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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 01日 ( 6 )


2019年 11月 01日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】六

[下山御消息 本文] その六

 
 然而(しかして)極楽世界よりはるばると御供(おんとも)し奉りたりしが無量義経の時、仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて、此等の法門は真実ならずと説き給いしかば、実とも覚へざりしに阿弥陀仏正(まさし)く来りて合点し給いしをうち見て、さては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しかりけりと聞定めて、さては我等も本土に還りて何かせんとて八万二万の菩薩のうちに入り、或は観音品に遊於娑婆世界と申して此の土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内、南方、補陀落(ふだらく)山と申す小所を釈迦仏より給いて宿所と定め給ふ。阿弥陀仏は左右の臣下たる観音勢至に捨てられて、西方世界へは還り給はず、此の世界に留りて法華経の行者を守護せんとありしかば、此の世界の内(うち)、欲界第四の兜率天、弥勒菩薩の所領の内、四十九院の一院を給いて阿弥陀院と額を打つておはするとこそうけ給はれ。其の上、阿弥陀経には仏、舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ。舎利弗、舎利弗、又舎利弗、と二十余処までいくばくもなき経によび給いしは、かまびすしかりし事ぞかし。

 然れども四紙の一巻が内すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず、法華経に来りてこそ始て華光如来、光明如来とは記せられ給いしか、一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる。まして末代の牛羊(うしひつじ)の如くなる男女、彼彼の経経にて生死を離れなんや。此の由を弁へざる末代の学者等、並に法華経を修行する初心の人人、かたじけなく阿弥陀経を読み念仏を申して、或は法華経に鼻を並べ、或は後に此れを読みて法華経の肝心とし、功徳を阿弥陀経等にあつらへて西方へ回向し、往生せんと思ふは、譬へば飛竜が驢馬を乗物とし、師子が野干をたのみたるか、将又日輪出現の後の衆星の光、大雨の盛時(さかんなる)の小露なり。故に教大師云く「白牛(びゃくご)を賜う朝には三車を用いず。家業を得る夕に何ぞ除糞を須(もち)いん」。故に経に云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」、又云く「日出でぬれば星隠れ巧(たくみ)を見て拙(つたなき)を知る」と云云。
 法華経出現の後は、已今当の諸経の捨てらるる事は勿論なり。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人人、道綽(どうしゃく)が未有一人得者、善導が千中無一、慧心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛(しゃへいかくほう)等を堅く信じて、或は法華経を抛(なげう)ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法の二名なりと思いて行ずる者もあり。此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指し置き奉りて、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に、国毎に郷毎に家家毎に並べ立て、或は一万、二万或は七万返、或は一生の間一向に修行して主師親をわすれたる、だに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生、御入滅の両日を奪い取りて、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり。是豈に不孝の者にあらずや、逆路七逆の者にあらずや。人毎に此の重科有りて、しかも人毎に我が身は科なしとおもへり、無慚無愧(むざんむき)の一闡提人なり。

 法華経の第二の巻に主と親と師との三大事を説き給へり、一経の肝心ぞかし。其の経文に云く「今此の三界は皆是れ我有なり、其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す」等云云。又此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。されば念仏者が本師の導公は、其中衆生の外か唯我一人の経文を破りて千中無一といいし故に、現身に狂人と成りて楊柳(やなぎ)に登りて身を投げ、堅土に落ちて死にかねて十四日より二十七日まで十四日が間、顛倒狂死し畢んぬ。又真言宗の元祖、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵等は親父を兼ねたる教主釈尊、法王を立下(たてくだし)て大日他仏をあがめし故に、善無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず又無間地獄に堕ちぬ。汝等此の事疑あらば眼前に閻魔堂の画を見よ。金剛智、不空の事はしげければかかず。又禅宗の三階信行禅師は、法華経等の一代聖教をば別教と下(く)だす、我が作れる経をば普経と崇重せし故に、四依の大士の如くなりしかども、法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失ひ、現身に大蛇となり数十人の弟子を呑み食う。

  今日本国の人人はたとひ法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも、真言宗、禅宗、念仏者をあがむるならば無間地獄はまぬがれがたし。何に況や三宗の者共を日月の如く渇仰し、我が身にも念仏を事(わざ)とせむ者をや、心あらん人人は、念仏、阿弥陀経等をば父母、師、君、宿世(すくせ)の敵よりもいむべきものなり。例せば逆臣が旗をば官兵は指す事なし、寒食の祭には火をいむぞかし。されば古への論師、天親菩薩は、小乗経を舌の上に置かじと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は、法華経をだに読み給はず。此等はもと小乗経を以て大乗経を破失し、法華経を以て天台大師を毀謗し奉りし謗法の重罪を消滅せんがためなり。今日本国の人人は一人もなく不軽軽毀の如く苦岸、勝意等の如く、一国万人、皆無間地獄に堕つべき人人ぞかし。仏の涅槃経に記して、末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記し給いし是なり。而(しかる)に今法華経の行者出現せば一国万人、皆法華経の読誦を止めて、吉蔵大師の天台大師に随うが如く身を肉橋となし、不軽軽毀の還つて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕うるとも、一日二日、一月二月、一年二年、一生二生が間には法華経誹謗の重罪は尚なをし滅しがたかるべきに、其の義はなくして当世の人人は四衆倶に一慢をおこせり。所謂念仏者は法華経を捨てて念仏を申す、日蓮は法華経を持(たもつ)といへども念仏を持たず、我等は念仏を持ち法華経をも信ず、戒をも持ち一切の善を行ず等云云。此等は野兎が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり、善星が仏ををどせしにことならず、鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり。墓無し墓無し。当時は予が古へ申せし事の漸く合(あう)かの故に、心中には如何せんとは思ふらめども、年来(としごろ)あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が忽に翻(ひるがえり)がたくて信ずる由をせず。而も蒙古はつよりゆく、如何せんと宗盛、義朝が様になげくなり。あはれ人は心はあるべきものかな、孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり、食する時は三度吐(はき)給う、賢人は此の如く用意をなすなり。世間の法にもはふ(法)にすぎば、あやしめといふぞかし。国を治する人なんどが、人の申せばとて委細にも尋ねずして左右なく科に行はれしは、あはれくやしかるらんに夏の桀王が湯王に責められ、呉王が越王に生けどりにせられし時は、賢者の諌暁を用いざりし事を悔ひ阿闍世王が悪瘡身に出で、他国に襲はれし時は提婆を眼に見じ耳に聞かじと誓い、乃至宗盛がいくさにまけ義経に生けどられて鎌倉に下(くだ)されて面をさらせし時は、東大寺を焼き払はせ、山王の御輿(みこし)を射奉りし事を歎きしなり。

