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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 13日 ( 10 )


2019年 10月 13日

大聖人の鎌倉出立から身延入山までの苦難の道中を記した書【富木殿御書】

【富木殿御書光】
■出筆時期:文永十一年(1274)五月十七日 五十三歳御作。
■出筆場所:身延山中 仮住まいにて。
■出筆の経緯:大聖人は佐渡流罪ご赦免後鎌倉に入り、文永十一年四月八日に平頼綱に三度目の国家諫暁をされています。
その後「本よりごせし事なれば、三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと。(種種御振舞御書)」の決意を胸に弟子の育成に専念するため身延山中に入る。本書では信頼する富木常忍に対し、鎌倉から身延までの苦難の道中を、日付を追って記されて伝えられておられます。またこの間の事情については同行していた弟子たちを元いたところに帰すので「御房達に語らせて、お聞きいただきたい」と伝えております。また道中の苦難については「飢えは言いようもないほどである。米は一合も売ってくれない。餓死してしまうことであろう」と厳しい状況を率直に吐露されておられ、覚悟の鎌倉出立であることが、現在の信徒にもひしひしと伝わってきます。
■ご真筆:鴨川市・鏡忍寺所蔵(千葉県指定有形文化財)
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[富木殿御書 本文]   [英語版]

けかち(飢渇)申すばかりなし。米一合もうらずがししぬべし、此の御房たちも、みなかへして但一人候べし。
このよしを御房たちにもかたりさせ給へ。

十二日さかわ、十三日たけのした、十四日くるまがへし、十五日ををみや、十六日なんぶ、十七日このところ、いまださだまらずといえども、たいしはこの山中、心中に叶いて候へば、しばらくは候はんずらむ。
結句は一人になりて日本国に流浪(るろう)すべきみにて候。
又たちとどまるみならば、けさんに入り候べし、恐恐謹言。

十七日                 日 蓮 在御判
ときどの

[現代訳]

飢えの状況は申すまでもありません。道中、米一合も売ってはくれません。このままでは餓死してしまうであろうと思われる。
同行してきた弟子たちも皆元のところに返して、日蓮一人この場所にいようと思います。
この事情は弟子たちに話してもらって聞いてください。
 十二日に酒匂、十三日に竹之下、十四日に車返、十五日に大宮、十六日に南部、十七日に、ここに着きました。まだ住むところも決まっていませんが、この身延の山中は私の心にかなっているので、しばらくは居ることになると思います。結局は一人になって日本国を流浪する身であろうかと思われる。また、この地に留まる身となったなら、是非見参してください。恐恐謹言。

by johsei1129 | 2019-10-13 21:45 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし、と説いた【別当御房御返事】

【別当御房御返事】
■出筆時期:文永十一年(1274) 四、五月頃 五十三歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は清澄寺の住職(別当)より、大聖人に故郷二間寺・清澄寺の所当職への就任を依頼されたことへの返書となっております。
冒頭で「聖密房の文に詳しく書きて候より、会いて聞かせ給い候へ」とあるのは、本消息と同時期に聖密房に送られた真言破析の書『聖密房御書』を聖密房に会って聞かせてもらうよう、住職に伝えたものと思われます。
また二間寺・清澄寺の所当職への就任については「幾ら程の事に候べき、但名ばかりにてこそ候はめ」と記されると共に、後段では「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし」と宣言し、二間寺・清澄寺に関わっていられないことを示されると同時に「日蓮心ざす事は生処なり、日本国よりも大切にをもひ候」と記され、故郷のことを忘れているわけではないと示されておられます。
■ご真筆:身延久遠寺に全四紙が存在していたが明治八年の大火で焼失。

[別当御房御返事 本文]

聖密房のふみ(文)にくは(詳)しくかきて候より、あ(会)いてきか(聞)せ給い候へ。
なに事も二間清澄(ふたま・きよすみ)の事をば聖密房に申しあわせさせ給うべく候か。世間のり(理)をしりたる物に候へばかう申すに候、これへの所当なんどの事は・ゆめゆめをもはず候。いくらほどの事に候べき、但な(名)ばかりにてこそ候はめ。又わせいつをの(注)事をそれ入つて候。いくほどなき事に御心ぐるしく候らんと・かへりてなげき入つて候へども、我が恩をば・しりたりけりと・しらせまつらんために候。※[わせいつをの]は誤書写と思われ意味は不明です。

大名を計るものは小耻にはぢずと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ震旦高麗(しんたんこうらい)までも及ぶべきよしの大願をはら(懐)みて其の願の満すべきしるしにや、大蒙古国の牒状(ちょうじょう)しきりにありて此の国の人ごとの大なる歎きとみへ候。

日蓮又先きよりこの事をかんがへたり閻浮(えんぶ)第一の高名なり、先きよりにくみぬるゆへに・ままこ(継子)のかうみやう(功名)のやうに専心とは用い候はねども・終に身のなげき極まり候時は辺執(へんしゅう)のものどもも一定とかへぬとみへて候。これほどの大事をはらみて候ものの少事をあながちに申し候べきか、
但し当時・日蓮心ざす事は生処なり、日本国よりも大切にをもひ候。例せば漢王の沛郡(はいぐん)を・をもくをぼしめししがごとし、かれ生処なるゆへなり。聖智が跡の主となるをもつてしろしめせ、日本国の山寺の主ともなるべし、日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし。

米一斗六升・あはの米二升・やき米はふくろへ・それのみならず人人の御心ざし申しつくしがたく候。これは・いたみをもひ候、これより後は心ぐるしく・をぼしめすべからず候、よく人人にしめすべからず候、よく人人にもつたへさせ給い候へ。
乃 時
別当御房御返事





by johsei1129 | 2019-10-13 21:39 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

久遠実成なんどは大日経には思ひもよらず<略>久遠実成なくば千二百余尊は浮草の根なきがご とし夜の露の日輪の出でざる程なるべし、と説いた【聖密房御書】

【聖密房御書】
■出筆時期:文永十一年(1274年)四・五月頃 五十三歳御作
■出筆場所:鎌倉若しくは身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は清澄寺の僧、聖密房に与えられた消息です。
本抄で大聖人は聖密房その他の清澄寺で修行する僧のために、法華経と真言の勝劣を詳しく論じられておられます。特に釈尊五十年の説法の中で法華経で初めて説かれた久遠実成について「久遠実成なんどは大日経には思ひもよらず、久遠実成は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成・魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば千二百余尊は浮き草の根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし」と断じられておられます。
また文末では「これは大事の法門なり、こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし」と記され、清澄寺の本尊である虚空蔵菩薩の面前で本消息を読み奉るよう諭されておられます。

尚、『清澄寺大衆中』で大聖人は「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給りし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思食けん。明星の如なる大宝珠を給て右の袖にうけとり候し」と自ら記されておられます。
■ご真筆:身延久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失。

[聖密房御書 本文]

大日経をば善無畏(ぜんむい)・不空(ふくう)・金剛智(こんごうち)等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり、良諝(りょうしょ)和尚・広修・維蠲(ゆいけん)なんど申す人は大日経は華厳(けごん)経・法華経・涅槃(ねはん)経等には及ばず但方等(ほうどう)部の経なるべし、日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れりまして大日経には及ぶべからず」等云云、又云く「法華経は釈迦の説・大日経は大日如来の説・教主既にことなり・又釈迦如来は大日如来の御使として顕教(けんきょう)をとき給うこれは密教(みっきょう)の初門なるべし」或は云く「法華経の肝心たる寿量品の仏は顕教の中にしては仏なれども密教に対すれば具縛(ぐばく)の凡夫なり」と云云。

日蓮勘(かんが)えて云く大日経は新訳の経・唐の玄宗(げんそう)皇帝の御時・開元(かいげん)四年に天竺(てんじく)の善無畏三蔵もて来る、法華経は旧訳(くやく)の経・後秦(こうしん)の御宇に羅什三蔵もて来る其の中間三百余年なり。法華経亘(わたり)て後百余年を経て天台智者大師・教門には五時四教を立てて上(かみ)五百余年の学者の教相(きょうそう)をやぶり観門(かんもん)には一念三千の法門をさとりて始めて法華経の理を得たり、天台大師已前の三論宗・已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず一念三千の法門をば立つべきやうなし。

