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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 30日 ( 6 )


2019年 10月 30日

池上兄弟の弟、宗長より青鳧五貫文を供養され南無妙法蓮華経を一返唱えたと記された書【兵衛志殿御返事】

【兵衛志殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1276)六月十八日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は短い御消息ですが、池上兄弟の弟・池上宗長より青鳧五貫文をご供養されたことへの返書で、大聖人は「唱え奉る南無妙法蓮華経一返の事」と記され宗長の志に答えられておられます。
尚、青鳧五貫文とは当時の価値でおよそお米五石(約750kg)位となり、金銭としては大きな供養であると考えられます。池上兄弟の父は鎌倉幕府作事奉行(建築・土木の長官)で、広大な所領をもち経済的にはかなり恵まれていたと思われます。また母方の叔父が六老僧の一人日昭で、同じく母方の従兄弟に六老僧の一人日朗がおります。
■ご真筆:京都市 本圀寺所蔵。
池上兄弟の弟、宗長より青鳧五貫文を供養され南無妙法蓮華経を一返唱えたと記された書【兵衛志殿御返事】_f0301354_20263251.jpg



















【兵衛志殿御返事 本文】

青鳧(せいふ)五貫文
送り給び了んぬ。唱え奉る
南無妙法蓮華
経一返の事、恐恐。 

六月十八日    日 蓮 花 押
兵衛志(さかん)殿御返事






by johsei1129 | 2019-10-30 22:00 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 30日

此の人の帷子は法華経の六万九千三百八十四の文字の仏に詣らせ給いぬと説いた【さじき女房御返事 】

【さじき女房御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)五月二十五日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を送られた桟敷女房は六老僧の一人、日昭の兄で鎌倉在住の印東三郎祐信の妻と伝えられています。本抄は時節がら桟敷女房が自ら作られた帷子(夏用の麻の単衣)を供養されたことへの返書となっております。大聖人は「女人は水の如し、器は物にしたがう<中略>男善人なれば女人、仏になる。今生のみならず後生も男によるなり」と男女の関係をわかりやすい喩えで示すとともに、桟敷女房の夫は法華経の行者であり、「法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らん」と励まされておられます。
また帷子を法華経に供養されたことは、法華経一部八巻六万九千三百八十四の帷子であると、さじき女房の志を讃えられておられます。
■ご真筆:千葉県 妙印山妙光寺所蔵。
此の人の帷子は法華経の六万九千三百八十四の文字の仏に詣らせ給いぬと説いた【さじき女房御返事  】_f0301354_19201822.jpg

[真筆本文:下記緑字箇所]

[さじき女房御返事 本文]

女人は水のごとし、うつは(器)物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につが(番)はさる。女人はふね(船)のごとし、かぢ(梶)のまかするによるべし。しかるに女人はをとこ(男)ぬす(盗)人なれば女人ぬす人となる。をとこ王なれば女人きさき(后)となる。をとこ善人なれば女人、仏になる。今生のみならず後生もをとこによるなり。

しかるに兵衛のさゑもんどのは法華経の行者なり、たとひ、いかなる事ありとも、をとこのめ(妻)なれば法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、又我とこころ(心)ををこ(発)して法華経の御ために御かたびら(帷)をくりたびて候。

法華経の行者に二人あり、聖人は皮をは(剥)いで文字をうつす。凡夫はただ、ひとつ(一領)きて候かたびら(帷子)などを法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさ(収)めさせ給うなり。

此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給いぬれば、六万九千三百八十四のかたびらなり。又六万九千三百八十四の仏・一一・六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたびらも又かくのごとし。

たとへばはる(春)の野の千里ばかりに、くさ(草)のみちて候はんに、すこしの豆ばかりの火を、くさ・ひとつにはな(放)ちたれば、一時に無量無辺の火となる。此のかたびらも又かくのごとし、ひとつ(一領)のかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。

この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも、をよ(及)ぼしてん。ましてわがいとをし(最愛)とをも(思)ふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。

五月二十五日            日 蓮花押

さじき女房御返事

by johsei1129 | 2019-10-30 21:58 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 30日

聖人出現して仏の如く法華経を談ぜん時、一国も騒ぎ在世に過ぎたる大難起こるべしと説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事】
■出筆時期:建治三年(西暦1277年)五月十五日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光(上野殿)が、法華経信仰を止めさせようと言う動きがあることを報告したことへの返書となっております。本書は比較的長文のご消息文となっており、大聖人も当時の信徒の要でもあった時光の置かれている状況を重要視し本書でご指南されたものと思われます。

