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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 24日 ( 7 )


2019年 10月 24日

法華は秘密なり譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し、と説いた【太田入道殿御返事】

【太田入道殿御返事】
■出筆時期:建治元年(西暦1275年)十一月三日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵。
■出筆の経緯:本書は下総国の幕府(問註所)役人大田乗明に与えられた書である。太田乗明が病にかかったことを報告した手紙への返書となっている。本書で大聖人は病の原因として「病の起る因縁を明すに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節ならざる故に病む、三には坐禅調わざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起るが故に病む」と説き、その中でも「第六の業病最も治し難し・・・中略・・・法蓮華経の第七に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」と諭し、業病へは妙法蓮華経こそ良薬であると断じている。
■ご真筆: 大分・法心寺ほか五箇所に断簡所蔵。
法華は秘密なり譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し、と説いた【太田入道殿御返事】_f0301354_2243613.jpg


[太田入道殿御返事(転重軽受事)本文]

 貴札之を開いて拝見す。御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ。維摩詰経に云く「爾の時に長者維摩詰自ら念ずらく寝(い)ねて牀(とこ)に疾(や)む云云。爾の時に仏、文殊師利に告げたまわく。汝維摩詰に行詣して疾を問え」云云。大涅槃経に云く「爾の時に如来乃至身に疾有るを現じ、右脇にして臥したもう彼の病人の如くす」云云。法華経に云く「少病少悩」云云。止観の第八に云く「若し毘耶(びや)に偃臥(えんが)し疾に託(つ)いて教を興す、乃至如来滅に寄せて常を談じ病に因つて力を説く」云云。又云く「病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節ならざる故に病む、三には坐禅調わざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起るが故に病む」云云。

 大涅槃経に云く「世に三人の其の病治し難き有り一には大乗を謗ず、二には五逆罪、三には一闡提。是くの如き三病は・世の中の極重なり」云云。又云く「今世に悪業成就し乃至必ず地獄なるべし乃至三宝を供養するが故に地獄に堕せずして現世に報を受く、所謂頭と目と背との痛(なや)み」等云云。止観に云く「若し重罪有つて乃至人中に軽く償うと、此れは是れ業が謝せんと欲する故に病むなり」云云。
 
 竜樹菩薩の大論に云く「問うて云く若し爾れば華厳経乃至般若波羅蜜は秘密の法に非ず、而も法華は秘密なり等、乃至譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」云云、天台此の論を承けて云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く乃至今経の得記は即ち是れ毒を変じて薬と為すなり」云云、故に論に云く「余経は秘密に非ず法華を秘密と為すなり」云云。

 止観に云く「法華能く治す復称して妙と為す」云云。妙楽云く「治し難きを能く治す所以に妙と称す」云云。大経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王其の性弊悪にして乃至父を害し已つて心に悔熱を生ず、乃至心悔熱するが故に遍く体瘡(きず)を生ず。其の瘡臭穢にして附近すべからず。爾の時に其の母韋提希と字(なづ)く種種の薬を以て而も為に之を傅(つ)く、其の瘡遂に増して降損有ること無し。王即ち母に白(もう)す是くの如きの瘡は心よりして生ず四大より起るに非ず、若し衆生能く治する者有りと言わば是の処(ことわり)有ること無けん云云。爾の時に世尊・大悲導師・阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう、三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」云云。平等大慧 已上上の諸文を引いて惟(ここ)に御病を勘うるに六病を出でず、其の中の五病は且らく之を置く、第六の業病最も治し難し。将た又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず、就中・法華誹謗の業病最第一なり。神農・黄帝・華佗・扁鵲も手を拱(こまね)き持水・流水・耆婆・維摩も口を閉ず。但し釈尊一仏の妙経の良薬に限つて之を治す。

