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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 04日 ( 33 )


2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】七

[御義口伝 下 本文]その七

【常不軽品三十箇の大事】

第一 常不軽の事
御義口伝に云く常の字は三世の不軽の事なり、不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云云。

第二 得大勢菩薩の事
御義口伝に云く得とは応身なり大とは法身なり勢とは報身なり、又得とは仮諦なり大とは中道なり勢とは空諦なり円融の三諦三身なり。

第三 威音王の事
御義口伝に云く威とは色法なり音とは心法なり王とは色心不二を王と云うなり、末法に入て南無妙法蓮華経と唱え奉る是れ併(しかしなが)ら威音王なり云云、其の故は音とは一切権教の題目等なり威とは首題の五字なり王とは法華の行者なり云云、法華の題目は獅子の吼ゆるが如く余経は余獣の音の如くなり諸経中王の故に王と云うなり、今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る威音王仏なり云云。

第四 凡有所見(ぼんぬしょけん)の事
御義口伝に云く今日本国の一切衆生を法華経の題目の機なりと知見するなり云云。

第五 我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏の事
御義口伝に云く此の廿四字と妙法の五字は替(か)われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり。

第 六但行礼拝(たんぎょうらいはい)の事
御義口伝に云く礼拝とは合掌なり合掌とは法華経なり此れ即ち一念三千なり、故に不専読誦経典但行礼拝(ふせんどくじゅきょうてん・たんぎょうらいはい)と云うなり。

第七 乃至遠見(おんけん)の事
御義口伝に云く上の凡有所見の見は内証所具の仏性を見るなり、此れは理なり遠見の見は四衆と云う間・事なり仍つて上は心法を見る今は色法を見る色法は本門の開悟(かいご)四一開会なり、心法を見るは迹門の意又四一開会なり、遠の一字は寿量品の久遠なり故に故往礼拝(こおうらいはい)といえり云云。

第八 心不浄者の事
御義口伝に云く謗法の者は色心二法共に不浄なり、先ず心法不浄の文は今此の心不浄者なり、又身不浄の文は譬喩品に「身常臭処垢穢不浄(しんじょうしゅうしょ・くえふじょう)」と云えり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心共に清浄なり、身浄は法師功徳品に云く「若持法華経其身甚清浄」の文なり、心浄とは提婆品に云く「浄心信敬」と云云、浄とは法華経の信心なり不浄とは謗法なり云云。

第九 言是(ごんぜ)無智比丘の事
御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり。

第十 聞其所説 皆信伏随従(もんごしょせつ・かいしんぷくずいじゅう)の事
御義口伝に云く聞とは名字即なり所詮(しょせん)は而強毒之(にごうどくし)の題目なり、皆とは上慢の四衆等なり信とは無疑曰信(むぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり。

[御義口伝 下 本文]その八に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 21:30 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】六

[御義口伝 下 本文]その六

【法師功徳品四箇の大事】

第一 法師功徳の事
 御義口伝に云く法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳(さいわい)有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功(く)と云い善を生ずるを徳(とく)と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可きなり云云。

第二 六根清浄の事
 御義口伝に云く眼(まなこ)の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり、法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり、眼とは法華経なり此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云、耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり云云。

第三 又如浄明鏡の事
 御義口伝に云く法華経に鏡の譬(たとえ)を説く事此の明文なり、六根清浄の人は瑠璃明鏡(るりみょうきょう)の如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり、所詮(しょせん)瑠璃と明鏡との二の譬を説かれたり身根清浄の下なり、色心不二なれば何れも清浄の徳分なり浄とは不浄に対して浄と云うなり明とは無明に対して明と説くなり、鏡とは一心なり浄は仮諦・明は空諦・鏡は中道なり悉見諸色像(しっけんしょしきぞう)の悉(ことごとく)は十界なり、所詮浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり浄明鏡とは信心なり云云、又三千大千世界を知見するとは三世間の事なり。