 今の世も又一分もたがふべからず、日蓮を賤み諸僧を貴び給う故に、自然に法華経の強敵となり給う事を弁へず。政道に背きて行はるる間、梵釈、日月、四天、竜王等の大怨敵となり給う。法華経守護の釈迦、多宝、十方分身の諸仏、地涌千界、迹化他方、二聖、二天、十羅刹女、鬼子母神、他国の賢王の身に入り代りて、国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず。真の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山(てっちせん)を日本国に引回(ひきめぐら)し須弥山を蓋(おおい)として十方世界の四天王を集めて波際(なぎさ)に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散して散散に踏(ふみ)たりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神、正八幡等もいかでか、かかる国をばたすけ給うべき、いそぎいそぎ治罰を加えて自科(みずからのとが)を脱がれんとこそ、はげみ給うらめ、をそ(遅)く科に行う間、日本国の諸神ども、四天大王にいましめられてやあるらん、知り難き事なり。教大師云く「竊(ひそか)に以(おもんみ)れば菩薩は国の宝なること法華経に載せ大乗の利他は、摩訶衍(まかえん)の説なり、弥天(みてん)の七難は大乗経に非ずんば何を以てか除くことを為せ()ん。未然の大災は菩薩僧に非ずんば豈冥滅することを得んや」等云云。

 而るを今大蒙古国を調伏する公家武家の日記を見るに、或は五大尊或は七仏薬師或は仏眼或は金輪等云云。此れ等の小法は大災を消すべしや、還著於本人(げんちゃくおほんにん)と成りて国忽に亡びなんとす。或は日吉の社にして法華の護摩を行うといへども、不空三蔵が誤れる法を本として行う間、祈祷の儀にあらず。又今の高僧等は或は東寺の真言、或は天台の真言なり。東寺は弘法大師、天台は慈覚、智証なり。此の三人は上に申すが如く大謗法の人人なり。其れより已外(いげ)の諸僧等は、或は東大寺の戒壇の小乗の者なり。叡山の円頓戒は又慈覚の謗法に曲げられぬ、彼の円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にあらず、旁(かたがた)叶うべき事にはあらず。只今国土やぶれなん、後悔さきにたたじ、不便(ふびん)不便と語り給いしを千万が一を書き付けて参らせ候。

 但し身も下賤に生れ心も愚に候へば、此の事は道理かとは承わり候へども、国主も御用いなきかの故に鎌倉にては如何が候けん、不審に覚え候。返す返すも愚意に存じ候は、これ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして両度の御勘気には行はれけるやらんと聞食(きこしめ)しほどかせ給はぬ人人の、或は道理とも或は僻事とも仰せあるべき事とは覚え候はず。又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも、併(しかしなが)ら御為父母の為にて候。只理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候はば、其の時重ねて申すべく候。いかにも聞食さずしてうしろの推義をなさん人人の仰せをば、たとひ身は随う様に候えども心は一向に用いまいらせ候まじ。又恐れにて候へども兼ねてつみしらせまいらせ候。此の御房は唯一人おはします、若しやの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん、世間の人人の用いねばとは一旦のをろ(愚)かの事なり、上(かみ)の御用あらん時は誰人か用いざるべきや。其の時は又用いたりとも何かせん、人を信じて法を信ぜず、又世間の人人の思いて候は、親には子は是非に随うべしと君臣師弟も此くの如しと、此れ等は外典をも弁えず内典をも知らぬ人人の邪推なり、外典の孝経には子父、臣君諍うべき段もあり。内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ。悉達(しった)太子は閻浮第一の孝子なり、父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか。比干が親父紂王を諌暁して胸をほ(屠)られてこそ賢人の名をば流せしか。賤(いやし)み給うとも小法師が諌暁を用ひ給はずば、現当の御歎きなるべし。此れは親の為に読みまいらせ候はぬ、阿弥陀経にて候へばいかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず。恐恐申し上げ候。

建治三年六月 日 僧 日永 (日蓮大聖人代筆)
下山兵庫五郎殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-01 21:15 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 01日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】五

[下山御消息 本文] その五

 自讃には似たれども本文に任せて申す、余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使なり。経に云く「即如来の使なり」と、又云く「眼目なり」と、又云く「日月なり」と。章安大師の云く「彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり」等云云。而るに謗法一闡提・国敵の法師原が讒言を用いて其義を弁えず、左右なく大事たる政道を曲げらるるはわざとわざはひをまねかるるか、墓無し墓無し。然るに事しづまりぬれば科なき事は恥かしきかの故にほどなく召返されしかども、故最明寺の入道殿も又早くかくれさせ給いぬ。当御時に成りて或は身に疵をかふり、或は弟子を殺され、或は所所を追(おわ)れ、或はやどをせめしかば一日片時も地上に栖むべき便りなし。是に付けても仏は一切世間・多怨難信と説き置き給う、諸の菩薩は我不愛身命但惜無上道と誓へり。加刀杖瓦石数数見擯出の文に任せて流罪せられ刀のさきにかかりなば法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりてわざと不軽菩薩の如く、覚徳比丘の様に、竜樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く、弥強盛に申しはる。

