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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 31日 ( 1 )


2019年 10月 31日

主君江間馬氏から法華信仰を止めねば所領を没収すると迫られた四条金吾の窮状を救うべく記された書【頼基陳状】

【頼基陳状】
■出筆時期:建治三年(1272)六月二十五日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:建治三年六月二十五日、四条金吾に主君江間馬氏から、法華信仰を止める起請文(誓約書)を書かなければ所領を没収し、家臣の身分を剥奪するとの下し文が届きます。これは半月前の六月九日、鎌倉桑ヶ谷での極楽寺良観の配下・竜象房と日蓮門下の三位房との法論で三位房が完璧に破析した事により、良観が日蓮憎しとして策謀したことに起因しております。四条金吾はその日直ぐに、下し文を添え桑ヶ谷問答の顛末と起請は書かない旨を記して大聖人に早便で送ります。この文は二十七日夕方には大聖人のもとに届き、大聖人は金吾の立場で主君にあてる陳状をしたためたのが本書となります。
本状は全編、竜ノ口法難で大聖人とともに自らも切腹しようと馳せ参じた徒尊き弟子の窮状を救おうとする大聖人の慈愛に満ち溢れておられます。
※「桑ヶ谷の法論」の顛末については『小説日蓮(下)65桑ヶ谷の法論』を参照して下さい。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(北山本門寺蔵)
主君江間馬氏から法華信仰を止めねば所領を没収すると迫られた四条金吾の窮状を救うべく記された書【頼基陳状】_f0301354_07054860.gif























[古写本:日興上人筆(北山本門寺蔵)]

[頼基陳状 本文]
去ぬる六月二十三日の御下文(くだしぶみ)・島田の左衛門入道殿・山城の民部入道殿・両人の御承りとして同二十五日謹んで拝見仕り候い畢んぬ、右仰せ下しの状に云く竜象御房の御説法の所に参られ候いける次第をほかた穏便ならざる由、見聞の人遍(あまね)く一方ならず同口に申し合い候事驚き入つて候、徒党の仁其の数兵杖を帯して出入すと云云。

此の条跡形も無き虚言なり、所詮誰人の申し入れ候けるやらん御哀憐を蒙りて召し合せられ実否を糾明され候はば然るべき事にて候、凡そ此の事の根源は去る六月九日日蓮聖人の御弟子・三位公・頼基が宿所に来り申して云く近日竜象房と申す僧・京都より下りて大仏の門の西・桑か谷に止住して日夜に説法仕るが・申して云く現当の為仏法に御不審存ぜむ人は来りて問答申す可き旨説法せしむる間、鎌倉中の上下釈尊の如く貴び奉るしかれども問答に及ぶ人なしと風聞し候、彼(かしこ)へ行き向いて問答を遂げ一切衆生の後生の不審をはらし候はむと思い候、聞き給はぬかと申されしかども折節(おりふし)官仕に隙(いとま)無く候いし程に思い立たず候いしかども、法門の事と承りてたびたび罷り向いて候えども頼基は俗家の分にて候い一言も出さず候し上は悪口に及ばざる事・厳察足る可く候。

ここに竜象房説法の中に申して云く此の見聞満座の御中に御不審の法門あらば仰せらる可くと申されし処に、日蓮房の弟子・三位公問うて云く生を受けしより死をまぬかるまじきことはり始めて・をどろくべきに候はねども、ことさら当時・日本国の災孼(さいげき)に死亡する者数を知らず眼前の無常・人毎に思いしらずと云ふ事なし、然る所に京都より上人・御下りあつて人人の不審をはらし給うよし承りて参りて候つれども御説法の最中(もなか)骨無くも候なばと存じ候し処に・問うべき事有らむ人は各各憚らず問い給へと候し間・悦び入り候、先づ不審に候事は末法に生を受けて辺土のいやしき身に候へども中国の仏法・幸に此の国にわたれり是非信受す可き処に経は五千七千数多(あまた)なり、然而(しかも)一仏の説なれば所詮は一経にてこそ候らむに華厳・真言・乃至八宗・浄土・禅とて十宗まで分れてをはします、此れ等の宗宗も門は・ことなりとも所詮は一(ひとつ)かと推する処に、弘法大師は我が朝の真言の元祖・法華経は華厳経・大日経に相対すれば門の異なるのみならず其の理は戯論の法・無明の辺域なり、又法華宗の天台大師等は諍盗(じょうとう)醍醐等云云、法相宗の元祖慈恩大師云く「法華経は方便・深密経は真実・無性有情・永不成仏」云云、華厳宗の澄観云く「華厳経は本教・法華経は末教・或は華厳は頓頓・法華は漸頓」等云云、三論宗の嘉祥大師の云く「諸大乗経の中には般若教第一」云云。