  法華経に云く上の如し。大涅槃経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還りて正法に帰すること有れば乃至此の正法を除いて更に救護すること無し、是の故に正法に還帰すべし」云云。
荊谿(けいけい)大師の云く「大経に自ら法華を指して極と為す」云云。又云く「人の地に倒れて還つて地に従りて起つが如し。故に正の謗を以て邪の堕を接す」云云。世親菩薩は本(もと)小乗の論師なり、五竺の大乗を止めんが為に五百部の小乗論を造る、後に無著(むじゃく)菩薩に値い奉りて忽に邪見を飜えし一時此の罪を滅せんが為に著(じゃく)に向つて舌を切らんと欲す。著止(とど)めて云く汝其の舌を以て大乗を讃歎せよと、親忽に五百部の大乗論を造つて小乗を破失す。又一の願を制立せり我一生の間小乗を舌の上に置かじと、然して後罪滅して弥勒の天に生ず。馬鳴菩薩は東印度の人、付法蔵の第十三に列(つらな)れり本(もと)外道の長たりし時、勒比丘と内外の邪正を論ずるに其の心言下(げんか)に解けて重科を遮(しゃ)せんが為に自ら頭を刎ねんと擬す。所謂(いわく)我・我に敵して堕獄せしむ。勒比丘・諌め止めて云く汝頭を切ること勿れ、其の頭と口とを以て大乗を讃歎せよと。鳴(みょう)急に起信論を造つて外小を破失せり、月氏の大乗の初なり。嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠・三論宗の元祖なり。呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い、立処(たちどころ)に邪執を飜破(ほんぱ)し謗人・謗法の重罪を滅せんが為に百余人の高徳を相語らい、智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承(う)く。七年の間・薪を採り水を汲み講を廃し衆を散じ慢幢を倒さんが為法華経を誦せず。大師の滅後隋帝に往詣(おうけい)し雙足(そうそく)をきょう摂(しょう)し涙を流して別れを告げ古鏡を観見して自影を慎辱(しんじょく)す。業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す。夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言(きんげん)・已今当の明珠諸経の頂に居す。経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」又云く「法華最第一なり」伝教大師の云く「仏立宗」云云。

 予随分・大・金・地等の諸の真言の経を勘えたるに、敢えて此の文の会通の明文無し。但畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり。是に知んぬ釈尊・大日の本意は限つて法華の最上に在るなり。而るに本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師入唐の時、畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了んぬ。法華・真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠して真言両界の螢火を顕し、剰え法華経を罵詈して曰く戯論なり無明の辺域なり。自害の謬誤(みょうご)に曰く、大日経は戯論なり無明の辺域なり本師既に曲れり末葉豈直ならんや。源濁れば流清からず等是れ之を謂(い)うか。之に依つて日本久しく闇夜と為り扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。

  抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も、将た又檀那の所従なり。身は邪家に処して年久しく心は邪師に染みて月重なる。設い大山は頽れ、設い大海は乾くとも此の罪は消え難きか。然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存(ぞんじ)の外に貧道に値遇して、改悔を発起(ほっき)する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか。彼の闍王の身瘡は五逆誹法の二罪の招く所なり。仏月愛三昧に入つて其の身を照したまえば悪瘡忽に消え三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち、兼ては又千人の羅漢を屈請(くつじょう)して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり。此の禅門の悪瘡は但謗法の一科なり。所持の妙法は月愛に超過す。豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや。此の語徴(しるし)無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人・一乗妙経は綺語の典なり、名を惜しみ給わば世尊験を顕し・誓を恐れ給わば諸の賢聖来り護り給えと叫喚したまえと爾(し)か云う、書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、恐恐。

十一月三日                 日  蓮  花押
太田入道殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-24 22:32 | 大田乗明・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなしと説いた【蒙古使御書】

【蒙古使御書】
■出筆時期:建治元年(西暦1275)九月 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、日興上人の母方の関係筋と思われる駿河国富士郡に住む西山入道に与えられた書です。西山入道は幕府の仕事で鎌倉に出向き、その際に知った「蒙古国の使者を幕府が竜の口で斬首した」事を手紙で大聖人に知らせます。
 本書はこの手紙への返書となっております。大聖人はこの件について「害の中の極めて重きは国位を失うに過ぎたること無し」と説き、鎌倉幕府の所業を「我が国を他国に破らるる」悪政であると断じておられます。さらに「仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし」と記し、立正安国論で「他国侵逼難」を予言してた末法の本仏としての内証を示しておられます。 
■ご真筆: 現存しておりません。

[蒙古使御書 本文]

鎌倉より事故なく御下りの由承り候いてうれしさ申す計りなし。又蒙古の人の頚を刎られ候事承り候、日本国の敵にて候、念仏真言禅律等の法師は切られずして、科なき蒙古の使の頚を刎られ候ける事こそ不便に候へ。子細を知ざる人は勘へあてて候を、おご(憍)りて云うと思ふべし。