第四 是人持此経 安住希有(けう)地の事
 御義口伝に云く是人とは日本国の一切衆生の中には法華の行者なり希有地とは寿量品の事理の顕本を指すなり、是を又分別品には「仏説希有法」と説かれたり別しては南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり、惣じては此の品の六根清浄の功徳は十信相似即なり対告衆の常精進菩薩は十信の第三信と云えり、然りと雖も末法に於ては法華経の行者を指して常精進菩薩と心得可きなり此の経の持者は是則精進の故なり。


[御義口伝 下 本文]その七に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 21:22 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】五

[御義口伝 下 本文]その五

【分別功徳品三箇の大事】

第一 其有衆生 聞仏寿命 長遠如是 乃至能生 一念信解 所得功徳 無有限量の事
 御義口伝に云く一念信解の信の一字は一切智慧を受得(じゅとく)する所の因種なり、信の一字は名字即の位なり仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり、信の一字は寿量品の理顕本を信ずるなり解とは事顕本を解するなり此の事理の顕本を一念に信解するなり、一念とは無作本有の一念なり、此くの如く信解する人の功徳は限量有る事有る可からざるなり、信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり、今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第二 是則能信受 如是諸人等 頂受此経典の事
 御義口伝に云く法華経を頭に頂くと云う明文なり、如是諸人等の文は広く一切衆生に亘るなり、然らば三世十方の諸仏は妙法蓮華経を頂き受けて成仏し給う、仍つて上の寿量品の題目を妙法蓮華経と題して次に如来と題したり秘す可し云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは此の故なり云云。

第三 仏子住此地 則是仏受用の事
 御義口伝に云く此の文を自受用の明文と云えり、此地とは無作の三身の依地なり仏子とは法華の行者なり仏子は菩薩なり法華の行者は菩薩なり住とは信解の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は妙法の地に住するなり仏の受用の身なり深く之を案ず可し云云。

【随喜品二箇の大事】

 第一 妙法蓮華経随喜功徳の事
 御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、是に随い喜ぶを随喜とは云うなり惣じて随とは信の異名なり云云、唯信心の事を随と云うなりされば二巻には随順此経非己智分(ずいじゅんしきょう・ひこちぶん)と説かれたり云云。

第二 口気無臭穢(くけむしゅうえ) 優鉢華之香(うばっけしこう) 常從其口出(じょうじゅうごくしゅつ)の事
 御義口伝に云く口気とは題目なり、無臭穢(むしゅうえ)とは弥陀等の権教方便無得道の教を交(まじ)えざるなり、優鉢華之香とは法華経なり、末法の今は題目なり、方便品に如優曇鉢華の事を一念三千と云えり之を案ず可し、常とは三世常住なり其口とは法華の行者の口なり出とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは常従其口出なり云云。

[御義口伝 下 本文]その六に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 21:17 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】四

[御義口伝 下 本文]その四

【寿量品二十七箇の大事】

 第二十一 自我偈の事
 御義口伝に云く自とは九界なり我とは仏身なり偈とはことわるなり本有とことわりたる偈頌(げじゅ)なり深く之を案ず可し、偈(ことわり)様とは南無妙法蓮華経なり云云。

  第二十二 自我偈始終の事
御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第二十三 久遠の事
御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕(つくろ)わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成(まことにひらけたり)無作と開けたるなり云云。

第二十四 此の寿量品の所化の国土と修行との事
御義口伝に云く当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行とは無疑曰信(むぎわっしん)の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云。

第二十五 建立御本尊等の事
御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥(たしか)に霊山に於て面授口決(めんじゅぐけつ)せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

第二十六 寿量品の対告衆の事
御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に日本国の一切衆生なり、中にも日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり、弥勒とは末法法華の行者の事なり、弥勒をば慈氏と云う法華の行者を指すなり、章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」と是れ豈弥勒菩薩に非ずや云云。