 大聖人は法華経法師品の「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」を引いて、「聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候」と自身が末法に出現した聖人(本仏)であることを示唆するとともに、提婆達多にそそのかされて釈尊に敵対した阿闍世王の事例、また当時退転したで弟子信徒のせう房・のと房・なごえの尼等の事例を引いて「よくふかく、心をくびやう(臆病)に、愚癡にして、而も智者となのりし、やつばらなりしかば、事のをこりし時たよりをえておほくの人をおとせしなり」と断じておられます。

 さらに文末では「かまへておほきならん人申しいだしたるらんは、あはれ法華経のよきかたきよ。優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめして、したたかに御返事あるべし」と記し「一日二日が内にこれへきこへ候べし、事おほければ申さず又又申すべし」と、直ぐに大聖人の元に見参するよう指導されておられます。
■ご真筆: 富士大石寺所蔵ほか四箇所にて所蔵。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)
聖人出現して仏の如く法華経を談ぜん時、一国も騒ぎ在世に過ぎたる大難起こるべしと説いた【上野殿御返事】_f0301354_21353498.jpg


[上野殿御返事 本文]

 五月十四日にいものかしら一駄、わざ(態)とおくりたびて候。当時のいもは人のいとま(暇)と申し珠のごとし、くすりのごとし、さてはおほ(仰)せつかはされて候事うけ給わり候いぬ。

 尹吉甫と申せし人は、ただ一人子あり伯奇と申す、をや(親)も賢なり。子もかしこし、いかなる人か、この中をば申したがふ(違う)べきと、おもひしかども、継母(継母)より、よりよりうた(訴)へしに用いざりしほどに、継母すねんが間・やうやうのたばかり(謀)を、なせし中に、蜂と申すむしを我がふところに入れて、いそぎいそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、われをけそう(懸想)すると申しなして、うしなはんとせしなり。

 びんばさら王と申せし王は賢王なる上、仏の御だんなの中に閻浮第一なり。しかもこの王は摩竭提国の王なり、仏は又此の国にして法華経を・とかんとおぼししに・王と仏と一同なれば一定法華経と(説)かれなんとみ(見)へて候しに、提婆達多と申せし人・いかんがして此の事をやぶらんと・おもひしに・すべて・たよりなかりしかば・とかうはかりしほどに・頻婆沙羅王の太子阿闍世王をとしごろとかくかたらひて・やうやく心をとり・をやと子とのなかを申したがへて・阿闍世王をすかし父の頻婆沙羅王をころさせ・阿闍世王と心を一にし提婆と阿闍世王と一味となりしかば・五天竺の外道・悪人・雲かすみ(霞)のごとくあつまり・国をた(給)び・たからをほどこし・心をやわらげすかししかば・一国の王すでに仏の大怨敵となる。
 欲界・第六天の魔王・無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば・形は人なれども力は第六天の力なり、大風の草木をなびかすよりも・大風の大海の波をたつるよりも・大地震の大地をうごかすよりも・大火の連宅をやくよりも・さはがしくを(畏)ぢわななきし事なり。

 さればはるり(波瑠璃)王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす、阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふみころさせつ、或は道に兵士をすへ・或は井に糞を入れ・或は女人をかたらひて・そら(虚)事いひつけて仏弟子をころす、舎利弗・目連が事にあひ・かるだい(加留陀夷)が馬のくそにうづ(埋)まれし、仏はせめられて一夏(いちげ)九十日・馬のむぎをまいりしこれなり、世間の人のおもはく・悪人には仏の御力もかな(及)はざりけるにやと思ひて信じたりし人人も音(こえ)をのみて・もの申さず眼をとぢてものを・みる事なし、ただ舌をふり手をかきし計りなり、結句は提婆達多・釈迦如来の養母・蓮華比丘尼を打ちころし・仏の御身より血を出せし上・誰の人か・かたうどになるべき、かくやうやうになりての上・いかがしたりけん法華経をと(説)かせ給いぬ。

 此の法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」と云云、文の心は我が現在して候だにも此の経の御かたき(敵)かくのごとし、いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をやと説かれて候なり。