 今度、法華経の大怨敵を見て経文の如く、父母・師匠・朝敵・宿世の敵の如く散散に責るならば、定めて万人もいかり、国主も讒言を収(いれ)て流罪し、頚にも及ばんずらん。其時仏前にして誓状せし梵釈・日月・四天の願をもはたさせたてまつり、法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと起請せしを身にあてて心みん。釈尊・多宝・十方分身の諸仏の或は共に宿し、或は衣を覆はれ、或は守護せんとねんごろに説かせ給いしをも、実(まこと)か虚言(そらごと)かと知つて信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず去る文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土の国へ流罪せらる。外には遠流と聞(きこ)えしかども内には頚を切ると定めぬ、余又兼て此の事を推せし故に弟子に向つて云く、我が願既に遂ぬ、悦び身に余れり、人身は受けがたくして破れやすし。過去遠遠劫より由なき事には失いしかども、法華経のために命をすてたる事はなし。我頚を刎られて師子尊者が絶えたる跡を継ぎ、天台伝教の功にも超へ、付法蔵の二十五人に一を加えて二十六人となり、不軽菩薩の行にも越えて、釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせんと思いし故に、言をもおしまず、已前にありし事、後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ。此の語しげければ委細にはかかず。

 抑も日本国の主となりて万事を心に任せ給へり、何事も両方を召し合せてこそ勝負を決し御成敗をなす人のいかなれば、日蓮一人に限つて諸僧等に召合せずして大科に行わるるらん、是れ偏にただ事にあらずたとひ日蓮は大科の者なりとも国は安穏なるべからず。御式目を見るに五十一箇条を立てて終りに起請文を書載せたり。第一・第二は神事・仏事・乃至五十一等云云。神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を讒人(ざんにん)等に召合せられずして、彼等が申すままに頚に及ぶ、然れば他事の中にも此の起請文に相違する政道は有るらめども、此れは第一の大事なり。日蓮がにくさに国をかへ身を失はんとせらるるか、魯の哀公が忘事(わするる)の第一なる事を記せらるるには、移宅(わたまし)に妻をわすると云云。孔子の云く、身をわするる者あり、国主と成りて政道を曲ぐるなり是云云。将(はた)又国主は此の事を委細には知らせ給はざるか。いかに知らせ給はずとのべらるるとも法華経の大怨敵と成給いぬる重科は脱るべしや。多宝・十方の諸仏の御前にして教主釈尊の申す口として末代当世の事を説かせ給いしかば、諸の菩薩記して云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん。乃至数数擯出せられん」等云云。又四仏釈尊の所説の最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来つて国人喪乱に遭わん」等云云。

 たとい日蓮をば軽賤せさせ給うとも教主釈尊の金言・多宝・十方の諸仏の証明は空(むなし)かるべからず、一切の真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども、其の大科を知らせ給はねば少し天も許し善神もすてざりけるにや。而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず、身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに、聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに、剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり。然れば大悪人を用いる大科・正法の大善人を耻辱する大罪・二悪・鼻を並べて此の国に出現せり。譬ば修羅を恭敬し、日天を射奉るが如し、故に前代未聞の大事・此の国に起るなり。是又先例なきにあらず、夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね、殷の紂王は比干が胸をさき、二世王は李斯を殺し、優陀延王は賓頭盧(びんずる)尊者を蔑如し檀弥羅王は師子尊者の頚をきる武王は慧遠法師と諍論し憲宗王は白居易を遠流し徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印(かなやき)をさす。此等は皆諌暁を用いざるのみならず還つて怨を成せし、人人現世には国を亡し身を失ひ、後生には悪道に堕つ、是れ又人をあなづり讒言を納れて理を尽さざりし故なり。

 而るに去る文永十一年二月に佐土の国より召返されて、同四月の八日に平金吾に対面して有りし時、理不尽の御勘気の由委細に申し含めぬ。又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば、金吾が云く、何(いつ)の比(ころ)か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば、経文には分明に年月を指したる事はなけれども、天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此の国を睨(にら)みさせ給うか、今年は一定寄せぬと覚ふ、若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず、此れ又天の責なり。日蓮をばわどのばらが用いぬ者なれば力及ばず。穴賢(あなかしこ)穴賢、真言師等に調伏行わせ給うべからず、若し行わするほどならいよいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに、上下共に先の如く用いさりげに有る上、本より存知せり国恩を報ぜんがために、三度までは諌暁すべし、用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり。又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて、且(しばら)く山中に罷り入りぬ。其の上は国主の用い給はざらんに、其れ已下に法門申して何かせん、申したりとも国もたすかるまじ、人も又仏になるべしともおぼへず。

 又念仏無間地獄・阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず。夫れ弥陀念仏と申すは源(も)と釈迦如来の五十余年の説法の内、前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり。然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそ・あるらめと信ずる処に、後八年の法華経の序分たる無量義経に仏・法華経を説かせ給はんために、先づ四十余年の経経・並に年紀等を具(つぶさ)に数へあげて、未顕真実、乃至終不得成、無上菩提と若干の経経並に法門を唯一言に打ち消し給う事、譬えば大水の小火をけし、大風の衆(もろもろ)の草木の露を落すが如し。

 然後(しこうしてのち)に正宗の法華経の第一巻に至つて、世尊法久後・要当説真実、又云く正直捨方便・但説無上道と説き給う、譬へば闇夜に大月輪の出現し大塔立て後、足代を切り捨つるが如し。然後実義を定めて云く「今此の三界は皆是れ我が有なり、其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり、而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護(くご)を為す。復教詔すと雖も、而も信受せず。乃至経を読誦し書き持つこと有らん者を見て、軽賤憎嫉して而も結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。経文の次第・普通の性相の法には似ず、常には五逆・七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に、此れはさにては候はず、在世滅後の一切衆生・阿弥陀経等の四十余年の経経を堅く執(しゅう)して法華経へうつらざらんと、たとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼の経経を法華経に並て修行せん人と、又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と、法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱(ちじょく)せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり。

