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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 06日 ( 2 )


2019年 11月 06日

末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし但南無妙法蓮華経なるべし、と説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事(法要書)】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年)4月1日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は大石寺開基檀那の上野殿(南条時光)に与えられた御消息文で、時光が姪(姉の娘)の姫御前が死去したことを大聖人に伝えた手紙への返書となっております。
 大聖人は、この姫御前から三月の十四、五日頃「病状が急変しこれが最後の手紙となります」と書かれた書が届いていたが「されば、つゐに、はかなくならせ給いぬるか」と嘆かれておられます。さらに時光から臨終に際しこの姫御前が「南妙法蓮華経」と唱えてなくなったことを知らされ、「此の人は先世の宿業か、いかなる事ぞ、臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は一眼のかめの浮木の穴に入り、天より下(くだす)いとの大地のはりの穴に入るがごとし」とその純粋な信仰心を讃えられておられます。
 さらに文末では「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし<中略>此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」と諭されておられます。
■ご真筆: 現存していない。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)

[上野殿御返事(法要書) 本文]
 
白米一斗・いも一駄・こんにやく五枚・わざと送り給び候い畢んぬ。
 なによりも石河の兵衛入道殿のひめ御前の度度御ふみをつかはしたりしが、三月の十四五やげ(夜比)にて候しやらむ御ふみありき。この世の中をみ候に、病なき人も・こねん(今年)なんどをすぐべしともみへ候はぬ上、もとより病(やまい)ものにて候が、すでにきうになりて候、さいごの御ふみなりと、かかれて候いしが、されば・つゐに・はかなくならせ給いぬるか。

 臨終に南無阿弥陀仏と申しあはせて候人は、仏の金言なれば一定(いちじょう)の往生とこそ人も我も存じ候へ。しかれども・いかなる事にてや候いけん。仏のく(悔)ひかへさせ給いて未顕真実・正直捨方便と・とかせ給いて候が、あさましく候ぞ。

 此れを日蓮が申し候へば、そら(虚)事うわのそらなりと日本国にはいかられ候。此れのみならず仏の小乗経には十方に仏なし一切衆生に仏性なしと・とかれて候へども、大乗経には十方に仏まします一切衆生に仏性ありと・とかれて候へば、たれか小乗経を用い候べき、皆大乗経をこそ信じ候へ。此れのみならず・ふしぎのちがひめ(違目)ども候ぞかし。

 法華経は釈迦仏・已今当の経経を皆く(悔)ひかへしうちやぶりて、此の経のみ真実なりととかせ給いて候いしかば、御弟子等用ゆる事なし。爾の時・多宝仏・証明をくわへ十方の諸仏・舌を梵天につけ給いき。さて多宝仏はとびらをたて十方の諸仏は本土に・かへらせ給いて後は、いかなる経経ありて法華経を釈迦仏やぶらせ給うとも、他人わゑになりて・やぶりがたし。しかれば法華経已後の経経・普賢経・涅槃経等には、法華経をば・ほむる事はあれどもそしる事なし。

 而るを真言宗の善無畏等・禅宗の祖師等・此れをやぶれり。日本国・皆此の事を信じぬ。例せば将門・貞任(さだとう)なんどに・かたらはれし人人のごとし。日本国すでに釈迦・多宝・十方の仏の大怨敵となりて数年になり候へば、やうやく・やぶれゆくほどに・又かう申す者を御あだ(怨)みあり、わざは(禍)ひに・わざはひのならべるゆえに・此の国土すでに天のせ(責)めをかほり候はんずるぞ。

 此の人は先世の宿業か・いかなる事ぞ、臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は・一眼のかめ(亀)の浮木(うきぎ)の穴に入り・天より下(くだす)いとの大地のはり(針)の穴に入るがごとし。あらふしぎふしぎ。

 又念仏は無間地獄に堕つると申す事をば経文に分明なるをば、しらずして皆人日蓮が口より出でたりとおもへり。天はまつげ(睫毛)のごとしと申すはこれなり。虚空の遠きと、まつげの近きと人みなみる事なきなり。此の尼御前は日蓮が法門だにひが事に候はば、よも臨終には正念には住し候はじ。

 又日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人人は・あしく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神(たましい)のごとし。此れにものを・ならぶれば・きさき(后)のならべて二王をおとこ(夫)とし、乃至きさきの大臣已下になひなひとつ(嫁)ぐがごとし、わざはひ(禍)のみなもとなり。正法・像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり。

 今末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候も、わたくしの計(はからい)にはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆゆしきひが(僻)事なり。日出でぬれば・とほしび(灯)せん(詮)なし、雨のふるに露なにのせんかあるべき。嬰児(みどりご)に乳(ちち)より外のものをやしな(養)うべきか。良薬に又薬を加えぬる事なし。

