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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 28日 ( 6 )


2019年 10月 28日

釈尊と耶輸多羅女のいわれを説いて兵衛志殿女房を称えた書【兵衛志殿女房御書】

【兵衛志殿女房御書】
■出筆時期:建治三年(1277)三月二日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟・宗長の妻に送られた消息です。
 宗長がある尼御前を身延の草庵に見参させるため、大事な愛馬を提供されたことを「これは殿はさる事にて女房のはからひか」と、宗長とともに妻の配慮であろうと讃えられておられます。

冒頭では釈尊と出家前の妻・耶輸多羅女(やしょだら)との謂れを説かれ、究極的に耶輸多羅女は釈尊を慕い出家し、法華経勧持品で将来「具足千万光相如来」となるとの記別を受けたことを示されおられます。そして文末では、「此馬も法華経の道なれば百二十年御さかへの後、霊山浄土へ乗り給うべき御馬なり」と記し、この馬を手配し尼御前を大聖人の元に導いた兵衛志殿女房も、耶輸多羅女同様、霊山浄土にこの馬が導いてくれるでしょうと励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[兵衛志殿女房御書 本文]

先度仏器まいらせさせ給い候しが、此度(このたび)此の尼御前(あまごぜ)大事の御馬にのせさせ給いて候由承わり候、法にすぎて候御志かな。これは殿はさる事にて女房のはからひか。

昔儒童菩薩と申せし菩薩は、五茎(いつくき)の蓮華を五百の金銭を以てかいとり(買取)、定光菩薩を七日七夜供養し給いき。
女人あり瞿夷(くい)となづく、二茎の蓮華を以て自ら供養して云く、凡夫にてあらん時は世世・生生・夫婦とならん、仏にならん時は同時に仏になるべし、此のちかひ(誓)くちずして九十一劫の間・夫婦となる。
結句儒童菩薩は今の釈迦仏、昔の瞿夷は今の耶輸多羅女、今法華経の勧持品にして具足千万光相如来是なり。悉達太子檀特山に入り給しには金泥駒(こんでいく)・帝釈の化身、摩騰迦・竺法蘭の経を漢土に渡せしには、十羅刹、化して白馬となり給ふ。

此馬も法華経の道なれば百二十年御さかへの後、霊山浄土へ乗り給うべき御馬なり、恐恐謹言。

建治三年丁丑(ひのとうし)三月二日        日 蓮 花 押
兵衛志殿女房

【妙法蓮華経 勧持品第十三】
爾時羅睺羅母 耶輸陀羅比丘尼 作是念
世尊於授記中 独不説我名
仏告耶輸陀羅 汝於来世 百千万億
諸仏法中 修菩薩行 為大法師 漸具仏道
於善国中 当得作仏 号具足千万光相如来
<中略>仏寿無量阿僧祇劫

[和訳]
その時羅睺羅(らごら)の母・耶輸陀羅比丘尼はこの念を成していた。
世尊(釈尊)は記を授ける中に於いて、独り我が名を説いていないと。
その思いを察した仏は耶輸陀羅にこう告げた。汝は来世に於いて百千万億の
諸仏と法の中で菩薩行を修め、大法師と為り漸し仏道を具足し
善き国の中に於いて、当に仏と作すことを得て、具足千万光相如来と号するべし。
<中略>その仏の寿命は無量阿僧祇劫なり。

by johsei1129 | 2019-10-28 22:51 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 28日

【和漢王代記その四】

【和漢王代記 本文】その四
授決集に云く円珍 智証大師「 文は大経に出でたり人の之を会する無し、光盲の前に在れども他(かれ)に於ては無用なり、仏分明に五味の喩を説き五時の教に喩えたもう云云、訳ありてより来(このかた)講者路に溢るれども未だ曾て五味を談ずるの義を解せず己が胸臆(きょうおく)に任せて趣爾(たやすく)囈語す何ぞ象に触る衆盲の者に異らんや、天台世に出で仏意快く暢ぶ豈に万教再び世間に演るに非ずや、南北の講匠経論を釈する者・各教時を立つれども百にして一も是なること無し只教部の前後頓漸権実大小の麤妙・寛狭・進否に迷うに縁りてなり・大教の網を張りて法界の海を亘し人天の魚を済(おさめ)て涅槃の岸に置く斯くの如くするすら其の遺漏を恐る況や諸師の輩羅(あみ)の一目なり何れの時か其の鳥を得ん、若し万蔵を暗ずと雖も此の理趣を会せざれば年を終るまで他の宝を計りて自ら半銭の分無く虚しく諍論を益し長水に水を添うのみ」。