第二十七 無作三身の事 種子尊形三摩耶
御義口伝に云く尊形とは十界本有の形像なり三摩耶(さまや)とは十界所持の物なり種子とは信の一字なり、所謂南無妙法蓮華経改めざるを云うなり三摩耶とは合掌なり秘す可し秘す可し云云。

[御義口伝 下 本文]その五に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 18:28 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】三

[御義口伝 下 本文]その三

【寿量品二十七箇の大事】
 
 第十一 自我得仏来の事
御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。

第十二 為度衆生故 方便現涅槃の事
御義口伝に云く涅槃経は法華経より出でたりと云う経文なり、既に方便と説かれたり云云。

第十三 常住此説法の事
御義口伝に云く常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり山谷曠野(せんごくこうや)を指して此とは説き給う、説法とは一切衆生の語言の音声が本有の自受用智の説法なり、末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり

第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山の事
御義口伝に云く霊山一会儼然未散(りょうぜんいちえげんねんみさん)の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。
又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然(おんねん)の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり、霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云。

第十五 衆生見劫尽~ 而衆見焼尽の事
御義口伝に云く本門寿量の一念三千を頌する文なり、大火所焼時とは実義には煩悩の大火なり、我此土安穏とは国土世間なり、衆生所遊楽とは衆生世間なり、宝樹多華菓とは五陰世間なり是れ即ち一念三千を分明に説かれたり、又云く上の件の文は十界なり大火とは地獄界なり天皷(てんく)とは畜生なり人と天とは人天の二界なり、天と人と常に充満するなり、雨曼陀羅華(うまんだらけ)とは声聞界なり園林とは縁覚界なり菩薩界とは及の一字なり仏界とは散仏なり修羅と餓鬼界とは憂怖諸苦悩如是悉充満の句に摂するなり、此等を是諸罪衆生と説かれたり、然りと雖も此の寿量品の説顕われては、則皆見我身とて一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

第十六 我亦為世父の事
御義口伝に云く我とは釈尊一切衆生の父なり主師親に於て仏に約し経に約す、仏に約すとは迹門の仏の三徳は今此三界の文是なり、本門の仏の主・師・親の三徳は主の徳は我此土安穏の文なり師の徳は常説法教化の文なり親の徳は此の我亦為世父の文是なり、妙楽大師は寿量品の文を知らざる者は不知恩の畜生と釈し給えり・経に約すれば、諸経中王は主の徳なり能救(のうぐ)一切衆生は師の徳なり又如大梵天王一切衆生之父の文は父の徳なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。

第十七 放逸著五欲 堕於悪道中の事
御義口伝に云く放逸とは謗法の名なり入阿鼻獄疑無き者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の経文を免離(めんり)せり云云。

第十八 行道不行道の事
御義口伝に云く十界の衆生の事を説くなり行道は四聖・不行道は六道なり、又云く行道は修羅人天・不行道は三悪道なり、所詮末法に入つては法華の行者は行道なり謗法の者は不行道なり、道とは法華経なり、天台云く「仏道とは別して今の経を指す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり唱えざるは不行道なり云云。

第十九 毎自作是念の事
御義口伝に云く毎とは三世なり自とは別しては釈尊惣じては十界なり、是念とは無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり、作とは此の作は有作の作に非ず無作本有の作なり云云、広く十界本有に約して云わば自とは万法己己の当体なり、是念とは地獄の呵責(かしゃく)の音・其の外一切衆生の念念・皆是れ自受用報身の智なり是を念とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る念は大慈悲の念なり云云。

第二十 得入無上道等の事
御義口伝に云く無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身疑無きなり云云。

[御義口伝 下 本文]その四に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 18:21 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二