 此の事はただ釈迦一仏の仰なりとも、外道にあらずば疑うべきにてはあらねども、已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために、宝浄世界の多宝如来は自(みずから)はるばる来給いて証人とならせ給う。釈迦如来の先判たる大日経・阿弥陀経・念仏等を堅く執して後の法華経へ入らざらむ人人は、入阿鼻獄は一定なりと証明し。又阿弥陀仏等の十方の諸仏は、各各の国国を捨てて霊山・虚空会に詣で給い、宝樹下に坐して広長舌を出し大梵天に付け給うこと、無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し。

 心は四十余年の中の観経・阿弥陀経・悲華経等に法蔵比丘の諸菩薩・四十八願等を発(おこ)して、凡夫を九品の浄土へ来迎せんと説く事は、且く法華経已前のやすめ言なり。実には彼れ彼れの経経の文の如く十方西方への来迎はあるべからず、実(まこと)とおもふことなかれ、釈迦仏の今説き給うが如し、実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり。我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり、釈迦仏は天月の如し我等は水中の影の月なり、釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり、天月動き給はずば我等もうつるべからず、此の土に居住して法華経の行者を守護せん事、臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く、父母の一子を愛するが如くならんと出し給う舌なり。其の時阿弥陀仏の一二の弟子・観音・勢至等は阿弥陀仏の塩梅(あんばい)なり、雙翼(つばさ)なり、左右の臣なり両目の如し。

[下山御消息 本文] その六に続く


by johsei1129 | 2019-11-01 21:02 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 01日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ)と説いた【下山御消息】四

[下山御消息 本文] その四

 法華経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて。乃至利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如きもの有らん」、又云く「常に大衆の中に在て我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説き乃至悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」。又云く「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」等云云。

 涅槃経に云く「一闡提有つて羅漢の像を作し空処に住し方等大乗経典を誹謗す、諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂えり」等云云。今予、法華経と涅槃経との仏鏡をもつて当時の日本国を浮べて其影をみるに、誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて、而も法華経の行者を讒言して頚をきらせんとせし。又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる。誰の智者か法華経の故に度度・処処を追はれ頚をきられ弟子を殺され両度まで流罪せられて最後に頚に及ばんとせし。

 眼無く耳無きの人は除く、眼有り耳有らん人は経文を見聞せよ。今の人人は人毎とに経文を我もよむ我も信じたりといふ、只にくむところは日蓮計(ばかり)なり、経文を信ずるならば慥(たしか)にのせたる強敵を取(とり)出して経文を信じてよむしるしとせよ。若し爾らずんば経文の如く読誦する日蓮をいかれるは、経文をいかれるにあらずや仏の使をかろしむるなり。今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば、釈尊は大妄語の仏、多宝・十方の諸仏は不実の証明なり。又経文まことならば御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ、国は他の有(もの)となり後生には阿鼻地獄疑なし。而るに彼等が大悪法を尊(とうと)まるる故に理不尽の政道出来す、彼の国主の僻見(びゃっけん)の心を推するに、日蓮は阿弥陀仏の怨敵、父母の建立の堂塔の讎敵(しゅうてき)なれば、仮令(たとい)政道をまげたりとも仏意には背かじ、天神もゆるし給うべしとをもはるるか。はかなしはかなし、委細にかたるべけれども此れは小事なれば申さず、心有らん者推して知んぬべし。上(かみ)に書挙(かきあぐ)るより雲泥大事なる日本第一の大科、此の国に出来して年久くなる間、此の国既に梵釈・日月・四天・大王等の諸天にも捨てられ、守護の諸大善神も還つて大怨敵となり、法華経守護の梵帝等、鄰国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し仏前の誓状を遂げんとおぼしめす事あり。

 夫れ正像の古へは世濁世に入るといへども、始めなりしかば国土さしも乱れず、聖賢も間間出現し福徳の王臣も絶えざりしかば、政道も曲る事なし、万民も直かりし故に小科を対治せんがために、三皇・五帝・三王・三聖等出現して墳典を作りて代を治す。世しばらく治りたりしかども、漸漸にすへになるままに聖賢も出現せず福徳の人もすくなければ、三災は多大にして七難・先代に超過せしかば、外典及びがたし。其の時治を代えて内典を用いて世を治す、随つて世且くはおさまるされども又世末になるままに人の悪は日日に増長し、政道は月月に衰減するかの故に又三災・七難先(さき)よりいよいよ増長して、小乗戒等の力験(しるし)なかりしかば、其の時治をかへて小乗の戒等を止めて、大乗を用ゆ。大乗又叶わねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して、代を治めたり。所謂伝教大師、日本三所の小乗戒並に華厳・三論・法相の三大乗戒を破失せし是なり。

 此の大師は六宗をせめ落させ給うのみならず、禅宗をも習い極め、剰え日本国にいまだひろまらざりし法華宗・真言宗をも勘え出して勝劣鏡をかけ、顕密の差別・黒白なり。然れども世間の疑(うたがい)を散じがたかりしかば、去る延暦年中に御入唐、漢土の人人も他事には賢(かしこ)かりしかども、法華経・大日経・天台・真言の二宗の勝劣・浅深は分明に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後、本の御存知の如く、妙楽大師の記の十の不空三蔵の改悔の言を含光がかたりしを引き載せて、天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定め給う、剰え真言宗の宗の一字を削り給う。其の故は善無畏・金剛智・不空の三人、一行阿闍梨をたぼらかして本はなき大日経に天台の己証の一念三千の法門を盗み入れて、人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者なりと心得給へり。例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳に盗み入れて、還つて天台宗を末教と下せしが如しと御存知あて、宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云。而るを弘法大師と申し天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後、対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ。然れども本師の跡を紹継する人人は、叡山は唯七宗にてこそあるべきに、教大師の第三の弟子・慈覚大師と叡山第一の座主・義真和尚の末弟子智証大師と此の二人は、漢土に渡り給いし時、日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば天台・真言の碩学等に値い給う毎に、勝劣・浅深を尋ね給う。