 此れをもつておもひ候へば仏・法華経をと(説)かせ給いて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども・いまだ法華経を仏のごとく・よ(読)みたる人は候はぬか、大難をもちてこそ・法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とは・みへて候しかども在世のごとくの大難なし、ただ南三・北七・南都・七大寺の小難なり、いまだ国主かたきとならず・万民つるぎをにぎらず・一国悪口をはかず、滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに・同じほどの難だにも来らず・何に況やすぐれたる大難・多難をや。

 虎うそ(嘯)ぶけば大風ふく・竜ぎん(吟)ずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいはうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわ(騒)かず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候、今日蓮は賢人にもあらず・まして聖人は・おもひもよらず天下第一の僻人にて候が・但(ただ)経文計りにはあひて候やうなれば大難来り候へば父母のいきかへらせ給いて候よりもにくきもののことにあ(会)ふよりも・うれしく候なり。愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ・うれしき事にて候へ。
 智者たる上・二百五十戒かたくたもちて万民には諸天の帝釈をうやまふよりも・うやまはれて・釈迦仏・法華経に不思議なり提婆がごとしと・おもはれまいらせなば・人目はよきやうなれども後生はおそろし・おそろし。

さるにては殿は法華経の行者にに(似)させ給へりと・うけ給はれば・もつてのほかに・人のしたしきも・うときも日蓮房を信じては・よもまどいなん・上(かみ)の御気色もあしかりなんと・かたうどなるやうにて御けうくむ候なれば・賢人までも人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん、なかなか色みへでありせば・よ(宜)かりなん、大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつれば・それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり。

日蓮が弟子にせう(小輔)房と申し・のと房といゐ・なごえの尼なんど申せし物どもは・よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばらなりしかば・事のをこりし時・たよりをえて・おほくの人を・おとせしなり、殿もせめをとされさせ給うならば・するがにせうせう信ずるやうなる者も・又信ぜんと・おもふらん人人も皆法華経をすつべし、さればこの甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へども・おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候、なかなかしき人の信ずるやうにて・なめり(乱語)て候へば人の信心をも・やぶりて候なり。
ただをかせ給へ・梵天・帝釈等の御計(はからい)として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾(その)時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候。

御信用あつくをはするならば・人ためにあらず我が故父の御ため・人は我がをやの後世には・かはるべからず・子なれば我こそ故をやの後世をばとぶらふべけれ、郷(ごう)一郷・知るならば半郷は父のため・半郷は妻子・眷属をやしなふべし、我が命(いのち)は事出できたらば上(かみ)に・まいらせ候べしと・ひとへにおもひきりて何事につけても・言をやわ(和)らげて法華経の信を・うすくなさんずる・やうを・たばかる人出来せば我が信心を・こころむるかと・おぼ(思)して各各これを御けうくんあるは・うれしき事なり、ただし御身のけうくんせさせ給へ、上の御信用なき事は・これにもしりて候を上をもつて・おどさせ給うこそをかしく候へ、参りてけうくん申さんとおもひ候つるに・うわてうたれまいらせて候、閻魔王に我が身と・いとをしとおぼす御め(妻)と・子とを・ひつぱられん時は・時光に手をやす(摺)らせ給い候はんずらんと・にく(憎)げに・うちいひて・おはすべし。

にいた(新田)殿の事まことにてや候らん、をきつ(沖津)の事きこへて候、殿もびんぎ候はば其の義にて候べし、かまへておほきならん人申しいだしたるらんは・あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かと・おぼしめして・し(確)たたかに御返事あるべし。
千丁・万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならば・なにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間・や(焼)きつくして仏になり給い・檀王は千歳が間・身をゆか(牀)となして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、されば・ひが事をすべきにはあらず、今はすてなば・かへりて人わらはれになるべし、かたうどなるやうにて・つくりおとして、我もわらひ人にもわらはせんとするがきくわい(奇怪)なるに・よくよくけうくんせさせて人のおほくきかんところにて・人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとて・かつぱとたたせ給へ、一日二日が内にこれへきこへ候べし、事おほければ申さず又又申すべし、恐恐謹言。


建治三年五月十五日  日 蓮 花押
上野殿御返事



by johsei1129 | 2019-10-30 21:52 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 30日

此の妙の文字は月なり日なり星なり<中略>大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とな らせ給うと説いた【妙心尼御前御返事】

