人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2019年 10月 18日 ( 3 )


2019年 10月 18日

法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、と説いた【梵音声御書】

【四条金吾殿御返事(梵音声書)】
■出筆時期:文永九年(西暦1272年)九月 五十一歳 御作。
■出筆場所:佐渡・一谷、一谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾が亡母の三回忌追善供養のために、佐渡の大聖人の元に使いを出したのに答えたたご消息文となります。
本書で大聖人は「梵音声と申すは仏の第一の相なり。<中略>法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり」説いていることから別名を「梵音声御書」と言います。さらに「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賤身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり」と説いて、末法に法華経を説く日蓮を供養する四条金吾は、無数の仏を供養する事に超過するとその志を称えておられる。

■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事(梵音声御書)本文]

 夫れ斉(せい)の桓公(かんこう)と申せし王・紫をこのみて服(き)給いき、楚(そ)の荘王と言いし王は女の腰のふとき事を・にくみしかば一切の遊女・腰をほそからせんが・ために餓死しけるもの・おほし、しかれば一人の好む事をば我が心にあはざれども万民随いしなり、たとへば大風の草木をなびかし大海の衆流をひくが如し、風にしたがはざる草木は・をれうせざるべしや、小河・大海におさまらずば・いづれのところにおさまるべきや、国王と申す事は先生(せんしょう)に万人にすぐれて大戒を持ち天地及び諸神ゆるし給いぬ、其の大戒の功徳をもちて其の住むべき国土を定む、二人・三人等を王とせず地王・天王・海王・山王等・悉(ことごと)く来臨して・この人をまほる、いかに・いはんや其の国中の諸民・其の大王を背(そむ)くべしや、此の王はたとひ悪逆を犯すとも一二三度等には左右(とこう)なく此の大王を罰せず、但諸天等の御心(みこころ)に叶わざるは一往は天変地夭等を・もちて・これをいさむ、事過分すれば諸天・善神等・其の国土を捨離し給う、若しは此の大王の戒力つき期(ご)来つて国土のほろぶる事もあり、又逆罪多くにかさまれば隣国に破らるる事もあり、善悪に付て国は必ず王に随うものなるべし。

 世間此くの如し仏法も又然なり、仏陀すでに仏法を王法に付し給うしかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども王にしたがはざれば仏法流布せず、或は後には流布すれども始めには必ず大難来る、迦弐志加(かにしか)王は仏の滅後四百余年の王なり健陀羅(けんだら)国を掌(たなごころ)のうちににぎれり、五百の阿羅漢(あらかん)を帰依して婆沙(ばしゃ)論二百巻をつくらしむ、国中総て小乗なり其の国に大乗弘めがたかりき、発舎密多羅(ほっしゃみったらおう)王は五天竺を随へて仏法を失ひ衆僧の頚(くび)をきる、誰の智者も叶わず。

 太宗は賢王なり玄奘(げんじょう)三蔵を師として法相宗を持ち給いき誰の臣下かそむきし、此の法相宗は大乗なれども五性各別と申して仏教中のおほきなるわざはひと見えたり、なを外道の邪法にもすぎ悪法なり、月支・震旦(しんたん)・日本・三国共にゆるさず、終に日本国にして伝教大師の御手にかかりて此の邪法止め畢(おわ)んぬ、大なるわざはひなれども太宗これを信仰し給いしかば誰の人かこれをそむきし。

 真言宗と申すは大日経・金剛頂経・蘇悉地(そしっち)経による・これを大日の三部と号す、玄宗皇帝の御時・善無畏三蔵・金剛智三蔵・天竺より将(も)ち来れり、玄宗これを尊重し給う事・天台・華厳宗等にもこへたり、法相・三論にも勝れて思し食すが故に漢土は総て大日経は法華経に勝るとおもひ日本国・当世にいたるまで天台宗は真言宗に劣るなりとおもふ、彼の宗を学する東寺・天台の高僧等・慢・過慢をおこす、但し大日経と法華経とこれをならべて偏党を捨て是を見れば大日経は螢火の如く法華経は明月の如く真言宗は衆星の如く天台宗は日輪の如し、偏執(へんしゅう)の者の云く汝未だ真言宗の深義を習いきはめずして彼の無尽の科(とが)を申す、但し真言宗・漢土に渡つて六百余年・日本に弘まりて四百余年・此の間の人師の難答あらあら・これをしれり、伝教大師一人・此の法門の根源をわきまへ給う、しかるに当世・日本国第一の科是なり、勝を以て劣と思い劣を以て勝と思うの故に大蒙古国を調伏する時・還(かえ)つて襲われんと欲す是なり。

