、をと(弟)の悪友太子は兄の善友太子の眼をひき給ひき。昔の大王は今の浄飯王、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の提婆達多此なり。兄弟なれども、たからをあらそいて。世々生々にかたきとなりて、一人は仏となり、一人は無間地獄にあり。此は過去の事、他国の事なり。我が朝には一院・さぬきの院の兄弟なりしかども位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ。当世め(眼)にあたりて、此の代のあやを(危)きも兄弟のあらそいよりをこる。大将殿と申せし賢人も、九郎判官等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失はれ給ふは眼前の事ぞかし。
  
 とのばら二人は上下こそありとも、とのだにもよくふかく、心まがり、道理をだにもしらせ給はずば、ゑもんの大夫志殿はいかなる事ありとも、をやのかんだうゆ(許)るべからず。ゑもんのたいうは法華経を信じて仏になるとも、をやは法華経の行者なる子をかんだうして地獄に堕つべし。とのはあにとをやをそん(損)ずる人になりて、提婆達多がやうにをはすべかりしが、末代なれども、かしこき上、欲なき身と生まれて三人ともに仏になり給ひ、ちゝかた(父方)、はゝかたのるいをもすくい給ふ人となり候ぬ。又とのゝ御子息等もすへの代はさかうべしとをぼしめせ。

 此の事は一代聖教をも引きて百千まいにか(書)くとも、つくべしとはをもわねども、やせやまいと申し、身もくるしく候へば、事々申さず。あわれあわれ、いつかげざん(見参)に入て申し候はん。又むかいまいらせ候ひぬれば、あまりのうれしさに、かたられ候はず候へばあらあら申す。よろずは心にすい(推)しはか(量)らせ給へ。

女房の御事同じくよろこぶと申させ給へ。恐々謹言。
  

by johsei1129 | 2019-11-07 21:20 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

夫れ水は寒積れば氷と為る、雪は年累つて水精と為る、悪積れば地獄となる、善積れば仏となる、女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる、と説いた【南条殿女房御返事】

【南条殿女房御返事】
■出筆時期:弘安元年(1278) 五月二十四日 五十七歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光の妻が米2俵を御供養なされたことへの返書となっております。文末で「御所労の人の臨終正念・霊山浄土疑なかるべし」と記されておられるのは、本抄を記された前月の四月一日に時光に宛てられた消息『上野殿御返事』に記されている、時光の姪(姉の子で石河の兵衛入道殿のひめ御前)が大病のため南妙法蓮華経を唱えながら亡くなられた事と示していると思われます。
この時光の姪は、自身の病状が急変し、まもなくこの世を去るであろうことを大聖人に手紙で伝えておられます。そのことについて大聖人は「臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は、一眼のかめの浮木の穴に入り、天より下(くだす)いとの大地のはりの穴に入るがごとし」と、ひめ御前の法華経信仰への強い思いを称えられておられ、本消息でも「霊山浄土疑なかるべし・疑なかるべし」と示され、改めて姪を失った悲しみに浸っているであろう時光及び女房を励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)。

[南条殿女房御返事 本文]

八木(米)二俵送り給び候い畢んぬ、度度の御志申し尽し難く候。

夫れ水は寒積れば氷と為る・雪は年累(かさな)つて水精と為る・悪積れば地獄となる・善積れば仏となる・女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。
法華経供養の功徳かさならば・あに竜女があとを・つがざらん、山といひ・河といひ・馬といひ・下人といひ・かたがた・かんなんのところに・度度の御志申すばかりなし。
御所労の人の臨終正念・霊山浄土疑なかるべし・疑なかるべし。

五月二十四日         日 蓮 花押
御返事





by johsei1129 | 2019-11-07 21:08 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