授決集に法相宗の慈恩大師を破して云く「五性宗に云く未熟法華論の前に未熟の文也と云うは、応に不熟と云うべし、○今謂く汎く法華を講ずるには須く此の義を以て正と為すべし若し爾らずんば経を破し論を破し罪五逆に過ぎたり基公を除きて外は人の彼の不熟の義を伝うる無し、○若し強て之を執せば公私十方の信施消し難し消し難し若し消せずんば何ぞ三途を免れん爾(なんじ)を供養せん者は三悪道に堕せん謗法の罪報は法華般若の諸大乗経に一切明かに説けり智者披く可し、○爾(なんじ)これを信受す可し無間を招く莫れ」。

授決集円珍真言の諸宗を徴して云う「真言・禅門・華厳・三論・唯識・律業・成・倶の二論等、○若し法華・涅槃等の経に望むれば是れ摂引門なり文、又云く大底他は多く三教在り円の旨至て少きのみ」。

弘法大師の二教論に「喩して曰く、今斯の経文に依るに仏五味を以て五蔵に配当す。総持を醍醐と称し四味を四蔵に譬ふ。震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」。

               乳 アナン
六波羅経の五蔵 --------- 一、 爼多覧------------ 経----
                         |   
               ウハリ |
      ----------- 二、毘那耶酪---------- 律 --- | ------ 小乗
               |
              カセンエン |
     -------------- 三、阿毘達磨生---------- 論---

              熟 文殊
     -------------- 四、般若 ハラ蜜蔵----------|
                     金剛蔵 |------------大乗
     --------------- 五、惣持醍醐ダラニ蔵 ------|




【和漢王代記 本文】その五に続く






by johsei1129 | 2019-10-28 22:43 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 28日

日本と中国の王朝と仏教の関わりの歴史を詳細に記された書【和漢王代記その一】

【和漢王代記その一】

■出筆時期:建治二年(1276) 五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:弟子・信徒の教化のため日本と中国の王朝と仏教の関わりの歴史を詳細に記された書と思われます。
■ご真筆:静岡県 西山本門寺所蔵(全18紙の内第16紙が伝えられていない)。

日本と中国の王朝と仏教の関わりの歴史を詳細に記された書【和漢王代記その一】_f0301354_23563876.jpg












【和漢王代記 本文】その一


三皇--- 神農 伏羲 黄帝

五帝-- 少昊(しょうこう)
   顓頊--(せんぎょく)--三墳五典
    帝嚳(ていこう)
    尭王---男九人女一人
    舜王

周--- 第一文王
   第二武王  周公旦
   第三成王
   第四昭王の御宇二十四年甲寅に当る。
   四月八日は仏の御誕生なり 。五色の光気南北に亘る。大史蘇由之を占う。

  --中間七十九年なり

   第五穆王(ぼくおう)の五十二年壬申に当る。  
     二月十五日御入滅 。十二の虹南北に亘る。大史扈多之を占う
  --三十七有り或は八。

三教--- 一儒教 ---五常^^ 文武等なり。
       ---孔丘 ---顔回
  --- 二道教--- 仙教
       ---老子
  ---三釈教 一代五十余年。


【和漢王代記 本文】その二に続く




by johsei1129 | 2019-10-28 22:34 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 28日

大聖人自ら釈尊五十年の説法を図現化、法華経こそ釈尊一代の説法の究極だと示した【一代五時図】

【一代五時図(略本)(いちだいごじず】
■出筆時期:建治二年(西暦1276年) 五十五歳 御作。
■出筆場所:身延山 草庵。
■出筆の経緯:釈尊一代五十年の説法を五時(華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃)に分け図現化し、法華経こそ釈尊五十年の説法の究極であることを説きあかしている。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵。
大聖人自ら釈尊五十年の説法を図現化、法華経こそ釈尊一代の説法の究極だと示した【一代五時図】_f0301354_08031971.jpg