 此の二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎き申し、公には度度申せし事是なり。一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり。
 最勝王経に云く「害の中の極めて重きは国位を失うに過ぎたること無し」等云云。
 文の心は、一切の悪の中に国王と成りて政(まつりごと)悪くして我が国を他国に破らるるが第一の悪(あしき)にて候と説れて候。又金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するによるが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇う」等云云。文の心は国王と成りて悪人を愛し善人を科にあつれば必ず其の国他国に破らるると云う文なり。

 法華経第五に云く「世に恭敬せらるるを為(う)ること六通の羅漢の如くならん」等云云。文の心は法華経の敵の相貌を説きて候に、二百五十戒を堅く持ち迦葉舎利弗の如くなる人を、国主これを尊みて法華経の行者を失なはむとするなりと説れて候ぞ。

夫れ大事の法門と申すは別に候はず。時に当(あたり)て我が為め国の為め大事なる事を少しも勘へたがへざるが智者にては候なり。仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知(しろ)しめすに過ぎて候御智慧はなし。設い仏にあらねども竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人・賢人等は、仏程こそ・なかりしかども、三世の事を粗知しめされて候しかば、名をも未来まで流されて候き。

 所詮、万法は己心に収まりて一塵もか(闕)けず、九山、八海も我が身に備わりて、日月衆星も己心にあり。然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず、嬰児(みどりご)の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗・権大乗等は、皆己心の法を片端片端説きて候なり。
然りといへども法華経の如く説かず。然れば経経に勝劣あり、人人にも聖賢分れて候ぞ。法門多多なれば止め候い畢んぬ。

 鎌倉より御下(くだ)りそうそうの御隙に使者申す計りなし。其の上種種の物送り給(たび)候事悦び入つて候。日本は皆人の歎き候に、日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ。国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども、国のために責られ候いし事は天も知(しろ)しめして候へば、後生は必ずたすかりなんと悦び候に、御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて候へ。此の事起らずば最明寺殿の十三年に当らせ給いては御かりは所領にては申す計りなし。北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐(おわし)なん。是は各各の御心のさから(忤逆)せ給うて候なり。人の科をあて(当)るにはあらず、又一には法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか、ゆゆしき御僻事なり。是程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども、人聞(ひとぎぎ)つつ(包兼)ましく候いてとどめ候い畢んぬ。

乃 時                                 日 蓮  花 押
西山殿御返事





by johsei1129 | 2019-10-24 22:13 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり、と説いた【御衣並単衣御書】

【御衣並単衣御書】
■出筆時期:建治元年(1275年)九月二十八日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍の妻、妙常尼に宛てられた消息です。
妙常尼は前夫と死別しその後富木常忍と再婚します。前夫との間で二男一女をもうけましたが富木常忍と再婚後は常忍の養子となります。長男の伊予房は、佐渡で大聖人に常随給仕し、その振る舞いを大聖人に愛でられ六老僧の一人となった日頂上人です。また次男も出家し、後に日興上人が開基した重須談所の初代学頭に任命された日澄上人となります。これは偏に、妙常尼の大聖人に帰依する信仰心が子供にもそのまま受け継げられた結果であると思われます。
本抄は妙常尼が布並びに御単衣(帷子)を大聖人に供養された事への返書となっております。
大聖人は衣を仏に供養する因縁で法華経で「一切衆生喜見如来」の記別を受けた鮮白比丘尼の謂れを引用した上で、「衣かたびらは一なれども法華経にまいらせ給いぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり」と記され、妙常尼が供養されたのは帷子一ではあるけど、一字は一仏の法華経に供養されたので、六万九千三百八十四字分の衣を供養したのと同じ功徳があると、妙常尼の志を称えられおられます。
また文末では「この衣をつくりて帷子着、添て法華経を読み候わば日蓮は無戒の比丘なり<略>伊蘭の栴檀をいだすがごとし」と記され、日蓮は無戒の比丘ではあるが貴方の供養された衣を着て法華経を読むなら、まるで悪臭のする伊蘭が香りのよい栴檀になるようのものだと、感謝されておられます。
※伊蘭とはインドの伝説上の高木で、悪臭ひどい、栴檀は香りがよく、悪臭の木の中にまじっても芳香を失わないとされています。

■ご真筆:中山法華経寺所蔵。

法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり、と説いた【御衣並単衣御書】_f0301354_18361654.jpg

[真筆本文:下記緑字箇所]

[御衣並単衣御書 本文]