[御義口伝 下 本文]その二

【寿量品二十七箇の大事】

 第五 若仏久住於世 薄徳之人 不種善根 貧窮下賤 貪著五欲 入於憶想 妄見網中の事
 御義口伝に云く此の経文は仏・世に久住したまわば薄徳の人は善根を殖(う)ゆ可からず然る間妄見網中と説かれたり、所詮此の薄徳とは在世に漏れたる衆生今滅後日本国に生れたり、所謂念仏禅真言等の謗法なり、不種善根とは善根は題目なり不種とは未だ持たざる者なり、憶想とは捨閉閣抛(しゃへいかくほう)第三の劣等此くの如きの憶想なり、妄とは権教妄語の経教なり見は邪見なり法華最第一の一を第三と見るが邪見なり、網中とは謗法不信の家なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者はかかる妄見の経・網中(もうちゅう)の家を離れたる者なり云云。

 第六 飲他毒薬 薬発悶乱 宛転于地の事
御義口伝に云く他とは念仏・禅・真言の謗法の比丘なり、毒薬とは権教方便なり法華の良薬に非ず故に悶乱するなり悶とはいきたゆるなり、寿量品の命なきが故に悶乱するなり宛転于地(えんでんうじ)とは阿鼻地獄へ入るなり云云、諸子飲毒の事は釈に云く「邪師の法を信受するを名けて飲毒と為す」と、諸子とは謗法なり飲毒とは弥陀・大日等の権法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは毒を飲まざるなり。

第七 或失本心 或不失者の事
御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり本心とは下種なり不失とは法華経の行者なり失とは本(もと)有る物を失う事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云。

 第八 擣簁和合(とうしわごう) 与子令服(よしりょうぶく)の事
 御義口伝に云く此の経文は空仮中の三諦戒定慧の三学なり、色香美味の良薬なり。擣(とう)は空諦なり、簁(し)は仮諦なり和合は中道なり与は授与なり子は法華の行者なり服すると云うは受持の義なり、是を此大良薬色香美味皆悉具足と説かれたり、皆悉の二字万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり、色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり、されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし若し服する者は速除苦悩なり、されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり、法華の行者は罵詈(めり)せらるれども忍辱を行ずるは瞋恚(しんい)の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡の煩悩を治するなり、されば大良薬は末法の成仏の甘露なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。

第九 毒気深入 失本心故の事
御義口伝に云く毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美(にいふみ)とてむまからずと云う者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは而謂不美の者に非ざるなり。

第十 是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差(もっつふさい)の事
御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差(びょうげんいゆ)るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。

[御義口伝 下 本文]その三に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 18:16 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】一

[御義口伝 下 本文]その一

御義口伝巻下

                                 日蓮所立寿量品より開結二経に至る

【寿量品二十七箇の大事】

第一 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事  
文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは詮量(せんりょう)なり、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。
御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり。
 六即の配立(はいりゅう)の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり。
 惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の儘(まま)を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。

第二 如来秘密神通之力の事
御義口伝に云く無作三身の依文(えもん)なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発(ささほつほつ)と振舞う処を神通と云うなり獄卒の罪人を苛責する音(こえ)も皆神通之力なり、生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するよ
り外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり
、仍(よ)つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。

第三 我実成仏已来 無量無辺等の事
御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成(ひら)けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり、百界千如一念三千と説かれたり、百千の二字は百は百界千は千如なり此れ即ち事の一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり、惣じては迹化の菩薩此の品に手をつけいろうべきに非ざる者なり、彼は迹表本裏・此れは本面迹裏・然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す云云。

第四 如来如実知見 三界之相 無有生死の事
御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有(ほんぬ)と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離(えんり)するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり、無とは法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり有とは地獄は地獄の有の儘(まま)十界本有の妙法の全体なり、生とは妙法の生なれば随縁なり死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり若退の故に滅後なり若出の故に在世なり、されば無死退滅は空なり有生(うしょう)出在は仮(け)なり如来如実は中道なり、無死退滅は無作の報身なり有生出在は無作の応身なり如来如実は無作の法身なり、此の三身は我が一身なり、一身即三身名為秘(みょういひ)とは是なり、三身即一身名為密(みょういみつ)も此の意なり、然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。