 華厳宗と申すは法蔵法師が所立の宗なり、則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗・肩をならべがたかりき、しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり法に依つて勝劣なきやうなり。
たとひ深義を得たる論師・人師なりといふとも王法には勝がたきゆへに・たまたま勝んとせし仁は大難にあへり、所謂師子尊者は檀弥羅(だんみら)王のために頚を刎ねらる、提婆菩薩は外道のために殺害せらる、竺(じく)の道生は蘇山に流され法道三蔵は面(かお)に火印をされて江南に放たれたり、而るに日蓮は法華経の行者にもあらず又僧侶の数にもいらず。 然り而して世の人に随て阿弥陀仏の名号を持ちしほどに阿弥陀仏の化身とひびかせ給う善導和尚の云く「十即十生・百即百生・乃至千中無一」と、勢至菩薩の化身とあをがれ給う法然上人此の釈を料簡(りょうけん)して云く「末代に念仏の外の法華経等を雑(まじ)ふる念仏においては千中無一・一向に念仏せば十即十生」と云云、日本国の有智・無智仰いで此の義を信じて今に五十余年・一人も疑を加へず、唯日蓮の諸人にかはる所は阿弥陀仏の本願には「唯五逆と誹謗(ひぼう)正法とを除く」とちかひ、法華経には「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば則ち一切世間の仏種を断ず、乃至其の人命終して阿鼻(あび)獄に入らん」と説かれたり。此れ善導・法然・謗法の者なれば・たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ、余仏・余経においては我と抛(なげう)ちぬる上は救い給うべきに及ばず、法華経の文の如きは無間地獄・疑なしと云云、而るを日本国は・をしなべて彼等が弟子たるあひだ此の大難まぬかれがたし。
無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是なり先先の諸難はさておき候いぬ、去年九月十二日・御勘気をかほりて其の夜のうちに頭をはねらるべきにて・ありしが・いかなる事にやよりけん彼の夜は延びて此の国に来りていままで候に世間にも・すてられ仏法にも・すてられ天も・とぶらはれず二途にかけたるすてものなり、而るを何なる御志にて・これまで御使を・つかはし御身には一期の大事たる悲母(おんはは)の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる両三日は・うつつとも・おぼへず、彼の法勝寺の修行がいはをが(硫黄)嶋にて・としごろつかひける童(わらべ)にあひたりし心地なり、胡(こ)国の夷陽公(いようこう)といひしもの漢土にいけどられて北より南へ出(いで)けるに飛びまひける雁(かり)を見てなげきけんも・これには・しかじとおぼへたり。

 但し法華経に云く「若し善男子善女人我が滅度の後に能(よ)く竊(ひそ)かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」等云云、法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賤身(いやしき)なれども教主釈尊の勅宣を頂戴(ちょうだい)して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにも・すぎたりと見えたり。

 教主釈尊は一代の教主・一切衆生の導師なり、八万法蔵は皆金言・十二部経は皆真実なり、無量億劫(こう)より以来持ち給いし不妄語戒の所詮は一切経是なり、いづれも疑うべきにあらず、但是は総相なり別してたづぬれば如来の金口より出来して小乗・大乗・顕密・権経・実経是あり、今この法華経は「正直捨方便等・乃至世尊法久後・要当説真実」と説き給う事なれば誰の人か疑うべきなれども多宝如来・証明を加へ諸仏・舌を梵天(ぼんてん)に付け給う、されば此の御経は一部なれども三部なり一句なれども三句なり一字なれども三字なり、此の法華経の一字の功徳は釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如し一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨(ふら)す百珠も又無尽の宝あり、たとへば百草を抹(す)りて一丸乃至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ、譬へば大海の一滴も衆流を備へ一海も万流の味を・もてるが如し。

