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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 15日 ( 9 )


2019年 09月 15日

真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、と説いた【十章抄】

【十章抄】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)五月 五十歳 御作。
■出筆場所:鎌倉 館にて。
■出筆の経緯:本抄は、比叡山に遊学し天台学を学んでいた三位房日行に送られた書です。本抄で大聖人は「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり、日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし」と記し、南無妙法蓮華経と唱えることが末法の修行であることを強く指導されておられます。
文末では「止観よみあげさせ給はばすみやかに御わたり候へ」と記し、天台の摩訶止観を修業したら速やかに大聖人の元に見参するよう促されております。

尚大聖人はこの書を記した四ヶ月後に「竜の口の法難」に遭われ、この書を著した時点では、未だ御本尊を御図現されておられません。
また日蓮一期の弘法を付属された日興上人は「日興誡置文」 で、天台の修学について「義道の落居(らっこ)無くして天台の学文すべからざること」と弟子・信徒一同に大聖人の法門を第一にして習得するよう戒められておられます。
■ご真筆:中山法華経寺 所蔵。
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[十章抄 本文]

華厳宗と申す宗は華厳経の円と法華経の円とは一なり而れども法華経の円は華厳の円の枝末と云云、法相・三論も又又かくのごとし、天台宗・彼の義に同ぜば別宗と立てなにかせん、例せば法華・涅槃は一つ円なり先後に依つて涅槃尚をとるとさだむ、爾前の円・法華の円を一とならば先後によりて法華豈劣らざらんや、詮ずるところ・この邪義のをこり此妙彼妙(しみょうひみょう)・円実不異・円頓義斉(えんどんぎせい)・前三為麤(ぜんさんいそ)等の釈にばかされて起る義なり、止観と申すも円頓止観の証文には華厳経の文をひきて候ぞ、又二の巻の四修三昧(まい)は多分は念仏と見へて候なり、源濁れば流清からずと申して爾前の円と法華経の円と一つと申す者が止観を人によませ候えば但念仏者のごとくにて候なり、但止観は迹門(しゃくもん)より出(いで)たり・本門より出たり・本迹(ほんじゃく)に亘(わた)ると申す三つの義いにしえより・これあり、これは且くこれををく、故に知る一部の文共に円乗開権の妙観を成すと申して止観一部は法華経の開会(かいえ)の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり、「境は昔に寄ると雖も智は必ず円に依る」と申して文殊問(もんじゅもん)・方等(ほうどう)・請観音(しょうかんのん)等の諸経を引いて四種を立つれども心は必ず法華経なり「諸文を散引して一代の文体を該(かぬ)れども正意は唯二経に帰す」と申すこれなり。

 止観に十章あり大意・釈名・体相・摂法(せっぽう)・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰(しき)なり、前六重は修多羅(しゅだら)に依ると申して大意より方便までの六重は先四巻に限る、これは妙解迹門の心をのべたり、今妙解に依つて以て正行を立つと申すは第七の正観・十境・十乗の観法本門の心なり、一念三千此れよりはじまる、一念三千と申す事は迹門にすらなを許されず何に況や爾前に分た(絶)へたる事なり。
 
一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る・爾前は迹門の依義判文(えぎはんもん)・迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義(えもんはんぎ)は本門に限るべし、されば円の行まちまちなり沙(いさご)をかずへ大海をみるなを円の行なり、何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。

但これらは時時(よりより)の行なるべし、真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり・日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり、法華経に十七種の名ありこれ通名なり・別名は三世の諸仏皆南無妙法蓮華経とつけさせ給いしなり、阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき・口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり、此等をしらざる天台・真言等の念仏者・口ずさみには一向に南無阿弥陀仏と申すあひだ在家の者は一向に念うやう天台・真言等は念仏にてありけり、又善導・法然が一門はすなわち天台真言の人人も実に自宗が叶いがたければ念仏を申すなり、わづらわしく・かれを学せんよりは法華経をよまんよりは一向に念仏を申して浄土にして法華経をもさとるべしと申す、此の義・日本国に充満せし故に天台・真言の学者・在家の人人にすてられて六十余州の山寺はう(失)せはてぬるなり。

 九十六種の外道は仏慧比丘(ぶってびく)の威儀よりをこり、日本国の謗法(ほうぼう)は爾前の円と法華の円と一つという義の盛なりしより・これはじまれり、あわれなるかなや、外道は常楽我浄(じょうらくがじょう)と立てしかば仏世にいでまさせ給いては苦・空・無常・無我ととかせ給いき、二乗は空観に著(じゃく)して大乗にすすまざりしかば仏誡(いまし)めて云く五逆は仏のたね・塵労(じんろう)の疇(たぐい)は如来の種(たね)・二乗の善法は永不成(ようふじょう)と嫌わせ給いき、常楽我浄の義こそ外道は・あしかりしかども名はよかりしぞかし、而れども仏(ほとけ)名をい(忌)み給いき、悪だに仏の種となる・ましてぜん(善)はとこそ・をぼうれども仏二乗に向いては悪をば許して善をば・いましめ給いき。