浄土宗の善導和尚云く「念仏は十即十生・百即百生・法華経等は千中無一」云云、法然上人云く「法華経を念仏に対して捨閉閣抛(しゃへいかくほう)或は行者は群賊」等云云、禅宗の云く「教外別伝・不立文字」云云、教主釈尊は法華経をば世尊の法は久しくして後に要(かならず)当に真実を説きたもうべし、多宝仏は妙法華経は皆是真実なり十方分身の諸仏は舌相梵天に至るとこそ見えて候に弘法大師は法華経をば戯論の法と書かれたり、釈尊・多宝・十方の諸仏は皆是真実と説かれて候、いづれをか信じ候べき、善導和尚・法然上人は法華経をば千中無一・捨閉閣抛・釈尊・多宝・十方分身の諸仏は一として成仏せずと云う事無し皆仏道を成ずと云云、三仏と導和尚・然上人とは水火なり雲泥なり何れをか信じ候べき何れをか捨て候べき・就中(なかんずく)彼の導・然両人の仰ぐ所の雙観経の法蔵比丘の四十八願の中に第十八願に云く「設い我れ仏を得るとも唯五逆と誹謗正法とを除く」と云云、たとひ弥陀の本願実にして往生すべくとも、正法を誹謗せむ人人は弥陀仏の往生には除かれ奉るべきか・又法華経の二の巻には「若し人信ぜざれば其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、念仏宗に詮とする導・然の両人は経文実ならば阿鼻大城をまぬかれ給ふべしや、彼の上人の地獄に堕ち給わせば末学・弟子・檀那等・自然に悪道に堕ちん事・疑いなかるべし、此等こそ不審に候へ上人は如何と問い給はれしかば竜上人答て云く、上古の賢哲達(たち)をばいかでか疑い奉るべき、竜象等が如くなる凡僧等は仰いで信じ奉り候と答え給しを、をし返して此の仰せこそ智者の仰せとも覚えず候へ、誰人か時の代にあをがるる人師等をば疑い候べき、但し涅槃経に仏最後の御遺言として「法に依つて人に依らざれ」と見えて候、人師にあやまりあらば経に依れと仏は説かれて候、御辺はよもあやまりましまさじと申され候、御房の私の語と仏の金言と比(くらべん)には三位は如来の金言に付きまいらせむと思い候なりと申されしを。

象上人は人師にあやまり多しと候は・いづれの人師に候ぞと問はれしかば、上に申しつる所の弘法大師・法然上人等の義に候はずやと答え給い候しかば・象上人は嗚呼叶い候まじ我が朝の人師の事は忝くも問答仕るまじく候、満座の聴衆皆皆其の流にて御座す鬱憤も出来せば定めてみだりがはしき事候なむ恐れあり恐れありと申されし処に、三位房の云く人師のあやまり誰ぞと候へば経論に背く人師達をいだし候し憚(はばかり)あり・かなふまじと仰せ候にこそ進退きはまりて覚え候へ、法門と申すは人を憚り世を恐れて仏の説き給うが如く経文の実義を申さざらんは愚者の至極なり、智者上人とは覚え給はず悪法世に弘まりて人悪道に堕ち国土滅すべしと見へ候はむに法師の身として争かいさめず候べき、然れば則ち法華経には「我身命を愛(おし)まず」涅槃経には「寧ろ身命を喪うとも」等云云、実の聖人にてをはせば何(いかん)が身命を惜みて世にも人にも恐れ給うべき、外典の中にも竜蓬と云いし者、比干と申せし賢人は頚をはねられ胸をさかれしかども夏の桀・殷の紂をば・いさめてこそ賢人の名をば流し候しか、内典には不軽菩薩は杖木をかほり師子尊者は頭をはねられ竺の道生は蘇山にながされ法道三蔵は面に火印を・さされて江南に・はなたれしかども正法を弘めてこそ聖人の名をば得候しかと難ぜられ候しかば。