 妙法蓮華経と申すは総名なり二十八品と申すは別名なり、月支と申すは天竺の総名なり別しては五天竺是なり、日本と申すは総名なり別しては六十六州これあり、如意宝珠と申すは釈迦仏の御舎利なり竜王にこれを給いて頂上に頂戴して帝釈是を持ちて宝をふらす、仏の身骨の如意宝珠となれるは無量劫来持つ所の大戒・身に薫(くん)じて骨にそみ一切衆生をたすける珠となるなり。たとへば犬の牙の虎の骨にと(渙)く魚の骨の鸕(う)の気(いき)に消ゆるが如し、乃至・師子の筋(すじ)を琴の絃にかけて・これを弾(ひ)けば余の一切の獣の筋の絃皆きらざるに・やぶる、仏の説法をば師子吼(ししく)と申す乃至法華経は師子吼の第一なり。

仏には三十二相そなはり給う一一の相・皆百福荘厳なり、肉髻(にくけい)・白毫(びゃくごう)なんど申すは菓の如し因位の華の功徳等と成つて三十二相を備え給う、乃至無見頂相と申すは釈迦仏の御身は丈六なり竹杖外道は釈尊の御長(みたけ)をはからず御頂(おんいただき)を見奉らんとせしに御頂を見たてまつらず、応持菩薩も御頂を見たてまつらず、大梵(だいぼん)天王も御頂をば見たてまつらず、これは・いかなるゆへぞと・たづぬれば父母・師匠・主君を頂(いただき)を地につけて恭敬(くぎょう)し奉りしゆへに此の相を感得せり。

乃至梵音声と申すは仏の第一の相なり、小王・大王・転輪王等・此の相を一分備へたるゆへに此の王の一言に国も破れ国も治まるなり、宣旨と申すは梵音声の一分なり、万民の万言・一王の一言に及ばず、則ち三墳(さんぷん)・五典なんど申すは小王の御言なり、此の小国を治め乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事・仏の大梵天王・帝釈等をしたがへ給う事もこの梵音声なり、此等の梵音声一切経と成つて一切衆生を利益す、其の中に法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音(みこえ)を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり、たとへば種子と苗と草と稲とは・かはれども心はたがはず。

釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりと・おぼしめすべし。
此の志佐渡の国までおくり・つかはされたる事すでに釈迦仏知(しろ)し食し畢(おわ)んぬ、実に孝養の詮なり、恐恐謹言。

文永九年 月  日                            日 蓮 在 御 判
四条三郎左衛門尉殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-18 21:53 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 18日

日蓮大聖人が文永九年十月二十四日、佐渡地にて蒙古襲来の夢を見られたことを記された書【夢想御書】

【夢想御書】

■出筆時期:文永九年(1272)十月二十四日 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡 一の谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本御書は玉沢妙法華経寺に所蔵されていた日興上人書写の『立正安国論』の裏面に記されていたご真筆です。恐らく佐渡には大聖人に付いて行かれた日興上人が自ら書写した立正安国論があったと思われます。
大聖人は、文永九年十月二十四日の夜に見られた夢が蒙古軍に関することだったため、その立正安国論に記憶を留めようとその日のうちに直ぐに記されたものと推察されます。
実際に元使、趙良弼らは翌年の文永九年四月に大宰府に来ております。さらに翌々年の文永10年1月クビライは高麗に戦艦300艘の建造を開始させ10月5日、元軍は対馬の小茂田浜に襲来、文永の役が勃発します。
■ご真筆:玉沢 妙法華経寺所蔵。
f0301354_21132737.jpg




















【夢想御書 本文】

[原文]
文永九年太才壬申十月二十四日 夢想云、来年正月九日蒙古為治罰月相國大小可向 云云

[訓読]
文永九年太才壬申 十月廿四日の夜の夢想(むそう)に云はく、来年正月九日蒙古治罰の為相国より大
小向かふべし等云云。






by johsei1129 | 2019-10-18 21:26 | 血脈・相伝・講義 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 18日