当世の念仏は法華経を国に失う念仏なり、設いぜんたりとも義分あたれりと・いうとも先ず名をいむべし、其の故は仏法は国に随うべし、天竺には一向小乗・一向大乗・大小兼学の国あり・わかれたり、震旦亦復是くの如し、日本国は一向大乗の国・大乗の中の一乗の国なり、華厳・法相・三論等の諸大乗すら猶相応せず何に況や小乗の三宗をや、而るに当世にはやる念仏宗と禅宗とは源(もと)方等部より事をこれり法相・三論・華厳の見(けん)を出ずべからず、南無阿弥陀仏は爾前(にぜん)にかぎる、法華経にをいては往生の行にあらず開会の後・仏因となるべし、南無妙法蓮華経は四十余年にわたらず但法華八箇年にかぎる、南無阿弥陀仏に開会せられず法華経は能開・念仏は所開なり、法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり、譬えば如意宝珠の如し金銀等の財を備えたり、念仏は一期申すとも法華経の功徳をぐ(具)すべからず、譬へば金銀等の如意宝珠をかねざるがごとし、譬へば三千大千世界に積みたる金銀等の財も一つの如意宝珠をばか(替)うべからず、設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず、何に況や当世に開会を心得たる智者も少なくこそをはすらめ、設いさる人ありとも弟子・眷属(けんぞく)・所従なんどは・いかんがあるべかるらん、愚者は智者の念仏を申し給うをみては念仏者とぞ見候らん、法華経の行者とはよも候はじ。

又南無妙法蓮華経と申す人をば・いかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候はんずらん、当世に父母を殺す人よりも謀反ををこす人よりも天台・真言の学者と云はれて善公が礼讃をうたひ然公が念仏をさえづる人人は・をそろしく候なり。この文(ふみ)を止観よみあげさせ給いて後ふみのざ(座)の人にひろめてわたらせ給うべし、止観よみあげさせ給はばすみやかに御わたり候へ。

沙汰(さた)の事は本より日蓮が道理だにもつよくば事切れん事かたしと存じて候いしが人ごとに問注は法門にはにずいみじうしたりと申し候なるときに事切るべしともをぼへ候はず、少弼(しょうひつ)殿より平三郎左衛門のもとに・わたりて候とぞうけ給わり候、この事のび候わば問注はよきと御心得候へ、又いつにても・よも切れぬ事は候はじ、又切れずば日蓮が道理とこそ人人は・をもい候はんずらめ、くるしく候はず候、当時はことに天台・真言等の人人の多く来て候なり、事多き故に留め候い了んぬ。

by johsei1129 | 2019-09-15 17:45 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

法華経は一代聖教の肝心八万法蔵の拠り所と明かした書【善無畏三蔵抄】五

[善無畏三蔵抄 本文]その五

 而るを日蓮は安房(あわ)の国・東条の郷・清澄山(きよすみさん)の住人なり、幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵(こくうぞう)菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗伺(ほぼうかが)ひ侍りぬ、殊には建長五年の比より今文永七年に至るまで此の十六七年の間・禅宗と念仏宗とを難ずる故に禅宗・念仏宗の学者・蜂の如く起り雲の如く集る、是をつ(詰)むる事・一言二言には過ぎず結句は天台・真言等の学者・自宗の廃立(はいりゅう)を習ひ失いて我が心と他宗に同じ在家の信をなせる事なれば彼の邪見の宗を扶けんが為に天台・真言は念仏宗・禅宗に等しと料簡(りょうけん)しなして日蓮を破するなり、此れは日蓮を破する様なれども我と天台・真言等を失ふ者なるべし能く能く恥ずべき事なり。

 此の諸経・諸論・諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生(ごりしょう)・本師道善御房の御恩なるべし。亀魚(かめ)すら恩を報ずる事あり何(いか)に況)いわん)や人倫をや、此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す、而るに此の人愚癡(ぐち)におはする上念仏者なり三悪道を免るべしとも見えず、而も又日蓮が教訓を用ふべき人にあらず、然れども文永元年十一月十四日・西条華房(せいじょうはなふさ)の僧坊にして見参に入りし時彼の人の云く我智慧なければ請用(しょうゆう)の望もなし、年老いていらへ(綵)なければ念仏の名僧をも立てず世間に弘まる事なれば唯(ただ)南無阿弥陀仏と申す計りなり、又我が心より起らざれども事の縁有つて阿弥陀仏を五体まで作り奉る是れ又過去の宿習なるべし、此の科(とが)に依つて地獄に堕つべきや等云云、爾時に日蓮意に念(おも)はく別して中違(なかたが)ひまいらする事無けれども東条左衛門入道蓮智が事に依つて此の十余年の間は見奉らず但し中不和なるが如し、穏便(おんびん)の義を存じおだやかに申す事こそ礼儀なれとは思いしかども生死界(しょうじかい)の習ひ老少不定(ろうしょうふじょう)なり又二度見参の事・難かるべし、此の人の兄道義房義尚(どうぎぼうぎしょう)此の人に向つて無間地獄に堕つべき人と申して有りしが臨終思う様にも・ましまさざりけるやらん、此の人も又しかるべしと哀れに思いし故に思い切つて強強(つよづよ)に申したりき、阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし其の故は正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)の法華経に釈迦如来は我等が親父・阿弥陀仏は伯父と説かせ給ふ、我が伯父をば五体まで作り供養せさせ給いて親父をば一体も造り給はざりけるは豈不孝の人に非ずや、中中・山人(やまかつ)・海人(あま)なんどが東西をしらず一善をも修せざる者は還つて罪浅き者なるべし、当世の道心者が後世を願ふとも法華経・釈迦仏をば打ち捨て阿弥陀仏念仏なんどを念念に捨て申さざるはいかがあるべかるらん、打ち見る処は善人とは見えたれども親を捨てて他人につく失免るべしとは見えず、一向悪人はいまだ仏法に帰せず釈迦仏を捨て奉る失も見えず縁有つて信ずる辺もや有らんずらん、善導・法然・並びに当世の学者等が邪義に就いて阿弥陀仏を本尊として一向に念仏を申す人人は多生曠劫(たしょうこうごう)をふるとも此の邪見を翻(ひるが)へして釈迦仏・法華経に帰すべしとは見えず、されば雙林(そうりん)最後の涅槃経に十悪・五逆よりも過ぎておそろしき者を出ださせ給ふに謗法闡提(ほうぼうせんだい)と申して二百五十戒を持ち三衣一鉢(ぱつ)を身に纒(まと)へる智者共の中にこそ有るべしと見え侍れとこまごまと申して候いしかば、此の人もこころえずげに思いておはしき、傍座の人人もこころえずげに・をもはれしかども其の後承りしに法華経を持たるるの由承りしかば此の人邪見を翻し給ふか善人に成り給いぬと悦び思ひ候処に又此の釈迦仏を造らせ給う事申す計りなし、当座には強(つよげ)なる様に有りしかども法華経の文のままに説き候いしかばかうおれさせ給へり、忠言耳に逆(さか)らい良薬口に苦しと申す事は是なり。