[御義口伝 下 本文]その二に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 18:09 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十四

[御義口伝 上 本文]その十四

【安楽行品五箇の大事】

第一 安楽行品の事
 御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。

第二 一切法空の事
 御義口伝に云く此下に於て十八空之有り十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり十八空は何れも妙法の事なり。

第三 有所難問 不以小乗法答 但以大乗 而為解説 令得一切種智の事
  御義口伝に云く対治の時は権教を以て会通(えつう)す可からず。
 一切種智とは南無妙法蓮華経なり一切は万物なり種智は万物の種なり妙法蓮華経是なり、又云く一切種智とは我等が一心なり一心とは万法の惣体なり之を思う可し。

第四 無有怖畏(むうふい) 加刀杖等(かとうじょうとう)の事
 御義口伝に云く迹化の菩薩に刀杖の難之れ有る可からずと云う経文なり、勧持品は末法法華の行者に及加刀杖者数数見擯出(さくさくけんひんずい)と此の品には之無し、彼は末法の折伏の修行此の品は像法摂受の修行なるが故なり云云。

第五 有人来欲難問者 諸天昼夜 常為法故 而衛護之の事
 御義口伝に云く末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之有る可し常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり。

【涌出品一箇の大事】

 第一 唱導之師の事
 御義口伝に云く涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり、本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり此れを唱と云うなり導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり、末法の導師とは本化に限ると云うを師と云うなり、此の四大菩薩の事を釈する時、疏(じょ)の九を受けて輔正記の九に云く「経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰(こ)ゆるを無辺行と称し五住の垢累(くるい)を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり、又云く火は物を焼くを以て行とし水は物を浄(きよ)むるを以て行とし風は塵垢(じんく)を払うを以て行とし大地は草木を長ずるを以て行とするなり四菩薩の利益是なり、四菩薩の行は不同なりと雖も、倶に妙法蓮華経の修行なり、此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法性之淵底玄宗之極地」と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く「下方とは生公(しょうこう)の云く住して理に在るなり」と云云、此の理(り)の住処より顕れ出づるを事と云うなり、又云く千草万木・地涌の菩薩に非ずと云う事なし、されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず、此の本法の体より用を出して止観と弘め一念三千と云う、惣じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め給うなり、此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信(むぎわっしん)の釈之を思ふ可し云云。

   御義口伝巻上               日蓮 在御判
弘安元年戊寅正月一日                     執筆 日興

[御義口伝 下 本文]その一に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 16:32 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十三

[御義口伝 上 本文]その十三

【勧持品十三箇の大事】

第一 勧持の事
御義口伝に云く勧とは化他・持とは自行なり南無妙法蓮華経は自行化他に亘(わた)るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり。

第二 不惜身命の事
御義口伝に云く身とは色法・命とは心法なり事理の不惜身命之れ有り、法華の行者田畠等を奪わるは理の不惜身命なり命根を断たるを事の不惜身命と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は事理共に値うなり。

第三 心不実故の事
御義口伝に云く心不実故とは法華最第一の経文を第三と読み最為其上の経文を最為其下と読みて法華経の一念三千を華厳大日等に之れ有りと法華の即身成仏を大日経に取り入るるは此等は皆心不実故なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は心実なるべし云云。

第四 敬順仏意の事
御義口伝に云く法華経に順ずるは敬順仏意なり意とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは敬順仏意の意なり。

第五 作師子吼(さししく)の事
御義口伝に云く師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作(おこ)すなり。

第六 如法修行の事
御義口伝に云く如法修行の人とは天台妙楽伝教等なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは如法修行なり云云。

第七 有諸無智人の事
御義口伝に云く一文不通の大俗なり悪口罵詈(めり)等分明なり日本国の俗を諸と云うなり。

第八 悪世中比丘の事
御義口伝に云く悪世中比丘の悪世とは末法なり比丘とは謗法たる弘法等是なり、法華の正智を捨て権教の邪智を本とせり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は正智の中の大正智なり。

