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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 02月 07日 ( 2 )


2019年 02月 07日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(55)



第十九 毎自作是念の文 礼拝住処の事(注)

御義口伝に云く、毎の字は三世(注)なり、念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり。

仍つて速成就仏身と皆当作仏とは同じき事なり、仍つて此の一文を相伝せり。

天台大師は「開三顕一○開近顕遠(注)」と釈せり、秘す可し秘す可し云云。





毎自作是念の文
妙法蓮華経 如来寿量品第十六の最後の偈にある文。

[原文]
我亦為世父 救諸苦患者 為凡夫顛倒 実在而言滅 
以常見我故 而生僑恣心 放逸著五欲 墮於悪道中 
我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 
毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身 
[和訳]
我、常に衆生の道を行じ、道を行ぜずを知りて、度すべき所に随って、為に種種の法を説かん
毎(つね)に自から是の念を作せん『以何にして衆生を無上道に入らしめて、速やかに仏身を成就する事を得させしめんと』

三世
過去世・現世・未来世
三世は仏法の根幹の視点で、衆生は過去世の善行・悪行の報いとして現世の境遇があり、現世の善行・悪行の報いとして未来世の境遇が定まるとする。
下記の妙法蓮華経方便品の十如是がこの事を示しており、この法を究めたのが仏であると解き明かしております。
「第一希有 難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相 所謂諸法 
 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等」

開三顕一○開近顕遠
開三顕一(開権顕実とも言う)

法華経以前に説かれた三乗(声聞・縁覚・菩薩)の教えはすべて方便であり、法華経の一仏乗こそ、仏の悟りに導く究極の仏の教えと説く事を示している。
開近顕遠(かいごんけんのん) ともいう。

如来寿量品で始めて釈尊は弟子達に、『皆は私の事をインドの釈迦族の王子として生まれ、修行の末悟ったと考えているだろが、実は掘るか久遠に菩薩の行をして仏になり、インドに垂迹したものである』と顕きらかにしたことを意味します。
この事について記した如来寿量品第十六長行の文文は次の通りです。
[原文]
一切世間天人 及阿脩羅 皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫 譬如五百千万億 那由佗阿僧祇
(中略)
諸善男子 我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽 復倍上数 然今非実滅度 而便唱言 当取滅度 如来以是方便 教化衆生
[和訳]
一切世間の天、人、及び阿脩羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈迦族の王宮を出で、
伽耶城(マガダ国の都)を去る事遠からず、(菩提樹の基の)道場に座して、阿耨多羅 三藐三菩提(仏の悟り)を得たりと謂えり。
然し善男子よ、我は実ら成仏して已来、無量無辺 百千万億 由佗劫と言う、遥かに長遠の時間を経ているのだ。
(中略)
諸の善男子よ、我、本より菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今も猶、未だ尽きずして復た上の数に倍せり。然るに今、実の滅度に非れども、而も、便ち唱えて「当に滅度を取るべし」と言わん。如来は是の方便の教えを以て衆生を教化せり。









by johsei1129 | 2019-02-07 21:14 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 07日

Gosho 富士一跡門徒御存知事 一 The Known Facts of Believers in Fuji Sect

富士一跡門徒御存知事

The Known Facts of Believers in Fuji Sect

 延慶二年 日興上人 六十四歳 御作

 In 1309Nikko Shonin. Sixty-fourYears old


一、五人一同に云く、本尊に(おい)ては釈迦如来を(あが)(たてまつ)る可しとて既に立てたり、

And one more thing. All the five people say, “We worshiped a Buddha as the object of worship and must present it” and they already established it.

(したが)つて弟子檀那(だんな)等の中にも造立(ぞうりゅう)供養(くよう)の御書()()りと云云(うんぬん)

Therefore, there are insisting person in disciples or the supporters as follows. 'There is the writing of teacher Nichiren preaching offerings about the Buddha statue making'.

(しか)る間・(さかん)に堂舎を造り(あるい)一躰(いったい)を安置し或は()(げん)文殊(もんじゅ)(きょう)()とす、

In this way, they make a temple frequently or enshrine a Buddha statue or put Fugen and Manjushiri Bodhisattvaas an attendant image of Buddhist statue.

()つて聖人御筆(おんふで)の本尊に於ては()の仏像の後面に()け奉り又は堂舎の(ほぞおの)に之を捨て置く。

They hang Gohonzon of the saint handwriting in the back of this Buddha statue in this way or abandon and put this to the corridor of temple and they remain indifferent.


つづく Continued


本文 Original Text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-07 06:42 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)