 今既に日蓮・師の恩を報ず定めて仏神・納受し給はんか、各各此の由(よし)を道善房に申し聞かせ給ふべし、仮令(たとい)強言なれども人をたすくれば実語・輭語(なんご)なるべし、設(たと)ひ輭語なれども人を損ずるは妄語(もうご)・強言(ごうげん)なり、当世・学匠等の法門はなん語・実語と人人は思食(おぼしめ)したれども皆強言妄語なり、仏の本意たる法華経に背く故なるべし、日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕つべし禅宗・真言宗も又謬(あやまり)の宗なりなんど申し候は強言とは思食すとも実語・なん語なるべし、例せば此の道善御房の法華経を迎へ釈迦仏を造らせ給う事は日蓮が強言より起る、日本国の一切衆生も亦復是くの如し、当世・此の十余年已前は一向念仏者にて候いしが十人が一二人は一向に南無妙法蓮華経と唱へ二三人は両方になり、又一向念仏申す人も疑をなす故に心中に法華経を信じ又釈迦仏を書き造り奉る、是れ亦日蓮が強言より起る、譬えば栴檀(せんだん)は伊蘭(いらん)より生じ蓮華は泥より出でたり而るに念仏は無間地獄に堕つると申せば当世牛馬の如くなる智者どもが日蓮が法門を仮染(かりそめ)にも毀(そし)るは糞犬(やせいぬ)が師子王をほへ癡猿(こざる)が帝釈(たいしゃく)を笑ふに似たり。

文永七年                         日 蓮 花 押
義浄房浄顕房





by johsei1129 | 2019-09-15 17:12 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

法華経は一代聖教の肝心八万法蔵の拠り所と明かした書【善無畏三蔵抄】四

[善無畏三蔵抄 本文]その四

 而るを当世の僻見(びゃっけん)の学者等・設ひ八万法蔵を極め十二部経を諳(そら)んじ大小の戒品を堅く持ち給ふ智者なりとも此の道理に背かば悪道を免るべからずと思食(おぼしめ)すべし、例せば善無畏三蔵は真言宗の元祖・烏萇奈(うちょうな)国の大王・仏種王の太子なり、教主釈尊は十九にして出家し給いき此の三蔵は十三にして位を捨て月氏・七十箇国・九万里を歩き回(めぐ)りて諸経・諸論・諸宗を習い伝へ北天竺・金粟(こんぞく)王の塔の下にして天に仰ぎ祈請(きしょう)を致し給えるに虚空(こくう)の中に大日如来を中央として胎蔵界(たいぞうかい)の曼荼羅(まんだら)・顕れさせ給ふ、慈悲の余り此の正法を辺土に弘めんと思食して漢土に入り給ひ玄宗皇帝に秘法を授け奉り旱魃(かんばつ)の時雨の祈をし給いしかば三日が内に天より雨ふりしなり、此の三蔵は千二百余尊の種子・尊形三摩耶(そんぎょうさんまや)・一事も・くもりなし、当世の東寺等の一切の真言宗・一人も此の御弟子に非るはなし、而るに此の三蔵一時(あるとき)に頓死ありき数多(あまた)の獄卒来つて鉄繩(てつじょう)七すぢ懸(か)けたてまつり閻魔王宮(えんまおうぐう)に至る此の事第一の不審なり、いかなる罪あつて此の責に値い給ひけるやらん、今生(こんじょう)は十悪は有りもやすらん五逆罪は造らず過去を尋ぬれば大国の王となり給ふ事を勘うるに十善戒を堅く持ち五百の仏陀に仕へ給ふなり何の罪かあらん、其の上十三にして位を捨て出家し給いき閻浮(えんぶ)第一の菩提心なるべし、過去・現在の軽重(きょうじゅう)の罪も滅すらん・其の上月氏に流布する所の経論諸宗を習い極め給いしなり何の罪か消えざらん、又真言密教は他に異なる法なるべし一印一真言なれども手に結び口に誦(ず)すれば三世の重罪も滅せずと云うことなし、無量倶低劫(くていこう)の間作る所の衆の罪障も此の曼荼羅を見れば一時に皆消滅すとこそ申し候へ、況や此の三蔵は千二百余尊の印真言を諳に浮べ即身成仏の観道鏡に懸(かか)り両部潅頂(かんちょう)の御時・大日覚王となり給いき、如何にして閻魔の責に豫り給いけるやらん、日蓮は顕密二道の中に勝れさせ給いて我等易易(やすやす)と生死を離るべき教に入らんと思い候いて真言の秘教をあらあら習ひ此の事を尋ね勘(かんが)うるに一人として答をする人なし、此の人悪道を免れずば当世の一切の真言並びに一印一真言の道俗・三悪道の罪を免るべきや。