御衣(おんころも)の布並びに御単衣給び候い畢んぬ。
鮮白比丘尼と申せし人は生れさせ給いて御衣をたてまつりたりけり、生長するほどに次第にこの衣大になりけり、後に尼とならせ給いければ法衣となりにけり。
ついに法華経の座にして記別をさづかる一切衆生喜見如来これなり。

又法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし。
物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり、竜は小水を多雨(おおあめ)となし、人は小火を大火となす。

衣かたびら(帷)は一なれども法華経にまいらせ給いぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり、此の仏は再生敗種(さいしょうはいしゅ)を心符とし、顕本遠寿を其の寿とし、常住仏性を咽喉(のんど)とし、一乗妙行を眼目とせる仏なり。
応化非真仏と申して三十二相八十種好の仏よりも法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給いて、仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり、仏の滅後に法華経を信ずる人は無一不成仏如来の金言なり。

この衣をつく(裁)りてかたびら(帷子)をきそ(着添)えて法華経をよみて候わば日蓮は無戒の比丘なり、法華経は正直の金言なり、毒蛇の珠をはき、伊蘭の栴檀をいだすがごとし。恐恐謹言。
九月二十八日    日 蓮 花 押
御 返 事



by johsei1129 | 2019-10-24 22:03 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

謗法の罪の浅深軽重の義を問わせ給う事、誠に有難き女人にておはすなり、と説いた【阿仏房尼御前御返事】

【阿仏房尼御前御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)九月三日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:千日尼が謗法の浅深軽重とその罪報について手紙で尋ねられた事に対し、詳しく丁寧に法門を説かれておられます。文末では結論として「浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」と諭されるとともに「尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事まことに有難き女人にておはすなり<略>法華経の義理を問う人は難しと説かれて候、相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事、不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ」と、法華経の法門について問われた阿仏房尼御前を稀有な女人であると称えられておられます。
■ご真筆:佐渡・妙宣寺に存在したと伝えられておりますが、現在は所在不明です。

[阿仏房尼御前御返事 本文]

御文(ふみ)に云く謗法の浅深軽重に於ては罪報如何(いかが)なりや云云。
夫れ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり、然りといへども信ずる者は成仏をとぐ謗ずる者は無間大城に堕つ、「若し人信ぜずして斯の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」とは是なり、謗法の者にも浅深・軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者・能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり、大水を以て小火をけすが如し、涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし、是の人は仏法中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」云云、此の経文にせめられ奉りて日蓮は種種の大難に値うといへども・仏法中怨のいましめ(誡)を免れんために申すなり。

但し謗法に至つて浅深あるべし、偽り愚かにしてせめざる時もあるべし、真言・天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責すべし、然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし、然る間まづまづ・さしをく事あるなり立正安国論の如し、いふと・いはざる(不言)との重罪免れ難し、云つて罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら置いていまし(禁)めざる事・眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり、章安の云く「慈無くして詐り親むは即ち是れ彼が怨なり」等云云、重罪消滅しがたし弥利益の心尤も然る可きなり、軽罪の者をば・せむる時もあるべし・又せめずしてをくも候べし、自然になを(直)る辺あるべし・せめて自他の罪を脱(まぬがれ)れて・さてゆる(免)すべし、其の故は一向謗法になれば・まされる大重罪を受くるなり、彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり。

日蓮が弟子檀那の中にも多く此くの如き事共候、さだめて尼御前(ごぜ)も・きこしめして候らん、一谷(いちのさわ)の入道の事・日蓮が檀那と内には候へども外は念仏者にて候ぞ・後生は・いかんとすべき、然れども法華経十巻渡して候いしなり。

弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり、法華経に云く「恐畏(くい)の世に於て能く須臾も説く」云云、悪世末法の時・三毒強盛の悪人等・集りて候時・正法を暫時も信じ持(たも)ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり。

此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし、譬ば海上を船にのるに船おろそ(粗)かにあらざれども・あか(水)入りぬれば必ず船中の人人一時に死するなり、なはて(畷)堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛(たた)へたる水のたまらざるが如し、謗法不信のあかをとり・信心のなはてを・かたむべきなり、浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし。

尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事・まことに・ありがたき女人にておはすなり、竜女にあにをとるべきや、「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」とは是なり、「其の義趣を問うは是れ則ち難しと為す」と云つて法華経の義理を問う人は・かたしと説かれて候、相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事・不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ、穴賢穴賢。

九月三日  日蓮花押
阿仏房尼御前御返事

by johsei1129 | 2019-10-24 21:57 | 阿仏房・千日尼 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

