人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2019年 02月 02日 ( 2 )


2019年 02月 02日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】要点解説(51)

【常不軽品三十箇の大事】


第十五 於如来滅後等の事 (注)


御義口伝に云く、不軽菩薩の修行は此の如くなり、仏の滅後に五種(注)に妙法蓮華経を修行すべしと見えたり。

正しく是故より下、廿五字(注)は、末法日蓮等の類いの事なるべし。

既に是の故にとおさえて、於如来滅後と説かれたり、流通の品(注)なる故なり。惣じては流通とは未来当今(注)の為なり。


法華経一部(注)は一往は(釈迦)在世(注)の為なり、再往は末法当今(注)の為なり。

其の故は妙法蓮華経の五字は、三世の諸仏、共に許して、未来滅後の者(注)の為なり。


品品の法門は題目の用(注)なり、体の妙法、末法の用たらば、何ぞ用の品品(注)別ならむや。此の法門秘す可し秘す可し。

 天台の「綱維(注)を提ぐるに、目として動かざること無きが如」等と釈する、此の意なり。

 妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と。此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。



於如来滅後等

常不軽品の次の偈にある文。

 得大勢、当に知るべし「是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益して、能く阿耨多羅三藐三菩提(悟り)に至らしむ。

是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応に是の経を受持・読・誦し、解説し書写すべし


五種

法華経の五種(受持・読・誦・解説・書写)の修行で、法華経を受持(信じ)し、目で読み、声に出して誦み、人に説法し、書写する事。


尚、日蓮大聖人は五種の修行の中では書写は一番低い修行であると断じておられる。常不軽品以外の品では、修行として書写が省かれ、受持・読・誦・解説の他に、他者に受持・読・誦・解説を勧める事つまり布教を促している。


廿五字

次の漢字25文字を意味する。

[原文]

是故諸菩薩摩訶薩 於如来滅後 常応受持 読誦 解説 書写是経

[和訳]

是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応に是の経を受持・読・誦し、解説し書写すべし。


流通の品

法華経二十八品それぞれの内容は、序分・正宗分・流通分に分別できる。

序分は演劇のプロローグのように、仏が説法する前段階の状況(参集した弟子等、天から曼陀羅華が降る、世界が六種に震動する等、仏が説法に入る様々な瑞相を記している)を記した品で、正宗分は仏が説く核心の内容が説かれている。流通分は正宗分で説かれた内容を広く、また未来に流通させる為の品で、具体的に法華経を受持することの功徳が大きいこと、法華経の行者を蔑むことは無間地獄に陥る事等々が記されている。


 例えば序品第一は序分、方便品第二、如来寿量品第十六は正宗分、その後に説かれた品々は流通分となる。

如来寿量品第十六の後の分別功徳品第十七、随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九は、法華経を受持することでいかに功徳があるか解き明かして、法華経の流通を促している働きをする品となっている。


法華経一部

法華経二十八品八巻を意味します。


在世

釈迦在世を意味する。


未来当今

日蓮大聖人在世の今、及びそれ以降の末法を示す。


未来滅後の者

日蓮大聖人門下を意味し、日蓮大聖人は御義口伝以前は日蓮門下を「日蓮が弟子檀那」と記されておられましたが、御義口伝においては「末法日蓮等の類い」と明示されておられます。


題目の用

妙法蓮華経の題目が法華経二十八品の幹とすれば、二十八品の品々は、大木を支えるため用、つまり大木を支える役割を果たしているとする。


綱維

網目に対する大網、物事の大筋の意








by johsei1129 | 2019-02-02 21:30 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 02日

Gosho 転重軽受法門 Lightly Receiving a Heavy Sin of Previous Life

()()(ぼん)に云はく「経を読誦(どくじゅ)書持(しょじ)すること()らん者を見て軽賎(きょうせん)憎嫉(ぞうしつ)して結恨(けつこん)(いだ)かん」と。

The “Simile and Parable” chapter states, “If this person . . . on seeing those who read, recite, copy, and uphold this sutra, should despise, hate, envy, or bear grudges against them . . .”.

The “Simile and Parable” chapter states, If these people watch the person who reads, recites, copies, and upholds this sutra, they will balefully despise him, and take a hate and envy".

法師品(ほっしぼん)に云はく「如来(にょらい)の現在すら猶怨(なおおん)(しつ)多し(いわん)(めつ)()(のち)をや」と。

The “Teacher of the Law” chapter reads, “Since hatred and jealousy to ward this sutra abound even when the Thus Come One is in the world, how much more will this be so after his passing?”.

The “Teacher of the Law” chapter states, "Even the present of the Buddha still had much jealousy. To say nothing of after Buddha".

勧持(かんじ)(ほん)に云はく「(とう)(じょう)を加へ乃至(ないし)数々(しばしば)(ひん)(ずい)せられん」と。

The “Encouraging Devotion” chapter reads, “Many ignorant people will attack us with swords and staves . . . again and again we will be banished”.

The “recommending a devotion” chapter reads, “We will be attacked with swords and staves . . . again and again we will be banished”.

安楽(あんらく)行品(ぎょうぼん)に云はく「一切世間、(あだ)多くして信じ(がた)し」と。

The “Peaceful Practices” chapter states, “It [the Lotus Sutra] will face much hostility in the world and be difficult to believe”.

The chapter of “Peaceful practices” teach, “It [the Lotus Sutra] is difficult to believe in, because there is much malice in the world”.

(これ)()経文(きょうもん)には候へども、(いつ)の世にかゝるべしともしられず。

Although these quotations from the sutra are the Buddha’s prophecies, there is no reference to when these persecutions will occur.

Although these quotations from the sutra are the Buddha's prophecies, there is no reference to when these persecutions will occur.

過去の()(きょう)菩薩・(かく)(とく)比丘(びく)なんどこそ、身に()たりて()みまいらせ候ひけるとみへ()んべれ。

In the past, Bodhisattva Never Disparaging and the monk Realization of Virtue read and lived these passages.

In the past, it seems that Bodhisattva Never Disparaging and the monk Kakutoku read these sentences themselves.

現在には正像(しょうぞう)二千年はさて()きぬ。末法に入っては、()の日本国には当時は日蓮一人()へ候か。

But setting aside the two thousand years of the Former and Middle Days of the Law, now, in the Latter Day, in all Japan only Nichiren seems to be doing so.

But apart from the two thousand years of the former or middle days of the Law, now, in the latter days, in this Japan only Nichiren seems to be doing so.


つづく Continued


本文 Original Text  目次 Table of Contents



by johsei1129 | 2019-02-02 08:52 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)