 日蓮此の事を委く勘うるに二つの失(とが)有つて閻魔王の責に予り給へり、一つには大日経は法華経に劣るのみに非ず涅槃経・華厳経・般若経等にも及ばざる経にて候を法華経に勝れたりとする謗法の失なり、二つには大日如来は釈尊の分身(ふんじん)なり而るを大日如来は教主釈尊に勝れたりと思ひし僻見(びゃっけん)なり、此の謗法の罪は無量劫の間・千二百余尊の法を行ずとも悪道を免るべからず、此の三蔵此の失免れ難き故に諸尊の印真言を作(な)せども叶はざりしかば法華経第二・譬喩品の今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人・能為救護の文を唱へて鉄の繩を免れさせ給いき、而るに善無畏已後の真言師等は大日経は一切経に勝るるのみに非ず法華経に超過せり、或は法華経は華厳経にも劣るなんど申す人もあり此等は人は異なれども其の謗法の罪は同じきか、又善無畏三蔵・法華経と大日経と大事とすべしと深理をば同ぜさせ給いしかども印と真言とは法華経は大日経に劣りけるとおぼせし僻見計りなり、其の已後の真言師等は大事の理をも法華経は劣れりと思へり、印真言は又申すに及ばず謗法の罪・遥にかさみたり、閻魔の責にて堕獄の苦を延ぶべしとも見えず直に阿鼻の炎(ほのお)をや招くらん、大日経には本(もと)・一念三千の深理なし此の理は法華経に限るべし、善無畏三蔵・天台大師の法華経の深理を読み出でさせ給いしを盗み取つて大日経に入れ法華経の荘厳として説かれて候・大日経の印真言を彼の経の得分と思へり、理も同じと申すは僻見なり真言印契を得分と思ふも邪見なり、譬えば人の下人の六根は主の物なるべし而るを我が財(たから)と思ふ故に多くの失(とが)出で来る、此の譬を似て諸経を解(さと)るべし、劣る経に説く法門は勝れたる経の得分と成るべきなり。

[善無畏三蔵抄 本文]その五に続く四




by johsei1129 | 2019-09-15 16:53 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

法華経は一代聖教の肝心八万法蔵の拠り所と明かした書【善無畏三蔵抄】三

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[善無畏三蔵抄 本文]その三

此の釈迦如来は三の故ましまして他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ、一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします、阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず釈迦仏は譬えば我が国の主上のごとし先ず此の国の大王を敬つて後に他国の王をば敬ふべし、天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり迹化の後・神と顕れさせ給ふ、此の神にそむく人・此の国の主となるべからず、されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所(ないじどころ)と号す、八幡大菩薩に勅使有つて物申しあはさせ給いき、大覚世尊は我等が尊主なり先づ御本尊と定むべし、二には釈迦如来は娑婆世界の一切衆生の父母なり、先づ我が父母を孝し後に他人の父母には及ぼすべし、例せば周の武王は父の形を木像に造つて車にのせて戦(いくさ)の大将と定めて天感を蒙(こうむ)り殷(いん)の紂王(ちゅうおう)をうつ、舜王(しゅんおう)は父の眼の盲(めしい)たるをなげきて涙をながし手をもつて・のご(拭)ひしかば本(もと)のごとく眼あきにけり、此の仏も又是くの如く我等衆生の眼をば開仏知見とは開き給いしか、いまだ他仏は開き給はず、三には此の仏は娑婆世界の一切衆生の本師なり、此の仏は賢劫第九・人寿百歳の時・中天竺・浄飯(じょうぼん)大王の御子・十九にして出家し三十にして成道し五十余年が間一代聖教を説き八十にして御入滅・舎利を留めて一切衆生を正像末に救ひ給ふ、阿弥陀如来・薬師仏・大日等は他土の仏にして此の世界の世尊にてはましまさず、此の娑婆世界は十方世界の中の最下の処・譬えば此の国土の中の獄門の如し、十方世界の中の十悪・五逆・誹謗正法の重罪・逆罪の者を諸仏如来・擯出(ひんずい)し給いしを釈迦如来・此の土にあつめ給ふ、三悪並びに無間大城に堕ちて其の苦をつぐのひて人中天上には生れたれども其の罪の余残ありてややもすれば正法を謗じ智者を罵り罪つくりやすし、例せば身子は阿羅漢なれども瞋恚(しんに)のけしきあり、畢陵(ひつりょう)は見思(けんじ)を断ぜしかども慢心の形みゆ、難陀(なんだ)は婬欲を断じても女人に交る心あり、煩悩を断じたれども余残あり何に況や凡夫にをいてをや、されば釈迦如来の御名をば能忍(のうにん)と名(なづ)けて此の土に入り給うに一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり、此等の秘術は他仏のかけ給へるところなり、阿弥陀仏等の諸仏世尊・悲願をおこさせ給いて心にははぢ(恥)をおぼしめして還つて此の界にかよひ四十八願・十二大願なんどは起させ給ふなるべし、観世音等の他土の菩薩も亦復是くの如し、仏には常平等の時は一切諸仏は差別なけれども常差別の時は各各に十方世界に土をしめて有縁(うえん)無縁を分ち給ふ、大通智勝仏の十六王子・十方に土をしめて一一に我が弟子を救ひ給ふ、其の中に釈迦如来は此土に当り給ふ我等衆生も又生を娑婆世界に受けぬ、いかにも釈迦如来の教化をばはなるべからず而りといへども人皆是を知らず委く尋ねあきらめば唯我一人能為救護(ゆいがいちにんのういくご)と申して釈迦如来の御手を離るべからず、而れば此の土の一切衆生・生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば必ず先ず釈尊を木画の像に顕わして御本尊と定めさせ給いて其の後力おはしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。