 然るに其の時の明匠等も、或は真言宗勝れ、或は天台宗勝れ、或は二宗斉等(ひと)し、或は理同事異といへども倶に慥(たしか)の証文をば出さず。二宗の学者等、併しながら胸臆の言なり、然るに慈覚大師は学極めずして帰朝して疏(じょ)十四巻を作れり、所謂・金剛頂経の疏七巻、蘇悉地経の疏七巻なり、此の疏の体(てい)たらくは法華経と大日経の三部経とは理は同く、事は異なり等云云。此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出すが、なを不審あきらめがたかりけるかの故に、本尊の御前に疏を指し置て此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に、夢に日輪を射ると云云。うちをどろきて吉夢なり、真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下す、日本国に弘通せんとし給いしが、ほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ。而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下(くだ)し給う、所謂・真言・法華斉(さい)等なり、譬ば鳥の二の翼(よく)、人の両目の如し、又叡山も八宗なるべしと云云。此の両人は身は叡山の雲の上に臥(ふ)すといへども、心は東寺里中の塵にまじはる、本師の遺跡を紹継する様にて還つて聖人の正義を忽諸し給へり。法華経の於諸経中、最在其上の上の字をうちかへして、大日経の下に置き先づ大師の怨敵となるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵(しゅうてき)となり給う。されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是なり、仏法の大科此れよりはじまる、日本国亡国となるべき先兆なり。

 棟梁たる法華経既に大日経の椽梠(てんりょ)となりぬ。王法も下剋上して王位も臣下に随うべかりしを、其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上、座主も両方を兼ねて事いまだきれざりしかば世も忽にほろびず有りけるか。例せば外典に云く「大国には諍臣七人・中国には五人・小国には三人、諍論すれば仮令政道に謬誤(あやまり)出来すれども国破れず乃至家に諌(いさむる)子あれば不義におちず」と申すが如し仏家も又是くの如し。天台・真言の勝劣・浅深事きれざりしかば、少少の災難は出来せしかども青天にも捨てられず、黄地にも犯されず一国の内の事にてありし程に、人王七十七代・後白河の法皇の御宇に当りて天台座主明雲・伝教大師の止観院の法華経の三部を捨てて、慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う。天台山は名計りにて真言の山になり、法華経の所領は大日経の地となる、天台と真言と座主と大衆と敵対あるべき序(ついで)なり。国又王と臣と諍論して、王は臣に随うべき序なり、一国乱れて他国に破らるべき序なり。然れば明雲は義仲に殺されて院も清盛にしたがひられ給う。然れども公家も叡山も共に此の故としらずして世静ならず、すぐる程に災難次第に増長して人王八十二代隠岐の法皇の御宇に至つて一災起れば、二災起ると申して禅宗・念仏宗起り合いぬ。善導房は法華経は末代には千中無一とかき、法然は捨閉閣抛と云云。禅宗は法華経を失はんがために教外別伝、不立文字とののしる。此の三の大悪法鼻を並べて一国に出現せしが故に、此の国すでに梵釈・二天・日月・四王に捨てられ奉り、守護の善神も還つて大怨敵とならせ給う、然れば相伝の所従に責(せめ)随えられて主上・上皇共に夷島に放たれ給い、御返りなくしてむなしき島の塵となり給う、詮ずる所は実経の所領を奪い取りて権経たる真言の知行となせし上、日本国の万民等・禅宗・念仏宗の悪法を用いし故に天下第一・先代未聞の下剋上出来せり。

 而るに相州は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽せし人なれば天許し国主となす随つて世且く静なりき。然而(しかるに)又先に王法を失いし真言、漸く関東に落ち下る、存外に崇重せらるる故に鎌倉又還つて大謗法・一闡提の官僧・禅僧・念仏僧の檀那と成りて新寺を建立して旧寺を捨つる、故に天神は眼を瞋らして此の国を睨め地神は憤(いきどおり)を含めて身を震ふ、長星は一天に覆ひ地震は四海を動かす、余此等の災夭に驚いて粗内典五千七千外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭なり。然而(しかるに)儒者の家には記せざれば知る事なし、仏法は自迷なればこころへず、此の災夭は常の政道の相違と世間の謬誤(あやまり)より出来せるにあらず、定めて仏法より事起るかと勘へなしぬ。先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを、故最明寺の入道殿に奉る、御尋ねもなく御用いもなかりしかば、国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科(とが)あらじとやおもひけん、念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に、日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ。然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る、日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ。されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか、御式目をも破らるるか、御起請文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる。余存外の法門を申さば、子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて、其れになを事ゆかずば漢土・月氏までも尋ねらるべし。其れに叶わずば子細ありなんとて且くまたるべし。子細も弁えぬ人人が、身のほろぶべきを指(さし)をきて大事の起請を破らるる事心へられず。

[下山御消息 本文] その五に続く


by johsei1129 | 2019-11-01 20:53 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 01日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ)と説いた【下山御消息】三

[下山御消息 本文] その三

  而るを余・此の事を見る故に彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に両火房・内内諸方に讒言を企てて余が口を塞(ふさ)がんとはげみしなり。又経に云く「汝を供養する者は三悪道に堕つ」等云云。在世の阿羅漢を供養せし人尚三悪道まぬかれがたし。何に況や滅後の誑惑の小律の法師原をや。小戒の大科をばこれを以て知んぬ可し。或は又驢乳(ろにゅう)にも譬えたり還つて糞となる。或は狗犬にも譬えたり大乗の人の糞を食す。或は猿猴或は瓦礫と云云。

 然れば時を弁へず機をしらずして小乗戒を持たば大乗の障(さわり)となる。破れば又必ず悪果を招く其の上今の人人小律の者どもは大乗戒を小乗戒に盗み入れ驢乳は牛乳を入れて大乗の人をあざむく。大偸盗の者大謗法の者其のとがを論ずれば提婆達多も肩を並べがたく、瞿伽利尊者が足も及ばざる閻浮第一の大悪人なり、帰依せん国土安穏なるべしや。余此の事を見るに自身だにも弁へなば・さでこそあるべきに、日本国に智者とおぼしき人人一人も知らず国すでにやぶれなんとす。其の上仏の諌暁を重んずる上、一分の慈悲にもよをされて国に代りて身命を捨て申せども、国主等彼にたぼらかされて用ゆる人一人もなし。譬へば熱鉄に冷水を投げ睡眠の師子に手を触るが如し。