竜上人の云くさる人は末代にはありがたし我我は世をはばかり人を恐るる者にて候、さやうに仰せらるる人とても・ことばの如くには・よもをはしまし候はじと候しかば。此の御房は争か人の心をば知り給うべき某こそ当時日本国に聞え給う日蓮聖人の弟子として候へ、某が師匠の聖人は末代の僧にて御坐(おわし)候へども当世の大名僧の如く望んで請用もせず人をも諂(うたが)はず聊か異なる悪名もたたず・只此の国に真言・禅宗・浄土宗等の悪法・並に謗法の諸僧満ち満ちて上(かみ)一人をはじめ奉りて下万民に至るまで御帰依ある故に法華経・教主釈尊の大怨敵と成りて現世には天神・地祇にすてられ他国のせめにあひ、後生には阿鼻大城に堕ち給うべき由・経文にまかせて立て給いし程に此の事申さば大なるあだあるべし、申さずんば仏のせめのがれがたし、いはゆる涅槃経に「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」等と云云、世に恐れて申さずんば我が身悪道に堕つべきと御覧じて身命をすてて去る建長年中より今年建治三年に至るまで二十余年が間・あえて・をこたる事なし、然れば私の難は数を知らず国王の勘気は両度に及びき、三位も文永八年九月十二日の勘気の時は供奉(ぐぶ)の一人にて有りしかば同罪に行はれて頚を・はねらるべきにてありしは身命を惜むものにて候かと申されしかば。

竜象房口を閉(とじ)て色を変え候しかば此の御房申されしは是程(これほど)の御智慧にては人の不審をはらすべき由の仰せ無用に候けり・苦岸比丘・勝意比丘等は我れ正法を知りて人をたすくべき由存ぜられて候しかども我が身も弟子・檀那等も無間地獄に堕ち候き、御法門の分斉にてそこばくの人を救はむと説き給うが如くならば師檀共に無間地獄にや堕ち給はんずらむ今日より後は此くの如き御説法は御はからひあるべし、加様には申すまじく候へども悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責め顕はさずば返つて仏法の中の怨なるべしと仏の御いましめ・のがれがたき上聴聞の上下皆悪道にをち給はん事不便に覚え候へば此くの如く申し候なり、智者と申すは国のあやうきを・いさめ人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ、是はいかなるひが事ありとも世の恐(おそろ)しければ・いさめじと申されむ上は力及ばず、某は文殊の智慧も富楼那の弁説も詮(せん)候はずとて立たれ候しかば、諸人歓喜をなし掌を合せ今暫く御法門候へかしと留め申されしかども・やがて帰り給い了んぬ、此の外は別の子細候はず・且つは御推察あるべし・法華経を信じ参らせて仏道を願ひ候はむ者の争か法門の時・悪行を企て悪口を宗(むね)とし候べき、しかしながら御ぎやうさく(𨗈迹)有る可く候・其上日蓮聖人の弟子と・なのりぬる上罷り帰りても御前に参りて法門問答の様かたり申し候き、又た其の辺(あたり)に頼基しらぬもの候はず只頼基をそねみ候人のつくり事にて候にや早早(はやはや)召し合せられん時其の隠れ有る可らず候。