 然るを当世聖行なき此の土の人人の仏をつくりかかせ給うに先ず他仏をさきとするは其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上世間の礼儀にもはづれて候、されば優填(うてん)大王の赤栴檀(しゃくせんだん)いまだ他仏をば・きざませ給はず、千塔王の画像も釈迦如来なり、而るを諸大乗経による人人・我が所依の経経を諸経に勝れたりと思ふ故に教主釈尊をば次さまにし給ふ、一切の真言師は大日経は諸経に勝れたりと思ふ故に此の経に詮とする大日如来を我等が有縁の仏と思ひ念仏者等は観経等を信ずる故に阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思ふ、当世はことに善導・法然等が邪義を正義と思いて浄土の三部経を指南とする故に十造る寺は八九は阿弥陀仏を本尊とす、在家・出家・一家・十家・百家・千家にいたるまで持仏堂の仏は阿弥陀なり、其の外木画の像・一家に千仏万仏まします大旨は阿弥陀仏なり、而るに当世の智者とおぼしき人人・是を見て・わざはひとは思はずして我が意に相叶ふ故に只称美讃歎の心のみあり、只一向悪人にして因果の道理をも弁へず一仏をも持(たも)たざる者は還つて失(とが)なきへんもありぬべし、我等が父母・世尊は主師親の三徳を備えて一切の仏に擯出せられたる我等を唯我一人・能為救護とはげませ給ふ、其の恩大海よりも深し其の恩大地よりも厚し其の恩虚空よりも広し、二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備ふとも身の皮を剥いで百千万・天井にはるとも涙を閼伽(あか)の水として千万億劫・仏前に花を備ふとも身の肉血を無量劫・仏前に山の如く積み大海の如く湛(たと)ふとも此の仏の一分の御恩を報じ尽しがたし。

[善無畏三蔵抄 本文]その四に続く




by johsei1129 | 2019-09-15 16:42 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

法華経は一代聖教の肝心八万法蔵の拠り所と明かした書【善無畏三蔵抄】二

[善無畏三蔵抄 本文]その二
 
 日蓮八宗を勘へたるに法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依つて或は実経に同じ或は実経を下せり、是れ論師人師より誤りぬと見えぬ、倶舎(くしゃ)・成実(じょうじつ)は子細ある上・律宗なんどは小乗最下の宗なり、人師より論師・権大乗より実大乗経なれば真言宗・大日経等は未だ華厳経等に及ばず何(いか)に況(いわん)や涅槃・法華経等に及ぶべしや、而るに善無畏(ぜんむい)三蔵は華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時・理同事勝の謬釈(みょうしゃく)を作りしより已来(このかた)或はおごりをなして法華経は華厳経にも劣りなん何に況や真言経に及ぶべしや、或は云く印・真言のなき事は法華経に諍(あらそ)ふべからず、或は云く天台宗の祖師多く真言宗を勝ると云い世間の思いも真言宗勝れたるなんめりと思へり、日蓮此の事を計るに人多く迷ふ事なれば委細にかんがへたるなり、粗余処(ほぼよそ)に注せり見るべし又志あらん人人は存生の時習い伝ふべし人の多く・おもふには・おそるべからず、又時節の久近にも依るべからず専ら経文と道理とに依るべし、浄土宗は曇鸞(どんらん)・道綽(どうしゃく)・善導より誤り多くして多くの人人を邪見に入れけるを日本の法然・是をうけ取つて人ごとに念仏を信ぜしむるのみならず天下の諸宗を皆失はんとするを叡山・三千の大衆・南都・興福寺・東大寺の八宗より是をせく故に代代の国王・勅宣を下し将軍家より御教書(みきょうしょ)をなして・せけどもとどまらず、弥弥(いよいよ)繁昌して返つて主上・上皇・万民・等にいたるまで皆信状せり。