※参照:建治元年(西暦1275年) 千葉県弘法寺所蔵の一代五時図(ご真筆)

[一代五時図(略本) 本文] ※注:より詳細な広本あり。

 竜樹菩薩造
大論に云く、十九出家浄飯王の太子 三十成道 悉達太子(※注:釈尊の幼名)  
 
 権大乗  ┌杜順法師  
      ┌六十巻┐   ├智儼法師 
  ┌華厳経┤   ├華厳宗┼法蔵大師 
  │   └八十巻┘   └法蔵大師 
  │     三七日          ┌世親菩薩
  │       ┌増一阿含経┐┌倶舎宗┴玄奘三蔵
  │    小乗経├中 阿含経┼┼成実宗 迦梨跋摩
  ├阿含経────┼長 阿含経┤└律 宗 道宣律師
  │    十二年└雑 阿含経┘ │    ┌二百五十戒  僧
  │               └─小乗戒┼五 百 戒  尼
  │                    ├五   戒  男女
  │                    └八 斎 戒  男女

  │         五巻  ┌瑜伽論 弥勒菩薩造   
  │       ┌深密経──┴唯識論 世親菩薩造   
  │    権大乗│                  ┌玄奘三蔵
  ├方等部────┤ 六十巻           法相宗┴慈恩大師
  │    三十年│大集経               ┌曇鸞法師
  │       │     ┌雙 巻 経        ├道綽禅師
  │       │浄土三部経┴観  経     浄土宗┼善導和尚
  │       │     └阿弥陀経        └法 然 房
  │       │大 日 経──七巻          ┌善無畏三蔵           

       ・
  │       │金剛頂経──三巻          ├金剛智三蔵
  │       │蘇悉地経──三巻          ├不空三蔵
  │       │               真言宗┼慧果和尚
  │       │                  ├弘法大師
  │       │                  ├慈覚大師
  │       │                  └智証大師   
  │       │     ┌四巻          ┌達摩大師   
  │       └楞 伽 経─┴十巻          ├慧可 
  │                          ├僧璨
  │                          ├道信
  │ 権大乗   ┌百論 提婆菩薩造       禅 宗┼求忍
  ├般 若────┼中論 竜樹菩薩造           └慧能
  │ 四十巻   ├十二門論 同              ┌興皇
  │       └大智度論 同         三論宗─嘉祥大師
  │                            └吉蔵

   無量義経 七十二歳(※注:釈尊成道後42年、霊鷲山で法華経を説く直前に説いた経:法華経の開経といわれてる) 
   「四十余年には未だ真実を顕さず。方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず。無量無辺不可思 議阿僧祇劫を過れども終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん菩提の大直道を知らざるが故に険逕(けんけい)を行くは留難多きが故に。大直道を行くは留難無きが故に。
  
  │        ┌顕露宗
  │ 実大乗    ├最秘密宗
  ├法華経 ────┼仏立宗
  │ 八箇年     ├法華宗
  │         └天台宗

 (※以下妙法蓮華経の引用)
「世尊は法久しくして後に要(かならず)当に真実を説き給うべし。 正直に方便を捨てて但無上道を説く。 種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり。 
 今此の三界は皆是れ我が有なり。 其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。 而も今此の処は諸の患難多し。 唯我れ一人のみ能く救護を為す。 復教詔すと雖も而も信受せず。 若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則一切世間の仏種を断ぜん。 或は復ひん蹙して疑惑を懐かん。 汝当に此の人の罪報を説くことを聴くべし。 若しは仏の在世、若しは滅度の後、其れ斯の如き経典を誹謗すること有らん。 経を読誦し書持する有らん者を見て軽賎憎嫉し而も結恨を懐かん。 此の人の罪報を汝今復聴け。 其の人命終して阿鼻獄に入らん。 一劫を具足して劫尽きなば更(また)生じ、是の如く展転して無数劫に至らん。 此に於て死し已つて更に蟒(もう)身を受けん、其の形長大にして五百由旬ならん。 