【妙心尼御前御返事】
■出筆時期:建治三年(1272)五月四日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は日興上人の叔母で故高橋入道の妻であった妙心尼に送られた消息です。
大聖人は故高橋入道を偲ばれ「ねんごろにごせ(後世)をとぶらはせ給い候」と高橋入道の回向をしたことを記されるとともに、匈奴に捕えられた漢の蘇武が、故郷の妻子恋しさに雁の足に文を付けて放った故事を記し、夫を失った妙心尼の心境を思いやられておられます。
さらに「法華経の題目をつねは・となへさせ給へば変ぜさせ給い<略>さば(娑婆)せかいの事を冥途につげさせ給うらん」と記され、法華経の題目が冥途の高橋入道に娑婆に残した幼子の様子を伝えるでしょうと励まされておられます。

また文末では「此の妙の字は仏にておはし候なり、又此の妙の文字は月なり日なり星なり<略>一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う」と説いて、法華経の信仰を貫き仏身を成就するよう励まされておられます。
尚、追伸で「はわき殿申させ給へ」と記し、日興上人にこの消息の内容を妙心尼に詳しく説き聞かせるよう頼まれておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)

[妙心尼御前御返事 本文]

すず(種種)のもの給いて候。たうじはのう(農)時にて人のいとまなき時、かやうに・くさぐさのものどもをくり給いて候事、いかにとも申すばかりなく候。これもひとへに故入道殿の御わか(別)れの・しのびがたきに後世の御ためにてこそ候らんめ。ねんごろにごせ(後世)をとぶらはせ給い候へば・いくそばく・うれしくおはしますらん。とふ人もなき草むらに露しげきやうにて・さばせかい(娑婆世界)にとどめをきしをさなきものなんどのゆくへ(行末)きかまほし。

あの蘇武が胡国に十九年ふるさとの妻と子との・こひしさに雁の足につけしふみ、安部の中麻呂が漢土にて日本へかへされざりし時・東にいでし月をみてかのかすがの(春日野)の月よと・ながめしも身にあたりてこそ・おはすらめ。

しかるに法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文(も)じ(字)御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり、譬えばちんし(陳子)がかがみ(鏡)のとり(鳥)の・つねにつ(告)げしがごとく蘇武がめ(妻)のきぬた(碪)のこえの・きこえしがごとく・さばせかいの事を冥途(めいど)につげさせ給うらん、又妙の文字は花のこのみと・なるがごとく半月の満月となるがごとく変じて仏とならせ給う文字なり。

されば経に云く「能く此の経を持つは則ち仏身を持つなり」と、天台大師の云く「一一文文是れ真仏なり」等云云、妙の文字は三十二相・八十種好・円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを・我等が眼つたなくして文字とは・みまいらせ候なり、譬へばはちす(蓮)の子(み)の池の中に生いて候がやうに候はちすの候をとしよりて候人は眼くらくしてみず、よる(夜)はかげ(影)の候をやみにみざるがごとし、されども此の妙の字は仏にておはし候なり、又此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり、かくのごとく・しらせ給うべし、くはしくは又又申すべし。

五月四日    日 連 花押
はわき殿申させ給へ




by johsei1129 | 2019-10-30 21:31 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 30日

賢人は八風と申して利衰毀誉称譏苦楽に冒されぬを賢人と申すなりと説いた【四条金吾殿御返事】

■出筆時期:建治三年(1277)四月 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、主君江馬氏からの信頼が厚かった四条金吾が、同僚から妬まれ度々主君に讒言(ざんげん)されるのに耐え難くなり、主君に同僚を訴えようとかと大聖人に久しぶりに手紙を出され相談された事への返書となっております。

大聖人は「日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむ事なれば<中略>所領をお(追)いなんどせしに、其の御内になに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候」と記され、佐渡流罪の大難の時、所領を追い出された日蓮門下の信徒が多い中、金吾が主君からそのような仕打ちに合わなかった事は、由々しき大恩であり「この上は例え一分の御恩なくとも、恨むべき主君にあらず」と、自重するように諭されておられます。
そして「賢人は八風と申して八の風におか(冒)されぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり。をを心は利あるに喜ばず、衰えるに嘆かず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天は守らせ給うなり。如かるをひり(道理)に主を怨みなんどし候へば、いかに申せども天守り給う事なし」と、厳しく指導されておられます。
尚、金吾は本抄を受け取ったすぐ後の五月二十三日、主君江間氏から御勘気を被りますが、その時も大聖人は短気な金吾に自重するよう細やかに指導をされております。そして翌年の建治四年一月、大聖人の指導と金吾の主君への至誠が通じ、江間氏から御勘気を解かれ所領も復活することになります。※参照:四条金吾殿御書(九思一言事)】
■ご真筆:京都市妙覚寺(断簡)所蔵、身延久遠寺所蔵分は明治八年の大火で焼失。