 而るに日蓮は安房の国・東条片海(かたうみ)の石中(いそなか)の賤民が子なり威徳なく有徳のものにあらず、なににつけてか南都・北嶺のとどめがたき天子の虎牙(こが)の制止に叶はざる念仏をふせぐべきとは思へども経文を亀鏡と定め天台・伝教の指南を手ににぎりて建長五年より今年・文永七年に至るまで十七年が間・是を責めたるに日本国の念仏・大体留り了(おわん)ぬ、眼前に是れ見えたり、又口にすてぬ人人はあれども心計りは念仏は生死をはなるる道にはあらざりけると思ふ、禅宗以て是くの如し一を以て万を知れ真言等の諸宗の誤りをだに留めん事手ににぎりておぼゆるなり、況や当世の高僧・真言師等は其の智牛馬にもおとり螢(ほたる)火の光にもしかず只死せるものの手に弓箭をゆひつけ・ねごとするものに物をとふが如し、手に印を結び口に真言は誦(ず)すれども其の心中には義理を弁(わきま)うる事なし、結句・慢心は山の如く高く欲心は海よりも深し、是は皆自ら経論の勝劣に迷ふより事起り祖師の誤りをたださざるによるなり、所詮・智者は八万法蔵をも習ふべし十二部経をも学すべし、末代濁悪世の愚人は念仏等の難行・易行(いぎょう)等をば抛(なげう)つて一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱え給うべし、日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮(ぶ)の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり、螢火は未だ国土を照さず宝珠は懐中に持ぬれば万物皆ふらさずと云う事なし、瓦石は財(たから)をふらさず、念仏等は法華経の題目に対すれば瓦石と宝珠と螢火と日光との如し。

 我等が昧(くら)き眼を以て螢火の光を得て物の色を弁ふべしや、旁(かたがた)凡夫の叶いがたき法は念仏・真言等の小乗権教なり、又我が師・釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者なり、此の娑婆・無仏の世の最先に出でさせ給いて一切衆生の眼目を開き給ふ御仏(みほとけ)なり、東西十方の諸仏・菩薩も皆此の仏の教(おしえ)なるべし、譬えば皇帝已前は人・父をしらずして畜生の如し、尭(ぎょう)王已前は四季を弁へず牛馬の癡(おろか)なるに同じかりき、仏世に出でさせ給はざりしには比丘・比丘尼の二衆もなく只男女二人にて候いき、今比丘・比丘尼の真言師等・大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し念仏者等が阿弥陀仏を一向に持つて釈迦如来を抛(なげす)てたるも教主釈尊の比丘・比丘尼なり元祖が誤を伝え来るなるべし。

[善無畏三蔵抄 本文]その三に続く




by johsei1129 | 2019-09-15 16:34 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

法華経は一代聖教の肝心八万法蔵の拠り所と明かした書【善無畏三蔵抄】一

【善無畏三蔵抄(ぜんむいさんぞうしょう】
■出筆時期:文永七年(1270)(西暦1270年) 四十九歳御作 
■出筆場所:鎌倉
■出筆の経緯:大聖人が幼少時に入門した清澄寺の兄弟子、義浄房・浄顕房にあてられた書。
法華経は一代聖教の肝心・八万法蔵の依りどころとなりとしたため、特に大日経を漢訳した善無畏三蔵が、釈尊の説いた教に基づず自説として「法華経は大日経に劣れるのみならず華厳経にも及ばず」と称した妄言を厳しく断罪している。 
■ご真筆: 現存していない。

[善無畏三蔵抄 本文]その一

 法華経は一代聖教の肝心・八万法蔵の依りどころなり、大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は震旦(しんたん)・月氏(がっし)・竜宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教恒沙塵数(ごうしゃじんじゅ)なり、大海を硯(すずり)の水とし三千大千世界の草木を筆としても書き尽しがたき経経の中をも或は此れを見或は計り推するに法華経は最第一におはします、而るを印度等の宗・日域の間に仏意(ぶっち)を窺(うかが)はざる論師・人師多くして或は大日経は法華経に勝れたり、或る人人は法華経は大日経に劣れるのみならず華厳経にも及ばず、或る人人は法華経は涅槃経・般若経・深密経等には劣る、或る人人は辺辺あり互に勝劣ある故に、或る人の云く機に随つて勝劣あり時機に叶へば勝れ叶はざれば劣る、或る人の云く有門より得道すべき機あれば空門をそしり有門をほむ余も是を以て知るべしなんど申す、其の時の人人の中に此の法門を申しやぶる人なければ・おろかなる国王等深く是を信ぜさせ給ひ田畠等を寄進して徒党あまたになりぬ、其の義久く旧(ふり)ぬれば只正法なんめりと打ち思つて疑ふ事もなく過ぎ行く程に末世に彼等が論師・人師より智慧賢き人出来して、彼等が持つところの論師・人師の立義・一一に或は所依の経経に相違するやう或は一代聖教の始末・浅深等を弁へざる故に専ら経文を以て責め申す時、各各・宗宗の元祖の邪義扶(たす)け難き故に陳し方を失ひ、或は疑つて云く論師・人師定めて経論に証文ありぬらん我が智及ばざれば扶けがたし、或は疑つて云く我が師は上古の賢哲なり今我等は末代の愚人なりなんど思う故に・有徳・高人をかたらひ・えて怨(あだ)のみなすなり。