 此の女人は、なにとなけれども自然に此の義にあたりてしををせるなり。たうとし、たうとし、恐恐謹言。

弘安元年四月一日              日  蓮  花 押

上野殿御返事




by johsei1129 | 2019-11-06 19:52 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 06日

已今当の経文は仏すらやぶりがたし、と説いた【衆生身心御書】

【衆生身心御書】
■出筆時期:弘安元(1278年)春 五十七歳 御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄真筆の前後が欠けているため、宛先は不明ですが、文末に「いとまなき時なれども・心ざしのゆくところ・山中の法華経へまうそうか・たかんな(孟宗竹の筍)ををくらせ給う、福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず」記されておられるので、強信徒が弘安元年午前後は疫病が発生し世の中が苦しんでいる中、孟宗竹の筍を身延山中の大聖人のもとへご供養されたその厚い志を称えて送られた書と思われます。
本書で大聖人は、釈尊の一切経の日本への伝来の経緯を記すとともに、法華経 法師品第十の「已に説き、今説き、当説かんとす」の文を引き、法華経が諸教の中で最大一であると断じられておられます。
■ご真筆:富士大石寺 所蔵。

[衆生身心御書 本文]


衆生の身心をと(説)かせ給う・其の衆生の心にのぞむとて・と(説)かせ給へば人の説なれども衆生の心をいでず、かるがゆへに随他意の経となづけたり、譬へばさけ(酒)もこの(好)まぬをや(親)のきわめてさけをこのむいとをし(最愛)き子あり、かつ(且)はいとをしみ・かつは心をとらんがために・かれ(彼)にさけをすす(勧)めんがために・父母も酒をこのむよしをするなり、しかるを・はかなき子は父母も酒をこのみ給うとをもへり。

提謂経と申す経は人天の事をとけり、阿含経と申す経は二乗の事をとかせ給う、華厳経と申す経は菩薩のことなり、方等・般若経等は或は阿含経・提謂経にに(似)たり、或は華厳経にもにたり、此れ等の経経は末代の凡夫これをよ(読)み候へば仏の御心に叶うらんとは行者はをもへども・くはしく・これをろむ(論)ずれば己(おのれ)が心をよむなり、己が心は本よりつた(拙)なき心なれば・はかばかしき事なし、法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへに・たとい・しらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし、麻の中のよもぎ(蓬)・つつ(筒)の中のくちなは(蛇)・よ(善)き人にむつ(睦)ぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なを(直)しくなるなり、法華経もかくのごとし・なにとなけれども・この経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり、此の法華経にをひて又機により・時により・国により・ひろ(弘)むる人により・やうやうにかわりて候をば・等覚の菩薩までも・こ(此)のあわひをば・しらせ給わずとみへて候、まして末代の凡夫は・いかでか・ち(は)からひを(遂)をせ候べき。
しかれども人のつかひに三人あり、一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし・又こざかしからず、一人はきわめて・はかなくたしかなる、此の三人に第一はあやまち(過)なし、第二は第一ほどこそ・なけれども・すこしこざかしきゆへに主の御ことばに私の言をそ(添)うるゆへに・第一のわるきつかい(使)となる、第三はきわめて・はかなくあるゆへに・私の言をまじ(交)へず・きわめて正直なるゆへに主の言(こと)ばを・たが(違)へず、第二よりもよき事にて候・あやまつて第一にも・すぐれて候なり、第一をば月支の四依にたとう、第二をば漢土の人師にたとう、第三をば末代の凡夫の中に愚癡(ぐち)にして正直なる物にたとう。

仏在世はしばらく此れををく仏の御入滅の次の日より一千年をば正法と申す、この正法一千年を二つにわかつ、前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給う、ひろめし人人は迦葉・阿難等なり、後の五百年は馬鳴・竜樹・無著・天親等・権大乗経を弘通せさせ給う、法華経をば・かたはし(片端)計りかける論師もあり、又つやつや申しい(出)ださぬ人もあり、正法一千年より後の論師の中には少分を仏説にに(似せ)たれども多分をあや(誤)まりあり、あやまりなくして而もた(足)らざるは迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等なり、像法に入り一千年・漢土に仏法わたりしかば始めは儒家と相論せしゆへに・いとま(間)なきかのゆへに仏教の内の大小・権実の沙汰なし、やうやく仏法流布せし上・月支より・かさねがさね仏法わたり来るほどに・前の人人は・かしこ(賢)きやうなれども・後にわたる経論をもつて・みれば・はかなき事も出来す、又はかなくをも(思)ひし人人も・かしこくみゆる事もありき、結句は十流になりて千万の義ありしかば愚者はいづれに・つくべしともみへず、智者とをぼしき人は辺執かぎりなし、而れども最極は一同の義あり・所謂一代第一は華厳経・第二は涅槃経・第三は法華経・此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし、大聖とあう(仰)ぎし法雲法師・智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。