凡そ法華経は無量千万億の已説・今説・当説に最も第一なり、と説いた【真言見聞】

【真言見聞】
■出筆時期:文永九年(1272年)七月 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡 一の谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は弟子、三位房日行に与えられた書です。大聖人は立正安国論で法然の「選択集」を、「一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷わす」とし「念仏無限」の思いを記されておられましたが、佐渡流罪以降「真言亡国」の思いを強め、真言破析の法門を次々と著していきます。

本書もそのひとつですが、後段では「真言七重難」と題し、真言への論難を弟子・信徒の教化のため、要点を実にわかやすく論じられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【真言見聞 本文】
問う真言亡国とは証文何(いか)なる経論に出ずるや、答う法華誹謗・正法向背の故なり、問う亡国の証文之無くば云何(いか)に信ず可きや、答う謗法の段は勿論なるか若し謗法ならば亡国堕獄疑い無し、凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃(ねはん)経の文なり、爰(ここ)を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提(いっせんだい)と名づく涅槃経の一と十と十一とを委細に見る可きなり、罪に軽重有れば獄に浅深を構えたり、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)等乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども等活黒繩(とうかつこくじょう)等の上七大地獄の因として無間に堕つることは都(すべ)て無し、阿鼻(あび)の業因は経論の掟は五逆・七逆・因果撥無(はつむ)・正法誹謗の者なり、但し五逆の中に一逆を犯す者は無間に堕つと雖も一中劫を経て罪を尽して浮ぶ、一戒をも犯さず道心堅固(けんご)にして後世を願うと雖も法華に背きぬれば無間に堕ちて展転(てんでん)無数劫と見えたり、

然れば則ち謗法は無量の五逆に過ぎたり、是を以て国家を祈らんに天下将(まさ)に泰平なるべしや、諸法は現量に如かず承久(じょうきゅう)の兵乱の時・関東には其の用意もなし国主として調伏(ちょうぶく)を企て四十一人の貴僧に仰せて十五壇の秘法を行はる、其の中に守護経の法を紫宸殿(ししんでん)にして御室(おむろ)始めて行わる七日に満ぜし日・京方(かみがた)負け畢んぬ亡国の現証に非ずや、是は僅に今生の小事なり権教・邪法に依つて悪道に堕ちん事浅猨(あさまし)かるべし。

問う権教邪宗の証文は如何既に真言教の大日覚王の秘法は即身成仏の奥蔵なり、故に上下一同に是の法に帰し天下悉く大法を仰ぐ海内を静め天下を治むる事偏(ひとえ)に真言の力なり、権教・邪法と云う事如何、答う権教と云う事・四教含蔵(がんぞう)・帯方便の説なる経文顕然なり、然れば四味の諸教に同じて久遠を隠し二乗を隔(へだ)つ況(いわん)んや尽形寿(じんぎょうじゅ)の戒等を述ぶれば小乗権教なる事疑無し、爰(ここ)を以て遣唐(けんとう)の疑問に禅林寺の広修(こうしゅう)・国清寺の維蠲(ゆいけん)の決判分明に方等部の摂(せつ)と云うなり、疑つて云く経文の権教は且(しばら)く之を置く唐決の事は天台の先徳・円珍大師之を破す、

大日経の指帰に「法華すら尚及ばず況や自余の教をや」云云、既に祖師の所判なり誰か之に背く可きや、決に云く「道理前の如し」依法不依人の意なり但し此の釈を智証の釈と云う事不審なり、其の故は授決集(じゅけつしゅう)の下に云く「若し法華・華厳・涅槃(ねはん)等の経に望めば是れ摂引門(しょういんもん)」と云へり、広修・維蠲を破する時は法華尚及ばずと書き授決集には是れ摂引門と云つて二義相違せり指帰が円珍の作ならば授決集は智証の釈に非ず、授決集が実ならば指帰は智証の釈に非じ、今此の事を案ずるに授決集が智証の釈と云う事天下の人皆之を知る上、公家(くげ)の日記にも之を載せたり指帰は人多く之を知らず公家の日記にも之無し、此を以つて彼を思うに後の人作つて智証の釈と号するが能(よ)く能く尋ぬ可き事なり、授決集は正しき智証の自筆なり、密家に四句の五蔵を設けて十住心を立て論を引き伝を三国に寄せ家家の日記と号し我が宗を厳(かざ)るとも皆是れ妄語胸臆(もうごくおく)の浮言にして荘厳己義の法門なり、