 若し是の善男子善女人、我が滅度の後に能く竊(ひそか)に一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則如来の使なり。 如来の所遣として如来の事を行ずるなり。 薬王若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵(きめ)せん、其の罪尚軽し。 若人一の悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せば其の罪甚だ重し。 薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり。我が所説の経典無量千万億にして已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て 此の法華経最も為(これ)難信難解なり。 若し法師に親近せば、速かに菩薩の道を得ん。 是の師に随順して学せば恒沙の仏を見上(たてまつ)ることを得ん。

  爾の時に宝塔の中より大音声を出して歎めて言(のたま)わく、善哉善哉釈迦牟尼世尊能く平等大慧教菩薩法仏所護念の妙法華経を以て、大衆の為に説き給う。是の如し是の如し。釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり。諸余の経典数恒沙の如し。此等を説くと雖も未だ難しと為すに足らず。若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ難しと為さず。若し仏の滅度に悪世の中に於て能く此の経を説かん、是れ則ち難しと為す。

 諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん。 我等皆当に忍ぶべし。悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん。或は阿練若に納衣にして空閑に在つて、自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん。利養に貪著するが故に白衣((ぎゃくえ)の与(ため)に法を説いて、世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん。常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲する故に、国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん。濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。 悪鬼其身に入つて我を罵詈し毀辱せん。濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず、悪口して嚬蹙(ひんしゅく)し数数擯出(ひんずい)せられん。大神力を現し広長舌を出して、上梵世に至らしむる。諸仏も亦復是の如く広長舌を出し給う。
   
         ┌依法不依人文殊・普賢・観音・地蔵等、
               竜樹菩薩・善無畏・弘法・慈覚・法蔵・嘉祥・善導等なり。
    一日一夜 ├依義不依語   ┌観経等
  涅槃経───┼依智不依識   ├大日経等
    八十入滅 ├依了義経 法華経 ├深密経等
         └不依不了義経──┼華厳経等
                  └般若経等
  
     

[一代五時図(略本) 本文] 完。





by johsei1129 | 2019-10-28 22:20 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 28日

法華経を信ぜし人なれば、無一不成仏疑なきものなりと、説いた【破良観等御書】

【破良観等御書】
■出筆時期:建治二年(1276年)五十五歳 御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は前半と文末部分が欠けているため執筆年、及び対告衆は明示されておりませんが、文中の内容から建治二年に安房国・天津に住む光日房に与えられた御消息文と思われます。

内容は初めに、釈尊に敵対し、釈迦の教団の分裂を図った破和合僧の罪、また崖から岩を落として釈迦の指から血を流した出仏身血の罪、酔った象をけしかけ釈迦の弟子たちを踏み潰して殺害した殺阿羅漢の罪、これら三逆罪を犯した提婆達多と、法華経の行者日蓮並びに弟子・信徒を迫害した良観らの念仏・真言・禅宗・律の各宗派の僧侶の罪業は、提婆達多に超過し、無間地獄おちるであろうと示されておられます。

また光日房の息子・故弥四郎について、武士として人を殺すような罪を犯したとしても、仏敵である提婆達多の三逆罪に比べれば小罪であるとしるし、「法華経を信ぜし人なれば、無一不成仏疑なきものなり」と示し法華経を信仰してきたのであるから成仏は間違いないと、光日房を励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[破良観等御書 本文]

良観・道隆・悲願聖人等が極楽寺・建長寺・寿福寺・普門寺等を立てて叡山の円頓大戒を蔑如するが如し、此れは第一には破僧罪なり・二には仏の御身より血を出だす、今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日を・をさへとり・阿弥陀仏の日とさだめ仏生日の八日をば薬師仏の日といゐ、一切の真言師が大日如来をたのみて教主釈尊は無明に迷える仏・我等が履(くつ)とりにも及ばず結句は潅頂して釈迦仏の頭をふむ、禅宗の法師等は教外別伝とののしりて一切経をば・ほんぐ(反古)には・をとり我等は仏に超過せりと云云、此は南印度の大慢ばら門がながれ出仏身血の一分なり、第三に蓮花比丘尼を打ちころす・これ仏の養母にして阿羅漢なり、此れは阿闍世王の提婆達多をすてて仏につき給いし時いかりをなして大火・胸をやきしかば・はらをすへかねて此の尼のゆきあひ候たりしを打ち殺せしなり、今の念仏者等が念仏と禅と律と真言とをせめられて・のぶるかたわなし、結句は檀那等をあひかたらひて日蓮が弟子を殺させ・予が頭等にきずをつけ・ざんそうをなして二度まで流罪・あわせて頚をきらせんと・くわだて・弟子等数十人をろうに申し入るるのみならず、かまくら内に火をつけて日蓮が弟子の所為(しょい)なりとふれまわして一人もなく失わんとせしが如し。