而るを像法の中の陳隋の代に智顗(ちぎ)と申す小僧あり後には智者大師とがう(号)す、法門多しといへども詮するところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり、智ぎ法師云く仏法さかさまなり云云、陳主此の事をただ(糾)さんがために南北の十師の最頂たる恵(え)ごう僧上・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合わせられし時・法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、又云く「已今当説最為難信難解」等云云、已とは無量義経に云く「摩訶般若華厳海空」等云云、当とは涅槃経に云く「般若はら(波羅)蜜より大涅槃を出だす」等云云、此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり・明明たり・御会通あるべしと・(せ責)めしかば、或は口をと(閉)ぢ・或は悪口をは(吐)き・或は色をへん(変)じなんど・せしかども、陳主立つて三拝し百官掌をあ(合)わせしかば力及ばずま(負)けにき。

一代の中には第一法華経にてありしほどに像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる大宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり・月支に入りて十七年・五天の仏法を習いきわめて貞観十九年に漢土へわたりしが・深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす、玄奘云く「月支に宗宗多しといへども此の宗第一なり」大宗皇帝は又漢土第一の賢王なり・玄奘を師とす、此の宗の所詮に云く「或は三乗方便・一乗真実」或は一乗方便・三乗真実・又云く「五性は各別なり・決定性と無性の有情は永く仏に成らず」等と云云、此の義は天台宗と水火なり・而も天台大師と章安大師は御入滅なりぬ・其の已下の人人は人非人なり・すでに天台宗破れてみ(見)へしなり。

其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ・前に天台大師にせ(責)められし六十巻の華厳経をば・さしをきて後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり、此の宗のせん(詮)にいわく華厳経は根本法輪・法華経は枝末法輪等云云、則天皇后は尼にてをはせしが内外典に・こざかしき人なり、慢心たか(高)くして天台宗をさ(下)げをぼしてありしなり、法相といゐ・華厳宗といゐ・二重に法華経かくれさせ給う。
其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・大日経・金剛頂経・蘇悉地経と申す三経をわたす、此の三人は人がらといゐ・法門といゐ・前前の漢土の人師には対すべくもなき人人なり、而も前になかりし印と真言とを・わたすゆへに仏法は已前には此の国になかりけりと・をぼせしなり、此の人人の云く天台宗は華厳・法相・三論には勝れたり・しかれども此の真言経には及ばずと云云、其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給いて候へども・天台大師のごとく公場にてせめ給はざれば・ただ闇夜のにしき(錦)のごとし、法華経になき印と真言と現前なるゆへに皆人一同に真言まさりにて有りしなり。

像法の中に日本国に仏法わたり所謂(いわゆる)欽明天皇の六年なり、欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗・弘通せり、真言宗は人王四十四代・元正天皇の御宇にわたる、天台宗は人王第四十五代・聖武天王の御宇にわたる、しかれども・ひろまる事なし、桓武の御代に最澄法師・後には伝教大師とがうす、入唐已前に六宗を習いきわむる上・十五年が間・天台・真言の二宗を山にこもり給いて御覧ありき、入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ、六宗の義やぶ(破)れぬ、後延暦廿三年に御入唐・同じき廿四年御帰朝・天台・真言の宗を日本国にひろめたり、但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向つてとかざるか。
同代に空海という人あり後には弘法大師とがうす、延暦廿三年に御入唐・大同三年御帰朝・但真言の一宗を習いわたす、此の人の義に云く法華経は尚(なお)華厳経に及ばず・何に況や真言にをひてをや。

伝教大師の御弟子に円仁という人あり・後に慈覚大師とがうす、去ぬる承和五年の御入唐・同十四年に御帰朝・十年が間・真言・天台の二宗をがく(学)す、日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習いきわめたる上・漢土にわたりて十年が間・八箇の大徳にあひて真言を習い・宗叡・志遠等に値い給いて天台宗を習う、日本に帰朝して云く天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり倶に深秘なり等云云、宣旨を申して・これにそ(添)う。
其の後円珍と申す人あり後には智証大師とがうす、入唐已前には義真和尚の御弟子なり、日本国にして義真・円澄・円仁等の人人に天台・真言の二宗習いきわめたり、其の上去ぬる仁嘉三年に御入唐・同貞観元年に御帰朝・七年が間・天台・真言の二宗を法全(ほっせん)・良諝等の人人に習いきわむ、天台・真言の二宗の勝劣は鏡をかけたり、後代に一定あらそ(争)ひありなん・定むべしと云つて天台・真言の二宗は譬へば人の両の目・鳥の二の翼のごとし、此の外異義を存ぜん人人をば祖師伝教大師にそむ(背)く人なり山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給いき・されば漢土日本に智者多しといへども此の義をやぶる人はあるべからず、此の義まことならば習う人人は必ず仏にならせ給いぬらん、あがめさせ給う国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。