華厳宗は天台已前には南北の諸師・華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども華厳宗の名は候はず、唐の代に高宗の后(きさき)・則天(そくてん)皇后と申す人の御時・法蔵(ほうぞう)法師・澄観(ちょうかん)なんど申す人・華厳宗の名を立てたり、此の宗は教相に五教を立て観門には十玄(げん)・六相(そう)なんど申す法門なり、をびただしきやうに・みへたりしかども澄観は天台をは(破)するやうにて・なを天台の一念三千の法門をか(借)りとりて我が経の心如工画師(しんにょくえし)の文の心とす、これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観(ちょうかん)は持戒の人・大小の戒を一塵をもやぶらざれども一念三千の法門をば・ぬすみとれり・よくよく口伝あるべし、真言宗の名は天竺にありや・いな(否)や大なる不審なるべし、但真言経にてありけるを善無畏等の宗の名を漢土にして付けたりけるか・よくよくしるべし、就中(なかんずく)善無畏等・法華経と大日経との勝劣をはん(判)ずるに理同事勝(りいどうじしょう)の釈をばつくりて一念三千の理は法華経・大日経これ同じなんどいへども印と真言とが法華経には無ければ事法は大日経に劣れり、事相(じそう)かけぬれば事理倶密(じりぐみつ)もなしと存ぜり、今日本国及び諸宗の学者等並びにこと(殊)に用ゆべからざる天台宗共にこの義をゆるせり例せば諸宗の人人をばそねめども一同に弥陀の名をとなへて自宗の本尊をすてたるがごとし天台宗の人人は一同に真言宗に落ちたる者なり。

日蓮・理のゆくところを不審して云く、善無畏三蔵の法華経と大日経とを理は同じく事は勝れたりと立つるは天台大師の始めて立て給へる一念三千の理を今大日経にとり入れて同じと自由に判ずる条ゆるさるべしや、例せば先に人丸(ひとまろ)が・ほのぼのと・あかし(明石)のうら(浦)の・あさぎり(朝霧)に・しま(島)かくれゆく・ふね(船)をしぞをもう・とよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがう(順)なんどが判じて云く「此の歌はうたの父・うたの母」等云云、今の人我うたよめりと申して・ほのぼのと乃至船をしぞをもうと一字をもたがへず・よみて我が才は人丸にをとらずと申すをば人これを用ゆべしや、やまかつ(山人)海人(あま)なんどは用ゆる事もありなん。

天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は仏の父・仏の母なるべし、百余年・已後の善無畏三蔵がこの法門をぬすみとりて大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なりと・かけるをば智慧かしこき人は用ゆべしや、事勝と申すは印・真言なしなんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か漢土の法華経・大日経の勝劣か、不空三蔵の法華経の儀軌(ぎき)には法華経に印・真言をそへて訳せり、仁王経にも羅什の訳には印・真言なし不空の訳の仁王経(にんのうきょう)には印・真言これあり、此等の天竺の経経には無量の事あれども月氏(がっし)・漢土・国を・へだてて・とをく・ことごとく・もちて来がたければ経を略するなるべし、法華経には印・真言なけれども二乗作仏(にじょうさぶつ)・劫国名号(こうこくみょうごう)・久遠実成(くおんじつじょう)と申すきぼ(規模)の事あり、大日経等には印・真言はあれども二乗作仏・久遠実成これなし、二乗作仏と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり、四十余年の経経には二乗は敗種(はいしゅ)の人と一字二字ならず無量無辺の経経に嫌はれ、法華経には・これを破して二乗作仏を宣べたり、いづれの経経にか印・真言を嫌うことばあるや、その言なければ又大日経にも其の名を嫌はず但印・真言をとけり、印と申すは手の用なり手・仏にならずは手の印・仏になるべしや、真言と申すは口の用なり口・仏にならずば口の真言・仏になるべしや、二乗の三業は法華経に値いたてまつらずは無量劫・千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず、勝れたる二乗作仏の事法をば・とかずと申して劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは理によれば盗人なり事によれば劣謂勝見(れついしょうけん)の外道なり、此の失によりて閻魔(えんま)の責めをば・かほりし人なり、後にく(悔)いかへして天台大師を仰いで法華にうつりて悪道をば脱(まぬが)れしなり。

久遠実成なんどは大日経にはをも(思)ひもよらず、久遠実成は一切の仏の本地・譬へば大海は久遠実成・魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば千二百余尊はうきくさ(萍)の根なきがごとし夜の露の日輪の出でざる程なるべし。

天台宗の人人この事を弁(わきま)へずして真言師にたぼらかされたり、真言師は又自宗の誤をしらず・いたづらに悪道の邪念をつみをく、空海和尚は此の理を弁へざる上・華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて法華経は猶華厳経にをとれりと僻見せり、亀毛(きもう)の長短・兎角(とかく)の有無・亀の甲には毛なしなんぞ長短をあらそい兎の頭には角(つの)なし・なんの有無を論ぜん、理同と申す人いまだ閻魔(えんま)のせめを脱れず、大日経に劣る華厳経に猶劣ると申す人・謗法を脱るべしや、人は・かはれども其の謗法の義同じかるべし、弘法の第一の御弟子かきのもとき(柿本・紀)の僧正・紺青鬼(こんじょうき)となりし・これをもつてしるべし、空海悔改(かいげ)なくば悪道疑うべしともをぼへず其の流をうけたる人人又いかん。

問うて云わく法師一人此の悪言をはく如何、答えて云く日蓮は此の人人を難ずるにはあらず但不審する計りなり、いか(怒)りをぼせば・さでをはしませ、外道の法門は一千年・八百年・五天にはびこりて輪王より万民かうべ(頭)をかたぶけたりしかども九十五種共に仏にやぶられたりき、摂論師(じょうろんし)が邪義・百余年なりしもやぶれき、南北の三百余年の邪見もやぶれき、日本・二百六十余年の六宗の義もやぶれき、其の上此の事は伝教大師の或書(あるふみ)の中にやぶられて候を申すなり、日本国は大乗に五宗あり法相・三論・華厳・真言・天台、小乗に三宗あり倶舎(くしゃ)・成実(じょうじつ)・律宗(りっしゅう)なり、真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども・くわしく論ずれば皆小乗なり、宗と申すは戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三学を備へたる物なり、其の中に定・慧はさてをきぬ、戒をもて大・小のばうじ(榜示)をうちわかつものなり、東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに東大寺に入りて小乗律宗の驢乳(ろにゅう)・臭糞(しゅうふん)の戒を持つ、戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし。

比叡山には天台宗・真言宗の二宗・伝教大師習いつたへ給いたりしかども天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給いしゆへに天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして天台法華宗の止観(しかん)・真言とあそばして公家(くげ)へまいらせ給いき、伝教より慈覚たまはらせ給いし誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正(まさし)くのせられて真言宗の名をけづ(削)られたり、天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候、真言宗の真言は当分の宗・論師・人師始めて宗の名をたてたり、而るを事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり、仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし、小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども但所詮の理は無常の一理なり、法相宗は唯心有境(ゆいしんうきょう)・大乗宗・無量の宗ありとも所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり・三論宗は唯心無境・無量の宗ありとも所詮・唯心無境ならば但一宗なり、此れは大乗の空有(くうう)の一分か、華厳宗・真言宗あ(上)がらば但中(たんちゅう)・くだ(下)らば大乗の空有なるべし、経文の説相(せっそう)は猶華厳・般若にも及ばず但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあい(愛)するにに(似)たり、大日経等は下女のごとし理は但中にすぎず、論師(ろんし)・人師(にんし)は王のごとし・人のあいするによて・いばう(威望)があるなるべし、上(かみ)の問答等は当時は世すえ(末)になりて人の智浅く慢心高きゆへに用ゆる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん、不便にをもひ・まいらすれば目安に注せり、御ひまにはならはせ給うべし。

これは大事の法門なり、こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし。

聖密房(しょうみつぼう)に之を遣(つか)わす    日 蓮 花押





by johsei1129 | 2019-10-13 21:32 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

日蓮大聖人が平頼綱に三度目の国家諌暁を為した後、これ以上の諌暁を「止むべし」と宣言した書【未驚天聴御書】

【未驚天聴御書】
■出筆時期:文永十一年(1274) 四月頃 五十三歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は文永十一年四月八日、大聖人が平頼綱と会見し三度目の国家諌暁を為した直後に、弟子信徒に向けて今後これ以上の国家諌暁をしないことを宣言された書と思われます。

文中で「未だ天聴を驚かさゞるか」と記され、鎌倉幕府の最高権力者北条時頼、北条時宗には国家諌暁の意思は伝わったが、天皇には伝わっていないとの思いを認められておられます。さらに「後悔を致す勿れ」とも記され、令法久住という広布の次の段階に進むという決意を示されていると拝されます。