仏滅後二千二百二十余年(略)日蓮なくば仏語既に絶えなん、と説いた【単衣(ひとえぎぬ)抄】

【単衣抄】
■出筆時期:建治元年(1275)八月十九日 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は単衣(ひとえぎぬ)一領を供養された婦人におくられたご消息文です。この婦人は「未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送り給候こそ何とも存じがたく候へ」と記されておられるので、まだ大聖人とはお会いになられていない信徒と思われます。また「此の衣を給て候わば夫妻二人ともに此の仏御尋ね坐して我が檀那なりと守らせ給うらん」とも記されておられますので、夫妻で大聖人に帰依されておられます。

追伸で「此の文は藤四郎殿女房と常により合いて御覧あるべく候」と記されおられますが、この藤四郎殿女房も詳細は不明ですが、本書を書かれた六年前の文永九年に四条金吾の妻日眼女に送られた「同生同名御書」にも、同様に「藤四郎殿女房と常により合いて御覧あるべく候」と追伸されておられるので、四条金吾夫妻と同じく鎌倉に在住していたと思われます。

本書で大聖人は法華経に予言されている「如来の現在にすら猶怨嫉多し」「一切世間怨多くして信じ難し」の門を引いて「日蓮なくば仏語既に絶えなん」と断じられておられます。
また文末では「此の帷(とばり)をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば、御経の文字は六万九千三百八十四字、一一の文字は皆金色の仏なり、衣は一つなれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へるなり」と、まだ見ぬ婦人の大聖人に帰依する志を強く讃嘆されておられます。
■ご真筆:現存していない。

[単衣抄 本文]

単衣(ひとえ)一領送り給い候い畢んぬ。
棄老国には老者をすて・日本国には今法華経の行者をすつ、抑此の国開闢より天神七代・地神五代・人王百代あり、神武より已後九十代欽明より仏法始まりて六十代・七百余年に及べり、其の中に父母を殺す者・朝敵となる者・山賊・海賊・数を知らざれども・いまだきかず法華経の故に日蓮程・人に悪まれたる者はなし、或は王に悪まれたれども民には悪まれず、或は僧は悪めば俗はもれ、男は悪めば女はもれ、或は愚人は悪めば智人はもれたり。

此れは王よりは民・男女よりは僧尼・愚人よりは智人悪む・悪人よりは善人悪む、前代未聞の身なり後代にも有るべしともおぼえす。

故に生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間・或は寺を追い出され、或は処をおわれ・或は親類を煩(わずら)はされ・或は夜打ちにあひ・或は合戦にあひ・或は悪口数をしらず・或は打たれ或は手を負う・或は弟子を殺され或は頚を切られんとし・或は流罪両度に及べり、二十余年が間・一時片時も心安き事なし。頼朝の七年の合戦もひまやありけん、頼義が十二年の闘諍も争か是にはすぐべき。

法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し」等云云。第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。天台大師も恐らくはいまだ此の経文をばよみ給はず、一切世間皆信受せし故なり、伝教大師も及び給うべからず、況滅度後の経文に符合せざるが故に。
日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり、多宝の証明も・なにかせん、十方の諸仏の御語(みことば)も妄語となりなん。仏滅後二千二百二十余年・月氏・漢土・日本に一切世間多怨難信の人なし、日蓮なくば仏語既に絶えなん。


かかる身なれば蘇武が如く雪を食として命を継ぎ・李陵が如く簑をきて世をすごす、山林に交つて果(このみ)なき時は空くして両三日を過ぐ・鹿の皮破ぬれば裸にして三四月に及べり。

かかる者をば何としてか哀(あわれ)とおぼしけん、未だ見参にも入らぬ人の膚(はだえ)を隠す衣を送り給(たび)候こそ何(いかに)とも存じがたく候へ。
此の帷(とばり)をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば・御経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は皆金色の仏なり、衣は一つなれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へるなり。

されば此の衣を給(たび)て候わば夫妻二人ともに此の仏御尋ね坐(ましま)して我が檀那なりと守らせ給うらん。今生には祈りとなり財となり・御臨終の時は月となり・日となり・道となり・橋となり・父となり・母となり・牛馬となり・輿となり・車となり・蓮華となり・山となり・二人を霊山浄土へ迎え取りまいらせ給うべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