所詮法華経は大日経より三重の劣・戯論(けろん)の法にして釈尊は無明纒縛(てんばく)の仏と云う事慥(たしか)なる如来の金言経文を尋ぬ可し、証文無くんば何と云うとも法華誹謗の罪過を免(まぬか)れず此の事当家の肝心なり返す返す忘失する事勿れ、何れの宗にも正法誹謗の失之有り対論の時は但此の一段に在り仏法は自他宗異ると雖も翫(もてあそ)ぶ本意は道俗・貴賤・共に離苦得楽・現当二世の為なり、謗法に成り伏して悪道に堕つ可くば文殊の智慧・富楼那(ふるな)の弁説一分も無益なり無間に堕つる程の邪法の行人にて国家を祈祷せんに将(は)た善事を成す可きや、顕密対判の釈は且らく之を置く華厳に法華劣ると云う事能く能く思惟す可きなり、

華厳(けごん)経の十二に云く四十華厳なり「又彼の所修の一切功徳六分の一常に王に属す○是くの如く修及び造を障(さゆ)る不善所有の罪業六分の一還つて王に属す」文、六波羅蜜(ろくはらみつ)経の六に云く「若し王の境内に殺を犯す者有れば其の王便(すなわ)ち第六分の罪を獲(え)ん、偸盗(ちゅうとう)・邪行・及び妄語も亦復是くの如し何を以ての故に若しは法も非法も王為(こ)れ根本なれば罪に於いても福に於いても第六の一分は皆王に属するなり」云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に他方の怨賊来り国人喪乱(そうらん)に遭(あ)わん」等云云、

大集経に云く「若し復諸(またもろもろ)の刹利(せつり)国王・諸の非法を作し世尊の声聞の弟子を悩乱し若しは以て毀罵(きめ)し刀杖(とうじょう)もて打斫し及び衣鉢種種の資具(しぐ)を奪い若しは他の給施(きゅうせ)に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒(にわか)に他方の怨敵を起さしめ及び自の国土にも亦兵起・疫病・饑饉(ききん)・非時風雨・闘諍言訟(とうじょうごんしょう)せしめ又其の王久しからずして復当(まさ)に己が国を亡失すべからしむ」云云、大三界義に云く「爾(そ)の時に諸人共に聚(あつま)りて衆の内に一の有徳の人を立て名けて田主と為して各(おのおの)所収の物六分の一を以て以て田主に貢輸(こうゆ)す一人を以て主と為し政法を以て之を治む、これに因つて以後・刹利種を立て大衆欽仰(きんごう)して恩率土(そつど)に流る復・大三末多王(またおう)と名ずく」已上倶舎に依り之を出すなり。

顕密の事、無量義経十功徳品に云く第四功徳の下「深く諸仏秘密の法に入り演説す可き所違無く失無し」と、抑(そもそも)大日の三部を密説と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密(みみつ)の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵(きず)・片輪等を隠すは隠密なり、然れば則ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成と説く故に長寿を隠し二乗を隔つる故に記小無し、此の二は教法の心髄(しんずい)・文義の綱骨なり、微密の密は法華なり、然れば則ち文に云く四の巻法師品に云く「薬王此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり」云云、五の巻安楽行品に云く「文殊師利(もんじゅしり)・此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、寿量品に云く「如来秘密神通之力」云云、如来神力品に云く「如来一切秘要之蔵」云云、