尚、大聖人御遷化後五十年を経た元弘三年(1333年)一月、大石寺第三祖日目上人が天奏のため京に向かいますが、十五日美濃垂井の宿で御遷化なされます(享年七十四歳)。しかし日目上人の天奏のご意志は同行していた弟子の日尊が受け継ぎ、翌年天奏を為し遂げます。
■ご真筆:京都市本圀寺(断簡)蔵。
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[未驚天聴御書 本文]

(本書の前後の文は残されておりません)
雖申之未驚天聴欤 事及三ケ
度 今可止諌暁 勿至後悔

(漢文読み下し文)
之を申すと雖も未だ天聴(てんちょう)を驚かさゞるか。事三箇度に及ぶ。
今諌暁(かんぎょう)を止むべし。後悔を致す勿(なか)れ。






by johsei1129 | 2019-10-13 20:51 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

日蓮・法華経の文の如くならば通塞(後生善処)の案内者なりと説いた【弥源太殿御返事】

【弥源太殿御返事】
■出筆時期:文永十一年(1274年)二月二十一日 五十三歳御作
■出筆場所:佐渡国一の谷の屋敷にて。
■出筆の経緯:本抄は鎌倉幕府の要職にあった北条弥源太が、祈祷のために太刀を二振りご供養されたことへの返書となっておられます。
大聖人は文永五年一月十八日に蒙古から国書が鎌倉に届いたことを知ると、北条時宗を始め幕府要人並びに極楽寺良観、建長寺道隆等の十一人に、立正安国論で予言した他国侵逼難が普合しことを示すととも「諸宗を御前に召し合せ仏法の邪正を決し給え」と訴えておりますが、この十一人の中に北条弥源太がいて、鎌倉幕府で相当重要な役目を担っていたと思われます。

しかしこの消息で気になるのは、何故弥源太は太刀をしかも二振りも供養されたのかということです。大聖人の佐渡での暮らし支えるには銭が一番価値があったと思われます。また何に対する祈祷なのかも本消息では示されておられません。実は本消息を記された十七日前の二月十四日、幕府は佐渡流罪の「赦免状」を佐渡の守護代本間氏に宛てて発しております。幕府要職にあった北条弥源太はこのことを知り、大聖人が無事に鎌倉に帰還できることに思いを馳せ、この佐渡流罪赦免を心よく思わない輩から大聖人を守るため、防御の刀として弟子たちが使えるよう二振り送られたのではないかと推察されます。しかし罪人に刀を供養する事は尋常でないため、敢て自らの祈祷と言う名目で供養されたのではと思われます。

大聖人もこの弥源太殿の思いを知り文中では「後生には此の刀をつえ(杖)とたのみ給うべし<中略>但し日蓮をつえ(杖)はしら(柱)とも、たのみ給うべし。けはしき山・あしき道.つえを・つきぬれば・たをれず、殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし。南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ<中略>日蓮さきに立ち候はば御迎にまいり候事もやあらんずらん、又さきに行かせ給はば日蓮必ず閻魔法王にも委く申すべく候」と記され、供養された刀は後生は杖となり日蓮を助けるだろう、又日蓮を貴辺の杖・柱と頼みなさい。日蓮が先だてば貴方を迎えに参るし、もし貴方が先だてば閻魔法王に貴方の志は申し上げますと、弥源太殿を称えられておられます。
また文末では「能く能く諸天にいのり申べし、信心にあかなくして所願を成就し給へ、女房にも、よくよくかたらせ給へ」と、法華経信仰を貫くよう励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[弥源太殿御返事 本文]
 
 抑(そもそも)日蓮は日本第一の僻人(びゃくにん)なり、其の故は皆人の父母よりも・たかく主君よりも大事に・おもはれ候ところの阿弥陀仏・大日如来・薬師等を御信用ある故に、三災・七難・先代にこえ天変・地夭(ちよう)等・昔にも・すぎたりと申す故に・結句は今生には身をほろぼし国をそこない・後生には大阿鼻(あび)地獄に堕ち給うべしと、一日・片時も・たゆむ事なく・よばわりし故に・かかる大難にあへり、譬(たと)えば夏の虫の火にとびくばりねずみが・ねこのまへに出でたるが如し、是あに我が身を知つて用心せざる畜生の如くにあらずや、身命を失ふ事・併(しかしなが)ら心より出ずれば僻人なり。

但し石は玉をふくむ故にくだかれ・鹿は皮肉の故に・殺され・魚はあぢはひある故に・とらる・すい(翠)は羽ある故にやぶらる・女人は・みめかたちよ(美)ければ必ずねたまる・此の意なるべきか、日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり、然るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり、定めて子細候らん、相構えて能能(よくよく)御信心候て霊山(りょうぜん)浄土へまいり給へ。

又御祈祷(きとう)のために御太刀同く刀あはせて二つ送り給はて候、此の太刀はしかるべきかぢ(鍛冶)・作り候かと覚へ候、あまくに(天国)或は鬼きり(切)或はやつるぎ(八剣)・異朝には・かむしやう(干将)ばくや(莫耶)が剣に争(いか)でか・ことなるべきや・此れを法華経にまいらせ給う、殿の御もちの時は悪の刀・今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし、譬えば鬼の道心をおこしたらんが如し、あら不思議や不思議や、後生には此の刀を・つえ(杖)とたのみ給うべし、法華経は三世の諸仏・発心のつえ(杖)にて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも・たのみ給うべし、けは(険)しき山・あしき道・つえを・つきぬれば・たをれず、殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし、南無妙法蓮華経は死出の山にては・つえはしらとなり給へ、釈迦仏・多宝仏上行等の四菩薩は手を取り給うべし、日蓮さきに立ち候はば御迎にまいり候事もやあらんずらん、又さきに行かせ給はば日蓮必ず閻魔(えんま)法王にも委(くわ)く申すべく候、此の事少しもそら(虚)事あるべからず、日蓮・法華経の文の如くならば通塞(つうそく)の案内者なり、只一心に信心おはして霊山(りょうぜん)を期し給へ。

ぜに(銭)と云うものは用に・したがつて変ずるなり、法華経も亦復(またまた)是くの如し、やみには燈(ともしび)となり・渡りには舟となり・或は水ともなり或は火ともなり給うなり、若(も)し然らば法華経は現世安穏(げんぜあんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)の御経なり。

其上日蓮は日本国の中には安州のものなり、総じて彼国は天照太神(あまてらすおおみかみ)のすみそ(住初)め給いし国なりといへり、かしこにして日本国をさぐり出し給ふ、あは(安房)の国御くりやなり・しか(然)も此国の一切衆生の慈父悲母なり、かかるいみじき国なれば定んで故ぞ候らん、いかなる宿習(しゅくじゅう)にてや候らん。

日蓮又彼国に生れたり第一の果報なるなり、此消息の詮(せん)にあらざれば委(くわ)しくはかかず但おしはかり給うべし。
能く能く諸天にいのり申べし、信心にあかな(無倦)くして所願を成就し給へ、女房にも・よく・よく・かたらせ給へ、恐恐謹言。

二月二十一日 日蓮花押
弥源太殿御返事

※通塞とは一般的には竹の節のように通じる所、塞がれる所の意味。
  大聖人は、人々を後生善処に導く道案内の意味で「日蓮・法華経の文の如くならば通塞の案内者なり」
  と記されたと思われます。

by johsei1129 | 2019-10-13 20:48 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

観心本尊抄の「(法華経の)一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」を詳細に説かれた【小乗小仏要文】

【小乗小仏要文】
■出筆時期:観心本尊抄を著された(文永十年四月二十五日)以降と思われます。
■出筆場所:佐渡若しくは身延草庵にて。
■出筆の経緯:本抄で図示された小乗には、法華経本門の一品二半以外の一切経が全て含まれる。
これは『観心本尊抄』で説かれた「本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く<中略>在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」をそのまま図示されたものである。故に本抄は観心本尊抄を著された後に弟子に観心本尊抄の極意を教化するために記されたと推察され、出筆時期は伝えられている文永七年ではなく、文永十年以降ではないかと推知致します。
尚、法華経本門の一品二半とは、妙法蓮華経 従地湧出品第十五の後半(動執生疑以下)、如来寿量品第十六の一品、分別功徳品第十七の前半を言います。
※一品二半については『法華取要抄』を参照して下さい。
■ご真筆:中山法華経寺[巻子1巻:十紙]所蔵(重要文化財)。
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【小乗小仏要文 本文】