但し予が愚案は人に申せども、御もち(用)ゐあるべからざる上・身のあだ(仇)となるべし、又きかせ給う弟子檀那も安穏なるべからずと・をもひし上其の義又たが(違)わず、但此の事は一定仏意には叶わでもや・あるらんとをぼへ候、法華経一部・八巻・二十八品には此の経に勝れたる経をはせば此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給えるなるべし、随つて華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経経を見るに「諸経の中に於て最も其の上に在り」の明文をやぶりたる文なし、随つて善無畏等・玄奘等・弘法・慈覚・智証等・種種のたくみ(巧)あれども法華経を大日経に対して・やぶりたる経文は・いだし給わず、但印・真言計りの有無をゆへ(所以)とせるなるべし、数百巻のふみをつくり漢土・日本に往復して無尽のたばかりをなし宣旨を申しそへて人を・をどされんよりは経文分明ならば・たれ(誰)か疑をなすべき、つゆ(露)つもりて河となる・河つもりて大海となる・塵つもりて山となる・山かさなりて須弥山となれり・小事つもりて大事となる・何に況や此の事は最も大事なり、疏(じょ)をつくられけるにも両方の道理・文証をつく(尽)さるべかりけるか、又宣旨も両方を尋ね極めて分明の証文をか(書)きのせて・いま(誡)しめあるべかりけるか。

已今当の経文は仏すら・やぶりがたし・何に況や論師・人師・国王の威徳をもつて・やぶるべしや、已今当の経文をば梵王・帝釈・日月・四天等・聴聞して各各の宮殿にかきとどめて・をは(在)するなり、まことに已今当の経文を知らぬ人の有る時は・先の人人の邪義は・ひろまりて失(とが)なきやうにては・ありとも・此の経文を・つよく立て退転せざるこわ(強)物出来しなば大事出来すべし、いや(鄙)しみて或はの(詈)り・或は打ち・或はながし・或は命をた(断)たんほどに・梵王・帝釈・日月・四天をこりあひて此の行者のかたうど(方人)を・せんほどに・存外に天のせめ来りて民もほろび・国もやぶれんか、法華経の行者はいや(卑)しけれども・守護する天こわし、例せば修羅が日月をの(呑)めば頭七分にわる・犬は師子をほゆれば・はらわた(腸)くさる、今予(よ)みるに日本国かくのごとし、又此れを供養せん人人は法華経供養の功徳あるべし、伝教大師釈して云く「讚めん者は福を安明に積み謗せん者は罪を無間に開かん」等云云。

ひへ(稗)のはん(飯)を辟支仏(ひゃくしぶつ)に供養せし人は宝明如来となり・つちのもちゐ(餅)を仏に供養せしかば閻浮提の王となれり、設いこう(功)をいたせども・まこと(誠)ならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず、設い心をろ(愚)かに・すこしきの物なれども・まことの人に供養すれば・こう(功)大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや。
其の上当世は世みだれて民の力よわ(弱)し、いとまなき時なれども・心ざしのゆくところ・山中の法華経へまうそうか(孟宗)・たかんな(竹の子)ををくらせ給う、福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず。

【妙法蓮華経 法師品 第十】

薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一
爾時仏復告 薬王菩薩摩訶薩 我所説経典
無量千万億 已説 今説 当説 而於其中 此法華経
最為難信難解 薬王 此経是諸仏 秘要之蔵
不可分布 妄授与人 諸仏世尊 之所守護
従昔已来 未曾顕説 而此経者 如来現在
猶多怨嫉 況滅度後

[和訳]
 薬王(菩薩)よ、今汝に告ぐ、 我(釈尊)説ける所の諸の経あり 而して此の経の中に於いて法華が最も第一である。
爾時(そのとき)、仏は復た薬王菩薩摩訶薩告げたまいり、我が説く所の経典は、
無量千万億あり、已に説き、今説き、当に説かんとするものあり、而して其の中に於いて此法華経は
最も信じ難く、解し難きなり。薬王よ、此経は是れ諸仏の 秘要の蔵なれば、
分布して妄(みだり)に人に授与すべからずなり。諸仏世尊の守護する所なれば、
昔より已来(このかた)、未だ嘗(かつ)て顕(あらわ)に説かざりしなり。而して此の経は、如来の現在すら
猶(な)を怨嫉が多く、況や(如来)滅度の後は云うまでもない。


by johsei1129 | 2019-11-06 19:35 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)