しかのみならず真言の高祖・竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず、所以は何(いか)ん大日経に云く「仏・不思議真言相道の法を説いて一切の声聞・縁覚を共にせず亦世尊普(あまね)く一切衆生の為にするに非ず」云云、二乗を隔(へだ)つる事前四味の諸教に同じ、随つて唐決には方等部の摂と判ず経文には四教含蔵と見えたり、大論第百巻に云く第九十品を釈す「問うて曰く更に何れの法か甚深にして般若(はんにゃ)に勝れたる者有つて般若を以て阿難に嘱累(ぞくるい)し而も余の経をば菩薩に嘱累するや、答えて曰く般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は秘密の法に非ず而も法華等の諸経に阿羅漢の受決作仏を説いて大菩薩能く受用す譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、

玄義の六に云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く二乗の根敗反た復すること能わず之を名づけて毒と為す今経に記を得るは即ち是れ毒を変じて薬と為す、故に論に云く余経は秘密に非ずとは法華を秘密と為せばなり、復本地の所説有り諸経に無き所後に在つて当に広く明すべし」云云、籤(せん)の六に云く「第四に引証の中・論に云く等と言うは大論の文証なり秘密と言うは八経の中の秘密には非ず但是れ前に未だ説かざる所を秘と為し開し已れば外無きを密と為す」文、文句の八に云く「方等般若に実相の蔵を説くと雖も亦未だ五乗の作仏を説かず亦未だ発迹顕本せず頓漸(とんぜん)の諸経は皆未だ融会(ゆうえ)せず故に名づけて秘と為す」文、記の八に云く「大論に云く法華は是れ秘密・諸の菩薩に付すと、今の下の文の如きは下方を召すに尚本眷属を待つ験(あきら)けし余は未だ堪えざることを」云云、秀句(しゅうく)の下に竜女の成仏を釈して「身口密なり」と云えり云云、此等の経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給へるを経論に文証も無き妄語を吐き法華を顕教と名づけて之を下し之を謗ず豈大謗法に非ずや。

抑(そもそ)も唐朝の善無畏金剛智等法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは梵華(ぼんか)両国共に勝劣か、法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙(りゅうさ)・葱嶺(そうれい)等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり、此等は併(しかし)ながら訳者の意楽(いぎょう)に随つて広を好み略を悪(にく)む人も有り略を好み広を悪む人も有り、然れば則ち玄弉(げんじょう)は広を好んで四十巻の般若経を六百巻と成し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり、印契(いんけい)・真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什(らじゅう)所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌(ぎき)には印・真言之有り、仁王経も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副えたり知んぬ是れ訳者の意楽なりと、其の上法華経には「為説実相印(いせつじっそういん)」と説いて合掌の印之有り、譬喩品(ひゆぼん)には「我が此の法印・世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語・皆是れ真言なり、法華経には「治生の産業は皆実相と相違背せず」と宣(の)べ、亦「是れ前仏経中に説く所なり」と説く此等は如何、真言こそ有名無実の真言・未顕真実の権教なれば成仏得道跡形も無く始成を談じて久遠無ければ性徳本有の仏性も無し、三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て三十人に二十人を除く、「皆令入仏道」の仏の本願満足す可からず十界互具は思いもよらず・まして非情の上の色心の因果争(いかで)か説く可きや。

然らば陳隋(ちんずい)二代の天台大師が法華経の文を解(さと)りて印契(いんけい)の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏(ぜんむい)は盗み取つて我が宗の骨目とせり、彼の三蔵は唐の第七玄宗皇帝の開元四年に来る如来入滅より一千六百六十四年か、開皇十七年より百二十余年なり何ぞ百二十余年已前に天台の立て給へる一念三千の法門を盗み取つて我が物とするや、而るに己が依経たる大日経には衆生の中に機を簡(きら)ひ前四味の諸経に同じて二乗を簡(きら)へり、まして草木成仏は思いもよらずされば理を云う時は盗人なり、又印契・真言何れの経にか之を簡える若し爾(しか)れば大日経に之を説くとも規模ならず、一代に簡われ諸経に捨てられたる二乗作仏は法華に限れり、二乗は無量無辺劫の間・千二百余尊の印契(いんけい)真言を行ずとも法華経に値わずんば成仏す可からず、印は手の用・真言は口の用なり其の主が成仏せざれば口と手と別に成仏す可きや、一代に超過し三説に秀でたる二乗の事をば物とせず事に依る時は印真言を尊む者・劣謂勝見(れついしょうけん)の外道なり。