第九 或有阿練若の事
御義口伝に云く第三の比丘なり良観等なり如六通羅漢の人と思うなり。

第十 自作此経典の事
御義口伝に云く法華経を所作して読むと謗す可しと云う経文なり云云。

第十一 為斯所軽言 汝等皆是仏の事
御義口伝に云く法華経の行者を蔑(あな)づり生仏と云うべしと云う経文なり、是は軽心を以て謗るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を云う可きなり。

第十二 悪鬼入其身の事
御義口伝に云く悪鬼とは法然弘法等是なり入其身とは国王・大臣・万民等の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を怨(あだ)むべしと云う事なり、鬼とは命を奪う者にして奪功徳者と云うなり、法華経は三世諸仏の命根なり此の経は一切諸菩薩の功徳を納めたる御経なり。

第十三 但惜(たんじゃく)無上道の事
御義口伝に云く無上道とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を惜む事は命根よりも惜き事なり、之に依つて結ぶ処に仏自知我心と説かれたり法華経の行者の心中をば教主釈尊の御存知有る可きなり、仏とは釈尊我心とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。

[御義口伝 上 本文]その十四に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 16:25 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十二

[御義口伝 上 本文]その十二

【提婆達多品八箇の大事】

  第一 提婆達多の事  文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。
  御義口伝に云く提婆とは本地は文殊なり、本地清凉(しょうりょう)と云うなり迹(しゃく)には提婆と云うなり天熱を示す是なり、清凉は水なり此れは生死即涅槃なり天熱は火なり是は煩悩即菩提なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに煩悩即菩提生死即涅槃なり、提婆は妙法蓮華経の別名なり過去の時に阿私仙人なり阿私仙人とは妙法の異名なり阿とは無の義なり私無きの法とは妙法なり、文句の八に云く無私法を以て衆生に灑(そそ)ぐと云えり阿私仙人とは法界三千の別名なり故に私無きなり一念三千之を思う可し云云。

 第二 若不違我当為宣説(にゃくふいがとういせんぜつ)の事
御義口伝に云く妙法蓮華経を宣説する事を汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり、若(にゃく)の字は汝(にょ)なり、天台の云く「法を受けて奉行す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云。

第三 採菓汲水拾薪設食(さいかぎゅうすいじゅうしんせつじき)の事
御義口伝に云く採菓とは癡煩悩なり汲水とは貪煩悩なり拾薪(じゅうしん)とは瞋煩悩なり設食とは慢煩悩なり、此の下に八種の給仕之れ有り此の外に妙法蓮華経の伝受之れ無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは即ち千歳給仕なり是れ即ち一念三千なり貪瞋癡慢を対治するなり。

第四 情存妙法故 身心無懈倦(むけげん)の事
御義口伝に云く身心の二字色心妙法と伝受するなり、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて即身成仏す身心無倦(むけん)とは一念三千なり云云。

第五 我於海中唯常宣説の事
御義口伝に云く我とは文殊なり海とは生死の海なり唯とは唯有一乗法なり常とは常住此説法なり妙法蓮華経とは法界の言語音声なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり、生死の海即真如の大海なり我とは法界の智慧なり文殊なり云云。

第六 年始八歳の事
御義口伝に云く八歳とは八巻なり提婆は地獄界なり竜女は仏界なり然る間十界互具百界千如一念三千なり、又云く八歳とは法華経八巻なり我等八苦の煩悩なり、惣じて法華経の成仏は八歳なりと心得可し八苦即八巻なり八苦八巻即八歳の竜女と顕るるなり一義に云く、八歳の事はたまをひらくと読むなり、歳(たま)とは竜女の一心なり八(ひらく)とは三千なり三千とは法華の八巻なり、仍つて八歳とは開仏知見の所表なり智慧利根より能至菩提まで法華に帰入するなり、此の中に心念口演とは口業なり志意和雅(しいわげ)とは意業なり悉能受持深入禅定とは身業なり三業即三徳なれば三諦法性なり、又云く心念とは一念なり口演とは三千なり悉能受持とは竜女法華経受持の文なり、歳とは如意宝珠なり妙法なり八とは色心を妙法と開くなり。