 爰に両火房と申す法師あり、身には三衣を皮の如くはなつ事なし。一鉢は両眼をまほるが如し、二百五十戒堅く持ち三千の威儀をととのへたり。世間の無智の道俗、国主よりはじめて万民にいたるまで地蔵尊者の伽羅陀山(からだせん)より出現せるか、迦葉尊者の霊山より下来するかと疑ふ。

 余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば、末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし、其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ。便宜(びんぎ)あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う処に、両火房常に高座にして歎いて云く「日本国の僧尼には二百五十戒・五百戒・男女には五戒・八斎戒等を一同に持たせんとおもうに、日蓮が此の願の障りとなる」と云云。

 余案じて云く「現証に付て事を切らんと思う処に、彼常に雨を心に任せて下(ふら)す由披露あり。古へも又雨を以て得失をあらはす例(ためし)これ多し。所謂伝教大師と護命と守敏と弘法と等なり。此に両火房上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたり」と云云。此(ここ)に両火房祈雨あり、去る文永八年六月十八日より二十四日なり。此に使を極楽寺へ遣す、年来(としごろ)の御歎きこれなり、「七日が間に若(もし)一雨も下らば御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなりけりと申すべし。余だにも帰伏し奉らば我弟子等をはじめて日本国・大体かたぶき候なん」と云云。七日が間に三度の使をつかはす。然れどもいかんがしたりけむ、一雨も下らざるの上、頽(たい)風・颷(ひょう)風・旋風・暴風等の八風・十二時にやむ事なし。剰(あまつさえ)二七日まで一雨も下らず風もやむ事なし。されば此の事は何事ぞ、和泉式部と云いし、色好み能因法師と申せし無戒の者、此は彼の両火房がいむところの三十一字ぞかし。

 彼の月氏の大盗賊・南無仏と称せしかば天頭(てんず)を得たり。彼の両火房並に諸僧等の二百五十戒・真言法華の小法・大法の数百人の仏法の霊験いかなれば、婬女等の誑言(おうげん)・大盗人が称仏には劣らんとあやしき事なり。此れを以て彼等が大科をばしらるべきにさはなくして、還つて讒言をもちゐらるるは実とはおぼへず、所詮・日本国亡国となるべき期(ご)来るか。又祈雨の事はたとひ雨下(ふ)らせりとも雨の形貌(すがた)を以て祈る者の賢・不賢を知る事あり、雨種種なり、或は天雨或は竜雨或は修羅雨、或は麤(そ)雨、或は甘雨或は雷雨等あり。今の祈雨は都て一雨も下らざる上、二七日が間前よりはるかに超過せる大旱魃・大悪風・十二時に止む事なし。両火房真の人ならば忽に邪見をもひるがへし跡をも山林にかくすべきに、其の義なくして面を弟子檀那等にさらす上、剰(あまつさえ)讒言を企て日蓮が頚をきらせまいらせんと申し上(あげ)あづかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり。而るを無智の檀那等は恃怙(じこ)して、現世には国をやぶり後生には無間地獄に堕ちなん事の不便さよ。
 
 起世経に云く「諸の衆生有りて放逸を為し、清浄の行を汚す故に天・雨を下さず」、又云く「不如法あり慳貪・嫉妬・邪見・顛倒なる故に天則ち雨を下さず」、又経律異相に云く「五事有て雨無し一二三之を略す、四には雨師婬乱、五には国王理をもつて治めず雨師瞋る故に雨ふらず」云云。此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ、少もくもりなからん。一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか、二には慳貪なるか、三には嫉妬なるか、四には邪見なるか、五には婬乱なるか、此の五にはすぐべからず。又此の経は両火房一人には限るべからず、昔をかがみ今をもしれ。弘法大師の祈雨の時二七日の間一雨も下(ふ)らざりしもあやしき事なり。而るを誑惑の心強盛なりし人なれば、天子の御祈雨の雨を盗み取て我が雨と云云。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時も小雨は下(ふり)たりしかども、三師共に大風連連と吹いて勅使をつけてをはれしあさましさと。天台大師・伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨を下らして、小風も吹かざりしもたと(貴)くぞおぼゆるおぼゆる。

[下山御消息 本文] その四に続く


by johsei1129 | 2019-11-01 20:41 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 01日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ)と説いた【下山御消息】二

[下山御消息 本文] その二

 如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年・像法一千年・末法一万年が間、我が法門を弘通すべき人人並に経経を、一一にきりあてられて候。而るに此を背く人世に出来せば、設い智者賢王なりとも用うべからず。所謂・我が滅後の次の日より正法五百年の間は一向小乗経を弘通すべし、迦葉・阿難乃至富那奢等の十余人なり。後の五百年には権大乗経の内、華厳・方等・深密・般若・大日経・観経・阿みだ経等を、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・馬鳴菩薩・竜樹菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の四依の大菩薩等の大論師弘通すべしと云云。

 此れ等の大論師は法華経の深義を知し食(め)さざるにあらず、然而(しかも)法華経流布の時も来らざる上、釈尊よりも仰せ付けられざる大法なれば、心には存じて口に宣べ給はず、或時は粗(ほぼ)口に囀(さえず)る様なれども実義をば一向に隠して演べ給はず。像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土日本に渡り来る。世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序(せんじょ)のためなり。所謂、迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり。今の時は世すでに上行菩薩等の御出現の時剋に相当れり。