無量義経説法品に云く「四十余年・未顕真実」文、一の巻に云く「世尊は法久くして後要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたもうべし」文、又云く「一大事の因縁の故に世に出現したもう」文、

四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「已に説き今説き当に説かん」文、宝塔品に云く「我仏道を為(も)つて無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」文、安楽行品に云く「此の法華経は是れ諸(もろもろ)の如来第一の説なり諸経の中に於て最も為甚深なり」文、又云く「此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」文、薬王品に云く「此の法華経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為(これ)其の上なり」文、又云く「此の経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為(これ)其の尊なり」文、

又云く「此の経も亦復是(かく)の如し諸経の中の王なり」文、又云く「此の経も亦復是(かく)の如し一切の如来の所説若しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最為第一なり」等云云、玄の十に云く「又・已今当の説に最も為れ難信難解・前経は是れ已説なり」文、秀句の下に云く「謹んで案ずるに法華経法師品の偈に云く薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「当に知るべし已説は四時の経なり」

文、文句の八に云く「今法華は法を論ずれば」云云、記の八に云く「鋒(ほこ)に当る」云云、秀句の下に云く「明かに知んぬ他宗所依の経は是れ王中の王ならず」云云、釈迦・多宝・十方の諸仏・天台・妙楽・伝教等は法華経は真実・華厳経は方便なり、「未だ真実を顕さず正直に方便を捨てて余経の一偈をも受けざれ」「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云。

弘法大師は「法華は戯論(けろん)・華厳は真実なり」と云云、何れを用う可きや、宝鑰(ほうやく)に云く「此くの如き乗乗は自乗に名を得れども後に望めば戯論と作(な)る」文、又云く「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕せん」文、記の五に云く「故に実相の外は皆戯論(けろん)と名づく」文、梵網経(ぼんもうきょう)の疏(じょ)に云く「第十に謗三宝戒亦は謗菩薩戒と云い或は邪見と云う謗は是れ乖背(けはい)の名なり。絓(すべ)て是れ解、理に称わず。言は実に当らずして異解(いげ)して説く者を皆名づけて謗と為すなり」文、玄の三に云く「文証無き者は悉く是れ邪偽(じゃぎ)・彼の外道に同じ」文、弘の十に云く「今の人他の所引の経論を信じて謂いて憑(たの)み有りと為して宗の源を尋ねず謬誤(みょうご)何ぞ甚しき」文、

守護章上の中に云く「若し所説の経論明文有らば権実・大小・偏円・半満を簡択(かんちゃく)す可し」文、玄の三に云く「広く経論を引いて己義を荘厳す」文。

抑(そもそも)弘法の法華経は真言より三重の劣・戯論の法にして尚華厳にも劣ると云う事大日経六巻に供養法の巻を加えて七巻三十一品・或は三十六品には何れの品何れの巻に見えたるや、しかのみならず蘇悉地経(そしっちきょう)三十四品・金剛頂経三巻三品或は一巻に全く見えざる所なり、又大日経並びに三部の秘経には何れの巻・何れの品にか十界互具之有りや都(すべ)て無きなり、法華経には事理共に有るなり、所謂久遠実成は事なり二乗作仏は理なり、善無畏等の理同事勝は臆説なり信用す可からざる者なり。

凡そ真言の誤り多き中
一、十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何れの経論に出でたるや。
一、善無畏の四句と弘法の十住心と眼前違目なり何ぞ師弟敵対するや。
一、五蔵を立つる時・六波羅蜜経の陀羅尼蔵(だらにぞう)を何ぞ必ず我が家の真言と云うや。
一、震旦の人師争つて醍醐(だいご)を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇(かいこう)十七年より唐の徳宗の貞元(じょうげん)四年戊辰(ぼしん)の歳に至るまで百九十二年なり何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経の醍醐を盗み給う可きや顕然の違目なり、若し爾(しか)れば謗人謗法定堕阿鼻獄(じょうだあびごく)というは自責なるや。
一、弘法の心経の秘鍵(ひけん)の五分に何ぞ法華を摂(せっ)するや能く能く尋ぬ可き事なり。