 しかりといへども予自他の偏党をなげすて論師人師の料簡(りょうけん)を閣(お)いて専ら経文によるに法華経は勝れて第一におはすと意得(こころえ)て侍るなり、法華経に勝れておはする御経ありと申す人・出来候はば思食(おぼしめす)べし、此れは相似の経文を見たがえて申すか又人の私に我と経文をつくりて事を仏説によせて候か、智慧おろかなる者弁へずして仏説と号するなんどと思食すべし、慧能が壇(だん)経・善導が観念法門経・天竺・震旦・日本国に私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真(まこと)と思うなり、譬えば天(そら)に日月にすぎたる星有りなんど申せば眼無き者は・さもやなんど思はんが如し、我が師は上古の賢哲・汝は末代の愚人なんど申す事をば愚なる者はさもやと思うなり、此の不審は今に始りたるにあらず陳隋(ちんずい)の代に智顗(ちぎ)法師と申せし小僧一人侍りき後には二代の天子の御師・天台智者大師と号し奉る、此の人始いやしかりし時・但漢土・五百余年の三蔵・人師を破るのみならず月氏・一千年の論師をも破せしかば南北の智人等・雲の如く起り東西の賢哲等・星の如く列りて雨の如く難を下し風の如く此の義を破りしかども終に論師・人師の偏邪の義を破して天台一宗の正義を立てにき、日域の桓武の御宇に最澄(さいちょう)と申す小僧侍りき後には伝教大師と号し奉る、欽明已来の二百余年の諸の人師の諸宗を破りしかは始は諸人いかりをなせしかども後には一同に御弟子となりにき、此等の人人の難に我等が元祖は四依(え)の論師・上古の賢哲なり汝は像末の凡夫(ぼんぷ)愚人なりとこそ難じ侍りしか、正像末(しょうぞうまつ)には依るべからず実経の文に依るべきぞ人には依るべからず専ら道理に依るべきか、外道(げどう)・仏を難じて云く「汝は成劫(じょうこう)の末・住劫(じゅうこう)の始の愚人なり我等が本師は先代の智者・二天・三仙是なり」なんど申せしかども終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。

[善無畏三蔵抄 本文]その二に続く





by johsei1129 | 2019-09-15 16:24 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

仏自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば我即ち慳貪に堕せん、 し説いた【六郎恒長ご消息(仏無間地獄事)】

【六郎恒長ご消息(念仏無間地獄事)】
■出筆時期:文永六年(1269)九月 四八歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は身延の地主、波木井実長(はきりさねなが)に宛てられた消息です。
宛名が恒長(つねなが)となっているのは古写本の写し間違いではないかと思われます。波木井実長は念仏の熱心な信者でしたが子息の長義が日興上人の教化で大聖人に帰依するのに続いて、文永六年自身も信徒となり、後の文永十一年には、大聖人に身延の地と草庵を寄進します。
恐らく本書は実長が入信まもない頃に実長の念仏への信仰を断ち切るために分かりやすく念仏無間について説かれたと思われます。
大聖人は「法然上人の選択集に、浄土三部を除きてより以外の一代の聖教、所謂法華経・大日経・大般若経等の一切大小の経を書き上げて捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」と書かれている。しかし法華経の文には「若し人信ぜすして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれている。御不審有らば選択を披見あるべし」と諭とされるとともに文末では「日本国六十六箇国島二つの大地は教主釈尊の本領なり。娑婆以て此くの如く全く阿弥陀仏の領に非ず」と断じられておられます。
しかし波木井実長は大聖人御遷化の後、日興上人の懸命な指導にも関わらず六老僧の一人日向の影響を受け、神社への参拝を繰り返し念仏の道場を造立するなど謗法に陥ってしまいます。
■ご真筆:現存しておりません。

【六郎恒長ご消息(仏無間地獄事) 本文】

所詮念仏を無間地獄と云ふ義に二有り。一には念仏者を無間地獄とは、日本国一切の念仏衆の元祖法然上人の選択集(せんちゃくしゅう)に、浄土三部を除きてより以外の一代の聖教、所謂法華経・大日経・大般若経等の一切大小の経を書き上げて「捨閉閣抛」等云云。之に付きて上人の亀鏡と挙げられし処の浄土の三部経の其の中に、双観経に阿弥陀仏の因位、法蔵比丘の四十八願に云はく「唯五逆と誹謗正法とを除く」云云。法然上人も乃至(ないし)十念の中には入れ給ふといえども、法華経の門を閉じよと書かれて候へば、阿弥陀仏の本願に漏れたる人に非ずや。其の弟子其の檀那等も亦以て此くの如し。法華経の文には「若し人信ぜすして乃至其の人命終して阿鼻獄(あびごく)に入らん」云云。阿弥陀仏の本願と法華経の文と真実ならば、法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや。一切の経の性相に定めて云はく「師堕つれば弟子堕つ、弟子堕つれば檀那堕つ」云云。譬へば謀叛(むほん)の者の郎従等の如し。御不審有らば選択を披見(ひけん)あるべし。 是一。 

二には念仏を無間地獄とは法華経の序文無量義経に云はく「方便力を以て、四十余年には未だ真実を顕はさず」云云。次下の文に云はく「無量無辺を過ぐるとも乃至終に無上菩提を成ずることを得じ」云云。仏初成道の時より白鷺池(びゃくろち)の辺りに至るまで年紀をあげ、四十余年と指して其の中の一切経を挙ぐる中に大部の経四部、其の四部の中に「次に方等十二部経を説く」云云。是念仏者の御信用候三部経なり。此を挙げて真実に非ずと云云。次に法華経に云はく「世尊の法は久しくして後要(かなら)ず当に真実を説くべし」とは念仏等の不真実に対し南無妙法蓮華経を真実と申す文なり。次下に云はく「仏自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば我即ち慳貪(けんどん)に堕せん。此の事は為(さだめ)て不可なり」云云。此の文の意は法華経を仏胸(むね)に秘しおさめて、観経念仏等の四十余年の経計りを人々に授けて、法華経を説かずして黙止するならば、我は慳貪の者なり、三悪道に堕すべしと云ふ文なり。仏すら尚唯念仏を行じて一生をすごし、法華経に移らざる時は地獄に堕すべしと云云。況んや末代の凡夫、一向に南無阿弥陀仏と申して一生をすごし、法華経に移りて南無妙法蓮華経と唱へざる者、三悪道を免(まぬが)るべきや。第二の巻に云はく「今此三界」等云云。此の文は日本国六十六箇国島二つの大地は教主釈尊の本領なり。娑婆以て此くの如く全く阿弥陀仏の領に非ず。「其中衆生悉是吾子(ごちゅうしゅじょうしつぜごし)」云云。日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女、各父母有りといへども、其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり。三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息なり。全く阿弥陀仏の子には非ず。 