又仰せ下さるる状に云く極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉ると此の条難かむ(堪)の次第に覚え候、其の故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使・上行菩薩の垂迹・法華本門の行者・五五百歳の大導師にて御座候聖人を頚をはねらるべき由の申し状を書きて殺罪に申し行はれ候しが、いかが候けむ死罪を止(やめ)て佐渡の島まで遠流せられ候しは良観上人の所行に候はずや・其の訴状は別紙に之れ有り、抑生草(そもそも・いきぐさ)をだに伐(き)るべからずと六斎日夜説法に給われながら法華正法を弘むる僧を断罪に行わる可き旨申し立てらるるは自語相違に候はずや如何・此僧豈天魔の入れる僧に候はずや、但し此の事の起(おこり)は良観房・常の説法に云く日本国の一切衆生を皆持斎になして八斎戒を持たせて国中の殺生・天下の酒を止めむとする処に日蓮房が謗法に障えられて此の願叶い難き由歎き給い候間・日蓮聖人此の由を聞き給いて・いかがして彼が誑惑の大慢心を・たをして無間地獄の大苦をたすけむと仰せありしかば、頼基等は此の仰せ法華経の御方人大慈悲の仰せにては候へども当時日本国・別して武家領食の世きらざる人にてをはしますを・たやすく仰せある事いかがと弟子共・同口に恐れ申し候し程に、去る文永八年太歳辛未六月十八日大旱魃の時・彼の御房祈雨の法を行いて万民をたすけんと申し付け候由・日蓮聖人聞き給いて此体(これてい)は小事なれども此の次(つい)でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰せありて、良観房の所へつかはすに云く七日の内にふらし給はば日蓮が念仏無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば彼の御房の持戒げ(気)なるが大誑惑なるは顕然なるべし、上代も祈雨(あまごい)に付て勝負を決したる例(ためし)これ多し、所謂護命と伝教大師と・守敏と弘法なり、仍て良観房の所(もと)へ周防房・入沢の入道と申す念仏者を遣わす御房と入道は良観が弟子又念仏者なりいまに日蓮が法門を用うる事なし是を以て勝負とせむ、七日の内に雨降るならば本(もと)の八斎戒・念仏を以て往生すべしと思うべし、又雨(ふ)らずば一向に法華経になるべしと・いはれしかば是等悦びて極楽寺の良観房に此の由を申し候けり、良観房悦びな(泣)いて七日の内に雨ふらすべき由にて弟子・百二十余人・頭より煙を出し声を天にひびかし・或は念仏・或は請雨経・或は法華経・或は八斎戒を説きて種種に祈請す、四五日まで雨の気(け)無ければたましゐを失いて多宝寺の弟子等・数百人呼び集めて力を尽し祈りたるに・七日の内に露ばかりも雨降らず其の時日蓮聖人使を遣す事・三度に及ぶ、いかに泉式部と云いし婬女・能因法師と申せし破戒の僧・狂言綺語の三十一字(みそひともじ)を以て忽にふらせし雨を持戒・持律の良観房は法華真言の義理を極め慈悲第一と聞へ給う上人の数百人の衆徒を率いて七日の間にいかにふらし給はぬやらむ、是を以て思ひ給へ一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんや、やす(易)き雨をだに・ふらし給はず況やかたき往生成仏をや、然れば今よりは日蓮・怨み給う邪見をば是を以て翻えし給へ後生をそろしく・をぼし給はば約束のままに・いそぎ来り給へ、雨ふらす法と仏になる道をしへ奉らむ七日の内に雨こそふらし給はざらめ、旱魃弥(いよいよ)興盛に八風ますます吹き重りて民のなげき弥弥深し、すみやかに其のいのりやめ給へと第七日の申の時・使者ありのままに申す処に・良観房は涙を流す弟子檀那同じく声をおしまず口惜しがる日蓮御勘気を蒙る時・此の事御尋ね有りしかば有りのままに申し給いき、然れば良観房・身の上の恥を思はば跡をくらまして山林にも・まじはり・約束のままに日蓮が弟子ともなりたらば道心の少(すこし)にてもあるべきに・さはなくして無尽の讒言を構えて殺罪に申し行はむとせしは貴き僧かと日蓮聖人かたり給いき・又頼基も見聞き候き、他事に於ては・かけは(掛畏)くも主君の御事畏れ入り候へども此の事はいかに思い候とも・いかでかと思はれ候べき。

仰せ下しの状に云く竜象房・極楽寺の長老見参の後は釈迦・弥陀とあをぎ奉ると云云、此の条又恐れ入り候、彼の竜象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由露顕せしむるの間、山門の衆徒蜂起して世末代に及びて悪鬼・国中に出現せり、山王の御力を以て対治を加えむとて住所を焼失し其の身を誅罰せむとする処に自然に逃失し行方を知らざる処にたまたま鎌倉の中に又人の肉を食(くらう)の間・情ある人恐怖せしめて候に仏菩薩と仰せ給う事所従の身として争か主君の御あやまりをいさめ申さず候べき、御内のをとなしき人人いかにこそ存じ候へ。

同じき下し状に云く是非につけて主親の所存には相随わんこそ仏神の冥にも世間の礼にも手本と云云、此の事最第一の大事にて候へば私の申し状恐れ入り候間・本文を引くべく候、孝経に云く「子以て父に争わずんばあるべからず臣以て君に争わずんばあるべからず」、鄭玄(ていげん)曰く「君父不義有らんに臣子諌めざるは則ち亡国破家の道なり」