真言七重難。
一、真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云、若し爾(しか)れば大日の出世成道・説法利生は釈尊より前か後か如何、対機説法の仏は八相作仏す父母は誰れぞ名字は如何に娑婆(しゃば)世界の仏と云はば世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判なり、涅槃(ねはん)経の三十五の巻を見る可きなり、若し他土の仏なりと云はば何ぞ我が主師親の釈尊を蔑(ないがしろ)にして他方・疎縁の仏を崇むるや不忠なり不孝なり逆路伽耶陀(ぎゃくろがやだ)なり、若し一体と云はば何ぞ別仏と云うや若し別仏ならば何ぞ我が重恩の仏を捨つるや、唐尭(とうぎょう)は老い衰へたる母を敬ひ虞舜(ぐしゅん)は頑(かたくな)なる父を崇む
是一、

六波羅蜜経に云く「所謂過去無量㤚恒伽沙(ごうがしゃ)の諸仏世尊の所説の正法・我今亦当(まさ)に是の如き説を作すべし所謂八万四千の諸の妙法蘊(おん)なり○而も阿難陀等の諸大弟子をして一(ひと)たび耳に聞いて皆悉く憶持(おくじ)せしむ」云云、此の中の陀羅尼蔵(だらにぞう)を弘法我が真言と云える若し爾れば此の陀羅尼蔵は釈迦の説に非ざるか此の説に違す是二、

凡そ法華経は無量千万億の已説・今説・当説に最も第一なり、諸仏の所説・菩薩の所説・声聞の所説に此の経第一なり諸仏の中に大日漏る可きや、法華経は正直無上道の説・大日等の諸仏長舌を梵天に付けて真実と示し給う是三、

威儀形色経(いぎぎょうしききょう)に「身相黄金色にして常に満月輪に遊び定慧智拳(じょうえちけん)の印法華経を証誠(しょうじょう)す」と、又五仏章の仏も法華経第一と見えたり是四、

「要を以て之を云わば如来の一切所有(しょう)の法乃至皆此の経に於て宣示顕説す」云云、此等の経文は釈迦所説の諸経の中に第一なるのみに非ず三世の諸仏の所説の中に第一なり此の外・一仏二仏の所説の経の中に法華経に勝れたる経有りと云はば用ゆ可からず法華経は三世不壊(ふえ)の経なる故なり是五、

又大日経等の諸経の中に法華経に勝るる経文之無し是六、

釈尊御入滅より已後天竺(てんじく)の論師二十四人の付法蔵・其の外大権の垂迹(すいじゃく)・震旦(しんたん)の人師・南三北七の十師・三論法相の先師の中に天台宗より外に十界互具・百界千如・一念三千と談ずる人之無し、若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義無くば仏菩薩の普現色身・真言両界の漫荼羅(まんだら)・五百七百の諸尊は本無今有の外道の法に同ぜんか、若し十界互具・百界千如を立てば本経何れの経にか十界皆成の旨之を説けるや、天台円宗見聞の後・邪智荘厳の為に盗み取れる法門なり、才芸を誦し浮言を吐くには依る可からず正しき経文・金言を尋ぬ可きなり是七。

涅槃経の三十五に云く「我処処の経の中に於て説いて言く一人出世すれば多人利益す一国土の中に二の転輪王あり一世界の中に二仏出世すといわば是の処(ことわり)有ること無し」文、大論の九に云く「十方恒河沙(ごうがしゃ)の三千大千世界を名づけて一仏世界と為す是の中に更に余仏無し実には一(ひとり)の釈迦牟尼仏なり」文、記の一に云く「世には二仏無く国には二主無し一仏の境界には二の尊号無し」文、持地論に云く「世に二仏無く国に二主無く一仏の境界に二の尊号無し」文。

七月 日 日蓮 花押



by johsei1129 | 2019-10-18 21:25 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)