梅雨の恵みの雨によせてえんどう豆の供養を喜ばれたご消息【霖雨(りんう)御書】

【霖雨(りんう)御書】
■出筆時期:弘安元年(1278年)五月二十二日 五十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は梅雨の長雨(霖雨)が続く中、その恵みの幸であるえんどう豆をご供養されたことの喜びをしたためられたご消息文です。当時の五月二十二日は現在の六月中旬で、本書の冒頭で、「山中のながきあめつれづれ申すばかり候はず」とこの時期の気候を情感をもって記すとともに、恐らくその雨の恵みとも言えるえんどう豆をご供養され、珍しさもあったのであろうと思われ「ことに、よろこぶよし玄性房申しあげさせ給い候へ」と記し、供養された信徒へ玄性房から大聖人の率直な喜びの気持ちを伝えさせると記されておられます。
尚、えんどう豆を供養された信徒及び玄性房の詳細については不明です。
■ご真筆:京都市本満寺 全文所蔵。
梅雨の恵みの雨によせてえんどう豆の供養を喜ばれたご消息【霖雨(りんう)御書】_f0301354_19113963.jpg

[霖雨御書 本文]

山中のながきあめ(霖雨)つれづれ(無聊)申すばかり候はず。
えんどうかしこまりて給い候いし、
ことに・よろこぶよし玄性房申しあげさせ給い候へ、恐恐。

五月廿二日   日 蓮 花押
御返事

by johsei1129 | 2019-11-07 21:05 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

妙法尼のご供養の志を「民のほねをくだける白米、人の血をしぼれるが如くなる古酒 を仏、法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道疑うべしや」と称えられた【妙法尼御 返事】

【妙法尼御返事】
■出筆時期:弘安元年(1278年)五月一日 五十七御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は松野入道に送られておりますが実質の内容駿河国・岡安に住む妙法尼への消息となっております。妙法尼は六老僧の一人、日持上人の父である松野六郎左衛門入道の縁戚と伝えられており、本消息の追伸「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなしあらたのもしや・たのもしや」は松野入道に妙法尼の信仰を称えていることを伝えられた文言と思われます。
 尚、本消息を記された弘安元年は前年から疫病が大流行し、鎌倉幕府はこの年の五月二十六日には、日本国内二十二の社司(神主)に疫病退治の祈祷を命じられたほどでした。
大聖人はこのような厳しい状況の中、常に変わることなくご供養を続けられた妙法尼の志を「民のほねをくだける白米、人の血をしぼれるが如くなるふるさけ(古酒)を仏、法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道、疑うべしや」と称えられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[妙法尼御返事 本文]

干飯(ほしいい)一斗・古酒一筒(ひとつつ)・ちまき(角粽)・あうざし(青麨)・たかんな(筍)方方の物送り給いて候。

草にさ(咲)ける花、木の皮を香として仏に奉る人、霊鷲山へ参らざるはなし。
況(いわ)んや民のほね(骨)をくだける白米、人の血をしぼれるが如くなるふるさけ(古酒)を仏、法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道、疑うべしや。

五月一日  日 蓮 花 押
妙法尼御返事
日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや。




by johsei1129 | 2019-11-07 19:50 | 妙法比丘尼 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

善き弟子を持つ時んば師弟仏果に至り悪しき弟子をたくあひぬれば師弟地獄に落つと説いた【華果成就御書】

【華果成就御書】
■出筆時期:弘安元年四月 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は清澄時代の師・道善房の三回忌にあたり、同じく清澄時代の兄弟子で後に大聖人に帰依した浄顕房、義浄房に送られた消息文です。最初に道善房が亡くなった際、大聖人は師への報恩の意義を込めて「報恩抄」を著され浄顕房・義浄房に送られた。
その報恩抄を大聖人の願い通り「嵩が森にてよませ給いて候よし悦び入つて候」と、浄顕房・義浄房に感謝を述べられておられます。
さらに「日蓮、法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたはるる此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや」とあらためて師への報恩を記されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[華果成就御書 本文]

其の後なに事もうちたへ申し承わらず候。

さては建治の比(ころ)・故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を嵩が森にてよませ給いて候よし、悦び入つて候。
たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず、火はたきぎ・か(欠)くればたへぬ、草木は大地なくして生長する事あるべからず。

日蓮・法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたはるる、此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや。日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします、一名上行乃至四名安立行菩薩云云、末法には上行・出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給うべきか。