第七 言論未訖の事
御義口伝に云く此の文は無明即法性の明文なり、其の故は智積(ちしゃく)難問の言未だ訖(おわ)らざるに竜女三行半の偈を以て答うるなり、難問の意は別教の意なり無明なり竜女の答は円教の意なり法性なり、智積は元品の無明なり竜女は法性の女人なり仍(よっ)て無明に即する法性法性に即する無明なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは言論未訖なり、時とは上の事の末末の事の始なり時とは無明法性同時の時なり南無妙法蓮華経と唱え奉る時なり、智積菩薩を元品の無明と云う事は不信此女の不信の二字なり不信とは疑惑なり疑惑を根本無明と云うなり、竜女を法性と云う事は我闡(がせん)大乗教の文なり竜女とは竜は父なり女は八歳の娘なり竜女の二字は父子同時の成仏なり、其の故は時竜王女の文是なり既に竜王の女(むすめ)と云う間竜王は父なり女とは八歳の子なり、されば女の成仏は此の品にあり父の竜の成仏は序品に之れ在り、有八竜王の文是なり、然りと雖も父子同時の成仏なり序品は一経の序なる故なり、又聞成菩提(うもんじょうぼだい)とは竜女が智積を責めたる言なりされば唯我が成仏をば仏御存知あるべしとて又聞成菩提唯仏当証知と云えり苦の衆生とは別して女人の事なり、此の三行半の偈は一念三千の法門なり遍照於(へんしょうお)十方とは十界なり、殊には此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり、人王の始は神武天皇なり神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の御子なり此の葺不合尊は豊玉姫の子なり此の豊玉姫は沙竭羅竜王(しゃからりゅうおう)の女(むすめ)なり八歳の竜女の姉なり、然る間先祖法華経の行者なり甚深甚深云云、されば此の提婆の一品は一天の腰刀なり無明煩悩の敵を切り生死愛着(あいちゃく)の繩を切る秘法なり、漢高三尺(じゃく)の剣(けん)も一字の智剣に及ばざるなり妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり、提婆は火炎(かえん)を顕し竜女は大蛇を示し文殊は智剣を顕すなり仍つて不動明王の尊形と口伝せり、提婆は我等が煩悩即菩提を顕すなり、竜女は生死即涅槃を顕すなり、文殊をば此には妙徳と飜(ほん)ずるなり煩悩生死具足して当品の能化なり。

第八有 一宝珠の事 文句の八に云く一とは珠を献じて円解を得ることを表すと。
 御義口伝に云く一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用(ゆう)なり珠とは妙法の体なり、妙の故に心法なり法の故に色法なり色法は珠なり心法は宝なり妙法とは色心不二なり、一念三千を所表して竜女宝珠を奉るなり、釈に表得円解(ひょうとくえんげ)と云うは一念三千なり、竜女が手に持てる時は性得の宝珠なり仏受け取り給う時は修得の宝珠なり、中に有るは修性不二なり、甚疾とは頓極・頓速・頓証の法門なり即為疾得無上仏道なり、神力とは神は心法なり力とは色法なり観我成仏とは舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよと責めたるなり、観に六則観之れ有り爰元(ここもと)の観は名字即の観と心得可きなり、其の故は南無妙法蓮華経と聞ける処を一念坐道場成仏不虚也と云えり、変成男子(へんじょうなんし)とは竜女も本地南無妙法蓮華経なり其の意経文に分明なり。

[御義口伝 上 本文]その十三に続く


by johsei1129 | 2019-11-04 16:20 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)