     ┌華  厳 ┌大 日 経── 真言宗
     ├阿  含 ├観 経 等── 浄土宗
   小乗┼方  等─┼深密経等── 法相宗
     │      └楞 伽 経(りょうがきょう)── 禅 宗
     ├般 若─―─三論宗
     ├無量義経
     └法 華 経─迹門の十四品と本門薬王菩薩本事品第二十三以下の六品、並びに普賢・涅槃(ねはん)経等。

     ┌応 身─┬劣応身
     │    └勝 応 身
   小仏┼報  身──華厳経ルサナ仏
     ├大日経等ビルサナ仏
     └並びに迹門涅槃経等の仏
迹仏


涌出品に云く「阿逸(あいつ)汝当に知るべし是の諸の大菩薩、無数劫(むしゅこう)よりこのかた仏の智恵を修習(しゅうじゅう)す。悉(ことごと)く是れ我が所化なり。大道心を発(おこ)さしむ。此等は是れ我が子なり。是の世界に依止(えし)せり」。
玄の七に云く「六に本説法妙とは、経に言く、此等我が所化なり、大道心を発(おこ)さしめ、今皆住不退に住すと。我所化とは、正く是れ説法して大道心を発さしむるは、小説に簡非(かんぴ)するなり。此れ本時の説を指して迹説を簡非するなり。迹説多種なれども若し涅槃(ねはん)に依(よ)れば」等云云。
華厳経に云く「寂滅道成に始めて正覚を成ず」。  
増一阿含経の十に云く「仏摩竭(まかつ)国に在(おわ)し、道樹の下にして爾時(そのとき)に世尊得道未だ久からず」。浄名経に云く「始め仏樹に坐して力て魔を降す」。
大集経に云く「如来成道始めて十六年なり」。大日経に云く「我昔道場に坐し四魔を降伏す」。仁王般若経に云く「大覚世尊、先ず我が為に二十九年」。
無量義経に云く「我先に道場菩提樹下に端坐(たんざ)する事六年、乃至四十余年」。
法華経の方便品に云く「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行(またきょうぎょう)し、三七日の中に於て、是くの如き事を思惟(しい)す」。籤(せん)の七に云く「大乗の融通(ゆうずう)過ぎたること無し」。
華厳経の初に云く「菩提道場にして始めて正覚を成ず。故に知ぬ。大小識成皆近(しきじょうかいごん)なり」。

寿量品に云く「爾時に世尊、諸の菩薩の三たび請じて止まざるを、知ろしめして之に告げて言たまはく。汝等諦(あきら)かに聴け、如来の秘密神通の力を。
一切世間の天人及び阿修羅(あしゅら)は、皆今の釈迦牟尼仏(むにぶつ)は、釈氏の宮を出でて伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たりと謂(おも)へり。然るに善男子、我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由佗劫(なゆたこう)なり」等云云。

文句の九に云く「仏三世に於て等く三身有り。諸教の中に於て之を秘して伝へず。故に一切世間の天人修羅(あしゅら)は今の仏は是に始まると謂(おも)へるなり。此の三身を得る故に、近(ごん)に執して遠(おん)を疑ふ」。

寿量品に云く「諸の善男子、如来は諸の衆生の小法を楽(ねが)へる徳薄垢重(とくはくくじゅう)の者を見ては、是の人の為に我少(わか)くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我実に成仏してより已来久遠(このかたくおん)なること、斯くの若し」。
文句の九に云く「一〈約往日〉○二〈約現在〉○三〈約修行〉○四果門に約せば、近成(ごんじょう)の小を聞かんと楽ふ者は釈氏の宮を出で始めて菩提を得たりとし、長大久遠(ちょうだいくおん)の道を聞かん事を楽欲せず、故に楽小(ぎょうしょう)と云ふ」。
此等の小心は今日に始まるに非ず。若し先に大を楽(ねが)はば仏即ち始成(しじょう)を説かず。始成を説くことは皆小法を楽(ねが)ふ者の為のみ。
又云く「諸の衆生小法を楽ふ者とは所見の機なり。華厳(けごん)に云く、大衆清浄なりと雖も其の余の楽小法(ぎょうしょうぼう)の者は、或は疑悔(ぎげ)を生じ長夜に衰悩(すいのう)せん。
此れを愍(あわれ)むが故に黙(もく)す。
偈(げ)に云く、其の余の久く行ぜざるは智恵未だ明了ならず、識(しき)に依(よっ)て智に依らず、聞き已(おわ)って憂悔(うげ)を生じ、彼将(まさ)に悪道に堕(お)ちんとす。此れを念ふが故に説かずと。
彼の経を案ずるに声聞二乗無し但不久行の者を指して楽小法の人と為すのみ。
師の云く「楽小(ぎょうしょう)は小乗の人に非ざるなり。乃ち是れ近説(ごんせつ)を楽(ねが)ふ者を小と為すのみ」。

文句の九に云く「徳薄とは、縁了の二善功用微劣(くゆうびれつ)なれば下の文に諸子幼稚(ようち)と云ふなり。垢重(くじゅう)とは見思(けんじ)未だ除(のぞ)かざるなり」。
記の九に云く「徳薄垢重とは、其の人未だ実教の二因有らざる故なり。下の文に諸子幼稚と云ふは、下の医子の譬(たとえ)の文を指す。
尚未だ円を聞くに堪へず、況(いわん)や遠を聞かんをや。見思未除(けんじみじょ)とは且(しばら)く譬の中の幼稚の言を消す。定めて未だ遠を知らず」。
玄の一に云く「厚く善根を殖(う)ゑて此の頓説(とんせつ)を感ず」文。籤の一に云く「一往は総じて別円(べつえん)を以て厚と為す」。

五百問論に云く「一経の中に本門を以て主と為す」云云。
又云く「一代教の中に未だ曽(かつ)て遠(おん)を顕さず。父母の寿は知らずんばあるべからず。始めて此の中に於て方に遠本(おんぽん)を顕す。
乃至、但恐る才一国(さいいっこく)に当るも、父母の年を知らざれば、失ふ所小と謂(おも)ふも辱むる所至て大なり。若し父の寿の遠きを知らざれば復父統(またふとう)の邦に迷ふ。徒に才能と謂ふも、全く人の子に非ず」。

文句の九に云く「菩薩に三種有り。下方と他方と旧住(くじゅう)となり」。
玄義の七に云く「若し迹因(しゃくいん)を執(しゅう)して本因と為さば、斯れ迹を知らず、亦本を識らざるなり。天月を識らずして但池月を観(み)るが如し。○払迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せば即ち本地の因妙を知る。影(かげ)を撥(はら)って天を指すが如し。云何(いかん)ぞ盆に臨て漢(そら)を仰がざる。嗚呼聾駭(ろうがい)なんすれぞ道を論ぜんや」。
又云く「若し迹果を執(しゅう)して本果と為す者は、斯れ迹を知らず、亦本を識らざるなり。本より迹を垂るるは月の水に現ずるが如く、迹を払て本を顕すは影を撥(はら)うて天を指すが如し。当(まさ)に始成(しじょう)の果を撥(のぞ)けば皆是れ迹果なるべく久成(くじょう)の果を指すは是れ本果なり」。

又云く「諸土は悉(ことごと)く迹土なり。一には今仏の所栖(しょせい)の故に、二には前後修立(しゅうりゅう)の故に、三には中間所払(しょふつ)の故に。
若し是れ本土は今仏の所栖に非ず。今仏の所栖は即ち迹土なり。若し是れ本土は一土一切土にして前後修立なるべからず。浅深(せんじん)不同なり。
○迹を執(しゅう)して本と為す者は、此れ迹を知らず、亦本を識らざるなり。今迹(いましゃく)を払って本を指すときは、本時所栖の四土は、是れ本国土妙なり」。

   |--蔵因・三祇(ぎ)百劫(こう)菩薩・・未断見思 
迹仏--|--通因・動喩塵劫(どうゆじんこう)菩薩・・見思断 
   |--別因・無量劫菩薩・・・十一品断無明 
   |--円因・三千塵点劫菩薩・四十一品断無明 
   
  
   |--<劣応>--蔵--〈草座〉三十四心断結成道
迹仏果|--<勝応>--通--〈天衣〉三十四心見思塵沙断の仏 
   |--<報身>--別--〈蓮華座〉十一品断無明の仏 
   |--<法身>--円--〈虚空座〉四十二品断無明の仏 

 




by johsei1129 | 2019-10-13 19:31 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵嘖せずんば(略)是の人は仏法の中の怨なりと説いた【真言諸宗違目】