さればいね(稲)は華果(はなみ)成就すれども必ず米の精・大地にをさまる、故にひつぢ(再苗)お(生)ひいでて二度華果成就するなり。日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうと(貴)たうと、よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成(なす)べからず委(くわし)くは又又申すべく候、常にかた(語)りあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうな(頷)づきかたり給へ。

経に云く「衆に三毒有ることを示し又邪見の相を現ず我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」云云、前前(さきざき)申す如く御心得あるべく候、穴賢穴賢。

弘安元年戊寅卯月 日      日 蓮 花押
浄顕房
義浄房

by johsei1129 | 2019-11-07 19:43 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

法華経如来寿量品は一代聖教の肝心、三世諸仏の説法の大要なりと説いた【太田左衛門尉御返事】

【太田左衛門尉御返事】
■出筆時期:弘安元年四月二十三日(西暦1278年) 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書を送られた太田左衛門尉(太田乗明)は、祖父が鎌倉幕府の問注所(幕府直轄の司法機関)の執事(長官)を努め、自身も問注所の役人を勤めていた。元は真言信徒であったが、松葉ケ谷の法難で大聖人が近隣の富木常忍のもとに身を寄せられた際、大聖人の説法に触れ帰依することになる。その後は富木常忍ともども大聖人の熱心な信徒となり『三大秘法抄』『転重軽受法門』等の重要法門を記した御書を送られている。本書は太田乗明が五十七になり大厄の年を迎え身心に苦労多く出来(しゅったい)候と伝えた手紙に対しての返書となっている。大聖人は法華経の肝心である方便品、寿量品を説き、また「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」と、一層法華経への信仰に励むよう激励されている。
尚、乗明の子は出家し日高となり、富木常忍が下総・葛飾郡若宮に開基した法華経寺の二代目となり、後に太田家が葛飾郡中山に本妙寺を開基すると若宮の法華経寺と合併させ、現在の中山法華経寺となっている。
■ご真筆: 現存していない。

[太田左衛門尉御返事 本文]

当月十八日の御状同じき廿三日の午(うま)の剋計りに到来、軈(やがて)拝見仕り候い畢んぬ。御状の如く御布施鳥目十貫文・太刀・五明(おうぎ)一本・焼香廿両給い候。抑専ら御状に云く、某今年は五十七に罷り成り候へば大厄(たいやく)の年かと覚え候。なにやらんして正月の下旬の比より卯月の此の比に至り候まで身心に苦労多く出来候。本より人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら更(ことさら)に云云。

此の事最第一の歎きの事なり。十二因縁と申す法門あり、意は我等が身は諸苦を以て体と為す。されば先世に業を造る故に諸苦を受け、先世の集・煩悩が諸苦を招き集め候。過去の二因・現在の五果・現在の三因・未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずるなり。在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて空理に沈み、灰身滅智(けしんめっち)して菩薩の勤行・精進の志を忘れ、空理を証得せん事を真極(しんごく)と思うなり。仏、方等の時、此等の心地を弾呵し給いしなり。然るに生を此の三界に受けたる者苦を離るる者あらんや。羅漢の応供(おうぐ)すら猶此くの如し、況や底下の凡夫をや。さてこそいそぎ生死を離るべしと勧め申し候へ。

此等体(これらてい)の法門はさて置きぬ。御辺は今年は大厄と云云。昔伏羲の御宇に黄河と申す河より亀と申す魚、八卦と申す文(ふみ)を甲に負て浮出たり。時の人此の文を取り挙げて見れば、人の生年より老年の終りまで厄(やく)の様を明したり。厄年の人の危き事は少水に住む魚を鴟鵲(とび・からす)なんどが伺ひ、燈の辺に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし。鬼神ややもすれば此の人の神(たましい)を伺ひなやまさんとす。神内(しんない)と申す時は諸の神、身に在り万事心に叶う。神外と申す時は諸の神、識の家を出でて万事を見聞するなり。当年は御辺は神外と申して諸神他国へ遊行すれば慎んで除災得楽を祈り給うべし。又、木性の人にて渡らせ給へば今年は大厄なりとも春夏の程は何事か渡らせ給うべき。至門性経に云く「木は金に遇つて抑揚し火は水を得て光滅し、土は木に値いて時に痩せ金は火に入つて消え失せ、水は土に遇つて行かず」等云云。