 而るに余愚眼を以てこれを見るに、先相すでにあらはれたるか。而るに諸宗所依の華厳・大日・阿みだ経等は其の流布の時を論ずれば正法一千年の内、後の五百年乃至像法の始めの諍論の経経なり。而るに人師等・経経の浅深・勝劣等に迷惑するのみならず、仏の譲り状をもわすれ時機をも勘へず猥(みだ)りに宗宗を構え像末の行となせり。例せば白田(はた)に種を下だして玄冬に穀(こく)をもとめ、下弦に満月を期し夜中に日輪を尋ぬる如し。何に況や律宗なんど申す宗は一向小乗なり。月氏には正法一千年の前の五百年の小法、又日本国にては像法の中比(なかごろ)、法華経天台宗の流布すべき前に且らく機を調養せむがためなり。例せば日出でんとて明星前に立ち雨下(ふ)らむとて雲先(まず)おこるが如し。日出(いで)雨下(ふり)て後の星雲はなにかせん、而るに今は時過(すぎ)ぬ又末法に入りて之を修行せば重病に軽薬を授け、大石を小船に載するが如し。修行せば身は苦(くるし)く暇(いとま)は入りて験(しるし)なく、華のみ開きて菓(このみ)なからん。故に教大師・像法の末に出現して、法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中・円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時、二百五十戒忽に捨て畢んぬ。随つて又鑑真の末の南都七大寺の一十四人、三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ。其の授戒の書を見る可し分明なり。

  而るを今邪智の持斎の法師等、昔し捨てし小乗経を取り出して、一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有つて、公家武家を誑惑して国師とののしる剰(あまつさえ)我慢を発して、大乗戒の人を破戒無戒とあなづる。例せば狗犬が師子を吠え、猿猴が帝釈をあなづるが如し。今の律宗の法師原は、世間の人人には持戒実語の者の様には見ゆれども、其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり。其の故は彼等が本文とする四分律・十誦律等の文は、大小乗の中には一向小乗、小乗の中にも最下の小律なり。在世には十二年の後・方等大乗へうつる程の且くのや(息)すめ言(ことば)、滅後には、正法の前の五百年は一向小乗の寺なり、此れ亦・一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり。されば日本国には像法半(なかば)に鑑真和尚、大乗の手習とし給う、教大師・彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりことし、宗をば失うべしといへども、後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたすけをき給う。而るに今の学者等は此の由を知らずして、六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し。又一類の者等天台の才学を以て見れば、我が律宗は幼弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲(わら)へば、国主は当時の形貌(ありさま)の貴げなる気色にたぼらかされ給いて、天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ、万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる。手づから火をつけざれども、日本一国の大乗の寺を焼き失い抜目(ばつもく)鳥にあらざれども、一切衆生の眼を抜きぬ仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提是なり。

 涅槃経に云く「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人も悉く復涅槃せん、正法滅して後像法の中に於いて当に比丘有るべし、持律に似像(じぞう)し少く経を読誦し飲食を貪嗜(とんし)して其の身を長養せん。乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺うが如く、外には賢善を現し、内には貪嫉を懐き唖法を受けたる婆羅門等の如く、実に沙門に非ずして沙門の像を現し、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。此の経文に世尊未来を記し置き給う。抑釈尊は我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て、未来悪世を鑑み給いて記し置き給う。

 記文に云く「我涅槃の後無量百歳」云云。仏滅後二千年已後と見へぬ。又「四道の聖人悉く復涅槃せん」云云。付法蔵の二十四人を指すか、「正法滅後」等云云、像末の世と聞えたり。「当に比丘有るべし持律に似像し」等云云、今末法の代に比丘の似像を撰び出さば、日本国には誰の人をか引き出して大覚世尊をば不妄語の人とし奉るべき。俗男俗女比丘尼をば此の経文に載(のせ)たる事なし、但比丘計(ばかり)なり、比丘は日本国に数を知らず。然るに其の中に三衣一鉢を身に帯せねば似像と定めがたし、唯持斎の法師計(ばかり)相似たり一切の持斎の中には次下(つぎしも)の文に持律ととけり、律宗より外は又脱(のがれ)ぬ、次下の文に「少し経を読誦す」云云、相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば誰を指し出だし経文をたすけ奉るべき、次下の文に「猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如く外には賢善を現し、内には貪嫉を懐く」等云云。両火房にあらずば誰をか三衣一鉢の猟師伺猫として仏説を信ず可し、哀れなるかな当時の俗男・俗女・比丘尼等・檀那等が山の鹿・家の鼠となりて猟師・猫に似たる両火房に伺われたぼらかされて、今生には守護国土の天照太神・正八幡等にすてられ、他国の兵軍にやぶられて猫の鼠を捺(おさ)え取るが如く、猟師の鹿を射死(いころす)が如し。俗男・武士等は射伏(いふせ)・切伏(きりふせ)られ、俗女は捺え取られて他国へおもむかん王昭君・楊貴妃が如くになりて、後生には無間大城に一人もなく趣くべし。

[下山御消息 本文] その三に続く


by johsei1129 | 2019-11-01 20:26 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 01日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】一

【下山御消息(しもやまごしょうそく)】
■出筆時期:建治三年六月(西暦1277年) 五十六歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:父親に信仰を反対された弟子因幡房日永に代わって、大聖人が日永の父で甲斐下山の地頭、下山兵庫五郎に送られた長文の陳状書である。
本書末尾で「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と記し、日永が父親の下山兵庫五郎が信仰する念仏を捨て、法華経に帰依することこそ真の報恩であると断じている。
■ご真筆: 本圀寺、小湊・誕生寺等二十箇所に断簡が分散されて所蔵。時代写本:日澄筆(北山本門寺所蔵)、日法筆(光長寺所蔵)。
 「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】一_f0301354_10235816.jpg

















[真筆本文:下記緑字箇所]