【真言諸宗違目】
■出筆時期:文永九年(西暦1272年)五月五日 五十一歳 御作。
■出筆場所:佐渡・一の谷、一谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:大聖人は本書を著した約一ヶ月の四月三日、塚原から一谷入道の屋敷に移居されておられる。この事で佐渡流罪が赦免になるのではと期待し、幕府要人に働きかける信徒の動きがあった。それについて大聖人は、日蓮が難に遭うのは「先業未だ尽きざるなり、日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか」と説いて釈尊が必ず守ってくれると諭し、追伸では「赦免の動きをする者は不孝の者で、後生(来世の成仏)を手助けすることはできない。信徒各各は私のこの意図を知りなさい」と厳しく諌めておられる。その意味もあり、本書は信徒の重鎮である富木常忍に宛てられ、この書を門下に触れ回して皆に暗記させ、老人には詳しく読み聞かせなさいとまで指示されておられる。

■ご真筆: 中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
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[真言諸宗違目 本文]

 真言宗は天竺(てんじく)より之無し開元の始に善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智(こんごうち)三蔵・不空三蔵等・天台大師己証(こしょう)の一念三千の法門を盗んで大日経に入れて之を立て真言宗と号す、華厳(けごん)宗は則天皇后の御宇に之を始む、澄観(ちょうかん)等天台の十乗の観法を盗んで華厳経に入れて之を立て華厳宗と号す、法相(ほっそう)三論は言うに足らず、禅宗は梁(りょう)の世に達磨(だるま)大師楞伽(りょうが)経等を以てす大乗の空の一分なり、其の学者等大慢を成して教外別伝等と称し一切経を蔑如(べつじょ)す天魔の所為なり。浄土宗は善導等・観経等を見て一分の慈悲を起し摂地(じょうち)二論の人師に向つて一向専修の義を立て畢んぬ。日本の法然之を誤(あやま)り、天台真言等を以て雑行に入れ、末代不相応の思いを為して国中を誑惑(おうわく)して長夜に迷(まよ)わしむ。之を明めし導師は但日蓮一人なるのみ。

 涅槃経に云く「若し善比丘法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵嘖(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」等云云。潅頂章安(かんちょうしょうあん)大師云く「仏法を壊乱(えらん)するは仏法の中の怨なり慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是れ彼が怨なり、彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云。法然が捨閉閣抛(しゃへいかくほう)・禅家等が教外別伝・若し仏意に叶わずんば日蓮は日本国の人の為には賢父なり聖親なり導師なり。之を言わざれば一切衆生の為に「無慈詐親即是彼怨」の重禍脱(じゅうかのが)れ難し、日蓮既に日本国の王臣等の為には「為彼除悪即是彼親」に当れり此の国既に三逆罪を犯す、天豈(あに)之を罰せざらんや。涅槃経に云く「爾(そ)の時に世尊・地の少しの土を取つて之を抓(つめ)の上に置いて迦葉に告げて言(のたま)わく、是の土多きや十方世界の地土多きや、迦葉菩薩(かしょうぼさつ)仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊抓(つめ)の上の土は十方所有の土の比ならざるなり○四重禁(じゅうきん)を犯し五逆罪を作つて○一闡提(せんだい)と作(な)つて諸(もろもろ)の善根を断じ是の経を信ぜざるものは十方界所有の地土の如し○五逆罪を作らず○一闡提と作らず善根を断ぜず、是くの如き等の涅槃経典(ねはんきょうてん)を信ずるは抓(つめ)の上の土の如し」等云云。経文の如くんば当世日本国は十方の地土の如く日蓮は抓(つめ)の上の土の如し。
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[真言諸宗違目 第六紙 真筆]

法華経に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈(めり)」等云云、法滅尽経(ほうめつじんきょう)に云く「吾・般泥洹(はつないおん)の後五逆濁世に魔道興盛(まどうこうじょう)なり、魔沙門と作つて吾が道を壊乱(えらん)す○悪人転(うた)た多くして海中の沙(いさご)の如し、劫尽きんとする時・日月転(うた)た短く善者甚だ少くして若しは一若しは二人」等云云、又云く「衆魔の比丘・命終の後精神当に無択地獄(むじゃくじごく)に堕つべし」等云云、今道隆が一党・良観が一党・聖一が一党・日本国の一切の四衆等は是の経文に当るなり、法華経に云く「仮使(たと)い劫焼(こうしょう)に乾れたる草を担(にな)いて負いて中に入つて焼けざらんも亦未だ難しとせず、我が滅度の後に若し此の経を持つて一人の為にも説かん是れ則ち為れ難し」等云云、日蓮は此の経文に当れり、「諸の無智の人有つて悪口罵詈(めり)等し及び刀杖(とうじょう)を加うる者あらん」等云云、仏陀(ぶつだ)記して云く後の五百歳に法華経の行者有つて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦礫(がりゃく)・流罪死罪せられん等云云、日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり。

 疑つて云く、汝当世の諸人に勝るることは一分爾る可し真言・華厳・三論・法相等の元祖に勝るとは豈(あ)に慢過慢(まんかまん)の者に非ずや過人法(かにんほう)とは是なり汝必ず無間大城に堕つ可し、故に首楞厳経(しゅりょうごんきょう)に説いて云く「譬(たと)えば窮人妄(ぐうにんみだ)りに帝王と号して自ら誅滅(ちゅうめつ)を取るが如し、況んや復(また)法王如何ぞ妄りに竊(ぬす)まん、因地(いんち)直からざれば果紆曲(うきょく)を招かん」等云云、涅槃経に云く「云何(いか)なる比丘か過人法(かにんほう)に堕する○未だ四沙門果を得ず云何んぞ当(まさ)に諸の世間の人をして我は已に得たりと謂わしむべき」等云云、答えて云く法華経に云く「又大梵天(ぼんてん)王の一切衆生の父の如く」又云く「此の経は○諸経の中の王なり最も為(こ)れ第一なり能く是の経典を受持すること有らん者は亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為(こ)れ第一なり」等云云、伝教大師の秀句(しゅうく)に云く「天台法華宗の諸宗に勝れたるは所宗の経に拠(よ)るが故なり自讃毀他(じさんきた)ならず庶(ねがわ)くは有智の君子経を尋ねて宗を定めよ」等云云、星の中に勝れたる月・星月の中に勝れたるは日輪なり、小国の大臣は大国の無官より下る傍例なり、外道の五通を得るより仏弟子の小乗の三賢の者の未だ一通を得ざるは天地猶(なお)勝る、法華経の外の諸経の大菩薩は法華の名字即の凡夫より下れり、何ぞ汝始めて之を驚かんや、教に依つて人の勝劣を定む、先ず経の勝劣を知らずんば何ぞ人の高下を論ぜんや。

 問うて云く汝法華経の行者為らば何ぞ天汝を守護せざるや、答えて云く法華経に云く「悪鬼其の身に入る」等云云、首楞厳経に云く「修羅(しゅら)王有り世界を執持(しゅうじ)して能く梵王及び天の帝釈四天と権を諍う此の阿修羅は変化に因つて有り天趣(てんしゅ)の所摂なり」等云云。
能く大梵天王・帝釈・四天と戦う大阿修羅王有りて禅宗・念仏宗・律宗等の棟梁(とうりょう)の心中に付け入つて次第に国主国中に遷り入つて賢人を失う、是くの如き大悪は梵釈も猶防ぎ難きか、何に況んや日本守護の小神をや但地涌千界の大菩薩・釈迦・多宝・諸仏の御加護に非ざれば叶い難きか、日月は四天の明鏡なり、諸天定めて日蓮を知りたまうか、日月は十方世界の明鏡なり諸仏も定めて日蓮を知りたまうか、一分も之を疑う可からず、但し先業未だ尽きざるなり日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以て之を覆(おお)いたまわんか、去年(こぞ)九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」等とは是なり、汝等努努(ゆめゆめ)疑うこと勿れ決定して疑い有る可からざる者なり、恐恐謹言。

五月五日                   日 蓮  花押
此の書を以て諸人に触(ふ)れ示して恨を残すこと勿れ。
土木殿

与富木常忍  土木殿等の人人御中  日 蓮
空に読み覚えよ、老人等は具に聞き奉れ、早早に御免を蒙(こうむ)らざる事は之を歎く可からず、定めて天之を抑うるか、藤河入道を以て之を知れ、去年流罪(るざい)有らば今年横死に値う可からざるか、彼を以て之を惟(おも)うに愚者は用いざる事なり、日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり、敢て後生を扶く可からず、各各此の旨を知れ。

by johsei1129 | 2019-10-13 11:45 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

多宝塔中にして二仏並坐の時上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗広め申す也と説いた【煩悩即菩提御書】