文永元年甲子(きのえね)九月 日         日蓮 花押
南部六郎恒長殿




by johsei1129 | 2019-09-15 08:56 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

天台の摩訶止観等の講義をする「大師講」の主催を富木常忍に依頼した書【富木殿御消息】

【富木殿御消息】
■出筆時期:文永六年(1269)六月七日 四十八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は毎月定例を行われていた「大師講(天台大師の摩訶止観等の講義))の主催を弟子の明性房が都合が悪いので、富木殿に担当してもらえないかと依頼した書となっております。

尚、大師講とは天台大師の月命日である24日の前後に、定例で弟子・信徒が担当し開催されていたと思われます。本書を記されたは文永六年は「竜ノ口の法難」の二年前であり、謂わば本書佐渡流罪以前(佐前)の書で、大聖人はこの頃は法華経を一念三千で体系化した天台の「摩訶止観、法華文句、法華玄義」を基づいて法華経の極説を説いていたと思われます。

また月一回の重要な講説の行事を弟子・信徒分け隔てなく僧俗一体で大聖人が実施していたことに、今日の大聖人門下のあり方にも示唆することが多いものがあると拝されます。
※大師講については本書の五ヶ月後に記された「金吾殿御返事」を参照して下さい。
■ご真筆:京都市 立本寺所蔵。
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[ご真筆は上下二段に分けて認められておられます。]

【富木殿御消息 本文】
(上段)
大師講事。
今月明性房にて候が此月はさしあい候。
余人之中せん(為)と候人候はば申せ給と候。
貴辺如何
(下段)
蒙仰(おおせこうむり)候はん。
又御指合(さしあい)にて候わば他処へ申べく候。
恐々謹言。

六月七日  日 蓮花押
土木殿





by johsei1129 | 2019-09-15 08:47 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日

「仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成ぜん」と説いた【問注得意抄】

【問注得意抄】
■出筆時期:文永六年(1269年)五月九日 四八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて
■出筆の経緯:本書の宛先は三人御中となっている。本文の出だしに土木入道殿とあるので、一人は富木常忍であるが、他の一人は大田乗明、残りの一人は四条金吾か曾谷教信のいずれかと見られている。内容は、法華経の布教に関係するトラブルで富木常忍を筆頭に3名の信徒が鎌倉幕府の問注所(当時は一審制のため事実上最高裁判所の位置づけとなる)に呼び出され、申し開きをすることになった。恐らく3人は問註所に出廷する前に大聖人に挨拶に伺ったものと思われる。その時大聖人が、問註所での対応について細々した指導をしたためた本書を当日用意しておき、富木どのに渡したものと思われる。決して大々的なものではないが、大聖人が立正安国論で国家諌暁して以来、長年願っていた公的な場で堂々と法論を論ずることができる機会を得たことには変わりがなく、本書で大聖人は三人の信徒を「三千年に一度花さき菓よしこのみなる優曇華(うどんげ)に値へるの身」と励まされている。
■ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)
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[問注得意抄 本文] [英語版]

 今日召し合はせ御問注の由承り候。各々御所念の如くならば、三千年に一度花さき菓(このみ)なる優曇華に値へるの身か。西王母の薗(その)の桃九千年に三度之を得るは、東方朔(とうほうさく)が心か。一期の幸ひ、何事か之に如かん。御成敗の甲乙は且く之を置く。前立ちて欝念(うつねん)を開発せんか。

 但し兼日御存知有りと雖も、駿馬にも鞭(むち)うつの理之有り。今日の御出仕公庭に望みての後は、設ひ知音たりと雖も、傍輩に向かひて雑言を止めらるべし。両方召し合はせの時、御奉行人、訴陳の状之を読むの剋(きざ)み、何事に付けても御奉行人御尋ね無からんの外(ほか)は一言をも出だすべからざるか。設ひ敵人等悪口を吐くと雖も、各々当身の事一・二度までは聞かざるが如くすべし。三度に及ぶの時、顔貌(げんみょう)を変ぜず、麁言(そげん)を出ださず、軟語(なんご)を以て申すべし。

 各々は一処の同輩なり。私に於ては全く違恨(いこん)無きの由之を申さるべきか。又御供の雑人等に能く能く禁止を加へ、喧嘩を出だすべからざるか。是くの如きの事、書札に尽くしつ難し、心を以て御斟酌(しんしゃく)有るべきか。

 此等の嬌言(きょうげん)を出だす事恐れを存ずと雖も、仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成ぜんが為に愚言を出だす処なり。恐々謹言。

五月九日             日 蓮 花押
三人御中

by johsei1129 | 2019-09-15 08:45 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)