[四条金吾殿御返事(八風抄) 本文]

はるかに申し承り候はざりつれば、いぶせく候いつるに・かたがたの物と申し御つかいと申しよろこび入つて候。又まほりまいらせ候、所領の間の御事は上(かみ)よりの御文ならびに御消息引き合せて見候い畢んぬ。

此の事は御文なきさきにすい(推)して候、上には最大事と・おぼしめされて候へども、御きんず(近習)の人人のざんそうにてあまりに所領をきらい上をかろしめたてまつり候。ぢうあう(縦横)の人(にん)こそををく候にかくまで候へば且らく御恩をば・おさへさせ給うべくや候らんと申しぬらんと・すい(推)して候なり。

それにつけては御心えあるべし御用意あるべし、我が身と申しをやるいしん(親類親)と申し、かたがた御内に不便(ふびん)といはれまいらせて候大恩の主なる上、すぎにし日蓮が御かんきの時・日本一同ににくむ事なれば弟子等も或は所領を・ををかたよりめされしかば又方方の人人も或は御内内をいだし或は所領をお(追)いなんどせしに、其の御内に・なに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。

このうへは・たとひ一分の御恩なくとも・うらみまいらせ給うべき主にはあらず、それにかさねたる御恩を申し所領をきらはせ給う事・御とがにあらずや。

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心(むね)は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひり(非理)に主(しゅ)をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし、訴訟を申せど叶いぬべき事もあり、申さぬに叶うべきを申せば叶わぬ事も候、夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶いぬべきよしを・かんがへて候しに・あながちに・なげかれし上(うえ)日蓮がゆへに・めされて候へば・いかでか不便に候はざるべき、ただし訴訟だにも申し給はずば・いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給わり候いぬと約束ありて・又をりかみをしきりにかき・人人・訴訟ろんなんど・ありと申せし時に此の訴訟よも叶わじとをもひ候いしが・いま(今)までのびて候。

だいがくどのゑもんのたいうどのの事どもは申すままにて候あいだ・いのり叶いたるやうに・みえて候、はきりどのの事は法門の御信用あるやうに候へども此の訴訟は申すままには御用いなかりしかば・いかんがと存じて候いしほどに・さりとては・と申して候いしゆへにや候けん・すこし・しるし候か、これに・をもうほど・なかりしゆへに又をもうほどなし、だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をた(焚)くがごとし、又だんなと師とをもひあひて候へども大法を小法をもつて・をかしてとしひさしき人人の御いのりは叶い候はぬ上、我が身も・だんなも・ほろび候なり。

天台の座主・明雲と申せし人は第五十代の座主なり、去ぬる安元二年五月に院勘をかほりて伊豆国へ配流・山僧大津よりうばいかへす、しかれども又かへりて座主となりぬ・又すぎにし壽永二年十一月に義仲に・からめとられし上・頚うちきられぬ・是はながされ頚きらるるを・とがとは申さず賢人・聖人もかかる事候、但し源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起りし時・清盛が一類・二十余人・起請をかき連判をして願を立てて平家の氏寺と叡山をたのむべし三千人は父母のごとし・山のなげきは我等がなげき・山の悦びは我等がよろこびと申して、近江の国・二十四郡を一向によせて候しかば、大衆と座主と一同に内には真言の大法をつくし・外には悪僧どもを・もつて源氏をい(射)させしかども義仲が郎等ひぐち(樋口)と申せしをのこ義仲とただ五六人計り叡山中堂にはせのぼり調伏の壇の上にありしを引き出して・なわをつけ西ざか(坂)を大石をまろ(転)ばすやうに引き下(おろ)して頚をうち切りたりき、かかる事あれども日本の人人真言をうとむ事なし又たづぬる事もなし・去ぬる承久三年辛巳(かのとみ)五六七の三箇月が間・京・夷の合戦ありき、時に日本国第一の秘法どもをつくして叡山・東寺・七大寺・園城寺等・天照太神・正八幡・山王等に一一に御いのりありき、其の中に日本第一の僧四十一人なり所謂前(さき)の座主・慈円大僧正・東寺・御室・三井寺の常住院の僧正等は度度・義時を調伏ありし上(うえ)、御室は紫宸殿にして六月八日より御調伏ありしに、七日と申せしに同じく十四日に・いくさに・まけ勢多迦(せたか)が頚きられ御室をもひ死に死しぬ、かかる事候へども真言は・いかなるとがとも・あやしむる人候はず、をよそ真言の大法をつくす事・明雲第一度・慈円第二度に日本国の王法ほろび候い畢んぬ、今度第三度になり候、当時の蒙古調伏此れなり、かかる事も候ぞ此れは秘事なり人にいはずして心に存知せさせ給へ。