新序に曰く「主の暴を諌めざれば忠臣に非ざるなり、死を畏れて言わざるは勇士に非ざるなり」、伝教大師云く「凡そ不誼に当つては則ち子以て父に争わずんばあるべからず臣以て君に争わずんばあるべからず当に知るべし君臣・父子・師弟以て師に争わずんばあるべからず」文、法華経に云く「我れ身命を愛まず但無上道を惜む」文、涅槃経に云く「譬えば王の使の善能(よく)談論し方便に巧にして命を他国に奉ずるに寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し智者も亦爾り」文、章安大師云く「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれとは身は軽く法は重し身を死して法を弘む」文、又云く「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐り親むは則ち是れ彼が怨なり能く糺治する者は彼の為めに悪を除く則ち是れ彼が親なり」文、頼基をば傍輩こそ無礼なりと思はれ候らめども世の事にをき候ては是非父母主君の仰せに随い参らせ候べし。

其にと(取)て重恩の主の悪法の者に・たぼらかされ・ましまして悪道に堕ち給はむをなげくばかりなり、阿闍世王は提婆六師を師として教主釈尊を敵とせしかば摩竭提国・皆仏教の敵となりて闍王(じゃおう)の眷属・五十八万人・仏弟子を敵とする中に耆婆(ぎば)大臣計り仏の弟子なり、大王は上の頼基を思し食すが如く仏弟子たる事を御心よからず思し食ししかども最後には六大臣の邪義をすてて耆婆が正法にこそ・つかせ給い候しが・其の如く御最後をば頼基や救い参らせ候はんずらむ此の如く申さしめ候へば阿闍世は五逆罪の者なり彼に対するかと思し食しぬべし、恐れにては候へども彼には百千万倍の重罪にて御座すべしと御経の文には顕然に見えさせ給いて候、所謂「今此の三界は皆是れ我有なり其中の衆生は悉く是れ吾子なり」文・文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり師匠なり主君なり阿弥陀仏は此の三の義ましまさず、而るに三徳の仏を閣(さしお)いて他仏を昼夜朝夕に称名し六万八万の名号を唱えましますあに不孝の御所作にわたらせ給はずや、弥陀の願も釈迦如来の説かせ給いしかども終にくひ返し給いて唯我一人と定め給いぬ、其の後は全く二人三人と見え候はず、随つて人にも父母二人なし何(いずれ)の経に弥陀は此の国の父・何れの論に母たる旨見へて候・観経等の念仏の法門は法華経を説かせ給はむ為の・しばらくの・しつらひなり、塔く(組)まむ為の足代の如し、而るを仏法なれば始終あるべしと思う人・大僻案なり、塔立てて後・足代を貴ぶほどのはかなき者なり、又日よりも星は明(あきらか)と申す者なるべし・此の人を経に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず其の人・命終して阿鼻獄に入らん」、当世・日本国の一切衆生の釈迦仏を抛つて阿弥陀仏を念じ法華経を抛つて観経等を信ずる人或は此くの如き謗法の者を供養せむ俗男・俗女等・存外に五逆七逆・八虐の罪ををかせる者を智者と竭仰(かつごう)する諸の大名僧並びに国主等なり、如是展転至無数劫とは是なり、此くの如き僻事(ひがごと)をなまじゐに承りて候間・次(ついで)を以て申せしめ候、宮仕を・つかまつる者・上下ありと申せども分分に随つて主君を重んぜざるは候はず、上(かみ)の御ため現世・後生あしくわたらせ給うべき事を秘かにも承りて候はむに傍輩・世に憚りて申し上ざらむは与同罪にこそ候まじきか。
 随つて頼基は父子二代・命(いのち)を君に・まいらせたる事顕然なり・故親父中務某故君の御勘気かふらせ給いける時・数百人の御内の臣等・心かはりし候けるに中務一人・最後の御供奉(くぶ)して伊豆の国まで参りて候き、頼基は去る文永十一年二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節・伊豆の国に候しかば十日の申の時に承りて唯一人・筥根(はこね)山を一時に馳せ越えて御前に自害すべき八人の内に候き、自然に世しづまり候しかば今に君も安穏にこそわたらせ給い候へ、爾来(じらい)・大事小事に付けて御心やすき者にこそ思い含まれて候・頼基が今更・何につけて疎縁に思いまいらせ候べき、後生までも随従しまいらせて頼基・成仏し候はば君(きみ)をも・すくひまいらせ君成仏しましまさば頼基も・たすけられ・まいらせむと・こそ存じ候へ。