建治元年乙亥八月                  日 蓮 花 押
此の文は藤四郎殿女房と常により合いて御覧あるべく候。




by johsei1129 | 2019-10-24 21:49 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

妙心尼の幼子の為にお守り御本尊を授けられた事を記した書【妙心尼御前御返事】

【妙心尼御前御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)八月二十五日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は高橋六郎兵衛入道の妻、妙心尼に宛てられた消息です。
「幼き人の御ために御守り授け参らせ候。この御守りは法華経の内の肝心、一切経の眼目にて候」と記され、夫の高橋入道が重病に臥しているため、早晩幼子を見守る父が亡くなることは避けられず、その父の身代わりとして「お守り御本尊」をご下付されたものと思われます。
妙心尼は日興上人の叔母と伝えられており、夫亡きあとは故郷、駿河富士郡西山の窪(くぼ)に移居され生涯大聖人に帰依し続けた強信徒でありました。また窪に住んでいたことから窪尼とも称されました。窪尼は生涯大聖人から多くの消息を与えられておられ、妙心尼として六通、窪尼として七通が伝えられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)

[ 本文]

すずの御志送り給び候い了んぬ。

おさなき人の御ために御まほりさづけまいらせ候。この御まほ(守)りは法華経のうち(内)のかんじん(肝心)、一切経のげんもく(眼目)にて候。

たとへば天には日月・地には大王・人には心・たからの中には如意宝珠のたま、いえ(家)にははしらのやうなる事にて候。

このまんだら(曼荼羅)を身にたもちぬれば、王を武士のまほるがごとく、子ををやのあいするがごとく、いを(魚)の水をたのむがごとく。草木のあめ(雨)をねが(楽)うがごとく、とりの木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつま(集)り・まほ(守)り昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候。よくよく御信用あるべし、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

八月二十五日            日 蓮 花 押
妙心尼御前御返事

by johsei1129 | 2019-10-24 21:43 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 24日

南条時光が屋敷を新築するにあたり「棟札」を願い出たことを知るされた書【上野殿御書】

■出筆時期:建治元年(1275年)八月十八日 五十四歳歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光が家を新築するにあたり大聖人に「棟礼」を願い出たことへの返書となっております。

大聖人は、須達長者が釈尊に寄進した祇園精舎の火災の因縁と釈尊がこの文を唱へれば火災が起きないという故事を
引いて、この「聖主天中天迦陵頻伽声哀愍衆生者我等今敬礼」と言う文は、「今以てかくの如くなるべく候。返す返す信じ給うべき経文なり」と説いて、この文を記された「棟礼」を伯耆公(日興上人)にもたせたものと思われます。
尚、時光の屋敷がその後火災にあったとの記録はなく、日興上人が身延離山後、時光は自領地を日興上人に寄進し、現在の富士大石寺の基盤を作られた開基檀那となります。
■ご真筆:現存しておりません。

[上野殿御書 本文]

態と御使い有難く候、夫れについては屋形造の由、目出度くこそ候へ。
何(いつ)か参り候いて移徙申し候はばや、一つ棟札の事承り候書き候いて此の伯耆公に進せ候。
此の経文は須達(しゅだつ)長者・祇園精舎を造りき、然るに何なる因縁にやよりけん須達長者七度まで火災にあひ候時、長者此の由を仏に問い奉る。仏答えて曰(のたまわ)く汝が眷属・貪欲深き故に此の火災の難起るなり。
長者申さく・さていかん(如何)して此の火災の難をふせぎ申すべきや、仏の給はく辰巳の方より瑞相あるべし、汝精進して彼の方に向へ、彼方(あなた)より光ささば鬼神三人来りて云わん。南海に鳥あり鳴忿と名く此の鳥の住処に火災なし、又此の鳥一つの文(もん)を唱うべし、其の文に云く「聖主天中天迦陵頻伽声(かりょうびんがしょう)哀愍衆生者我等今敬礼」云云。此の文を唱へんには必ず三十万里が内には火災をこらじと・此の三人の鬼神かくの如く告ぐべきなり云云。

須達・仏の仰せの如くせしかば少しもちがはず候いき、其の後火災なきと見えて候。これに依りて滅後・末代にいたるまで此の経文を書きて火災をやめ候。今以てかくの如くなるべく候。返す返す信じ給うべき経文なり。是は法華経の第三の巻化城喩品に説かれて候、委しくは此の御房に申し含めて候、恐恐謹言。

八月十八日  日 蓮 花 押
上野殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-24 21:41 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)