されば此の事御訴訟なくて又うらむる事なく御内をばいでず我かまくらにう(打)ちい(居)て・さきざきよりも出仕とをきやうにて・ときどきさしいでて・おはするならば叶う事も候なん、あながちに・わるびれて・みへさせ給うべからず、よくと名聞・瞋との。 ※此の後の文は残されておりません。

by johsei1129 | 2019-10-30 21:24 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 30日

勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや、と説いた。【乗明聖人御返事】

【乗明聖人御返事】
■出筆時期:建治三年(1277)四月十二日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、大田乗明夫妻が青鳧(せいふ・銭)二結を供養されたことへの返書となっております。
大聖人は金珠女と金師の夫(迦葉)が、金銭一文を金箔にし仏像に貼ったことで九十一劫も金色の身と為った故事を引いて、「今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼(迦葉)は仏(像)なり、此れ(乗明)は経(ご本尊)なり、経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と記され、諸仏は経を師として仏になった、貴方は経そのものに供養するので「勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや」と讃えられておられます。

尚、本抄は比較的短いお手紙ですが、重要な点があります。一つは乗明が幕府問註所(現在の最高裁判所)の役人で漢文の素養があり、大聖人は乗明への消息は全て漢文で認められておられ、本書も同様に漢文で記されておられます。もう一つは宛名が乗明聖人となっていることです。これは信徒に対する尊称としては極めて異例であります。大聖人は弘安五年十月十三日に滅度される半年前に、本門の戒壇建立のご遺命を記された[三大秘法禀承事]を大田乗明に対して書き遺しことでもわかるよに、如何に大聖人の法門への理解が深いかと乗明を高く評価していたかが伺われます。
その三大秘法禀承事の文末では、こう記されておられます。「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり、予年来(としごろ)己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺し候、一見の後、秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し」と。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや、と説いた。【乗明聖人御返事】_f0301354_1952146.jpg

[真筆本文:本文緑字箇所]
未來光明如來是也
今乘明法師
妙日并妻女銅
錢二千枚供養
法花經 彼佛也 此經也
經師也 佛弟子也 涅槃經云
諸佛所師所謂法也
乃至是故諸佛恭敬
供養 法華經第七云
若復有人以七寶滿三

[乗明聖人御返事 本文]

相州の鎌倉より青鳧二結(せいふ・ふたゆい)甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ。

昔金珠女(こんじゅにょ)は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき。其の夫(おとこ)の金師(こんし)は今の迦葉、未来の光明如来是なり。
今の乗明法師妙日並びに妻女は、銅銭二千枚を法華経に供養す。
彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。
法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満
てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」、夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや。

但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ、恐恐謹言。

卯月十二日                    日 蓮 花押
乗明聖人御返事


【妙法蓮華経 薬王菩薩本事品 第二十三】
 若復有人 以七宝満 三千大千世界
 供養於仏 及大菩薩 辟支仏 阿羅漢
 是人所得功徳 不如受持 此法華経
 乃至一四句偈 其福最多

 [和訳]
 若し復た人有りて、七宝を以て三千大千世界(宇宙)に満たし
 仏及び大菩薩、辟支仏(縁覚)、阿羅漢(声聞)を供養する
 是の人が得る所の功徳は、此の法華経の
 乃至、一四句偈をも受持する、其の福の最も多きには及ばないのである。



by johsei1129 | 2019-10-30 06:51 | 大田乗明・尼御前 | Trackback | Comments(0)