其れに付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて何れか成仏の法と・うかがひ候処に日蓮聖人の御房は三界の主・一切衆生の父母・釈迦如来の御使・上行菩薩にて御坐(おわし)候ける事の法華経に説かれて・ましましけるを信じまいらせたるに候、今こそ真言宗と申す悪法・日本国に渡りて四百余年去る延暦二十四年に伝教大師・日本国にわたし給いたりしかども此の国にあしかりなむと思し食し候間宗の字・をゆるさず・天台法華宗の方便となし給い畢んぬ、其の後・伝教大師・御入滅の次(ついで)を・うかがひて弘法大師・伝教に偏執して宗の字を加えしかども・叡山は用うる事なかりしほどに・慈覚・智証・短才にして二人の身は当山に居ながら心は東寺の弘法に同意するかの故に我が大師には背いて始めて叡山に真言宗を立てぬ・日本亡国の起り是なり、爾来・三百余年・或は真言勝れ法華勝れ一同なむど諍論・事きれざりしかば王法も左右なく尽きざりき、人王七十七代・後白河法皇の御宇に天台の座主明雲・一向に真言の座主になりしかば明雲は義仲にころされぬ頭破作七分是なり、第八十二代隠岐の法皇の御時・禅宗・念仏宗出来つて真言の大悪法に加えて国土に流布せしかば、天照太神・正八幡の百王・百代の御誓(ちかい)やぶれて王法すでに尽きぬ、関東の権の大夫義時に天照太神・正八幡の御計いとして国務をつけ給い畢んぬ、爰に彼の三(みつ)の悪法・関東に落ち下りて存外に御帰依あり、故に梵釈・二天・日月・四天いかりを成し先代・未有の天変・地夭を以ていさむれども・用い給はざれば鄰国に仰せ付けて法華経・誹謗の人を治罰し給う間、天照太神・正八幡も力及び給はず、日蓮聖人・一人・此の事を知(しろ)し食(め)せり、此くの如き厳重の法華経にて・をはして候間、主君をも導きまいらせむと存じ候故に・無量の小事をわすれて今に仕われまいらせ候、頼基を讒言申す仁は君の御為不忠の者に候はずや、御内を罷り出て候はば君たちまちに無間地獄に堕ちさせ給うべし、さては頼基・仏に成り候ても甲斐なしとなげき存じ候。

抑(そもそも)彼の小乗戒は富楼那と申せし大阿羅漢・諸天の為に二百五十戒を説き候しを・浄名居士たん(弾)じて云く「穢食(えじき)を以て宝器に置くこと無れ」等云云、鴦崛摩羅(おうくつまら)は文殊を呵責し・嗚呼蚊蚋(ああ・もんぜい)の行は大乗空の理を知らずと、又小乗戒をば文殊は十七の失(とが)を出だし如来は八種の譬喩を以て是をそしり給うに・驢乳(ろにゅう)と説き蝦蟆(がま)に譬えられたり、此れ等をば鑒真(がんじん)の末弟子は伝教大師をば悪口の人とこそ・嵯峨天皇には奏し申し候しかども経文なれば力及び候はず、南都の奏状やぶれて叡山の大戒壇立ち候し上は、すでに捨てられ候し小乗に候はずや、頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆(か・あぶ・がま)の法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず。

剰(あまつさ)へ起請に及ぶべき由仰せを蒙むるの条存外に歎き入て候、頼基・不法時病にて起請を書き候程ならば君忽に法華経の御罰を蒙らせ給うべし、良観房が讒訴に依りて釈迦如来の御使・日蓮聖人を流罪し奉りしかば聖人の申し給いしが如く百日が内に合戦出来して若干(そこばく)の武者(むしゃ)滅亡せし中に、名越の公達(きんだち)横死にあはせ給いぬ、是れ偏に良観房が失ひ奉りたるに候はずや、今又・竜象・良観が心に用意せさせ給いて頼基に起請を書かしめ御座さば君又其の罪に当らせ給はざるべしや、此くの如き道理を知らざる故か、又君をあだし奉らむと思う故か、頼基に事を寄せて大事を出さむと・たばかり候・人等・御尋ねあつて召し合わせらるべく候、恐惶謹言。

建治三年丁丑(ひのとうし)六月二十五日  四条中務(なかつかさ)尉頼基・請文





by johsei1129 | 2019-10-31 19:41 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)