 指して引き申すべき経文にはあらざれども、予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強(あなが)ちに成仏の理に違わざれば、且らく世間普通の義を用ゆべきか。然るに法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり。されば経に云く「此の経は則ち為閻浮提(これ・えんぶだい)の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん」等云云。又云く「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云。又云く「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等云云。取分(とりわけ)奉る御守り方便品・寿量品同じくは一部書きて進らせ度候へども、当時は去り難き隙(ひま)ども入る事候へば略して二品奉り候。相構え、相構えて御身を離さず重ねつつ(包)みて御所持有るべき者なり。此の方便品と申すは迹門の肝心なり。此の品には仏、十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明し給へば、舎利弗等は此れを聞いて無明の惑を断じ、真因の位に叶うのみならず、未来華光如来と成りて、成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり。十界の衆生の成仏の始めは是なり。当時の念仏者・真言師の人人、成仏は我が依経に限れりと深く執するは、此等の法門を習学せずして、未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。

貴辺は日来(ひごろ)は此等の法門に迷い給いしかども、日蓮が法門を聞いて賢者なれば本執を忽に飜し給いて法華経を持ち給うのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思食す事、不思議が中の不思議なり。是れは偏に今の事に非ず、過去の宿縁開発せるにこそ、かくは思食(おぼし)すらめ有り難し有り難し。次に寿量品と申すは本門の肝心なり。又此の品は一部の肝心、一代聖教の肝心のみならず三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教主釈尊、寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は、三世の諸仏と内証等しきが故なり。但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏も亦然なり。我等衆生の無始已来、六道生死の浪に沈没せしが、今教主釈尊の所説の法華経に値い奉る事は、乃往(むかし)過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり。有り難き法門なり。華厳・真言の元祖・法蔵・澄観・善無畏・金剛智・不空等が釈尊・一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取りて、本より自(みずから)の依経に説かざる華厳経・大日経に一念三千有りと云つて取り入るる程の盗人にばかされて、末学深く此の見(けん)を執す墓無し墓無し。結句は真言の人師の云く「争つて醍醐を盗んで各自宗に名く」と云云。又云く「法華経の二乗作仏、久遠実成は無明の辺域、大日経に説く所の法門を明の分位」等云云。華厳の人師云く「法華経に説く所の一念三千の法門は枝葉、華厳経の法門は根本の一念三千なり」云云。是跡形も無き僻見なり。真言華厳経に一念三千を説きたらばこそ一念三千と云う名目をばつかはめおかし、おかし亀毛兎角(きもうとかく)の法門なり。正しく久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘(ひめ)させ給いて有りしが、本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり。此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて、末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり。正法像法に出でさせ給いし論師・人師の中に、此の大事を知らず唯竜樹・天親こそ心の底に知らせ給いしかども色にも出ださせ給はず。天台大師は玄・文・止観に秘せんと思召ししかども、末代の為にや止観・十章・第七正観の章に至りて粗書かせ給いたりしかども、薄葉(うすは)に釈を設けてさて止み給いぬ。但理観の一分を示して事の三千をば斟酌し給う。

 彼の天台大師は迹化(しゃっけ)の衆なり。此の日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし。然に是くの如き大事の義理の篭らせ給う御経を書きて進らせ候へば弥信を取らせ給うべし。勧発品に云く「当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」等云云。安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す、乃至天の諸の童子以て給使を為さん」等云云。譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云。法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや。厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎずたのもしきかな・たのもしきかな。

 さては鎌倉に候いし時は細細(こまごま)申し承わり候いしかども、今は遠国に居住候に依りて面謁(めんえつ)を期する事更になし。されば心中に含みたる事も使者玉章(たまぐさ)にあらざれば申すに及ばず、歎かし歎かし。当年の大厄をば日蓮に任せ給へ。釈迦・多宝・十方・分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり。又又申すべく候。

