人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2018年 05月 02日 ( 1 )


2018年 05月 02日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(52)

【法師品十五箇の大事】
第一  法師の事

 御義口伝に云く、法とは諸法なり。師とは諸法が直ちに師と成るなり。

 森羅三千の諸法が、直ちに師と成り、弟子となるべきなり。 

 
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、法師の中の大法師なり。

諸法実相の開覚顕れて見れば、地獄の灯燃猛火、乃至仏果に至る迄、悉く具足して一念三千(注)の法師なり。

 
又云く、法とは題目(南妙法蓮華経)、師とは日蓮等の類いなり。




(注)

一念三千

天台は法華三部作の頂点である「摩訶止観」で、一瞬の生命に三千の法が働いていると論じた。その概要は以下のとおりです。


己心の一念に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界の命があり、この命は縁に触れて生じる。

例えば他人に自分の欠点を指摘され、怒り(修羅界)の命が生じたり、好きな人に褒められて嬉しくなり、天にも昇る心地(天界)の命が生ずる場合などである。

此の十界の命が互いに具する事を十界互具とする。

この十界互具とは、仏は仏の境涯で、地獄界から菩薩界の命を生じ、人は人界の境涯で、地獄から仏界までの十界の命を生じるとする。


日蓮大聖人は「十界互具」について「観心本尊抄」で次のように解き明かしている。

「世間の無常は眼前に有り、豈人界に二乗界(声聞・縁覚)無からんや。

 無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり。 但仏界計り現じ難し。

九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむること勿れ。
 

 法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」、涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も、名けて仏眼と為す」等云云。

 末代の凡夫、出生して法華経(妙法蓮華経)を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり」と。


次に、一念がどのような法で外に向かって作用し、その結果生じる果報について、解き明かしたのが「十如是」で、妙法蓮華経・方便品第二で次のように説かれている。

「仏の成就せる所は、第一の希有で難解の法にして、唯、仏と仏のみ、乃ち能く諸法の実相を究め尽くせばなり。

 謂う所は、諸法の、是の如き相と、是の如き性、是の如き体、是の如き力、是の如き作、是の如き因、是の如き縁、是の如き果、是の如き報、是の如き末究竟等(注)なり」


 上記の「如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)」は、仏も衆生も、有情も非情も、同じ法則で貫かれている事を意味し、釈尊が法華経で、一切衆生に仏と同様に仏の命があることを説くための、導入部としての役割を果たしている。

 

 この十如是はサンスクリットの原文では「仏だけが諸法の現象の本質、特徴を知り、教示できる」と、大まかに結論を説いているが、妙法蓮華経を漢訳した天才鳩摩羅什は、釈迦の立場に立ち、サンスクリットの原典の真意を衆生によりわかりやすく伝えるために「諸法の現象の本質」を具体的に「十如是」として展開したものと推測される。


十界互具及び十如是は、有情非情の生命に共通に備わる法則であるが、個々人の境遇の違いを説いたのが「三世間」の法門である。尚、世間とは違い、差別及び区別を意味する。


 三世間の概要は以下の通りです。

五陰(ごおん)世間 は個人の持って生まれた個性・特質の違いを示す。個人が持つ五陰つまり「色・受・想・行・識」の5つの要素の違いを言う。

衆生世間 自分を取り巻く衆生つまり人々(父母・兄弟・友人・社会で出会う人々等々)の違いを示す。

国土世間 生まれついた自然環境、例えば大都市のビル群で育つ人、海辺、農村で育つ人、戦争のない日本で生まれた人、シリアの難民キャンプで生まれ育

った人等の、取り巻く環境の違い。


以上を集約すると、十界、十界互具で百界、十如是をかけ合わせると千如是、さらに三世間をかけ合わせて三千世間つまり、一念三千の法を構成することになる。


本末究竟等 

如是相から如是報までの本と末が、究竟(究極・必定・絶対)的に等しい、つまり仏も衆生も有情も非情も、究極として十如是の法則が等しく働いているとする。



【御義口伝 上】要点解説(53)に続く






by johsei1129 | 2018-05-02 21:07 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)