而るに提婆達多が三逆罪は仏の御身より血をいだせども爾前の仏・久遠実成の釈迦にはあらず、殺羅漢も爾前の羅漢・法華経の行者にはあらず、破和合僧も爾前小乗の戒なり・法華円頓の大戒の僧にもあらず、大地われて無間地獄に入りしかども法華経の三逆ならざればいた(甚)うも深くあらざりけるかのゆへに・提婆は法華経にして天王如来とならさせ給う、今の真言師・念仏者・禅・律等の人人・並に此れを御帰依ある天子並びに将軍家・日本国の上下万人は法華経の強敵となる上・一乗の行者の大怨敵となりぬ、されば設い一切経を覚(さと)り十方の仏に帰依し一国の堂塔を建立し一切衆生に慈悲ををこすとも・衆流大海に入りかんみ(鹹味)となり衆鳥・須弥山に近ずきて同色となるがごとく、一切の大善変じて大悪となり七福かへりて七難をこり現在眼前には他国のせめきびしく・自身は兵(つわもの)にやぶられ妻子は敵(かたき)にとられて後生には無間大城に堕つべし。

此れをもん(以)てをもうに故弥四郎殿は設い大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず、何に況や小罪なり、法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。

疑て云く今の真言師等を無間地獄と候は心へられぬ事なり、今の真言は源(もと)弘法大師・伝教大師・慈覚大師・智証大師此の四大師のながれなり、此の人人・地獄に堕ち給はずば今の真言師いかで堕ち候べき、答えて云く地獄は一百三十六あり一百三十五の地獄へは堕つる人雨のごとし其の因やすきゆへなり、一の無間大城へは堕つる人かたし・五逆罪を造る人まれなるゆへなり、又仏前には五逆なし但(ただし)殺父殺母の二逆計りあり、又二逆の中にも仏前の殺父・殺母は決定として無間地獄へは堕ちがたし畜生の二逆のごとし、而るに今日本国の人人は又一百三十五の地獄へはゆきがたし、日本国の人人・形はことなれども同じく法華経誹謗の輩なり、日本国異なれども同じく法華誹謗の者となる事は源伝教より外の三大師の義より事をこれり。

問うて云く三大師の義如何、答えて云く弘法等の三大師は其の義ことなれども同じく法華経誹謗は一同なり、所謂善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の法華経誹謗の邪義なり。問うて云く三大師の地獄へ堕つる証拠如何、答えて云く善無畏三蔵は漢土日本国の真言宗の元祖なり彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり、其のせめに値う事は他の失ならず法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり、而るを此の失を知らずして其の義をひろめたる慈覚・智証・地獄を脱るべしや、但し善無畏三蔵の閻魔のせめにあづかりし故をだにも・たづねあきらめば此の事自然に顕れぬべし・善無畏三蔵の鉄の縄七すぢつきたる事は大日経の疏に我とかかれて候上・日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり、此れをもつて慈覚・智証等の失をば知るべし。

問うて云く法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何、答えて曰く法華経には諸経の中に於て最も其の上に在りと説かれて此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云、大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻・已上十三巻の内・法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし、但蘇悉地経計りにぞ三部の中に於て此の経を王と為すと申す文候。

此れは大日の三部経の中の王なり全く一代の諸経の中の大王にはあらず、例せば本朝の王を大王といふ・此れは日本国の内の大王なり・全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず、法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず・三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり、例せば大梵天王のごときんば諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり、金剛頂経と申すは真言教の頂王・最勝王経と申すは外道・天仙等の経の中の大王・全く一切経の中の頂王にはあらず、法華経は一切経の頂上の宝珠なり、論師・人師をすてて専ら経文をくらべば・かくのごとし、而るを天台宗・出来の後・月氏よりわたれる経論並に天竺・漢土にして立てたる宗宗の元祖等・修羅心を・さしはさめるかのゆへに或は経論にわたくしの言をまじへて事を仏説によせ・或は事を月氏の経によせなんどして・私の筆をそへ仏説のよしを称す。