【四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)】
■出筆時期:文永九年(1272)五月二日 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡国 一谷の屋敷にて
■出筆の経緯:大聖人は本書を四条金吾送られた三か月前には佐渡の塚原で「開目抄」を書き上げ四条金吾の元に送られておられる。
本書は開目抄で説いた末法の本仏の内証を、より分かり易く記しておられる。文末では「若し然らば日蓮・法華経の法師なる事疑なきか、則ち如来にもにたるらん「行如来事」をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか」と記し、内証は末法の本仏、外用は上行菩薩の再誕であると示しておられる。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書) 本文]

日蓮が諸難について御とぶ(訪)らひ今に・はじめざる志ありがたく候、法華経の行者として・かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ、又三悪・四趣にこそ候いつらめ、今は生死切断し仏果をうべき身となれば・よろこばしく候。

天台伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給うすら、なを怨嫉(おんしつ)の難にあひ給いぬ、日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等・相伝して弘め給ふ、第十八代の座主(ざす)・慈慧大師なり御弟子あまたあり、其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜(ぜんゆ)等と申して四人まします、法門又二つに分れたり、檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ、されば教と観とは日月のごとし教はあさく観はふかしされば檀那の法門は・ひろくして・あさし、慧心の法門は・せばくして・ふかし。

今日蓮が弘通する法門は・せばきやうなれども・はなはだふかし、其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり、本門寿量品の三大事とは是なり、南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し、されども三世の諸仏の師範・十方薩埵(さった)の導師・一切衆生皆成仏道の指南にてましますなれば・ふかきなり。

経に云く「諸仏智慧(しょぶつちえ)・甚深無量(じんじんむりょう)」云云、此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏・真言宗の大日如来・浄土宗の阿弥陀・乃至諸宗・諸経の仏・菩薩・過去・未来・現在の総諸仏・現在の釈迦如来等を、諸仏と説き挙げて次に智慧といへり。此の智慧とは・なにものぞ諸法実相・十如果成の法体なり。其の法体とは又なにものぞ南無妙法蓮華経是なり、釈に云く「実相の深理・本有(ほんぬ)の妙法蓮華経」といへり、其の諸法実相と云うも釈迦多宝の二仏となら(習)うなり、諸法をば多宝に約し実相をば釈迦に約す、是れ又境智の二法なり多宝は境なり釈迦は智なり。

境智而二(きょうちにに)にして・しかも境智不二の内証なり、此等はゆゆしき大事の法門なり。悩即即菩提(ぼんのうそくぼだい)・生死即涅槃(しょうじそくねはん)と云うもこれなり。まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経と・となふるところを煩悩即菩提・生死即涅槃と云うなり。生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり、

普賢経に云く「煩悩(ぼんのう)を断ぜず五欲を離れず諸根を浄(きよ)むることを得て諸罪を滅除す」止観に云く「無明塵労(じんろう)は即是菩提(ぼだい)生死は即涅槃なり」寿量品に云く「毎(つね)に自ら是の念を作(な)す。何を以てか衆生をして無上道に入り、速(すみやか)に仏身を成就することを得せしめん」と、方便品に云く「世間の相常住なり」等は此の意なるべし、此くの如く法体と云うも全く余には非ずただ南無妙法蓮華経の事なり。かかる・いみじく・たうとき法華経を過去にてひざ(膝)のしたに・をきたてまつり、或はあな(蔑)づりくちひそ(顰蹙)み、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し法命をつぐ人を悪心をもつて・とによせ・かくによせ・おこつ(謔弄)きわらひ、或は後生のつとめなれども先(まず)今生かなひがたければ・しばらく・さしをけなんどと無量にいひうとめ謗ぜしによ(依)つて今生に日蓮種種の大難にあうなり。

諸経の頂上たる御経をひき(低)くをき奉る故によりて、現世に又人にさ(下)げられ用いられざるなり。譬喩品に「人にしたしみつくとも人心(こころ)にいれて不便とおもふべからず」と説きたり、然るに貴辺法華経の行者となり結句大難にもあひ日蓮をもたすけ給う事、法師品の文に「遣化(けんげ)四衆・比丘比丘尼優婆塞優婆夷(うばそくうばい)」と説き給ふ、此の中の優婆塞とは貴辺の事にあらずんば・たれをかささむ、すでに法を聞いて信受して逆はざればなり不思議や不思議や。

若し然らば日蓮・法華経の法師なる事疑なきか、則ち如来にもに(似)たるらん「行如来事」をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐(びょうざ)の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗(ほぼ)ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか。

貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈(あに)流通にあらずや、法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、女房にも此の由を云ひふくめて日月・両眼・さう(雙)のつばさ(翼)と調(ととの)ひ給へ、日月あらば冥途あるべきや両眼あらば三仏の顔貌(げんみょう)拝見疑なし、さうのつばさあらば寂光の宝刹(ほうせつ)へ飛ばん事・須臾(しゅゆ)刹那なるべし、委(くわ)しくは又又申べく候、恐恐謹言。

五月二日                     日 蓮 花押
四条金吾殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-13 11:24 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

大闇をば日輪やぶる女人の心は大闇のごとし法華経は日輪のごとし、と説いた【同生同名御書】

【同生同名御書】
■出筆時期:文永九年(西暦1272年)四月 五十一歳 御作。
■出筆場所:佐渡・一の谷、一谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は大聖人が塚原三昧堂から一谷入道の屋敷へ移居された頃、四条金吾が鎌倉から大聖人の元を訪れている。その金吾を佐渡へ送り出した妻の志を称えて、したためたご消息文で、金吾が鎌倉に戻る時に託されています。
本書では「日蓮が大難に遭う中、人目をもはばからず、命をもおしまず法華経を御信用ある事ただ事ともおぼえず」と、金吾の妻の信心の強さを称えるとともに、冒頭で「大闇をば日輪やぶる女人の心は大闇のごとし法華経は日輪のごとし」と説いて、法華経への信仰を貫き通すことを諭しておられます。
■ご真筆: 現存していない。


[同生同名御書 本文]


 大闇(おおやみ)をば日輪やぶる、女人の心は大闇のごとし法華経は日輪のごとし、幼子(おさなご)は母をしらず母は幼子をわすれず、釈迦仏は母のごとし、女人は幼子のごとし。二人たがひに思へば・すべてはなれず一人は思へども一人思はざれば・あるときはあひ・あるときはあわず。仏は・をもふものの・ごとし女人は・をもはざるものの・ごとし。我等仏を・をもはば・いかでか釈迦仏・見え給はざるべき。
 石を珠といへども珠とならず、珠を石といへども石とならず。権経の当世の念仏等は石のごとし、念仏は法華経ぞと申すとも法華経等にあらず。又法華経をそしるとも珠の石とならざるがごとし。

 昔唐国(もろこし)に徽宗(きそう)皇帝と申せし悪王あり。道士と申すものにすかされて仏像・経巻をうしなひ僧尼を皆還俗(げんぞく)せしめしに一人として還俗せざるものなかりき。其の中に法道三蔵と申せし人こそ、勅宣をおそれずして面にかなやき(火印)を・やかれて江南と申せし処へ流されて候いしが、今の世の禅宗と申す道士の法門のやうなる悪法を御信用ある世に生れて、日蓮が大難に値(あ)うことは法道に似たり。おのおの・わずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をも・はばからず命をも・おしまず法華経を御信用ある事ただ事とも・おぼえず。但おしはかるに濁水に玉を入れぬれば水のす(清)むがごとし。しらざる事を・よき人に・おしえられて其のままに信用せば道理に・きこゆるがごとし。釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華(しゅくおうけ)菩薩等の各各の御心中に入り給へるか。

 法華経の文に閻浮提(えんぶだい)に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし。女人は・たとへば藤のごとし、をとこは松のごとし須臾(しゅゆ)も・はなれぬれば立ちあがる事なし。
はかばかしき下人もなきに、かかる乱れたる世に此のとの(殿)をつかはされたる心ざし、大地よりも・あつし、地神定めてしりぬらん、虚空よりも・たかし、梵天帝釈もしらせ給いぬらん。

 人の身には同生同名と申す二(ふたり)のつかひ(使)を、天生(うま)るる時よりつけさせ給いて、影の身に・したがふがごとく須臾も・はなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしも・おとさず、かはる・かはる天にのぼ(上)て申し候、と仏説き給う。
 此の事ははや天も・しろしめしぬらん、たのもしし・たのもしし。

四月 日              日 蓮 花押
四条金吾殿女房御返事

此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候。

by johsei1129 | 2019-10-13 10:57 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日