弘安元年戊寅(つちのえとら)四月廿三日 日 蓮 花押
太田左衛門尉殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-07 07:06 | 大田乗明・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

佐渡から身延の大聖人の元へ度々見参した国府入道を支えた妻、是日尼を称えた【是日尼御書】

【是日尼御書】
■出筆時期:弘安元年(1278)四月十二日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:是日尼は国府入道の妻で、阿仏房・千日尼夫妻同様、佐渡流罪中に夫婦ともども念仏を捨て大聖人に帰依した。佐渡流罪中は監視の目を盗んで大聖人に食料などを供養、外護に励んだ強信徒であった。本書は佐渡ご赦免後、阿仏房とともに身延の草庵に見参、「(菜)つみ、水くみ、たきぎ(薪)こり」と一ヶ月も滞在し、大聖人の身の回りを世話した事は、「これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし」と夫・国府入道を身延の大聖人のもとへ送り出した是日尼の志を高く称えられるとともに、「御本尊一ぷくかきてまいらせ候」と、夫妻の強い信仰に答え御本尊を授与することを記しておられます。

■ご真筆: 京都市 本満寺所蔵。
佐渡から身延の大聖人の元へ度々見参した国府入道を支えた妻、是日尼を称えた【是日尼御書】_f0301354_1654527.jpg


[是日尼御書 本文]

 さどの国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎやとをもひしに、
又今年来てなつ(菜摘)み、水くみ、たきぎ(薪)こり、だん(檀)王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。

 ふでをもちてつくしがたし。これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし。
又御本尊一ぷく(幅)かきてまいらせ候。霊山浄土にては、かならず、かならずゆきあひたてまつるべし。
恐々謹言。

卯月十二日  日 蓮 花押
尼是日




by johsei1129 | 2019-11-07 06:57 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 07日

願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばやと説いた【檀越某御返事】

【檀越某御返事(だんおつぼうごへんじ)】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年) 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本御書は四条金吾に当てられた書と思われます。既に伊豆・佐渡と、二度の遠島への流罪を受けている大聖人に、鎌倉幕府によりさらに三度目の流罪の動きがある事を金吾が報告した手紙に対しての返書と思われます。
本書で大聖人は、身を鬼に投げ出して仏の教えを求めた雪山童子、また杖や枝、瓦石をもって迫害された不軽菩薩に自身を儗らへ「願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度・生死をはなれ候わばや」と、どんな策謀にも泰然とした末法の本仏としての無作の三身としての生き様を示すとともに、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と説き、噂など気にしないで普段の仕事に励むよう金吾を諭されおられます。
■ご真筆: 中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばやと説いた【檀越某御返事】_f0301354_2121717.jpg

[真筆部分:本文緑字の箇所]


[檀越某御返事 本文]

 御文(ふみ)うけ給わり候い了んぬ。日蓮流罪して先先(さきざき)にわざわいども重て候に、又なにと申す事か候べきとはをもへども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(兆)候はんずらむ。

 もしその義候わば用いて候はんには百千万億倍のさいわいなり。今度ぞ三度になり候。法華経も、よも日蓮を・ゆるき行者とはをぼせじ。

 釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御利生、今度みはて(見果)候はん。あわれ・あわれ・さる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらに・やくびやう(疫病)にや・をかされ候はんずらむ、をいじに(老死)にや死に候はんずらむ、あらあさましあさまし。

 願くは法華経のゆへに国主に
あだまれて、今度・生死をはなれ候わばや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい今度心み候わばや。事事さてをき候いぬ。各各の御身の事は此れより申しはからうべ。、さでをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ。あなかしこあなかしこ。

 御みやづかい(士官)を法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。かへす、がへす御文の心こそ、をもいやられ候へ、恐恐謹言。

四月十一日     日 蓮 花 押





by johsei1129 | 2019-11-07 06:54 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)