善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云云、此れは仏意にはあらず、仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内・四十余年の内にも華厳・般若等には及ぶべくもなし、但阿含・小乗経にすこしいさてたる経なり、而るを慈覚大師等は此の義を弁えずして善無畏三蔵を重くをもうゆへに理同事勝の義を実義とをもえり、弘法大師は又此等には・にるべくもなき僻人なり、所謂法華経は大日経に劣るのみならず華厳経等にも・をとれり等云云、而を此の邪義を人に信ぜさせんために或は大日如来より写瓶せりといゐ或は我まのあたり霊山にして・きけりといゐ或は師の慧果和尚の我をほめし或は三鈷をなげたりなんど申し種種の誑言をかまへたり、愚な者は今信をとる、又天台の真言師は慈覚大師を本とせり、叡山の三千人もこれを信ずる上・随って代代の賢王の御世に勅宣を下す、其の勅宣のせん(詮)は法華経と大日経とは同醍醐・譬へば鳥の両翼・人の左右の眼等云云、今の世の一切の真言師は此の義をすぎず、此等は螢火を日月に越ゆとをもひ蚯蚓(きゅういん)を花山より高しという義なり、其の上一切の真言師は潅頂となづけて釈迦仏を直ちにかきてしきまんだら(敷曼荼羅)となづけて弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷える仏・人の中のいぞ(夷)のごとし真言師が履(くつ)とりにも及ばずなんどふみ(文)につくれり、今の真言師は此の文を本疏となづけて日日・夜夜に談義して公家武家のいのりと・がうして・ををくの所領を知行し檀那をたぼらかす、事の心を案ずるに彼の大慢ばら門がごとく無垢論師にことならず、此等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども強敵のなければ・さてすぐるか、而りといへども其のしるし眼前にみへたり、慈覚と智証との門家等・闘諍ひまなく・弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院・叡山と薗城との相論は修羅と修羅と猿と犬とのごとし、此等は慈覚の夢想に日をいるとみ・弘法の現身妄語のすへか、仏末代を記して云く謗法の者は大地微塵よりも多く正法の者は爪上の土よりすくなかるべし、仏語まことなるかなや今日本国かの記にあたれり。

予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より学文に心をかけし上・大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ其の所願に子細あり今くはしく・のせがたし、其の後先ず浄土宗・禅宗をきく・其の後叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども・我が身の不審はれがたき上・本よりの願に諸宗何(いず)れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・はばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに・三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども・真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見は・いまだ・せむる人なし、善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序(こうじょ)並に伝教大師の依憑集にのせられたれども・いまだ・くはしからざればにや慈覚・智証の謬悞(びゅうご)は出来せるかと強盛にせむるなり。

かく申す程に年卅二・建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに・念仏者等始にはあなづる、日蓮いかに・かしこくとも明円房・公胤僧上・顕真座主等には・すぐべからず、彼の人人だにもはじめは法然上人をなん(難)ぜしが後にみな堕ちて或は上人の弟子となり或は門家となる、日蓮は・かれがごとし我つめん我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導・道綽等をせめず、又経の権実を・いわざりしかばこそ念仏者はをご(憍)りけれ、今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経に・をしあはせて・せむるゆへに、螢火(けいか)に日月・江河に大海のやうなる上・念仏は仏のしばらくの戯論の法・実にこれをもつて生死を・はなれんとをもわば大石を船に造り大海をわたり・大山をに(荷)なて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば・面をむかうる念仏者なし。