釈迦既に妙法の智水を以て、日蓮の頂に灌ぎて面授口決せしめ給へり。日蓮又日浄(最連房の法名)に受職せしむ、と説いた【得受職人功徳法門抄】

【得受職人功徳法門抄】
■出筆時期:文永九年(1272)四月一五日 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡 一の谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本抄は大聖人佐渡流罪中に、同じく同地に流罪中で大聖人に帰依された天台宗学僧の最連房に送られた書です。
恐らく最連房は大聖人の法門における受職(受職灌頂※注)について問われ、本書はそのことへの返書で、末法の受職の法門を認められた書と思われます。
文中で大聖人は「然るに予下賤なりと雖も、忝くも大乗を学し諸経の王に事ふる者なり。釈迦既に妙法の智水を以て、日蓮の頂に灌ぎて面授口決せしめ給へり。日蓮又日浄(最連房の法名)に受職せしむ。受職の後は他の為に之を説き給へ。経文の如くんば如来の使ひなり」記され、佐渡にて最連房に受職し日浄の法名を授けられたと認められておられます。
※受職灌頂:出家した僧が仏から法門の極意を授かり阿闍梨(高僧)の職位を受けるときに行う儀式。また仏が菩薩の頂きに智水を注いで伝授する儀式をいう。
■ご真筆:現存しておりません。

【得受職人功徳法門抄 本文】

受職とは因位の極際に始めて仏位を成ずるの義なり。此の受職に於て諸経と今経との異(こと)なり有り。
余経の意は、等覚の菩薩、妙覚の果位に叶(かな)ふの時、他方の仏来たりて妙覚の智水を以て等覚の頂に灌(そそ)ぐを受職の位の灌頂(かんじょう)と云ふなり。又諸経には第十の法雲地に等覚を合摂し、又等覚に妙覚を合説するなり。詮ずる所受職の位を等覚の菩薩に限って、等覚已前の諸位に之を置かざる事は、是(これ)権教方便なるが故なり云云。

次に法華実教の受職とは、今経の意は聖者よりも凡夫に受職し、善人よりも悪人に受職し、上位よりも下位に受職し、乃至持戒よりも毀戒(きかい)、正見よりも邪見、利根よりも鈍根、高貴よりも下賤、男よりも女、人天よりも畜生等に受職し給ふ経なり。故に未断見思(けんじ)の衆生の我等も皆悉く受職す。故に五即・五十一位共に受職灌頂の義あり。
釈に云はく「教弥(いよいよ)権なれば位弥高く教弥実なれば位弥下(ひく)し」と云ふは此の意なり。

問ふ、諸経論の意は等覚已前の四十位に尚受職の義無し。今何ぞ住前未証(じゅうぜんみしょう)の位に於て、受職の義を明かすや。答ふ、天台六即を立て円人の次位(じい)を判ず。尚是(なおこれ)円教の教門にして証道の実義に非ず。何(いか)に況(いわん)んや五十二位は別教の権門に附するの廃立なるをや。若し法華の実意に約して探って之を言はゞ与奪(よだつ)の二義有り。謂はく、与の義とは、一位に皆五十一位を具し、互具相即(そうそく)して且(しばら)くも欠減(けつげん)無し。設(も)し此の辺に約せば五即・五十一位に受職灌頂の義有るべし。又奪(だつ)の辺とは、六即・五十二位は権実二教の教門に附す。故に未断煩悩の凡夫も妙法を信受するの時、妙覚の職位を成ず。豈(あに)此の人に於て受職の義無からんや。

経に云はく「我が滅度の後に於て、応(まさ)に斯(こ)の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひ有ること無けん」と。又云はく「須臾(しゅゆ)も之を聞かば即ち阿耨菩提(あのくぼだい)を究竟(くきょう)することを得ん」文。
文に「仏道究竟」とは是妙覚の果位なり。但し天台等の釈に分証(ぶんしょう)の究竟と釈し給ふは、一位に諸位を具するの時、一位に皆分証・究竟の二益有り。此の辺に約して解釈(げしゃく)せば分証・究竟に亘(わた)ると判じ給へり云云。
  
今経の受職灌頂(かんじょう)の人に於て二人あり。一には道(どう)、二には俗なり。道に於て復(また)二あり。一には正しき修学解了(しゅがくげりょう)の受職、二には只信行の受職なり。俗に於ても又二あり。道に例して知んぬべし。比丘(びく)の信行は俗の修学に勝る。又比丘の信行は俗の終信に同じ。俗の修学解行は信行の比丘の始信に同ず。何を以ての故に、比丘能(よ)く悪を忍べばなり。又比丘は出家の時分に受職を得(う)。俗は能く悪を忍ぶの義有りと雖(いえど)も受職の義なし。故に修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。

経に云はく「当に知るべし、是の人は如来と共に宿(しゅく)せん」と。又云はく「衆生を愍(あわれ)むが故に此の人間に生まれたり」と。是の故に作法の受職灌頂の比丘をば、信行の比丘と俗衆と共に礼拝を致し供養し恭敬(くぎょう)せん事、仏を敬ふが如くすべし。「若し法師に親近(しんごん)せば速(すみ)やかに菩薩の道を得ん。是の師に随順して学せば恒沙(ごうじゃ)の仏を見たてまつることを得ん」が故なり。自門尚是くの如し。何に況んや他門をや。

問ふ、修学解了の比丘の受職と信行の比丘乃至俗衆の受職との相貌(そうみょう)如何。答ふ、信行の比丘の受職と俗衆の受職と是同じ。何を以ての故に、此の信行の比丘と在家の衆とは但だ信行受持の功徳なればなり。経に云はく「仏薬王に告げたまはく、又如来滅度の後若し人有って妙法華経の乃至一偈一句を聞きて一念も随喜せん者には我亦阿耨菩提(あのくぼだい)の記を与へ授く」と。又云はく「是の人歓喜して法を説かんに、須臾(しゅゆ)も之を聞かば即ち阿耨菩提を究竟(くきょう)することを得ん」と。又云はく「此の経は持ち難し。若し暫(しばら)くも持つ者は我即ち歓喜す。諸仏も亦然(しか)なり。是くの如きの人は淳善の地に住するなり」と。提婆品に云はく「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん」等云云。

是くの如き等の諸文一に非ず。具(つぶさ)には之を記すること能(あた)はず。無智の道俗は自らの成仏計りの功徳にして利他の功徳なし。例せば第五十の人の師の徳無きが如し。無智の道俗も亦復是(またまたか)くの如し。少分利他の徳有りと雖も法師品の下品(げぼん)の師に劣れり、況んや上品(じょうぼん)の師をや。法師品の下品の師とは分(ぶん)の解了(げりょう)之有りて法会(ほうえ)の聞きを違(たが)へず、能く竊(ひそ)かに一人の為にも説くなり。其の理法華経と如来の本懐とに違はざるが故に、所化も信受すれば利を得るが故に、無智の道俗は少分の教化有りと雖(いえど)も語(ことば)に言失有り、法に又違(たが)う所有り。故に知んぬ、今の無智の道俗等は但仰いで信じ仰いで行じ仰いで受持せよ。又弘経の師に於て之を供養すべし。経に云はく「若し仏道に住して自然智(じねんち)を成就せんと欲せば常に当(まさ)に勤めて法華を受持せん者を供養すべし。其れ疾(と)く一切種智慧を得んと欲すること有らば、当に是の経を受持し並びに持者を供養すべし」と。

問ふ、今の文に持者とは無智の道俗等なり、如何。答ふ、経の始終、上下の師に約して持者と名づくる故なり。仍って文の前後を見るべきのみ。
問ふ、何の故ぞ、修学解行(しゅがくげりょう)の受職の比丘の功徳は無智の道俗の功徳に勝るゝや。答ふ、解行の受職の比丘は無智の道俗の功徳を具するのみならず、己が修学解行と作法受得の受職と、又利他の功徳と此等の功徳を取り集めて、一身に具する故に勝ると云ふなり。
難じて云はく、若し爾(しか)らば経文の「以信得入」と云ふ文に背(そむ)けり、如何。答ふ、二乗は利他の行無し。故に「以信得入」と云ふなり。
重ねて難じて云はく、他経の文に「八万聖教(しょうぎょう)を知ると雖も後世を知らざるは無智」等といふは如何。

答ふ、今の師は自ら後世を知る上又他を利す、故に勝ると云ふなり。例せば第五十人の功徳を挙げて初会聴法(しょえちょうほう)の人の功徳を況(きょう)するに、上の四十九人は皆自行化他の徳を具し、第五十人は自行に限って化他の徳無きが如し云云。