[下山御消息 本文] その一

「例時に於ては尤も阿弥陀経を読まる可きか」等云云。此の事は仰せ候はぬ已前より親父の代官といひ私の計と申し此の四五年が間は退転無し、例時には阿弥陀経を読み奉り候しが去年の春の末へ夏の始めより阿弥陀経を止めて一向に法華経の内・自我偈読誦し候又同くば一部を読み奉らむとはげみ候これ又偏に現当の御祈祷の為なり。
 但し阿弥陀経念仏を止めて候事は此れ日比(ひごろ)・日本国に聞へさせ給う日蓮聖人去る文永十一年の夏の比同じき甲州飯野・御牧(みまき)・波木井の郷の内身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給い候へば、さるべき人人御法門承わる可きの由候へども御制止ありて入れられずおぼろげの強縁ならではかなひがたく候しに有人見参の候と申し候しかば信じまいらせ候はんれうには参り候はず。ものの様(よう)をも見候はんために閑所より忍びて参り御庵室の後(うしろ)に隠れ人人の御不審に付きてあらあら御法門とかせ給い候き。

 法華経と大日経・華厳・般若・深密・楞伽(りょうが)・阿弥陀経等の経経の勝劣・浅深等を先として説き給いしを承り候へば法華経と阿弥陀経等の勝劣は一重二重のみならず天地雲泥に候けり、譬ば帝釈と猿猴と鳳凰と烏鵲(かささぎ)と大山(たいざん)と微塵と日月と螢炬(ほたるび)等の高下勝劣なり、彼彼の経文と法華経とを引き合せてたくらべさせ給いしかば愚人も弁えつ可し白白なり・赤赤なり。されば此の法門は大体人も知れり始めておどろくべきにあらず又仏法を修行する法は必ず経経の大小・権実・顕密を弁うべき上よくよく時を知り機を鑑みて申すべき事なり、而るに当世日本国は人毎に阿みだ経並に弥陀の名号等を本として法華経を忽諸(こっしょ)し奉る世間に智者と仰がるる人人・我も我も時機を知れり知れりと存ぜられげに候へども小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる親族還つて怨敵と成るが如し難治の次第なり、又仏法には賢(かしこげ)なる様なる人なれども時に依り機に依り国に依り先後の弘通に依る事を弁へざれば身心を苦めて修行すれども験なき事なり。

 設い一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども一向大乗の国には小乗経をあながちにい(忌)む事なりしゐてこれを弘通すれば国もわづらひ人も悪道まぬかれがたし。又初心の人には二法を並べて修行せしむる事をゆるさず月氏の習いには一向小乗の寺の者は王路を行かず一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし井の水・河の水同じく飲む事なし何に況や一房に栖(す)みなんや、されば法華経に初心の一向大乗の寺を仏説き給うに「但大乗経典を受持せんことを楽つて、乃至余経の一偈をも受けざれ」又云く「又声聞を求むる比丘比丘尼優婆塞優婆夷に親近せざれ」又云く「亦問訊せざれ」等云云、設い親父たれども一向小乗の寺に住する比丘比丘尼をば一向大乗の寺の子息これを礼拝せず親近せず何に況や其法を修行せんや大小兼行の寺は後心の菩薩なり。

 今日本国は最初に仏法渡りて候し比(ころ)・大小雑行にて候しが人王四十五代聖武天皇の御宇に唐の揚州竜興寺の鑑真和尚と申せし人漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給いて有りしが円機未熟とやおぼしけん此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず、大唐の終南山の豊徳(ぶとく)寺の道宣律師の小乗戒を日本国の三所に建立せり此れ偏に法華宗の流布すべき方便なり、大乗出現の後には肩を並べて行ぜよとにはあらず例せば儒家の本師たる孔子老子等の三聖は仏の御使として漢土に遣(つかわ)されて内典の初門に礼楽(れいがく)の文を諸人に教えたりき、止観に経を引いて云く「我三聖を遣して彼の震旦を化す」等云云、妙楽大師云く「礼楽前に馳せ真道後に啓く」と云云。
 仏は大乗の初門に且らく小乗戒を説き給いしかども時すぎぬれば禁めて云く涅槃経に云く「若し人有つて如来は無常なりと言わん云何(いか)んぞ是の人舌堕落せざらん」と等云云。其の後人王第五十代桓武天皇の御宇に伝教大師と申せし聖人出現せり始めには華厳・三論・法相・倶舎・成実・律の六宗を習い極め給うのみならず、達磨宗の淵底を探り究境(くきょう)するのみならず、本朝未弘の天台法華宗・真言宗の二門を尋ね顕らめて浅深勝劣を心中に存じ給へり。

 去ぬる延暦二十一年正月十九日に桓武皇帝、高雄山に行幸ならせ給い、南都七大寺の長者・善議・勤操等の十四人を最澄法師に召し合はせ
給いて六宗と法華宗との勝劣浅深得道の有無
を糾明せられしに、先は六宗の碩学各々宗々ごとに我が宗は一代超過の由立て申されしかども澄公の一言に万事破れ畢んぬ。
其の後皇帝重ねて口宣(くせん)す和気弘世を御使として諌責(かんせき)せられしかば七大寺・六宗の碩学一同に謝表を奉り畢んぬ。一十四人の表に云く「此界の含霊而今而後(いまよりのち)悉く妙円の船に載り早く彼岸に済(わた)ることを得」云云、教大師云く「二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」又云く「一乗の家には都て権を用いず」又云く「穢食(えじき)を以て宝器に置くこと無し」又云く「仏世の大羅漢已に此の呵嘖を被むれり滅後の小蚊虻(もんもう)何ぞ此れに随わざらん」云云、此れ又私の責めにはあらず法華経には「正直に方便を捨て但無上道を説く」云云涅槃経には「邪見の人」等云云、邪見方便と申すは華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経なり。捨とは天台の云く「廃(すて)るなり」又云く「謗とは背くなり」正直の初心の行者の法華経を修行する法は上に挙ぐるところの経経・宗宗を抛つて一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候なり、而るを初心の行者・深位の菩薩の様に彼彼の経経と法華経とを並べて行ずれば不正直の者となる。世間の法にも賢人は二君に仕へず貞女は両夫に嫁(とつ)がずと申す是なり、又私に異議を申すべきにあらず。


by johsei1129 | 2019-11-01 20:16 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)