後には天台宗の人人を・かたらひて・どしうちにせんと・せしかども・それもかなはず、天台宗の人人も・せめられしかば在家出家の心ある人人・少少念仏と禅宗とをすつ、念仏者・禅宗・律僧等我が智力叶わざるゆへに諸宗に入りあるきて種種の讒奏をなす、在家の人人は不審あるゆへに各各の持僧等或は真言師或は念仏者或はふるき天台宗或は禅宗或は律僧等をわきにはさみて或は日蓮が住処に向い或はかしこへよぶ、而れども一言二言にはすぎず・迦旃延(かせんねん)が外道をせめしがごとく徳慧菩薩が摩沓婆(まとうば)をつ(詰)めしがごとく・せめしゆへに其の力及ばず、人は智かしこき者すくなきかのゆへに結句は念仏者等をば・つめさせてかなはぬところには・大名して・ものをぼへぬ侍どもたのしくて先後も弁えぬ在家の徳人等挙(こぞっ)て日蓮をあだするほどに・或は私に狼藉をいたして日蓮が・かたの者を打ち或は所ををひ或は地をたて・或はかんだうをなす事かずをしらず、上に奏すれども人の主となる人は・さすが戒力といゐ福田と申し子細あるべきかとをもひて左右なく失にも・なされざりしかば・きりもの(権臣)ども・よりあひてまちうど(町人)等をかたらひて数万人の者をもつて夜中にをしよせ失わんとせしほどに・十羅刹の御計らいにてやありけん日蓮其の難を脱れしかば・両国の吏・心をあわせたる事なれば殺されぬを・とがにして伊豆の国へながされぬ、最明寺殿計りこそ子細あるかとをもわれていそぎゆるされぬ。

さりし程に最明寺入道殿隠れさせ給いしかば・いかにも此の事あしくなりなんず、いそぎかくるべき世なりとは・をもひしかども・これにつけても法華経のかたうど・つよくせば一定事いで来るならば身命を・すつるにてこそ・あらめと思い切りしかば讒奏の人人いよいよ・かずをしらず、上下万人・皆父母のかたきとわり(後妻)をみるがごとし、不軽菩薩の威音王仏のすへ(末)にすこしもたがう事なし。

by johsei1129 | 2019-10-28 22:13 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 28日

此の娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜き捨てられしを釈迦一人計りして扶けさせ給う を唯我一人と申すなり、と説いた【松野殿御消息】

【松野殿御消息】
■出筆時期:建治二年(1276)五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中の館にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光の外祖父である松野殿に宛てられた消息です。
大聖人は釈尊の過去世における宝海梵志の謂れを通して「此の娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜き捨てられしを釈迦一人計りして扶けさせ給うを唯我一人と申すなり」と説かれておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【松野殿御消息 本文】
昔乃往(むかし)過去の古へ珊提嵐(さんだいらん)国と申す国あり彼の国に大王あり無諍念王と申しき。彼の王に千の王子あり又彼の王の第一の大臣を宝海梵志と申す。
彼の梵志に子あり法蔵と申す。彼の無諍念王の千の太子は穢土を捨てて浄土を取り給ふ。
其の故は此の娑婆世界は何なる所と申せば、十方の国土に父母を殺し正法を誹謗し聖人を殺せる者彼の国国より此の娑婆世界へ追い入れられて候。

例せば此の日本国の人、大科有る者の獄に入れらるるが如し。我が力に叶はざれば哀愍せずして捨て給ふ。
宝海梵志一人請け取りて娑婆世界の人の師と成り給ふ。宝海梵志の願に云く、我未来世の穢悪土の中に当に作仏することを得べし。即ち十方浄土より擯出せる衆生を集めて我れ当に之れを度すべしと誓ひ給ひき。無諍念王と申すは阿弥陀仏なり、其の千の太子は今の観音勢至普賢文殊等なり。

其の宝海梵志と申すは今の釈迦如来なり。此の娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜き捨てられしを釈迦一人計りして扶けさせ給うを唯我一人と申すなり。
                        日 蓮 花 押
松野殿

【妙法蓮華経 譬諭品第三】
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 
而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護
雖復教詔 而不信受 於諸欲染 貪著深故 
是以方便 為説三乗 令諸衆生 知三界苦 
開示演説 出世間道

[和訳]
今、此三界は皆是我が有なり。其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。 
而して今、此の処(娑婆世界)は諸の患難多く、唯、我一人のみ能く救護を為せり。
復た、教え詔すと雖ども、(衆生は)而して信受せす、諸の欲染において貪著が深い故なり。 
是れにより方便にて三乗(声聞・縁覚・菩薩)を説くなり。諸の衆生をして、三界の苦を知
らしめ出世間の道(仏道)を開き示し演説するなり。






by johsei1129 | 2019-10-28 06:45 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)