次に正しく修学解行の受職の比丘の功徳を言はゞ、是に於て上下の二師有り。謂はく、上の師は広く人の為に説き、下の師は能く竊(ひそ)かに一人の為に説くなり。上下の不同有りと雖も同じく是五種法師なり。
経に云はく「若し善男子・善女人、法華経の乃至一句に於ても受持し、読誦し、解説(げせつ)し、書写す。乃至、当に知るべし、此の人は是大菩薩なり。阿耨菩提を成就して衆生を哀愍(あいみん)して、願って此の間に生まれ、広く妙法華経を演(の)べ分別するなり。何に況んや、尽くして能く受持し、種々に供養せん者をや。薬王、当(まさ)に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てゝ、我が滅度の後に於て衆生を愍れむが故に悪世に生まれて広く此の経を演ぶるなり。若し是の善男子・善女人、我が滅度の後に能く竊かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使ひなり、如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て広く人の為に説かんをや」と。今の品の下品(げぼん)の師とは、「広為人説」の一師に於て上下の師を分(わ)かつなり。釈は且く之を置きぬ。文に入って之を見るに、上に五種法師を挙げ畢(おわ)って「衆生を愍れむが故に悪世に生まれて広く此の経を演(の)ぶ」と云ひ、「若是」とおさふる一句の文の内に「能竊為一人説(のうせっちいちにんせつ)」とも「広為人説」とも云へり。文の意は「広演此経」の人、時宜(じぎ)して竊かに一人の為に法華経を説く、尚如来の使ひなり。何に況んや「大衆の中に於て広く人の為に説かんをや」と云ふ文なり。今の文には五種法師を挙ぐ。余処並びに他の経論には、六種十種の法師を明かすなり。謂はく、大論の六種の法師、天王般若の十種の法師、乃至如来行の一師、自行化他の二師、身口意(しんくい)の三師、又身口意誓等の四師あり。此等の師々は皆今の品の五種法師の具する所の功徳なり。

然(しか)るに予下賤(げせん)なりと雖(いえど)も、忝(かたじけな)くも大乗を学し諸経の王に事(つか)ふる者なり。釈迦既に妙法の智水を以て、日蓮の頂に灌(そそ)ぎて面授口決(めんじゅくけつ)せしめ給へり。日蓮又日浄に受職せしむ。受職の後は他の為に之を説き給へ。経文の如くんば如来の使ひなり。如来の所遣として如来の事を行ずる人なり。

経に利他の人の功徳を説きて云はく「是の人は一切世間の応(まさ)に瞻奉(せんぶ)すべき所なり。応に如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是大菩薩にして阿耨菩提(あのくぼだい)を成就す」。又云はく「当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨つ」と。又云はく「当に知るべし、是の人は仏の荘厳を以て自ら荘厳するなり。則ち如来の肩に荷担(かたん)せらるゝことを為(え)ん。其の所至の方には、応に随って向かひ礼(らい)すべし」等云云。
一部の文広くして具(つぶさ)に記すること能(あた)はず。受職の法師の功徳是くの如し。是の故に若し此の師を供養せん人は福を安明(あんみょう)に積み、此の師を謗ぜん人は罪を無間(むけん)に開く。伝教大師云はく「讃めん者は福を安明に積み、謗(そし)らん者は罪を無間に開く」とは此の意なり。此の師を供養し恭敬(くぎょう)し讃歎(さんだん)せん人の功徳を仏説きて言はく「人有って仏道を求めて、一劫の中に於て合掌して我が前に在って、無数の偈(げ)を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復(また)彼に過ぎん」と。

問ふ、何を以ての故に、弘経の師を供養する功徳は是くの如く一劫の中に於て無数の偈を以て仏を讃むる功徳より勝れたるぞや。答ふ、仏は衆生を引導すること自在神通力の故に此の経を説くこと難からず。凡師は自在の三昧を得ざるが故に此の経を説くこと則ち難し。故に一劫讃仏の功徳に勝ると云ふなり。されば此の弘経の人は「如来と共に宿する」の人なり。経に云はく「上の如し」と。又云はく「如来の滅後に、四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何(いかん)が応(まさ)に説くべき。是の善男子・善女人は如来の室に入り、如来の衣を著(き)、如来の座に坐して、爾(しか)して乃(いま)し応(まさ)に四衆の為に広く斯の経を説くべし」等云云。是くの如きの人なれば、如来変化(へんげ)の人を遣(つか)はして供養すべしと見えたり。経に云はく「不懈怠(ふけたい)の心を以て諸の菩薩及び四部の衆の為に、広く是の法華経を説くべし○時々に説法者をして、我が身を見ることを得せしめん」と。本師教主釈迦如来、是くの如く之を守護し供養し給ふ。何に況んや、我等凡夫をや。故に若し之を供養し礼拝する人は最上の功徳を得るなり。故に今時の弘経の僧をば、当に世尊を供養するが如くにすべし。是則(すなわ)ち今経のをきてなり。若し此の師を悪口し罵詈(めり)し誹謗すれば、種々の重罪を受くることを得るなり。経に云はく「若し一劫の中に於て常に不善の心を懐(いだ)きて、色を作(な)して仏を罵(ののし)らんは、無量の重罪を獲(え)ん。其れ是の法華経を読誦し持つこと有らん者に、須臾(しゅゆ)も悪言を加へんは其の罪復(また)彼に過ぎん」と。又云はく「若しは人有って之を軽毀(きょうき)して言はん、汝は狂人ならくのみ、空(むな)しく是の行を作(な)して終(つい)に獲る所無けん○当(まさ)に仏を敬ふが如くすべし」と。又経に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨(けっこん)を懐かん。此の人の罪報を汝今復聴(またき)け、其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。五百問論に云はく「大千界微塵数(みじんじゅ)の仏を殺すは其の罪尚軽し。此の経を毀謗(きぼう)するの罪彼より多し。永く地獄に入って出(い)づる期(ご)有ること無し。此の経を読誦する者を毀訾(きし)するも亦復(またまた)是くの如し」と。論師人師等の釈、之多しと雖も之を略し畢(おわ)んぬ。

然るに、我が弟子等の中にも「未得謂得未証謂証(みとくいとくみしょういしょう)」の輩(やから)有って、出仮利生(しゅっけりしょう)の僧を軽毀せん。此の人の罪報具(つぶさ)に聞くべし。今時の念仏・真言・律等の大慢謗法・一闡提(いっせんだい)等より勝れたること百千万倍ならん。爰(ここ)に無智の僧侶、纔(わず)かに法華経の一品二品乃至一部、或は又要文一十乃至一帖二帖等の経釈を習ひ受けて、広学多聞の僧侶に於て同位等行の思ひを成す。之の僧侶は是くの如き罪報を得ん。無智の僧侶尚(なお)是くの如きの罪報を得ん。何に況んや、無智の俗男俗女をや。又信者の道俗の軽毀(きょうき)尚是くの如し。況んや不信謗法の輩をや。

問ふ、何が故ぞ妙法の受職を受くる人、是くの如く功徳を得るや。答ふ、此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵(おうぞう)、一大事因縁の大白法なり。化導三説に勝れ功一期(いちご)に高く、一切衆生をして現当の悉地成就をせしむる法なるが故に、此の経受職の人は是くの如く功徳を得るなり。釈に云はく「法妙なるが故に人貴し」等云云。或は云はく「好堅地に処して芽既に百囲、頻迦(びんが)は卵に在って声(こえ)衆鳥に勝る」等云云。或は云はく、妙楽云はく「然(しか)も此の経の功(こう)高く理絶するに約して、此の説を作(な)すを得ん。余経は然(しか)らず」等云云。縦(たと)ひ爾前方便の極位(ごくい)の菩薩なりとも、今経の初心始行(しぎょう)の凡夫の功徳には及び給はず。何に況んや、我等末法五濁(ごじょく)乱漫に生を受け、三類の強敵を忍んで南無妙法蓮華経と唱ふ。豈(あに)如来の使ひに非ずや。豈(あに)霊山に於て親(まのあた)り仏勅を受けたる行者に非ずや。是豈(あに)初随喜等の類(たぐい)に非ずや。第五十の人すら尚方便の極位の菩薩の功徳に勝れり。何に況んや、五十已前の諸人をや。是くの如く莫大(ばくだい)の功徳を今時に得受せんと欲せば、正直に方便たる念仏・真言・禅・律等の諸宗諸経を捨てゝ、但南無妙法蓮華経と唱へ給へ。至心に唱へたてまつるべし、唱へたてまつるべし。
                          日域沙門 日蓮花押
 文永九年壬申四月十五日の夜半に之を記し畢んぬ。






by johsei1129 | 2019-10-13 10:50 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)